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ワーズワースの人間愛 : 『序曲』八巻における羊 飼いを中心として

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ワーズワースの人間愛 : 『序曲』八巻における羊 飼いを中心として

著者 楠原 淳子

雑誌名 主流

号 43

ページ 60‑77

発行年 1982‑02‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014946

(2)

60 

ワ ー ズ ワ ー ス の 人 間 愛

一一『序曲』八巻における羊飼いを中心として一一一

楠 原 淳 子

From love, for here 

Do we begin and end

, 

all  grandeur comes

, 

All truth and beauty

, 

from pervading love.  That gone

, 

we are as dust.

ワーズワース (WilliamWordsworth, 1770‑1850)が,詩人の魂の成長 という副題をつけた『序曲』で主題にしたことは,彼自らがのべているよ うに想像力の問題であった (13:185).そしてこれはワーズワースにとっ ては,自然と人間に対して働く想像力を意味しているように思われる.

『序曲』の全編を通じ,自分の生涯に即して自らの想像力の進展のあとを たどってきたワーズワースは,その終結部で長い間彼の心の中で最高の位 置を占めていた自然にかわり,人間が,人間への愛が彼の心の王座を占め るようになったと告白している(13:236‑44).  すなわち『序曲』の主要 な目的であった人間への愛について考察することは,この作品を理解する うえで,ひとつの手がかりをあたえてくれるように思われる.

ワーズワースは『序曲』八巻のタイトルを RETROSPECT.‑LOVE OF NATURE LEADING TO LOVE OF MANKIND"とした.幼年時 代からケンブリッヂ大学を卒業してロンドン生活をしているところまで書 き続けてきた彼は,ここで改めてこれまでの二十一年間の人生を振り返り,

悲惨と悪徳の渦巻くロンドンでの生活のなかでも失われなかった神や人間

(3)

ワーズワースの人間愛 61  についての高い思想,人間への愛は,自然に負うていること,自然の恵み 深い導きによって自分は人聞を愛することを教えられたのだ、と主張してい る (8:62‑81).  すなわちこのタイトルは, 自然の愛と人間への愛には避 けられない因果関係があることを示している.そのように理解するなら,

彼は八巻においてそれをどのように立証しているのであろうか.自然に対 する愛情から,いかにして人間への愛がはぐくまれていったのであろうか.

この例として語られる少年時代に見た羊飼いの姿,彼らの生活,これらは 古くから続いてきた牧歌の伝統と対照されながら,八巻のなかで多くの部 分を占めていて,重要な事柄のように思われる.小論ではこの羊飼いの部 分 (8: 62‑470)をとりあげ,少年時代から青年時代に至るまでのワーズ ワースが, どのようにして自然の愛から人間への愛に導かれていったかと いう問題を考察してみたい.

II 

ワーズワースは,少年時代の羊飼いとの交わりについての長い記述の後,

自然への愛と人間への愛の関係について次のように述べている.

But blessed be the God  Of Nature and of Man that this was so

, 

That Men did at  the first  present themselves  Before my untaught eyes thus purified

, 

Removed

, 

and at  a distance that was fit.  And so we all  of  us in  some degree  Are led to  knowledge

, 

whencesoever led

, 

And howsoever; were it  otherwise

, 

And we found evil  fast  as we五ndgood  In our first  years

, 

or think that it  is  found

, 

How could the innocent heart bear up and live:  But doubly fortunate my lot;  not here 

(4)

62  ワーズワースの人間愛 Alone

, 

that something of a better life 

Perhaps was round me than it  is  the privilege  Of most to  move in

, 

but that五rst1 look'd  At Man through objects that were great or fair,  First commun'd with him by their help.  (8: 435‑51) 

ワーズワースが,自然の恵み深い導きによって人間愛をよびおこされた ということ,自然に対する愛情から人間に対する愛情へと導かれていった ということは,彼の愛する自然を通して,自然の助けをかりて,適度の距 離をおいて人間と交わったということであった.それでは,それは具体的 にどのようなことであったのだろうか.このことを例証するものとして自 然のなかで見た羊飼いの姿が語られている.

