― ルーシー・スノウの語 りと沈黙 ―
岩 上 は る子
(昭不B63年6月27日受刷
l― l
『ヴ ィレ ッ ト』の主題
ル ーンー・ ス ノ ウにみ る愛 の困難
シャー ロッ ト・ ブロンテ(ChaHotte Brontざ,1816-55)の最後の長編小説 『 ヴ ィレッ ト』(y】Jル
"2,
1853年 出版
)を
読んで まず浮 かんで くるのは,
これ までの作品の ように主人公ル ー シー・ スノウ(Lucy Snowe)と ポール ・エマニ ュエル (Paul EmanueDの 愛 を
,結
婚で締 め くくらなか ったのは,い ったいなぜか とい う疑間で あ る。 『 ジェイン・エア』(デαη9 E)γ
9,1848)で
は,シ
ャー ロッ トは強引 なまでの筋運 びに よって,ジ
ェインとロチ ェスターを結 びつ け,愛
は結婚 に よって成就す るとい う信念 を貫ぬ いてい る。Q)物 語 はふ た りの出会 いには じま り,か
れ らがい くつかの障害 をの りこえて,最
終的 には結婚 にゴー ル インす るとい う明快で直線的 な筋 をた どる。作者 も主人公 も結婚の意味 に拘泥す ることな くゴ ール をめざ して まっ しぐらに突 きすすむ感がある。結婚のハ ッピー・エ ンデ ィングなど欺睛であ って,作
品全体が愛 その ものへの風刺 になってい るとい うケイ ト・ ミレッ トの皮 肉な指摘 も,(2) 『ジェイ ン・エア』 に関 して いえば筆者 には懐疑的 な現代人の勘 ぐりとしかみ えない。 この作品 では愛 あるいは結婚 にたいす る信念 は神への信仰 を背景 に してお り,そ
れ は疑 間 をさしは さむ余 地のない言わば絶対命題 にな ってい るので ある。 『 ヴィレッ ト』 はそれ ほ ど明確 な愛 の論理 に よって貫ぬかれて はいない。少 な くとも ヒロイン が愛 をみの らせてい く過程 を期待 して読 むな らば,遅
々≧して進 まない筋 にい らだちをおぼえ, 曖味 な結末 に失望 させ られ るこ とになろ う。作 品の三分 の二 ちか くは,ル
ー シーが ジ ョン・ グレ アム(JOhn Graham)へ の報 われ ない愛 に快悩す る姿 を描 くことにつ いや され,ポ
ール との愛 の進 展 に焦点があて られ るのは,最
後の第三巻 目に入 ってか らなので ある。 しか もポール との結婚 は 成立 しない。『 ヴィレッ ト』 にあ るのは恋愛賛美 あ るいは結婚成就 の物 語 で はな く,む
しろ愛 の 困難 と結婚の不可能性 を語 った物語で あ り,あ
る意味では『ジェィン・ エア』 以上 に フェ ミニ ス卜的 な作品 といえよ う。 なぜ な らジェインの困難 は ヴィク トリア朝社会 にあって愛 による結婚 を 実現 してい くときの障害で あ ったのに対 し
,ル
ー シーのそれ は愛 その ものを抑圧 し理想の結婚 を 放棄 しなければな らない女性 の状況 を映 しだす ことになってい るか らで あ る。 ル ーシー・スノウの孤独 な生 『 ヴィレッ ト』 の主人公ル ー シー・ スノウは社会的にはまった く無力 な女性である。かの女 は 美貌 に恵 まれず家柄 も資産 もな く,両
親 も友 もな く,健
康 にさえ恵 まれ ていない。 シャー ロッ ト が創 りだ した女性主人公の なかで も,ル
ーシーほ どすべて を景!奪され てい る人物 はほかに見 あた らない。かの女 は ヴィク トリア朝社会が理想 とした女性像のお よそ対極 にあって,ひ
と りで生 き 抜かなければな らない状況 におかれてい る。 しか もル ーシーにはジェインの ように自己を主張す る場 も機会 も与 え られていない。ル ーシーの人生 はみずか ら積極的に選 び とるものではな くして, ほか に選択の余地のない運命 を黙 々と受 けいれてい く受身 な形で描かれてい る。 シャー ロッ トが主人公 をこれ ほ どの社会的弱者 として位置づ けた意図は何であったのだろ うか。 物語 の結果 だけをみれ ば,一
文無 しの孤児 にす ぎなか った主人公 が最終 的 には学校経営者 とし ての地位 と自立 を手 にいれ て お り,そ
こに弱 々しい外見 とはちが ったル ー シーの したたか さを 見 るお もいがす る。女性 の弱 さを隠れ みのに して男性社会 を生 きのびてい るといった指摘す らあ るざのた しかにル ーシーはいつ も運命 を耐 えしのぶ姿で描かれ なが ら,そ
の じつす こしも自分 の 本質 を変 えてはいない。 だが それで も『 ヴィレッ ト』 を,女
性主人公が男性社会 にあって 自立 を めざ し達成 した物語 として読 む ことには,依
然 として無理がある。 なぜ な らすで にみた よ うに, ル ーシ=は
明確 な意志 と主張 をもって社会 の不合理 とたたかい勝 ちぬいてい く人物 として設定 さ れていないか らである。 『 ヴィレッ ト』 は自活 をもとめ る主人公 を設定 しなが らも,実
際 には満 た され ない愛 への欲求 に苦 しむ主人公の姿 を描 きだ している。ル ーシーは教師 とい う仕事への満足感や充実感はほとん ど語 っていない。彼女 の関心 の多 くは,閉
ざ され た寄宿学校 で織 りなされ る男女 の恋愛槙様 にむ け られている。ル ー シーが求 めていたものが仕事や 自立 とい う以上 に男性 の愛であったことは明 白で ある。(4)シ ャ_ロ
ッ トは社会的弱者 としての主人公ル ー シー・ スノウをつ くりだ したが,彼
女 の弱 さ(vuinerVabl■y)は,た
ん にその社会的 な位置づ けにのみ あ るわ けで はない。む しろ彼女 がだれ に も愛 され ない択独 な存在であることに,
