ニホンザリガニの地方名と山形県産標本
川井唯史 ・荒井 健 ・大高明史
ニホンザリガニ
Cambaroidesjaponi
ω,s
(D e Haan, 1841) は北海道の全域と青森県の広い範囲なら びに秋田と岩手県の 北 部に分布する (Okada, 1933 ; G elder&
Ohtaka, 2000). 本種の標準和名 はザリガニであるが, 日本国内には複数種のザリ ガニ類が分布する (三宅, 1982)ので紛らわしく, 混乱をさけるためにC.japonicus
を本研究ではニ ホンザリガニと呼ぶ . 本種は高 価 な薬品として 利用されていたことがあり (Yamaguchi& Baba,1993) ,魚類より比較的移送が容易であるためか, 秋田や岩手県には人為的な移植が行われ,それに 由来する個体群が形成されている (松田, 1939; 龍屋 ,1978). しかし青森県の個体群は 北海道と 異なる形態を呈しており( JlI井, 2000),在来個 体群であると推定されている. また,ニホンザ リガニには複数種のヒルミミズ類が付着するが, 青森県で見られる種類と北海道で出現する種は全 く異なる (Gelder& Ohtaka, 2000). これは青森 県のニホンザリガニ個体群の組成が在来であるこ とを支持している . 淡水魚等の移動性の低い生物 の分布は通常 ,海峡等により区切られていること が多い( 前 川・ 後藤, 1982). しかしニホンザ リ ガニの場合,分布域が津軽海峡を挟んだ北海道と 青森県にまたがり , しかも本州の全域に及んでも いないので,極めて珍しい分布例である . 奇異な 分布域の成立要因を検討するためには ,過去から 現在に至る,より正確な自然分布域の把握が前提 となる . 特に分布南限の把握をすることが重要で、 ある . そのためには,本種の分布南限域である東 北での地方名( 方言) を把握していると ,聞 き取 り調査の際に分布情報を得やすい . さらに分布南 限域近くの標本を実際に観察して,その由来が移
Tadashi K A W A I, K en ARA!, Akifumi O HTAKA: Local n a me of the ]apanese cra
y:fi
sh,Cambaroides japoni
事cus
and its specimens from Yamagata Prefecture植によるものか在来であるかを検討することも在 来個体群の本来の分布を把握するために 重要であ る. 本研究では聞き取り調査と博物館等に保管さ れている標本の観察に基づき ,ニホンザリガニの 地方名,分布南限域を検討した . 材料と方法 1. 地方名 2001年11月20日,斎藤報恩会自然、史博物館の標 本庫でニホンザリガニの標本を調査した . 標本は ラベル情報を 書 き写し ,性判別 ,頭胸甲長の測定 を行った .性の判別は交接肢が発達するものを雄, 受精嚢を有するものを 雌 とし た. 頭胸甲 長は眼禽 後縁から頭胸甲の正中線の後縁までとした.
2.
山形県産ザリガニ類の標本 2002年4月15日, 山形大学附属博物館に保管さ れているザリガニ類の標本を観察した . 前述の方 法と同様にラベル情報を 書 き写し,性判別,頭胸 甲長測定を行 った. また額角 ,雄の胸脚座節,第 一腹肢の形態を観察した . 2002年5月31日には ,各標本の体表と保存液で ヒルミミズ類を調査した .3.