Seeking the raven's nest

, 

and suddenly  Surpriz'd with vapours

, 

or on rainy days  When 1 have angled up the lonely brooks 

J¥1ine eyes have glanced upon him

, 

few steps off

, 

In size a giant

, 

stalking through the fog

, 

His Sheep like  Greenland Bears; at  other times 

¥

iVhen round some shady promontory turning

, 

His Form hath flash'd  upon me

, 

glorified  By the deep radiance of the setting sun: 

Or him have 1 descried in  distant sky

, 

Solitary object and sublime

, 

Above all  height!  (8: 396‑407) 

ワーズヲースが初めて人間への愛を体験したのは,その仕事も関心も自然 によって崇高化され, 引き立てられた人々 those / Whose  occupation  and concerns were most / Illustrated by Nature and adorn'd" (8:  179‑

181),すなわちつねに自然にもっとも近い存在であった羊飼いに対してで あった.ここでのべられている霧の中でみた羊飼いの姿は,さらにくわし

(5)

ワーズワースの人間愛 く最初に書かれている.

1 remember

, 

far from home  Once having stray'd

, 

while yet a very Child

, 

1 saw a sight

, 

and with what joy and love!  It was a day of exhalations

, 

spread 

Upon the mountains

, 

mists and stream‑like fogs  Redounding everywhere

, 

and vehement

, 

But calm and mild

, 

gentle and beautiful

, 

With gleams of sunshine on the eyelet spots  And loop‑holes of. the hills

, 

wherever sen

Hidden by quiet process

, 

and as  soon  Unfolded

, 

to  be huddled up again:  Along a narrow Val1ey and profound  1 journey'd, when, aloft above my head,  Emerging from the silvery vapours

, 

lo!  A Shepherd and his Dog!  in  open day: 

Girt round with mists they stood and look'd about  From that enclosure small

, 

inhabitants 

Of an aerial Island floating on

, 

As seem'd

, 

with that Abode)n which they were

, 

A little  pendant area of grey rocks

, 

By the soft. wind breath' d forvvard.  (8:  81‑101) 

このような霧の裂け目をとおして見られる光景についての記述は, ワー ズワースの作品によく見られることである モーマンも, 実際ワーズワ ースは霧によってたび、たび、悦惚の瞬間を与えられたのだと指摘している 1791年ワーズワースは, 六月から九月初めまで北部ウエールズのロバー

ト・ジョーンズの家に滞在し,二人で北部ウエールズを歩き,スノードン 登山を経験した.これについては『序曲』十三巻に述べられているが,こ の登山の時もワーズワースが羊飼いの姿を見た時と同様,霧がまわりにた

(6)

64  ワーズワースの人間愛

ちこめ,ここでは太陽の光ではなく月の光が芝草の上に閃光のように降り 注いでいた.

and on the shore  1 found myself of a huge sea of mist

, 

Which

, 

meek and silent

, 

rested at  my feet: 

Meanwhile

, 

the Moon look' d down upon this  shew  In single glory

, 

and we stood

, 

the mist 

Touching our very feet; and from the shore  At distance not thethird part of a mile  Was a blue chasm; a fracture in the vapour

, 

A dep and gloomy breathing‑place through which  Mounted the roar of waters

, 

torrents

, 

streams  Innumerable

, 

roaring with one voice. 

The universal spectacle throughout  Was shaped for admiration and delight

, 

Grand in itself  alone

, 

but in the breach 

Through which the homeless voice of waters rose

, 

That dark deep thoroughfare had Nature lodg'd  The Soul

, 

the Imagination of the whole.  (13: 42‑65) 

ワーズワースは,霧の裂け目から全光景を見通すという「想像的な体験」

(imaginative experience)を持った.

『序曲』六巻で彼はアルプス山中で道を失った時のことを回想して,想 像力を霧と類似したものとしてのべている.

Imagination!  lifting up itself 

Before the eye and progress of my Song  Like an unfather'd vapour;  (6: 525‑27) 

想像力は, ワーズワースが白熱との交わりのなかで自然に対して盲目にな

(7)

ワーズワースの人間愛

った時, どこからともなくわき出る霧のようにやってくる.感覚の光が,

霧の裂け目を通ってやってくる閃光とともに消えさり,その裂け目から今 まで目に見えなかった世界が開示される.

