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時事問題学習の内容に関する一考察 : 危機の二重 性と社会科

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時事問題学習の内容に関する一考察 : 危機の二重 性と社会科

著者 藤原 孝章

雑誌名 同志社大学教職課程年報

号 1

ページ 32‑43

発行年 2012‑03‑31

権利 同志社大学教職課程年報編集委員会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013575

(2)

藤 原 孝 章

(同志社女子大学)

時事問題学習の内容に関する一考察

―危機の二重性と社会科―

論文

An approach on the Contents of Current Issues Studies ―The Dual Risk and Social and Global Studies―

Takaaki Fujiwara Summary

In this paper I suggested an approach on the contents of current issues studies by analyzing about the risk society common to terrorism, disaster, global economy, gap-widening society, etc.

I indicated the dual risk in the society: the risk as a phenomenon and the risk as a structure. Concretely I took the several cases of risk society such as September 11 of 2001 as a terrorism, the earthquake and tsunami in Eastern Japan, the accident of Fukushima Nuclear Power Plants, the Lehman shock as the risk of global economy, increasing suicides in the post industrial society, infections, immigrants and refugees as the unequal distribution of global wealth.

The above risk was different phenomenon by each, but there was the common structure such as inequality, discriminations, exclusion, social gap and stress, etc. in the society and the world.

I concluded this recognition of dual risk society was an useful approach for us to understand the diverse and complicated phenomenon in the current issues. Also it was important for teachers to create lesson units based on these social recognition.

(3)

はじめに

 筆者は、同志社大学教職課程科目として、社会科教育法と社会科・公民科 教育法を担当している。前者は中学校の社会科を、後者は中学校公民的分野 及び高等学校の公民科を対象に講義をしている。学生たちは、自分の授業体 験から、社会科授業といえば、教科書に記載された事実的知識の暗記であっ たり、社会のしくみや制度、歴史の流れをわかりやすく解説、説明できるこ とだと考えていることが多い。しかし、理想的な社会科授業をたずねると、

討論型授業や時事問題のような「社会に生きる」ための授業があがってくる。

 このギャップをうめるために、講義では、教科書にそった単元の授業論だ けではなく、教師の創意工夫による開発単元の授業論についても提示し、学 生たちに課す「単元計画・授業案」に幅を持たせている。特に、公民科教育 法の講義では、時事問題学習の開発単元をとりあげて、社会科における「説 明・解釈型」学習、「判断・批判型」学習、「合意形成型」学習、「社会参加」

学習の4つを紹介している。

 本論文では、最近の国際的な時事問題として、テロ、災害、グローバル経 済、格差社会などに共通する「危機社会」現象をとりあげて社会科における 時事問題学習の内容研究の一助としたい(1)

1.9.11(米国同時テロ)と3.11(東日本大震災)をつなぐもの

 9.11(2001年)は、「新しい戦争」だといわれた。その理由は3つほどあ る。

 1つは、「戦争」が国民国家間の宣戦布告によるものだという「戦争」概 念の転換である。9.11は、国家対集団で、しかも布告なしに「戦争」が起こっ た。つまり「戦争」が「いつでもどこでもおこりうる」ものとなった(戦争 の場所と時間の無化)。2つは、テロリズムの思想が、「反倫理」(多数の乗 員乗客を道連れにし命を奪った)を背負ってしまったことである。従来の「テ ロ」は、「貧者の反撃」の意味合いもあったが、それを喪失してしまった。

つまり「なんでもあり」の「戦争」になった(戦争当事者の無化)。そして 3つは、テロであれテロとの戦いであれ、報復の連鎖をもたらす「戦争」に

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なってきたこと、いいかえれば、「戦争」に正義はあるか、不戦・非戦は可 能なのかという重い問いを私たちになげかけた。

 そして、くしくも10年後の、2011年3月11日に東日本大震災がおきた。今 回の事態は、震度の大きさ(M9.0、1000年に一度ともいわれる)、津波の巨 大さ(10mをこえる)、原発事故の深刻さ(地震と津波による原子炉溶融と 放射能汚染、電力不足)、広域性(東日本全体にわたる被害、2万人に達す る死者・行方不明者数)、世界性(チャリティなどの人道支援や米軍の協力、

