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清田幾生

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Eyeless in Gaza の背後

清田幾生

Brave New Worldに於てHuxleyは近代機械文明を鋭く批判し否定しな がら,それに対処すべき道を提出することが出来なかった.彼はこの訊刺小説 に於て,それまでの自己の思想をも否定しなければならなかったからである.

そういう意味ではこの作品は作者の思想の空白を示すと共に,その転換の時期 を物語るものであった.それから四年後に発表されたEyeless in Gazaは, Huxleyの思想的転向をはっきりうち出したものである.この作品で彼は二 重の意味で大きな変貌を示した.彼個人については神秘主義‑の傾斜を示すこ

とであり,社会的な意味では,それに基づく平和主義を唱道することである.

Huxleyの変貌はこの小説の主人公Anthonyの転向を通して物語られる.

Anthonyの断片的な生活記録は,一つの小説技法により時間的前後関係をば らばらにして配列されている.作者が予期したその技法の効果を無視してそれ を年代順に整理し並べてみると, Anthonyが転向を行うまで幾つかの局面を

‑てきたことが明らかとなる.それぞれの局面から描かれた場面乃至会話をと りあげ,以下それと作者との関係を述べ,この転向について論じることにす る.

「1

この作品が転向の記録であるとすれば,転向以前の世界が一つの反省さるべ き状態として描き出されることは当然考えられる.転向を行う者の過去の姿勢 が,それを否定するか少くとも乗り越える状態として提出されなければならな い.そういう過去の姿勢として,主人公AnthonyがOxfordの学生時代に 行う或る友人との会話をとりあげてみたい.

Anthonyと中学時代から仲のよかった友人にBrianがいる.敬虜なキリ スト教徒の母によって育てられたBrianは,吃る癖があるが,自分を犠牲に

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しても自ら正しいと信じることをひたむきになって実行する人物である.この 禁欲主義的なBrianの潔癖な性格と,何事にも一歩距離を置いて冷笑的な見 方をしながら一方では自分の欲望を適当に満足させているAnthonyの懐疑的 でかつ享楽主義的な性格が著しい対照をなしているBrianは或る時Anthony を非難して言う, 「君はちょうど兎と一緒に逃げながらその兎を犬と一緒に狩 りたてゝいるのと同じだ.宗教や理想主義をやっつけるのに懐疑主義を使い, 科学的議論を否定する時には神秘主義をもち出す.首尾一貫した所(consis‑

tency)やひたむきな態度(single‑mindedness)がないではないか」

̀But I don't value single‑mindedness. I value completeness.

I think it's one's duty to develop all one's potentialities‑α// of

them. Not stupidly stick to only one. Single‑mindedness!'he repeated. ̀But oysters are single‑minded. Ants are single‑minded.'

̀B‑but h‑how can you d‑do anything if youre not s‑single‑

minded? It's the Lfirst cond‑dition of any ach‑achievement.' 'Who tells you I want to achieve anything? asked Anthony.

̀I don't. I want to be, completely. And I want to know. And So far as getting to know is doing, I accept the conditions of it, single‑mindedly/ (p.121)

Anthonyのこのsophisticatedな言葉の中に色々な意味でHuxleyの中 期までの姿勢を読みとることが出来る. Huxleyほい⊥意味でも悪い意味でも 物事にとらわれない資質をその性格に持っていた.凡ゆる束縛にとらわれずに 一段高い所から人間や社会を冷やかに観察するというのが彼がもって生れた素 質であった.この傾向は彼にあっては常に懐疑というものと表裏一体をなして いる.懐疑主義が彼を旧式な思想や古くさい偏見から解放し,解放された知性 が彼にますます懐疑と批判を行わせた. Huxleyの初期の小説に見られる痛烈 な皮肉も軽妙な訊刺も凡てこの素質から発している.しかしながら懐疑だけで は何も生み出さない.凡ゆる物の価値を疑う結果,残るものは虚無とペシミズ

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ムだけである.たとえば初期の小説Antic Hayに於て大戦後の伝統的な道徳 体系のくずれた時代を背景に,何かの価値観にしがみつく人々を見事に訊刺し たが,作者はその真で深い絶望を味わっていた筈である.

