駒澤大學佛敎學部硏究紀要第七十號 平成二十四年三月 六五 ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ の『 有 形 象 証 明 論 』 Sākārasiddhiśāstra ( SS ) 「自己認識章」解読のために、彼の 思 想 史 的 場 に 関 す る SS の 記 述 を 紹 介 し、 若 干 の 問 題 点 を 提示したい。 こ こ で 思 想 史 的 場 と は、 有 形 象 唯 識 説 を 標 榜 す る ジ ュ ニャーナシュリーミトラの思想史上の立場もしくは歴史的 背景を言うのではない。それは謂わば彼の思想的もしくは 系統的外皮に関連するものであると思われる。そうではな くて、私が意図し、強調したいのは、仏教徒である彼が他 ならぬその時代を呼吸しながら自己の中心的問題として不 可避的に向き合わなければならなかった、思想史を可能な ものとした歴史的状況にほかならない。蓋し、生の現実は 苦にして、全く不合理であろう。ジュニャーナシュリーミ トラはそのような現実に対し、自らどのように切り込んで いったのであろうか。そして、そこに置かれた苦なる自己 の 生 を い か な る 想 い を も っ て 生 き た の か。 我 々 は、 先 ず ジュニャーナシュリーミトラの残された作品自体にその想
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いを探ることから始め、彼自身の思想にとどまらず、彼が そのとき真に向き合っていた歴史的状況と仏教の核心的問 題を解く端緒を摑むことを試みよう。一
瑜伽行派の系譜への言及
先ず、ジュニャーナシュリーミトラ自身が意識し自ら説 くところの仏教思想家の系譜を取り上げよう。それは無論 この系譜が歴史的真実を伝えているという観点からではな い。この系譜を示すことによって、ジュニャーナシュリー ミトラがまさにそのように仏教史を再構成しようとした彼 の 意 図 を 見 出 す た め で あ る。 こ の 一 節 は す で に Jñānaśrīmitranibandhāvali の 校 訂 者 で あ る A. Thakur を 始 めとし複数の研究者によって翻訳、言及されている が ( 2 ) 、テ キストとともに私の訳によって示せば次の通りである。 J 50 6, 5-8: ār yā sa n・ ga m ana n・ gajinnayavaho yad bhūpatīśo 'nva śād ācāryo vasubandhur uddhuramatis tasyājñayādi dyutat |ジュニャーナシュリーミトラの思想史的場に関するノート(新井)
六六
dignāgo 'tha kumāranāthavihitāsāmānyasāhāyakas
tasmin vārttikabhā
s
・yakārak
r
・tinor adyānavadyā
sthi-tih ・ || 「 愛 神 カ ー マ を 征 服 す る 教 義 を 担 う ブ ー パ テ ィ ー シ ャ ( = マ イ ト レ ー ヤ ナ ー タ ) が、 聖 ( ārya ) ア サ ン ガ に 教 授 し た、 彼 の 教 令 に よ っ て、 堅 固 な 知 を も つ 師 ( ācārya ) ヴ ァ ス バ ン ド ゥ が 輝 い た。 そ れ か ら、 デ ィ グナーガは、クマーラナータによって並外れた助力が 与えられた。そこにおいて、今、過失がない、評釈者 ( ダ ル マ キ ー ル テ ィ) と 註 釈 者 ( プ ラ ジ ュ ニ ャ ー カ ラ グ プ タ) の場所がある。 」 こ こ で ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ は、 ブ ー パ テ ィ ー シ ャ ( = マ イ ト レ ー ヤ ナ ー タ ) に 始 ま り、 聖 ア サ ン ガ、 師 ヴ ァ ス バ ン ド ゥ の 相 承 に、 ク マ ー ラ ナ ー タ、 デ ィ グ ナ ー ガ、ダルマキールティ、プラジュニャーカラグプタの系譜 を位置付けた上で、自らがこの正系を伝えていることを意 図していると思われる。 し か し、 こ の デ ィ グ ナ ー ガ 以 降 の 思 想 家 の 説 く 唯 識 説 が、彼等以前のマイトレーヤナータ、聖アサンガ、師ヴァ ス バ ン ド ゥ の 相 承 と は 明 ら か に 一 線 を 画 す と さ れ る な ら ば ( 4 ) 、 こ の ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ の 意 図 は、 現 代 の 我々に奇妙な印象を与えると言わなければならな い ( 5 ) 。 し か る に、 そ の よ う に 指 摘 さ れ 得 る に も か か わ ら ず、 ジュニャーナシュリーミトラは、実際には、自説を確立す る た め に 瑜 伽 行 派 の 基 本 典 籍 で あ る Madhyāntavibhāga, Mahāyānasūtrāla m
.