ワーズワースは, 1815年の詩集の序文において想像力が単に外的物象を 忠実に模写したに過ぎぬようなイメージに関したものではなく,外的物象 への心の働ぎ,創造,あるいは構成の過程を意味するものであることを強 調 し て い る そ し て そ の 働 ぎ に つ い てP the conferring, the abstracting  and the modifying powers of the  lmagination" 5 と述べ,それらが総 て一緒になって働くことによって優れたイメージを作り出すことができる と考えているのである.スノードン登山では,想像力の働ぎによって自然 は,月の照らすあらゆるものをその青白い光で飾り,霧の裂け目にそれが 今まで持っていなかった意味を与え,彼に強く印象づけた.しかし同時に 月の光は,事物が昼間にまとっていたいろいろな色彩を奪い取っていた.

想像力によって,人聞を高貴にする,自然と心との交互作用( an enno‑ bling interchange勺 (12: 376)が行なわれる.彼は想像力によって vi

sionの瞬間を与えられ, その霧の裂け目のなかに全光景に浸透している 一つのものを感じたのであった

すなわちワーズワースが霧の裂け目から見た羊飼いの姿から受けた体験 は,彼が自然との交わりのなかで得た「想像的な体験」と同じものとして 考えることができる.彼の想像力によって浄化された羊飼いは,夢のよう に淡〈美しい浮き島の住人として彼の前に現われた.彼はこの羊飼いの姿 を A shadow, a delusion"  (8: 430)と呼んでいる.彼はこの「想像的 な体験」のなかで今まで見えなかった visionの瞬間を与えられた.被の 想像力は,自然に向けられる時と同じように人間に向けられたのであった.

彼にとってこの霧の裂け目から見た羊銅いは,外面的には人間の姿をして いるが,自然のなかの一つの物体にすぎなかったのである.彼はこの羊銅 いを人間としてではなく自然のなかの一つの物体としてとらえ,自然と交

(8)

66  ワーズワースの人間愛

わりを持った時と同じ態度で人間と交わったと言えよう.そしてその時彼 は次のように人闘を認識したのであった.

Thus was Man 

Ennobled outwardly before mine eyes

, 

[underline  mineJ  (8:  409‑10) 

彼のこの「想像的な体験」は,ここでは人間の内面の尊厳性の認識を導く ことはできなかっTこ.

彼自らが主張しているように,自然を通して,自然の助けを借りて人間 と交わったワーズワースにとって,人間は,なによりもそこの自然にふさ わしいものでなければならなかった.中国のヂェホール (Gehol)の有名 な庭園よりも美しい彼の育った湖水地方では,被を含めた人々は,そこの

自然にもっともふさわしいものであった.

Tewere a noisy crew

, 

the sun in heaven  Beheld not vales more beautiful than ours

, 

Nor saw a race in  happiness and joy 

More worthy of the ground where they were  sown.  (1: 505‑8) 

ワーズワースがこの霧の裂け目を通して羊銅いの姿と突わるという体験 をしたのは,ランカシャー州のホークスヘッドに1779年に到着してまもな

くのことであった.そしてその体験は,モーマンの記述によれば,

remained with him until  he saw in  it

, 

in  adult  years

, 

a symbol 

of the ideal relationship of man in  his  nobility  and simplicity

, 

perfectly fitted  to  his environment and reigning over it.

というのである.彼は羊飼いと自然を常に切り離して考えてはいなかった のである.そこの自然にもっともふさわしいものであったその羊飼いは,

そこの自然に定着していなければならなかった.彼が羊飼いとの交わりの

(9)

なかで「想像的な体験」を持つには,羊飼いは常にそこの自然から離れて はならないのであった.羊飼いは絵の中の人物のように,平面以外に飛び 出してはならなかった.そして彼は絵を見る時のように,適当な距離をお いて羊飼いと交わったのである.彼にとって人聞は,その人聞にとっても っともふさわしい場所に存在する時にのみ価値を持っていたのである.彼 はまだ人間色人間の普遍的な特質である動的な存在としてとらえてはい なかった.

