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メキシコ北部タラウマラにおけるララヒバリの社会的位置づけ

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2009年 度修士論文

メキシ コ北部 タラ ウマ ラにお ける ララ ヒパ リの社会 的位置づ け

二重大学大学院人文社会科学研究科地域文化論専攻 106M209 福 岡和也

2009

年度修 士論文

メキシコ北部 タラウマ ラにおける ララヒバ リの社会的位置づ け

三重大学大学院人文社会科学研究科地域文化論専攻

106M 209

福 岡和也

2009

年度修 士論文

メキシコ北部 タラウマ ラにおける ララヒバ リの社会的位置づ け

三重大学大学院人文社会科学研究科地域文化論専攻

106M 209

福 岡和也

(2)

目次 は じめに

1

節 関心 の所在

2

節 研 究史 3 節 本論 の視座

1

章 タラウマ ラ社会 の概 要

・・・・・・・・・・

・・・3

・・6

8 1

節 地理 ・気候 ・人 口 ・生業 ・社会組織 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

8 2

節 植 民地以降の歴 史 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ll 第

2

章 テ ス グイナ ダ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1

節 テ ス グイナ ダの概 要 ・・・・・・・・・・・・・・・・

・・

2

節 テス グイ ノ ・コンプ レックス 第 3章 ララ ヒ

・・・・

1

節 ララ ヒバ リの概要 ・

2

節 ララ ヒバ リの流れ ・ 第

4

章 考察

お わ りに 参考 文献一覧 謝辞

・・・・・14

・・・・・14

●●●●●

・18

・・・・18

・・・・・20

・・・・・・25

・・・・・・

31

・・・

・・・34

・・・・・

40 目次

は じめに

1

節 関心 の所在

2

節 研 究史 3 節 本論 の視座

1

章 タラウマ ラ社会 の概 要

・・・・・・・・・・

・・・3

・・6

8 1

節 地理 ・気候 ・人 口 ・生業 ・社会組織 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

8 2

節 植 民地以降の歴 史 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ll 第

2

章 テ ス グイナ ダ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1

節 テ ス グイナ ダの概 要 ・・・・・・・・・・・・・・・・

・・

2

節 テス グイ ノ ・コンプ レックス 第 3章 ララ ヒ

・・・・

1

節 ララ ヒバ リの概要 ・

2

節 ララ ヒバ リの流れ ・ 第

4

章 考察

お わ りに 参考 文献一覧 謝辞

・・・・・14

・・・・・14

●●●●●

・18

・・・・18

・・・・・20

・・・・・・25

・・・・・・

31

・・・

・・・34

・・・・・

40

(3)

は じめに

1 関心の所在

本論は、メキシコ北部、チ ワワ州南西部 にお もに居住す るタラウマラ (Tarahumara)と ばれ る先住民族集 団 を対象 とし、人々が 2チー ムに分かれ て長距離 を走 る 「ララヒバ リ (rarajipari)(1)

とい う慣習 に焦点を当ててい る。 ララヒバ リで走 る距離 には、 さま ざま な偏差があ り、マ ラソンで走 る距離 よ りも短い場合 もあるが、マ ラソンをはるかに上回 る

超長距離(2)

を走 る場合 もある。ララヒバ リにおいて、人 々は木製 の堅いボール を蹴 りな が ら、定め られ た距離 を走 る その際、人々はララ ヒバ リの結果 にたい し、 自分たちが所 有す る布や 弓矢 な どの財 を賭 ける さらに、 この よ うなララ ヒバ リは男性 が主体 となって 行われてお り、女性 が主体 となって行われ るものはア リウェタ (ariweta)と呼ばれ る。ア リウェタもまた、男性 のララ ヒバ リと同様 に超長距離 を走 るが、い くつかの相違点がある。

第一点 として、ア リウェタで走 る距離は、 ララヒバ リに比べて比較的短い ことである

点 目として、ボール を蹴 りなが ら走 る代 わ りに、輪 を先端 が曲がった棒 で引っ掛 けて前 に 投 げなが ら走 ることである

本論が対象 とす るタラ ウマ ラは、メキシコ社会 において、空間的 ・社会的 に周辺的な位 置 におかれてい る。彼 らは、首都 メキシコシテ ィか ら遠 く離れた地域 ( 1参照) にお も に居住[InstitutoNacionaldeEstadesticaGeografiaelnformatica]してお り、メキシコ国 内において空間的 に周辺 の位 置 にい る。 また、 タラ ウマ ラは 「かわいそ うな、 どうに もな らないイ ンデ ィオ」とい う含 みが込 め られた 「イ ンデ ィー ト (indito)」とい う蔑称で呼ば れ ることがあ り、都市 の 「清掃」 と称 してメキシコ行政 当局が街頭 で物売 りを した り物乞 い を した りす る人 々を排除す るさいに、 タラウマ ラは黙認 され ることがあるので、他 の先 住民族集 団は 「清掃

