<史料紹介> スレイマン大帝のシリア州カヌンにお ける関税と商品税
著者 岩永 博
出版者 法政大学史学会
雑誌名 法政史学
巻 12
ページ 48‑74
発行年 1959‑10‑10
URL http://hdl.handle.net/10114/11181
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法政史学H 史
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一、はじめに
二、シリア州カヌンの内容
一二、各種租税の機構と性格
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関 税
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四、おわりに
凡 例 ト ル コ 語 お よ び ア ラ ビ ア 語 の 訳 音
、 法
アラビア語およびトルコ語化したアラビア語の表現は極力通常のアラビア語の訳音法による。ただし.新トルコ語に
おいてもトルコ語化しているアラビア語についてはトルコ語式の訳音法により、とくに長母音は表示しない。
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特殊な表音のものは次のようである。
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E E g b B G
」はいわばトルコ的な
イスラム神政政治の秀れた象徴であろう。カヌンがトルコ玉朝に独特な法秩序の象徴というのは、それが世俗的な政治機構や非アラブ的な地方慣行を万遍なく
成文化l、イスラム法秩序の補完的要素にまで確立した点にある。従来イスラム諸王朝の唯一の法体系であったイスラ
ス レ イ マ ン 大 帝 の シ リ ア 州 カ ン ヌ
Kおける関税と商品税(砦永)
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法政史学
五
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第一 一号
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民〆〉は本質的には遊牧民出身のアラビア入社会の法慣習を神学原理によって体系,つけた宗教法であった。そ
れはアラビア人の征服した先進的な旧ペルシア・ローマ領社会の、法慣習や政治秩序を完全に消化統合する点に欠けるところがあった。多くの非アラビア的慣行は。慣習〆門広
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として法秩序から除外されていた。これに反しオスマン・トルコのカヌンは。勅令ピユ。ゃ。慣習〆
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の成文化されたものといわれるように、非宗教的法がイスラム法と並んで効力を与えられた。俗的政治的要素と宗教的要素がこのように深く統合されたのは、アラブ帝国のアγパ
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一二五八)時代にはみられない進展といえる。裏返えせばこの時代における俗的政治的要求と信仰的原理の争克がここに現れている。また地方的慣習もイスラム法の原理内で認められるものであるが、民族集団ごとに多少の相違を示し、各州のカヌンの内容の変差として現れている。いわばオスマン・トルコ神政政権の異民族統治能力の限界がそこに反映してレる。
さて当時のシリア州は、アレッポ州、トリポリ州、イスラエル州ハクドス町内ロ門戸
5
州)と並んで、現在のシリア(レバノンを含む)パレスティナ地方を四分する一地域であり、ダマスクス市を中心にその北辺とレバノンおよびパレスティナの海岸地帯ハベイルート、サイ
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スレイマン大帝のシリア州「カヌン」三八ケ条は一五四八年に制定された。もともとスレイマン大帝の立法活動は一五二八年一ん二五四八年の前後の二時期に集中的に現れているが、後のものは帝のオーストリアを目標としたバルカン政策
が行詰りをみ、一転してイランのサファ
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年頃ディヤルベクル州、エルゼルム州、一五四八年ケルク!ク州、シリア州と、アジア辺境諸州へのカヌンを矢継早に発布した動機であろうにこの点ではカヌンはオスマン王朝がアラブ民族の地域であるシリア州をどの程度掌握したかの深度を示してもいる。これは約四世紀間のトルコの支配に拘わらず、近代においてナショナリズムが興隆しえたほど、アラブ民族文化の温存されていた理由を解明すのに役立つであろう。
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もちろん小稿は、前述のようなオスマン・トルコ政権の俗権性と宗教性の対抗の全貌や、アラブ社会の政治・経済構 造から政治発展えの帰結やを、展望しようとするものではない。ただシリア州という特色あるアラブ地域の一州のカヌ ンを通じて、イスラム社会の世俗化えの傾斜、オスマン・トルコの支配力の限界、などの一端を証一不できれば幸とする
ものである。
注 (
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委ねられ、カリフは非宗教的統治権を行使したが、オスマン・トルコ朝においては立法をシ
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五
Hosei University Repository
