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会報さとやま冬号

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Academic year: 2021

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さとやま

さとやま

特定非営利活動法人うしく里山の会 広報誌 No.133  牛久自然観察の森に隣接する牛久市結束町の 「みどりの保全区」 の森林維持管理作業を行 う 「エコアップ作戦」 では、 地域の皆さんの協力のもと、 下草刈りや除間伐、 風倒木の処理等 を行っています。 活動には会員 ・ 一般問わず参加出来ます。 皆様のご参加お待ちしています。

結束町みどりの保全区

「エコアップ」 作戦参加者募集のお知らせ

■活動日時 :  2 月 5 日 (金) 9 : 00〜11 : 00 21 日 (日) 13 : 00〜15 : 00            3 月 4 日 (金) 9 : 00〜11 : 00 20 日 (日) 13 : 00〜15 : 00            4 月 1 日 (金) 9 : 00〜11 : 00 17 日 (日) 13 : 00〜15 : 00 ■集合場所 牛久自然観察の森ネイチャーセンター1階倉庫前  ■予約 不要/荒天時は中止 ■持ち物  長靴 軍手 長袖 長ズボン ※刈払機 ・ チェーンソー使用は資格所有者のみ ■問い合わせ先 029-874-6600 (担当木谷) 1. 表紙(ギシギシ) 2.3.4 平成 27 年度事業報告(牛久市協働樹木リサーチ) 4.5 つくばスローマーケットに参加して(クラフトプロジェクト)   6.7 機具修理について ∼後編∼ (雑木林応援隊) 8. 春に向けて(牛久自然観察の森指定管理者) 9. 身近な樹木 No36 ヒノキ(牛久市恊働樹木リサーチ) 10.11.12.13 小野川水運の検証      ∼結束の瓦のルーツを探って∼(寄稿:結束の今昔) 13.14.15 あれから5年(コラム) 16. 裏表紙(エコアップ参加者募集のお知らせ)  t e l & f a x 0 2 9 - 8 7 3 - 8 5 5 2 h t t p / / u s h i k u - s a t o y a m a . o r g / t e l & f a x 0 2 9 - 8 7 3 - 8 5 5 2 h t t p / / u s h i k u - s a t o y a m a . o r g /

さ と や ま

2 0 1 6 年   冬 号 ( 通 巻 1 3 3 号 ) ■ 発 行   特 定 非 営 利 活 動 法 人 う し く 里 山 の 会 ■ 事 務 局   牛 久 自 然 観 察 の 森 内   〒 3 0 0 ‒ 1 2 1 2   茨 城 県 牛 久 市 結 束 町 4 8 9 - 1 ■ 編 集   木 谷 昌 史

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牛久市恊働樹木リ サ ーチ 事業

27年度事業報告

平 成 27年度は 、 ①牛久市建設部都市計画課所管の 上池親水公園の 植 物調査、 ②植物の 研修見学、 ③樹木管理、 ④『 牛久の 巨樹』掲載樹種 の 〈 広報うし く 〉紙上で の 紹介を 実施し た 。 こ こ で は ①の 結果の 概要 を 報告する 。   こ の 公園は 日本技術開発 ( 株) ・ 長 大 の 設 計 、 サ ク ラ 工 業 (株 ) 他 六 社 の 施 工 に よ っ て 、 牛 久 高 等 学 校 北 側 の 低 地 の 約 2 haの 場 所 に 平 成 4 年 に 設 置 さ れ た も の で あ る 。 写真1 の よ うに 東西に 細長く 、 ① 東 側 の 中 央 入 口 か ら 中 ほ ど ま で が 湿 生 植 物 園 で 散 策 デ ッ キ が あ る 中 核 的 場 所 、 ② 中 央 部 に は 芝 生 の 休 憩 広 場 、 ③ 西 側 に は 浄 化 調 整 池 な ど 三 つ の 池 、 ④ 公 園 周 囲 は 散 策 路 で 東 西 の 端 と 池 の 間 は 草 地 、 ⑤ 南 側 は 休 憩 広 場 ま で が 林 地 、 ⑥ 湿 生 植 物 園 に 沿 っ て 間 歇 的 ポ ン プ 揚 水 の 清 流 が 流 れ る 小 川 が あ る 。 そ し て 、 造成の 際に 多数の 高中 低木や芝が 植栽され 、 各種の 管理 ・ 遊戯施設が 設置され た 。

樹木の

調査結果

  3 ~ 4 名 で 3 グ ル ー プ に 分 か れ 、 4 月 18日 ( 土)か ら 5回、 延 べ 76人 で 、 林 地 と 休 憩 広 場 、 公 園 周 囲 の 樹 木 を 調 査 し た 。 直 立 性 の 樹 木 に つ い て は 、 樹 種 名 ・ 地 表 1.3m の 幹 周 と 目 印 木 の 樹 高 、 灌 木 状 樹 木 は 樹 種 名 ・ 地 際 か ら の 分 岐 数 ・ 高 さ 約 0.5m 部 位 の 最 太 分 岐 の 幹 周 、 公 園 周 囲 の 剪 定 低 木 は 樹 種 名 ・ 植 栽 幅 と 距 離 を 測 定し た 。 樹木の 種類 ・ 本数等   調 査 樹 木 の 総 本 数 は 328本 、 調 査 樹 木 数 は 58種 で 、 ハコ ネ ウ ツ ギ 16% 、 ソ メ イ ヨ シ ノ 10% の 他 、 植 栽 庭 木 が 大 部 分 を 占 め て い る こ と が 分 か っ た ( 図1) 。   生 活 型 別 に み る と 、 落 葉 樹 が 圧倒的に 多く 、 全 58種 の 74%に 達 し 、 う ち 高 木 が 20種 、 低 木 が 15種、 小高木が 8種を 占め た 。 そ の 他 、 常 緑 樹 が 13種 、 針 葉 樹 は 2 種 に 過 ぎ な か っ た 。 ま た 由 来 別 で は 、 市 内 自 生 種 が 多 数 の 33、 海 外 導 入 種 12、 国 内 移 入 種 13 で あ っ た 。 こ こ で は 北 米 南 東 部 原 産 の 紹 沢 木 の ヌ マ ス ギ と 伊 豆 半 島 以 西 産 の マ ン サ ク 科 の イ ス ノ キ が 牛 久 で は 珍 し い 導 入 種 で 、 前 者 は 小 川 沿 い に 異 様 な 光 景 の 呼 吸根を 出し 、 後者は ア ブ ラ ム シ に よ る 多 数 の 虫 こ ぶ を つ け て い た 。   直 立 性 樹 木 に つ い て 幹 周 別 に み る と 、 幹 周 1 m 以 下 が 66% を 占 め 、 1m以上の 樹木は 全体の 三 分の 一に と ど ま り 、 うち 2m以 上の 樹木は ソ メ イ ヨ シ ノ 6本と ム ク ノ キ 1本に 過ぎ な か っ た 。 目印木の 樹高   休 憩 広 場 沿 い の ヌ マ ス ギ が 最 も 高く 、 21m、 そ の 他カ ツ ラ ・ シ ダ レ ヤ ナ ギ ・ ハ ン ノ キ は 20m内外、 樹 高 の 高 い ソ メ イ ヨ シ ノ は 15~ 17m で あ っ た 。 剪定低木 公 園 の 周 囲 に は ア ジ サ イ 類 ・ ア ベ リ ア ・ サ ツ キ 類 ・ ニ シ キ ギ ・ ユ キ ヤ ナ ギ が 1~2m幅で 、 公園を 囲 む よ う に 植 栽 さ れ て お り 、 ニ シ キ ギ が 最も 多く 、 271mに 及び 、 ユ キ ヤ ナ ギ が 199mで あ っ た 。

