1,入信の心理的観察,飯沼龍遠,Ryūen IINUMA,229-246. 2,我が神祇に関する考察の不徹底,加藤玄智,Genchi KATŌ,247-256. 3,神代史に現れたる神界の系統,寺沢智了,Chiryō TERASAWA,257-270. 4,数論の三徳論,木村泰賢,Taiken KIMURA,271-300. 5,宋儒の淵源,常盤大定,Daizyō TOKIWA,301-328. 6,大集経論(承前),松本文三郎,Monzaburō,329-360. 7,法隆寺より得たる説教史料としての古文書に関して,薗田宗恵,Shūe SONODA,361-382. 8,唵字について,神林隆浄,Ryūzyō KANBAYASHI,383-396. 9,「六経」研究の根本問題,申命記の年代考(下),石橋智信,Tomonobu ISHIBASHI,397-416. 10,宗教における個人化的傾向の起源,赤松智城,Chizyō AKAMATSU,417-421. 11,キリスト教とロマ法,姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,422-426. 12,批評紹介,426-433. 13,学界彙報,433-436. Posted in 1916(大正5)年
信仰の性異に閲しては、或は是を知的の変ならと謂ひ、或は紹封依憑の成憫ならと綱ひ、或
は欲求の投影なりと制ひ、串君にー†りて基が見解囁∼一致し斯きもめあれども、是を心理車上 よb一の粕伸治劫tして観察すれば、其の根本的郎畢は宗致上の信仰のみならや、暫堺上の信 念に重りでも、﹁あるもの∼欝在に射する兜発的檻倍︵2i邑eg弓ieti且Lの︼姉を以て改すを得べし。然らば宗教上の信仰が他と鵬別せらるペき所以の微楷は何塵にあ♭や。舵ふにかヽ
るもの若し有bとせば、そほ相和作用基ものに存するにあらサして、寄ろ倍せらるペき封象の入信の心理的観察
入硝の心魂的朝顔 ︵恢 漑︶飯 沼
龍 遮
宗 教 研 究 第一巷 苅こ兢 こ三〇 性栗に存するものと糾するを得ペし。即ち宗数的信仰にありては、所信の対象が礪倍者に托し せらろ。されど今足寄に共通の名目む立てん小是を本令と僻するを使とす。 してかゝる対象は戎時には紳と稲せられ、成婚には彿と糾せられ、摘花或拍は膳︵旨日。n︶と椰 瀦に比し俊秀なること、能倍新との密接不離の閤係、此の二新を以て徴概となすを柑ペし。而 の成哲髄僧耕に超さしむるが如き性肇を有する場合に於て生するものなるを以て、封象の悔侶 著しく俊秀にして自己の到戊及び耕きものあり、且自己と基対象とは密接不舶の闘係に在りと 信仰の概念恕定むる大凡上の如し。然らば入信とは如何なる事象な指すやと嵩へば、人が初 ヽヽヽ めて窓融的に、本尊に対して侶仰哲生じ宗教的幽煉を生じたる凝心に初まb、圭干の修行へ糊怯、 儀租等︶む経で安住心不湖の信仰を獲得す︷Uに至る過程を榊するものnアリ。金は此の研究に恵 知的てふ制限を設けに♭。そは八が敢曾に坐れ融育に成育する以上、其の瀧骨の桝慮を無滋識 的に取り容るゝは常然の串なるを以て、信仰生活に於ても何等の忠誠希求なくしで、瀦朴的侶 仰︵巧2.已払扁er乱註首︶にあるもの蓋し妙少にあらぎるべし。されどか∼る信仰は心理撃上何 等の興味もなき対象なるを以て、か∼るものは査然除外しわ∵ヮ。 上述の藩政に於ける入信現象を、心理恕的見地より研究せんとして、統計的方法を川ひ.是
が材料蒐先に職糊法と文麒怯とを併せ用ひ柁む。前ポ豆]定の螢問に射する固答を以て材料と し、後者は一般的告白晋摘記類により、自己の問題の部分を耽るものなり。か︵て蒐処し得た る材料三河甘八洩にして内謬次の如し。 今赴を宗旨及び性によゎて分類すれば節一衣にホすが如し。 ︰五〇 一三 ︼九 八八 二︼ 三〇 二 人情の心魂的利杵 ︵僻 溶︶ 藤間決に依るもの ﹁腎臓の完敗﹂︵川崎巳之太郎轡よb 閑却よも 求氾 二怨上り十二巻よでより 基脚数新開且近五時年分の冊・トムト 融膏新報同上 新仇敵
金が最初の計丑は、各需略同数の材料お怨て比揆析兜を試みん考捏7りしかど、材料の蒐生息 の如くならざりしを以て、俳敦小口述宗を中心とせる自力的宗放と、異宗む中心とせる他力約 衣 一 ㌫ 顔分ノ 料材′l/ヨ ニ性ビ及旨宗 宗 孜 研 究 第一怨 第二拡 天耕韮 埋
骨 帝 展 天 秤 眞l.】
軟 式 教 官 台 土 建 宗 宗 宗 宗 宗 宗 ■ ■■■■■■■■■■■■ カ 七 四 七 ・七 女 計 0 九 六 五 0四 ! u 0 ○ 0 (⊃ 七 ○ J_ ′ヽ 八 一 五 叩 ○宗敢及び迎悍致の三者お比晒するに止むるの怜臓なきに至れり。而して披瞼新の年齢は十人歳
よb七十四歳に至り、基地位身分はまとして現代り中流配付に於けるものなら。〓
前逓の材料によ♭、人件本有の宗数的傭据の相子が、桑‖何なる凋純に籾れ如何なる#知識に狙うて侶仰の異常を戌するや、基循踏む見るに、或は凝心と同時に犯倍するポぁゎ、或は具さ
に恐心修行往信の三相む経験する新あlリ、今別耕の如き循路を収るものな頓機的入侶と名け、後者の如き経路を耽るものむ漸機的入信と名けん。前ポの哺撒は其㌫数的兜醜が急激に題♭て
︼時期む瀧し、入信机と入信後とに於て基怖枯の上に著しき姉別を有するもの一、後耕はStじrb邑ハ只の朗開阿心を射せざる宗数的雄蕊とも糾すペきものにして、苅の入信の相終に︼梢期を混す
べき群の放散なる捷化を有せざるもの打アり。今此の商都め暦例を剤げて税別む拭みむ。
︼、頓機的入倍
小批け未練宗教に吟淡光ろカにて、敵地のは郡だけ圧炊かさす軌わ似びし1・別にm仰とて11 セく感情カの御水錫わる研け問さに参り候へ共、それ∴け‖ハ旧二情﹁巨樹して輌竺囲﹁∵葦り㍗る催l= 入僻¢心環的朝諌 ︵解 籾︶宗 教 耶 兜 葦一谷 部二肪 二三四 候事故、婁†ろ−ニ人間圧恋い謳わゼナ香い串さへ†れげ:⋮︰安心ほ持らろ・1︼uのと存じ候⋮ ⋮⋮ 昨年五月肺結核に揃り揃勢陳恋と光り⋮︰∴水伐抑圧多L賛招け乏Lけれけ捕品引けば粟 計蒐支へ︰⋮・邪に立てむ亀ても摺られ克くむ∵リ︰・⋮納踵池似圧ハ址甚だしく逢に肋膜炎むL 仰蓉⋮⋮家趣け波瀾紹ゝ乙問克く泌別表藩の成lこ沈み候。︼‖ふと〓に▼つ、さLけ歎異抄光り 三年別二 鵡竺狽み㍗る荘ぁりLもその■時代斜烈光ろ文字とM仙ひしのみなりしL⋮⋮Jりよりの 彿のポリ難さに決止み用く︰︰︰二六時申此の信仰忠相ち余らず、赤銅りに加4.得哺エリ明ろ み′に∴川でたる如く⋮︰・是h∵爪に十二〃四日の葦に偵。 此種の種賂を取るものに著しき串は、其の甚だしく情意的なる串なb。即ち或は境遇上より或 は人世問題により、甚しき煩悶に陥わ悲成憮悩の折柄、自己を救輸すペき#在ポを精義せられ、 其の本憶性貿に閲しては探き考慮を用ひすして、直に膝下に伏して救折を求め、毘戚ぉ経験す るものにして、かゝる人に取♭ては本命の璽在如何は問題にあらす、〓ハ拳骨の慈悲が絶望に卸 せる我を救済し給ふを聞きては、宛も溺れたるものが浮木を捕へたる如く、憑依の惜禁する能 はぎる捏了,。 二、漸機的入信 小&が彿む借サるlニ東リLけ、幼lこして父性か火ひし非、此花が米托普正Lき人の妹リセリし
