村落社会における宮座の変容 : 滋賀県中部広域市 町村圏・信楽町・野洲町を中心として
著者 星 眞理子
雑誌名 同志社社会学研究
号 3
ページ 101‑129
発行年 1999‑03‑31
権利 同志社社会学研究学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011943
同志社社会学研 究 NO.3,1999
【研 究論文】
村落社会 における宮座の変容
滋賀県 中部広域市 町村 圏 ・信楽町 ・野洲 町 を中心 として
星 真理子
HOSHIMai ork
1 .
宮座 の研究1)概念定義
首座 とい う言葉 は、西 日本 と りわけ近畿地方の 村落社会 においては、 日常的に用い られている。
従 ってここでい う首座 とは どうい うものか をまず 限定す る必要がある。 首座 を定義す る場合、その 地域で宮座 とい う言葉で表現 されている と否 とに かかわ らず、 また首座 とい う言葉で表わ されてい る内容 がす なわち首座 であ る と捉 え るので はな い。その事象が定義 に当てはまれば首座 である と 考 え、例 え首座 と呼んでいて も定義 にあてはまら なければ首座 とはいえない。
これ まで宮座 については、多 くの定義や説明が な されて きているが、内容的 に統一の見解 は出 さ れていない。そ こで、本稿 では代表的宮座論 を展 開 した中山太郎氏 と肥後和男氏 の提示 した定義 を 整理 ・紹介 し、次 に宮座が村落社会の中で どの よ うに形態 を変化 させて きたか を歴史 ・経験 的 レヴ ェルではな く、む しろ類型 としての首座 の形態 と その移行 を捉 えた。
宮座 を最初 に学術語 として用 い、定義 したのは 中山太郎氏であった。 中山氏 は社会 における首座 に眼 をむけ 「宮座 の研究
」
(1924年) を当時の社 会学雑誌 に発表 した。そ こでは神事 の座す なわ ち宮 に存す る座 とは何 か。 またその組織 とその権 限、宮座 の社会的位置 な どが扱 われてい る。 研究 方法 としては地方史誌 を資料 とし、伝承や慣行 を とりいれた もので、現地調査 の部分 は開拓 されなか った。 中山氏 の い う首座 とは 「その神社 の祭 儀、及 び経営 に関 し、他 の信徒 (もくは氏子) に 比較 して、特別 なる権 限 を有 す る氏子 の組 合」l )
のことである。 そ して首座 に共通す る制度及 び権 限 を八 ヶ条 ほ ど列挙 している。
その後宮座 の研究 は肥後和男氏 によって本格的 にな され た。広範 囲 にわた る調査研 究 を通 じて
『近江 に於 ける首座 の研 究
』
で 「座 といわ る、行 事 を伴 ふ 神 事 組 合 が 宮 座 で あ る」2)と し、更 に『宮座 の研 究』で 「この一座 して神 を祭 る こ とこ そ宮座 の発生的な意味であ り、やがてそ うした行 事 を行 う根底 として氏子 の間に一定の組織 をみる ことにな り、その組織 に対 して もやは り座 とい う 名称 を与 えた もの」3 )と見解 を深 め た。 またかれ は近江の事例 よ り、氏子一般 に解放 された首座が 存在す ることを明確 に し、従来の 「宮座 とは特別 な権 限 を持 つ氏 子 の組合」 とい う概 念 に相対 し た。つ ま り宮座 といわれる ものの中にも、明 らか に座 を形成 し、 また座 の意義 を持続 しているにも かかわ らず、特権組合 と言 えない ものが少 な くな い。 こういった場合、肥後氏 は次の二つの方法 を とることが可能である とした。第-の方法 は 「特 権組合 たる座 のみ を純正の宮座 として承応 し、他 はこれ に準ず る擬似体 として取扱 うこと」第二の 方法 は、「その行事 の内容 に注 目 し、座 と称 すべ き一定の行事 を有す る ものは、すべ て認めてこれ を宮座 としその中に特徴 を有す る もの と然 らざる もの とを区別 す る方法」4 )であ り、肥後氏 は この 第二の方法 をとった。 また宮座 を 「広 く神社 に於
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ける一定秩序 の下 に行 なわれ る会合の事実 たる面 に重要性 を置 くことか ら、 またこの新 しき態度 を とって村座 5)の存在 を主張 しなけれ ば な ら 6)な く なった
」
としている。 つ ま り肥後氏 はそれ まで株 座 的な もののみ を首座 とよび、 これ とは別 に村座 が存在す る としていたの に対 し、村座 の形態 を重 視 し 「ある神社 の氏子が定時臨時 に場所 を定めて 集合 し、座席 について神 を祭 る」
と考 え、そ こへ 座す るには一定の資格が必要であ ることを指摘 し た。村座 において も村人一般 が 自由に参加す るの ではない。決め られた資格 を得 た有資格者のみが 一座 で きる の で あ る。 特 権 を有 す る もの -(秩 座 )7)に対 し特権 を有 しない もの -(村座 )8)とし、その上位概念 として (首座 )としたのであ る。 ま た株座 と村座 は社会 の変化 に伴 い、前者か ら後者 へ と移行す る としてい る。 以上が代表的首座研究 者である中山氏 と肥後氏 の宮座 の定義である。
この他 これ まで に提 出 された主要 な宮座 の概念 を検討 (割愛) し、暫定的 に宮座 を次 の ように定 義 を した。宮座 とは、当該 の村落社会の中にある 氏神 の祭紀 その他 の運営 に関 して特別の役割 を持 つ人々 (長男)で構成 され、人々の意識や村落の 社会構造 に対 して さまざまな影響 を及ぼす祭紀組 織 とす る。 また株座 ・村座 の別 は以下であ る。 ま ず株座 は当該村落 の村落社会 に存す る神社 の氏子 の うち、家筋 ・株 を持つ家 々が一定 で、その一定 の家 々の長男 によって首座が構成 され特別 な地位
・身分や権利 ・義務 を もつ 。 次 に村座 は、氏子 の 長男全員 によって宮座が構成 されてお り、祭紀 の 役 割 な どが特定 の家 に定 まって い ない もの で あ る。 また宮座 の成立 と発展 については、松本通晴 氏 のい うように 「中世 に畿内で萌芽 を見せ、近世 に首座 の本 質 をあ らわす」9)と考 え る。 宮座 は中 世、近 世、近代 を経 て現在 の村 落社 会 に存 り続 け、神社信仰 の重要 な役割 を果 た している。
現在 の村落社会 は、かつての ような小宇宙的存
在 を保 ち得 ない。従 って村落の生活 ・生産 を変化 させ る最 も強力 な要因 となる刺激 は、外部社会か らの刺激、つ ま り資本主義 の発展 やそれの もた ら す都市化 ・産業化であ る。 次 に首座 を五つ に類型
した。簡単 に述べ てお こう。
(類型 Ⅰ)は、理念型 と しての宮座 であ る。 こ れは株座 を示 し、二重 同心 円であ る。 この二重 同 心 円は氏子 の二重の構造、す なわち内円は特定 の 特権 を もつ家 々を示 し、外 円はその他 の氏子 の枠 ・ である。 これが外部社会か らの影響 を強 く受 けた 場合 には、二重同心 円の内円が特 に変化 して、村 座 の形 を取 る。 また外部社会か らの影響 をそれ程 強 く受 けない場合 には、氏子 の二重構造 はその ま
まの形 を維持 してゆ くであろ う。
