第6章 医療保険制度の再編
計画経済期において、中国の医療制度は WHO や世界銀行などの国際組織から高い評価を 得ていた。しかし、1980 年代に入り、経済改革開放政策が進展していくにつれて、従来の 医療サービスの供給と需要に大きな問題が現われ、医療費の急増や医療サービスへのアク セスの低下などの問題が著しくなった。このような状況のなかで、新しい基本医療保険制 度が立ち上げられた。
本章では、中国の医療保険制度の改編、医療供給体制の変化を考察し、経済改革にとも なう基本医療保険制度の形成過程およびその実態を明らかにしたい。また、医療保険改革 と市場経済への転換の関連性についても議論してみたい。
第1節 計画経済期の医療保険制度
第 1 章では、中国社会保障制度の時期区分を①1949-85 年の就業・生活保障型の社会保 障期、②1986-92 年の改革模索期、③1993-97 年の改革強化期、④1998-現在までの新制 度並存期の 4 段階に分けた。就業・生活保障に関して、さらに 1949-56 年の創設期、1957
-68 年の調整期、1969-77 年の停滞期、1978-85 年の再建期に分けた。医療保険制度も おおむね上述の区分に当てはまる。しかし、従来の医療保険制度から基本医療保険制度へ の転換をより理解しやすくするために、本章はそのような時期区分にこだわらず、90 年代 初頭までの計画経済型医療保険制度、90 年代初頭から 98 年頃までの改革試行、さらに 1999 年以降の新制度について、考察と分析を進める。
現在、中国には 4 つの医療保険制度が並存している。それは、公費医療制度、労保医療 制度(以下、「公費・労保医療制度」とする)、基本医療保険制度、新農村協力医療保健制 度である。そのうち、公費・労保医療制度は建国初期から主な医療保険制度として中国の 都市部で機能してきた。基本医療保険制度は 1990 年代の医療保険改革の試行を経て 1999 年から実施されたもので、現在では主要な制度となっている。新農村協力医療保健制度は、
以前の農村協力医療保健制度が解体した後、最近再組織されたものである。本節では、ま ず都市部の公費医療制度と労保医療制度および従来の農村協力医療保健制度について簡単 に説明しておく。
1.公費医療制度
公費医療制度は、1952 年6月 27 日に国務院が公布した「人民政府、党派、団体および その所属事業単位の職員に対する公費医療予防の実施に関する指示」によって創設され、
日本の共済組合の医療保険制度に該当する。公費医療制度の適用対象は、各級の行政機関 と事業単位およびその他の党派、人民団体の職員と離退休・退職者、現役大学生、退役した 二等乙級以上の身体障害を有している軍人などである。適用者の家族は公費医療を受けら れないが、医療費が職場の統一徴収によって賄われる。公費医療の適用者およびその家族 は指定された医療機関で診察と治療を受ける。
図表Ⅵ-1 公費医療制度の仕組み
国家財政予
公費医療管理機構
受給対象機関 不足分④ 指定医療機関
受給者(患者)
予算定額
(公費医療費)
財政予算
②医療経費の請求 サービス
診療
予算定額
財政補助
①
請求金額の支払い③ 出所:楊・坂口(2002)、p.51。
公費医療制度の財源は政府の財政負担となる。図表Ⅵ-1は公費医療制度の仕組みを示 している。財政予算のなかには「公費医療費」が設けられている。衛生部門の要請に従い、
各級財政部門は定額基準1に基づき各級公費医療管理機構(各級政府の衛生局)に資金を支 給する。公費医療管理機構は受給対象機関(被保険者の勤務先)の請求に応じて医療費を 支給する。公費医療制度の被保険者は本人の写真が貼ってある「公費医療証」を持参し、
指定病院で診察を受ける。すべての医療費用は、病院側から受給対象機関に定期的に請求 され、被保険者自身の支払いが不要である。受給対象機関に請求した医療費が定額基準を 超える場合は、財政から補填される。ちなみに、1980 年代末から公費医療制度の改正にと
1 定額基準とは公費医療制度の加入者に、決められた1人当たり一定額の医療費のことである。1961 年ま で年間 18 元だったが、1979 年に 70 元となり、1993 年に 150 元(直轄市に 206 元)となった。
もない、被保険者に少額の自己負担を求めるようになった2。 公費医療制度の医療給付は以下の通りである:
① 指定された医療機関において受診したときの医薬費、ベッド料、検査料、薬剤費、
治療費、手術費など
② 公費出張中又は帰省休暇中に現地の医療機関で受診したときの医薬費
③ 転院必要と認めた場合、指定外の医療機関で受診したときの医療費
④ 計画出産手術、すなわち人工中絶手術の医薬費
⑤ 臓器移植が必要な場合の費用の一部
⑥ 労災で負傷、障害を負った場合の医薬費
⑦ 重病救急また公傷治療に必要な高価、栄養薬品の費用
公費医療制度の管理は、地方政府、医療機関、受給機関に分けられ、それぞれに管理機 構がおかれている。地方政府における管理機構は公費医療制度の実施をはじめ、その対象 機関の資格審査や、予算の編成およびその管理、使用、決算報告などを行う。医療機関に おける管理機構は病院における公費医療制度の管理措置の制定、実行状況の監督、公費医 療費の使用状況の報告書作りなどの業務を行う。受給機関における管理機構は定期的に同 レベルの公費医療制度の管理部門に本機関の公費医療制度の受給者数およびその支出状況 などの報告を行う。
公費医療制度の被保険者数は、1952 年には 400 万人しかいなかったが、1957 年には 740 万人、さらに 1980 年には 1,425 万人に増えた3。
2.労保医療制度
労保医療制度は 1951 年に国務院が公布した「労働保険条例」によって実施されたもので、
日本の組合管掌健康保険制度に相当する。労保医療制度の適用対象は、国有化の完了にと もない、都市部のすべての国有企業の正規従業員と離退休・退職者となった。また、県4以 上の集団企業も労保医療制度に加入することができる。
2 1987 年、財政部が「公費医療管理方法に関する通知」を公布し、公費医療制度以外の薬品、申し込み料、
往診料、特別栄養品などの費用を自己負担とした。また、診療費用の 1 割か 2 割の自己負担も部分的に実 施し始めた。
3 1952、57 年の数値は鄭他(2002)、p.123 から引用した。1980 年の数値は鄭他(2002)、p.132 より計算 した結果である。
4 県以下の郷、鎮、村という行政組織は日本の町、村に当たる。県以上というなら都市部の概念が強く、
郷、鎮になると農村部という概念が強いと一般的に理解されている。
労保医療制度の財源は企業の賃金総額から一定の割合で徴収される。業種によって割合 は異なっていた。制度が実施された当初、重工業、林業、鉄道、交通産業では 7%、軽工業、
紡績、郵政通信、貿易等では 5%とされていた5。その後、国の財政に余裕がでてきたため、
徴収割合は重工業、林業では賃金総額の 5.5%に、軽工業、紡績、鉄道、郵政通信、農業、
建設産業では 5%に、貿易業では 4.5%に下げられた。1969 年に財政部は徴収した資金を企 業自身で管理し、企業の「福利基金」という項目から支出するように定めた。この福利基 金は賃金総額の 11%と決められ、医療費が 5.5%となっていた。1993 年に 11%だった割合 は 14%に引き上げられ、医療費支出も 7%になった。離退休・退職者の医療費については「営 業外」という項目から支出される。福利基金と営業外の両項目はいずれも企業の生産コス トに算入される。利潤上納を前提とした統収統支の財政制度のもとでは、労保医療制度の 財源は政府によって賄われていたといえよう。
