相撲が持つ役割の多様性
著者 高橋 啓汰
雑誌名 静岡市・由比 入山および由比川流域. ‑ (フィール ドワーク実習報告書 ; 平成29年度)
ページ 36‑45
発行年 2017‑12
出版者 静岡大学人文学部社会学科文化人類学コース
URL http://hdl.handle.net/10297/00024974
相撲が持つ役割の多様性
高橋啓汰
1 はじめに
2 由比地区における相撲の変遷 2.1 由比地区の相撲の歴史 2.2 少年相撲大会
2.3 相撲の衰退
3 現在の入山における相撲 3.1 入山の子どもたち 3.2 八幡祭における奉納相撲 4 相撲が持つ役割の多面性
4.1 競技としての相撲 4.2 儀礼としての相撲 4.3 娯楽としての相撲 4.4 教育としての相撲
4.5 コミュニタスとしての少年相撲大会と奉納相撲 5 おわりに
1 はじめに
調査を始めた当初、私は「入山における遊び」というテーマを掲げていた。昔と今の遊びの 違いを調べることで、入山における文化や環境の変化を知ることができると考えたからである。
しかし、調査をしていくなかで、今と昔で遊びにどのような違いがあるのかがある程度予想で きてしまい、このテーマの限界を感じた。そんななかで、由比地区ではかつて相撲が盛んだっ たというお話を聞くことができた。なかでも子どもたちが相撲をとる機会が多かったと知り、
当初掲げていた遊びというテーマに関連づけることができると考え、相撲に焦点を当てること にした。そして、調べていく過程で相撲は単なるスポーツ競技ではなく、見て楽しむ娯楽や、
一定の形式にのっとって実践する儀礼としての役割、子どもに礼儀を教えるための教育的機会 など、多様な側面があることがわかり始めた。また、由比地区全体では相撲の人気が低下し、
かつて頻繁に開かれた相撲大会などがなくなってしまったのに対して、中山間地域である入山 では現在でも土俵やそこでの相撲大会が残っているということもわかった。
そこで本稿では、由比地区において相撲の人気や相撲への認識がどのような変化を遂げたの かを明らかにし、それを踏まえて入山において相撲がどのような形で残っているのかを述べる。
そのうえで、由比地区や入山において相撲がスポーツ競技以外にどのような役割を持っている のか、それらの役割が今日までにどう変化したのかについて考察していきたいと思う。
2 由比地区における相撲の変遷
本節では、由比地区における相撲の歴史について、おもに少年相撲大会を取り上げながら整
理する。
2.1 由比地区の相撲の歴史
由比地区においていつ頃から相撲が盛んだったのかは、現地の人びとでもわからないらしい。
しかし、インフォーマントの方から聞いた「由比には相撲好きがなぜか多い」という話や、昔 は由比漁港の辺りにも土俵があったという話、大相撲の巡業が由比地区でおこなわれたという 事実から、少なくとも由比地区が相撲となじみの深い土地柄だったことがいえる。また、相撲 が漁師町である由比地区の気風に一致したスポーツだったといえるかもしれない。
由比地区の前身である庵原郡由比町(以下、旧由比町)では、戦後の 1949(昭和 24)年に由 比町相撲連盟が結成された。その後、由比町相撲連盟は、由比体育協会が結成された1955(昭
和30)年に解散して組織を改め、新たに由比町体育協会へ加盟し、由比町体育協会相撲部とし
て発展した(由比町体育協会記念誌編集委員会 2004:66)。1960(昭和35)年8月15日に は、相撲部によって第1回由比町少年相撲大会が開催された。これは、毎年8月15日に町内 の小学生を対象に、互いの親睦と体力向上、また、相撲道を通じてのスポーツの振興を目的に 開催された。しかし、少年相撲大会は2000年代半ばに開催されなくなり、相撲部も合併と共 に廃部となってしまった。
2.2 少年相撲大会