I I I  

以上のことは,彼の著名な作品「マイケル」の中でも見うけられる.次 に uj手情民謡集』に収録されたこの作品にふれることによって, f序曲』

八巻におけるこの羊飼いとの交わりについて検討してみたい.

この作品は,英国の北方グラスミアの近くにあるグリーン・ヘッドの渓 谷を川に沿って登った谷間に住む羊飼いのマイケルとその妻イザベル,息 子ルーグについての話である.彼らは先祖から受け継いできたこの土地で,

羊飼いの仕事によって生計をたてていた.そして老人マイケルは,一人息 子ルークが,立派な羊飼いとなることをなによりも楽しみにしていた.し かしマイケルは保証人になったことが禍して,他人の負債の弁済にあたら ねばならなくなった.彼はまず,土地主三手放すことによって負債にあてる ことを考えたが,先祖伝来の土地をそっくり息子に譲ってやるために,先 ず息子を都会の商人に託し,その商人の援助で負債を支払おうとした.息 子は都会の悪に溺れ,海の彼方へ逃亡してしまった.マイケノレと妻が死ん だ後,土地は他人の手に渡った.

この話は,ワーズワースに man,the heart of man, and human life." 

について考えさぜるものであったと,彼は述べている.しかしこの話を始 める前に披は次のように言う.

(10)

68  ワーズワースの人間愛 1 t was the first 

Of domestic tales that spake to  me 

Of Shepherds

, 

dwellers in  the valleys

, 

men 

Whom 1 already loved; ‑not verily 

For their own sakes

, 

but for the fields and hills 

Where was their occupation and abode.

授は羊飼いを彼ら自身の故に, というよりは,羊飼いの仕事場でもあり住 居でもある自然の故に,彼らを愛したのだと告白している.八十歳という 年に達するまで羊飼いの仕事に従事してきたマイケルにとって,彼が毎日 接してきた野原や丘は,彼の愛情を強くとらえ,彼にとって盲目的な愛の 快い感情の源でもあり,生命そのものの中にある喜びでもあった10

やがてこの地で育てられた息子ルーグも少年になり,父親マイケルと共 に羊飼いの仕事に精を出し始めた.

He with his Father daily went

, 

and they 

VVere as companions

, 

why should 1 relate  That objects which the Shepherd loved before  Were dearer now?  that from the Boy there came  Feelings and emanations‑things which were  Light to  the sun and music to  the wind; 

And that the old Man's heart seemed born again? 11 

マイケルは3 自然の中にいる人間ルークを見つめた時,外面的には人間の 姿をしているが,自然の中の木や花のように,自然から太陽の光を受ける だけでなく,自らもその太陽に光,風に音楽を添えるような放散物を発し,

自然の中に融合しているのに気づ、いた.羊飼いは,そのしなびた腰装によ っていっそう自然と調和を保つことができたのであろう.そのような羊飼 いルークは,羊達にとっては,一本の樹のようになれ親しんだ物体でもあ ったであろう.すなわちマイケルは,自然に接する時と同じ目で,人間ル

(11)

ークを見つめ,彼から慰めと希望を得た.

同じように,ホークスヘッドで,屋外で友人との遊びに夢中になる時期 から,弧独を愛する少年へと成長したワーズワースは,しだいに自然との 親交を深めていった.そのような彼が,人間と交わりを持つ時,その人間 は,再びモーマンの表現によれば, tendedto  be of  a sort  congenial  to  his absorption in her (NatureJ." 12なのであった.

すなわちワーズワースは,マイケルが息子ルークを見つめた時のように,

そこの自然にもっともふさわしく,自然の中の一物体のようにそこの自然 と融合した羊餌いの姿を見つめ, ~皮が自然との交わりのなかで得たのと同 じ「想像的な体験」を持ったのである.言い換えれば,彼はまだ,霧の裂 け目を通して見られた羊飼いに対し,人間としての情愛を持って交わった のではなかったと言えるだろう.