kāra を 多 く 引 用 す る の で あ る が、 注 意 を 要するのは、 SS 及び Sākārasa m.
graha sūtra (SSg) には、これ らの二典籍に加えて、 Dharmadhar matāvibhāga, Ratnagotra -vibhāga, Abhisamayāla m.
kāra の 引 用 が 確 認 さ れ て い る こ と で あ る。 す な わ ち、 こ れ ら の 典 籍 は、 い わ ゆ る「 マ イ ト レーヤの五法」と呼ばれるものであるが、それらのいずれ の典籍をもジュニャーナシュリーミトラが引用しているこ とは、インドの一一世紀における経論の伝承形態を伝える 点でも注目してよいであろう。 なお、 SS 及び SSg において言及される「 ユヴァラージャ ( yuvarāja ) 」 に 関 し て は、 筧 氏 が 考 察 し、 そ の 人 物 は「 決 して固有の人物を指すのではなく、主としてマイトレーヤ と ア サ ン ガ と い う ārya の 称 号 を 有 す る 祖 師 に お く ら れ た、相承と言うには具体例の少ない、しかし宗教的憧憬を 感じさせるものである」との結論を出しておられ る ( 6 ) 。二
有形象唯識説の系譜への言及
ジュニャーナシュリーミトラがこれらの思想家を同一の 系譜に位置付けようとする試みに関連していえば、彼は有 形 象 唯 識 説 を 標 榜 す る た め に、 ダ ル マ キ ー ル テ ィ と プ ラ ジュニャーカラグプタに言及し彼らを権威としている。たジュニャーナシュリーミトラの思想史的場に関するノート(新井) 六七 とえば、彼は、先の一節においてクマーラナータ、ディグ ナーガに始まるとされた系譜に関して次のように述べてい る。 J 367, 6-9: jīyān munīndramatavārttikabhā s ・yakāra h ・ sākārasiddhinayanā t ・akasūtradhāra h ・ | sa m ・ sāranirv r ・ tipathaprathamānagarvasarvārivīradur-tikramavikramaśrī || 「 有 形 象 の 証 明 の 教 義 を 演 じ る 経 ( 3 ) を 保 持 し、 驕 り を も たず、一切の敬虔なものをもつ英雄であり、超えがた い力をもつ人である、牟尼尊の思想をもつ評釈者と註 釈者が、輪廻と涅槃の道という第一のものを征服せん ことを。 」 J 367, 19-21: katha m ・ tarhi bhā s ・yakāropajñam idam ucyata iti cet. nirākāradiśānyair yojitatvāt, sattāmā -tr as th ita iv ān en a pr as ād hit a ity u cy ate , n a pu na s tasyaivopajñeti. それなら、どうしてこれ〔=有形象唯識説〕は註釈 者 ( プ ラ ジ ュ ニ ャ ー カ ラ グ プ タ ) の 考 案 と 言 わ れ る の か、というならば、他の人々 (無形象唯識論者) によっ て〔ダルマキールティは〕無形象唯識説に結びつけら れたからである。 〔有形象唯識説は、 〕存在するだけの も の と し て 確 立 し て い た が、 彼 ( プ ラ ジ ュ ニ ャ ー カ ラ グプタ) によって完成されたと言われる。 これらの二つの引用によって、ジュニャーナシュリーミ トラが、ダルマキールティ、プラジュニャーカラグプタを 「 牟 尼 尊 」 の 伝 統 に 連 な る 有 形 象 唯 識 思 想 家 の 系 譜 に 位 置 付けていることが知られる。
三
中観派の系譜への言及
