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進歩党ソ、38   

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(1)

二党別に放ける小党の意義  

藤   一  英  

∵  

二党利とは議会又ほ大統領選挙入団の過単数を制し得る客観的可能性を有する政党が伝統的に二つに限られて居  l  る政党制度を意味する︒従って二党利の下紅於ても政党の存在そのものが二伸に限られて居る訳でほ決してないの  

であって︑英は数多の政党が存在し活動して居る︒この様な二党制の下に於ける二大政党以外の政党を特に小党  

︵minO芸a邑e盟と云うのであって︑ただ単に議会又ほ大統領選挙入団に於ける数的勢力の劣勢な政党という意味  

2 ではない︒換言すれば多党制に於ける政党はその数的勢力の如何に拘らず小党とは呼ばれない︒  

一 

党︑自由党︑アルスダー統∵晃︑独立労働党︑国民覚︑アイルランド国民党︑共産党︑連邦党︑スコッユフンド国  

民党︑クエールス国民党等が数えられるが︑最後の二つの政党を除いて︑連邦骨わ二議席を最低として最高ほ自由  

国民党の十三議席に至るまで︑小党は何れも僅かながら議席を獲得したのである︒又︑一九四八年の合衆国大統領  

選挙に際して選挙戦に参加したのは︑民主党及び共和党の二大政党の外︑進歩党︑州権派民主党︵Di洛crats︶︑社  

会党︑禁酒党︑社会労働党︑社会労働者党等の諸政党であり︑二大政党以外で多少とも選挙人投票︵e訂き邑星e︶  

を得たのほ州権派民主党であり︑同党ほ南部四州を制圧し選挙人三九人を獲得した︒合衆国に於て一八七二年以降  

二覚制に於ける小覚の意義    論  説  

(2)

二  第二十七巻第二号  3  今日に至るまでの全国的選挙に参加した政党の総数は五〇以上にのばると云われる︒斯の如く二覚制の確立逼る諸  

国に於ても小党の数は通常想像されて居るよりも透かに多いのである?   

然し乍ら︑選挙に於ける小党の得票力ほ甚だしく劣弱であって︑二大政党に比して殆んど問題とするに足りない  

のである︒例えば︑前述山九四五年の英国総選挙に於ける各小党の議席数合計は全議席の七%に足りない︒又︑合  4  衆国に於ても事態ほ同様であって︑試みに小常の獲得せる合衆国議会の議席数をあげるならば次の如くである︒第  

五六議会から七五議会に至る二〇回の選挙に於ける小港全部の平均議席数ほ五であり︑それは全議紆数の姦余  

にすぎない︒大統領選挙に至ってほこの傾向は更に拡大されて現れて居る︒即ち︑選挙人投票に於ては小覚ほ全然  

問題にならないから︑ここで一は各小党の得た山般投票︵pOpular邑e︶ の総計の首分比をとって見るならば︑駿近  

上院l下院  

5 五十年間についてほ次表の示す如くである︒これによって見れば︑  

小党が二鱒投票あ十%以上を獲得したのは﹁九劇二年と副九二四  

年の僅か±回にすぎず︑それらは様々の特殊の諸条件に基ずぺ例  

外隼すぎない︒合衆国小党の地方的性柏からすれば地方選挙に於   

(3)

ては小覚ほ有利であるけれども︑しかもこ九三八年一月現在での蔵計紅よれば︑.四八州知事の中︑小党所属の者は僅  

か三名であり︑総計七四〇五人の州議会試買の中︑非党派投票を規定するネブラスカ及び︑︑\ネソタ選出のご四山人  

と無所属の十一人とを除外すれば小党所属の議員は僅か六八名にすぎない︒しかもその六八名はワイスコソシソ︵進  

歩党六二名社会党二名︶とニ・ユーヨーク︵米国労働党四名︶ の二川に集中して居るのであるから︑共他の四四州の  7  議会虹ほ一名の小党代表も含まれて居ない訳である︒之を層するに︑二党側の確立して居る諸国に於てほ︑小党の  

数は決して少数でほなかったし又現在に於ても多数存在して居るけれども︑それらの投棄獲得カは極めて劣弱であ  

って︑従ってごく例外的な事情の下にある稀な場合を除けは︑小党が議会を統制することほ不可能であれ︑又政権  

獲得の望みもさしあたり全くないと云ってもよいであろうと思われる︒   

それにも拘らず小党は依然として数多く存在し活動を続けて居り決してその全部が消滅することはない︒政党が  

政権獲得を目的とする闘争団体であるとするならば︑その目的を到底達し得ない小党には一体如何なる意義が認め  

られるのか︒小党が政権獲得の客観的可能性を全く有しないとすれほ︑それほなにほどかの程放で政治過程を統制  

し得るのであろうか︒それが可能であるとすれば如何にしてであり︑.又それほ如何なる意義をもつのであるか︒本  

稿ほこれらの諸問題について簡単に私法を患とめて今後の研究の党讃とすることを目的とする︒  

二  

合衆国に於て小党として数えられる多数の政党を精密に観察するならば︑そこに二つの相互に摂った性格をもつ  

ものを区別することができる︒その山ほ︑深く根ざした思想的乃至地域的羞輿を根砥とするものであって︑例えば  

人民常︵POpu−istP邑y︶や禁酒覚︵P3Ebi叶iOn評者︶等がこれに属する︒その二は︑二大政党め何れかの党内分  

二党制に於ける小党の意義  三   

(4)

四  第二十七巻 第二号  

派が発の行動を不満として脱党し︑新たに分裂政党︵sp詳terpa註y︶を組織するものであって︑⁝九山二年の進歩  

党︵prOgreSSi扁p警古︺ 山九二四年のラ・フォレッー進歩党︵Pr00qre乳謡Pa→tyOfL亀0詳t訂︶ 鵬九四八年の州権  nO  派民主党︵Di払ecrats︶等がその二三の例である︒拍者の型に属するものの中にほ︑例えば禁酒党の様に山八七二年  

以降今日に至るまで根強く継続的に存続して痔殊の利害なり主義なりを広く宣伝する拠り所となって来た小鬼が存  

するが︑しかし︑又これと異って人民党の如きは′︑既成二大政党に対する鬱積した地方的不満が突如として爆発的に  

燃上り︑急速に民衆の支持を獲得して一大政治勢力となるかに見えて︑やがて漸次に人気を失って遂にほ暗黒の中  

に消去ってしまうという様な経過を辿る小隠︵これ等は小党に属するものではあるけれども︑その特異な性柏に着目  9  して他の劃般の小党と区別し︑腰︑第三党The Third Par叶iesと呼ばれることがある︶であった︒即ち︑七十年代及び  

