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アメリカ圧力政治の

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アメリカ圧力政治の       バイアスのメカニズム

アメリカ圧力政治批判論の系譜﹁ についての諸説︵こ

今 村

 目 次はじめに

第一章 エルマi・E・シャットシュナイダーの紛争範囲操作説

第二章 マンカー・オルソンの集合行為論︵以上本号︶

第三章 セオドア・J・ローウィの利益団体自由主義批判︵以下次号︶

第四章 処方としての依法的民主政治論

おわりに

はじめに

 アメリカ合衆国においては︑圧力団体の政治過程での影響力について︑規範的観点から︑どちらかと言えば肯定的

な評価を下す研究と否定的な評価を下す研究とが政治学上の二大潮流を成してきた︒一九五〇年代から六〇年代にか

早稲田社会科学研究 第35号(S62.10)

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けては︑圧力団体に肯定的な主張がやや優勢であったようにも思われる︒しかしおおむねこれら二つの流れは拮抗し

てきたとみるべきであろう︒もちろん個々の圧力団体は︑本来的に個別的な特殊利益を代表するに過ぎない︒したがっ

て圧力政治が︑特定の圧力団体の個別的利益の優越をもたらすならば︑圧力政治の過程からは公共の利益に適う政策

は形成されないであろう︒しかしアメリカのように結社の自由や政治活動の自由が保障されている社会においては︑

社会に存在するあらゆる集団利益が︑それぞれ何らかの組織を通じて表出され︑結果として諸利益の調和が得られる

とするアーサー・F・ベソトレー︵﹀﹃一げ口﹃ 悶・ じd①昌一一Φ楓︶や︑デイヴィッド・B・トルーマン︵U亡く乙じd・二更∋碧︶

らに代表される多元主義的な集団理論が︑アメリカにおける圧力団体政治擁護論として展開されてきたのである︒そ

うした議論においては︑個々の集団が自らの個別的利益を︑圧力団体活動を通して追求することは︑結社や政治活動

の自由を認める限り避けられないばかりではなく︑また正当なことでもある︒特殊利益問の妥協から︑真の公共の利

益に適う政策が生まれるかどうかはともかくとして︑少なくとも特定の集団の個別利益が︑他の利益に対して常に優

位に立つようなことはないと︑そうした議論は想定していたのであった︒こうした意味では︑多元論とは︑集団利益

の圧力団体活動を通じての均衡理論であるとも言える︒

 しかし︑現代アメリカ政治に対して総体的には肯定的な評価を下す研究者によっても︑圧力団体間の取り引きや特

定の圧力団体の影響力の行使による政策形成に︑一定のバイアスが存在することは認められている︒ジェームズ.Q       ︵1︶・ウィルソン︵智ヨΦωO.芝房8︶の場合もその一例に過ぎない︒また一方で︑アメリカ圧力政治のもつ様々のバイ

アスを強調して︑アメリカ政治に否定的な評価を下す研究も存在するのである︒もちろんその中には︑権力エリート       ︵2︶論やマルクス主義的な階級国家論に立つ研究も含まれるであろう︒しかしながら︑マルクス主義にも権力エリート論

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アメリカ圧力政治のバイアスのメカニズムについての諸説(一)

にも依拠せず︑アメリカの政治制度そのものは民主的であり︑一応それなりに作動しているということを認めた上で       ︵3︶のアメリカ圧力政治批判論も存在する︒すなわち︑従来の圧力団体擁護論には︑ややもすれば予定調和説的楽観論が

みられたのに対して︑圧力政治の過程からは︑社会全体からみて少数派の利益に過ぎない特殊利益に不当に有利な方

向に歪んだ政策しか生じないとする有力な主張の存在が認められる︒そうした主張によれば︑圧力政治とはすなわ

ち︑少数派が多数派に打ち勝つ過程に他ならない︒

 ところがそうであるとするならば︑こうした圧力政治批判論はひとつの逆説ではないであろうか︒それによれば︑

多数決原理をその基調のひとつとしてもつ民主的政治制度の下で︑少数者が常に多数者に優越していることになる︒

そのようなことが︑いったいどうずれば可能なのであろうか︒言い換えれば︑圧力政治が少数者の利益に歪んでいく

メカニズムとは︑どのようなものであろうか︒

 本稿の目的は︑こうした問いに対する答えを︑三人の研究者の説を比較検討することを通して探っていくことにあ

る︒すなわち圧力団体政治に対する一貫した批判者として知られ︑政党論の分野においても大きな影響力をもったエ

ルマー・E・シャットシュナイダー︵閏μコPO同 国・ ωOげ9けけωOゴ旨Φ一α①同︶と︑圧力団体を経済学の視点から分析して︑集

団理論に新局面を開拓したマンカー・オルソン︵幽き︒霞O一ω8︶︑そして圧力団体政治に対する批判的研究老の中

でも︑近年最も注目を浴び︑大きな影響力をもった一人であるセオドア・J・ローウィ︵目げΦoα自①いい︒≦一︶の三

人の所説を検討していく︒ローウィは︑一時いわゆるニュー・レフトの一人と目されたこともあったが︑彼ら三人は

いずれも階級国家論や権力エリート論には依拠しておらず︑しかも多元主義的な集団理論に対して批判的であったと

いう点では共通している︒彼らの所説を検討する中で︑これらの諸説がそれぞれ相互に必ずしも並立し得ないわけで

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はないにもかかわらず有している独自性を明らかにしたい︒そして最後にローウィが現代アメリカ政治に対する︑い

わぽ処方として提出した依法的民主政治︵冒ユ島︒巴自Φ38轟︒団︶論についても他の圧力政治批判論者の処方と比較

しつつ言及する︒ローウィのアメリカ政治批判が︑かなり広範に受容され︑なお一定の影響力をもち続けていると思

われるのに対して︑代替案としての依法的民主政治論には︑それほど注意が払われてはこなかったと思われるからで

ある︒同時にまた︑圧力政治に対する代替案としての依法的民主政治論を検討することによって︑逆にローウィが︑

現代アメリカ政治の欠陥を︑どこにみているかを明らかにすることもできよう︒

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第一章 エルマー・E・シャットシュナイダーの紛争範囲操作説

 シャットシュナイダーは︑その研究の出発点において︑既に圧力団体政治に対する批判的な立場を明確にしてい

た︒すなわち彼の処女作である﹃政治︑圧力および関税法﹄︵︑︒ミ蛍㌔鳶・・︒︒ミ霧犠ミミ恥↓ミ馬強噂一㊤ω9︶において︑

圧力政治の非民主性を・事例研究を通して指摘してい魏四二に箆は・圧力政治のバ・アスを是正す・ために︑強

力肇国政党による政党政治を実現すべきことを主張したのであ・濡・.そして彼の最も鑑の葎に属す・﹃半主権

的国民﹄︵↓ミ恥馬ミ8§重心ミ評魯︑馬噂609︶において︑再びアメリカ政治の多元論的解釈を批判し︑少数派として       ︵6︶の特殊利益が︑いかにして公共の利益に優越するかというそのメカニズムについての示唆的な見解を提示している︒