彼のい⊥意味で束縛されないという傾向を,人生態度の根本をなすpositive な思想にまで発展させたのが,中期に提出された「生の讃美者」 (life‑wor‑

shipper)の説く1)である.これはHuxleyの中期までの人間観の総決算ともい うべきものである.

この説は,その根底に「単一」と「多様」という分類法があるが,先ず,人 間の生は,その内部に互に矛盾し合う様々な要素(多様)を持っている,とい

う考え方から出発した.精神的なもの,肉体的なもの,理性的なもの,本能的 なもの,こういう多様な可能性が人間の内に秘められている.この無数の可能 性から一つだけを選択し,重んじること(単一)は,他の凡ての可能性を無視 し,犠牲にしてしまうことになる.それは生の全的な発展を妨げることであっ て,無視されたものは生全体に歪みを蘭し,裂分をUEることになる.そこから 様々な悪弊が生じる.人間性というものは一貫したものではない.生のもつ多 様な局面をまず事実として認め,精神,肉体,理性,本能,こういうものの多 様な可能性を烈しく瞬間瞬間に発揮すること,これが生の目的であり,完全な 生き方である. Huxleyは, 「生の讃美者」は意識の上に現われたどの自己を も誌め,それぞれを過剰と過剰の調和のうちに十全に発展させる,と主張した.

この説はかなり大胆な享楽主義ととれないこともない.しかしこれはモラリ ストとしての当時のHuxleyの一種の反抗精神の現われでもあり,現代社会 の文明文化が人間に強いる歪みからの人間性の奪回を意図している.その反抗 精神は,魂の重要性を主張することにより生に歪みを蘭したと彼がみるキリス

ト教や,科学に対する楽天的な信頼から発した産業主義文明など‑向けられた ものなのであった.

引用したBrianとの会話に於けるAnthonyの言葉にも「生の讃美者」の 説につながるものがあるが,彼がconsistencyやsingle‑mindednessを冷 笑する背景には,彼がそれらを「単一」として捉えていることがある.しかし,

この説には生の内部に潜む筈の悪の問題,またそれが当然外部に及ぼす筈の影

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響の問題には何の考慮も払われていなかった.このpaganismは当然人間の 内部にある様々な邪悪な欲望をも肯定しなければならなくなる. Anthonyの 場合,完全な自由を欲する彼の束縛されまいとする態度がnegativeなものを 生み出した.束縛を忌避する気持が彼に暖味で無責任な行為をさせ,それが友 人Brianの不幸を招いたAnthonyはある人物に唆されてBrianの恋人に 接吻し,それを知ってBrianは白殺したのである. Anthonyは友人の自殺の 責任が自分にあるとわかる証拠を凄滅し,疾しさを感じながらもこの事を誰に も告白しない.しかし,この事件は深く彼の記憶に残り,自分の人生態度の基 盤をなす物の考え方に不安を覚えるようになる.

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Anthonyのこのような不安を決定的なものにし,自己改造の発端に導くも のが,後年彼が43才になってすでに学者として世に立っている時の事件に見ら れる.この時AnthonyはHelenという夫ある女性と関係を持つに至って いる.しかし彼はHelenを肉欲の対象としてしか見ない.二人の問に精神的 な感情が成立すると,どんな「感情の泥沼」におちこみ,どんな責任をかゝえこ む羽目になるかも知れないからである.愛を束縛と考えるAnthonyは,以前 から自己に割り当てた̀detached philosopher'0の役を演じつゞけ,彼女と の関係を̀detached sensuality'(;にとゞめている.二人が地中海に臨む彼の 家の屋上で日光浴をしている時,頭上をかすめて通った飛行機から突然一匹の 犬が投げ落される.犬は裸でいる二人の近くに落下し,二人はその血飛沫を全 身に浴びて真赤になってしまう.冷やかな口吻で風呂に行くことをすゝめ,

