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倫理的行為の構造

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倫理的尾側の構造

松  原  定  信

Structure of Ethical Conduct

Sadanobu Matsubara 一 行為の危機性と厳覇性  Faustは霊感に掻く手にペンを把って,書き改め k。「太初に行為ありき」と。”Im Anfang war die Tat ”(i)  Logosが:先か, Tatが先か,それが我々の問題なの ではない。恐らく両者は互に他なくては存立し得ない であろう。衝動的行為に於てさえ,単なる反射的運動 とは違って何等かの思考の芽生えを含み,叉如何なる 理論もその最初は生物的行動の環境への適応の要求か ら生じたものである。「人間は環境の刺戟に対して行 動によって反応する一個の存在である。」(:)と言う生 の根本的事実の確認が我々の醐発点なのである。  だがその際同時に我々は,What should I do?と言 う課題の前に常に新たに面接しているQ環境的事態は 決意と行動によって,それに答えるべく我々を強制す る。我々の行為,現実の態度そのものがこの設問に対 する解答である。生きる事は答える事であり,それが 行為に外ならない。  然し現実の環境的事態そのものは,如何に決意し行 為すべきかを我々に告げばしない。ただ行為する事を 強要するのみである。そこでは,流れ行く瞬間に向っ て「待てしばし」Verweile doch!と呼び」Eめる事は 許されない。決意をためらい,行為を達延する事すら また一つの行為に急ならない。  滋では各入は自己の判断に頼る外なく,独力で且つ 自発的に決意し行為しなければならない。他入の助言 や伝統的慣習を手掛りにするとしても,最後の責任を 外に転嫁する事は許されない。行為の根源が如何に非 現実的,非因果的であろうともそれが一一A度現実化され るならば,その結果は現実の因果必然の流れの中に織 り込まれ,r恰も水面に投ぜられた波紋の様に」拡がっ て,再びこれを起らなかった以前にかえす事は出来な  (1) Goethe : Faust. 1235 い。結果は行為者を越えて発展し,逆に行為者自身を 裁ばく事に於て何め容赦もないであろう。③  入の行為は斯くの如きr危機性』とr厳粛性』とを その内にはらんでいる。人生とは期かる行為の無限に 続く連鎖であり,我々は日常的に,行為の海の巾の住 人である。  既処に言う行為が単なる肉体の機械的運動を意撫す るものでない事は既に明らかである○現実の環境的事 態から限定されつつも,そこに逆に自己の意慾,自己 の目的を創造的に実現して行く生の過程をこそ行為と 呼び幸い。歴史の進展も社会の発達も,実は斯かる入 間の創造性に担はれではじめて可能となるのである。  Kantは言う「自然は法則に従って動く,唯人間の みが法則の意識に従って動く能力を有する」と。若し 単に法則に従うに乗ずして,法則を意識し之によって 行為する能力が人間に存するならば,斯る行為を自然 科学とは別に倫理学の名の下に考察する事も亦可能で あろう。我々はこの様な自由を有する入間の主体的行 為を『倫理的行為』と名附けよう。それはAristoteles の言葉を借りれば,「随意的行為」であり,強制や無知 より生ずる行為ではなくて,「その端初arch6が彼自身 の内に根ざす所の行為」④である。即ち,善或は悪と して道徳的批判の対象となる如き行為である。  我々は本論に於て,歴更的社会的現実の中で生きて 働く人聞が,その環境との相互作用の中に自己の意志 を実現して行く生の過程を実践的に考察しよう。そし て,倫理的行為の全体的構造を分析し,その特質を解 明する事としよう。 == 倫理的行為の成層構造  一it一■般に倫理的行為とは,目的実現の体系である。自 己が何等かの意昧で価値ありと感受する目的を定立 し,その実現の方法を反省し,そこに見出された手段 (2) j一. Dewey: Human Nature and Condtzct. P. 199 (.3) N. Hartmann: Ethik. 2 Aufl. S.S.1−3 (4) A,ristoteles: Nikomachische Ethik. ph. B. S.40

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倫理的行為の構造(松原)