よ り大 きな原因が ある と思 われ る。ル ーシーの 孤独 はた とえ仕事 をえて独 り立 ち しようとも,愛
をえ られ ないか ぎ り癒や され ることはない。 こ こに『 ヴィレッ ト』の提示す る問題の本質があるといえる。 本稿 ではルー シー・ スノウの矛盾や葛藤 にみちた内面世界 をた ど り,そ
の孤独 な生 の相貌 を うきば りに した うえで
,結
末の曖味性が もつ意味 を考察 してみたい。 口 鏡 と庭 の象 徴 に み る ル ー シ ー ・ ス ノ ウ の心 理 鏡 の像 をめ ぐるル ーシ ーの 自己認 識 冒頭 でル ーシー・ スノウは名付 け親 の ブレ トン家(Breton)に滞在す る14歳 の少女 として登場す る。彼女 は家庭 での存在感 は うす く,部
屋 の片隅 にあって家人 の動 きをだまって見つ め る観察者 として位置づ け られてい る。は じめの3章
では主役 はポー リナ・ホーム(POulina HOme)と ジ ョン か と見 まちが えるほ どに,ル
ーシーは前面 にで ない。だが これ によって物語は明確 に性格づ け ら れ る。す なわち この作品の中心 は行動 にあるので はな く,そ
の行動 を見つめ る視点 にあ ることが 示 され るのであ る。 ブレ トンでのル ーシーは周囲の人間たちよ リー歩 さが った地点か らかれ らの行動 を眺めている。 そ こには距離 をた もち冷やか さを装 った視点が あるが, じつ はル ニ シーは眼の前 の光景 にほかの だれ よ りも感情移入 を してい るので ある。ポー リナの父 と離別す る悲 しみ,気
ま ぐれ な ジ ョンヘ の思慕 に くるしむ切 なさ,そ
してそれ を じっと耐 えようとす る健気 さはル ー シーにひ しひ しと伝 わ って くる。た とえ表面的 には冷淡であ った として も,ふ
た りが ともに傷つ きやすい感受性 の も ち主で あることは十分 に察せ られ る。 ここでル ー シーは見 るとい う行為 を とうして 自分 自身 を雄 弁 に語 っているので ある。 「見 る」 ことは「見 られ る」 ことで もある。ル ー シーは周囲を見つめなが ら,同
時 に見 つ め ら れ ることを期待 してい る。ルーシーが意中の人 ジョンに熱 い視線 を注 ぐのは,同
じよ うにかれ の 視線 を浴 びたいか らで ある。 まだたが いの関係 を知 らなか った ころに,ジ
ョン医師 に グ レア ムの 面影 をみたル ーシーがその横顔 に見 とれ る場面 が第10章 にあ る。 ジョンがその視線 に気づ いたの は,窓
際 にか け られ た鏡 にル ー シーの姿が映 って いたか らで ある。ル ーシーは自分 の視線が思い が けず ジ ョンに気づかれ た ことに慌て るが,そ
れが鏡 による間接的 なものであった こ とを知 って ほっ とす る。す なわち「……それが窓際 の くぼみ にか け られ た曇 りない小 さな精 円形 の鏡 に映 っ たわた しの動 きを見 たため とわか って,わ
た しは ようや くいつ もの落着 きを と りもどした」(5)と 書かれ てい る。ル ーシーの この悲 しい安堵感 はふ た りの視線が交錯す ることはけ して ない,つ
ま りふ た りの恋が成就 しない とい う予感がすで にル ー シーにあった ことを物語 っている。報 われ な い恋 に終 ることを知 っているか らこそ,ル
ー シーは遠 くか らジ ョンを見つめるだけで 自分 を慰 め ようとす るので ある。 事実ル ー シーは ジ ョンに とって は終始 「気 にな らない影」 の ような存在で しかなか った。ル ーシーの姿 がかれ の眼 には映 らないので ある。そ こに映 るのは華やかで妖艶なジネ ヴラ・フ ァンシ ョー(Ginevra Fanshawe)の 姿である。第14章の祝祭 の舞踏会 のあ とで
,
ジネ ヴラ とル ー シーは鏡 の前 にな らんで立 ち,そ
こに映 しだ され たたがいの容姿 を見 くらべ る。家柄 ・財産 ・美貌 にめ ぐ まれた ジネ ヴラは、 ジ ョンばか りで な く貴族 ド・ハマル にe HamЛ )の熱 い視線 に虚栄心 を くす ぐ られ,そ
れ らすべて を欠 いてい るル ー シーをあざけってい う。 「 どうせたい した家柄 じゃないんで しょ。 ヴィレッ トに来 たばか りの ころは,子
守 りなん か していたんです ものね。親成 もない し,23歳
といえば若 い とはいえない し,お
まけにあ なたには人 を惹 きつ ける美 しささえもないんだわ。」 (第14章,215ペ
ージ) ふた りの まえの鏡 は美 し く着飾 うた ジネ ヴラの外見 を映 しだ して も,か
の女の軽薄で思 いや りに 欠ける空 ろな内面 は映 さない。ル ー シーの地味 な外見 に包 まれ たゆたか な知性や感性 も,そ
こに は映 らない。だがふた りが生 きてい る社会ではその人の真実の姿 よ りも,鏡
に映 る姿 す なわ ち他 人の眼 に映 る姿の方が重要 なので ある。「頭 がいいか悪 いか なんて い うのは,あ
なた くらい な も の よ」(同章,216ペ
ージ)と
い うジネ ヴラの言葉 には否みがたい真実が ある。 概 してル ー シーは鏡のなかの 自分 を嫌 ってい る。 それがかの女 の内面 を映 して くれ ないか らで ある。 この点 につ いてケ イ ト・ ミレッ トはつ ぎの ように述べてい る。 ル ー シーの生 まれついた環境では,人
為的 な美 の基準 に基づ いて,死
活 にかか わ る判定が 下 され るため,彼