を免れ るためにタラウマ ラを名乗 ることがある[加藤 2000:70]。つ ま り、メキシコ先住民族集 団 として社会的な地位 が低 い と画一的 に考 え られがちな先住民 族集 団のなかに も 「格付 け」 があ り、タラウマ ラはその よ うな 「格付 け」のなかで も周辺 的な位置が与 え られてい ることがわかる。

(1)先行研 究のなかでralahipalLumhol1902:281]dalahipulBennettandZingg1976:339]な どと表 記 され てい るが、いずれ もララ ヒバ リを指 してい る

(2)本論では、お もに100km以上 を指 している場合が多いが、少 な くともマ ラ ソン以上の距離 を超長距離 と呼ぶ。

1 は じめに

1 関心の所在

本論は、メキシコ北部、チ ワワ州南西部 にお もに居住す るタラウマラ (Tarahumara)と ばれ る先住民族集 団 を対象 とし、人々が 2チー ムに分かれ て長距離 を走 る 「ララヒバ リ (rarajipari)(1)

とい う慣習 に焦点を当ててい る。 ララヒバ リで走 る距離 には、 さま ざま な偏差があ り、マ ラソンで走 る距離 よ りも短い場合 もあるが、マ ラソンをはるかに上回 る

超長距離(2)

を走 る場合 もある。ララヒバ リにおいて、人 々は木製 の堅いボール を蹴 りな が ら、定め られ た距離 を走 る その際、人々はララ ヒバ リの結果 にたい し、 自分たちが所 有す る布や 弓矢 な どの財 を賭 ける さらに、 この よ うなララ ヒバ リは男性 が主体 となって 行われてお り、女性 が主体 となって行われ るものはア リウェタ (ariweta)と呼ばれ る。ア リウェタもまた、男性 のララ ヒバ リと同様 に超長距離 を走 るが、い くつかの相違点がある。

第一点 として、ア リウェタで走 る距離は、 ララヒバ リに比べて比較的短い ことである

点 目として、ボール を蹴 りなが ら走 る代 わ りに、輪 を先端 が曲がった棒 で引っ掛 けて前 に 投 げなが ら走 ることである

本論が対象 とす るタラ ウマ ラは、メキシコ社会 において、空間的 ・社会的 に周辺的な位 置 におかれてい る。彼 らは、首都 メキシコシテ ィか ら遠 く離れた地域 ( 1参照) にお も に居住[InstitutoNacionaldeEstadesticaGeografiaelnformatica]してお り、メキシコ国 内において空間的 に周辺 の位 置 にい る。 また、 タラ ウマ ラは 「かわいそ うな、 どうに もな らないイ ンデ ィオ」とい う含 みが込 め られた 「イ ンデ ィー ト (indito)」とい う蔑称で呼ば れ ることがあ り、都市 の 「清掃」 と称 してメキシコ行政 当局が街頭 で物売 りを した り物乞 い を した りす る人 々を排除す るさいに、 タラウマ ラは黙認 され ることがあるので、他 の先 住民族集 団は 「清掃

を免れ るためにタラウマ ラを名乗 ることがある[加藤 2000:70]。つ ま り、メキシコ先住民族集 団 として社会的な地位 が低 い と画一的 に考 え られがちな先住民 族集 団のなかに も 「格付 け」 があ り、タラウマ ラはその よ うな 「格付 け」のなかで も周辺 的な位置が与 え られてい ることがわかる。

(1)先行研 究のなかでralahipalLumhol1902:281]dalahipulBennettandZingg1976:339]な どと表 記 され てい るが、いずれ もララ ヒバ リを指 してい る

(2)本論では、お もに100km以上 を指 している場合が多いが、少 な くともマ ラ ソン以上の距離 を超長距離 と呼ぶ。

1

(4)

1

タラ ウマ ラの居住地域

タ ラ ウマ ラは、上記 の よ うな周辺 的 な位 置 におかれ てい る一方 で、 メキシ コ国内外 にお いて持 久力 に優れ た走者 として もみな され てい る。例 えば、

1926

年 に二人 の タラ ウマ ラ男 性 が約

100km

を走 った ときの模様 をニ ュー ヨー クの 「ワール ド」新 聞社 は以下の よ うに伝

えてい る

Fontana1979:90‑92]

二人 の タラ ウマ ラが馬 で さえ疲 労 困債 す るよ うな距離 を疲 労の色 さえ見せず に走 り、

しか も、 ち ょっ と した運動 で さえ呼吸 困難 に陥い るよ うな標 高でそれ を行 うの を見 た な らば、 タラ ウマ ラがチ ワワの原 野 を何昼夜 も休 まず に走 る こ とがで きる とい う驚 く べ き話 を話 半分 に聞いていた よ うな疑 り深 い人 で さえ も、その よ うな話 を信 じるよ う になった。

早朝

3

5

分 にサ フ イロ

(Za丘ro)

とサ ン・ミゲル

(SanMiguel)

はイ ダル ゴ

(Hidalgo)

州 の知事 か らの手紙 を持 ち、パチ ュ‑ カ

(Pachuca)

を出発 した。メキシ コシテ ィまで の道 の りを終始 、一 定のペー スで走 った。彼 らは陸上競技場 ‑ と向かい、多 くの激励 をお くる観衆 の前 で政府 高官 に囲 まれ ていたメキシ コシテ ィのセ ラー ノ

