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釧路論集 - 北海道教育大学釧路校研究紀要 - 第 44 号 ( 平成 24 年度 ) Kushiro Ronshu, - Journal of Hokkaido University of Education at Kushiro - No.44(2012): チェルニーのピアノ教授

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(1)

Title

チェルニーのピアノ教授 −『チェルニーのピアノ教授に関する手紙Car

l Czerny. Briefe über den Unterricht auf dem Pianoforte』を手掛か

りに−

Author(s)

小野, 亮祐

Citation

釧路論集 : 北海道教育大学釧路校研究紀要, 第44号: 105-110

Issue Date

2012-12

URL

http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/6873

Rights

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はじめに  日本の音楽家、とりわけピアニストにとって、カール・ チェルニーCarl Czerny(1791-1857)(以下単にチェル ニー)の名は、その作曲家としての業績を知られることは なくとも、とりわけ音楽教育に多大な功績をあげた人物と して認識されている。また専門家でなくとも幼少期にピア ノを習ったことがあれば、その名は教則本の通称としてよ く知るところだろう。チェルニーの教育的業績としてよく 知られているのは、大量の練習曲集(エチュード)である。 それらエチュードについて研究は、従来ピアニストやピア ノ教育家たちによってなされ、その多くは現在のピアノ教 育現場の問題として取り扱われている。  このような現在メジャーになっているチェルニーの業績 に対して、未だマイナーな業績とでもいうべき理論的著作 群がある。これらの中には言葉でピアノ演奏を解説する「ピ アノ教則本」が含まれている。本論ではその中での主著と される『完全なる理論的実践的ピアノ教本』に比してさら に光の当てられてこなかった10の手紙から成る『ピアノ教 授に関する手紙』(以下『10の手紙』と呼ぶ)について、 主著との比較を交えてその特質について検討を行う。 1.チェルニーの教授活動の中の『10の手紙』の位置づけ  まず、チェルニーの音楽活動、教育活動における『10の 手紙』の基本的な性質を見てゆきたい。チェルニーはボヘ ミア出身の父ヴェンツェルWenzel(1752-1832)の長男(一 人息子)としてウィーンに生まれ、幼少期を除いてはその 生涯をウィーンで過ごした。父はいくつもの顔を持ってお り、ピアノ教師、ピアノ修復師、オルガニスト、オーボエ 奏者、歌手として活躍した音楽家であった。その息子カー ルも、父から幼いころに音楽教育を受けたが、1800年から はベートーヴェンLudwig van Beethoven(1770-1827) の教えを受けた。  その後1806年、15歳となったチェルニーはピアノの教授 を行い始める。自伝では「個人的なコンサートを重ねるう ちに有名となり、日中の時間はレッスンでいっぱいとなっ た」と述べている(東川=チェルニー 2003 p.188)。その 後も個人的な作曲活動を重ねながら、1836年に教授活動を 休止するまでこのような日々を過ごしていた。そうした 日々の中で次々に練習曲集が出版され、1836年までにす でに141曲の練習曲集が出版されている(MGG; Czerny, Personen Teil, Bd4. p.228)。基本的にこれらの練習曲集 Kushiro Ronshu, - Journal of Hokkaido University of Education at Kushiro - No.44(2012):105-110