女 は鏡強迫症 に取 りつかれ,鏡
を見 るたびに 自分 の存在 を否定す る 一 自分 が鏡 に映 らないのだ。 これ は文学 に現 われ た劣等感 の もっ とも興味深 い事例 の一 つで, ル ーシーは外面的 自己を軽蔑 し,
自己嫌悪 に よってのみ内面的 自己 を確立で きるのだ。(6) シャー ロッ トが 自分 の容姿 について強い劣等感 をいだいていた ことはよ く知 られてい る。かの女 のえが く女性主人公た ちが多かれ少 なかれ その劣等感 を共有 してい ることに気づか され る。 ケイ ト・ ミレッ トはさ らにこうした劣等感が生 まれ るのは,い
か に否定 しようとも作者 あ るいは主人 公の心 の どこかに、女性 の外見的 な美 しさをみ とめ愛す る気持があるか らだ と主張す る。 ジネ ヴ ラに対す るル ー シーのア ン ビヴァレン トな感情 がそれ を裏づ けるとい うわけであ る。 美人で ない とい う点で は ジェインも同様 であ る。 しか しジェインはた とえ他人の眼 には どう映 ろうとも,恋
人 ロチ ェスターの限 には自分 がほかの どんな女性 よ りも美 しく魅力的 に映 ることを 知 ってい る。 それ ゆえに ジェインは美貌 の イングラム嬢 にたい して も劣等感 をいだか ないので あ る。だがル ーシーには ロチ ェスターがいない。 したが ってル ー シーの劣等感 はケイ ト・ ミレッ トが考 えるように ジネ ヴラの美 に屈伏 して とい うので はな く
,見
映 えの しない容姿や貧 弱な体格 と い う以上 に,だ
れの眼 にもとま らない,だ
れ に も愛 されていないル ー シーの不安 と孤独 とに由来 す るもの と考 え られ るざ この ことを端的 に示 してい るのが第20章 の コンサー トのエ ピソー ドである。 ブレ トン母子 に連 れ られ ては じめて コンサー トに出か けたル ー シーは,会
場 の入 日正面 にか け られ た鏡が映 しだす 着飾 った3人
連れ を,は
じめ 自分 た ち―行 とは気がつか ない。やがて ピンクの ドレスを着 た女性 が 自分 で あることに気づ いて,彼
女 は こう思 う。 こうしてわた しは生涯で は じめて,た
ぶん この時か ぎ りだ ろ うと思 うが,他
人 の限 に映 る 自分 自身の姿 をみ る「恩恵」 に浴 したのだ った。結果 につ いては考 えるまで もなか った。 一人だけ場 ちがいな感 じが して,後
悔 の念 におそわれ た。 それ はあま り満足 のい くもので はなか った。だがそれで も結局 の ところまあまあ とい うべ きで あろ う。 もっとひ ど く見 え たのか もしれ ないのだか ら。(第20章,286ペ
ー ジ,傍
点筆者) ル ー シーは生 まれて は じめて派手 な ドレスに身 を包んだ 自分 の姿 を皮肉な 目で眺 めているが,そ
れで も内心では納得 していることが察せ られ る。そ してなによ り重要 なのは,こ
こで は じめてル ーシーは鏡 のなかの 自分 をみつめ、それ を自分 自身 として認めている点である。それ までのかの 女 はいつ も鏡 に映 る姿 を虚像 としか考 えず,
自分 の映像 を否定 しつづ けている。 この変化 をもた らした背景 として,た
とえ医者の立場 か らで あ るにせ よ,ジ
ョンが ようや く彼女 に関心 をもって くれ た とい う思いがル ー シーにあることを指摘 しておか なけれ ばな らない。 この コンサー ト会場 での ジネ ヴラの傲慢 な態度 によって,ジ
ョンが ジネ ヴラヘの迷夢か ら醒め るのは偶然 で はない。 しか し結局,
ジョンの視線がル ー シーに向か うことはない。やがてポー リナがふたたび現われ てかれ の心 を とらえる と,ル
ー シーはまた も との 「影」 の ような存在 にもどって しま う。ル ーシ ーは どん なに ジョンの近 くにあって も,か
れ の視界 にはい ることはない。それ にたい して ポール はたえずル ー シーをその視界のなか に とらえてい ることがわか る。隣接す る男子校 の窓か ら内庭 にたたずむル ー シーを見つめた り,か
の女 の部屋 に侵入 して持物 を しらべた りす るポール は,あ
る意味ではル ーシーを軟禁 している とさえいえよう。だが こうしたポールの干渉 と束縛 とが、か えって駅独でだれ にも構 われ ることのなか ったル ー シーの 自己認識 をもた らす ことにな る。物語 もおわ りに近 い第41章 で ポールの愛 を確認 したル ー シーは,こ
だわ りを捨て 自分 の容姿 につ いて ポールの感想 を間 うまでになる。 この場面 をギルバー ト&グ
ーバ ーは,鏡
をまえに したル ー シー の一連 の 自己認識過程 の クライマ ックスとして とらえてい る。 そ して 「こうして鏡 に映 る姿 を他 人の眼 に映 る対象 として見 ないで,自
分 として見つめ ることに よって,彼
女 は外見上 の姿 と自分の真の人格 とを同一視で きるようになった∫7)と結論 してい る。 鏡 はルネサ ンス以来 さまざまな象徴性 をおび
,
ときには人や物 の姿 をデ フォル メし,ま
た とき には実体 を リア リステ ィックに映 しだす もので あ った。 ここではさらに自己認識 の道具 として用 い られている。ル ーシーは鏡がいかに人間の うわべの姿 しか映 しださず,そ
れが内面 の真 実 と異 なっているか にこだわ りつづ け,鏡
のなかの 自分 を自己 自身 として認 め ようとしなか った。だが その鏡像 に愛 の眼 ざ しを注 ぐポールが現 われ た とき,ル