(Serrano)

知 事 に手紙 を届 けた。

古代 ギ リシアのマ ラ ソン選 手 に与 え られ ていた月桂 冠 の代 わ りに、セ ラー ノ知事 は ( タ ラ ウマ ラがバ ンダナ を好 む ので)深紅 の絹 のバ ンダナ をそれ ぞれ の タラ ウマ ラの 図

1

タラ ウマ ラの居住地域

タ ラ ウマ ラは、上記 の よ うな周辺 的 な位 置 におかれ てい る一方 で、 メキシ コ国内外 にお いて持 久力 に優れ た走者 として もみな され てい る。例 えば、

1926

年 に二人 の タラ ウマ ラ男 性 が約

100km

を走 った ときの模様 をニ ュー ヨー クの 「ワール ド」新 聞社 は以下の よ うに伝

えてい る

Fontana1979:90‑92]

二人 の タラ ウマ ラが馬 で さえ疲 労 困債 す るよ うな距離 を疲 労の色 さえ見せず に走 り、

しか も、 ち ょっ と した運動 で さえ呼吸 困難 に陥い るよ うな標 高でそれ を行 うの を見 た な らば、 タラ ウマ ラがチ ワワの原 野 を何昼夜 も休 まず に走 る こ とがで きる とい う驚 く べ き話 を話 半分 に聞いていた よ うな疑 り深 い人 で さえ も、その よ うな話 を信 じるよ う になった。

早朝

3

5

分 にサ フ イロ

(Za丘ro)

とサ ン・ミゲル

(SanMiguel)

はイ ダル ゴ

(Hidalgo)

州 の知事 か らの手紙 を持 ち、パチ ュ‑ カ

(Pachuca)

を出発 した。メキシ コシテ ィまで の道 の りを終始 、一 定のペー スで走 った。彼 らは陸上競技場 ‑ と向かい、多 くの激励 をお くる観衆 の前 で政府 高官 に囲 まれ ていたメキシ コシテ ィのセ ラー ノ

(Serrano)

知 事 に手紙 を届 けた。

古代 ギ リシアのマ ラ ソン選 手 に与 え られ ていた月桂 冠 の代 わ りに、セ ラー ノ知事 は

( タ ラ ウマ ラがバ ンダナ を好 む ので)深紅 の絹 のバ ンダナ をそれ ぞれ の タラ ウマ ラの

(5)

額 につけた。 レースの間中、彼 らは赤い綿のバ ンダナ を身 につ けていた。

メキシコシテ ィのスポー ツマ ンや政府役人は、国際スポー ツ委員会 に公式記録 とし て タラウマラの記録 を受理す るよ うに求め、さらに1928年 のアムステル ダムで開催 さ れ るオ リンピックに100km走 を加 えるよ うに求めた。その場合 にメキシコはタラウマ

ラを参加 させ るつ も りだろ う。[cf.Fontana1979:90‑92】

この とき、彼 らは9時間37分で完走 し、翌年 には昨年 とは異 なるタラウマ ラがテキサス 州サ ン ・アン トニオ (SamAntonio)か らオーステ イン (Austin)までの約 140km 14 時間53分で完走 した打ontana1979:921ので、以降タラウマ ラは持久力 に優れた民族集団

として認識 され るよ うになった【Plymire2006】

以上 に見てきた よ うに、社会的 に周辺 の位置 を与 え られ なが らも、す さま じい持久力 を 有す る長距離走者 として認識 され るタラウマ ラに、私 は強い関心 を引かれ、 タラウマ ラと は どの よ うな人 々であるかについて調べ るよ うになった。 そ して、調べてい く うちに、 タ ラ ウマ ラ社会 において 「走 る」 とい う行為が もっ とも顕著 に表れ てい るのが ララヒバ リと い う慣習であるとい うことに行 き着いた。

マ ラ ソンな どに代表 され るよ うに、我 々の社会では、長距離 を 「走 る」 ことは、スポー ツや娯楽、個人の健康維持 な どに還元 されやすい。 しか し、 タラ ウマ ラ社会 において、ラ ラ ヒバ リはそれ以上の ものであ り、深 く社会 に根付いてい る そのため本論 は、 この よ う な ララ ヒバ リがタラウマ ラ社会 において、いかなる社会的な機能 を果 た してい るのかを探 ってい こ うとす るものである

2

研 究史

本節 では、 ララヒバ リ研 究の動 向について振 り返 って見てい く しか し、 ララ ヒバ リ研 究 を、適時的 に振 り返 った として も、それぞれの研 究の相互的な関連性 は薄 く、ほ とん ど 意 味 をな さない。そのため、本節 では、 ララヒバ リにたい して、試 み られて きたアプ ロー チ方法 を中心 として見てい く

そ して、ララヒバ リ研 究者 が取 って きたアプ ローチ方法 は、大別す る と、機能主義的な 研 究、伝播主義的な研 究、象徴論的な研究、エスニシテ ィ論の

