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『 伊 勢 物 語 』 第 二 十 四 段 考

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Academic year: 2021

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『伊勢物語』 第二十四段考 (一) はじめに

  伊勢物語は、藤原定家の校訂本によるならば、一二五段からなる。そ のうち、本稿において取り上げる第二十四段は、短い章段であるが、全 段の中において見るとき、特異な点を有する段である。それは、

  ①

  「かた田舎」

とあるだけで、場所・地名がまったく出てこない。

  ②   女性が男性を追っていく物語。

  ③   最後に女性が死んでしまう物語。 と い う 三 点 で あ る。 ① に 関 し て は、 大 変 短 い 段 で あ る 第 四 十 六 段 に、 「人 の 国 へ 行 き け る 」 と だ け あ っ て、 こ れ が 地 名 の な い も う 一 段 と い う こ と に な る。 し た が っ て、 一 二 五 段 中 二 段 だ け で あ る。 他 で は、 津 の 国・ 陸 奥 等 々 と 記 さ れ、 二 十 三 段 で は 最 初 「田 舎 わ た ら ひ 」 と し か な い も の の、 物 語 の 後 半 に は、 河 内・ 高 安 と い う 地 名 が 出 て く る。 「田 舎 」 と さ れ て、 地 名 の な い の は こ の 二 十 四 段 に 限 ら れ る。 つ ま り、 本 章 段 は、どこでの話とも場所を明らかにしない物語である。②・③にあって は、物語中唯一である。本稿においては、この章段を特徴付ける②に焦 点を当てて、いささか考えてみたい。まず、本文を掲げる。

    むかし、男、かた田舎に住みけり。男、宮仕へしにとて、別れ惜 し み て ゆ き け る ま ま に、 三 年 こ ざ り け れ ば、 待 ち わ び た り け る に、 い と ね む ご ろ に い ひ け る 人 に、 こ よ ひ 逢 は む と ち ぎ り た り け る に、 こ の 男、 来 た り け り。 「こ の 戸 あ け 給 へ 」 と た た き け れ ど、 あ け で、 歌をなむよみていだしたりける。

     あらたまの年の三年を待ちわびてただこよひこそ新枕すれ

   といひいだしたりければ、

     梓弓ま弓つき弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ

   といひて、いなむとしければ、女、

     梓弓ひけどひかねどむかしより心は君によりにしものを

   といひけれど、男、かへりにけり。女、いとかなしくて、後にたち て追ひゆけど、え追ひつかで、清水のあるところにふしにけり。そ こなりける岩に、およびの血して、書きつけける。

     あひ思はでかれぬる人をとどめかねわが身はいまぞ消えはてぬ める

   と書きて、そこにいたづらになりにけり。

(二) うるはしみせよ

  こ の 物 語 に お い て、 女 は 男 を 「待 ち わ び た り け る 」 と い う 状 況 で あ っ 『伊勢物語』 第二十四段考

  内   弘   子

  

(2)

た に も か か わ ら ず、 別 の 男 と の 「新 枕 す 」 る と い う 約 束 を 守 り、 戸 を 開 け ず に、 歌 の み を 詠 み 拒 絶 を し た。 し か し な が ら、 男 の 歌 「梓 弓 ま 弓 つ き 弓 年 を 経 て わ が せ し が ご と う る は し み せ よ 」 を 境 と し て、 女 は、 「い と か な し く て 」 と 変 わ っ て し ま う の で あ る。 男 を 追 っ て ゆ き、 と う と う 死に至るという結末を迎える。

  男 の 歌 の ど こ に、 そ の 契 機 が あ る の で あ ろ う か。 契 機 と な っ た 言 葉 が、 「う る は し み せ よ 」

注①

で は な い か と 考 え る の で あ る。 伊 勢 物 語 中 に、 「う る は し み す 」 は 他 に な く、 「う る は し 」 が 一 例 あ る。 そ れ は、 先 に も 述べた四十六段で、

    昔、男、いとうるはしき 友ありけり。片時さらず、あひ思ひける を、人の国へ行きけるを、いとあはれと思ひて別れにけり。 である。ここでは、親しい男性に対して用いられている。歌の中での用 例はない (勅撰集での 「うるはしみ」 「うるはし」 の例も見出せなかった) 。