入十年代の西部農民の生活不凌と既成二大政党に対する民衆の激しい憤懲ほ各地に様々の形の反抗遊動となって  

出現したのであったが︑それらが相投携し合同して全国的組織の形をとったのがこの人民党であって︑副八九二年  

の大統領選挙戦紅於けるその活動ほめざましく︑首方の〟般投票と二十二の選挙人︵e−2C一宮s︶を獲得し︑又︑下院  

の議席若干と三川の知事と数百む地方公職を掌握し得て︑その急激な進出ほ既成政覚の陛冒する所となったが︑そ  

の四年後にほ既に頸勢が新し︑特に〟九〇〇年以降は何等見るべき成果をあげ得ず︑遂に忽ち共和党の為に併呑せ  

られて消滅するに至ったのである︒斯の如き急激な勢力消長の経過ほ分衷政党の場合にも同様であって︑ひとたび  

党の行動を不満とし清新な理想を掲げて新党を樹立し得ても︑次の選挙に於て到底所期の成粘をあげ得ざるに至る  

や︑この選挙の失敗を磯として再び母胎たる大政党に復帰吸収せられて消滅するのが普通であり︑一九一二年の進  

歩党もー九四入牢のウォーレースの進歩党もすべて右の如くであったのである︒  

斯の如く︑小党が劣弱ながらも持続的な性格を右つ禁酒発の如き場合を除いて︑政界に泡沫の如く現れては又や   

。  

(5)

がて消え去ってゆくその原因は㌦体何であろうか︒それほ決して二三にづきるものでほないと思われるけれども︑  

先ず第〟にあげ得る原因は︑合衆国軋於ける最大の政治的獲物が大統領磯であって︑従ってこの地位を支配し得ない  

政党ほ早晩ほ国民の支持︑というよりはむしろ地方政治家乃至ボスの支持を糞失して栄城に帰するのである︒蓋し政  

党という動物は権力と金とを食って活力を得て屠るのであるが︑権力に無縁な小党は従って分配すべきスポイルス  

を有せず又︑権力に伴う金も支配し得ないが為に︑やがて袈弱して粍死するに至るからである︒新しい理想や糞しい  

標語の人を窓計つけるカにほ明かな限界があるであろう︒次に第二には︑小党が地方的に相当の数的威力を急速に狂  

得しその勢力を増大する場合にほ︑これ紅脅威を感ずる既成二大政党がいわば内輪の争を山時中止し︑冊数協力して  

小党に対抗することである︒それほ要するに︑二大政党が本質的にはこの国の支配階級たる有産者紅奉仕するr政党  

の二分派軋すぎないという事実と照応するものであって︑かくの如き本質をもつ既成二大政覚紅対する被支配者大  

衆の反抗運動としての小栗に対して︑既成二大政党が協力して彼等の共通の敵手とtての小党に対抗しその絶滅軋 

よって有嘩者独裁の政治体制を絵描せんとするからに外ならない︒この間の事情を 

あげれば︑合衆国北東部地域軋於ける二大政党の得た選挙人投票数を山八九六年から一九二〇年紅至る七回の大統  

領選挙について見ると次の通りである︒左衷に於て一九劃二年に民主党が突如として副〇二名の選挙人を獲得した  

私共由蕊  民主減    室・・  0    1900い20  0   

1904い29  、0  

0  

102  

1916  140  4  

1920  144  0   

二覚制紅於ける小党の意義  

※TbRooseveltノ   

進歩党ソ、38   

理由を問題とせねばならない︒この北東部地域ほ︑コネチカッ′lr︑  

デラウエア︑ノーソ︑マサチュセッツ︑ニューハ.ソプレヤア︑ニスー  

ジャージー︑ニューヨーク︑ぺンシルバエア︑ロードアイラ/ンド︑  

及びグアーモソトの各州を含む義も富裕な地域であって︑右の図  

表の示す通り伝統的に圧倒的な共和党地域である︒然るに山九一  

五   

(6)

l 圧倒的に共和党を支持した訳である︒最後に小党が急速に襲滅に至る第三の原因としてほ次の止うな事情をあげる  

ことができる︒即ち既成二大政党虹対するプロテヌーとしての︑又︑有産者独裁に対する民衆の反抗運動としての  

二  年 

神  第二 

十  七  

ぺ  巻  

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ほ覚  大  会に  す 

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、  六  

党  を 

結  成 

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選  挙 

戦  

NationalCommittes  

Accounts    1912−1924  

…寮 PIOgIeSSive王ヾational  

Committeeノ、$676,672デアック  

居り︑しかも進歩党の収入ほポロック︵J︶声P邑OCk︶によれば  3  1 ㌻弗会費を主とする零細な寄附金によるものであるから進歩党  

に対する分だけが共和党への有産者の寄附から減少したものと  

見ることは適当でほなく︑むしろ有産者の寄附ほ相当の程度共  

和党から民主党へと切換えられたものと見られる︒さればこそ  

同年の選挙に灘て進歩党が敗北しやがて壊滅するに至って﹁民  

主主義の脅威﹂がさし当り消滅するや︑有産者ほ今度ほウイル  

ソンの新個由主義をむしろ憎むべきものとして 山九山六年に・は  

(7)

小党ほ二大政党の政綱が漠然とした曖昧なものであるのと対旅的な明確な主張をもち︑新しい主義政策を綱領に掲  

げて居るのであるが︑その小党の得票力がほぼ百万に達し二大政党に脅威を感ぜしめる聖者や︑既成政党はそれ  

らの主義政策の中の若干のものを盗用して自らの政綱の中に織込みその実現を誓約して民衆を偽瞞するのである︒  

善良なる民衆はその癖約を信じ︑政権獲得の見込の殆んとない小党な冒険的に支持して表を無駄にすることにな  

るよりもむしろ政権掌捉の見込の多い二大政党を支持するに傾くのであって︑かくてその存在理由の大半を奪われ      ㍑  

た小党は民衆の支持を失って崩壊するに至るのである︒  

三  

小党ほかくの如く得宗カに於て殆んど問題にならず従って政治権力を掌握して白ら国政を担当し得る可能性は全  

くないと云わねばならないが︑それでは合衆国政治に於て小党は何の意義も持ち得なかったのであろうか︒或は小  

党が合衆国政治過程を統制し得たものであるとすれば︑それほ如何にして可能であったのか︒   

合衆国政治学会政党委員会は﹁小党は︑結局に於て二党制及び米国政治の基本的過程に対して︑何等の永続的押印       6  1  を残すことほできなかったものと思われる﹂と述べ︑又︑シャツーシ︒ユナィダー︵四E・S旨tts註neider︶は﹁小党は米  

国に於ては完全に政権から遮断されておるから︑それは真正な政党と云うよりはむしろ教育運動にすぎぬと云うぺ  7  1 きである﹂と主張するのである︒この様に﹁全体として第三覚運動の意義と効果とは︑時として観察者によって低  

撞 く評価せられて居る﹂のであるが︑しかしながら︑事実︑小党が合衆国政治に於て果してきた役割は決して過少評  

価せらるべきものではあるまい︒むしろ極言するならば︑既成二大政党ほ小党と一揃いで仙セットの政覚制渡をな  

すむのであり︑もし小党が存在しなかったとしたならば︑合衆国二覚制の運営は決して円滑に行われなかったので  七   二党利に於ける小覚の忠義  

(8)