このように見てくると, ワーズワ←スが霧の裂け目を通して見つめた羊 飼いの姿の場面は, 1850年版の『序曲』においては省略されたのではある が,彼の少年時代における人間観を考察するうえで大切なものであり,ま たその後述べられる羊飼いの話を読むうえでも省くことができないものの ように思われる.

IV 

霧の裂け目を通して見られた羊飼いとの交わりのなかで visionの瞬 間を与えられたワーズワースは, 伝統的な牧歌 (pastoral)の羊飼いと対 照しながら,設の言うこの羊飼いは,現実の人間であったことを強調する.

そして彼は厳しい環境で危険な生活を送る現実の羊飼いの話を始める.八 巻の中心は,このワーズワースの強調している厳しい環境で危険な生活を 送る現実の羊飼いの生活の描写にあるとも言われている13 マリネリは,

伝統的な牧歌と対決したワーズワースの新しい牧歌としてこの部分の価値 を認めている14 次にこの部分 (8: 178‑409)を取り上げ,現実の羊飼い

(12)

70  ワーズワースの人間愛 に対する彼の見解についてみてみたい.

ワーズワースは,彼が「想像的な体験」を持ったのは現実の羊飼いの姿 であったことを強調するために,逆に伝統的な牧歌の描写に力を注いでい る.私達はここに,彼の古典文学に対する深い教養を見ることができる.

彼が自然を通して交わった羊飼いの姿は,古代の詩人が歌ったようにアル カディアの城砦の中に大切に守られて黄金時代として彼らに受け継がれて きたものでもなく,シェイクスピアやスベンサーが彼らの文学の中で描い たものでもなく,またヴァージルやホラスの作品にみられる平和で穏やか な生活を営む羊飼いでもない.現実的な必要以外にはほとんど心を配るい とまもないような生活のなかで,危険と苦しみのイメージ,そして恐るべ き力と形象に囲まれ苦悩する羊飼いであった.この現実の羊飼いの生活は,

ワーズワースの想像力を奔放にかきたてた.

彼は厳しい環境で危険な仕事を営む現実の羊飼いの生活を,ある老婦人 から聞いた話によって描写している (8:221‑310).  秋の雪が初めてちら ついてきたある日のこと,羊飼いとその息子は群からはぐれた一匹の羊を 捜しに出かける.被らは危険もかえりみず,険しい山にも登り,遠くまで くまなく捜したが見つからず,そのうち息子は,羊は必ず、生まれた場所に 帰って来るということを思い出し,小

J I I

の方に行く.そこで彼は急流のな かの草の上に立つ羊を発見し,心躍らせ岩に飛び移った.しかし羊は,さ らに向こうの岸に向かおうとしてさかまく急流に運び去られてしまった.

一方,帰りの遅い息子を捜していた父は,羊を助けようとしてさかまく急 流のまん中に立っている息子を発見し,彼を助ける.この光景は,悲しみ と恐怖なしでは,見ることができないものであったと老婦人は語っている.

この危険をもものとせず,一匹の羊を助けるために立ち向かう勇気ある息 子と,その息子に寄せる父の愛の話からわかるように,羊飼いは, ワーズ

(13)

ワースの想像力によって高貴な存在となっていったのであろう.

この部分は, 1850年版の『序曲』では省かれてしまったのであるが,セ リンコートによると,もともと先に触れた「マイケル」の主人公羊飼いマ イケルとその息子ルークの生涯の一事件として,

r

マイケル」の執筆にか かっていた1800年に作られたものであると推測されている15 そしてワー ズワースは, この作品「マイケル」に A PASTORAL POEM" (牧 歌〉という副題をつけた. コング、ルトンによれば, アルカディアや黄金 時代の羊飼いの生活を描いていた伝統的な牧歌は, ロマン派の批評家達に よってリアリズムの領域まで範囲が拡大された.そして「マイケル」をそ のよい例としてあげている16 すなわち平和で穏やかな生活を営むp 一種 のユートピアに住む羊飼いではなく,現実の生活を営む羊飼いについての 詩「マイケル」にワーズワースは牧歌と名づけることによって,伝統的な 牧歌の範囲を拡大し,新しい牧歌を確立させたのである. w序曲』におけ る老婦人によって語られた羊飼いの父と息子の話もまた, ワーズワースの 新しい牧歌の一部として考えることができょう.