「君はマクベス夫人みたいだ」などと言うAnthonyの冷酷な態度にHelen は傷つき,屈辱感におそわれ,両手で顔を覆って泣き出す.その時,

Pity stirred within him, and then an almost violent movement

of love for this hurt and suffering woman, this person, yes, this

person whom he had ignored, deliberately, as though she had no

existence except in the context of pleasure: Now, as she knelt

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there sobbing, all the tenderness he had ever felt for her body, all the affection implicit in their sensualities and never expressed, seemed suddenly to discharge themselves, in a kind of lightning flash of accumutated feeling, upon this person, this embodied spirit, weeping in solitude behind conceiling hands, (p.154)

Anthonyがこうして初めて相手を̀personとして認め,愛に目覚めた時, Helenはこれまでの彼のegoismに耐えられなくなり,彼をすてゝ去ってし

まう. Anthonyは,他人の苦しみに無関心であった今までの自己の非人間的 な態度に気づかされる. ̀detached'という語にあらわされ,それが彼の人生 態度を支えてきた精神の姿勢が崩壊してしまうのを知る.二人の上に突然落ち てきた醜悪な犬の死骸はこれまでのAnthonyの生活と考え方を象徴するもの であろうか.

こゝに提出されている事柄は必然的に「生の讃美者」の説に関係してくる.

引用した文にAnthonyのHelenに対する急激な感情を表わす語として, pity, love, tenderness, affectionという語が用いられていて,こゝではや

ゝ具体性に欠けているが,この裏に人間的な自然な感情を前にして,「生の多様 を出来るだけ発展させる」という姿勢が,かえって人と人との結びつきを不可 能にしたのである. 「生の讃美者」の説に於ける「多様」の限界がこ上に,

「無関心」として,またBrian自殺の場合には「無責任」として捉えられ, いずれも人間関係に分裂(Huxleyにあっては「分裂」は「悪」を意味する) を蘭らしたものとして提出されているAnthonyはこれまでにpityやIove というpositiveな感情を経験したことがなかったAnthonyだけでなく, Huxleyの初期から中期までの小説に描かれた人物でこの感情にこれ程ゆすぶ

られた者はいなかった. pityやIoveは殆ど常に皮肉か訊刺の対象でしかな かった.これまでのHuxleyは,たとえばpityに優越者の劣等者に対する 偽善的な感情(4)を見たし, loveは性そのもので色情以外の何ものでもなかっ た.この作品で作者がこのpositiveな感情を真剣になって考えなければなら ないということは,明らかに彼の変化を示している. Helenに去られでl奥悩す

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るAnthonyの姿はHuxleyの思想の危機を定着しようとしたものであろう.

(∃

Anthonyは安易ではあるがあさましい世界に住んできた自分を「穴の中に いる男」 (a man in a burrow)(5)として自覚する.そこから脱出する契機を 彼に与えてくれるのが友人のMarkであるMarkは生活のむなしさに嫌気 がさして,自己を過激な行為に置くことによって生き甲斐を見出そうとしてい

る∴過激な行為とはメキシコの暴力革命に身を投じることである.彼に勧めら れてAnthonyは,行為が今の行詰まりの打開策になるかも知れないと思っ てMarkに同行することにする.メキシコに着いて,二人は目指す目的地ま で馬に乗って苦しい旅をつゞける.その途中Markは落馬して足に怪我をす

るがかなりの重傷なので, Anthonyはしばらく休むよう忠告する.しかし Markは自虐的なまでに自己に固執し,革命の目的地‑急ごうとする.その足 の傷はとうとう壊症になりMarkは高熱を発し動けなくなる.