第二十七 第二号  

あろう︒小党は民衆の問紅於ける政治的不満の排け口として結果転於て有産者独裁の現存秩序の安全弁であり︑且  

つ金権政治紅対する民衆の不満に対処する新政策の提示者として結果に於て現存秩序に不断に新しい血液を注入し  

動豚硬化による頓死を防止し得て居るのである︒蓋し︑﹁生存してゆくためにほ︑政党ほ森の中の樹木の如 

9   1  

と共に頗を垂れねばならぬ﹂のであるが︑民衆の不満や要求の嵐の来襲を先ず告げ知らせるのが小党であるからで  

ある︒されば小党は﹁国家を今日あらしめたことに於て︑恐らく二大政党の何れにも劣らぬ重大な役割を果しで釆  

0   2  

たのである﹂とさえ云われるのである︒   

合衆国に於ける小党の意義については凡そ次の三つの論点をあげることができよう︒その仙は︑民衆の﹁不落の  

排けロ﹂としての役割である︒既成二大政党が﹁どちらにしても本質的紅ほこの国の資産階級の代理者であり∵同  

1   2   l       2  

じ主人に全く同じ様に仕えて﹂居り﹁所詮ほ巨大な会社とその代表者連によって不当に支配されて居る﹂ のであっ  

2 2  

て︑本質的にほ﹁一政党の二分派﹂にすぎない︒かくて彼等の政策綱領は相互に区別せらるべき何ものも存せず︑  

しかも種々様々の社会的地域的利害の要求を綱領に於て妥協調整しななければならぬ為に必然的に曖昧な漠然たる  

性格のものとならぎるを瀾ないのであって︑それは緒局﹁重大問題の形成及び決定を容易紅するのではなくて︑む  

3   2  

しろ逆にそれらを阻止し乃至は国民の注意をそれらから逸ら亘る役割を果すのである︒﹂この様な二大政党の名に於  

て行われる大資本の独裁に対抗し︑明確な社会的地盤に立脚しっつ革新的な主義主張を掲げてその実現を期する少  

数者の革新道動は凡そ次の三つの手段の何れかを選ぶことができる︒ 

や政党全国大会に於ける政綱の作成や候補者の指名に際して革新的立場を強硬に主張することであって︑もLこの  

努力が成功するならば︑革新派は大政党の名に於て︑その実カを利用しでよくその目的を適し得るであろう︒しか  

し乍らこの様な﹁内部穿孔戦術﹂は容易に成功するものではない︒苦し大政党の主導権が革新派や特殊の少数者に   

(9)

掌握せられる撃となるならば︑党は有産者の支持を失い少数者に反対する分派の反感を買うに至るであろう︒例え  

ばここに重大な政治問題が運生し相当の勢力をもつ党内分派甲が之に対する仙窟の政策を強く主張して屠る場合︑  

党幹部の選ぶべき方策としては︑その分派甲紅反対する他の分派乙の支持を失うことを覚悟した上で︑甲の主張を  

覚の態度として承認するか︑或ほそれを拒否しその結果甲の脱党という事態をも止むなしと見送るか︑この何れを  

選ぶかの重大岐路に立つ事となろう︒.しかし乍ら党内分派としても決して脱党を好む訳ではなく︑又発としてもそ  

の脱党による党勢桁少を阻止する為に全力を尽すことであろう︒例えばその日的のために︑党はでき得る限りその  

綾な問題に対んて態度を明確にせず曖昧なままに兇内の妥協を計らんとし︑戎いほその党内分派の主張する政策を  

斥ける代償として魔人事の面に於て宥和を企てる如きでちる︒しかし乍ら問題の性質によっては到底かくの如き中  

途半端な妥協が許されず︑党幹部は二者択妄迫られる場合があるのであって︑その結果は時として党の分裂を見  

るに至ることがある︒血八九六年︑緊迫せる通貨間魔の処理をめぐって︑民主軍円の保守派ほ急進的なブライアン  

︵Bry旦が主導権を握った民主党を快しとせず︑遂に脱党して国民民主蒐 ︵2atiO邑謬mOC邑icPar告を創設  

したのである︒即ち︑南北戦争後幽窮せる西部農民は遂に立上って大資本紅挑戦するに至ったのであるが︑グレソ  

汐ヤー運動︵Grange呵mO扁me皇グリーンバック党︵GreenbackPa苫︶の形をとった西部農民の反抗運動は山八  

九二年大統領選挙に際してほ協力一致して人民党︵P︒pu−istPa昔︶として再生した︒次いで人民党ほ山八九六年大  

統領選挙に際してほ民主党と協力し東部の独占資本に対して公然たる宣戦布告をなすに至ったのであったが︑この  

情勢を餌にして民主党内の保守派は到底菟内に留り得ず遂に脱党して新に分裂政党を組織したのである︒又︑〟九  

三年セオドール・ローズベル上Tb・汐︒Se邑t︶が党内革新脈を率いて共和党から脱党し新たに進歩党︵PrOgreS・  

Si謡P箆y︶を組織したのも同じ様な事態であったと云えよう︒以上のような点について︑ヒックス︵寓毘訂︶は今  

二党㈲に於ける小党の意義  九   

(10)

山○  第二十七巻 軍事  

日に於ては直接予遥による指名制度が広く行われる様になったから︑成る特殊の地方的利害に立脚する反抗運動が  

此制駐を利用して大政党を﹁内側から穿孔する﹂過程が可成り容易となり︑従って︑彼等が大政党から脱覚して分      5  

2 裂政党を組織する必要は著しく減少した︑と主張して居るけれども︑しかし︑だからと去って﹁地方的な第三覚遊動  5  2 の時代はほぼ終った﹂とまで云うのは極論ではないかと思われる︒蓋し︑州知事其他の地方公職や国会議員の選出  

だけに限れは問題ほないけれども︑合衆国に於ける最大の政治的獲物としての大統領職を考える限りその分派が州  

予迭会を支配し得たのみでは目的を達し得ず︑その代議員︵de厨ates︶が覚全国大会をも統制するという雉事に成  

功せねばならないからである︒されば内部穿孔覇術ほ必ずしも容易でほないと云わなけれぼならない︒   

革新道劫のとり細る第二の手段は︑圧力団体︵Pressu蒜Gr︒up︶としての活動である︒庄力団体とほ︑利害を共  

通にする人々が相協力してその利害の増進の為浸結成した利害団体が︑その目的達成のための手段として政治適確       6  2  を統制せんとする場合に︑そのかかる機能の面に着日する限りで斯く呼ほれるもりである︒従って圧力団体ほ特定  

の限られた利害の増進を根本目的とし︑その為の有利な諸条件を確保せんとして政治的圧力を行使するのであぞ 抽  

その欲する所は質するに特定の政策内容の実現にあり︑決して政党のように政治権力そのものを追求せんとするも  

のではない︒勿論︑圧力団体がその利害に対して友好的な候補者のため些選挙戦に活適正愈加することはある︒し  

かし︑それは彼の当選がその利害団体に有利な政策遂行を可能ならしめると判断される限り・に於てであって︑選挙  

戦への参加はあく計でも第二義的なもの軋すぎない︒しかも選挙軋際して圧力団体が注目するのほ候補者の政見で  

あって彼が何れの政党転所属するかとrいうことではない︒かくの如く圧力団体は選挙に際してほ白ら候補者を立て  

ることなく︑自らは政党の外部にあり乍ら︑政党の候補者を支持する訳である︒しかも﹁政党とは︑如何なる政治  

的動物でも潜り込み得る貝殻か︑或は︑人々がその荷物をもちで乗込むバス紅比べられる︒教狛なもの′ほ相対立す   

(11)

