古文辞学と祖棟学−荻生狙棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵三︶
相 原 耕 作
目 次
︽序︾
︽本論一︾﹃弁道﹄の概念構成
︽本論二︾﹃弁名﹄の概念構成
︵1︶道︵2︶徳︵3︶仁﹇以上第四十八巻第二号﹈
︵4︶智︵5︶聖︵6︶礼︵7︶義︵8︶孝悌︵9︶忠信︵10︶恕︵11︶誠
︵12︶恭敬荘慎独 ︵13︶謙譲遜不伐 ︵14︶勇武剛強毅 ︵15︶清廉不欲 ︵16︶節倹
︵17︶公正直 ︵18︶中庸和衷 ︵19︶善良 ﹇以上第四十九巻第一号﹈
︵20︶元亨利貞 ︵21︶天命帝鬼神 ﹇以上本号﹂
︵22︶性情才 ︵23︶心志意 ︵24︶思謀慮 ︵25︶理気人欲 ︵26︶陰陽五行 ︵27︶五常
︵28︶極 ︵29︶学 ︵30︶文質体用本末 ︵31︶経権 ︵32︶物 ︵33︶君子小人 ︵34︶王覇
︽結び︾
古文辞学と祖裸学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 三九三
三九四
︽本論一一︾﹃弁名﹄の概念構成︵承前︶
︵20︶元亨利貞
﹃弁名﹄は元亨利貞を﹁易﹂独自の用語として捉える︒元亨利貞は﹁易﹂の概念であるから当然だと思われるか
もしれないが︑そうではない︒﹃北渓字義﹄は元亨利貞の項目を立てず︑命2・5︑性1︑仁義礼智信14で元亨利 ︵79︶ 貞に言及し︑天の元亨利貞と人の仁義礼智を対応させる︒ここでは︑存在論と人性論を貫く一貫した朱子学の体系
の中に元亨利貞が位置づけられ︑﹁易﹂は他の経典と密接に関連づけられている︒これとは逆に︑﹃語孟字義﹄は元
亨利貞について論じない︒﹁義理﹂を害する﹁卜笈﹂に批判的な伊藤仁斎は︑﹁語孟の二書︑未だ嘗てト笹を言ふ者
有らず﹂とし︑この点に︑﹁卜笠﹂を用いた﹁三代の聖人﹂に﹁度越﹂する孔子の優秀性を見る︵鬼神・附卜笠3・
4︶︒従って︑﹁易﹂に関して︑孔子以前の﹁卜笠を以て主﹂とする立場を否定し︑孔子の﹁義理を以て﹂解する立
場を採用する︵易1︶︒ここでは︑切り捨てを伴いつつ︑儒学の経典は︑﹁語孟﹂に書かれた﹁義理﹂の観点から一
貫したものとして整理されている︒以上に対し︑﹃弁名﹄は︑﹁易﹂を﹁占笹を主﹂として捉え︵﹃弁名﹄元亨利貞1︑
=五頁.二三三頁︶︑元亨利貞を﹁易﹂独自の用語として捉えることを徹底する︒﹁易﹂を︑他の経典と関連づけ
るのではなく︑切り離すのである︒この点で︑﹃弁名﹄は先行する二者と大きく異なっている︒
祖禄は︑﹁乾﹂の卦辞である﹁元亨利貞﹂を﹁天﹂の﹁四徳﹂とする議論を退け︑﹁乾はおのつから乾︑天はおの
つから天︑あに混ずべけんや﹂とし︑﹁易﹂と他の経典とを次のように区別する︒
大氏︑易の書たる︑占笠を主とす︒故にその辞を設くるは官書と同じからず︒これを読むの道も︑また官書と
同じからず︒﹁観る﹂と日ひ︑﹁玩ぶ﹂と日ひ︑﹁典要となすべからず﹂と日ふ︑以て見るべきのみ︒故に乾の
元亨利貞は︑まさに易を以てこれを観るべし︒必ずしも天道および聖人の道を引きてこれを解せざれ︒︵同上︶
祖棟は︑﹁占笠を主とす﹂ることを根拠に﹁易﹂を他の経典から切り離し︑元亨利貞を﹁易﹂の文脈に限定して捉
えるべきだとしたうえで︑一転して﹁易﹂の広範な利用を説く︒即ち︑﹁そのこれを用ふるに至りては﹂︑﹁天道と
なすも﹂﹁地道となすも﹂﹁聖人の道となすも﹂﹁君子の道となすも﹂﹁庶人の道となすも﹂︑﹁また可﹂である︒だか
ら﹁典要となすべからず﹂というのだ︵同上︶︒つまり︑元亨利貞を﹁天﹂の﹁四徳﹂とし﹁仁義礼智﹂と結びつ ︵80︶ けるような﹁易﹂の固定的解釈を拒否して︑場面に応じた自在な断章取義的利用を図るのである︒そして︑元・
亨・利・貞それぞれの多義性を開示したうえで︵﹃弁名﹄元亨利貞1・2・3・4︶︑これが﹁易﹂の﹁典要となすべ
からず﹂であり︑﹁他書と殊なる所以﹂であって︑﹁後世の儒者の傅会するに天道を以てし︑また仁義礼智を以てこ
れに配するに至りては︑すなはち牽強遷就にして︑文章を成さず︒妄なることまた甚だしきかな﹂︵﹃弁名﹄元亨利
貞4︑一一九−一二〇頁・二一二五頁︶と述べる︒祖裸の古文辞学は︑﹁易﹂の自在な利用を導くと同時に︑﹁易﹂をそ
の一環に組み込んだ体系的な理論を解体するのである︒ ︵81︶ また︑﹁易﹂を﹁占笠﹂のために利用することは政治の重要な手段となる︒そもそも占いは︑未来に対する客観
的な予測ではない︒
これト笈の道は︑もと人をして能くその事に勤めて怠らざらしむるに在るなり︒凡そ天下の事は︑人力その半
ばに居りて︑天意その半ばに居る︒人力の能くする所は︑人能くこれを知る︒しかうして天意の在る所は︑す
なはちこれを知ること能はず︒知らざればすなはち疑ふ︒疑へばすなはち怠りて勤めず︒怠りて勤めざれば︑
すなはちその人力を併せてこれを用ひず︒事の壊るる所以なり︒故に聖人はト笠を作りて︑以てその疑ひを稽
古文辞学と祖裸学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵三︶ ︵都法四十九−二︶ 三九五
三九六
び び へ︑これに籍りて人かの天意の在る所を知るを得︑裏裏としてこれをなして已まず︒事の成る所以なり︒︵同︑ ︵82︶ 一一八頁・二三四頁︶
人々は不可知の天を前に意気阻喪しがちであるから︑将来への見通しを示し︑人々が人事を尽くすように仕向けな
ければならない︒しかし︑有限の﹁易﹂から固定的な﹁義理﹂を読み取っても︑無限の現実に対する適切な指針を ︵田︶ 得ることはできない︒自在な断章取義によって有限の﹁易﹂から無限の意味を引き出すことが求められるであろう︒ ︵M︶ こうして︑聖人はト笠を作り︑天の不可測性を利用し操作しながら︑人々を導くのである︒
︵21︶天命帝鬼神
この項は﹃弁名﹄の中で圧倒的に分量が多い︒そのうち︑ほぼ半分は鬼神に関わる︒また︑名辞の組み合わせ方
も特徴的である︒﹃北渓字義﹄は﹁命﹂﹁鬼神・魂醜附﹂の項を独立に立て︑﹁天﹂の項はない︒﹃語孟字義﹄は﹁天
道﹂﹁天命﹂﹁鬼神・附卜笹﹂の項を立て︑﹁天道﹂﹁天命﹂は連続している︒﹃北渓字義﹄﹃語孟字義﹄ともに﹁帝﹂
の項は立てない︒
項目の立て方についてもう少し検討しておこう︒まず︑﹃北渓字義﹄には︑﹁天﹂のみならず︑天理・天命・天道
といった﹁天﹂を含む項目もないが︑﹁天﹂は本文中の至る所に登場しており︑﹁命﹂﹁性﹂﹁道﹂﹁理﹂﹁太極﹂など︑