35 によるかの目的の実際的実現の過程である。即ち,.行 為の全体的構造は次の『三段階の基本的位層』に分析 され得るであろう。  1)主体による目的の定立  2)定立目的を如何にして実現す可きかの手段の反    省  3)その手段を介.しての目的の実際的実現  我々は先づ,N. Hartmannを援用しつつ,各位層の 特質を究明する事から始めよう。①  第一層の目的定立は時間空間の一切の制約を越えて 未来を先取し,一切の行為全系列の規定者としての目 的を設定する事であるQ家に第二層に於ては,その目 的に到達するに必要な手段が順次時間系列とは背進的 に,即ち未来から現在へと吟味考察されるのである。 Aristotelesはこの過程を次の様に規定している。「人 々は目的を定立した上で此の目的が如何なる仕方で, 如何なる手工によって達成されるかを考察する。その 際幾つもの手段がある場合には,何れが最も容易且つ 立派であるかを考察する。三又この手段は更に如何な る手段を必要とするかと言う風にして,最後に発見さ れる第一因erste ursacheにまで遡及する。一〔⊂6)  第三層に於ては,第二層に於て発見された第一因を 実現の最初の第一手段として漸次最:終手段に到るまで の一連の合目的々手段を遂行する事により,最終目的 を達成するのである。屍の層のみが実は現実の因果的 世界に介入し,意識内に企劃された過程を実現するの である。  攻に我々は成層構造の各位層間の構造連関を考察す る事としよう。  第一,三層は各れも主体から目的へ向っての進行で あり,旧聞系列と同方向に経過するのである。然し第 二層のみはそれとは逆に背進的であり,憩こ人間行為 の特質が存するQ又第一,二層は共に意識内に於て一 つの完結した目的々連環ZweckmtiBige Kreislaufを なしている。滋では最初の定立目的がそれに至る手段 を規定し,その手段が…知こは目的となって更にそれを 実現する手毅を規定するのである。第三層に於ては第 =.層の最後の手段から始めて,それが最初の原因とな り,手段Mitte1一→目的Zweckの関係は藪では原 因K:ausa一→結果K:onsequenzに転位され,斯かる 系列を辿って定立目的は成就されるのである。 斯くて行為を通して「目的論的規定」と「因果論的 規定」は相互に媒介され,融和両立される。否,因果 的に規定された世界に於てのみ昌的活動は可能なので ある。行為の創造性は此の様な成層構造に担われてい るのである。行為の結果を前以って予量antizipieren し,意識内でその実現手段を先見出来る特有の能力の 故に,因果の流れを超越し,又それを逆に利用する事 も可能となる。Aなる必然性とBなる必然性を綜合し て,そこに第三のCなる合目的々必然性を創り出し得 るのである。此の能力が自然に目的を与え,単なる自 然的必然の過程と異なる,創造的歴史的行為を成立せ しめるのである。  だが,定立された目的と実現された結果とは必ずし も一致しないであろう。人間の先見能力には制限があ り,無限の予量は神のみこれをよくする。然し,たと え制限されていようとも未来を展望出来る能力は入聞 以外にはない。此の能力が「責任能力」の根拠であり, 先見能力の翻約が責任能力の限界どもなる。  以上の如き行為を全体的に展望するに,その全重心, 一一?獅フ索引点は最初の定立目的に存する。行為の倫理 的性格は,此の目的定立主体の意志に存する。「行為に 於て善時は悪と呼ばれ得るものは意志のみである。」の とするKant的意昧に於ける狭義の純道徳性の問題は 滋に存するのであるっ  我々は家に行為の全重心を担う,意志決定目的形成 に於ける倫理性の問題を考察する事にしよう。          ×      ×  「目的定立」の価値論的性格をその展開の順を追っ て四段階に分ち,その構造と特質を解明したのは,M. Schelerである。彼は意図的目的成立の前段階として の心情の反省から出発する。(8)  1) 1あるものが我々の内で能発aufstrebtしてい る」状態。これは一種目処子衝動」にも似ているが, そこに何等の目標も方向も与えられていない純衝動的 状態である。  2) 次にそれは漠然とした「離脱動能」又はr前進 動能」Fortstrebenと言はれる状態に転位する。これ は或る状態「からの離脱」weg vonによって特性付け られる動特である。未だ何等の「目標規定」も有たな いで,恰かもes hungert mich, es dUrstet mich.空 腹,渇望感と言う非人称的形式で衰はされる如き解発 的状態意識である。  3) 「期かる動能Strebenがその方向に適応するか (5) N. Hartmann: Ethik. 20. Kapitel. Dag Sollen und der Finalnexus. S.S. 171−179 (6) Aristoteles: N. E. S.46 l i 12 b. (7)Kant:Grundleg皿g zur Metaphisik der Sitten. Recram. S.21 (8) M. Scheler: Formalismus in der Ethik und die Materiale Wertethik. 3 Zweck und Werte. 一 Streben, wert und Ziel. IV. Aufi. S.S. 52−65