にむ係らす諦械の追筈む襲り悲胡L成与・㍗る結果、宇宙間lニ存在†る最も偉大わuるカに蹄仰 †るり外なきな哲見し、拉に初めて宗敬的信念らLさLの啓牙仕り候。爾来鐸文歴弧の辻帥 等九こ研究し、在朝的に彿の存在九こ槻借L挿依†ろに∴虫り條云云 此和の径路を耽るものにありては、情意的婆来と共に知的要素が大に優勢を占め、熱烈の皮は 頓機的入信に比し騰きも、基板砥が督革的考据に在,り。即ち特殊なる或る勧機の承に宗数的信 仰を欲求し、或は椰々ハ仏る恍成宗教を渉狼し、或は自己に最も練深きごポ敢を研究し、蓬に日 己の意を満たしむるに足るが如き信仰に到達するもの、各宗の閥租の如きほ主として此種路哲 取られたるものといふを得ペし。 大憶上の二撞賂に大別すと雄も、か∼る判然たるものは柿にして、上の二例を極端として基間 ︶ 種々なる階梯の存する勿論な♭。故に基階梯に従って頓機的入信に一帯審的煩悶に困るもの、 ︵ ヽJ︶ヽl一′ 二窮迫的串備に困るもの、三自然的にして按湘機的なるもの等の別ふ∵り∪漸機的入信にl習熟 ′llヽ ︵ ︵ ︶ ヽノ 的なるもの、こ流入的なるものr﹂ニ研究的なるもの等の嘔別あれども今は基の大望に止ひペし。 ′■lヽ lニ 人情の心理的敲療 ︵併 溶︶ 二三五
宗 教 研 究 部一審 璽︼航 二三六 信仰生酒に入る符路は、一両に於て其の侶仰の心理的性肇を示すものと云ふを得ペし。而し て職菜地位身分等が其の人の性向に影響して、所謂何々気質なるものを生するは日常吾人の現 しく見る廃なり。されば之が信仰の性質の上に及ばす影響を見ん斡、亦無益の共に非ぎるペし。 今蒐め得たる材料を前記の種路分類によらて分ち、更に之を地位身分職業と闘係せしひれば第 二衷に示すが如し。 第二衷 職業ニヨル符格別比例 漸 摘ノ 規 的 撒 入 信 ■■■■■■−■■■ 蓉 術 ○% 職 ○ ○ ○ d エ 商 九 八 エ 人 ヽ ● ′ ーl●
九農
′ヽ ● ● 」_ ノヽ 」 子敬会 戦 ○
● (⊃ ○ 弟ノ ● _L 曾 ニ: 祉 ヽ ′ エ 見 ′ヽ 」_ ノヽ 甘 ーL ′ヽ エ 吏 ′ヽ ● ■..■..−J■ 歌去 師 ●
詑 一_ ハ ・七 ●■−● 粛 ● 国 ■ 嘉  ̄ 四 六 「痕 0 ● ○ 北 轟 (⊃ ● 0 発 軍 四 ーt_ ′ヽ ○ 0 ● 人 ○ 四 五 工 −ヒ ● ● 八 衆 四 五 撃 四 五 生 ● ・七 攻 五 ● 0 ● ○ 家 腎_J_− ′ヽ _.I一 ハ 帥 ● _1_ ●
歌 八 ● 構 四 ● 六 背 八 蓮 五 四 ● 貝 ● 家 四 計 ヨi ○ 九 ● 五 ● 囲此の職業上の分布につきても、歌仙にして著述を滅すものあり、翔薙にして仰侶なるも仇あ ら、付侶にして戚化姉業に捕はるものあゎ、叉鈍行骨鮎貝と一概に言へども、高等の敵背ぉ受 けたるものあト、中年提踵に止まるものあり、到臆判然たる分類を制むるむ柑す。されど大髄 に於で何ものかを暗示するが如し。即ち此り両種路五考ふり匂に、金慨に於ではl⋮︰︷の比をなす。 今職発の不朋なるものをも油節する時は可︰ひに泣き比むなす。赴れ人侶てふ現象が、大皿備拍 的性質を有するものなるを示すものに非ざるか。茄し完敗的侶仰にあゎては北ハ枕木が他意レ︶欲 求に存するを以て、か∼る欲求を兆するが如き機縁に捜せ ざるものH、恐くは信仰と無l偵薪に 終らむ。然るに一朝心身り土に山大縫動む雄し、自己の繊弱無恍む紺囁し、自我〃在の免機に 晰するや、自我S一班仁に甘睦んか乃ち止む。荷も自我Sノ減じむ弛れ.ゾと寸るに姶ては、〓我む 容れぎらし自然のカに頼らむ雛愚ひもよらす.走に於て苑非北ハ仁l然以上の偉大なる皿カポの救 済を要す。此救済に判する熱明は、姥て比えざる群れに封すぃり‖仰¢喚起し、﹁此のいと小さき ポの︼人の′滅亡するは天に証す汝韓が父の御首にぁらす﹂二招相似五胡思惟の動むよくく施 すれば、ひとへに祝融二人が鶉めなトけり﹂、∴二駆如⋮安、附加火宅、衆習充満、常吋怖髄、︰︰・ 唯我山人、根調救弛﹂、てふ鮎峨な成和するものなゎ。γJれはか1ろ見醐を鞭するに、憫細雨な 人情の心理的融据 ︵依 禍︶ 二三七
る頓械的入信の圭なるは浩然の斬と謂ふペし。
次に職業との由係は、大冊に於て情的性情にあるもの、又は知的珪清に経過きものにあ与し
は、基の裡路情緒的なる臨機的入信に傾き、知的珪清な謁すものにム∵りては、比梗的に知的な
る漸機的入倍に傾けるな見る。而して其の両極端に知的珪清の梢陥なろ著通克と情的珪活の模
範者なる薮縦家とぉ有せるは興味ある対照なり。文一方今日数俄に在る祀化前の壬はる朋化新
たる農工商等の市人が、最も多′、情的頓梢入倍をなせるは、差等S人々が多く昔拓に忙しく、未だ以て㌫数的思索の嘘と来春と恕和せざるが謂め、動もすれば招致に対する肌碓なる判断お
供き、基問に存する国状の闘係を精携せす矛盾を宥過し、不可解の折衷む見ては肛に不思議と
なし神秘と信じ、輿へられたるd。g=JPに裾に紹封に稽骨相介し、日己の冥想を加へぎる俄あるに因るものなるペし。文数職者の入棺が漸増的入僧申、殊に習熟的入信が託となれるは、其の一
出家の動機がまとして塙遇上り郡山に裁き、柵締約串巾に北アニとの砂少なるに阿るものなる
べし。数職ポの子弟は本務幼少よりの成化著しきものあれば、若干其の入信の授精も異ならぁ
るべき笠なれども、常人と別段舜りあ・るを見ざるは注意すべき串なるペし.。 宗 歌 椚 兜 耶−令 姉二航四 次に宗旨による程終の別を見るに、第三衣に示すが如く、吏に之哲性と配合すれば、窮四表 の如し。 第三表 宗胃ニヨル径路別 第四表 宗旨及ビ性ニヨル循紡別 人侶の心魂的削# ︵供 潮︶
抑も白力門にあbては、己心机・俳性を、或は翫怯に依t、或は帖わに依り、己身に椚祝する を以て要とし、他力門にありては全然個人の白カを認めす、紹封他力に依過し、本尊の前に自 己を投出し、以て不愚溝の光明に机収せらる1を婁とす。又非常故にあらては人は邦の子にし て、悔改めによb一て紳の恩禰を蒙る串によりてのみ救はるべきものとすれば、其数相上よりし て自力門は湘機的、他力門及び逓暦数は嘲槻的たろべき抹考へら六︰∼に、折襟は自力門にては 頓漸相準せるを見る。こは同一敢鶉の下に蓑はれたる倍ポにても、基境遇地位怨の異より、自 然要求を異にし、侶仰の性朋に捷異を見るに至りしものなるペし。他力門と兆悍放とは基種路 計 基 督 仙自 カカ IJ′ フJく 旨 茹位 析 _−{ ′ヽ _I_ /ヽ −b 七 ● …l≡プ≦ 椴 ーヒ 男 漸 持 l l ‡滋 椴 宗 教 研 究 第一窄 郡二㍑ 二四〇
