國家財政の段階理論⁝
ーリグ夢一とシ議タインをめぐってi
丸 山
泰
男
/
鵬 序i−財政愈會學と政治経濟學
時代の激しき動きの申であらゆ馨就會事象が目畳ましき攣貌を途げるとき︑ぴとは屡々罐史の﹁段階しを巽
嬉し︑全膿の﹁構逡しを詮索する︒こんにち就會科學の殆んどあらゆる分野に見られる華即しき論争は︑畢寛
するにこの二つの問題を緯って展開せられてるるとさへ見ることが繊來やう◎総じて﹁段階﹂や﹁構造﹂をこ
と新しく問題としてとり墨げる態度は︑描き理論と新しき現實との乖離たよる危機意⁝識に基くものであり︑混
沌たる事象の錯綜の申から再び自己の研究開聞の位置を明確に見定めんとする努力を意味するものに他ならな
い︒何となれば重き理論に代るべき新しき理論の確立を企宣せんとするならぼ.何よ砂も先づ自らの研究封象
の謄史攣化における﹁段階﹂的位置と︑血膿的關聯における﹁構造し的位置とを規定してか蕊らねばならない
からである︒もとよりか繋る研究彌蔵の位置規定.もしくは本質把握への努力は︑あらゆる時代に於て理鍮研
國家財政の段階理論 ︵丸山︶ 九五
九六
究に艶事するものが少くとも既成理論に盲從せすしてなんらか猫自の研究業績を羅げんとするかぎ尊翁同避ず
べからざる論理的前提であると煮ぴえやう︒併しその要求の激しさにおいて︑はたまたその問題の深さにおい
て今日の如きはけだし稀であると嚢はなければなるまい︒然もこのζとは廣汎な接鰯面をもち︐複雑な異質物
を含む財政學の問題領域に於いては︑特に重要な意義をもたざ為を得ないことも見易き理であらう︒私がこ製
に財政學における﹁段階理論﹂と﹁構造理論﹂とをとり焦げんとするのも亦.ζれら二つの理論を通じて︑自
己の研究領域を先づ措定せんとする意圃に三つるものであ惹︒然しもとよりか製る困難な課題の積極的解決を
ら も
企てることは本稿⁝の如き小論のよくする慮ではない︒こ蕊では僅かに既成理論の検討によってわれノ\の論題
への豫備的考察と概観的展望を試撫んとするに過ぎない︒
周知の如く最近の財政學の研究業績はち或ぴは欝欝學化の方向へと進みも或ぴは政治維滋賀への撰充と云ふ り 道程を歩みつ蕊ある︒それらは極めて異った観黙と方法のもとに展開せられてるるとは云へ辱既成財政學の抽
象性や形式性を非難すると共に︑財政現象を政治と経濟との交流する場として把握し.しかもこれら二つの契
機を統二的に綜合せしむる理論としても翻しき財政學を企面して居る黙に於てはその軌を︸にする◎﹁財敷
魅會凝し幣ぎ§霧︒蝕︒圃︒彰・獄が國家財政それ自艘σ磯機を背景として成立し充とすれば︑﹁國門経鳥餌﹂︒︒蜜舞?
の 鼠慧8び既箆魯屋もしくは讐敵學の﹁政治経濟蒼しへの撰充は.國淑髪濟全艦の構造的言質過程を契機として
わ 志向せられたとも見ることが繊來る◎しかも継続財政に於けるこれら二つの内面的も外面的饗動が切り離し得
ない照慮關係をもつてみる限り︑財政學の二つの新しき方向も亦︑瞬つの理論の中に融合包撮せらるべきこと
の は翻然の成行と云はなければなるまい︒こんにち統制紅炉の進展にと愁なひ︑國民謡濟に占める縁家財政の比
重と機能とが︑一國の運命をも左右するていの重要性を加へつ鼠あることは多言を要しない︒そしてたとへ今︐
潟に始まったことではないにしても︑とりわけ現代の租税組織が羅に國家維費の調達なる心念のみによっては
把握し得ないほど複雑多岐にわたっておるごとも論をまたない︒このやうに統制維濟と國家財政とが相互に緊
密な構造的機能的關聯をもつに至ったことは何としても否定し得ない歴史的事實なのである◎か蒙る現實の歴
史的攣化に懸じて︑財政學も亦︑當然自己固有の研究封象へと内に向けられてゐ疫眼を外に縛じ︑歴史におけ
る薪たな獲展と塾全膿との新しき聯關を間はんとする︒かくしで﹁段階﹂や﹁構造﹂の理論がいはゆる新興財
政學によって華々しくとり上げられるごと蕊なる︒從って財政制度の解読的記述や國庫牧入の援術的研究にの
み絡議してみたやうな既成財政學はもとよ抄︑政治︑経濟︑事々︑倫理等のあらゆる財政外的要素を除外せん とする所謂﹁自主的財政學﹂鍵88ヨ①鶯霧鼓舞霧窪肋︒祭飯もしくは﹁純粋財政學﹂もまた新しき財政理論の手
ゑ ゑ を や 痛き批判の謝象とされる︒即ちか玉る立場においては︑既成理論はたとへ部分認識たの得ても全膿認識たり得
ないとして斥けられる︒それは抽象的形式的理論ではあっても︑現實を把握し現實を指導する歴皮的實践的理
論たり得ないと非難される︒併し從來の財政學のすべてが全膿から遊離し罐皮を無親した財政現象のみを研究
や も ち も 封象としてみた課ではなかった︒究極において全艘や罐史との關聯を論理的所與とし更には本質的前提としつ
國〜家財瀞欧の段階⁝遡菰醐 ︵丸由 ︶ ・九七
九八
玉︑自己の研究領域における實践的なもしくは理論的な原理を探究してみたことも否み得ない︒否むしろわれ