朱子学の重要概念の中で﹁天﹂が大きな位置づけを与えられているようにも見える︒しかし︑﹁天﹂そのものに焦
点が当てられることはない︒﹁天﹂は形式的には朱子学の諸概念の中心ないし頂点の位置にあるように見えるが︑
実質的には他の重要概念︑特に﹁理﹂や﹁道﹂によって代替されており︑﹁天﹂はこれらの概念との関係で登場す
るに止まるのである︒これに対して︑﹃弁名﹄は﹁天﹂そのものに焦点を当てる︒﹁命﹂﹁帝﹂﹁鬼神﹂も﹁天﹂と関
連づけられて登場する︒﹁天﹂は不可測とされ︑他の概念に代位されないように超越性を確保されながら︑﹁命﹂
﹁帝﹂﹁鬼神﹂と密接に関連づけられ︑他方︑﹁命﹂﹁帝﹂﹁鬼神﹂は超越的な﹁天﹂と緊密に結びつきつつ︑﹁天﹂と
混同されずに区別もされる︒このようにして︑﹁天命帝鬼神﹂は古文辞学的方法によって概念構成されていると考
えられる︒
また︑﹃弁名﹄同様︑﹃北渓字義﹄の﹁鬼神﹂の項は分量が多い︒しかし︑﹁鬼神の本意﹂﹁古人の祭祀﹂に続いて
﹁後世の淫祀﹂﹁後世の妖怪﹂について論じ︑﹁鬼神﹂の次に﹁仏老﹂の項を立てて全体を締めくくるところから窺
われるように︑﹁鬼神﹂を合理的な朱子学の体系に組み込みつつ︑非合理な怪しい存在に対する人々の誤解を正し︑
非合理な情念を抑え︑異端的な議論を排除することに狙いがあると思われ︑﹁鬼神﹂を超越的な﹁天﹂と結びつけ
て神秘化しようとする﹃弁名﹄とは問題関心が一入○度異なっている︒
次に︑﹃語孟字義﹄は︑﹁天道﹂と﹁道﹂の項を別々に立て︑天道と人道を切り離す︒その意味で︑﹁天﹂は人間
世界にとってさほど重要ではない︒なるほど﹃語孟字義﹄は︑﹁天道の天道たる所以を論ずるときは︑則ち専ら主
宰を以て言ふ﹂とし︵天道7︶︑﹁天道は善に福し淫に映す﹂といった言葉を引き︑﹁天道の畏るべく慎むべき﹂こ
とを指摘する︵天道6︶︒﹁天とは︑専ら自然に出でて︑人力の能く為る所に非ず︒命とは人力に出つるに似て︑而
も実は人力の能く及ぶ所に非ず﹂︵天命1︶であり︑﹁命﹂は﹁順受﹂するしかない︵天命4︶︒しかし︑仁斎にとつ
て重要なのは︑人力では如何ともしがたい﹁天﹂に祈ったり﹁命﹂に抗ったりすることでも︑ままならない天命に
翻弄されて無気力に堕することでもなく︑﹁天﹂の絶対的合理性を信じて人として最善を尽くすこと︑﹁恐催修省︑ ︵85︶ 直道を以て自ら尽﹂くすことであって︵天道6︶︑﹁天﹂ではなく﹁人﹂の側に力点が置かれているのである︒﹁鬼
神﹂を論ずる言葉は孔子の言葉ではないとし︵鬼神・附卜笠2︶︑﹁卜笠﹂を﹁義理﹂の観点から退けるのも︑非合
古文辞学と祖裸学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 三九七
三九八
理な怪しい存在に心を惑わすことなく︑人の道を尽くすためである︒これに対して︑﹃弁名﹄は︑古文辞学的な概
念操作を通じて︑人から隔絶した超越的な﹁天﹂と人とを結びつける試みであると考えられる︒
以上を踏まえて︑﹁天命帝鬼神﹂の内容を具体的に検討してゆこう︒
︿天﹀
﹁天は解を待たず︒人のみな知る所なり︒これを望めば蒼蒼然︑冥冥乎として得てこれを測るべからず﹂︵﹃弁名﹄
天命帝鬼神1︑一二〇頁・二一二五頁︶︒誰もが知っているのに不可測であるという︑人を困惑させる表現でこの項は ︵86︶ 始まる︒﹁人のみな知る所﹂なら聖人の命名は不要であろうし︑﹁解を待た﹂ないなら論じる必要もなかろう︒﹁得
てこれを測るべからず﹂であるなら論じることも出来ないと思われる︒ところが︑﹃弁名﹄は﹁天﹂に多くの議論
を費やす︒誰もがみんな知っている解説不要の﹁天﹂とは異なるレベルに聖人命名の﹁天﹂を設定し︑不可知性・
不可測性を拠り所として﹁天﹂の含蓄を確保し︑それを十全に利用しようとする︑古文辞学の方法に沿った概念構
成が行われるのである︒
誰でも知っている不可測の﹁天﹂は︑﹁至尊にして比なく︑能く楡えてこれを上ぐ者なし﹂︵同上︶︒この﹁至尊﹂
の﹁天﹂に︑聖人は則る︒ここに︑聖人の命名が刻印される︒
古より聖帝・明王︑みな天に法りて天下を治め︑天道を奉じて以てその政教を行ふ︒ここを以て聖人の道︑六
経の載する所は︑みな天を敬するに帰せざる者なし︒これ聖門の第一義なり︒︵同上︶
こうして﹁天﹂は政治的な意味を担わされることになる︒しかし︑聖人はどのようにして不可測の﹁天﹂に則るの
だろうか︒﹁聡明容知の徳﹂を持つ聖人は︑常人とは違って﹁天﹂を知ることが出来るのだろうか︒だが︑祖棟は︑
﹁けだし天なる者は︑得て測るべからざる者なり︒⁝古の聖人︑欽崇敬畏にこれ逞あらざりしこと︑かくのごとく
それ至れる者は︑その得て測るべからざるを以ての故なり﹂︵同︑一二一頁・二一二五頁︶としている︒常人には測り
知れない存在である聖人にとっても︑﹁天﹂は測り知れないのである︒このように︑不可知ゆえに敬しつつそれに
則る︑ということを祖裸は想定するが︑不可知のものに則るという思考の背後には︑不可知の領域に対して認識を
突き詰めるのではなく︑知りうる範囲でそれを利用しようとする古文辞学の方法が存在すると考えら麩・
そして︑不可知の﹁天﹂に則って不可知の﹁聖人﹂が立てたのが﹁聖人の道﹂である以上は︑﹁学者﹂も﹁敬天﹂
が﹁聖門の第一義﹂であることを知らなければならない︒﹁しかるのち聖人の道︑得て言ふべきのみ﹂︵同︑一二〇
頁.一=二五頁︶︒不可知の﹁天﹂を﹁敬﹂してこそ︑それに﹁法﹂った﹁聖人の道﹂を有効に利用することが出来る
のであって︑﹁私智を逞しくし自ら用ふるを喜び︑その心赦然として自ら高しとし︑先王・孔子の教へに遵はず︑
その臆に任せて以てこれを言ひ﹂︑あげくの果てに﹁天即理﹂の説を唱えるようでは︵同上︶︑不可知の﹁天﹂の含
蓄は破壊され︑﹁聖人の道﹂は有効に機能しないであな狸︒
したがって︑﹁天﹂を知ろうとしてはいけないのであって二天を知るLことを・祖棟は執拗に批判仁麗・重知
もてみつから処り︑天を知るを以て自負﹂して﹁古聖人の言はざる所の者を言ふ﹂のは﹁道に戻るの甚だしき者﹂
である︵﹃弁名﹄天命帝鬼神3︑=一ニー=三貢・二三六頁︶︒﹁天を知るを以て自負する者﹂は﹁みつから聖とする
者なり︒古聖人を信ぜざる者なり︒天を敬せざる者なり﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼神4︑==二頁・二三六頁︶︒畳みかける
ようにして︑祖棟は﹁天を知る﹂ことへの批判の 一︒辞を連ねるので顯・
