主人公としてのマクベス
清田幾生
Macbeth as a Tragic Hero
IKUO KIYOTA
戦懐すべきことは予言に端を発した.超自然の存在である魔女が単に予言をしたということ が恐しいのではない.自分の未来像が予言されたその瞬間にマクベスが致命的な難問をひき受 けてしまったことが無気味なのである.将来の国王の地位を約束する言葉を耳にして将軍マク ベスの充足していた筈の内面がとつぜん平衡を失う.彼は狼狽し,はげしい動揺に見まわれ荘 然として立ちつくす.武人として輝やかしい功績を上げてきたマクベスは,このとき以来自分 が確固として現実に存在しているという感覚を奪われてしまう.しかもこのような不安定な精 神状態はマクベスだけに起ったことで,そのとき同じく魔女から自分の未来像をきき出したバ ンクオーには訪れなかった.いずれ王の先祖となるという好都合な予言を受けてもバンクオー はマクベス程に驚きも怖れもせずに,そのときは悪魔の手先だとして魔女の誘いをしりぞける 強さを持っていたからである.けだしバンクオーの幸福も不運もそこにあると言うべきであろ
う.一方いかに乱世の時代とはいえ予言をきいた主人公が国王について恐るべき想像力を燃え あがらせたからといってそれは必ずしも彼が人並み以上に権力の地位に野心を抱いていたとい
うのではない. 「マクベス」劇が主題にするvpJは,野心とか権力欲というようなものではなく て,傍目には野望としか映らないものを成立させる或る精神の在り方と言った方がいい.そし てこのことは人間存在の根底にある本質に触れていると思われる.
マクベスを待ちうけていた魔女の狙いはまず,彼の統一された生存感に一つの空自を作るこ とにあった.予言の一つが実現して彼がコーダーの領主に封ぜられた旨の伝えを聞いたとき, 彼の意識の亀裂は大きくなり,現実と夢想の区別もつかないほど動揺する.忠臣として国王の 全幅の信頼を受けていた彼の想念は何の抵抗もなく自然にダンカン王暗殺にゆきつくが,その こと自体がマクベスを驚かせ唖然とさせるに充分である.渦まくような感覚の混乱の中で彼は 自分が別人になったかのような恐ろしい錯覚を昧あわされる.
このあやしい誘いはわるい報せである筈がない.よい報せのはずもない.わるい報せなら,まず真実を
つげて前途の成功を約束してくるはずもない.もしよい報せならそんなけしからぬ誘惑になぜおれは心を
ill蓋
清田幾生
奪われてしまうのだ.その恐ろしい幻をみて,髪も逆立ち心膿が肋骨にぶつつかるのは何故なのだ.こう いうことは滅多にないおれなのに.目に見える恐怖なぞ心で描く恐怖に比ぶれば何程のこともない.単に 人殺しを想像しただけで統一されていたおれの心の王国はぐらついて頭の働きも臆測にぐらついて,目に 見えるのはありもせぬものばかり. (I.vii.130‑143)
異常な想像力がマクベスの特徴であって,それがしばしば描き出す悪夢のような状態や奇怪 な幻想に彼は耐えられない.今心に浮ぶ自分が行う国王暗殺の有様が罪悪感を伴って彼を恐怖 に突きおとす.残酷な行為のおぞましさが彼を膏やかし苦しめる.しかしながら上の科白はマ
クベスが自分で犯すかもしれない恐ろしい人殺しを想像して恐怖に戦いていることだけを示す のではない.恐怖感に動揺している自分の姿をまるで他人のように発見してそれに衝撃を受け ておどろいているマクベスをも示している.これまで戦場で幾多の敵の軍勢に斬り込んで好賊 を血祭りにあげてきたマクベスである.その自分が人殺しを考えただけで怯えていることに呆 然とせざるを得ない.彼は一種の放心状態の中で,新しく発見した自分の別人をどうとも扱い かねるのである.彼の内面に湧き起ってきた異質なものは「ありもせぬものばかり」で,ため に分裂した彼の内面は現実の外界とのつながりを失っている.それが彼を戸惑わせるだけでな くて,名状Lがたい不安と焦燥を与えていくのである.悲劇に於ける主人公の受苦ともいうべ きマクベスの不幸はここに始まり,彼の自壊作用の発端となるものであった.