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叉はそれに抵抗する一つの価値に行き当るかする場合 に,動能は我々にはつきりと特別に意識されるものと なる。」この動能は,価値方向への志向を本質とし「追 及晶晶」Erstrebenと名付けられる。この動能の追及 目.標は未だ何等の表象作用によっても制約されず,た だ「価値構成分」Wertkomponenteに呼付け.られてい るにすぎない。これは先験的な価値感惰であり,それ が価値実質の担ひ手となり得る形象の中書を表象する 時そこに動能の「目標」が表示される。然し期かる「目 標輝輝」は末だ現実的「意志目的」とはなり得ない0  4)単なる動能的「目標」Zielから「目的」Zweckを 分つものは何か,それが意志の「撰取作用」Vorziehen である。質実に於て与えられた.?凾フ表象的捕捉に於 ではじめて目的意識は実現される。それ故,意志目的 と称せられる一切のものは既にある目標の表象を前提 としているQ目的は目.標に基付けられている。先立て る「あるものへの動能」なしに目的を「立てる事」は 出来ない。「動能はその目標の単なる価値意識の段階 に止まっている事が出来るのに,動能の目的を意識し ている意志は必ず既に或る形象的文は意味的に規定さ れたものの意志である。」この規定されたものは一定 の形象性の意昧での「実質」Materieである,そこに 具体的にして実質的な価値関係的な目的が現前するの である。その際動能に与えられた価値の間で「より高 い価値」h6hre Wertを選択する意志作用が道徳的に 善なのである。価値判断の背景には,先験的絶対的な 価値界の全序列Rangordnungが前提されている。だ がこの事の批判は最後の我々の課題としょ5。  斯くて行為の純倫漣的性格はその目的としての価値 撰取に基付き,行為の成層構造はかかる価値の現実ぺ の媒介と言う意義を担うものである。  燃こ「三層目結合としての目的連絡の体系」”Der Finalnexus als dreischichtige Bindung”が完成さ れるのである。  倫理的行為は純粋な内面的意志が,即ち純主体的人 格がその外部に出る行為であるが,その外部とは現実 である。それは常にその時々の特殊固有な状況をおび た複雑な歴史的社会的現実であり,それが行為の行は れる場なのである。そこでは現実の諸条件諸制約を考 慮し,状況を判断し,それに応じて善き意志を実現せ んとする慎重な道徳的思慮を必要とするcJ善き意志が 倫理的行為の「必要なる条件」とすれば,善ぎ思考こ       ノそその「充分なる状件」でなければな.らない。然らば  (9)Passcal二Pensees. Ch. XXIII. P.195 『善き思考』とは何を意味するか,それが我々の次の問 題である。 三 行為と反省的思考  「蜜蜂はその巣の構造に於て多くの建築家を顔色な からしめる。然し最も劣った建築師をも最良の蜜蜂よ りも本来優れたものとして区別するのは,彼がそれを 実際に作る以前に頭の中でこれを築いたと言う事であ る。」Aristotelesのこの言葉は,行為に於ける「総企 劃的思考」の特質を簡明に語っている○  「人間は考える葦である。」と言ったPasscalは更に 続けて,「人間の一切の威厳は思考力にある。それ故に こそ思考すべく努力する事こそが道徳の原理なのであ る。」(g)として,思考をr道徳の原理』にまで高揚する のである。  行為に於ける「野老の道徳性」に着目して,それを 観念論的歪曲から救出し,実証的論理的に展開したの はDeweyである○  以下我々は彼に従って,行為に於けるr思考の道徳 性』とその『論理的構造』を考察する事としよう。  Deweyの倫魍的乃至道徳的と雷う用語は,従来の 形而上学的倫理観に比すると著しく趣きを異にしてい る。彼は言う「道徳は品性全体に関するもので,又晶 性全体はその人の具体的性質及びその行為的表現の一 切と同一である。それ故有徳とは決して僅少の明確な 諸徳目を身につける事ではなく,人があらゆる営為に 於て他人と完全に適宜交渉出来る事を意朝する。」(10) それ故「結局,行為の道徳的性質と社会的性質とは同 一のものである。」と。  Deweyによ・れば,個人が断属する社会的風習,伝統, 思想,感情等々の諸規制に対して,正常にして望まし い適応をとげ,更にこれらの環境を批判しよりよき進 歩を示さんとする行動的志向を総称して「道徳的」と 呼ぶのである。要するに”moral”と,, social”とは 同義語である。「社会的構造を明らかにするような事 実,社会的分析を促がすような力にして道徳的な意味 を有たないものは何一つない」(11)のである。それ故 彼に於て「倫理的行為」とは,「祉会的行為」を意味 し,それは単に社会の変化に順応accomodationする のみではなく,これ等の変化を形成し方向付ける行為 adaptationを意味する。従って日常の行為に調て常 によりよき未来を志向し,現在の「客観的素材を再組 織」する事によって,.自己並にそれと.相関々係にある (10) Dewey: Democracy and Education 1916. P.415’ (11) Dewey: Ethical Principle p.p 25−26