が殆んど同様にしで、之を同一新型の下に崩せしむるも不可なき描なるを見る。足れ元より敢 然の郡毎れども、かゝる一致む見るは著しきま1iなり。而して一面基数蒲が自力門に於ける如く 暫隼的ならざるより、一般に数端の定植むして判然一抹ならしけるの容易なるが嫡に、基侶仰 の土にも多様に亙らざるものなりとも僻し得べし。 次に之な胱の上に就いて見るに、∵牒に邦子に比し女子が嘲機的入倍をなすもの∼多きは、女 が現てナりもー脾惜意的にして、知的氾狼の念の劣れるに阿るものと見るむ得ペし。尤も女子の 材料は調子のに化し潜しく貧弱なりし智以て、基の碓唐種ほ比伐的小にして、必すしも之に充 分め侶を招く佃はやと言はいそれ迄なるも、恐くは大冊に放て此の伸向あるは事暦売るペし。 入信の痕蕗は大㈹土に逓ぶろが如く、人々の心的織向と侶仰の畔賢とにより、或は嘲機的と 〃アり或は晰機的となる。而して其の熱烈の腔に於ては酌新が著し︵瞑れ湿るも、勧もすればか かる和撤を収るものは百侶に隔り易く、爛晰的に流れ易き仰向を和するものなれば、基鮎に於 ては後部優れ托るも.此の型にあ♭ては多く自ら進んで恰仰お水むる熱を映き、往々安物 的な るを免れす。 入ハ〓の心理的翫蕗 ︵脈 昭︶
五 次に考ふペきは入信の勃構な♭。抑も宗教情操の椰子は如何なる樺緒により折井するもの㍍ ♭や。是七一々り揚八‖に就きで見るに、一言にして壷し糾るが如きは梓めて柿にして、大抵数 何れを以て動機と定むペきやに迷はぎろを得ぎるも、結局は人生に対 多の串備騨棉錯綜して、 する悪戚煩悶と㍗アり、遂に信仰を求むるに預るもりな♭。故にこヽに功梢として鍵げたるもの もー該準備の極大惜に就きて、其の肝接なるもの又は根裁となれるものを取る糾とせh。さて入 信の動機は之を分ちて敬心の動機と経信の制伐とり一一となすを得べし。 凝心の勒機は更に の三となる。而して俺様に閲するものゝ中、敢も多数を占むるは肺結核にして三∩ヱ旦錘不治の 柄とせるもの一三去錘、大病とせるもの、及び異に病とせるもの各一∵八解職病及び眼病六・ (内)(乙)(叩) 他康め不良に閲するもの 境遇の不良に㈲するもの 以上両者と刷係なきもの 宗 爪秋 川明 光 ⋮御完Ⅶ 雛二摘
七移等を基h号るらのとなす。次に描過の不良に閲するものは第五衣に示すが如し。 ヽJ 竹桐五泉 聡心ノ勃概乙 ︵ 之な見るに境遇による碓心り潮機中、最も多数をパむるは父性の死に回すチbのにして、之 に次ぐは八∴般的逆境及び前非の悔恨、次に人井関皿家庭間皿なりり泥親の牝又は疾病に閲する もりヽ申、基最も多敬ぉ古むるものが文庫のと手のとなるほ、夫婦より兄弟より湖子の仰の林 人情の心理的朝露 ︵偶 沼︶ 二川三
︶ 別なるものゝ存するを見るペし。次に内の境遇及び他派と倒係なきもの、之を衣示すれば第六 ︵ 次に見るが如し ︶ 釣六来 聴心ノ制機丙 ︵ 之に1りT見る仲は、他の成化硯導によるも・りは丙種巾の三七%に過ぎぎるは、是れ恐くかポ 放心の教務には光づ機の熟するぉ姿し、無暗に外部よト助長せんとすろは、所謂北ハの苗の長せ ト ∴ ■
■■㍉
二∵
二 l■ 向上心二瓶 卜宴 宗 歌 研 究 邦一巻 第二糀 沌ノ不安 こ n目 許偶然ノ閥 法詞郎
亭八手三 宝
ナ ル 屯 ノ 床 岱 夢 幻 叩宋ノ詑英眈ノ珊組計 首的 中共感 ∵一 二四川信仰は宗教に閲する知識如ち丹吊数轡草とは自・与別個S珪束幣制柁る野際揮脇なり。されば堺 覇よb㌫敢の知識む授けられ乍ら然も信仰を得ぎりしものが、作問侶仰家S一信仰独得の次節を 説示せられ、これに情義ヰられて入侶す︰〃串象、及び夢幻麗戚等倍通人の見て以て迷妄として
ぎるを新へて之を堰くの塩に経るに至らすとキ、基加藤の僅少なるを示すものに非ぎるか。
野心の血糊の大軍加期。次に独倍の動機なるが、臨機的人倍にありては、聴心㌻ると聞五た
く独信をなすを以て此の帖別・竺隼†の婁を見ヰ。潮機的入信の申にあト÷も、多くは格段打†ろ 鋤糟によ♭.1犯侶するこ1∴号√㌧▼ロハ管徐ろに一弗一歩進みて独倍め機に至るもの多数む占む。 而しでか、るものほ亦独倍の動機として見るペきものなきを以て、こ1に扱ふペき材料は極めて少数にして、統計を拭む〃りに過せす。故に次に基頃日のみお揮ぐるに止めひ。
(ホ)(ニ)(ノ・)(ロ)(り 信仰皆白に囲わ 夢中の電戚 幻 功徳の戚得 入偶の心瑚的戯搾 ︵板 宿︶斥く乙ものに依って投信の機を得る等、之等の串象は怖々裡に侶仰てふもの∼情忍的性貿を示 すものにして貨に興味ある断と稀すべし。 要するに入信の動機は基り大概の上より之を見れば、其最後の心排的串野は柚めて痛切なる 自己の卑小微弱の悲成に〃するものと言ふを得ベL。元よト乱曾を夏へ囲家を愚ふの念切なる に敬するもの亦無きにあらざるも、そは金醗の上より見て重きをなすものにあらす。〓催に就 きて言へば先づ己を如何の悶頓にして、桐人的なるは否み難かるペし。 宗 教 耶 先 弟︼怨 節二耽 二四六
畔備に供する諦め、少くとも世に=本桐有の紳舐に倒する祝仰があると柑、ふから、それ官J、
最近紳軋が㌫薮でぁるか無いかの問題に脚して∵撃新川にも色々意見が出て居る様である。
戎人は㌫放で無いと云ひ、成人は宗敢だと断じて居る。此議論の決定を見ることは、少くとも需
放とは何であるか、紳軋に作らる、紳は果してどう云ふものであるか、この二釦を別暁にする
必要があろしし偲ふが、我非の井川卜号る、未だ十分此鮎から徹屁的に説桝せられたものな見川せね
のであふ。然も私が今敢てこの大任をこゝで基さうと云ふのでは無く、唯是拉等の問通解秤の
に順序立て、指摘して、逐次紳軋封宗数問題の根本的耶決の褒考に供したいと思ふのである。
服が酬離に閲†る考婿の不徹底 ︵加 梯︶我が榊舐に関する考察の不徹底
藤
有一 加〓