放射能汚染に対する世界の注目、監視)の5点で全く新しい災害である。

 9.11とはその日を境に状況が一変したという点や被害の深刻度、社会の 既成概念を変えたという点で共通している。では、9.11と3.11を結びつけ る学びの視座はあるのか、あるとするならどのような学習の契機が可能か。

 筆者は、両者を「9.11と3.11」を時事問題学習としてとらえ、平和な社 会、安心・安全な社会とは何かを学習として探ることで学びの契機とするこ とができると考える。テロも災害も、私たちのくらしのなかに「突然」やっ てきて、多くの人命を失わせ、不安を与えるものである。まさに危機社会そ のものの「日常化」ともいえる。後述するように、危機社会とは、実は、危 機が構造として社会に内在しているがゆえに、危機的な社会状況として現象 し、態様は異なるが危機としての現前は継続的なものとなり、「日常化」し ている社会のことである。

 これにどう対処すればよいか、それへの応答(responsibility)として、

危機社会の課題を時事問題学習としてとりあげ、平和な社会を創る学習を組 織するのである。

2.危機とは何か  ―災害(震災・津波)の場合

 1995年1月19日明け方、今まで経験したことのない揺れに出会った。M7.0 の阪神・淡路大震災である。やがて、私たちは、恐ろしい光景を目にするこ とになった。それは、山陽新幹線の高架の橋桁が破断し崩落寸前であったこ と、一般道路のいたるところにひびが入り、一部は飴のようにまがっていた こと、電車をまたぐ跨線橋が崩落していたことなど、寸断された交通網であ りライフラインであった。また、台風に強いとされた日本家屋は、それ故に

(5)

屋根が重くなり、直下型地震に耐えきれず、家ごと押しつぶされていた。

6000人以上の死傷者を出した大災害であったが、死者の多くは圧死であった。

このときに体験した揺れの感覚と破壊の光景は、今でも私の記憶の中に生き ている。まさにそれは、「現象としての危機」がもたらしたものである(筆 者が当時勤めていた報徳学園中学校・高等学校の校舎の一部も火災をおこし た)。

 他方、阪神・淡路大震災では、その約70年前に起きた関東大震災(1923年)

のときのような、民族的な差別と迫害は起きなかった(日本側の歴史では、

震災による死者不明者10万人以上。なかでも在日朝鮮人数千名、中国人約 200名が日本人の民間自警団によって殺害された)。阪神・淡路大震災では、

神戸市内のある地域では、在日朝鮮人、ベトナム・インドシナ難民、日本人 の双方による炊き出しがあった。

 しかし課題もわかった。震災による被災状況の確認や生活情報や補償につ いて、当時は日本語情報のみが流通し、中国人留学生やフィリピン人、日系 ブラジル人などの「ニューカマー」外国人への情報が不足していることが明 らかになった。このような反省から、その後に起きた地震(新潟県中越地震 など)では外国人への多言語情報サービスの充実がこころみられ、今回の東 日本大震災では、公的機関(自治体)や

NPO

などのサポートによって、多 言語情報サービスは飛躍的に向上し、システム化されていった。

 関東大震災では、日本による朝鮮の植民地化と反日独立運動(1919年、三・

一運動)が、日本国内に不安な情報として潜在し、震災による危機のなかで、

日本人の恐怖心が朝鮮人虐殺をもたらした。背後に、政治的な対立とそれが もたらす不安(「構造としての危機」)があったのである。

 阪神・淡路大震災では、そのような「構造としての危機」がなかったがゆ えに地域における協力、恊働があった。東日本大震災も同様で、民族的な対 立は起きなかった。そればかりか日本内外からの義援金をはじめとするサポー トやボランティアの支援は、大きな略奪や暴動のない被災の光景とともに、