ー シーはは じめてそれ を自分 の本 当の姿 として認 め ることがで きるのである。ル ーシーの 自己認識 はポールの愛 によって成 され たのであ る。 庭 に展開 され るル ーシーの性心 理 『 ジェイン・エア』 につづいて『 ヴィレッ ト』 において も,庭
は重要 な役割 をになわ され てい る。ル ー シーが教師 をつ とめるベ ック塾 はかつて女子修道院で あ り,そ
こには「囲い こまれ,木
が植 え られ た」 中庭 があ る。遠 い中世 のむか しに貞潔 の誓 いをやぶ った尼僧が生 きなが らに して その庭 に葬 られ た とい ういい伝 えがあ り,今
もなおベ ール をかぶ った尼僧 の亡霊 が出没す る と噂 されて いる。生徒 も教師 もあま り寄 りつかず,油
断の ないベ ック校長の監視の眼 もここまで は届 かない。 このいわば禁断の庭 に,ル
ーシーは しば しば憩いをもとめる。一 日の授業 がおわ って庭 をひ と り散策す るとき,ル
ー シーは地味で 日立 たない英語教師 とい う仮面 を脱 ぎすて,内
にひめ た情熱 を解 き放つので ある。 『 ヴィレッ ト』第12章 にみ られ る庭 の情景描写 は,『ジェィン・エア』第23章 のそれ と酷似 し, ともに「露 にぬれ た」「月の光 を浴 びて」「熟れ た果 実」「花 の香 りのただ よう」 とい った表現 に よってエ ロテ ィックな雰 囲気 をか も しだ して い る。『 ヴィレッ ト』 の性的比喩 は これ に とどま ら ない。 この官能の庭でル ーシーは「昇 りくる月 と逢 びきし」「夕暮れのそよ風 に日づ け し」「重 た げにか らみあ う」つた とジャス ミンのつ るに見 い るので ある。 ここに男女が睦みあ う情景が重ね あわ されていることはい うまで もない。そのル ーシーの秘 めた願望 を見透か したかの ように,
ジ ネ ヴラ宛ての恋文が降 って きてル ー シーがそれ を読 む ことになる。そ してその手紙 をお って中庭 に侵入 して くるジ ョンの姿 にも性的 イメージが重ね られ る。 かれ は右 そ して左 と目を配 りなが らや って きた 一 繁みの陰 に見 えな くなった り,花
を踏 み しだいた り,刀ヽ枝 を折 った りしなが ら探 し物 をお って ―― とうとう「禁断の珂ヽ径」 にま で突 きすすんだ (第12章,180ペ
ージ,傍
点筆者)ここにあるのは明 らかに陵犀のイメージである。一般 に閉ざされた庭 は女性 の貞操の暗Hleでもあ る。そ してそ こは往 々に して男性か らの性的脅威 にさらされ る。ベ ック塾の中庭 も学外者 には禁 断のはずが
,隣
接す る男子校 か らは しば しば侵 入 を うける傷 つ け られやすい(vulneraЫe)場所 に なっている。(3)こ こで は誘惑 がい っそ う隠微 なかたちで行 なわれ るのである。 『 ジェイン・ エア』 も Fヴィレッ ト』 も ともに恋愛小説で あ りなが ら,そ
こに描かれ る愛 のか たちは対照的 ともい える。 ジェインとロチェスターはたがいに向かいあい、激 しく恋を燃 えあが らせ るが,ル
ー シーは一度 もジョンに振 りむかれ ないまま燃焼す ることのない情熱 を くすが らせ る。共通 して設定 されてい る庭 も『 ジェイン・エア』で は愛 の告 白の舞台になるのに対 し,『ヴ ィレッ ト』で は愛 の抑圧 の場面 になって い る。ル ーシーはジ ョンヘの思 いを断 ち切 るために,か
れか らの手紙 をそ こに埋 め るので ある(第26章)。「埋 め る」 とい う行為 に「抑圧」が象徴 されて いることはい うまで もない。 ジェインの情熱 は解放 され るが,ル
ー シーのそれ は吐け口も見 いだ せないままに内向す る。 「埋 め られ た情熱」 こそル ー シー と尼僧の亡霊 をむすぶ共通頂 といえる。ル ーシーが最初 に亡 霊 をみ るのは待 ち こがれ た ジ ョンの手紙 を屋根裏部屋で読 もうとした とき (第22章),つ
ぎが ワ シテ(Vashti)の舞 台を見 にい くとき (第23章),さ
らに前述の手紙 を埋 めた ときで ある。いずれ も ルー シーが理性 をうしない感情 をたかぶ らせている場面であることは,指
摘 をまつ まで もない。 診察 にあた った ジ ョンは同時 にこの診断 によって,か
れ の感受性 あるいは想像力の限界 を示す こ とになる。そのかれ とは対照的に,ポ
ール はル ー シー とともに中庭で亡霊 を 目撃す るのである。 第31章 の この場面 は物語が クライマ ックスか らア ンテ ィ・ クライマ ックスに移行す る転換点 と考 えられ る。 これ を境 にル ー シーは ジ ョンヘの迷夢か らさめて急速 にポールヘ と傾 いてい く。物語 の流れが停止す るのが ゼ ロ点で あるとすれば,登
場人物 のなかで ゼ ロ点 に相 当す る役割 をふ りあ て られてい るのが尼僧 の亡霊である。 尼僧 の亡霊 は,そ
れ を 目撃す るル ー シー とポール にふ た りの親近性 (『ジェイ ン・ エア』 にお けると同様 ここで もrapportあ るいはamnityの語が もちい られ てい る)を
確認 させ る働 きをはた すが,最
終的 にはそのか ら くりが 明か され る。ル ーシーはなん どか亡霊 に出 くわす うちに,徐
々 にその姿 を直視す るよ うになる。は じめは「抑圧 された情熱」 とい う象徴性 をおびていた亡霊が, しだいにその まが まが しさを失 って,悪
ふ ざけめいた「 もの」 の正体 をあ らわす ようにな り,つ