傲慢にも﹁天を知る﹂と称すれば︑﹁天﹂に対する﹁敬﹂は失われる︒﹁私智﹂をもって不可測の﹁天﹂を論じれ
ば︑﹁天﹂は﹁理﹂や誠Lに倭小化されて異奨二天Lの警は損なわれ・不可測の神秘性は剥奪され・﹁天﹂
古文辞学と祖裸学ー荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 三九九
四〇〇
と﹁聖人の道﹂の政治的有効性も失われることになるだろう︒あくまでも﹁天﹂は不可知でなければならないのだ︒
それ天なる者は︑知るべからざる者なり︒かつ聖人は天を畏る︒故にただ﹁命を知る﹂と日ひ︑﹁我を知る者
はそれ天か﹂と日ひて︑いまだかつて天を知ることを言はざるは︑敬の至りなり︒︵同上︶
逆に言えば︑﹁敬天﹂は﹁天﹂の不可知性を守るための行為規範なのである︒
但し︑朱子学者や仁斎にも不可知論はある︒やや先走るが︑これは﹁鬼神﹂についての議論に典型的に見られる︒
例えば︑﹁敬鬼神而遠之﹂︵鬼神を敬して之を遠ざく︶を含む﹃論語﹄雍也20について︑朱烹は﹁専用力於人道之所
宜︑而不惑於鬼神之不可知︑知者之事也﹂︵専ら力を人道の宜しき所に用ひて︑鬼神の知るべからざるに惑はず︑知者の
事なり︶︵﹃論語集注﹄雍也20︶とし︑仁斎は﹁専用力於人道之所当為︑而不求媚於鬼神之不可知︑知之至也﹂︵専ら
力を人道の当に為すべき所に用ひて︑媚びを鬼神の知るべからざるに求めず︑知の至りなり︶︵﹃論語古義﹄雍也20小註︶︑
﹁若夫棄日用当務之事︑而用力於泌荘不可知之地者︑量可謂知哉﹂︵若し夫れ日用当に務むべきの事を棄てて︑力を測
荘として知るべからざるの地に用ひる者は︑豊に知と謂ふべけんや︶︵同︑大註︒林本は︑﹁日用当務之事﹂を﹁日用可務之 事﹂とする︶とする︒不可知のものは不用意に論じない方がよい︑惑いが生じるし︑もつと大事な日々の務めを疎 かにすることになるから︑という考え方である︒しかし︑こうした態度は︑かたや︑無鬼論になりかねず︑かたや︑ ︵95︶ 知を突き詰めれば不可知のものも知ることが出来る︑という論理になりかねない︒前者の場合︑後述のように︑不
可知の鬼神を利用することが出来ない︒後者の場合︑不可知の領域を突き詰めて知の領域を広げるのではなく︑既 知の概念︵例えば﹁理﹂︶で不可知の領域を説明し︑倭小化するだけになりかねない︒いずれにしても︑不可知の ︵97︶ ものを操作し利用するという祖棟の発想とは相容れないのである︒
では︑不可知の﹁天﹂をどのように利用するのだろうか︒祖棟は︑朱子学の﹁天即理﹂の説を︑﹁私智を逞しく﹂
して﹁天は我これを知る﹂とする﹁不敬の甚だしき﹂ものとして否定し︵﹃弁名﹄天命帝鬼神1︑一二〇頁・二一二五
頁︶︑﹁天﹂と﹁理﹂の結びつきを切断する︒﹁理﹂に替わって祖棟が﹁天﹂と緊密に結びつけるのは︑﹁命﹂﹁帝﹂
﹁鬼神﹂である︒但し︑﹁聖人の道は︑ただ理のみ以てこれを尽くすに足れり﹂とする﹁天即理﹂の説︵同上︶とは
異なって︑これらの概念は﹁理﹂の代替物ではない︒﹁天﹂とこれらの概念は︑古文辞学的な操作によって︑結び
つけられつつ区別されながら︑先王の道の﹁制作﹂と関連づけられる︒以下︑それぞれの概念に即して︑不可知の
﹁天﹂の利用を検討していこう︒
︿命﹀
祖棟は︑﹁命なる者は︑天の我に命ずるを謂ふなり﹂というゆるやかな﹁命﹂の定義を示し︑﹁或いは生あるの初
を以てこれを言ひ︑或いは今日を以てこれを言ふ﹂と続ける︵﹃弁名﹄天命帝鬼神5︑一二四頁・二三六頁︶︒﹃語孟字
義﹄の﹁吉凶.禍福・貧富・夫寿﹂︵天命3︶︑﹁吉凶・禍福・死生・存亡﹂︵天命4︶︑﹁死生・存亡・窮通・栄辱﹂
︵天命7︶はもちろん︑︵概念そのものとしてはともかく︶﹃北渓字義﹄命2のいう理命的なものも気命的なものも
全て包摂可能な︑多義的な﹁命﹂が提示されている︒しかし︑祖裸はここに止まらず︑極めて限定的な﹁命﹂につ
いて論じる︒﹁天﹂の﹁命﹂じた﹁先王の道﹂との関わり方における﹁命﹂である︒この︑﹁天﹂から﹁命﹂じられ
た政治的使命こそ︑﹁命﹂の中核にあるのであって︑﹃弁名﹄の﹁命﹂は﹃北渓字義﹄﹃語孟字義﹄と比較して際立
って政治化されているのである︒
祖裸によれば︑﹁命を知らずんば以て君子たることなきなり﹂︵﹃論語﹄尭日3参照︶という孔子の言葉は︑﹁天の
我に命ずるにこの道を以てするを知ること﹂を意味する︒そもそも﹁この道﹂自体が﹁天命﹂に基づいて作られた︒
古文辞学と祖裸学ー荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 四〇一
四〇二
﹁先王の︑民を安んずるを心となしこの道を立つる所以の者も︑また天命を知るを以てなり﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼神6︑
一二五頁・二三六頁︶︒孔子が﹁五十にして天命を知﹂ったのも︵﹃論語﹄為政4参照︶︑﹁天の孔子に命じて先王の道
を後に伝へしむることを知るなり﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼神7︑一二五ー一二六頁・二三六頁︶︒したがって︑﹁君子﹂は
﹁先王の道﹂との関係で﹁命﹂を知らなければならない︒﹁宋の諸老先生﹂のごとく﹁先王の道の︑天を敬し民を安
んずるを以て本となすことを忘れて︑専らこれを己に求め﹂ては﹁命を知る﹂とは言えないし︑宋儒を批判する
﹁仁斎先生得意の言﹂もその点同じである︵﹃弁名﹄天命帝鬼神6︑一二五頁・二三六頁︶︒﹁疑はざるのみ﹂﹁安んずる
のみ﹂﹁心を動かさ﹂ないといった﹁心を論ず﹂るレベルで﹁命を知る﹂ことを捉えるべきではない︒心構えの問
題ならば﹁命を知る﹂ことなど容易であり︑孔子は﹁何ぞ五十を待たんや﹂︒問題は﹁心﹂ではなく﹁事﹂であり︑ ︵98︶ ﹁先王の道﹂との関わり方なのであって︑不可知の﹁天﹂が下す﹁命﹂を具体的な事柄として﹁知る﹂ことはそう
簡単ではないのだ︒﹁孔子は先王の道を学びて︑以て天命を待つ︒五十にして爵禄至らず︒故に︑天の命ずる所は︑ ︵99︶ 道を当世に行ふに在らずして︑これを後世に伝ふるに在ることを知るのみ﹂︒このように︑﹁先王の道﹂に関わる使
命を具体的に認識しえて初めて﹁天命を知る﹂と言えるのである︵﹃弁名﹄天命帝鬼神7︑一二六頁.二一二七頁︶︒
︿帝﹀
︵oo1︶ 次に﹁帝﹂について見よう︒祖棟はまず︑﹁帝もまた天なり︒漢儒は天神の尊き者と謂ふ︒これ古来相伝の説な
