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『宗教研究』126号

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(1)

――目次――

1,

死霊観念の展開, 古野清人, Development of the Idea of the Spirit of the Dead,Kiyoto FURUNO,

pp.1-26.

書評

2,

辻 善之助『日本仏教史 中世篇之三,四』, Zennosuke TSUJI, History of Japanese Buddhism, 石田瑞

麿, Mizumaro ISHIDA, p.27.

3,

宇井 伯寿『東洋の論理』, Hakuju UI, An Historical Study of Buddhist Logic, 泰本融, Tōru

YASUMOTO, pp.27-28.

4,

中村 元『初期のヴェーダーンタ哲学』, Hajime NAKAMURA, Philosophy of early Vedanta, 風間敏夫,

Toshio KAZAMA, pp.28-30.

5,

辻 直四郎『バガヴァッド・ギーター』, Naoshirō TSUJI, Bhagavad-gitā, 坂井尚夫, Hisao SAKAI,

pp.30-31.

6,

大畠 清『イエス時代史の研究』, Kiyoshi Ōhata, Judaism in the Time of Jesus, 山崎亨, Tōru

YAMAZAKI, pp.31-32.

(2)

咄 Ⅰ 耳ガ 捜 ・ ・・ @@ @@ @@,@ ト Ⅱ・・・・ ,@ , 一・、七目 ナ叶 @ 也

@

%

Ⅰ 庁

死毒観念の展

古野清人

(3)

IW:-1"

Ⅱ ンド・ネシア請来に属するムロ・碑の高砂族においても 、

少くとも

ツォウ

語の田あⅠ

やサ アルア語の 安方 目

あるいはアミ語の

寺男 あ ・るいはパイ ヴソ

語の打日

ヨ拐 さらに サイシア ト語の甘が つ

宮口などは・われわれ

風 にいえば神祇・精嚢、 祀轟 、

学者が彼と同じ意味で、これらの用語を使

ているわけでほない。またあらゆる未開民族が

とこれらの観念を区制し

分類しているわけでもない。

雲魂

・七

%.

嚢などの観念の限界はしかく考えられるほど決し

明瞭でほない

0

えぼィ

的な結合をもたない

精賊

?

宮ぺ

@t

の︶の三つを

めている

0

これは分類としては便宜であるが、

らゆる現地調査者や宗教

存在の中に肉体を生かしている

簸魂

︵の

0

三の︶

、肉

体を

- 有してはいたがそれから

した

亡憲

ぬオ

のヰ

の︶・

肉体とは何らの有機

も死

として、その観念内容と。それに関連し

若干の行事とを観察しよう。

古くタイラーが宗教の起原を﹁

的な存在に対

する信念﹂、アニミズムに若いたのほよく知ら

れている

0

彼はこの霊的

わたし

原始的心性殊に顧視観念に関するこの

ような見解に賛意を表するものであるが・

こム

はやはり死者というより

、われのれの

・地からする死者の嚢

即ち

死げ

ぬめ

恐怖が取扱われているのである

0

づれにし

ても・レギブリュ

殆ん

全部の未開

にとって、死者は﹁精嚢﹂でも

﹁霊魂﹂でも放くて・ある面では強力で恐るべき

ものではあるが・他の面で

ほ減殺され低落した、生者に似た存在を強調し

ているわけである。

T

しているから、それらに正確に照応する用語がな

な らゆる単語 は

厳密﹂は未開人の思考を歪曲し

裏切

抽象的な言葉を用いるのをやめて・﹁死んだ

﹂ ﹂

いる 0

その著﹁原始的

轟魂 L で は

多方面の報吉書

若 く 0

またその後に川狩されたフレーザーの

攻ム

l

ても、向原始宗教に若ける死者の恐怖

と題さ れ

。精嚢、

幽轟

、幻影,

死舞

・悪露、妖怪、

るいは﹁

嚢魂

﹂などのあ

るものでしかない。レギブ

リュか

はかく考えて,

このような誤解され易い

Fo

宵ヨ

0

0

︵ キ

︶または﹁死者﹂︵

こ日

ort

︶と呼ぶことを提言して

精霊、七

%

露次どと記しているものを

と改めているのが注目を

宗教におけるいわ

ぼ死雲

に関する恐怖の事例を

豊富に引用した講演におい

ているのは偶然の一致ではあるまい。実際には

死者そのものよりも、むし

13&

爪わ

(4)

37 Ⅰ ユ

一 一 "

インドネシア民族のうちで最も北方に位し、

かもインド教

イスラムと文化接触を再みるとこ

ろな

かつたと思われる

砂族

、その霊魂観念についてほ今まで

んど

的に観察されてい放い。フレーザ一も上掲の著

で極めて断片的に触れて

十分に吟味しておくことほ・他のインドネシア系

諸民族のそれを理解すた

ボな

%

:

高砂族では、

7

語のすがむ片口

フィリッピン

殊にルソン鳥の

ゅコざ

0

に親縁のあるの

ほヤ

.1 ト

族の曲コ

年やフ

スシ

族の

民族における霊魂観念殊に

死嚢

観念について

深い関心を有しているが・

Ⅱでは

意のイン

ドネシア民族のうち広汎に

分布しているハントゥ・アニ

及びビル

ワ、ブ

ルフ

の観念と、インドシナ牛島のピ

@

の観念に

ついて概観したい。

Ⅰレド・

つ吋

。㏄Ⅱ

由ダごド

- ゆ

づ ︵

0

つユ日ざ

@ つの

-

︶ ゆ

㎏Ⅱ

㌧・㏄

ゆか

-

トのト,

㏄の㏄

しかし、多くの未開

に若いても死者︵

死嚢

生者︵生霊︶

とほ異

つて表象されている

0

わた

しほ

特に東南アジアの

ぎないであろうも

観念を一にわれわれの論理主義に立脚して分析

理解するのは困難である

0

一般に彼等の呪術士

ボ敬

信仰や行事について。

その明白な矛盾や錯誤を指摘しても・彼等

は簡

にそういう慣習であったとか、

允からそう

えられてきているとか答え

、問題の核心を掴ませない

0

そうでなければ・

多少とも現代文明の影響を蒙った自己流のもつ

ともらしい解釈を下すに

魂 か ら

雲、

,怪

な ど

称 で あ る ア

ヤ ノン 族

目ヰ 偉

由ゆ 由 - ひ O

ど づも

れ に 近 い

(5)

く 0 それは 死離 即ち ヒツゥと 放つて存続する。

それはまた人間の体外。その側に随

伴 している 体外姓ともいうべきである。

し と て ね ト 汝 の の て い い ほ と

@

ヰ o す 為 は そ 情 死

顕 れ

め て ,怪

ト 。 こ て " に 仰 書 企 ト ・ カ 中 ぃ な の め ィ い に い か で

=

に な ど

と司

とが 他 る シ る よ 力 の ゐ ト い い を

界 じ ァ か れ ヱ で る が る よ 意 ga 口口

ン ほ ほ ト ・ と 一 苑 あ て

つい

を「の病 肉の きり 臓に 護に

力 えて

人 ほ ろ

す声

国に ヴの

z

赴 。

し タ色

=

に 出 る れ な

138

け Y 。Ⅰ 億

(6)

"Vk. 尹

,・㌃

"

'

"

い し 化 ど 北 し な ツ の る ォ

39

(7)

げ フ 攻 ィ い

ピ る

と 諸 迂

島 の

殊 槍

に が ル あ ソ ぶ ン な

島 い の ぞ 原 と

仕 カ

=

族 ト

紳 昔

魏 げ

死 。 嚢 死

嚢 ど は

を 彼

表 岸

家 で す と る の

世 般 と 的

な じ 用 よ

曲已仔

をし

で て あ い

を 信 れ じ で て ス い へ る イ 。 ":""

一般に変死者の屍体は悪いウソ トフ

がいると非常

怖れるが、家で死んだ家族の者は寝所の下を

掘って埋め、むしろ愛着

感じている

Q

そして子孫を保護してくれると

信じて疑わない

0 とれろの 蛆

簸には、殊に

粟祭の ときに供養する。

"

。 。

" "

"

"" 。 。 。

"" 。

てやつていないときには

ヴッ

トハンには行

ない。人々がその死を知らないでいた子供や自殺

番などほ祖元のいるウ

ハンに行けないのである。

死ねばこのように人間の尭

︵ぎ日

uD

的︶

たほ心は西方にある

ヴッ

トハンに赴く

0

それで

西方をアット︵

とも

。そのとき橋を通って行く。

虹は

﹁醒の橋し

︵ け曲

らも

o.b

@ 目

目 Ⅰがす

曲巴

㏄。岸ヰ仁が︶である

0

糊首

者や機織に巧みな女性は

着くりそこでは現世に若けるより少しよい生活

としている

0

そとでまた死んだら蟻になるなどと

信じている

に ま い Ⅱ

@

変死者はそ

げない。病死者︵妊婦の死者

含む︶

このウ

トハンに行っているが・

終の際に近親者がその手を持

ウノ

エ " " ヘ /

ある

0

悪いウ

ソトフ

は変死者のが主である

0

々は死ねば

目日

れ口,か

0

曲コに

赴くが・

14Q

(8)

支持するとして歓迎して

レる

。これに反して、

カゥ

ンガ族は祀

たちに何らの義徳

8

簿雛ぢが鸞翁

"

浮斧

㌍㌣

ギ轡

㌣ネ理

;;."