社会対立を生み出す「構造としての危機」は限られていたことを示している

(福島原発事故による強制避難地域における窃盗をのぞく)。

 地震や津波の災害は、発端が自然現象であっても、人間社会に現象する限 りにおいて、それはかならず社会的な危機として現象する。社会的な対立や

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民族的な対立を「構造」として抱えていると、虐殺や暴動、略奪といったよ り人為的な危機をもたらすのである。すなわち、危機社会の理解には、「現 象としての危機」と「構造としての危機」という二重の社会認識が不可欠で ある。

3.危機とは何か  ―「フクシマ原発事故」の場合

 次に、「現象としての危機」と「構造としての危機」の視点から、「フクシ マ原発事故」をとりあげてみる。

 今回の東日本大震災の最大の特徴は、福島第一原子力発電所が、「想定外」

の震度(M9.0)と10メートル以上の津波による電源喪失によって原子炉の メルトダウンがおき、水素爆発の結果、大量の放射能が大気中や地下水に放 出され、深刻な環境汚染をもたらしたことである。

 たしかに、M9.0の海溝型地震とそれがもたらす大津波は、1000年に一度 の地震といわれるが、原子力発電に関連する科学技術の限界を示すものとし て、私たちには現象した。それは、世界の人びとにとっても、トヨタやソニー を生み、新幹線を無事故で走らせている科学技術に優れた日本でさえ、原子 力を制御することができなかったという事実の衝撃性となって現象した。

 さらに、COなどの温室効果ガスをださない「クリーン」で、石油よりも

「コスト」の安いエネルギーといわれていた原子力発電が、安全性と管理を 怠り、メルトダウンに至る事故になると、強制避難や環境汚染、健康不安、

除染・終熄・廃炉に要する莫大な社会的費用を内在させていることがわかっ てきた。そして、電力制限や節電といった事態まで引き起こし、原子力発電 に過度に依存した日本経済や私たちの日常生活の脆弱性が明らかになった。

すなわち、原子力発電とは「社会的な危機を抱え込んだ科学技術」であるこ とを私たちに知らしめたのである。

 では、原発事故における「構造としての危機」とは何であろうか。それは、

原子力政策とアカデミズム、マス・メディア、国民意識といった広範囲の「構 造としての危機」であり、電気事業を担う電力会社をめぐる「構造としての 危機」である。

 前者は、日本政府(特に政権を長く担当してきた自民党政権と担当官庁で

(7)

ある経済産業省)の強力な原子力発電推進政策と、莫大な補助金によって政 策に応える電力会社、発電にかかわる企業やそれらを科学技術研究によって 支えるアカデミズム(大学などの研究機関)という、いわゆる「原子力村」

といわれる「政官産学」の「利益の共同体」を生み、内部批判を排除し、外 部批判に耳を傾けない「構造」を作ってきたことである。電力会社はテレビ や新聞などの大株主となり、また多額の広告料によってマスコミに働きかけ、

「原発クリーンキャンペーン」を国民に対して行っていった。過疎と産業不 振に悩む地方自治体もまた、原発立地による補助金によって雇用が生まれ、

人口流出を防いできたのであった。かくして、私たちは、いつのまにか「安 心・安全・クリーン・安い」エネルギーとしての原子力発電という幻想を抱 くようになった。

 化石燃料による過度の依存をさけ、脱石油戦略として、再生可能エネルギー ではなく原子力エネルギーを選択した1970年代以降の日本の政治、経済、科 学技術、国民意識には、以上のような「構造として危機」があったことを、

今となっては認識せざるを得ないのである。

 後者、すなわち、電力会社をめぐる「構造としての危機」とは、東京電力 をはじめとする日本の各地の電力会社が、発電と送電、配電、電気料金など をとおして広域地域を独占する企業体であることに内在するものである。

 それは、ソニーやトヨタのような国際競争にさらされていない、いわば「旧 体制」の企業である。たとえば製鉄所などで生じる熱エネルギーで発電した 企業や太陽光エネルギーによって発電した家庭があっても、いまなお売電の システムは複雑であり、再生可能エネルギーの高コスト化をもたらし、参入 と普及を妨げてきたのである。また、化石燃料の変動があっても安定した電 力供給ができるように配慮された総括原価方式による料金体系は、電力会社 からコスト意識を低下させ、電気料金の高止まりをもたらし、結果的に高コ スト経済を日本にもたらしたのである。独占によって保護された電力会社の