さて,こゝで注目されることは, Markの抱いていた理想ないし観念の無意 味さが,作者のnegativeな肉のイメージで提出されていることである.暴力 革命に身を委ねようとして,メキシコの土着民を「昆虫」としか思っていない Markの行為と思想が,こゝに壊症という肉体の醜悪を蘭らしたのである.

そして彼の理想は,この壊症という肉体の現実の前に敗北してしまったので ある.ある観念や理想を作者が否定するのに,その観念や理想に彼が見る歪み を,そのまゝ肉体に投影させることは, Huxleyの小説には屡々見られる.こ れはMarkの場合だけではなく,自殺したBrianについても言えることで ある.敬慶なキリスト教徒の母親がBrianに強いた極度の精神偏重主義的教 育が彼の心に禁欲主義的で病的な潔癖を作り出して, Brianは恋人に対する自 然な感情を動物的な欲情と解していたのである.そのために彼は自己嫌悪に陥 っていて, Anthonyの無責任な行動により,生きる自信をなくしてしまった のであったMarkとBrianに見られるようなこの図式は, Huxleyの以前 の小説に於ては訊刺や抑旅の対象に用いられている.しかしこの作品に於て ほ,訊刺や抑輪が無い代りに,その背後にあった作者のペシミズムや嫌悪感の

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ようなものが露骨に現われている. Brianの自殺, AnthonyとHelenに落下し てきた犬の死骸, Markの足の化膿とそれにつゞく切断,これらはそれぞれが 一つの因果応報としての結果なのであるが,この種のnegativeな肉のイメ〜

デは他にも随所に描かれていて(6))この作品全体に一種陰惨な印象を与えてい る.時々はその必然性があまり感じられないものもあり,確かに̀gratuitously offensive'^7'である.この事実は作者の性格,そしてその転向に至る過程につ いて考えさせる.

こゝにこの作品にあらわれた肉にまつわる不快な場面を二つとりあげ,作者 の自画像的人物Anthonyのそれに対する反応をみてみよう.その一つは Markの怪我した足を見ているAnthonyの感情である.

The whole knee‑cap and the upper part of the shin were skinless red flesh, grey, where the blood was not oozing, with dust andgrit. On the inner side of the knee was a deep cut that bled profusely.

Anthony frowned, and, as though the pain were his own, caught his lower lip between his teeth.

A pang of physical disgust mingled with his horrified sympathy.

He shuddered, (p.529) 〔イタリック体筆者〕

もう一つはAnthonyとHelenが落下した犬の血飛沫を全身に浴びた場面 の, Anthonyの反応である.

̀Yet another reason for disliking dogs, ehe said, and scrambling to his feet, looked down, his face puckered with disgust at his blood‑bedabbled body, (p.153) 〔ィ.クリック体筆者〕

このAnthonyのdisgustという反応は意味深い.この作品に於て,何ら かの思想乃至人生態度を代表する重要人物がいずれもこの種のnegativeな肉

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のイメーデで描かれている以上,彼らの思想乃至人生態度に対する作者の感情 は,このdisgustという否定的な語にあらわされている.そしてそれ以前に, このdisgustという語は,肉体というものに対する作者の感情にもつながっ ていると思われる. Anthonyのこの反応は,そのま⊥作者が自己を含めた現 実の人間や社会に対する嫌悪感を示している.この作品にこの種のnegative なイメーデが随所に提出されていることがそれを物語っている. Huxleyが現 実の世界を見る目は極めて暗い.ペシミズムと嫌悪感は,現実の世界に対する 失望を生み出し,当然それは一つの幻影とみなされるであろう.それにも拘わ らずこの作品に於けるように,苦々しい思いをしながらも作者は不快な現実を 執軸に描かなければならない.このことは,作者の病的な傾向を別にして考え ると,嫌悪感と'失望の背後で人間の歪みや社会の病弊を作者が真剣に危機とし て受けとり,そして,少なくともその矯正をねがっていることを意味する筈で ある.現実の世界に対する生理的反応が嫌悪であるにも拘わらず,その歪み や病弊の矯正をねがう時,その矯正の思想の根底となる価値観は当然,現実 社会から離れた所に,人間の肉体を超えた所に求められなければならない.