寧率

ボントク・

ゴロ

族では

死霧

即ち

アニト

たち

共同集会所︵胡ま︶の庭に立つている

祀聖

樹を訪れてくると信じて

0.

それで,彼等のためその樹の枝に食物が

この

アニト

の信仰は北ルソンの山間諸部族に限

らす,

少くとも

ブイサッ

ピン人は嘗てほこの信仰

を有していたものであろ

0

パンバンガ州の

7p

グブランカ附近の

グソト

でさえも、これを信じているといわれる。

マニラのタガログ族では、至上伸ともいうべき

タラ

︵夷曲︵

ara

︶は配下に

人の

アニト

をもち

、またどの

アニト

でも

白の役目を負うている

0

しかし、人人はこの

ぎァ

紳には供物を献げないで、

アとト

に犠牲を

うる。バタ

は入室に住む

大主であるから、誰も話しかけ

ことほできな

0

アニ

は降りてきて人聞と話しさるから・

司祭の役を演する

0

彼等

草や木の葉を結んでその存在を表示することが

ある

0

アニ

トゥ

とその木像には祭祀を怠っては

ならない。

かつた超自然的存在に対しては、サンスク

サッ ト

起原の臼幸茸がを用いている

0 この場八口には ・アニ ト に 伐 ってディワ タ が 採用されたのである。 既に ウォセ スタ l

もマウンテン州の民族にほ

む しろ漠然としたアミ ト

に対する信仰が流布してい

るのを注目し、それが

であるとともに

度人

死人の精嚢であることを

指 摘 した 0 時には アニト は木像として彫刻され・ こ ねちアニト である 0 また ンの

宣教師たち

早くからフィリ

ピン人の宗

をが

︵の

団の体系と看

したほどである

0 ア ニト の中には、 善

霞も悪

嚢 も

・高名な

嚢も無名の精嚢も木質的にはⅩ

されないで含まれている

0

殊に死者の襄

魂が含

まれている

0 ビサヤ 族や ミン

滞湘

s---

セ ,l-@@@@

(9)

BF?"?@"

--"

で あ

る 。

族 で

れ ほ 彩 し

キし を 日 す

挨 で

祀 は

ア ン ま た は 文

廿ト ・

,V-?*

-

ガ雙

p&

ぎ ぬと呼ばれている

0

それほ入室定幅

麓 ︵。

に位置している

0

そこで

は嚢

魂は地上における

と 同じように生活している

0

財産も有し,同族集団で生活している

0

霊魂

は 財産なしに親族の前に現われるのを恥ぢ

る 0

そ れで生き残った地上の縁者

は ・霊魂

が 持つていくため水牛や豚を犠牲に供

えねばならないのである。

霊魂即ち

アニトゥは

埋葬されるまでは・家の周

む律

御していると信ぜられている

0

埋めて十日

に女祭司

は その

アニト

︵ ,

0"

を住居の天空に

るための挽歌を唄うのであ

T

カリンガの宗教

は,バ

一トンによれば、おそら

くァパャオ

侯のそれを除いては、他のどの部族

08

アフラのティンギア

"

拝,

ン 族のそれに酷似している

0

これらの山地部族の

万伸

廟の間には大きた差異がある

0

ブガ牙趺

とそれに近接したボン

トク

はこの中間を占め・最高神と若干の階級の神祇

とを有している

0

最高

祀は

本注ロ

ロ Ⅱ い

目であ

て、

時としては﹁最大のも

の ﹂の意味である本曲

ユ帥仁目

と呼ぼれる

0

カブ

ニア

ンとは﹁供物の供えられる

昔 ﹂・﹁その昔の

ため犠牲が屠られた

(10)

出 よ 雲 つ 方 て は

る じ

の紳と

ア ン 率に む

の場 んど さい 清 の て ・ 豚

のを われ

める)