旧由比町では、1960(昭和35)年8月15日に第1回大会が行われてから2000年代半ばま で、由比町少年相撲大会という子どもたちの相撲の大会が開催されていた。この大会は主に由 比町体育協会相撲部が主催していたが、出場する子どもたちの親も一緒に計画をたて、当日の 運営に協力していた。大会は、小学2年生から小学6年生までの各学年で行うトーナメント制 の個人戦と、由比町内の区ごとに小学2年生から小学6年生の各学年から1人ずつ選出した5 人1チームでの団体戦があった。
この大会の大きな特徴の 1つとして、区別対抗戦だということがあげられる。由比には11 の区があり、子どもたちはその区の代表として戦った。大会には何百人もの人びとが集まり、
各区の住人がテントを張って応援をしていた。出場する子どもたちの親や祖父母といった親族、
隣近所の人びとから成る各区の応援団が熱い応援をしていたため、大会のムードは全体的に非 常に熱かったそうである。なかには由比が漁師町ということもあり、大漁旗を持って応援に来 る人もいたという。たまにおきる番狂わせに観客は大いに盛りあがったということだった。実 際に競技に参加する子どもだけでなく、それを見る大人たちが楽しむという目的があったこと がうかがえる。
この少年相撲大会は、由比中学校の正門の前の河川敷にあった相撲場の土俵を利用していた。
この相撲場は常設で、4 本の柱から成る屋根が備え付けられていた。また、ほとんどの区に土 俵があり、子どもたちはそこで相撲の練習をしていた。土俵がない区の子どもたちは、大会で 使用する土俵で練習をしていた。
子どもたちは小学校に入ると子ども会に入り、そこで相撲をしていたという。当時の由比地 区には「男は相撲」という意識が存在していた。親が無理に子どもに相撲をやらせるというわ けではなかったものの、子ども会に入ったらみんな相撲をやることになっていった。そのため、
体が小さい、細いなどの理由から相撲をやりたくなかった子どもたちも、大会に出ざるをえな かった。しかし、なかにはそのような成り行きで相撲を始め、大会に出ることなどを通して相 撲の良さに気づき、他の子どもたちよりも相撲を好きになった子もいるということだった。
ここまで読んで気づいた人もいるかもしれないが、少年相撲大会には小学1年生以下の子ど
もは参加していない。これには明確な理由がある。小学1年生の子どもたちはまだ体ができて いないということにくわえて、遊び心で相撲をしてしまうからだという。相撲は、礼に始まり 礼で終わる競技である。そのため、礼儀についてまだ知らない小学1年生に相撲をとらせ、大 会に出場させることはできなかったのだという。以上に述べてきたように、1960年から開催さ れ、多くの人たちを楽しませてきた少年相撲大会であるが、2000年代半ばから行われなくなっ た。また、相撲の人気も低下してきている。次節にはその理由について述べる。
2.3 相撲の衰退
少年相撲大会が、行われなくなった理由は、少子化にくわえ、相撲を練習している区として いない区の差が大きくなり試合にならなくなってしまったことや、その結果として礼儀作法も わからない子どもが増え、あるべき形で相撲ができなくなってしまったことなどがあげられる。
また、現代化にともなう生活スタイルや価値観の変化が、相撲衰退に間接的な影響を及ぼし てきたとも考えられる。その1つに、男の子がまわしを嫌がるようになったことがあげられる。
裸でまわしを締めることへの抵抗が、相撲そのものを敬遠する風潮を生んだのではないだろう か。また、大会は毎年8月15日に開催されていたので、当時の子どもたちは夏休みを利用し て練習をしていた。しかし、時代の流れとともに学校での勉学が忙しくなり、相撲の練習に時 間を割くことに抵抗を覚える子どもが増えてきたと考えられる。さらに、サッカーのような現 在ではメジャーとなっているスポーツが流行し始めたことも、相撲衰退の理由の1つとしてあ げられるだろう。
ここまでは、相撲を実際にする子どもたちの心境の変化を述べてきたが、それだけでなく親 の考え方の変化も相撲の衰退を促したと考えられる。
