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相 沢 文 蔵 へ ロ デ 王 の 統 治 政 策
序
二へロデ王の内政
二
'へロデ王の軍隊三
'へロデ王の宗教政簾と文化政策序
本誌第九号において「へロデ王に関する一考察」として主にへロデ王の権力の本質について'ローマ勢力との関
係'l即ち外部勢力との関連において検討
す
るところがあった。これに続いて本稿においては前屈において触れ得なかった内政的な面について'彼の統治の実体を把捉せんとつとめた。もとより内外関係は密接して不可分であり'前稿
の内容に関連する面も多いが'記述は重複にあたらざる様意を用いた0
′jr̀指場代M垂
守
2
一
、へロデ王の内政へロデ王の短いとは云い得ない治世を通じて一貫して見られるものは彼のローマ権力を背景とした専制国王の姿で
あるが、その内治においては時と場合に応じ変転自在の妙を発揮し、政治家的才能を充分に示した。その治世の当初
何よりも力によるヘレニズム的政治体制をイスラエル的体制を願ってやまないユダヤ人の問にうち据える事業こそ彼
自らの任務であった。この建設の業を強行した初期と、その事業が一応達成を見た後期とにおいては自ら政策上の相
違が見られたのも当然のことであった。彼がその実現を強行した政治理念はいかなるものであり、又その具体的表現
である実際の内政はいかなる性格をもったか。
彼がロ
ー
マ権力者の期待にそ‑べくヘレニズム王国建設の業を始めるにあたり、何よりも先ず、ユダヤ人の中に深テすクラテアく板を下しているかの神裁政の遺制を払拭することが必要なる前提であった。云‑迄もなくユダヤ民族の政治観の理
想型を以てすれば、彼等の政治と宗教は堅く結びついた一体をなして居り'それらは神とい‑共通の原理を地盤とし
て派生する異った二つの表現に他ならなかった。か
ゝ
る政治と宗教の統一体なる神による政治、それは現象的には政治的首長と大祭司とが一致した型式であり、即ちT
he ok ra tia ‑
神による支配の型式がそれであった。かくの如きイスラエル的政治理念をギリシャ的、ローマ的政治思想と対決的に規定したのは他ならぬかのヨセフス
モナルキ7オ
ヮ
.n
イであった。彼は云‑「政治の至高なる権力を一人支配におくものあり、又は少数
者にこれを求めるものあり'或いはブレ ー
トステオクラテ7又多数
者にこれをおくものあり、されど我等の立法者はこれらいづれの形の政治にもとらわれることなく、神の
支配アルケ‑
,ラー.,.
<G)の形の制度を定め給‑た。これはあらゆる至上権 と 権 力
を神におくものである」。このヨセフスの規定はユダヤ教の政治観を最も端的に代弁するものであり、この政治と宗教の一致とい‑理想はかの輝ける栄光にみちた民族王朝ハスモ
,rl′
ン 家 の 頃 一 時 的 に は 実 現 を 見 た に せ よ ' こ の 王 家 の ヘ レ ニ ズ ム 化 ' 而 し て そ れ に 続 く ロ ー マ 権 力 の 介 入 に 伴 っ て 次 第
に 色 あ せ つ
ゝあ っ た 。 併 し な が ら そ の 故 に こ そ い よ い よ ユ ダ ヤ 民 衆 の 胸 中 深 く 力 強 く 息 づ い て い た 理 想 で あ っ た 。 へ テ
オク
ラナ 丁 ロ デ は か か る
神裁
政の 遺 制 的 な も の を 現 実 の 政 治 機 構 の 上 か ら も 又 民 衆 の 意 識 の 中 か ら さ え も 払 拭 し 去 り ' こ れ に 代
え る に 異 教 的 ヘ レ ニ ズ ム 的 政 治 原 理 を 確 立 す べ く ' そ の た め に は 時 に 暴 力 を 以 て し て も 強 行 せ ん と つ と め た 。
こ の 際 彼 の な ら ‑ べ き 範 例 は 敢 て こ れ を 遠 き に 求 め る 要 は な く ' か つ て の ユ ダ ヤ 民 族 の 支 配 者 で あ っ た エ ジ プ ト の
プ ト レ マ イ オ ス 家 ' シ リ ア の セ レ ウ コ ス 家 の 残 し た 政 治 体 制 や 文 化 政 策 に 則 る の が 最 も よ き 捷 径 で あ っ た 。 こ れ ら 強
大 な ヘ レ ニ ズ ム 国 家 が 相 つ い で 彼 等 を お か し ' 彼 等 を く み し い た 時 の 爪 牙 の 傷 痕 は ユ ダ ヤ 人 の 中 に は 全 く 癒 え て い た
ラ
オ ク
ラテ 丁 わ け で は な か っ た 。 と も あ れ 、
神裁政的 体 制 の 実 現 を 願 っ て や ま な い ユ ダ ヤ 人 統 御 の 課 題 を 解 決 し て ロ ー マ 権 力 者 の
期 待 に 添 ‑ た め に は 何 よ り も 強 靭 な る 意 志 力 、 周 到 な る 準 備 を 以 て よ く 計 画 さ れ た 統 治 機 構 ' 而 し て こ れ を 支 え る 精
鋭 な る 軍 隊 ' 又 よ く 整 備 さ れ た 官 僚 陣 を 必 須 の 条 件 と し た 。
へ ロ デ 王 の 統 治 機 構 及 び そ の 人 的 構 成 面 で あ る 位 階 制 に つ い て は 如 上 の ヘ レ ニ ズ ム 国 家 の そ れ に 範 を と っ た と 考 え
ら れ ' 事 実 ' 用 語 上 に お い て 類 似 す る も の が 数 多 く 見 ら れ る 。 併 し 用 語 上 仮 に 一 致 す る も の が 見 ら れ る に せ よ ' 実 質
上 の 性 格 ま で 一 致 す る と は 限 ら ず ' へ ロ デ 王 朝 の そ れ に は 自 ら 独 自 の も の が 見 ら れ た 筈 で あ る 。 か く て へ ロ デ 王 朝 に