  時 代 は 遡 る が、 萬 葉 集 に お い て は、 自 然 を 対 象 と し た 例 (た と え ば、 「見 ほ し き は   雲 居 に 見 ゆ る   う る は し き   十 羽 の 松 原 」 巻 十三、 三三四六) を除いて、以下のような歌を見ることができる。 ①   言問はぬ   木にはありとも   うるはしき   君が手

馴れの   琴にしあ るべし (巻五、 八一一) 大伴旅人 ②   我が背子が   言うるはしみ   出でて行かば   裳引きしるけむ   雪な 降りそね (巻十、 二三四三) ③   やまぶきは   日に日に咲きぬ   うるはしと   我が思ふ君は   しくし く思 ほ ゆ(巻十七、 三九七四) 大伴池主 ④   うるはしと   我が思ふ君は   いや日異

に   来ませ我が背子   絶ゆる 日なしに (巻二十、 四五〇四) 宴での主人の歌 ⑤   ・ ・ ・ ・ 春 雨 に   に ほ ひ ひ づ ち て   通 ふ ら む   時 の 盛 り を   い た づ ら に   過 ぐ し 遣 り つ れ   偲 は せ る   君 が 心 を   う る は し み   こ の 夜 す が ら に   い も 寝 ず に   今 日 も し め ら に   恋 ひ つ つ ぞ 居 る (巻 十七、 三九六九) 大伴家持 ⑥   さ百合花   ゆりも逢はむと   思へこそ   今のまさかも   うるはしみ すれ (巻十八、 四〇八八) 大伴家持   宴での歌 ⑦   うるはしみ   我が思ふ君は   なでしこが   花になそへて   見れど飽 かぬかも (巻二十、 四四五一) 大伴家持 ⑧   うるはしと   我が思ふ妹を   思ひつつ   行けばかもとな   行き悪し かるらむ (巻十五、 三七二九) 中臣宅守 ⑨   うるはしと   我が思ふ妹を   山川を   中にへなりて   やすけくもな し(巻十五、 三七五五) 中臣宅守 ⑩   うるはしと   思ひし思はば   下紐に   結ひつけ持ちて   止まず偲は せ(巻十五、 三七六六) 中臣宅守

  右記⑧の歌に対して、伊藤博 『萬葉集釋注』 は、

   「愛

うるはし

」 は、 気 高 い ま で に 整 っ た 美 し さ に 対 し て、 愛 情 を こ め て ほ め る語。男性から女性に対して用いるのは稀。ところが宅守は、下の 三七五五でも娘子に対してこのようにいい、きわめて特異。 と 説 明 し て い る。 ① 〜 ⑦ の 例 を 一 瞥 し て も、 伊 藤 氏 の 言 わ れ る よ う に、 「う る は し 」 は、 目 上 の 人 に 対 し て、 女 性 か ら 男 性 に 対 し て、 用 い ら れ る の が 一 般 で あ る こ と が 理 解 で き る。 男 性 が 女 性 に 対 し て 用 い た の は、 ⑧・⑨の宅守の例に限られる。

  こうした萬葉集以外には、古事記に、

   道のしり   こはだ嬢

をとめ

女は   争はず   寝しくをしぞも   宇流波志美 意 母布 (応神天皇の条)

   笹 葉 に   う つ や 霰 の   た し だ し に   率 寝 て む 後 は   人 は か ゆ と も 宇流波斯 登   さ寝しさ寝てば   刈薦の   乱れば乱れ   さ寝しさ寝て ば(允恭天皇の条) の萬葉仮名書き例があり、日本書紀にも、

   道 の し り   こ は だ 嬢

をとめ

子   争 は ず   寝 し く を し ぞ   于 蘆 波 辞 彌 茂 布 (応神天皇   十三年) という萬葉仮名書き例がある。三例ともに、男性から女性に対して使わ

(3)

