とりこまれる 自然
︱日本的心性 の 展開 その 二
大久保 喬樹
︿道なりに﹀明治神宮の一隅にある旧代々木御苑はさほど大きな規模のものではないが︑閑静な風情のある壷中天地といってよ
いような気分を味わえる庭園である︒有名な菖蒲田が見頃の初夏も良ければ︑秋の紅葉の頃もまさに錦秋そのものの艶やかさで︑四季それぞれに趣を変える日本庭園の妙を堪能させてくれる︒参道に面した入り口から潅木の茂る小道を抜けて行くと︑まず︑正面には木立を背に古びた気配の釣魚台と名付けられた池が︑その手前にはなだらかに傾斜した芝生地が広がっていて︑明治天皇が昭憲皇太后のために建てさせたと
いう平屋造りのひなびた一軒家が立っている︒そこからまた少し小道を進むとお目当ての菖蒲田があらわれてうねうねと細長く続き︑それを取り巻いて築山があったり︑あずまやで一息ついたりできるようになっている︒そして︑さ
らにその先のどんづまりまで行くと︑加藤清正ゆかりの清正の井戸というものがあって︑深山幽谷を思わせる木立と岩に囲まれた水場からこんこんと清らかな水が湧いている︒
こんな具合に︑鰻の寝床よろしく︑ひょろひょろと細長く︑曲がりくねった造りとなった庭園であるが︑その見所は︑進んでいくにつれて︑次々に趣の異なった風景があらわれてくることである︒これは︑池のまわりをめぐるよう
に園路を設け︑そこを順に進むにつれて︑様々な種類の景色を鑑賞できるようにした回遊式庭園の様式を応用したものだろうが︑なかでも精緻な造りとなっているのは菖蒲田である︒一見︑ただ一面に様々な種類の菖蒲が植えられて
いるだけのように見えながら︑その中をゆるやかに曲がりながら続くあぜ道を進んでいくにつれて微妙に眺めが変化していくように仕組まれている︒数歩進み︑わずかな角度曲がるだけで︑同じ菖蒲であっても花の種類が変わり︑そ
れを眺める角度︑その周囲や背景のトーンも変わって︑そうした変化が連続するうちに万華鏡のような効果を生み出すのである︒
それは︑たとえば︑フランス式庭園を代表するヴェルサイユ宮殿の庭園などとは対照的なものだ︒太陽王ルイ十四世の栄華を集約したような豪壮な宮殿中央の鏡の間の外に設けられたテラスから眺めおろすこの庭園は︑左右対称一直線に続く並木の列︑その間にはさまれた泉水などが一望のうちに見渡されるように設計されている︒﹁ビスタ﹂︵通景︑眺望︶とよばれるこの造園法のねらいは︑見る者が一挙に全景を把握できるところにある︒いかにも絶対君主に
ふさわしい庭園美学で︑その壮麗︑整然と秩序づけられた有り様は圧倒的なものだが︑その代わり︑変化の妙というようなものは微塵もなく︑固定的で退屈とも感じられる︒
これに対して︑なんと異質な美学を菖蒲田は示していることだろう︒規模もささやかなら︑そのささやかな庭の中を︑小さな虫かなにかのように︑道なりに右へ左へと振り回されるように進んでいくという造りもまったくいじまし
いほどだが︑その造りに身をゆだねることによって︑まさに草むらの中を分け入っていく虫が出会うような様々な変化の妙を楽しむことができるのである︒変化といっても大げさなものではない︑ほんの陰翳の移ろいのようなものに
すぎないが︑その微妙な相を味わう細やかな感性があれば︑十分︑盆栽や盆景に深山幽谷の景色を味わうのと同様︑壷中天地の境地を満喫することができるのだ︒そうやって︑道なりに進み︑それにつれてあらわれる風景の変化をた
どっていくうちに︑しだいに風景を外から眺めるというより︑風景に入りこみ︑風景の一部と化していく⁝︒これが日本の造園法に特徴的な﹁道なり﹂の美学というものの典型である︒
ヴェルサイユ宮の庭をテラスから一望のもとに見渡す時︑人は︑ちょうど旧約聖書﹁創世記﹂において造物主たる神が天の高みから地上の世界が計画通りに造成されていくのを見守るように︑庭の外に立って︑庭の構造全体を視野
におさめ︑認識する︒この場合︑人は主体として客体である庭を統御し︑その認識は全的で安定している︒それに対して︑この菖蒲田では︑人は目の前の一部は見えていても︑その先の部分は隠されているか︑進むにつれて変化して