チェルニーのピアノ教授

-『チェルニーのピアノ教授に関する手紙

Carl Czerny. Briefe u

・・

ber den Unterricht auf dem Pianoforte』を手掛かりに-

小 野 亮 祐

北海道教育大学釧路校音楽教育教室

A study of Czerny's Piano Method

-''Briefe u

・・

ber den Unterricht auf dem Pianoforte''-

Ryosuke ONO

Department of Music Education, Kushiro Campus, Hokkaido University of Education

 本論はピアノ練習曲集(エチュード)の作曲家として著名で、現代日本のピアノ教育に至るまで影響を与え続けている チェルニーが著した小著『ピアノ教授に関する手紙』に焦点を当てて、その内容を検討するものである。チェルニーは練 習曲集とともに、言葉の説明を中心としたピアノ教則本をいくつか出版している。これらは、基礎から即興演奏といった 高度な段階に至るまでのピアノ演奏に必要な知識技能を、主に言葉で説明している。しかしながら、はたしてこれら「理 論的著作」としてまとめられた教則本の内容と、ピアノ教授の実際がどの程度同じであるのか、また異なっているのかは いまだによくわからなかった。しかし、本論の俎上あげる『手紙』は実際の生徒に教師(チェルニー自身)が順を追って 手紙で教授内容を送るという想定のもとで書かれており、レッスンの実態に近いものとなっている。そのことを利用して、 理論的著作中の主著ともいうべき『完全なる理論的実践的ピアノ教本』と、この『手紙』の内容構成を比較検討した。そ の結果、少なくとも初心者の教授にかかわる主著の第1部の部分については、その個々の教授内容の配列、習得に要する 期間などが明らかになり、従来よりも具体的な形でチェルニーの鍵盤楽器教授にアプローチすることができた。

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小 野 亮 祐 は、「練習曲」という楽曲の集合であり、言葉による説明 がなされていない。しかし、それらはチェルニー自身によっ てピアノ教育上の目的がある程度明確にされており、使用 者側の習得したいピアノ演奏上の技能に応じて、それらを 選び使用することが意図されているi 。  それに対して、チェルニーは理論的な著作を出版してい る。中には、外国語の文献をドイツ語に訳すという仕事も 含まれているが、おおむね10の文献があげられる。表1は その一覧である。  著者名に名前が入っているものは、他の著作の翻訳、自 著となっているものはチェルニー自身の著作である(翻訳 はプレイエル、アダン、レイハなどのフランス系の理論書 のみ)。それらの領域は、鍵盤楽器に関するものから作曲、 音楽史に至るまで幅広く、チェルニーの音楽理論家として の高い力量がうかがえる。その中には本論に関連の深いピ アノの奏法に関する説明を行い、その技能を身に着けるこ とを目的とした文献がある(以下「ピアノ教則本」と呼ぶ)。 このようなピアノ教則本を、チェルニーは翻訳・自著合わ せて5つ出版している。この中で主著ともいうべき教則本 は1839年出版の『完全なる理論的実践的ピアノ教本』であ る。全体で3巻400ページを超える大著で、楽譜の読み方に 始まり、運指法などを含み、最後は即興演奏の方法に至る 幅広い高度な内容を含んでいる。  本論が検討の中心に据える『10の手紙』は、出版年が明 確でない。本研究で参照できたのは2つの原典と1つの翻 訳である。詳細は以下のとおりである(それぞれ、便宜上 ウィーン版、ロンドン版、日本語版と名付ける。)。

ウィーン版:Briefe u・・ber den Unterricht auf dem

P i a n o f o r t e v o m A n f a n g e b i s z u r A u s b i l d u n g ; a l s A n h a n g z u j e d e r Clavierschule. o.J. Wien (Diabelli)(バイエ ルン州立ミュンヘン図書館所蔵Mus.th.790 b)

ロンドン版:Letters to a young lady, on the art of playing the pianoforte from the earliest rudiment to the stage of cultivation. Witten

as an appendix to every school for that instrument(translated by J.A.Hamilton). London(トロント大学所蔵 MT220 C9 13 1840 c1 musi.) 日 本 語 版:若き娘への手紙(中村菊子、渡辺寿恵子 訳) 1984 全音楽譜出版(ただし、底本は1861年 にニューヨークで出版された版)  ウィーン版には所蔵図書館により1830年ごろ(c.1830) という推定年代が記されている。ただし、『10の手紙』の 序論には、本著作が「私のピアノ教則本の補足として書 か れ たdiese Briefe als seine Zugabe zu meiner einigen Fortepianoschule geschrieben」と明記されていることか ら、少なくともチェルニー自身が著わした2つの鍵盤楽器 教則本『完全なる理論的実践的ピアノ教本』と『小ピア