/\は既成財政學が却って絵りにも歴史的實践的であったが故に︐理論性龍心性に掛け過ぎてゐ允ことを亀看
・讐
過してはならない◎從って所謂画しき財政學が軍に内から外へ.部分から全盤へ︑そして理論から現實へと眼
を韓することによって︑自己固有の研究甥象を見失ひ︐理論研究そのものまでも等閑止するに至ったとすれ
ば︑︒それは財政學の﹁急心﹂ではなくしてむしろ﹁申断﹂を慧味するといって恐決して過言ではないのであ
る◎かくしてわれ/\はたとへ今期︐財政現象の孤立的抽象的な研究が許されないとしても.新しき理論に向
つて次の二つの問ひを飛することを禁じ得ない◎即ち財政現象の申にたぼ政治目的や経濟機構の反映現象のみ 一 を見ると云ふことは︑財政現象それ自膿の内面的量質を見失ふことになりはしないだらうか︑と◎そしてまた お や み ぶ や 財政無策を箪に経濟政策の川越としてのみ或ぴは更にびろく國家政策一般としてのみ把握する態度は特殊科學
乏しての財致學を却って無内容な形式化に逸しいれはしないだらうか︑と◎
もし財政現象それ自罷にか潤る特有な内實が認められないといふのであれば︑勿論問題は自から別である鴻
それは正しく財政學の砥會學への︑もしくは政治経濟學への獲展的解消を意味する!併し財政學を同門の猫立
せる學問醗系であるとし.少く乏もその圃有の研究領域を認めんとするならば︑か曳る方法によっては決して
財政學それ自流の理論的な擾充を期することも︑︑財政現象それ自膿に内在する現實法則や政策原理を把握する
ことも︑極めて困難であると云はなければなるまい︒た璽しかし︑このことはもとより︑財政現象を枇會的構造
關聯から抽象したり︑丈は政治や経濟に封抗させて外国化しようと欲してみるのだと云ふ風な意味に誤解され
てぼならない◎これを約言すれば︑財政現象の政治的・経濟的領域への關聯性を探究すること蕊︑財政現象そ
れ自髄の内部に直接に作用してみる政治的・経蛮的諸要素を槻察すること転は決して混同されてはならないと
云ふことなのである◎思懸忘れてならないことは︐とれら二つの方法は現代の財政理論にとって何れをも同避
することを許さない決定的な重要性をもつてみると煮ふことなのである︒財政學研究に於けるかNる内在と超
越との二つの方法を意識的に匠別し︑しかもそれらの何れかを揮って何れかを捨てることなしに︑一つの理論 のほ 艦系の中に包搦も︐ ﹁内面的關係を組立てる﹂と嚢ふことは恐らく他のいかなる耐會科學にもまして極めて困
難な課題となるであらう◎
もとよりか紮る理論と蟹膿隅との問の緊張蘭係は決して今欝に始まった悶題でもなく︑また財政學のみに闘麿の聞題で竜ない◎
われわれは如何なる祉砂壌學の騒騒更を綴いて見ても︑そして又こんにも祉愈露命のあらゆる分野に於いてもか忍る論撃が瞭
慮に示されてみるζとを容易に露華得るであらう︒然恵なほ泓が現代の財政學の領城に於て︑ζの問題が異常な困難性を添
してみると敢へて力観する所以に二つある︒一つは財政學に限らず︑あらゆる瀧奮科學にとって通事なことなのであるが︑
現代と云ふ時代が從來の如き患轍方法によっては把握し得ない全く本質的に新しい襟脚を呈しつ蓋あると云ふ事蟹なのであ
る◎換言すれば︑環代の政治︑縄潤︑斌會︑諸現象が絹互に緊密な構叢叢聯をもつに簗つだため︑軍に傾城分裂︵考銀崖ゲ め 酔触Φ一戸鰻戸戸三鵬︶や部分合理化︵︑臆¢鄭戦野二︒釧婦獅︸㏄一⇔構鍔鵠鵬︶ のみを濤とする如嚢⁝従鳥笛欄憂世學的方法の鮫鷹⁝を−桶めて鋭く露ハ回せしめてゐ
ることなのである︒
寺家財政の聾粋階⁝理論 ︵丸山︶ ﹁ 内九九 ハ
一〇〇
留災にもう一つは︑財政現魚かなる・もの︑それ貞舳麗が一山力には國家政笛冷の要求に墓き擁藤野には闘一民終躍一の榔臨力に係はりつ工︑し
かも爾者を擢力的手段糞よつて結びつけやうとする極めて復雑な構造聯瀾と亀ってみると云ふ艶︸とである○然もこの場合政治
と経贋とを羅に概念的に並列せしめて︑次元を局じくする部分領域として圏式的に取扱ふことを許さないと云ふ極めて困難な
事情が伏在してみるのである︒我々はか義る二つの事情を充分に考慮に入れつ芝もなほ︑箪に﹁奏上理論﹂や﹁現象理解﹂
やはたまた公式的な﹁辮謹法的吏灘難に走ることなく︑蕪⁝しき合理理論の可能盤を主張したいのであるが︑鼓では之れ以上
か紮る方法論的問題の深みに立入ることを越けやう○
われわれが今日経瞼しつ義ある財政現象の雁史的本質的な攣化は︑もとより薔い財政形態の解膿と新しき財
政形態の建設への過程として把握するときにのみ︐始めてその花しき姿に於いて認識し得るであらう◎從って
の 現代國家財政の歴史的攣化を﹁参輿制度﹄︾簿の亀§鵯誘静§かち﹁統制制度し霜露霊亀馨需導への過程として︐
の 或ぴは﹁租税國家﹂︒︒審磐屋欝舞より﹁企業者酒家﹂φ纂④讐魯ヨの誘欝鴛 への傾向として︐更にまた無産國家よ ゆ り資本國家への﹁厨家の再所有化﹂寄鷺︒男節匪魯脅︒・禦霧樽$として把握することは恐らく誤りではないであ