いには寝台の うえに転が った「で く人形」 として発見 され る。 この過程 を精神分析的にみるなら ば,尼
僧の亡霊 とは「イ ド」 す なわ ち精神 の奥底 にひそむ本能の源泉であ り,ル
ーシーを無意識 の うちに「 リビ ドー」 の欲求満足へ と走 らせ るもの といえる。ル ー シーは亡霊 にであ うことで非 道徳的・非論理的 なイ ドの解放 を体験 しているわけだが,い
ま亡霊 の実体 を見 す えることによっ て 自分 の うちに抑圧 され ていた性本能 を意識化す ることになるのである。だが亡霊の仕か けは解 きあか されて も
,物
語の ゴ シック性 が完全 に排 除 され たわけではない。 大団円も近 い第38,39章
でベ ック夫人 に睡眠薬 を飲 まされ たル ーシーがか えって神経 をたかぶ ら せ,祭
でにぎわ うヴィレッ トの夜の街 をさまよう場面で は,夢
とも現実 ともつか ない超 自然 の世 界が現出す る。ル ー シーの視界 は極端 にせばめ られ,外
界 は グ ロテ スクにゆがんで映 しだ され る。 それがまるでアヘ ン服用者 の幻覚の世界 を思 わせ るのは,(の理性的 な意識 の世界が半転 して,そ
れ まで抑圧 されていた性本能が歯 どめを失 って あふれだす感 があるか らである。長 い孤独 な休暇 中に神経 を病んだ とき (第15章)に
も,ル
ー シーはやは り似 た ような症状 を呈 して街 をさまよ う。 ロバー ト・ハ イル マ ンは こ うした人間の魂の奥底にひそむ情念の世界 こそゴシックの新 しい領域 であるとし,亡
霊 の出現 とい った神秘的 な事件 を描 く伝統的 なゴ シック と区別 して い るざi°)シ ャ ー ロッ トはゴシック物語 とい う仕か けを用 いなが ら,そ
こにル ー シーの複雑 きわ ま りない心理 を 描 きだ してい るので ある。 女性の性的情熱 は,
ヴ ィク トリア朝社会が もっ とも認 めたが らない もののひ とつで あった。そ れ は シャーロッ トの作 品が出 るたびに浴びせ られ た道徳的非難 をみ るまで もない。だがその情熱 の抑圧が多 くの女性 たちを精神的危機 に追 いや ったの も事実で ある。女性 の精神病理 を社会的 コ ンテ クス トのなかで論 じた イ レーヌ・ シ ョウワル ターは,1側
卦己中葉 か ら世糸己末 にか けて女性 の 精神病患者が急増 した こ とを報告 してい る。 そ してその原因 として女性 たちのおかれ た閉塞状況, 独身女性 の孤独,社
会 における無力感 な どをあげている。(11)ルー シーの神経症 はその孤立 した状 況 一 家族 も恋人 もな く,だ
れか らも構 われず,社
会的 にも意味 のない存在 ― が もた らす もの であ り,そ
れ はル ー シーだ けの特殊 な状況で はな くして,お
お くの独身女性 たちを と りか こむご く一般的 な状況であった。『 ジェイン・エア』 で はバ ーサに仮託 され最終的 には切 りすて られ た 情熱 の世界が,『ヴィレッ ト』 で はル ー シーの病 め る心理 として凝視 さ.れ記録 され て い る。 シャ ー ロッ トは神経症 に苦 しむル ーシーの生 を とうして,
ヴィク トリア朝 の独身女性 たちがおかれ た 孤独 な閉塞状況が もた らす精神的危機 を描 いてみせたので ある。 そ してそれ は シャー ロッ ト自身 をむ しばむ問題 で もあった。『 ヴィレッ ト』執筆 中の1853年 の夏 に,
シャー ロッ トは幼 な友達 の エ レン・ナ ッシー (Elen Nussey)に あてて次の ような手紙 を書 きお くっている。 ときどきわた しの心 を しめつ ける苦 しみは,わ
た しが独身女で あ り,今
後 も独身で あ りつ づ けるだ ろ うとい うことよ りも,わ
た しが孤独 な女で あ り,今
後 も孤独で あるだ ろ うとい う状況 に由来す るのです。 しか しそれ は仕方 のない ことなので,否
応 な く耐 えなけれ ばならず,し かもできるだけ黙って耐えていかなければならないのです。
(1853年 8月25日付
け )(12)ルーシーそして シャーロッ トをときに精神錯乱にまでおいやったものは孤独であった。そしてそ の孤独の根底にあるのは
,い
うまでもな く愛への飢渇である。満たされない愛への欲求に苦 しむ 女性の姿が主人公ルーシー・スノウのなかに赤裸 々に描 きだされているがゆえに,『ヴィレッ ト』 はシャーロッ ト・ ブロンテの作品のなかでもっとも人の心をうち, しかももっとも恐ろしい作品 となっているのである。 (到ルーシー・スノウの語 りと沈黙
沈黙 の語 る もの 一般 に作品 は語 られ るこ とと語 られ ない ことのふたつの部分か ら成 りた っている。ひ とつの完 結 した作 品 をかた ちづ くることによって,そ
こか らは語 られ ない何かがつF除され る。だが語 られ た作 品 を考察す るためには,こ
の語 られ なか った外部,い
わば不在のテ クス トを も考察 の対象 に 入れ なけれ ばな らない。 日記や 自伝 を考 えれば,そ
こに何が書かれてい るか も重要 だが,何
が書 かれ ていないか もそれ と同 じ くらい重要 なことに気づ くはずである。空 白は空無ではな くして, そ こにあ る意味が こめ られ てい る。書かれていないのは何か,ま
たなぜ省略 したのか とい う理 由 を考 える意味が そ こにある。 『 ヴィレッ ト』 は主人公ル ー シー・ スノウが 「わた し」 としてみずか らの半生 を回想 して語 る一 人称小説 である。 その語 りの不 明瞭 さを指摘す る声はおお く,信