ノフォルテ教本』よりは後となる。さらに、「指使いのこ

とが書いてあるピアノ教則本の第2部に入る前にehe Sie zu dem zweyten, vom Fingersatz handelnden Theile der Clavierschule u・・ bergehen」(ウィーン版p.26)という具体 的な参照指示をしている件は、明らかに3部構成をとる『完 全なる理論的実践的ピアノ教本』の、指使いFingersatzに 割かれている第2部を指している。よってこの『10の手紙』 は早く見積もっても『完全なる理論的実践的ピアノ教本』 の出た1839年以降に出版されたと言える。つまり、ピアノ 教授活動を終え、その集大成としてのピアノ教則本に準拠 した文献であるということがいえよう。 2.『10の手紙』の対象者と叙述体裁 ・対象者  ウィーン版の題名からは知りえないのだが、ロンドン 版、日本語版の題目からわかるとおり、若い女性を対象と していることが分かる。序文にその意図が以下のように書 かれている。  「私の教本の出版社から、私が長年ピアノ教師として生 徒を指導してきた一歩一歩階段を上るような独特な教授法 を、手紙の形で簡潔に、しかも親しみやすく書き下ろして くれと依頼された。(中略)読者は、私が好意に満ちた楽 しい手紙により、遠い辺鄙な土地に住む才能を教育に恵ま れた十二歳の娘に、どのような教則本にも出てくるピアノ 学習の基礎をよりよく理解させ、それを実施できるよう重 要な点に注意を向けさせていく仕事を引き受けたと想定し ていただきたい。」(日本語版p.IX)  18世紀以来、当時のドイツ語圏ではある程度の階級に属 する物質的な余裕を有する市民が、娘にピアノを習わせる ことが流行し(岡田2008)、その点が反映されていると言 える。手紙体を取るための策ではあるが、辺鄙な土地に住 著者 題    名 出版年 プレイエル 鍵盤楽器教本(1797) 1826 アダン ピアノフォルテのための指使いの一般原則(1798) 1826 (自著) ピアノフォルテのためのファンタジー教本 1829 レイハ 完全な作曲教本(1816-1818) 1832 レイハ 劇場用作品のための作曲教本(1833) 1835 (自著) 完全な理論的実践的ピアノフォルテ教本 1839 (自著) 理論的実践的小ピアノフォルテ教本 1846 (自著) 鍵盤楽器教授に関する 10 の手紙 年代不明 (自著) 完全な理論的実践的作曲教本 年代不明 (自著) 音楽史概略 1851 表1:チェルニーの理論的著作一覧

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む学習者を相手にしているところは興味深い。現在で言え ば通信教育に近いともいえよう。このような地方に住んで いる学習者を対象とした教則本は『10の手紙』が初めてで はない。時代はさかのぼるが、1765年にM.J.F.Wiedeburg 著Der sich selbst informierende Clavierspieler(『自習す る鍵盤楽器奏者』)もその類の教則本である。序文におい て「特に初心者の地方のオルガニストが教師の助けなし に、自力で楽譜から歌を鍵盤楽器で演奏するために(略)」 とあり地方の学習者が明確に対象者となっている。特に地 方の音楽教師に恵まれない地域で、教会のオルガンを演奏 することを要求されているような、迫られて学習をする人 にも書かれている(小野2010 p.60)。つまり、この『10の 手紙』が辺鄙な地にいる若い女性に向けて書かれている想 定は、単なるチェルニーの思い付きではなく、18世紀以来 のピアノを含む鍵盤楽器教育に対する様々な需要と、その 事情が投影された結果だといえよう。 ・体裁  『10の手紙』は手紙体という体裁をとっているが、その ことについて序文において次のようにチェルニーは記して いる。「私は、出版社の希望に沿ってこの小冊子を書き始 めたが、書いているうちに私自身、手紙の形とは口移し に教える方法に一番近いことに気づき、大変乗り気にな り(略)」。つまり、教則本とは違ってかなり教授現場に おける雰囲気や進め方に近いものであることを述べてい る。ドイツで継続的に出版されたホフマイスターカタログ Monatsberichte(1829-1900)を参照するとii 、初版の出 版年は不明であるもののヴィットマンRobert Wittmann のMethodische Unterrichtsbriefe fu・・r das Pianoforteやヘ