7  2  る二つの会社の単の中に席をとって居る ー そうすれば彼等ほ目的地に到達することが確実なぁだ﹂と云われる様  

に︑圧力団体は二大政党の双方を同時に支持する事さえ稀ではない︒更に圧力団体は選挙に際して活動するだけで  

はない︒議会の議場に於て︑或は議会外に於て︑議員に庄力を加え︑行政官庁に働きかけ︑裁判官に対してすら影  8 2  響カを及ぼさんと企てるのである︒所で合衆国政党制が地域主義に立脚し︑二大政党がそれ′丹1−あらゆる社会的利  

害の混合体であり明確な政策綱領を持たず︑更に党規律も確立して居らないという基本的性格をもって居る限り︑  

庄力団体の威力が十分に発揮される諸条件がほゞ完全にそろって居ると見てもよいのである︒しかし乍ら︑斯く  

云う事は︑あらゆる圧力団体が成功しその目的を達し得るという事ではない︒合衆国二大政党が根本に於て有産老  

の利害を代弁するものである限り︑有産者独裁の現存秩序の中に於ける個々の資本家的利害に関してほ圧力団体は  

その目的を達し得ようけれども︑労働者乃至は農民の利害が現存秩序に対する反抗遊動の形に組織されても︑むし  

ろ殆んど見るべき成果はないであろう︒かくの如き反抗運動はむしろ政党組織と結びついた形で進められねばなら  

ないのでほないか︒   

巌後に第三の手段として小党の組織がある︒小党は率ね南北戦争後に於ける︑二大政党の名に於て行われるビジ 9  

ネスの独裁的支配に対する西部農民及び労働者の反抗運動として性格づけられるものであっでその意味では少数  

の庄力団体と排他的に結合したものであった︒むしろ二旧道切に云うならほ︑小党は圧力団体そのものの激発的政  

治運動であったと云えよう︒レヤシーシューィダⅠの如きは︑小党は︑ワイスコンレンに於ける進歩党やノース︒  

ダコタに於ける知覚派同盟︵ぎn・Partisan訂agu且のように地方的には政権掌握に成功することほあっても︑合衆国  

政治軋於ける最大の獲物としての大統領の選挙にほ常紅惨敗を練返して釆た事実から見て︑小党の本質ほ政党では  0 3ヽ . 

一山   二党制に於ける小党の意義  

(12)

山二  第十七巻 第二号︑  

れども︑われ′1がここで圧力団体とは一応別箇紅小党をとりあげるのほ︑合衆国の小党が如何に触感省の利害団  

体と密按に結合したものであるにせよ︑小鬼も角それが政党として広汎な政治問題についての綱領を発表し候補者を  

立てて政治権力を争う政治観織であって︑仙般の庄力団体の道動型態とは区別されねばならぬからである︒のみなら  

ず︑政党が二足の政策綱領を掲げてその実現を期し︑その為の手段として政権の掌握を争うのほ︑政党本来の建浦  

であって︑政党ももと′\政熊田体なのである︒ただ合衆国二大政党がこの国の特殊の諸条件のために政策団体マ  

してこの性格が曖昧となって居るから︑政党の他の契機としての政権とスポイルスの争奪という点が強く表面に視  1  3  れて居るのにすぎない︒従って小港が政策団体の性格をもつから政党ではなくて圧力団体であると論ずるのは適当  

ではない︒   

以上の如く有盛者独裁の現存秩序に対する民衆の不満は合衆国史上屡組織されて前述三つの何れかの形k於て政  

治的に表現されたのであっ㌢小党の組織がその中の最も重要なものであったか否かは別として︑合衆国政治に於  

ける小党の意義の∵つがこの様な忘られた民衆の不満の排け口としての機能にあったことほ否定することほできな  

い︒一九三八年に於てオートマン及びグラッチェ日ソー︵︼芦E.G詠manandF.句いB−acEy︶は﹁政党ほ現在の如く民  

衆の社会的経済的生活が不安定︑変化︑変形の状態にある将に特に発展しやすい棟に思われる︒即ち︑政治的︑経  

済的制度が不安定であり︑事に処する方策紅関して意見の相遵が甚しい時代には政党の数は増加する傾向にある﹂  

と述べて第融次大戦後の欧州大陸諸国での小党群生の例をひき︑又︑﹁致果的な第三党が我国で発展することが期  

り︶ 3  得せられ得るのは︑経済的社会的不安が広く報って居る時に限る﹂と主張して居るが︑これほ逆に苧且ば小党が社  

会的不満の排けロとして発展した事実を指摘するものと解し得よう︒しかし真の問題は﹁不満の排け口﹂というこ  

との意義にある︒鬱積した社会的不満はやがて爆発するであろう︒ 

(13)

ーは議会制及び政党組織という現存秩序の枠をつき破って荒れ狂うかも知れない︒小覚め組織はこの繚な﹁危険な﹂  3  3  エネルギーに対してその逃げ場を与えそれを放散ヰ.せる為の安全弁の役割をもつであろう︒小党ほ社会的不満をそ  

の原動力とするものであるけれども︑それほ決して不満の根源を衝き得るものではなく︑極言すればむしろ・鬱積し  

た不満を雲散霧消せしめる為のものであるかの如く見える︒  4  3  合衆国に於ける小党の意義の第二は︑小党が新政搾の掟示者として果した重要な役割に関する︒合衆国二大政  

党は専ら政権争奪を目的とするものであって︑有権者多数の支持を得て選挙戦に勝利を収めるが為には︑あらゆる政  

治問題に対し特に社会的諸利害が互に相対立して居る様な重大問題に対して特定の明確な態度を示すことは決定的  

な不利を招くこととなろう︒蓋しそれほ甲の熱烈な支持を得る単にはなろうけれども之に反対する乙の支持を失う  5  3 ことを意味するからである︒かくて二大政党の政綱ほ一﹁興ったレッテルを貼?た二つの空瓶︼の如く相互紅殆んど  

区別せられ得ぬ様な曖昧且つ漠然たるもむとなるのである︒しかも斯く曖昧な政綱によって有権者多数の支持を得  

ることに成功するという夢は︑二大政党が政策実現よりはむしろ政権争奪の組織にすぎないこと︑と同時に有産者  6  3 の利害と結びついた少数の職業政治家が二大政党の名によって民衆を操縦し得ることを意味するのである︒これに  

対して小党ほ二大政党転よって﹁忘れられた民衆﹂の利害と意思とを代表して産業の統制を要求し或は政治過程め民  

主化を叫び或ほ社会的弱者の保護を求める等︑明確にして異体な政綱を掲げて︑その旗職の下に虐げられた民衆の  

エネルギーの結集を期待するものである︒而してかかる政策綱領Ⅵ実現の為に政権を蟄握せんとして選挙軋勝敗を  

争うのであるけれども︑小党が選挙に於て勝利を占め政権を掌握することによってその政策を遂行し得る可能性は  

先ずないと云ってもよい︒小党の掲げる政策の実現せられるのはその様な形に於てではなくて︑大政党を通じてな  

されるという奇妙な過程をとるのである︒即ち小党が明確な政策を掲げて活発な活動を開始するとき︑鬱積して拗々  

二党制に於ける小党の意義  山三   

(14)