聞き取り調査 ザリガニの分布情報を聞き取り調査した . 調査の 対象は昭和8年 (1933年) 当時のザリガニ類の分 布情報を保有する方を中心とした11名である. 結果と考察 1 . 地方名 斎藤報恩会自然史博物館では4 ロットのニホン ザリガニ標本が見つかり,そのうち2 ロ ッ トのラ ベルには和名とともに地方名が併記されていた32 ニホンザリガニの地方名と山形県産標本 表1 斎蕨報恩会自然史博物館所蔵のニホンザリガニ標本 ラベル番号*1 採集年月日 採集場所* 2 個 体 数 平 均 頭 胸 甲 長 (範囲) 採集者 骨
u
考 瓶外: 1470と青 1931年10月4日 青森県南津軽郡 ♂4 13.5 (9.4 - 17.8) m m 和 田 千 蔵 分 布 度* 3 .稀 瓶内:9801 碇ケ関村 ♀5 18.3 (16.5 - 20.3) 和名: ザリガ ニ 地方名 ?* 4 瓶外: 132 ?と青 1931年4月22日 青森県東津軽郡 ♂5 22. 1 (16.9 - 26.0) 和田千蔵 分布度 .多 瓶内: ア1039 荒川村 ♀2 21.4 (19.6 - 23.2) 和名: ザリガニ 地方名 . サルガニ 瓶外: 1309と秋 1931年11月21日北秋田郡大館町 ♀1 27.0 ワ 分布度: 極多 瓶内: 無し (南限地) 和名 : ザリガニ 地方名: サルカニ 瓶外 ・東伏 1932年6月25日 青森県東津軽郡 ♂1 19.2 ワ 分 布 度 ? 瓶内 : 無し 野田川 上流 ♀l 19.6 (抱卵 ) 和名 :? 地方名 :? *1 ラベルは瓶の外側と中に各 l枚あり. * 2原文のままとした * 3分布度は極多,多,稀,極稀の4 段階で評価されていた. 詳細は図 1 のラベルを参照. 判ラ ベルに記述の無いものは? とした. (表1 ). 地方名 は, 1931年採集の 青森県東津軽郡 荒川 村 (現在の青森市荒川) 産の標本では「サル ガニJ
(図1 a ), 同 年 に 採 集 し た 秋 田 県 北 秋 田 郡 大 館 町 (現在の大館市) 産の標本では「サルカニj であ った (図1 b ). これらから1931年 頃 , 青 森 県と秋田県では, 1つの濁点だけ異な った同様な 地方名があったと思われる . 上回 (1961) はニホンザリガニの方言 を「文献 による」と断ってザルガニ ・ザ ワガニ( 青森県) , サルガニ (秋田県) としている. しかし方言 に関 して記述された130ペ ー ジ に は 根 拠 と し て 引 用 し た 文 献 名 が 示 さ れ て い な い (上田, 1961). そこ で上回 (1961)の巻末にまとめて示されている「ザ リガ ニ 関 係 の 文 献J
(185 - 186ペ ー ジ ) を実際に 検討 した . その結果,方言 が明記されている2
つ の文献が見つかった. ひとつは和田 (1929) によ る青森 県 の 方言 をザルガニ ・ザワガニとした もの, 他 のひとつは松 田 (1939) による秋田県の方言 を サル ガニとしたものである . 両文献に示された方 言 は上田 (1961 ) が本文中で示したものと全く同 ー のため ,上 田 常ーが根拠とした論文は,これら2
っと思われる . ただし両文献には方言 をどの よ うにして明らかにしたのかは示されていなかった 本 票 ρ 一 一 櫨 毎 a 記 入 ν テ 模 本 ト 共 a i 車 部 -景 品 唱 ノ ヨ トゅ
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図 1 斎藤報恩会自然史博物館に所蔵されていたニホ ンザリガ二の標本ラ ベル a青森県東津軽郡荒 川村 (現在の青森市荒川 ) 産標本のラ ベル b 秋田県産標本のラベル.図2 山形大学附属博物館 に所蔵され てい た標本. a標本瓶のラベル b標本 (雄,頭胸 甲長 18 .3 m m)スケールは1 c m, c標本( b同様)の第一腹肢,d標本 (b同様) の額角 ,e標本 (b 問機) の尾肢. (和田,
1929 ;
松田,1939).
和田千蔵が採集した 標本のうち少なくとも 2 ロットは本研究により観 察されている( 表1 ). 前述のように標本ラベル には青森県の地方名がサルガニと記述されている が (表1 ),これは和田千蔵本人による文献( 和田,1929)
で示された青森県の方言 (ザルガニ ・ザワ ガニ) との整合性が無い . また本研究によ って明 らかになった秋田県におけるニホンザリガニの方 言 ( サルカニ) も過去の知見 (サルガニ ) (松田,1939)
と整合性が無か った. これは青森県,秋田 県ともに複数の地方名がある ことを示唆する . た だし本研究で青森県と秋田県の地方名が確認でき たのは各1 ロットだけであり ,数多くの標本や文 献,聞き取り調査に基づいた今後の検討が待たれ る.34
ニホンザリガニの地方名と山形県産標本 2. 山形県産ザリガ ニ類の標本 少なくとも山形県の個体が北海道から移植された 標本は1 ロットだけであった. 山形大学附属博 物館の動物標本目録によると,ザリガニ類の標 本の所蔵は他に無かった (山形大学F