(類型 Ⅲ)は a、b二つの型 を設定 した。 (a型) は、古 くか らあ るい は元 来村 座 で あ った タイ プ で、外部社会か らの影響 の強弱 にかかわ らず村座 を維持 す る タイプ。 (b型) は、村 座 で あ った も のが、株座化す るタイプで、新 たに村落の内部 に 支配層が出来あが り、その家 々を中心 に宮座 を構 成す る場合である。 ただ しこの場合 には、条件次 第でその可能性が生 じて くる。
株座 、村座 の先後関係 について原 田敏 明氏 は、
株座 か ら村座へ10)とい う移行過程 を示 した肥後氏 に対 し、村座 か ら株座- とい う移行過程11)を提 出 した。す なわち 「村全体 の座が また特権 的な座 を 形成す る とか、特権的な家柄 の座 ももともと村全 体 の座 か ら発展 した ものであ る とい う場合 は少 な くない」 と。 これ らは (株座 か ら村座へ )あるい は (村座 か ら株座へ )とい う首座 の移行過程 の相 異 を示 している。 前者 は肥後氏 に代表 される考 え 方 で、 これ を (類 型 Ⅲ)、後者 は原 田氏 に代 表 さ れる考 え方で (類型Ⅳ)とした。
肥後氏 は、歴史的経過の中で首座 の移行段 階 を 二段 階で、一方原 田氏 は三段 階で捉 えてい る。 つ ま り宗教 的な ものが優越す る社会 に多 く存在す る
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のは、株座 的な ものであ り、経済的な ものが優越 す る社会 に多 く存在す るのは、村座 的な ものであ る。 この株座 的な もの に示 され るのは、首座 の宗 教 的機能が よ り強 く働 く 村落 は共 同体 である。 。
(ただ し類型Ⅳの場合 は、村座 的 な もの を宮座 の 原初的形態 としてい る)それが外部社会か らの影 響 によ り、次 第 に村座 的 に変化 してゆ く。 ここで は宮座 の果す機能の内で、特 に宗教 的機能の優越 にかわって経済的機能が優越す るようになる。 村 落 は共 同体 的であ った ものか ら次第 にその統合が 弱 め られてゆ く。 ここに至 るまでの移行過程 には 段 階的 に様 々な変容形態が認 め られ る。
宮座 は集団、仲 間、衆 である。 その構成 は村落 社会内の家 々の層 によ り成 り、同一層 内は各 々平 等 で開放性があ り、層外 に対 し不平等 で排他 的で 封鎖的であることが根底 にあ る。 構成員 は、組 は 超 えて存在す るが む ら (大字)の枠 は超 えない。
首座 は祭紀集団で、同心 円の中核 は世襲の神職で あ る。 中核 を補助す る為 に何 人かのむ ら人がそれ を取 り巻 いている。 首座貝 は、神 を示巳る必 要か ら 村落内か ら押 しあげ られ る構造 となってい るが、
氏子 は氏神 を紀 るため に集 め られた人々であ る。
また氏子 は村落 に居住す る人々が個人 として神 と の関係 を持つの に対 して、宮座 は家 を構成の単位 としてい る 12)。経済が優越す る社会 にお ける村落 は、宮座構成員の幅が拡大 され、ほぼ氏子 の広が りと同 じくらいの範 囲 を持つ。 これが神へ かかわ る場合 と、明 らか に氏 子 が二 重構 造 を持 つ場 合 (肥後氏 に よれ ば村座 と株座 であ る) とは、微 妙 な差がある。 前者 は千葉正士氏 のい うように系譜 神 と一定の系譜 関係 を持つ者 によ り構成 され、一 定の系譜 団だけが守護 ・支配 され る13)。後者 は氏 神 (鎮守神) と氏子が系譜 関係 を必要 とされず、
一定 地域 に居 往 す る者 だ け (地域 性)で構 成 さ れ、氏子 区域 で あ る一定 地域 が守護 ・支 配 され る。 従 って株座 が村座 へ 解 放 され た時点 を もっ
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て、氏子制へ移行 した とす るのは必ず しも妥当 と は されない。つ ま り首座 が形態 的 に変化す る場合 と、質的 な変化 をす る場合、 また両者が同時 に変 化す る場合 とがある。 従 ってそれ をどの レヴェル か ら、 どう見 るかによって異 なるタイプ となる。
(類型 Ⅲ)と く類型
Ⅳ)
の関連 として (類型 Ⅴ) を考察 した。 これは株座 的である ものが、形態的 に も内容 (質的)的 に も変質 して しまうタイプで ある。 Ⅲ・Ⅳ
においては、形態 的 には株座 か ら村 座へ と変容 してゆ き、質的 に も特別 な祭配 の権利 を持つ者 のみ による祭紀組織 か ら、その権利 を拡 大す る祭祀組織へ と変容 したが、 Vは外部社会か らの激 しい影響 によ り、宗教 的な ものの優越す る 社会か ら経済的 な ものの優越す る社会へ と急激 に 変容 して ゆ くタイ プで あ る。 この Ⅴタイ プ は結 局、内的 に も外 的 (形態 的) に も首座が崩壊 して ゆ くタイプである。 この急激 に変容す る首座 の移 行過程 は大 き く次 の タイプに分 け られ る。 ひ とつ は株座 的な ものが村座 的な ものへ と移行す るタイ プ、二つ には株座 的な ものが直接 に外部社会か ら の影響 を受 けることによって、宮座 が内容 的 (質 的) に も形態 的 に も消 滅 す る形 へ 移行 す る タイ プ。 ない しは株座 的なる ものか ら、村座 的なる も のへ、 また更 にそれか ら宮座 の崩壊 の過程 にある ものへ と展 開 してゆ くタイプである。 Vの捉 え方 は、氏子組織 と捉 えるか、あるいは宮座 の変化 と 捉 えるか、複雑 な問題 をは らんでお り、今後 の課 題 である。2)社会学 か らのアプローチ
宮座 は歴史学、民俗学、文化 人類学、経済史学 の視点か らの研究が主流 で、社会学 か らのアプロ ーチはあ ま りみ られない。
社会学 の視点か ら首座 を扱 った研究 は以下であ る。 まず森 岡清美氏 の首座 を村落共 同生活 の一環 として位置付 け、特 に株座 について村落の階級構
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造 との関連 を追求 した研究14)、池 田昭氏の首座の 変貌過程 を村落構造 との関連でみた研究 15)や花 島 政三郎氏 の滋賀県永源寺町愛知川 ダム建設のため に水没す る部落の解体 ・再編成 と首座や、同九居 瀬の宮座 を部落の統合 との関わ りでみた研究 16)、 そ して松本通晴氏が 1979年 と 1981年の二度行 っ た郵送調査 を ま とめ た 「近 畿南部村 落 の宮座調 査
」
が揚 げ られる。 松本氏 は、戟後の高度経済成 長期 を経 たお よそ半世紀 の後 に、再 び宮座 の存否 を問い、戦後の変動 の分析 を行 なった17)。具体 的 には第一回 目の調査対象地域 は京都府の一部、滋 賀県、奈 良県、三重県 の一部 の旧大字2584に、二度 目は和歌 山県郡部 の旧大字 599である。 また 社会人類学か ら高橋統一氏 は 1969年か ら79年 に かけて、肥後氏 の示 した分布一覧表 を もとに追跡 調査 を行 なっている 18)。その内訳 は、調査票 を294 社 に配布 し、140社 よ り回答 を得 てい る。 その他 の研究 としては社会 と伝承研究会 による研究があ げ られ る。 宮座 は当研 究 会 にお い て、1945年 か ら74年 までの三十年の間掲載 され、「宮座 に関す る文 献 目録 (1945-1974)」1 9)に ま とめ られ て い る。 その うち四割 は近畿地方の首座 であった。 こ の ように近畿の首座 の存在 は何度 もさまざまな視 点か ら確認、証明 されて きている。
2.