二囲七宗 教 研 究 帯一懸 第二舐 二閤八 第﹁聴聞勃∼、すれば、輔ち日本国有の細々を別して、金銭人即ち人冊であるとし、決して バイブルなでに云ふ紳、即ちイスラエルのヤー、エー、宍は彿敬の天浴とか棚菩薩とか云ふ超自 然的存在新とは、全くたちが違ふと云ふ兄姉旦堅り、所詮、‖本の津々は串欝帝王だ・こか功臣 だとか、又は仲人英雄だとか云ふポのみでかると諭すちので、似めて沌偶には受︰りり好い所論 であろが、臓操りる研究から考へれば甚だ亘h㍑はしいのセあろ、何とh与れば〓本の紳々にも、失 ..ノ,、 してさう云ふ史上腎年い人物のみでだく、閏之天然物セ・b紳としてゎがめてなるも力も決して 少くないからであるじ 彼の記紀に見J八た山川草木の■碑にしても、どうも天拭物を神化したものであつて、彼の大山 耕紳が両を司る人問でふ∵り、岡象女が水を司る入関でふ∵り、大紬津鬼神が而★司ろ人用であり、 久々冊智、此尾野比封等が水や草を司る人間のことであるとは、どうも附せられぬのである。 虚心車嵐何等の僻見はく神話軍需敵軍等の知識を揖てせば、こけ等はどうしても犬用⋮物の伸化 としか解せられぬのである。彼の風の紳たる志垢邦比市井同梢である、火之池旦土紳亦同勅に 山づるのである、州んや佃戸紳、追俣帥が紺紳り杜とか印ししか云ふもの∼佃化たラしとは小す 迄もな′㌧点描加埜且美が桃子の伸化に㌧て、榊倉板和之紳が等しく誹紳の御甑抹なラしとは
古事記の記矩之を恋し、又久延毘宙即ち曾富騰が山田に立てる集山手の柵化であつて、一和フ ェチシュ椛の紳なることを阻ひ、覇羽の嘉蒐が蒐醐と呼ばれ、戊猟犬蛇が等しく紳と呼ばれたこ とや、蟻が三諮山草ブしはく紳髄であつたことは、記型一奥の記事之を肯する野人の能く知る 所である。恥に我国宙水盛石の由邦−Lit芝臼tr㌧多く、各椰の古典之を昔明するので、堆に比貸 語曾紳軋の視野は、亦その祭紳が一倍の石であることを昔明してをる。日く 非桝京紳温白石也︵円木粒、六蘭、楓∵批大系、一番、一一九貰︶ とある。仰禍者はこの塵考として、三代賞牌︵九︶の左の文を比唆されんことを望む。即ち 000 0000 偲稜駒岡翫郡正二枕動五等健瑠絶命鮒臨池⋮⋮布野監勧⋮⋮又比況糾祖元恥∫宥三石納品四 計丈、岡花︼ 石納税購、肘司等、決之払簸、云際節水疫之災。︵幽史大軍四谷∵ 六七苅︶ とある。弼の如く考へて茶ると云ふと、日本の紳々は慣偉人英雄等の由であると云ふ、今日励も 通俗に受けの・iい説が肝ちに毀れるのである。何と㍍れば日本の綿々には宙英雄等お琴祭した ものも決して少くないが、又以上列怒した様に天然物やその他柿々の物から凍た赫々もあるか \〓木の紳は常人問であると云ふ様な大腰な議論はどうしても旧説ゐと悶仙ふ。矧んや績紀以 下の六国史、特に三代貨鋤などには記紀などには見化こともト㌧い各椰の地方的天然柵が1.無敵に 耽が跡継lこ柵†る考叛の不徹底 ︵加 藤︶
宗 教 研 究 姉一奄 璽一波 こ五〇 出て凍て、をれが一々朝廷から位などを錫はり、又は紳敢の昇格などもせられてをるのである から、日本の神々は常英雄偉人のみへけbとの決諭は、どうしても出来ないことに打†乙と思はれ る。此鮎では彼の佗く迄舌意に忠賓ならんとし陀、本居宣長の紳の説明が、背の単著中では一 番常を待てをると思ふ。先づ第一に三代賓報中から一二の蜜例を奉げ、次に人口に胎失してぉ ろ古事記偶の一節を蒋げやう。則ち左の通首である。 う◎ 廿七日円成婚∵︰⋮従五位下山紳⋮⋮雷神⋮⋮閥紳並徒五仕上︵凶丸大系、四巷、二七六︶ 00 00〇 三日己卯、捜︰︰︰石見園窃盗紳⋮︰∴従立命下︵回虫大系、四巷、三三〇。伶四八五の火雷神な比較 ぜ ム﹂ ●昏 八日蟹丑、控︰︰︰豆山大位上︰︰︰ 鳴翻︰︰︰従五位下︵閲血大軍四巷、四三〇︶ 是れ欝褐を紳化せるものに外ならぬ。 00〇 入口己丑︰⋮・従五位下⋮⋮温泉紳⋮⋮従五仕上︵協∵粗大系、四脅、玉田︶ 00 0〇 七日西軍投下野凶徒立位上勤王等温泉紳従四億下⋮⋮九日、温泉紳等弧授従立位下︵槻虫大系 四特二 三入及び一三九︶ ○●● 廿大口己未、授Ill羽問正六位上酢川温泉耐従末位下︵凶虹大系、四笹、三七四︶ 是れ日本の如き油泉多き圃に在っては、蓬にそを紳化するに至った結果、温泉紳てふ自然紳が
出水て凍たのである。 既に渦泉の血あ㌧火山の紳化さち、偶然でない。富士山、鳥渥再等の時和著名の火山に非 ぎるも桐能く一般に火山の紳の焦れ出づるは必然の串なり。 ○◎ 琉山酬火山細胞捉五位下ハ国史大系、四壁三竜七︶ 地堤の伸ば既に推古組に見えて哲ろ。〓く 七隼︰⋮通勤、令帰港破両令国力両無地箆輿=本紀通史大請、“牡三七囲︶ 印既に風紳ゾータやヴーユあると同じく、〓本にても、風の紳あり、日く 骨九‖⋮⋮掩⋮︰伊預周︰⋮射伽醐亜従五柾†︰周軋大系、囲準囲=︶ 阿武隈川の如き紳化せられたる形跡があ〝U。〓く 廿九日⋮︰・軸十等附編肺が緋⋮⋮授従五位†︵川虹人系、川竺二九一 次ぎに、古郡紀佃に日く 凡て迦御とけポ御典Wl=札・乙㍗ム究祀の綿の納㌣ちみ始めて其祀れろ紙に弛†御報ねL印 し文人ほさらl=も嘉す鳥駅水準のたぐひ湖山など基除目によれ辞常下りす†ぐれトトるふ僚の か∵t∵り′て可迅き物む迦椚とけ云光り︰︰・さて人の仰の榊日常かりよくしかし=き天皇け御 −附九,々川即納∴ト張 =と巾†もさら労り・、かくて次々にL紳光ろ人、〃LAILぁる︰と宜り⋮︰∴ 我が紳柵に脚†る翠昇の 徹底 ︵加 碓︶
こ車︼ 宗 教 研 究 節一奇 策こ胡 観一肌一定二り血‖に㌧つゝ・て∴♭一はどく lニ紳耽る人ぞかし︰⋮・九人ならH物lこ托舶叫圧ふ肋に﹂b岨 たっこだ量 新紳鳴光ど云げさらにトニ右往サニ軍拗蒜警孤吏∴とり車ぐひLすぐ打てわツし さ物に・て可赴けれ け紳セリ︰︰︰又戊むも摘むも紳と曇る=と耶坤軌梁瀬どに見え又桃子に忠笛加平都糞命と こり圭ちカーヤのけ 玉名む賜ひ釣堀玉み御倉収恕師と巾LLたぐひ久離根・ホ株・州北︰︰︰など皆納骨り、又滝山克 どね糾と云ふことも多L、そほ共和窪の紳な嘉に非すて正に其持むL川わLさして云り抑迦 徳一l如此和今にて貴きむわり娘さLむり描きもわり弱きもわり書きとわり恋しきLあり︰ ︰魚眼き耐の巾に托恐†くなくて凡人にL弱くろさへぁりかの狐など経きわざむ克†=と け.いかにかしこく巧ヤる人Lかけて及ぷ可さに非すよことド榊光れども幣lこ拘などに馴ぜ らるけかりの破き駁なる︰︰︰披き紳︰・⋮︵本居仝娘、啓 二一五二︶ 本居薪は更に此愈を諷詠して日く、 榊と い へ lで皆ひとLくや恩ふらむ 脇ヤるもわり虫光るむわり いやしりど いかづら︰だよ、T−つn戊 偶の㍗ぐびも耐のか㍗目し ︵託 矛 汀 首︶