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倫理的行為の構造(松原)

37 社会そのものを改善せんとする「社会的知性」に広く 「道徳的意義」を見出さ、んとするのである。  「記憶.と想像によって行為の結果を社会的に老察す る事」(1・,),「行為の結果を予科してそれによって現在の 欲望又は衝動を評価する事」それを「道徳的態度」と 名付けるのである○  人が新しい環境,未経験のsituationに直面し行動 の方途に迷ひ信念を喪失して困惑perplexityに陥入 つた時,それから脱出し新たな信念を恢復して適切な 行動の仕方を見出し,確信を以って行動せんと試みる 「反省的知的操作」を「道徳的思考」と呼ぶのである。  斯くて思考をはなれて道徳的行為はなく,行動に即 して初めて思考の意義がある。「知る事は為す事の一一 様相」である。  道徳的思考は人が問題的事態,叉外的事態folked・ road situationに直面した時,衝動の即時的表現を反 省と判断により制止さす事に始まる。「止り,聞け,見 よ」それが思考の初発的段階である。次に「観察と記 憶の結合」によって衝動の内面的統剃を行うのであ る。「知性とは直接的行動から間接的行動へと変った 事を年端する。思考が遷延された行動又は探索的行動 と呼ばれる」事は正当である。(13)  一般に我々の生活が衝動や習慣のままに動いて何等 の支障がないなら,新たな目的活動をするに及ばない。 そこには道徳の問題,.価値の問題の発生する根拠はな い。所が外的状件又は内的自制により,直接行動が阻 止された時に目的々努力が始まり,ここに価値の見 出される場が展開される。此の場合価値あるものと は,「現実の事態の処理に役立ちうるような行動の仕 方」(14)を示すものである。  種々の経験的事態の比較考量により次第に一般的価 値の概念が成熟するのであるが,又それは常に現実の 場で検証されねばならない。そこでは絶対の価値が前 提されているのではなく,rその場に於け.る」究極的価 値,即ち主体的及び客観的諸条件を満足せしめる如き unicな善がめざされるのである。          ×       ×  以上の老察によって知られる如く,Deweyに於ては 行為の「道徳性」を担うものは外ならぬ社会的知i生で あり行動的思考である。我々は次に斯かる「反省的思 考jreflective thinkingの機能構造並にその展開の過 程を論理的に考察する事としよう。  Deweyは‘‘Experience and Education”に於て, その過程を次の様に分析している。(1の  1)周囲の状態の観察observation  2)過去の同様な場面に起つた事柄についての情報   や勧告や注意によって得られた知識information  3)観察した所や回想した所を結合し,それらが何   を意明するかを見極めるための判断judgement  欲望を目的に変更し,目的を行動の設計に変換する ためには,この様な観察と判断がなされなければなら ない。  更に彼は“How we think”に於ては,思考の展開 過程を次の如き五段階に分っている。(16)  1)困難の漠然たる自覚Qafelt di伍culty, perple・   xity.  2)困難の正体を突きとめlocation,何が問題であ   るかを明確にする。definition.  3)可能な解決を思ひつく。suggestion of poss;ble   solution, hypothesis.  4)斯かる仮設のもつ様々なかくれた門門bearings   or implicationsを推論reasoningによって,明   確にさせる。development.  5)行動による仮設の検証Otesting the hypothesis   by action.即ち一層進んだ観察と実験による仮設   の是認,又は拒否,換言すれば思い付いた解決を   信用するか否かの決断σ一conclusion of belief or   disbelief.  以上を通観するに,2)は問題全体の解明であり.5) は仮設の検証であり,共に事実の観察observationを 司どる。既の両極の観察の申間項として,3)hypo・ thesisと4)reasoningと言う最も知的な二つめ要素 が介在する。この二項が謂はば反省的思考の全重心を 形成しているQ而して前者は新しい観念を作り出す運 動として「帰納的発見一linductive discoveryと呼ば れ,後者はこの観念にもとづいて作業仮設working’ hypothesisを作り出す働きとして「演繹的証明」de− ductive proofと呼ばれる。  斯くて思考は事実の観察から発して,帰納と演繹の 手法を通して再び事実の検証にかえるのである。斯か る思老をDeweyは経験論的立場から「実験的思考」 experimental thinkin9とも名付ける。実験的思考に よって,人は単なる衝動的乃至試行錯誤的行為から解 放されて目的適合的行為の主体となり得るのである」 (12) Tufts and Dewey: Ethics. 1908. p.298 (13) Dewey: The Quest for Certainty;a study of the relation of knowledge and action, 1929. p.223 (14) Dewey: Theory of Valuation, 1939. p.47 (15) Dewey: Experience and Education, 1939. p.80 (16) Dewey: How we think. 1933. p.p, 68−78.