滋賀県中部広域市町村圏 と信楽町、野 洲町にお ける宮座の概況1)目的 と方法
首座研 究 の草分 けで あ る肥後和 男 氏 は、1935 年 に滋賀県庁 を介 して、県 下 の村 社 以上 の神社 1036社 (旧市 町村 別 で は1市12郡103町村) を 対象 として祭紀組織の調査 を試み、その八割 (844 社)の回答 を得 た。調査方法 は、調査票 を配布 ・ 記 入 させ る方法 と若干 の地域 の現 地調査 で あ っ た。記入者 は各神社 の神職 ・氏子総代 ・区長 ・村 長その他 の神社 関係者である。 氏 はこれ らを土台
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に、論 文 「近江 に於 け る宮 座 の研 究」 を著 わ し た。 これは宮座 の基本 的問題 を掲 げ、具体 的な資 料 及 び首座 の考察 を多 く含 んだ先駆 的研 究 であ る。 後 にも同様 の方法で調査地 を拡大 (奈良 ・京 都 ・大阪 ・福井 ・和歌 山) し、膨大 な資料 を整理
・分析 し、『首座 の研 究』 を著 わ してい る。 前書 が具体 的 ・個別的であるの に対 し、後書 は よ り抽 象的 ・理論 的である。 肥後氏 によって、宮座が近 畿農村 の村落構造の-特徴 としては じめて明 らか にされたのである。
その後 60年 とい う時 間が過 ぎた。 この 間、我 国 は戦争 を始 め高度経 済成長期 を経 て低 成長期 へ、そ して今 日の不況 に至 るなど、幾多の社会変 動 を経験 して きている。 同様 に村落社会 も変動 し て きている。 首座 も当然形態的 ・質的な変化 ・変 容が十分認め られる と予想 される。 これ らを明 ら かにす るため筆者 は肥後氏 の調査 の後、二度の調 査 を行 った。 まず第一次調査 は、肥 後調査 の 43 年後の1978年か ら1980年 にかけて郵送 によるア
ンケー ト調査 である。 その 目的は、近江 に存在す る とされた宮座が現 に存在 しているか否か を確認 をす ること。 そ して肥後氏の記述 と比較 して変化
・変容が認め られるか否か。変化が認め られる場 合、それはいかなる変化であ り、その変化要因は 何 か。変化が認め られない場合、その主だった理 由は何 か。 といったことを明 らかにす ることであ った。 それ らの結果 を踏 まえ、16年後 の1996年 7月か ら9月 までの2カ月間、第二次調査 を行 な った。 この時、一次調査 で用いた質問紙 に若干の 質問 を追加 して郵送 によるアンケー ト調査 を行 な った。その 目的は、前 回の調査 以来 16年、肥 後 氏 の調査 以 来 59年 とい う時 間 を経 た首 座 の存 否、そ してその有 り様 は どうであるのか。 また変 化 ・変容が認め られる場合、あるいはあ ま り認 め られない場合の主たる要因は何 か、一次調査 の結 果 と照 らして どの ような変容 の過程 を辿 って今 に
星 :村落社会における宮座の変容
至 ったのか を明 らかにす ることである。
2)調 査 地 の概 況 - 滋賀県および中部広域市町村圏 と信楽町、野洲町における産業構造-
*滋賀県全体の産業構造
滋賀県の産業構造が大 きく変 わ り始めたのは、
昭和 30年代後半以降であ る。 それ は県 内- の工 場立地が急速 に進め られた時期 であった。船橋和 夫氏 によれば、滋賀県が農業県か ら工業県へ推移 していった変化が交通網の発達 ・安い土地そ して イ ンフラス トラクチ ャーの整備 に よる と指摘 す る。 す なわち昭和 31年 の東海道本線 の京都 ~米 原 間の電化、昭和 39年 の名神 高速道路 道路 の県 内全通、県 内の東西 を結ぶ琵琶湖大橋 開通等、昭 和 47年 には全 国で も有数の道路舗 装 の整備 され た県 となっていった。 さらに湖南 ・湖東 を中心 に 昭和 32年か ら47年 にかけて大規模工業団地の建 設 によ り995の工場が進 出 し、相次いで内陸型工 業が進出 し、結果、急速 に全 国で も有数の工業県 へ と変貌 した 20)。結局、一次産業 は衰退の一途 を 辿 り、かわって二次 ・三次産業の発展 をもた らし た (表1)。 また人 口は昭和40年代半 ばか ら急増
し始め、人口流 出地域 か ら人 口流入地域へ と変化 していった。ただ、近年 は鈍化の傾 向にあるが、
現在では全 国屈指 の人口増加県 となっている。 で は滋賀県全体 の産業別就業人口を見 てみ よう。
表 1よ り、1955年 と 1975年 を比較 す る と、二 次 ・三次産業 は、産業の五割弱であったのが 1975
年 には 820.%とな り、33.%5 も増 加 して い る。
逆 に一次産業 は、1955年 には 51%強であ ったが 20年後 には 33%余減少 した。 この減少率 は、二 次 ・三次産業 の増加率 と等 しい。 さ らに1975年 と 1990年 を比較 をす る と、一次産業 の減少率 と 二 次 ・三 次 産 業 の伸 び率 は等 し く 1.%23 で あ る。 この ことは農業か ら二次 ・三次産業へ労働力 の移動が はか られた。つ ま り農業 は労働力の供給 源 と しての役 割 を期待 され てい た とい え よ う。 1955年 か らの 35年 間 に一次 産 業 は急 激 に減 少 (4.057/o減)。一 方 二次 ・三 次 産 業 は、1990年 に は 1955年当時の倍 に伸 びた。その伸 び率 は 1975 年 に33.5%の増加、更 にその後15年 間1.%23 の 伸 び を維持 してい る。 以上 よ り、1975年 を境 に 農業か ら二次、三次産業への労働力移動がはか ら れ、二次 ・三次産業 は一次産業 に対 し、労働力の 供給源 としての役割 を期待 を していた といえる。
1990年 におい て も尚一次 産業 か ら二次 ・三次 産 業への移行 は継続 している。
*中部地域 ・信楽町 ・野洲町の産業構造
中部 地 域 とは、近 江 八 幡 市、八 日市 市、安 土 町、蒲生町、 日野町、竜王町、永源寺町、五個荘 町、能登川町の 2市 7町 をい う。 この地域 の産業 構造 は どうであろ うか。県全体か ら中部地域の産 業構造 をみてみ よう。 表2よ り、県全体 に対する 中部地域 の就業者総数 は約六分 の- を占め、一次 産業の就業者数 は県全体 の五分 の- を占める。 構 成 比 は7.%5 で あ る。 県全 体 の就 業 者 総 数 約60
表 1 滋賀県全体の産業別就業人口
産 業 1955 (S.30) % 1975 (S.35) % 1990 (H.2
第 一 次 211,331 5.14 8777 ,8 1.80 34, ) % 第 二 次 8446 ,8 2.05 18,4914 388. 2 527 5.7 第 三 次 115,44 3 2.80 21,4059 43. 5506 ,7 424.