さらには後にみるように︑そうした見解の中に︑権力概念の新しい局面を開拓する試みにつながる指摘も含まれてい

るとみることができるのである︒

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アメリカ圧力政治のバイアスのメカニズムについての諸説(一)

 シャットシュナイダーは︑﹃半主権的国民﹄において︑特に一章を割いて圧力政治のシステム︵℃おωωξoω楓ωけ︒ヨ︶

のバイアスを指摘し蝿種あ公刊資料を検討した末に・彼は・う述べている︒つ⁝研究者叢も強い印象を与え

     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へる事実は︑圧力政治のシステムが非常に範囲が狭いとかうことである︒組織され確認でき︑存在が知られている集団      ︵8︶の領域は︑驚くほど狭い︒そのシステムには︑わずかの普遍性すらも存在しないのである︒﹂圧力団体の構成員が︑       ︵9︶社会全体からみて︑ごく少数であるばかりでなく︑さらにはそれは企業に︑そして上層階級へ偏っている︒それでは

圧力団体が︑社会の少数派であるとして︑それが多数派である社会の残余部分にどうして優越するのであろうか︒       ︵10︶ シャットシュナイダーは︑紛争の範囲︵ω8bΦoh8口臣9︶こそが政治において最も重要な要素であり︑ひいては

政治権力を理解する鍵になると考えた︒紛争の範囲とは︑この場合政治的紛争の関与者の範囲のことである︒比喩的

にはこう言えるであろう︒すなわちある競走で一着になるのは︑その競走に参加した者の中で一番足の速い者であっ

て︑世界で一番足の速い者では必ずしもない︒そこで競争の勝敗にとって重要な決定要素は︑誰が参加し︑誰が参加

しないかということである︒政治的紛争においても︑基本的に事情は変わらない︒ある政治上の争点が解決される際

に︑どれだけの参加者があるかということが︑その争点をめぐる紛争の勝利老を決定する重要な要素となる︒より一      ︵11︶般的には﹁政治的競争の結果は︑公衆が紛争に関与する範囲によって決定される﹂のである︒政治的紛争の参加者は︑

定義からしてその紛争について中立的ではない︒したがって︑政治的紛争の範囲が変化すれば︑必ずその紛争におけ      ︵12︶る力関係が変化し︑勝敗にも影響を及ぼすことになるのである︒

 それでは政治的紛争の範囲は︑どの程度であるべきなのであろうか︒シャットシュナイダーによれば﹁広範な紛争

の方が狭い範囲の紛争よりもよいかどうかは︑紛争が何についてであるかということと人々が何を行なおうとしてい

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        ︵13︶るかにかかっているしのであり︑ある一定の範囲を越える紛争は望ましくないなどというような基準は存在しない︒

そこでたとえぽ︑ある争点に関する紛争の範囲は︑その争点が全国的であるならば︑やはり全国的に拡大されなけれ

ばならないであろう︒そしてその際には︑民主主義的政治制度が大きな役割を果たす︒すなわち﹁民主主義国家にお       ︵14︶ける政府︵σqo<①ヨヨΦ巨︶は︑紛争の規模を拡大する偉大なエンジン﹂なのであり︑また普通選挙権とは︑ ﹁紛争を      ︵15︶社会化しようとする︑アメリカ史上最も野心的な試み﹂なのである︒

 ところが︑もしも紛争の範囲が︑その争点の性質からみて不当に狭くされたとしたらどうなるであろうか︒紛争へ

の参加がぎわめて厳しく制限されて︑比較的少数の集団が争う場合には︑もしも紛争の範囲が広ければ︑到底勝利者

にはなり得ないであろうような集団が勝利を収めることも大いにあり得るとしなければならない︒シャットシュナイ       ︵16︶ダーのみるところ︑こうした状況こそが︑圧力政治の常態なのである︒すなわち社会全体からみれぽ︑ごく少数派の

利益であるに過ぎない特殊利益が︑紛争の範囲を操作して自らが多数派になる程度にまで縮小することによって︑公

共の利益に優越することが圧力政治の本質なのである︒先の比喩に立ち返って言うならば︑圧力政治とは︑ごく少数

の競技者のみによるレースであり︑しかも彼らよりも足の速い者の参加が認められることはない︒競技者がそれなり

に真剣に競争するという意味では︑これは仕組まれたレースであるとは言えないかもしれない︒特殊利益間に対立が

生じることはあり得るであろうし︑その場合には激しい対立が起こり得るのである︒しかし参加しさえずれば必ず勝

つであろう者を予め締め出したレースは︑公正なものであるとは言えないであろう︒

 こうした現象を︑シャットシュナイダー自身の比喩を用いて言えば﹁軍隊の指揮官が︑自軍の展開には最適であっ      ︵17︶ても︑敵軍の展開には適しない地域で戦闘を行なおうとするのが戦争の原理﹂なので﹁小規模の軍隊は︑敵軍が自ら

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アメリカ圧力政治のバイアスのメカニズムについての諸説(一)

       ︵18︶の数的優位性を発揮し得ない様な狭い戦場で戦うように敵軍に強いる﹂のである︒したがって本質的に少数老集団で

ある圧力団体は︑狭い戦場で戦うことを好み︑紛争の範囲を限定しようとするのである︒

 こうした考えからさらに進んで︑シャットシュナイダーは新しい権力概念に一歩踏み込んでいる︒すなわち政治権

力は︑ある紛争が決着するときばかりではなく︑何が紛争の争点となるのかが決定される際にも行使されていると彼

は考えるのである︒というのも﹁政治紛争は︑討論者が︑争点の定義について予め合意している大学対抗討論会とは ︵19︶       ︵⑳︶       権力の最高の手段である﹂からである︒したがって政治という場で違う﹂のであり︑ ﹁選択肢を定義することは︑

は︑何が争点であるかについて︑対立する人々の間に合意が成立し難い︒ ﹃半主権的国民﹄は政治権力論ではないの

で︑争点を決定する権力という概念は︑それ以上発展させられてはいないけれども︑シャットシュナイダーの議論か

ら︑圧力政治のシステムの中で︑紛争の範囲を操作するという戦略の一つの究極的な形態として︑紛争の範囲をゼロ

にしてしまい︑紛争そのものを消滅させるような種類の権力が行使されているという可能性を導ぎ出すことがでぎよ

う︒すなわち彼は︑こう述べている︒

  ﹁あらゆる形態の政治組織は︑ある種の紛争は利用し︑その他の紛争は抑圧したがるという偏向をもっている︒

       ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ というのは︑組織は偏向の動員であるからである︒政治に組み込まれる争点もあれば︑政治から締め出される争点