4

つに分 けることができる。

しか し、以上 に大別 した研 究の中身 について述べ る前 に、それ らの研 究が始 まる前の ラ ラ ヒバ リに関す る状況 を述べてお く。 なぜ な らば、 ララヒバ リに関す る諸研 究が始 まるの

3

額 につけた。 レースの間中、彼 らは赤い綿のバ ンダナ を身 につ けていた。

メキシコシテ ィのスポー ツマ ンや政府役人は、国際スポー ツ委員会 に公式記録 とし て タラウマラの記録 を受理す るよ うに求め、さらに1928年 のアムステル ダムで開催 さ れ るオ リンピックに100km走 を加 えるよ うに求めた。その場合 にメキシコはタラウマ

ラを参加 させ るつ も りだろ う。[cf.Fontana1979:90‑92】

この とき、彼 らは9時間37分で完走 し、翌年 には昨年 とは異 なるタラウマ ラがテキサス 州サ ン ・アン トニオ (SamAntonio)か らオーステ イン (Austin)までの約 140km 14 時間53分で完走 した打ontana1979:921ので、以降タラウマ ラは持久力 に優れた民族集団

として認識 され るよ うになった【Plymire2006】

以上 に見てきた よ うに、社会的 に周辺 の位置 を与 え られ なが らも、す さま じい持久力 を 有す る長距離走者 として認識 され るタラウマ ラに、私 は強い関心 を引かれ、 タラウマ ラと は どの よ うな人 々であるかについて調べ るよ うになった。 そ して、調べてい く うちに、 タ ラ ウマ ラ社会 において 「走 る」 とい う行為が もっ とも顕著 に表れ てい るのが ララヒバ リと い う慣習であるとい うことに行 き着いた。

マ ラ ソンな どに代表 され るよ うに、我 々の社会では、長距離 を 「走 る」 ことは、スポー ツや娯楽、個人の健康維持 な どに還元 されやすい。 しか し、 タラ ウマ ラ社会 において、ラ ラ ヒバ リはそれ以上の ものであ り、深 く社会 に根付いてい る そのため本論 は、 この よ う な ララ ヒバ リがタラウマ ラ社会 において、いかなる社会的な機能 を果 た してい るのかを探 ってい こ うとす るものである

2

研 究史

本節 では、 ララヒバ リ研 究の動 向について振 り返 って見てい く しか し、 ララ ヒバ リ研 究 を、適時的 に振 り返 った として も、それぞれの研 究の相互的な関連性 は薄 く、ほ とん ど 意 味 をな さない。そのため、本節 では、 ララヒバ リにたい して、試 み られて きたアプ ロー チ方法 を中心 として見てい く

そ して、ララヒバ リ研 究者 が取 って きたアプ ローチ方法 は、大別す る と、機能主義的な 研 究、伝播主義的な研 究、象徴論的な研究、エスニシテ ィ論の

4

つに分 けることができる。

しか し、以上 に大別 した研 究の中身 について述べ る前 に、それ らの研 究が始 まる前の ラ ラ ヒバ リに関す る状況 を述べてお く。 なぜ な らば、 ララヒバ リに関す る諸研 究が始 まるの

3

(6)

1960年代以降であ り、それ以前の状況 を知 っておいた方が ̲諸研究にたいす る理解 を深 めることができる と考 えるか らである。つま り、1960年代以前 に書かれたタラウマ ラの民 族誌 のなかで描写 され たララヒバ リに関す る記述 を見 ることによって、研究者 たちが ララ

ヒバ リをいかなるもの として捉 えていたかを踏 まえることは重要である。

研 究者 として初 めて調査 したルムホル ツ[Lumholtz1902:viiiⅩiv】は、1890‑1898年の 間に、メキシコ北西部 の調査 を4回お こなった。その うちの約 2年間を、彼 はタラウマ ラ の調査 に費や した【Lumholtz1902:viiiⅩiv】。そ して、ル ムホル ツ【Lumholtz1902:281‑294】

は、 ララ ヒバ リの展開や規則 、呪術的な行為な ど多岐 にわたって詳細な記述 を残 し、 ララ ヒバ リをスポー ツ として捉 えていた。 また、彼 はララ ヒバ リに付随す る賭 けに注 目し、 ラ ラヒバ リをギャンブル の一形態 としてみな していた[Lumholtz1902:284]

ルムホル ツよ りも以前 に、探検家のシュワ トウカ[Schwatka1977:iiiは、タラウマ ラの 地を1889‑1890年 にかけて探検 した。そ して、彼 はタラウマ ラに関す る旅行記 を記 し、そ のなかでララヒバ リを娯楽 として捉 えていた[Schwatka1977:381

ベネ ッ トは、193010月か ら9ケ月間、タラ ウマ ラを調査 した【BennettandZingg1976:

vii]。そ して、ル ムホル ツ と同様、彼 もまたララヒバ リに関す る詳細な記録 を残 した[Bennett andZingg1976:335‑345]そのなかで、彼 はララヒバ リを娯楽 として賭 けが ともな う遊び の一つ として捉 えていた【BennettandZingg1976:335‑3451