もう一つ注意すべきことはここでマクベスが自己の存在に不安を感じながら呆然としている ことである.そういうマクベスを見てバンクオーは傍らの者に,
見たまえ,おれの同僚がぼんやり(rapt)しているのをCI.viii.144)
と言っているがこれは意味深いことと言わねばならない.マクベスは予言を受けてまず烈し い動揺におそわれた.ゆすぶられることが人に与えるのはある異様な二重の感覚である.一つ は自分の存在感が平衡を失ってゆくときの不安と焦り,もう一つはゆさぶりの律動のために感 じる酪酎に似た忘我の状態である.いうまでもなく魔女の呪縛の力はここにあって,マクベス が味あわなければならなかったのもこの一見矛盾するような不安と荘然自失の精神状態であっ た.しかもこの異様な感覚はこの場だけのものではなく,この劇を通してマクベスの行動と心 理を規定していたと言ってよい.恐るべき惨劇は主人公を閉じこめてしまった不安と悦惚の中 で行われたのであり,またこの二重の感覚ゆえにこそ彼は兇行を重ねて自滅していったのであ
る.
マクベスがダンカン王を殺したときそれは決して隠謀を冷酷に実行に移す男の態度ではなか
った.恐ろしい不安とためらいを感じながら実在しない短剣の幻にみちびかれて熟に浮かされ
た夢遊病者さながらにのめりこむようにダンカン王の寝室に歩を進めたのである.このとき彼
には殺人の行為者は他ならぬ自分である筈なのに,その殺人がまるで他人の行為のようにしか
感じられない.その上始末が悪いことに,何ゆえに自分の中に別人がいるのか理解出来ないこ
主人公としてのマクベス
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とである.苛立ちと恐怖で彼は自分の内部に生じてきた異質なものにその存在の理由を問わず にはいられない.兇行の場所から戻ってきたマクベスが待ちうけていた夫人と交す科白は,彼 が避けがたく陥った状況の苦しさを物語っている.
マクベスしかし一体どうしておれはあのとき「アーメン」と言えなかったのだろうか.おれこそ神のお 慈悲が必要だったのに.言葉が喉につかえてしまった.
夫人こういうことはそんな風に考えたらいけません.そんな風に考えたら気が狂ってしまいますよ.
Cn.ii.31‑4)
マクベスには大それた事をやったという犯罪者の自覚,つまり恐怖心や罪悪感はあっても, 艮心の苛責や悔恨は訪れない.まして犠牲者に対する憐慨の感情が表白されることは決してな い.それはダンカン王殺害以前も同じことであった.彼が問題にするのは殆ど常に自分のこと である.他人のことなどどうでもいい.救われるべきはダンカンではなくて殺した自分の方で あるはずなのに慈悲を求めるべき気持が言葉にならない.それが不思議なのである.思いもよ らぬ価値の空自を自分の中に発見してからというもの彼は以前にもまして自分の心のうちをの ぞきこまずにはいられない.恐怖心や怯えを自覚したときに彼が感じるものは苛立ちと自己嫌 悪である.その為に外界との接触の感覚を失って彼は自分の居る位置を確認出来ないでいる.
外部の世界をみることもせずそういう自分の内面をさぐることが彼のいちばん切実な関心事と なってくるのである.独自や傍白の中で彼がしばしば言及するのは,自分自身の感情や心理に ついてである.主人公の救いがたい自己閉鎖的な傾向はこうして強められてゆく.
ところでダンカン王暗殺の想念はマクベスの内部で湧き起ってきたことであったが,単なる 殺意と,それを自己の肉体で実際に行動に移すことの問には大きな隔たりがある.たとえそう いう衝動にかられたとしても,常人ならばこの想念と実行との距離の大きさに安心して意識の 均衡を保ち何事もなく安泰に生活を送ることが出来たであろう.ところがマクベスの場合この 距離の大きさと事の重大さがかえって行動の刺戟になった面がある.もちろん隠謀の筋書を立 ててマクベスを試逆行為に駆りたてたのはマクベス夫人の恐るべき情熱の力による所が大きい.