た後、

外であ のであ は広い

=

。 よ 睡 て な よ 鳥 で よ い 葎 ト 嘗 そ 眠 い こ い い ) 下 、 る の シ マ

, た に 少

人 の 以 見 に 櫨 て 拾 い し か え の

,れ

上がな

下しまのらる・

o y

一狩て

痩は・

る 度 も 譲

て つ

田 に る 職 慾 ゥ 敷

じ 。 い 、 良 そ

@

レいガヰ

0 ど し こ

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ガか吃イ い目

や の い (の 自 こ そ

・ こ れ 魂 い ほ

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イ Ⅱ

ⅡⅠ ハ

十 が , る 「 で の あ ん し 佳 名 あ あ ょ こ す ガ ・な で て ん

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イコ 女 ア 意 で で れ

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方 さ る い

て 性 ヱ 味 わ お た ア が い 。 る が と ノン ヒ

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人 の ト で る 下 方 ン 止 。

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、 こ タ マ

間 ラ ゥ は 。 い で よ 8 日 こ と フ ろ ガ ウ

と ち と こ で あ ・ れ 畑

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談 一 緒 れ リ 奇 グ グ

名 婚 は " 蹟 詰 は

『 す が し 強

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女 た 制

ン な は ま

の 祭 よ 古句 て た 精 を た つ 者

-G

墳 で

。・・。

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片 Ⅰ 白 -

". 穏俺

"" 豆

(11)

く ⅠⅠ Ⅰ 笘 - 一 O 乙

であるが、この巫女は﹁顔をかく

づ女 ﹂の謂で 巴 。 づ ㏄ 拍い

目と呼ばれるが、また日銭

偲三

︵ 0 と も

称せられでいるのほ注目

されてよい。 ミンダナオ島の

ダヴァオ

地区の未開民族にお

け るア昌

トゥまたは

ニト ︵

do

︶の観念は必すしも

明瞭ではないが、バゴボ

族 ではアニ ト

は多くの精嚢に適用され、このう

ちには嘗て人間的存在であったのも含まれてい

る 0 アニ ト

はあらゆる医薬に

通暁していて、病気を治す。それで巫女︵

日 き田ぎ目

︶は自分の知識

や力 能を アニト から、 う

るのである

0 アニ ト はまた、 の 0

と対比し

ま抽ヤり日笘

︵この階級の精嚢の一つは各家庭を保

する︶を助けて、家族のことにも注意す

ちっ

重要なのほおそらく干された首級と結びつ

迭た

ものである

0 この ト l

は首を狩られた胴体の人

間のト一とほもはや考えられ

ていないようである

0 同時に ト l ほ

首の中やぐ

りに宿っていると信ぜ

ぬ ちている 0 かく首は ト

一によって生気づけられて

いるので、屋内に

してある首はいつも鄭重に

怖れを以て遇される

0

これを手にする要があると

きは, 老

Ⅴがその掌に任す

るのであって 、

殊に子供はこれに触れてほなら

ない。怒ったそのト一が触れた者を狂気にする

れがあるからである

0 しか し 、トーは 必

すしも敵意を抱いているわけでほ

なく、殊に豊作を蔚しなどして一家に繁栄を与え

てくれる 0

それで首級があ

ることほ ,

家の禧

祀 のためには本質的である。

ト一はまた

、川、森、山、洞穴、海などにも

いる 0

どんな場所にも・そこの

ト Ⅰがいる 0 人人 ほ

注意してその激怒を避

、宥和するために

六の儀祀を行うのである

0

死や病気、殊に発狂、怪我、凶作などあらゆる

障害は

ト l

の悪意ある行動

によるものとされてい

。耕作者たちは

新 らし く

ジャングルを

切招 いて、 租

蒔きの準備をすると

きは、ト一が宿る樹木がな

/ げ

ヰよ Ⅰ ヰよ @. 午 1

(12)

, ・

か ほ 怒 る ほ そ の い

た め l 行 ら の い な た で 卵 落 る 韓 人

局 は あ

、 に た や ゑ 観 所 称 ン か す ト ヒ い に 干 す 族 琢 の l ど る 出 の る の な で は に 湯 掛

個 モ ど あ 主 は 所 け 木 大 う が る 要 特 の る を 的 ル 周 。 な に ト と 上 な は い そ 役 危 l き

守 ブ ら れ 冒 険 ほ で を が l 0

%

じ l

ぁご

る 上

家 動

0

l 。 。 脚 と に

普 し な 制

ょ 通 て る 約 が い い 、 い も を 禁 こ る の 加 恩 の 0 は え を

血 う

無 字 還

ら か き る 覗 え の 逃

な 磯 威 し る 場 れ

ぎ 力 墳. 場 ・ 所 る カ ・

で 習 所 で

首 あ な も あ ト は % ま 毛

l

ま る

破棄 ない るほ

す で ど ど

十 ・ け

㍗・・

-,..