バサ ウ リは、1925‑1926年 にかけて調査 を行い、その うちの5ケ月間をタラウマ ラとと もに過 ご したあ と、彼 らが居住す る地域 を歩 き回った【Basauri1929:5。そ して、彼 は、タ ラウマ ラが身体的 な耐久力 に価値 を兄いだ してい る とし、 ララヒバ リをその価値観 を顕著 に表現す るスポー ツ として捉 えていた[Basauri1929:73‑74]

プランカルテPlancarte1953:9]は、1938年以降の6年間、タラウマラの さま ざまな地 域 に滞在 してい る そ して、彼 は、 ララヒバ リを社会的な交換 の場や レク リエー シ ョンの 場 としてみな していた【Plancarte1953:53‑54]

以上 を踏 まえた うえで、以下に、 ララヒバ リにたい して とられてきたアプ ローチ を見て い く

機能主義的な研究

ケネデ ィ【Kennedy1969]は、従来、スポー ツや娯楽だ と考 え られがちであったララヒバ リに焦点 を当て、 タラ ウマ ラ文化 の全体的な コンテ クス トを通 して、 ララヒバ リの重要性 1960年代以降であ り、それ以前の状況 を知 っておいた方が ̲諸研究にたいす る理解 を深 めることができる と考 えるか らである。つま り、1960年代以前 に書かれたタラウマ ラの民 族誌 のなかで描写 され たララヒバ リに関す る記述 を見 ることによって、研究者 たちが ララ

ヒバ リをいかなるもの として捉 えていたかを踏 まえることは重要である。

研 究者 として初 めて調査 したルムホル ツ[Lumholtz1902:viiiⅩiv】は、1890‑1898年の 間に、メキシコ北西部 の調査 を4回お こなった。その うちの約 2年間を、彼 はタラウマ ラ の調査 に費や した【Lumholtz1902:viiiⅩiv】。そ して、ル ムホル ツ【Lumholtz1902:281‑294】

は、 ララ ヒバ リの展開や規則 、呪術的な行為な ど多岐 にわたって詳細な記述 を残 し、 ララ ヒバ リをスポー ツ として捉 えていた。 また、彼 はララ ヒバ リに付随す る賭 けに注 目し、 ラ ラヒバ リをギャンブル の一形態 としてみな していた[Lumholtz1902:284]

ルムホル ツよ りも以前 に、探検家のシュワ トウカ[Schwatka1977:iiiは、タラウマ ラの 地を1889‑1890年 にかけて探検 した。そ して、彼 はタラウマ ラに関す る旅行記 を記 し、そ のなかでララヒバ リを娯楽 として捉 えていた[Schwatka1977:381

ベネ ッ トは、193010月か ら9ケ月間、タラ ウマ ラを調査 した【BennettandZingg1976:

vii]。そ して、ル ムホル ツ と同様、彼 もまたララヒバ リに関す る詳細な記録 を残 した[Bennett andZingg1976:335‑345]そのなかで、彼 はララヒバ リを娯楽 として賭 けが ともな う遊び の一つ として捉 えていた【BennettandZingg1976:335‑3451

バサ ウ リは、1925‑1926年 にかけて調査 を行い、その うちの5ケ月間をタラウマ ラとと もに過 ご したあ と、彼 らが居住す る地域 を歩 き回った【Basauri1929:5。そ して、彼 は、タ ラウマ ラが身体的 な耐久力 に価値 を兄いだ してい る とし、 ララヒバ リをその価値観 を顕著 に表現す るスポー ツ として捉 えていた[Basauri1929:73‑74]

プランカルテPlancarte1953:9]は、1938年以降の6年間、タラウマラの さま ざまな地 域 に滞在 してい る そ して、彼 は、 ララヒバ リを社会的な交換 の場や レク リエー シ ョンの 場 としてみな していた【Plancarte1953:53‑54]

以上 を踏 まえた うえで、以下に、 ララヒバ リにたい して とられてきたアプ ローチ を見て い く

機能主義的な研究

ケネデ ィ【Kennedy1969]は、従来、スポー ツや娯楽だ と考 え られがちであったララヒバ リに焦点 を当て、 タラ ウマ ラ文化 の全体的な コンテ クス トを通 して、 ララヒバ リの重要性

(7)

を描 き出そ うとした。 そ して、彼 はタラ ウマ ラにお けるララ ヒバ リの社会的な機能 に着 目 し、ララヒバ リがタラウマラの社会統合 に寄与 してい ると分析す る[Kennedy1969。また、

ララ ヒバ リは、 日常生活 において抑圧 され てい る攻撃的な衝動 を解放す る機 会 を提供 して い る とす る[Kennedy 1969]さらに彼 は、 ララヒバ リに伴 う経済活動 に注 目し、貧弱な経 済組織 しか持たないタラウマ ラに とって、 ララヒバ リが賭 けや交換 によって財 を交換 でき

る、一種 の市場 として機能 している と指摘す る【Kennedy19691

また、ケネデ ィ[Kennedy 19691は、ララヒバ リの規模 の違いに着 目し、重要 な指摘 を し てい る。そ して、彼 は、規模や性質 に応 じて、ララヒバ リを5種類 に分類 を してい る【Kennedy 1969:19・20】