山四  第二十七巻 第二号  

たる民衆の不満が組織されて一大政治勢力にまで急速に発展を遂げたとき︑二大政党は到底これを紙祝し柑ずとな  

し︑民衆を宥和しこれに譲歩することによって小党に紡織された不満のエネルギーを放散せしめ得ると判断した場  7  3  合には︑小党の政策を盗用して自己の政綱軋加えるのが常であった︒ここに於て曽て小党を支持した民衆も政権獲得  

の見込のある大政党を支持することによって政策の実現を期するのが現実的態度であるとするに至り︑小党は民衆  

の支持を失って急激に衰滅に向うのである︒ここに︑政策を生命とする小党と政権を本位とする大政党との皮肉な  

矛盾関係がある︒この現象は︑他面から見れば︑革新的な小党が自らを殺すことによって︑かえって大政覚の畢  8  3  新を促進する役割を果して居るものと見ることもできるの︑であって︑実質的にはむしろ小党の勝利を意味すると解  

することすら不可能ではない︒キイ︵くけ〇.key︶が山九一二年選挙を評して︑﹁ある意味では︑進歩覚こそ真の勝  9  3  着であった﹂と述べて居るのほその様な立場に於てであると云えよう︒   

もとく小党のとりあげた政策であり其後に於て遂に立法化せられるに至ったものとしては︑反エフスエ且弦︑  

累進所得税︑失業保険︑老令年金︑郵便貯金制度︑奴隷解放︑禁酒︑聯邦通商委員会制渡︑婦人参政権︑直接予選  

制定︑上院議員の直接選挙︑一部の州に於けるイニシアティブ︑レフレンダム︑リコール等の直接民主制等々があ  

る︒しかし乍ら︑此等の諸制度の全部が小党のカのみによって英現せられるに至ったも・のと解するのほ必ずしも適  

当ではなく︑これ等ほ小党が時代に先がけて主張し要求したものであったが︑其後時代の趨勢と共に民衆によって圧  

倒的に支持を得るに至ったとき︑大政党も遂に之をとり′あげざるを得なくなって︑その結果として実現せられるに至  

ったものであることは前述の如くである︒エゲイング︵C−A.M.Ewing︶の如きは︑﹁過去仙世紀の間の我国の重  0  4 要なる政治的改革のすぺては分裂政党の︑時として熱狂的な努力の結果であっ空と主張して居るけれども︑これに  

対してセイト︵E・M・どt︶は﹁州際通商の規制︑支那移民の排除︑郵便貯金︑聯邦所得税︑上院議員の直接選挙︑婦   

(15)

11  

人参政権等の如く後に立法化されるに至1た多くの政策を小党が推進したという事ほ︑その影郷山力が決定的であっ  

たとかヾ或はそも/〜何等かの見るべき効果をあげたとか︑と云う事を意味するもの︑と解してほなら射い︒非政党       1 4 的な組織団体︵圧力団体を指す一円藤︶の芳が小党よりも贋強力であったのが適例であった﹂と述べて居る︒  

然し乍ら兎も角上述の如き新政舞は大政党によってその政綱中にとり入れられた事は事実でぁり︑而して︑それが  小党わ脅威の前に大政党が妥協せざるを絡なくなった為であるのか︑或ほ大政覚の兇大会に於ける政綱起草委員会  に対して圧力団体の圧力が加えられた為であるのか︑は必ずしも明確でほない︒しかも︑その前者であるとして政  

権掌握の際に政綱を現実に遂行するについて圧力団体の活動が何程かの影響力を及し得たか否かについても更に詳  細な検討を必要としよう︒しかし乍ら︑それらの政策ほ何れの場合に於ても小党がほぼ百万の支持者を結集し得る  に至って大政党の政綱にとりあげられたという事ほ︑その政策の実現について小党が全く無関係であった訳ではな  

い翠を意味する︒  

最後に小覚の意義の讐盲してあぐバきほ︑選挙た於ける小菟の機能に関する︒ホルコム︵H︒打︒邑e︶は分裂政  

党が政界再編成の契機となることがあるとして︑例えば奴隷問題についての奴隷制反対党︵F語幹i−ers︶の主張を  

二大政党の幹部が受入れることを拒んだが為に二大政覚ほ何れも分裂して政党再編成が行われたのであると述べて 2  

居るが︑この点に関する今日の通説ほむしろこれに反対であって︑例えばセイ一軍M・Sait︶は右のホルコムの所 4   

説を引用した後︑﹁しかし此点ほあまり強調されすぎる傾きがある︒奴隷制度拡張に対する反対派の政策ほ奴隷制  

反対党︵Fre2SOi−2a暑︶の存続する限り著しく一般の支持を得ることほなかったのである⁝⁝北ハ和党を生み出し      3  4  たのはカソサスネブラスカ法︵只ansas・茅野askaA旦であって︑Free筐訂r葦ほなかった﹂と述べ︑又︑ピンク  

レイ及びモース︵ぬi邑eyandMO旦も﹁現在の共和党が小党として出現したという従来の所説は誤りである︒山  二九   二覚制に於ける小党の意義  

(16)

一六  

第二十七巻 第二号  

八五四年共和党成立の.もとになった法案︵カンナスネブラスカ法を指す1円藤︶ が通過した後備か六ケ月にして  

4   4  

反ネブラスカ議員が下院で圧倒的多数を占めたのであった﹂と主張して居る︒この様に見るならば合衆国に於て小  

党が二大政党の一にまで成長発展した姪史はないと考えるぺきだと思われる︒と云うことほ︑小党ほ選挙戦に参加  

して政権を争うのであるけれども政権掌握の目的そのものを達成するこもは先ず不可能であるということである︒  

しかしこの事は小党が大統領選挙に於て何等の役割をも果し得ないものとして無視せらるべきものであるという事  

ではない︒事実ほむしろその反対であって︑小覚奴相均衡する二大政党の間に介在して選挙の結果に重大な影響を  

及ぼすことがある︒即ち︑小党の得票が二大政党の何れか一方のみに食込み︑しかもその勢力が二三の州のみに集  

エレククー穴  

申しており︑更にその二三州の選挙人の定数が相当の大きさをもつ.場合に於ては︑小党の得宗が屡形勢を逆転して  

5   4  

選挙の結果を大きく左右するのである︒例えば二八四四年大統領選挙紅於て︑自由党︵Liber﹇y Pa註y︶ がニューヨ  

ーク州のホイッグ党︵WhigPa認y︵から相当の票を奪った為に遂に民主党のポーク∴PO−k︶をして漁夫の利を占めさ  

せる結果となった如き︑又︑一入八〇年に於ても民主党ほグリーンバック党︵G蒜e邑ackPa苫︶と得宗を争ったが為  

に徒らに共和党に名を成さしめるに至った如きがそれである︒斯の如く小党が二大政覚の〟方から得宗を奪うこと  

によって︑そうでなければ当然勝者たるべき大政党を敗北せしめた例は決してこれだけでほなく︑山八四八年︑−八  

6   4  

八四年︑一九一二年︑一九﹂六年等の諸大統領選挙は何れもかかる性格のものであったと云われて居る︒山九四八  

年大統領選単に際して︑労働組合の指導者連が進歩党のウォールス ︵芦W邑a旦を断念して民主党のトルーマン  

︵H・Tr仁畠n︶を支持七たのも︑やはり右のような事態の将来を恐れたからに外ならない︒即ち︑労働離合の立場  

から見ればトルーマンよりほウォーレスの方がより好ましいけれども︑もし組織労働者が劇致してウ/寸−レスを支  

持するならば︑恐らくはウオーレスもールーマンも共倒れとなり︑結果とし︑て組合の最も好まざる共和党のデコー   

(17)