お け る 統 治 機 構 の 実 体 を 明 か に す る た め に は 乏 し い 関 係 史 料 を ま と め る 必 要 が あ る 。 先 ず 人 的 構 成 面 で あ る 位 階 制 に
つ い て 見 る と ' へ ロ デ 王 の 周 囲 に は 常 に 特 定 の 側 近 老 団 と も 称 す べ き 者 達 が 控 え て い る こ と が わ か る 。 彼 等 は 一 門 ㊥ ( o ike toi ) ' 朋 友 (p hi‑ o i) ' 同 輩 (s un gg en e i s) 、 護 身 官 (so m ato ph
u‑ak es ) 等 か ら 成 り ' 特 に 屡 々 p h i‑ oi ka i
㊥s
ungg en ei s と い ‑ 一 つ の 結 合 体 と し て 現 れ ' 一 門 の 親 族 と 鮭 も こ の 結 合 体 に 属 す こ と が あ っ た 。 こ れ ら 側 近 者 団 は ④ 単 に 王 の み に つ い て 見 ら れ た の み な ら ず ' 王 の 子 弟 に 対 し て も p h ito i kai su
ngg en eis は 任 命 さ れ ' そ こ に も 形 は 小
L,・t h た
T 言 1 . で ′ 二
4 ◎いながら側近老団が形成される
。
子弟の幼少の頃には師侍(troph eu s
)の他に乳兄弟(sun tro ph os )
があてがわれ、彼等はやがて子弟成長の院にはそのま
ゝ
側近者となる場合も普通のことゝ
して見られた。王及び一族子弟に仕える側近者は夫々中央の諸官職に就き'又封土も与えられ'王家の藩犀として王政に参与した。この様な構成をもった側近者
の位階制はしかし屡々対立抗争を招きやすく、特にへロデ王の末年以降、王家内に陰惨な権力斗争がくりひろげられ
た時、側近老団の間の権力をめぐる衝突とからみ合い'より深刻な復雑性を添えること
ゝ
なった。この様な位階制は㊥㊥広くヘレニズム諸国家にあまねく見られたところであり'古くはイスラエル
古制においてさえも見出される。次に王㊥の身辺に奉仕する者として古来オ‑エソト各地に広く見られた官官(e u
nou ch os
)があった。その数は多数と思われな
い が t
へ/ロデの場合特に寵愛を加えた一群の官官の名が知られる。併しそれは家内奴隷にひとしく'対外交渉に際㊨しては礼物として他の物品に添えて贈与されることもあった。彼の晩年における一門内の血なまぐさい斗争に際して彼自身自らの子達さえ信頼し得ず'これを相次いで処刑するに至っては官官の活躍する場も大いに開かれ、へロデの㊨子達さえ彼等に賄賂を贈って篭絡しなければならなかった
。
へロデ壬をとりまいた側近老団の出自を見ると、そこには正統ユダヤ人の姿はもとより、彼の同国者たるイドマイ
ア出身者さえも見られない。たゞそこに見られるのはギ‑シャ風の名をもつ者のみである。それらの中には仮にギシ
リヤ化したデアスボラのユダヤ人出身者が居たとしても、彼等は最早正統ユダヤ人とは認め難い。かくて側近者団の
殆どは非ユダヤ人出自の者と見てよく'その中には礼を厚くして迎えいれた文人達、例えは側近者団の筆頭たるダマ
スコスのニコラオス、その弟プトレマイオスを始めとするギ‑シャ人達を含んでいたO彼等こそへロデのヘレニズム
王国の実際的運営にあたってその推進力となった者達であった。子弟の師博や傭兵隊の幹部等もひとしく非ユダヤ人
特にギリシャ人であった。当時レパント地方1帯に到る処を漂泊し'地方の有力者間を渡り歩いた出処不定の数多く
・.{・...・'・.・・.:..'∴1'」..'.1":I.JPh
濁.:・1パ
のギリシャ人冒険者涜がへロデの許に庇護を求めて逗留した。彼等の中には得意の弁論を以て巧みにとり入り、時に
は側近老団の中にくいこみ、王と7門の間を渡り歩いてはその離間をはかり、これを以て私腹を肥やさんとする縦額㊥家
も
多く見られた。彼等はへロデの晩年における内証の際裏面活動を行‑こと激しく、王家にとって大きな害毒となった。
以上の如き側近老団ほへロデのヘレニズム王国の体制建設の事業にあたり、開明したギリシャ人為政者を大幅に招
碑した際、次第に形成されて行った。へロデにおいては忠誠を期待し得ない正統ユダヤ人を挙げて用いることは'彼
等に武器を与えて軍隊に採用することが出来なかったとひとしく、到底望み得ぬところであった。軍隊においては非
ユダヤ人より成る傭兵隊によらざるを得なかったのと同じ事情が政治面においても見られたのである。へロデはこれ
ら側近老団をいかに信頼し、又は信頼せざるを得なかったかは、彼の死期迫った頃軍隊の幹部に対すると同様、多く㊥の贈与を行ってひたすら後事を懇願している事情からも察せられる。
これら側近老団は夫々の地位に応じて政治、軍事の各方面における枢要な職についていた。側近者団の筆頭として
又へロデの最高顧問とい‑別格にあったニコラオスをのぞいて、その弟プトレマイオスは「王の友(p
hi‑o i)
や王㊥@族中にあって最も尊貴なる老」とされ、へロデが王国を留守にした際は摂政(epitro po s
)の職をもとる財務長官@( d i oike ites)
として大きな権限を与えられていた。へロデ王国の統治機構において最高の地位にあるこの職は当始から常置的なものとは考えられない。彼はロ
ー
マ権力者によってユダヤ王に任命され、競争者を倒し、パルティア勢力を国外に排除して名実ともにユダヤ国王たりr得た当初においては自ら万機を独裁していた。併しロ
ー
マの隷属国王たる⑯彼は屡々王国を留守にする機会があり'その間の摂政として臨時の国事執行者(hoep i to
npragヨatOn)を任ずる必要があった。この本来臨時的な官職はしかし次第に固定した常置的なものとなったと思われ'而してこの地位は殆ど
澗 J .