『序曲』におけるこの羊飼いの息子の勇気ある態度,その息子への父の 愛の話は私達に深い感銘を与えるのであるが

r

マイケルJにおいても羊 飼いマイケル一家の生活は,賞賛に値するものであったと言えよう.彼ら の家のランプ「宵の明星」に象徴される愛の鮮によって結ばれた三人の家 族の遅くまで仕事に励む姿,息子に裏切られながらも愛の力にすがり,強

〈生き抜こうとする老羊飼いマイケルの不屈の精神は私達の心をうつ.こ れらの作品のなかの羊飼いは,伝統の牧歌における羊飼いとは異なり,現 実の羊飼いであるがゆえに,いっそう私達の人間的な感4情にうったえるの であろう.ここでは羊飼いは,常に努力と忍耐と愛によって人生に立ち向 かおうとするのである.近代化の波に伴い,マイケルのように農村の中小 土地所有者の階級が崩壊していくのを嘆きながら, ワーズワースはホイッ グ党の政治家フォックスに『持情民謡集』を献じた手紙のなかで次のよう

(14)

72  ワーズワースの人間愛 に述べている.

In the two poems,The Brothers " and  Michael," 1 have attempt‑ ed to  draw a picture of the domestic affections  as  1 know they  exist amongst a class of men who are now almost confined to the  North of  England.  They are  small  independent pro

ρ

rietors  of  land  here  called  statesmen

, 

men of  respectable  education  who  daily labour on their own little  properties.  The domestic  affec‑ tions wi1l always be stron  amongst  men who live  in  a country  not crowded with population. . . Y 

彼にとっては,マイケルのような生活を営む羊飼いは皆,常に情愛の深い 善き人間であった.

しかしワーズワースは実際,彼らの生活についてと、れほど知っていたの であろうか.彼は「マイケル」の出来ぱえを自負しながらも彼らと親交が あった友人プール宛の手紙の中で次のように書いている.

But nevertheless 1 am anxious to know the  effect  of  the  Poem  upon you

, 

on many accounts; because  you are  yourself  the  ir

heritor of an estate which has long  been  in  possession  of  your  family; and, above all, because you are so well acquainted, nay,  so familiarly conversant with language

, 

manners

, 

and feelings of  the middle order of people who dwell  in  the  country.  Though  from the comparative infrequency of small landed  properties  in  your neighbourhood

, 

your  situation  has  not  been  altogether so  favourable as mine

, 

yet your daily  and hourly  intercourse  with  these people must have far more than  counterbalanced  any dis‑ advantage of this kind.18 

ワーズワースは,羊飼いのイメージを確かに伝統的な牧歌のそれとは違い,

直接的な観察から得ているが, ワーズワースは羊飼いとの間に常に一定の 距離を設けた観察者として留まり,個人的な接触を持つこともなく,直接

(15)

ワーズワースの人間愛

彼らの生活に参加することもしなかった.しかし自黙にもっとも近い存在 である羊飼いは,彼にとっては常に善き人間でなければならなかったので ある.

マリネリは牧歌について次のように述べている19 牧歌はp 理想的な,

あるいは,現実の世界より無垢な陛界が失われたと感じられ, しかもその 喪失感がその世界の記憶を破壊するほど,あるいは現実の世界と過去の完 全な世界との想像力の交流を不可能にするほど,深くない場合に書かれる.

牧歌には常に回帰のテーマが流れていて,そこから都会と田園との対比,

自然と人工との争いが生まれる.牧歌は日常,心の混乱や当惑からのがれ ることのできない都会人の逃避を願う欲望の所産である.現実の羊飼いは 牧歌を書かない.また牧歌は,紀元前三世紀前半のアレグサンドリアの宮 廷から,テオクリトスがシシリアでの少年時代を思い出した時に生まれ,

その発生は異教的ではあったが,牧歌における羊飼いは,羊飼いという言 葉に備わっている羊飼いダピデ,羊飼いキリスト,キリスト生誕の時居合 せた羊飼い達,また「雅歌Jをおおっている牧歌的な雰閏気など,聖書に みられる牧歌的な生活と関連づけられキリスト教的な色彩をおびるように なった.田園における羊飼いは,楽園におけるアダ、ムのイメージと通じる.