更に劃九四山年ニューヨーク市長選挙ぬついても同様の現象が見られた   イ六冒讃y︶を勝たしめるに至るであろうと判断し︑遂にウォーレス支持を断念し︑より少なき悪としてト﹁・ルーマ       7  4 ンを支持し之を当選せしめたのであった︒   

更に小党が選挙の結果に重大な影響を及ぼす場合として︑小党が独自の候補者を立てずして二大政党の一方の候  

︵=0  4 補者を同時に自覚の候補者上して指名する為︑これらの得宗合計が選挙の結果を左右することがある︒ニューヨー  

ク州選挙法紅よれば︑政党ほ他党の候補者を自覚の候補者として指名サることができる︒この制庚の下に於てアメ  

リカ労働党︵AmeriβnどbOrParty︶は二大政党の間に介在して屡その均衡勢力を決定し得る立場竺止ったのであ  

る︒即ち二九四四年大統領選挙に於てニューヨーク州の小般投票の結果は次の如くであった︒  

一九三八年知事選挙の結果も次の如く︑であった︒  

オドワイアー  

二覚制に於ける小覚の意義  

デューイ   デューイ   

ローズペルー  

レーマン   共和党候補者七して  独立進歩党候補者として  民主党候補者として  アメリカ労働党候補者として  

民主党候補者   

共和党候補者  民主覚候補者として  アメリカ労働党候補者として  自由党候補者として  

四仙・八   

八・九  

三九・四%   

七・九  

五・二  

%  四七・五  

㌃二.五  

﹁  

(18)

第二十七巻第二号  

ラガーディア  

所でキイ︵く.〇.只ey︶は︑大統領選挙戦に於て第三党がバランス・オブ・パワーを掌握したことが恐らく前後六回      9  4  はむったと云うヒックス︵出資浄s︶の主張に対して︑﹁その多くは証明できない﹂と述べて疑問視して居るけれども  

自然科学的実験によって﹁証明﹂できないことは勿論であるが︑しかし逆転かかる説明が十分に﹁合理的﹂でない  

とは断定で計ないと思われる︒  

四  

以上に於て合衆国政治に於ける小骨の意義を論じたから︑次に英国憲政に於ける小覚の機隠蔽ついて検討する︒一  

入三五年即ち英国に於ける近代的政党制の成立以来について見ると︑小党の果した役割として次の二点を特紅注目  

すべきものと考える︒その⁝は小党が新しく勃興し来った社会層の利害と意思を代表することによって政党分野の  

再編成を促進した事である︒その例としては︑マンチェスタト派と労働党とをあげることができる︒先ず前者は∴  

八三二年の第一次選挙法改正の結果主として都市の新興ブルジョア階級の利害を代表するに至ったものであり︑当  

時既にウィッグ党内部にあった急進派と授携して穀物条例の溌止を主張しっつあった︒一八望ハ年トトリ党の指  

者ピール∴謬e−︶が穀物条例を廃止するに及んで︑同党内部の反対派即ちデスレーリ︵Disrae−i︶に率いられる青年  英国派は彼等の党首ピールの﹁襲切り一を弾劾し︑ここ虹トーリ党はピール派︵P2e−ites︶を追放したのである︒鵬   

共和党候補者として   市統仙派候補者として   聯合市候補著として  

アメリカ労働党候補者として一九   一山九  

二    〇  

九 八 四 八  

ヽ−・・・・・・・・−−−−、 −−−−一一一  

計五二・九   一八  

(19)

八五二年及び山八五八年から五九年にかけて︑ダービー︵ロ叩旨y︶ 及一びデスレー・∵=ノとトーソ内閣が短期間介在した  

が︑それを除けば一八四六年から六六年に至る二十年間にわたって政権を掌握したのはウィッグ党であったが︑その  

間マンチェスター派議員との関係に於てウィッグ党ほおのずから二派に分れた︒﹂八五八年のマルクス︵K.Mar盟  

ほ次のように記して居る︒ ﹁トーソ覚は資族の名によって支配していた血貝族であり︑クィッグ党はプル汐ヨア  

㌢−の名によって支配していた螢族であった︒しかしプル汐ヨアジ−が自分自身の名に於て支配しはじめたときか  

らは︑ウィッグ党の役割ほ終った︒−−り党には︑ウィッグ覚を政権から遠ざけておくために︑ノときにはブルジョ  

ア政党に譲歩する覚悟がある︒だがそれは︑ウィッグ党の忍耐が尽きて︑これらの寡頭政治家が︑自分の階級の利  

益を救うためには保守主義者の陣列紅とけこまなければならず︑自由主義的利益の代表者になカぅとか︑独白の政  

党を作ろうとか云う伝統的な要求ほ捨てなければならないということを覚るまでのことである︒クィッグ閥がトー  

リ閥によって吸収され︑それらが共に新しいプル汐つア政党に対立する毘族的政党になったことート1そしてブル汐  

ヨア政党の方は︑白身の首領と白身のスローガンとの下に活動していること1これがイギリスでいま我々の目の  

前で生じて居ることである︒﹂しかし乍ら︑この事は決してウィッグ党という名称が消滅したことを意味するもので  

はなく︑ウィッグ党が地主的利害を代表する政党からブルジョア的利害を基礎とする政党へと変質した事を示す  2  5  ものである︒蓋しモーロア︵A・MaurOi且の云う様に﹁当の中産階級は︵ブルジョア階級をさす 一 円藤︶自ら政  

治に当る事を好まず︑職業的血貝族たちにその代役を勤めさせたがった﹂のであり︑したがって︑﹁プルジュアジ−と  

同盟したおかげでウィッグ党員たちがその風習の自由を犠牲にしたのに対し︑ブルジョアたちの方でもまたその思  

想上における急進主義を拗来した﹂のであっ宅マルクスも日く﹁ウィッグ党はプル汐︒アジ−即ち商工業的中間  

ヽヽヽヽヽヽ 階級の資族的代表者である︒プル汐ヨアジ−が彼等に︑昏族的家族のこの寡頭政治に︑政府町独占とあらゆる官職  

二覚制紅於ける小党の意義  山九   

(20)

二〇  第二十七巻 第二号  

の独占的な所有とをゆだねるという条件のもとで︑彼等は社会的また政治的発展の経過において︑さけることも延  

期することもできないものと証明されたあらゆる譲歩を︑中間階級に対しておこない︑また中間階級がこの譲歩を  3  5  かちとるのをたすける︒それ以上でもそれ以下でもない﹂︵圏点︑マルクス︒︶所でこの様にウィッグ党がブル汐ヨ  