り﹂とする︵﹃弁名﹄天命帝鬼神8︑一二六頁・二一二七頁︶︒﹃北渓字義﹄﹃語孟字義﹄に﹁帝﹂の項はないが︑﹁天帝﹂
﹁上帝﹂といった言葉に見られるように︑﹁天﹂と﹁帝﹂を結びつけるのは不自然ではなくむしろ伝統的であり︑そ
の場合︑﹁天﹂は主宰者としてイメージされる︒﹃北渓字義﹄命8が朱烹の﹁上帝震怒︑也只是其理如此︒天下莫尊
於理︑故以帝名之﹂︵﹁上帝震怒す﹂とは︑またロハだ是れ其の理此のごとし︒天下理より尊きは莫し︑故に帝を以て之に名
つく︶︵﹃朱子語類﹄︵巻第四︑性理一︶参照︶という言葉を引くのは︑主宰的な﹁天﹂を﹁理﹂で置き換えるためであ
ろうし︑上述のように︑﹃語孟字義﹄天道7は﹁主宰﹂としての﹁天道﹂について述べ︑﹃語孟字義﹄天命5は︑
﹁所謂命とは︑乃ち上天︑人の善悪淑恩を監臨して︑之が吉凶禍福を降すを謂ふ﹂としている︒
しかし︑聖人命名の﹁帝﹂は主宰者ではない︒﹁帝﹂とは﹁五帝﹂であり︑﹁上古の伏義・神農・黄帝・纈項・帝
馨﹂を指す︒彼らは﹁敗漁・農桑・衣服・宮室・車馬・舟揖・書契の道﹂︵所謂﹁利用厚生の道﹂︶を﹁制作﹂し︑
人類に普く行きわたる不朽の恩恵をもたらした︒﹁これその天地と功徳を同じうし︑広大悠久なること︑軌か得て
これに比せん︒故に後世の聖人は︑これを祀りてこれを天に合し︑名づけて帝と日ふ﹂のである︵﹃弁名﹄天命帝鬼
神8︑一二六ー一二七頁.二一二七頁︶︒﹁帝﹂は主宰者としてではなく︑制作者としての偉大な功績に基づいて祭られ
ることによって﹁天﹂と﹁合﹂したのだ︒元来︑﹁五帝﹂は人であるが︑
それ人死すれば︑体醜は地に帰し︑魂気は天に帰す︒それ神なる者は測るべからざる者なり︒何を以て能く彼
是を別たんや︒いはんや五帝の徳は天に偉しく︑祀りて以てこれを合し︑天と別なし︒故に詩書に天と称し帝
と称し︑識別する所あることなき者は︑これがための故なり︒︵同︑=一七頁・二一二七頁︶
祭祀によって﹁帝﹂は﹁天﹂と一体となり︑区別しなくなった︒﹁天・人を合してこれを一つにす﹂るのが﹁先王
の道﹂なのだ︵同上︶︒
このように︑不可知論も利用しながら︑祖棟は︑﹁道﹂の﹁制作﹂の起点にある﹁五帝﹂を︑﹁天﹂と一体化する
ことによって神秘化する︒他方で︑祖棟は決して﹁天﹂と﹁帝﹂を同一視しない︒﹁天即帝﹂ではなく﹁帝亦天﹂
なのであって︑﹁帝﹂は不可測の﹁天﹂の含蓄となるのである︒したがって︑﹁帝﹂と﹁天﹂を区別することも必要
古文辞学と祖裸学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 四〇三
四〇四
なのであって︑﹁宋儒﹂の﹁天は理を以てこれを言ひ︑帝は主宰を以てこれを言ふ﹂とする説は︑﹁理を以て主宰と
なさば︑すなはち帝・天何ぞ別たん︒またその解を難くするのみ﹂と批判されている︵同︑一二六頁.二三七頁︶︒
﹁理﹂も問題なのであろうが︑両者の区別を困難にするような概念構成もまた問題なのである︒また︑﹁帝﹂の
﹁名﹂の由来について︑﹁もしこれ天子の名にして︑推して以てこれを天に命くとならば︑すなはち先王天を尊ぶの
至り︑必ず敢へてせず︒もしこれ天の名にして︑推して以てこれを天子に命くとならば︑すなはち先王の恭なる︑
必ず敢へてせず﹂とする︵同︑一二七頁・一ゴニ七頁︶︒﹁詩書﹂においては﹁識別﹂のない﹁天﹂と﹁帝﹂は︑由来
に遡れば︑同一事象の異称でもなければ︑一方を他方に類推したものでもない︒﹁天﹂の尊貴性がそれを許さない︒
人であった﹁帝﹂は祭祀によって﹁天﹂と﹁合﹂したのであって︑﹁天﹂が﹁帝﹂の上位にあることは動かないの
だ︒
もし両者を同一視すれば︑﹁天﹂の超越性が損なわれ︑﹁天﹂概念は倭小化し︑﹁敬天﹂にも反する︒また逆に︑
﹁帝﹂の﹁帝﹂たる所以も不明確になってしまう︒祖棟は︑相接する二つの概念の区別と統合を同時に行うことに
よって︑﹁天﹂の超越性を確保しつつ︑﹁利用厚生の道﹂を﹁制作﹂した﹁帝﹂の神秘性を高める︒これは︑﹁先王
の道﹂の﹁制作﹂の起点を神秘化することで︑﹁先王の道﹂全体を神秘化することにもなるであろう︒ しかしながら︑祭祀によって天人合一するのは﹁五帝﹂だけではない︒﹁鬼神﹂の問題がこれに関わる︒次に︑
﹁天﹂と﹁鬼神﹂の関係について検討しよう︒
︿鬼神﹀
祖棟によれば︑﹁鬼神﹂の本義は﹁天神・人鬼﹂である︒但し︑﹁天神﹂には﹁地示﹂も含まれる︒﹁鬼を陰に属
し神を陽に属する﹂とする朱子学者の説は﹁易﹂の誤読に基づいており︑﹁人鬼を外にして言をなすは︑謬りの甚
だしき者﹂である︵﹃弁名﹄天命帝鬼神9︑一二八頁・二三七頁︶︒祖棟が人の死後の﹁人鬼﹂に注目していることに
注意しておこう︒ ︵皿︶ ﹁鬼神﹂を﹁陰陽﹂で説明する朱子学の説は︑﹁鬼神の自然化﹂と同時に﹁自然の鬼神化﹂をもたらすと言われる︒
﹃北渓字義﹄によれば︑﹁大抵鬼神只是陰陽二気之屈伸往来﹂︵大抵︑鬼神は只だ是れ陰陽二気の屈伸往来なり︶︵鬼神・
魂塊附2︶︒﹁鬼神﹂は︑世界を形づくる陰陽二気の運動に還元されることで自然化する︒同時に︑﹁天地間無物不
具陰陽︑陰陽無所不在︑則鬼神亦無所不有﹂︵天地の間︑物として陰陽を具へざること無く︑陰陽所として在らざること
無ければ︑則ち鬼神も亦た所として有らざること無し︶︵鬼神・魂醜附3︶ということになれば︑世界は﹁鬼神﹂に満ち
あふれていることになる︒自然は鬼神化する︒実際︑﹃北渓字義﹄は︑天地・四時・昼夜・日月・天候から︑人の
身体.精神・動作・生涯・魂醜まで︑あらゆる事象を鬼神11陰陽で説明する︵鬼神・魂醜附3〜9︶︒﹁鬼神﹂は︑
含蓄に富んだ多義的な概念になっているとも言えるが︑それは﹁鬼神﹂を﹁陰陽﹂で説明するからであり︑概念の
混同に過ぎないとも言える︒
他方︑仁斎は︑﹁鬼とは陰の霊︑神とは陽の霊﹂とする朱烹の意図を︑﹁鬼神の名有りと難も︑然れども天地の間 まこと は︑陰陽を外にして所謂鬼神といふ者有ること能はず﹂と推測し︑﹁固の儒者の論﹂とする︒﹁鬼神の自然化﹂を
評価するのである︒﹁鬼神とは︑凡そ天地・山川・宗廟・五祀の神︑及び一切神霊有つて︑能く人の禍福を為す者︑
皆な之を鬼神と謂ふ﹂とする﹁鬼神﹂の定義はかなり多義的だが︑﹃北渓字義﹄が森羅万象を鬼神H陰陽で説明す
るのとは異なり︑﹁徒に風雨・霜露・日月・昼夜・屈伸・往来を以て鬼神と為るは︑誤れり﹂と︑﹁自然の鬼神化﹂
は拒否している︵﹃語孟字義﹄鬼神・附卜笠1︶︒
古文辞学と祖裸学−荻生狙棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 四〇五