たとえば、子どもに勉学を優先させたい、けがをさせたくないという思いを親たちが持つよ うになったのかもしれない。子どもの頃にした厳しい練習を子どもたちに経験させたくないと いう思いも、少なからず影響していると考えられる。また、8月15日はお盆休みの時期とも重 なるため、相撲大会よりも帰省に時間を利用したがる親が多くなったという話も聞かれた。
上述した理由から、由比地区の相撲はしだいに衰退し、少年相撲大会はなくなり、体育協会 の相撲部も廃部となった。少年相撲大会の会場となっていた由比中学校前の相撲場も、いつか 大会が復活するのではないかという大人たちの思いも届くことはなく、2年ほど前に撤去され てしまった(写真1)。
写真1 相撲場の跡地(高橋撮影)
ほとんどの区にあった土俵も撤去されてしまい、子どもたちと相撲との距離は大きく広がっ てしまった。しかし、そんななかでまだ土俵が残っている区がある。それが入山である。
3 現在の入山における相撲
本節では、入山において現在、相撲がどのような形で行われているのか、それに子どもた ちがどうかかわっているのかを中心に整理していく。
3.1 入山のこどもたち
まず、入山の子どもたちがどのような環境のもとで暮らしているのかについて述べておきた い。入山にある由比北小学校には現在、30名ほどの児童が在籍している。そのなかには入山内 で山部落と呼ばれる香木穴や舟場などから通う子どもたちもいる。入山は山や川などの自然に 恵まれており、子どもたちはそうした環境でのびのびと成長することができる。由比小学校で は、自然とかかわる活動の1つに「山ばとの森活動」があり、4月の終わりと10月の終わりに 行われている。以前は山ばとの森で児童たちが野菜を育て、収穫した野菜を10月の八幡祭で 奉納していた。しかし、5、6年前にイノシシの被害が深刻になり、現在では行われていない。
その代わりに、学校近くの畑を借りて児童たちが野菜を育て、八幡祭の際にそれらを収穫して 奉納している。山ばとの森では、くりの木を植えて水をあげる活動や、山のなかで遊び、自然 を見たりするなどの活動を通して子どもたちが自然と触れ合えるようにしている。山ばとの森 を訪れる際には、小学1年生から6年生までの児童全員が、朝9時に学校を出発して、2時間 かけて徒歩で行くそうである。
また、入山の子どもたちは地域の大人たちから非常に愛され、大切にされている。由比北小 学校には、「放課後こども教室」という活動があり、授業が終わっても学校を16時半ま開放し て、子どもたちが遊べるようにしている。この活動の目的の1つは、帰宅しても近所に同年代 の友だちがいない香木穴などの山部落に住む子どもたちが、安全に遊べる場所を提供すること である。この放課後こども教室には、週に2回、月曜日と水曜日に地域の住民が来て、子ども たちと交流している。放課後こども教室だけではなく、運動会や音楽発表会などの行事にも地 域住民が参加をするなど、学校を中心とした地域間のつながりの強さが見て取れる(地域統合 のシンボルとして由比北小学校を分析した鷹股の第5章も参照してほしい)。
このような、自然と触れ合い地域の大人たちとも強いつながりを持つ入山の子どもたちが、
現在相撲とどのようにわっているのかを、ここからは述べていきたいと思う。結論から言うと、
現在では入山の子どもたちが日常的に相撲をとっているということはない。昔は、子どもたち の8割程度は相撲をしていたというが、現在では、入山の外に出てサッカーなどの習い事をし ている子どもが多いという。また以前は、入山八幡宮の境内にある土俵は日常的に子どもたち の相撲の練習の場となっていたが、現在ではほとんど使用されていない。しかし、頻繁ではな いものの使用する機会があるために、現在も撤去されていない。次節では、現在でも土俵が使 用される機会について述べ、それが地域社会においてどのような役割を果たしているのかを分 析する。
3.2 土俵の役割
現在入山の土俵が使われるのは、主に八幡祭における奉納相撲の際である。そのため、普段 はブルーシートがかけられ、使用ができないようになっている(写真2)。以前までは、優秀な 指導者が入山に住んでいて、その方が週に2回ほど土俵を使って相撲の指導をしていたそうで