殺人の想念がたえず彼を怯えさせる.想像しただけで胸を充たす恐怖と罪の意識,マクベスは 自分のこういう要素を嫌悪の目でながめ,許せなかったのである.夫人が突いたのもそこであ った.しかしうずくようなためらいののちに彼がやった兇行の眼底にあるものはマクベスだけ がおちいっているあの苦しみである.マクベス自身にもよくわからない心の奥底にうずまくい いようのないあの不安,つまり生存実感の稀薄さがもたらす当惑と息苦しさ,これが夫人にわ かろうはずがない.それが現実にマクベスの外面に出てきた場合,夫人の目からみで性格の弱 さと映っても少しも不思議ではない.マクベス夫人は一方的にためらう夫を腫病者呼ばわりす るが,この種の誤解も夫を残忍な行為につき動かすのに効果があったのである.煽動家がよく そうするように夫人はマクベスに二者択一をせまる.遺巡するマクベスに提示された問題は,
「王位纂奪を行う勇敢なマクベス」となるか或いは「それも出来ない腺病なマクベス」のまま
iFl臣
清田幾生
でいるかということである.彼が後者を選ばなかったのは男としてそれがはなはだしく不名誉 だと考えたからではない.悪業の恐ろしさに身をひきさかれる思いで結局前者をえらんだのは 意識の眼底で,行動することに伴う肉体の確実な現実感覚を得たいと望んだためもあったとい ってもよい.そのためには夫人が与えてくれた「勇敢なマクベス」の役割を演ずればよかった のである.しかも心のうつろさをうめてくれるその確実性の手ざわりは行為の性質が過激でか つ重大であればあるほど大きい.王冠はマクベスにとって野望の対象というよりもそこに至る 道が生の実感を与えてくれる何かなのである.彼は行動することが自分を変えるだろうと願っ たのである.こうして「マクベス」劇に於ては, 「行動する」ということは「殺鼓する」こと
と同義となるのである.マクベスがどうしようもなく選びとった道はそういう生き方であった.
やってしまえばすむというのなら,さっさとやってしまう方がいいCI.vii.1‑2)
これはマクベスが夫人からすさまじい叱時と激励を受ける以前の科白であって,この時すで にマクベスは一つの固定観念に落ちこんでいるのが理解できよう.行為の内容や質が問われて いるのではない.そうではなくて遂行するかしないかが,跳ぶかとはないかが問題なのであ る.しかも彼はその「行為」の結果がどのようなものを自分の内面にもたらすかば確実に予感 している.
だがこういうことは現世では必ず裁きというものがある.かりそめにも血なまぐさい悪事をやってみせ れば,因果はめぐって結局わが身を苦しめることになるのだ.この公平な正義の手は,それを盛った当の
われわれの唇に同じ毒杯をつきつけるCI.vii.7‑12)
自分の内部に巣喰ったあの空自の感覚にたえられず,彼は「行為」こそが自分の苦境を救って くれるだろうと心の深層で願っていたはずである.マクベスはよろよろとダンカン王の寝室に 赴いた.短剣をふりあげながら,何かから必死になって逃れようとして,まるで溺れる人が救 いを求めて噛ぐように,彼は眠れるダンカン王の生命を断ったのではなかったかと推察される.
残忍な悪業の果てに自滅してゆくマクベスの行動の過程を一人の人間の自己確認の軌跡とみ ることが可能ならば,ここでどうしても想い出されてくるのがソフォクレスの劇「オイデイボ ス」であろう.このギリシャ悲劇の傑作も「マクベス」劇と同じように,自己の未来像を予言 されたということが原因で主人公は苦悩の旅をはじめる.ただテーパイの王オイデイボスにア ポロンの神託があったのは劇の開始以前のことである.このことを彼が知るのは,すでにそれ と知らずして父を殺害し,母を妻としたずつと後のことであって,つまり予言が成就したあと なのである.人倫にもとる大罪を犯していることを知らないオイデイボスはふとした出来事が もとで自分の出自について烈しい疑念に駆られ,自分とは何者であるかをつきとめるために時 間をさかのぼって過ぎさった事実を確認せねばならない.オイデイボスは過去にむかつて自己 探求を行うのである.ところがマクベスの場合,魔女の予言を聞いたのは劇の冒頭であって,
スコットランドの王位につくという予言が成就するには,彼は未来に向って自己の同一性を確
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119認する行動に乗り出さねばならない.しかも予言達成の可否もその手段もマクベスの自由意志 にまかされている.もちろん「マクベス」劇が「オイデイボス」劇ほど明断な形で自己証明を 劇の筋の根本にしていないことは言うまでもない.しかし自己探求の要素は王位纂奪が実行さ れてもマクベスの心の深部で基本旋律となって進行してゆくのが感じられるのである.