   ︵21︶ もある︒﹂

 すなわち︑自らに不都合な争点についての紛争に勝利するよりも︑そうした紛争を未然に抑圧してしまう方がよ       ︵22︶い︒ ﹁紛争を処理するのに最善の時点は︑紛争が始まる前﹂なのである︒こうしたシャットシュナイダーの議論は︑

後にピーター・バクラック︵用UΦけ①円 切90プ﹃伊Oげ︶とモートン・S・バラツ︵冨︒暮8ωゆ胃讐N︶の両名によって展開

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      ︵23︶されることになる﹁非決定権力﹂︵昌︒ローα09ω一〇ロヨ躊ぎσqOo≦興︶論の伏線の一つであるとみてもよいであろう︒

 これまでの検討からして︑シャットシュナイダーが︑アメリカ政治の多元論的解釈に対して示す態度は︑容易に察      ︵24︶することができよう︒彼は︑ ﹁圧力政治のシステムは︑自動的に共同社会全体を代表する﹂という見解を︑現代集団

理論が育んだ神話であるとして斥ける︒そして︑アメリカ政治を相互に競合する集団間の勢力均衡とみなすような︑      ︑ ︑ ︑ ︑ ︑  ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑︵25︶静態的で素朴な集団理論を攻撃するのである︒すなわち﹁圧力政治は︑本質的に小集団の政治﹂であり︑ ﹁ひとつの

選択過程であるが︑広く分散した利益に奉仕するには適していない︒そのシステムは︑少数派のごく一部分に有利な      ︵%︶ように歪められ︑詰め込まれ︑均衡を失わされている﹂のである︒

 以上みてきたように︑圧力政治のバイアスの原因︑もしくはバイアスのメカニズムの説明として︑圧力団体による

紛争範囲操作説とでも呼ぶべき説を定式化できる︒この場合の操作とは︑専ら縮小の方向への操作であって︑圧力団

体が紛争の範囲を拡大しようとすることは︑通常はない︒そして圧力団体が︑自らに不都合な問題の政治争点化を避

けようとする場合には︑紛争の範囲自体を消去してしまう︒こうした場合には︑ ﹁非決定﹂とは紛争範囲操作の一型

式であることになるのである︒

 それではこうしたシャットシュナイダーの議論の︑圧力団体理論上の意義はどのようなものであろうか︒それは結

果として︑多元論的集団理論の中で︑かなり重要な位置を占めていたと思われる﹁潜在集団﹂︵勺9Φ含量伽qδξ︶と

いう概念を批判したことに求められよう︒すなわちシャットシュナイダーの議論においては︑組織された集団と未組

墾団の区別の意義が籍されてい菊戸﹂の区別は・重視されて当然のようにも考えられるかもしれない.と・う

が︑トルーマンに代表される多元論者の間では必ずしもそうではなかった︒ ﹁組織とは⁝⁝︵中略︶⁝:・単に相互作

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アメリカ圧力政治のバイアスのメカニズムについての諸説(一)

      ︵28︶用の段階もしくは程度を示すに過ぎないしというトルーマンの指摘を攻撃して︑シャットシュナイダーはこう述べ

る︒  ﹁この命題は結構なものであるが︑我々はこれからどんな結論を引き出すというのであろうか︒組織された集団

 と未組織集団の区別を︑ ﹃単なる﹄程度の差であると呼んで︑この問題を処理するわけにはいかない︒というのも

 世界で最も大きな差というもののいくつかは︑程度の差であるからである︒両者の差が単に程度の差だからといっ

 て︑ビールを飲むために街角の酒場に立ち寄るのを習慣にしている少人数の労働者は︑合衆国陸軍と本質的には同      ︵29︶ じであるというようなほのめかしは︑特殊利益政治に関する限り避けなければならない︒﹂

 こう論じる中で︑シャットシュナイダーは︑結果的に﹁潜在集団﹂という概念を拒否しているのではないであろう

か︒トルーマンに代表される多元論者にとって︑潜在集団や潜在利益という概念は︑確かに重要なものであったはず

であ諭すなわちそれは・現時点では懇化されずに潜在しているが︑将来顕在化する能力をも・ているという意味

で℃08昌二9︒一なのである︒そしてそのような集団は︑自らの利益が侵害されたならば︑直ちに組織化されて顕在化し

てくるとされていたのであ・範それは少なくとも多元払半者には・自明の・とであ・たのではないであろうか.なぜ

ならばアメリカには︑思想︑言論︑結社の自由があるからである︒

 どころがこの論理は︑安易に逆転される可能性を内に秘めている︒というのは︑顕在している組織集団と違って︑

潜在集団はその存在を検証し難いからである︒と言うよりむしろ︑定義的に観察不可能な概念︵フィクションとまで

は言わぬにせよ︶であるからである︒そこで潜在集団が組織されないままでいるということは︑その潜在利益が侵害

されていないということだということになり易い︒つまり圧力団体を組織していない集団の利益は︑まったく損なわ

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れていないことになる︒なぜなら侵害された利益は︑組織されるはずであるからである︒こうした論理の逆転によっ

て︑圧力政治の現状も︑すべて肯定されてしまいかねない︒たとえ圧力団体が︑社会の少数派であり︑上層階級的.

企業団体的偏向をもつとしても︑それは社会の多数派︑中下層階級そして非企業団体の利益が︑いまのところはまだ

侵害されていないという事実の反映であるということに究極的にはなってしまうのではないであろうか︒

 こうした集団理論の傾向を︑シャットシュナイダーは︑断固として拒否する︒彼にとっては潜在集団とは︑自らの

利益を侵害されているにもかかわらず︑圧力団体による紛争範囲の操作によって政治に参加できずにいる社会の多数

派であり︑中層下層大衆であり︑一般公衆なのである︒このような認識の当然の帰結として︑シャットシュナイダー

は︑紛争範囲の拡大を主張する︒利害関係を有する人々は︑すべてその紛争に参加しなければならない︒そしてその       ︵32︶拡大された紛争は︑政党間の競合とならざるを得ないと彼は言う︒すなわち﹁大きなゲームは政党のゲームである﹂      ︵33︶からである︒そして﹁政党制は︑おおむね国民の最大規模の動員である﹂のである︒

 このようにしてシャットシュナイダーは︑年来の主張である政党政治の擁護へと回帰していくのである︒圧力政治

のバイアスに対する処方として︑政党政治が主張されていると言えよう︒しかもこの場合の政党とは︑地方政党など

ではなく︑強力な全国政党でなけれぽならない︒そうでなければ︑紛争範囲の拡大に対応し得ないからである︒こう      ︵忽︶した論理の展開は︑確かにそれなりに説得的ではある︒

