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私 所 有 権 の 個 人 的 及 び 就 會 的 機 能
●井上.紫電
私有財産制度が入間の本性に窮極の基礎な有すろ自然法的制度なうが故に︑入間の恣意に依り腰棄するな得ぬものなる所
以は本誌葡號(第十三巻下冊)所載拙稿︑﹁私所有権の自然法的基礎﹂に於いて述ぺし所であろo本稿に前稿との關蓮に於い
て︑私所有擢の本質に基く機能な明江せんこと為意圖すうものであるo
幽︑序論難
孤立的自律自足的個人を出嚢鮎とし,総ての理論を構成ぜる近世個人主義︑自由主義の立場に於いては↓各
人が天賦の自由を有し︑此の自由に基き各人が自己の利害のみを考慮しつ玉行動せば︑必ずや各人は自己の欲
するところを嵐ち得て幸幅となるのみならナ︑天然の理法に依れば各人が自己の欲するところを追求せる場合
に於て︑肚會全膣も亦調和ある幅耐を招來するものと認められる︒此の立場に於ては個人の自由こそは繕野的
原理であり︑早入格的訂由の延長と目せられる所有権も亦偶んの絶封権の﹄に属する℃所有椹は絶封であり︑そ
私所有擢の個人的及び祉會的機能(井上)九七
〜㌔h・・顎︑,さな九・九入・
れは所有物に關し爲さんと欲する総てのことを爲し得る樫能を包含するゆ所有者に課せらるべき肚會的義務の
如きは架室の幻想に外ならす︑例へば土地の所有者は之を耕蒜するも︑荒蕪の儘放置するも全然自由であつ
て︑何入も之に異議を挾むべきではなく,文人はそ.の所有財産を濫費するも︑若しくは貧慾に蓄積するも随意
であり版慈善の如ぎは道徳的義務に非すして全然任意の行爲と認められる︒斯の如き肚會的敷用と正義に合致
せざる所有権の行使若しくは不行使あ吻とするもそれは問題ではなく︑所有権絶野の原理が個々の所有権の濫.
用故に疑問説せられることこそ遙に不都合であるといふのである︒之自由主義の基本原理たる嵐ωω窪建器の
ヒ 原理の一表現匿櫨ならない︒フテジス民法の規定﹁所有椹は法規の禁止したる場合を除き︑物を絶封的に使用
虚分する椹利なり︒﹂((いO鮎O︑O鱒く一一α恥ら)並に大盟之に倣つたものと認められる我民法の規定﹁所有者は法令の制
限内に於て︑自由にその所有物の使用︑牧釜及び盧分を爲す権利を有す﹂(民法二百六條)も亦斯の如き思想の
具禮的顯現と謂ふべきである︒
然し乍ら右の如き自由主義的見解の到底左祖し得ざる所以は今此塵に喋々するを要しない︒斯の如き見解は
人が肚會のうちに生れ︑肚會のうちに生活し︑就會のうちに自己を完成せねばならぬところの肚會的動物であ
り︑杜會の成員たる個人は肚會の輻魁安寧に從属し︑從つて個人の所有椹も肚會の薦証安寧に寄與すべき方
面︑肚會的性質を有するζとそ否定せる謬諭である︒︑のみなら渉我の自律(9︒昌8昌︒§一︒含日&が生活及び行動
のの原理となり総ての人間活動の目的が﹁我﹂に存するとき︑自由主義者の樂観的豫想を裏切つて︑如何なる塞
心すべ︑き現實が招來せられたかは過去の歴史が之を示す如くである︒此の立場匿於灘醸他圃人闇・礒箪な尉購我辱
13の道具に堕し轟二貧しく弱き者は富める強き者によつて搾取せられて省ちれるごとなく︑.就會不安嬢醸域ぜら
れ︑我幽幡棄鍵匿鐸の害悪を完全に克服するには至らないのである︒.卜・
・上述の如き所有椹の肚會的性質を香定ぜる島,由主義的見解に反封し︑その就會的性質を強調するの飴り個人
的性質を否定せる理論はd̀σQ乱縛に依つて盟系的に読かれ︑且つ購讐塾ラライズされしことは周知の如望であ
る︒(註)̀ド
註﹁所有構の祉會的性質な鰻調する思想の崩芽に既匹経濟的自由主義の先騙者とも云ふべ黛重農學菰の理論のう%に霧在←激
とのことであろ︒●重農學滋の指導原理な確立し六る岡話εoぢρロ窪葛矯に依れば﹁杜會の自然の秩序に於ては冠會の総て.
の戊員にその能力に慮じて夫々全盟の輻証に買献すぺきぞありその爲にこそ富に憩から與へられ﹂(円ρ月B冨ざ隻伽曾の
団註.α︒・仲亀§3巳§き︒冒爵g象u葺g窪℃・蒙傷︑受窪︒o︒告:耳g,α︒嘗巴︒9︑g︒≦鳩Hゆ學蕊︒)︒.
