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史料紹介 : 前川善三郎翁行商の図について

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Academic year: 2021

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史 料 紹 介

前川善三郎翁行商の図について

前川善三郎翁行商の図(前川家文書) 今回は、一幅の肖像画を取り上げましょう。ここに描かれているのは、前川善三郎という商人です。こ の肖像画は、善三郎の孫である故・前川善市郎氏から、平成十四年に史料館にご寄託いただきまし た。 善三郎は嘉永元年(1847)、犬上郡高宮(現、彦根市高宮)に生まれました。12歳の時に、叔父で ある前川太郎兵衛が経営する大阪店に入り、21歳で同店を譲り受けています。この店は大阪備後町 の角地に所在していて、洋太物を扱っていました。 『近江人要覧』によれば、善三郎は高宮と大阪の店舗を往復するごとに、かならず10貫目(約38キ ロ)ほどの商品を自ら運んでいたそうです。高宮から大阪までの順路は、まず徒歩で草津まで行って一 泊し、翌朝は早起きして京都の伏見に向かい、そこから三十石船に乗って宇治川~淀川を下り、大阪 市中に入るというものでした。また、時には数頭の馬に綿糸を積んで、善三郎自身は帳簿の入った行 李と弁当を持って、大和・河内や四国・九州まで商用の旅に出ることもあったといいます。 後に、善三郎は日本紡績会社の創立に参加し、大阪商業会議所の議員にも名を連ねるなど、近代 的な企業家として活躍しました。一方で、財団法人前川慈修会の設立や、彦根高等商業学校創設へ の寄附など、社会活動面でも特筆すべき業績を残しています。善三郎は昭和六年(1931)に、84歳 で亡くなりました。 この肖像画では、21歳の善三郎が大阪に行商に出かける姿が描かれています。 21歳といえば、まさに大阪店を受け継いだ年であり、希望と活力に満ちた一歩を踏み出した姿を記念 したものと言えるでしょう。画中の善三郎は、天秤棒をかつぎ、その両端に商品(織物か?)を紐で吊る し、菅笠(すげがさ)や早道(はやみち:携帯用の小銭入れで、帯にはさんで使用)を身に付け、草鞋 (わらじ)・脚絆(きゃはん)・股引(ももひき)をはくといった、典型的な近江商人の旅姿をしています。 この肖像画は、今回の10周年記念展でも展示しております。どうぞ、展示室で実物をじっくりご覧下 さい。 (史料館 青柳周一)

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