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富山大学経営短期大学部卒業生の部短大創立当時の想い出

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Academic year: 2021

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O

富山大学経営短期大学部卒業生の部

短大創立当時の想い出

﹁ふっ﹂と十数年前の富山経営短大創立当時を想い︑当時を懐しく感じたのは︑富大経済学部五十年史︵回想篇︶への

寄稿の依頼を受けた時でした︒想えば富山県の産業界と勤労学生の要望にこたえて富山大学に夜間三年制の経営短期大学

部が併設されたのは︑昭和三十四年の春でした︒当時各会社関係からの多数の入学︑お父さん大学生などと多士済々︑第

一回入学生は八十九人︑殆んどがすでに社会人として働いている勤労学生で高校卒業後直ちに入学した学生は数えるばか

入学式は昭和三十四年五月十七日︑慌しい毎日が始ったο講義は午後五時四十分から同九時まで︒忙しい勤めを持ち乍

ら夜も勉学に励み︑知識の吸収に意欲的な学生達を相手に︑若い学究の先生方は充実した授業を惜しみなく施して下さい

ました︒学生達は勉学する喜びに溢れ︑仕事で疲れた身体に反比例して頭脳が冴え︑快い満足感に浸ったものでした

Q

当時経営短大の出席率はあまり良くなく︑それも勤労学生に対する職場の認識が低調だったこと︑また出席したくても

仕事の関係でどうにもならない学生もいたことなど︑むりからぬ面がありました︒一方︑講義終了後は︑慌しく帰宅のた

め︑或いは汽車や電車時間に間に合わせるため︑先を急いで教室を後にする結果︑学生聞に話し合いの場がなく︑話し合

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い議論し合うのが学生生活の良さであると知り乍ら︑どうにもならず︑考えた揚句学生達は自らの手で学友会を︑ワンゲ

ル部を︑詩吟クラブをと︑それぞれ結成したものでした︒

開校当時は短期大学自体にも︑色々な悩みがありました︒中でも専任教官の不足がもっとも大きく︑予算の不足もそれ

に拍車をかけました︒全く﹁無︑無︑そして鉱山﹂でありました︒しかしその中から有を生み出すべく全学生挙げて努力し

たものでした︒お蔭を以ちまして︑昭和三十七年三月第一回卒業生七十四名を送り出すことができました︒その際︑越嶺

会への加入を望む意見が圧倒的でしたので︑嘆願書を野村憲一会長に提出しました︒また会長のおられる北電本社へも陳

情に参りました︒野村会長は役員会を聞き加入承認の方針をまとめて下され︑やがて総会を招集して会則の改正を行い︑

短大卒業生を普通会員に加えて戴くことになったのであります︒会長を始め会員の皆様方の暖い思いやりから︑越嶺会へ

の加入を認めて戴き︑短大生一同深く感謝したものでした︒

あれから十数年︑短大卒業生も現在千数百人におよび越嶺会々員として在籍させて戴いています︒こんどもより一層︑

越嶺会に協力させて戴きたいと思います︒同じ会員の大先輩方の高商卒業生を始め経済学部卒業生の方々と共に六十年︑

七十年と︑会がより栄えますようにと念じ乍らベンを摺きます︒

光5

タま

刀、

この題名は当時富山大学経営短大唯一の機関誌であり夜間短大に学ぶ者の希望の光を象徴し交友・校友の意味も含め

τ

O

(3)