図表Ⅵ-2 は労保医療制度の仕組み(外来)を示している。公費医療制度と異なり、労 保医療制度の受給者はいったん医療機関の窓口でかかった医療費を払い、後に領収証と引 き換えに勤務先から払い戻してもらう(外来の場合)。
労保医療制度の医療給付は公費医療制度のそれと同様であるが、被保険者の家族は、半 労保医療を受けることができる。つまり、手術費と薬剤費の 50%が自己負担となる。
図表Ⅵ-2 労保医療制度の仕組み(外来)
出所:図表Ⅵ-1 と同じ。
5 当時の工業生産総額に占めるシェアを見ると、重工業、林業、鉄道、交通産業等は主要産業であって、
生産性が相対的に高かった。軽工業、紡績、郵政通信、貿易等は工業生産総額に占めるシェアと生産性は 相対的に低く、発展途上の工業部門であった。そのため、それぞれに違う徴収割合が設けられた。その後、
いくつかの改正が行われた。
③領収証で請求 請求金額の支払い⑥ 診療
サービス
①
② 医療経費 の支払い
企 業 受給者(患者)
請求金額 の支払い
⑤
請求
④
保険料の納付
指定医療機関 従業員福利基金
労保医療制度の被保険者は、1952 年の 302 万人から 1956 年の 2,300 万人に増加し、都 市部企業従業員の 94%を占めるようになった。さらに、1980 年には約 7,000 万人に達した
6。
基本的に新しい基本医療保険 度に代わられたが、公費医療制度はまだ機能している。
3
半では 90%の農村地域に農村協力医療保健制度が 実
療保 健
2001)、p.180]。つまり、1980 年代後半農村協力医療保健制度は解体し
中国衛生部が実施した「1986 年都市部医療保障の状況調査」によれば、1986 年に、都 市部において、公費・労保医療制度への加入者割合は 61.9%であった。それに、半労保医 療制度を加えると、86%の都市部住民が何らかの医療保険制度に加入していたことがわかる [『中国衛生年鑑 1986』、p.526]。今日では、労保医療制度は
制
.農村部における農村協力医療保健制度
1950 年代半ばから、農村協力医療保健制度は人民公社の発展とともに発達してきた。特 に 1960 年代半ば以降、毛沢東の「医療サービスの重点を都市から農村へ」というスローガ ンの影響によって、農村地域において医療サービスの向上と農村協力医療保健制度の急成 長が目を引くようになった。1970 年代後
施されていた[宋(2001)、p.180]。
農村協力医療保健制度の財源は、生産隊を単位とし、個人の自発的な納付と人民公社の 公益金補助によって調達され、生産隊で管理される。医療給付は以下の 3 つの形態が取ら れていた。①「合医合薬」、つまり、薬代を含む医療費の一部か全部を農村協力医療保健制 度の管理部門が負担する。②「合医不合薬」、つまり、診療を受けた際の注射・処置・診療費 などが無料で、薬代は自己負担する。③「入院給付」、つまり、外来診療の場合は医療費な どが自己負担で、入院治療の費用の一部か全部を農村協力医療保健制度の管理部門が負担 する。このうち、②が主たる給付形態となっている[張(1996)、p.104]。農村協力医
制度に対しては、「資金調達範囲が狭く、保障水準が低い」7という批判がある。
1970 年代末から経済改革が農村部でスタートし、従来の人民公社運営が農民の自主経営 に変わった。農村協力医療保健制度も人民公社の解体とともに次第に自費医療形態へと変 わった。宋(2001)によれば、1989 年にわずか 5%の農村地域に農村協力医療保健制度が行 われていた[宋(
6 1952、57 年の数値は鄭他(2002)、p.123 から引用した。1980 年の数値は鄭他(2002)、p.132 より計算 した結果である。
7 これについて、次のような文献を参照されたい。国家体改委研究所編(1998)、労働社会保障部医療保 険司編(1999a)、労働社会保障部医療保険司編(1999b)、劉他編(1999)など。
たといえよう。
第 2 節 計画経済期の医療保険制度の問題
で、経 改革がもたらした医療供給体制の転換と医療保険制度の変化を検討してみる。
済的背景 診療報酬制度
1
業の雇用体制に取り込まれ、政府予算から給料を も
病
の住民は、一 衛生院に行き、診療を受けるようになっていた。
2
公的医療保険制度および公的医療供給体制は、高度集権的な計画経済体制に対応できる ように作り上げられたものである。経済改革以降、社会的・経済的な変化によって、公的 医療保険制度および公的医療供給体制は、外部環境の変化に対してうまく機能しなくなっ た。本節では、計画経済期の公的医療供給体制と診療報酬の特徴を明らかにする上 済
1.計画経済型医療保険制度の社会的・経
(1)公的医療供給体制と
)医療供給体制の特徴
計画経済期において、医療供給体制は次の 3 つの特徴を持っていた。第 1 は、イギリス の NHS(National Health Service)のように、医療機関の経費などを含め、医療にかかわ る資金が一般財源で賄われる点である。中国では、医療を供給する主体として民間医療機 関や個人開業医が認められず、公有制の医療機関しかなかった。1980 年代以前に、公有制 医療機関の収入構成には財政資金の割合が大半を占めていた。医師や看護師などの医療ス タッフは準公務員として、低賃金・高就
らい、一般労働者と大差なかった。
第 2 は、都市部と農村部にそれぞれ病院と衛生院を設置しており、「医療機関の分類管 理」が採用されていた点である。都市部の病院は規模が大きく、設備も先端的なものが多 く備えられていた。衛生院は規模が小さく、設備も旧式なものが多かった。一院あたりの 床数、医療スタッフと財政補助の配分は、病院と衛生院の違いによって異なっていた。
第 3 は、医療資源が有限であったため、患者に選択の自由がなかった点である。都市部 の人々は、基本的に勤め先の契約病院に登録され、病気になると、その病院で診療を受け る。重病か難病の場合には、契約病院から大きい病院か専門病院に紹介される。それ以外 の場合には、基本的に患者が病院を選択する権利はなかった。一方、農村部
般的に居住地域内にある
)低い診療報酬体制
医療サービスも財の一種であるため、市場において一定の価格がつけられ、供給側と需
要側の間で取引される。供給側である医療機関にとって見れば、その価格は医療サービス を
政
には問題が生じるかもしれないが、医療費の抑制には効果が ったことも事実である。
1
80 年に医療機関の財源構成では、財政補助が 80%を占めていた[黄他(2000)、pp.8
-
提供する際に受け取る報酬である。それは診療報酬と呼ばれている。
日本の医療制度では、医療サービスを構成する診断、検査、投薬、注射および手術など の診療行為に点数がつけられ、それに従って診療報酬が支払われる。中国も日本のような 出来高払い方式の診療報酬体制を取っていた。しかし、診断、検査、投薬および手術など の診療行為につけられた価格は政府によって安く抑えられていた。医師や看護師などの医 療スタッフに支払う給料も、準公務員としたことによって、政府の決めた基準に従って低 く抑えられていた。さらに、薬剤に対しても、政府が低価格に設定していた。一言でいえ ば、計画経済期において、医療サービスという財は徹底的に高度集権的な計画体制に取り 込まれており、医療機関には価格の決定権はまったくなかった。医療機関は収益の部分を 府に上納し、逆に損失が出た場合には政府から補填をもらう、ということになっていた。
出来高払い方式の診療報酬制度のもとで、医療行為の組み合わせは医療機関や医師によ る裁量で決定できるが、診療報酬体制に対する規制は厳しかった。このような仕組みのも とで、医療サービスの質と量
あ
(2)医療サービスの需給に対する政府の関与
)医療サービスの需給に対する政府の関与