らう︒そしてか玉る超しき﹁段階﹂や﹁類型﹂を想定するととは︑たしかに現代財政現象を理解し︑その獲展叉
傾向を認識するために︐極めて示唆に富んだ試みであると云ふべきであらう︒併しながら財政現象のみに限
らす︐噸般に枇會現象の帯化といふものは︐決して過激な改革とい蕊如き性格をもつてはみない◎いはゆる革
するからである︒從って國家財政に現れた新しき性格なり機能なりを.直ちに恰も現代財政現象のずべてであ
夢︑本質であるかの如く論断することは︐少くとも現寸把握の態度としては全く一面的解繹たるを冤れ得な
い︒マンハイムがいみじくも指摘した如く.すべての蔵會現象の歴史的攣化と云ふ竜のは︑全く新しく建てや
5とする家屋に比せられるよりは︐むしろ走ってみる聞にその車をとり換へなければならない汽關⁝車に讐へら
れる方が遙かにより蕩なのであ㌦かくして言あらゆる政治経濟薫化の金環に現れてみる警原理︐
と新しい原理との並存もしくは競合はヤもちろんその叫部門である財政現象に於いても見られみところであ 亀 ︵ し る◎從ってか馨る歴史的攣化の正しき認識によってのみ複雑多岐な現代國家財政の實態を把握し︐その滉臨と
矛盾を除去すべき方策を見幽し得ること㌧なるのである︒
ところで既に一般に認められてみる如く.現代の政治と経理の現實に於けるあらゆる緊張關係は︐結局のと
ごろ自由と統制︵政治原理︶螢利と充足︵燈下原理︶との新奮二つの原理の並存に餓することが出來る︒そし
てか逸る政治的経濟的矛盾それ自膿はたんに﹁統制維濟論﹂や﹁政治維湿婆﹂ のみの問題たるに止らす︐む
しろこんにち僧事全艘のあらゆるディスクレパンツの原因であると見て竜差支へない︒從って財政現象もま 鋤 た︑購買力分布の﹁調節﹂もしくは﹁再分配し男a醇甑ぴ頭型として︑或ぴは國民資本及び産業部門の﹁調整﹂ ゆ ︾器澱一〇尊として︑更にまた﹁経翌夜要素をめぐる國家政策としての配罎﹂︐もしくは政治目的のための経濟資 ゆ 力の﹁配分しとして把握するこど拡全く正しいと去はなけれぜならない︒そして叉︐財政現象を敵會組識や政治
國家財政の段階理論 ︵丸由︶ 願〇一
ノ
一〇ご . 励 ・ 機構の史的獲展における﹁原因﹂もしくは﹁徴候﹂として︐あるぴは政治勢力と維濟勢力との﹁統合﹂濁窓鴨? 紛 臥◎諜として理解することも決して誤りではないであらう◎もとよりとれらの研究は夫々異った方法や理論を背
景としてはみるが︑画家財政と政治︑経濟︑就會一般の諸現象との緊密な構造關聯を極めて鋭く提示し︑露呈し 覧 質今
囁てるる︒しかしそれにも拘らず︑否むしろその故にこそ︑か玉る構造理論が﹁輩なるプログラムを展開するし
と云ふ隠構に陥り易いことを銘記しなければなるまい︒かくしてわれわれは財政現象の﹁段階﹂と﹁構造﹂の
研究を始めるに當って.何よめも先グこれらの研究に俘ふか製る困難と危瞼とを充分に意識して置かなければ
ならないのである◎
註 0ゆ 財政學の政治心素學への方向は形式的には一儲二つの方向に四面せられるであらう︒即ち一つは財政學の側から
統制縄濟の理論と結びつくことによって︑國家財政と翻民経濟との構造線機能的蘭聯を探究せんとする方向であ
も も や へ も も る◎竜う一つは國家と経濟との關聯を理念的もしくは分析的に規定認識せんとする政治縄濟學が︑從來動もすれ
ば閑却建れがちであった継継財政の理論を意識的に慮らの内に吸総包擁せんとするあ万向である︒か紮る梢互閣聯
のイ轟シアテーヴが財政學と縄濟學との何れの側にあるかによって︑聞題下理の色調が極めて異ったものとな 唾︑. も︑ る︒叉それが政泊豊富學の側にある場合に於いて竜︑・その理論騰系が理念的であるか分析的であるかによって亀
諜常に蓮つた姿が現れて象る︒併しわれわれの問題はさうした形式的織溺にあるのではなくして︑むしるそこに
も や 提出された財政理論が財政現象それ貞髄を如何に統︼蘭に︑議しくは理論的に兜握してみるかと云ふ隻質的な職
でなければならない◇
.② 周知の如く王候の内鼠に關する雑然たる技徳即知譲の集舎であった﹁官房學﹂から︑その研究職謝象を主として國
海ド
ぢ や 家攻入にのみ限定する﹁財政學㎞が分化域隣し︑從て﹁馬弓経濟講隔はより廣汎な豪家の縄澱的濤動全般か︑亀
しくは攻入のみならず経費を毒含めた財の流入流串現象をその研究内容とするものとせられてるた︒しかし最近
は再び財政學を閣財経濟論の巾に綜合せしめんとする傾向が強い◎たとへば
芝曽誘笑マの器︾ ¢誉葬色命膿葺薦黒き吋弓自酌舞謬欝欝晒9鉱鍵諭達ρ回轟9◎︒
搾客●驚§許 磐碁鍵譲贈酎窮︒ゴ鍬静§器戦N魚礎固8ρ
洲︑h鉱︵ざおさ 9り鱒舞霧急慧自・臨舅漆瓢炎縛き○露互箕○き3お蜘09
等の用例を見ても明らかである◎なほ大畑身丈﹁租税園家論証昭灘九年︑九頁以下細密◎
③﹁財政融會學﹂なる學派の成立が漿太利2學春ゴールトシャイ塾によることは︑今H一般に認められてみると