Huxleyは以前から神秘主義に対して時折興味を示していたが,かって「懐疑 家にとって神秘主義は理想の宗教である」(8)と述べたことがある.彼が一つの 明白なpositiveな態度の表明を迫られる時,その価値観を神秘主義に求める 過程はこうして現われてくる.それは必ずしも彼が神秘主義を自己の情緒的な 経験として受けとめていることを意味するのではない.この懐疑家はあくまで も知性の人であり,その思考方法は科学的分析的なものであった.そしてこの 合理主義的な傾向は,彼が到達した神秘主義の性質をも決定することになる.

m

行詰ってしまったMarkとAnthonyをその窮地から救って呉れたのは Millerと名のる医者であった. Markが身を投じようとした暴力革命とは対 照的に, Millerはメキシコの土着民に医療を施しながら殺伐な彼らに平和の 尊さを教えているAnthonyがMillerから受けた影響は非常に大きかった.

Markの禁欲主義とその行為は彼自身のためのものであり,彼は自我に執着す

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ることによって結局失敗したMillerはAnthonyに自我を超越することを 説く.彼と過すうちに,今まで否定的な考え方をしてきたAnthonyは消極的 で無責任な自己を積極的な参加者として統一しようと決心する.彼は後に自分 の日記にこう書きつける.

Query: how to combine belief that the world is to a great

extent illusory with belief that it is none the less essential to improve the illusion? (p. 86)

そしてこの二つの信念を結びつけるものが彼にMillerが説いて呉れたもの であった. Anthonyは,英国へ帰って平和主義運動を起すMillerと,行動 を共にする決心をする.平和主義運動とは,当時の全体主義的な国家の激しい 動きが蘭した不穏な政情にあって,神秘主義にもとづく人間の統一と平和を目 的とする非暴力の運動である.或る日Anthonyが平和主義の講演に行こうと している時,その講演の中止を要求する右翼からの脅迫状がとゞく.彼は一瞬 恐怖におそわれるが,この困難な仕事が第一歩になると決心し,自己の到達し

た統一(unity)の思想をかみしめながら講演に出かけることに決める.

Unity of mankind, unity of all life, all being even… Life and

all being are one‥ Evil is the accentuation of division; good,

whatever makes for unity with other lives and other beings‥.

(p. 612‑14)

この小説はAnthonyが平和主義者として勇気ある行動を決心する所で終っ ている. Anthonyの急激な変化には驚くべきものがあるが,その転向の過程が 読者を納得させるように描いてあるかどうかについてはかなりの疑問がある.

罪‑に, AnthonyがメキシコでMillerに会い,彼の感化を受け,自己を改革 しようとする内的な部分が描写として提出されていない.そのためAnthony の転向の前後に一つの断絶が感じられるのである.第二に,とりわけMillerと

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いう人物の描写が不充分で,彼が生きた人物として読者に説得力をもって迫っ て来ない.この人物がAnthonyの転向の前後を結ぶ重要な役割をする筈であ るだけに,これは致命的なことである.この作品を小説として見た場合の評家の 批判はだいたいこゝらあたりに向けられている.しかしともかくも転向は行わ れたのである. Anthonyはこれまでの「あらゆるものに対する否定的態度」

を乗り越え, Miller的な人生態度を選択したのである.そして平和主義者と なったAnthonyの姿は,そのまゝ, What Are You Goingto Do about If? (1936)という長文のパンフレットを発表して,神秘主義に基づく平和主義 を唱道したHuxleyにつながっている.