計画経済期に、政府は財政資金を通して医療サービスの供給と需要の両面に強く関与し ていた。まず、医療サービスの供給において、医療機関の運営および医療スタッフの雇用 はほとんど政府の財政資金で賄われていた。医療機関の財源は政府による財政補助、診療 行為収入と薬剤収入の 3 つの部分から構成される。計画経済期において、診療行為や薬剤 の価格は政府によって厳しく抑えられていた。診療行為と投薬による収入と実際の支出と の差額はすべて財政補助によって補填されていた。つまり、当時の財政補助が医療機関の 実際の必要に応じて支給されていたのである。その結果、財政補助が財源構成の最大の部 分となっていた。黄他(2000)は 8 つの県級病院について経営状況を調査した。それによ れば、19
9]。
次に、医療サービスに対する需要は、政府が運営している公費医療制度、労保医療制度 と農村協力医療保健制度という 3 つの公的医療保険制度によって確保されていた。農村協
力医療保健制度の場合は、個人の拠出と生産大隊や人民公社の公益金で運営されていたが、
公
体制によって確保さ 的医療保険によって保障されていた。
2
ならない理由は、重工業優先 発
ければな ら
に積 極的に関与したと同時に、医療サービスの需要に関しても積極的に関与していた。
(
、 pp
費・労保医療制度の場合には政府の財政負担で成り立っていた。
上記のように、計画経済期では医療サービスの供給が公的医療供給 れ、医療サービスの需要も公
)なぜ政府関与が必要か
政府が医療サービスの供給と需要の両面に関与しなければ 展戦略を遂行するために作られた計画経済体制にある。
重工業優先発展戦略を遂行するために、政府は低賃金・高就業の雇用制度を実施した。
長年にわたって、労働者の賃金をほとんど引き上げてこなかった。医療サービスの代価を 低く抑えなければ、労働者が病気になった場合、多大な支出を支払えるはずがない。その ため、政府は診療行為の価格や薬剤価格を最低限に抑えるように医療サービスの供給に関 与した。医療機関の経営が成り立つために、政府は財政を通して医療機関の経費不足分を 全額補填するようにした。低賃金のもとで、労働者およびその家族の基本生活を確保する ために、政府は住宅、医療、教育などの面で実物福祉と社会サービスを提供しな
なかった。これは、労働者の生存権に対する就業・生活保障の役割である。
重工業優先発展戦略を遂行するために、経済建設は都市部に集中させられ、労働者は国 有経済部門に集中させられた。都市部の国有経済部門の労働者の健康を確保しなければ、
重工業優先発展戦略にも影響を及ぼすに違いない。そのため、政府は国有経済部門の労働 者を公的医療保険に加入させ、無料医療を提供していた。政府は医療サービスの供給
3)国民健康状態の向上
World Bank (1993)によれば、1970 年代末約 90%の国民(ほぼすべての都市部住民と 85%
の農村住民)が前記した 3 つの医療保険制度のいずれかに加入していた[World Bank (1993) .210-211]。医療サービスに対する需要は医療保険の高い普及率で確保されていた。
国民の健康状態を測定するために、しばしば平均余命と乳児死亡率が用いられる。計画 経済期において、中国の国民の健康状態はどのようなものであったか。上記の 2 つの指標 を通して見てみよう。まず平均余命であるが、1950 年の 34.0 歳から 1981 年の 67.9 歳に
伸びた。乳児死亡率の場合は、1949 年の 200‰から 1981 年の 34.7‰にまで下落した8。 S.Wang(2004)によれば、1980 年の乳児死亡率の世界平均値は 67‰で、中等発展途上国の 平均値は 53‰であった[S. Wang(2004)、p.8]。それらの数値と比べると、1980 年頃の中 国はすでに中等発展途上国以上に国民の健康状態を向上させていたということがわかる。
建
構成員に対して異なる医療保険制度を適 用
ろが、高い評価を受けた計画経済期の医療保険制度と医療供給体制は、1980 年代以 降 特に 1990 年代に入ってから、改革開放政策の進展にともない、うまく機能しなくなっ
における問題
(
国から 30 年間という短期間で、世界一の人口規模を有する発展途上国の中国にとって、
そのような成果をあげたことに対しては大いに評価すべきであろう。
実際に、1980 年代以前の中国の医療制度に対して、世界銀行や WHO などの国際機関も高 く評価していた。世界銀行は「中国が異なる社会
させ、国民の健康状態を著しく改善させた」と評価した上で、中国の経験を「発展途上 国のモデル」と称した[World Bank,(1994)]。
とこ
、 た。
2.経済改革と医療体制
1)経済改革による医療供給の市場化と医療保険普及率の低下 1)医療供給の市場化
改革開放政策が進行するにつれて、1980 年代半ばから医療機関の予算体制に発生した 変革が医療体制に大きな影響をもたらした。
その変革とは、以前のソフトな医療予算体制を定額予算方式に変えたことである。定額 予算に変えたことで、政府の財政負担能力によって決められるようになった。これは合理 的な資源配分であるように見えるが、その背後には市場原理を重視することによって財政 支出が経済効率の高い分野に向けられたことや財政制度改革の失敗によって財政機能、特 に中央財政機能が低下したことなどの要因があった。財政補助が定額に変わったことにと もない、従来厳しく抑制されていた診療価格や薬剤価格に対する決定権が次第に医療機関 に与えられるようになった9。これは 80 年代初期から徹底的に施行した放権譲利の具体的 措置の 1 つである。診療価格や薬剤価格に対する決定権の緩和は、定額予算制に変更した ことのトレードオフとみなすこともできる。医療機関が定額の財政補助を受けるだけで、
8 平均余命と乳児死亡率の数値は『中国衛生年鑑 2002』、p.488 と p.486 より引用した。
9 もちろん、診療価格や薬剤価格に対する決定権を完全に与えたわけではない。これまでの厳しい制限が 緩和されたという意味である。
低い診療価格と薬剤価格を維持することができなくなったため、次第に診療価格と薬剤価 格を引き上げたのである。そのため、医療機関の収入構成において診療行為や投薬の割合 が急増した。黄他(2000)によれば、1980 年に 20%未満であった診療行為と投薬による収 入が 1996 年には 86%に急上昇した。一方、政府による財政補助は 1980 年の約 80%から 1996 年の 14%にまで急落した[黄他(2000)、pp.8-9]。また、2002 年江蘇省の都市部の医療機 関の財源収入を見てみると、財政補助が 5.8%、診療行為と薬剤収入が 91.4%(農村地域で は財政補助が 4.9%で、診療行為と薬剤収入が 94.0%)となっている[『江蘇省主要健康衛生 統
。前掲図 表
・労保医療費が急増している大きな要因の1つ であろう。もちろん、国民医療費の増加には、人口の高齢化や医療技術の進歩などの要因
計指標』]。医療予算体制の変更は、医療機関の収入構成に大きな影響を及ぼした。医療 供給体制は次第に市場化されてきた。
医療供給体制は変わったが、医療需要側の保険制度は変わっていなかった。1990 年代初 頭までに、都市部の公費・労保医療制度は基本的に以前のままで運営されていた
Ⅵ-1、2 に示しているように、医療費の支払いは相変わらず第三者支払い方式10となっ ており、病院と患者との間で制約し合うメカニズムが形成されていなかった。
一般財・サービスにおいては、価格によって需給が一致するようになる。しかし、人の 健康さらに命にかかわる医療財・サービスは、価格というシグナルだけで需給関係が決まる ことはない。医療の質を確保するために、価格要素を考慮せず医療サービスを受けたり、