亡U ㊥ @
終始プ・Lレ
マイオスの占めるところであった。この宰相の下には史管(g ra m
mateu s )
等を始めとする有司( tim ei )
㊥㊨
宮廷人(ho主periteinau ‑ei
n)'或いは家臣団( th er ap ei a to
ndunaton)の名称を以て総称される百官有司があった。官制の細部にわたってほこれを立証する史料を欠くが'その末端に至るまで王自身任免を行い'この意味では樺
遷された官僚陣を以て王国統治の事業は進められた。而してこの官僚陣の上層部をかの側近者団が占めて枢機を担当
した。
㊥
側近者達は任意の時に自由にへロデの許に伺候して王座の傍に待立し、
時には惟幕に参じ、公式の席や対外交渉等⑳の重要な場面においては必ず陪席して股肱の実をあげた。
時には王が重要なる事項を決定するにあたっては彼等を召集して諮問機関を設けることもあった。特に必要を認めた際はこれに地方長官
(h ep ar ch i
aihe ge m o
non)をも加えた㊨聯合会議を召集することも見られ、特に重要なる議事の諮問に応じた。更に必要と認むれは全国の有力者を含む大きな会議体の構成も見られた例もある。併しこれら会議体によって彼の意志が拘束されるものでなかったことは云‑迄
もない。
地方行政組織についてもこれを明かにし得る史料を欠くが、推論し得るところに従えば'彼の本来の領土はユダヤ
サマ‑ア'ペライア'ガリラヤの四つの地方
‑
道(m er is or m er id ar ch i
ai)に大きく区分され'夫々道長官㊧㊨ (m er id a
rcheis)によって担当される .
道は更に郡(toparc hi a ) に
細分され、郡長(toparches)によって担当され、その.㊨下に町や村落があった。部の数についても知られるところがある。
これらの他'辺境地方には特別区を設けてこれに㊨㊥
重点を指向し'こ1
には代官(stra te go s)
又は辺区長官(a rc ho n )
の名を以て現れる地方長官が任命された。これは
辺境地方に数多く見られたギリシャ人居住の自治都市に対する圧力機関としての役割も果し、その地方駐留の軍隊
又は各地に設定された軍事植民地と何等かの関係を有し、地方政治の権限にあわせて軍指揮権をも与えられたものと
7
・:i・j・:/..T.=7..t・∴〜
考えられる。
へロデの領内には正統ユダヤ人の他に相当数のギ‑シャ人を主とする非ユダヤ人が居住して夫々由緒を誇る有力な
る自治都市を形成していた。これら都市にはかつてクレオパトラによって割顕され、その穀落後回復し得たもの、他
にローマ権力者より加増として与えられたものもあり'彼の領内に編入された事情は各々異るものがあった。特に地
中海にのぞむ沿海都市ほへロデ王国の海への出口.として甚だ重要なる役割をもち'王国の経済的繁栄'特にロ
ー
マとの交易関係はこれら沿海都市の存在なくしては考えられないところである。ガザを始めカイサレア以下の重要な港市
が海岸線をつらねてそこにならび存していた。
デカポサス1方内陸地方においてもその成立をアレクサンダ
ー
の遠征時に遡る十都地方に本来所属していたガダラ'ヒッボス⑳を始めとする諸市をあげ得る 。
これらギ‑シャ的諸市は以前から保有していた自治的体制とその特権をへロデと鮭もプー
レ或る程度尊重せざるを得なかった。それらほいづれもヘレニズムの誇り高い伝統に生き'自治体の中心をなす市会
をア...1‑〟もち、貨幣鋳造権や避難 権
の特権をもち'特にデカポリス地方にあっては内陸貿易による利益擁護のための共同防衛㊨の途さえ講ずる程の実力を
保有していた。アウグス・Lウスはへロデに対する領地加増の際'特にガダラを含む二都市をへロデ領内に加えしめた?へロデはそれら都市が従来保有していた自治権に何がしかの制約を加えたらしく'ガダ
ラの市民はロ
ー
マ権力者に対してtへロデは市民の財物を没収し'その神殿を漕する不法行為を働いた旨の訴願を行㊧⑲ったことがあった.