いくというように未知の空白︱後述する余白に通じる︱のままに残されているのであり︑いわば迷路を進むように偶然に身をまかせて歩いていくのである︒そして︑いわば実存的ともいえるこの体験を通じて︑未知の庭の構造と一体化していくのである︒その不安定な感覚こそが﹁道なり﹂の美学の真骨頂にほかならない︒こうした美学を凝縮したものとしては︑茶室などに通じる露地に敷かれた飛び石の配置が微妙に不規則なものにし
つらえられている例などをあげることもできるだろう︒あえてヴェルサイユ式の人工的な均整のとれた配置を排し︑逆に自然の不規則性を模倣するような動きに人を導くことによって︑﹁なりゆきまかせ﹂の不安定な︑新鮮な感覚を体験させるのである︒また︑こうした意図的な美学をふまえたというよりは︑地形や建築の都合など実際的な事情によるものだろうが︑山あいの宿屋などでいくつもの建物が不規則に曲がりくねった渡り廊下で結ばれているような造りになっている場合などでも︑同様の効果を体験することがあるだろう︒逆にいえば︑こうした野生の自然に潜む未知の動きに身を委ね
る感覚を日本の庭は模倣したともいえるかもしれない︒さらに言うなら︑こうした感覚は︑都会において整然とした都市計画が進まず︑迷路のように入り組んだ街路が野放図に広がっていくありかたにも無意識のうちに働いているといえるかもしれない︒放射状に大通りがひろがるパリや︑格子模様のように縦横に街路が走るニューヨークなど欧米大都市に比して︑日本の場合︑古代において中国の整
然と設計された都をまねた平城京や平安京などが設けられた例外はあっても︑その後︑近世から近代︑現代にいたるまで︑日本の都市は︑多くの場合︑ただ規模が大きいだけで︑その細部を見ると︑明治神宮御苑や山あいの宿屋と同様の迷路のような構造になっている︒東京の場合︑山の手と下町という地形に沿うように細かく曲がりくねった見通しのきかない道筋が続き︑そこをたどる人は︑ゆきあたりばったりに坂を登ったり角を曲がる度に︑思いがけない風景に出会って驚かされる︒それが東京を散歩する楽しみでもあるわけだが︑その楽しみとはまさに明治神宮御苑の菖蒲田をめぐり歩く楽しみと同種のものに他ならない︱その反面︑都市機能の面から見れば︑種々の混乱︑障害をひき
おこさずにはいないという代償を払ってだが︒︿借景の思想﹀日本庭園の特徴的な技法のひとつに借景というものがある︒京都でいえば嵐山を背景とした天竜寺の庭などが代表的なものとしてよく知られているが︑庭の外に見える山などの眺めを庭の眺めの一部ないし延長としてとりこむ技法
であり︑庭園にスケールの大きな遠近感︑立体感をもたせる工夫として発達してきたものである︒同様の趣向の庭園はヨーロッパなどでも雄大な山岳風景を背景とした山荘などに見られるが︑その場合には基本的に庭園は庭園として完結したうえで︑それを取り巻く額縁のように︑あるいは︑人の手になる庭園に対比される野生自然として背後の風景が広がっているのに対し︑日本の借景庭園では遠くの自然と目の前の庭とがあわせて一体となるように設計され︑眺められる点が特徴的といえる︒屋内の座敷や縁側に座って庭に向かうと︑手前の石や樹木を包みこみ︑溶け合うように山や空がひろがって︑その全体が一続きの風景になっているのである︒
あるいは︑多くの山寺などでは︑直接︑山そのものがむきだしのまま庭の一部︑場合によっては主部をなすようにとりこまれている︒たとえば鎌倉の瑞泉寺などが典型的だが︑臨済宗派の禅僧であり天竜寺︑西芳寺など多くの名園
の設計者として知られる夢窓疎石の作になるというその庭は︑谷戸とよばれる裏山の白茶けた凝灰岩の崖を荒々しく削り出し︑くりぬいた︑まるで月面でも思わせるような荒涼とした印象の︑いかにも禅の厳しい精神性を感じさせる
ものだが︑ここでは野生自然がすっぽりそのまま庭にとりこまれているのである︒さらにいえば︑借りられ︑とりこまれるのは山や海︑樹木などの自然物にとどまらない︒西芳寺は別名を苔寺とい
うように見事な苔の植生で有名だが︑その苔の美しさの真骨頂は︑季節や時間︑天候などによって︑ちょうど絹の織物が光線の具合によって色合いを変えていくように︑様々な緑の色調を浮き上がらせ︑変化していくところにある︒
あるいは龍安寺の石庭などでも︑石の表情が日の光や雨によって千変万化し︑敷き詰められた白砂が風の動きにつれて揺れ︑そこに雲の影が走るというように︑あたかも自然のドラマが刻々と展開されていくのを目の当たりにするよ