四〇六
以上を踏まえ︑﹃弁名﹄は︑﹁鬼神﹂と﹁陰陽﹂を区別して﹁鬼神の名を正﹂し︑概念の混同を防いで﹁鬼神の自
然化﹂を拒絶する︒また︑仁斎の多義的な﹁鬼神﹂の定義と﹁自然の鬼神化﹂の拒否とを肯定しつつ︑後者につい
ては﹁然れどもこれみな神のなす所なり﹂と︑﹁神﹂の作用として自然現象を捉え︑概念の含蓄を確保する︵﹃弁
名﹄天命帝鬼神10︑一二八頁・二一二七頁︶︒このように﹁鬼神﹂概念を整理したうえで︑﹃弁名﹄は︑﹁鬼神の説︑紛
然として已まざる所以の者は︑有鬼・無鬼の弁のみ﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼神11︑=一八頁・二一二七頁︶という論争に切
り込んでゆく︒祖裸の武器は︑聖人の制作である︒即ち︑﹁それ鬼神なる者は︑聖人の立つる所なり︒あに疑ひを
容れんや﹂︵同上︶︒無鬼論者は﹁聖人を信ぜざる者﹂であり︑﹁学者は聖人を信ずるを以て本となす﹂︵同︑一二八
−一二九頁・二一二七頁︶と祖棟は言う︒ここで問題になっているのは政治的実践である︒後述のように︑聖人は
﹁安民﹂のために﹁鬼神﹂を立てたのだから︑﹁学者﹂はそれに従って実践することが重要なのであって︑﹁有鬼・
無鬼の弁﹂にかまけている場合ではないのだ︒
次いで︑祖棟は︑﹁凡そ鬼神を言ふ者は︑易より善きはなし﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼神12︑一二九頁・二一二七頁︶として︑ ︵301︶ ﹃易経﹄繋辞上伝4の文言に基づいて聖人による﹁鬼神﹂の制作について説明してゆく︒要約すれば︑﹁帝﹂の一人
である伏義が天地を観察して﹁易﹂を作った︒尭舜は︑これによって﹁鬼神と人との礼﹂を制作するための﹁鬼神
の情状﹂‖﹁幽明の故﹂﹁死生の説﹂を知り︑﹁礼﹂を﹁制作﹂した︒その際︑聖人は︑﹁教への術﹂として︑﹁礼﹂
の﹁物﹂たる﹁鬼神﹂と﹁易﹂の﹁物﹂たる﹁乾坤﹂とを立てた︒﹁故に易を知れば︑すなはち鬼神の情状を知る
なり︒聖人は能く鬼神の情状を知る︒故に幽明生死の礼を立つ﹂︒したがって︑我々は﹁先王の礼と易とに就きて
以て鬼神の情状を知ることを求め﹂るべきなのであって︑直接的に鬼神を観察して鬼神の情状を知ることは不可能
である︵同︑一二九1;二頁・二一二七−二一二八頁︶︒
では︑聖人が制作した﹁鬼神と人との礼﹂とはどのようなものだろうか︒問題の核心にあるのは︑﹁鬼﹂つまり
人の死後の﹁人鬼﹂の祭祀である︒﹁鬼と神とを合するは︑教への至りなり﹂という﹃礼記﹄祭義の言葉を狙棟が
断章取義的に繰り返し引くように︵﹃弁名﹄天命帝鬼神8・15︶︑元来︑別物である﹁鬼﹂と﹁神﹂は祭祀によって一
体となり︑﹁天﹂と﹁人﹂とが﹁合﹂する︒つまり︑﹁人は天地の中を受けて﹂生まれたので︑死後の﹁鬼に事ふる
の礼を作るにも︑また始めを原ね以てこれを終りに反してこれを天に帰す﹂︒﹁心﹂の問題としては﹁死に事ふるこ
と生に事ふるがごとくす﹂るのだが︑﹁礼﹂としては﹁天に帰する﹂のだから︑生きているかのようには扱わず︑ ︵1︶ ﹁鬼神を敬してこれを遠ざく﹂︒そして︑﹁ただ天や知るべからず︒ただ鬼神や知るべからず﹂︑﹁鬼神﹂は一体とな
って区別がつかなくなる︒﹁知るべからざる﹂ものとして扱うのは﹁敬の至り﹂である︒しかし同時に︑﹁聖人︑礼
を制するに︑これを天に帰すと日ふといへども︑またいまだ敢へてこれを一つにせず︒敬の至りなり︒教への術な
り﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼神12︑二二〇頁・二一二八頁︶︒﹁天﹂と﹁鬼神﹂を混同しないことも大切なのである︒
このように︑祖棟は区別と統合の古文辞学的操作を行っているが︑なぜ﹁人鬼﹂を超越的な﹁天﹂と結びつける
のだろうか︒﹁鬼神﹂祭祀を通じて共同体的統一が達成される︑世代を越えた社会の統合が可能となって文化的遺 ︵501︶ 産の蓄積が可能となる︑民心を掌握する︑愚民の心を一つにする︑といったことが考えられるが︑﹃弁名﹄内在的
には︑﹁中庸の徳﹂である﹁孝悌﹂との関係が重要ではないだろうか︒祖棟は︑
鬼神なる者は︑先王これを立つ︒先王の道は︑これを天に本づけ︑天道を奉じて以てこれを行ひ︑その祖考を
祀り︑これを天に合す︒道の由りて出つる所なればなり︒故に曰く︑﹁鬼と神とを合するは︑教への至りなり﹂
と︒故に詩書礼楽は︑これを鬼神に本づけざる者あることなし︒︵﹃弁名﹄天命帝鬼神15︑一三三頁・二一二九頁︶
と述べる︒﹁祖考﹂という言葉に着目すれば︑﹁孝﹂の対象となる父母や御先祖様の﹁鬼﹂が﹁天﹂と﹁合﹂し︑
古文辞学と祖裸学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 四〇七
四〇八
﹁道﹂を支えるのである︒別のところでは祖徳は次のように述べる︒
人はただ天を以て本となし︑父母を以て本となす︒先王の道︑祖考を祭りてこれを天に配す︒これ天と父母と
を合してこれを一つにす︒これ本を一つにすと謂ふ︒︵﹃弁名﹄恭敬荘慎独2︑九六頁・二二七頁︶
﹁帝﹂のような偉大な存在だけでなく︑人々の﹁父母﹂をも超越的な﹁天﹂と一体化させ︑神秘化するのは︑﹁孝﹂
が﹁小人﹂11﹁民﹂にも実行可能な﹁中庸の徳﹂に含まれ︑﹁ただ孝のみは︑心に誠にこれを求めば︑学ばずとい
へども能くすべし﹂︵﹃弁名﹄孝悌︑八五頁・二二三頁︶だからではないだろうか︒祖棟によれば︑
ただ孝のみ以て神明に通ずべし︒ただ孝のみ以て天地を感ぜしむべし︒これその至徳たる所以なり︒天下を和
順するは︑必ず孝弟より始む︒故に先王︑宗廟・養老の礼を立てて︑以て躬ら天下に教ふ︒これその要道たる
所以なり︒︵同︑八五頁・二二三−二二四頁︶
﹁道の由りて出つる所﹂である﹁天﹂に︑祭祀を通じて﹁鬼神﹂を一体化させることは︑誰にでも可能な﹁孝﹂を
基盤として﹁道﹂を有効に機能させることにつながるのであろう︒
鬼神は祭祀によって﹁物﹂としての﹁鬼神﹂となる︒﹁鬼神﹂とは聖人が﹁礼﹂のために立てた﹁物﹂だ︒﹁易﹂
の﹁物﹂としての﹁乾坤﹂が﹁殿るるときは︑すなはち以て易を見ることな﹂いのと同様に︵﹃弁名﹄天命帝鬼神12︑
一三一頁・一三天頁︶︑﹁礼﹂の﹁物﹂である﹁鬼神﹂を否定すれば﹁礼﹂は有効性を失う︒﹁孝﹂を基盤として﹁鬼