この都市
の敢て行った訴願の真意は明かでないとする論者もあるが
'デカポリスのギリシャ都市共同体から不自然にも分離せしめられたこの都市の不満のあらわれに他ならず'一方へロデのこの地方に対する自治
権干渉の行為についても察せられる。沿海の要港ガザの場合も、そこの自治権は完全なものでなかったことはそれがアルn,T⑲イドマイアの
地 方 長
官の管轄下におかれた
ことから見て、恐らくその他のギリシャ都市もこれらに似て或る程度の制I..・.I‑:1;I.I?I
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1 ヽ
▼ う ■
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■
■
◆
●
■■
約を㊧ 加えら れ て い たこと は 容 易に想像さ
れる。
彼 の 治 世 の 当
初'イエ
ル サムレ の 市
街の
ヘニズ化にあわムレ せてヘニズムレ 的 政 治 体
制を
強 行 すにるあ たイスり'
㊨
ラ エ ル 的 政 治
理念
が 錬んさり
れる
危
機を
感た民じとっ 衆側意識代弁すのをる かの如き 一二の 陰 謀 事 件 が見ら れ たこと があこり'
れら
は 大 事 に
至ら
ずてし
潰さ
れ た
が'こ
れ契機て不穏分子動にはをなの向とるし 極度の警戒を 払て断っ
に 圧
徹 す一方'思いる
切たっ
懐柔策をとること があ時にはり、 減 税や穀 物 施 与の如きロマー 為政者の 亜
流に
ふさ
わいし
㊧
行為を示すこと
があっ
た
国内の。
治 安 維 持 に つ い て はマロー権力
者に
対てし
強い
責 任 をなとら け れ ばななら
かっ
た
は 彼
緩
厳の
妙ろをよきし 得 た 柔 軟性のある 政
策を
巧
みに
使い
分 けること にそのより'
長い
治
世を
表 面
的に
はほ
は 平 穏 に 過 すが出来た。併そとこし れ は決てし ヘニズムレ 的'イルスエラ
的政
治理念の 矛 盾 対立が
解消し
たをこと 意 味 すのるも で
はな
い。こ
れ が 表 面 化 すのをる 食
いと
め たのも はあでまもく 彼 の 緩 急 に
応じ
て 善
処し
得 た 政 治 的 手 腕 に 負ろとこ‑ が 多
かっ
たせを得い。事実'彼の晩年その死近い頃で民衆側におけ叛乱のざるなまると 気配を 感ずは出来いるこなと の である。 併その晩年にし'
至る
に
従てっ
何のにもも 拘束さ れなることく 専 制主義を 発 揮 すに至その本来のるり' 傾 向 を 露 骨 に 示 すにて人民側にい刺戟を加え'れ挑発こらざるをとよこっ す多大のるなことも
があっ
た。のこ
本来
治め
ること 至 難ユ民衆彼対す不信は彼身始か感知た民動対なダヤのにの念めていろであ心の向にる自らよとこしりしく' て は 細心の配慮を用いた。特に年近には1門の権力斗争をめ彼精晩内ぐてのくっ 神は異常でに緊なま
迫し'
一門に す信疑れ'れ男子次刑す迄至が'の心理は不靖心に被害妄想の念にか己のをに処にこるとよるら々るる 対 民 衆側にも む
けら
れるこなとっ
ゝ
た。
彼の晩年に至てはっ 民 衆 が
集合
す体ること自 短度に警戒さ れ'ルサのイエレム 街頭を故てなしく 俳 掴 することさ え
㊥
捕 縛の恐怖を伴た不っ
。
穏分子はなる 容 赦捕れ処れた。たにたか警察国家におけスなえらて断さのめあるこもくパイ
● ヽ , ・ l
● ●
l:・∴.I..11・'/..rI,・・J..'・..∵∴'...・'・.:77・.」∴.i.:I'・‑.7'・::.+I;.薫
政 策 を 思 わ
せる
如き
暗 い 暴力恐怖にみた時期迎民衆側不信怨瞳は圧れ執物ちをえなのの声えてにとることるとら
ゝ
。 く すぶり
続
け、その
発 火 の 機 会 を 待
つの
みなとっ た。
彼の晩 年、
民心の
動向
に
対てし
い か に 過 敏なる 神 経 を 用 い た か
㊨
に つ い て はスセフヨ ほ 多 少 誇
張し
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事を
伝えてい
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あとも。
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れはあたか以前マ.オブYスもレナ
家の
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ダヤ
支配の際にとっ
たス
パ政策'そイ れにてかれた民衆側逃出さのよもしっ 避的あめ、要すにかのなるきら 圧
制に
⑳
おし
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が れ た 時 期 の 陪 い
世相
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現を
思 わ せのるも
があっ
た。
㊨
彼はその 治
世中'
屡人々 民 一
般に
対て忠し 誠の誓
約を
要求やかたは'民衆側彼に対す不信念をてなののるのまし
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裏 返えL
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たのも に 他なら ず' へロデの 政 治 的 焦 燥をそのま
ゝ
に 物 語のであ忠るろも‑。 誠 誓
約の
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民 衆 に 対て根強い指導力ていたパ徒対けた。彼をサイのの動に細心注意をむを得なかも向てのざるしっしもリっ 等 は 社 会 的 に は
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政
治的
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た にてしも 時には へデのロ
T門
や
側㊤
近の中にも 勢
力を
扶 植た時し 期があっ
た。
彼はユダ人ヤ 統
治の
必 要から 機 会ある 毎に正統ユダ人たを強調てやななるヤることまし
かっ
たが、こ
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にし
ても
人 民
側の
東服すほかた。人れ新附民た人るろななユダヤ見ばのマイ7出自のとことらよるイらりド
彼は
半ユダヤ 人とし て 蔑
視を
買っ
て い た が' 彼
はユ
ダヤ
人 たるをこと 強 調 す
れば
する
程
彼自
身の
側 に お
ける
矛 盾 は 深 刻左′‑っ て
行っ
た。そ
れ は 彼 が 正
統ユ
ダヤ
人の
極 度 に 嫌 悪
する
律 法 違
反の
行
為を
ヘニズ的ムレ 政 治 体
制の
確 立
にあ
たてっ
次々
に つ み 重 ね て
行っ