うな妙が見所のひとつである︒通常の意味での借景からは外れるが︑こうした自然現象︑自然活動の作用もまた庭を成り立たせる要素として借りられているのである︒
このように日本の庭には︑自然に依存し︑あるいは自然と協同して初めて効果が発揮されるような様々な工夫が仕組まれているのであり︑いわば人と自然が出会う場として設計されてきたといえる︒岡倉天心は﹃茶の本﹄で利休の
こんなエピソードを紹介している︒ある時︑息子の少庵に茶室に通じる露地の清掃を命じた利休は︑少庵が一枚の木の葉も残らないほど徹底して掃き清めたのにも満足せず︑﹁露地というものはそんな風に掃くものではない﹂と少庵
の未熟さを叱りつけたうえで一本の木をゆすり︑庭一面に錦を切れ切れにしたような金と朱の葉を撒き散らしたというのである︒そして︑天心はこの挿話について次のように評する︒﹁利休が求めたのは単なる清潔ということなどで
はなくて︑美しく自然らしいということだったのである﹂︒
︿盆景︑盆栽の小宇宙﹀また借景などと並んで日本の特徴的な作庭術に盆景あるいは盆栽がある︒庭なり樹木なりを盆や鉢に収まるほどに縮小して観賞するもので︑韓国の比較文化学者李御寧が﹃﹁縮み﹂志向の日本人﹄で説いた日本人の︿小ささ﹀偏愛文化の典型といえる趣味だが︑借景と比べると︑広がりに対して縮小︑野外に対して屋内︑自然のままに対して人為的加工というように対照的なこの技法における人と自然の関係はどのようなものなのだろうか︒この場合も西欧とひき比べてみることがひとつのヒントとなる︒盆栽のように縮小するのではないが︑樹木を人為的に整形する点で共通する技法が西欧の庭園術にもある︒これは特にイタリアやフランスなどラテン系の国々の庭園に著しく︑ヴェルサイユ宮殿の庭などがその典型だが︑シンメトリーを基本に整然と幾何学的に設計された庭園全体
の構図にあわせて樹木が見事な円錐形に刈り込まれ︑あるいは︑格子模様のような垣根に仕立てあげられているのである︒これに比べて日本の盆栽の場合には丹念な刈り込みや整形をほどこすのは同様であっても︑基本的に︑その造型は︑円錐形や格子模様のような幾何学的なものであるよりは︑自然なままの樹木の不規則な歪みや曲線を生かすようにおこなわれる︒
こうして西欧庭園の樹木整形と対比するなら︑日本盆栽の樹木整形は人為的な操作ではあっても自然の生態に従っていこうとする点が特徴的であり︑そこには︑道なりの造園美学同様︑世界を自分の基準に組み込んで統御しようと
する西欧人の能動的な自我のありかたとは逆に︑世界のありように自分を委ねていこうとする日本人の受動的な自我のありかたの差が垣間見えるのである︒︿アナログ的︑アナロジー的発想﹀さらに︑こうした西欧庭園の樹木整形と日本盆栽の樹木整形発想の差を原理化していうなら︑西欧文化︑とりわけ
自然科学に代表される近代西欧文化の分析的︑還元主義︵物事を構成する要素に還元して理解しようとする立場︶的思考と日本あるいは東洋文化の全 ホーリズム体論︵物事を一体的なものとしてとらえようとする立場︶的思考︑あるいは西欧の
デジタル的︵物事のありようを数値や記号などに抽象︑分節化してとらえる︶思考と日本のアナログ的︵物事のありようを具体的な相のまま写しとる︶思考の対照ということもできるだろう︒
このアナログ的思考とは︑アナロジー︵類似︶と語源を同じくすることに示されるように︑物事を真似る発想に他ならないが︑それはこうした盆栽に見られるばかりでなく︑日本文化のさまざまな面にあらわれる︒その最たる例は日本語における擬音語や擬態語などオノマトペの多用だろう︒物事のありようを描写したり︑感情や感覚を表現するのに︑たとえば︑英語やフランス語などの欧米言語で﹁淋しげに泣いた﹂というところを︑日本語では﹁しくしく泣
いた﹂というような具合である︒伝えたいことの内容を分析し︑抽象化して語るかわりに︑具体的な音感覚として示すのである︒
こうしたオノマトペの多用は︑まだ抽象的な語彙を習得していない幼児などによく見られる︱﹁自動車﹂の代わりに﹁ブーブー﹂というような︱ものだが︑日本人の場合には︑成人して抽象的な語彙を使いこなすようになっても︑