 シャットシュナイダーが︑社会に存在する諸利益は自動的に圧力団体化するという誤りに陥らずにすんだのは︑彼

が圧力団体の形成理論からではなく︑現実に活動している圧力団体にはバイアスがあるという事実から出発したから

であった︒自らの利益を組織を通して表現できる集団の構成員は上層に偏っているという事実は︑彼にとっていわば

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アメリカ圧力政治のパイァスのメカニズムについての諸説(一)

与件であったのである︒そこから定式化された紛争範囲の操作という圧力政治のバイアスのメカニズムは︑圧力団体

理論上の学説として重要な意義がある︒しかしそれでは︑なぜ社会の広範な諸利益が︑圧力団体化してこないのかに

ついては︑この説は何も教えてはくれない︒アメリカには︑結社の自由があるにもかかわらず︑どうして特定の利益

しか組織されないのであろうか︒彼はこの問題については﹁特殊利益集団は︑自分たちだけの排他的利益をはつぎり      ︵5qし︶と意識している少数の個人を対象にする場合に︑最も容易に形成される﹂と述べるだけで︑それ以上考察を進めない

のである︒この空白を埋め︑いわぽ圧力政治のバイアスを説明する諸理論の基礎となる理論を展開しているのが︑次

章に述べるオルソンなのである︒

第二章 マンカー・オルソンの集合行為論

      ︵36︶ マンカー・オルソンの主著である﹃集合行為の論理﹄︵↓ミト︒覧q99ミミミ︾6§きH89︶は︑シャットシ

ュナイダーやローウィの著作とは異なり︑直接にアメリカの圧力政治を批判しようとしたものではない︒オルソンが

同書で批判の標的に選んだのは︑従来自明とされてきた集団理論の基本的な︑あるいはむしろ無意識的な前提であっ       ︵37︶た︒すなわち﹁集団は︑共通目標あるいは集団目標を増進する必要があるとき活動する﹂という前提である︒オルソ

ンは︑諸個人が結託して自己利益の増進のために活動するという集合行為を︑合理的選択モデルを用いて分析し︑そ

のモデルにおいては少数者の利益の方が︑多数老に分散した利益よりも組織され易いことを証明した︒層これはそのま

ま︑圧力政治において少数派が多数派に優越するメカニズムの説明になっている︒というのは︑ある利益が圧力団体

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という経路を経て表出されるためには︑そもそもその利益を代表して活動する圧力団体が組織されていなければなら

ないからである︒前章でみたように多元論的集団論においては︑組織をもたない集団の利益は︑侵害されていないの

で組織される必要がそもそもないのであるとされていた︒しかしオルソンによれぽ︑ある利益を共有する集団が組織

されるかどうかは︑その利益が侵害されているかいないかではなく︑その集団の規模にのみ関連していることになる

のである︒したがって︑圧力団体という表出経路をもつことがでぎるのは︑少数派の利益だけであって︑多数派の利

益は︑それが侵害されていようがいまいが圧力団体を通して表出されることはない︒つまりオルソンは︑多元論的集

団理論を内在理論的に検討し︑その不整合を指摘している︒彼はこのような批判を通じて︑ある意味では︑従来の規

範論的批判よりも手痛い打撃を︑多元論的集団理論に与えているのである︒

 ナルソン理論の批判の矛先は︑こうした文脈においてアメリカ圧力政治に対して擁護的な議論に向けられているだ

けではなく︑従来のアメリカ圧力政治批判論にも向けられている︒すなわち圧力政治における少数派の優位のメカニ

ズムを︑何ら説明することなく︑ただ単にそれを前提にして批判するだけであると︑オルソンは難じてこう述べる︒

  ﹁数においては少数派であるにもかかわらず︑実業界の様々な部門が︑この民主的システムにおいて振っている

 権力は︑適切には説明されてこなかった︒実業界と富裕階層の権力についての曖昧で︑神秘的ですらある一般的記

 述は︑数こそ多いものの︑なぜ実業集団が︑民主国家においてもっているような影響力をもつのか説明していな

 い︒そうした一般的記述は︑実業集団が常にそうした影響力をもっていることが︑あたかも自明であるかのように

       ︵綿︶ 断言するのみなのである︒﹂

 ナルソγの理論に対しては︑もちろん批判がないわけではない︒既存の団体への加入の説明は明快でも︑圧力団体

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アメリカ圧力政治のバイアスのメカニズムについての諸説(一)

       ︵39︶の創設の直接の契機が説明されていないという批判もその一つである︒なるほど現存する圧力団体の形成要因を探ろ

うとする視点からは︑そうも言えよう︒しかしオルソンの理論の力点は︑むしろ圧力団体の形成を阻む︑いわば圧力

団体の﹁非形成﹂要因にある︒圧力政治のバイアスのメカニズムの説明として︑オルソンが提示しているのは︑広範

に共有される利益を代表する圧力団体が形成されないという︑ ﹁非形成﹂理論なのである︒オルソン理論の︑圧力団

体理論上の意義は︑そこにこそ求めるべぎであろう︒

 まずオルソンの議論の前提となっている︑あるいはオルソン・モデルにおける人間像とは︑どのようなものであろ

うか︒実はオルソン自身は︑意外にも自らの理論で想定している人間像について︑定義的には述べていない︒そこで

筆者が︑彼の展開している議論が成立するためには︑逆に行為老としての個人はどのような特徴を備えていなければ

ならないのかを考えて定式化したのが以下の四項である︒すなわちオルソン・モデルにおける人間とは︵一︶合理的

であり︑ ︵二︶自己の経済的利益から行動し︑ ︵三︶自己の経済的利益︑自己の属する集団の規模などについての完         ︵40︶全で正確な情報をもち︑ ︵四︶組織への加入や脱退︑組織の創設といった行動を︑他人に依存せずに自分自身の判断

と合理的計算で決めることのできる独立の個人であるとすることができよう︒そしてオルソンは︑このような個人が

集合財を獲得するために︑集合行為に対してどれだけ貢献しようとするかを分析していく︒       ︵41︶ オルソンは︑集団という概念を︑共通の利益を有する個人の集合と規定している︒そしてそのような集団の規模を

重視する︒したがって集団の規模とは︑ある共通の利益をもつ人間の数である︒オルソン以前の集団研究において       ︵42︶は︑観察に好都合な小集団の研究から引き出された結果が︑機械的に大集団にも適用される傾向があった︒しかしオ

ルソンはこれを否定する︒そして大規模集団は︑その集団のもつ利益とそれを得るための方法について全構成員が合

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      ︵43︶擁しているような場合ですら︑そもそも組織化されないとするのである︒ここでオルソンの念頭にある集団の組織