た 時 に' ユ
ダヤ
人 たること を 強 調
する
の は 正 面
から
律 法 違反の罪の指弾を受けを得ないざる 立 場 にら自 を
サノ・
ヘりン・・' 追いむを意味すのであ律こるることも
。
法 違反の行為の例は彼が統
治を
始めにあたてるっ 神 裁
政の
遺 制である 衆 議 所
㊧
の 長 老 会
議の
権 限 を 大 幅 に 制
限し
て 単なる 宗 教 的 指 導
権に
限
定し
た
をそのこと 最 たるのもとする
が' そ の 統 治 型式の 要
求に
発する
新法
制定において法を旧も 破てい彼るのっ。 制定た
し
新いし
刑 法の内
容に
次如のき 例 がある。 古 来 の 慣 ヽ■
I
0
∫習に従えは、ユダヤ人奴隷は拘束される期間は六年に限られ、又異邦人に対して売却されることはなか.った。これに
対してへロデは旧法を破り、ユダヤ人の罪刑奴隷を異邦人に買却を許す新法に代え'いたく人民の不満を招いたこと、㊨があっ
た 。
これらの行為は云‑迄もなく彼の王国のヘレニズム世界への参加の要求の表明に他ならないが'律法遵守を叫んでやまない人民に対して時には妥協するが如き態度を示しながら、ヘレニズム的政治体制の確立を急いだとこ
ろに彼の政治的才能を以てしても如何ともなし難い矛盾があり、これを彼の専制主義を以て一時的に表面化を防ぎ得
たにしてもやがて彼の死と同時にそれは爆発的に表面にあらわれること
1
なるのである。彼はヘレニズム世界広く各地に惜しみなく投財を行って人望をおさめたことについてヨセフスは詳細に伝えてい㊨る。彼の投財によって各地の住民が受けた恩恵はその地方の支配者より与えられるそれにまさった事からへロデのこ㊨の出過ぎた行為は誤解を招き'何らかの野心を懐くにあらざるかと考えられた程であった
。
へロデが投財を行って大いに恩恵を施したとする地方を各個に数え上げてゆくとそれは地中海世界各地の沿海都市又は地方的重要さをもった⑲著名都市である
。
これらの都市にはいづれもデアスボラのユダヤ人が多数居住していたのであり、投財の対象とされたのはその郡市そのものよりもむしろそこに居住するユダヤ人であったと解すべきではあるまいか。そこの支配者よ
り受ける恩恵にまさるものをへロデから受けたとするのはいかにもそこに居住するユダヤ人の立場を感じさせる。デ
アスボラの民はかくてへロデの華かな行為に悪意を懐くことなく、むしろ大いにこれを徳としていたこと
1
考えられ.る。
彼等は自らのユダヤ教の慣習に固執して自らを疎外しっ
1
も、本国における同胞の如き絶えざる政治的、社会的hi緊迫した情況にはおかれること少く、周囲の開化したヘレニズムの環境に対して何がしかの理解と共感を寄せて居り
その生活意識においてはより幅の広さが見られていた。この意味においては彼等ほへロデの親ギリシャ的なゆき方仁
より近いものを感じていたと思われる。殊にロ
ー
マ在住のユダヤ人の如きはロー
マの権力者に対しても深い親愛感を,㊥寄せたことがわかり'又へロデに対しても好意的であったことが‑かゞあれる。即ち彼等ほへロデを深‑徳とし、彼㊨の生誕の日と王位就任の記念日を祝賀の日として守り'又安息日をへロデの日 he ro
dies die s
と称していた。デアスボラのユダヤ人は屡々地方の土着民'特にギリシャ人と紛争をおこし勝であり、かくして彼等の宗教的、時
には政治的立場さえも安定を欠く場合があった。へロデはかゝる際、進んでこれに介入して斡旋の労をとるのを惜し⑲まなかった例が二三伝えられている
。
かくて明かに彼は領外のユダヤ人からはむしろ.好意のまなざしを以て迎えられていたとすることが出来る。領外のデアスボラのユダヤ人は彼の政治的支配とは何等の関係な‑'しかもヘレニズム
とヘブライズムの交錯の関係においては両者相似たものがあり、共感を呼びおこす要素がそこにあった故であろ‑。 ・'・1'"、▲J.
( 彰 @ ( 彰㊥ ㊥ ①
︹註 ︺ co ntl a
Apion.肖165 b
ett.I460,556an
t. X V t 2
43. 2 4 6 , 3 5 7 X 喜 1 9
8passimb
ell
.I 4 6 0 a n t. X
VT13 3 be
tt.
I57なお行伝l三・1にへロデアンティパスの乳兄
弟
があらわれている。プトレマイオス'セレウコス両家における位階制について
はPolyb.XXXr
3 7
において王の朋友と呼ばれた側近者団の存在が知られる。なおC.A.H.
V O
I. V n P . 7 6 5 0 tt o '
Herodescol.82f
㊥サムエル後1五・三七1六・二へエステル1・三
二二八マカベア第1二・一八一〇・六五マカベ
⑯ @ ⑯ ㊥
⑱ ㊥ ㊥ 桓)
訂 訂
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このエビトロボスの職は最初彼がB.
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三五年頃パトロンのアントニウスの許に赴いた時叔父
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イオセボスを留守中の臨時国事執行者に任じたに始まる。
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プトレマイオスの範例はC
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セレウコスについては
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p.160ff.㊥参照。
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東北の 辺区にはr c o n i
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王 のステラト スをゴ
置 い て い た。㊥ant .XV 254アノマイド 地方 のアルンコ の 存在がわかる。
⑳ガダスラヒボ・ッ はオクレ パラト の 理 後アスウよウグスト り 加 増れた。
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l1㊨デポスカリ の自 治 体 制 に つ い て はG .A.・S
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セフスをヨ主
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深い 記 述がある。
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へロデは領内のギリシャ人都市にストラテゴスを置いたら
しいことは時代は少し降るが
a n t.
XIX3 3 3
においてカイサレアの都市にストラテゴスが任ぜられていることからも
察せられる。
なおストラテゴスはイエルサレムにもおかれ、大祭司の次.