『伊勢物語』 第二十四段考 れ て い る。 古 事 記 の 前 者 の 場 合 は、 大

おほさざきのみこと

雀 命 (後 の 仁 徳 天 皇 ) の 豊 の 明 の 節会での結婚の、場面の最後の歌に用いられている。古事記の後者の場 合 は、 軽 の 太 子 と 軽 の 郎 女 と の 恋 の 物 語 で あ っ て、 「こ こ を も ち て (筆 者 注   こ の 密 通 事 件 を 知 っ て )、 百 の 官 ま た 天 の 下 の 人 等、 軽 の 太 子 に 背 き て 」 と 話 が 展 開 す る 大 切 な 場 面 で あ る。 そ こ で、 男 性 が 女 性 に 対 す る 愛 情 を 「う る は し 」 と 表 現 し た こ と に は、 深 い 意 味 が あ ろ う。 古 事 記 の物語上では、政治を一転させた大事件を引き起こしている。古事記の 二例は、両者共に、物語上で大切な場面での使用である。日本書紀の場 合も、古事記の応神天皇の条と同じ場面である。   伊 勢 物 語 で の 使 用 に 話 を 戻 す と、 男 の 「わ が せ し が ご と う る は し み せ よ」 とは、男が女に対して、 「私はあなたをうるはし」 んだと宣言してい ることになる。上代の用例ではあるが、右に挙げた種々の例を勘案する と、 女 の 心 を 一 変 さ せ た の は、 や は り、 「わ が せ し が ご と う る は し み せ よ」 の言であり、男の強い愛情を感じさせる言葉であったと考えられる。

  こ の 言 葉 故 に、 戸 を 開 け な か っ た 女 は、 「む か し よ り 心 は 君 に よ り に しものを」 と歌い、 「いとかなしくて」 へと物語は展開する。

(三) かなし

  本 文 十 一 行 目、 女 の 気 持 ち を 表 す こ の 「か な し く て 」 は、 特 に 注 を 付 さ れ る 言 葉 で は な く、 「女 は ひ ど く 悲 し く て 」( 『鑑 賞   日 本 古 典 文 学   伊 勢 物 語 』 片 桐 洋 一 )「ひ ど く 悲 し く 思 い 」( 『新 全 集 』 ) 等 と 口 語 訳 さ れ る の が 一 般 で あ る。 し か し、 伊 勢 物 語 に は、 「悲 し い 」 と い う 訳 が ふ さ わしくないと考えられる 「かなし」 が存在する。

     風吹けば沖つしら浪たつた山よはにや君がひとりこゆらむ

   とよみけるをききて、かぎりなくかなし と思ひて、河内へもいかず なりにけり。 (二十三段)    む か し、 男 あ り け り。 身 は い や し な が ら、 母 な む 宮 な り け る。 ・ ・ ・

   ひとつ子にさへありければいとかなしう し給ひけり。 (八十四段) が見られる。前者は 「この上なくいとしいと」 、後者は 「とても可愛がっ ておられた」 という訳がされている (『新潮日本古典集成』 )。 「悲しい」 で はない。

  やはり萬葉集において、

   筑波嶺に   雪かも降らる   いなをかも   かなしき子ろが   布

にの

乾さる かも (巻十四、 三三五一)

   多摩川に   さらす手作り   さらさらに   なにぞこの子の   ここだか なしき (巻十四、 三三七三)

   上つ毛野   くろ ほ の嶺ろの   葛葉がた   かなしけ子らに   いや離か り来も (巻十四、 三四一二)

   あしひきの   山

やま

さは

人の   人さはに   まなといふ子が   あやにかなし さ(巻十四、 三四六二)

   お ほ なむち   少彦名の   神代より   言ひ継ぎけらく   父母を   見れ ば貴とく   妻子見れば   かなしくめぐし・ ・ ・ (巻十八、 四一〇六) 大 伴家持    筑波嶺の   さ百

の花の   夜

とこ

にも   かなしけ妹ぞ   昼もかなしけ (巻二十、 四三六九) 防人の歌 と い っ た、 「い と し い 」 の 意 味 に 解 釈 さ れ る 「か な し 」 が 存 在 し、 巻 十 四 の東歌や、巻二十の防人の歌等、大部分が東国の歌に現れることが知ら れている (澤瀉久孝 『萬葉集注釋』 水島義治 『萬葉集全注   巻十四』 『新潮 日 本 古 典 集 成 』 伊 藤 博 『萬 葉 集 釋 注 』 等 )。 し か し な が ら、 大 伴 家 持 の 使 用例などもある。

  問 題 の 伊 勢 物 語 二 十 四 段 の 「か な し 」 を、 「い と し い 」 と 解 釈 す る 注 釈 は、管見に拠れば見いだせないが、すぐ前の二十三段に見られることも あ り、 「い と し く て 」 と 理 解 で き る の で は な い だ ろ う か。 男 を 大 変 い と しいと思ったから、女は、追っていったのであろう。