二次 +三次 * 2 311,375 5.18
計 4 2 1 11,5 4999 85.. 4740 8,8 *102080..0 6 900,7 *9.43
同志社社 会学研 究 NO.,3 1999
表 2 「滋賀 県 にお ける中部広域 市町村 圏」;産業別就業者数 H.2国勢調査
構成比%
515. 458. 514. 469. 458. 407. 441. 33.1 425. 445. 421. 470. 三次産業就業者数
3095,39 465.16*100.0 ) 161,30*346.%
98,83*212.%
26,28*56.%
) 2249,,742 7**481 .%
06.%
2 2
,53*48.%
146,33*31.%
) 21476,,78*2 *4610 ..%
2%
35,60 構成比%
42.4
46 .4 42.4(<
461.(<
408.(<
51..4((>>
465 588.(>
4 4.4(>
4 4996..(8(>>
44773..(>) 二次産業就業者数
255,076
470,63*100.0 133,20*283.
% 9
7
,15*206.%
23,43*49.%
28,,77**61..%% 5211 110 4,006*85.%
15,31*32.%
2,427*5 1 . .%% 56,33*119 36,1 70,396 構成比%
57.
75. 59. 67. 129. 78.. 93 79. 13.1 58. 81. 5.3 50. 一次産業就業者数
345,27
76,59 18,41 14,09 74
1 434 10,43 541 452 286 912 400 821 就業者総数
600,978
1014,67 31,406 210,60 57,40 55,93, ll200 68,09 3,446 48,91 ll3,22 75,85 16,157 市町名
県 計
中 部 地 域 近江八幡 八 日 市 安 土 蒲 生 日 野 竜 王 永 源 寺 五 個 荘 能 登 川 信 楽
†
野 洲
†
注意 ;*で示 した値は、中部地域 を 10としてその割合 を
;(<)、(>)は二次 と三 表わ している。
† ;中部地域 に 次産業構成比の大小 を表わす。
0
万人の う は含 まれていないが調査対象地である。
(
5< 82,48 510.
三次就業ちの約 94%が二次 ・三次産業 を占め、 18. 00 人)、八 日市市 に近江八幡市 (約 域就業
2 (
者 の方が約 9% 5万人)多 い。中部地 次 ・ 者 も同様、総数 10万 1千人余 の 9 %が二
人)、能登川町 (約 (I4.00人)、 日野町 (約10.00 0
9 0人)、野洲町、安土町、竜 王町、永源寺町、蒲生町
で、三次産業 を占める。両者の構成比 はほぼ同数 る。
% を 占 る。
0 4
、信 楽町 ( 0人)であ また各地域の就業者総数の一次産業就業 35.
5 県 全
県全 体 の 体 3 人。世帯数 の 約1
は、 中 部 地 域 の 面 積 に対 す る割 合 (構 成 比)の 大 か ら、永 源 寺者数
%を 占め、人 口 は21万4千 (131.%)安 土 町 ( 9%)12. 日野 町 ( 町
%
は 6万 3千世帯で うち農家 は約 15 万 1 千戸。その内 5%が専業農家、残 り9
農家である。 しか も農業 を従 とす る2種兼が兼業
93. 9
%)能 登 市、近江八幡市、五個荘町%)、蒲生 町、八 日市 川 町 (81.%)、竜王 町 (7.
が約 93
占める中部地域の農家 は、農外収入家 が高 い率 を
% を占め る21)。 2種 兼業農 業農家
50.二%)である。
益 々強 ま り、農家はよ り深 く兼業化 に頼 る度合が に、近次 ・三次 産業就 業者数 の構 成比 の大 か ら順 信楽町江八幡市、八 日市市、能登川町、 日野町、
、信楽町、野洲町 (各
)
込 まれていっている信楽、野洲の世帯数、農家数、農家人口は、前22。 の方向-追い 源寺町、竜王町、蒲生町、安土町、五個荘 町、永 てい で、 2市が中部地域全体 の半分以上 を占め 者は永源寺町、後者 は竜王町が近似値 を示す地域
である 就業 る。 とりわけ近江八幡市 は二次 ・三次産業の
山間部。 これ を人口流入 との関係 でみると前者 は に位置 し、交通の便が良 くないため他地域 か らの人口流入が相対 的に
少 ない。後者 は逆 に交 通の便 も良 く、人口流入が相対
的に多い。
ところで中部地域お よび信楽町、野洲
6 0
1 町で一次 産業の就業者の多い地域 は、順
活圏の拡大、団地の建設 による都市人口の流入、
言い替 えれば混住化現象 を もた らした。
*専業農家 と兼業農家
では県全体の総農家 に対す る専業農家 と農家人 口 の 推 移 を 1955年 (昭 和 30年)か ら 1995年 (平成 7年) までの農業 セ ンサ ス を用 いてみ てみ よう。
表3-1よ り、1955年 には総農家 の約30%が専 業農家であったが、19 57年 には42.%に激減 して お り、一次産業の二次、三次産業への転換が明 白 であ る (表1参照)。 1975年の総農家数 は約8万 2千戸であったが、20年後 には約5万5千戸 に減 じ、344%. の農家が離農 している。 専業農家率 は 4.%2 、一種 兼業農家率 は1.%57 、二種 兼業 農家 率 80.1%で、一種 兼業農 家率 の激減、二種 兼 業 農家率 の激増 が指摘 で きる。1990年 の総農家 数 は約 6万 1千 戸 で、専 業 農 家 率 4.%8 、l種 兼 渠 農 家 率 3.%6 で、全 国 順 位 は 47位 と非 常 に低 い。一方二種 兼業農家率 は 91.%5 と大 変高 く全 国 2位である。 因み に全 国平均 は、専業農家率が 154%. 、1種兼業農家率 1.%39 、二種兼業農家率 707.%である。
1959年 の 総 農 家 数 は 5 ,4436戸、専 業 農 家 数 3,418戸、一種 兼業 農 家 数 356,3戸、二種 兼業 農
表 3-1滋賀県全体 の総農家 に
星 :村落社会 における宮座 の変容
家数 476 2,6戸。割合 で は専業農家率 58.%、一種 兼業農家率 6.%5 と低 く、二種兼業農家 は 8.%77 と高割合 を示す。 これ を 1990年 と比べ る と専業 農家 が 1%、一種 兼業農家が 29.%それぞれ増加 し、逆 に二種兼業農家 は 3.%8 減少 した。総農家 数が約 6千戸余減少 していることか ら、要因は離 農が考 え られ る。 減少 した二種兼業農家 (.%)38 は、専業 と一種兼業農家 を合 わせた数 とほぼ等 し い ことか らこれ らへの移行が考 えられる。
1975年か ら 1990年 までの 5年毎のセ ンサス統 計値 よ り1975年か ら 1980年 は、滋賀県の多 くの 市町村で兼業化が進み、専業農家 ・一種兼業農家 が二種兼業農家へ と移行 したことが認め られる。
この第一種兼業農家の大幅減少の原 因 を、広 岡博 之氏 は 「滋賀県 においては、都市化 と兼業深化 の 進展 に伴 って、第一種兼業農家の ような中途半端 な経 営 形 態 は成 り立 た な くな っ た た め」23)とい
表 3-2 農家人 口の推移
7) 1985(S.60)1990(H.2)1995(H.