「安心・安全」の構造の中に危機が潜んでいたのである(2)

(8)

4.危機とは何か 

  ―グローバル経済の危機(「リーマンショック」)の場合

 2011年、「反格差社会デモ」が世界に広がった。「ウォール街を占拠せよ」

という呼びかけではじまったデモは、アメリカ、ニューヨークをこえて、ロ ンドン、ローマ、パリ、東京、香港などまたたく間に世界中に拡大した。デ モを呼びかけた「ユナイテッド・フォー・グローバル・チェンジ」によると、

デモは82カ国、951都市で展開された。デモの呼び掛けはインターネットの 交流サイト「フェイスブック(Facebook)」やミニブログ「ツイッター

(twitter)」、動画配信サイト「ユーチューブ(You tube)」を通して広がっ た。各地の参加者らは、「私たちは99%」「1%の富裕層に課税を」「銀行は がんだ」などと書いた横断幕を掲げている(3)

 ここに示されているのは、グローバル経済の危機である。これは、2008年 に起きた「リーマンショック」がまだおさまっていないことの現象である。

 アメリカの低所得者層を対象にしたサブプライムローン(信頼性の低い、

回収不可能性の高いローン)が、「ローンによるローン」(たとえば、ローン によって購入した住宅を担保に、さらにローンによって車を購入するという ようなこと)のバブルがはじけ、ローンを補償し、融資をしていた大小の金 融機関が倒産し、ついには超大手の投資銀行会社リーマンブラザースが倒産 するという事態にいたった。それは、アメリカ国内にとどまらず、先進各国 の金融と経済に打撃をあたえ、世界同時不況をもたらしたのである。不況に よる企業の業績悪化は、派遣切りといわれる非正規雇用労働者の突然の解雇 となり、日本ではホームレスの増加となり、「反貧困デモ」が起き、社会不 安をもたらしたのである(2008年末)。

 投資をめぐる金融商品の創造には、リスクマネージメントやリスクヘッジ のための金融工学、すなわち「神の見えざる手」をできるかぎり人工化し、

制御しようとする科学技術があった。しかし、原子力発電と同じように人智 を尽くしたかにみえる科学技術にも「構造としての危機」があったのである。

 第二のリーマンといわれる2011年のギリシャの経済危機、ギリシャの債券 に融資しているドイツ、フランスの銀行の金融不安、EU通貨ユーロの信用 不安なども、危機の現象は異なっても、同様のグローバル経済の危機を示す

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ものである。ここには、金融商品をとおして幾重にも結びついている銀行、

証券、政府機関の金融資本主義に潜む構造的な危機がある。グローバルな規 模で一体化し、システム化しているが故に、世界危機となって現象するので ある。

 日本のバブル崩壊にしろ、アメリカのリーマンショックにせよ、政府が公 的資金を投入して、救済されたのは大手の金融機関であるが、自己責任を負 わされたのは、社会的弱者とされる非正規雇用労働者である。ここにも構造 的な危機が潜んでいる。

 格差社会といわれるように、社会が階層化され、分断化が進行すると、個 人の自由や自己責任と社会の公共性の間の矛盾が明らかになり、不平等感や 不公平感がたかまり、社会対立が明確になり、危機となって現象する。危機 をだれが受け入れるのか、危機の分配をめぐる対立が背後にある。現在の「反 格差社会デモ」は、金融資本主義批判であり、セイフティネットの整備など より公共性の高い資本主義政策のあり方を求めるものである(4)

5.危機とは何か  ―ポスト産業社会の危機(自殺者の増加)の場合

 現在の「反格差社会デモ」や日本の「反貧困デモ」は、社会システムや政 策の結果生じた危機の分配をめぐる対立であり、危機の現象である。しかし、

より深刻なのは、格差社会に内在する「構造としての危機」が個人化し、家 族化していく場合である。すなわち、先進各国に共通する格差社会や知識情 報社会への傾斜は、家族やコミュニティに変容をもたらし、家族やコミュニ ティから個人が引きはがされ、個人の精神性と身体性の調和がとれにくくな り、不安感やストレスを拡大させている。社会にひそむ危機が個人に内在化 するといっていい。それは、ニートやフリーター、ひきこもりといった若者 や大人の増加、自殺者の増加という危機として現象している。