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 彼は言う「もし一個の変化的事象が毒えられ.我々 が精確にこの事象と他の変化的事象との関係を知るな らば,この変化的事象を生起さす事も出来れば,回避 する事も出来る。」それ故「凡ゆる聰明な思考は行為 に於ける自由の増大,偶然と運命からの解放を意旧す る」(17)とQ斯かる思考,期かる知性こそ「創造的」 creativeと名付けられるにふさわしい。  潔くて我々が前章で考察した倫理的行為の成層構造 は,薮にDeweyによつて,精密な科学的実証性と合 理性を与えられるのである。 四 計画的思考の意義と課題  「変化した社会秩序は,その必要上それに相応する新 しい型の思考をうむQ」今や社会改造と人間改造が密 接な関連をもつ事が自覚されるに到ったのであるっ  「人間を変化させる事によって世界をも変化さす事 の出来る」司能性と必要性を強調し,その方途として 『計劃的思考』Planned thinkingの役割を大胆に主張 したのは,“Man and Society”の著書K. Mannheim である。  彼は思考の性質の変化が行為や行動の性質の変化と 緊密に且つ直接関係している事を示すために,r思老史 上の三つの基本的段階』を提示する。(19)  1)偶然的発見chance discoveryの段階  人皆が直接自然と戦い,自然淘汰がすべての過程を 規制している世界では,ある個人や集団は極あて多数 の可能性の中から所与の状況に適合する反応形式を 「試行錯誤」によって発見する。その場合の思考の仕 事は,発見されたその解決方法を「記憶」するにある。 又この発見物を保存するためには,何等反省的知識を 必要とせず,その部族の宗教的規定やタブーを守りさ えずればよい。  2) 発明invent{onの段階  単純な道具や制度を多様な用途に利用していた段階 から,それを意識的に改変して特殊目標にのみ使用す る様になった時,そこに「発明的思考の段階」が成立 する。藏では人間は一定の目標を想定し,その見地か ら一定の方法で一定期聞にわたり自己の活動を配分す る方法を前以って案出しなければならない。彼は直接 着手している仕事以上に考える必要はないが,然し意 識的な思考によって具体的環境への適応を考え,又事 件の最も司能性の多い帰結を予見する事が出来なけれ ばならないQ単純な道具器具の発明から,蒸気電気の 利用に到るまでの全技術の発達,並に結村,会社,行 政組織等の諸社会組織もこの段階に属する。現代はな おこの段階にあるが,然し次の段階への移行が現われ つつある。  3)計劃乃至計劃的思考planning, planned think−    ingの毅階  人聞や社会が単一一一sの事物や制度を熟慮的に発明する 段階から,これ等の事物間の関係を意図的に規制し知 的に麦配する段階に進む時etiEkの段階は始まる.。  発明段階では,斯る「全体的関連」は因果作用に麦 配され,闘争や競争或はそれによって生ずる自然淘汰 にまかされていた。所が人が斯かる全体的関連の欠如 に気付き,これに応ずる為に新しい思考型が生れる時, 藏に最:も決定的な「冷遇」が到来する。  計劃的思考の最も本質的要素は,それが個別的目標 や,限定された目的を考え出すのではなく,これ等個 々の目的が一層広い目標に対して結局如何なる影響を 及ぼすかを,社会の全体的関連と文脈の中に位置付け て確認する点にある。それは単に機械を製作したり, 軍隊を組織したりする事に局限されないで,同時にそ れ等両者が社会過程にもたらす最大の変化についても 計劃しようとするに到るのである。  以上がMannheimの思考の三つの類型と段階の概 略である。発明並に発見的思考は計劃の出現によりそ の機能を失うのではなく,計劃的思考は発明,発見の 段階の基礎の上にのみ建てられうる事は勿論である。  然し単なる偶然的発見や,局部的発明的思考に任せ るわけにいかないで,計劃的思考によってのみ解決さ れ得る思考上の諸問題が存するのである。「現代」は 正にその様な諸問題に面接しつつある『転換期』なの である。「近代」の自由主義的社会は発明的思考が典 型的に行われた社会であり,それは亦生活の分科時代 でもあった。然し今やr綜合的企劃の時代』が到来す る。「我々は社会的諸要因の種々な群を慎重な考慮の 下に再編成する事によって,出来るだけ最良の人聞型 を計劃するtrこは如何にすればよいかを構想し得る段 階」に到達したのである。(19.)  期かる観点から彼はPragmatismを次の様に評して いる。「思考と実行との間の抽象的障壁を除き,思考 活動はすべて本質的には行為の一部である事を提示し た事は正しい。」だが然し「自由主義時代の産物たる Pragmatismの誤謬は,それが個人の活動のみを注意 して,個人は実際には全体的社会集団の活動と経験の (17) Dewey: The Quest for Certainty. p. 101 (18) Karl Mannheim: Man and Society−ln a age of Recenstruction. 1940. p.p. 150−154

(19) Mannhelm:op. cit., p. 222 .

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倫理的行為の構造 (松原)