神﹂をきちんと祭ってこそ︑﹁礼﹂が機能するのである︒しかし︑人々の父母の﹁鬼﹂と﹁天﹂とを混同すれば ︵061︶ ﹁天﹂の超越性は損なわれる︒様々な﹁鬼﹂を序列に従って区別しなければ秩序が乱れるであろう︒また︑各人の
祖先祭祀はそれとしてきちんと行わなければ﹁孝﹂が見失われてしまうかもしれない︒したがって︑様々なレベル
の区別は不可欠である︒しかし︑同時にそれを統合し︑誰にでも可能な﹁孝﹂を通じて﹁小人﹂11﹁民﹂をも捕捉
すれば︑﹁礼﹂は幅広い基盤を獲得し︑有効に機能することになるであろう︒こうした古文辞学的操作によって︑ ︵701︶ ﹁先王の道﹂が機能し︑政治秩序が形づくられてゆくのである︒
次に︑聖人の制作を介して密接に結びつけられた﹁鬼神﹂と﹁易﹂の関係について検討したい︒祖棟によれば︑
﹁鬼神﹂を﹁陰陽﹂に属せしめた﹁易﹂の誤読に加えて︑﹁易﹂無視の状況がある︒つまり︑﹁凡そ鬼神を言ふ者は︑
易より善きはな﹂いにもかかわらず︑﹁人みなその鬼神を言ふことを知りて︑易を賛することを知らず︑すなはち
易を舎ててこれが解をなす﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼神12︑一二九頁・一ゴニ七⊥ご二八頁︶︑﹁後儒︑先王の礼と易とに就き
て以て鬼神の情状を知ることを求めずして︑直ちにこれを鬼神に求む﹂︵同︑二二一頁・一ゴニ八頁︶というように︑
﹁易﹂を媒介とせずに直接﹁鬼神﹂を論じる状況である︒これは︑古文辞学的な観点からすれば︑古文辞テキスト
である﹁易﹂の含蓄と﹁鬼神﹂﹁陰陽﹂概念の含蓄とを操作しそこねていることになる︒祖裸は︑﹁鬼神﹂と﹁陰
陽﹂を区別する一方︑他の経典と切り離した﹁易﹂を﹁鬼神﹂と結びつけて政治的に利用する︒こうして﹁鬼神﹂ ︵801︶ は︑礼楽制作の局面のみならず︑﹁卜笠﹂と結びつけて利用されることになる︒
祖棟は﹁元亨利貞﹂の項で﹁卜笠﹂の必要性を論じていたが︑ここでは︑﹁古人︑疑ひあれば︑これを天と祖考
とに問ひ︑著亀はみな鬼神の命を伝ふ﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼神9︑一二八頁・二一二七頁︶と︑﹁鬼神﹂と結びつけて﹁卜
笠﹂の必要性を強調する︒﹁鬼神﹂が超越的な﹁天﹂と一体となって神秘化されてこそ︑﹁鬼神の命﹂を伝える﹁卜
笈﹂の有効性が高まるのであって︑後儒のごとく﹁命を著亀に稟く﹂︵同上︶と勘違いしたのでは︑﹁卜笈﹂の効果 ︵091︶ は乏しくなってしまうだろう︒さらに︑祖棟によれば︑聖人は︑﹁嘉謀嘉猷﹂があっても敢えて﹁卜笠﹂を行った︒
自らの﹁嘉謀嘉猷﹂であっても﹁ことごとくこれを鬼神に致して︑敢へて留めて以て己が謀猷となさ﹂ず︑﹁鬼神
の命﹂として伝えることで︑政策の実効性を高めたのだ︒これは謀略などではなく︑﹁民﹂と気持ちを一致させ︑
古文辞学と狙棟学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 四〇九
四一〇
利益をもたらす点で︑﹁仁﹂かつ﹁知﹂の至りなのである︵﹃弁名﹄天命帝鬼神14︑一三二頁・二一二九頁︶︒
﹁鬼神﹂と﹁卜笠﹂の結びつきは︑﹁卜笠なる者は︑鬼神の言を伝ふる者なり︒鬼神なければすなはちト笠なし︒
鬼神あればすなはちト笠あり﹂と表現される︒その意味では︑﹁鬼神を尊ぶを以て孔子の意に非ず﹂とする仁斎が︑
﹁卜笠﹂を﹁甚だ義理に害あり﹂︵﹃語孟字義﹄鬼神・附卜笠3参照︶として退けるのは︑一貫した態度ではある︒し
かし︑重要なのは︑聖人が﹁鬼神﹂を立てたのは安民のためであるということだ︒それなのに﹁後儒は先王・孔子
の道の民を安んずるの道たることを忘れて︑ややもすればこれを己に求﹂め︑無鬼論を唱え︑卜笠を批判するので
ある︵﹃弁名﹄天命帝鬼神16︑一三四−二二五頁・;二九頁︶︒祖禄は︑不可知の領域に対する﹁知﹂的認識活動を重
視する者と︑不可知の領域を利用しながら安民のために行動する者との対照性を指摘する︒
大氏︑後儒は知を貴び︑これを言ふを主とす︒先王・孔子の道は然らず︒道を行ひ民に施すを主とす︒大氏︑
民の事をなすや︑天の知るべからざるに疑沮する者は︑人情しかりとなす︒故にト笠禧請︑万古に亘りて廃す
ること能はざる者も︑また人情しかりとなす︒聖人は能く人の性を尽くす︒故に人の性に率ひて︑立てて以て
道となす︒あに己のためにしてこれを設けんや︒学者それこれを思へ︒︵同︑一三五頁・二一二九頁ー二四〇頁︶
﹁鬼神﹂を直接的に認識することはできないにも関わらず︑認識を優先して無鬼論に陥れば︑有効な政治活動がで
きなくなる︒知的認識よりも安民のための政治的実践が優位するのであり︑そのためにはむしろ鬼神の不可知性を ︵011︶ 利用すべきなのだ︒このように︑﹁鬼神﹂と﹁卜笠﹂をめぐる議論の中にも︑認識への一定の断念と不可知の領域
の操作という古文辞学的方法が生かされているのである︒
この世界には︑人知未踏の不可知の領域が広がっている︒人はそれにどのように対処したらよいのだろうか︒
朱子学者は︑﹁窮理﹂を武器に新たな認識の地平を切り開こうとする︒不可測の﹁天﹂を﹁理﹂とし︑﹁鬼神﹂を
合理化し︑祭祀を正し︑淫祀・妖怪の類を退けて︑怪異の世界に惑う人々の非合理なエネルギーが秩序を素乱する
ことのないようにコントロールしようとする︒﹁理﹂に適った正しい認識に基づいて政治は行われなければならな
い︒
伊藤仁斎は︑不可測の﹁天﹂﹁命﹂の合理性を信じ︑人力では如何ともしがたい事柄に心を動かさず︑人として
やるべきことに最善を尽くすべきだと考える︒天道は天道︑人道は人道であって︑不可知のものに心惹かれて人道
を忽せにしてはならない︒﹁其の身を修めずして鬼神に求めて禧り︑万感応なき者は︑理なり︒宗廟・五祠薦るべ
くして︑牛鬼・蛇神︑一切淫祀の類︑禧るべからざる者は︑義なり﹂︵﹃語孟字義﹄理3︶︑怪異に頼るのは無意味で
あって︑人の側の﹁義理﹂に適った行動こそ重要なのである︒﹁卜笹﹂も﹁義理﹂に有害なだけだ︒人が﹁卜笠﹂
を信ずるのは﹁之を神明にす﹂るからだが︑﹁卜笠果たして神明なるか﹂︑答えは否︑﹁卜笠﹂の神秘性を剥ぎ取っ
て人々の惑いを解かなければならない︒﹁聖人は義を以て断を為して︑人をして知るべからざるの途に惑はざらし ︵m︶ む﹂︑これこそ﹁万世の宗師﹂たる孔子の教えなのである︵﹃語孟字義﹄鬼神・附卜笠4︶︒
荻生祖棟は︑人知の限界を弁えたうえで︑不可知の世界を積極的に利用する︒﹁天﹂﹁命﹂﹁帝﹂﹁鬼神﹂を区別し
