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商品瞭究
萄蕩粉に關する研究
西田彰
三
一︑緒言
本邦は島喚にして地勢峡長︑加ふるに山岳重聲して眞の李野と稽すべきもの蓼々カるものあり︒
而も國民の常食は干野作物πる米食に偏重し︑人口の過剰は食糧の不足を起誘し︑荷しくも雫野に
して水田にあらざるなく︑殆んと他の作物の耕作を許さ¥る状態にあり︒現在耕地総面積六百十六
萬二千町歩︑内︑田三百五萬三千町歩︑畑三百+萬九千町歩︑是を國土総面積三千九百十一萬五千
覇筋粉に關する研究二〇九
4 商學討究第一巻(上)ご﹄O
町歩に比すれば僅に一割五分七厘に過ぎず︒而も年々田となるべき李野減少して︑將來田畑となる
べき未墾地一百萬町歩中︑田となるべきもの三+萬町歩に封して畑となるべきもの七+萬町歩の比
例なり︒以て水田作の將來愈々行詰となるべきは明なう︒思ふに卒地耕作に偏重にして山岳耕作の
顧られざるは︑勿論山岳は癖稜にして牧盆平地作に及ばざるものありと錐も︑叉耕作の種類経管の
方法にして宜しきを得んか︑山陪耕作と錐も敢て平地耕作に比し遜色なきものあるべし︒即ち萄蕩
栽培の如きは山岳耕作に適し︑普通の李野作物に比して遙に優良にして反當二︑三百圓の純利盆を
畢げ得べく︑是に從事する農家は常に生計富裕なり︒特に莇蕩の栽培が如何なる山間僻地と錐も適
せざるなく︑桑︑楮︑三極︑桐等の如き木類のみよb殆んと栽培し能はざる程の山岳に適し︑而も
之等木類の間作としても優に反當百圓の牧盆を畢げ得べしと云ふに見るも︑如何に山地作物として
有盆なる物力るや知るべきにして︑本邦山林面積は國土の雫数に達し一千七百四十萬三千町歩︑此
の牢歎八百萬町歩が將來是等木類及萄蕩等の山地作物に利用し得るなれば︑國家の幸慶是に過ぎる
ものあらぎるべし︒
是を食糧問題よう考察する竜︑萄蕩は軍に生食用として慣値あるのみならず︑是を紡績用其他の
工業用糊として利用せらる\こと近時頗る登達し尤るを以て︑從來米︑褒︑馬鈴薯︑甘薯︑其他の
O
澱粉等の如き食糧原料を工業用に消養するの不経濟を緩和し得べく︑且つ鍋蕩の糊として有効牽は
普通澱粉の百倍乃至二百倍に竜達すべければ︑一反歩よう得る莇蕩糊は一町歩の米︑褻︑其他の澱
粉糊に匹敵し得べく︑結局糊原料として清費せらる\是等食料作物を眞に食糧としての慣値を登揮
せしめ︑間接に國民現下の食糧問題解決の良材料πるべし︒
往時鋳蕩の利用は殆んと其九割を食用に供せらる\ものにして︑工業用としては僅に軍陣に用ひ
カる釆配︑纒︑雪合勿の糊料としてのみなbしが︑近時覇荊糊の利用大に研究せられ︑其最多量な
る消費額は紡績用糊︑特に天俄織糊︑擬麻布糊︑木綿蚊張等に重用せられ︑絹織物糊︑機織加重糊︑
飛行機翼糊等にも賞用せらる︒叉其の塞氣を透きざる性質を利用して輕氣球嚢︑塞氣枕等に愛用せ
られ︑水を洩さ璽る性質の慮用としては氷袋︑雨合勿︑防水布︑天幕︑防水救命衣︑帆布︑雨傘︑
ソーンコート︑婦人東コート︑食品カーバー︑擬革紙用︑模造パナマ暢︑模造護護︑オブラート等
に用ひらる︒其他活動寓眞ヒルム︑セルロイド代用品︑電氣絶縁帯︑化粧原料︑経木張付糊︑家庭
用事務用糊︑菌類培養基︑印刷用茜蕩板︑ローラー等︑工藝的利用は近時化學的研究と共に盆々駿
達せんとする趨勢を示し︑今や鋳蕩粉の海外に輸出せらる\あう︒海外に於ける科學的研究並に本
郵に於ける特許製作に属する未知の利用の如きも僅小にあらざるべく︑家庭用被服張糊としては僅
︑萄窮粉に關する研究二一一
