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名君佐竹義和の藩政改革で知られている

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Academic year: 2022

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(1)博士(文学)学位請求論文審査報告要旨 論文提出者氏名 論 文 題 目. 金森 正也 秋田藩における中期藩政改革の展開と地域変容. 審査要旨 秋田藩は 20 万石の外様大藩である。名君佐竹義和の藩政改革で知られている。本論文は、秋田藩に おける中期藩政改革すなわち寛政改革の改革の実態と、その歴史的意義を追究した研究である。東北 諸藩の中期藩政改革は、西南諸藩の天保期の改革と比べて、これまで、幕藩体制の構造的危機に対す る反動的対応として捉えられてきた。本論文は、寛政改革に連続する時期(天保期)を含めて考察し、 その後の秋田藩社会をも視野に入れる議論を展開しているところが優れている。 論者はこれまで一貫して秋田藩政史の研究を行ってきた。藩政史研究は第二次世界大戦後の近世史 研究のなかでもっとも隆盛を誇った分野であったが、1970 年代以降、幕藩制国家論研究が盛行するな かで、個別分散的研究であると批判されてきた。2000 年代に入って、新しい藩政史研究の潮流が生ま れてきた。それは藩領域・藩領民を、藩を構成する重要な要素と捉え、藩という場で展開される政治・ 経済・文化・一揆等々の諸活動を総合的に追究する。本論文は、こうした新しい藩政史研究の方法を 踏まえ、地域の視点にこだわった議論を展開している。 寛政改革の具体的な政策をみると、農村政策として、郡奉行を設置し、従来の代官制度とはかわる 「郡方支配」ともいうべき農村支配体制が創出されたと論じている。東北の中期藩政改革では、年貢 収奪基盤を強化するため本百姓体制の立て直しが研究テーマとして取り上げられてきた。秋田藩にお いてもその側面は否定できないが、本論文は、領主と領民のあいだに従来の体制とは異質な関係を生 み出す側面・可能性があったと指摘している。 次に、農村政策とのからみで地方知行制を論じている。秋田藩は幕末に至るまで地方知行制をとり 続けた藩であり、70%が知行地である。地方知行制は中世的残滓と理解されており、それが寛政改革 でようやく克服された、それを行ったのが郡奉行の設置であったと評価されてきた。しかし地方知行 制は幕末まで維持されているので、この事実をどのように理解したらよいだろうか。本論文は、郡奉 行の設置=郡方支配は、個々の給人の知行地における矛盾の処理を代行する役割を果たし、地方知行 制の体制的な維持を可能にしたと捉え、地方知行制の存続を肯定的に評価する。秋田藩が直面してい る諸矛盾を有機的・一体的に捉えて、藩全体の課題として追究する研究方法は優れている。 寛政改革の重要施策である殖産政策についても、従来は領主が新たな収奪源を求めて、特権的商人 と癒着して実施したと理解されてきたが、秋田藩においても民間のあいだに絹織・養蚕などの地場産 業を育てる動きが展開しており、それを支える「知」が形成されている。殖産政策はこうした民間の 知識を抜きにしては考えられない。村の成り立ちの手段を獲得しようとはかる村役人と、改革を志向 する改革派官僚との連携による、と論じている。 寛政改革は藩主佐竹義和が主導した。だが実際には、義和の意思を実行するシステム作りが重要で ある。それゆえ本論文は、藩校の建設、そしてそこにおける教学に注目する。秋田藩では藩校で学ん だ下級藩士のあいだから藩政に参画し、改革を推し進める改革派官僚が創出されたことを論じる。彼 らは藩主義和があっての改革派官僚である。ゆえに彼らの手によって、義和の「名君」化が進められ、 理想の藩主像が創造された。義和亡きあと、彼ら改革派官僚が義和の遺志を受け継いでいった。天保 の飢饉・一揆は寛政改革の挫折と捉えられてきたが、その対応にあたったのは改革派官僚であった。 政策主体の面からみて、寛政改革は天保期につながっていると指摘している。 本論文は、中期藩政改革(寛政改革)を幕藩体制の構造的危機に対する領主的反動とみなす通説に 対し、領主と領民が新しい関係を紡ぎだし、藩権力の正当性を再確立するために「仁政」理念を強調.

(2) したことを明らかにして、 「仁政」国家を創造したと指摘し、天保期との断絶論の克服に努めるなど、 これまでの中期藩政改革論に見直しを迫る意欲的な研究である。審査委員会は本論文を高く評価する ものであるが、1、2意見を述べたい。 本論文は、寛政改革を実証的に分析しているが、それに連続する天保期とのあいだの研究が手薄で 連続性が十分議論されていない。天保飢饉・一揆の対策、藩主の領内巡行などを実行した政策主体が、 改革派官僚であったことは理解できるが、それだけでは説得的ではない。寛政改革後の藩政の実態を 具体的に提示する必要がある。 もう一つは、寛政改革は秋田藩における「仁政」国家の創造をめざしていたという指摘についてで ある。これは仁政イデオロギー論の捉え直しだけで論じられているように思われる。 「仁政」国家につ いて具体的な説明が望まれる。 「仁政」国家と天保期の飢饉・一揆とはいかなる関係になるのか気にな る。 本論文は、東北における中期藩政改革の研究に新たな視点から評価を下し、通説の見直しを迫った 意欲的な研究であると評価できる。よって審査委員会は、博士(文学)の学位を授与するに値すると 判断した。. 公開審査会開催日. 2013 年 1 月 26 日. 審査委員資格. 所属機関名称・資格. 博士学位名称. 氏 名. 主任審査委員. 早稲田大学文学学術院・教授. 文学博士(早稲田大学). 紙屋 敦之. 審査委員. 早稲田大学文学学術院・准教授. 博士(文学)早稲田大学. 谷口 眞子. 審査委員. 早稲田大学・名誉教授. 文学博士(早稲田大学). 深谷 克己.

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