つつ統合するという概念操作を繰り返しながら︑不可測の世界を操り︑﹁安民﹂のための政治実践に結びつけよう
とする︒怪異の世界は﹁天﹂と一体化されることで神秘化され︑政治的有効性を発揮する︒﹁鬼神は思慮勉強の心
なし︒故に必ず聖人これが礼をなしこれが極を立つるを待ちて︑しかるのち游魂は変をなさず﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼
神13︑一三二頁・二一二八頁︶︑﹁鬼神﹂の非合理なエネルギーは祭祀によってコントロール可能であり︑さらに進ん
で﹁鬼神﹂を利用すべきである︒﹁鬼神﹂を通じて﹁孝﹂を動員し︑﹁鬼神﹂によって﹁卜笠﹂を神秘化して決断と
古文辞学と祖裸学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 四=
四一二
行動を促すべきである︒
朱子学の﹁窮理﹂は常人には不可能であるうえ︑不可知の領域を﹁理﹂で説明すればかえって操作可能性が損な
われる︒また︑仁斎のように﹁義﹂や﹁理﹂に訴えても︑人々の非合理な心情を消し去ることは出来ない︒﹁先王
の礼に遵はずして︑言語を以てその理を明らかにせんと欲せば︑すなはち君子すらなほ能くせず︒いはんや民にし
て戸ごとにこれを説き︑その理を喩りて鬼神に惑はざらしむるは︑これ百孔子といへどもまた能くせざる所なり﹂
(『
ル名﹄天命帝鬼神15︑一三四頁・二一二九頁︶︒むしろ非合理な心情を利用すべきなのであって︑﹁鬼神﹂を合理化し︑
﹁卜笠﹂を否定し︑不可測の世界の神秘のべールを剥ぎ取ることは︑﹁安民﹂を目指す政治実践にとってはかえって
有害なのだ︒
しかし︑ここに祖棟のアポリアがある︒祖侠は︑仁斎を含めた﹁理学者流﹂の鬼神論を仏老の思想と結びつける︒
﹁仏氏﹂の説が聖人の﹁鬼神の教へ﹂を乱し︑﹁天と鬼神とを軽視﹂することになって﹁鬼神有無の説﹂が登場した
(『
ル名﹄天命帝鬼神12︑一三〇頁.二一二八頁︶︒そして︑﹁先王の鬼神の教へ壊れたるが故﹂に︑﹁仏老の道﹂が﹁天下
に満ちて﹂﹁廃すること﹂ができないのである︵﹃弁名﹄天命帝鬼神15︑=二四頁・一ゴニ九頁︶︒しかし︑そうであるな
らば︑﹁鬼神の教へ﹂が崩れ︑﹁鬼神﹂が合理化され︑その神秘性が失われつつある時代に︑どうやって再び﹁鬼
神﹂を神秘化し︑不可測の世界に引き戻すことができるのだろうか︒
祖棟は︑不可知・不可測の﹁天﹂を︑不可知・不可測だから説明しないのではなく︑不可測性を拠り所とし︑不
可知性を説明原理として︑説明する︒古文辞学の方法を駆使しながら︑﹁天﹂の認識ではなく操作方法を詳細に説
く︒これは︑統治の秘訣を明らかにすることで︑かえってその有効性を喪失させることにもなりかねないものでは ︵211︶︵m︶ あったが︑祖棟の努力の成果は︑後代に受け継がれていったようである︒
︿注﹀
*注記方法については第四十八巻第二号五二一−五二二頁︑第四十九巻第一号三五四頁参照︒
︽本論二︾﹃弁名﹄の概念構成︵承前︶
︵79︶ 仁と元︑礼と亨︑義と利︑智と貞が対応する︒﹃北渓字義﹄性ー︑仁義礼智信14︒
︵80︶ したがって︑﹁元﹂から﹁仁﹂を導き出す︵﹁義を元に取りて︑引きてこれを伸し︑類に触れて以てこれを長ずる﹂︶こと
は構わないが︑﹁元﹂‖﹁仁﹂としてはいけない︵﹁仁を以て元となす者は非なり﹂︶︒﹃弁名﹄元亨利貞1︑=六頁.二三
四頁︒拙稿②︽本論二︾注︵10︶参照︒元亨利貞と仁義礼智を対応させる説の根拠は﹁易﹂の﹁文言伝﹂にあるが︑祖棟
の観点からすれば︑﹁文言伝﹂は﹁易﹂の固定的な解釈ではなく︑﹁聖人の道を引きて解をな﹂したり︵﹃弁名﹄元亨利貞1︑
一一六頁・二三三頁︶︑﹁君子の道を以て易を解﹂したり︵﹃弁名﹄元亨利貞3︑一一八頁・二三四頁︑﹃弁名﹄元亨利貞4︑
一一九頁・二三五頁︶したもので︑様々な場面に即した﹁易﹂の利用なのである︒
︵81︶ 拙稿②四七六頁参照︒
︵82 ﹃論語徴﹄子路22にも同様の議論がある︒﹁人某事を為さんと欲して︑之を占ひて吉なるときは則ち之を為すを務めて已
まず︑之を久しうして功成りて後︑占験あり︒此れ占笹を用ふる所以なり﹂︒これらは一種の自己実現的予言であり︑卜笠
を信じて続けることができない者には意味がないので﹁恒﹂︵あるいは﹁貞﹂︒﹃弁名﹄元亨利貞4参照︶が大切だという︒
全集四−一七七−一七八・五二八︒
︵83︶金谷治﹃易の話1﹃易経﹄と中国人の思考1﹄︵講談社学術文庫︑二〇〇三︶八九−九〇頁︑一六七1=ハ九頁などを参
照︒但し︑﹁易﹂には﹁義理﹂を中心とする立場と﹁占笠﹂を中心とする立場とがあるが︑金谷氏は︑﹁易﹂の利用を︑﹁占
笠﹂から﹁義理﹂への転換の一つの契機と捉えている︒また︑﹁義理﹂中心の仁斎と﹁占笠﹂中心の祖棟は鋭く対立するが︑
朱喜⁝と祖棟には共通性がある︒朱喜⁝は﹁易﹂を﹁卜笠﹂の書として捉え︑﹁義﹂がその﹁用﹂を限定してしまうことを恐れ
る︒﹁書臨潭所刊四経後・易﹂参照︒﹃朱子文集﹄巻八二︑﹃朱子全書︵第二四冊︶﹄︵上海古籍出版社・安徽教育出版社︑二
〇〇二︶三八八九⊥二八九〇頁︒この点は︑今井宇三郎﹃新釈漢文大系23 易経︵上︶﹄︵明治書院︑一九八七︶﹁周易上
経﹂の﹁解説﹂九二頁を参考にした︒
古文辞学と祖棟学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 四一三
四一四
︵M︶ 平石直昭﹁狙裸学の再構成﹂︵﹃思想﹄七六六号︑一九八八︶は︑媒介的な認識の構造の中に﹁易﹂を位置づけ︑﹁古文辞
学の方法と全く同一である﹂とする︵一〇一頁︶︒本稿も︑古文辞学的方法の中に﹁易﹂を位置づけるが︑平石氏が祖棟の
認識論を高く評価するのと異なり︑祖棟の古文辞学は︑あるレベルで認識を断念し︑認識できる範囲のことを自在に活用 することに意味があり︑﹁易﹂も自在な利用のために他の経典から切り離す点が重要であると考える︒なお︑平石直昭
﹁﹁物﹂と﹁豪傑﹂1江戸後期思想についての覚書ー﹂︵﹃懐徳﹄第五七号︑一九八八︶も参照︒ ︵85︶ 仁斎の﹃論語古義﹄は︑﹁天﹂の﹁必然の理﹂と﹁人﹂の﹁自ら取るの道﹂に繰り返し言及する︵述而22論註︑子牢5大
註︑季氏8大註︑尭日3小註など︶︒﹃論語古義﹄公冶長12大註によると︑聖人は﹁知人性之皆可以進干善︑而天道之必佑
善人﹂︵人性の皆な以て善に進むべくして︑天道の必ず善人を佑くるを知る︶けれども︑一般には﹁験之干人事﹂︵之を人