頼 で きない語 り手(an unrehaЫ e narratOr)と 決 めつ け られて さえい る。彼女 の語 りには省略や,歪
曲や,隠
蔽 が あ ることは事実で ある。 だが ここで考 えてみたいの は,ル
ー シーが信頼 に足 る人物であるか否かな どの点ではな く, そ うした語 り手 を設定 した作者の意図で ある。い うまで もないことだが,語
りのひずみ を読者 に 感 じさせ ること自体 が,作
者 の計算 なので あ る。 あえて語 らない ことによって もっとも多 くを語 っている例が第4章
にみ られ る。 ブレ トン家 を 舞台に したは じめの3章
がおわ る と,一
挙 に8年
の歳月が流れ,身
寄 りのな くな ったル ー シーは 自活 しなければ な らない境遇 にお ちてい る。 この少女時代の8年
間の生活 につ いての説 明が,つ
ぎにみ るよ うに航海 の生し喩 をま じえた きわめて曖昧 な語 りなのである。 わた しは半年ぶ りに我家へ もど りま した。身内の もとに帰れたのだか ら当然 よろこんだも の とお考 えになるで しょう。 まあそ うい うことに してお きます !好意的 な推測 な ら害 をな すわ けで はないので,わ
ざわ ざ打 ち消す こともあ りません。 とんで もないな どといわない で,読
者の皆 さまには,そ
の後 の8年
間 をわた しが鏡 の ように静かで穏 や か な天候 のなかで ま どろむ帆 柱 の よ うに
,あ
るい はイヽさな 甲板 に長 々 と寝 そべ って陽 を あお ぎ眼 を とじて, あ るい は また長 いお祈 りにふ け る舵 手 の よ うに過 ご した と思 って いた だ いて構 い ませ ん。 女性 はみ なそ うして人 生 を過 ごす べ きもの と思 われ て い るのですか ら,わ
た しもみ な と同 じで あ って い けない こ とは ない はず です。(第4章 ,94ペ
ー ジ) 読者 はル ー シーの少女時代 を信 じたい ように 一 なんの苦労 もな く平和 で満 ちた りた 日々で あっ たかの ように 一― 信 じた らよい,と
語 り手 はい ってい るわけで ある。だがその語 りの裏 には,ル
ーシーがひ とかたな らぬ苦労 を味わった ことを推察 させ るものがある。彼女の人生が順風満帆 と はほ ど遠 い苦難 の連続で あった ことは,つ
づ くパ ラグラフにみ られ る嵐や難破 の比喩か らも うか がわれ る。 女 の子 は苦労知 らずで育つのが理想 とい う世間一般 の考 え方 を,語
り手 はあえて否定 しない。 その理想か ら大 き くはずれたル ー シーの人生 ― 読者が 目を向けたが らない現実 ― については 何 ひ とつ具体的 に語 っていない。だが読者が知 りたが らない ことはあえて耳 にいれ まい とい う語 り手 の 目は,ル
ー シーの ような立場 におかれ た多 くの女性がいるとい う現実 を見 よ うとしない読 者の姿 を見す えて いる。そ して語 り手 は沈黙す ることに よって,自
己偽購的 な理想 に安住 しよう とす る読者 を風刺 しているのであ る。(13) 少女時代 についての沈黙 にはつ よい メッセー ジが こめ られ ていたのに対 し,こ
れか ら論 じるジ ョンについての沈黙 にはよ り隠微 な ものが ある。読者が もっ ともわか りず らいのは,ル
ー シーの ジョンにたいす る思 い ―― それがいつ ごろか ら始 ま り,ど
うい う性格 の もので あ ったか ―― で あ る。 ジ ョンの こととなるとル ー シーは極端 に寡黙 になる。そのため第16章 になってか ら,ベ
ック 塾の校 医が ブ レ トン時代の ジ ョンその人で あることを突然 に知 らされ た とき,読
者 はなにか しら 裏切 られ た とい う思 いに とらわれ る。ル ー シー 自身 はすで に第12章で,ふ
た りが 同一人物 で ある ことに気づいていなが ら,そ
れ を読者 には伏せていたので あ る。 なぜ ?と い う読者 の詰間 を見 こ したかの ように,ル
ーシーはつ ぎの ように語 っている。 その ことにつ いて何かい うこと,自
分 の発見 をほのめかす ようなことは,わ
た しの ものの 考 え方 には合 いません し,ま
た気持 ちにも しっ くりきません。む しろ この こ とは 自分 の胸 にお さめてお きたい と思 ったのです。わた しは見 とうされ ることのない雲 に包 まれ たまま で,そ
のわた しの前 に一段 とまばゆい光 に照 らされたかれが立 ち,光
はかれ の頭上 にだけ 輝 き,足
も とにたゆたい,辺
りの もの は照 らさない,
とい うのが よいのです。(第16章, 248ペ ー ジ)ル ーシーが隠 してい るのは ジ ョンの身元ばか りではない。 これ以外 にもヴィレッ トに到着 した晩 に
,途
方 に くれ てい る彼女 に声 をか けて くれた紳士 がかれで あ った こと,ベ
ック塾の校 医 にな り なが らその性 を示 さない こ と、 またかれか らの手紙 の内容 を明か さない ことなど,明
らか にル ー シーの隠そ うとす る作意が感 じられ る。かの女 は ジョンについては不 自然 なまでに日を開ざ して いる。だが ジョンに結びつ く手がか りをあ くまで伏せてお こうとす るル ーシーの意識 は,か
えっ てかれへの断 ち きれ ない思 い を物語 ることにな る。問題 はル ー シーがそ うまで して ジョンヘの思 いを抑圧 しようとす る,そ
の理 由で ある。 そ してそれ はかの女 のつ ぎの言葉 に読み とることがで きる。 仮 にかれ の前 に進 みでて,「わた しです,ル
