資料 鈴木泰治作品集成(一) : 詩作品を中心に
著者 岡村 洋子, 尾西 康充
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 12
ページ 103‑162
発行年 2001‑06‑24
URL http://hdl.handle.net/10076/6572
鈴木泰治作品集成(一) 同園
‑
詩作品を中心に‑‑
Ⅰ、はじめに
鈴木泰治1昭和のはじめ、「プロレタリア詩」「詩精
神」「詩人」など、主要な詩雑誌において活躍した詩人の名 をどれほどの人が心に留めているだろうか。 本名鈴太秦噂一九一二(明治四五)年二月〓二日、 三重県三重郡四郷相室山(現・四日市市室山町)にある法
蔵寺の次男として生まれた。四郷小学校、そして四日市高 校の前身である旧制富田中学校を卒業した簡大阪外国語 学校(現・大阪外国語大苦ドイツ藩学科へ進学する。
大学はおろか旧制中学校への進学ですら、経済的基盤を もつ、ごく一握りの青年に限られていた時代に、都会への
進学を異たせたのは生家による財政支援があったからであ
岡村
洋子・尾西
康充
る。彼の生まれ育った法蔵寺英二二〇〇年以上もの歴史
を持つ由緒ある寺であった。
内部村とともに四日市市に合併されるまでの四郷村は、 醸噂製糸、製茶、製薬といった近代産業の中心地であっ
た。とくに室山は、東洋紡凍創設者となった伊藤伝七家、
伊藤製糸創業の伊藤小左衛門家1醸造業を営む笹野家の在 所でもあった。これら近代工場制度導入をリードした三家
を檀家にもつ法蔵寺が、当時として裕福な寺であったこと
は想像に難くない。 しかしながら優秀な成唐で学業を修め、檀家の人々から
「泰悟さん」と親しまれた鈴木泰治が大阪へ出てうたった
のは、農民や労働者を守る闘いの詩であった。大阪外常在 学中にプロレタリア作家同盟に加喝 (鈴木澄あのペンネ
ー103‑
ームで「プロレタリア詩」などに、当時の運動理論に基づ
いた典型的なプロレタリア詩を発表する。代表作『舗装工 事から』では「俺嘩プロレタリアート/戦争を前に/土
性骨の太いところを奴等にみせてやるんだ」と声高に叫ぶ。 その頃一九三三(昭和八)年の小林多喜二の死を契機 として、プロレタリア文学運動が衰退の一途を辿り、各雑
誌が次々と廃刊に追い込まれるモ「詩精神」が創刊され亀 この雑誌は小熊秀嘩新井鱒後藤郁子といったプロレタ リア詩人を中心としながらも政治的な束縛から自ちを解
放し、運動全盛期の閉鎖的、換地的な態度を改めることに よって数多くの新人詩人を生み出した。
その中の一人として鈴木春治は、三四年二月の創刊号か ら」後継誌となる「詩△終刊(三六年十月)号までの二
年半にわたり、ほぼ毎号誌面を飾亀詩はもとより詩論や 詩壇時評など着実に業凍を積み上げて行く
山脈から這い下りる霧のなかに
定期日動車の初発が警笛をひゞかせる頃
子供らは大きな桑籠を背甲に転ばせ.
鎌を片手にらち振qうち振り坂の街道を上って行く
(「肇)
「詩精神」創刊号に発表されたこの詩の冒頭からは、も
はや(澄あ時代の前衛的な気負いは感じられない。幼き 日に戯れた故郷の自然と、そこに生きる子どもたちの躍動
感が瑞々しくうたい上げられてい亀 ところが詩を読み進むにつれ、牧歌的な光景は消えて行 く「貧農のせがれ」として、また「くらしを担う協働者」
として労働の責を負う子どもの姿が浮かび上がってくるの
である。
彼等のつぶらな瞳から赤とんぼや空の青が消える
「くらしを担う」貧農の子どもたちは無邪気でばかりは
いられない。裕碍な家庭に生まれるか、貧しい家庭に生ま
れるか、といった(寒が子どもの無邪気さを支配する。
そのような社会のあり方に異議を唱え、最終連では「その 労苦の道で/金輪際離さぬおれたちの腕をにぎれ」と力強 く連帯を呼びかけ亀 「詩精神」廃刊以後も惑人」、「文学案内」など東京で
活躍し続けた泰治であったが、日中戦争に召集され、三八
(昭和一三)年三月一六日、中国山西省において戦死する。
帝人としての出発期には直裁な表現で帝墨争を否定
し、後には自然や子どもに柔らかな視線を注ぐことによっ て軍国主義を批判した泰喝わずか二六歳の、まさに非業
‑104‑
の死であった。
***
1彼の死簡六十年以上もの歳月を経て今ようや
く再評価の時が来た。
(岡村
洋子)
このたび鈴木泰治に関する資料を調査しているうちに、
直筆原稿をはじめ、泰治の遺品が法蔵寺に保管されている
ことが確認された。その未発表原稿の中に次のような一節
がある。
私自身は農民でない
なのにわたしは
農村しかうたへない
悲しみは
上から眺め横から見るが
とうとう、その重みの下からうたへないこと
農民の苦しみに寄り添い、共に歩もうと努めながら、結 句外側から「眺め」ることしかできない泰治の嘆きが聴 こえ亀大正期に宣言一つ」を書き遺して生命を絶った
有島武郎と同じく、泰治もまた、階級を乗り越えることの
困難さを感じた一人であったのかもしれない。
幼きもの、貧しきものへの暖かいまなざしを故郷の自然
とともにうたいあげた詩人、鈴竃
Ⅱ、鈴木泰治・詩作晶集成
本稿では以下の方針にもとづいて校訂をおこなった。 (一)鈴木の詩作晶を発表順に掲げた。「作品改夢のなか
で発表年月日・掲載誌・号数などを記七ている。 (一)本文中、誤字・脱字と考えられる箇所は(ママ)と
傍記した。 (こ振り仮名・送り仮名は底本に従った。
(こ促音ふ翌日は底本に従い、本文と同じ大きさにした。
(こ旧漢字は原則として新字体に改めた。略字・俗字・
異体字についても同様に改めた。
(こ底本はすべて初出に拠った。使用した文献は左記の
通りである。 「プロレタリア詩」復刻版(日本社会主義文化運
動資料四、プロレタリア詩雑誌集成上、一九七八 年六月、戦旗復刻刊甘苦 「大阪の旗」芙阪府立中之島図書館所率
‑105‑
虜衛」「戦野復刻版(日本社会王義文化運動資 料二三、社会派アンソロジー集成下一九八四年
五月、戦旗復刻版刊行含 「啄木研究」(関西大学附属図書館所蔵)
「詩精神」復刻版(日本社章王義文化運動資料五、 プロレタリア詩雑誌莞席甲一九七八年二月、
戦旗復刻版刊行会) 「関西文学」(大阪府立中之島図書館所畢 「文化集国(針本整享義文化運動資料三二、一
九八六年六月、久山註
「三重文学」怒阪市立図悪
感△復刻版(日本社会主義文化萱ハ、
プロレタリア萬雑誌集成下、一九七九年六旦戦
旗復刻版刊行含 「文学案内」(同意昇天学附属図書館所率
鈴木泰治は轟自らの詩集を刊行していない。戦後三
〇年を経てようやく虚」第二八号(一九七六年五月一日、 煙同人誌が「鈴木泰治(澄丸二菅芦を組卑彼の辞業 を評価しよぅという試みを見せた。しかしそれ以筍鈴木 の作品を集成しょうという取り組みはなされて来なかっち 赤い火柱・・・l農民からの帝1卜
鈴木 澄丸
俺たちの渡政
俺たちだけの渡政・ こいつは偉大な労働者の誇だ
×い火柱は延びる 太くなると火を吹く
バク発する! その日まで
あいつは俺たちの中に徹頭徹尾生きる
息へば 山××を吹き
又
あいつの爆破
俺たちは泣く おれたちの眼ぶたは泥で汚れる真夏の
太陽にびくともしなんだ俺たちの手の甲は あいつの死でひりくした
それから 俺たちの悲しみは憤りへ 憤りは闘争のダイナモだ! にくしみ、にくし塾にくしみの下から
俺たちは 外れたあいつのなした仕事を記憶する!