野草の

調査結果

  4 ~ 11月 に か け て 月 1 ~ 3 回 公 園 内 に 自 生 す る 草 本 植 物 を 目 視 に よ り 、 種類と 発生量の 多少を 観 察 調 査 し た 。 季 節 や 場 所 に よ り 、 大き く 異な り 、 延 べ 241種に 達し た 。 こ れ ら を ①花壇 ・ 低木 の 植 込 み ・ 芝 生 草 地 、 ② 湿 生 植 物園 ・ 小川 ・ 池、 ③林床 ・ 林縁 ・ 池 畔 の 生 育 環 境 別 に 分 け て み る と 、 次の よ うな 特徴が 見ら れ た 。 ( 表) ①花壇他   発 生 草 種 が 最 も 多 く 、 延 べ 145 種 に 達 し 、 チ ガ ヤ や メ ヒ シ バ が 多 く を 占 め て お り 、 市 内 の ど こ で も 見ら れ る 種類 が 30%、 年4 回ほ ど 草 刈 管 理 が な さ れ て い る 西 側 の 草地に は 「 牛久市版レ ッ ド デ ー ハコネウツギ 16% ソメイヨシノ 10% ハンノキ 7% アオキ 3% イロハモミジ 3% ニシキギ 3% 9本 (5種) 14% 7〜8本 (3種) 7% 5〜6本 (3種) 13% 3〜4本 (14種) 15% 1〜2本 (22種) 9% 調査本数統合区分の樹種名 本 数 9本 (5種) 7〜8本 (3種) 5〜6本 (8種) 3〜4本 (14種) 1〜2本 (22種) 樹 種 名 ゴンズイ ・ シナマンサク ・ シラカシ ・ トサミズギ ・ ミズキ 8本 : シダレヤナギ 7本 : ソシンロウバイ ・ ハマヒサカキ 6本 : トウネズミモチ ・ ヌマスギ ・ ヌルデ ・ ヒサカキ 5本 : ガマズミ ・ コブシ ・ ニシキモクレン ・ ムクノキ 4本 : イヌザクラ ・ エノキ ・ カツラ ・ トウカエデ ・ ネムノキ ・ ハクモクレン 3本 : イスノキ ・ ウメモドキ ・ ケヤキ ・ コナラ ・ サワラ ・ サンゴジュ     マテバシイ ・ ムクゲ 2本 : カマツカ ・ タイサンボク ・ ネズミモチ ・ マユミ ・ ヤマグワ ・ ユズリハ ・ ユリノキ  1本 : イヌシデ ・ エンジュ ・ クマノミズキ ・ クリ ・ コマユミ ・ サワフタギ ・ シロダモ ・ ナツグミ     ニガキ ・ ニワトコ ・ マルバヤナギ ・ ヤツデ ・ ヤマザクラ ・ ヤマボウシ ・ ヤマモモ 1植え込み ・ 花壇 ・ 芝生 ・ 草地 自生場所と主要画像 自生場所と主要画像 自生場所と主要画像 種数(%) 種数 % 種数 % 種数 % 合計 種数(%) 合計 種数(%) 合計 発 生 量 多い チガヤ (草地) メヒシバ (植え込みと花壇) クサヨシ (小川) ヒメガマ (池) マコモ (湿地) ヨシ (湿地) ミゾイチゴツナギ類 (林床) ドクダミ (林床) 普通 少ない ごく少ない 牛久市版レッドデータブック記載種 コバノカモメヅル (準絶滅危惧) ムシクサ (情報不足) オニスゲ (絶滅危惧Ⅱ類) カンガレイ (準絶滅危惧) ハンゲショウ (準絶滅危惧Ⅱ類) 2 湿生植物園の湿地と湛水溝 ・ 小川 ・ 池 3 林床 ・ 林縁 ・ 池畔 注 1) 目視による観察結果を示す。  2) 牛久市建設部緑化推進課 (2007) : 牛久における絶滅のおそれのある野生生物 〈植物編〉 145 2 40 27.6 18 31.6 22 52 72 31 21.4 13 22.8 31 29.0 49.6 22 38.6 48.5 20.6 1.4 4 7.0 2 1.9 100 57 100 100 107 1) 発 生 量1) 多い 普通 少ない ごく少ない 多い 普通 少ない ごく少ない 発 生 量1) 2) 牛久市版レッドデータブック記載種2) 牛久市版レッドデータブック記載種2) ハッカ (準絶滅危惧) ミコシガヤ (絶滅危惧Ⅱ類) 図 1. 上池親水公園の総樹種数 ・ 本数及び樹種名とその割合 表 . 上池親水公園の草本植物の生育環境別発生種数と発生量等 散策路周辺 15.4.18 湿生植物園 15.5.22 林内 15.8.11 写真1. 上池親水公園の案内板 58 種 328 本

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タ ブ ッ ク 」の “ 準絶滅危惧”コ バ ノ カ モ メ ヅ ル が 数株生育し て お り 注目され た 。 ②湿生植物園他   こ の 公 園 特 有 の 環 境 の 主 要 場 所 で あ る 。 散 策 デ ッ キ 周 辺 に は ヨ シ と マ コ モ 、 池 に は ヒ メ ガ マ 、 小 川 に は ヨ シ が 優 占 す る 単 純 な 群 落 で あ っ た 。 発 生 草 種 は 57 で 少 な か っ た が 、 散 策 デ ッ キ 周 辺 の 湿 地 に は 「牛 久 市 版 レ ッ ド デ ー タ ブ ッ ク 」 記 載 種 が 5 種 を 数 え 、 種 の 多 様 性 保 全 の 役 割 を 果 た し て い る こ と が 伺 え た 。 そ れ と 、 外 来 生 物 法 で 「特 定 外 来 種 」 に 認 定 さ れ て い る オ オ フ サ モ が 湿 生 植 物 園 の 凹 地 や 浄化調整池で 繁茂を は じ め て お り 、 早 期 駆 除 の 必 要 性 が 認 め ら れ た 。 ③林床他   陰 性 植 物 を 中 心 に 107種 認 め ら れ 、 そ の うち ミ ゾ イ チ ゴ ツ ナ ギ 類と ド ク ダ ミ が 優占し て い た 。   以 上 の 結 果 は パ ン フ レ ッ ト に ま と め 、 牛久市建設部都市計画課 か ら 発行し 、 市民へ の 広報に 資 す る 計 画 で あ る 。 そ し て 、 パ ン フ レ ッ ト 編集作成担当者の 羽賀 正 雄 氏 に よ り 、 こ の 内 容 を 次 号 で 紹 介 す る 予 定 で あ る 。 ま た 、 樹 木 管 理 活 動 は 本 紙 上 で 報 告 済 み で あ り 、 樹木ガ イ ド 活動と 『 牛 久 の 巨 樹 』 連 載 の 総 括 は 次 号 以 降 で 報 告 す る 計 画 で あ る 。 そ の 他 の 活 動 に つ い て は 、 う し く 里 山 の 会 の ホ ー ム ペ ー ジ へ逐 次 「活 動 報 告 」 画 像 と し て 掲 載 し て き た 。                             ( 渡辺 泰) 写真 2. 上池親水公園の湿生植物園の散策デッキ上での記念撮影 戸塚 15.4.18