(13)

ウヘブサデス

にもソロモンにも存在している・

、|

,,、,、,ォ

@ ・

-

O

=. 一

一一

いる

0

耳ュツ

・ヘブリデス諸島やソロモン諸島

には霊魂と苑

、霊魂

影などを意味する原住民

用語が分布している

0 これは

インドネシア語原から転化したものである

0

は死嚢

または祖先

を現

わすインドネシア言語の

亡 一つとⅠして・

オ ドニ片口と伸三ヰ

と目口目

0

︵タガログ語︶とを挙げている

0

これ

らの何れかと関連をも

、しかも

嚢魂

死鱗ま

たは影を意味する用語が,ニチ

赴 な

に な ャ な く し 勝 巳 モ

と に つ ご

p

ら 人 才 @

、 ン ア " 五

生 し た

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も 舌口

る よ う に

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サやメ

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翻せ ⅠⅠ

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"

百 れ タ百 族 て 雲

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3

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-

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(14)

大 す

T 間 報

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ゴハ

し ㌧ 死 る

あゼ甘 目げ

・㍗

鱗毛

に に 島 で 百

哨苧

荒垣

いりた

ネポ

コ目コ

ン ウ

フ -@ ・ ら め つ そ で モ

アでほ

商売やれていている

の胃

雙頭 の いる

O

は ア 嚢

=@

ク カミ コ

店ロ

で は

ピ に

たるの

盆ア

ガ菟

轟 悪 妖 や 継 て は 景ク

意 術 ほ 者

また

股と

を 昔の

り のよ

看 つ 所 ロ う は 割 る( さ

モ 。 倣 た 願 ト に

どら 諸

/

.

嘩再

ヰ耳

(15)
(16)

"

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@ コ 余地 - 0 とプテ ㍗ 世 (

風在

に已

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トの

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語 学 的 考

-- 。

べ @

(17)

首 耽

を に 沢 ア

山 ポ

取 タ

つ シ

て オ

旅装をして・)とである。

名 方

替 法

の は 死 馬 を で と は

げ 戦

た 争 死 に

昔 男

の っ

宛 て を

と の

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i

ボル不才のテンバスク・キア

ウ、プタタソ

どのドスン族でほ

震は村目安目

であり、

たト

クアラ・ドスンでは

め日

荘屋メチであり・クイジャウ族でほ

い臼

正目

である︵

2

ケシャ

族の信仰に

、人間にほ二つの

嚢魂

があり・あらゆる不安、夢、不運、病気は人間性

一部が一時的に肉体を

去るからである。極めて軽くしか肉体に結びつ

いていない

嚢魂は

ブル

︵ ヴ

Ⅱ 宙

毛ゅ︶即ちマライ

曲の﹁有明

志 ﹂︵

日ゅ

こ い,

Ⅱ 燵口

曲コ︶

に当る

0

地上の生存で肉体に結びついている

魂はぎ

毛ゅ即ち五眼︵日記

ゅ蚕ユ

︶に

当る

0

これ

らほ

人間の生存中や死後に

重要在役割を演する

0

永久にあせつているブル

フは鳥

、魚などの動物の形をとって,後頭部

穴から肉体を睨出する。

呪医の役目はこれを呼び戻すにある。

終にほ

、これら二つの霊魂は肉体を見棄てて・各自の宿

へ向つて行く

0

喪の初日

には

ブルウは屍体の近くに上っている。それか

らひとりで死者の畢魂の住んでいる天のアポ・

シオヘ

同げ

衰へ

危険な陸

川の旅行を続ける

c

途中では数多くの試練が

ルプ

をねらつている

0

それで死者に人人ほ

品物を持たせてやるのであ

0

水中に落ちこめ

ぱ、鰐や

芭蕉が食べて了

﹂よって

魂は決して不滅,不死でほない。人間

は地上に生きている

うち、

高砂族のパテ

スナ

ヤン

巾ゅ臣ゅづひ串

曲ャ

めコ

︶では

卑南祀

では安目

︶の語で・

耐祀

精嚢,

魂から

祀嚢

右の両肩にほ田田

曲セめ

幸臣即ち

畢魂が

宿って

るが、人死ねばこれがヴィ

の甲 屈曲や マオリ の も主 ・ q 億 砂やタヒチの づ キ目がと 類比させても考えていることを注目すべきでもる 0 田 '

;

﹂ぃ一。

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。 斌は,

。・ -. バぶ

一山人

(18)

眈で ‥の 理学ンニ「

"

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そ ・・

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'1'wff'@-.;