ー シー・ スノウです !」 と叫んでみた ところ で,か
れ には男U段どうとい うこともなか っただ ろ うと,わ
た しにはわか っていま した。そ れ でわた しはただの教師 としてひ っこんでいたのです。かれ はわた しの名前 などたずね ま せんで した し,
したが って こち らか ら名乗 るよ うな こともなか ったのです。(同ペ ー ジ) ル ーシーはおそ ら く少女の ころか らジョンにたい して特別 な思 いを抱 きなが ら,そ
れ をひ と り胸 にひめて語 ろ うとしない。それ はこの恋がけ して報われ ないだろ うことを,だ
れ よ りもル ー シー 自身がいちばん よ く知 ってい るか らである。恋の不可能性 を知 るがゆえに,ル
ーシーはその思 い を読者 にも,そ
して 自分 自身 に さえも認 め まい とす る。かの女の沈黙 は,絶
対 に成就す ることの ない恋 と知 りなが ら,そ
れで もなお切 り捨て ることので きない残酷 な恋の快悩 を語 っているのだ ともいえる。 結末の曖味性 『 ヴィレッ ト』 における最大 の空 白は,や
は り結末 で あ る。 そ こに書かれているのは,「ポー ル を乗せた船が嵐で難破 した らしい」 ことと,そ
の後 のル ー シーはず っと「独身のまま」 で,い
まは初老 の婦人 になってい る とい うことだけである。物語 はポールがおそ らく湯死 し,ふ
た りは 結婚 に到 らなか っただ ろ うと暗示す るに とどめてい る。 この結末 について当然 おお くの質問が よ せ られ ることを予期 した シャー ロッ トは,出
版社 にあて次 の よ うな手紙 を書 きお くってい る。 ポールの運命 とい う重要問題 について,将
来 も しそれ を明 らか に して欲 しい とい うよ うな 声が寄 せ られ た場合 には,著
者 としては,読
者が′ぷ優 しい方 も無慈悲 な方 も,そ
れ ぞれ ご 自分 の気質 にあわせて あの惨事 を解釈すべ きもの と考 えてい る旨お伝 え下 さい。お情深い方 な らば … … 中略 … … もち ろん前 者 の穏 や か な結 末
,つ
ま リポ ール に苦 悩 を味 あわせ ない ように湯死 させて しま うで しょう。残酷 な心 の持主 は,逆
に情容赦 もあ らば こそかれ をあ の女性,あ
の個性 の強 いル ー シー・ スノウと結婚 させて,ま
た もやかれ を進退 きわ まる状 況へ と追 い こむ ことで しょう。(1853年3月26日付 け, ジ ョン・ ス ミス宛て)(14) この手紙 によれ ば シャー ロッ トは,ポ
ール とル ーシーの結婚 な どまるで考 えていなか った ことが わか る。 ともに個性 のつ よいふた りの結婚生活 は苦悩 にみ ちた もの になる と確信 してい る感 が あ る。 あるいはふ た りの愛 は確認 され なが らも,そ
れ は結婚生活 にはな じまない もの と考 えて い る とい って もよい。 ところが同 じよ うに個性的 な カップルが,『 ジェイ ン・ エア』 では,そ
の愛 を 結婚 によって実 らせてい る。 この違 いをもた らした ものはい ったい何であ ったのだろ うか。 女性の 自己犠牲 の うえに成 りた ってい るヴ ィク トリア朝社会 の結婚制度で は,男
女関係 は支配 関係で しか あ りえない。そ こで愛 による対等 な人間関係 をきづ くために,
シャー ロッ トは『 ジェ イン・エア』 で男性 を徹底的 に零落 させ,女
性 を救 い手 として浮上 させた。傷 ついた男性 が女性 の慈愛 によって癒や され る とい う立場の逆転 に よって,
ヴィク トリア朝社会 の家父長制度 に対す るア ンチ 。テーゼを示 したのだ ともいえる。 だが この新 しい男女関係 も火事 とい う偶然 にた よっ ているとい う弱点 をもつ ほか,こ
の展開のなかで失 われ た もの も大 きい。す なわ ちジェインとロ チェスターを結 びつ けた情熱的 な愛 が,飼
いな らされ た (domesicated)家 庭的 な愛 へ と変質 を余 儀 な くされてい ることである。 女性が愛 と自立 の両方 を手 にす る道 として,『ジェイ ン・ エア』 で は男性 の転落 とい うきわめ て少 ない可能性 にか けた。だが『 ヴィレッ ト』 で はル ー シーに 「読者 のみ な さま,(か
れ を待 っ た)3年
の 日々がわた しの人生の最良の ときで した」(第42章, 593ペ
ー ジ)と
いわ しめ,精
ネ申 的 な愛 におわ らせて いる。 ここで は愛 は結婚 によって成就 す る とい う大原則 は放棄 され,男
女 が たがいの 自我 を尊重 しあ う結婚 の夢 も くずれ さっている。 この ことはシャー ロッ トが終始追いつ づ けて きた女性 の愛 と自立の問題 につ いて解答 を見 いだせ なか った とい う以上 に,そ
の可能性 へ の期待す らもちえない現状 を逆 に告発 してい ると考 えるべ きで あろ う。 この読 み方 に立 った とき は じめて先 の手紙 の真意 ― そ こで シャー ロッ トは結婚 に よるハ ッピー・ェ ンデ ィングを期待す る読者 を4b楡 してい る ― が理解 され る。た とえ言葉 は穏 やかであ って も,そ
の内容 はきわめて ラデ ィカル な もの といえる。なぜな ら結婚が人生の最高の幸福 とい う見方が支配的であった時代 にあ りなが ら, シャー ロッ トはその イデオ ロギーを根底か ら くつが え してい るか らで ある。物語 は結婚でおわ るのが通例 であった時代 に,あ
えて それ にさか らったのは,現