つくばスローマーケットに参加して

  7 月初め に 正式に 参加決定し 、 そ の 頃よ り 準備段階に 入り ま し た 。 先ず始め に ど ん な も の を 作る か 、 ど ん な も の を 作っ た ら 良い の か 手探 り の 状態で し た 。 そ れ か ら 開催直 前に な っ て の 追い 込み ( 手作り 品 ・ 看板及び 什器の 製作そ の 他諸々) 、 な ん と か 間に 合わ せ る こ と が 出来ま し た ( 手作り 品製作点数は 合計1 2 点に 及び ま し た ) 。 そ し て 、 外で の 初め て の 展示及び 販売会へ の 参加 に 戸惑い と 不安が 有り ま し た が 、 そ れ を 吹き 飛ば す手作り 品の 完売 ( 1 0 点)の 連続と 子供達の 元気な 様子に 触れ 、 こ れ ま で やっ て き た 苦 労が 報わ れ た 気が し ま し た 。   実際の 活動で は 、 子供達に 物づ く り を 勧め る た め に ワ ーク シ ョ ッ プ を 設け 、 動物の ス ト ラ ッ プ 作り を 行 い ま し た 。 こ の ス ト ラ ッ プ 作り が 人 気で 1 日目で 完売 ( 木の 輪切り し た も の )し 、 急遽補充し 2 日目に 間に 合わ せ 、 こ れ も 完売する こ と が 出来ま し た 。 そ の 他、 販売し て い て 感動する 場面と し て 次の こ と を 付け 加え た い と 思い ま す。 赤ち ゃ ん を 抱っ こ し た 母親が 展示し て い る お も ち ゃ の 自動車を 見て い た が 、 丁度赤ち ゃ ん の 目の 前に モ ビ ール が 下が っ て い ま し た 。 こ の モ ビ ール が 風に 揺れ て 動い て い る の を 赤ち ゃ ん が し き り に 目で 追っ て い る 様を 母親 が 気が つ い て 、 し か も 赤ち ゃ ん が 喜 ん で い る 。 こ の 様子を 見て すぐ に 購 入され ま し た 。 母親の 愛情を 感じ た 一場面で し た 。 ま た 、 ワ ーク シ ョ ッ プ 時の 子供達の 物作り に 対する 自 由奔放な 発想力に 驚き の 連続で し た 。 こ れ を 切っ 掛け に 、 将来の 物 作り に 対し て の 一助に な れ ば と 思い ま す。 2 日間を 通し て ク ラ フ ト 全 員の 完売品が 出た こ と は うれ し い か ぎ り で す。 売れ た 理由と し て は 主 に は ①ス ト ラ ッ プ 作り が 子供に 人気 で 集客する こ と が 出来た こ と と ② 作品が 他と 比較的し て 安価で 競合 する も の が 少な か っ た 点等が 上げ ら れ ま す。 と は 言っ て も 、 他の プ ロ の 方の 作品を 見ま し た が 、 出来栄え は 素晴ら し い も の ば か り で 、 ま だ ま だ 未熟で 今後も 切磋琢磨する 必要 が あ る と 感じ た 次第で す。 反省点 と し て は 、 売れ 筋商品が あ る の は 良い が 後が 続か ず2 日目の 売上が 落ち て い る ( 価格及び 適正数量の 見直し ) 。 そ し て 販売の 表示方法な ど 工夫する 必要あ る と 感じ ま し た ( 具体的に は セ ッ ト 価格な の に 単品 売り と 勘違い し て い る =ク リ ス マ ス ツ リ ーの 本体部分の み で 飾り な し と 思っ て い る 。 )   今回の 参加で 、 子供達の も の づ く り に 対する 意欲が あ る こ と が 分か り ま し た の で 、 こ の 大切さを 新た め て 認識する と と も に 、 今後も い ろ い ろ な 形で 場を 提供し て 行き た い と 考え ま す。 ( 千葉幟)   「 つ く ば ス ロ ーマ ーケ ッ ト 」と は 、 毎年1 0 月頃に 開催し て い て 、 今回で 9 回目に な り ま す。 開催場所は つ く ば 市の 西武百貨店前 ( ク レ オ 広場周辺) で 約6 万人が 入場する イ ベ ン ト で す。 森の ク ラ フ ト プ ロ ジ ェ ク ト チ ーム ( 4 人) 及び 運営委員 ( 3 人)が 初参加し ま し た 。 参加条件と し て 主に は マ ーケ ッ ト の 基本理念に そ っ た 作品つ く り を され て い て 、 趣旨に 賛同し ス ロ ーな ス タ イ ル で 活躍され て い る 方。 そ し て 、 こ だ わ り の オ リ ジ ナ ル 作品を 販売で き る こ と 等が あ り ま す。 以下、 参加の 報告内容で す。 出展ブースの様子 ストラップを作る親子

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雑木林応援隊

機具修理について︵後編︶

 今回は、後編として少し大きめな機具(サンダーバード・ ハンマーナイフ・トラクター等)の修理と保全に関して記載 します。 《機具のエンジンが掛からない要因》  燃料コックの近辺で燃料が漏 れる事が多くあります。これら の機具は、自然流下方式(タン クから自然に燃料が流れる)の 為に、保管時は、燃料を止めて 自然流下を防止する必要があり ます。刈払機やチェンソーは、 エンジンの回転運動でプライマ リポンプを動かして燃料を供給 するタイプなので燃料コックが ありません。それは、いかなる 体勢でもエンジンが停止しない 様に燃料を供給するポンプがあ るからです。 ① 燃 料 コ ッ ク に 供 給 す る 燃 料 ホ ー スが劣化して、繋ぎ目から燃料 が漏れる。 ②燃料コックのストレーナ キャップが割れてそこから燃料 が漏れる。 ③ストレーナキャップに汚れが 溜まり燃料がキャブレター側に 流れない。 ④エアクリーナーにゴミが詰ま る。 ⑤最近のエンジンは、エンジ ン 《対策方法》 ① ガ ソ リ ン 系 の 給 油 ホ ー ス に 交 換 す る 。 サ イ ズ は 、 内 径 3 m m ~ 7 m m が 一 般 的 で 、 ホ ー ス の 種 類 に は 、 耐 圧 タ イ プ の ナ イ ロ ン メ ッ シ ュ と ゴ ム ホ ー ス タ イ プ が あ る の で 、 交 換 時 は 、 同 じ タ イ プ を 使 用 す る 。 ( エ ン ジ ン の 周 辺 に 沿 っ て 配 置 さ れ て い る 事 が 多 い の で 、 耐 圧 と 熱 に 強 い ナ イ ロ ン メ ッ シ ュ が 多 い ) ② ス ト レ ー ナ キ ャ ッ プ の 割 れ や ヒ ビ が 入 っ た 場 合 は 、 新 品 に 交 換 す る 。 ③ ス ト レ ー ナ キ ャ ッ プ は 、 内 部 が 見 え る の で 汚 れ が あ る 場 合 、 外 し て 灯 油 等 を 使 っ て 洗 浄 す る 。  今回、 暫定対策の修理方法を紹介します。 農機具の修理部品は、ホームセンターでは 取り扱っていません、理由はメーカーが卸 すのは、農機具の販売店のみに制限されて いるからです。ホームセンターで購入した 機械のみ、ホームセンターにて修理依頼す ることは可能です。その為、類似品を購入 するか、 自作するしかないのです。 ストレー ナキャップの割れは、吸着盤をストレーナ キュップの外形サイズに合わせて切り、燃 料コック本体の中間に入れる事で、スト レーナキャップに燃料が流れないようにし ましたが、吸着盤が数ヶ月で硬くなり少し 油漏れが発生しました。別の方法を試行錯 誤して、最終的に、不要な石油のポリタン クを切り、これを割れたストレーナーに半 田ゴテで溶かし て、穴に埋め込 みました。ひび 割れのみであれ ば、半田ゴテで 温めて溶かして 埋めるだけで十 分です。 《機具を長く使う為の           日頃の心がけ》 ①作業で使った機具は、燃料 コックを閉めて、燃料切れでエ ンジンが自然に停止する事で、 ホースの劣化やキャブレターの 詰まり防止が改善されます。 ②燃料は、プラスチック系やゴ ム系の部品を劣化させるので、 長期間使用しない時は、こまめ に燃料を抜き取ります。 ③エンジンオイルは、使用頻度 が少なくても最低で2年に一度 は交換する事を薦めます。汚れ がなくても、自然に劣化すれば オイルの機能をしなくなりま す。 ④機具の保管場所は、日差しの 強い場所とか雨風が当たらない 場所に保管します。雨水がワイ ヤー類に浸み込むと、錆びつい てワイヤーが滑らかに動かなく なります。 《その他として便利グッズの紹介》 ハンマーナイフ 劣化した燃料ホース 割れたストレーナキャップ 半田ゴテによる修復作業 プラグ清掃ツール アングルプレート アングルプレート取り付け 燃料コック オイルが規定より少なくなると、 自動停止するかオイルの汚れで もエンジンが停止する。 ①プラグ清掃ツールは、 金切ノコの歯を写真の形 状にジググラインダーで 加工すれば、プラグの内 側に付着したカスを取り 出せると同時に歯の厚み (0.65mm)でギャッ プ調整にも利用できます。 ②チェンソーの目立て用アングルプレートも小型 モーターの磁石と廃材板を組み合わせて簡単に安 価に製作可能です、必要な方は是非トライしてみ て下さい。        皆様お困り事が有りましたら、遠慮なく相談し て下さい。 (片山 正)