あいつの内臓は×旗だ! そのまんま 流れろ 流れろ
そのまま俺たちの田んぼをひつつつめ!
106
働く子はにくむ
鈴木
澄丸
村の八月
小学校が平ぺったく夕陽の中にある トマトみたいに密からのぞひて居た顔は何処へ行った!
踏みつけられぬ革は校庭の隅つこにはびこり
校庭が急にのび拡がつたやうだ からだが三つも入る籠に
あをあをした桑の葉つぱを入れて
苦労を知ったおとなの疲れたカグを
くびすじに、口もとに、肩に
いたい位キッカリ持った子供が 山路から下りて来る
子供は立止る
理科室からピンポンの音がする
(可愛そうに子供の頬つぺたにはピンポン球ほどのふくら
みもない!)
子供はのび上る すりきれた草履の足が痛い。
村長の、工場の、村医の、子供たちの頭が
あんまりはつきり見える! ピンポン球みたいにまるつこく ピンポン球みたいにはずんで とび上り、かち合ってみえる
「バカヤロ!」
子供の頬つぺたの歪み
涙
おゝ貧農の子供よ、しつかりしろ
春に与へる詩イー映画上声のノートか7
鈴木 澄丸
…
日が来ると……
氷柱から水滴が落ちる丁・・・1・
雪達磨がいびつにとけ干
氷結した河の苧
その泥浮の中をロシアは歩んで来た
今、あゝそして今 ロシアに寿が訪れる
ー107‑
うつとりと水にうつつた物影にみとれるT‑‑
落着いた、心憎い迄落着いたモンターヂユ
俺が、この俺が こんな陶然と眺めてゐてよいのか?
二
建設の春が来る
平喝播種、春の陽糞さやぐ穀軍トラリターの爆考 脱穀飛散する籾ガラ、機嘩製粉……
‑
テンポが狂ってゐ干
プルヂヨア批評家はうそぶく
狂ってゐる、狂ってゐる
君の頭がポイントから外れてゐるのは確だ プロレタリアの国サダイエト共和国の
うづく生活の躍動の中に豊にうならうとする
春をみろ! 眼をあけて
三
春はサヴイエトにしゆん勤し 春はサヴイエトを刺戟し プロレタリアの国は生産を増して行く 一九三二年! ああささ予定表はすでに突破だ
四
俺たちはサヴイエトの「春」に誓ふ
生ある限り、俺たちの春を奪取して、奴等に陰惨な冬を投
げつけるため
来るべき春をも闘ひの字でうめる!
108
十月のために
ポーランドの東境を ソヴュート同盟への軍用道路が
葦のある沼を埋め
農家を取りこぼち 真く白舗装して l日一日伸びて行/‑1
おれたちは知ってゐる!
開通式には帝国主義者どもの
戦車と軍馬とひん歪した靴が舗道を打ちならし
沿道のプロレタリアートの
帝芸争反対の示威に飾火で答え
羨望と憎悪の火のかたまりとなつて
おれたちの祖国へ雪崩れ込むことを!
大阪の幹線道路は大演習を前に化粧中だ
にえたぎるアスファルトを
打ちひろげ押しのばし
地べたから カツ、カツと熱気を吹き上げるなかで
死者狂ひの労働強化だー・
一大演習までに(大戦争までに‖‥)
真つ白い平たい行進に堪へる
ポーランドの様にたくましい軍用道路をつくれ! ‑この道はソヴエート同盟へー′
大演習の正体は?
同志よ、覚えてゐるか!
一九二九年六7「国家稔動義軍
小旗つけた「統監部」の自動車が
大阪を駆けめぐつた
産業動員がおれたちの前に来た!
生産計画命令!
生産実施命令!
砲弾. ベンゾール
ヂルラルミン
格納庫
計三育種の生産命令だ
飛行機と衝々の速射砲の威嚇
五〇〇の戦闘的労働者の予備検束
新聞と演説と展覧会のがなり立て
こいつらが
生産地点の茸事化を強行させたんだ
この時から
又しても兄弟‑ この道はソヴニート同盟へ!
おれたちの渡政デーは嵐の中に来た 白テロ絶対反対!
前衛への死刑重罰反対!
109
二つのスローガンを
反戦闘争の線で生かせ! 反戦闘争委員会をつくり デモと「青畳お軍隊」を繰出せ
仕事、
仕事、
仕事、
十月の仕事をやつつけて 主命記念日」⊥啓争の決勝点へ
仕事の成果を唐集しよう!
モルプの国際会議への日本代表も
おれたちの力で堂々と送り込め‑・
おれたちの激励と鞭捷で 代表に責任を持たせろ!
アルエルバッハやパンフエロフと一緒に
ベルヘルやイレシュの前で
やって来た仕事の報告と
やるべき仕事のプランを相談させろ!
同志よ!
仕事をどんどん拡げながら ますますポリシユヴイキー的実践を 深めて行くのが おれたちの課題だ!
1一九三二・九・二?
舗装工事から
⊥一月にはいると×××監の大演罵ブルジョア共のカン
パニアを前咤俺葺への気狂ひじみた弾圧が労働都市大阪につゞ
いてゐ子‑
鈴木 澄丸
判任官の生地のあらい鳥打帽を見下して
額圧機のハンドルにぎる俺の股間から
ゆすり上げる発動機と敷きつめたアスファルトの熱気が
カツ・カツと吹き上る!
十月の陽と季節の風は俺の頭の上を素通りだ
「おい、こつちだ。バック パック」
奴の指の間に煙をあげるエアシップを横眼でにらみ
「よいしよ」
一110‑
俺はゴースタンをいれる
ぶすぶすいぶるアスファルトの上を
俺をのせた八噸のルーラーが動いて行く 「ストップ・ストップ⊥
ヤキモキ踊る先細のキッドの靴をせゝら笑ひ
八噸の頼庄機は石煉瓦の上へ
ー
何だい、そのあはてツ面!