伝播主義的な研究

ベ ニン トン【Pennington1963;1970】は、 ララヒバ リの起源 について取 り組 んでい る。そ して、彼 はイエ ズス会 の宣教師が記 した古文書や、アメ リカ大陸 に分布す るボール ゲーム に関す る先スペイ ン期 の考古学的資料 を比較 ・検討 した。その結果、元来、ララヒバ リは、

タラウマ ラによって行われてお らず、17世紀末か ら18世紀初頭 にかけての間に、西部 ある い は北西 部 か ら伝播 して きた と分析 す る【Pennington 1963;1970】。 また、ベ ニ ン トン

Pennington1963;19701はララヒバ リが ウレ (hule)と呼ばれ るゴムボール を使 ったゲー ムに取 って代わった と分析す る。

象徴論的な研究

ローペ ス[L6pez1999]は、象徴論的な観点か らララヒバ リを研究 し、ララヒバ リには対称 的な対立 と非対称的な対立がみ られ る とした。 そ して、対称的な対立 として、2チームに よる競争や、1チーム内の走者数 の一致、賭 けにおいて同価値の物同士が賭 け られ ることな どを指摘す る L6pez1999】。また、非対称的な対立 として、<内 :外 >、<上 .・下 >、<

神 :人間 >な どの対立がララヒバ リには見 られ るとす る L6pez1999】

また、議論 を進 める過程 で、彼 は、 タラウマ ラ社会 のなかで、 ララヒバ リとテスグイナ ダ (tesgdinada)が循環す る関係 にあるとい う、重要な指摘 を している【L6pez1999]

エスニシテ ィ論

デ ィェゲス【Di6gues1999]は、 ララヒバ リをェスニシテ ィ論の観点か ら研究す る.彼 は、

5

を描 き出そ うとした。 そ して、彼 はタラ ウマ ラにお けるララ ヒバ リの社会的な機能 に着 目 し、ララヒバ リがタラウマラの社会統合 に寄与 してい ると分析す る[Kennedy1969。また、

ララ ヒバ リは、 日常生活 において抑圧 され てい る攻撃的な衝動 を解放す る機 会 を提供 して い る とす る[Kennedy 1969]さらに彼 は、 ララヒバ リに伴 う経済活動 に注 目し、貧弱な経 済組織 しか持たないタラウマ ラに とって、 ララヒバ リが賭 けや交換 によって財 を交換 でき

る、一種 の市場 として機能 している と指摘す る【Kennedy19691

また、ケネデ ィ[Kennedy 19691は、ララヒバ リの規模 の違いに着 目し、重要 な指摘 を し てい る。そ して、彼 は、規模や性質 に応 じて、ララヒバ リを5種類 に分類 を してい る【Kennedy 1969:19・20】

伝播主義的な研究

ベ ニン トン【Pennington1963;1970】は、 ララヒバ リの起源 について取 り組 んでい る。そ して、彼 はイエ ズス会 の宣教師が記 した古文書や、アメ リカ大陸 に分布す るボール ゲーム に関す る先スペイ ン期 の考古学的資料 を比較 ・検討 した。その結果、元来、ララヒバ リは、

タラウマ ラによって行われてお らず、17世紀末か ら18世紀初頭 にかけての間に、西部 ある い は北西 部 か ら伝播 して きた と分析 す る【Pennington 1963;1970】。 また、ベ ニ ン トン

Pennington1963;19701はララヒバ リが ウレ (hule)と呼ばれ るゴムボール を使 ったゲー ムに取 って代わった と分析す る。

象徴論的な研究

ローペ ス[L6pez1999]は、象徴論的な観点か らララヒバ リを研究 し、ララヒバ リには対称 的な対立 と非対称的な対立がみ られ る とした。 そ して、対称的な対立 として、2チームに よる競争や、1チーム内の走者数 の一致、賭 けにおいて同価値の物同士が賭 け られ ることな どを指摘す る L6pez1999】。また、非対称的な対立 として、<内 :外 >、<上 .・下 >、<

神 :人間 >な どの対立がララヒバ リには見 られ るとす る L6pez1999】

また、議論 を進 める過程 で、彼 は、 タラウマ ラ社会 のなかで、 ララヒバ リとテスグイナ ダ (tesgdinada)が循環す る関係 にあるとい う、重要な指摘 を している【L6pez1999]

エスニシテ ィ論

デ ィェゲス【Di6gues1999]は、 ララヒバ リをェスニシテ ィ論の観点か ら研究す る.彼 は、

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タラウマ ラが文化的に特異 な性質 を有す るララヒバ リを実践す ることによって他 の民族集 団 との差別化 を行 い、 タラ ウマ ラ としての特徴 を際立たせ 、社会的な結びつ きを強化 して い ると分析す る【Di毎ues1999]