琴一、従妹‖本の醐々と支那の紳とむ砿別せんが承めに、日本の単著は、易の光鮮に陰陽不洲 ◎ 之網紳と云へる語を引き、支那人い桝謂紳とは灘克陰陽不測の緋に名づけたらのである。故に 000 こは極めで無形な抽象的なものである。二柵の自然法の如きものである。常申者に云はせれば 00 原理とでも烹ふ可きものである。然るに日本の紳々は、皆野際躍史上生存して居った人物で、 英碓値入であるから、叔も典酷的圧γ斡のであるし、蜜際他の申に二毘は居ったことのある人問 である。そは決して支那人の謂ふ如き紳と同一成す可きでないと、かう諭するのみであるレ‖ 本の紳々が膝史上賓際に存して層た人物ばか・りでないことは、前眈に評論した漁甘であるが、 恨に之を別にするも、如上の隈別は、易珊に縄ふ紳なるものと日本の榊との問を分つに足る特 性であると云ふことは出凍やう。蝕しそれだから日本の醐々は∵切の宗敢が敢ふる紳と邁ふと は桔諭する繹に行かぬと恩⊥Tl⊥貰隙こ力拙論が今日世に樺山あるのだが、之は祝ってぉる、郡 寒が許さぬ ー 何となれば舌代の希胎、羅掲あた万の紳々は除程‖本の紳々と似てをる研があ って、足寄縮図の紳々と〓本音代の紳紙とは、その差典鮎よりも寧ろ粕似鮎のカが愉針目に牲 く位であるが、彼の人間に紳を訟めると云ふ釦も亦同一である。則ち彼のアレキサンダー大王 は評∈−AヨOnの化身であるとせられ、希臓の英紙リサノドロスは紳硝ぉ受け、シザーやアタグ 我が料紙に触†る考粁の不徹底 ︵加 藤︶
宗 教 研 究 節一得 第二班 こ玉四 スッス鼻骨の如き、紳として仰がれ化こと㍑有名な串雅であつて、基れ寄に有名なローマの鼻 闇黒舜である。彼等に在りては天曳皇后亦一仰の明.きつ紳であつ托のでぁる、然かのみならサ バビロニヤ、アッシリヤよb域及の古代に御♭ても、賀際他に珪#してなつ咋琵椰ポに紳を認め 柁例は決して少くない。又世界の自然民族中にも債鬼等の基相羽に榊を川阻めた例は幾らもある。 インカの王が太陽の紳藤として沖縄ぉ受け柁ことは云ふまでも㍍く、オースL﹁クリヤ等の自然 民族中にも骨長を紳としてをるのが繹山ある。かやう・に審際蛮#してぉる、又は一皮生存したこ とのある人聞を、醐としてをるものは、世界至る所に足れぁるので、何にも〓本にのみ限った評 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ◎ では無い。然れば易に所謂紳は理即ち白然法の如きもの、督嘩上柚めて抽象的な原理であるか ら、人間東邦に韮づく日本の紳々とは泣ふと云ふことの籠肌は立ったからと/L、それだから日 本の紳々は世界の一切の宗教が数ふる紳々と〓木の神々とが根本的に述ふと云ふ結論は出来ぬ のであるっ何となれば羅掲あ化♭の皇帝喜界などに打†乙=1∴日本の紳の観念と酷似して凍ること は前恍に申し述べた浪甘である。然かのみならす、走れ又その帥が日本と同じく人間に外なら ぬものもあるからである。 第三、今‖矢張一部の人士は、紳と云へば、前ちにバイブ〝の州世紀紳諦のヤー.エーを聯想
して凍て日本の醐々は六日でもつて天地を創潰し柁と云ふ構な紳とは大雄泣ふから、‖本の紳 と宗教上の柵とは全く別物だと、論下し去るのである。成程創世記の紳諸に見るヤー.苧−と重く 同一の紳は‖本に無いことは勿論である。をれだから、その鮎で‖本の紳とバイブル紳謂の紳 と同一で無いとは云へやう。然しそれだから一切の㌫敦が敢ふる柵と‖本の紳々とは全く泣ふ は諭許する繹に行かぬのである。何となれば前祝に述べた様に希臓維掲等の紳純になると云 と ふと‖本の紳兢と大東近かくなつて凍て、蓬にそのけじめの介らなくなるものも許多あるから この鮎に閲してはカー である ー 前例で云へば人間費井の如きはその北ハ油の好鴻例である ー ベンクー氏の言は是等論者の頂門の一針であろ。氏〓く
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以上諭明し托池−であるから、今‖世榊で比洩ルポ放畔上の知識に顧慮せや、唯自分肪喪に紳
の観念を極め込んで、而して叉澱も爛晒的解揮お以て〓本の紳の粗念を構成し、侶てその上で
宗 教 研 究 節一懸 軍一統 二空ハ 其の埋出の7に、〓本の紳は一切の宗教の敬ふる紳と拉ふと云ふ様な議論・γ能く見受けるので あるが、それは到底成立た招ことであると云ふことぉ断言するに躊躇し㍉㌧いの−である。従って 此鋸から出敬しで榊軋を宗教でないと論じ去らうとするのは、徒労であると云はなければなら ない。何とハ仕ればその諭接が薄弱である、即ち課謬であるからであ7リ。されば若し刺敢と宗敬 とを臨別して、全く別和のものであると云ひ泣いと思ふハ仏らば.之れと全くその立論の基礎宮 越へて出直して凍なければならないと思ふ︵
帥代史に現れたる帥界の系統
智 了
ん
我国上着の紳界︵冒二彗エは、自然物や自然現象の紳栴化、勒柄物や器物の紳々、乃至偉憲紳、観 光紳など一で介んで、舐抑雅男の・綿々から成立して居る。基数を惣摘して八十濁紳︵鋸︶又は八打 萬紳︵視︶と云ふがー八は上古人が好んで川ゐた敷で多敬を意映する語であるから、八十粥又は八 百満とは紳敬恒無見なるを嘉したものでぁる。耳〓!に偶れる山川草木より、思想上の柚象紳格 に至る▲;で、紺種苗力而の紳々があるから、紳数や欝に賭しかつたであらう。我紳躯はかく多 政の群帥の救命でJのつで、基冊に何等の秩序薫統がなかつた∴∵り〓ハ哩然たる多紳放︵P。官をヨ︶ 紳代地に現れたる榊界の系統 ︵轟⋮膵︶又は多憲政︵冒甘言−§i簑︶に留まつたか。此郡を少し調べて見たいとm心ふ。 アンダークリド︵ql計r一言d︶氏は﹁日本古代の宗故には軍一帥数︵詳。。宕㌃且の憤然たる翫念す ら互い、自然疫奔の最も著しい多軸放であるL︵諾ゞ拍持繹︶と云つ托。然るに抑的博士は﹁事 賓上大抵の宗教にでは基多数の紳の巾に幾分か中心の紳を有して統一的槻向な有すL︵抑脚大︶と 云ひ、叉﹁多軸故にても、基中に位秀の紳ありて肖ら鋳紳哲銃略す争仰向ある郡より云へば、 大鵬の多紳数は畢一紳欽也といひ柏べし﹂と云はれて、多軸敢中に統一的仰向ある宗故の一例 として我紳遣をあげ、基中心を天ノ御中まノ帥又は天照大柳紳とせられた。上古の㌫敬が多軸放 であるは言ふを要しないが、統一的僻向も亦幾分認められる。然しをれを述べるに先だつて訪 輌間の地位㈲係を観やう。