位にあった。行伝五・二六
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書四・一以下、十・二十、セレウコス治下におかれたユダヤ人のペシ‑ズムが見られスパイによる密告の恐怖が
そこに描き出されている。
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彼
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身 に 対す
る忠 誠 誓 約にあ わ せ てマロー 権 力 者に 対 する そ れを 要 はたしこと‑ がある。
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㊥時代前い衆議所命財産俸へデにおてはは人の生をロユダヤ 証 す唯る 1の 機関で
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詳細なる記述あり.Su
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カイサルの死に際してローマ在住のユダヤ人は保苦者たる
彼の死を悲しみ終夜その棺をまもった。 ㊨
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13
二
'へロデ王の軍隊専制国王がその権力を維持するための諸手周の‑ちで最も重要なものは軍隊に他ならない。殊にへロデの如く支配
下においた人民一般から遊離した権力者の場合は圧制の手茂として軍隊に依存する度合が特に強かった。従って彼の
軍制を検討することにより、その権力の構造の特殊性を或る程度明かにし得ると考える。
クサエシスロ
ー
マのパトロンたる権力者が隷属者である盟邦国王に対して期待する最大のものは軍事上の義務であったが、へ
ロデ王の軍隊の本質はいかなるものであったか。彼はロ
ー
マにおいてユダヤ王の任命を受け、兵力による援助をも受けて急拠帰国したが'先ず第一に彼がなすべき事は徴兵であった。彼は自力を以てパルティア勢力を駆逐しなければ
事実上のユダヤ王たり得なかった。
彼の募兵に応じたのは如何なる者達であったか。ヨセフスはこれを異邦人と同国人
(x en o
nk ai om o p h u l on
)よ①り成ったと伝えている。前者はそのまゝ
傭兵とも訳し得るが、後者の同国人なる語の意味するものは何かO彼の軍隊に関する史料を通じてユダヤ人は殆どその姿を現すことがない。これをユダヤ人と見ることは到底許されぬ。これは
へロデの同郷者'即ちイドマイアの出身者がそこの土豪出自の彼の挙兵を聞き'風をのぞんではせ参じたものと解さ
れ ね は ぬ。 な ら へ デ は 徴 兵 を 終 ル サ に 進 エ ロ イ レ ム り ' 撃 す る 途 上' ガ ラ ヤ リ 地 方 の 住 民 は 彼 に 対 て し 支 持 を 与 え た と す る が、
総 じ て ユ ダ ヤ 人 そ の の も は 彼 の 軍 事 行 動 に つ い て 甚 だ 冷 淡 で 傍 観 的 で あ が る こ と 注 さ 目 れ、
か の ハ モ ス ン 家
㊥ が シ ア ‑ 王 国 の ヘ ニ ズ 化 ム レ 政 策 の 弾 圧 に 対 て し 社 稜 の 滅 亡 の 危 機 を 感 て と じ っ 餅 起 し た 時 の ユ ダ ヤ 市 民 軍 の
姿 は 見 ら れ な い の で あ る 。 正 統 ユ ダ ヤ 人 よ り す れ ば、
へ デ は ロ 新 附 の 民 マ 7 イ イ ド 人 出 身 の 外 来 者 に 過 ぎ ず、 彼 が 何 か も し か ら 積 極 的 な 支 持 を 得 る と す れ ば、 そ れ は 彼 か ら 与 え ら る べ き 恩 恵 を 期 待 し た 同 郷 人 や へ ニ テ に 開 明 た ス ギ レ ク し ィ
‑ シ ャ 人 を 始 め と す る 非 ユ ダ ヤ 人 に お い て で な け れ ば な ら ぬ。
へ デ ロ よ り す れ ば、 の こ 治 め 難 い ユ ダ ヤ 人 統 治 の 課 題 4 を 果 す に あ た っ て 彼 等 に 武 器 を 供 す 以 上 の 危 険 は な か た で あ る こ ろ と っ う 。 又 異 邦 人 軍 隊 を 用 い て ユ ダ 人 を お え ヤ さ る の は 極 め て 好 都 合 で あ も っ た。
彼 の 挙 兵 に 協 力 し た マ ロ ー 軍 は へ ロ デ が 一 応 パ ル テ ア ィ 勢 力 を 打 倒 し 、 名 実 に と も ユ ダ ヤ 王 た り 得 た 時、 ユ ダ ヤ を 引 揚 げ る こ と 1 な っ た。 そ の 後 は 全 く 彼 自 身 の 軍 隊 に 頼 ざ ら る を 得 な い な こ と る 1 。 彼 の 軍 隊 の 構 成 要 素 は 恐 は ら く 当 時 レ パ ン ト 一 帯 に お い て 容 易 に 得 ら れ た ギ シ ャ リ 人 傭 兵 を 主 同 と し 、 郷 の マ ア 出 イ' イ L L ・ 身 者 を 従 た 考 え の と し も と ら れ オ る ク レ 。 パ の 没 落 に マ オ ス ラ よ る プ レ イ ト ト 王 家 滅 亡 の 際 へ デ ロ は ア ウ ダ ス ウ ス ト か ら 彼 女 の 親 衛 隊 で あ っ
㊥
た ガ 7 ‑ 人 傭 兵 四
〇
〇 名 を 下 賜 れ た が の 精 さ こ 、 鋭 は 以 後 へ デ 傭 兵 ロ 隊 の 核 な た 考 え れ 中 の ら へ デ の と も と る ロ っ 。
④
死 に 際 し て、
そ の 葬 列 に 加 わ っ た 彼 の 親 衛 隊 に は 7 人、 ゲ ル マ 人、 ガ 人 出 身 者 が 数 え ラ キ ン 7 ら ‑ ト れ て い が、
るこ れ を 以 て も 彼 の 傭 兵 隊 の 民 族 的 多 彩 を ‑ か こ と ゞ ‑ が 出 来 る 。 彼 が い か に こ の 傭 兵 隊 に 信 を よ せ た か に つ い て は、
彼
◎
が そ の 晩 年 死 期 近 を き さ と り 、 傭 兵 隊 に 多 の く 賜 与 を 行 て っ 彼 の 後 継 者 に 対 す る 息 順 を 懇 請 て い か か る こ と ら し ‑ ゞ あ れ 而 て 軍 隊 は 必 ず 彼 の 信 る こ の も し し 。 頼 に こ た え の で な か た は、 彼 の 死 後 る こ と も っ 続 発 を 見 た 一 連 騒 擾 の の