オノマトペから離れない︒とりわけリアルな感覚をそのまま伝えようとする時には積極的に使用する︱その顕著な例はマンガで︑視覚的な効果を強調した絵柄と組み合わせてさまざまに工夫されたオノマトペが駆使され︑成人にまで読まれる主要な文化のひとつにまで発達していることは日本文化の際立った特徴といえる︒このオノマトペの多用は︑対人心理の面からいえば︑序章でひきあいにだした土居健郎の﹃甘えの構造﹄で指摘さ
れていたように︑日本人が成人後も幼児的な甘えの心性︱自他の分別を認めたがらず︑他人との感覚や感情の一体共有を求め︑受け入れる︱を維持し続けていることのあらわれといえるだろうが︑他面から見れば︑造園法や盆栽に見
られるようなアナログ的︑アナロジー的感性ないし心性に通じるものといえるのである︒︿陰翳︱日本家屋の美学﹀谷崎潤一郎の﹃陰翳礼讃﹄は︑よく知られるように︑もともとは生粋の江戸っ子で江戸前の粋の美を身上としていた谷崎が関東大震災で東京を離れ︑関西に移住したことがきっかけで上方の伝統的な朧の美にめざめて︑その効用を
さまざまな角度から説いた日本文化論だが︑中でも︑谷崎が力を入れるのは題名にあるように日本家屋における陰翳の美学である︒
そこで谷崎は日本の家屋構造が外光を屋内に導き入れるにあたって徐々に濾過するように弱めていき︑それによって微妙な陰翳を生じさせる工夫をこらしていることを指摘する︒まず屋外の太陽光は家屋の外に張り出した深い庇に
よってやわらげられ︑ついで屋内に入って障子紙に濾過され︑一段とおぼろさを増す︒そして最終段階としては周囲に塗られた砂壁に光度が吸い取られ︑それに呼応するかのように部屋の隅や家具調度の陰から朦朧とした闇がわき出
してくるのであり︑このプロセス全体を通じて光と影の微妙な移りゆき︱グラデーション︱を演出するように日本の住居は設計されているというのである︒
こうした陰翳の効果の工夫は︑いわば︑西芳寺の苔や龍安寺の石が天候の具合に応じて呈する色調︑明暗の変化の妙を屋内にまで持ち込もうとするものといえるが︑同様に自然の作用を屋内にまで導き︑飼いならすようにして受け入れる文化のありかたは︑夏︑軒端につるした風鈴の音や簾を通して入ってくる風の動きを楽しむ工夫などについてもいえるだろう︒﹃陰翳礼讃﹄の冒頭いきなりくりひろげられる厠談義などもその一例にほかならない︒これは︑谷崎が家を新築するにあたり︑衛生面︑実用面を考えると洋風にタイル張りの水洗便所が良いのだろうが︑それでは味気ないと頭を悩
ませた話から転じて︑それに比べ︑関西の寺院などで庭先に隠れるように設けられた厠にしゃがみこみ︑周囲の草木の匂い︑滴る雨音などに包まれるようにして用をたす趣きの深さを讃えたもので︑実用を風流に転じる知恵の最たる
ものだというのである︒同様のことは︑欧米の家屋やホテルの浴室が窓のない密室であるのに対して︑日本では風呂場に窓を設けて湯船に
つかりながら外の景色を眺めたり︑露天風呂を楽しむのにも言えるだろう︒銭湯のペンキ絵︵近年ではタイル絵︶として描かれた三保の松原などの風景画も︑大正期になってからの発明であるというが︑こうした日本人の風流心を反映している︒西欧のどっしりとした石造りの家屋が基本的に屋外と屋内を遮断し︑密閉するような構造となっているのに対し︑﹁竹と紙でできている﹂とか﹁草庵﹂︑﹁茅屋﹂などと︑その薄っぺらさをからかい気味によばれたりすることもある日本家屋は︑むしろ︑屋外と屋内を一続きの空間としてとらえ︑屋内に自然の作用をよびこもうとする造りになって
いるといえるのである︒こうした日本家屋のありかたについては︑夏場の高温多湿の気候条件に適応するように造られていると説明される
ことも多いが︑そうした実際的な事情と並行して︑西欧人のように自然から自立した人間生活を営むよりは自然に同化︑依存して暮らそうとする日本人の心性を見ることができるだろう︒谷崎も引用する﹁掻き寄せて結べば柴の庵な
り解くればもとの野原なりけり﹂という古歌はよくその機微を示している︒︿素材主体︱日本料理の美学﹀﹁野生の思考﹂の再評価を提起したレヴィ=ストロースは日本社会︑文化のありかたにも大きな関心をもち︑数回にわたって日本を訪れ︑各地を調査して種々の報告をおこなっている︒多岐に渡るその内容は︑いずれも日本文化︑