法政史学
第一号
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ニクリア州のカヌンの内容
シリア州のカヌンは上述のように三八条からなっているが、その内容は大別して五つの分野に区分される。大要は次
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で、果樹からは定額のハラlジュケ一徴収する(第四、五七条〉。また野菜地についても同様である。果樹の定額
税は、オリーブ二本で一美令、桑五本で一岳山官くるみ一本で二件増、などである。
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)家畜税羊は二頭につき﹈与のの
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)輸出入商品に対する関税((出自己片)シリア州に出入する商品にはすべて関税(
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〉を課せられる。関税は輸出入港ないし州境と、ダマスクス市の倉庫で(計量して)課せられる。こうした貿易商品は売買の際さらに仲買税
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する。ダマスクスの市場で売買される場合イスラム教従から徴収される税を仲買税(ぜ骨二門
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降ア急円)において取扱量を基準にして課せられる。(
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島常につき五島常を徴収する。(第一七条)(
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)氷雪の市(F B
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〉が一カンタルにつき借料一一一美的。、謝礼(2 F σ σ
〉八島常を払うている(第一八条)(h
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含)の大袋一袋につき買手から二島常を徴収する。また大麦(ミ宮)やその他の穀物も同一
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。指定された穀物市(間色
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)一部の加工業の税玄2 p n v s z E H
当り土地使用料常円
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丘町内巳自己ロ村などの附近で製造される炭酸加里や塩は政府え持参買却した際、一カンタルω R
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とを徴収される。特定の土地は
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の土地使用料は請負(g ω w g
.)であり、たとえばジュル!ド村は五百カンタルの炭酸加里を生産し一二
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が徴収される(二八条)。また(農民の)異教徒には地
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} 乙としてキリスト教徒に入品令、ユダヤ教徒から八島常を徴収し、それに人頭税(nR
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ているため異教徒の特権をなしていた。シリア州のそれが従来三gB
可)で、酒類の取扱はイスラム教徒には禁止され二2 z g
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から請負われていたが、州財務庁は四
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万呉的。と定めた(第三三条〉以上がシリアにおける税制の概要であるが、これらの分類や税率をみると、イスラム法学で規定している種目や税率
ス レ イ マ ン 大 帝 の シ
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Kおける関税と商品税砦永
五五
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法政史学 、
第一号
,
五六
と少なからず相違している。イスラムの法学では税(
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と見倣仏、また学派によって多少の相違
はあるが多数の種目を次の五群に分数して、税率を定めている。
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( 十 分 の 一 税 ト ル コ 語 正
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〉がそのまま踏襲されぽ忌(地租トルコ語
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)と呼ばれていむ)異教徒からは人頭税
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分の一を税率の原則としてい、また最低課税額(巳ω併す)を定めて一定額(羊四