 たとえば、日本の状況では、いまや13年連続で年間自殺者が3万人を超え ている。これは、毎日約80人が13年間連続で自殺をし、2011年の東日本大震 災の死者・行方不明者数(約2万人)を超える人命が毎年失われ、奈良市の 人口(約37万人、2011年)に匹敵する人命が13年の間に失われたことを意味 している。

(10)

 ここには、社会の格差化がもたらす不公平感、閉塞感とともに、社会が知 織化し、サービスや情報システムの利便性が高まる一方で、自然性から遠く はなれてしまった第三次産業中心の、ホワイトカラー労働が中心になった「ポ スト産業社会」における危機があるといえる。それは、システムや時間感覚 への不調和、対人関係やコミュニケーションの不備、うつ的心情、傷つきや すさやいやしをもとめる心象風景となって現象しているのである。

6.危機とは何か 

  ―テロ、感染症(HIV/AIDS)、移民・難民(富の分配、危機の分配)

 次に、開発途上国と先進国の富の格差(いわゆる南北問題)がもたらす「危 機」についてふれる。

 9.11テロの背景には、開発途上国の貧困が構造的な危機として潜んでい るといわれる。「貧しさがテロを生む」という単純な論理は必ずしも正しい とはいえないが、他方で、貧困は、途上国における危機をうみだす要因になっ ている。気候変動や紛争などの政治的対立は飢餓をもたらすことも多い。

HIV/AIDS

などの感染症もまた、貧困であるが故に、抗治療薬に手が届かず、

逆に薬物や売買春と結びつくことがある。

 しかしながら、「貧困のワイングラス:(UNDP『人間開発報告書』1994年)

や『世界がもし100の村だったら』(マガジンハウス、2001年)がいみじくも 示すように、世界では富が、あきらかに不平等かつ不公正に分配されている。

不公正というのは、18世紀以来の先進国による植民地化と富の収奪がもたら した貧困の構造によるからである。

 先進国と途上国間の不平等で不公正な富の分配は、先進各国への経済的な 理由での移民や政治的な理由における難民や庇護民(Asylum seekers)を 生み出し、受け入れ国での雇用の争奪、民族や宗教、文化、習慣の相違によ る寛容、不寛容をめぐる対立をもたらし、多文化社会に潜む危機として現象 している。ここでは、富は誰がうけとるのか、誰が独占しているのか、とい う地球規模での富の分配の構造が横たわっている。

(11)

7.二重の社会認識と危機社会 ―時事問題学習として

 危機は私たちのくらしのなかに「突然」やってきて、多くの人命を失わせ、

不安を与える。連鎖的な危機の現象は、危機社会の「日常化」といってよい が、これにどう対処すればよいか。それは、社会科教育の観点から、時事問 題学習として危機社会の課題をとりあげ、平和な社会を創る学習を組織する ことである。時事問題学習とは、社会的に論争となっている現代的課題を学 ぶものである(5)

 テロや戦争は、9.11に関わらず、正戦(聖戦)、反戦、非戦など論争の的 となっている(6)。災害や原発事故は、安心・安全の社会、持続可能な社会に ついての議論を提起している。経済危機にしても、公共性について議論が起 きている。貧困問題も然りである。

 筆者は、このような時事問題学習を社会科の学習原理と関連づけて、(A)

科学的説明・認識にもとづく「説明・解釈型」学習、(B)価値的認識・判 断にもとづく「判断・批判型」学習、(C)合理的意志決定にもとづく「合 意形成型」学習、(D)社会参加にもとづく「社会参加」学習の4つ学習単 元を提案したことがある。

 テロや戦争、災害・事故、経済危機、貧困問題など「現象としての危機」

(連鎖的に現象している)について、なぜその現象がおきたのか、どんな状 況になっているのか、など素朴な疑問がおきるのは当然のことであろう。説 明や解説が社会科には求められる。テレビなどメディアが伝える「ニュース 解説」に人気が集まるのはこのためである(A)。