与えたりすることはしばしばある。一般財・サービスと違い、医療サービスに対する需要が 増え続けることはそのような原因によるといわれている。また、医療経済学では、情報の 非対称性によって豊富な医療知識を持っている医師が、患者の医療サービス消費を誘導す る可能性があると指摘されている。つまり、医師の誘発によって、過剰診療などの不適切 な医療給付が発生しやすく、医療費が上昇するということになる。このようなことは公的 な監督が弱い場合や、患者の自己負担がない場合には発生しやすい。前記したように、財 政補助が大幅カットされ、診療行為と医薬品の価格が自由化になった状況のなかで、監視 監督のシステムが完備されておらず、患者の自己負担もないことによって、医師誘発現象 は生じやすくなる。つまり、医療供給体制の公的な部分は縮小したが、需要における公的 な保障が依然として厚いことは、医師誘発現象が発生しやすい環境を作ったのである。こ のような環境は、中国の医療費、特に公費
10 保険料の個人拠出も要求されず、患者負担もほとんどない上で、医療費は保険者によって支払われて いることを指す。
もある。これらについて後で分析する。
は 1952 年から 1992 年までの公費・労保医療制度の被保険者数と医療費の推移
をまとめたも うなこと
がわかる。
図表Ⅵ-3 公費・労保医療制度の被保険者数と医療費の推移 2)公費・労保医療費の急増
図表Ⅵ-3
のである。これを見ることによって、両制度の実態について次のよ
年 被 保 険 者 数 ( 万 人 ) 公 費 ・ 労 保 1 人 当 た
合 計 在 職 者 離 退 休 者 医 療 費 合 計
( 億 元 )
医 療 衛 生 費 ( 元 )
絶 対 値
1 9 5 2 7 0 2 . 0 - - - - - - - - - - - -
1 9 7 8 8 , 4 0 0 . 0 - - - - - - 2 7 . 0 3 2 . 1
1 9 8 8 1 5 , 3 0 4 . 0 1 3 , 2 6 0 . 0 2 , 0 4 4 . 0 1 8 3 . 4 1 2 0 . 0 1 9 8 9 1 5 , 6 9 5 . 7 1 3 , 5 3 5 . 2 2 , 1 6 0 . 5 2 2 4 . 4 1 4 3 . 0 1 9 9 0 1 6 , 0 3 8 . 7 1 3 , 7 8 7 . 7 2 , 2 5 1 . 0 2 6 8 . 6 1 6 7 . 0 1 9 9 1 1 6 , 5 7 3 . 7 1 4 , 2 0 6 . 7 2 , 3 6 7 . 0 3 1 5 . 0 1 9 0 . 0 1 9 9 2 1 7 , 0 4 4 . 4 1 4 , 5 2 8 . 9 2 , 5 1 5 . 5 3 7 2 . 7 2 1 9 . 0
増 加 率 ( % )
1 9 8 9 2 . 6 2 . 1 5 . 7 2 2 . 4 1 9 . 2
1 9 9 0 2 . 2 1 . 9 4 . 2 1 9 . 7 1 6 . 8
3 . 3 3 . 0 5 . 2 1 7 . 3 1 3 . 8
1 9 9 1
平 均 値1 9 9 2 2 . 82 . 7 2 . 32 . 3 6 . 35 . 4 1 8 . 31 9 . 4 1 5 . 31 6 . 3 出所: 1952 年と 1978 年は鄭他(2002)、pp.122-130。1988 年以降は宋主編(2001)、p.440。
第 1 は、1952 年から 1992 年までの 40 年間に、両制度の被保険者数は約 24 倍も増加し てきたが、そのなかでも離退休者の増加率が目立つ。1989 年から 1992 年までの年増加率 を比較してみると、在職者が平均 2.3%であったのに対して、離退休者が平均 5.4%であった。
高齢者が現役者より羅病率が高く、1 人当たりの医療支出も高いため、離退休者の高い伸 び
効率性の上で問題が生じてきたといわざるを得ない。公費・労
率は医療費急増の要因の1つであると思われる。高齢者の問題を含め、医療費にかかわ る問題は第 3 節の分析に譲る。
第 2 は、1978 年から 1992 年にかけて、公費・労保医療費が急速に増加した。1978 年に 27 億元になっていた公費・労保医療費が 1992 年に 14 倍の 372.7 億元に上昇した。同期間 中のGDPが約 7 倍、財政支出が約 3 倍上昇した[『中国統計年鑑』各年版]ことと比べると、
公費・労保医療費がいかに急増したかがわかるだろう。さらに、全国の国民医療費に占め る公費・労保医療費の割合を見てみると、1978 年の 24.5%から 1992 年の 41.7%に上った11。 1992 年に、公費・労保医療制度の被保険者数が総人口の 14.5%しかなかったのに、全国医 療衛生資源の約 42%も占めていたことがわかる。経済改革の進展にともない、公的医療保 険の制度設計には公平性と
11 国民医療費は杜(2004)の数値を用いて、図表Ⅵ-3 の公費・労保医療費で割った結果である。
保医療費が急増した背景として、医療供給体制と公的医療保険制度の間にあった抜け穴の
企業に匹敵するような勢力になった。それにもかかわら 有・集団企業の従業員と公務員にしか対応していないという 状
は約 66.4%(大都市では 81.2%)となっていたが、農村部ではわずか 3.4%
しかなかった。自費 は 84.1%と逆の傾向
になっていた。
図表Ⅵ-4 1993 年全国の医療保障制度の構成
都市 農村
存在が取り上げられる。
3)所有形態と労働市場の変化に遅れた医療保険制度の対応
以前の章ですでに説明したように、改革開放政策は多様な企業形態を育成した。市場経 済化の進展につれて、非国有・非集団企業セクターが急速に成長してきた。1992 年頃全国 の非国有・非集団企業セクターに従事している労働者は 1 億 3,602 万人に増えた[『中国統 計年鑑 1993』]。当時の国有・集団企業の従業員は 1 億 4,510 万人[同前掲]であったから、
非国有・非集団企業は国有・集団 ず、公費・労保医療制度が国
況には何の変化もなかった。
4)医療保険普及率の低下
国有セクターからの人材流出、非国有セクターの成長によって、従来の公的医療保険制 度の適用範囲は次第に縮小した。1993 年に行われた第 1 次全国医療サービス調査の資料(図 表Ⅵ-4)によれば、1993 年に公費・労保医療制度を受けていた人は 15.5%であるが、自費 で医療サービスを受けていた人の割合は約 70%に達する。1970 年代末に約 90%の国民がい ずれかの医療保険制度に加入していた状況と比べると、1990 年代初頭の医療保険制度の普 及は大きく後退したといわざるを得ない。次に、医療保険制度が都市部、特に大都市に集 中していることもわかる。1993 年に、公費・労保(半労保医療を含む)医療制度を受けて いる人は都市部で
医療の割合が都市部では 27.3%に対して、農村部で
調査指標 全国合計
合計 大都市 中都市 小都市 合計 一類 二類 三類 四類
公費医療 5.76 18.22 22.98 17.85 14.09 1.56 1.84 1.26 2.05 0.61 労保医療 9.74 35.26 41.76 38.31 26.08 1.13 2.57 0.70 0.82 0.45 半労保医療 3.80 12.93 16.45 12.29 10.27 0.72 1.64 0.46 0.55 0.17 基本医療保険 0.31 0.25 0.19 0.18 0.37 0.33 0.64 0.17 0.32 0.28 重病医療保険 7.74 1.62 0.10 0.04 0.30 9.81 28.76 9.14 0.73 1.00 協力医療保健 0.30 0.87 1.63 0.67 0.34 0.10 0.35 0.02 0.04 0.02
医療 69.86 27.
