耐 會 形 象 の 客 観 性 と 耐 會 關 係 ︒
講師中
野 清
一■
小
序︒
私のこの小論は肚會形象の本質的属性をなすと考へられる客観性の態榛とその根撮をπつね︑肚
會關係がこの如き客親性をもつ肚會形象と如何に連絡してあるかを跡づけやうとする︒別様の表現
を與ふるならば或學者の所謂﹃間接關係﹄の態様を一般的に瞥見しようとする(註)︒而して議論の
進め方は之うである︒私はまつ﹃間接關係﹄といふ表現の下に何が意味きれてゐるかを考ふる事か
ら出磯しよう︒この事を考ふる事はこの小論のとわあげてゐる如き問題の起う來る所以を知るに役
立つてくれやう︒進んで私は肚會形象の客観性とは如何なる姿を意味する竜のであるか︑叉之の様
の姿は如何なる生の構造の上に可能づけられてゐるのであるかを考へてみよう︒それが絡れば乙の
杜會形象の客観性と杜會關係四ご=
商學討究第五巻(下)四三二
如き客観性を有する肚會形象と肚會關係とは如何に連絡づけられて考へらるべきであるかをπつね
てみよう︒關係學派の見地からして肚會形象が如何に取扱はれてゆくべきか︑又それに封する私の
解答と之の小論にゐける議論とはどう關聯するのであるかについては別に稿を改めて取上げよう︒
註o象︒言a竃邑霞ら.ユo昌琶m"と㎡臼器冒①ωo試寧琶詠囚巳言肖甥図睾〇一〇σqげおいρ
一︑﹃間接關係﹄と﹃直接關係﹄︒
O私はこの夏︑肚會關係が肚會形象を通じて螢懐る\か否かによつて﹃形象關係﹄と﹃直接關係﹄
とに匿別してゐいた︒而して具禮的な肚會生活にゐける肚會關係の大部分は﹃形象關係﹄である事
をも一説いてゐいカ︒(固より概念的には砒會關係の本質なり態様なりの考察ぼ肚會關係が直接に螢まる﹂か否かのいに㎏具髄
的な道行の問題から全く濁立に見定めじ2られよう︒私にこれな否定すろものではない︒唯然し私の云ひ六く思ふ所のものは具髄的
な道行の如何な考ふる事から濁立に肚會關係の本質なり態様なりな見定めセ2はするが︑見定めひ2られ大肚會關係一般に.關する理論
は如何なる道行の場合にであらうと要當しうる丈の強さにゐaばならぬといふ事であろ︒)私は進んで﹃形象關係﹄とい
ふ表現の下に私の意味する所を述べるに先だつてフライエンフェルスの最近の著作に表れπ﹃間接
關係﹄と﹃直接關係﹄との匠別を考へてみる︒
,
彼は彼の心理學に於けると同様に肚會學に於ても﹃全燈観察﹄の必要を張調する︒而して趾會生
活を全膿的に見る限う︑肚會學の基礎概念は肚會關係のそれに非ずして肚會形象の概念であるとい
ふ︒如何なる理由によつて里あるか︒彼の肚會形象の概念は關係に入う組む人々(集團)のみなら
ず︑これらの人々の生活が生む客観化者をも合せ含む︒而して之の雨要素の綜合が(この綜合は肚
會形象を意味する)人間の肚會生活を特色づける竜のと彼は考へるからである︒如何なる意味合
ひに於てこの綜合が人間肚會を特色づけるといふのであるか︒彼は祉會形象の﹃構成的特質﹄を基
げて四とする︒第一に綜合化叉は全禮化︑第二に分化叉は肢節化︑第三に具膿化叉は物象化︑第四
に抽象化又は観念化︒中に就いて第一及第二は人間肚會のみに現れるものに非ず︑充分な意味に於
て動植物の肚會にも存するものであるが︑第三の竜のは動物肚會に於て粗難な姿を竜つてのみ現れ
るものであり︑第四のものに到つては蚕く人間肚會に限らる\︒然し人間肚會の特質を考ふる揚
合︑彼の着眼は以上の第三︑第四の契機のみに注がれてゐる竜のではなくして上の如き四契機の綜
合が齎す特質の上に向けられてゐるとみなければなら諏︒
斯くして彼の肚會學の第一次的な基礎概念は肚會形象の概念である︒然しこの事の故に全く肚會
關係の概念を彼が放郷しさつ尤ものとみるのは當らない︒肚會關係の概念は二次的の竜のではある
壮會形象の客槻性と肚會關係四三三
商學討究第五巻(下)四三四
が猫本質的なものである事を失はないといふ︒二次的のものであるといふ意味は肚會關係は綜合的
な肚會形象概念の裡にその一契機として含まれるといふ事柄を現しπものであらう︒二次的のもの
ながらに本質的の竜のでありうるといふ意味は綜合的な肚會形象の概念を基礎親念としつ\具膿的
な肚會生活の親察に臨んでゆく場合︑肚會生活の物象化者︑抽象化者も︑肚會關係も等しき重要さ
に於て考察にいめくむといふ事柄を指し霞竜のであらう︒
きてこの様の意昧合ひに於て彼の肚會學組織の裡にとりいれられる肚會關係の概念は從來の見定
めようもよう廣く措定されねばなら諏といぷ︒即ち肚會關係の概念は人際關係のみなちず︑入間と
動物︑人間と事物との間の關係をも合せ含まねばなら澱といふのである︒私は煩難をあそれて後の
種類の關係が如何なる意味合ひに於て肚會關係πううるかをπつねずにゐかう︒何れにしてもかく