アスファルトの道をゆきかへりながら
俺はポーランドの国境を束へ伸びる白い軍用道路を思ふ
ポーランドでもここ大阪と同じ様に
板庄機がアスファルトを固め
セメ粉をなすりつけ 白い道路はのびてゆくのだ!
帝国主義者どもの戦車と砲車 馬蹄と歪んだ靴が舗道を打ちならし
俺達の祖国ソヴニート同盟
ダイナモとトラクターが俺達の生活をうたう国へ殺到する
日のために・
白く舗装されてゆくポーランドの軍用道路!
今、俺のハンドルにぎる壕圧機とルーラーの下に押し固 。められるアスファル†の道! この上にセメン粉を撒りかけ、なすりつけると白い軍用
!この道はソヴュート同盟へ 道路
俺達は特別大演習までに舗装を完席する 四ケ師団の軍隊がこの道を行進する
××旗! 俺達が夜に日をつぎ、飢へた腹をゆす上げられしきつめ
た道を ××旗!
不可侵の権力‡
税のいらぬ日本一の大資本家地主
‑
俺達が「出版物」ではじめて知り
憤怒を胸にやきつけた×が
堵列する民衆の前を通る! ソヴエート同盟攻撃の道を進軍する!
俺達、プロレタリアート 戦争を前に
土性骨の太いところを奴等にみせてやるんだ
!ソヴュート同盟擁護!と。
111
ー一九三二・十・十四‑
あいつが立上つて来たのは
鈴木 澄丸
あの晩はひどい風だつた
工場の煙突の支索が唸ってゐた
あいつは電柱のかげで重たい眼を光ちせおれを待ってゐた
あいつはアスを敷いた道を歩いた
あいつは××砲兵工廠の仕上工だつた
おれたちは分会準備会について相談した
四〇〇〇に対する三人の仲間だつた
あいつの重たい眼がまつすぐ前を向いてゐた
戦争は北西へとのびようとしてゐた
三年前、おれたちの都市で行はれた産業動員演習が 実践に移された
産業の軍事管理!
演説会とラヂオは祖国愛をがなり立て 街々の高射砲償おれたちを威嚇した 砲兵工廠は五〇〇の臨時工を募集し 夜ふけまで汽槌をひゞかせた 四〇〇〇対三! あいつの重たい眼は相変らず光つてゐた これは大海の一滴であつた が……やがて大海をゆるがすコムニストのそれだつた あいつはおれたちの最も重い目標工場の仲間 徹底した軍事管理が四六時中正tい者に 投獄と虐殺を保証するところ 武器製造の大動脈をなすところ 目的を帝国主義戦争のみに持つところ そこ、おれたちの力を集中すべきところから あいつは立上つて来たのだつた 中年のあいつと若い街頭オルグのあれは 凍って鉄の臭ひもせぬ道を歩いた
最後の決戦を前にしておれは深い息を吸ひ胸はわくく
した
あいつの重たい眼は動かなかつた
若いおれを通して党を確借する眼だつた
112
一たん見据ったら断じて動かされぬ眼だつた
一年前の三Lデーカンパに
おれたちは武器製造の大動脈に細胞を得た
忘れもせぬ 十数年のむかしT)
若いおれたちに未来を保証したリープクネヒトが
盟友ローザとともにノスケ、シャイデマンの配下どもに 頭蓋骨をた〜きわられた恨みの紀念日の前夜だつた
三二・一二・二六
ハーケンクロイツ 純粋なる逆 卍の旗
混沌たるドイツを救ふもの
あらゆる不純物に蔽はれたわが
「すべての上なるドイツ」!
祖国ドイツの生地を洗ひ出すために われわれは荒療治を辞せぬ
おれは動耳近くでヒトラーの叫びを
鈴木 春治
開くやうだ
仲間、おれたちの同志!
ナチスの逆卍旗が領事館に掲げられた
赤地に白いまる
まるの中に「卍」、
ナチスの嫌が大阪ビルの領事館にあがつた
共和国ドイツ国旗は帝政ドイツ国旗にさらに
「すべての官公庁は逆卍旗を併楊すべし」
シャープなめなめメモに書きつ一けたおれ
あの日以来、
日毎に訪れるおれの眼にうつ乱逆卍旗
ナチスの反響を猟犬の如く喚ぎ廻る館員
にくにくしげなるものの横行!
祖国に熱狂せぬ者は敵である
祖国愛に論理を要求する者も敵である
祖国の文化を謳歌せぬ者は敵である われらは祖国の文化建設に他国人を必要とせぬ
ユダヤ人は敵である
貧しきユダヤ人をわれらは容赦しない
113
国際的連帯をほざくドイツ共産
党は最大の敵である
かゝるが故に
マルクスの著者は火刑に、
その亜流どもは銃殺の価値がある ナチスは純粋なる祖国快復のために
赤色バチルスを撲滅せねばならぬ
三月選挙に得たる民意に答へねばならぬ
咄嗟する首領ヒトラー
動揺し、拍手する中産藁
雪崩うち、殺倒する学生鱒
投獄され、行方不明になる前衛たち
おれはかくの如くドイツの情勢を告げられた
だが、 民意とは何か?
民意に答へるとは何か? さらに「憲法範囲暦」の選挙とは何か?
おれは知ってゐた
五〇万の突撃隊と機関銃が如何にして民意を得たか、
五州の独裁、八州の警察権力の獲得 にそれが如何に役立つたか、 それがドイツの仲間、 プロレタアートにとつて何であつたか、 何故印刷工場の主任がナチスのパン フレットをおれに訳させたか、 何故ビール腹の教授が領事館にお百 度を踏みドクトル・ローデ氏と話したか、 おれにはすつかり見当がついてゐた 見当についてゐたのだ、はつきりと 五州の独裁、八州の警察確刀
ハーケンクロイツ 領事館の逆卍旗、
それでナチスが勝ったと彼等は思った
歴史の歯車が逆転したと倍じた ドイツプロレタリアートの幅広い進
軍を魂なき破壊者ヒトラーが喰ひ止
めたと考へたうたがひ、歓喜し、が
むしやらにしがみつく彼等の足場は
流氷! うはづゝた「ハイル!」の合唱に
自らの意士心を持たぬプチ・ブルヂヨ
114
アと学生の拍手に
腹の底からぎりぎりしぼりあげる「 ローデ・フロント」の叫びが
何で消されやう 仲野おれたちの同志よ!
△ドクトル・ロードはドイツ領事
△ハイルは奴等の合音萄無事又
はいやさか、とでも訳すか。
△ローテ・フロントは音ふ迄もな くおれたちの青畳爪「赤色戦野!