ある。
奉納相撲以外でも昔は勝ち抜き戦を行うなどしていたが、それも現在では行われていない。
入山の土俵は、八幡祭のおかげで残っていると言っても過言ではない。では、その八幡祭で行 われる奉納相撲とはどのようなものなのだろうか。
写真2 入山の土俵(高橋撮影)
新田一郎によれば、奉納相撲とは神事に際して奉納される芸能のひとつであるという。また、
新田は、相撲と神事の結びつきには関して、次のように述べている。
各地の寺社の祭礼に際して現在もおこなわれている相撲奉納の多くは、相撲がおこなわ れることと神事の内容とが必然的に結びついているわけではなく、いわば祭の余興のひと つとして、歌舞音曲など様々な芸能とともにおこなわれている場合がきわめて多い(新田 2010:67)。
新田の分析にもあるように、入山の八幡祭における奉納相撲は、神様に子どもたちの健やか な成長を見てもらうという意味合いがある一方で、八幡祭を盛り上げるための余興という一面 もある。
奉納相撲は、八幡祭のなかでも非常に盛り上がる催し物である。それは、子どもたちが相撲 をとることを楽しみにしている大人たちが多いからである。由比地区で2000年代半ばまで開 催されていた少年相撲大会でも、大人たちは子どもが相撲をとる際には非常に盛りあがったと いう。
入山こども園の園児たちのなかにも、奉納相撲に参加する子どもたちがいる。1、2歳の子ど もでも、保護者が一緒に土俵にあがって相撲をとらせているという。また、昔だったらありえ なかったが、現在の奉納相撲では女の子も参加するという。なかにはすぐに泣いてしまう子ど ももいるそうだが、土俵の周りには大人がついており、保護者からも危ないという声を聞かな いことから、安全面での不安はなさそうである。なお、こども園が主催する行事で、土俵を使 用することはないとのことである。
由比北小学校では、毎年、八幡祭に全校児童が参加するのが恒例である。奉納相撲は2年生
までは男女混合で、3年生からは男女別で行っているという。昔は、優勝旗をかけたトーナメ ント戦があったが、現在は勝ち負けを重視していないため、行っていない。
以上に述べてきた入山における奉納相撲の現状からは、かつては競技であった相撲が楽しむ ための相撲に変化していることが見て取れる。子どもたちがまわしをつけて相撲をとらないこ とからも、この点は明らかである。さらに、1、2歳の園児も参加していることから、礼儀とい う点をそれほど重視していないともいえる。子どもたちも、相撲を競技として真剣に行うとい う意識はそれほどないのではないだろうか。参加をすれば参加賞としてお土産をもらえるから 相撲をとるという子どもも少なくないだろう。
4 相撲が持つ役割の多様性
ここまで、由比地区における相撲の変遷と現在の入山における相撲について述べてきた。そ してここからは、調査をしてゆくなかで感じた、相撲が持つ役割の多様性について述べようと 思う。
調査をしてゆくなかで、少年相撲大会での相撲と奉納相撲を比較したときに、両者の間で相 撲の持つ役割に両者の間で相違点があることに気づいた。また、由比では相撲が盛んであるが、
大人と子どもで相撲へのかかわり方が違うことにも気づいた。大人は相撲を見ることが中心で、
実際に相撲をとることはない。一方、子どもは相撲をとることが中心となっている。これらの ことから、相撲は地域の人びとにとってスポーツ競技以外にさまざまな意味と役割を持ってい るのではないかと考えた。その役割には、競技、儀礼、娯楽、教育という4つがあげられる。
本節では、相撲の持つこの4つの意味について考察してゆく。
4.1 競技としての相撲
まず、相撲と聞いて真っ先に思い浮かぶ、競技としての側面に注目してみる。10年ほど前、