さて、ジュニャーナシュリーミトラは上述した「一 瑜 伽 行 派 の 系 譜 」 の 記 述 に 続 け て、 中 観 派 に も 言 及 し て い る。 J 5 06 , 9 -10 : ā ry an āg ār ju na pa dā nā m ・ tu b hin na va m ・ śa -tve 'pi s ādhāra n ・aiva s ādhyatattvasthitir iti darśitam. 一 方、 聖 ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ 尊 者 が、 〔 瑜 伽 行 派 と は〕異なった系譜をもつとしても、証明されるべき実 義の確立は全く共通であると示された。 この一文によって、ジュニャーナシュリーミトラが瑜伽 行派の系譜を中観派のそれと同一のものと見なそうとして いる意図が確認される。これはすでに筧氏によって指摘さ れ て い る と お り で あ る が ( 7 ) 、 ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ は、 彼 自 身 の そ の よ う な 意 図 を さ ら に SS 第 六 章「 二 不 二 章」 Ubhayādvaitapariccheda において次のように述べてい る。 J 512, 1-2: tasmジュニャーナシュリーミトラの思想史的場に関するノート(新井) 六八 advaitam eva. したがって、真実において、中〔道〕と瑜伽行派の 両者は不二にほかならな い ( 8 ) 。 ま た、 久 間 泰 賢 博 士 は SSg の う ち に こ の 傾 向 を 指 摘 し て おられる。テキストと博士の和訳を挙げれば次の通りであ る ( 9 ) 。 J 547, 7-8: śuddhamādhyamikas tasmād yogācārān na bhidyate |
samāropāpavādāntamuktir eva hi madhyamā ||
「 そ れ ゆ え、 純 粋 な る 中 観 派 は 瑜 伽 行 派 と 異 な ら な い。中[道]とは増益と損減との二辺を離れることに 他ならないからである。 」 ここに中観派と瑜伽行派の統合が図られていることが読 み 取 れ る。 し か る に、 ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ は SS 第六章において、ダルマキールティを援用をせず、代わっ て大乗の経論を引用し て )(( ( 、自説の有形象唯識説を立証しよ うとしている。では、ジュニャーナシュリーミトラはこれ らを統合するために実際にはどのように述べているのであ ろうか。テキストと試訳を示そう。 J 473, 20-24: vic āravyasana m ・ yasya hastāmarśena tasya kim | prītyābhiyoga h ・ kriyatā m ・ kīrtivārttikabhā s ・yayo h ・ ||
śraddhāvaśatve 'pi vara
m
・
yuvarājanayāśraya
h
・ |
āryanāgārjunādīnām api yatra vyavasthiti
h ・ || iti pratipādayi s ・yate. āgamapā t ・hā h ・ punar avicāracatu -rasya pu n ・yamātraprasavahetava eva. 「ある者Aにとって、 〔あるものXに関する〕考察に 対 す る 執 着 ( vicāravyasana ) が あ る 時、 そ の 者 A に と っ て、 〔 子 供 に 〕 手 で 触 れ た 者 の も つ )(( ( 喜 び は 必 要 で は な い。 〔 考 察 の 〕 努 力 ( abhiyoga ) は〔 ダ ル マ〕キールティの評釈と〔プラジュニャーカラグプ タの〕註釈においてなされるべきである。 」 「〔 そ の 者 A が 〕 信 の 力 を も つ 者 ( śraddhāvaśa ) で あ る と し て も 、 ユ ヴ ァ ラ ー ジ ャ )(( ( の 教 義 を 拠 り 所 ( āś -raya ) と す る の が 勝 れ て い る。 そ こ で も ま た、 聖 ナーガールジュ ナ )(( ( 等の確立がある。 」 と〔 私 に よ っ て 〕 説 か れ る で あ ろ う。 〔 こ れ ら の 二 詩 節 を 説 明 す れ ば、 〕 し か し な が ら、 考 察 に 巧 み で な い 者 に と っ て ( avicāracaturasya ) 、 聖 典 の 読 誦 ( āgama -pā t ・ ha ) が 徳 一 般 を 生 み 出 す 諸 原 因 に ほ か な ら な い の である。 ここでは、少なくともこれらの四人の思想家が重視され ていることは明らかであろう。しかるに、これらの四人は ジュニャーナシュリーミトラによってどのような力点で捉 えられているのであろうか。私はまだこの問いに対して明 確な答えを提示できないが、ジュニャーナシュリーミトラ