商學討究第一巻(上)二一二
に三銭の慣格の鋳蕩粉は優に三枚の輩衣を糊付するに足るべく︑叉精粉製造の際に生ずる飛粉は壁
土粘着用︑炭團糊︑蚊取線香糊︑婦人髪洗糊として賞用せらる︒特に近詩爆螢捌としての利用研究
も亦道程にあるもの\如く︑其利用の範圃奈邊に迄振大せらる\や想像を許さ冥るところなう︒
高蕩の経濟的橿値夫れ斯の如し︒故に生薯の領格は歎年來騰貴して尚需要盆々壇加し︑生産是に
伜はざる怨あう︒其作付反別二千町歩︑生産額一千萬貫︑債格一千三百萬圓を超過せんとす︒將來・
務蕩耕作を奨鋤せんか盆々産額を壇加すべく︑農家副業として鷲業と匹敵すべき領値を有するもの
なること︑本邦中其栽培の最も盛なる岡山︑群馬︑輻島︑茨城︑宮崎︑廣島︑静岡等の農家等の認
むるところなり︒今鋳蕩栽培の農家戸藪を養盤戸藪程度に振張せしめ得るものとして(全國農家戸
藪の三+五%)鍋蕩栽培反別を桑園反別と同等とするときは鏑蕩の作付反別は六+萬町歩となる︑
是を反當準均二百圓の牧入あるものと見て優に一億二千萬圓の年産額を學げ得べし︒加之︑鍋蕩粉
製造は養霊業と衝突せず︑多季農閑期を利用して精粉に從事するを得べく︑間接に農家に適當なる
冬期副業を與ふること\なる︒故に是が生産塘加を計るは農家纏濟上重要なる關係を示す竜のにし
て︑今日本邦農村疲弊に劉して局面展開の一政策として最竜有効なる産業なりと云ふを得べし︒
務蕩なる食品は古くよう支那南方の人士の食膳に供せられπる竜のにして︑北方の人士は今街甚
しく賞味せず僅に天津地方に行はる\のみなう︒由來支那の食品文化は北方黄河流域に螢鮮しカる
竜のと︑南方揚子江流域に磯達しカる竜のとあう︒黍︑稗︑粟︑穫︑玉蜀黍︑南京豆︑大小豆︑大
小褻︑楽種︑酒等は前者に属し︑生縣を創製せり︒是に反し南方は米︑砂糖︑茶︑綿花の如き重要
産物より紅︑藍︑胡瓜︑大蒜︑胡麻等を生産し︑茶︑豆腐︑鋳蕩等の食品を創製せb︒
元來鏑蕩なる植物は天南星と共に有毒植物にして︑[和漢三才圖會[に本是毒草而其生萄蕩有毒鼠
食之至死と記せう︒即ち古來之を毒草の類に牧め僅に藥用に供しカる程度のものなbしも︑其初め
毒を除かんとしての原始的庭理法πる灰汁を以て煮る乙とを考へ︑偶々以て餅と成るを磯見し︑更
に之を精製して遂に今日吾人の見るが如き凍子を完成せるものなるべし︒
﹁開寳本草一に蕩頭味辛寒有毒主癖腫風毒摩傳腫上播砕以茨汁煮成餅五昧調和爲茄食性冷主消潟性
戟喉出血とあり︒蕩頭即ち鏑蕩なう︒蓋し支那上古に於て蕩と鋳と各別檬に登達したる丈字にし・
て︑漢名本草の古典﹂爾雅一(紀元前五〇七年)に鏑蕩の文字なし︒其初めて鏑蕩なる熟字の現はる
るは[丈選一(紀元五二入年)左太仲蜀都賦中にして︑有橘柚之園則林檎枇杷椎柿其圃則有務蕩茱萸
瓜疇芋囁甘簾辛藍陽薩陰藪︒更に唐代劉達注丈選(紀元七一入年)左氏蜀都賦中に蕩草也︑其根名
蕩頭︑大者如斗其肌正自可以茨汁煮則凝成可以若酒俺食之蜀人珍焉︒即ち蕩は草にして其根を蕩頭
萄莇粉に關すろ研究二=二
商學討究第一巻(上)二一四
のと稽し︑其註解に依て鏑蕩なるを知るべく︑當時既に栽培植物たるを窺ふに足るべし︒
一開寳本草﹂は柴の大租︑開寳六年命尚藥奉御劉輸逸士馬士等九人取蜀本草︒馬士爲之註解するも
のにして世界採藥史上最古の記録にして︑而も其蜀の本草を取りしと云ふによう茜蕩研究の記録と
して最も重要なるものなり︒馬士日ふ︑蕩頭出呉蜀葉似由蹟宇夏根大如碗生陰地︒
即ち丈選並に開寳本草に依るに︑茜蕩は唐代︑宋代には主として蕩頭と呼びしもの\如く︑左氏.