こるである◎そしてその提唱が第一次世界大戦のさなか一九蝋七年に行はれ︑然恵﹁國家瀧會主義か⁝國家資本主
義か一公債問題解決のための財政趣意學的考察一しなる極めてセンセーシ潔ナルな書名の竜とに串版されたこと
は特に油羅に訂する○ ︵汐乱○零Oo嬉蓉副諸到國鳩も6箏㌶湊○臥艶昼型ゴ蕊○無勇ω欝象三才鷺蕊ごμ曜墓戦陣貯蜜讐緊○臥90σ︒⁝鶉び費
寓〇一齢暴頒謡﹃ピα着桝薦無㊦肋もな肯鍵富零穿汗冨滋︶醜三︶寄諺3おぐ︶●
その翌年陶じく維納でこの聞題がしか竜純粋縄濟學の俊オシ講ムペーターによってと勢上げられ︑ ﹁租税國家の
危機﹂と題して財政就粛粛に封ずる新たな見解が獲袋せられたことも亦看過し難き專賓である︒︵智器℃ぴ○06嗣憲筆
℃魚︒がごδ岡く臨鴇釦票紛樽の蓉湊触彗5お蕊∀
か蕊る例謹によっても當時國家財政の危機が如何に深刻なものであり︑論究の驕心を偲してやまなかったかを知 も も ち り得るであらう︒併し財政融會學の最近の一代衷とせられるズルタンの竹國家砂壌論衡に於いては︑ ﹁一政油維
も ち ゑ や な ぢ 恩恵の一部門としての撤會病的財政灘論の試作一﹂なる油識すべき翻題が附せられてみる○︵鶏葎暑①講も︒蕊欝ギd搾
翰︒捗舞錺櫛ぎ塁ぎ蓉謬.<⇔溌き﹃息葛戦¢§榊︒回︒ヴ㌻鍵9窪回︑ぎ鍵§囲鋼8甑ζ拳鶏赫︑回︑甑一拳μ費︑識霧禽冨伽鷺℃◎一陥蜜◎酬回⇔影○硲閥︒き影5
國家財醜肺の段階理紘醜 ︵丸凶︶ 一〇三
疹
(9>(8)
(7> (6) (5) (4)一〇四
おω箇︶σ ・ ξ
こエではむしろ提來の政策的・歴更的・財政罰灘欝欝を理論的・晶系的・政治縄繍學へと櫨充せしあんとする極め
て野心的な企圏が見られる○ ︵ズルタンについては︑東京商科大學研究年報纏騰學研究第毛唐所載弓丈︑水村元
一﹁財政冠雪學に聡する一考案一特にズルタン﹃國家牧入論臨を中心としてi﹂欝欝◎︶
なほ周知の如く経濟學の側から獲せられた財政現象への意識納接近としては︑簸近の統翻経濟に瀾する彩しき理
論的丈献に於いて︑︑不況克服︑欄占統制︑瀞費規制︑産業韓換︑資力配分︑所得移輔等の種々の側面から國家財
政の稜極的機能に野し多かれ少かれ論及されてみる◎しかし纏濟政策の一環としての欄々の財政問題が臨片的に
取扱れてはみて竜︑國家財政それ揖盤の︑竜しくはその全般にわたる統回的な理論および政策は鯨り提示されて
居らないやうである◎われわれの財政學研究の課題はさうした最近の研究業績を考慮に入れっ蕊︑新しき財政原
理を把握究明することにあみと思はれる︒
國家財政の危機なる事態が既に國畏縄濟全騰の危機識しくは縫動の部分現象であると竜云へるのであるが︑一鷹
概念的に姦しくは叢生的にこれらを麗溺することが綴謬ると思ふ◎なほ井藤孚彌博士は財政類聰の歴更的鍵化め
原因として財政羅鵬の内面的事情と勉會纏濟の外面的菱化とを︷瞬げられ爾者の不離の醐係を強調して居られる◎ 〜 ︵同博士著﹁租税原鋼學誠の構蓬と生域し八五f八七頁世盛︶◎
遍W
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猟簿︸鎮ρ簗浮臨山鳩 ソぼ一声︒犀鋸疑鐸○慶色膨巳導h一一ヨN鉱窮開鐸島窪¢ぎ酬︶艶一ジ謬恥讐06●図餐.
罵艮震録鍵︸窪舞剛ポ じ陣③も薩け舞3≦暮蓉︸繁津鐸鐸ひ巽禽R累計だ輌ρ¢鞠6.鷺!回◎
鷺霞び費︷醗銭欝ジ¢⑫ヴ㊤境伽設く禽ゲ鐵3欺く︒鵠馨2⇔憎艦㌶嬉嬉萄¢三興詫ン囲ご費湾舞r属藷搭繋属犠︷綜○.<.も謄︒剛属§鳩饗伽彌劇ω・鼻團い︒
》
謡
(三2)(王】〔) (夏◎)
(韮4) (翼3)
(韮17)(夏6)
(15)
︒ ◎ 男根◎竃○◎慰︒・魯魚斜 警卸3ひ蒙瞬瓢H麟9禽類舞ゆ︸枯野§伽○登窯︒・6夢ゆ鷺伽獅P璃≦ゆ偽.お幹蕊矧.
岡く簿ユ竃簿曇旨魚諺博跨じ節●○.もα・歴 が
︾.ン♂拳ゲa〆 二二薮○面識︸6舞艶甑8箋8蝋夢①づ.鈴ポ︑︑錘町費≦鍵津︒江Φ欝・℃.⇔回轟臨 一
︾・○辱蒔◎戸♂絹83慈8︒h/︽象9唖︒エユ耐の2回8も︑もら◎U籏
類・髪・憎gぎ ↓節養臨◎二銭筏≦の一夢βおN登口︑勢囲蕊・
土方蕨美﹁財政學の基礎概念﹂⁝経濟就會と財政現象一大正十二年 三一七頁以下謬照◎
老甑渉5伽お器博○毎巳冷び︒ド讐澱魯回軽羅器嵩も○榊霧捗聾三訂︒︒魯玖巳象漆おお鳩G農もり.よ細ぶρぶや
永霞清﹁財政學の展開﹂昭和十七年 一一頁◎
大熊信行﹁政治輝濟學の問題﹂昭瀦十六年 九三頁︑ 一八七頁◎
冒器℃摩もOoξヨ℃驚φ♪ ご贈ぐ蟄溶誘ζ妻侮塁む農釜州ゆ叢釦鈴3お回Q︒矯艶守今◎§伽誘鋤欝◎もゆ鑓.Q喋・団. ︐
木村元一縞財政融會學に熱する考察﹂ ︵東京商大研究年報輝溺研究第七號︶の引用に擦る︒
甲♂き象も︒駕回欝二/ご一の乙︒酔募蓉ぎ舞ご琴ご℃図凌乱鮨︒書£・
φ9回§類︒幕霧釦・・滋養翻︒鉱◎冨駒ρ鴫・器蓼︒欝男冨暮⁝の・鳩図8騨︒︒●囲3
?