廣汎に措定されπ肚會關係に就いて﹃直接關係﹄と﹃間接關係﹄とを分ちうると彼は考へる︒﹃直
接關係﹄といふのは客膿的なもの\媒介を維る事なき直接の關係をいみする︒﹃間接關係﹄といふ
のは人際的な關係が客禮的なものへの迂同を維て管まる\場合をいみする︒舷に注意すべき事は
﹃直接關係﹄と﹃間接關係﹄との厩別は﹃人際關係﹄と他の肚會關係の隔別と相蓋ふものに非ざる
事である︒勘くとも私は彼の行論のうちにこの印象を受けとる︒
一歩を進めよう︒﹃間接關係﹄は肚會關係一般の大部分の場合を占むるものであうながら︑從來
肚會學的にそれが注目きる\事淺かつπのを彼は難じてゐる︒この黙は私自ら後にとりあげよう︒
彼は﹃間接關係﹄の意味する所について之う考へる︒二人の人が共通にある劉象を希つたう嫌つπ
うする揚合︑二人はこの劉象を通じて協力叉は競箏の關係に立ち入つてゆく︒例へば國民相互の關
係は相互ひへの愛によつて結ばれるようは少くも最初は共同の租國に鶉する愛にょつて結ばれる︒
又例へば家族は共同の先祀以來の家屋を失ふならば弛んでゆかう︒
以上私はフラィエソフエルスの﹃直接關係﹄と﹃間接關係﹄との匠別の背景と根撮とを一通b見
π︒肚會關係を肚會形象の一契機としてみる事︑從つて肚會形象を肚會關係に還元する事を拒む彼
の議論については私自ら異議をもつ︒がこの黙は稿を改めて關係學派の見地からして肚會形象はど
う扱はる\べきを考ふる別の機會に譲らう︒こ\では注目の範園を﹃間接關係﹄に限つてゆく︒私
は問はう︒﹃間接關係﹄の間接性とは何を意味してゐるのであるか︒彼が﹃間接關係﹄といふ揚
合︑とウあげられてゐる如き姿の關係についての重心は人と物象︑叉は人と抽象との間の交渉の上
に存するのではなくして人と物象︑人と抽象との交渉を通じて結ばれ又は離る\人と人との關係の
上に乙そ卦かれてゐるのであらラ︒重心を之の様の熱にゐきながら猶﹃直接關係﹄に劃立して﹃間
赴會形象の客観性と肚會關係繭四三五
亀
商學討究第五巻(下)四三六
接關係﹄の概念を措定し來る事が充分の意味をもつπめには﹃間接性﹄の意味と﹃間接性﹄といふ
事態のもつ重要さが充分に見通されてゐねばなら膿︒彼の用意は之の黙完全のものであるとはいへ
なからう︒私は﹃間接關係﹄に於ける間接性は肚會形象のもつ客観性を通じて人と人との交渉の螢
綾る\姿を意味するものと考へる︒私が﹃直接關係﹄に﹃形象關係﹄を劃立せしめんとしπのは
﹃間接關係﹄といふ表現の竜つ意味をよう適切に云ひ現はさうとし泥による︒
關係が形象を通じて螢まる\といふ場合︑事態の5ちに立入つてゆく順序は自ら二段でなければ
ならぬ︒肚會形象のもつ客観性を通じて螢まる事が間接關係の間接性の眞意であるならばまつ立入
るべき手掛わはこの如き客観性といふ表現は如何様の事態を意味するか︑叉かくくの事態を有す
るとするならばこの如き事態を可能にする根擦は生の如伺なる構造のうちにひそんでゐるのである
かを考ふる事のうちに存してゐよう︒これは第一段の仕事︒更に進んでかく見定められた意味に於
ける客槻性をもつ肚會形象は如何なる意味に於て自らを通しつ︑人と人との交捗を螢懐しむるので
あるか︑直戴に表現するならば肚會形象を通じてといふ揚合この通じてといふ事柄はどの様の事を
意味してゐるのであるかを考ふる事が第二段の仕事にならう︒私の小論のとりあげる問題はこの様
の姿で之\にひそんてゐる︒
0
すでにのべπ様にフラィエンフェルスは肚會關係の大部分の竜のが間接關係であるにも關はらずそれは肚會學的に注目さる\事極めて淺かつπと難じてゐる︒私は既に肚會關係一般に關する理論
は如何なる道行の場合に竜妻當しうる強さにゐねばなら澱事を誌してゐい尤︒間接關係が肚會關係
の大部分を占むるにも關はらず肚會學的に注目さる\事淺かつたといふ印象を與ふる所には何等か
肚會學者の側にあける肚會關係の措定に當つての映陥がひそんでゐはしないであらうか︒生の構造
のもつ特異な約束との緊密な連絡に於て肚會關係の概念を見定めやうとはしなかつπ不用意がひそ
んではゐなかつたであらうか︒肚會關係と意識作用との關係︑肚會關係と時間との關係について合
理論的な解繹に傾く嫌があうはしなかつたであらうか︒フレイヤーは私共の肚會生活の重要な環境
は大部分肚會形象であり︑乙の事は別に論謹を要せざる所と説いてゐる︒關係學がその中心概念と
する肚會關係の概念をして乙の肚會生活の姿に劃し出來うる限う豊かな説明原理であらしめるπめ
には肚會形象との關聯を如何なる姿に於てか見通してゐかねばならないであらう︒(註)
註︒舛尉げ9乙嵐邑⊆サ津貯昌3一釜と茜①ヨ①げ︒ω︒臥聾マ琶畠困巳g壱・・閤げ9︒びqδ(お岩)
=磐m寧o鴇コ↓ず8臨09︒・o菖o障二くo口O①暮oω(6N◎◎)
赴會形象の客観性と杜會關係四三七