蜀都の賦に於て初めて茜蕩なる熟・字現はれ︑李時珍の本草綱目亦之を探用し蕩頭を調蕩とし︑本邦
本草學者は由來綱目を以て漢名索引の玉條となすを以て︑莇蕩の丈字主として本邦に行はる\に至
れり︒
天草綱具明ノ世宗始干嘉靖季攣萬蔑寅)時珍日︑蕩︑鑛蕩出蜀露州亦有之呼
鬼頭︑閾中亦種之︑宜樹陰下掘杭積糞春時生苗︑至五月移之長=一尺與南星相似但多斑黙宿根亦自
生苗其滴露之読蓋不然経二年者根大如碗乃芋魁其外理自味麻人秋後探根須浮擦或掲或片駁以嚴灰汁
煮⁝十飴沸以淘換水更煮五六遍即成凍子切片以若酒五味掩食不以舳灰汁則不成也切作細縣沸湯約過五味
調食状如水母縣︒
萄蕩の本邦に入うしは既に一千年以前の上古にして︑一延喜式﹂(紀元九〇一年)によれば當時の
陸田には黍︑穫︑粟︑稗︑大屡︑小姿︑蕎姿︑大豆︑小豆︑大角豆︑普.蒜︑葱︑瓜︑茄︑羅敢あ
蚤︑外國よう輸入せる胡麻︑叢︑舶豊弱︑紅藍等を耕作せbと云ふによわ︑當時既に鍋蕩の輸入せら
れて本邦に栽培せられたるを知るべく︑勿論莇蕩は本邦に於て九州に野生するを以て當時竜野生種
は存在せるには相違なきも︑當時の本邦人は未だ野生務蕩の利用に就て考究するものなく︑全く南
支那の此の栽培鋳蕩を奇異なる眼を以て輸入したるものなるべく︑即ち唐の末世︑宋の始世頃既に
茜蕩が本邦に傳來し虎るを知るべく︑西紀八〇〇年頃は本邦よう盛に留學生を唐に派遣し彼國の佛
敷並に其文化を輸入しカる時代にして︑我名僧最澄(傳敏)︑塞海(弘法)等の唐よb蹄朝せる(紀
元入〇五ー入〇六)頃なれば︑鋳蕩も亦豆腐の如き食品と共に支那南方食品の文化が佛敷︑特に其
肉食禁の敷化と共に自然寺院の食品として當時の留學生僧侶等に依て製法食法を傳來し︑同時に之
が原料として萄蕩植物の輸入栽培せられπるものなるべし︒源順著一和名類聚抄一(宇多天皇寛孚二
年西紀九五〇年)は劉達註︑蜀都賦︑蕩草也︑其根名蕩頭を引用して︑蒲蕩︑栩弱二音︑和名古通
夜久とせり︒狩谷望之著一箋注倭名類聚抄一に蕩所謂古魎夜久是也︑而唐宋以來俗誤蕩呼鍋蕩︒
蓋し萄蕩漢音萄O暮蕩冒o⁝:甘
鋳蕩∩露←=o∩ぴ〒甘
覇蔚粉に關する研究一=五
商學討究第ご巻(上)二=バ
一五車韻瑞一(呉興後學凌稚隆以棟文編)に
並甥上聲鹿呉︑弗弱入聲藥
即ち蕩頭︑鍋蕩は呉韻庭藥と襯音するを以て︑和名類聚抄は莇蕩の和名を古逼夜久と萬葉假名にて
表はせるものなう︒寺島良安萱和漢三才圖豊(中御門天皇正笹一奪西墾七≡年)に製品を鵡
ヨヤク蕩餅とし鋳蕩草と囁別せう︒一開寳本草πも鵠草也︑其根鶉頭︑播砕以灰汁煮成餅と︑鋳蕩の地上
部を萌草︑地下の球董を翁頭とし︑鋳蕩の食品を萄翁餅と明に囁別せう︒餅即ち製品πる莇蕩は
一本草綱目[に竜凍子↓︒麸み≧と明記せり︒後世齪用して鋳蕩︑箆蕩等其植物を意味し︑又球董を
意味し︑同時に其製品を総⁝するに至れう︒
食品なる茜蕩の製造は上述の如く遠く其起源を支那上古に贅せうと錐も︑商品としての萄鶉粉の
製造は全く本邦に於て磯明せられしものにして︑費歴九年茨城縣久慈郡諸澤村の入中島藤右衛門氏
に依て創始せられしもの︑其庭理簡易なりと錐も能く鏑蕩分の性質に適し︑理論的庭理法にして貯
藏運般に耐ふるを以て販路を横大し生産を壇加し︑遽に海外輸出をして可能ならしめπる効績大な
りと云ふべし︒同氏彰徳碑に
地僻四而瞳峨無有良田居民毎堀山腹植箆蕩而費以管生臭隣里往々出之則市債盆下而入少然箆蕩