39 一断片を代表するにすぎないものなる事を見ない点に ある。」(20)と。

 此の批判はそのままDeweyには当らないが,

Pragmatismの実験的「反省的思考」はMannheim

の「計劃的思考」にまで拡大され止揚される事によっ てのみ「高次の発展」を期し得るのである。  複雑に錯綜するsocial mechanismの相互依存関係 を,そのkey positionから解きほぐして再改造して行 く綜合的社会一計劃的思考こそ正に現代的知性の要請 に外ならない。社会学と倫理学,科学と道徳は,今や 二つの学問ではない。行為の倫理性は「高次の社会性 の場」でとらえられなければならない。  今や計劃的思考を通して,入聞が環境を変化させな がら自分自身の思考をも変化させる時代が到来しつつ ある。Mannheimの計劃的思考の中には,来るべき 社会を構成する人間の行動理論が暗示されている。  藏に思考は企劃的な社会的知性に高められ,計劃的 社会建設と言う新しい課題が思考に課せられるのであ るっ 五 倫理的行為の原動力  以上に茂て我々は倫理的行為に於ける思考の特質と 構造,並に高度の思考形態としての「計劃的思考」の 現代的意義と課題を老察したのである。然し行為に於 て思考はその「第一要因」ではあっても,「直接動因1 ではない。行為は一般に感情的動機,非合理的欲求を その発源力とする。生の根源的衝動性をはなれて創造 的行為を語る事は出来ないQ  衝動として環境に必然的に働きかけざるを得ない所 に,入間の隼命があり生活がある。「知的予想や結果の 観念が運動力を獲得するためには,欲望や衝動と混溝 しなければならない。欲望が観念に動力と動量を与え る」(2Dそれ故「欲望が結局行動の動力源である。These desire are the ultimate moving springs of action. 欲望の強さは為さるべき努力の強度を示す」(‘.,{“))事を Deweyも亦強調するのである。

 然し衝動性impulsionの本質は単なる生物学的

vital forceにつきないであろう。既に我々は自然律 動能の中から価値感情が醸成し来る過程をSchelerに 於てみたのであるQMacdougallにしても「行動は意 欲を中心動力とし,知と情とをその両翼とする複雑な 牲質:を帯びている」事を指摘しているv  要するに行為のf原動力』は創造的自己形成として の入間存在一般の根源的衝動に属するっ此の様な衝動 作用なくしては,個人約入格より客観的精神,文化的 形成に至るまで,すべてその成立は不可能であるQ  斯かるdtimonischな創造的衝動力をGuyauはr生 命の豊穰性』fecondit6と呼び,行動の原理を「生の原 理」の中に見出しているOGuyauによれば,生には営 養同化の自己集中的一面と,消費生産の自己拡大的一 面とがある。