二 財政段階の理論
蓼︐
財政論の領域において財政現象の罐史的獲展を段階的に︑もしくは類型的に研究した例は極めて多い︒殆ん どすべての財政墨者が多かれ少かれこの問題に論及してみると云って竜決して過言ではない︑恐らくこうした
嚢外財政の段階理論 ︵丸山︶ 一〇五
揮
繍〇六
事態が既に財政斜なるものが理論経濟學など塊は違って︑所謂﹁精密科墨﹂的方法の適用を極めて困難ならし
めてみる事惰を雄溜に物語ってみるとも云へやう︒そうしてまた財政學のもっか疑る歴史主義的傾向は.嚢は
璽近代財政學がその成立以來もちつづけてきた一つの宿命的性格でもあった︒何となれば︑その演立をワグナ
ーに員ふと云はれてるる近代財政學は︐猫逸官房學︵U窪誘︒訂頻麟難無跳・︒甑渥︶をその源流とし︐しかも獄ッシヤ
ー︑シュモーラー等の﹁駆史學派﹂華かなりし時代を背景として成立した學問であったからである︒
︵たとへ締濟學よりの財政學の欄立牲を主張する爲だつたとは言へ︑そしてまたそれは忍言岸派に通有な一つの時流的傾向
であったとはいへ︑ザグオ辱やシェタイン の財政學書が先づ英國﹁古典學滋﹂ への強い論難と批鋼とによって始⁝められてるる
ことをひとは想起すべきてあらう◎︶
.さてこのやうな財政學に於ける歴史的研究の混沌たる氾濫のなか瓦ら一−それらは勿論財政現象に封ずる方
法意識や本質規定によって夫々.その段階庭劃の基準を異にしてみるではあるがーーこ瓦では先づワグナーとシ
を も ユタイ.γのそれをとり上げて若干の考察を加へて見ることにする︒ 一
既に後世の財政二者によって雑然たる知識の集合として批判された如く︑ワグナーの財政學読が理論的禮系
的であるよりも︑むしろ極めて歴史的倫理的な内容を具備してみたことは紮読を要しない・とごろであらうゆ
︵そしてもとよ夢後期連弾學派に遽有なことなのではあるが︑彼においでは特に︑後堕する如く歴更的であることが直ちに
倫理的であることを意味してみたこと︑即ちこれら蝋嚇つが殆んど同義語として用ひられてるたことに注意すぺ壷である︒︶
恐らくそのことは彼自身も亦自ら意識してみた腱であり︑むしろ進んでか甦る態度をとったとさぺ見ること
が繊亘る︒たとへばかの批大な租税原則を展開するに先立って︐それが決して﹁純論理的であり得すして罐史
ラ ほ ラ 的範疇に聴する﹂ことを強調したあたり︐また肚會政策的課視目的を主張しつ蕊︐それがたとへ﹁非論理的馬︑ う であったとしズも實際的には正しいと辮明したあたりにも︑さうした彼の意圃が充分に窺はれるやうに思ふ♂
か瓦るワグナーの歴史的實際的傾向は財政現象の段階的把握に於いて遺憾なく護擬せられ.真庭に種.々雑多な
段階設の読述となっぱし現れて居る︒然もそれらが言葉の嚴密な意味での段階概念にまで整理されす︐不統一の
ま瓦個々の財政事象の心事に云は穿便宜的に探用されてるるに過ぎなかった︒ワグナーは先づ﹁強制共同経濟
業風﹂たる國家がその必要とナる財貨獲得の方法として︑の人民の自由意志による提供︑⇔國家自らの生
産︐購入︑借用︑⇔人民への強制的賦課の三つを霜げ︐これらを歴史的獲展の順序に配列し︑古代は第剛の方
法.申世は主として第二の方法.たf補助的にのみ第三の方法が行はれ︑近世に至るに從って第三の方法が支 わ 配的に行はれ.るとする◎
かくして財政現象の嚢生的成立は先づ申世より近世への渦渡期に求められ撫十五︑六世紀より現代に至る財
政の歴史的獲展に主力が注がれる︒そこでは政治耽會は一︑氏族時代曾ぎ無︒︒︒酬瀞.頃傍触凶◎綜﹀二︐市民時代︵・・酵簿︑ の §三密茜⇔島︒訂蜀鼠◎傷⑦︶三︐馳會時代︵昏︒8羅︒響8ぎ︶の三つの段階を調て嚢節するとされる◎もとよゆか製︹
る三段階読は財政現象そのも?震段階として提唱されてるる課ではない︒しかし財政現象の雁鵠震を 下家財政の段階理論︵丸山︶ . 繭〇七
一〇八
制約する極めて基本的な段階概念としてかれの財政學論を支へる有力な支柱とされてみたのである︒魁とよ妙
われわれはかかる段階が當時の猫逸の歴史的肚會情勢の所産であり︑それによって裏附けられてみたごとを看
過してはならない︒.即ち一方においては︑氏族的封建的な領邦國家︵目0腰触一魯◎糟凶簿一切齢鈎拶轡︶より專制集横を経て聯
邦墨家︵ご6錫潟創ζ毒9り於鈴鋤梓︶に至る猫逸統一と市民的自由への闘争と︐か玉る政治情勢と共に起り來つ充維濟枇會の
著しき興隆護展の時代を過去にびかへてみた︒併し他方においては︑急激な工業化の進行と共に漸やく尖鋭化 の されんとする肚會的心立や就會主義蓮動の時代が既に眼前に展開されてるたのである◎々イゼルがいみじくも
指摘した如く﹁称税騰系が末だなほ﹃市民﹄時代に忙殺されてるる間に︑既に次の魔會時代がとぎれとぎれでは
ハ あるが強くそして鋭くその扉を叩いてみた﹂のである◎ワグナーも幽界ら張評してみるやうに︑第︸段階歳り
第﹁二段⁝階への過程と共に第二段階よ直り第三段階べの進展を意識せざるを得ないほど︑極めて憂動的な縣換期に
立ってるたのである◎かくして課税の一般性を基礎づけるためには﹁市民時代﹂のもつ公法性が指摘ぜら細
また就會政策的課税の安當性を實驚するものとしては﹁就會時代﹂︐の段階概念が採用せられること蕊なる︒な
るほど財政現象手癖の歴史的国恥段階としては︐ 既にロッシャー︑㌻ユタイン︑コーン等によって一三認定さ
れた私法的私経濟的離塁より公法的國家部濟的牧入への方式︑換言すれば﹁官有財産牧入しょの申間段階とし
ての﹁特構事業牧入﹂をへて﹁租税牧入﹂へ至ると去ふ財政學読の傅統的な三段階読が.ワグナーに於てもそ
む のま玉踏襲されてはみる︒また彼自らの創唱によると鼓はれる課税決定の政治的羅馬段階としてはも猫噺的賦
課U留︾鼠Φ讐茜儀興⇔6霧傍︒蕊鑓轟契約的決定O貯藻潮謎σ費︒・ヨ惣艶鴨図︒σ費・・ぎ薩伽禽瞬婁窪興き㈹立憲的承諾 ゆ ⇔♂く︒鳳蕊鈴轟・・国勢鵬戯ぐ参Gりな謡扇6濃紅σq離謎のこ一つの段階が颪別せられ克明に論述されてはみる◎