Huxleyを神秘主義に傾斜させた最大の原因は,恐らく1930代のヨ‑ロッパ 全域に見られる戦争の脅威であったと思われるWhat Are You Going to Do about lt?は,丁度エチオピアを便略したイタリヤに対する制裁問題が英 国でもやかましかった時期に書かれ,その問題もこの書の中に言及されてい

る.ドイツ,イクリヤ,日本などの激しい動きが険悪な情勢を作り出し,新た な戦争‑の不安が世界中に拡まっていた時である.ナチズム,ファシズム,ま た共産主義などについての言及はEyeless in Gazaに於ても見られる.香 応なしに大に明確な態度の表明を強いるこの戦争の脅威に直面して, Huxley も他の同時代の作家と同じように自己の態度を決定しておかねはならなかっ た.

このパンフレットの中で著者に凡ゆる方面から,戦争は人間の意志によって 防止出来るものだと例証する.平和という目的のために戦争や暴力という手段 を用いることは何の解決にもならないとし,手段が目的を正当化するという立 場から,たとえばイタリヤ制裁に反対している.当時のヨ‑ロッパの政治の緊 張にふれて, 「持てる国」が現在の状態を維持しようと努める限り戦争は不可 避だとして,国際会議を開くことを提案し,それによって世界の資源,領土,

経済などについて公平な再分配を考え, 「持たざる国」の不満をとり除くよう 主張した.この考え方の根底に,善意を以て遇すれば相手も善意を以て応えざ るを得なくなる.という発想がある.この書の中でHuxleyは平和主義者の 信念を次のように述べている.

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The spirit is one and all men are potentially at one in the spirit. Any thought or act which denies the fundamental unity of mankind is wrong and, in a certain sense, false; any thought or act which affirms it is right and true. It is in the power of every individual to choose whether he sha】1 deny or affirm the unity of mankind in an ultimate spiritual reality.^ 〔イタリック体筆者〕

「凡ての人間は精神に於て一体となることが出来る」ということがAnthony が観念的な言葉で̀unity'と述べたものであるが,こゝでは「究極の精神的実 在」 ̀an ultimate spiritual reality'という言葉に注目される.これは, Ends and Means (1937)に於て,現象界の基底に在ってそれに何らかの価 値や意味を与えているものだと説明されている. Huxleyによれば,この「究 極の実在」との合体の境地に於て現象界の多様なものが統一されることにな り,従って人類の統一もそこで可能になってくる.そしてこれを体得し,人類 の統一を目指すに至る境地として,無執着(non‑attachment)というものが 説かれる.様々な人間的欲望や世俗的感情への執着をすて,凡ての徳目を実践

して「究極の実在」と一体になった時,始めて自他との合一(unity)が完成 される. Eyeless in GazaでAnthonyは,愛,憐欄,理解など,この

̀unity'に向うものは善であり,高慢,憎悪,怒りなど分裂(separateness) に向うものは悪であるという.彼が志した平和主義は,この̀unity'を混乱し た世界に実現するための連動である.

「生の讃美者」の説に於てHuxleyは多様な可能性を発揮することによる 生の充実を主張した.しかし人間の欲望の凡てを認めると,その内部にある破 壊的な要素まで肯定しなければならなくなってくる. 「多様」は実践というも のを考える時に何ら指導原理になり得ない. Huxleyが戦争の脅威に直面し

て,自己の態度を表明しなければならなくなった時,責任ある行動をとるに は,自己とその思想に一貫性(consistency)を与え,それらを統一しなけれ ばならなかったEyeless in Gazaを発表する以前に彼は平和主義運動に類 することを行っている(10)が,その態度を明確なものにするには,まず「生の讃

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美者」に於ける「多様」を否定してかゝらねばならない. Huxleyの転向は避 けられないものであった.この小説に於て,こうしてBrianの自殺事件や, Helenとの事件に,剰那剃郡に「多様」を生きようとしたAnthonyは「無