実 には結婚が け して 物語の,そ
して人生 のハ ッピー・エ ンデ ィングではなか ったか らで あ る。『 ジェイン・ エア』 で はシャー ロッ トの照準 は結婚の理想 に,そ
して 『 ヴィレッ ト』 では結婚 の現実 にあて られていたとって もよいだろ う。 だが なお残 る疑間は
,シ
ャー ロッ トに現状告発 しようとす る明確 な意志が あ りなが ら,な
ぜ ポ ールの 「難破」 とい ういわば運命 によって結婚 を成立 させなか ったのか,
とい う点で ある。そ こ には物語のおだやか な結末 をつ よ く望む父や 出版社 の意 向が あった ことを忘れ て はな らない。お そ ら くかれ らを納得 させ るためには,「嵐 で難破 す る」 とい う曖昧 な形 に結末 をゆだね るをえな か った もの と推測 され る。「死」 とい う語が 明示 され ていない,つ
ま り物 語 の外 に排 除 されて い るとい う事実が,な
によ りもそれ を裏書 きしてい るので ある。 最後 にポール とル ー シーの愛が成就 し得 ない,も
うひ とつのまった く男Jの理 由をつ け加 えてお かなければ な らない。それ は シャー ロッ トの えが く愛 それ 自身が 自滅的 な性格 をおびてい る点である。かの女が創りあげる主人公たちの恋愛には必ずといってよいほど教師
/生
徒もしくは主人
/雇
われ人といった主従関係のパターンがみられる。その愛は男性が女性を精神と肉体の両面に
おいて支配す るかた ちで しか あ りえない。そ こには必然的 に男の側 のサデ ィズム,そ
して女 の側 のマ ゾ ヒズムがふ くまれ,そ
のため女性主人公 はつね に 自己否定的 に しか相手 を愛す ることがで きないので ある。(15)ルー シーの ジ ョンにたいす る自虐的 な愛がまさにそれ を証 してい る。 その愛 の ジレンマを脱す るには,『ジェイ ン・ エア』 にお け るように,ま
った く愛 が変質 す る以外 にな いので ある。 注 (1)拙著 『 ヴ ィク トリア朝小説 の ヒロイ ンた ち』 輸J元社,昭
和63年 4月)第
3章似)Kate Mlにt,S¢χ2,J Pο,,と,cs(DouЫeday,1970)藤 枝・加地 。滝沢・横山共訳『1生の政 治学』(ドメス出版), 265ペ ー ジ。
(3)Pauline Nestor,Vο η¢η Vr,′″siC力 αγJοι′¢Brοηι彦
°
(Macmllan Education,1987)p.86 (4) 」udith LOwder Newton,Vο 翻9η,Pοω¢γ&Sttbυ¢rs,ο,(Methuen,1981)ch,3
(5)テクス トは Penguin版 を使用。引用 は第10章,163ペー ジ。(以下 の引用 は本文 中 に示 す)
(0
ケ イ ト・ ミレッ ト,既
出,264ペー ジ。(7)Sandra M.GJbert&Susan Gubar,T力 ¢M,」 切οttαη,η ι力9 Attc(Yale University Press,1979)山 口晴子
,薗
田美和子訳 『屋根裏の狂女』(朝日出版
,昭
和61年)417ページ。(8) Pauline Nestor,Fっ れ,テ¢Fr,¢η」s力りs,■J Cο靱翻v,,ιオ¢s(Clarendon Press,1985)pp.132-5
(9)Mrs.EIzabeth Gaske■,TPD9 L√9οデC力,″Jοιιθ Brοηι彦 ・ (1857)和 知誠之助訳 『 シ ャー ロッ ト・ ブ ロンテの 生涯』(山口書店,1980)618ペ ー ジ。1853年 9月 にハ ワースを訪れたギ ャスケル夫人が
,こ
の生 々しい 場面 につ いて シャー ロッ トにアヘ ンを服用 した経験 が あるのかたずね た ところ,経
験 はないが幾晩 もこ の場面 を考 えつづ けた結果,そ
の光景 が あ りあ りと眼 の まえに うかんだ と答 えてい る。l101 Robert Heilman,iCIIariotte Brolltё s'NOw'GotHc.れ J卿¢E)″¢and 7,′′¢ι姥'(Frott Jtt Attsttn ιO JOs理カ
COttr孤,1958)な お 同論文 は ヵ 狸 め 胞 写ηどyII財′?(Macmilbn CasebOOk Series.ed,Miriam A隔 億,1973)
に も収録 されている。
こり Elaine shO鞘ぬIter,TルF¢妨r77¢Mα:α」
):VO翻
9',M口Jη9ss αηごE町1れCarι"々,1830-1980 1Virgo Pre弱 ,1987)cll12
0D T力9 Brο″力siT,¢fr Llυ9s,Frttη JsLIか―,,'Cο ″″9sPο夕だ¢Йc?lTlle shakespeare Head BrOntさ,
1934.reprint,POrcwpine Press,1980)ed.Thomぉ れ
mes Whe&」
chn Alexander Symillgton,Vol.4, P.61131 BFenda Ri Silver,`Tlle Reflecting Reader inデ αη?Eアr¢',T力写7ο)は9,■F,cとわ,soF F9加 α,9D?兜 乃♪れぞη′
(Un ersity of New England,1983)p.93
1141 ttθ Br,ηヶどs,到″″ L力盗,F''?η,6・Li,s,,ど Cοr″?ψ04」9疵a op.cit,V01.4,ppl弱 ■50 10 Helen MOglen,9物Fん彬Bttη芝 :a膨 影 げ c9確 ¢
'υ
ιJ IThe Un 弱iけ 丁WiSCOnsh Press,1934)p.41