 しかしながら、たとえば戦争にしても、戦争に正義はあるのか、戦争の思 想はいかにつくられるのか、戦場に行くのは誰か、誰のための戦争か、宗教、

民族の対立は戦争の本当の原因か、なぜ戦争に反対する人々がいるのか、な どの冷静な問いはマス・メディアでは過小に扱われる。

 今回の「反格差社会デモ」の呼びかけに効果を発揮したとされるツィッター、

フェイスブックなどのソーシャルネットワーク(パーソナルメディア、市民 メディア)の活用の是非もふくめて、多様なメディアや情報を検証する必要 がある。災害や事故にしても、伝えられる情報を誰が選択しているのか、本 当に知りたい情報は何なのか、公用言語だけではなく多言語の情報はあるの

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か、といった批判的な視点、「現象としての危機」を読み解く視点が重要な のである(B)。

 だが、批判的なアプローチだけではなく、「構造としての危機」を理解し、

平和や安全な社会を創り出す観点、持続可能な社会の観点からのアプローチ も必要である。仮にこれを構造的アプローチと呼ぶならば、正戦(聖戦)/

反戦/非戦について、原発やグリーンエネルギーの是非について、あるいは 格差社会における富の分配のあり方について、また多文化社会における寛容 と共生のあり方について、それぞれの立場や理由付けを明確にし、検証し、

議論し、自分たちが生きる社会、未来をどう選択していくのかという意思を 学習者が決定していくこと(C)は、重要な社会科学習の契機となる。

 さらに、「平和する社会」の形成のために、自分たちは何ができるかを探 求し、社会に参画していくことも学習として可能である(D)。

 以上、社会科においては、危機社会の理解として「現象としての危機」と

「構造としての危機」という二重の社会認識が不可欠であり、平時において は「構造としての危機」に目を向け、人権や環境に配慮し、富の公平かつ公 正な分配に配慮する社会を構築すること、そうすることで「突然」やってく る「現象としての危機」に対して、危機を共有しうる社会(安全・安心の社 会)を構築することの重要性が指摘できるのである。

 本論文は、日本国際理解教育学会第21回大会(京都橘大学)シンポジウ ム・テーマ「9.11以降の平和教育の課題―グローバル化の下で戦争を どう伝え、どう教え、どう学ぶのか」における「〈9.11と3.11〉戦争 と災害の伝え方・学び方―時事問題学習の課題―」と題したシンポジウ ム提案、および、韓国国際理解教育学会第12回大会(ソウル大学校

〈Seoul National University〉)シンポジウム・テーマ「危機社会と 国際理解教育」における「危機の二重性と時事問題学習―国際理解教育 の視点から―」と題したシンポジウム提案の口頭発表資料を改稿したも のである。

 藤原孝章研究室(http://www2.dwc.doshisha.ac.jp/tfujiwar/)の震 災関連コラムも参照のこと。

(13)

 

CNN

配信記事より、http://www.cnn.co.jp/world/30004284.html  2010.10.16閲覧

 ウルリヒ・ベック(東廉、伊藤美登里訳)『危険社会―新しい近代への道』

法政大学出版局、1998年。

 藤原孝章編『時事問題学習の理論と実践―国際理解・シティズンシップ を育む社会科教育』福村出版、2009年。

 正戦とは「正義の戦争」のことで、「民主主義を守るための戦争」や「民 族独立戦争」、「植民地解放戦争」など、第二次世界大戦における連合国 側や戦後の社会主義諸国などの「戦争理由」の言説などであり、聖戦と は、中世の宗教戦争や日本の大東亜戦争、イスラム教国(民族グループ)

など、宗教国家・グループの「戦争理由」の言説である。反戦とは、文 字通り戦争に反対するための理由で語られる言説であり、非戦とは、反 戦と異なり、戦争そのものを否定する言説で、日本国憲法の平和主義は これに近い考え方である。

(2012年1月20日査読済)

参照

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