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頭、勝院五頭、金銀は二OO
ディルハム)以下の僅少財産は課税を免れた口
シリアの税制も一応の構成はこの原理に順応しているが、種目の重要性や税率は著しく変化している。すなわちまず
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穀物収穫や同の果樹・野菜収穫がとりあげちれた。しかし、その一部に含まれる非イスラム教徒(被保護民
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の項)。刊の放牧家畜税はごく簡略に規定されている(E
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については全く取扱われていない。一方的の商品の
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項)。関税(がω E
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って一般的問題を二、三指摘しておかねばならない。
第一一はカヌンの内容はトルコの各州によって種々相異している。
シリアにおいては穀物・果実などの農業収穫えの税規定が比較的簡略であるのに比して商品取引に関する税規定が複
雑精紛である。これに反して、小アジアの諸州は農業収穫と土地に関すお税規定が遥かに詳細め極め、(家畜や水車、
養蜂などの農村施設えの徴税規定も含め)商業税規定はやや簡略である。またアラブ諸州でも隣接のアレッポ州のは農
業収穫や地租の条項がやや詳しく、反対に当時地中海岸の代表的商港トリポリ州のカヌンは大部分関税と市場税との規
定で占められていろ。こうしたカヌンの内容の相違は、各州の政治・経済状勢の相違にも基くが、またとくにオスマン王朝の支配権の浸透度の濃淡に左右されているといえよう。住民の大部分がトルコ化された小アジアではその統治力
は、農村の未端まで透徹しえた。西アジアのアラブ諸州ではアラブ人豪族・部族の封建的領主層が残存し、都市を別にすると、農村では支配は、いきおい間接的にならざるかえなかった。西アジアで地租の規定が簡略かっしばしば抽象的であった所以であろう。
第二は前項とも関連するが、西アジア諸州の一般的傾向として、シリアでも都市や商人からの貨幣税収が重要視され、厳重に徴収きれた点であろ。トルコ帝国の政治機構の特質は韓備された軍事的采芭制、いわば分権的な傾向にあったか)反面、走大な領土の統一を維持するのや専ら官僚組織
と軍
事力に依存した点で、強力な中央政庁左常備的軍団を
(イエニチェリや常備軍兵団、砲兵団の編成など)組織するために、財政収入の中央集中傾向がみられ欠。これは特定
の財源を中央政庁の所管として、直接これをスルタン政府が徴収した点に明らかである。国有地の靖収入のほか人頭税、専売税、関税、放牧税、それに一部の市場税などの、主として貨幣収入のものが含められ、年々中央政府から割当
てられ、各州で厳しく徴収された。カヌンの規定がこれムノの分野で、頗る詳しく具体的で勝ったのも当然であろう。事実その収入が各州の財源に占める比重も低くなく関心の高さわι充分推測させるものがある。
第三に、冒頭に類別した税種は一応イスラム信仰に基く宗教法上
3 2 J
)なも
ので
ある
が、
その
他勅
命に
よる
(ピ
円片
山)
従って宗教的と考えられる、徴税が行われている点である。宗教法上の租税も、後に詳述す
り れ
ように、決してアラブ帝
スレイマン大帝句シ
HY
ア 州 カ ン ヌ に お け る 関 税 と 商 品 税
( 砦 永
)
五七
Hosei University Repository
法 政 史 学
第一号五八
国時代の方式通り実施されたものではないが、一応その種目や税率の水準は尊重され、その意味では宗教法公}
g
〆 )
の思想は租税詠求の抑制に役立った。しかしトルコ政府はその枠を越えて。君主命による(ピ円巴〉hq税種を造出した。後者の内容は、しばしばすでにトルコ族諸政権が慣習上実施していたものであったが、それをいわば公認の制度
化したわけでオスマン・トルコ政権における世俗主義の強化がこの点にもみられる。。勅令上のhq税の最も一般的なも
のは。宰相庁の税ぜ〈
bzEE
〈B -
3 0
(戦時などの財政窮迫の際臨時税として徴収された)、。免賦金宮号忌ス代
替の意、なんらかの労力奉仕の代りという名目で徴収され、一七世紀には多数に上った)、各種の手数料(訴訟、その
他官庁特許などの事務に対する手数料として徴収され、結局担当官吏の不足給与の償となったもの、種目ごとに異った
名称をもった)たど。もっとも宗教法上公
2
ぷ)の税種でありながら徴収形式が規定外の場合は勅令上(.5 2
) と も 認められ(例えば、市場税の計量税店
ω g
M
官官ロなど〉、両者を明確に区別しがたいものがある。とも勝、、ω
〈b H E F
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る口々。は農民の地租の一O I
一五
dpにも当り、免賦金の税表は一七世紀には現物納附税表の半数にも及び手数料
も(
ヨ ω
包 R q R
関税の手数料)は本税の半額に達するなどの状況であるから、これら
hq勅令上のピユ
F
の税はことに十七、八世紀国勢裏類期には相当大きな比重を占めたと推定される。この点オスマン・トルコでは宗教法上
ω 2 h
Fという原理の崩壊傾向を無視できないのである。
注(
1)
これ
は「
罪を
浄め
る(
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ため
に自
己の
財産
のな
かか
ら喜
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七章