一九三三、五、
大阪ビルで
廻転扉がまはる てらてら、硝子に朝陽が映え
時とともに廻転がはやまり
二本の足を持つフォーヴアの群がつゞき
鈴木 泰治
ビルは朝
モザイクタイルを水が流れるーーー
さむさ! おれのオーヴアなしの身体が扉にぶつかり 自転車降りた軍手が磨かれた硝子に刻印をつける
おれのズボン
おれの泥んこの靴
守衛のおつさんが目を剥いた
おつさん ちよつと休ませてもらう
ビルからビルへ
事務所から事務所へ 勤め人の暇を空巣の様に狙ひ
飛び込んで小間物をひろげるのがおれの仕様だ
課長不在 タイピストのまはりに若い社員が集り初めると
山猫みたいにドアからすべり込む
めくらめつぼ・つ頭を下げておべんちやら
考へるな、阿呆になれ
考へるな、阿呆になれ
考へたがる虫を抑へつけ、抑へつけ
115
机の間を泳ぎまはらねばならぬ
さて、廻転扉はオーヴアの生物を濾して風車
ビルは出勤時だが
おれには一番暇な時間だ 内玄関のベンチに椅り
殺到する靴音の中に身を置いて
君▲・‑・・
おれはプロレタリア辞を考へ
君への第一倍を書く
(一九三三・十二)
飼 葉
山脈から遣ひ下りる霧のなかに
定期自動車の初発が警笛をひゞかせる頃
子供らは大きな桑籠を背平に転ばせ
鎌を片手にうち振り、うち振り坂の街道を
上って行く
鈴木 泰治
路傍に籠をならべ
ベツと単に唾きして土壌へ降りると
草履の下から小さい生物が飛び散る
子供らはおとなの様に黙りこみ、脇眼もふら ず革を刈り
乗ずれに頬を其赤に膨らませ
一抱へになるとよちよち土壌を上る
身体一杯に朝日を受け
身体一杯に露の玉を光らせ
すゝきやどくだみを搾り出して踏みにぢり 犬参の紅い花をパンツの紐にはさみ…‥・
何度も土壌を降りて行く
籠が一杯になれば
めいめいが革を踏めつけて嵩を減らし
積め込めるだけ押し込み
重みをつけるために小川に龍ぐるみ漬け
水のたれる奴を背中にして街道を並んで行く うたをうたひ、小石を蹴り
土橋渡って街道から村に入ると
牧場の槙壇がみえ出すのだ
子供たちの仕事がここで支払はれる
一貫一銭五度‑・
116
一本きりの地獄集めつけてふり廻し
まけろ、まけろと叫ぶ牧場のおやぢ
彼等のつぶらな瞳から赤とんぼや空の青が消
くらしを担ふ協働者 秤の目盛をにらむ彼等の瞳は える
おやぢやお阿母とともに腕ほどな脛をならべ
Yらしの車を押す者の ぎしぎしした意慾に満ち
小康の様に冴へるのだ
間もなく子供らは空籠を躍らせて出て来る めいめいが考へるー・‑‑
畳までに仕上げねばならぬ仕草 昼すぎに掛からねばならぬ仕草 残り少い夏休みと裏白い課題喝
槙壇に沿ひ歩いて行く子供ら。
揃ったりな貧農のせがれども
振り廻したりな手に手の鎌 その労苦の道で
金輪際離さぬおれたちの腕をにぎれ
(一九三三・八) 工場葬
鈴木 泰治
お阿母は悲しみにくれてゐたが
思ひ出した様に喜びの顔をあげてわたしに話す
手には二葉の写真、前には遺骨の小箱
線香のけむりが彼女の咳に揺れるのだ
オミヨはいま死んではならぬ。
一番気の弱かつたオミヨ
他人のかほを正面からみて
青ひたいことを音へる様にと それだけを念じたオミヨが
三年の女工生活、そのかけがえのない春の
犠牲のうちに
差し合ひで寝る煎餅蒲団の様に
胸にしこりを挿へた
死んではならぬオミヨが死んだ そのしこりをほぐす暇もなく、遠いメリヤス工
場の寄宿で……。
お阿母の招待された工場葬の写真がここにある
117
そのおびたゞしい花輪と供物の山が
導師のかざす大きな日傘とそれに続く多くの僧
死して見直された朋友の価嘩この豪壮な工場 侶が
葬に眼を見張る葬列の男女工の群集が
お阿母の悲しみに水を注すのをわたしはみてる
1これは未曽有のことにて侯
これ一重に… …お阿母の胸からのぞいてゐる封筒中味は
三度も読まされた
束曽有 とはどんなことかと幾度も訊ぬる 一
お阿母 わたしは答へる音量節ないのだ
毒茸みたいな導師の日傘と、松蕗の様にならん
だ僧侶の頭数
まこと未皆のいたましい報酬、…人者の催す壮
厳な葬儀 わたしを衝く悲しみと憤7
そのわたしの顔を香煩が這ひ上るのだ
わたしはその向ふに、お阿母が
悲しみの底から痴者みたいな喜悦をねらねら現
し
ぢつと写真をみつめてゐるのを見る 二葉の写実は位牌の横に置かれるであらう 彼女のたるんだ鼓膜に 潮さひの様な読経が残るであらう
夜盲症T」主森に代へて
‑
鈴木 泰治
窄自転車で走りながら君、僕は寿が来たと思つた。風 の街を五分間もベタル踏めば、わるい僕の眼は涙が出て昼
の信号燈の見分けがつかなくなるのに、その上、その眼を
汚れた軍手の指先でこするので、荒つぽい処置におどろき
悲しんだ僕の瞳は、扱ひ様のない位意味のない涙を撒くの
に、今夜はさうでなかつた。なが〜つた冬を息ひ、釈もな く嬉しくなつてゐると、すぐにガードを越えて暗い道だ。
その半郊外の道で、僕はまた新しい病ひを知ってしまつた。
可愛想に、僕は夜盲症になつてゐ色毎嘆この曇りを涙
のせいにしてゐた僕なんだが、涙なしにも夜の道はあぶな
つかしくつてロクに走ることも出来ぬ。破れズボンを新調 したと思へば靴がひん歪んでゐ争1僕の日常の満ち足
りぬ心が、僕の眼まで犯しやがつた!帰って、儀じい胃の
‑118‑
腑を机に押しっけて、仕様ことなしにくつくつ笑って君に
手紙を書いてゐる。
‑
1934●ll
無 題
わたしが先刻からみつめてゐると
ああ、またこの紳士はげつぶをする
何といふ美しいげつぶであらう
紳士は眼を閉ぢながら こんなに満腹してゐると言はぬばかりに
ながながとげつぶをした
胸にかゝつた金鎖が微に動くのを見ながら
儀じさにきやきや痛む胃の腑をいたはつてゐる
すると、また
ー
こんどは胃袋のはち切れさうなのを
みせびらかして横隔膜にこつんと当てたのか
げぷつと生温いのをわたしにあびせた
ぢつと腕を組んでみつめてゐる
鈴木 泰治
可愛さうな胃の腑を胸廓の下にソツとかき抱い
てやる
胃液が皮膚にしみ出しはしないかと
まじめにからだをまさぐるのだ こいつの腹の中には臓晶の厨がある
それを知りながら
空つぽの胃袋が吸盤みたいにあへぎ
みつめてゐる虻
津身で心にむちうつてゐる。 かほをそむけずに紳士の胸をにらんでゐ奄
力のかぎり胃袋を抱きしめてゐるのだ。
(0質量で)34・3
‑119‑
夜の街道で
鈴木
泰治
●それは時間を定めなかつた。
最初の夜、打ち震ふほど烈しい鋼鉄の響に飛び起きた。鉄
工揚が知らぬ間に建ったのであらうか、おかしい、おかし
い、わからん、一体どうしたといふのであらうと夜びて思
ひまどつたのだ。
●次の夜もそいつは地震のやうにやって来たので、おびえ
ながら窓をあけた。淡い月が国道の舗装を漆に沈ませ、果 さのなかから電車のレールをしらじら拾ひ上げてゐるだけ
で、沼みたいな草つ原のあなたガスタンクが浮き上ってゐ
た。眼をこらしてゐるうちに響は泥ほどの闇に消え、可愛
想に強くない心臓が急ぜはしくつぶやいてゐるのであつた。 ●これほどはつきりした響この響は何物が発するのであ らうと、それだけに頭は一杯であつたのに、ひとりで終生
持ちつゞける頑強な秘密の様に押し黙っていらいらした。
誰に聞くまでもない、生ける著すべての耳に入ったであら う轟然たる響11そいつの正体が何物であるか訊ねるの
は恥だと恩つたのだ。みなが押黙ってゐたのもそれだ。 ●三日目の喝もう我慢がならぬ。わたしは街道まで突つ 走ったが、視野をさへぎるもの、戦車隊の行喝轟々たる 流穐陸続たるつらな㌔大地とともに傑へて木片みたい
なわたしの前舗石に噛みついて青白い火花をボウボウと燃
し、どこか知らぬ、どこでもいい、わたしの知らぬ目的地 へ突進してゐた。‑・⊥瞥石喝薄明にはどこまで行くので
あら,一明日は何があるのであら・笑じつとしてゐていい
のであらうか。そいつが通りすぎ、波涛ほどの簸が街道の
静けさにワッと攻めよせられる前の空気の稀薄さに、重心
を失ひかけるわたしの頭であつた。
(1934・4)田
螺1‑・故郷で
‑
鈴木 泰治
田螺は畦道で子供らの歌を聴いた。
春近く日は永いし、藻の生へた小繋のあたりに水泡が撰
つたいし‥‥‥
突琴彼は通りすぎる暗い翳を感じて居ずまいを直した。
それはいつも殻だけにした仲間の上でのびのびと羽ばたき
をし、吊歌をうたうて飛び去った!