ネスAloys HennesのKlavier-Unterrichtsbriefeなど、19 世紀には手紙体による鍵盤楽器の教則本が出版されてい た。特にヘネスのものは1873年の時点で22版を数えてお り、大変人気を博していたことが分かる。  また、18世紀にさかのぼると、同様に現場と近い体裁 である対話体や問答体の体裁をとる鍵盤楽器の教則本が あった。たとえば、ロンクWilhelm Rong『Versuch einer Elementar Lehre fu・・

r die Jugend am Klavier』(1793)や、 ボスラーH.P.Bossler編『鍵盤楽器の授業のための初級読 本Elementarbuch der Tonkunst zum Unterricht beim Klavier』(1781)がある。前者は問答体の形で書かれてい るが、これは教理問答形式というキリスト教の教理を子供 に分かりやすく教えるための伝統的な教授法に基づいてい る。後者は生徒(子供)であるカールとピアノ教師との対 話を中心としているが、中には親戚からの手紙によって進 められるなど『10の手紙』の原型ともいうべき形となって いる。つまり、教師が語りかけるという体裁は、かねてか らあったものであった。少なくとも、出版社はこのような 伝統と当時の状況を了解のうえで、チェルニーに依頼した ものと思われる(しかし、先の引用の口ぶりからは、チェ ルニー自身はあまりこの手紙体へのなじみは無いようであ る)。  『10の手紙』は表面的な体裁からは教師からの手紙が10 あるだけのようではあるが、各手紙にはセシリアという生 徒からその時々の状況が返信されているという想定の元書 かれており、ある程度双方向的なやり取りが疑似的に繰り 広げられている。加えて、大変興味深いのはいくつかの教 程の経過時間がおおよそ明らかになっていることである。 つまり、初心者を教えるにあたって、何をどのような順番 で、どの程度の時間をかけて教えようとしたのか、またそ のチェルニーにとっての理想が書かれているといえよう。 先の文字ばかりで書かれた教則本においては、確かに理論 的にはよくまとめられてはいるものの、その章立ては実際 の教授の順番である保証はなく、また当然としてどの程度 それぞれの教程内容に時間をかけたのかも明らかではな い。したがって、この『10の手紙』を見ることで、準拠し ている『完全な理論的実践的ピアノ教本』を用いたピアノ 教授の実態がよりリアルに浮かび上がってくるといえよ う。以下、『10の手紙』の内容を明らかにしつつ比較検討 を試みてみたい。 3.『10の手紙』の教程内容とその想定習得期間  それぞれの手紙には見出しがつけられ、以下に挙げる (ウィーン版に基づく)とおり、その概要を示している。 見出しの後の括弧の中に書かれた時間は、実際の本文中の 各手紙に仮想的ではあるが、前の手紙からの経過時間が記 されたものである。 序文 手紙1:初心者が取り組むべきピアノの課題について 手紙2:打鍵法、音、ピアノの取り扱いについて(2か月後) 手紙3:拍、拍子、指使い(2か月後) 手紙4:装飾音奏法iii(3か月後) 手紙5:調性、練習方法、ならびに本番について(2か月後) 手紙6:それぞれの奏者に合った選曲について(記載なし) 手紙7:通奏低音の基礎(数か月後) 手紙8:和音の構成(記載なし) 手紙9:通奏低音のつづき(記載なし) 手紙10:即興演奏(記載なし)  また、生徒のチェチーリアにはすでにピアノ教師につい ていることが想定されている。つまり、教師につきながら さらにチェルニーと手紙を交わしているという想定であ る。しかし、読み進めているとチェチーリアがついている ピアノ教師のことや、その教師との間でどの程度進んでい るかなど具体的なことにはあまり関知せず内容を進めてい る感がある。この点についてチェルニーがいかに厳密に想 定しているのかは不明である。一方で主著『完全なる理論 的実践的ピアノ教本』には、その使用について教師につい ていることが前提にしている。つまり、チェルニー自身は