一
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四節」
とい
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る。
喜捨
の意
味は
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こと
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え
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兵宮
」(
八七
章一
四節
)と
述べ
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て
いる
よう
に、
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の意
味を
もつ
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畏す
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成畏
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を増
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功徳
を増
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)を
勧め
た。
これ
が税
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どの起
源と
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る。
(2)家畜税は羊・騒舵のみでなくあちゆる種目について定められている。しかしそれは遊牧民など家畜所有者にたいする課税
であ
り、
家畜
が売
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とき
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の商
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る。
家畜
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一
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九頭に対し山羊「頭一 四 二
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Hosei University Repository
官 ??竹 内噂
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同一川同~園、 11H
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記留謡1 旬、
固に一平岡
、
事主J,く-4そ
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4王将~十士!1510!寝~斗以1lヨ
(的)画監幸号事悩..>J事m:J_QγK爪ぺ鎚動千)...,@...,@¥'・ ..>J...,@離課長~ll!~~i-0:長’握陳ど君主謀「ャ代I\\斗根回以将士i-O!lffi梅幸司事生~~\'ムド」(苦悩底駅111酌gi~川111掛’回目一因fく!医)や理主穏,_).;」。時JQ~朴割程Q慌++{出!!Nicolas P. Aghnide~. Moham ・ medan Theories of Finance. New york, 1916, vol 2, chap. 1. sec. IV, chap. 4 .V蝿舟ν;tit嬰記号生絹初~\-'ム!:00 ~ Q魁る〈宕蛍判明艇はひムν
包E.Probster, Privateigentum und Collectiuismus, Islamica vol.町,No.4.(1936) ..¥JV以内JQ pp 435~
90(噌)Aghnides, op. cit, chap 1. Sec 11. .V結累\!-'~i-0。
(凶).;_!..>J,£~ !-\え市長、4’of::(I\\ト入’そ\気ャく~Q事壬,~',\ト、仲ミミQ-fミrべ入。(Z.E. E pp. 45
~
48, 62~
72, 23~
28)('-0) Z.E.E pp.206
~
210(ト)Z.E.E pp.211
~
216 (co) A. N. Poliak, A. Feudalism in Egypt, Syria 1250~
1900. Lodd. fon, 1939, chap. 5.(o-.) H.A.R. Gibb & Harold Bowen, Islamic Society and the West, vol. 1. part 1, chap.IV t!..>Jv己批Jム。
.;2-tn毛主右紳~..>J....J¥-1’ Hammer-Purgstall, Des Osmanischen Reichs Staatsverfasung und Staatsverwaltung. 2vols. Vienina, 1815. Tischendorf, P. A. U. ,Das Lehnswe~en in den moslemschen Staaten insbesondere in Osmanischen Reiche. Leipzig. 1872.