げた死者も暫くは同じ道を辿っているが、問も

なく道が三筋になった所にくる

q 右は

アポ・

ケ シオ

への道、左の道は一つほ

鏑で

一つほ

ゴ ンゴン貝で示してある

0 自殺

昔 は

前者を、産褥死の女子は後考の道へ赴くので

ある

0 第二の霊魂である

珪 。

田 名簿

8 本

塩 終に際しては地上での被いを捨て

て、

久しく肉体の葬られた場所に宿っている。

つ いで

嚢魂

に変化する

0

ネオの住民はいつでも墓地を横切るのを怖れる

0 やむをえ

す 通過しなければ放らない時にほ

、緋

御している精嚢を宥めるた

3

め金物、タバコなどを地上に投げ与える

0 そし

て 能

う だけ早く,沈黙してそこを去る。

南 ボルネオのダヤ諸侯では。

ガ ジュ・ダヤ

之 ㏄

色目︶で

ぽ付

日び簾臣

曲目と

ゴゅ けという一一

つの精嚢を種々の変化

語で

呼んでいる

0

ハンバルアンは睡眠

中 たどに肉体

を 去りうる精嚢であり、自ら自由な活動をなし

ぅ るが、リアウ

は 人間が死ぬ

4

ときに去っていく精嚢である。

中部ボルネオの

ケソヤ

・ダヤ挨は生きている人

問は

耳目

旧 いと呼ぶ一つの精嚢を有しているが

こ 招は死後にはび

︵ 5D ︶

日韓

ヰの円

として生存を続けるという。

マダガスカル島のインドネシア

挨系のタテ

ラで

p 日す卍

op

とほ﹁第二の部分﹂または﹁二重

﹂の意味である

0 それほ

自ら意識と人格と形態とを有しているといわれ

る 0

それは各個人の肉体に宿っている心とか

魂 とかいわるべきものである。

人間に生命がある問は、生理的な身体からある

種 の離脱なしている

0 それで夢や錯覚はその実

際の経験であるといわれる。

6

このアミ

ブと影

との間には関連ほない。

死 者及び生者のアンビロオは雇人これを見ることが

できる。

ポリネシアのニュウジランド・マオリ族は巽

魂 と

精嚢とをはつきり区別している

0 寺

色目

桂は

い わ

ぼ 分離磯・であって

、死

に 際して身体を去る

0 この

死雲

をののの

0 口ロの

罎は

目を持つている者・即ちマオリ族の日

ata

田叶

e

は見ることができる

0 フ

イルアはまた睡眠中に身体を去って

趙姦

するこ

とができる

0 このときの憶念が夢を構成するので

ある

0 肉体の死後・フイル

l Ⅰ ヰ 5 キ :Ⅰ

(19)
(20)

いる神舞観念殊に

死雄

観念は

一である

0

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空し

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(21)

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(23)

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(24)

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死霊観念の展開

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りい

0 日日り コ宙 曲目Ⅰ㏄ ゆ 目印 0 のの 0 局 " 下目 で笘 ぜの串ののの 仁 づの Ⅱ㏄Ⅰ - こ -O づ のの片口ののⅡ -@ のの 0 オ の N- のの 緑ヨ のの ヰ ︵の㏄ 0 オが ∼︵︶の - ハト ゆ ㎏めり ,づ ・Ⅱ か, ドト 令 - 屈め・著者ほこのピーの観念をイロコイ族の or の口目 い

やポリネシアの未開氏族の日ビ目に照応させ

て 、超自然的活動の漠然と ︵ 7 ︶ ヰ 用

Ⅰ ざのレヴ笘 & 目 @ ト のの方 pn のの曲目 由 の 由ヰ , 円 。 口ガ @ 口, ︶ oN 肚 b.o か ・ mm. 西 江の士族と同じく清河の土 族もロ下 @

という宮によく

似た精霊を非常に怖れる。最も怖れているのは㌧ は @ 。 np, ぺ 0 コ ㏄で、非常に病人を好む。それで病人の部屋に ほ 灯を始終ともし・本線 の 蚊 帖を吊る。︵∼ ヴ @ り ・。 ロ ・ 寵 ︶その他の泰 族 にも同じ信 仰が見られる。 トンキン山地に 住 むタイ族の主要分派でもる ト| 族は 現在二十三万から三十二万人と推定されている。ラン ソシやカ オバンなどの地方 に 殊に多い。﹁彼等体病人になるか重大な心配事がも ると ・その原因を多少ともに善良で多少とも悪質な 様 々ので呂に帰する。 ピ| たち ほ 彼等の m. ホ ・石及び水に住んでいる。特に女 子を襲 うて 金物を毒するのはで 圧 cay でもる。 怪 我で 死んだ者の霧魂でもる づゴ ︵ 紺 0 口㏄は曲り道で旅人や商人を屋 ぅ 。 b 田目ひ

口は

切り殺きれた者の娃魂で・夏の太陽

われた 田 吉にコレラやペストを撒き 散らすピーでもる。 口呂 ③ さ 品は汚物・殊に産褥の 汚物や月鮮の血をむさぶり食 うビ 一でもる 、 等々 己 これらのピーを 道 払いま