自費 28 16.56 20.62 44.04 84.11 64.14 88.10 95.40 83.07 その他の形式 2.49 3.57 0.33 10.04 4.51 2.24 0.09 0.25 0.09 14.40
一類、二類、三類、四類というのは農村の経済状況による分類
注 1: である。一から四まではその地域の
注 2:表のなかで協力医療保健制度とは農村部の協力医療保健制度である。都市部に協力医療保健を受け ている人は都市部の農村人口と思われるが、農村部で公費・労保医療制度を受けている人は農村部 経済力が減っていく。
の幹部や一部の集団企業の従業員と思われる。
出所:「1993 年第 1 次国家衛生服務調査分析報告」。
医療保険普及率の低下の原因は、企業所有形態および労働市場の変化に医療保険制度の 対応が遅れたことにある。また、このような実態は中国の医療保険制度の不整備を示して いる。医療保険制度の適用が国民の 3 割にとどまっていたことは公平性の観点から見ると 批判せざるを得ない。
(2)都市部と農村部における大きなギャップ
公平性の観点から見れば、医療サービスは特定の人だけに供給すべきではなく、全国民 に与えるべきである。しかし、従来の医療保険制度では、1980 年代以降都市部と農村部と の間に大きな不公平が存在していた。
1)「裸足の医者」による農村部の医療サービスの提供
1970 年代までに、農村協力医療保健制度が農村部に大きな役割を果たしていたが、その 制度に対する財政からの支援はほとんどなかった。農村協力医療保健制度の医療供給の中 核を担っていたのは「裸足の医者」(中国語で「赤脚医生」)であった。彼らは専門的な医 療教育を必ずしも受けていないが、農村地域で看護や治療を行っていた。実際、このよう な裸足の医者のなかには知識青年が多かった。以前も触れたように、知識青年は文化大革 命の時期に農村に送り込まれた都市部の高校卒の若者のことである。彼らは毛沢東の指示 に従い、都市から農村へ、農業生産活動に従事しながら、基礎知識や科学技術を農村に普 及する役割を果たしていた。その一環として、農村における医療サービスの供給にも携わ るようになっていた。裸足の医者は正規の医者と異なり、政府からの給与を受けていなか った。彼らは、生産大隊や人民公社、あるいは農民自身から謝礼(現物か現金)を受けて いた。当時の社会的・政治的な背景のなかで、このような医療供給体制は少ない支出で約 90%(1970 年代末)の農村地域に農村協力医療保健制度を普及させ、農村部の医療水準と 住民の健康状態を向上させたという事実も否定できない。
2)人民公社の解体と農村部における無保険の状況
1970 年代末から、経済改革が農村部から開始され、農村経済を活発にさせた農家生産請 負制が農村地域に浸透した。第 3 章で分析したように、農家生産請負制は個人農を復活し、
郷鎮企業を作り出した。個人農の復活と郷鎮企業の急成長は人民公社の役割を縮小させ、
最終的には人民公社を解体させてしまった。農村協力医療保健制度は人民公社の解体とと もに次第に農民の自費医療形態へと変わった。1980 年代後半、農村協力医療保健制度は全
国的に解体し、1989 年にはわずか 5%の適用率となってしまった[宋(2001)、p.180]。
Ⅵ-4]。中国は農業国であり、
農村人口が全人口 市部に比べて
出所:各年度の『中国統計年鑑』により作成。
なギャップが存在していた。後にも触れるように、中国の国民医療費の対GDP比は世界の平 年
3)人口構成から見る都市と農村におけるギャップ
図表Ⅵ-5 によると、中国の農村人口が 1980 年代半ばまでに総人口数からみても、労働 人口数からみても平均的に都市のそれぞれの3倍以上になっていた。1990 年代に入ってか ら都市人口に対する農村人口の比は縮小したものの、なお平均約 2.8 倍の規模を有してい る。いうまでもなく、中国には農村人口が圧倒的に多い。しかし、前述したように、1993 年に公費・労保医療制度に加入している人は農村部ではわずか 3.4%しかいなかった。農 村部に特有な農村協力医療保健制度でさえも、農村人口の 0.1%しか適用されていなかった。
その上、84.1%の農村人口は自費で医療サービスを受けていたのに対して、都市部の人は 66%以上が公費・労保医療制度(半労保医療を含む)に加入していた。このような非常に 不公平な公的な医療保険制度は社会主義を標榜している中国にとって矛盾した状況である。
また、より経済力の高い地域では公的な医療保険制度の普及率が高いが、より経済力の低 い地域ではその割合が低いという現象も事実である。例えば、農村部の四類地域における 公的な医療保険制度の普及率は 2%しかなかった[前掲図表
数の 7 割以上を占めながら、医療保障の面で、農村部が都 非常に貧弱であることは、極めて不公平なことである。
図表Ⅵ-5 都市、農村別総人口および労働人口の推移
4)利用状況から見る都市と農村におけるギャップ
都市部と農村部の間では、医療保険制度の不整備によって医療サービスの利用にも大き
総 人 口 労 働 人 口
合計 A都市部 B農村部 B/A(倍) 合計 C都市部 D農村部 D/C(倍)
1978 96,259 17,245 79,014 4.6 40,152 9,514 30,638 3.2 1980 98,705 19,140 79,565 4.2 42,361 10,525 31,836 3.0 1985 105,851 25,094 80,757 3.2 49,873 12,808 37,065 2.9 1986 107,507 26,366 81,141 3.1 51,282 13,293 37,990 2.9 1987 109,300 27,674 81,626 3.0 52,783 13,783 39,000 2.8 1988 111,026 28,661 82,365 2.9 54,334 14,267 40,067 2.8 1989 112,704 29,540 83,164 2.8 55,329 14,390 40,939 2.8 1990 114,333 30,191 84,142 2.8 63,909 16,616 47,293 2.9 1991 115,823 30,543 85,280 2.8 64,799 16,977 47,822 2.8 1992 117,171 32,372 84,799 2.6 65,554 17,241 48,313 2.8 単位:万人
均値を下回っている12。その一因として、医療サービスへのアクセスが低いことが挙げら れる。医療サービスへのアクセスが低いことは農村地域においてより深刻である。衛生部 の資料である「中国と先進7ヶ国(70 年代)の医療サービスの利用状況の比較」(図表Ⅵ
-6)を参照してみる。1990 年代初期の医療サービスの利用状況として、まず 2 週間受診 率で見てみよう。都市部は 70 年代の先進 7 ヶ国平均のそれと比べてやや低い(175.2‰対 185.0‰)程度だが、農村部は 70 年代の先進 7 ヶ国平均のそれの 3 分の 2(128.2‰対 185.0‰)