(~) Gibb & Bowen ; op. cit. vol 1. part 2, pp, 15-16
(;:) Gibb & Bowen, ibid. p. 15 (~) ←将兵~',く割足尽!密主」持金時特三;Q長〈会iE提唱]現Q--RQAJ雑誌~f芸〈以吋i-0--RQA)凶~,_) ¥-' r{ \-I’去三Q~事訴2ミ吋必ヰヰ~。
•r<与、~~λ+<範幸Q;;.. ';:'\トミま快入民記持t時軍需4憧ng穏(司q,長)1司有
Hosei University Repository
・法政史学第一号
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、 四 九 三
、
O六三アクチャ六、三三七、五八八
州 一 一
、 三 八 九
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、 四 一 八
、 八 五 六
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、 七 五 三
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・ 四 一
、 六 六
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デ ィ ヤ ル ベ ク ル 州 一 八
、
O二
五、 二九 一
デグヤルベクル州とかモlスル州などの奥地農業地帯と比し、トリポリ、アレッポ、シリア州などの非采巴地の課税収入が(もちろんこれには公有地の地租収入も含まれるが、それも中央政府の財源である)高い比重を占めていることが知られ
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e品 目
印 ・
(日)セリム一世の時代には一回徴収され、爾来四l五年に一回、非采百主以外の住民全員から一人当り二O島
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(U)しばしば一定の現物納付(硝石、木材羊など)の義務のあったものが、現物に不足したために分担したぷ号
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ア シ 州
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ア レ ッ ポ 三
各 種 租 税 の 機 構 と 性 格 カヌンにみる以上のような租税制度を全項目についてイスラム法の規定と照比することはさけたい。それは結局オス
-
マン帝国の全政治経済機構の解明合伴わねば不可能であり、ことにまたシリア州のカヌンに詳細を欠く地租家畜税など
については充分の材料が備らないからである。ここでは
ただ大
綱が
. 指摘す
ろ
にとどめ、、やや規定に詳しい関税と市場
税を検討することにしたい。
(a
)地租制度
Hosei University Repository
オスマン・トルコの地租はほとんどすべてハラ
i
ジェ(『ω E
の)で、それが
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(定額金納桓ないし物納租)か
2 5
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かばωニ(刈分制)かの区別が重要視された。いいえれ、私有地(ヨニ}ハ)に低率のウシュル、公有
地(
BE
)に
高率
のハ
一フ
iジュを徴収するというイスラム法学の基本観念はほとん消滅しているようである。私有地の税を指したウシュル(十分の一税‘
5 E W
ピω忌)の名称が、カヌンでは地租の総称のように用いられ、公有地の地租
であ
るハ
一フ
lジュをその一種と見倣すような、混乱した表現が、散見
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。オスマン・トルコの国家機構がアッパース朝時代と異って采邑制(EZFE
己芹)を基礎とし、農地はすべて国有と見倣され、王有地として直接課税するか采邑地として領主の徴税に委ねるか、された結果であろうJ
イスラム国家の制度ではウシュルは本来イスラム教徒の私有地(ヨニ片)に対して課せられる十分の一税、ハラ!ジュは本来被征服民であ日非イスラム教徒の私有地に課せられた地租(収穫のl
一
211一
3)であった。このハラl
ジュは所有者が後にイスラムに改宗した場合にも継続さ人m r
ただそれがアラビア人征服者の私有に帰した際にのみ征服の初
期には少額のウシェル納附地に転換された。従って被征服地の多くは高率のハラ!ジュ地
PE
巳・町民企)で、一部に
? と ル
地
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5 5
が存在する結果となっ勺)このような地租の差別がさらに志の?権の斧別に転化
されたu
ハラ
i
ジュ地は本来イスラム国家が所有権売もつもので私有権のない公有地(川口S H O B E
であり、ウシュル
地のみが私有地(〉三巴
E ω E E
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こうした変化は長い歴史的変遷の終局的結果)であるという制度が成立していがJUで、完全にその変化の過程を跡づけることはむづかしいが、ごく概括的にいえば本来集権的であったイスラム社会に十