化︑すなわち組織の形成とは︑ あくまでも合理的個人の集合行為であることに留意する必要がある︒すなわち組織

は︑共通のある利益を有する全個人が相互に交渉を重ね︑どのような形態をもち︑何を目的として活動する組織にす

るかについての合意を形成した上で︑すべての成員の総意によって創設される︒個人が︑組織への加入について合理

的に選択するという場合の選択とは︑一般に既にできあがってしまっている組織へ加入するかしないかという選択で

あると考えられ易い︒オルソンの想定には︑もちろんそうした場合も含まれてはいるにしても︑初源的な組織形成に

おいては︑そもそも組織を創設しようとする相互交渉の過程において︑組織形成に参加するかしないかという選択が

問題なのである︒このことは︑意外に見落とされているように思われる︒この点に留意して大規模集団組織の非形成       ︵44︶説をみれば︑重要な論点が二つある︒一つは︑組織が形成される際の初期費用の問題であり︑いま一つは︑部分集団

の組織化が可能かどうかという点である︒

 まず第一に︑組織化の初期費用についてみれば︑それは集団規模の拡大に比例して上昇するであろう︒すなわちあ

る集団が負担しなければならない組織化の初期費用はその集団が︑集合財としての集団利益を増進するために︑まず

最初にとにかく越えなければならないハードルである︒そのハードルは︑集団が大規模になればなるほど︑言い換え

れば利益が広範に共有されていればいるほど高くなっていく︒すなわち組織化の困難度が増していくのである︒

 ここから部分集団の組織化という問題が出てくる︒組織化の対象を集団の一部分に限れば︑組織化の初期費用が低

くてすむので組織化の可能性が高くなる︒集団自体が大規模であれば︑その一部分を組織化するだけでも︑集団利益

を十分獲得できるだけの組織規模が得られる馴合もあろう︒しかし集団利益とは︑その集団にとっての集合愚なので

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(15)

アメリカ圧力政治のバイアスのメカニズムについての諸説(一)

ある︒したがって︑仮に部分集団の組織化によって集団利益が得られるとすると︑組織化の対象にならない集団の残

余部分は︑費用を負担せずに便益のみ享受する﹁フリー・ライダー﹂になることになる︒組織化の対象になった部分

集団は︑当然これを好まないので︑組織化の対象を拡大して費用負担を分散させようとすることになり︑結局組織化

のための相互交渉が際限なく続いていく︒集団の一部分の間だけで組織形成の合意が成立するような契機は︑オルソ

ンのモデルの中では考えられない︒集団内の個人間の相互交渉の範囲が徐々に拡大して︑最終的に集団全体を覆い尽

くすまでに至る過程のいかなる一時点においても︑集団内で組織形成に同意していない部分集団やまだ交渉に与かっ

ていない部分集団を切り捨てて︑ある部分集団が組織を形成するような契機が与えられることはないのである︒ある

いは︑ある集団にとって︑集合財としての集団利益を増進しようとする組織自体が︑一種の集合財なのであると言い

換えてもよい︒このようなわけで︑部分集団の組織化は︑最終的には成功しないのである︒

 しかし以下のような反論がなされるかもしれない︒すなわち合理的個人は︑自らがフリー.ライダーになろうとし

てとる行動とまったく同様の負担回避行動を︑集団内の他のすべての個人もとるであろうことを予見できる︒つまり

集団利益を増進する組織が成立せず︑それが成立さえしていれば得られたであろう利益が得られずに終わるという見

通しを︑合理的個人はもっことができるので︑彼はやむを得ず自分がフリー・ライダーになることを断念して︑組織

化に伴う費用を負担するようになるというのである︒オルソンは︑このような考え方を市場とのアナロジーによって

斥けて馳・先に述べた反論の内容を・市場に移して考えれば以下のようになるであろう・すなわち完全競争市場に

おいて︑ある企業が利益を増大させようとすれば︑産出量︵o露6旨︶を増大させることになる︒価格が一定であれぽ︑

利益は産出量に比例するからである︒ところが図らずもすべての企業が同じ行動をとるので︑供給が過剰となって結

45

(16)

果的に価格は下落してしまい︑個別企業の利益は増大しない︒しかしある一定数の企業はそうした事態を予見できる

ので︑そうした企業だけは価格の下落を招く産出量の増大を自粛するというのである︒これでは完全競争市場におい

ては︑価格は独占市場における水準以下になることはないというようなことになりかねない︒こうしたことはあまり

ありそうにも思えない︒そこでこうした合理的に自己利益を追求する企業を︑同じく合理的な個人に置き換えて考え

てみるならば︑やはり合理的な個人から成る大規模集団の中の一部分が組織を形成するというようなこともあり得な       ︵46︶いのだということがわかるであろう︒      ︵74︶ オルソンが﹁潜伏集団﹂ ︵一箪Φ纂σqδ愚︶と呼ぶ︑このような大規模集団が︑たとえその一部でも組織化されるた

めには︑合理的な費用一便益計算を度外視して︑組織化の初期費用を︑個人的に引き受けるような人間の存在が必要

なのである︒そしてそのような人間こそが︑ロバート・H・ソールズベリー︵図Oσ①困け 閏● ω伊一一ωσ億鴫︽︶のエ濁う︑圧力       ︵48︶団体の創設者としての﹁政治的企業家﹂なのであるとすることができよう︒ここで注意すべきことは︑この政治的企

業家という人間像は︑オルソンが想定しているであろうと思われる人間像とは異なるということである︒先に挙げた

四つの特徴のうちで︑ ︵一︶と︵二︶に修正を加えて構成されたのが︑政治的企業家という人間像なのである︒した

がってオルソンのモデル自体は︑ソールズベリー理論によって傷つきはしない︒

 以上にみてきたような大規模集団の場合に比べて︑小集団の場合は︑かなり事情が異なる︒まず組織化の初期費用

が低い上に︑組織対象が本来小さいので︑フリー・ライダーの存在に悩まされる可能性が大規模集団よりは低くな

る︒このように組織を形成し易い条件に恵まれている小集団の典型的な例として︑個々の業界を形成している企業集

      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  へ団を挙げることができよう︒すなわち﹁実業利益の高度の組織化とその権力とは︑大部分が実業界が一連の︵一般的

46

(17)

アメリカ圧力政治のバイアスのメカニズムについての諸説(一)