種々なる力の保存者であると同時に消費 者でもある。この「拡大」と「消費」が人間の文化的, 道徳的生活を展開させるのである。行為は単に自己保 存や快楽を動機とするのみではなく,自己拡大と消費, 冒険欲から生れる。  彼は言う「活動する事は生きる事であり,より旺ん に活動する事は生命の焦点を拡大する事である。」こ の観点からすれば「悪徳の最も著しいものは怠惰であ り,無為であるQ」と。道徳的理想とは「生の様々なる 発現,少くとも相互に矛盾せず或いは力の持続的衰退 を生じない様な発現の凡ゆる多様性に於ける活動」で ある。そこでは「思考も言はば凝集された行動であ り,生の最大の発展」なのである。(23)  豊かなる生は必然的に自己を展開せずにはおかな いQr我々はそれぞれ自己の内に,恰かも体液の圧力の 如き道徳性への一一Ptの圧.力を感じて・いる。」生命とは 豊穰であり,逆に豊穰とは「生命のシ張濫」である。そ こに真の生存があるのだ。また生存には一定の「寛容」 ’g6nerostit6が不可欠であり,これを欠く時は死滅し, 内的に萎縮してしまうのである。  恰かも「花が咲かざる.を得ない如くに,道徳性,無 私性は人間生活の花」(恥なのである。生命の溢れる 「最も完全な生活者はまた最も社会的な生活者であり, 早帰生活の理想とは共同生活に外ならない。」個人生 命の中に既に「位会生活に対応しそれを可能ならしめ その結果ではなしにその原因をなす如き進化が」(%)存 するのであるQ  期かる立場からして,Guyauは『義務も制裁』もな き純実証的科学的生命の倫理を展開するのであるQ  彼によれば,義務Obligationとは何等かの制限乃 至禁止作用を意味するのではなく,生命の「内的拡大 であり,我々の観念を行動に移す事によってそれを完 (20) Mannheim:op. cit., p. 209 (21)(22)Dewey:Experience and Education. p.81. p.82)(尚. Deweyの「衝動性」impulsionに関して     は,当論集第三巻拙稿「Deweyの道徳論」を参照され度し。 (23)Jean・Marie Guyau:Esquisse d’ume morale sans obligation ni sanction,1885岩波文庫長谷川   訳p.100 (24)(25)(26)(27) (28) Guyau; op. cit., lts,112. p. 113 p. 180 p. 271 p. 154