てきた ビ ・サン は 他の木を選ぶのである。

寸よ

さ コ は百年毎にコレラ、ペストその他 ︵ ウ l ︶ づ てくれる。

l 日

めコ

幅は嘘をつく悪魔。偽書をした士族の

がこの

になって家族に

る。

疫病を蜀

O

A

簿 Ⅱ。口内

苦悩の訴えを聞い

訪れてくる

で、また病気と闘

" 怒 。 "

(25)

ト ・

十卜

, 臣士 ・ な ・・ 、 中こ ヰ、も 丘ミ,サ ダ -

@Wf@Rf

ト きの・ やム 0 もめ・︶

よ さ しに 加 れわ そ 入ま 者

老親

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・ま り ・ ゅ卜び 人々

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⋮・

憾め

二四

(26)

れ わ た る に た

L,

ぼ に 特 傾 関 0 し め

さ の 族 族 は 詰 め 理 未 こ 別 言 し 上 れ 死 の が ほ れ し 開 ろ 的 語 て 々 誰 人 に た は そ ン 萌 め , 用 具 れ ド

われは

ている 霧にもアニ ミ 歩 くな まⅠ 甘燵 歩 くと す

宗 徒 話 体

ら ネ ょ 善 ズ い の も 上 る 敦 夫 が 的 が シ う 悪 み 。 系 主 述 こ 用 の 彩 な 高 ア で の ま 統 と の と 語

用 級

友 あ 区 少 た の し 宗 は を 首 く 請 文 び

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ほ も の は 露 語 能 し 特 し い は ド

東 観 第 額 は

に よ に て て 精 シ は き

南 念

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言 こ の わ る 怪 め

次 が す も

と 嚢 し 、 る 大 で に と

て こ 信 い あ ょ ・ い

無 の 仰 に る つ う 乗 場 は 含 が て 観 件 台 圧 ま 、 念

な で 倒 れ 実 著

を も な て

書 地 い に く 核 で 嚢 仕 る は 容 に あ は を が 主 易 し

る 稀 占 、 に に て に

あ し ビ わ で め こ 究 理 い お 参 仕 つ る て l

げ 天

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る い 様 民 の o い

で 地 い は や し よ て な

換 用 具

は ほ ろ 未 死 う う 理 襄 で . 語 休 こ 念 解 魂 概 に 的 と に さ 観 念 包 , な に つ れ

念 化 合 対 看

孫 ち わ で と ろ れ

け 余 れ せ 物 し 略

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(27)

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一 "" @///

︵Ⅰ り 宇野円空博士は早くから殊にインドネシア諸 氏 族の霊魂観念については興味をもたれ、おそらく目木 では最初に察 質 観念の重要性 を 強調きれた。博士は最初 イ ソドネシ ァ 人の間では、 垂質 観念が死 憲 観念よりも一般的な民族的特質であり 民族に固有な古いものと 看 徴 された。但しこれがマライ人において往々擬人化の 傾向がもること、フィリッピンにおいては明瞭に認め られないことを附記されて いた。それから数年の後の 一 論文では・むしろ 死霧の 起原が古いと想定されたかに見える。︵宇野円空﹁めホ 教 の 史実と理論 ヒ 二四九1 % 八二・二 0 ミニ二二 0 頁を参照。︶拙稿でほ二つの 観 念の起原の先後や本質性を目的にしないで、例えば 目 @ ト 0" ゅコ岸 0" づぢ 屈のもる いはでまなどの特定の用転位で、特定の社会集団がどの ような表象をしているかを問題にしてみた。そして 同 じ 文化圏内にあると思われ る 諸部族間の類同と差異を略示した。これは同様に他 の 霊魂観念を表明する用語についても通用できるが。 と よ で は 触れえなかつた 0