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身近な樹木

  ヒ ノ キ 科ヒ ノ キ 属の 常緑針 葉樹で 、 「 万葉集」に も 取り 上げ ら れ て い る 日本の 特産種 で す。 福島県南部か ら 九州 ま で 分布し 、 県内で は 御前 山等に 自生の 記録は あ り ま すが 、 普通に 見る の は 植林 で す。 牛久で も 屋敷林、 社 寺林と し て 広く 植栽され て い ま す。   幹は 垂直に 立ち 、 高さ は 20~ 30mに な り ま す。 樹皮 は 暗赤褐色で 、 縦に 薄く 剥 げ ま す。 枝は 細く 水平に 広 が り ま す。 葉は 長さ 3 mm 外で 、 鱗片状に 重な り 合っ て 十字対生、 葉 裏 の 白 い 気 孔 帯が 「 Y 字形」に 見え る の が 特徴で す。 葉を ち ぎ る と 特有 の 香り が あ り ま す。 雌雄同株 で 、 開花期は 3~4月。 雄 花は 長さ2~3㎜の 楕円形で 紫褐色、 雌花は 径3~5㎜ の 球形で 枝先に 1個ずつ 付き ま す。 球果は 径8 ~ 12㎜、 枠 内上の 写真の よ うに ‘ サ ッ カ ー ボ ール ’状に 見え ま す。 こ れ が 秋 に 緑 色 か ら 赤 褐 色 に 熟 す と 割 れ て 、 翼 の あ る 種 子 ( 枠内下の 写真)を 飛散させ ま す。   チ ャ ボ ヒ バ 等の 多く の 園芸品 種が 庭園に 植え ら れ て い ま す。 材は 用途が 広く 、 高級建築材 と され 、 ま た 、 神聖な 木と し て 神社仏閣に 用い ら れ て い ま す。 昔か ら 火は 神聖な も の と し た 崇拝の 名残で 、 こ の 木を 摩擦する と 火が で る こ と か ら 「 檜」の 字を あ て た と され て い ま す。 ( 高橋正和)   樹幹 (戸塚 牛久自然観察の森 12.9.13) 球果 : 上 と種子 : 下 (渡辺 11.11.20 と 11.12.1) < 枠内 >

ヒノキ

No.36

牛久自然観察の 森指定管理者

春にむけて

  1 月に 入り 寒さも よ うやく 冬ら し く な っ て き た 観察の 森、 早朝の 原っ ぱ で は 霜で 覆わ れ る 日が 日に 日に 多く な っ て き ま し た 。 た だ 日が 高く な る 頃 に は 跡形も な く 溶け て し ま う光景に は 、 い つ も 驚か され ま す。 林の 中は 、 落ち 葉が 集め ら れ 、 早春に 見ら れ る 山野草の 芽吹き の 準備が 始ま っ て い ま す。 暖冬の 影響で し ょ うか 、 池に は ま だ カ モ の 姿は あ り ま せ ん 。 今年、 上空か ら カ モ 達が 池を 見つ け ら れ る よ うマ コ モ やヨ シ 、 岸辺の 草を 部分的に 刈り 取っ た の で 、 い つ 飛来する の か と 池の 前を 通る た び に 水面が 気に な り ま す。 一方、 木質バ イ オ マ ス の 利用 が 進む ネイ チ ャ ーセ ン タ ーで は 、 平 日休日を 問わ ず、 親子連れ で 賑わ い ま す。   今年も 牛久自然観察の 森で 過ご す 多く の 人た ち の 時間が 充実する よ う、 生き も の 達が 躍動する 季節に 向け て 準備が 始ま っ て い ま す。 ( 木谷昌史)

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11

10

寄稿

(結束の

今昔)