ア化したということは何を意味するのであるか︒それは︑先ず小党として発足したマンチェスダー派がウィッグ党  

内に潜入して遂紅その党主導権を完全に掌握するに至った単を示すのである︒しかしそれと同時に︑ウィッグ党のブ  

ルジョア化ほ他面に於てほ党の分裂を生み出したのであって︑党内の保守的鼻族は党の変質に直面して断じて之に  

同化し得ず旧ウィッグ派として自由党化した党幹部に対立し︑その現れは一八六六年約三十名の旧ウィッグ派ほ保  

守党と協力して自由軍フッセル内閣を打倒するに至ったことにも示されて居る︒以上に述べた様に︑一八三二年の  

選挙法改正によって初めて政治的発言権を獲得した産業革命彼の新興ブルジョア階級の出現は︑先ず自由貿易と自  

由主義政鐸を強く主張する小党マンチェスタ﹂派の形をとって現れたのであるが︑その強化発展ほおのずか打政党  

分野の再編成を促し︑地主的貨族の政党であったクィッグ党はブルジョアの利害と翠求とを代弁する自由党へと変  

形を遂げ︑かかる対抗勢力の変化に対応してーーリ党は今や地主的資族の集中的勢力となりつつも﹁哲てのーーリ  

党のよう竺切の変化に反対することをせず︑イギリスの旧来の諸制度︵即ち王制︑上院︑英国教会︶に固執しっ  4  5 っも︑なお新たな状態がそれを要求する場合にほこれを修正することを妨げない様な近代的政党﹂としての保守党  

へと転身を遂げたのである︒  5  5  次は労働党であるが︑周知のように︑それは先ず自由党内部の一分派として出現したのであった︒即ち二八六九  

年設立された敷働改革連盟︵g︒宅Reどm訂ag凰は溜働組合会議︵→radeUniOnCOu邑;協力して山八七四  

年はじめて二名の代表を議会紅送り得た︒いち早く産業革命をなしとげて世界の工場として繁栄を誇った英国資本   

(21)

主義も十九世紀末共にほ漸く牡界市場に於けるその独占的地位を失い︑独占資本主義体制への移行と帝国主義的植  

民政策の強化が行われると共に︑他方に於ては労働者階級の生活の窮迫と政治意識の高揚はさま差\の労働団体や  

社会主義団体の満額な活動を促すに至ったのであり︑宛む二八六七年及び八四年の選挙法改正を械として︑労働者階  

級の代表は次第に議会に於て進出を見るに至った︒即ち彼等は小八八五年には十一議席︑八大年には十議席を得た  

のであり︑更に自由党内の分派としてではなくて︑やがて労働者階級白身の政党を組織するに至るのである︒即ち  

これまでほ︑労働者階級の代表議員は何れも自由党に所属し︑党内に於て個々の問題につき労働者階級の利害と要  

求とを党幹部に承認させることによって目的を達して来たのであるが︑やがて労働者階級の政治的意識が高儀する  

につれて︑自由党のもつ限界内払於ては漸くその目的を達成することが困難となって遂蘇二八八九年にほスコット   

︑ランド労働党が結成され︑更に九二年選挙に於ては自由党所属の労働議員†二名と並んで三名の独立労働議員が選  

出されたのである︒九三年にほ独立労働党 ︵訂depende邑L払Our Party︶ が組織され︑更に⊥九〇〇年二月二十七  

日︑労働雑合会議︑社会民主聯合︵許詠−謬mOCraticF乳eratiOn︶ 

労働党から成る労働代表委員会 ︵LabO焉邦epresentatiOnCOmmit什ee︶ が生誕し︑ここに今日の労働党の基礎が確立  

したのである︒それほ年を遜って着実ぬ勢力の拡大強化を続けてゆくのであって︑山九〇六年にほ三十議席︑十  

年十月には四〇︑十二月紅は四二︑十八年にほ六〇︑更に二二年には一挙に山四二を選出して自由党を凌ぐ第二  

党の地位を占めるに至㌧た︒この様に労働党が次第にめざましく進出するにつれて︑逆に衰退の方向を辿るのが自  

由党であった︒即ち労働党が社会主義政党としてのその立場を明確に打亜して着々と発展をつづけてゆくとき︑乙  

に対抗し得るのは保守党であって自由党でほあり得ず︑自由党はおのずから分解作用を強めてゆかざるを得なかっ  

たのである︒斯の如く社会的経済的地盤に於ける英国資本主義の矛盾の教化ほ政治勢力として労働者階級の発言力  

二叫   二党利に於ける小党の意義  

(22)

第二十七巻 第一一号  二二  

を強化し︑有産階級ゐ利害を代表する保守自由の二大政党対立による有産者独裁の政治体制ほ漸く破綻して労働者  

階級の政治的要求を代表する労働党を析出するに至ったが数次にわたる選挙法改正を機として労働党が着実にその  6  5  勢力を拡大すると共に自由党の存在理由が稀薄となってその分解を強め︑遂に労資の二大勢力をそれ′ル\の基盤と  

する保守労働の二大政党対立へと変質するに至ったのである︒   

斯の如く︑英国憲政に於てほ︑マンチェスクー派の場合も︑又︑労働党の場合も︑社会的経済的地盤の激しい変  

化に伴い︑新しい階級的利害に立脚する新興政治勢力としての小党が次第にその勢力を強化するに至ったのであっ  

て︑或ほ既成大政党の一をその内部から同化変質せしめ︑或は外部から溶解分離せしめて之を摂取するという形に  

於て︑ノ結果としてこの国わ政党分野の再編成を促進したのであった︒   

次に第二に小党の役割として指摘すべきは︑小党が二大政党の間に介在してバランス︒オブ・パワーを掌握した  

事例である︒例えば一八重一年末︑ダービー︑ディスレトリのトーリ内閣を打倒したのは︑約六十名のアイルラ/ソ  

ド選出議簸であった︒周知の如く︑十九世紀に於けるアイルランド問題は︑旧教徒の解放︑代議制の改革及び土地  

問題の解決をめぐる深刻な重大問題であったが︑劇八五二年産†−り内閣の下で行われた総選挙紅於て︑アイルラ  7  5 ンド選出議員九入名の中︑政府を支持する省三八名︑政府に反対の者六十名であり︑同年末ディスレーリの提出し  

た予算案に対しアイルランド選出議員六十名は山致してこれを否決し︑−−り内閣は総辞職するに至ったのである︒  

この点につきマルクスの引用によれば﹁アイルランド・フリーマン女・ジャーナル﹂準は次のよう笹云う﹁いまは  

宗教の自由と小作人の権利とを獲得するうえに重大な時期である︒これらの努力の成否は︑いまではもはや大臣で  

ほなく︑アイルランドのフラグション紅かかっている︒′ダービー内閣ほ︑十九粟でたおされた︒もし十名が反対側  

に加担んていたならば︑事態はまったくちがっていたのである︒かような状態の場合にはアイルランド選出議員ほ   

(23)