ジュニャーナシュリーミトラの思想史的場に関するノート(新井) 六九 がたとえ中観派と瑜伽行派の学説、さらに経量部説の統合 を図ったとしても、そこにはやはり思想上の力点の違い、 もしくは階層が設定されていると思われるのである。 たとえば、ジュニャーナシュリーミトラは自らの尊敬す るプラジュニャーカラグプタを次のように見ている。 J 512, 5-9: tattvatas tu, nāsatprakāśavapu s ・ā na ca sat tadanyair ekena na dvitayam advitaya m ・ na tābhyām | ittha m
・ jagad yadi catu
h ・śikharīviyukta m ・ ko bh ās ・ -yak āra matamadhyamayor 1 vi śe s ・ah ・ || ¹ 。madhyayor Jms: 。madhyamayor J 必ずしも理解の容易な詩節ではないが、下線部を読む限 り、ここには註釈者プラジュニャーカラグプタの説と中道 の区別がないと言われているようである。しかるに、ジュ ニャーナシュリーミトラは、プラジュニャーカラグプタに 先行するダルマキールティに対しては、続けて次のように 述べるのである。 J 512, 15: nāyakas tu vārttikakāra evātra yuvarājanī -tiprasādhanapade sa m ・
pratīty abhivyaktam etat.
一 方、 指 導 者 ( nāyaka ) で あ る ほ か な ら ぬ 評 釈 者 ( ダ ル マ キ ー ル テ ィ) は ユ ヴ ァ ラ ー ジ ャ の 教 義 を 成 立 せ しめる拠り所においてまさに存する、というこれは明 らかである。 ユヴァラージャが瑜伽行派の古い論師であるとして、ダ ルマキールティがその教義を成立させる拠り所であるとい う言明はいかなる事態を指すのであろうか。この一節は、 あ る い は、 「 ユ ヴ ァ ラ ー ジ ャ」 に よ っ て 総 称 さ れ る よ う な 瑜伽行派の古い論師の学説は、ダルマキールティの見解を 通してのみ理解されるべきであるという意味に解釈すべき なのかもしれない。仮にこの解釈が正しければ、我々はこ の一節が、本論冒頭に引き合いに出した「瑜伽行派の系譜 への言及」と同様に、ジュニャーナシュリーミトラが仏教 内部に併存すると見なしていた
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そして、複合的な内実 を有する―
相承を統合することを意図したものであると 指摘できるであろう。 〈略号〉 「 試 訳 」 筧 無 関「 Jñānaśrīmitra の “SĀKĀRASIDDHI -ŚĀSTRA ” 第六章―
試訳と註記―
(Ⅰ) 」『北 海道駒澤大学研究紀要』五、一九七〇年。 「系譜」 筧 無関「ジュニャーナシュリーミトラによる有 形 象 唯 識 学 派 の 系 譜―
「 YUVARĀJA 」 考―
」『 北 海 道 駒 澤 大 学 研 究 紀 要 』 一 六、 一 九 八 一年。 J Jñānaśrīmitranibandhāvali (Buddhist Philosophical W orks of Jñānaśrīmitra ). Ed. A. T HAKUR . Patnaジュニャーナシュリーミトラの思想史的場に関するノート(新井)
七〇
1
1959,
2
1987. (Tibetan Sanskrit Works Series V)
Jms Niedersächsische Staats- und Universitätsbiblio -thek Göttingen 所蔵写本( No. Xc 14/25 ). SS Sākārasiddhiśāstra (Jñānaśrīmitra): J 367-513. SSg Sākārasa m ・ grahasūtra (Jñānaśrīmitra): J 515-578. SS V SS 第5章 Svasa m ・vedanapariccheda (Jñānaśrīmi -tra): J 466-482. ( 1) 本 論 は、 二 〇 一 〇 年 一 一 月 二 七 日、 駒 澤 大 学 に お い て 開 催 さ れ た 第 一 回 イ ン ド 論 理 学 研 究 会 に お い て 私 が 行 っ た 発 表「 プ ラ ジ ュ ニ ャ ー カ ラ グ プ タ の 思 想 的 立 場 に つ い て 」 を 改 題 し、 当 日 の 配 付 資 料 に 加 筆 修 正 を 加 えたものである。 (2) J, Introduction, p.4 、 D. Seyfort Ruegg, La th éorie du Ta thāgatagarbha et du Gotra , Paris 1973, pp. 433-434 、桂紹 隆「 ダ ル マ キ ー ル テ ィ に お け る「 自 己 認 識 」 の 理 論 」 『 南都仏教』二三、一九六九年、一一頁、 「 試訳」五頁、 「系譜」二三頁参照。 (3)この「経」 ( sūtra )とは、 Pramā n
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avārttika を指すだろう か。 ( 4) 袴 谷 憲 昭「 唯 識 の 学 系 に 属 す る チ ベ ッ ト 撰 述 文 献 」『 唯 識思想論考』 (大蔵出版、二〇〇一年)参照。 ( 5) な お、 小 野 基 博 士 は、 シ チ ェ ル バ ツ キ ー に よ っ て 分 類 さ れ た ダ ル マ キ ー ル テ ィ の 註 釈 者 の 三 区 分、 す な わ ち 文 献 学 派、 哲 学 学 派、 宗 教 学 派 の う ち、 宗 教 学 派 に 属 す る プ ラ ジ ュ ニ ャ ー カ ラ グ プ タ の 学 統 に 属 す る 他 の 思 想 家 に 関 す る 研 究 が 極 め て 僅 か で あ る と 述 べ て お ら れ る が、 ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ が プ ラ ジ ュ ニ ャ ー カ ラ グ プ タ の 思 想 の 後 継 者 で あ る と い う 沖 和 史 氏 の 指 摘、 さ ら に ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ の 刹 那 滅 論 に 関 す る 谷 貞 志 博 士 の 見 解 に 基 づ き、 ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ と そ の 弟 子 ラ ト ナ キ ー ル テ ィ が、 ダ ル マ キ ー ル テ ィ の 註 釈 者 で な い が、 系 統 的 に い わ ゆ る 宗 教 学 派 に 分 類 さ れ 得 る 学 者 と 見 な し て お ら れ る。 小 野 基「 仏 教 論 理 学 派 の 一 系 譜 ― プ ラ ジ ュ ニ ャ ー カ ラ グ プ タ と そ の 後 継 者 た ち ―」 『 哲 学・ 思 想 論 集 』 二 一、 一 九 九五年、一六二頁、一四四頁、沖 和史「 《 citrādvaita 》 理 論 の 展 開―
Prajñākaragupta の 論 述―
」『 東 海 仏 教 』 二 〇、 一 九 七 五 年、 谷 貞 志「 ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リーミトラ「瞬間的消滅論」 ―思想的クロノロジーの逆 転 ―」 『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』 四 四 ― 一、 一 九 九 五 年 参 照。 な お、 小 野 博 士 が 述 べ て お ら れ る よ う に( 前 掲 小 野 論 文、 一 五 〇 頁、 註( 1))、 こ の 学 派 の 三 分 類 の 妥 当 性 は 今 日 再 検 討 さ れ る べ き で あ ろ う。 し か る に、 私 に は 先 ず シ チ ェ ル バ ツ キ ー に よ っ て 言 わ れ た「 宗 教 」 のジュニャーナシュリーミトラの思想史的場に関するノート(新井) 七一 意味そのものが判然としない。 ( 6) 「 系 譜 」 参 照。 