滋 賀 県 計 指 数
339,264 100
297,064 2 57,045 中 部 地 域 70,150 683,7.6570 57555,1.70
指 数 100 9.07 7.91
) 1955(S.30) 1975 (S.50)対する専業農家 1985 (S. (1955年~1 995年)
専 業 農 家 30, 223
[31.0%] [4.3,472%] 5 60) 3,138
[4.4%] 1990 (H.2) 3,001
[4.8%] 1995 (H.7 3,148 [5. 第一種兼業 - 12,971
[15.7%] 4,830
[6,7%] 2 ,193
[3.6 8%]
3,536 第二種兼業 - 66,277
[80.1%] 63,5 9 97
[88.%] %]
56,061 [6.5%]
47,662 総 農 家 95,548
[100.0%] 82,723
[100.0%] 71,565
[100.0%] [91.5%]
61,255
[1 [87.7%]
54,346
同志社社会学研 究 NO.3,1999
う。 また市 町村 間較差 はあ るが 1980年 か ら 1990 年の 10年 間の変化 は、専業農家 も一種 兼業農家
も二種兼業農家へ と移行す る傾 向 に、 よ り拍車が かか り、現在一種兼業か ら二種兼業-移行 してい る もの も、次の段 階の離農の傾 向が強 まって きて いる24)。 とはいえ 1985年、1990年、1995年 をみ る と、1958年 の兼業農家 (一種 67.%、二種 8.89
%)が総農家 に しめ る割 合 は 956.%で、1 957年 と比べ て二種兼業の急増 と一種兼業の激減がみ ら れ る。 1990年 には一種 兼 業 は さ らに 36.%に減 じ、二種 兼業 が91.%5 と増 加 し、兼 業 農 家 (一 檀 +二種) は 95.1%と落 ち込 んで い る。 しか し 1995年、兼業農家 はほぼ 1985年 当時の状態 にま で戻 った といえる。 兼業農家 (一種 +二種)の割 合 は減 少 傾 向 (589.%-9.%-9.%-9.%)56 51 42
を示 している。
専業農家 をみ てみ よう。 1975年 まで は激減傾 向 にあるが、以後総農家数 は減少 しなが らも専業 農家 は維持 もしくは1995年段 階で は微 増 の傾 向 に さ え あ る。 そ の推 移 は 42.%-44.%-48.%- 5.%8 で、増加傾 向 を示す。 この原 因 を広 岡博 之 氏 は 「核家族化や都市化の進展 に伴 い働 き手が都 市へ 出ていったため、それ まで兼業農家 だった と
ころが専業農家 に立場 を変 えた高齢者専業農家 の 増加、あるいは規模拡大 によって兼業農家か ら専 業農家へ移行 した農家の増加 によって もた らされ た」2 5)と指摘す る。 松本通晴氏 も 1980年段 階で専 兼業別農家戸数の変動 を 「滋賀県以外 の 5府県の すべ てには、高齢者専業農家 の比率上昇 も、同時 に進行 している。」2 6)と指摘 した。今や滋賀県 にお いて も専業農家の増加傾 向 と高齢化 (地域 によっ ては過疎化 も)の同時進行 を指摘 しうる状態 と言 えよう。 では 1955年か ら 1995年 までの総農家数 の変化 は どうか。 この40年 間 に約4万1千戸 の 農家が減少 した。1955年 を100とす る と1995年 にはその 6割弱 まで減少 してい る。 因み に 1985
108
年 の滋賀県全体 の農家 人 口 を 100と して 1995年 の農 家 人 口 をみ る と (表 3-2)、 この 10年 間 に 757.%に減 少 してい る。 中部 地域 で も7.%91 に 減 じてい る 27)。以上 よ り1975年 を期 に第一次産 業が二次、三次産業へ移行 し、以後兼業化が深化 してい る。 1980年 か ら90年 にかけては、専業、
一種 ともに二種兼業へ移行 の段階 となる。 その後 一方で二種移行 と離農、他方では二種 か ら専業へ もしくは一種への立場 の変更がほぼ同時 に進行 し ていっている といえよう。
*農家人口 と高齢化
農家人口の減少 は農家世帯の離農 によ り惹起 さ れるとともに、農家世帯員の減少 によって も生 じ る。 ここでは農家人口の年齢別構成の変化つ ま り 農家人 口の高齢化 についてみる。 農家人口を階層 別 にみてみ よう。
1990年 と 1995年 の階層別人 口 (国勢調査)の デー タによる と、0-14歳 の人 口構 成比 は、2.04
%か ら180.%へ と24.%減少 している一方で、65 歳 以 上 人 口 は121.% か ら1.%42 へ21.%増 加 し てい る。 また1-65 4歳 人 口 も6.%75 か ら6.%79 へ とわずかに増加 している。 この四十年 間に滋賀 県の農家戸数 は半減 し、次 の世代 であ る 15歳以 下 の人 口減 と寿命 の伸 び に よる高齢 人 口の増加 は、今後 の農村の発展 にかかわる重要な変化 をも た らす ことは必至である。 出生率の低下 と極めて 急速かつ高い割合 で進行 している高齢化 は、全 国 的傾 向 とはいえ人 口構成上大 きな問題 である。
次 に滋賀県 と中部 地域 の農業経 営規模 は どう か。経営規模別の農家戸数 をみて見 よう。
表4は経 営規模 別 の農家構 成 を示 してい る。
1985年以 降の十年 間 に限 って見 る と、経 営耕 地 規模 が 2. aOh以 下 の層 で は、戸 数 の減 少傾 向が 明 白で、2. aOh以上の経営規模 の大 きい層 では戸 数の増加がみ られる。 その境界線 となる層 は経営 規模 が 2haであ る。 蓮見音彦氏 に よれ ば この線
が 5年毎 に 50aずつ上昇 (-農民層 の分解 基軸 の上昇 とい う) しつつある とい う28)。つ ま りこの 線が、専業農家 として家計費 を得 るために要す る 規模 の耕 地 なの で あ る。 表5よ り、 この規模 は
表 4 滋賀 県 と中部地域 にお ける経 営規模別農 家戸数
3 2 4 7 4 6 6
9 3 0 2 4 1 l 県計 1985年 1990年 199 0.05haへ1 .0 52,121 5年 0.1-1.0 - 42,74 - - 1.0-2.0 16,124