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紳謳は⊥古来閑人の宗教心に基いた紳々の物語である。北ハ中には多種多様の方面があつて、 想像約分子も少くないが、一個人の架容的な想保と基づで、民族−股の意識より成つで居るか ら著しく時代の影響哲受けてゐる。上古の紳々の性貿、行動が随分人間的であるのは之が承で、 宗 教 椚 究 節一稔 弟二胱八串非に於ける社骨組織は亦紳界にも影を映して、そこにも純子兄弟の閥係や一火多妻の凪が ある。然し基等は掴いて具帥界に於ける主従関係を軌やう、之が紳代山一帯の骨子である。 初め伊非準伊非舟の二糾は、陶土を作り盗め山川草木のま紳を多く珪んで、最後に是等を統 l 一する紳を定めた。 ︵二紳︶共純日。菅巳吐大入洲南山川場ホバ不化天下之産着敗が姓共虹H削−。鴇大日箪笥⋮友む ニ ー レ ニ ー こ ︼ 二 一 二 月帥。︰︰水生兼箋鴫寄 ︵細︶ 二 ︼ されば﹁天下のま﹂はLl、月、素、の三糾である。詳紳は更に些二忠子に桝伽を配常された。 ︵榊境線チ︶過大冊大柳紳綱之戎舟番所如高大原季⋮⋮欠綱〃割命。汝命新郎知疋∵之食繊巧. こ ニ ー ︼ 二 − こ ⋮⋮・吹調速節佐之男舟。汝命番所知纏捏l炎串依彗翠 こ こ ︸ 配に披れば、初め素紳を宇宙のまに立て柁が、父紳の命令を用ゐぬ満、根ノ闊に臆せられ、叉月紳 は日和に雨げる天上のま宰ポと定められたと。されば天界のま宰ポは=柵即ち天照大紳であり、 南天将に任する群紳は其従者である。故に‖紳が一腹天ノ石窟に障れ給ふや、蒲紳は因陀して再 び玉座に即かれん那智懇請して已まなかつ陀。H帥の御孫塊々杯事になつて新に此地上外のま としで降臨された。紀ノ︼啓に其除目紳が天孫に﹁以二天兇屈命、太立命及緒紳ノ都賀悉皆粕授﹂ 御代ぬに現れれる柳井の系統 ︵守 渾︶
小小 数 研 究 ⋮情一環 邦二冊肋 二六〇 とあつて、蓬珊と椛紳とり分が明白である。仲代む〃弐服は北つ‖刷り地位む淀め、次に地上 の始祀埴々杵尊が=帝の脚部で、謂仰の紳撃ピルて統率すべきポで、・直∴ごで明すにあるらしい。 古語給迫に﹁肝伸黎l/勅協二徒天孫こといふ船旭である。それ故に我紳非には父伸夫桁兄斑等の 家族間係があつて鳥等諸紳が絶て一大刷賂天照大雨め勅益本元じて、基御子孫に代々仕へ春名 といふ君臣詫従の閲怖が柚めて明暁でJのりんから、紳界に統一のある難が耶り、又我紳詣が国家 的に秩序整然たるな知る串ができる。 ≡ 軸外には初め二大系統があつて正に対立し桔抗したが、終に一大紳系に合同したらしい。 ︶ 一▲高天原醐系︵主として天ソ軸︶︰︰︰︰天照大紳、詣最遠豊璧岬中心 ︵ ︶ 二 山室紳系︵糞としで闊ソ紳︶ ・︰︰大己基軸中心 ′lヽ 之は二元的対立で肯く︹上古の紳邪に自づと流れた勢力上り二潮流である。愉ふに太古、此 闊土に二種族が対立して、閣土間有、相成凝展の事開をなした串聾が神話に反映して、自ら二 大碑系を形成したものであらう。
今神代並の文面から基意を推すに、大略下の様咋紳箭骨子となる。始め諾紳が三食子に所領 を配常された帖、窮登場鹿ほ北ハ命を聴かないので租囲に話せられた。東沖は滴踵に行く捻中、 此国に多くの子孫を田めたが、共中で頼も大なる者を大己張紳︵祭軌︶と云ふ。此紳は滞に此国 を開拓し緯螢して領有し柁が、之れもとく天紳の意志でない。天照大紳は父紳より運ばれた 天上のま訝で一大紳はまた天孫を以て此問の王と定められた。をれ故に大己骨紳が此問お占有 するは偶然の串か、叉ほ天孫に至るまでの架橋に過ぎない。終には天孫に領土を献納しなけれ ばならぬ。而して今や天孫は既に長じて常に此図に欝臨すべき帖翔になつた。そこで大紳よb 闘士蒋混の勅命む大己亜紳に欄へて幾授か交渉があつ掲揚旬、井出皮紐末がついて領土を殿上 する事になつた。 之は侶仰上より軌た紳の約束であつて、歴史上より観れば此様な約束的の物でなくて、始め こ椰旗が前後して移住し味ゎ、領土軍衝に関する演劇が紳詐欺苺に現れ托のであらう。宗敵軍 の上から云へば、天照大柳等を盤卸する椰族と、大己堂紳等を信仰する珊放との折衝で、それ には非常な曲蛎があつたであらうが、倍仰上の馳和は比較的容易に桁はれたらしい。即ち高天 原椰族は揖窮紳系を信仰し、指事椰族は高天原紳系を奇麗するに至った。 糾代故に現れ㍗る御井の系統 ︵専 押︶
ノ 記紀に臓ると二紳系の融和は必ずしも二方の屈停的無條仲的降伏で嵩かった。大己蓑仰が レ 〃 ′ エモ、クライ ノ †す †ン 知育防聖者扇内緒翻必帯同禦云1北本明細敵中不服⋮.:人1武宮於竹 足之八十隈隠 ハ 衣。百花窪憬。︵柁︶ 斯くて両軸系の交渉は、出雲画素の中心佗る大己基軸及基子事代ま刷等の賢明な譲歩に由つて、 比梗的無窮に池捗した。而して所系の合阿妥協の内容は、天孫は地上の矯蚊椛を担って人民を 治め紳を祭る、大己萬紳は幽冥非を亜って諸紳む葦ぁる轟でぁる。言ひ換れば服代の大畠は大 己せ紳等を配♭、大己粟紳等は歴代の天畠を守護し奉る串である。 レ ニシラス レ イ シラス 高畠應醒耳︰︰︰︰抽入己恩〓椚口∵︰・⋮・大津研知耕露之事、宜足許茄油。汝則可以掩細事.又汝脛 二 二 − 三 こ ︼ 仕芳‖隅宮薪。今宮供迫り︰︰︰︰又常立汝㌍祀弟。天粗目命見地 ︵純︶ レ ニ 二 − l/ こ ー 視軸大物立糾。︵火己畳紳lこ同じ︶。宜領八十苗紳。永掲曳孫奉誰雷 ︵紬︶ レ 此文で見ると大己氏帥が群紳の統率新のやうである。腎に革靴殿な泉営と同じ桃造にするが 如き、紳武天皇が即位後皇后智此紳系より冊立するが如き、此柵と天照大紳とが宮中の二大紳 として祀られたが如き、乃至人文的事業の多くを此紳系に属したが如きは、両種族合同後も出 雲椰族の勢力がなほ大くあつて、従って大己史醐が紳界の大立物として現れたのであらうっ 宗 教 研 究 邦一電 界二親 ︼ 二 ︼ 上 下 二
四 大己盟帥は謙抑の統率者の脱があれど、梅端に云へば被征服種族の最大紳格でぁるから、征 服椰族が自族のま珊を基下に置くを、喜ばないのは常然の郡である。故に騎配は天戚lの様に行 はれ、紳殿は皇宮の様に造られても、要は天孫を守るに従って未だ両種族の最高紳でない。 ノ ラバフ サギ ア〃 亦僕子等新入十新着、即入試串代ま紳。滞納之桐尾前面、杜春満.追刺状非也 ︹詑︶ 一 見時銅版之甘貼者、大物珪糾及事代光琳。乃倉八十萬紳於大前祁、帥以昇天、棟基誠欺之至 ︵純一 二 ︼ ノ ニ ー 紀−番は文飾甚しいが、兎も角も大己潜仰が彼杵服椰族り紳なるを規ふに見るぐされば政商紳 格は矢張り征服椰族の主軸である天照大紳に蹄せねばなら田。 抄天照大紳がま紳である由雄を見るに、詳細は此紳に天上り支配膵を委ねて其身は日ノ少常 に御隠れになつた。大紳は今や天上の珪軍部であるが、姫に天孫を此囲に降して、今迄のま植 栽大己食紳に基地位を去らせ給うた後は、地上の君まの別納であつて、言ひ換ふれば同時に地 上のま紳である。次に翻代地を離れて観察するに、天照大醐は太陽融である。未開人には太陽 翻代ぬに現れ上る糾外の系統 ︵寺 澤︶