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小 野 亮 祐 教則本だけで自習することは、原則的に考えていないので あり、『10の手紙』でもその点を配慮していることは確か だろう。また、セシリアはチェルニーの主著で勉強してい ることも示唆されており、この『10の手紙』を教師の手引 書、すなわち彼の主著の具体的な使用の手引きと想定して いたともみなしうる。このような教則本は、歴史的に見て 学習者の使用のみならず、時として教師の手引きとしても 想定されていた。たとえば、1789年出版のテュルクDaniel Gottlob Tu・・rkの鍵盤楽器奏法Clavierschuleは、教授内容 と並行して教師にむけた注釈を文字の大きさを変えて明確 に提示している。  ここからは、各手紙の具体的な内容についてみておきた い。 ・手紙1  ここでは、最初歩の学習者がピアノの練習に取り掛かる 前に取り組まねばならない内容が記されている。具体的に は、上体の姿勢から指の形、腕の形、打鍵について、音符 の勉強法が展開されている。音符の勉強法については特に 順を追ってその方法論が次のように書かれている。高音部 記号の勉強→初心者用の優しい曲を弾いてみる→その曲を 写譜する→『完全なる理論的実践的ピアノ教本』のなかの 数曲を毎日2,3曲練習する。また、毎日の学習時間につ いても記されており、出来れば毎日教師に1時間見てもら い、自習を1-2時間行うことが指示されている。  次の手紙が2か月後となっているので、これらの習得期 間としておよそ2か月を見ていることがわかる。 ・手紙2  ここではまず、前回の練習成果を受けて、毎回2,3曲 の初見演奏とその復習を勧めている。ついで、特に打鍵法 の詳細とその練習方法が記されている。特にそのための指 の交差練習として音階練習の必要性が説かれている。その 練習方法としては、片手→両手、ゆっくり→速く、といっ た順序が指示されている。その際に重要視されているの は、5本の指の均等性である。それは、力(打鍵の強さ)、 速さ(指を動かす)、テンポの3つの点についての均等さ が指摘されている。これらの点に気を付けながら、毎回の 練習においてまず音階練習をし、それから曲の練習に入る ように指示がなされている。  次の手紙が3か月後となっているので、これらの習得期 間としておよそ3か月を見ていることがわかる。 ・手紙3  ここではテンポや拍子、指使いの習得について書かれて いる。特に拍子については初心者が指使いと同時に習得す ることが困難であることを指摘したうえで、まずは実際の 速さ(イン・テンポ)で練習することは諦めて、ゆっくり の速さで、指使いと拍子感の習得を同時に確実に行うこと が提案されている。拍子については、初めは声に出して数 えることを推奨している。  指使いについては、特に以下の7つの点について指摘し ている。1)指の交差の必要性、2)黒鍵の打鍵に親指を 用いることの禁止、3)同一指の連続使用の禁止、4)早 いパッセージにおける黒鍵打鍵の小指使用の禁止、5)和 音・跳躍音程における黒鍵への親指・小指の例外的使用、 6)音階の指使いは、あらゆるパッセージに応用されるこ と、7)指使いは後続の音を見ながら見通しをもって行う こと。  次の手紙が3か月後となっているので、これらの習得期 間としてもおよそ3か月を見ていることがわかる。 ・手紙4  ここでの主要な内容は、表現と装飾音となっている。し かし、冒頭では音階練習の重要性を強調し、半音階の練習 も加えた形での音階練習を指示している。それに関連して 毎日3時間練習を行い、そのうち初めの30分を必ず音階練 習に充てることを指示している。  次いで本題に入り、表現についての教授がはじまる。表 現と中では言われているものの、具体的にはダイナミクス やレガート、スタッカート、リタルダンドなど音符以外の 指示についてである。特にテンポの指示についてはメトロ ノームを用いることを勧めている。次いで装飾音について は、とりわけトリルについて説明がなされている。スケー ルと同様、速く平均した音が求められるとしたうえで、『完 全なる理論的実践的ピアノ教本』に含まれているトリル練 習を推奨している。  次の手紙が2か月後となっているので、これらの習得期 間としてもおよそ2か月を見ていることがわかる。 ・手紙5  ここでは調性、練習方法、本番の演奏の心得が書かれて いる。調性については、これまでチェルニーが重要視して いた音階練習をすべての調で行うことで、すべての調性に おける指使いを習得することが指示されている。楽曲の練 習方法については以下のようにかなり具体的な手順で示さ れている。 1)ゆっくりのテンポで、正確な指使いと読譜を行うこ と 2)ゆっくりのまま全体を繰り返すこと 3)テンポを上げてゆくこと 4)難しい個所のみを取り出して練習すること 5)前の手紙にあった表現に関する記号の読み込みと実 施  本番については、人前で弾くにあたっての心得や平常時 の準備を説いた部分である。具体的には、本番用楽曲の選 曲方法、本番での楽器と練習の楽器の違い、社交の場での 不意の演奏依頼に備えた暗譜曲の準備が述べられている。