て二世紀来来分権的な采邑制の拡が
コたことが、基本的な要肉とみられる。耕作農民の私有権を否定し領主と支配者に
’士地の所有権を帰属させユ結果がどこの社会でも現出した封建的慣習が、ハラ!ジュ地に対する私有権を否定し、封
臣の君主としてのスルタンとカリフに上級の所有権を行使させ、土地国有観念を現出したであった。こうしてシリアや
エジプトではマムルlク朝(一二五
O i
一五一七)時代に土地は大部分固有地
BE
と見倣されるに至ってい、オスマン・トルコにおいても引続いて国有、地とされていた。ただしこの地域ではなお多少の私有地が残存しウシュルのみを納
めていた。十二、三世紀以降、最初から封建領主の手でイスラム政権の領土と化された小アジア地方(すなわちオスマ
ン千ルコの本土)では、私有的農地はほとんど全く存在せず、私有地とウシュル税は都市の宅地と果樹栽培地に対して
ス レ イ マ ン 大 帝 の シ リ ア 州 カ ン ヌ
K狩ける関税ξ商品税(岩永)
ー」』./
、
Hosei University Repository
法政史学
- ' - -/、
第一号
認められる止まつでオスマン・トルコの農地制度で私有地と公有地、その区別を示すウジュルとつフ!ジュの制度が
重要視されなかったのはごく自然の結果といわねばならない。
上述のようにアラブ国家ハウマイア朝やアγパ!ス朝)では農地はウシェル地とハラ!ジュ地の区別が重視され、小
作形態は、定額(おそらく金納)小作契約ハヨロ必
3
)、定額(物納)小作契約(ヨロN b g h p B C F b F
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むなどの諸形態が法学者によって区分された。こ
れによってハラ
l
ジュが国家に帰属するか、所有権者または用益権(822
〆)の保持者に帰属するかが厳密に規定された。所有者または用益権者は、その土地をウシュル地に化するか寄進地(当
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企 な い し
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)か授与地(
b
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特許をえるかして、ウシュルとハラ!ジェの差額を取得することに努力を集中した。小作形態は必しもオスマン・トルコ時代と大差ないようにみられる。土地の所有者が領地支配権をもたぬ個人であったオスマン・トルコの小作形態は定
額金納制(
B ω W E a
- -2 m
共 )と定額物納制(白兵苫千巳53
かまたは刈分制(
n C E r
- -
B E o v ω ω ω
戸〉に区別され、
所有者は国家か封建領主であり、土地経営を欲した個人は税請負権ハ
E C
(
Z
Z
が)をえて、徴税権とともに封建領主と等しい政治的強制権をも行使しれた。地租の基準はシリア州のカヌンでは明示されていないが、おそらくそれはアレッポ州、エルゼルム州などと近似であ
ったと推定できるから、後者の基準を参考までに滑りる。ァレッポ州では一的広ス農地)の農民の税ハ含
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の土地では生産の半量が永小作権のある農民(円。ミ
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る。
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刀己と呼ばれた権利書の授与によって確保されたo g
切口による耕作権は税を納入する限りで保証されたものであるが滞納をした場合や三年以上耕作を描棄した場合には、無補償で剥奪された。また
Z ω ω
0 5
同の権利はトルコの初期にはより安定していた。采邑制が原則であったため、采邑主は領民に対する個人的接触をもってレたからである。しかし一七世紀以降は政府が采邑授与を極力抑制し、徴税権の請負制をとるようになりぜ都市の
Hosei University Repository
商人資本家ないし官僚的軍人が請負人となったため、個人的接触のない請負人ハ
B E b g
〆 巳
〉 に よ る 詠 求 が 高 ま る と、滞納は増加し
Z
旬民権を失う者が一頻出した。また請負人はZ
匂ロの更正によって利益を納めんとして一層耕作権
g g m g h
を不安定とした。トルコの土地国有制は時代とともに強化されて、農民の耕作権を弱化し、商人、官僚・地
租請負人による農村支配を招来している。
注 (
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・開
・匂
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・第 六条 未尾
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t叶)は、これの理論的支柱となったイスラムのワクフ理論の役割を強調している。イスラム社会における土地の公有制の問題は、「九三0年代まで、その社会経済史研究の核心をなしている。この研究の発生はきわめて古く、-八三
O
年フランスがオスマン・トルコ領アルジェリアを征服した直後に遡る。フランス政府が本国からの移民に農場地を授与するについて、イスラム社会では原住民の私有権が存在せず土地の国有制が原則であるという理論を利用して、現住民の耕作権剥奪を強行したのが、その発端をなした。(宅2 g ω