は天に現れる澱も蛋東不敵講なる物の︼である。紀に ク ・−J ここカタ ︵諾伸二卑真也日劇⋮・︰︰此子光準明彩。閤徹於六合之内戚二紳‡日。詐瓜維多。未宥著此琵典之 ニ ■ レ レ二 : 見。不宜久留此間。仁一首卑近干天而授以天上之邸。 ︼レ三二︼下−↓一七 日紳を天上に法ったと云ふほ、吠陀の讃歌でミトラーゾルナの紳が太陽紳スールヤな天に怒げ ソ︻ニー・㌢ヨコ一っりS冒↓P たと同じ思想で、太陽紳話としては常然の弔である。叉太陽の光や熟は生物の生存に映く輩の ーヅホ′ できない物で、殊に気佼良好な我像業画、所謂﹁瑞穂閻﹂の団民の成謝する所である。概して 人の生活に蒋も恩恵ある方而を掌る紳が、多く専黒されるポで、北ハ例は吠陀の紳界に於て著し い。祝園でも、国利民稲守誰の紳としての大己基軸、食物紳としての鵬証受紳などの厚く累卵さ れたのは此粥息を博へるものである。太陽帥が大神格となるのも之と同埋である。故にH′紳と しての天照大輔は上述二鮎を有して、大紳格として現れた。凡そ宗故に於て、情緒的進行は、 恐怖︹冒ユ、没敬︵芸e︶、瑠敬︵re∃。弓︶、感謝︵竃旨de︶と移って蓬に川吊高の戚︵PSrPコ諾〇﹁S蔓ぎe︶を喚超 す。太陽の麗英的方面は使敬、頂いて尊敬の念を抱かせ、恩恵的万両は戚謝の傭操を弾くする。 然し之だけではまだ畏高の成を引き超すに充分でない。蓋し大紳が最高紳たる大七る理山は、 ﹁免租﹂といふ二字に在る。上古の民放制度は皿先盟邦を助長した上、帝捕が川井固に㍍るや、舐 宗 敬 研 究 節一奄 弟二祝
氏族は自分等が今皇繋を環擁するがやうに、祀先も過去に島剥を製菓し本っ咋者と見るに至っ て、急減は請氏族の測紳、一切の押仰の上に許臨する者となつ柁。丁腹太陽の元が一切の閲を 排うて荷物を別にするがやうに。是よ・り北、彼等が黒めて凍た太陽仰の性質が真別納の屈性に 加って蓬に畠融即日紳、〓紳即泉剋といふ離す串のできない同一輌烙む組成したのセあらう。 太陽を甜先と見るは未開人に屡々ある例で、なるべく古人の立場から紳代史を解締しやうと力 めた本属宣長には、此鮎は少しも不審でなかつたのである。 ﹂リ 此に尭組みば日紳と詔び、末日∵むけ∵㍗ヾ−−と詔⋮へろ二甘以イ∴大m人靭紳と天‖と11共布る放と ノ チッ 心へけ∵ひがごと克り。天m大榊紳仰天冒に坐しま† ︵青郷甜博一八︶ 五 天照大紳が主軸である郎は叔早や定まつたやうであるが、軸代史ではまだ左程明瞭に現れて ゐないで、大紳と基地位を等しうする一紳に高生産璽紳がある。記によれば天地剖判に光って コ1r 生成した隙身狗化の三紳の一で、別天ツ紳と祁ふ敢盲無比の紳烙である。尤も敢古り鮎から云 へば天之御中ま紳は天地初聴の紳であつて、視で此紳を立てたのも綿紳の統一を謀る満めであ 糾代丸ド現れ㍗ろ紳界の系統 ︵寺 澤︶
ったらう。凡そ上古に現れた統︼的傾向は二方面から観察する串ができるっ ︶ 一、畢一細数的万両よりの胱︼的傾向 ︵ ︶ 二、汎紳数的力而よりの統一的傾向 ︵ 肛一神教的方而とは、話紳申よ♭一紳を選ぶか、又は新に一軸を追って、之を謙抑の上育とする ′ 温雅傾向で、記の天之御中主紳、紀の間借立紳−又は天照大輔l大己∬紳は此傾向に属する。 汎紳数的方而とは、上古では此思想は殆ど重 く現れてゐないが、講刷を佳成産出した紳は、此 J 思想に類似したものと見られる。高畠鹿異型輌産㌫紳又は伊井講紳・伊非出面は之に属する。 然し大己紫紺も、繹舟二伸もま紳たる脊扁には不充分であつた。天之御中ま紳は敢も常を待た ものであるが、基名はあょりに贋くて具膿的粧栗む捕麗し難いので、素朴な上古人︼椴の信仰 対象とならなかった。之に反して高畠塵露細は開聞の段に基名を列ねたのを始め、術後天照大 紳の現れる錬婁には大舵伴って、殆んど同等の相成を示して居る。 ココエ 1こ∵ト ヘニ 爾高榊應基8紳。天⋮冊夫御紳之命以。於天婁河2河規諦珠八宵萬醐雄而⋮⋮︰詔 兎︶ L︸∴︼ 之を紀では高島塵産油一紳の詔にした所もあり、叉天孫を此圃のま君と定め花のも此帥一個の 意志に出たやうに記してある。 宗 牧 研 究 節一聡 第二硯
殊に注目すべきは賦宗輯に見える次の記串で ノノノ ロ紳常人詞何問臣準代厄。以那金一田戚我孤高基躇攣撃。︵紀一重 ノ ー レ﹂一一一ニ 之は大紳が高金座蛋緬を﹁我弧Lと豊めた文である。 以上の記恥よりすると高鳥流麗紳は、大紳と同地位むしろ基上にある規がぁるが、之のみで 立紳とする難ができない。古郡説倦に、 ノ 此紳は基孫件の且机光ろのみに非ナ、几ノし什吊摘出串の糾机lニ蛮す−比= ウヅシーサこ− 天閤大別榊ほ然らす、たヾ患孫命の新患肌に弛†仙り 此けじめ心エく卵へ春る.へき血“ と。賓に苗皇耗梱駅紳は萌箪苗物を虎雄する紳で、姓氏耀に見え化真室柏擁S氏族の多くは此紳・ぜ 始親とし、曳塞からしても金融ではあるが、天孫の御上よりすれば鱈は外剛父である。大紳ほ 正系の覿醐である、即ち﹁闘鶏甜Lである。蛇朕制腹の時代には椚伸は尊かつ柁が、帝椰の確立 は畠覿の地位を吏に高めセであらう。刷−代如を大冊の上より翫盤すると、系甜に倒する盛大な エ.一ノ 耳。特種悌兜以塁栗焉。遽欲立真〓雄⋮⋮現々押野以馬葦原中洞之ま 二︼下ニー †締高鬼虎雄琴以が釘視於烏孫租々杵咋。他作ヱ ︵純︶ / 天冊大柳之子⋮・︰天忍鴨井抒要請豊鹿屋博之女柏崎千々鵬。牛⋮︰ 職々杵曙。牧虫弧甘⋮畠魔寛 一 二 御代ぬlニ現れ㍗る紳外の系統 ︵守 搾︶ ︼ 二 二 ︼ ︵紀︶ 二六七
㌫ 秋 研 究 節一各 節二描 二六八 詔勅は必らす大紳よb出、許紳に命令する捕揖ほ多く高島床㌫柵にあつ化やうで、再伸の閥係 は丁佗女帝君臨の他に、有力な虫族が摘放された焼な物である。故に満京成小毘紳を以て大神の 上に粧く難ができない。殊に繋紳新造殿内の二大曲は、大神と大己骨紳とであつた串は眈に遇 ペた。叉﹁産生Lの■思想で、皇祖も、諸氏族の甜醐も、此紳の†に一締めにするは、頗る便利 であるが、耳際的な上古の素朴な餓偶には∵紺ク概念的に失しで、信仰の封塊としては有力で なかったであらう。紳別氏族が此仰の外に各正系の祀紬わ立てて旧いたに撤しても知る難がで きる。楷の引用文中、阿関節代に告げた=仰の・託宣は、此紳信仰の金城時ではなからう。 大 帝捕確立して曳富の韮礎が動かなく打了るや、免租たる大神はま紳として群紳の上に位した。 此釦は紳代史でも認められるが、奈良朝に入ってから一府朋瞭になつた。 ノ 恭子岡島献物千伊勢大耐宮及綿祉。︵紋日本紬︶ 二︼ 由紀には之に街似の文が多いが、之で大紳が明に請紳に隔別された。アレン︵ヒーell︶が﹁現存の 王が偉大であるならば、王が令んで居る刷先は、どれ程偉大であらうか。なほ一府古い紳、即