併しそれらは過去から現在に至る專制よ参立憲への︑私法より公法への租税制度の合理性の進展を基礎付け
るものとして扱はれて居るに過ぎなかった︒換言すれば︐前掲の第一段階よ夢第二段階への.即ち﹁氏族時代し の より﹁市民時代触への過程を表現するものに他ならなかったのである︒その意味ではか蒙る段階齪分はワグナ
翻りつてはそれほど重要な意味をもつてみなかったとも見嚢とが出軍やう・むしろ彼がより大きな注意を
彿ぴ︐積極的に主張したのは︑第二段階より第三段階への︐即ち︑﹁市民時代しょり﹁馳會時代﹂ への推移進
展であった︒たとへば彼が課税決定の三段階を述べたすぐ後のところで特礎的冤税から普遍的課税への獲展を
や み ゑ や 更に決定的ならしめるものとして︐ ﹁離塁的課税時代﹂の意義を力詮してみる︒また市民時代には純財政的な
み せ も や や 比例税が︐ ﹁敢會時代﹂には事事政策的な累進税が徴牧せられることをか製る段階読の事實聖駕誰として張調 恥 してるる◎即ち彼によれば﹁今臼以後に於ては恐らくはその直接税と闇接税︐比例粉と累進税も資本牧釜と勢
働牧釜との課税に差等を設くるや否やの諸問題について有産者と無産者との闇に砒會的闘争が営々劇甚を來さ ゆ んとし︑所謂﹃就會的課税時代﹄たるの名に背かざる時代が現出せんとしつ製ある﹂︒そしてか鼠る新し逢﹁祉
會時代﹂に於ける租税闘禦を解決し論意する﹁デウ卿・エクス・マキナ﹂とそは︑彼の主張して燐まざる就會政
策的課税に他ならなかった◎即ちワグナーにおい℃は﹁肚會時代﹂が國家による改革を要求し.そしてか製る
國家財政の段理論糟︵丸海︶ 一〇九
願噸○ 助 改革を實現するために何よ参も先づ財政手段が必要とされたのであるゆ歴史的磯展を通じて現れ來つた大きな
も を ゑ 理論的實践的諸問題に封ずる實誰的な就會政策︐維濟政策.財政塗壁をワグナーは求めんとしたのであり︐彼
の言葉に從へばそれは﹁今や財政學獲展の就會段階に総て財政學に輿へられた︐たとへ唯剛ではないにして 励 も最大の課題であるしとされる︒かくして氏族−市民i就會の三段階読こそは.画家杜漏主義者としてのワグ
ナーの混沌錯綜せる財政難読を支へる礎石であり︑種々雑多な⁝獲展段⁝階の羅列に蝋つの統一を與へる核心でも
あったことを瞭らかに看取し得るであらう︒從って彼の三段階説は一つの實践的意岡によつて貫かれ︐すぐれ
て政策的性格をもつてみたと云びうる︒併しか製る段階説そのものは決してワグナーのみによって唱へられた 馨 わけではなかった︒次に述べやうとするシュタインもまた既にワグナーより以前にとれに極めて類似しだ段階
読を提示してみるのである◎
シュタインによれば財政制度の膝史的獲展は先づ不自由から自由への方向を辿るものとされ︑それは 8︑
封建的氏族時代︑⇔︑主棲的市民時代 ⇔︐立憲的屋濟時代の三つの段階に匠別せられる︒しかし彼は更に今 勒 や新しき第四の段階﹁就會時代﹂が生れんとしつ製あることを張凝してみる︒そしてかxる段階護展こそは
﹁ゲルマン的な世界史的時代の最も一般的な暴礎﹂であ妙︑何よりも先づ﹁響一翼ッパ御家経濟生活の旛史﹂
であり︑財政制度の各部門も亦﹁か玉る輪廓内において各自の歴史酌爽展を有する﹂に過ぎないとされる︒そ
あ ま ごにわれノ\は同じく激しい墜動時代を維験したシュタインの段階読とワグナーのそれ志の閥に並々ならぬ脈
絡の存することを知るであらう︒いなむしろワグナーの段階説は極めて多くのものをシ識ダインから學び取つ
允ちさへ思はしめるに充分なのである︒.併しそれにも拘らす︐爾者の段階理論の闇には根本的な相違があった
ことを見逃してはならない︒シ識タインは財政學に於ける肚會的理念盛・︒・◎賦鋤の鷺9の登場が資本形成の過程
を阻害し.それと予醸するものであの.結局に於いて財政それ自製の基礎を破壊するであらうことを論理的に
強調してみる◎そして﹁純輝財政嚇しはむしろか魏る不明瞭な倫理的理念の犯ダベからざる限界を明確に指示 珊 すべきであることを主張してみる◎從ってワグナーが﹁無漏時代﹂の段階概念を實践的積極的に把へたとすれ
ば︑シュタインはむしろ之れを理論的消極的に観たのである︒換言すれば︐かれは所謂﹁耽會時代﹂の動來を認
めつエもなほ︑ワグナーのいふ如き財政外的な就會政策的課税を直ちにしかも指導原理として︵即ち就會時代
融言捨課識代として︶認めることを馨したのであ㌦も攣りかの繋な﹁現代フランスの就整
義及び共産主義﹁O露︒な◎鉱鉱甘葛蕊§鎌図満覧欝詳ヨ器量ωぽ9黄露図軽§ξ魚93蕊魅︶の著者たるシュタインが
﹁就會時代﹂のもつ軍要な意味を知らなかった筈はない︒否むしろそれを先進國フランスの赤裸々な現實の姿
に於い℃極めてヴィヴィドに把へてるたればこそ︑枇會政策的課税の危瞼と矛盾とを指摘せすにはおれなかっ
たのであらう◎言ひ換へて見れば︑ワグナーのやうに就會時代に於ける﹁ヂゥス・エクス・マキナ﹂としての
書肺政策的租税を要求し主張するには︑シュタインは歴史的實在としての﹁砒會時代しについて攣りにも多く 鋤 のことを知り過ぎてみたのであらう6從ってか纏る態度はワグナーのシュタインへの反批制に見られる如く
翻璽表財政の一段階理⁝論 ︵丸山︶ 輔扁輔
ニニ .
﹁時代後れ﹂の古典派の残津である;よ夢も.むしろ経濟理論へのよ診慌しま認識と歴史的磯展へのより確かな
把握によるものでありたといびたい︒彼にとっては﹁枇會時代しにおける上家財政が輩なる形式的市民性より
も︑むしろ就會的階級性によつて決定されざるを得ないことはも醗りにも臼明な歴史的前提であるとされてゐ
な あ も も たのである◎しかもなほかれは國家財政と資本主義維濟悪事との循環的構造關聯を﹁有機的に﹂把握してみた
が故にこそ︑國家財政の被制約の面を強調したのである◎ .