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 次の手紙には具体的な期間が書かれていないのでここで の内容にどれほどの時間をかけるかを特に想定していない と思われる。しかし、内容からいってもある種の時間をか けて習得する課題が課されているわけではなく、あくまで も練習を進めるうえでの方法論とその補足事項にとどまっ ているので特に一定の期間を明示すべきものではないと考 えていたとも考えられる。 ・手紙6  ここでは、練習で使用する楽曲の選曲方法とその観点が 述べられている。当時における現代の作曲家と、古典の作 曲家を明確に区別したうえで、初心者向けの楽曲として、 ベルティーニ、ヘルツ、ヒュンテン、カルクブレンナー、 モシェレスといった作曲家を挙げ、次の段階として、これ らの作曲家の難しい曲、およびフンメル、クラーマー、デュ セック、リース、シュタイベルトといった作曲家を挙げて いる。さらに上達すれば、当時の現代作曲家である、ショ パン、タルベルク、リスト、フィールドや、前述の作曲家 の協奏曲を挙げている。これらの作曲家を具体的に挙げた うえで、以下の3つの選曲の注意点を促している。 1)難易度順に進むこと 2)自分の好みではなく、評価を得ている作曲家の楽曲 に取り組むこと、 3)古典やそれ以前の楽曲に取り組むこと。  この手紙最後には、厳格様式と称して古典期以前の現代 の我々が「バロック音楽」と呼んでいる時代の対位法的作 品に取り組むことを推奨している。 ・手紙7.8.9.10  7~9では通奏低音について、10では即興演奏について 述べられている。通奏低音は一般的な音楽史においては、 当時からさらに80年以上遡るバロック時代の演奏習慣や和 声の理論とされているものの、その教授自身はチェルニー の時代になっても明確に残存していた(小野2010)。チェ ルニー自身は通奏低音の教本を著わしていないが、1765 年に初版が出版されたレーラインGeorg Simon Lo・・hleinの

Clavierschule鍵盤楽器教本第8版の改訂(1825年)を引 き受けている。この教本は、初版当初はバロック時代の音 楽や鍵盤楽器教授の枠組みを踏まえて鍵盤楽器教本の後半 部分が通奏低音に割かれていた。しかし、前述のとおりそ の演奏習慣もなくなったとされる時代の1825年の改訂で も、引き受けたチェルニーは通奏低音の教程を残し、それ ばかりか自らも手を加えている。  手紙7において和音の基礎となる音程の定義と数え方 を、手紙8では和音の構成として協和音程と不協和音程の 区別、三和音と不協和音の解決、転回形の説明が行われて いる。以上は通奏低音の本題に入る前の基礎知識である。 次いで、手紙9では実際の和音の名前と、その連結例が音 程順に、つまり2の和音、3の和音。4の和音、5の和音・・・ という形で示され、それぞれの構成音と使用用途(経過的 使用であるか否か、解決方法など)が例示されている。  手紙10では通奏低音を踏まえたうえで、即興演奏につい て記されている。即興演奏の習得は生来の才能によるとこ ろがあるとし、それゆえに系統だった方法論は述べられて いないが、これまで習った練習曲や通奏低音の授業の中の 和音をつないで弾いてみることといった、具体的な練習例 が述べられている。そのためには、通奏低音についての勉 強やより多くの楽曲の勉強が欠かせないとして、チェル ニーはこの小著を閉じている。 4.準拠している『完全なる理論的実践的ピアノ教本』と の関係  最後に準拠しているチェルニーの主著との関連を見てお きたい。初心者を対象にした手が見であるので、まず、主 著の中でも基本的な事項が多く取り扱われている第1部と の比較検討から始めてみたい。表2は、主著の第1部の目 次である。  手紙1~10との対応関係を単純に追ってみたい。手紙1 では姿勢手の形や打鍵、音符の学習法など取り扱われてい たが、主著1部の1~6章がそれにあたるといってよいだ ろう。手紙2で取り扱われる、打鍵法、指の交差、音階練 習は主著第1部でいう7, 8章がそれに該当する。手紙3 ではテンポや拍子、指使いについて書かれている。指使い については主著の中ではそれ以前の教程の続きであると言 えるが、テンポや拍子については、音符の長さ(音価)が その基礎になっていることを含めれば、おおむね主著第1 部9~13、15章に該当すると言える。手紙4の表現に関す る記号と、トリルを中心とした装飾音は、主著第1部の16 ~18章がそれに該当する。手紙5の内容はすべての調性に おける練習であったが、まさに主著における19がそれに該 当している。 章 第  1  部 1 姿勢と手の形について、鍵盤について 2 指の練習と打鍵の規則 3 音符について、高音部記号について 4 指の練習 5 低音部記号について 6 変位記号について 7 親指の使用法と交差 8 音階練習 9 音価と3連符、6連符 10 音価について、付点について 11 3連符系と2連符系の音符の整合性について 12 拍子について 13 ビートとテンポの正確な保持について 14 繰り返し記号などその他の記号について 15 テンポとその記号の一覧 16 装飾音とその記号について 17 トリルについて 18 表現にかかわる記号について(レガート、スタッカート) 19 24 の調性について・難しい調の練習 表2:『完全なる理論的実践的ピアノ教本』第1部