㊥
中 に へ デ の ロ 軍 隊 の 壊 乱 見 も ら
れ る こ と
か ら
案 せ れ 併 彼 生 前 お は 軍 隊 は 一 ら の に い て そ の 門 内 の 権 力 斗 争 に る し 。 、
15
‑..l1..‑
まきこまれた際、一部兵力の間に動揺が見られた例があるにとゞまり、概してへロデに対して忠順を守り、彼の期待●
に添っていたとすることが出来る。而して彼等の忠誠をつなぎとめたものは、へロデによるよき給与と、若年の頃か
ら鍛錬を重ねた用兵の技廟、而して又、時には軍幹部さえも断乎処断するが如き剛気な気質などによるものとするこ
とが出来る。⑦へロデの保有した絵兵力は決定的なことは云い得ないにしても'恐らく数万にのはったと考えられる。その保有兵
力量はロ
ー
マ権力者によって規定されていたかど‑かについても明かでないが、軍司令官を始めとする軍幹部はロー
マより派遣され'こと軍事に関する限り、微細の点までロ
ー
マの指示を仰ぎ、又その軍隊は本来ロー
マの軍隊の補助軍たる性格をもたしめられていた以上、兵力量も規定されていたとすべきであろう。
へロデの軍隊の組織や編成についても'史料的に漠然として居り、明かにし宿る点は少い。ヨセフスの記事中の関
係する断片史料をまとめて大体を推測し得るにとゞまる。ローマから派遣された総軍司令官(strat
op ed arc he
s)が全㊥軍の統轄 し
、これにはウオルミニゥスなる者が任ぜられている。その下にある歩'騎両軍の司令官も同じロー
マ軍人㊨であり、前者にはダラートス、後者にはルーフスなる者の名 が
知られる。これらの他に純粋に傭兵あがりの軍幹部もレギオ・ノ存在したことも考えられる。その編成についてはロー
マの軍 団
編成にならったものかどうかについても明かでないがローマのalaにあたる
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s(小隊)を最小の単位とし、その上にce
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rioにあたるIocha go s (
百人隊)があり'更に
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にあたるspeira (
二百人隊)、なおその上にch ili as (
千人隊)があった。而してこれらに所属している士官は
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と総称された。その建軍の本質上からロー
マの補助軍たる性格をもたざるを得なかったへロデ軍隊はその装備においてもロ
ー
マ色濃厚であったことは想像に難くない。へロデは王国建設の途上'自己の軍隊と⑲ロー
マ軍隊をあわせ指揮をとったことがあり'又その軍隊はロー
マ遠征軍の補助輩としてその本来の任務を果したこ..I,Ji.A
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㊥
と も
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へデロ 王 死
後の
動 乱 鎮 圧
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てマロ
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軍 が 出動し
来っ
た時'ヘデロ 軍 隊はそのマまロ
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ー 軍 司 令㊥
官の
指 揮 下に入やがてはマロ
り ー
' 軍のに中 再 編成さ
れ たのあももっ た 事 等' へデロ 軍 隊
のロー
マ 的 性格を 物
語るも
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で な け ればなら ぬ。併し'
彼の
軍 隊 はマロ
ー
のギオンレ 編成と
異っ
て 騎兵に 於いては著い弱し
体を
免 れかたなっ
.
こ の 点 に お い て へル的色彩のブ 残存を 示ているとし すること が出来のるこ。 様性格をなもっ た
彼の
軍 隊はその 領内に 如
何に
配
置さ
れてい た か。
専 制 君
主の
常てとし 彼 は
その
身 辺 を 傭 兵 隊 の 精 鋭 を すた親衛隊
(
ぐa s o m t o
っp h ‑ a
e亡k
s)を
以て
讃 衛 せ
℃め
た が' スラ言ト ス
⑳
イ エ ル サムレ
の 代
官 は
手兵を率いて首都の警
備
にあたっ
た。
領内各
地の
要
地に
は同じく 兵 力 が 配
置さ
れ'
その
た め に は そ の 都
市の
武 装 化をも
行っ
た。而てこし れ は
彼の
治 世 の 割 合 に 早 い 時 期着手ていの都市の武装化はそのにるこし。
ギリ
シャ
風 都 市
への
改装を伴てっ 行 わ れていること が注さ目 れるこ。
れら
都 市には 要
塞
(
p h r o r a )
が 設
けら
れ'そ
れ は
領内
枢 要 の 地 や 辺 境 地
方に
特
設さ
れ た 軍 事 植 民
地と
呼
応てし
特に領内の 治 安 維持にあ
たっ
た 他に外 敵の侵略にそな え
るも
の で
あっ
た。
領内
各
地に
建
設し
た 要 塞には
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身の
新
設に
かのあるもり
ゝ
' 又は以前から
存
在し
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補強し
たのあももっ が'その た
辺境
地方に 設置れたのをのぞいては'いづれ外さもも 敵侵入治安維持的のにそなえはむろ国内ののるよ目りし が
強いく'
づ
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統
治に
安
堵し
得ない人 民の叛 乱 や 蜂起にそなえも たので'そをかため軍こるも
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武 器は人
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意味