た だ し、 M. Monier -W illiams Sanskrit Dictionary に は、 ʻyoung kingʼ, an heir-apparent asso -ciated with the reigning sovereign in the government, cr ow n pr in ce ; N. o f Ma itre ya (the fu tur e Bu dd ha; o f various authors と 出 て お り、 こ こ で は、 一 応 未 来 仏 と し て の マ イ ト レ ー ヤ と 特 定 さ れ て い る よ う で あ る。 な お、 マ イ ト レ ー ヤ の 史 実 性 を 始 め と す る 問 題、 マ イ ト レ ー ヤ の 五 法 の 問 題 に つ い て は、 袴 谷 憲 昭「 チ ベ ッ ト に お け る マ イ ト レ ー ヤ の 五 法 の 軌 跡 」『 唯 識 思 想 論 考 』 (大蔵出版、二〇〇一年)参照。 (7) 「試訳」四頁、 「系譜」二四頁参照。 ( 8) 久 間 泰 賢「 経 量 部 説 と 唯 識 学 説 と の 関 係 づ け
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Jñāna -śrīmitra の 場 合―
」『 仏 教 学 』 三 八、 一 九 九 六 年、 六 四頁。 (9)前掲久間論文、六三頁。 ( 10) SS 第 六 章 に『 月 燈 三 昧 経 』 が 引 用 さ れ て い る。 J 510, 25-511, 5: ukta m ・ ca candrapradīpe, bahūjano bhā s ・ ati skandhaśūnyatā m ・ na ca prajānanti yathā nirātmakā h ・ | te aprajānanta pare hi coditā h ・ krodhābhibhūtā h ・ puru s ・ am ・ vadanti || iti. 「 ま た『 月 燈 三 昧 経 』 に お い て、 〝 多 く の 人 が 蘊 が 空 で あ る こ と を 語 る。 し か る に、 彼 ら は ど の よ う に 無 我 で あ る か 理 解 し て い な い。 彼 等 は、 そ れ を 理 解 し て い な い と き、 彼 ら は 他 の 人 か ら 非 難 さ れ る と 無 慈 悲 な 言 葉 を 語 る 〟。 」 引 用 箇 所 漢 訳 は 次 の 通 り で あ る。 「 多 人 說 陰 空 不 知 陰 無 我 若 問 陰 有 無 顰 蹙 瞋 言 對。 」( 大 正 新 脩 大 蔵 経、 六 三 九、 五 五 八 頁 中 一 七―一八行) ( 11) こ の 一 節 は、 夢 の 中 で 構 想 さ れ た 子 供 に 関 す る 議 論 に あ る も の で、 「( 子 供 に ) 手 で 触 れ た 」 と う い の は、 子 供 の 認 識 の 具 体 例 を 表 し た も の と 理 解 し こ の よ う に 訳 し た が、 前 後 の 文 脈 を 含 む 詳 し い 考 察 は、 目 下 発 表 し ている SS V の和訳研究において提示したい。 な お、 こ の 一 文 は、 或 る も の X に 関 し て 考 察 が な さ れ る な ら ば、 子 が い な い こ と が わ か る の で、 喜 び は そ も そ も 起 こ ら な い 、 と い う よ う な 意 味 で 一 応 解 釈 し た 。 ( 12) yuvarāja に 関 し て 先 に 筧 氏 の 見 解 に 言 及 し た が、 こ の よ う な 視 点 は pūrvācārya の 問 題 に 想 到 す る。 yuvarāja 及 び pūrvācārya の 問 題 に つ い て は 他 日 別 稿 を 期 し て、 今 こ こ で は ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ の 作 品 に お け る pūrvācārya の 唯 一 の、 し か も 単 数 形 で 出 る 用 例 を 指 摘 し て、 試 訳 を 付 す に 留 め て お き た い。 J 358,13: vyāpakānupalambhe tu pū rvācārya carciteʼnumatimā -tram... 「しかし、能遍の非認識が pūrvācārya によって規 定 さ れ た の で、 承 認 の み が あ る。 」 pūrvācārya の 問 題 に か ん し て は、 特 に、 松 田 和 信「 Vyākhyāyukti の 二 諦 説ジュニャーナシュリーミトラの思想史的場に関するノート(新井) 七二