天翔ける敵を憎む前に今日もー日自らのいのちの扉を閉め 田喝
つゞけねばならんとは。 おのれの甲南を疑ひはじめたのに、甲常を試すた三つの
方法は ああ、自らを暗い翳の揉珊に委ねることだけだ。
120
ふてくされて、ひつくりかへり、
瞼に揺れる太陽を感じ乍ら、明るい昏迷に眼をつむる田螺
らの上
‑
幾億のいのちをはらんだ蛙の卵がねむつてゐ奄
暁 闇
家ダニに泣き喚いた赤ん坊がやうやく眠ると目
覚まし時計がほたるの光を唱ひ出した。
お阿母が眼瞑つたまま脛を蹴ると飛び起きて眼 こする子供)
薄暗いザルの上、萎えて頭ふる春零
茎をはむ音に急に立てられ、
飛び越える、汚れた赤ん坊、眼閉ぢたお阿母の
残り少い桑確跳ね上る桑備に顔曇らせ、 上。
扱ひきれぬ菓切り両手に、積み揃へた桑を切り
くだく。
鈴木
泰治
ぢやつとちゞみ、やがてふかふか膨れる菓片が
切り板から溢れ出した。
ひき出すザル、振りかける葉つぱ。 一喝鳴りをひそめ、夢甲に葉のあるアミに準
じのぼる蚕ら。
間もなく香気に噂ぶ虫らの歯音が遠い鰊雨のや
うにひろがつた。 飛びかへる、汚れた赤ん巧お阿母の上。
ポッカリひらいた煎壁浦団が、朝の菜摘みまで
子供の小さい身体をかかへ込むのだ。
(一九三四、五)
121
鈴木 泰治 魚 群
大謀網に気付いたのは夜になつてからであ亀
それまでひろびろと張られた網の目に戯れつい
たり、蘇にかかつて揺れる藻をつついたりした
彼等であつたが、そいつが陸へ陸へ狭ばめられ
手繰られてゐるのを知った嘩みなは一瞬ハツ
と薫ざめ、つぎに日頃の群辞の習性を蹴飛ばし
てしまつた?
海と獲物を区切った網のなか、のがれ出ようと
する魚たちのおのれこそ逃げ終はせんと喰はす
必死の体当りも無駄であつた。. 飛走するひミ無数の流星が蒼闇の海に火花を
ちらし、網に当つて砕けた。ここで再び蒼白の
尾を引いて疾走し直す奴もゐた。鹿深々林を喰 ひ込ませて血みどろにあがきくねるのもゐち
ぶつかり合った魚と魚は燐火の中で歯を剥いた
動くともなく動く網喝せばまるともなくせば
まる零魚たちはぎらぎら飛び跳ねたが、
やがて濱辺のかゞりが見え、砂をこする網底の
音が陸の喚声に混ぢるとき、捨身の激突に口吻
は赤拗くはれ上り、眼玉に血がにじみ、脱け落 ちる鱗は微に燃えてひらひら海底へ沈んでゆく
のである。 (l九三四・七二ニ○)
★ひき去魚が泳ぐ時、マサツで夜光虫が
ひかるのを言ふ。
盆踊り
越後から来た女工のうたへる 一
鈴木 泰治
音頭はおけさ上手のハナ姉さん
芝生にまるく踊るのはワシら越後から来た女工です
一人きりで柑歩いてはナラン 三人以上で村歩いてはナラン
路傍で立話はナラン
工場の話は工場ん中で
規則を破ればガ≡琴めの象ワシらの頭髪をかきむし
それでも今夜は盆踊り る
踊って踊って
ワシらの草履で芝生を踏み抜いてやりませ一笑
浴衣の女工は尻まくつて
アッパツパの女工は赤手拭で下つ腹に締りつけて
頬かむりなどいらぬ素顔と大根足で踊りませう
122
何の恥しいことがあるもんか、薪娘さん このトツクリ足で踏み抜いた芝生から砂挨を跳ね上げて
床凡で並んでゐる旦那やガニ婆めらに喰はせてやりませ
闇の盆に月より明い電気つけて
新娘さんよ!
旦那の横で胸毛出しとるのが駐在で あちこち歩き廻つとる洋服が町から来た新聞記者たち
模範工場の盆踊りに招待され、一杯のんでの見物です 今にボンと薬たいて写真とる・・飛び上ると実はれる
月のある盆踊り、月のない盆踊り
年期をつとめつとめてワシらは工場から工場へと移って
来ました
月のある盆踊、月のない盆踊
移るたびにワシらの給料はさがるばかり ひもじい故郷から押し出す新郎は増へるばかり
そして新娘さんよ
ワシらがここの工場に来たのは一昨年の春
故郷の飢饉はワシらの給料を工場で食ふ三度の飯だけに
しました
それはお前さんとて同じことだけれど 盆踊りが来るたび給料のさがるワシら妹娘の腹はつぶれ るのです
むかつく胸をだきながら
なんでかうまで意久地がなかつたか
盆踊りにはこんなに気合が揃ふワシらが
検番や旦那の前でへなへな萎へるザマ
は見られたもんだつたか
盆踊りのたび毎に かたまつたワシらのごつさに鷲ろきながら
翌朝からは青菜に塩!