しかない。次に、年間千人当たり入院日数で見てみると、都市部は 70 年代の先進 7 ヶ国平 均よりやや多い(1,519.7 対 1,489.0)ものの、農村部は 3 分の 1(460.0 対 1,489.0)の 水準にすぎない。1 人当たり年間入院日数の場合も、都市部は 70 年代の先進 7 ヶ国平均と ほぼ同じ(1.5 対 1.4)であったが、農村部ではその 3 分の 1 程度(0.5 対 1.4)にとどま っていた。いずれにしても、中国の農村部と都市部においては医療サービスの利用に大き
ップ
出
品と医療保険制度の不備という なギャ が存在していたことがわかる。
図表Ⅵ-6 中国と先進 7 ヶ国(70 年代)の医療サービスの利用状況の比較
所:『中国衛生年鑑 1999』、p.423 より。
これまでの論文の多くは、農村部の医療サービスへのアクセスの低さを農民の病気に対 する独特な考え方によるものであると説明していた。つまり、軽い病気であれば民間療法 で治し、病院に行かない方がよいと考えられていたということである。しかし、顧(1998)
が指摘しているように、医療費不足の理由で入院できない患者の割合は農村部では 41%も ある[顧(1998)、p.31]。また、図表Ⅵ-6 からわかるように、農村地域における医療サー ビスへのアクセスの低さは、前述した農村地域における公的な医療保険制度の低い普及率 に原因がある。顧(1998)はこのような低い医療サービスの利用状況が農村地域で起こって いる理由について、「医者、薬品の不足ではなく、高額な薬
ことである」と説明している[顧(1998)、pp.31-34]。
12 1990-97 年の平均値を見ると、国民医療費の対 GDP 比の世界平均は 5.6%であるが、中国のそれは 3.9%
である。
1992年 1986年 1985年 1970年代
平均 都市部 農村部 九省の都市部 十省の農村部 7ヶ国平均値
2週間受診率(‰) 140.1 175.2 128.2 105.2 69.0 185.0
慢性病患病率(‰) 169.8 285.8 130.7 236.6 86.0 93.0
2週間千人当り受診回数 169.5 198.8 159.7 146.6 97.0 224.0
年間千人当り入院回数 35.6 50.5 30.6 50.8 32.0 110.0
年間千人当り入院日数 695.3 1,519.7 460.0 1,340.0 477.0 1,489.0
26.0 25.0 13.0 22.0
人当たり年間入院日数 0.7 1.5 0.5 1.3 0.5 1.4
1人当たり年間患病日数 29.0 39.0 1
中国の医療保険制度は国家公務員や国有・集団企業の従業員にとっては大きな社会福祉 サービスになっているが、それ以外の者には医療保障が十分にされていないと思われる。
特に農村部の農民、賃金労働者に対して、公的な医療保険制度の適用は都市部と比べられ ない状態である。それによって、農村部の労働者の医療サービスへのアクセシビリティが に見ると極めて不公平な医療保険制度となっている。
構造が見られる。ここで、公費・労保医療制度に加入して い
働いている正規従 業
いることはいずれ経済成長を停
、労働生産性の向上と労働力の自由移動と い
低い水準にとどまり、社会全体的
(3)都市部における問題点
都市部と農村部における不公平問題は医療保険制度全体における二重構造的な問題であ る。同じ都市部においても二重
る人々と加入していない人々の間の問題やこの 2 つの制度間の問題を検討してみたい。
1)狭い適用範囲による弊害
まず第 1 として、公費・労保医療制度の適用範囲が、行政機関、事業職場と国有・集団 企業の従業員となっているが、都市部のその他の労働者には適用されていないということ がある。特に経済改革以来、国有・集団企業の解体と私営・個人企業、外資などを含むその 他の企業の増加によって、保障範囲の狭い医療保険制度の限界が明らかになった。前の章 で検討したように、1990 年代初期には非国有・非集団経済セクターの従業員は国有企業と 集団企業の従業員人数に匹敵するようになった。しかし、これらの人々は従来の医療保険 制度の対象外になっていた。このような問題は都市部のあらゆる企業に
員以外の 5,100 万人余りの契約社員やアルバイトなどにも及んでいる。公平性の観点か ら労働者全員に対して平等な医療サービスが供給される必要がある。
次は、医療サービスの享受に対する不平等な対応は、労働力の自由移動を阻害している ことである。熟練労働者が新興企業へと転職したいが、国有・集団企業で受けられる医療・
住宅・年金などの社会保障制度に惹かれて、転職することを躊躇する。このような行動は新 興企業にとって、経験のある人材を獲得することの障害となっている。一方、健康に自信 のある若い労働者のなかには、新興企業で働いた後、社会保障制度が充実した国有・集団企 業に転職しようと考えている人も少なくない。医療・住宅・年金などの社会保障制度の不整 備が新興企業に低い生産コストの環境を、また、国有・集団企業のような古い大企業に高コ ストの環境を与えている。労働力の自由移動が阻害されて
滞させるような大きな弊害になろう。そのため
う観点からも現行医療保険制度を見直す必要がある。
2)公費医療制度と労保医療制度の間の問題
都市部におけるもう 1 つの問題点は、被扶養家族に対する異なる対応である。被扶養家 族に対する医療給付は、公費医療制度では職場の統一徴収と一部の個人拠出によって賄わ れるが、労保医療制度では手術費と薬剤費の 50%が自己負担になる。現実には、公費医療 制度の加入者の被扶養家族は労保医療制度の加入者の被扶養家族より少ない自己負担で医 療給付を受けられる。両制度とも加入者に対してはほぼ同様な医療給付が与えられている のに、被扶養家族に対しては異なる待遇がなされ、それには何の根拠もない。唯一考えら れるのは、被扶養家族に対する莫大な給付費用を抑制するために半労保の方法をとったと いうことだろうか。なぜなら、労保医療制度の加入者数は公費医療制度より数倍になって るため、加入者の被扶養家族はさらに多いからである。被扶養家族に対する均一の待遇 は、医療保険制度において改
医療保険改革に最も大きな影響を及ぼしたのは国民医療 の急増であるといわれている。本節では、国民医療費の増加およびその理由、高齢者医
する。
ば、1978 年から 1992 年まで、GDP の平均成長率が 9.4%であ っ
医療費の上昇が同期間中の国 い
善すべき点の 1 つであろう。
第 3 節 国民医療費の急増
第 2 節において、計画経済期の公的医療供給体制と診療報酬の特徴を明らかにした上で、
経済改革以降の医療予算制度の変化や所有制構造の変化によって、公的医療供給体制およ び公的医療保険制度にどのような問題が生じたかを検討した。これらの問題は医療保険改 革を促したわけである。しかし、
費
療費の問題について分析
1.国民医療費の急増