に愉寡占蜘掛︶﹃業界﹄ゐ伽卦かわで沁﹂㍗るひ昏如ひ藁画報ホ↑少勤ひ企鋭いか含拠酔いどい外郭勢ゆか剰ホ砺臣

のである︒たとえば自動車産業や航空機産業は︑きわめて少数の大企業から成っている︒これに対して︑自家用車の

所有者や旅客機の利用者といった大規模集団は︑それなりの死活的利益を共有してはいても︑業界団体と同じように

は組織化され難いのである︒一般的に大規模集団の場合︑仮に企業家的創設老の努力によって一度は組織化が成った

としても︑フリー・ライダーの問題に常に悩まなければならない︒そこで大規模集団が︑組織を維持し発展させるた

めには︑以下の二つのうちのいずれかの手段に依拠するしかないであろう︒すなわち何らかの強制を用いるか︑それ

とも集団利益の増進という組織本来の目的とは︑まったく別の何らかの便益を構成員だけに供給するかである︒そし

て多くの任意団体は︑後者の方法に依存せざるを得ない︒

 そこで一般的には︑大規模な圧力団体の構成員は︑その集団利益を増進するという圧力団体の目的に合意してでは

なく︑圧力団体が給付する他の何らかの便益のために加入していることになる︒その一方で︑少数者の利益を代表す

る圧力団体は︑集団利益の増進という目標に完全に合意している構成員から成る凝集度の高い組織である︒ある特定

の政策領域において︑もしも両者が争ったとするならば︑少数者の利益を代表する圧力団体が︑多数者の利益を代表

する圧力団体に勝利する可能性が︑まさにここから生じてくる︒前者は︑後考よりもよく組織されているからである︒

 しかしオルソンの理論において︑何よりも重要なことは︑そもそも組織化されない利益の存在を指摘していること

であろう︒利益は︑それが広範に共有されていればいる程それだけ︑組織化され難くなっていく︒広範な利益こそが

尊重されなけれぽならないとするならば︑これは大きな逆説である︒少数者の利益は︑そもそも組織化されないよう

な多数者の利益に︑さらに容易に打ち勝つことができよう︒

47

(18)

       ︵50︶ もちろん先に述べたように︑ ﹁政治的企業家﹂の介在によって︑大規模な潜伏集団が組織されることはあり得ない

ことではない︒しかし企業家の存在によってのみ︑大規模な潜伏集団の組織化が説明され得るとするならば︑こうし

た組織化が︑きわめてまれな現象であることが︑逆に証明されるのではないであろうか︒というのは︑企業家とは︑

やはりある意味で異常な人間であり︑決していつどこにでもいるような存在ではないからである︒彼は︑短期的な費

用一便益計算を無視して︑回収できなくなるリスクを犯して投資を行なう︒潜伏集団の組織化のたびごとに︑こうし

た企業家が現われるというようなことは︑あまりありそうにも思えないのである︒

 大規模な潜伏集団の組織化の条件としては︑企業家的創設者の存在の他に︑実はもう一つ考えることができる︒企

業家説が︑オルソン理論の前提となっていた人間像の︵一︶︑︵二︶を修正したものであったのに対して︑ ︵三︶を修

正するのである︒すなわち集団の規模や自己利益についての誤った︑もしくは不完全な情報から個人が行動するとす

れば︑大規模集団の一部分が組織化されることはあり得るであろう︒たとえばある部分集団が︑彼らと利益を共有す

る集団の規模を誤認し︑フリー・ライダーになってしまうであろう集団の残余部分の存在に気づかないままで組織化

されるというようなことも︑確かに理論の上ではあり得ないことではない︒しかし仮に︵三︶の修正によって︑大規

模な潜伏集団は︑必ず組織化されるという多元論的集団論に沿うモデルを構成しようとすれば︑個人は常に集団規模

や自己利益についての不完全な︑あるいは不正確な情報しかもたないと仮定する非現実的なモデルになってしまうで

あろう︒ こうしてオルソン理論は︑従来のやや素朴な多元論的均衡論に︑根本的な打撃を与えた︒しばしぽ指摘されるオル

ソン理論の難点なるものも︑圧力政治のバイアスのメカニズムの説明としての同理論に対しては︑さして大きな打撃

48

(19)

アメリカ圧力政治のバイアスのメカニズムについての諸説(一)

とはならないように思われる︒先に述べた圧力団体形成の説明能力の問題についてみれば︑オルソン理論が︑現存し

ない圧力団体の非形成要因を説明できる限り︑圧力政治のバイアスの理論としては成立するであろう︒しかもソール

ズベリーらの企業家仮説を取り入れてしまえば︑この難点は解消できる︒またオルソン理論の有効性は︑経済的利益

を表出する圧力団体にほぼ限られるのではないかという指摘もある︒確かにたとえば︑公共利益団体は︑圧力政治の

システムの中に︑一定の地位を保持しているようにも思われるのである︒そして実は︑こうした非経済的圧力団体に       ︵51︶ついてのオルソン理論の有効性が︑やや低いということは︑オルソン自身が認めている︒しかし仮にそうであるにせ

よ︑経済圧力団体の構成が歪んでいることを説明できていれば︑圧力政治のバイアスの理論として十分通用すると言

える︒      ︵52︶ 最後に︑圧力団体の非形成理論と並ぶ︑オルソン理論のもう一つの柱とも言うべき副産物理論の︑圧力政治のバイ

アスとの関連を考えてみたい︒副産物理論とは︑大規模な経済圧力団体は︑集合財の追求に加えて︑集団目標とは直

接関係のない便益を構成員に給付し︑そのことによって組織を維持しているとするものである︒通常この理論は︑圧

力団体の形成理論として扱われている︒しかしまた︑圧力政治のバイアスの理論としての側面ももっているのではな

いかと考えられるのである︒

 この理論によれば︑大規模圧力団体の構成員の数が多いということは︑その団体が誘因としての便益を豊富に構成

員に提供しているという証拠にはなっても︑団体の政治目標を支持している人間の数が多いという証拠にはならな

い︒その一方で︑きわめて広範な集団を組織化しようとして︑企業家的創設者による組織がともかくも成立したとし

ても︑構成員に給付できる選別的便益がなければ︑構成員の数は少しも増えないであろう︒つまり副産物理論の含意

49

(20)

とは︑圧力団体の構成員の数と︑社会におけるその圧力団体の支持者の数との間には︑直接の関係はないということ

である︒ところが圧力団体にとって︑その構成員の数は一種の政治的資源である︒構成員の数が多ければ︑団体の財

政規模も大きくなり活動資金も豊富になるし︑何よりもその団体が代表している利益が広範であるという正統性を得

ることができよう︒構成員は︑その団体の掲げる目標に賛同して加入しているというのが通念であるからである︒す

なわち圧力団体の影響力とその構成員数との間には︑一般的な比例関係がある︒とすれば︑もしも副産物理論が正し

いならば︑圧力団体の影響力は︑その団体が代表する利益の広範さにではなく︑団体の目的とは無関係の構成員に対

する選別的誘因の豊富さに比例してしまうであろう︒これもまた圧力政治のバイアスのメカニズムであるとは言えな

いであろうか︒

 結論的に言えば︑オルソン理論においては︑圧力政治は二重のバイアスのメカニズムをもっている︒一つは︑広範

に共有される利益が︑通常はそもそも組織化されないという事実から生じる少数者の利益へのバイアスであり︑いま

一つは︑ともかくも組織をもち得た集団の中で︑選別的誘因をより豊富にもつ組織集団の利益へのバイアスなのであ

る︒

50

 注︵1︶ 智日︒げO.≦房oP冨ミミ詩§Oo竃§ミ§驚冒防ミミ馬§恥§概︑ミミ塁ωa巴.︵い︒×言oq8P一ゆGoO︶︾臼昌︒鰻・

︵2︶ アメリカ政治に対するナショナル・レヴェルでの権力エリート論的解釈としては︑たとえば O︒≦ユoq犀竃凶目す ↓ミ

 ︑§ミ肉ミ馬︵ワ制O≦ 網O﹁冨讐 H⑩㎝㊤︶がある︒

︵3︶ 本稿で取り上げたもの以外にも︑たとえば=oロ蔓ω.民9︒ユΦr↓けobミ事事ミ︾ミミ皆§︑奪ミh勝ミ︵ω富艮霞9H㊤露ン

(21)