いろんな虫が鳴いてゐる。
薪娘さんよ、わかるでせう
三〇〇のワシらが踏みつける草履の響 このタガみたいに組み合ふた胸と胸
みながみな同じ土ん百姓の娘と娘の気合のたかまりが 明日オサの前に立つた時ヘナヘナくぢける口惜しさ
こいつをたばね、締め上げ、太らせては行けないものか
こんな音頭取りはないものか
ハナ姉さんのギロギロひかる眼をみてみな 姉さんの豊壌で踊るワシらの元気をみな
歯がぢやりぢやりするこの砂挨をみな
123
ハナ姉さんみたいな音頭取りはないものか
三〇〇のくすんだ心を一つに鋳直し ワシらをくるしめ、ワシらの親兄弟を… ……にする奴等を
きりきりやつ〜けるために ハナ姉さんみたいな童鎖取りはないものか!
或る日に
鈴木 泰治
おれは鼻をうつた。
(ここまで行きつくだらうと思つてゐたのだ)
あらためて設計し直さねばならぬ。
それにしてもおかしいではないかっ いま、おれの前には虚脱への遺しか残ってゐないと咤
おれのほそぼそした良心が、
おれのすなほだと自負する心情が、
おれを伴って行くのが虚脱の世界よりないとは。
けふ。村には飛行機が絶え間なく翳をおとて
翳は稲田を這ひ、屋根を蔽ひ、丘陵を跨ぐのだ。 すると家々かちカーキ色の人々が出て行く むなしい空気がおれを取り巻く サイレンや汽笛の喚きたてるなかをやつと好きになれさう
な故郷がおれから離れてゆくのだ。
演習本部の造り酒屋へ這入って行くと、一瞬みながひつそ りする。
はげしい…意がおれをとりかこむのだ。
仕様ことなしにニタニタ笑ふ。これでは取りつく島がない。
これだけそらぞらしい距離が出来てはおれの手足はかなし
むばかりだ。仰向けに空をつかむ亀だ。 叫べば叫ぶほどおれの前の真空層は厚くな亀
声がかすれ、ひとりきりのおれは気遣ひぢみるだけだ。 これを突き抜ける決意がいまのおれにあるか。
黙ってニタニタ笑ひ、ふんと鼻で侮蔑す亀
全島を蔽ってしまつた翳におびえてゐる。 気合ひ負けしたお穐 音たてて落ちた情熱。恐るべき干潮〉
こいつを強引にひきずらうとするとおれは虚脱の一歩手前
に来てゐるのだ。
月のなかをおれは帰った。ねむられぬ。
124
庭先の楓に抱きつミそのまま屋根に準じのぼつた。
立上ると造り酒屋の小砂利の庭か見える。
伝令の自転車がやせた影を引く。
がやがや話し声が風に乗る。
そこに腰おろし、おれは思つた。
折角逃げ帰つた故郷ではあるがおれはまた出なければなら
ぬ。
故郷はおれに興味をもちすぎる。 白い歯を剥き、尻を叩くぅ
いらだつ良心のつれて行く意味のない虚脱からおれ自身を
救はねばならぬ。. そのために、おれは故郷を棄てる。
おれを知らぬ都会で腰を据へて出口を考へようと決意した。
〓感想として)
山に在る田で
鈴木 泰治
一日、二日、三日。
あらあらしく掘りかへされ、みづみづしい具さの 土の上、 ひと田づつ下へ下へ送られて行く水〉 上の田から落ちる水が、なかば水の演いた田の片
隅で濁った小さい渦を巻き。
革の菓をまはしながら一日中踊ってゐる。
(もつと澄ませられぬものか)
眼の下の泥水を見てゐるとぢりぢりして来るわた
し。
飛んで行き怒鳴りつけて澄ませたいわたし。
底の底までさらけ出し、それから頭を立て直した
いわたし。
殴りつけてもはらしたいこの曇り。
さて、一段づ〜のぼるわたしの前、 低い田ではもやもや濁った水がここではもっ清澄
への意志をみせ1
高みの田はこんなにさやさやさしてゐるのだ。
これが水元なのか、山際の泉っ 芹が美しく生え揃ひ、旦向浮かべ。
125
(あせるまい)
待つか。下まで澄み通るまで。
曇 天
(一九三四、七月於三善
鈴木 泰治
曇天の朝である。
廊に立つ。
把手が手あかでぬめぬめしてゐるので、 ここに来る度びに顔を聾め亀
】曇ロから廻りくねつた道を下り亀 わたしらの住居が其処の片隅にあ亀 ずらりと並んだ表札散らばつた履物 この一軒に三つの世帯があ亀 (うす暗い生活のよど登 トランク一つひつさげ、
わたしの此処に来たのも曇天の朝であつち
低い空と暗い大地、 その間で都会は騒ぎ立つてゐた。 わたしは雑誌の自分の名前だけ切り抜き、 肉親の名刺の裏に貼りつけ、 ならんだ表札の隣ヘビンで止めた。
(わたしの東京の生活のはじまり) 新しい生喝 わたしは此処で絶望を噛みしめ亀 絶望することの無意味さを納得するため咤
一つ一つ、
わたしに残jれてある退路を断つために。
所詮、わたし、受身な男は
逃げられるだけ逃げて、
逃げ路のないことをはつきり自分に知らせるより他術がな
いのだ。
ぢつとしてゐると、 物を洗ふ音が遠い省線の乱りのなかに溶け 物々しい騒しさがわたしをつつむ朝であ亀
(わたしは絶望することまで息ひ切りはしない)
(わたしの絶望には目的があるのだ)
それにしても廊で考へ込んでゐるわたしの、脚のしびれ!
126
分裂の敦T‑・藻について
‑
鈴木 泰治
生温い春の日さがり句
わたしの身体が俄かに灼熱し、
気泡があはただしく舞ひ上つた。
これは何の為めにする苦しみであら,笑
わたしは激しく讐何か知ら喚き立てた。
わたしの肉体がわたしの外へ膨れて行くのである
わたしからハミ出して行くわたしを
一体どうすればいいのであら・毛 玉里寿甲のわたしは
だんだん重心を失つて行く自分を知り、
必死になつて踏ん張らうとするのだが、
もう遅い!