>
1 4>
37,10 2.0--3.0 2,2 4,595>
12,963.0-′5.0 83 500
< <
2,455993< <
2,11,5045.Oha~ 196
<
3例外規定 44
<
12 336< >
52総 数 71,565
>
61, 10 中部地域 1 255>
54,34 0.0 985年 1990年 1995年5ha~1.0
0.1-1.0 8,740 - - 1.0--2.0 5,088 -
>
476 7,,1227> >
6,052.0-3.0 679
<
817<
4,8318 3.0-5.0 305<
328<
385.Oha~
例 49
<
84>
10外規定総 数 14,875 14
< >
13,104 22> >
ll,59l表 5 滋賀 県 お よび中部地域 ・信楽
星 :村 落社 会 にお ける宮座 の変容
の農家 は 農 業 収 入 が伸 び ない た め に生 計 が た て ら い29)。そのため農外収入 を増大 させ る、 れ な 業 によって家計費の補填 は もちろん、農つ ま り兼 術 の革新 による大小 の農機具の購入費 (業生産技
わる 農業 に携
費の労働 時 間の短縮)、農家 の暮 ら しの変化 (消 農業増大) に も対応 して きているのである。 結局 は、農外収入 によって農業 を成 り立 たせてい るのであ
る。 農村変動 の研究』 において 松本通晴氏 は 『
畿の農業集落の農家戸数、専兼業別農家数の、近 を分析 した30)。その結果 (1)戟後、農家戸数 と変動 農家人口が減少 し続 けて きた。顕著 な地域 は、大 阪、奈良、和歌 山で原 因は都市化 と過疎化。緩慢 な地域 は、兵庫 、滋賀。 (2)1975年 まで を 受 け継がれて きた農家構成の基本的動 向継続戦後
とし、それ以後転換の兆 しが見 え始めた。つ期 間 専業農家の増加 と第二種兼業農家の減少。 (3ま り
一割強で )大
阪府 における農業集落の消滅。他府県の減少率が 1990年 に2haとなってい る。 これ以下
あ るの に対 し、大 阪府 は過去 %の減少。 ()1農0年 間 に 半減。因に全 国平均 は 6 4
業集落
地 区名 神社 数
(社 ) (%) 仏教系 寺 院数
(寺) 浄土宗町 ・野洲町 の神社浄土 真宗 数 と寺
(a)+(b院数
) (%) 世帯 数 近江八幡市
八 日 市 市
安 土
蒲 生
日 野 竜 王 五 個 荘 能 登 川 永
源 寺 信 楽
67 18.5 57 15.7 13 3.6 35 9.7 52 14.4 23 6.4 24 6.6 29 8.0 20 15 5.41 .5
178 64 30 40 9042 38 53 3311
(a) 39 26
5 18 14 ll
8 1 21 4
(b) 6510
7 ll 4918 17 39 ll2
10436 12 29 63 29 25 40 15 23
55862 ..4 40.0 72.5 70..00 69
655..7 7 4 48.3
20,1 103 3,754 3,409 3,382 6,296 3,968 3,,1991 64 8 1,709
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図 3 -a)市町 村 合 併 後 の 地 域 r一 .・下平
3 .
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さ1--1′ヽヽLI\/、一人'仲J・
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日日〓 =ヽ
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了 ーH-\ヽ~1t.
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同志社社会学研究 ,1999
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1
星 :村落社会 における宮座 の変容
1
同志社社会学研究 NO.3,1999
は、農家の構成 を変 えることによ り、集落の統合 を危機 にさらして きたが、 なお集落 は集会施設 を もって生産 と生活上の相談のため に寄 り合い、道 普請や川掃 除 にも出役 して共同作業 を行 う形態 を 存続 させ ている。 ただ しその割合 はやや縮小 して いるが、それによ り村 は解体 的であった といえて も、消滅 には至 らなかった。 これ を筆者の調査地 につ い て み れ ば (1)、(2)、(4)は該 当 す るが (3)については該当 しない。加 えて専業農家成立 境界線が2ヘ クタール と上昇傾 向にあ り、農業経 営 は農業外収入 によって支 え られ31)、二次、三次 産業への移行 と離農 は同一線上 にある と考 え られ
る。
3)中部広域市町村 圏 ・信 楽町 ・野洲町 にお ける 寺院 と神社
村落 に存在 し、信仰 を直接 の契機 とす る組織 と して は、 まず氏神鎮 守 の祭 祀組織 が挙 げ られ る が、寺院や社示巳、仏堂、仏示巳、神仏碑 な どの存在 も無視で きない。 なぜ な らそれ らがただ単 に村落 にあ るか らとい うだ けで な く、村 落 を構 成 す る 人々 と深 く関わっているか らである。 当該地域 は 近江商人発祥 の地 として古 くか ら知 られ、神社祭 祀が盛 んなだけでな く、浄土宗 ・浄土真宗の熱心 な信 者 も多 い とい う。 そ こで 中部地域 お よび信 楽、野洲 における寺院数 を、 とりわけ信仰が厚 い
とされる浄土宗系寺院について提示 した。
表 5の神社数 は、中部地域お よび信楽、野洲 の
『滋賀県宗教法人名簿』3 2)に表記 され、神社本庁 に 数 え られている神社 をまとめた。 また中部地域 に 濃厚 に分布 している浄土真宗お よび浄土宗寺院の 数 は、仏教系寺院の中か ら取 り出 して作成 した。
調 査 地 に は滋 賀 県 全 体 の 神 社 の 約 23.1% (362 社)が存在 してお り、 とりわけ近江八幡市、八 日 市市、 日野町 に存す る神社 は調査地域全体 のお よ そ半数 を占める。 また寺院は県全体 に対 して約 21