(4)

(四) 弓

  男 の 問 題 の 歌 は、 「梓 弓 ま 弓 つ き 弓 」 と、 弓 を 並 べ て 歌 い 起 こ さ れ て い る。 伊 勢 物 語 中 に、 「弓 」 は、 こ こ 一 例 し か で て こ な い。 こ の 最 初 の 二 句 と そ の 後 の 歌 句 と の 繋 が り が よ く わ か ら ず、 む つ か し い 表 現 で あ る。神楽歌の、

   弓といへば品なきものを梓弓真弓槻弓品も求めず品も求めず との関連を説く注釈が一般である。

  『古典文学大系

  古代歌謡集』 の神楽歌の注釈 (小西甚一氏) には、 「弓」 に関して、

   武器としてよりも、神霊を招き悪鬼を退散させるものとして採物に 選ばれたらしい。 とする。また、その後の 『新古典文学全集   神楽歌』 (臼田甚五郎氏) で は、

   弓には霊が憑るので、男女相寄る連想がはたらき・ ・ ・(脚注)

   弓・剣・鉾などは武器であるが、元来は悪霊邪霊などを退治する呪 具であり、また神霊を招く呪具ともなった。 (頭注) とある。

  「弓

」 が 呪 具 と し て 意 識 さ れ て い た こ と は わ か っ た が、 萬 葉 集 等 で は 「ひ く 」 の 枕 詞 と し て 用 い ら れ、 伊 勢 物 語 二 十 四 段 に も、 問 題 の 男 の 歌 を 受 け た 女 の 歌 に は、 「梓 弓 ひ け ど ひ か ね ど 」 と 用 い ら れ て い る。 古 今 集 で は、 「は る 」(張 る・ 春 ) の 枕 詞 が 三 例、 「引 く 」 の 枕 詞 が 二 例、 「い る」 が一例である。先に引用した (第二節) 軽の太子の物語にも、物語が 結末を迎える前に、太子が軽の郎女を思って歌った歌として、

   こもりくの   泊瀬の山の   大

おほを

丘には   幡張り立て   さ小

をを

丘には   幡 張り立て   大小よし   仲定める   思ひ妻   あはれ   槻弓 の   臥やる 臥やりも   梓弓   起てり起てりも   後も取り見る   思ひ妻   あはれ が あ る。 「槻 弓 」「梓 弓 」 は 共 に 枕 詞 で あ り、 弓 を 寝 か す・ 弓 を 立 て る の 意で冠されている。 「後も取り見る   思ひ妻   あはれ」 (将来も世話をし たい愛しい妻よ、ああ) と結ばれる恋の歌に用いられている。

  さ ら に 萬 葉 集 に お い て は、 「久 米 禅 師、 石 川 郎 女 を つ ま ど ふ 時 の 歌   五 首 」(巻 二 ) に、 歌 群 の 内 の 最 初 の 四 首 に 見 ら れ る 通 り、 弓 を も っ て 歌い起こされ、弓が盛んに歌われている。

   みこもかる   信濃の真弓   我が引かば   貴

うま

ひと

さびて   否と言はむか も   禅師

  (九六)

   みこもかる   信濃の真弓   引かずして   弦

はくるわざを   知ると言 はなくに   郎女

  (九七)

   梓弓   引かばまにまに   寄らめども   後の心を   知りかてぬかも   郎女

  (九八)

   梓弓   弦

つらを

緒取りはけ   引く人は   後の心を   知る人ぞ引く   禅師   (九九)

   東人の   荷

のさき

前の箱の   荷

の緒にも   妹は心に   乗りにけるかも   禅 師

  (一〇〇)