ダンカン王を暗殺してマクベスは国家の貴高権力者となったが,問題はこの王冠をつけた犯 罪者が心の充足を感じないことである.この劇の真の恐ろしさが始まるのはこの時点であって, 王位という虚構が彼の背負いこんだ問題の恐ろしさを一挙にあらわにするのである.マクベス がダンカン王暗殺のすぐあとで直感したように,彼はいま眠れないでいる.彼には「自分の心 を汚してしまった」とか「悪魔に魂を売りわたしてしまった」という罪の意識があるが,悩ま しい不眠の原因をむしろ罪悪感ではなくて,王位にいることの危険性にあると考えている.懐 悩してすごす毎日の擬転反側の苦しみをこう語る.
いっそ宇宙の骨組がくずれてしまって,天も地も砕けてしまうがいい.びくびくしながら食事をとり, 眠ろうにも夜な夜な悪夢にさいなまれるくらいならば.心の拷問台に横たわって気も狂うはど煩悶するよ
りはいっそのこと死んでいた方がましだ.おれは心の平和を得たきにかえってあいつに墓の平和を与えて しまった.ダンカンは今眠っている.人生の熱病をあとにしてよく取っているOn.ii.16‑23) 自分の苦悩を解決するためにあれほど高い精神的犠牲を払ってダンカン王を殺害したのに, その彼に訪れたのは更に烈しい煩悶である.自分の内部の秩序と統一がこわれてしまった苦し みが今度は呪狙となって外界に向けられている.マクベスが考えているのはバンクオーのこと である.この不安と不眠の元兇を彼は「国王にはならないが王の先祖となる」と魔女に予言さ れたバンクオーにあると見なしたい.このかつての僚友を邪魔者とみなし,これを亡き者にす ることによって王位の安泰をたもてると思いこんでいる.バンクオーの勇気や人望などの美徳 まで自分の不安の理由にあげるが,このようにして再び殺人行為への要請が彼の心で渦をまき, 理不尽にも無季の人の鮮血が流れることになる.罪への恐怖,これと「行為」との悪循環がマ クベスの落ちこんだ不毛の心理劇でありそれは這い上ろうとすればするほど悪の底へと堕ちて ゆく蟻地獄の世界である.マクベスは未来へ向って行動しないではいられない.かつてダンカ ン王を手にかけるとき,ややもすれば挫けがちな己れの心をはげますためにこう言わなければ ならなかった.
Words to the heat of deeds too cold breath gives. CII‑ i.61) (言葉というのは実行の熟をさますだけだ.)
同じようにバンクオー暗殺を決意したときも彼の口から出てくるのはおぞましい行為を敢て やろうとする者の,わが身を鞭うつ自己暗示の言葉である.
Things bad begun make strong themselves by ill. (IH.ii‑55) (一旦はじめた悪事は悪によって固めることだ. )
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輝革を実行に移すときのこの不敵な口調の裏に我々はむしろマクベスの意識の切迫感を, ,い や,その底にある自己嫌悪のまじった切なさを読みとるべきであろう.格言のように緊迫した
与れらの表現は「行為」にとり?かれた男の半ば自棄的な精神状態を表わしている・舞台の上 でマクベスを準じる俳優はこう幸う台詞を喋るとき,邪悪で不達な表情より悲哀の表情がむしJ
ろふさわしいと思われる.自己証明の出来ない苦しみともどかしさのために退いたてられるよ うにマクベスは殺人という「行為」にたよらざ声を得ない.
それにしてもここまでマ久空ろを悪の道につきおとしてきたその根底にある.のは彼のあの稀 薄な生存感の意識であろう.これが彼に外界の現実との接触の実感を与えないのである.マク ベスは毎日の生の営為の中で自らの存在を確認できないで?、る・かつて彼はダンカン王の暗根 を想像して目もくらむような動揺におそわれたとき恐怖でおののきながら,
.‥nothing is
But what is not.
(目に見えるのはないもめばかり.)
(I in. 141‑2)
と言ったかこゐ自分の内面に理由もなく割りこんできた非現実感が彼から生の確実な感覚を奪 うのである.マクベスが殺したダンカンに言及するのもそこである.不眠に悩むマクベスがダ ンカンをうらやむのは地下でよく眠づているからという理由だけではなくて,死んだ人間は死 んでいるというその確実さが彼にはむしろ妬ましいのである.マクベスが求めるのはあくまで
「大理石のように堅固で岩のようにゆるぎなく,万物を包む大気のように潤達な」自我なので ある.彼は自分を本当に動かしているものの実相にまだ気づいていない.しかし彼が王位にあ ることの不安からバンクオー暗殺を決意す・るときに,無意識のうちに自分の存在に危機感を与 えるものが何であるかを半ば語っている.ここでもまた表現の簡潔さが坤吟するような彼の内 面をよく伝えている.