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成せんとする欲求」なのである。活動し得ると言う事 は,活動しなければならぬと言う事である。滋でGu・ yauはKantの「自律」Autonomieに対して「無律」 Anomieを説く。⊂26)即ち「なすべきが故になし能うの ではなく」逆に「なし得るが故になすべし」と言うの が彼のmoral Gesetzである○道徳的当為は彼に於て は道徳力の表現に外ならないのであるっ  要するに「我々の行動,我々の知性,我々の感情の 内には,利他的:方面に働らく一つの圧力が恰かも天体 中に作用する力と同様に強力なる拡大力が存する。そ して自ら義務の名を与えるのは,己れの力を意識する に到ったこの拡大力である。」(・27)と滋に生と言う「自 然的自発性の宝庫」があり,この宝庫は同時に道徳的 善を創り出すのであるっ  それ故Guyauの実証的道徳は個人に丞の様に命ず る。「汝の生を凡ゆる方向に発展せしめよ。而して内 包的にも外延的にもそのエネルギーに於て出来る限り 豊かな個体たれ」而かもそのためには「最も社会的な また祉交的な存在たれ。」(L・S)と○          ×      ×  斯くて我々は行為の一切の原動九i発源力をGuyau と共に「生の豊穣性」の申に見出すのである。Simmel はこれを”Mehr−Leben”と呼び,(29)生が無限に自 己を越えて行く運動,即ちその「自己超越性」の申に 生の本質を見出しているD  そこでは「価値」とは超越的に最初から,所謂「価 値の世界」を形成しているのではなくして,生命が自 己超越的に斯かる価値を自らの中から創造して行くの である。真善美等の価値は,人聞が世界に於て自己否 定的自己矛盾的に生きる様々の有り方に外ならない。 価値とは何かと具体的にその本質をたつねて行くと, 結局それは入間の「自己超越的生き方」によって説明 されねばならなくな:るQ  「価値」は対象が心を情意的に動かす可能性である。 我々が日常交渉する世界はただ見られるだけではな く,一定の仕方で我々の情意を動かすのである。然し この体験はやがて世界め司能性として結晶し,更にそ れが思考の世界から抽象せられる時,そこに「超越的 な価値の世界」として客観化されるのである。(30)  それ故価値はHartmann等の言う如く,単に最初 から超越的に与えられている如きものではなく,それ は実に『歴史的生』が作り出したものなのである。  漸かる考察からして,真に「創造的行為」に於ては Bergsonの言うように,一定の予め限定された目的の 機械的実現ではなくして,目的の具体的内容はかへっ て行為と共に新たに生成し来るものなる事が忘れられ てはならない。  既に論じた如く,我々は,行為に於ては,反省的, 計丁田思考を通して,その結果を益々精確に予見し得 る可能性を強調しtcのであるが,それは単なる合理性 につくし得ないものなる事を再反省すべきである。  倫理的行為は常に,環境と自己と行為との見透し難 い相互作用的形成の無限の過程を経て創造的に展開さ れ行くものなのである。その際我々は常に価値体系内 部の矛盾と対立の申に生きねばならない。だが一切を 自己の責任と決意を三って,一歩一歩問題を解決して 行く所に真に歴史的なる倫理的行為の本質が存するの である。  籔に再び我々は人生そのものの厳粛さに思い到るの である。‘‘Leben ist Ernst!” (29) Simmel: Lebensanschauung, S.20 (30)島芳夫:岩波講座倫理学第三巻「生の哲学に於ける倫理思想」p.20   尚,同門四丁1行為の全体的構造」からは教へられる所が多かった。

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