小野川水運の検証

 ∼結束の瓦のルーツを探って∼

1.プロローグ  今か ら 10年前、当会発足と同時に、地元結束町の方々から﹁里 山の聞き取り﹂というプロジェクトがスタートした。会の設立趣 旨書には、 ﹁自然と人が調和した美しい環境を保全し未来に引き継 ぐ﹂というものであった。牛久自然観察の森はまさに会の設立趣 旨にある﹁里山﹂であったから、この里山を守ってきた結束町の 皆さんのお話を伺うというものであった。  あるとき、旧家のTさんからお話を伺っていたとき、屋根瓦の 話になった。 Tさんのお宅は、明治初期に建て替えられたが、最近 屋根瓦の葺き替えを行った。 ﹁その時の瓦がこれなんだ、この瓦に は本所・亀戸という刻印があるけ ど、どこから来たんだろうね﹂と いうものであった。  明治初期に鉄道も無い時代に大 量の瓦は何処から来たのだろうか と、 ﹁本所・亀戸﹂本所は現在の東 京都墨田区、亀戸は東京都江東区 に実在する地名と、 ﹁明治初期﹂の 三つのキーワード手がかりに調査 を開始した。 2.亀戸瓦を探して  まず足を運んだのは、 国立国会図書館であった。ここで検索ディ スプレイに﹁江戸・明治・東京・産業﹂を入力、これがヒット、 明治政府︵陸軍省布告・明治5年︶により、全国の府県に対して 地勢調査を命じて出来上がった資料の東京版、 ﹁東京府志料﹂ ︵資 料ではない︶が見つかった。内容を見ると現在の国勢調査のよう であり、当時の東京府の詳細な産業が記載されていた。その中で、 亀戸村の主力産業に﹁瓦﹂と記載されていたのである。そして、 更に亀戸瓦の裏付けをとるため、江東区深川図書館に足を伸ばし た。  江東区の明治期からの産業について調査した結果、新たな資料 として﹁日本瓦業総覧﹂ ︵大正5年刊︶を発見した。これによると 江戸時代中期から明治期の亀戸村は江戸湊︵湾︶に面したデルタ 地帯で、大規模な埋め立てが行われていた地区である。特に亀戸・ 本所地区は隅田川に近く、粘土が採れることから瓦産業が発展し、 それに伴う運河の整備も頻繁に行われていた。    江戸に瓦産業が発展した理由は、頻繁に起きる江戸の大火に起 因していた。明暦3年︵1657年1 月 18日︶の振袖火事で江戸 の市中は火になめ尽くされ、江戸幕府開府以来の大惨事となった。 江戸城の天守閣も焼失し、 江戸市 民 10万人が焼死した。 このときに、 災害復旧に辣腕を振るったのが﹁保科正之﹂ ︵四代将軍家綱の補佐 役︵大政参与︶で後に会津松平家初代︶であった。氏の災害復興 に対する危機管理能力は絶大で、並み居る老中の反対を押し切り、 幕府の400万両の蓄財を使って庶民の救済、主要道の拡幅︵6 3.利根川舟運︵小野川水運︶の息吹 伝馬造茶船  徳川家康が江戸に幕府を開くと、家康は次々とインフラ整備を 手がけていく。行徳︵現千葉県市川市︶の塩を江戸城へ直接運搬 させるため、江戸川、中川を横切る、新川、小名木川、道三堀を 間↓9間︶ 、火除け空き地の設置︵上野広小路︶ 、両国橋の架橋等々。 このときに、火災で瓦が落下することも危険であると﹁瓦禁止令﹂ が出されたようである。この禁止令は長く続いた。  時代は変わり、八代将軍吉宗︵享保元年1716︶になって、 瓦こそ火災の防止にも繋がるとその禁止令を解く。吉宗は南町奉 行大岡越前守忠相に命じ、瓦推奨令を江戸市中に発令した。江戸 亀戸瓦はこの時期から本格生産が始まったようである。そして江 戸中期から大正の初めまで亀戸の瓦産業は興隆 を極めたが、材料の枯渇?等からか、徐々に愛 知県の三州に移っていった。  結束の瓦は江戸亀戸村の生産と言うことが判 明したが、亀戸村から牛久村までどのように運 搬したのであろうか?  今度は牛久市史を閲覧した。すると、 ﹁小野 川水運﹂の記述を発見。文 化 10年︵1814︶ 、 水運を担う小野川通伝馬造茶船の鑑札が発行さ れたのである。こうして牛久の小さな河川小野 川に光が当たることになる。 開削させた。 そして江戸の洪水を防ぐため、 利根川本流の瀬替え ﹁利 根川東遷﹂を敢行した。当時の利根川は現在の隅田川につながっ ていたため、江戸の洪水は頻繁に発生していた。この大工事を担 当したのが、代官頭を務めた伊奈備前守忠次の次男忠治であった。 兄忠政の後を継ぎ、広大な治水工事がスタートする。着工は元和 7年︵1621︶であった。現在の栃木県、茨城県西部の利根川、 渡良瀬川、 赤堀川、 会の川、 荒川の瀬替えを行ったのである。 そして、 現在の利根川になった地域は元々川がなく、湿地や沼の続く地帯 であった。現在であれば、人工衛星や、航空機測量によって、川 にすることの判断が可能であるが、当時何もない時代である。川 のない場所に大河を開削するという判断はどのように行ったので あろうか。伊奈忠治の宇宙人的な発想に驚かされる。これにより 利根川は現在の銚子に繋がり、利根川舟運が発達していく。  伊奈忠治は利根川東遷の他、小貝川と鬼怒川の分流工事︵現つ くばみらい市谷和原付近︶ 、 小貝川三大堰︵福岡堰、 岡堰、 豊田堰︶ 等々。東北からの物資の他、太平洋の鮮魚など銚子から利根川を 遡り、関宿から江戸川に入って行徳から新川、小名木川を経て江 戸市街へ物資が輸送されるようになった。この壮大なインフラ整 備の結果から、小野川も水運が発達することになる。前述の文 化 10年 ︵1814︶ 、幕府船番所は小野川流域の村々に伝馬造茶船 ︵で んまつくりちゃぶね︶の鑑札を発行し、水運がスタートした。牛 久周辺の村々からの物資は江戸直納になった年貢米と薪炭である。  伝馬造茶船とは、亨和2年︵1802︶幕府川船役所が作成し た船の識別用図鑑、 ﹁船鑑﹂ ︵ふなかがみ︶に記載されている﹁そ の他の茶船﹂ 。船鑑とは、幕府の川船役所の支配下にあった関東 の 33種の川船と海船を描いたもの。  戦国時代が終わり平静を取り戻した八代将軍吉宗の時代、享保 元年︵1716︶には、江戸に出れば仕事に有り付けると言うこ とから、江戸の人口は100万人を超す世界最大の都市になって いた。ここで困ったことはエネルギーの問題である。現在のよう に化石燃料やクリーンエネルギーの無い時代であるから、薪炭に 頼るしか無い。そこで吉宗は江戸を取り巻く周辺の藩に ﹁御林﹂ ︵お はやし︶を造林しアカマツを育てるよう命令を出したのである。 牛久藩内はアカマツ林が広がり、生産された薪炭は小野川の流域 に設けられた河岸から次々に江戸へ出荷されていった。大量に安 全に運搬する方法として水運︵舟運︶は不可欠である。霞ヶ浦周 辺からも次々に物資が積み出されていた。石岡の日本酒、土浦の 醤油なども出荷されていた。  牛久の小野川の伝馬造茶船は小さな小舟であるから荷を大量に 積むことが出来ない。伊佐津河岸︵現稲敷市︶まで搬送し、一度 荷を下ろした。ここで、佐原から廻航した500石船と言われた 国内最大の﹁高瀬舟﹂に改めて積み替えられ、江戸に向かった。 江戸までの下り荷︵現在とは上り・下りが逆︶は通常9日。上り 荷は通 常 14日かかっている。  伊佐津を出た高瀬舟は、伊佐津河岸から江戸崎河岸の間、三つ の沼地を結ぶ狭い水路が続き、渇水期などは航行不能となること も多く、曳舟人足による﹁曳舟﹂ ︵川の土手から人足がロープで船 を曳いた︶が行われた。古渡から霞ヶ浦に入り、横利根川から利 根川に入り、竿と帆走で上った。渇水期の利根川は雨が降るまで 航行が出来ないこともしばしば発生した。そこで、幕府が考えた のが、 陸路である。浅瀬の多い取手から上流まで行かずに、 木下 ︵木 下街道︶や布佐、布施などから松戸の良庵河岸まで陸路でつなぎ、 松戸から再び舟運と言う応急策をとった。また、取手の小堀︵お おぼり︶に渇水期対策のための河岸を新たに設け、艀下船︵はし けしたぶね︶を駐在させた。渇水期に浅瀬で航行不能となった高 瀬舟の喫水線を下げるため、高瀬舟よりも小型の高瀬舟に荷の分 散をはかり、高瀬船を通船させる取り組みも行っている。そして、 関宿から江戸川に入ると、急流の江戸川を快調に帆走し、行徳か ら新川を抜け、中川口の中川船番所︵江戸最大の関所︶で荷の検 問を受けた。そして小名木川を深川口まで進み、隅田川に入ると、 目的地は直前である。年貢米は﹁蔵前﹂ 、薪炭は﹁御竹蔵﹂ ︵現両 国国技館周辺︶で荷下ろしした。荷を積み降ろして空身になった 船は、江戸の生活物資や江戸の文化まで牛久村に持ち帰ったと言 うことある。亀戸瓦も途中で積み込まれ、結束町の傳仁右衛門河 岸︵Tさん宅の専用河岸︶まで運ばれた。この小野川水運は大正 時代まで続いたそうである。 二丈十二尺∼三丈 五尺∼八尺