責任」と「無関心」として捉えられ,謂わは自己の反省の姿として描かれるこ とになる. Anthonyは転向をする時に,多様を生きようとした自己の内部に 或る意味で「権力‑の意志」や「独裁者の楽しみ」(ll)があったことを反省する が,こ上には当時のヨーロッパに於けるファシズム,ナチズムなどの激しい動 きに対する作者の反応がはっきりと読みとれる.戦争などのない社会を作るに は組織や制度の改革よりもまず個人の内部の改革が先だと見るHuxleyは,社 会の混乱の原因を個人が自我を主張しすぎる所にあると考える.この小説に於 千,暴力革命を志ざすMarkを自我‑の執着として捉え,それと自我を超越 するものとしての神秘主義を対比させたMarkの暴力革命‑の意志は「分裂」

(separateness) ‑の道であり,それに対して平和主義は統一(unity) ‑の 道である二

田)

Huxleyが近まる戦争の危険を現実世界の歪みとして敏感に受けとめ,それ に対して平和主義をうち出す時,それを支えるものとして神秘主義に拠所を求 めた.これは彼自身にとっては,実践を伴なう筈の思想‑の大きな転向であっ た.しかし,現実の社会に対する彼の反応が生理的には嫌悪感であるとすれ ば,平和主義,また神秘主義は社会の現実に対する全的な熱意ある参加という より,一種の問題回避の要素があらわに見えてくる.その真剣な態度にも拘わ らず彼の平和主義,神秘主義が一種の逃避と見られる(12)原因はこ上にある.事 実根本的には傍観者であるHuxleyにとって,神秘主義は彼の最後の拠所で

あると共に,或る意味では自己正当化の最後の防波堤でもあった.

ともかくもAnthonyが到達した'unity'の思想に於て,多様な現象界の 背後に「究極の実在」を設定することにより, 「多様」は「単一」に還元さ れ,観念の上では統一としての解決が得られたことになる.こういう思想は,

中世のキリスト教の神秘主義,ヒンズー教,とりわけ仏教的から導き出された

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ものであり, Ends and Meansでは,この思想による個人改革を中心とした 社会改革が唱えられている.しかしHuxleyに於てこの種の謂わば東洋思想 がふくらみをもった生きたものになっているかどうかは当然疑問とされる.先 ず第一に言えることは,彼の著書に於て神秘主義が彼自身の体験的な情感とし

て提出されていないことであるEyeless in Gazaで, Anthonyの倫理的宗 教的転向の過程には,何ら内的体験の直感の要素はない.彼は日記に, 「啓示 は正々堂々と試合をしているのではない‑それは袖からトランプのエースを 三枚引出すようなものだ」(14)と書いている. Huxleyはあくまでも主知主義者

であって,神秘主義に自己の凡てを投入させ,それが彼の内部を照らし,やむ にやまれぬ勢いで彼の情感を揺り動かしている形跡は見あたらない.前にも述 べたが, AnthonyがHelenに対して突然感じたあの'love'や'pity'に軍 在感がなく抽象的であったことは,作者の性格だけでなく到達した思想にまで 関係してくる.そういう意味ではunity'を具現している筈のMillerが充分 描かれていないことは象徴的である. Huxleyは真の意味では神秘家とは言え

ない.神秘主義はむしろ彼の知性と論理によって導き出されたものである.

彼が唱えた平和主義は,その裏に逃避の姿勢が幾分あったにしても,もとよ り我々がもう一度そこに立返って充分考えなければならない問題を多分に含ん でいる.それは, Huxleyが自己の住む社会の利益を無視して世界的な立場隼 立って戦争の不当を説いているからである.やゝもすれば感情的傾向に走りが

ちな不穏な政情にあって,理想主義的かつ観念的ではあっても愛と平和を説く ことは,それが後退と逃避の熔印を押されがちであるだけに覚悟と勇気が心要 だったと思われる.それは戦争の脅威をに前した‑知性人の精一杯の抵抗です らあった. Eyeless in Gazaに於てAnthonyがこの平和主義と神秘主義に 転向する過程はたしかに説得力に乏しい.しかしそこには無理にも転向をなし