% (656カ寺) を擁 してい る。 寺 院 の約64%が 浄土宗 と浄土真宗の寺院で占め られてお り、近江 八 幡市、 日野 町、能登 川 町、野洲 町 に濃厚 で あ る。 真宗系寺院の方が浄土宗寺院の約 2倍程存在 してお り、江州 門徒 といわれる由縁 である。 浄土 宗 ・浄土真宗 を合 わせ た寺院の数の地域 を大か ら 小 へ、そ してその当該 地域 に占め る割合 を示 せ ば、近 江 八 幡 (014、5.%)84 、 日 野 (36、70
%)、野洲 (54、7.%)62 、八 日市 (63、5.%)62 、 蒲 生 (92、7.%)25 、竜 王 (92、69.%)五 個 荘0 (2、6 5 57.%)、信 楽 (32、7.%)永 源 寺 41 (51、
483.%)安土 (21、4 %)である0 。 世帯 数 は県全 体の二割 に満 たないが、真宗寺院は県下の約 3割
(254カ寺)が調査 地域 にあ り、仏信仰 の熱心 な 地域である。 この地域 の人々にとって、宮 (氏神 信仰)や寺 (仏教信仰)の存在 をぬ きに して村の 中での生活 は考 え られない。
4)市町村合併 と神社
肥後氏 の首座一覧表33)には、旧市 町村別 に 294 社が掲 げ られている。 現行 の市町村別 に割 り当て れば 7市 12郡 38町村、計 294神社 の一覧でほぼ 滋賀県全域 に及 んで い る (図 3-b)。肥 後氏 の調 査以後今 日までの当該地域 の市郡町村 は、郡名 は 同一 であ るが、市 町村 の境 界 は相 当変化 してい る。 これは昭和28年市 町村合併促進法 に よる も の で、小 規 模 町村 (人 口 8000人 未 満) を合 併
し、昭和 31年 には 6市 (大 津 ・彦 根 ・長 浜 ・近 江八幡 ・八 日市 ・草津)・41町・10村 の計 57市町 村 とな り、更 に同年新市町村建設促進法 によ り未 合併 町の解消 が はか られ、 6市 40町 7村 の計 53 市町村 となった。その後二 ・三の合併 ・市制等が 行 なわれ、昭和 46年前後 には、村 は朽木村 (高 島郡) を除い て全 て町 とな り、現在 で は 7市42 町 1村、計 50市 町村 となってい る。 合併 による 境界 の変更 は、旧名 か ら見 当 はつ くが、「市 町村
112
星 :村落社会 における宮座の変容
合併後 の地域
」
(図 3-a)と して肥 後氏 の宮座 分 布 図 に境界線 を入れ、市 町村 名 を番 号 で 明示 し た。 また地図中の○
印は肥後氏の首座一覧 にある もので、●印は、1次で回答 を得 た ものの内の 38 例 である。 図 3よ り肥後氏の調査以後 もなお首座 が維持 されていることは明 白である。 また表 5よ り、現在 滋賀県 下 には神社 が 1441社 あ り、中部 地域及 び信楽町 に存す る神社 は全体の 23.1%(333 神社) を占めている。ところで、滋賀県下の神社数の変遷34)は どうで あ ったの だろ うか。明治 39年、滋賀県下 には神 社が 2872社存在 したが、神社 の廃 ・統合 によ り 昭和 13年 に は 1911社 とな り、961社 34%の 減 少である。 近畿二府五県 における神社 の減少率の 高い府県順 に、三重県 (89%減)・和歌 山県 (87
%減)・大阪府 (65%減)・兵庫県 (35%減)・滋 賀県 (34%減)・奈良県 (30%減)・京都府 (8%
減)であ る。 なお全 国平均 の減少率 は 42%で、
その大 は三重県 ・和歌 山県、小 は青森県 (5%)・ 京都府である。
1978 (昭和 53)年 と 1938 (昭和 13)年 の滋賀 県下 にある神社 の数 を比較す る と、470社 の減少 である。 この減少 は、宮座 を考 える上で重要であ る。 つ ま り神社 の廃 ・統合 によって首座が変化 ・ 変容 した と考 え られるか らである。氏神 は、村落 社会の生活組織 において、村 の統合のシンボル と
して程度の差 はあるにせ よ何 らかの意味 を持 って いる。 神社 を廃止 ・競合す る とい うことは35)村落 社会が外部社会か ら強力 な刺激 を受 けることであ る。 それは村落社会 (その内部 に変動 の要因 とな る何 かを潜在化 させているに して も)全体 を揺 る がす。 また村 の社会構造 に応 じて構成 されている 祭紀組織 に対 して も、 さまざまな影響 を与 える。
これが村落社会 に変化 をもた らす重要 な要因 とな る。 従 って滋賀県下、 とりわけ調査地 における神 社整理が数字 の上 だけでな く、個 々の村落内でい
かなる過程 を経 て どの ように整理、統合 なされた か とい う点、今後明 らか にす る必要がある。
3.
宮座の現況1)第 1次調査 (1978-1980年)と第 2次調査 (1996 年)の結果
(A)1次調査 (神職 と氏子総代)
調査対象地域 は、前述の ように中部広域市町村 圏 (近江八幡市 ・八 日市市 ・蒲生郡安土町 ・蒲生 町 ・日野町 ・竜王町 ・神崎郡永源寺町 ・五個荘 町
・能登川町) と湖南の山間部の甲賀郡信楽町 とし た。調査対象者 は、神職が本務 ・兼務 している神 社 の氏子総代 を紹介 していただ き、その中か ら大 字全体 を氏子 とす る神社 を取 り出 し、その神社総 代宛 に調査票 を郵送 した。具体的には、滋賀県神 社 関係者名簿36)によ り、調査対象地域の各神社の 宮司 (本務社)あてに本務社 と兼務社 についての 質問紙 を郵送 し後 日返送 して頂 く方法 を採 った。
アンケー トの内容 は以下である。
( A)
本務社 について 【1.神社名、祭神 、由緒、創立 年代 2.第二次世界大戦前の社格 3.第二次大戦前 と現 在の受け持 ち地域 (大字)】(B)兼務社 につ い て 【1.神 社 名、所在 地 2.兼務 社数、兼務社 を氏子 区域別 に印 を記入 して分 けて もら う (ィ.大字全体
◎
ロ.小字 のみ○
ハ.崇敬社△) 3.大字全体 を氏子 とす る氏神 についてのみ、氏子総代さんの氏名 と住所 を記入。】
本務社宛の調査票の配布状況 は表 6に示す よう に、総発 送 数 5 1 (本務社 全 部)の 内 33社 (776.