つまり少年相撲大会がなくなるまでは、由比では競技としての相撲も盛んであり、厳しい練習 を重ね、礼儀を重んじた一対一での真剣勝負が行われていた。しかし、相撲愛好会の主催で七 面山奉納相撲大会を開催するほど由比のなかでも相撲が盛んであった寺尾でさえ、土俵は撤去 され、この大会もなくなってしまった。そして現在、由比地区全体で唯一土俵が残されている 入山でも競技としての相撲はほとんどなくなってしまった。2.3 でも述べたように、子どもの 相撲離れは競技としての相撲の衰退を招く一因であった。
相撲は遊びではないという意識で相撲に向き合い、勝つことに重きを置いていたのが競技と しての相撲である。また、どのスポーツにも共通することであるが、競技としてスポーツをす る以上は礼儀を重んじることになり、礼に始まり礼で終わるという相撲の作法も同様に厳しく 指導することを意味する。相撲に対して抵抗を持つようになった子どもたちの多くは、つらい 思いをしてまで相撲をとりたいとは思わなかったのではないだろうか。そうなると、現在の子 どもたちは厳しい練習をするのは同じでも、相撲よりもサッカーや野球といった人気があるス ポーツを選ぶのかもしれない。
ところで、鈴木哲郎は、スポーツと社会の関係性について次のように述べている。
スポーツという文化現象をとらえていく場合に、スポーツそのもののパフォーマンスと 直接関係する担い手たちをひとつの単位として、「スポーツを取り巻く社会」と「スポーツ を実践する人びとの社会」という典型的に質の違う社会を区別して考える必要があるが、
両者の社会は完全に分離され、独立したものではなく、何らかの依存関係の下に、そのバ
ランスが保たれることで維持されている(鈴木 2004:17)。
サッカーなどの台頭や子どもの減少といった時代の流れは、由比の相撲社会を大きく変えた。
つまり、スポーツを取り巻く社会が大きく変化したということである。また鈴木は、「スポーツ を取り巻く社会とは、スポーツを行う人たちや、その集団が作り上げているコミュニティ(ク ラブ組織など)の周辺にあって、それを支える組織や人びとならびにその関係性のネットワー クを意味する」と述べている(2004:17)。相撲以外のスポーツにも目が向けられるようにな ったことや、子どもの人数自体が減ってしまったことは、相撲を取り巻く由比の社会を大きく 変えた。このことが、相撲が持つ競技としての側面を大きく揺るがせたといえるだろう。
4.2 儀礼としての相撲
現在の入山における奉納相撲や、かつての少年相撲大会からは、儀礼としての相撲という側 面も見受けられる。現在の奉納相撲では、勝ち負けにこだわらず、礼儀をわきまえている年齢 かどうかも問わない。子どもたちが相撲をとるのを見て、大人たちが楽しんでいる。このよう な奉納相撲は、地域における一種の通過儀礼なのではないかと私は考えた。相撲をとることで 周りの大人たちに認知され、入山というコミュニティの一員として再認識されという意味があ るのではないだろうか。
アメリカの文化人類学者であるヴィクター・W・ターナーは、イニシエーション(通過儀礼)
は、地位の確定されていないあいまいな属性を持つ人たちに社会的地位を与え、周囲の人間関 係を再調整し、同時に特定の集団や組織に所属する資格を与えると述べている(ターナー
1976)。奉納相撲は、このイニシエーションとしての役割を持つ。入山という地域のコミュニ
ティに所属し、そこに住む人びととの関係を再調整する役割がこの奉納相撲にはあるように思 える。少年相撲大会も、区別対抗戦に参加する子どもたちの相撲を見にたくさんの大人が応援 に来ていたという。このことから少年相撲大会は、由比地区という集団の一員として認められ るというイニシエーションとしての役割にくわえ、区別対抗戦を通して区のコミュニティのき ずなを再確認させるコミュニティの再統合を促す役割があったように思える。これが、相撲が 持つ儀礼としての側面である。
4.3 娯楽としての相撲
相撲には、娯楽としての側面もある。少年相撲大会は、相撲をとる当事者である子どもたち も競技に熱中していた一方で、それを見る大人たちも楽しんでいたといえるだろう。前述した ように、由比地区では大人と子どもで相撲への関わり方が異なる。入山の奉納相撲でも、大人 たちは子どもたちの相撲を見ることを楽しんでいる。