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あれからもうすぐ5年

 徳川家康が江戸に幕府を開くと、家康は次々とインフラ整備を 手がけていく。行徳︵現千葉県市川市︶の塩を江戸城へ直接運搬 させるため、江戸川、中川を横切る、新川、小名木川、道三堀を 4.おわりに  小さな瓦の刻印﹁亀戸・本所﹂を探るため、3年の歳月を費や すことになった。そして多くの歴史的出来事に遭遇し、徳川幕府 の江戸開府を更に強固にするためのインフラ整備、特に壮大な治 水工事となった利根川東遷は当時土木技術の無い時代に想像を絶 開削させた。 そして江戸の洪水を防ぐため、 利根川本流の瀬替え ﹁利 根川東遷﹂を敢行した。当時の利根川は現在の隅田川につながっ ていたため、江戸の洪水は頻繁に発生していた。この大工事を担 当したのが、代官頭を務めた伊奈備前守忠次の次男忠治であった。 兄忠政の後を継ぎ、広大な治水工事がスタートする。着工は元和 7年︵1621︶であった。現在の栃木県、茨城県西部の利根川、 渡良瀬川、 赤堀川、 会の川、 荒川の瀬替えを行ったのである。 そして、 現在の利根川になった地域は元々川がなく、湿地や沼の続く地帯 であった。現在であれば、人工衛星や、航空機測量によって、川 にすることの判断が可能であるが、当時何もない時代である。川 のない場所に大河を開削するという判断はどのように行ったので あろうか。伊奈忠治の宇宙人的な発想に驚かされる。これにより 利根川は現在の銚子に繋がり、利根川舟運が発達していく。  伊奈忠治は利根川東遷の他、小貝川と鬼怒川の分流工事︵現つ くばみらい市谷和原付近︶ 、 小貝川三大堰︵福岡堰、 岡堰、 豊田堰︶ 等々。東北からの物資の他、太平洋の鮮魚など銚子から利根川を 遡り、関宿から江戸川に入って行徳から新川、小名木川を経て江 戸市街へ物資が輸送されるようになった。この壮大なインフラ整 備の結果から、小野川も水運が発達することになる。前述の文 化 10年 ︵1814︶ 、幕府船番所は小野川流域の村々に伝馬造茶船 ︵で んまつくりちゃぶね︶の鑑札を発行し、水運がスタートした。牛 久周辺の村々からの物資は江戸直納になった年貢米と薪炭である。  伝馬造茶船とは、亨和2年︵1802︶幕府川船役所が作成し た船の識別用図鑑、 ﹁船鑑﹂ ︵ふなかがみ︶に記載されている﹁そ の他の茶船﹂ 。船鑑とは、幕府の川船役所の支配下にあった関東 の 33種の川船と海船を描いたもの。  戦国時代が終わり平静を取り戻した八代将軍吉宗の時代、享保 元年︵1716︶には、江戸に出れば仕事に有り付けると言うこ とから、江戸の人口は100万人を超す世界最大の都市になって いた。ここで困ったことはエネルギーの問題である。現在のよう に化石燃料やクリーンエネルギーの無い時代であるから、薪炭に 頼るしか無い。そこで吉宗は江戸を取り巻く周辺の藩に ﹁御林﹂ ︵お はやし︶を造林しアカマツを育てるよう命令を出したのである。 牛久藩内はアカマツ林が広がり、生産された薪炭は小野川の流域 に設けられた河岸から次々に江戸へ出荷されていった。大量に安 全に運搬する方法として水運︵舟運︶は不可欠である。霞ヶ浦周 辺からも次々に物資が積み出されていた。石岡の日本酒、土浦の 醤油なども出荷されていた。  牛久の小野川の伝馬造茶船は小さな小舟であるから荷を大量に 積むことが出来ない。伊佐津河岸︵現稲敷市︶まで搬送し、一度 荷を下ろした。ここで、佐原から廻航した500石船と言われた 国内最大の﹁高瀬舟﹂に改めて積み替えられ、江戸に向かった。 江戸までの下り荷︵現在とは上り・下りが逆︶は通常9日。上り 荷は通 常 14日かかっている。  伊佐津を出た高瀬舟は、伊佐津河岸から江戸崎河岸の間、三つ の沼地を結ぶ狭い水路が続き、渇水期などは航行不能となること も多く、曳舟人足による﹁曳舟﹂ ︵川の土手から人足がロープで船 を曳いた︶が行われた。古渡から霞ヶ浦に入り、横利根川から利 根川に入り、竿と帆走で上った。渇水期の利根川は雨が降るまで 航行が出来ないこともしばしば発生した。そこで、幕府が考えた のが、 陸路である。浅瀬の多い取手から上流まで行かずに、 木下 ︵木 下街道︶や布佐、布施などから松戸の良庵河岸まで陸路でつなぎ、 松戸から再び舟運と言う応急策をとった。また、取手の小堀︵お おぼり︶に渇水期対策のための河岸を新たに設け、艀下船︵はし けしたぶね︶を駐在させた。渇水期に浅瀬で航行不能となった高 瀬舟の喫水線を下げるため、高瀬舟よりも小型の高瀬舟に荷の分 散をはかり、高瀬船を通船させる取り組みも行っている。そして、 関宿から江戸川に入ると、急流の江戸川を快調に帆走し、行徳か ら新川を抜け、中川口の中川船番所︵江戸最大の関所︶で荷の検 問を受けた。そして小名木川を深川口まで進み、隅田川に入ると、 目的地は直前である。年貢米は﹁蔵前﹂ 、薪炭は﹁御竹蔵﹂ ︵現両 国国技館周辺︶で荷下ろしした。荷を積み降ろして空身になった 船は、江戸の生活物資や江戸の文化まで牛久村に持ち帰ったと言 うことある。亀戸瓦も途中で積み込まれ、結束町の傳仁右衛門河 岸︵Tさん宅の専用河岸︶まで運ばれた。この小野川水運は大正 時代まで続いたそうである。 [小野川のデータ] 一級水系利根川、一級河川 川の延長  36.45km 流域面積  175.75 ㎢ 水源    つくば市洞峰沼(現洞峰公園)、つくば市小野崎味城跡) 河口    稲敷市古渡(ふっと) する大工事であったと言える。これは、ピラミッドや万里の長城 の建設に匹敵する大工事であったのではないかと考える。そして 振袖火事の大災害の後、災害復興に辣腕を振るった保科正之の危 機管理能力は現代人も見習うべきマネージメントであると言える。 一枚の瓦から多くの歴史を学び、改めて歴史の深さに感動した訳 である。 ■﹁小野川水運の検証﹂は四話まであり、 6時間の講座になります。 興味のある方は、グループ、団体でお声をかけて頂ければ講座を 承ります。 ︵坂 弘毅︶   復興の お 手伝い か ら 帰っ て き て 9 か 月が 過ぎ 、 こ ち ら は 暖か い 毎日で は あ る が 気仙沼は ・・・ と 想い を 馳せ て い た 。 1 2 月で 退 職する 知人の 送別会に あ わ せ 行 く こ と に し た 。 お 土産も あ り 、 ま た 訪ね る と こ ろ も あ る の で 車で 行く こ と と し た 。 ス タ ッ ド レ ス に 履き 替え た 軽自動車。 気仙沼 に 着き 国道4 5 号線、 内湾を 走 る と 災害公営住宅、 防災集団 移転地の 造成工事、 橋の 工事、 道路の 切り 替え な ど が あ り 街の 造成が 進ん で い る 、 震災が あ っ た こ と を 強く 感じ る 。 交通量は 変わ ら ずに 多い が 以前の よ うに ガ レ キ ・ 土砂運搬の ダ ン プ ば か り で は な く 種々の 工事車両が 走っ て い る 。   気仙沼市の 今年度予算が 1 千 3 7 0 億円、 震災前の 財政規模 は 4 7 0 億円、 2 5 年度1 千8 0 0 億円規模で あ っ た か ら 小さく な っ た と は い え 震災前の 3 倍で あ る 、 復興事業は ま だ ま だ 続く 。 ( 牛久は 2 7 年度予算4 2 0 億円 人口8 万人)人口は 震災前7 4 千人か ら 6 7 千人と 減少し 続け て い る 。 「 こ れ か ら は 自治体の 負 担も 求め る 」と 国は 言っ て い る か ら 厳し い 復興が 続く こ と が 想 像され る 。   職場に 伺っ た ら 知っ て い る 人が 少な い 、 前回に 書い た が こ の 職 場は 派遣職員が 60%以上で あ り 、 派遣は 1 年で 交代と な る 。 短い 期間で は 3 ヶ 月の 自治体も あ る 、 引継ぎ が 大変と 思い き や 同じ 自治体の 人で 引き 継ぐ か ら 仕事は 流れ て い る 、 分か ら な い と き は 職場の 人に 聞く の で は な く 前に い た 自分の 自治体の 職員 に 聞く 。 