わたしは原形を止めぬまでに膨れ上り、
まるで水の様に流れはじめた。 あせる。 あせる。 わたしの手綱に負へぬわたし。 この悲しく、不達なわたし。 わたしが流れる。 わたしが消へる。 手足はあつく、眼は霞みかかる。 この焦慮をよそに、 水どもは何と物しっかに構へてゐるのだ。 わたしも気をしづめる
ー
何か知らわたしの中からうごめき出した。
こいつなのであら,笑
わたしを苦しめ抜いた奴は。 こいつに違ひない。
この数日、
わたしの肉体をぐぢぐぢ内攻したのは。
異分子っ こいつ悪魔め。
127
こいつがわたしを見棄てる時が来たのであらうか
そしてわたしは再び良心の枠のなかに入って行く
のであらうか。
信じられぬ。
未だわたしには判らぬのだ。
こいつが敵か味方か、が ‑
わたしは痛む身体ねぢ曲げて、
身のまはり見ようとするのだが、
眼がくらくて何も見えぬ。
わたしはどうなるのであら・笑
これから何が起きるのか。
微塵への観念‑1
常にわたしが恐れる微塵へ飛び散るのではないか
いづれそこへ行きつく自分の故に戦いた微塵へ。
あらゆる素朴でないものを叩き毀つために、 もうそこへ身を叩きつけるより他ない微塵が 前に歯を剥いてゐるのではないか。 わたしはただもう灼熱するばかり ただもうしびれ、 微塵の妖⊥い魅力に惹きつけられ、 動きがとれぬ。 じりじりそちらへ動いて行くのだ。 金しばりになつた様に。 これがおれに残されたたつた一つの道だ、これだ けがおれに… と夢中に繰り返しながら 微塵の彼方に浮ぶわたしの面貌はなにか。 絶望の後にわたしを待つものはなにか。
知らぬ。
判らぬ。
眼も見えぬ。 耳が♯々と鳴玖渡曳
いまにわたしは四分五裂にな亀
わたしは消へる。 わたしのすべてはそれからにかか亀
128
波の様に襲ふ苦しみに息をつめる。
わたしであつてわたしでない、いま!
二
あれからどれだけ経ったであらうか。
何の変りもない。
太陽は水に揺れ、
魚は脇の下を擦ぐる。
わたしは疲れて重い眼をあげるっ
何と舌ふことであら・笑
わたしのまはりに新らしいわたしが生まれてゐる。 わたしらのまはりに新らしいわたしらが生まれてゐ
るのだ。 一つの核を持ち、
それぞれに原形質を備へ。
これはわたしだ!
あれもわたしだ!
わんわん寄り添って来るP どんどん膨れ上って行く。
(一体何が起ってゐたか)
わたしは分裂したのだ!
あちらの新しいわたしも こちらの新しいわたしも、
みどりに輝いてゐるのだ。 わたしの身体に手をからませ、
静かにわたしをゆすぶり、
親愛の情に笑ひかけてゐるのだヶ
わたしはみどりを濃くし、
拡がりと厚昧は増した。
底にうつるわたしの影の刻明さ。
よし、この影のなかに古いわたしのなかの敵がゐ
よスノとも
わたしの歓喜は傷つけられはしないのだ。
(ああ、やつと為し得た自己の拡充!)
やがて再びわたしに分裂がやって来る。
もう恐れはせぬ。
129
分裂とともに新しいわたしの中に新しい悪魔が誕
生しようとも わたしは分裂を避けはせぬ。
放とともに味方を生れるのだ。
それを繰りかへすうちに、 わたしの胸幅も厚くなるだら,ち
息もふてぶてしくなるであら・笑
この池を草つ原ほどみどりにする日も、
それを通してわたしの前に来るに違ひないのだ。
一九三五年春
[参考]
感 想
鈴木 泰治
読んでゐてくれる人は知ってゐる通り、僕はここ一年間 あらゆる場所あらゆる機会樗われわれが置かれてゐる
闇の深さについて書いて来た。今考へれば、その動機は殆 ど衝動と言っていい程猪突的であり、且無論理性にみちみ
ちてゐた。或る時には、僕は意識して論理性への反逆を試 みもした位である。
ここで、先づその一年間の貧しい仕事に依って、僕自身
はどうにか過去に残したままになつてゐた自己の空隙を埋
めることに、成功した様に考へられるといふことを書いて
置きたい。僕は一応絶望の沼を克服した様である。手前味
噌をならべるならば、その事びのために現在の僕はまるで 植物みたいにはづんでゐるのであ曳この上は、誰でもな い、まづしい小市民的悪癖にみちた僕自身から、プロレタ リア文学に通ずる道を、他でもない、僕自身の肉体を以て
歩めばいいといふ風に‑‑㌧このことは、青ふまでもなく
常識であるが、僕は一年間の意識した「逸脱」によつて、 さらに一層強固にこの常識を自分のものになし得たと考て ゐる。湊が何故「意識した逸脱」といふ不穏当な青畳盲
用ひるかについては、いまは簡単に「インテリゲントに於
ける観念と実践間のギャップ」とでも説明して置く。)
残ってゐるのは、内から外への努力だと僕は思ふ。ゲー テの青畳看思ひ出したが、次の寺菓は彼自身がヱツケルマ
ンに、大作を狙ってはならぬ、身辺の些事の中から美を拾
ひ上げるのが詩人の能力だ、といふ風に注意してゐるのと
一見矛盾する様だが、よく考へると矛盾などしてゐない正 しいものであら,笑 「あらゆるものが退歩し、衰へて行く時代は主観的だ。
‑130‑
それに反してあらゆるものが進歩しつつ賜る時代には客観 的傾向があ亀すべての秀れた努力は内から外の世界へと
めざしてゐる。」
内攻に次ぐ内攻によつて、おのれを攻めつくした僕らに、 そのことに依って小市民としての自我の腑甲斐なさをとこ
のとんまで納得したわれわれに、残されてある道は、嘗て
自己の中に空隙を残したまま危なげな足取で赴いた、(そ してそのために多くが失敗した)ところのプロレタリア的
現実以外にないといふ確信‑そこまでやうやく僕は辿
りついたのである。(七月一旦
自然の玩具について
田に水が入ると村がひろくなる
蛙どもが鳴いて、鳴いて水に融ける日
畦道では、 子供たちが蛙の尻にムギワラ突き差し、
風船の様にふくらませ 口から臓腑吐出すのをニタリニタリ笑ってゐる
向ふでは一かたまりの子供にかこまれ
鈴木
泰治
花火唾えた蛙が空にらんでゐる
やがてこのローソクの花火が破裂すると 口は裂けて跳ね飛ばされる
こいつらの触角にかかつては敵はぬ
自然の中で玩具探しまはり
草の実、木の葉、昆虫、お構ひなしだ
街の子供が汽関車のゼンマイ捲くうちに
こいつらはカブトムシ噛み合はせたり
小蟹の欽もいだりするのだ
女の子に蛇投げてへらへら笑ふのもこいつらな
ドングリに笹竹突きさして独楽にするのもこい ら
つだ。 野を駆け、山にのぼり
それでもまだ満足せぬこいつらは
その柔い触角を地面に突き入れる
蟻地獄ほじくる、 ケラを拾ひ出す、 ミミズを蟻の穴に供える
子供たちの萌
131
自然は何といふ完備した玩具のデパートであら
ここで子供らは物を日分のためにつくることを
覚える 自分のために探しに行くのを習慣づけられる
街の子供がサイダーの王冠で勲章つける様に
田舎の子供は粘り気ある八重葎のみどりの車輪
を胸につける どの山畑にどんな果樹があるか、
どの崖にいたどりが群生してゐるか、 青梅、香、無花環蜜柑……
それらについて いつ花が咲き、いつ受精したかは忘れても
豊かなみのりの時期は時計ほど正確に知ってゐ
るのだ
まるで、 役場の戸籍吏が村の誰れ彼について知ってゐ
る様に、
学校の先生が同じいイガグリ頭を見分けるほど
この小さい植物の戸籍係はススキ属の植物の根 を掘る 細い根節から何と甘い汁が歯にしみることか! わたしの名も知らぬ潅木の葉は何と酸つぱいこ とか! 朝蕗に滞れた路傍の紫の衆花は何と甘いか! 槙壇の下で子供が何やら話し合ってゐる わたしが近づくと
おぢさん、これ と小さい実差出すのだ ‑
槙の実を君は知ってゐるか、
ゼリーみたいにぬめぬめ舌に乗る、
淫蕩な年増女の後味に似たものうい甘さ
子供と一緒にわたしもむさぼり食ふのだ
わたしは驚嘆してゐるのだ
子供らはここで何と積極的に生きてゐるのであ
何と執拗に自然の体内へ遊び相手見つけに出掛
まるで新鮮な果実を樹からもぎ取る様に 何と全身で自然にぶつかつて行くのであらう け
自然の懐から玩具を盗み取つて来るのだ
崖ぎわの赤い椿よ、いたどりよ、
針につつまれるからたちの実よ、
132
野茨に護られる名も知らぬ花々よ、
子供らは君らを愛するので
危険の故に君らの美しさをのがしはしないのだ
ああ、すべて呼吸づく自然
脛に血をにじませて自然から奪ふことの喜び 魅力ある日毎の営華 美しい生活よ。
(一九三五・六)
異つた二つの夜に
その一
月のあがるまえ
わたしは河向ひの喜連に腰を下してゐた
露の未だおりぬ道で
残った大地のいきれを喚ひだ 虫々の鳴き声の織りなす 夜の村のしじまのうちで
大地がしんしん鳴つてゐた
鈴木
泰治
いま、ひるの温気が堅い地中から浸み出してゐる または、熱のさめる大地の囁竜
火から出した鉄がチンチン鳴るのを
わたしは思つた
悩天にしみ通る。
ひくい、ものうい冷却の愚痴!