。しかし,この種の観念のすべてが古くから

存在したと断定することほ行過ぎで、比較的に近

歴史的に獲得されたもの

であることも大いに考慮さるべきである。

とされて№

る霧質

観念の重要性を無視するも

のでほない

0

しかし・フィ

サッ

ピンの諸部族や一

向砂族

でほこの観念は少くと

言語

ほ明瞭に表現されていない。また東南

アジアにおける多くの至上神、最高耐の観念の存

在を否定するものでもな

蒙るところ多大であった日本・朝鮮、安南など

若けるいわゆる

祀先

崇拝であるに違いない

0

ジァ

の原始農耕民族の間で

Wp

は死畢

崇拝は看過しえない特徴的な宗教現象で

ある

0

もちろん、このことは東南アジア殊にイン

ド、

ネシア諸民族の宗教的特

i@ F"7 , 。 t:@@@, ・, M@TTS ,,・・・ " , HB"@ 「 :ae@

・・,

@

・ @ @W 。 i

マン・妖術

ほどの未開民族にも見出される。

0

そしてまたこ二には

一一山、

/

,60

表象を有している

0

生命の否定番である病気

や死は

襄の加害であると恐怖

、特別の

をもつ宗教的存在を仲介と

して、

死嚢に

所願し供養してその赦免と協力と

庇護とを求めてやまない。

死雲

と人間集団との

媒介者である立頭,シャ

殊に

死嚢

崇拝、死者崇拝が重要な役割を演じて

O

p

花霞崇拝の一系として胆嚢崇拝が吹

に強力な地位を占めるので

ある

0

死寮

のうちで人間が特に畏怖と愛着の念

感するのが

先の寮であることは疑いもない。

このように

鰻重木

を基

(28)

甘 Ⅰ。Ⅱ @ 竹下 一 Ⅱ れ ・・ l 。Ⅰ ぃ @ に @ 吐 Ⅰ @

ぷ, ・・

書 評 二セ

"

Ⅱ "'

仁丁

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田円

q@M 田ァ

Ⅰ 甲

押甲

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ⅠⅡ

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交ニこ

宇浅

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醍醐

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赤 きれ 思想史 筆記も られた 削除す 接近の られた 理きれ

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浄土 セ ) 済祀 な る に

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干れ

先の鎌倉時代を扱った﹁中世 篇之 一二及び﹁一二に続 いてこ久にの扱いによって得られるのでもる。

""7" 。 丑

"

辻善之助

日本併殺虫中世

篇之

三及び

近来日本仏教 更 に手をそめる人の中には著者の如き 教 理史的研究 の 欠如をもつてあぎたらずとする考えが 見ぅ げられる が、 逆にその 故にこそ著者の業績は増ヰ輝きを増すのである。基礎 史料に対する 細心に立つた文化史的研究なくして空中 捜 閣を夢見る ことは愚の甚 しきものでもり・教理史的研究における 充 全の成果は 到 徹せる史料 ""

。 '

"

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"." Ⅰ

巳ま 11

老 い

そ 木れ

領は

が著

み者

も が

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る 年 。 れ

-

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努 カ の貫 重 な 結 果

@

し 著

(29)

旺 欝, :

0 代表的原典として中論 頚 、因明正理 門 論及び因明人

正理論が訳述正

宇井伯寿

東洋の論理

昭和二十五年七月 A

。三六五頁青山書院

西洋と対比せられる東洋に正確な概念規定を与へる と とは困難で もる。 / 生では﹁大乗仏教の行はれた・ 又 現に行はれ て 居る地域を 指して東洋﹂とされた。従って東洋の論理とは仏教 の 論理でもり 正 しくほ空の論理を意味する。ところで仏教にほ古来日 明 が存し一般 の 論理学に当るべ き ものであるが、むしろ論証 学 と呼 ぼれる方が正 しいのでもるから、それを空の﹁論理﹂に含め得ると 考へられる。 きれ ば 特に東洋の﹁論理学﹂と 俵 題せぬ所以である。 そとで本書に 於てほ第一部を空の論理と因明の論理とに分ち・第二 % に於て各々

(30)

はは

理已びけ

論い

推考量 後関最し

問題 体

問い自

ン型

極将

のの法ら

理て

目論めと老ず

初て題

0

題ての

ド と

・ 樹

ッ論

範ま 必然 正る

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止 収着 畏る

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者の ・者を強

原も概

学も木一の

原調典

とね 永果

既旨般

実理さの

づ平

れ景此風の

のにに大

れ趣い

る旨 てに

高の

何倹遂如

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い峰 点しれ

う 行 く 理

るて

・にてにて

せ 、

解為而

"

・ 。

老多

そよ

よん仏

す ・ も

更来太れ

つ く と 教る 心平

にま

のはでし

す思こ容俗

一す関 当も得る

とはに

(31)

@ 丁 ニ @

昭和二十五年九月 A5

五三六頁岩波書店

本書の研究方針は・宇井博士の序文に述べられてゐる 如く、印度 思想を純粋に印度思想としで研究しょうとする意図に 塞 くものであ る 。即ち従来の伝統的拘束を離れ、自由な視野に於て 印度哲学その もの ム 本質か究めようとするものでもる。 是は 漸く 最 近の我国印度 学界に一般の傾向となった所とは言へ、著者は夙に 此 の方向に於て 研 墳を積まれ・已に幾多の成果を発表されてゐるが・ 特に本書 及ぴ 之に 続く一連の企画は著者の印度研究の根幹を成すも のでもり、 従

初村

ダ著

参照

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