  この五首は、 「禅師」 ・「郎女」 と歌の下に詠じた人物が注記されるとい う、萬葉集中でも数少ない表記方法がとられている。久米禅師は久米氏 出身の僧侶ということであろうし、石川郎女は伝未詳。石川郎女は、集 中 六 カ 所 に 名 前 が 残 り、 作 歌 時 期 は、 天 智 朝 か ら 天 平 年 間 に 及 ん で お り、 同 一 人 と は 考 え ら れ な い。 お そ ら く 同 名 で 呼 ば れ た (物 語 の 主 人 公 になりそうな) 複数人 (四人説・三人説あり) と考えられている (稲岡耕 二 『萬 葉 集 全 注   巻 二 』 他 )。 伊 藤 博 「歌 語 り の 方 法 」( 『萬 葉 集 の 表 現 と 方法』 上) に「題詞や作者表記のありかたから見て、もと歌語りであった こ と を 典 型 的 に 示 す 歌 」 と 説 く。 人 々 に 知 ら れ 楽 し ま れ た、 二 人 の 人 物 の 妻 問 い の や り と り と い う こ と で あ っ た の だ ろ う。 村 田 正 博 「久 米 禅 師 の 妻 問 い ― 天 智 朝 風 流 の お も か げ ―」 (『萬 葉 の 歌 人 と そ の 表 現 』 ) が 続 日本紀や延喜式等をくわしく引用するように、信濃は弓の産地であった と知られる。

(5)

『伊勢物語』 第二十四段考   久米禅師が、久米氏の名を持つ故に、 「武門の家柄である」 (稲岡耕二 『萬葉集全注   巻二』 )「男が武門の家柄である久米氏の出身らしいこと」 「久米直の祖天津久米の命の主要ないでたちの具として 『天之波士弓』 に 言 及 が あ る 」(村 田 氏 先 掲 論 文 ) と し て、 こ こ に 「弓 」 に ち な ん で の 贈 答 が な さ れ た と 考 え ら れ て い る。 お そ ら く こ の 見 方 が 正 し い の で あ ろ う が、 男 は 僧 で あ る 「久 米 禅 師 」 と さ れ て お り、 二 人 の 間 に 交 わ さ た 贈 答 歌が、弓にちなんで始まり、真弓・梓弓と続けて歌われたのかには謎が のこる。かえって、 「禅師」 であることと、 「弓」 とのへだたりが、 「歌語 り」 のおもしろさを誘発したかもしれない。加えて、 『新古典文学全集   神楽歌』 のいう、 「弓には霊が憑るので、男女相寄る連想がはたらき」 と いうことであろうか。   第一首の冒頭は、 「みこもかる   信濃の真弓」 と重々しく二重に枕詞・ 地 名 を 冠 し て 歌 い 起 こ し、 第 二 首 で も 冒 頭 に そ の ま ま 繰 り 返 し て い る。 そ の 仰 々 し さ が、 「の っ け か ら ふ ざ け て い る わ け で 」 と い う 伊 藤 氏 先 掲 論文の説を納得させる。第三

四首は、枕詞だけで 「梓弓」 と始まり、最 初 の 二 首 と の 違 い は 大 き い。 「引 く 」 を 中 心 に 据 え つ つ、 展 開 に 変 化 を 持 た せ て、 「歌 の 配 列 が 出 来 す ぎ る ほ ど 出 来 て い る 」(伊 藤 氏 先 掲 論 文 ) と言われる通り巧みである。   こ の よ う に、 伊 勢 物 語 の 時 代 に 先 立 っ て、 「弓 」 を 持 ち 出 し て 構 成 さ れ た、 恋 の 「歌 語 り 」 が 存 在 し た こ と は、 注 意 さ れ る べ き で あ る と 考 え る。   問 題 の 伊 勢 物 語 の 歌 で は、 登 場 す る 男 は 武 人 で は な い だ ろ う が、 「梓 弓 ま 弓 つ き 弓 」 と い う 神 楽 歌 に も 残 る 語 呂 の よ さ も 加 わ っ て、 最 初 の 二 句として据えられたかと思われる。   加えて、弓を歌った萬葉集の歌に    ・・・御執らしの   梓の弓の・・・ (巻一、 二)

   ・・・大御手に   弓執り持たし・・ (巻二、 一九九)

   梓弓   手に執り持ちて・・・ (巻二、 二三〇)    めづらしき   君を見えとこそ   左手の   弓執るかたの   眉根かきつ れ(巻十一、 二五七五) 等がある。弓は 「執る」 といわれ、 「梓弓ま弓つき弓」 を「執る (と る) 」の 連想から最初の音を等しくする 「年 (と し) をへて」 とはならないであろ うか。   古事記の歌謡を含む物語や萬葉集の時代から人々に知られた恋の歌語 りに、 「弓」 が用いられた先例のあった事に注目し、さらに 「左手の   弓 執 る か た の   眉 根 」 と わ ざ わ ざ 歌 う 歌 い ぶ り の 存 在 を も 想 起 し て、 こ こ ではあらゆる種類の 「弓」 を持ち出して歌ったと見ておきたい。