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--・)これが発端となって、トルコの国制の原拠であるイスラム宗教法のとくに国家経済理論の探究が手がけられ、〉
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Hosei University Repository
法政史学
第一号
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( 4 )
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(6)法学書では
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c b z y
)の項で詳しく取扱われている。
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(7)カラマンでは三六ω}
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(9)オスマン・トルコ帝国の采邑地規定によれば采邑地の大きさは
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従 士 六 人 以 上 一 八 人 供 給
従ハて騎士一人の給与基準は二、
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(ヨ ーロ ッパ 州で は、
一ニ、
OO Om wW MO
)である、騎士一人当り標準農家五O戸がその経済を支えていると考えられる。-村ないし半村、三分の一村程度の領主権となる。采邑制については開口
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(b)家畜税
シ リ ア の 家 畜 税 は 羊 二 頭 毎 に 一 長 官
、 山 羊 に つ い て も 同 額 が 徴 収 さ れ る
。 ま た 他 州 か ら 遊 牧 し て き て 越 冬 す る も のについても百頭につき一頭が徴収される(二節
b
項)。羊の税(
2m gF ωm RS
)は他の州でもたとえば、小アジアの ク タ イ ハ
、 カ ラ マ ン
、 エ ル ゼ ル ム の 諸 州 で も
、 い づ れ も 二 一 践 に 一 と さ れ て い る
。 ク タ イ ハ 州 で は 羊 二 四 頭 以 下
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Hosei University Repository
の場拾
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頭を免税点にしていたかは明確でないが、シリア州でも群に対し課羊の税。は不一安としていれル正確に四税する。としているから、免税の限界はあったとみられる。。遊牧部族からは通過するものも一定期間止まるものの別なく
m y
とった。これは他州のカヌンでは放牧税公
252E
)と名づけられて、多くが百頭(または一群に)に一頭であるDいうまでもなく家畜税を家畜数で規定しているイスラム法は、貨幣経済の発達していない遊牧民社会の慣習を
(5) 基準にしているからであり、それはアラビア沙漠内では今日でも継続している慣習である。しかし、貨幣経済の活溌に
行われあ地域での、しかも定着農民の牧畜にたいして、金納制が成立するのはごく自然の成りゆきであろう。羊の市場価格が二
O
兵 す 内 外 の と き
、 二 頭 に つ き 一 兵 マ は 二
・ 五 と い う 税 率 の 原 則 を さ ま で は は づ れ て い な い と い え よ
う。また通過する遊牧民に対しての課税は完全な統治権のない場合で特例といえるが、ここに極微の税源まで遂求する
領主的貧欲が露呈している。またこうした遊牧民からの貨幣徴税は不可能で、当然現物徴収制がとられたわけである。
さらに領内の放牧者に対して州によっては牧草税(一群に対し三山広め程度)が徴収されている場合がみられ、家畜
関係の税が種々の形で加重されていることは見のがしえない点である。
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(5)サウlド王の徴税吏が春月に家畜税の徴収に巡羅する状況を報告しているが、ここでは税率はイスラム、法の原則そのままに行
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)関税
オスマン・トルコででは関税を
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円 庄 内 と 呼 ぶ
。 こ の 言 葉 は ギ リ シ ア 語 の ラ テ ン 語 の
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に由来する。極めて古くから使われているがお外国貿易について輸出入港で課せられる税の内容をもったのは十九世紀
以降のことで、最初は単に外国商品に課せられる税というほどのもので国境のみでなく、園内での州境、その他の場所
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