そしてこのキリスト教的なイメージを, ワーズワースも否定してはいない と思われる. 11'序曲』における遠い空の彼方に高々と立つ羊飼いの姿は,

an  aerial  Cross

,  / 

As it  is  stationed  on  some spiry  Rock / Of the  Chartreuse, for worship"  (8: 407‑9)を彼に連想させ, 自分の領土にい

る主侯のような, 支配者のような羊飼いの存在に神聖なイメージ, a  Power / Or Genius, under Nature, under God, / Presiding " (8: 392‑4) 

を与えている.

すなわち, A P ASTORAL POEM" (牧歌〉という副題をつけられた

「マイケル」やその一部分として執筆された『序曲』における羊産品、は,

伝統の牧歌における彼らとは異なり,厳しい環境で危険な生活を営む現実

(16)

74  ワーズワースの人間愛

の羊飼いの姿であり,そこにワーズワースの人間に対する情愛をみること はできるが,結局,彼らと直接交わることも彼らと生活を共にすることも なく,彼らとの聞に一定の距離を設けた観察者であったワーズワースの想 像力によるせつない憧れの産物でもあったのである.心の混乱からのがれ ることのできない都会に住む人間ではなく,貧しい田園に住む人々の生活 のなかに真理を求めようとしたワーズワースにとって,羊飼いは,常に私 達読者ーを啓発する人間でなければならなかった.

VI 

ワーズワースが,これまでのニ十一年間の人生を振り返り, ロンドンの 悲劇と悪徳、の渦巻く世界のなかでも人間に対する尊敬と愛を失わずにいら れたのは,この少年時代に自然を通して触れあった羊飼いの印象が大きな 役割を果たしていた.すなわち,霧の裂け目から見られた羊飼いとの交わ りに,彼は人間愛の源流を求めている.そしてニの彼が人間愛の源流とし た羊飼いの姿は,自然の中の一物体のように自然の中に融合し,彼が自然 との交わりのなかで「想像的な体験Jを持った時与えられたように,彼の 想像力によって浄化された一種の visionであった.しかしまた同時に,

彼の得た VlSlQn は,伝統の牧歌のなかの羊飼いではなく,現実の羊飼い でもあった.そして現実の羊飼いも,学飼いの visionによって外面的に 高貴な存在となっていったのである.さらに彼の想像力によって外面的に 高貴な存在となった現実の羊飼いの姿は,現実の羊飼いの危険で厳しい生 活を情愛を持って描くという彼独自の牧歌の世界を確立させ,その彼の,

牧歌における理想化された情愛の深い羊飼いのイメージと結び、ついた.こ のようにして,羊鏑いは内面的にも気高い存在となっていったのである.

そこでワーズワースにとって,羊飼いの姿は,人間愛と尊敬を呼びおこし,

人間の尊厳を示す指針となったのである.

(17)

ワーズワースの人間愛 Thus was Man  Ennobled outwardly before mine eyes

, 

And thus my heart at五rstwas introduc' d  To an unconscious love and reverence  Of human Nature; hence the human form  To me was like an index of delight

, 

Of grace and honour, power and worthiness.  (8: 409‑15) 

さらに当時の彼は気づいていなかったのではあるが,この人間の尊厳を示 す指針となった羊飼いが同時に悪や愚劣なども経験する人間と共通の性質 を持った現実の人間でもあったということが,後にロンドンでの悲惨と悪 徳、の渦まく社会のなかでも彼に人間に対する愛と尊敬を失わずにさせたの であろう.