付属博物館, 1988 a, 1988 b ).標本瓶のラベル情報は「ざりがに」 だけが読み取れた (図2- a). ただし ,こ の標本 は遊佐町吹浦で昭和8 年 (1933年) 頃に採集され たとの記述がある( 山形県立博物館 ・山形県高等 学校生物研究 会,1976). 収容されていた個体は 雄2個体( 頭胸甲長18.3m m, 18.6 m m) と雌1 個 体 ( 頭胸 甲長17.5m m) であ った. 全標本 は退色 して ,白色を呈していた( 図2 - b).標本の第二,三 胸脚には鈎爪があり,第一腹肢は浅い精子溝があ り,約450に曲がり ,先端が角質化 している (図2
-
c). これを Hobbs (1972) とFitzpatrick (1995) に従い種査定すると,本標本はアメリカザリガニ 科のニホンザリガニ Cambaroides japonicusであ る. 次に本標本の採集地の個体群が在来か移植に由 来するものかを検討する . 山形県産標本の採集地 に最も近い個体群は青森県西部や秋田県北部に分 布する . 両者と 山形県は約150 k m 離れている . この離散的な分布は山形県の個体群が移植に由来 することを示唆している . ニ ホ ン ザ リ ガ ニ が 属 す る ア ジ ア ザ リ ガ ニ 属 は額角 ,尾 肢 等 の 形 態 に 地 理 変 異 が 出 や す い (Fitz阿 佐ick,1995). 本研究で観察 した 3 個体 の 問で,額角や尾肢の形態には違いが見られなかっ た. そして額角には隆起が乏しく (図2 - d),尾 肢先端には切れ込みが無か った (図2 - e). 青森 県西部に分布するニホンザリガニ個体群では額角 に隆起が乏しく,尾肢先端に切れ込みが見られる ことが知られている (川井, 2000). 一方,青森 県東部の個体群は額角に隆起が乏しい点は西部の 個体群と同様だが,尾肢先端に切 れ込み が無い点 で異なる (JII井, 2000). そして 北海道の個体群 は額角に隆起があり, 尾肢の切れ込みが無い(JII 井,2000). 山形県産標本の形態をこれらと比較 すると 青森県東部の個体群と最も似ている .なお, 本研究で観察した標本は3個体と少数のため ,こ れ らが個体群の形態を代表していない可能性も残 されている . しかし形態の 地理変異に注目すると , 可能性は低いだろう. 今後は,山形県に生息地が 現存するのならば,さらに数多くの個体を集めて 形態を把握する必要がある . 次に分布域と形態以外の手法により個体群の由 来推定を試みた . 一般的に個体群の由来等の研究 には遺伝子情報が用いられることが多い . しかし 現時点の遺伝子分析技術ではホルマリン で固定さ れた標本の遺伝子を解析することが困難である . 本研究で観察した標本はホルマリン溶液中に保存 されていた . そ のため 山形産の標本の由来を遺伝 子情報か ら検討するのは難しい . ま た日本におい て,ヒルミ ミズ類はニホンザリガニだけに種特異 的に付着 し,地域個体群によ って種組成が異なる(Gelder & Ohtaka, 2000). そのため ,付着 す る ヒルミミズ類の種組成を明 らかにすることで ,個 体群の由来を推定できることもある. しかし山形 県産の標本において,ヒルミミズ類は見 当たらな かった . 標本を解剖する と鰐室等で見つかる可能 性もあるが,標本数 も少ない ため,解剖は難しい . そのためヒルミミズ類を 利用 した個体群推定は行 えなかった . 次に 山形県 産標本の由来が移植である可能性 を検討するため,江戸 時代のニホンザリガニの 移送状況に関する資料を調査した . 江戸時代の図 譜である千晶譜では,ニホンザリガニが蝦 夷 か ら生きたまま運ばれ, しかも冬季に運ばれたもの は傷みが少ないと, 具体的な表現がある (栗本, 1811 ) . この図譜を作成した栗本丹洲 は幕府の侍 医であ ったため (栗本 ,1811 ) (解説の部分に記述), ニホンザリガニが運ばれたのは主に東京であ った と思われる . このことから江戸時代には, ニホン ザリガニが生 きたまま在来の分布域より南に移送 されていた可能性がある. 3. 聞き取り調査 11名中の 9 名はニホン ザリガニに関する情報を 持っていなか った. しかし残りの2 名は,アメリ カザリガニとは異なるザリガニ類を見たとの情報 を持 っていた . そのうちの一例は,吹浦郊外の児 童公園前の「大清水
J
(オオシンジ ) と呼ばれる 用水池があり,そこに水を供給している 湧水の ーつである . なお現在,この湧水の水系は消失して いる . もう 例は, JR砂 越 駅 近 く の 凹 園 地帯 の 湧水池で得られている . 以上のことから 山形 県 吹 浦 で は ニ ホ ン ザ リ ガ ニ が 現 存 す る 僅 か な 可 能 性 が 残されているだけで,極めて稀な存在であること が示唆される. 謝 辞 本調査に協力いただいた 山形 大 学 の 伊 藤 健 雄, 横 山宣雄 , 中 谷 勇,五十嵐敬司, 小 田 隆治,高 橋加津美,熊本大学の山口隆男,斎藤報思会自然、 史 博 物 館 の 竹 内 貞 子 を 始 め と し た 関 係 各 氏 に 深 謝 します . 文 献
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