派遣を 止め る 自治体 も 出て き て い る 。 気仙沼市が 独 自に 任期付き 職員の 採用を 始め て い る 。 ま た 東京都や神奈川県 等の よ うに 自ら の 職員を 派遣す る の で は な く 経験者を 任期付き 職員と し て 採用し て 最長5 年ま で と し て 派遣し て い る 、 同僚で あ っ た 人が 4 月か ら は 神奈川県 か ら の 派遣と な る と 聞い た 。 市 の 職員も 移動が あ り 知っ て い た 人 は 数人で あ っ た 。   防波堤工事、 新設道路工事、 宅地造成等々が 行わ れ て い る 、 地方紙に 河口に 砂地が で き 生物 が 生息し 始め て い る 、 環境ア セ ス メ ン ト の こ と を 取り 上げ て い た こ と が あ っ た 。 堤防の 高さに よ る 景観等で も 話題が あ っ た 、 気 仙沼市の 方針が 「 海と 生き る 」 、 堤防に よ っ て 海と 断絶され る こ と は 考え ら れ な い 。 過去の 津波 を 考慮し て 高さに つ い て 議論が あ り 、 事業者か ら だ れ が 責任に と る の か と い う言葉を 聞い た こ と が あ る 。 規模に も よ る が 開発事 業に は 埋蔵文化財調査、 環境 ア セ ス メ ン ト 等が 事前に 行わ れ る 。 復興事業を 早く 進め る こ と 、 始ま っ た こ と は 止め ら れ な い で は な く 、 法律に 則り 、 住民 の 合意の も と に 進め ら れ て い る こ と と 信じ た い 。   単身赴任し た 方な ら お 分か り だ ろ うが 休日を ど う過ご すか が 課題で あ っ た 、 せ っ か く 来た の だ か ら と 休日は 出か け る よ うに し て い た 。 海祭り に 1 人で 出か け 花火を 見て い た 、 知ら な い 土地 で 1 人で 見る 花火は 寂し か っ た 、 浅草の 夜の 賑わ い ま ぎ れ 入り と 言う句が あ っ た が 。 冬の 曇天の 中、 猊鼻渓に 出か け た 、 船に 乗っ て 見学と あ り 迷っ た が 乗る こ と に し た 、 お ば ち ゃ ん の 団体、 家 族、 そ し て 不釣り 合い で あ やし い 二人等、 い ぶ か し げ な 眼で 見 ら れ る 私、 船は 炬燵に な っ て お り 、 私の 両隣に は 空間が 、 何 やら TVの サ ス ペ ン ス ド ラ マ の 雰 囲気、 そ れ ぞ れ の 連れ の 間で は ひ そ ひ そ 話あ る い は 賑やか に 会 話交わ され て い る 、 船頭が 説明 を し な が ら 長竿で 船を 進め て い き 、 断崖に 岩の 突き 出た と こ ろ に き て こ の 岩が 獅子の 鼻に 見え る 事か ら 猊鼻渓と い うと 説明、 単な る 突き 出た 岩で あ り 、 獅子 の 鼻が ど うい うも の か も 知ら な い 、 観光地で は こ の 類が 多い 。 炬燵は 暖か で あ っ た が 心が 冷え 切っ て い た 。 深山幽谷と は 言え な く と も 静か で 綺麗な 渓谷で あ っ た 。     こ の よ うな 休日を 過ご し て い た の で 新年度に な っ た と き 、 休 日を ど う過ご すか と 考え 、 今 ま で 親子農業体験を 行っ て い た で 職場の 2 人の お 母さん に 相談 し た ら やり ま し ょ うと な っ た 。 畑は 震災以降やっ て い な い が 使っ て い い よ と 言わ れ て 唐桑で 行うこ と と し た 。 こ れ で 有意義な 休日 が 過ご せ る こ と に な っ た 、 里芋 は あ ま り 食べ な い と 言わ れ ジ ャ ガ イ モ だ け と し た 。 海の 見え る 高 台の 畑、 唐桑半島は 太平洋に 面し て い て リ ア ス 式海岸が 続く 、 平地が 少な く 家庭菜園程度の 畑 が あ ち こ ち に 見受け ら れ る 、 耕 運機も 流され て 震災以来耕し て い な い と い うの で 心配で あ っ た が 隣で 畑を やっ て い た の で 安心 し た 。 マ ン ノ ウ で 耕し 始め 2 日 ほ ど た っ た こ ろ 耕運機が 届い て い た 。 購入し て く れ た 。 収穫祭 に は 近在の 職場の 人も 参加し て 行っ た 。 た く さん 収穫する こ と が で き た 。       昭和8 年の 地震の 時は 5 歳だ っ た と い うお じ い さん に 当時と 今 回の 震災の お 話を 伺うこ と が 来 た 。 そ の 昭和8 年の 震災の 碑が こ の 浜に も あ り 、 沿岸を 走っ て い る と 忘れ な い よ うに と と こ ろ ど こ ろ に 見ら れ る 。   派遣に 来て い る 人た ち に 気仙 沼を 知っ て い た だ く 企画を 市で 行っ て い た 2 か 月に 一度程度で 。 2 度ほ ど 参加し た 。 八瀬森の 学 校、 グ リ ーン ツ ーリ ズ ム ・ 地域 づ く り 行っ て い る 団体で 廃校に な っ た 小学校を 中心に 県内の 児 童に 宿泊学習を し た り し て い る 、 八瀬地区は 内陸に あ る 農村地域 で 川が 流れ て い て 里山の 雰囲気 で あ る 、 職場の 釣り 好き に 聞く と 「 山奥に 行く と イ ワ ナ が ご そ ご そ と い ま す」と 聞き 、 連れ て 行っ て く れ と い っ た が 機会が な か っ た 。 地域の 活性化に 蕎麦の 栽培を 始め て い る 、 地域の 案内 と そ ば 打ち 体験に 参加し た 。 浦 島地区振興会、 四つ ほ ど の 漁港 が 一緒に な り が 地域活性化の 推 進を 目的に 主催し た 漁業体験に 参加し た 、 船外機の つ い た 漁船 に 乗り 牡蠣の 養殖場に 行き 牡蠣 の 開き 方や昆布を 引き 上げ て 見 せ て い た だ い た き 説明を 受け た 。 最後は 魚港で 海鮮バ ーベ キ ュ ー、 お 腹は 満た され た が 。 い ずれ の 団体も 市民活動セ ン タ ーに 登録 され 参加し た 内容等を 一般の 人 む け て 行っ て い る 。   今回の 帰路、 福島県堺の 温泉 に 一泊し た 、 翌日は 時間も あ る こ と な の で 国道6 号線走っ た 、 請戸と い う地名出て き て 富岡町 ま で は 海側内陸側へ 行く 道に は すべ て 柵が 設置され て い る 、 ガ ー ド マ ン が 立っ て い る 、 一般の 人は 自由に 立ち 入る こ と が で き な い も うすぐ 5 年に な ろ うと し て い る 、 い つ ま で な の か 、 ど れ だ け 国費が 投入され る の か 、 原因者 は 東電で あ る が ど こ ま で 責任を 取る の か 。 こ れ か ら の 原発の 稼 働に 向け た 安全対策等の 準備費 用を 再生可能エ ネル ギ ーの 開発 に 向け た な ら ば 、 寄り 道も 出来 ずに た だ た だ ま っ すぐ に 走り な が ら 考え た 。   こ ち ら に い る と 震災の こ と を 考 え る こ と が ほ と ん ど な い が 、 行っ て み る と 復興真っ た だ 中で あ る 、 月日は 進ん で い く が 、 復興を 進 め る の は 人で あ り 、 仮設住宅に 住ん で い る 人を 考え る と 、 も う 5 年過ぎ た と 思う。 里山の 会員 に な り 小さな 生き 物に 接し 、 環 境の 保全の お 手伝い を し て い る つ も り で い る が 、 以前に 教え て い た だ い た 大き な 視野で 考え 、 ACT LOCALLYの 言葉 を 心し て お き た い 。 ( 飯田雅俊)