しかし, w序曲』八巻において故に人間愛を呼びおこす指針となった羊 飼いは,現実の羊飼いではあったが,自然を通して適当な距離をおいて交 わった人間であった.そしてこのことは,小論では詳しく述べることはで きないが,ロンドンにおける彼にも見ることができる.彼は,ロンドンで の自分を顧みて, inthe midst of things, it seem' d / Looking as from  a distance on the world / That mov'd about me;" (9: 23‑5)と語って いるのである.彼は人間への愛を失わないために,常に人間から逃避して いなければならなかった.このように『序曲』における想像力による羊飼 いとの交わり,自然の愛によって導かれた人間への愛は,現実の人聞から の遊離のうえに成り立っているのである.彼は,二十一年の人生が過ぎ去 るまで,人間への関心は自然へのそれに従属するものであったと告白して いる吹 冒頭で引用したような高次な愛に目覚めるためには3 彼の想像力 は,フランス羊命をめぐって大きな絶望をくぐり抜けねばならなかった.

しかし,夜、達はここで自然への限りない愛に生ぎながらも,人間として人 間への関心を持たずにはいられなかったワーズワースに触れることができ るのでゐる.

(18)

76  ワーズワースの人間愛

1 Wil1iam Wordsworth, The  Prelude  or Groth

0 1  

a Poet' s Mind (1805),  13: 149‑52, ed. Ernest  de  Selincourt (revised, Helen Darbishire;  Oxford: 

Clarendon Press, 1959). 以下ThePrelude (180めからの引用は,巻数と行数 を文中に記す.

2 E. g., The Excursion, 2: 82974; 

3 Mary Moorman, Willi.即 時 Wゐrdsworth:A Biography, Vol. I, Early Years  (Oxford: Clarendon Press, 1969), p.  46. 

4 Preface to  the  Edition of 1815," Wordsworth: Poetical 11rks(London: 

Oxford University Press, 1917), p.  753.  5 Ibid., p.  754. 

6 Ibid., p. 755において, W ordsworthCharlesLambの言葉,想像力の力は,

draws all  things to one; which makes things, animate or inanimate, beings  with  their attributes, subjects  with  their accessories, take one colour and  serve to  one effect." (Charles  Lamb upon the  Genius of Hogarth,"  The  Works 

0 1  

Charles  Lamb, ed.  W. MacDonald (London: Oxford University  Press, 1903J, III, p. 110)を引用し,想像力はあらゆるイメージを統一して一つ のものとする力があることを述べている.

7 Moorman, op.  cit., p.  46.  8 Michael," 33. 

9 Ibid., 21‑26.  10  Ibid., 74‑77.  11  Ibid., 197‑203. 

12  Moorman, op.  cit., p.  51. 

13  C.  H.  Patton, The  Rediscovery 

0 1  

Wordsworth  (Boston:  The  Stratford  Company, 1935), p.  114. 

14  P. V.1arinelliPastoral CLondon:ethuenCo. Ltd., 1971), pp. 1‑6.  15  Ernest de Selincourt,Notes,"  The Prelude or Growth 

0 1  

a Poet's Mind 

(Oxford: Clarendon Press, 1959), p.  578. 

16  ].  E.  Congleton, Theories 

0 1  

Pastoral Poetry  in England 1684‑1798  (Gainesville: University of Florida Press, 1952), p.  314. 

17  The  Letters 

0 1  

William  and Dorothy  Wordsworth  1787‑1805, ed.  Ernest de Selincourt (rev. and ed. by C. L. Shaver; Oxford: Clarendon Press,  1967), p.  314. 

(19)

18  Ibid., p. 322. 

19  P. V. Marinel1i,  op.  cit., pp. 9‑14. 

20 until not less/Than two‑and‑twenty summers had been told /WasMan  in my affections  and  regards / Subordinate to  her (Nature],"  The  Prelude  (1850), 8: 348‑51. 

1805年版では,最初の二行が untilnot less / Than three and twenty sum. 

mers had been told" (8: 481‑2)となっている.そしてこれによれば,人間へ の関心が自然へのそれを圧倒するようになったのは1792年秋以後となり, 1850年 版によれば1791年秋以後となる.ところでワーズワースは1791年の11月にフラン スに渡り,フランス女性AnnetteValIonと恋愛に陥り,フランス革命に関心を 持つようになったのであるから,ここでは1850年版の記述に従う方が有力な説と

なっている。

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