ヤ や ︑從って彼の段階理論はワグナーのそれよりも理論的には遙かにすぐれた償値をもつてみたと云はなければな
らぬ◎併しそれにも拘らす︑むしろその故にこそ︐猫逸財政學の疋統無派より皮肉にも﹁時代後れしとして疑
ざれ︑ コ下聞輝かしい光を嬢めはするが︐やがて我々を深い曙黒の中に果す花火の打上げしに亀喩へられた 鋤 のであらう◎
かく七て我々は同じく激しい手動の時代に庭しながらも︐ワグナーとシ識タインとのごつの段階理論が全く
封手的な性格をもつてみたことを明らかにし得たやうに思ふ︒繰返して言ふならば﹁市民時代﹂より﹁祉會時
代﹂への推移を︑ 一方は理念的︐主観的に把へたとすれば︐他方は實在的︐客観的に掴んだと云ぴ得やう︒換
言すれば.迫り据る激しき﹁就會時代﹂は︐ワグナーにとっては純財政的財政が後退レ︐就會駅馬易々策の實
あ ゑ 現せらるべき段階であり︐所講﹁國衆敵會主義﹂時代であるとされ允の︽擁して︑シュタインによればそれは
資本制就會もしくは﹁市民時代しに基く歴史的必然﹂客観的所産の段階であるに過ぎず︐鞭って﹁純財政的﹂
財政と﹁砒會短し財政との矛盾競合する時代であるとされたのである◎もとより段階把握へのか謙る封立的な
相異は充分な方法論的自演の上に現れたもρではなかつ允︒ ︵たとへばワグナーが財政學を實質的に経濟墨の
噸部門としたのに面して.シ篇タインは﹁國家科幽しの一分置であると主張したに亀拘らす︐夫々の︑學論内
容は全くその逆ですらあった!︶否むしろそれとは無關係に︑云は穿新なる時代への﹁観黙しの相違に基く
ものであったといびたい︒同じく時代の輻換を意識しつ蕊も︑継史の動きをワグナーはむしろ後方から︑即ち
﹁市民時代﹂の側から見たのに封して︐シュタイン億反って前方から即ち﹁肚會時代しの側から眺めたところ
にか蕊る浴衣の封立が生じたと解すべきである◎云ふまでもなく辱ワグナーもシュタインも共に猫逸理想主義
の流れを汲み︐その限りに於いてたとへ異った槻黙からではあるがプ凝シや國家の経濟砒會への卓越的地位を
認めてみた︒八だからシュタインも亦︑ワグナーとは違った意味で並家就園主義者と呼ばれ得る!︶しかもなほ
ジ訊タインは新しき段階に於ける﹁國家の﹃理念﹄と﹃幽幽﹄との争心を充分に意識し.資本主義的時代の内 鋤 在台輪法則性を明瞭に事實に即して探究してみた︒﹂ 從ってスミスが自然調和の世界として把握した國家を越
えた﹁商⁝磁器會﹂8欝鑓禽︒簗︒・◎6帯錯の段階を︑またリストが望ましき﹁毘常状具しとして彼の二丈段階⁝論の究
極目標たらしめた農工商時代をシ識タインは﹁就會時代しとして︑もしくは﹁産業敵領し︵︷民騒面一8の$・㌣ 鋤 8冨浄︶として歴史的實在的に把へ得充のである◎
併しワグナーの考へた﹁肚會時代しは︐かれ自ら歴史的範疇として強調してみるにも拘らず︑フライヤーが
國家財﹂政の段階一理論 ︵丸・山︶ 一一三
二四
暴くも指摘してみる如く言葉の隠密な藻での雰鋸疇で笈かつ︑むしろそれは重璽義時代の轟
あ あ も 的國家観︐と自由・モ義時代の法治的國家襯とに封ずる第三㊧﹁國家醗脅童義隠し國家母ともいふべ嚢政策的範
疇であったと云ふべきであらうゆ︵そしてこのことは更に彼の構遭理論とシュタインのそれとを比較検討する
ことによってより一贋明らかにせられるであらう◎︶ かくしてワグナーの段階理論そのものもまた︑恣意性と
理念性の故に︑更に根本的には彼の學論それ偵艦の愛再訂の故に︑財政學読のその後の焚展において殆んど無
幌せられること蕊なったのである◎
さて以上によってわれぐ︑は近代的財政學の成立期に於ける段階理論の理念的と實在的︐もしくは歴史的と
政策的との二つの型を見たのであるが︑それらは今日如何なる意味をもつてみるであらうか?われノ\もまた
ワグナーやシェタインの時代にもまして今日一つの大きな感動の時代に生きてみるのであり︑從って財政現象
の新たな段階理論を探究すべく要講せられてるる幽そしてまた嚢に蒸れた如くいはゆる新興財政學の諸論者に
よって既に多くの段階理論の提示が行はれてるる︑しかし財政段階の理論が財政學それ自韻の域立に際して極
めて重要な意味をもつてみたに臨拘らす︑その後㊨財政迂論の毒魚においては鹸りにも顧みられることが少か
った︒そしてその理由は既に明らかにせられた通りである.またその故にこそ︑既成財政學の多くが軍なる
財政制度の法規的記蓮や︑個々の財政間題の實際的読明に露髄すると云った事態が見られたのであらう︒かく
して財政現象の段階的研究が方法論的意識を伴って再び登場するに至るには︐いはゆる財政砒薄墨ゐ勃興まで
またなければならなかったのであるが篭果してそれらがこんにち充分な解決を示し得たであらうかアそこで馬
亦われ/\は理念的と實在的もしくは内在的と超越的.更に或ひは静態的と動態的のもろくの性格を見出す
であらう︒もとより今それらに就いて詳述する飴⁝裕を竜たないのであるが︑しかし結局それらもまた國家財政
と資本主義維濟との構造關聯に封ずる見解の相違に基いてみることを指摘しておかう︒シュタインやワグナー
がたとへ充分に意識してみなかったとはいへ︑資本主義の高度化としての﹁縦會時代﹂の段階概念は彼等の時
代とは違った意味ではあるが︑三蓋に干ても否それにもましてより蝋贋重要な意味をもつてみると嚢はなけれ
ばならない︒かくしてわれくは更に稿をあらためて︐シュタインとワグナーの財政構造の理論を検討する必
要に迫られるのである︒
註 oり ︾︵ζ℃プ≦姦蓉♪ 峯添簿曇葱・・器湊︒︸鏡P潤門ぴの騨楠雛急●転㏄鳴9㏄・諺9 ︵⁝⁝囲紘︒簿拷疑お︸℃ケ9ぎ落℃も・◎蝕窪二齢帥︒・