アメリカ圧力政治のパイァスのメカニズムについての諸説(一)

   O屋馨冨oO8ロ︒=讐℃ミ暑馬馬㌧ミミ§職トミミ讐§b恥ミ︒ミ§随︵H40毛 吋O円貯噛 目㊤①①︶などがある︒

︵4︶国百重国●ω︒冨器︒ぎ①置︒5︑︒ミ§噛ミ翁恥ミ禽§軋導恥↓ミミh︸恥ミ母多肉ミ恥︑識§欝吋ミミミ蓉.旨ミ§ミ馬

   き勘驚ら恥貸動恥瀞Oミ篭㍉篭丼魯馬Nも帖も∴℃恥O知魁㍉恥㍉O冶心\︑円陣 n﹃貸︑ミ︵国口oq一①≦OO O一一︷︷のり  ㊤らQ㎝︶・

︵5︶ 聖旨唐国︒¢︒ゴ⇔蓉ω号昌︒置05 ㌧ミ電O︒器§ミ§妹︵Z¢箋蝿自ぎ お島︶及びOoヨ巳#ooo昌団︒鐸ざ曵り震二〇︒oh

   >ヨO﹁圃Oロ昌℃O一日一〇9Ω一の〇一日目OO>ωωOO一缶菖O口・ ︑.一﹃O≦9﹁傷騨 蜜O㎏O 閃OωOO口ω凶げ一Φ ︑﹃≦OI勺伊㎏一楓 ω団ωけOヨ﹀ 因O℃O村け Oh けげO

   OOヨヨ一菖OOO口℃O一一鉱OP一℃㊤﹃二〇9 >ヨ⑦ユO㊤口勺O一一誠6鎖一ωO凶O口O⑦﹂PωのOO一拶口O口噂燭燭︾ミ馬︑馬ら貸篭 ︑O驚ミら貸馬 ⑦9恥嵩O鴨 勘恥噌馬馬§輸鮮ら

    ︵ω8ρoヨげ︒ひH89ωξ豆︒日︒巨︶︒

︵6︶無二巽国.ω︒冨矧ぎ匿Φ置Φひ↓ミ留ミ魯竃ミ讐等号︑ミ﹄昏ミ㍉a.物ミミ曼b§8ミ遷旨︾ミミ賊§︵Z⑦≦ぎ同〆

(((((((((((((

19 18 17 16 15 14 13  12  11 10  9  8  7

)))))))))))))

H80︶●

奪きき&ききききききまき♂

軸・ 軸. 軸・ 軸・ 軸● 軸● 軸● いり 軸● 軸・ 軸・ 軸. 鴨・

Ω」 9」 9」. 氏 9」 9」 概 職 織. 賊 職ε」ε」

●   o.   o   .   …        o   の   ,    ●   ■   ・

−    .   ,   輸   魑   讐   −   ℃   り   噸   嚇   讐  噂 .口O・b◎O一ら㎝・ 内山秀夫訳﹃半主権人民﹄ ︵而立書房︑一九七二年目︒

やレ p。X 傍点は︑原文中のイタリック体を示す︒以下も同様である︒

弓弓●QQO一⑳㎝●        .  .

ワGQ●︾﹄.

弓﹄●

娼●嵩・

︾●一bQ

O.Hω●

口O︒bこO一戯㎝・

O●・㎝8

0●①①

51

(22)

︵20︶きミ.

︵21︶ き㍉猟噂b●嵩.

︵22︶ きミニや﹂㎝.

︵23︶ 男2①﹃切ロ︒ゴ鑓︒げ9︒ロ二号︒ユ︒昌ω●ゆ母帥二四 .甫≦o聞碧︒ωoh勺︒≦oび︑ トミミ馬ミ蕊︑qミ詩ミの無恥ミ馬沁ミ驚§ <o 8

  ︵一︶OOO巴Pげ①円  一㊤①b⊃︶層 ⑩ミゐ㎝bO二 .︑Uo9ω凶︒印ωp︒口鮎Zo口臨09ωδ口ω鱒﹀口︾ロ巴島影090一聞同櫛9①毛︒﹁置.. ムミミ馬ミ遷︑o鳶畿もミ

  ⑦織§三碧塁驚§く︒ピ昭︵ω①冥︒ヨ9﹃目霧︒︒︶●①ωbりよらbっ二︑oミミ貸蕊叙︑魯ミ竜︑↓咳き遣貸達織︑︑§勘ミ︵Zo≦嶋︒甚鰯H㊤刈O︶・

  非決定権力に関連した文献としては︑他にも以下のものがある︒ 宰︒裂手ド吋 婁・写︒零︑.Oo巳ヨ︒馨O昌糎のロ︒ω9︒ロα

  累︒巳ωωqoω一ロ匪①ωけロ匹団︒︷勺︒≦①ひ.. ︾ミミ帖ミ嵩︑ミ糠請ミ⑦9偽§恥沁ミ鳶§︿oピ①切 ︵一︶ΦOO旨PびO﹃  一〇旧里︶二=四竃︒ミ﹀.