また、デルガー ド[Delgado2006]は、ララヒバ リを大規模 なララヒバ リ、中規模 なララヒ バ リ、小規模 なララヒバ リ、故人 に対す る儀礼的なララヒバ リの4種類 に分類 し、 ララヒ バ リの種類 によってその 目的や表 出す る特性 を異 にす る とす る。 しか し、いずれ にせ よ、

ララヒバ リは社会的な行為 であ り、民族的なアイデ ンテ ィテ ィを再生産す ることに寄与 し てい るとす る[Delgado2006]

3

本論の視座

本節 では、本論 の 目的 を明確 にす るためにララヒバ リの何 に焦点 を当ててい るのかを明 らかにす る。

まず、先行研究では、ララ ヒバ リにたい して、「スポー ツ

e.g.Lumholtz1902:281294】

や 「遊び」[e.g.BennettandZingg1976:335・345]、 「レース」【e.g.Kennedy19691といっ た概念 の定義 もせず に、その よ うなラベル を貼 りつ けてい る しか し、以上の概念 のいず れ かで ララヒバ リを表現す ることは、無意識的 にララヒバ リにたいす る 「理解」 を限定、

あるいは逸脱 して しま う危険性 がある。そのため、本論 では、その よ うな用語 によって 「 ラ ヒバ リ」を指示せず、 タラ ウマ ラが現地で用い る 「ララ ヒバ リ」 とい う語 によって議論 を展開 してい く

以上 に、本論 にお ける用語上の定義 を したので、以下に、従来の先行研 究 を踏 まえた う えで、本論の視角 を明確 にす る。

ララヒバ リ研究[Lumholtz1902;BennettandZingg1976etc.だけでな く、ララヒバ リ に関す る民族誌的な記述 を書いた もの【Fried1969;Rodoriguez1985etc.]であれ ば、テスグ イ ノ (tesgiiino)とい うビールや、それ を飲むためのテスグイナダ とい う集 ま りに関す る記 述 が、ララヒバ リに付随 してほ とん どすべての ものに見 られ る。 しか し、ララヒバ リを研 究主題 に しない者 で さえ 目を引かれ、ララヒバ リとテスグイ ノやテスグイナダの間には何 か重要な事柄 がある と考 えることは妥 当であるにもかかわ らず、その関係性 に 目を向けた 研 究者 はほ とん どお らず、軽視 されてきた。

唯一、 ローペ ス【L6pez19991だけがララヒバ リとテスグイナダ との関係性 に触れている。

彼 は、間にい くつかの要素 を挟 んでいるけれ ども、 ララヒバ リがテスグイナダ との循環の タラウマ ラが文化的に特異 な性質 を有す るララヒバ リを実践す ることによって他 の民族集 団 との差別化 を行 い、 タラ ウマ ラ としての特徴 を際立たせ 、社会的な結びつ きを強化 して い ると分析す る【Di毎ues1999]

また、デルガー ド[Delgado2006]は、ララヒバ リを大規模 なララヒバ リ、中規模 なララヒ バ リ、小規模 なララヒバ リ、故人 に対す る儀礼的なララヒバ リの4種類 に分類 し、 ララヒ バ リの種類 によってその 目的や表 出す る特性 を異 にす る とす る。 しか し、いずれ にせ よ、

ララヒバ リは社会的な行為 であ り、民族的なアイデ ンテ ィテ ィを再生産す ることに寄与 し てい るとす る[Delgado2006]

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本論の視座

本節 では、本論 の 目的 を明確 にす るためにララヒバ リの何 に焦点 を当ててい るのかを明 らかにす る。

まず、先行研究では、ララ ヒバ リにたい して、「スポー ツ

e.g.Lumholtz1902:281294】

や 「遊び」[e.g.BennettandZingg1976:335・345]、 「レース」【e.g.Kennedy19691といっ た概念 の定義 もせず に、その よ うなラベル を貼 りつ けてい る しか し、以上の概念 のいず れ かで ララヒバ リを表現す ることは、無意識的 にララヒバ リにたいす る 「理解」 を限定、

あるいは逸脱 して しま う危険性 がある。そのため、本論 では、その よ うな用語 によって 「 ラ ヒバ リ」を指示せず、 タラ ウマ ラが現地で用い る 「ララ ヒバ リ」 とい う語 によって議論 を展開 してい く

以上 に、本論 にお ける用語上の定義 を したので、以下に、従来の先行研 究 を踏 まえた う えで、本論の視角 を明確 にす る。

ララヒバ リ研究[Lumholtz1902;BennettandZingg1976etc.だけでな く、ララヒバ リ に関す る民族誌的な記述 を書いた もの【Fried1969;Rodoriguez1985etc.]であれ ば、テスグ イ ノ (tesgiiino)とい うビールや、それ を飲むためのテスグイナダ とい う集 ま りに関す る記 述 が、ララヒバ リに付随 してほ とん どすべての ものに見 られ る。 しか し、ララヒバ リを研 究主題 に しない者 で さえ 目を引かれ、ララヒバ リとテスグイ ノやテスグイナダの間には何 か重要な事柄 がある と考 えることは妥 当であるにもかかわ らず、その関係性 に 目を向けた 研 究者 はほ とん どお らず、軽視 されてきた。