To be thus is nothing;
But to be safely thus. CHI.i.48‑9)
(こうしていても何にもならぬ,安らかにこうしているのでなければ. )
王位についた今の境地をのべるにこのような表現をとったことははなはだ意味深いこと言わね ばならない.マクベスが今までむなしく追い求めてきたその結果に言葉が与えられたからであ
る.それは彼の内面の空洞をあらわす語でもある.我々はnothing (空無)という凝縮されて しまった語にマクベスの運命を見ることになる.
こ‑の空無なものから逃れるために,嘘が危険人物だとみなすバンクオーをこの健から抹殺し
ても,彼が期待する現実の心の安泰は訪れようはずもない.王位就任を祝う饗宴の場で殺され
たバンクオーの亡霊が出現し,しかもそれは彼だけにしか見えず再び恐怖と錯乱につき落され
てしまう.この事件は祝宴の列席者の嫌疑をまねくばかりだったが,亡霊という非現実が再び
主人公としてのマクベス iI萄iI
マクベスの内面を脅やかし,彼が求める外界の現実は遠ざかってゆくばかりである.しかし一 方では亡霊を見た錯乱からふと我にかえるとマクベス夫人に向ってこうも言うのであ尋.
こうして奇怪な幻を見るのも新米で腺病なためで,まだしっかりした修業が足りん.おれも悪業にかけ てはまだ青二才だCIU.iv.142‑4)
ここに見られるのは半ば白喝的な半ば虚勢をはったマクベスの心情であるが,もはや彼には あとに.退くことは出来ず加速度的に残忍な悪の行為にのめりこんでゆく以外にない.
おれも血の河をここまでふみこんできたからには,引き返そうとしても面倒だ.むしろ渡ってしまった 方がいい. Cm.iv.136∵8)
マクベスにとって行為があの息苦しい空無感からの逃避であったことは間違いないが,この 地点に於ける自暴自棄的な心情の中には自ら破滅をまねこうとする衝動さえ見える.絶望的に なっているマクベスの精神の旅はオイデイボス王の意志的で燃えるような精神のそれとは程遠 いと言わねばならない.マクベスの自己確認の緒口はテーパイの王のように一直線で能動的な 態度から出るのではなく,極めて受身的でしかもアイロニックな形で行われるからである.そl のことについては我々が今マクベスの科白の中に見出した自滅への衝動ということが手がかり
を与えてくれると思われる.
たとえようもない悪膚を行って滅亡してゆくマクベスという人物像のどの点に観客は共感を 抱くのであろうか.これを探ることほとりもなおさず彼の悲劇の主人公としての条件を一つ語
ることになると思われる.この狂暴な専制君主の行動を今までわれわれは外界との接触感の襲 矢に原因があるとみてきた.罪悪感や恐怖心を克服する手段として過激で残忍な行為をおこな い,マクベスがそこに生の統一感の回復をはかろうとしていると考えたのである.しかしなが らマクベスの一生を結果的に見ればむしろ逆に自分を破滅に追いやろうとする衝動も感じられ るのである.悪に染りきれない自己に苦悩し,もつと大きな悪に自分をかりたてようとする意 図である.それが自己嫌悪から出ているのは間違いない.登場人物の一人は衰亡の時をむかえ
たマクベスについてこう語る.
あいつの悩ましい心がおびえもがくのも無理はない.おのれの心の中の一切のものがみずからの存在を 呪っているのだから. CV.ii.22‑5;)
マクづスの内面はきわめて屈折していると言わねばならない.劇の後半からマクづスの非道 振りは‑そう猛々しくなり同時にまた彼の没落が始まってくる.彼は今や自分の行動の結果が 反作用的に大きな危災となっておそってこない限り,自己の本性を確認出来ないのである.マ
クベスが受動的だといった理由はこれであって,マクベスは自己発見を自ら行うのではなく,
進攻してきた復讐者たちによって自らの本性を発見させられた格好なのである.ここらあたり
のマクベスには破局に自らをつき落すことによってしか自己証明は望めない.しかし戦況不利
122 清田幾生
の状態の中で自分の破滅を予感しているマクベスの方にむしろ人間らしいものが見られ,彼が それと意識せずに現実と触れているのを我々は感じとることが出来る.