とげようとする作者の痛々しい程襲撃な態度が読みとれる.それを物語ってい るのは,それが観念的であるとは云え作者の転向の努力がつくり出した一種重 苦しい苦渋感がこの小説全体にたゞよっていることである. Anthonyは一つ

の思想に到達するや,それを現実の世界に実践するために敢然ととび出して行 った.この部分は感動的である.この種の希望を最後に見せて終る小説は,こ れまでのHuxleyの作品には見られない.

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(1)評論集Do What You Will (1929)の「パスカル論」 (̀Pascal')に述べられる.

(2) Eyeless in Gaza, p. 4 (3) Ibid., p. 472

(4)たとえば,初期の短篇小説Tillotson BanquetやYoung Archimedesの中に.

またPoint Counter Pointの中にも見られる. Huxleyの前期の小説は根本的 には,何らかの価値観にしがみつく人々の偽善を暴露する形をとっている.

(5) Eyeless in Ga之a, p. 469

(6)たとえば, Helenが幼い時肉屋で盗むむかつくような動物の内臓の描写.成長 してからのHelenの堕胎.彼女の母Amberley夫人の酒と麻薬で身をもちくず した状態. Anthonyの父の老醜.変質者BeppoやBrianの母の病気,など.

(7) Jocelyn Brooke: Aldous Huxley, p. 24

(8)評論集Music at Night (1931)に収められた̀Vulgarity in Literature'に 於て. (p. 318)なお小説ではすでにAntic /ftrK1923)の主人公の言葉の中に神秘 主義を暗示する部分がある.またThose Barren Leaves (1925)は, ‑人物が俗 憧問をすてて「塀想」の生活を送るため山にこもってしまう所で終っている.この 頃すでにHuxleyは神秘主義の方法に詳しかったと思われる.

(9) What Are You Going to Do about It?, M

1934年B.B.Cで̀Sadist Satisfaction in War'と題する講演を放送してい る. 1935年にはパリで開催された文化擁護国際作家会議に出席している.また同年 ロンドンで行われた̀The Peace Pledge Union'の集会の発起人の一人となっ ている.

Eyeless in Gaza, p. 173

What Are you Going to Do about lt?で唱えた平和主義は, 30年代に拾頭し た「左翼的」詩人SpenderやC.D.Lewisなどから「逃避的」だと激しい批判を 受けている.

Huxleyは以前からキリスト教に対しては否定的立場をとっている.中世キリス ト教の異端視されていた神秘主義は,その神との直接認識的融合を目指す所が,追 越的他者でありながら人間に内在する絶対なるものとの合一乃至その実現をねがう

ヒンズー教,仏教と通じる.仏教の「解脱」はその理想的境地ということになる.

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96 清田幾生

ちなみにEyeless in GazaでMillerは言う.キリスト教は人格を称揚し,怒り を正当化しようとして神が怒りを感じて異教徒迫害を許すと教える.一方仏教は

「神」を宇宙の非人格的精神として人格を超越しようとする.

Eyeless in Gaza, p. 564この「啓示」は,それで人格神を認識する場合がある キリスト教について述べられたものであるが, 「三枚のエ‑ス」とはTrinityを 暗示するものであろうか.しかし啓示的なものを否定するこの言葉の中に,作者自 身の直観的体験の欠如を正当化しようとする意識も見られる.またこの作品では, 転向するAnthonyの内部のドラマにとって代って, 「善についての阪恩は生活

に善を実現する有効な手段だ」という彼の言葉に見られる神秘主義の技術論が並べ られている.これはAnthonyの転向を説得力の乏しいものにしているだけでな く, Huxleyの転向の性格を物語っている.

(昭和42年9月30日受理)

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