%)か ら回答が得 られた。その内兼務社 を持つ者 が25名 (587.%)、持 た ぬ 者 が8名 (42 %)。兼 務社が他 町 にある者 は 6名 (近江八幡 2名、安土
・竜王 ・五個荘 ・信楽 は各 1名)であった。
神職 よ り得 られた調査票 をもとに、宮座がある とされている地域 (肥後氏 の宮座一覧) と、神職 の本務社 ・兼務社 の記入 よ り、氏子区域が大字全
113
同志社社 会学研 究 NO.3,1999
表 6 神職 宛の調査票配布状況お よび兼務社数
調査 票配布 (社 )
回収 (社
兼務社合計
*
現存する神社数)
兼 あ る
務 社 な し 10
ll 6 2 3 3 2 5
66 5 2 0 3 1 5
63 2 2 -3 1 4
3 1 3 - - - - 1
(社 46 285 3
4 52 - 6 23
)
* *
(66 5163 23 35 52 21
7 3 2 1 12 2249
2
51 323 2
0
14 14(100%) (64.7%) 25(人) 8(人) (66.%)2200 333 社 )
* 兼務社合計--兼務社が (1 000.%)
あると回答 した神職の兼務社の合計
**現存する神社数--F滋賀県神社関係者名簿』 より作成
体 (鈴木栄太郎 のい う自然村)の神社 を対象 に 。る と、前者 は 38神社 、後者 は 48神社 の回収であ 氏子総代宛 に調査票 を郵送 し、記入 ・回答 の後、 った。1次調査 の回答者 は、その年頭屋 を勤 め る 送 を依頼 した。従 って この二つの調査 はほぼ 返 者、氏子総代 や区長、神社 に詳 しい方、宮司 さん な どであ った。各市 町村別 の配布数 と回収率 に片 に行 った。 また記入漏 れ ・不 明な点 は、後 日再 び同時 寄 り (蒲生町 は氏子総代 を紹介 して頂 けず除外 。 葉書 きや電話等 によ りそれ を補 った。以上 の
な方法であ ったため、一部 の調査拒否 を除い よう 能登 川 町 ・永 源寺 町 も肥 後氏 の調査 当時 と 197 較 的ス ムーズ に行 な うこ とが で きた。調査 期て比 年 との比較がで きない)があ るが、 中部 8 は、1978年 (昭 和 53年) 8月 下 旬 よ 間 存す る宮 地域 に現 (同 55年) 9月下旬 までである り 1980年 戦後 の民主座 については、大 まかな把握がで きる。
肥後氏 の調査 一覧 に示 されている神社 と、筆 が どの よう化 お よび高度経済成長下 における宮座 の調査対象地域 の神社 とが重複 す 者 に変化 ・変容 し、更 にそれが どう導か
。
れて きたか とい うことを中心 であ る。 その 内1次調査 で は3 る神 社 は80社
た。残 り48社 は、肥後氏 の二8社 か ら回答 を得 (B)2次調査第 2次郵送調査 に考察す る。
冊 の著書 で触 れ て 次 で行 なった中 にお け る、調査対 象地域 は、1 いる神社 と、神職の調査票 よ り大
外 と湖南 の山 部広域市 町村 圏、但 し能登川町以 1次調査 の 字全体 を氏子 区
域 とす る神社 を選択 して発送 した。 野洲 町である間部 の甲賀郡信楽町 に加 えて野洲郡
・宮座 に対 す調査 票 は、宮座 の組織 ・行事 ・経営 2次調査 の質問内容 は、。 1次 で行 な った同 項 目設 け た。 表る住 民 の意識等 に関す る設 問 を7よ り 22
過 (内無 回答 3)5 、総 発 送 数 148通 の 内 86 の回収 で 8.1% (無 回答 を除 くと56.1%) 社宛の調 ある。 これ を更 に肥後氏 の宮座一覧 の神
114 査 票配布 と神職 の紹介の神社宛 の別 にみ 地 区名
近江八 幡市 八 日 市 市
安 土
竜 王
蒲 生 日 野 永 源 寺 五 個 荘 信能 登 楽川
合 計
星 :村 落社 会 にお け る宮座 の変容
表 7 氏子総代 宛調査票 配布 お よび回収状況 (1次)
地区名
近江八幡市
八 日 市 市 )
安 土
竜 王
蒲 生 日 野 永 源 寺 五 個 荘 信
能 登 楽川
合 計
A B A+B A+B
回 収 率 肥後調査 一覧表
表記神社 回収数 により配布神職 回答回収数 総 配布 6 (N.A.3) 23数
16 7 7 1回収総合計3(N.A.3) 5
6.%(. . 35 7 5 N A除外4.
12 8 8 7 20 15
5.0
5 5 2 2 7
7 100.0 12 8 10 5 22 13 59.1
9 0
0
0 90
0
3 2 15 13 1
0
8 155 483.35 6 5 ll 5.5
5 3 10 6 15 9 60
. 40.00 10 3
0
5 2 8 2 2 5 2188 87 389
80 38 68 48 14 6 58.
.1 (100%) (4.%)75 (1000.%) (067.%)
答者 (神職か ら氏
ため に必ず しも現在子総代 を紹介)宛 に郵送 した。
更 に死亡や高齢 、病気の氏子総代 の回答 ではない。
ったため、その都度現在治療等 による回答辞退があ の氏子総代 さんや頭屋 さ ん を紹介 して頂 き発送 した。従
して質問項 目を設定 した。1 って次 の点 を加味 ため、小 間 を設 けた。2.新.回答 を容易 にす る た。詳 し くは、a.禁忌 の間でた な設 問 を設定 を し 定があるか とい う設問。b. 、将 来 ゆ るめ る予 頭屋 を勤 めることが人生 に 頭屋経験 の有無。C.
と思 うか とい う設 問。d.神 職 の名どの ような意味がある e.フェ ース シー トであ る。 調査期 前 と本務 社。
月下旬 か ら9月末 日まで とした 間 は 1996年 7 後氏 の調査結果 を鑑み、1次調 。調査票配布 は肥 たが、現在 の首座 の様子 を把握査 で無 回答 であ っ した。 す る為 120通発送 尚、再配布 した調査票 は、同一地域 、同一神社 の場合何通送 って も
地域 は、1次調査 は 1通 とした。 また野洲 町の三 行 なってい ないが、現地調査 を行 ってお り2次調査 では
変貌 を把握す るため含 んだ。その後 の首座 の変化 ・
(N.A.除外 56.1%)
は、表 8に示 した。表 8よ り、当該地域 の神
す る調査対象神社数 (1 社 総 数 (333社) に村 60 あ り、 この うち の6割20(社)の割合 は3.%で 明 1社、死亡1社)の神社72社 ;内 返 送3社、不 市 町村別 の配布数 と回収率 よ り回答 を得 た。 尚各 肥 後 調 査 (神 社 総 数; に片寄 りがある。 今 回 (581.% 80社) と重 複 した 19社 13地 )か ら得 られた回答 は 13社 であ る。 この 調査 域 は、肥後氏 の調査 以来62年、筆 者 の1次 の変 か ら丸 16年 を経過 してお り、その 間の首座
2)宮座化 ・変貌 のおお まかな把握 はで きよう。
の存在状況 ( 2次) 従来、首座 の 1次) と (
古 くはこの形が典型 としては株座制 と考 え られ、
多 かった とされ る。 しか し村座 も かな り古 くか らあ った よ
具体 的 な調査 票発 送状 況 と当該 地域 の神 社 数