唯一、 ローペ ス【L6pez19991だけがララヒバ リとテスグイナダ との関係性 に触れている。

彼 は、間にい くつかの要素 を挟 んでいるけれ ども、 ララヒバ リがテスグイナダ との循環の

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なかで存在 してい る と指摘 している[L6pez1999:140‑141

しか し、ローペ スは、ララヒバ リとテスグイナダの関連性 の深 さを指摘す るに とどま り、

それ以上 の分析 を進 めていない。そ こで、本論 では、 ララヒバ リとテスグイナ ダの関連 の 深 さに着 目し、分析 を進 めてい く

ま た 、ル ム ホル ツ【Lumholtz 1902:281‑294]や ベ ネ ッ トBennettand Zingg 1976:

335‑345な どの民族誌家は、大規模 なララヒバ リだけを想定 した記述 を残 してい る しか し、彼 らは、 ララヒバ リに存在す る規模 の違いを無視 している。

従来の研究者 、特 にケネデ ィ[Kennedy19691やデルガー ドDelgado20061は、 ララヒバ リの規模や性質 に応 じて細か く分類 してい る しか し、彼 らの分析 の主軸 に据 え られ てい るのは、や は り大規模 なララヒバ リであ り、考察の対象 として見ていない。 そ こで、本論 では、 ララヒバ リの規模 の違 いに着 目し、考察 を試 み る。

以上 の 2点 を踏 まえた うえで、ララヒバ リとテスグイナダの集団の想像 の させ 方の違い を明 らかに しよ うとい うのが、本論の視角である。

さい ごに、本論 の流れ を述べ ることによって本章 を締 め くくる。 1章では、地理や生業、

社会組織 、そ して歴史的背景 な ど、 タラウマ ラを理解す る うえで必要不可欠 な基本的な事 柄 を述べ る。続 く 2章では、後述す るララヒバ リにも深 くかかわ り、タラウマ ラ社会 にお いて、欠 くことのできないテスグイ ノやテスグイナダがいかなるものであるかを見てい く

3

章では、ララヒバ リの基本的事項 を押 さえ、どのよ うに してララヒバ リが行われ るのかを 見ていく 。

4

章では、 ララヒバ リとテスグイナダの集団の想像 の させ方の違 いを考察す る。

おわ りにでは、本論 をま とめ、今後の展望 を述べ る。

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なかで存在 してい る と指摘 している[L6pez1999:140‑141

しか し、ローペ スは、ララヒバ リとテスグイナダの関連性 の深 さを指摘す るに とどま り、

それ以上 の分析 を進 めていない。そ こで、本論 では、 ララヒバ リとテスグイナ ダの関連 の 深 さに着 目し、分析 を進 めてい く

ま た 、ル ム ホル ツ【Lumholtz 1902:281‑294]や ベ ネ ッ トBennettand Zingg 1976:

335‑345な どの民族誌家は、大規模 なララヒバ リだけを想定 した記述 を残 してい る しか し、彼 らは、 ララヒバ リに存在す る規模 の違いを無視 している。

従来の研究者 、特 にケネデ ィ[Kennedy19691やデルガー ドDelgado20061は、 ララヒバ リの規模や性質 に応 じて細か く分類 してい る しか し、彼 らの分析 の主軸 に据 え られ てい るのは、や は り大規模 なララヒバ リであ り、考察の対象 として見ていない。 そ こで、本論 では、 ララヒバ リの規模 の違 いに着 目し、考察 を試 み る。

以上 の 2点 を踏 まえた うえで、ララヒバ リとテスグイナダの集団の想像 の させ 方の違い を明 らかに しよ うとい うのが、本論の視角である。

さい ごに、本論 の流れ を述べ ることによって本章 を締 め くくる。 1章では、地理や生業、

社会組織 、そ して歴史的背景 な ど、 タラウマ ラを理解す る うえで必要不可欠 な基本的な事 柄 を述べ る。続 く 2章では、後述す るララヒバ リにも深 くかかわ り、タラウマ ラ社会 にお いて、欠 くことのできないテスグイ ノやテスグイナダがいかなるものであるかを見てい く

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章では、ララヒバ リの基本的事項 を押 さえ、どのよ うに してララヒバ リが行われ るのかを 見ていく 。

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章では、 ララヒバ リとテスグイナダの集団の想像 の させ方の違 いを考察す る。

おわ りにでは、本論 をま とめ、今後の展望 を述べ る。

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図 1 タラ ウマ ラの居住地域 タ ラ ウマ ラは、上記 の よ うな周辺 的 な位 置 におかれ てい る一方 で、 メキシ コ国内外 にお いて持 久力 に優れ た走者 として もみな され てい る。例 えば、 1 926 年 に二人 の タラ ウマ ラ男 性 が約 1 00km を走 った ときの模様 をニ ュー ヨー クの 「ワール ド」新 聞社 は以下の よ うに伝 えてい る 【 Font ana1 979: 90‑ 92] 。 二人 の タラ ウマ ラが馬 で さえ疲 労 困債 す るよ

参照

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