文化交流の場としたいとの意図にて創刊号編集者の句

呉山の麓 神通の清流に育くまれ

知光の夕映え

から知光の﹁光﹂と夕映えの﹁タ﹂をとり名付けられたものである︒又句は神通の清流︵動的

H

流れ︶と呉羽山の麓︿静

H安定﹀の中間にあるこの恵まれた環境の富山大学にあって結びの夕映えに夜間短大生をシンボライズしこれを基に学

友会の機関誌性をも強調し交友・校友と文化航路の韻をもたせて﹁光タ﹂︵こうせき﹀と決定されたものである︒

私は昭和三十四年三月中央大学法学部を卒業して司法書士を開業してから三年目︑法律家にとかく欠如している会計学

を学ぶ為︑昭和三十七年三月本短期大学に学士入学をしたのであるが︑ひょんなことから学友会の御世話をすることにな

った︒私の先輩会長であった尾崎栄輝君と学友会活動をしていた時︑第一回の文化祭を開催することになりその文化祭に

松村謙三先生をお招きし当時ヨーロッパ経済市場において画期的なEECハ欧州経済共同市場﹀について講演して頂くこ

とを提案した私は︑早速秘書の安念女史に連絡し先生の日程の中にこの計画を入れてもらった︒後目安念さんから電話が

あり先生の御快諾を頂いた由を聞き欣喜雀躍︑正に文化祭に錦上花を添える結果になった︒然しその他の行事の中で演劇

を担当することになり︑高校時代演劇部の体験を活かす機会を得た私は︑一番やりたかった小山内薫原作の﹁息子﹂の上

先づキャストの選択︑脚色︵火乃番の老人︑捕方︑上方から帰ってくる息子と原作では男だけの芝居にお志乃と一五う許

婚者を登場させるo﹀台本読みが始まり時代考証︑衣裳合せ大道具小道具セット︑音楽効果︑照明効果:;:多忙を極める

日々を送った︒同級生のスタッフ達は連日授業が終ってから遅くまで練習に没頭していた情景が懐しく思い出され︑今更

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ながらよくやれたものだと感心する

Q

文化祭の当日は定刻どおり松村謙二一先生が正門を通過され黒田講堂の壇上に立たれ

た時︑満場の拍手は万雷の如く会場にひびき渡りしばしなりやまなかったことを記憶する︒先生は相変らずの癖で右手を

ポケットに入れながらの講演で予定時聞をはるかに経過したが誰も気がつかない程の静聴ぶりであったQその後私が演出

した﹁息子﹂もスタッフの大熱演で喝未をあび文化祭は成功裡に幕を閉じ︑横田学長から﹁よかった︑/\︒﹂と全員に

握手されたことも記憶に新しい︒翌年尾崎会長からバトンタッチを受けた私は文化祭に対して体育祭を開催した︒これもυ

第一回目の行事で忘れもしない昭和三十八年十月二十日の日曜日であった︒全く快晴の秋日和で午前十時から本学グラウ

﹁食欲の秋﹂と題するイモ喰いンドで学長︑事務長他教官全員が参加して行われたQ競技種目で特に人気を呼んだのは

レース︒福笑いからヒシトを得た﹁美術の秋﹂これは特に横田学長の似顔絵をかくことになりその審査に当った学長もそ

の傑作ぶりに徴苦笑されていた

Q

﹁老楽の恋﹂と云うアベックレースは天下晴れて女子学生が先生方の手を握って走れる

ので大人気があった︒特に全員で走った﹁千五百米レlス﹂では美男の長砂教官が最後まで力走されたことは絶讃に値す

る︒又一番荒っぽい﹁棒倒し﹂では全員海軍兵学校ばりのハッスルで怪我人が出るほどすさまじかった︒最後に学年対抗

リレーをもって無事全プログラムを終了したが︑競技成績は常に接戦のままシーソーゲームを展開し寸差をもって二年チ

ームが優勝︑三年が次勝︑一年が三位になった︒尚この大会において特筆すべきは︑横田学長︑花井主事︑森田事務長等

が学生や教官に混って観戦のみでなく進んで各競技に参加され大会をさらに盛り上げられたことである︒従って我々学友

会役員一同大いに面白をほどこしたことは云うまでもなかった︒

このように私にとって在学二年間は︵一般教養省略︶会計ゼミの演習時間より長かった学友会活動で勉学の目的は達成

できなかったが︑貿易英語の水井教授︑工業政業の長砂助教授︑労務管理の泰地講師︑商法の田村講師︑管理会計の飯岡

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講師︑財務管理の下川講師︑生産管理の藤本教官:::の横顔が走馬灯のように浮んでは消え学園生活に悔いは無かったと