  O冨昌ωoP ↓ミ§1︑o︑謙皆肋駄︾馬︑︑ミ︑ミ馬§﹂﹄⑦ミ母ミき四一b御亀鴇§ミ貸ミ謎鴨二三恥9職塁︵しU9ゆ一一一ヨO﹁O剛  一㊤刈一︶二

  ω8︿O昌U偉吋①ω旨︑Oミ偽︑︑長目黛ミミ︑ ミ馬ミ︵﹈﹁O口OO昌り  H㊤刈幽︶こ ω﹁賃O① りOO℃O昌ずO一琶①ご O識自嵩戸戸 O岩頭ミ⇔︒︒馬暑ミ

  ︑ミら塁も︒︑↓隷恥卜馬ミ馬冴ミ硲ミ守ミ鳶︑ミ帖勘霧︵H亀O×一口隔四けO二階 ドON幽︶

︵24︶ q◎oゴ鉾80げ昌︒匡⑦5号●6執肺二〇●繊・

︵25︶ ︑ミ昏燭O・GQ腿●

︵26︶ ㌧精工こO・ω9 ただしこのようにシャットシュナイダーが︑多元論を痛烈に論難したからといって︑彼を権力エリート論

  者であると考えることはできない︒別に彼は︑紛争の範囲を操作するような権力を独占している︑固定化した社会階層の存

  在を指摘しているわけではないからである︒同様のことは︑バクラックとバラツについても言える︒彼らの提出した﹁非決

  定﹂という概念が︑ロバート・A・ダール︵菊OぴO同け ︾︒ ︼︶ρげ一︶らに代表される多元主義的権力概念に対する重大な挑戦で

  あったことに間違いない︒すなわち︑とりわけ地域社会の権力構造分析に関連して多元論者が依拠していた権力概念によれ

  ば︑ある個人Aの何らかの行為を原因として個人Bの行為に変化が生じた場合に︑AがBに対して権力をもつのであって︑

  BがAの行為を予め計算に入れて行為を変化させるような場合については考慮されていなかった︒しかし彼らは︑そうした

  非決定権力︑すなわち単純化して言えば︑自らに不都合な争点を政治という場に入れないようにするような権力が︑特定の

  エリートによって排他的に占有され︑行使されているとは言っていない︒彼らがその存在を主張したのは︑ ロ︒ロー島09巴︒口 .52

(23)

アメリカ圧力政治のバイアスのメカニズムについての諸説(一)

 ヨ爵首oq噂︒ミ巽であってロ︒㌣α①9巴︒口日凶匹ロoq℃oミ巽︒葺︒ではないのである︒

︵27︶きミニ弓P鵯IG︒㎝・

︵28︶∪重く乙ゆ目鼻旧きり↓鳶Oo竃§ミ馬ミミ︑こミ霧﹂ぎミミき肺ミ馬︒︒冴§職︑§§O驚ミ§噛卜◎雪山巴・︵Z①≦唄︒時噛

 δ謡︶旧戸田.

︵29︶ωoげ9冨︒げ口︒乙Φさ愚・6馬牒二噂﹄oQ.

︵30︶ トルーマン自身は︑ この他にも﹁潜在的行為﹂︵ロ9①昌二巴ロ9一く一q︶であるとか﹁行為の傾向﹂ ︵ε昌9口︒一①ωoh碧菖1

 <淳曳︶といった用語も用いている︒

︵31︶↓歪ヨ潜昌二号二職ごPHH心.

︵32︶ωo﹃葺房︒げ昌︒置︒さ曾.9聾二噂・昭・

︵33︶ 奪ミ●

︵34︶ この処方の問題点については︑第四章︵次号︶.で考察する︒

︵35︶ωoゲ9︒#ωoげβΦ置①さ号.鳥帖こO●Q︒ら●

︵36︶二選︒998P↓ミト︒讐︒黒Oミミミ馬≧誉§㌧§︑皆9ミ肋§導恥↓ぎミ黛駄Oこ§物︵O餌ヨぼ置ひq9同⑩①㎝︶・

 依田博・森脇俊雅訳﹃集合行為論t公共財と集団理論1﹄ ︵ミネルヴァ書房︑一九八三年︶︒

︵37︶﹂ミ昏層弓●日●

︵38︶奪ミニO﹂お1置ω.

︵39︶冒目︒ωO・≦諺oP︑ミミqミO︑鷺ミ慧欺蕊︵Z①≦吋︒時︑お刈ω︶旧OO﹂㊤㎝1お①.

︵40︶ こうした情報の完全性という条件は︑経済学者がよく想定する完全競争市場の成立に不可欠である︒オルソンが自らの議

 論の中で︑市場とのアナロジーを多用していることからみても︑彼がこうした完全情報をもつ個人を念頭に置いていた可能

 性が高い︒

︵41︶9ωoP号.禽妹・魍弓・o︒●

︵42︶奪ミニO・鶏・

53

(24)

︵43︶ 旨馬撃bO・&1Qo●

︵44︶ この場合の費用には︑もちろん金銭的なもの以外にも︑個人の時間的.精神的負担も含まれる︒

︵45︶ 等ミニ弓しbσ.

︵46︶ オルソン自身は︑既存大規模組織への加入や脱退という文脈で︑こうした議論を展開している︒しかし集団の組織化の時

  点での合理的個人の行動についても︑それは妥当するように思われる︒

︵47︶ 言うまでもなく︑これはトルーマンの言う﹁潜在集団﹂︵bo8昌謡巴αq8ξ︶とは異なる概念である︒

︵48︶ 園︒げ︒登臨●qB9︒跨げ嘆ざ ︑.﹀昌国蓉冨£︒↓冨︒曙ohH弓田90曾03弓9..ミミ§無旨ミ蓉︑蔓㌘︑ミらミ・のミ§恥・<oピ

  HωZo﹄︵聞Oび﹁口餌﹁鴇 H㊨①㊤︶・

︵49︶ 9ωoP︒㌧・ミニ㌘辰︒︒●ただしオルソンによれぽ︑強力なのは個々の業界団体であって︑全体としての実業界︵げ器冒︒ωω

  8巳出離巳¢︶そのものは︑ あまりよく組織化されていない大規模な潜伏集団である︒個別業界を越える組織としての全米

  製造業者協会︵Z讐一こ口9︒一﹀ωωoo冨江︒ロ︒隔竃9︒⁝壁9ξ臼ω︶やアメリカ商業会議所︵d巳冨像ω富8ω0冨ヨげ巽ohOo巳ヨoi

  鴇8︶は︑AFL−C10やアメリ.力農事局連盟︵﹀日O︻闘O恥 田口吋∋ ゆ⊆﹁O㊤β  男①らO﹃け一〇口︶に比べて特に不均衡な権力を行

  使してはいないと彼は考えている︒したがってオルソンは︑少数のビジネス・エリートがアメリカ政治を支配しているとい

  つた考え方には立っていないのである︒

︵50︶ この概念については︑ソールズベリー論文の他に以下を参照︒ Z含ヨロ男3巨ざゴ9玉目oO暑①ロげ︒ぎ①5︑︑一〇〇件ヒd矯

  竃詳び=↓二〇口︒甘蹄︒日蜜矯.岡ユ︒ロα9︑︑き︑ミ︑oミ篤霧︵090げ︒吋お刈O︶噂HO占boO●

︵51︶ 9ωoP愚・亀聾こO弓●誤O∴8●

︵52︶ 審ミニOげ凶09・

54

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社会と倫理 第 32 号 2017 年

過去はすでに遠く,来るべき未来はわたしの手の届くところにない。「国

他方の、条件の逆説 、、、、、

アメリカは「人種のるつぼ」だということが説かれましたが、この頃はそ