わたしの一年間も
‑
寄えかかる塊が) 胸で冷却のうたを打ちならしてゐた
その二
芹のあひだを流れる水ほどの速さで、
おれのなかに潮が差しはじめた これでいい。待ちに待った清潮へのきざしよ
少しつつ戻つて来るプロレタリアの気塊よ
日毎感じてゐる
おれの凹凸ある愴しみの底を
微かな満ち潮が舐めつつせり上るのを。
そのとき、おれのでこぼこの底は
潮の中で砂煙りをあげるであらう だがやがて、煙は水のなかに溶け
たゞ一色の情熱が、おれの稜角ある性格の上に
いとしく咲き揃ふに違ひない
133
怠惰は結果に現れる
鈴木 泰治
織機の前でモーターを入れ亀
ベルトからベルト、車から車へったはるなめらかな始動
縦横並んだ針の躍動のヰで、一せいに▲
八つのアンクレットをつくりはじめる
理窟はまいにち教へられる。 心配で、技師から借りたドイツ本まで誘電
まだ気懸りなのだ。
隣の織機では鼻歌まじり、
女工のクックツ笑ひまでする
こいつらのゆとりは何処から来てゐるか。
こいつらの頭とあのすばやい手先はどんな関係があるか。
僕はこんなこと考へて倍も疲れ毛 織機の前に立ちすくむ僕は、
それをあやしながら換る奴らに気押されながら
パターンの動き、
ジャガードの工Aq
血眼でみてゐる。
また、光のやうに布地が一歩ヱqノく現れる
切れた! 思はず制動器に手をやり、 まて、と思ひとどまる。 いまに、 他にも針が折れるむ糸がきれるかするだらう そこで、まとめて修理すりやいい。 一つ一つ機械を止めてゐた日にや追つかぬ。 ずるさの底で不安が波打ってゐるが
(これがインテリのちょつとした要領といふ奴さ)
僕の怠惰は、小さな満足に微笑む。
ああ、そして
怠惰は結果に現れる!
今日も不良品ばかりかさむ1
終業簡こんな筈ないんだがとつぶやき
汗みづくになつてあちこち調べてゐる
なに尤らしい顔して機械をしらべるのだ
故障は機械にあるのでなしに、
おまえ自身の中に在るのだ
すべて怠惰はここでは製品となつて立現れて ずぼらな僕を殴りつけ亀
134
河童の思ひ出を
鈴木 泰治
青紫蘇の高い匂ひの中で
おたけ婆はどぶ鼠の格好で溝さらひしてゐる
一生の終りは間もないさきだ
生涯の大半をあちこちの紡鋳で送つた婆
労苦に酬はれたのは飼ひ殺しの女中の地位と
三円也の給金である
僕はこの婆から古い女工時代の話をきかされる
工場の記憶は歯の様に抜けおちて
たのしい思ひ出だけがしなびた胸にひつかかつて
ー ゐる
これでも男工に騒がれたつけ
これが婆の花束であらうとは!
工場で娘になり、女房になり、そしてリヨーマチ
が出るまでの三十年
ぬりつぶされた灰色の労苦の月日
取立てて物珍らしげに話すことなどどうしてあら
うぞ
婆よ、 早よ河童のはなししてくれ
お前がただ一つ情熱もて語る思ひ出、
聞き流すとカン筋立てて見たと音ひ張る‥・…
お前は河童の思ひ出一つ抱いて墓場へ行くことに
なる
お前の運命だけが
そこの町工場の隅で、あのオサ台の前で
乳房ふくらんだ青春の中にのつそり構えてゐる!
桜
‑
大阪の仲間に
まい朝、僕は半郊外から歩いて来た
砂挨立つ道は歩くにつれてタタキになり
ひろくなつてアスファルトに続いてゐた 桜宮確
あの銀色のアーチが現れると
さあ来た!とつぶやいたものだ
緊張する眼は露に滞れた、
桜の花がふくれてゐた
鈴木 泰治
135
しっとりと豊かに
咲いてゐる花のあちらでは
造幣工場が穣らしい煙を吹上げ けむる空を背景に 花々は梢にあざやかに浮いてゐた
橋詰の紋章ある希をうかゞひ・
ほつと安心すると、花々は .疲れた僕の五体に流れ込んだ
僕は嬉しく、
他愛がなかつた
ある朝のこ干
幾人かの子供たちが こちら岸、桜宮公園から向ふ山喜幣局へ向けて
飛行機をとばしてゐた
暗い空に飛込む姿勢をとつたと思ふと
低く水面にすれすれに飛び 落ちれば急な流れだたちまち抱き込むのだが
子供たちは確信をもち
愛機の進路を見守ってゐた
拳をにぎり、眼をカツとみひらいて。
飛行機が波に打ちあげられるやうにふんはりと 向ふ岸に乗ると ワッと喚声をあげた 僕もほつとして楽しくなり 小刻みに舗道を叩いて 煤煙の街にまぎれ込んだものだ
鈴木 泰治
海岸の松を見た、
たかい空を風が駆け
地上では、
砂礫が幹を撃ってゐる、
ひしめき合ひ、
ムツと耐へる渋面つくり
麟は網の目に腕をくみ
づみづしい内質をまもつてゐる
近づいて見給へ、
136