勘魯Φ溶纂£︵三Φγ 瀧本氏抄講 四二七頁︒
② 鈴艶○.ρ出や 抄謬 四九〇頁◎
㈹ ワグナー霞ら被の﹁冠會間題講演﹂を論難したオッツベンハイムへの﹁公開書簡偏○蒙謬費切ユ象霧瓢嚢葺甲静等婆・
○㎞︶℃窪︸おゴ. 禦昌︸一≧魚ζ§鞍ざげ︒落窪一画回護跨下騰二恩鷺σqo調瞬づぐう⁝器ズ皇の難︸嚢象⇔凱oo鑓擢屑幌おの㌶眺審穫○◎ε冨学
く⇔羨ヨ蓬乙毎薦襲◇っ嵩︒ に於いて︑それ寮で濁逸経蟹緯書を支醜してるた古典學振の﹁蒙りに竜抽象的な傾向を⁝⁝
ゑ う ゑ 歴更酌研究によって訂正することを學んだ﹂と蓮べてるる︒大河内一男⁝︑猫逡激奮政繁意想史﹂一セニ頁引絹に
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附幽幽ゲ財政の段階副蝿瓢醐 ︵丸山︶ ︐ 偏圃五
醐紬六
曳5) (4)
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鈴●溝︒.○.も自も○・輪刈舛一楠C心摂 〃抄鯉獲闘一山バーご○輔貰O 転 ヤ も ぬ たとへば第二の契約的決定の・時代に於ては︑王室の三大緊急事︵王子の元服︑王女の結婚︑三王の牒放賠償︶に ゑ のみ限って課税が認められ︑從って私法的︑公法醜要素の混合竜しくは過渡蒔代であるとされてみる◎
︵鉾艶C.艶墾き轟曹︶
鈴鈴・○・融螢・ω窃e勧一もき心心◎ 抄戴騨四六三一悶エハぬハ宵バ◎
井藤牛彌博士﹁財激學原理﹂三流覧頁以下饗照︒
鋤︑撃ユ●O︒む○.沁ゆ回︒ 四抄鯉膵 四二山ハ頁O
ワグナ望が所謂﹁斌會的財政々策﹂として主張した政策内容は大骸次の三黙に要約するζとが撫來る◎
一︑勢働階級の厚生を貨的とせる濫費の鑛大︵電鍵保瞼︑暇育︑徳生︐馨療等の諸施設ノ︒
ご︑租税鼓策に趨る所得分配の修正︵龍田簿蓬︶ハ累逡諜醗︑糟纏税︑専修晶税︑臨縛所得税等︶
脇
三︑特定産業部門の鮭鱒化︵くの糞鑓象︒解毒煮2︶◎ もしくは公共閣髄経管化つ︑︒築◎影響回三野⁝①讐圃日びq︶による濁露
過大資本の抑塵︵蓮輸︑逓信︑銀行︑水濫︑燈火︑市街馳等の國有國螢︶<㈹ピ康器薫鼠駿Φ湯︒プ勲滞餐碧讐
鴛累︒鐵鉱ご彰5ω如e●図ご一犠◎◎植
なほ︑ワグナ了の勢家二軍主義全般の内容については︑大河内一男﹁濁漁⁝融會政策思想更﹂二三三頁以降謬照Q
嚇鷺寓塾鼻鉾避︵h︶○︒b②ρ
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師一目⑦・Nく︒・レ︒︒帥のぱ角し診醜ご戸・︒一戸伽⑳剛審μ鈴・浅鼠①㏄ゆ・副・雌︒嗣尉麟3蝋・済ぱρ麟三の回け§購︒︒・︒・・︒︒︒1鰍6φ榊戸正M氏邦謬 禰蕊
七頁f八頁◎ ︑
功斜勲○.器・翼︒︒1まρ 邦謬一九一頁f二〇七頁︒
終 この揚合注意しなければならないことは︑ワグナーが﹁純財政朗し課税と云ふのは實は比例三男を意味して居⁝る 只
に過ぎず.これに謝して既寡の研得分配になんらかの縫化を與へるあらゆる累⁝進酒税はすべて瞥驚會政策醜鉢課
糧とされてみることである︒然るにシ訊タインに於ては︑祉會政策的秘税といふ書葉は資本を叢食し︑縄濟を破
処するが如き極めて高訓の累蓬課税として概念されてるたことである︒從って﹁國家飛會主義と財政政策﹂に
蘭する掛者の見解の饗立は︑さうした言葉の解繹の相愚にもよるのであるが︑それよりも躍るそこに爾庸の親購一
の根本的な相異が見られると思ふ︒累遙課税を以て輩に規範概念のみならず規實概念としての瀧會政策的租税で
あるとなすワグナ︸の見解が誤れることは︑既に井藤愚答博士﹁財政學原理偏三五一買以降に於いて明侠に批捌
せられてるる︒累蓬課税は賢本主義の壁隣に俘ふ所得の偏差に竜とつく結果なのであり︑圃家敬入の獲得と云ふ
純麗軍議鶏酌による課観であると見るべきである︒こ瓦に資本主嚢経丁目滋會の歴・墨的爽展に欝するワグナーの
論理的把握の鋏如が露呈せられてみる︒
國家財・政の一段階闘議購 ︵丸山 ︶︐ ・ ・ 一一七
(22) (2王) (2◎) (三9)
(23)
ご八
≦勲鵬鐸②び 魁蓼.麟○ゆyもαもα●.窃黛桝i績轟Φ.を
御︾訊タインはワグナ︸の財政学を批剣して次の如く云ってみる︒ ﹁財政學の各々の優麗駒な部分を搦立した研
究業積にまで高めた︑ことは一つの大∵鷺な功積ではあるが︑併しその爲に全面の統一盤への膚機的把握.殊に理論
髄系の明瞭さ細よび歴更的意味の確實さを見番ってみる秘︒﹂と︒も農8鍵℃ど⑫ぴ貸費劉︾ω停ぶメ
○並翼親︿/O︒︸田詞飼・も︒翼⑦影餌㊤種愁ぎ簿拶獣鼠雛・蔭︒卿り頓9鎚3μ⇔ゆ夢や蓄
甲汐霧喝ぴ饗騰﹁登包魯§鵬剛ぎ象⇔ω§︒ご臨の●邦七一〇六頁︒
野タも︒窪糞○霧9圃︒周回δ9鑑§琶窪ぎ壽ケq§σq貯津§ξ魯剛.︿§譜︒︒ゆ︑一v疑義h琵鶏お︑好事㍉聡図︾麟蔭99︒◎岡?
§◎ギい翻鎌4幹騎◎ 舜
本著に於いてはシ麦イン経會獲展の歴更を瘍の段階に騰労し夫々を継謝的勲虚弱・◎囲.溝.︒.呈國・象粒﹀経
濟的概會︿o甚蓬簿娩穿無色︒囲岡O⇔鉾︵︷・μみ鴇﹀産業的勲倉二品蕊践③忌・○舞︵嵩●も謄漁慧︶と名付けてみる◎<磯鴬攣野
ρ・<◎暁芝︒騰轡鳥辞溝潮齢霧澱9¢賊⁝誕×回く杉村廣藏﹁縄濟妻琴長尾﹂九九頁以下滲照Q
属雲緕穿窺g固︶凶ゆ灘≦璽臨急ム鐸≦帥蕊⇔回属津一鋤℃姦霧◎冨ぎゲ20霧ズ鼠蜘駿回や︸接務舞曾議鳩お譲●ρぶρ
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