(五) おわりに

  この章段は、二人の男と一人の女の物語であった。同様な物語は、萬 葉 集 に お い て も、 「菟

うなひ

原 處 女 の 墓 を 見 る 歌 」(巻 九、 一 八 〇 九 〜 一 八 一 一   高 橋 虫 麻 呂

後 に 大 伴 家 持 の 追 和 歌 が 巻 十 九、 四 二 一 一 〜 四 二 一 二 に あ る。 ) や 「桜 児 」 の 物 語 (巻 十 六、 三 七 八 六 〜 三 七 八 七 ) な ど が あ っ て、 当 時 の 人 々 に よ く 知 ら れ 好 ま れ た 話 の 形 式 で あ っ た と 推 定 さ れ る。 ま た、本章段の特徴として最初に掲げた②のように、女が男を追って行く 物語は、すでに引用した軽の太子と軽の郎女の物語、萬葉集に残された 「但 馬 皇 女 と 弓 削 皇 子 に ま つ わ る 物 語 」(巻 二、 一 一 四 〜 一 一 六 ) が あ る。 古い時代の歌に見られる女性の行動であるようだ。

注②

  そして、それら先行する時代の物語に共通する歌語が、本稿において 考察した、伊勢物語第二十四段に用いられているのである。男の歌の冒 頭 は、 そ れ ま で の 物 語 の 流 れ か ら 見 れ ば 唐 突 に 思 わ れ る 「弓 」 を 持 ち 出 し て い る。 そ の 「弓 」 は、 先 行 す る 古 事 記 の 軽 の 太 子 の 歌 の 中 に、 枕 詞 としてではあるが、やはり唐突とも思われる用い方がなされていた。ま た、 伝 未 詳 の 人 物 で あ る 久 米 禅 師 と 石 川 郎 女 と の 恋 の 贈 答 の 「歌 語 り 」 の重要な小道具も 「弓」 であった。

(6)

  以 上 論 じ て き た 章 段 は、 前 代 の 「歌 語 り 」 の 影 響 を お そ ら く 受 け た 物 語 で あ ろ う と 推 測 さ れ つ つ、 細 か く 読 む な ら ば、 「わ が せ し が ご と う る は し み せ よ 」 と い う 言 葉 に よ っ て、 女 の 心 の 変 化 す る 様 を 窺 わ せ る 点 な ど、 巧 み に 意 図 さ れ た 構 成 を 持 つ こ と に 注 意 し た い。 こ の 「う る は し 」 も ま た、 先 行 す る 古 事 記 の 軽 の 太 子 の 歌 の 中 に 見 ら れ た こ と も 興 味 深 い。

  伊勢物語第二十四段は、古事記や萬葉集の時代と、平安時代の初期と を繋ぐ経路の存在を確認させる章段ではないかと考えるのである。

   〈注〉

  ①

  「うるはしみす」

、「ミ語法+す」 は〜と思う、の意。

  ②   萬 葉 集 巻 二 に、 磐 姫 皇 后 の 歌 と さ れ る 四 首 の 歌 (八 五 〜 八 八 ) が ある。その第一首は、

     君が行き   日長くなりぬ   山たづね   迎へか行かむ   待ちにか 待たむ (八五)

   とあり、たゆたい迷う女心を歌っている。万葉集にも九〇番の歌と して載せるところであるが、この歌の類歌は、古事記にある、

     君が行き   日長くなりぬ   山たづの   迎へを行かむ   待つには

   待たじ (軽の郎女)

   で あ る。 「迎 え に 行 く 」 と い う 意 思 の は っ き り と 表 れ た 歌 で あ る。 伊 藤 博 『萬 葉 集 釋 注 』 は、 四 世 紀 か ら 五 世 紀 に か け て の 仁 徳 朝 に、 明 ら か な 四 首 の 連 作、 定 型 短 歌 が 成 立 し て い た と は 思 え な い と 言 い、その 「高度な技法」 からこの四首の連作には 「誰か 〝埋もれた作 者 〟 が か な ら ず い る 」「持 統 朝 の 柿 本 人 麻 呂 で は な い か と 思 わ れ る ふしがある」 と推測している。時代が下っての作と思われる歌では、 女が男を追って行くと歌われなくなっている。

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