此の故に所有者はその富を全髄の幅肚の爲に用ひればならぬといふの.てあるo叉ρロo鍔ミの學観な髄系的に記述せる
・﹂冨︒吋︒一︒噌山£騨空く旗婦︒に依れば︑﹁祉會とは入と入との關係蕊刀生ずる擢利と義務の蓮鎮に外ならず﹂漉の散に﹁義務な伸
㌧はざろ舗肇く瀬利葎にざろ霧裏い︒﹂﹁その義灘馨すで︑実依つてのみ構利窒有し得ること蓋霧
序の自然的且つ本質的法則に基くのである︒﹂(冨︒邑臼山︒ド因凶忌曾ρ︒凶$山碧︒︒守巨Oo障甲国︒器峠り︒ヤ9p廿・ひo)尤も斯の幌如く所有馨馨的讐露め2而も結論に於て経濟的個入主讐建芸に重量派の矛盾ど馨られるところでみ
ご﹁ぢ︒島〜.卜.甲凡︑.レ♂㌦一
(︑O轟鼻は(︑P$窪碧紘o村ヨ鐘o昌㈹曾かH巴σ含﹂3需甥才伽偶ξ巳ω﹃Oo倉Z巷o幕oP葛昌Q︒.のうちに於て︑所
私所有構の個入的及び薩會的機能(・・井上)九九
1)尤 も 自 由 主 義 的 理 論 に 軍 に 富 あ る 強 昏者 に あ み 肴 利 な る と こ み の,彼 等 に 婁 馬 の 理 論 で に な い 。 此 の 理 論 が 無 産 階 級 に 俵 叱)て 利 用 せ られ 茜 と慮,理 論 醤 そ の 儘 で あ り 乍 ら而 も肚 會 主 義 の 名 な 以 て 呼 ば る へ と こる の もの に 轄 化 す 滋 の で あ る 。 「現 代 の 杜 會 主 義 は 第 三 階 級 の 爵 由 生 義 に 外 な らぬJìLesocial・
ismemodemecξstlelib6ralismedutiers・6垂 乱A.Vaユensilsで1ait6dedめi歴 nature1,TomeII,1925,P.85.
エ∴為︑一乱棺.ー㌧・i・.・.一〇〇
有権ぶ蔽會の繁榮の爲塵不可訣の條篠である所以を述べた後亥の如く読いて居蔦ゆ懸﹁然ル所有穫は権利で依毒
い︒それは一の枇會的機能(剛9鼠oロ︒・o︒Σ︒)である︒所有穫者即ち富の保持者は︑此の富を保持するといふ事
實に萎蕪藁すべ嘗會的籠を享る︒.禦砦器藁す限芝於て所喜どしての彼の鴛榛護
せられるが﹂若しも彼が此匹使命を果さないか或は悪く果レた場合︑例へばその所有地を荒蕪の儘放置する乏
か︑或はその所有家屋を利用することなく腐蝕するに委せて置くような場合には︑財貨の性質に懸じて之を
の使用すべき所有者の就會的機能を彊制的に果さしむるために薄政府が干渉するこどが合法的となるのである︒﹂
﹁富の総ての保持者包窪︒捧︒舞)にとつて︑所有棲とは客観的秩序に基く義務︑その保持する審を肚會連帯を維
わほ持増進する爲指ふる義務である︒﹂﹂∬
之を要するに財貨の所有者は杜會の爲に之を利用する橿能止義務とを有するのであり︑,肚會は所有者がその
・義務を履行する程度に慮じて之に保護を與ふべきものと認められるのである︒尤もUロσQ鼻も所有者がその所
有物を個入的需要に充當するζどを否定するわけではないぬ﹁所有者はその所有物を個人的需要の満足︑即ち
・彼自身の肉盟的︑〜智的︑道徳的活動の稜展の爲に用ふる義務と椹能とを有する︒﹂即ち所有者が彼自身の稜展
に賓する爲に爲す行爲りみ︑が法の保護に債するのであり︑曜裁判官は肚會にも所有者にも何等の利釜を齎らさぬ
行爲を爲す櫻利を撞否し得るもめと読く︒︑例へば自己の利釜の爲に貸屋を建てるζとは自己の肚會的猫立を目
的とするものであるから許されるが︑4隣人を害する目的を以て屋根の上に無用の高き煙突を立てることは許さ
2)IPugU'iち̀OP。cit・,P・.3疋 ・
3)・Duguitジop.ゴcit.,P.;60 4)4)uguit,OP.cit.,P.1.65
コ
れない︒蓋←後の場合に於ては所有者に何等の利釜を齎らさす︑●又肚會蓮帯に何等の貢獄もな婆ないからであめ畜ヤといふのであるゆご'..τ,̀,.マ巧∴・〜.争ぜ一r匡︑烈
.︑U轟¢一丹が在來の個人主義的所有禮の観念を排撃して︑その肚會的職分を強調せるは建に正當であり︑・その法
律學に寄與せる弐なる貢献は高ぐ評債せらるべき竜のであらう︒田然し乍ら反動は屡々反封の方向に行き過ぎる
悉の・であり﹂Oゴ㈹鼠壁の見解も所有櫻の肚會的機能を彊調するめ絵診それが個人に奉仕する方面を有するこどを