おれも相当長生きした.おれの人生も葉が黄ばんで枯葉の季節だ.そして老年につきものの名誉,愛惜 服従とか大勢の友達とか言ったものをあきらめなければならぬ(V.iii.22‑6;
マクベスはこんな風に喋りながらだ然としているが,彼が今やっていることは,自分が生存 の充実した世界からどれだけ離れてしまったかを測量することである.罪を犯しながら自分が たえまなく転落してゆく懐惨な過程を一つ一つはっきりと確認しながら,マクベスは同時にそ こに安堵に似た快感を抱いているように思われる.彼の今までの行動C意図の根底には自分を 悪の極限にまで駆りたてたいという欲求がなかったであろうか.これは破滅への衝動というよ り自虐というべきであろう.彼に真実の時が訪れるのは,敵の軍勢に囲まれ勝利の望みもない ままにマクベス夫人の死の報せをきいた時である.全くの孤独の中で彼が語ることばはこの劇 に一つの真空状態を作っている.マクベスは自分とは何者であるかをつきとめたが,その自己 は一般論に託して語られる.
明日,明日そして明日と一日一日が這い進んでいって,とうとう時が最後のひと文字に達する.そして 昨日という過ぎた日が馬鹿者共を墓穴へ案内してきた.消えろ消えろ,束の間のともし火t人の一生はう ろつく影だ,憐れな役者だ.自分の出番だけ舞台であばれわめくかと思うと,そのあとは消えてしまう.
人生は痴人の喋る物語,声ばかりがやがやとやかましいが,何の意味もない. CV.v.19‑28)
この科白をきくと我々はマクベスの中で何かが完了したような印象を受ける.それは恐らく 彼がもはや明日という未来に行動する必要がなくなったことから来るのであろう.それだけで はない.この台詞の終りの部分は原文では
itisatale Told by an idiot, full of sound and fury, Signifying nothing.
となっていて,この黄後の単語を見るときに,閉ざされたマクベスの心の中で一つの周期が終 ったのが理解できるのである.この語が表わす世界こそが恐らくマクベスが確認した悲惨な自 己の姿であり,彼の貴終的な到達点なのであろう.
生の座標軸の中で他者とどこかで交叉することもなく自閉的な心の中で虚無から虚無へと精
神の空転をつづけてきたマクベスである.このような彼の行動は自らの精神と外界に途方もな
い荒廃をもたらしてきた.マクベスに於ては「行為」の意味は主として二つあった.一つは心
に潜む空洞に耐えられず残虐な行為をすることによって生の充実を確かめること,もう一つは
悪になり切れない自己を嫌悪し,それをもつと大きな意につき落すこと,つまり自らを処罰し
たいという欲求である.これは一見矛盾したようにも見えるが,マクベスの中ではこの二つの
要素が揮然とまじり合って,彼の行動を規定しているように思われる.マクベスの心には悪と
主人公としてのマクベス 123
虚無に対する愛と憎の感情が並存していて,この背理ゆえに彼は犯罪を重ねて崩壊していった のである.悪がこれほどの暴虐をふるいながら,それでいて破滅にまっしぐらにつき進んでい
くマクベスにはきわめて禁欲的なものが感じられる.そこには自己処罰の衝動があるからであ ろう.彼が堅固な実在感にあこがれ,自らの生の統一をめざしたのは,主としてこの衝動を通 してであった.それはひたむきな誠実のようにもよみとることができ,或いは病的な倒錯のよ うにも感じられるのである.こんな風に見えるのも人間存在の高貴と卑劣を同時に見わたして いる作者が背後にいるからであろう.この作品が作り出す演劇空間のなかでわれわれの心をう つものは,凄絶な悪の世界をくり広げながらその裏で虚無に坤くマクベスの切ない内面の軌跡 であろう.そこには一種の陶酔感を伴いながら自己の転落を見つめている屈折した人間がいる.
観客や読者がこの主人公を単なる悪人として断罪してしまうのが摩られるのは,こういう要素 のためである.ひたむきと言えば,この自己完結的な主人公が度重なる犯罪に不安を感じなが らものめりこんでゆくとき,そこには何か酪酎に似たようなものが感じられることである.不 安と悦惚,いうまでもなくマクベスを縛りつけた魔女の超自然的な力である.この中でマクベ スは一つ悪夢をくりひろげたのである.魔女の呪縛からマクベスが解放されるのは,もってい た楯を投げすて武人らしく剣だけで戦おうとしたときである.そしてそれは正義の守護者マク ダフの手に什れる直前のことであった.
(昭和52年9月30日受理)
参考文献
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