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小 野 亮 祐  手紙5までに対して、手紙6以降の内容については、第 1部の中には見られない。手紙6の内容については、演奏 についてと題された主著第3部の中には、「様々な作曲家 と作品の特殊な演奏法」と題された章があり、そこには手 紙6にあげられた作曲家が年代順に挙げられ、それぞれの 演奏法と楽曲の特質が説明されている。同様に手紙6に取 り上げられていた厳格方式に楽曲についても、同第3部の 12章に書かれている。また、手紙7~9の通奏低音は主著 の中では取り扱われていない。しかし、前述のようにチェ ルニー自身が改訂した教本においては取り扱いがあった。 手紙10の即興演奏については主著第3部の19章に同様の題 目の部分が設定されている。  以上から、手紙1~5まではほぼ第1部の内容をほぼ網 羅していると言える。しかもその順番は、両者とも一致し ている。また、手紙の中からはそれぞれの習得期間が記さ れていたが、これは同時に主著のそれぞれの項目の学習期 間の参考ともなっていよう。  これらのことから、本小論では以下のことが指摘されう る。初歩の各教程内容の順番が主著の順番と一致している おり、チェルニーの意図として主著のうち少なくとも第1 部については初めから順にたどって習得することが狙われ ていること、それぞれの習得にかけるべき期間が、チェル ニーの意図として具体的に知ることができること、主著に は掲載されていないが通奏低音の習得は当時でも重要視さ れるべきだとチェルニーは考えていたことの3点である。  今回の検討は非常に大まかなものであったが、さらに細 かい内容の検討や他の教本との比較検討も行いたいと考え ている。これについては他日を期したい。 注) i

たとえば、Die Schule des Legato und Staccato op.335, Leipzig und Linz, o.J.(『レガートとスタッカートの 練習』作品335) ii ただし実際に参照したのは、ヨーロッパの図書館が共同 で行っているデータベースプロジェクトHofmeister XIX(http://www.hofmeister.rhul.ac.uk)である。こ のプロジェクトでは、ホフマイスターカタログをデー タ化し、ウェブ上で公開している。 iii

ロンドン版では、On Expression, and Graces or Embellishments(表現ならびに装飾音について)と なっている。日本語版も同様である。 引用文献(本文中に詳細のないもの) 岡田暁生2008『ピアニストになりたい』春秋社 小野亮祐2010『近世ドイツにおける鍵盤楽器教授の史的展 開』(広島大学博士学位請求論文) 東川清一編訳2003『音楽家の自叙伝』春秋社

MGG:Die Musik in Geschichte und Gegenwart.

Ba・・renreiter , Metzler 1994-2008 2., neubearbeitete

参照

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