否定せる鮎に於いて誤謬を包藏するものと謂ふべをである︒﹁所有櫨は杜會的機能ではない︒成程所有構は冠
會的機能を有するが㌘然し同様に所有者個人め爲に役立つといふ目的︑此の︑目的故に所有穫が椹利たるとごろr
ラ の目的をも併せ有する︒∴此め権利はO昌碧搾の艦系に於ては否定せられてしまつて居るのである︒ト所有擢の
個人的性質を否定するこどの誤れるほ後蓮のところより自ら明となるであらう︒︑尤もO茜昌鳩・所有櫻が肚會
的機能なるととを主張しつ淘も︑他面所有物が個人的目的に奉仕すべきことを認め︑所有権の就會的機能のう
わちにはその所有物を個人的需要の満足に用ふべき特殊の義務を包含すると設く︒然し乍ら何故に個人的需要の
満足が杜會的機能たか得るかはOロσQ巳磯より読賜を聞風を得ない︒U口σq巳鳶の定義に依れば所有椹とは財貨の保
持者が﹁肚會蓮帯を維持増進する爲にその財貨そ用ふべ紳﹂義務に外ならす,,如何にしても個人的慾望の満足
が肚會的機能の途行であ葛とは牽彊するを得ないのである︒⁝.〜.・︑・∴と'・̀・︑..‑
上述のところは所有櫨の個人的性質のみを強調してその肚會的性質を否認せる自由主義的見解︑並に所有椹
私所有構の個入的及び肚會的機能(井上)一〇}
5)Du窪uitに 依 れば;一 般 の學者 は斯の如 ぎ揚 合 には確利濫 用の法理な援 用す る ことに依つ て愛當な る結論転 導 き出 さん として勾 るが,然 し之 「所有 確 の紹 劉 性 よりの論理 的蹄結を遜 けんが爲 に法 律學者 に依つ て襲 明貿 られずこ一 方便
欝 濫〉 ら 暴 鹸 £t謝 劉錨 豫 蕩 羅2矯翻 囎 藍 露 騨 蛙
的 行 使 な 決 定 す る こ とに 極 あ て 困難,否 殆 ん ど不 可 能 な こ と に 驕 す るJ(op.
cit.,p.201)o之 に 反 し て 所 有 構 な 砒 會 的 機 能 と観 念 す れ ば 論 理 な 弄 ぷ こ とな く當 然 安 當 な 結 果 に 到 達 す る と い ふ の で あ るo
・,'∵/乳︑.口㌧‑一〇一^一
の薩會的性質を強調するの飴りその個人的性質を無覗するところの肚會機能読の素描であるが︑前者は所有権
が全禮の幸幅に事へる方面を有すること︑即ち私所有構は之に依つて地上の財貨が最もよく全人類の用に供せ
られる爲に存在することを忘却せるものであり︑後者は私所有椹が個人の幸幅に事へる方面を有すること︑即
ち私所有椹は之に依つて各人が自己及びその家族の生存を支へる爲に存在することを無覗せる﹂ものである︒,
然し乍ら私所有権は此の二つの謬読が夫々否認せる個人的及び肚會的方面を併せ有する︒このごどは私有財産
の制度の存在理由︑︑その必然性の根擦を省ることに依つて容易に之を知り得るであらう︒私有財産制度は個人及
び家族の生存︑杜會の卒和︑秩序︑'経濟的繁榮等の爲には必すや存在せねばならぬ制度であり︑それは外界の,
物資が最も数果的に人類に奉仕する爲に最も適切なる方法として存在する制度である︒此の故に私所有櫨は二
重の方面︑即ち之にょり個人及び家族が生存を全ふし︑その目的を達成し得る意味に於藥の議幅.に幕ぺる
方面と︑更に之に依り肚會の亭和︑秩序が保たれ︑勤榮心が刺戟せられて財貨がよサよく生産せあれ︑以て全
人類の爲に存在する地上の資源が︑その目的を最もよぐ實現する意味に於て全禮の幸幅に事へる方面とを有す
るのである︒然らば私所有櫻の二重の方面︑その個人的性質と就會.的性質は具罷的には如何に調和せらるべき
か︒吾人は聖トーマス並にその流れを掬むズコラ學派の所有櫨理論に於ける必要財の所有構︑及び剰絵財の所
有棲の観念の中にその妙じき調和を見出し得ると信する者である︒財貨に封する所有櫨の申︑必要財の所有梅
はその本質上個入及び.家族に奉仕すべきものである意味に於い︑て個人的機能を螢むものであ隻︑剰絵財の所有︑
6)MelgPoyenMq虹n,cit6da45Pau1Cos・te‑Floret,op.cit.,P。71.
7)IDu謬Ptt,OP,cit?P・ 歌65・
;;羅 鴇 瑳繊 撫 麟 」(「商學論 第+三翻 國 。
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