の感慨にひたる今日此の噴である︒

害j

本短期大学が昭和三十四年に開設され︑昨年は十五周年記念祝賀会があり︑私はそれに出席しました

Q

久しぶりに母校

の校舎をまわり︑思師・旧友の顔に接して︑十三年前の当時をなつかしく回想しました︒私たち三回生は︑昭和三十六年

四月に入学し︑一ニ十九年三月に卒業しました︒経営短大は完成年度に当り︑全学をあげて短大のよりよい学風︑伝統を築

き上げることに努力いたしました︒特に︑当時︑短大主事の域宝先生は︑情熱をもってアイデアを実行に移されました︒

新入生歓迎会に︑﹁働きながら学び︑学びながら働く﹂これが本学の特徴であり使命であるとして︑短大の特性を強調

せられ︑右手にハンマーを左手に書物を捧げて︑新入生男女代表と握手を交す演出は︑まことに印象的で忘れ得ぬ思い出

であります︒以降︑銀の鎚と特製の書物が経営短大のシンボルとして︑労学同帰︒の標語と共に短大の支えとなっており

私たちは︑富山大学の近代建築の校舎と︑緑と夕映えの美しいすばらしい環境の中で︑すぐれた教授陣によって一一一ヶ年

間勉学できたことをまさに限りない誇りと思っています︒当時私は︑昼間は県教委の庶務課に勤務しており︑五時すぎ職

場を出て︑大学に向う足取りは軽く︑喜び勇んで登校したことを覚えていますQ教室では最前列に座席をとり︑諸先生の

(6)

講義はその一言一句ももらさない注意力で︑海綿が水を吸い上げるごとく︑私の脳裡に焼きつけていきましたQ

珠玉の如き講義を聞き︑校門を出て︑冬の夜道を︑星を仰ぎながら家路に急いだことがなつかしく心に浮んできます︒職

をもち︑家庭をもっ私にとって︑夜間︑大学で学べることは︑砂漠の中のオアシスに遭遇した気持であり︑夕映えの五福

γパスがまさに静かなる母の如き慈愛の姿に思われました︒講義は出来る限り出席致しました︒仕事のことで二︑一ニ

回出席できなかった日を除いて︑あとは万難を排して受講し︑充分な準備をしてゼミに参加しました︒そのかいあって︑

短大三ヶ年に於て︑百四単位を取得し︑お蔭で良い成績で卒業させて頂きました︒今︑私は︑大事にしまつであった当時

i

かつて︑一二番教室で︑熱のこもった講義をしておられる先生

方の顔が浮んできます︒私が受講した専門教科と講師名を敢て列記したいと思います

Q

金融論・花井︑民法・吉原︑商

法・法律ゼミ・田村︑会計学・山崎︑労務管理・泰地︑財務管理・下川︑中小企業論・長砂︑工業簿記及び原価計算・岩

制︑経営分析・管理会計・飯田︑経済原論・柴田︑労働法・池田︑交通論・問中︑商業英語・水井︑簿記概論・友杉︑経

営学・野崎︑商業学・横山︑ドイツ語IJW・沢井︵以下略︶の各先生の印象は忘れ難いものがあります︒私は大学図書

館を許される限り利用させて頂きました︒図書館は私にとってはゼミ準備の勉強の場でありました︒

一つは機関紙﹁光タ﹂を創刊号から第三号まで刊行したこと

であり︑もう一つは︑短大完成記念の文化祭を盛大に挙行したことです︒前者は︑いかに当時の我々学生が完成年度の短

大をよりよくするために全学一丸となって努力したかの記録であります︒後者については︑松村謙三先生を迎えて記念講 当時の三ヶ年の学生生活の中で︑学友会の大きな行事は︑

演会を聞いたほか︑模擬店・野外バlベキュを催し︑おでん・寿司をはじめ酒類に至るまで気を配り︑大学本部前庭の芝

生に先生を囲む団撰をくりひろげ︑飲み且つ食べて︑師弟一如の歓談に花を咲かせ︑青春のエネルギーが噴出し︑結晶す

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る思いでした︒この行事を成功させるため︑一ヶ月ほど前から文化祭実行準備委員会を組織し︑綿密な企画・準備を進め

ポスターやパンフの作成と配布︑寄付金募集まで何くれと奔走したこました︒私も一役を荷い︑何回かの会合に出席し︑

最後に︑我が経営短大が︑働きながら学ぶ人たちのメッカとなるよう︑今後の短大の発展と立派な学風の培われんこと

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︿

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参照

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