事に験する︶と疑わしく思うので︑﹁不能諏信﹂︵轍く信ずること能はず︶︑天道の絶対的合理性を信じることは容易ではな
い︵但し︑林本にはこの註はない︶︒
︵86︶拙稿③一二五頁参照︒
︵87︶古文辞学の方法につき︑拙稿①︽結び︾参照︒朱子学の場合︑聖人は︑完壁な﹁窮理﹂能力を持った﹁天﹂にも等しい
ヘ ヘ ヘ へ存在であり︑学者も︑﹁窮理﹂を行い︑明らかになった﹁︵天︶理﹂に則って行動するはずである︒ここからは︑不可知の
﹁天﹂に則るという発想は出てこないであろう︒両者の違いは︑﹃論語﹄泰伯19の﹁大哉尭之為君也︑魏魏乎︑唯天為大︑
唯尭則之︑蕩蕩乎︑民無能名焉﹂の解釈によく現れている︒ポイントは﹁尭則之﹂である︒﹁之﹂は﹁天﹂を指し︑古の先
王たる尭と﹁天﹂との関係が問題になる︒朱喜⁝﹃論語集注﹄泰伯19は︑﹁則︑猶準也﹂︵則は猶ほ準のごとし︶とし︑﹁言物
之高大︑莫有過於天者︑而独尭之徳能与之準︒故其徳之広遠︑亦如天之不可以言語形容也﹂三口ふこころは︑物の高大なる
こと︑天に過ぐる者有ること莫し︑而して独り尭の徳のみ能く之と準し︒故に其の徳の広遠なること︑亦た天の言語を以
て形容すべからざるがごとし︶とする︒﹁準﹂は﹁ひとしい﹂の意味であろう︒﹃論語集注大全﹄泰伯19所引の双峰饒氏
︵饒魯︶語は︑﹁則乃準則︒非法則也︒準如易与天地準︒言与天地平等也︒天如此大︒尭徳亦如此大︒与之平等︒若言法天︒
特賢君之事耳﹂︵則は乃ち準則なり︒法則に非ず︒準は﹁易は天地と準し﹂のごとし︒天地と平等なることを言ふ︒天は此
のごとく大なり︒尭の徳も亦た此のごとく大なり︒之と平等なり︒若し天に法ると言へば︑特に賢君の事のみ︶としてい
る︒﹁賢君﹂と違って︑尭は﹁天に法る︵のっとる︶﹂のではなく﹁天﹂と同等だと言うのである︒また︑﹁賢君﹂が則る
﹁天﹂も︑﹁天理﹂の﹁天﹂であって不可測の﹁天﹂ではあるまい︒これに対し︑祖裸は孔安国の﹁則は法なり﹂を引きな
がら︑朱蕪を次のように批判する︒﹁是れ其の意に謂へらく︑人君は皆な天に法る︑而して尭は大聖人なり︑天に法るを以
て言ふべからずと︒故に﹁易は天地と準し﹂を引きて︑而して尭は天と斉しきを言ふなり︒理学者流は﹁渾然たる天理﹂
を以て説を立て︑以為へらく聖人の胸中に別に天有りと︒故に天に法ると言ふことを諦むのみ︒⁝山豆に古聖人の天を敬し
ヘ ヘ ヘ へ天を畏るるの意ならんや﹂︒﹃論語徴﹄泰伯20︑全集三−三五二・六七三−六七四︒なお︑不可知の﹁天﹂に﹁法る﹂こと
についての本稿とは異なる説明として︑黒住真﹁活物的世界における聖人の道−荻生祖棟の場合1﹂︵﹃近世日本社会と儒
教﹄ぺりかん社︑二〇〇三︶参照︒﹃論語集注大全﹄のテキストについては︑本稿︵二︶注︵46︶参照︒
︵88︶ 不可知で認識不可能であることは不存在を意味しないことにも注意すべきである︒例えば︑﹁天の心﹂は認識不可能だが︑
﹁天の心あるは︑あに彰彰として著明ならずや﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼神1︑一二〇頁・二三五頁︶︒﹁天の心﹂はある︑あるけ
れども不可測なのだ︒なぜか︒﹁それ天の人と倫を同じくせざるや︑なほ人の禽獣と倫を同じくせざるがごとし﹂︑﹁禽獣の
心﹂を理解できないからといって﹁禽獣に心なしと謂ふは不可﹂である︒﹁ああ︑天はあに人の心のごとくならんや︒けだ
し天なる者は︑得て測るべからざる者なり﹂︵同︑一二一頁・二一二五頁︶︒また︑﹁天﹂の場合と逆に︑不可測の聖人の心を
常人の心で推し量る者がいる︒例えば仁斎である︒﹁ああ︑聖人の心は︑いつくんぞ窺ふべけんや︒⁝己の心を以て聖人を
窺ふのみ︒随なるかな僧なるかな︒僧なるかな随なるかな﹂︵﹃弁名﹄天命帝鬼神7︑一二六頁・二三七頁︶︒﹁倫﹂が異な
ると知るのは難しいという議論は﹃弁名﹄智1にもあり︵﹁それ人の人を知るは︑おのおのその倫においてす︒⁝﹂六一
頁.二一六頁︶︑程子の﹁恕﹂を批判する際にも﹁小人の腹を以て君子の心を窺ふ﹂と述べている︵﹃弁名﹄恕︑九一頁・
二二五頁︒本稿︵二︶三四一−三四二頁参照︶︒自己の限られた料簡を異質な他者に推し及ぼせば概念の含蓄を損なうこと
になる︒祖棟は様々なレベルで不可知性・不可測性を設定することによって︑これを防こうとするのである︒ ︵89︶ 狙律によれば︑﹁漢儒の災異の説﹂や﹁宋儒﹂の﹁天はすなはち理なり﹂は﹁私智を以て天を測る者﹂である︒漢儒の
﹁有心﹂と宋儒の﹁無心﹂の﹁調停﹂を図るかにみえる仁斎の立場も︑﹁有心無心の間を以て﹂﹁天﹂に﹁命くるに帰す﹂も
のに過ぎない︒いずれも︑﹁天﹂を知ろうとし︑﹁天﹂を冒す点では︑何ら変わりがないのである︒﹃弁名﹄天命帝鬼神1︑
一二一頁.二一二五頁︒なお︑﹁我を知る者は其れ天か﹂︵﹃論語﹄憲問37参照︶という孔子の言葉について︑仁斎は︑﹁天無
心︑以人心為心﹂︵天は心無く︑人心を以て心とす︶などとする︒﹃論語古義﹄憲問37論註︒﹃論語徴﹄憲問36はこれを﹁鬼
神を貴ばず︑故に亦た孔子の天を称するの意に昧し﹂と批判している︒全集四−二〇八・五六三︒ ︵90︶ 例によって祖禄は︑﹁天を知る﹂の端緒は子思・孟子にあり︑後世の﹁諸老先生﹂はそれを誤読して﹁鴛然として以て天
を言ふ﹂ようになったとする︒﹃弁名﹄天命帝鬼神4︑一二一二頁・二三六頁︒﹃論語徴﹄季氏8も参照︒ ︵91︶ ﹁誠﹂については﹃弁名﹄天命帝鬼神2参照︒祖棟は︑子思が﹁至誠無息﹂︵﹃中庸﹄26参照︶によって﹁天﹂を論じるの
を宋儒が﹁天道の本体﹂としているとして︑﹁それ誠なる者は天の一徳にして︑あに以て天を尽くすに足らんや﹂と批判し︑
﹁天﹂の含蓄を確保する︒また︑﹃中庸﹄26に﹃詩経﹄の﹁維天之命︑於穆不已﹂︵これ天の命︑ああ穆として已まず︶が引
古文辞学と祖裸学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵三︶ ︵都法四十九ー二︶ 四一五
四一六
用されていることにつき︑祖裸は︑﹁至誠息むことなし﹂によって﹁天﹂を論じるのは子思独自のもので﹁古書になき所﹂
だったため︑子思は﹁借りてこの詩を引きて以て証とな﹂した︑したがって︑﹁天﹂が﹁至誠無息﹂であるというのは﹁詩
の本旨﹂ではないのだが︑﹁宋儒これを察せず︑つひに以て天道の本体とな﹂した︑と述べている︒子思の断章取義を理解
しなかったことに宋儒の﹁誤読﹂の原因を求めており︑古文辞学の方法から逆算した批判となっている︒一二二頁・二三
五頁︒