図表Ⅵ-7 は国民医療費の対 GDP 比を描いたものである。それによれば、1978 年から 1992 年までに、国民医療費は 110.2 億元から 1096.9 億元に増え、対 GDP 比が 3.0%から 4.1%に 上昇した。杜(2004)によれ
たが、国民医療費の平均増加率は 11.8%であった。国民経済の上昇より国民医療費の増 大が大きいことがわかる。
国民医療費のうち、公費・労保医療費の急増が目立っている。前掲図表Ⅵ-3 が示して いるように、1978 年から 1992 年まで、公費・労保医療費は 27 億元から 372.7 億元に上昇 し、約 14 倍の上昇を記録した。増加率で見ると、公費・労保
民医療費の上昇より高い。その結果、国民医療費に占める公費・労保医療費の割合は 1978
所:杜(2004)より作成。
幅に超えており、医療費の抑制が医療保険 制
析した医療 給体制や医療保険制度自身が抱えている問題も改革の背景となっている。
(
年に 24.5%であったが、1992 年に 41.7%に急速に伸びた。
図表Ⅵ-7 国民医療費の対 GDP 比
1 1 0 .2 1 2 6 .2 1 4 3 .2 1 6 0 .1 1 7 7 .5 2 0 7 .4 2 4 2 .1 2 7 9 .0
3 1 5 .9 3 7 9 .6
4 8 8 .0 6 1 5 .5
7 4 7 .4 8 9 3 .5
1 ,0 9 6 .9
3 .0 3 .1 3 .2 3 .3 3 .4
3 .5 3 .4
3 .1 3 .1 3 .2 3 .3
3 .6
4 .0 4 .1 4 .1
0 2 0 0 4 0 0 6 0 0 8 0 0 1 0 0 0 1 2 0 0
1 9 7 8 1 9 7 9 1 9 8 0 1 9 8 1 1 9 8 2 1 9 8 3 1 9 8 4 1 9 8 5 1 9 8 6 1 9 8 7 1 9 8 8 1 9 8 9 1 9 9 0 1 9 9 1 1 9 9 2 億 元
0 .0 0 .5 1 .0 1 .5 2 .0 2 .5 3 .0 3 .5 4 .0 4 .5% 医 療 衛 生 費 総 額
対 G D P 割 合
出
国民医療費の増加、特に公費・労保医療費の急増をめぐって、多くの研究は公費・労保 医療費の急増が医療保険改革の発端になったと指摘している。例えば、胡・孟(2002)は、
1990 年代半ば以降の国民医療費の増加率が GDP の増加率より高いことを指摘し、医療費の 大幅な上昇が都市人口の 20%と農村人口の 23%を無医療の状態に陥らせたため、医療費を抑 制する視点から医療保険改革の必要性を論じた。宋他(1998)や尹(1998)は公費・労保 医療費の増加率が政府と企業の負担の限界を大
度改革の重要な柱であると強調している。
国民医療費の急増は医療保険改革を促した大きな一因であるが、第 2 節で分 供
2.医療費増加の要因とは 1)医療費増加の要因
医療費増加の問題は、社会保障・社会福祉の先進国である欧米諸国や日本においてよく 議論されている。その増加要因は大きく分ければ、需要側の需要拡大と供給側の過剰供給
の 2 つである13。需要側の需要拡大と供給側の過剰供給をさらに詳しく分けてみると、以 下の 6 つの増加要因が挙げられる。①人口増加による各年齢層における医療サービスへの アクセスが上昇すること、②人口の高齢化による高齢者医療が拡大すること(単純な需要 側の需要拡大)、③医薬品会社が高利益を追求することや医師が高所得を維持しようとする こと、④医療診療制度および診療報酬制度の改定によって医療費が増加すること(単純な 供給側の過剰供給)、⑤医師が患者の消費を誘発すること、⑥医療技術が進歩すること(需 要側と供給側両方に関連する)、などである。
1
したために生じるもので、
患
) 日本の事情
国や時期あるいは、異なる視点から見ると、医療費の増加要因は多様である。例えば、
日本の医療費増加について、河井(1998)は高齢化要因より医療技術の進歩などを反映す る自然増が 1984 年からの医療費増加の最大要因であると主張している[河井(1998)]。自 然増について、河井(1998)はさらに「医療供給要因に基づく自然増」と「医療需要要因 に基づく自然増」の 2 つに分けている。「医療供給要因に基づく自然増」とは「患者の医療 機関選択が変化しないときに、医療機関の診察内容が高度化することによって生じるもの で、医療の技術進歩や医療機関による過剰診察(薬漬け・検査漬け)といったことがその要 因として挙げられる」と説明している。また、「医療需要要因に基づく自然増」とは「医療 機関の診察内容が変化しないときに、患者の医療機関選択が変化
者の大病院志向がその要因」として考えられる。
一方、広井(1994)は、日本の医療費の増加要因について 3 つの期間に分けて論述して いる。広井(1994)によれば、1960 年代前半は日本の第 1 期の医療費上昇期である14。こ の時期には、各年齢層における医療サービスへのアクセスの上昇が医療費増加の主因であ った。1970 年代第 2 期の医療費高上昇期には、医療に関する技術革新が医療費増加の中心 要因となっていた15。1990 年代に入ってからの第 3 期の医療費上昇期には、高齢化が医療 費増加の主要な要因になっている。河井(1998)における医療費増加の最大要因である自
13 医療費の上昇要因については、次のような文献を参照されたい。V.R.フュックス著、江見他訳(1995)、
河井(1998)、川上(1986)、川渕(1998)、西村(1987)、西村(1997)、広井(1994)、広井(1997)、広井
(1999)、八代(1999)など。
14 1960 年代前半の医療費の急増に国民皆保険という背景が大きいと思われる。国民皆保険の政策によっ て、国民の医療へのアクセスが上昇した。
15 広井(1994)は医療技術の革新がもたらした診察パターンの変化を次のように指摘している。「診察パ ターンは 1960-70 年代の“薬漬け医療”から 70 年代以降の“検査漬け医療”へと変化してきた。」
然増をもたらす前提条件は、広井(1994)が説明している技術の革新と理解することもで きよう。両者の分析は、医療費の増加要因の時期のずれが多少あるものの、最近 20 年間の
ら 19
医療費増加が技術進歩と高齢化の影響によるところが大きいという点では一致している。
2) 中国の事情
中国においても「医療供給要因に基づく自然増」と「医療需要要因に基づく自然増」が ある。医療サービスの供給者である医療機関が出来高払いの診療報酬体制のもとで、過剰 な投薬や不必要な高度検査機器の使用などによって、自らの収益を上げようとしている。
医療機関における不正行為の最も深刻なところでは、病院であるのに日常生活用品を医薬 品の名目で公費・労保医療制度の加入者に供給している。しかし、1980 年代以前の計画経 済期においては、このような過剰医療はあまり行われていなかった。なぜなら、厳しい政 府規制とソフトな財政支出によって、医師誘発のインセンティブがほとんどなかったから である。医師誘発のインセンティブが増大したのは、財政改革によって医療機関への財政 支出が定額制になってからである。一方、公費・労保医療制度の仕組みの不備によって生 じた「医療需要要因に基づく自然増」も大きい。企業の所有形態が変わっていくにつれて、