また、現在の入山における奉納相撲では、相撲の競技としての側面や、礼儀や作法よりも、
楽しむことに重点を置いている。つまり、娯楽としての側面がより強調されているといえるだ ろう。
4.4 教育としての相撲
相撲は、子どもたちの心身の成長を促す。身体的には、健康維持や体づくりにつながる。し かし、それ以上に重視されているのは精神的な成長である。それがすなわち、相撲の教育とし ての側面である。
由比地区では、一対一で戦うという競技があまりなかったことと、土俵に乗るのという行為 自体が勇気を養うことにつながるという理由から、相撲を学ぶことが推奨されていた。相撲の
稽古ではただ体を鍛えるだけではなく、礼を重んじるため、体だけではなく精神も鍛えられる。
指導者である大人に向かっていくぶつかり稽古では、その厳しさから泣いてしまう子どももい たという。しかし、現在では、そのような厳しい稽古を強要すれば批判される可能性もあり、
相撲をやらせにくくなっている。こうしたことが、子どもの相撲離れを招いた一因だろう。
今回の調査では、過去に子どもたちに相撲を教えていた指導者の方に話を聞くことができた。
その方は、厳しく稽古をすることの意味を教えてくださった。礼を重んじる相撲では、あいさ つのような礼儀が大切にされる。そのため、相撲を通して礼儀を学んだ当時の子どもたちは、
大人になり年齢を重ねてもあいさつを忘れないという。また、泣いてしまう子どもが出るぶつ かり稽古のような厳しい練習では、涙を流しながらも頑張ることの大切さを教えたかったそう である。稽古のなかで、子どもたちが頑張って押して来たらその分わざと下がってあげ、頑張 りを感じなければ下がらないでいるという稽古方法をとることで、頑張ることが実を結ぶこと を実感させてあげていたという。厳しい練習に耐えることで、つらいことがあっても頑張って ほしいという思いがそこにはあったのだろう。かつての子どもたちは相撲の稽古を通して、困 難に立ち向かう勇気と姿勢を学んだことだろう。
練習だけではなく、相撲を通して大人と触れ合うことも教育につながる。自分の親族以外の 大人と触れ合うことで、子どもたちだけのコミュニティに身を置いているだけでは知らなかっ たであろう、大人の厳しさや社会の厳しさ、年長者のふるまい方といった多くのことを学ぶこ とができたのではないだろうか。また、大人たちもただ稽古をつけるだけではなく、練習の送 り迎えをしたり、食事に連れていったりすることで子どもたちと積極的にかかわろうとしてい たという。
以上に述べてきたことまとめると、相撲は由比というコミュニティの将来を背負う子どもた ちに対して、人間的成長を促すという教育上の役割を担っていたのである。
4.5 コミュニタスとしての少年相撲大会と奉納相撲
数十年前までは子どもたちの間で盛んにおこなわれていた相撲がいくつもの要因によって 衰退してしまったことからは、時代の変化とそれに伴う社会の変化を強く感じた。競技として の相撲という側面が強かった由比の相撲は、社会の変化に応じて変化をせざるをえなくなり、
相撲が由比に残り続けるためには、競技としての側面を捨て、娯楽としての側面を強く押し出 す必要があったといえる。つまり、由比の相撲は変化をせざるをえなかったのである。同時に、
教育としての側面も大きく失うことになったといえるだろう。厳しい稽古もすることがなくな ってしまった現在では、昔の大人たちが抱いていた子どもたちへの思いを、相撲を通じて反映 させることは難しくなってしまった。しかし、相撲は由比からなくなっていない。形を変えな がらも、儀礼としての側面と娯楽としての側面を持ちながら入山には相撲が存在し続けている。