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都 市には彼を 始め一門血族につが者の名にだ命名行れヘ君主例たなるちなんをていはニズのにな
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ので'のこ 際 特 に ヘニズムレ 都 市 建 設者をてあらもっ わ
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要 塞をそなえ
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]1ご†・ゝ1、..TT7,.5TrJ言1tlヽ、一
る倉妻が附要されていた。恐らくこれは地方の現物徴税とも関連があるものと考えられる。時には又牢獄を兼ねるも
のもあった。この隊長の地位は相当に重要視されていたこともわかる。要塞都市とならんで軍事植民地が特に重要な
地点や辺境の要地に設けられていた。それは住民の大量移住によって建設され'その住民は賦田
kl er os
を給され、㊥
農兵k︼ er ou c hoi
となった
。彼等は免税その他の特権を与えられて居り、軍事的緊急の必要に応じてへロデの最も信頼をつなぐに足る予備軍となっていた。その住民に給されていた賦田は条件附の有期の封土であったか、或いは世襲⑯的な給付であったかについては'これを眉接的に確定すべき史料はない。併し、間接的に推定は許される。彼の領内
における最大の軍事植民地はセバステ(サマ‑ア)であるが'そこはへロデが六千の農兵を土着せしめ'ギリシャ風
都市計画にもとづいて建設された軍事都市であった。そこの農兵はへロデに対する忠誠と精鋭を以てあらわれ'
へ
ロデ死後と鮭もよくその本来の任務を忘れることなく'ユダヤのロ
ー
マ属州化の後にロー
マ軍に改編されたのは実に彼⑯等であった。彼等のへロデに対する忠誠と彼等の行動を通じてうかゞあれるのは一応安定した土地所有者たる農兵の姿である。かくてへロデの農兵への土地給付も永久的な世襲地として給与されたものと考えることは許されないであ
ろうか。
このよ‑な軍事植民地は特に辺境の地方に外からの侵略を顧慮して設定された。南はナバクィア王国に通ずる要路㊨上に、東北にはパルティアにそなえて・Lラコ:テ
ス
の地方に夫々周到なる軍事確設をそなえて配置された。これらは単に外からの侵略にそなえるのみならず'地方の傑悼なる遊牧民をおさえて内陸貿易ルートを確保し、領外よりのユ
ダヤ人のイエルサレム巡礼者の保護にあたる他、貿易路を通過する貨物に対する関税徴収の掩護にも任じた。かゝる
性格と任務をもった軍事植民地は特にトラコ:テス地方に見られる。この地方には二ケの重要な軍事植民地が見られ㊧特にパルティア王国より亡命してへロデに庇護を求めた有力者
N am ar
isが建設を認められたパティラの町に免税そヽ
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の 他 の 特 権 を 賦 与 さ れ た こ と か ら 移 住 者 も 多 数 集 る に 至 り 、 長 く 存 続 を 見 る こ と
ゝな っ た 。 又 こ の 町 は へ ロ デ 家 に 対
す る 忠 誠 を も っ て あ ら わ れ た 。 こ の 地 方 に は 他 に へ ロ デ が 三 千 名 の イ ド マ イ 7 人 を 移 住 せ し め て 建 設 し た 植 民 地 も あ
っ た 。 へ ロ デ が 領 内 各 地 ' 特 に 辺 境 地 方 に 設 定 し た 軍 事 植 民 地 は そ の 地 方 の 治 安 維 持 に 役 立 つ こ と 多 か っ た の み な ら
ず ' そ れ は 地 方 の 経 済 的 繁 栄 の 絶 対 的 な 前 提 と な っ た 。 又 そ れ は ギ リ シ ャ 的 異 教 的 な 郡 市 建 設 を 伴 っ た 限 り ' 領 内 の
ヘ レ ニ ズ ム 化 は い や が 上 に も 進 め ら れ る こ と
ゝな っ た の で あ る 。
︹註 ︺
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b etI . ([ 5 2 an t. X V n 2 66
b el t . I 3
01前 稿 三 七 百 註 ㊥ 参 照
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肖58総 じ て へ ロ デ 軍 隊 は 騎 兵 に お い て 弱 体 で あ っ た 。 ヘ レ ニ
ズ ム 軍 隊 の 一 特 長 を な す 象 隊 の 使 用 は 見 ら れ な い 。
b elt . ( 6
52 ‑ エ ル サ レ ム ・ カ イ サ レ ア 間 を 結 ぶ 要 地 に 彼 の 父 の 名 に ち な ん だ A n ti pa t ri s イ エ リ コ の 近 く の こ れ に そ な え た C y p ro s 要 塞 は 彼 の 母 の 名 を と り し も の ' 又 彼 の 兄 の 名 を と っ た P h a se a︼ の 町 を 同 じ く 新 設 ' 彼 自 身 の 名 を と っ た H
erod
iqmの 名 の 要 塞 都 市 も 二 ヶ 所 に 設 定 し た 。 b et 1. (
4
17
ff.
⑯
ギ ‑ シ ャ 的 都 市 建 設 者 と し て の セ レ ウ コ ス 諸 王 に つ い て は
㊧
⑲ ⑱ ㊥C . A .H .V O I .v n P.1
61f f. 琴 照 O
b et I.
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l. 57
b et I. T . 5 8 S ch u r
er,op.ci t. I t s. 4 6 0 bell.
I3
98ant . X V 3
4ff
.G
.A . Sm
it
h, OP I C it. P. 6
17ff. に こ の 地 方 に つ い て の 概 観 あ り ' こ の 地 方 の 歴 史 的 環 境 を ま と め て い る 。
㊧ a n t・ X V n 23 ff . こ の 人 物 は パ ル テ ィ ア 在 住 の ユ ダ ヤ 人 有
力 者 ' 恐 ら く 政 治 的 理 由 に よ っ て パ .ル テ ィ ア よ り 亡 命 l O O 名 の 親 族 と 五 〇 〇 の 兵 力 を 有 し た 。
藻一ナノ