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  復興の お 手伝い か ら 帰っ て き て 9 か 月が 過ぎ 、 こ ち ら は 暖か い 毎日で は あ る が 気仙沼は ・・・ と 想い を 馳せ て い た 。 1 2 月で 退 職する 知人の 送別会に あ わ せ 行 く こ と に し た 。 お 土産も あ り 、 ま た 訪ね る と こ ろ も あ る の で 車で 行く こ と と し た 。 ス タ ッ ド レ ス に 履き 替え た 軽自動車。 気仙沼 に 着き 国道4 5 号線、 内湾を 走 る と 災害公営住宅、 防災集団 移転地の 造成工事、 橋の 工事、 道路の 切り 替え な ど が あ り 街の 造成が 進ん で い る 、 震災が あ っ た こ と を 強く 感じ る 。 交通量は 変わ ら ずに 多い が 以前の よ うに ガ レ キ ・ 土砂運搬の ダ ン プ ば か り で は な く 種々の 工事車両が 走っ て い る 。   気仙沼市の 今年度予算が 1 千 3 7 0 億円、 震災前の 財政規模 は 4 7 0 億円、 2 5 年度1 千8 0 0 億円規模で あ っ た か ら 小さく な っ た と は い え 震災前の 3 倍で あ る 、 復興事業は ま だ ま だ 続く 。 ( 牛久は 2 7 年度予算4 2 0 億円 人口8 万人)人口は 震災前7 4 千人か ら 6 7 千人と 減少し 続け て い る 。 「 こ れ か ら は 自治体の 負 担も 求め る 」と 国は 言っ て い る か ら 厳し い 復興が 続く こ と が 想 像され る 。   職場に 伺っ た ら 知っ て い る 人が 少な い 、 前回に 書い た が こ の 職 場は 派遣職員が 60%以上で あ り 、 派遣は 1 年で 交代と な る 。 短い 期間で は 3 ヶ 月の 自治体も あ る 、 引継ぎ が 大変と 思い き や 同じ 自治体の 人で 引き 継ぐ か ら 仕事は 流れ て い る 、 分か ら な い と き は 職場の 人に 聞く の で は な く 前に い た 自分の 自治体の 職員 に 聞く 。 派遣を 止め る 自治体 も 出て き て い る 。 気仙沼市が 独 自に 任期付き 職員の 採用を 始め て い る 。 ま た 東京都や神奈川県 等の よ うに 自ら の 職員を 派遣す る の で は な く 経験者を 任期付き 職員と し て 採用し て 最長5 年ま で と し て 派遣し て い る 、 同僚で あ っ た 人が 4 月か ら は 神奈川県 か ら の 派遣と な る と 聞い た 。 市 の 職員も 移動が あ り 知っ て い た 人 は 数人で あ っ た 。   防波堤工事、 新設道路工事、 宅地造成等々が 行わ れ て い る 、 地方紙に 河口に 砂地が で き 生物 が 生息し 始め て い る 、 環境ア セ ス メ ン ト の こ と を 取り 上げ て い た こ と が あ っ た 。 堤防の 高さに よ る 景観等で も 話題が あ っ た 、 気 仙沼市の 方針が 「 海と 生き る 」 、 堤防に よ っ て 海と 断絶され る こ と は 考え ら れ な い 。 過去の 津波 を 考慮し て 高さに つ い て 議論が あ り 、 事業者か ら だ れ が 責任に と る の か と い う言葉を 聞い た こ と が あ る 。 規模に も よ る が 開発事 業に は 埋蔵文化財調査、 環境 ア セ ス メ ン ト 等が 事前に 行わ れ る 。 復興事業を 早く 進め る こ と 、 始ま っ た こ と は 止め ら れ な い で は な く 、 法律に 則り 、 住民 の 合意の も と に 進め ら れ て い る こ と と 信じ た い 。   単身赴任し た 方な ら お 分か り だ ろ うが 休日を ど う過ご すか が 課題で あ っ た 、 せ っ か く 来た の だ か ら と 休日は 出か け る よ うに し て い た 。 海祭り に 1 人で 出か け 花火を 見て い た 、 知ら な い 土地 で 1 人で 見る 花火は 寂し か っ た 、 浅草の 夜の 賑わ い ま ぎ れ 入り と 言う句が あ っ た が 。 冬の 曇天の 中、 猊鼻渓に 出か け た 、 船に 乗っ て 見学と あ り 迷っ た が 乗る こ と に し た 、 お ば ち ゃ ん の 団体、 家 族、 そ し て 不釣り 合い で あ やし い 二人等、 い ぶ か し げ な 眼で 見 ら れ る 私、 船は 炬燵に な っ て お り 、 私の 両隣に は 空間が 、 何 やら TVの サ ス ペ ン ス ド ラ マ の 雰 囲気、 そ れ ぞ れ の 連れ の 間で は ひ そ ひ そ 話あ る い は 賑やか に 会 話交わ され て い る 、 船頭が 説明 を し な が ら 長竿で 船を 進め て い き 、 断崖に 岩の 突き 出た と こ ろ に き て こ の 岩が 獅子の 鼻に 見え る 事か ら 猊鼻渓と い うと 説明、 単な る 突き 出た 岩で あ り 、 獅子 の 鼻が ど うい うも の か も 知ら な い 、 観光地で は こ の 類が 多い 。 炬燵は 暖か で あ っ た が 心が 冷え 切っ て い た 。 深山幽谷と は 言え な く と も 静か で 綺麗な 渓谷で あ っ た 。     こ の よ うな 休日を 過ご し て い た の で 新年度に な っ た と き 、 休 日を ど う過ご すか と 考え 、 今 ま で 親子農業体験を 行っ て い た の で 職場の 2 人の お 母さん に 相談 し た ら やり ま し ょ うと な っ た 。 畑は 震災以降やっ て い な い が 使っ て い い よ と 言わ れ て 唐桑で 行うこ と と し た 。 こ れ で 有意義な 休日 が 過ご せ る こ と に な っ た 、 里芋 は あ ま り 食べ な い と 言わ れ ジ ャ ガ イ モ だ け と し た 。 海の 見え る 高 台の 畑、 唐桑半島は 太平洋に 面し て い て リ ア ス 式海岸が 続く 、 平地が 少な く 家庭菜園程度の 畑 が あ ち こ ち に 見受け ら れ る 、 耕 運機も 流され て 震災以来耕し て い な い と い うの で 心配で あ っ た が 隣で 畑を やっ て い た の で 安心 し た 。 マ ン ノ ウ で 耕し 始め 2 日 ほ ど た っ た こ ろ 耕運機が 届い て い た 。 購入し て く れ た 。 収穫祭 に は 近在の 職場の 人も 参加し て 行っ た 。 た く さん 収穫する こ と が で き た 。       昭和8 年の 地震の 時は 5 歳だ っ た と い うお じ い さん に 当時と 今 回の 震災の お 話を 伺うこ と が 来 た 。 そ の 昭和8 年の 震災の 碑が こ の 浜に も あ り 、 沿岸を 走っ て い る と 忘れ な い よ うに と と こ ろ ど こ ろ に 見ら れ る 。   派遣に 来て い る 人た ち に 気仙 沼を 知っ て い た だ く 企画を 市で 行っ て い た 2 か 月に 一度程度で 。 2 度ほ ど 参加し た 。 八瀬森の 学 校、 グ リ ーン ツ ーリ ズ ム ・ 地域 づ く り 行っ て い る 団体で 廃校に な っ た 小学校を 中心に 県内の 児 童に 宿泊学習を し た り し て い る 、 八瀬地区は 内陸に あ る 農村地域 で 川が 流れ て い て 里山の 雰囲気 で あ る 、 職場の 釣り 好き に 聞く と 「 山奥に 行く と イ ワ ナ が ご そ ご そ と い ま す」と 聞き 、 連れ て 行っ て く れ と い っ た が 機会が な か っ た 。 地域の 活性化に 蕎麦の 栽培を 始め て い る 、 地域の 案内 と そ ば 打ち 体験に 参加し た 。 浦 島地区振興会、 四つ ほ ど の 漁港 が 一緒に な り が 地域活性化の 推 進を 目的に 主催し た 漁業体験に 参加し た 、 船外機の つ い た 漁船 に 乗り 牡蠣の 養殖場に 行き 牡蠣 の 開き 方や昆布を 引き 上げ て 見 せ て い た だ い た き 説明を 受け た 。 最後は 魚港で 海鮮バ ーベ キ ュ ー、 お 腹は 満た され た が 。 い ずれ の 団体も 市民活動セ ン タ ーに 登録 され 参加し た 内容等を 一般の 人 む け て 行っ て い る 。   今回の 帰路、 福島県堺の 温泉 に 一泊し た 、 翌日は 時間も あ る こ と な の で 国道6 号線走っ た 、 請戸と い う地名出て き て 富岡町 ま で は 海側内陸側へ 行く 道に は すべ て 柵が 設置され て い る 、 ガ ー ド マ ン が 立っ て い る 、 一般の 人は 自由に 立ち 入る こ と が で き な い 。 も うすぐ 5 年に な ろ うと し て い る 、 い つ ま で な の か 、 ど れ だ け の 国費が 投入され る の か 、 原因者 は 東電で あ る が ど こ ま で 責任を 取る の か 。 こ れ か ら の 原発の 稼 働に 向け た 安全対策等の 準備費 用を 再生可能エ ネル ギ ーの 開発 に 向け た な ら ば 、 寄り 道も 出来 ずに た だ た だ ま っ すぐ に 走り な が ら 考え た 。   こ ち ら に い る と 震災の こ と を 考 え る こ と が ほ と ん ど な い が 、 行っ て み る と 復興真っ た だ 中で あ る 、 月日は 進ん で い く が 、 復興を 進 め る の は 人で あ り 、 仮設住宅に 住ん で い る 人を 考え る と 、 も う 5 年過ぎ た と 思う。 里山の 会員 に な り 小さな 生き 物に 接し 、 環 境の 保全の お 手伝い を し て い る つ も り で い る が 、 以前に 教え て い た だ い た 大き な 視野で 考え 、 ACT LOCALLYの 言葉 を 心し て お き た い 。 ( 飯田雅俊)

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