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Vasubandhu 研 究 ノ ー ト ⑵―
」『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』 三 三 -二、 一 九 八 五 年、 袴 谷 憲 昭「 pūrvācārya 考」 (前掲『唯識思想論考』所収)参照。 な お、 J に は、 SS に お け る『 解 深 密 経 』「 マ イ ト レ ー ヤ 章 」 の 引 用 以 外 に、 マ イ ト レ ー ヤ の 固 有 名 が 次 の よ う に 一 度 だ け 用 い ら れ て い る こ と を 確 認 し て お き た い。 J 498,5-6: āryamaitreyanāyakanayātikrme hi kīd r ・śī bauddhatattvasthiti h ・ . 「 実 に、 聖( ārya ) マ イ ト レ ー ヤ と 指 導 者( nāyaka )〔 ダ ル マ キ ー ル テ ィ〕 の 教 義 を 超 え る な ら ば、 一 体 ど の よ う な 仏 教 の 真 実 の 確 立 が あ ろ う か。 」この一文中の nāyaka は、本文に引用した J 512,15 に 出 て い る よ う に ダ ル マ キ ー ル テ ィ を 指 し て い る と 理 解 し 試 訳 を 与 え た。 は じ め āryamaitreyanāthaka 。 と い う 読 み か と 疑 っ た が、 こ の テ キ ス ト は Jms 。nāyaka 。 に よ っ て 確 認 さ れ る。 た だ し、 こ の 一 文 の 前 後 に Mahāyānasūtrāla m.
kāra の言及と引用がなされる SS の文 脈 を 考 え る と、 ダ ル マ キ ー ル テ ィ が こ こ で 唐 突 に 言 及 されるのも若干不自然な印象がある。 ( 13) ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ は『 根 本 中 頌 』 以 外 に も、 『 六 十 頌 如 理 論 』 Yukti s.
as.
t.
ikā 第 三 四 偈 を 引 用 し て い る。 J 405, 1-2 参照。 〈 付 記 〉 本 稿 で は チ ベ ッ ト の 伝 承 に 言 及 し な か っ た が、 註 4 に 掲 げ た 袴 谷 論 文 で 扱 わ れ て い る よ う に、 チ ベ ッ ト に は「 聖 典 追 従 派 」 Lu n ・ gi rjes 'bra n ・ s sems tsam pa ( = āgama-anus āri n ・o vijñānavādina h ・ ) と「 論 理 追 従 派 」 Rigs pa'i rjes 'bra n ・ s sems tsam pa (= nyāya-anusāri n ・o vijñ ā nav ā dina h ・ )の 伝 承 が あ る( 前 掲 袴 谷 論 文 参 照 )。 こ れ ら が ジ ュ ニ ャ ー ナ シ ュ リ ー ミ ト ラ の 著 作 に 確 認 さ れ る こ と を 付 記 す る。 前 後 の 箇所を含む翻訳、考察は別稿を用意したい。 J 283,26-27: ukta m ・ ca nyāyānusāri n ・ ā śa m ・ kare n ・ a, yat pramā n ・ am ・ yāvatīm arthagati m ・ vyāpnotītyādi. J 345,23-24: tathā pratyak s ・e 'pi grāhyagrāhakayor bheda āgamāntarānusārī tathāpratītyā vyavahāryata iti na do
s ・ ah ・. J 448,21-22: kevala m ・ nyāyāynusāri n ・ a ekatvam anuśi s ・ma h ・. J 543,22-23: t ・īkāpy āhāgame kvāpi noktā nākāradhīr iti | khyātācāryasthiramater āgamasyānusāri n ・ ī ||