同党は山八八五年から二九一四年に至る間︑パーネル ︵Parne−−︶の指導する約八十名の議員の葦固な紳織であって  

これについてほ次の三点を注意する必要がある︒その一は︑アイルランド国民党は殆んど純粋な地方的利軍に立脚  

する地方政党であった事である︒彼等の目標とする所は︑アイルランド自治法の控得であり︑それ以上でもそれ以  

下でもなかった︒彼等は英国議会の議員として︑英国の直面する様々の国家的イッシューについて討論し賛否の態  

度をとったが︑それは彼等の大目的との関聯に於てゞあった︒二つには︑アイルランド国民党が一時︑政界再編成  

の原因となったことである︒郎五二八八六年彼等の支持の下にグラブドストン ︵G−ad洛One︶ が国政を担当したので  

聖たが︑同年の議会に政府が自治法案を授出するや︑トチェツバレソ︵J・Cb邑eユ旦其他の自由党領袖は2を  

不満とし︑遂に自治法反対論者の山派は保守党と結んでグヲッドストソを打倒した後︑彼等は融合して統小党︵U已・  0  6  0nistPar首︶を組織したのである︒三つには︑自由党と保守党とがほゞ同勢力であった時期︑即ち二八八五年︑一  

八九二年から九五年に至る間︑及び一九一〇年から一四年に至る間︑アイルランド国民党は二大政党の間に介在し  

てカースティング・ポーーを掌握しぼゞ英国憲政を左右し得たのであった︒   

以上述べた如く︑英国に於ける小党の機能として見るべきは︑結局次の二点に帰着するのであって︑第刷ほ︑新  

興の社会層を代表する小党が政界再編成せもたらしたことであり︑第二ほ︑小党がそのものとして政権を掌握する  

二三   二覚制に於ける小覚の意義   8  5  全能である﹂と︒しかし乍ら︑厳密に言うならば︑上述の場合は政界再編成の過程が進行中であって二党側でない  審は勿論小党分立でもなくむしろ徒党群立の時期に当っておったのであるから︑小党が二大政党の間にあって決定  権を聾超した事例として挙げるのは必ずしも適当でほあるまい︒同株な意味で︑第二の政党再編成の進歩しっつあっ  た山九二四年に於て︑マクドナルド労働党内閣を崩壌せしめた自由党の決定権についても詳論する  

、   

い︒ただ劇八八五年以降のアイルランド国民党︵Iri浄N象Ona−ist勺arty︶ についてほ特にふれなければなら  

の  

適  は  

当  

な で   い59ほ 

0 な  

(24)

二四  第二十七巻 第二号  

ことはないけれども︑時として相均衡す 

一と取引してハイこれを支持する代償として自分の要求の∴部を実現することができたとい㌢射であった︒  

五  

政党は本来︑.社会的利害を国政に代表する民主的組織として出現したものであって︑その限りに於て︑封建的封  

鎖的な階級支配備制を打破する上に絶大な意義をもち得たのであった︒かくの如く政党ほ社会と国家権力とを媒介  

するものであったのであり︑その歴史的意義ほ貴族階級の伝統的支配体制の打破とい丸点からすれぼ流動的な社会  

的諸利害を政治的に代表する︐︺とにこそ認められるとしても︑その本質上︑社会代表と国政担当という二つの契機  

を含むものである︒しかし乍ら︑安定した資本主義体制が確立した諸国に於ては有産者階級の社会的経済的地位の  

絶対的優位性は︑政党の社会代表機能よりは国政担当械能を相対的鱒重要ならしめるのである︒何れも有産階級を  2 6  代表する所の二大政党による二党制に於て所謂﹁上を向いて居る政党﹂である所の二大政党の機能は︑社会的利害  

の政治的代表という事転あるのでほなく︑むしろ山般有権者に対して虚構の選択肢を与えることによって︑有産者  3  6  階級の二個の代弁者の問の政権の困皿廻し換言すれば有産者独裁をカムフラージュすることにある︒勿論︑有産二大  

政党が有産者階級以外の一切の社会的利害を代表しないと云うのではな小︒しかし︑彼等によっ.て取上げられる社  

会的利害の要求ほ︑実は資本主義体制の枠内に於ける有産者の利害と根本的に矛盾しな■い限りに於てゞあり︑しかも  

個々の要求が現実に取上げられるか否かはその場々の藤々の具体的諸条件如何にか1って居る︒こ1に於て︑二大政  

党によって代表せられ得ぬ社会的諸利害の不満の苗穂ほ彼等の政治的意識の高揚と共に遂に小党の形をとって爆発  

せぎるを得ないのである︒従って有産二党制下に於ける小党は本質的に革新道動の性格をもつものであり︑有産二大  

政党によって代表せむれ得ぬ﹁忘れむれた人々﹂の利害と要求とを政治的に代襲する夢にその主たる任務をもつ所   

(25)

の﹁下を向いて居る政党﹂たらざるを得ないのである︒然し乍ら︑この様な本質をもつ小党が英国労働党の如く二  

大政党の一にとって代って大政党としての地位を占め政権を掌握することに成功することが可能となるのは︑専ら  

その国の社会的経済的地盤の重大なる変動と労働者農民階級の政治意識の如何によるものであろう︒正紅かくの如  

き条件の成熟の見られない限ヰー1・合衆国労働組合史に於けるその一貫せる非政治的性格をみよ!合衆国小党が′  

政権葦握の可能性を全くもたず︑せい′付\新政葦の提示者としてのつゝましやかな役割に甘んじぎるを得ないのは  

当然であると云ほなければならない︒上にも述べた通り︑この国の小党が社会的不満の潮け口としてむしろ現存秩  

序の安全弁であり︑その意味では決して二大政党と対立する存在ではあり得ずむしろ二党制の必質的補充物とさえ  

見られる今日の触力さを脱し得るのは︑決して容易なことではない︒  

l︑拙稿﹁二覚制と多党制﹂H︑経済論叢二三巻山号参肴  

2︑苦し二党利下の小党と多覚制下の小政党とはそれ人\の政党制に於ける意義と本質とを異にするからである︒  

3︑C.A.M.Ewing−SOmeA竃eCtSOftFeAme旨anPartyBattle.in竜aユiamentaHyA認a−rS︒J5︼・隕n〇・−︵Winter−曾芯︶  

p.N−−   

尚シャツ斗て≠イダーの計界によれば︑完九六年から完三二年に至る間に於て︑合衆国大統領選挙戦軋参加した政党数は   

それネ\の年次に於て︑十七︑十四︑十二︑土ニ︑十一︑十山︑十五︑十二︑十五︑十一であったという︒E・E・ScFattschne宇   

er一Paユy GO完rnment.−思Nも・笥RObぎsOnリ The Presidenti巴<Ote﹀−諾料 金看︒  

4︑家永正章﹁米国の民主政治﹂昭二三年︑附録第七  

5︑≠〇.Key﹀ P01itics.Parties﹀ and P記∽S誓e GrO雇S﹀ 皆d ed・−欝○︶ p・N∽00  

6︑E.M.Sait−AmeコCan Parties aロP EiectiO宏一∽rd.L¢d⁚−めふN﹀ pp.N−−−N  

二党制に於ける小党の忠義   

参照

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(質問者 1) 同じく視覚の問題ですけど我々は脳の約 3 分の 1

を,松田教授開講20周年記念論文集1)に.発表してある

Considering the significance of today’s fatigue evaluations for adolescents and young adults, it is indispensable to have simple and rational scales for subjective fatigue symptoms

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また、視覚障害の定義は世界的に良い方の眼の矯正視力が基準となる。 WHO の定義では 矯正視力の 0.05 未満を「失明」 、 0.05 以上

[r]

に至ったことである︒