医療保険制度に適用されていない人が、病気になった場合には親戚や友人に頼んで「代替 受診」によって病院から薬をもらう。このような不正受診が可能だった背景に、保険制度 の適用率が減少したことと医療費の第三者支払いという非合理的な仕組みが存在している ことがある。また、医療資源を農村より都市へ、小都市より大都市へ、大都市の中小病院 より大病院へ投資するパターンは大病院志向という需要側の自然増を引き起こしている。
第2として、医師・医療施設等の医療資源の非効率的な利用も医療費増加の一要因である。
『中国衛生年鑑 1998』によると、1997 年全国の総診療人数は延べ 21.6 億人、入院人数は 延べ 5,044 万人である。これらの数字は、1990 年の同数値と比べると、前者が延べ 4 億人 ぐらい少なくなっており、後者が延べ 100 万人ほど減少している。診療総人数と入院人数 は減少した反面、全国の病床数と医療サービスに従事する人数は増えてきた。1990 年か
97 年まで、病床数は 27.8 万台、医療サービスに従事する人数は 73.2 万人とそれぞれ増 えてきた。医療供給体制に生じた非効率的な問題は医療費の高騰につながっている。
第 3 に、日本と同様に、急速な高齢化も医療費増加の要因となっている。最近 10 年間 に急速に進んできた高齢化による高齢者医療の拡大、特に離退休・退職者の増加による公 費・労保医療制度の医療費総額の増加は国民医療費全体の高騰要因の 1 つと指摘されてい る。これについて、李他(1998)は、1992~94 年の調査統計を用いて次のように分析して
いる。まず、全国高齢者の 2 週間平均受診率は 36.3%となっていたが、これは全国平均の 18.3%の 2 倍に相当する。また、公費・労保医療制度に加入している高齢者の2週間受診率 が 45.7%であったが、加入していない高齢者の場合は、26.8%しかなかった[李他 1998]、
pp.14-16]。これらの数値から、高齢者は加齢にともなって、病院に通う頻度が高くなる ことと、医療保険制度に加入している高齢者の受診率はより高いことがよくわかる。李他
(1998)は、1994 年時点では全国 1 人当たり医療費は 150.3 元となっており、高齢者 1 人 たり医療費はそれの 2.3 倍の 338.3 元となっていたことを示している。高齢者の医療費
高いことがわかる。
保険制度を分析するところで、すでに高齢化問題について検討した。ここでそれを による国民医療費への影響を考察してみよ う
ある。離退休・退職者はほとんど医療保険制度に加入しており、医
きい。それは 療サービスを求める需要の大きさにも 当
は一般人の医療費より倍以上
(2)高齢者医療費の急増 年金
参照しつつ、離退休・退職者を含む高齢者の急増
。
1)離退休・退職者を含む高齢者の増加状況
第 5 章で説明しているように、中国の人口高齢化は予測より若干速いスピードで進んで いる。2001 年末、65 歳以上の高齢者人口は 9,062 万人に達し、総人口に占める高齢者人口 割合が 7.1%に達した。中国における人口高齢化の特徴とは、経済が未発達の段階で急速 に進展していることである。四半世紀未満で高齢者人口割合が 7%から 14%に達した経済大 国の日本と比べ、中国はほぼ同様のスピードで高齢社会に突入すると推定されている。
高齢者のなかに含まれる離退休・退職者も速いスピードで増えてきている。1978-98 年 の間、離退休・退職者数は 314.0 万人から 3,593.6 万人と 27 倍も増えてきた。年平均増加 率で換算すると 13.0%で
療サービスへのアクセスがより容易になっている。それらの人の増加は医療費急増と密接 な関係を有している。
社会的扶養を必要とする高齢者がますます多くなり、それにより増えつつある医療費の 負担も重くなる。国民医療費の増加には高齢者医療費の増加による影響が大
高齢者数の増加だけではなく、健康状態によって医
左右される。そこで、続いて高齢者の健康状態について分析してみたい。
2)高齢者の健康状況と利用サービスの利用状況
中国人の平均寿命は、1950 年の 34 歳から 1990 年の 70 歳に伸びた。それと同時に、高
齢者人口の割合も高くなった。高齢者人口が増加する一方で、健康状態のよくない高齢者 人口も増加している。高齢者の罹病状況について、康・葉(1996)の研究成果を紹介して おきたい。それによると、中国の平均有病率は 23.7%であるのに対して、高齢者の平均有 病率はその 2.5 倍高く、60.2%である。農村部では平均有病率が 7.4%であるのに対して、
高齢者の平均有病率は 22.6%と 3.1 倍にもなっている。図表Ⅵ-8 を参照されたい。都市 において、60 歳の高齢者の平均余命は 17.8 歳であるが、有病期は 12.3 年であり、余命の 68.7%を占める。農村において、60 歳の高齢者の余命は 17.1 歳であるが、有病期は 10.7 年であり、余命の 62.3%を占める。つまり、中国の高齢者が余命期において健康であると 判断される期間は余命期全体の 3 分の 1 に過ぎない。健康状態の良くない高齢者グループ 高齢者ではない人々より多くの医療サービスを求めるはずである。そして、当然な
出所:康・葉(1996)、p.133。
の増加および加齢にともなう健康状態 の
性 別 余 命 ( 年 ) 余 命 に 占 め る 有 病 期 間 割 合 ( % )
余 命 に 占 め る 健 康 期 間 割 合 ( % ) 都 市 部 男 性 16.3 63.5 36.5
女 性 19.3 73.9 26.1 男 女 平 均 17.8 68.7 31.3
5.8 57.2 42.8
女 性 18.4 67.4 32.6 は当然
がら高齢者グループがかかる医療費も高いだろう。
図表Ⅵ-8 60 歳の高齢者の余命および余命に占める有病期間、健康期間の割合
次に、高齢者の医療サービスの利用状況を見てみると、受診率や入院サービスの利用状 況のいずれについても総人口の平均より高いことがわかる。康・葉(1996)によれば、60 歳以上の高齢者の 2 週間の外来受診率が平均 23.2%で、総人口平均の 4.7%を大幅に上回 っている。入院サービスに関しては、1985 年に都市部における 60 歳以上人口の入院率が 7.7%で、都市部総人口平均の 5.0%を超えている。農村部も都市部と同様な状況を示して
男 女 平 均 17.1 62.3 37.7 農 村 部 男 性 1
いる。人口高齢化の急速な進展とともに高齢者人口
悪化、医療サービスへの依存が当然ながら医療費支出の大幅増加をもたらしてくる。
3)離退休・退職者を含む高齢者の医療費の推移
前述のように、全国的に見れば高齢者の 1 人当たり医療費は一般人のそれより倍以上高 く、公的な医療保険制度に加入している高齢者の医療費はさらに高い。1992 年からの『中 国労働統計年鑑』を調べて得た数値に基づいて計算した結果、1997 年の全国 1 人当たり医