由比にとって少年相撲大会や奉納相撲は、一種のコミュニタスではないのだろうか。前掲の ターナーによると、コミュニタスとは、共同体あるいは仲間集団としての社会の様式のことで あり、それには実存的、あるいは自然発生的コミュニタス、規範的コミュニタス、イデオロギ ー的コミュニタスがあり、このような自発性、自由、平等からなる世界から新しいものが生み 出されるものだという(ターナー 1976)。また、船津・浅川は、先ほどのターナーの議論をあ げながら、祭りは人びとの一体化と活性化をもたらし、何か新しいものを生み出す行為である と述べている(船津・浅川2006:135-136)。船津が述べている「祭り」と由比地区の相撲は、
同じ役割を持っているといえないだろうか。少年相撲大会や奉納相撲は、人びとの一体化と活 性化をもたらし、地域社会を形成する端緒の1つとなっている。しかしターナーは、コミュニ タスでは、元々の社会構造上の地位を剥ぎ取られた人びとが、全員が等しく同格な状態になっ
ていると述べている(ターナー 1981)。わかりやすくいえば、性別や年齢の壁を超えている ということである。しかし、相撲ではこれは見受けられない。奉納相撲では、女の子も参加は するが、小学3年生からは男女で相撲をとることはない。また、同学年同士で相撲をとるため、
年齢の壁を超えることはない。少年相撲大会でも、学年別に相撲をとっていたため、年齢の壁 を超えることはなかった。これらのことから、少年相撲大会や奉納相撲には一定の規律があり、
これをもたらしたのが、相撲の教育的な役割だったといえるだろう。しかし、少年相撲大会や 奉納相撲が人びとの一体化と活性化をもたらし、地域社会の再統合を促したという意味におい ては、一種のコミュニタスであったといえるだろう。
現在、由比地区の多くの人びとと相撲との結びつきが以前よりもなくなってきていることは、
少年相撲大会の廃止や土俵の撤去などから見て取れる。しかし、入山では現在でも残された土 俵を使って奉納相撲が行われ、結びつきはなくなっていない。世のなかの風潮や人びとの価値 観の変化にあわせて、相撲の目的が競技よりも娯楽を重視するようになったことが、入山にお いて奉納相撲を残すことにつながったのではないだろうか。
5 おわりに
今回、調査をしていくなかでわかったのは、相撲が由比地区全体では時代の流れと共に衰退 してしまったということである。時代の流れが人びとの価値観を変え、文化の1つを衰退させ てしまうというのは、残酷だが仕方のないことだろう。サッカーやバレーボールなど人気のあ るスポーツが出てきても、相撲ほど、由比地区全体を一体化させるようなスポーツはまだない。
少子化により子どもが減ってしまっている現在の由比では、子どもが地域に愛着を持つよう になることが求められる。子どもたちが地域に愛着を持てば、進学などの理由で由比を離れて しまっても、いずれ帰郷につながるはずである。そして、若者が増えれば必然的に子どもも増 えるのではないだろうか。
相撲には子どもと大人を結びつけ、地域社会を形成していく役割があった。その役割は、現 在でも入山では果たされているといえるだろう。しかし、由比地区全体を見れば、その役割は 別のスポーツやイベントに受け継がれつつある。相撲でなくとも、それらのおかげで、由比の 子どもたちが子ども同士の関係だけなく大人との関係にも居心地の良さを感じることができれ ば、それは子どもたちが地域に愛着を持つことにつながる。相撲からその役割を引き継いだス ポーツやイベントには、由比という街を活性化していく力があるといえるだろう。
謝辞
本調査は、協力してくださった多くの方々のお力添えがなければ成立しませんでした。至ら ない点が多々あったにもかかわらず、快くインタビューに応じてくださった方々に心より感謝 申し上げます。
参考文献
鈴木哲郎
2004 「スポーツ人類学の視点」宇佐美隆憲編『スポーツ人類学』明和出版:17-19。
新田一郎
2010 『相撲の歴史』講談社。
船津衛・浅川達人
2006 『現代コミュニティ論』放送大学教育振興会。
由比町体育協会記念誌編集委員会
2004 『由比町体育協会創立50周年記念誌』由比町体育協会。
ヴィクター・W・ターナー
1976 『儀礼の過程』冨倉光雄訳、思索社。
1981 『象徴と社会』梶原景昭訳、紀伊國屋書店。