ち組先の基糾はどれ程無限大であつたらうかL詔㍍拉拷鎧︶と。・ヱは測光川弄を前捉として の立論であるが、笈に至りで一桁黒高の戚じを昂めるでからう。元凍紳代虹S‖的は、真刑と 泉源との地位の尊潜なるを別にする串であるから、笈に着脹すれば、大柳のま紳たるは自ら知 られる。 旛史的背放から配ると、上古は氏族尊横時代で、基頃の瀞構は後世に比すれば頗る微々たる 物であつた。上古史が甚だ不明であるが如く、道義的閤係も随分闇裏であつたらしい。大畠桐 御後、太子の即位が容易でなかったb.皇子冊に血汐が流され托りするは殆んど常例のやうで あるが、斯様な串件の潤後にはいつち鱒旅同志い勢力年が激烈であつて、寧ろ諸島子は基瞼軌 −こ伏せられた薪と見られる。然L諦氏族が皇室む中心にして正に碓執して、発粘盛衰のホ蜜を 繰り返してゐる巾に、帝柿は氷解に大くなつてわった。頚椎太子の榊政治が先づ息笠の特捜を イク T 大を諮つた武内宿硝以凍の名門、解職氏が減じして、艶室の基礎は動かす可らざる物になつた。 此政治、赦骨状態が紳界に反映して、畠糾たる大帥が漸々胸骨の蟻に向ひ、奈良朝に入ってか らま紳の威厳を示した。記紀の榊代虹は発良制御州の歳物であるから、此仰向が現れ締め、池 紳代地に現れtる紳外の系統 ︵専 渾︶
ルで中安初期の著油たる繚紀、古語拾迫では、大仰の壷柵たる地位は、殆んど脱走の串蜜かの 如く記載された。 然し辣返して云ふが、紳界の統∵叩傾向は記紀の文而では朋に大神に向ひ始めたが、なほ重腫 上有勢なる高畠産室紳、信仰上有力なる大己蓑紳、乃至見方によつては柚象血であるが、天之 ハタラキ 御中ま紳等、殆んど大紳の馳を摩する紳々があり、又ま紳たらんとする大神にも、膵溌や活用 に制限があるので、未だ狙一神格たる発布が充分に現れて属ないから、アン〆−ウッド氏の見 方も公然誤っては属ないが、統一的傾向のあつた難だけは否む難ができない。 ︵氾−−−古張紙、紬 − −‖木ゴーtり柁︶ 第一奄 餌こ硯 宗 教 研
︻ 緒 言
三徳訣は印度衝撃史上、可な♭韮要な数理である。歌論派、喩伽派の−世界観の基礎となれるは、言ふまでもない所。マヌの法此ハでも叙鞘詩マハーバーラタでも、和々のブラーナ文晋でも、
人心の馳化、世界の相泣などを理論的に説く段となれば、概ね此三億説に櫨つ泥ものである。加
ふるに吠根多派でもその初期にあつては除卜之を詭婆成しなかったけれども、矢張次弟に之を
利用するやうに㍍uhl新しきクバエシャツドにも此説あれば、吠楢多種の証将にも之を腰用するものあ♭、妹にサガーナソダの吠植多梢要の如きとなれば、その無別を説明するに三増設む以
取翰の三強翰 ︵水 村︶教諭の三徳諭
奉 賛
てした等、総じて新しくなればなる稗、之な罪史致倦とするに到った∩ノ こり葦妹に於てマック ヽノ ス・ミューラー氏=が三概説な以て印肛に於け牟謂派基諦㌫一徽理tし見佃したのは−抑々極言 の戚あれど ー まだ一両の界を穿てる見附と苫はねば㍍らね。併しながら、可柑に韮畢生二糖 説の起用顔遁はいかなるもので、而もその三徳の意妹一ざ今‖の思想や言葉でいかやうに果象す れば、その鼎悪に協ふかといふ間過となれば、舘想外に阿鋸なポがある。従妹、和々の軍新は 諸方面よト之を桝究し推定したけれども.今村、判然とその眞意お病症しかねてゐる柁の一難間 となつてゐるのである。蓋し三徳説は抑々の文吉に椛々に説かれてあろけれども、その油川の 範囲が除♭に廣汎にして、通碓の意義を捕へ靴′、、従ってその起原恵想の見常も、容易につき 難いからである。 吾人は、先きに﹁印皮六派暫撃Lを公にすろに際し、教諭の部に於て、この間偶に対して、 ︶ 多少、旛史的に且つ哲学的に論及して出水得る阻わその異音を得んと拭み化のであつた。“併し ながら、﹁六況哲学﹂には紙数の制阻もあつた上に、正郎に言へば、桐研究の此らざる桝もあつた ので、未だ悲に充たざる瓢が頗る多かったのである。特に今‖、遺憾と揖ふことは、吾人が教 諭思想の開展を諭するに潜りて、その四特徴な碑げて一々の歴史的発根の秤過を論じながら、叔 宗 歌 研 究 第一堰 第二排 二七二
サーンケ=T も大切旦二徳思想の僧伎耶派に至るまでの聴促な略し化ことである。然ろにその後、捕々の蕃 を苛み、ふ︷托自らも考へなどし化紬巣、多少この問題に閲して得る研があるやうに愚ふから、 ここにその椰追の滋味でこれを㈹胆に記述して見たいと恕ふ。但しその材料は、自ら原典に就 いて見出したものよりは、寧ろ有力なる印度揖想史家遽の槍見によるものの多いことは汲め晰 って撒く桝である。またこの論文は﹁六派西軍﹂り補遺のつ1ULリであるから、之を像想するは 勿論でぁるけれども、粕片的に続れねために必要な範囲だけは、該郡に提出し柁勅料や説明を も入れて、この一小論文で一始り締まるやうに遇べたい考であろ。 許。︼.ソ訂”ソ買〓er一ゴ蒜SiHⅥリSte︼崇〇rrコ≠ノ〓こ三〇Sつ‡.17︼〓 ド印票寄掛一望揮叫鐸
〓 教諭派の三徳の説明
三相説の叔原やその現代的意鶉を開ぶる化めには、先つそ山浦克し托定理的説明な知って置 かねばならね。然らざればその標畔が定まらぬからで←直る。然ろに欄二は説の・定型的説明と嵩 へ ば叔諭派のそれであるから、こ∼に北づ之一ぜ略通することにしやう。 敵組の三組的 ︵木 村︶教諭派に従へば、この市有は凡て三徳︵tコr∵云.巨与︶から成立す乙ものである。物的現象た ると心的現象佗るとぉ問はす、苛も動くもの、樟化するもり、囚来紺の油川さる∼ものは、凡て三 結から成立するもの■で、市有の雑多の現象も、所龍三徳の配合いかんによるものであるといふの サソL﹁リ タ7ス ラ㌢†ス である。然らば三穂とは何であるか。補語で之哲薩棲︵S蔓/エ・確聞︵一・単一S︶・多摩︵︷ロコま︶ と 00 名けるけれども、前に適ペた如くその何物であるかは容易に介らぬのでこ1に渦繹を†寸こと 00000 が出凍ぬ。教諭派は三穂の棚状を説くに、大凡吾人の佗統制師を基としてその衣ほれカ又は働 00 き方に就いて説く。即ち組じて言へば−−教諭派に従へば1佃仰の多いもの程防塵の徳の勝 れたもの一で、藤間、多摩となるに従って、基惜机減じ、殊に多雌となると=掴も劣等なものであると いふが三倍の公準諭である。この詰殊に於て教諭派は三纏の縛紹︵ぎ已エ は喜︵首ti︶夏︵︰乍 ri三隅︵く山恥已エであるといひ、つまb吾人の心に快、不快、沈鈍の三億あるは三他の一代来的特 徴であると見たのである ︵支那評ではこの喜憂暗な以それん\S泳ぎメ︼・各s−t吉宗の評語とし てゐる︶。蓋し吾人の心悩は弛も直疫に紅験せられ且つあらゆる判断の基礎となるといふ別に於 て、指し常も戚僻の三撼を以て稀有解辞の公畔とし化ものであらう。然しながら放論派は之と 同時に物的現象も三徳から成立するといふのであるから、心的特級と同情に物的帝微をも示し 小小 欲 研 究 郡山堰 第二耽 二七四
た。それに従へば他の瀞串た去は︵例へば光明の如き︶薩憧︵喜︶の穂の然らしめし化もの、動的 なるは︵例へば風の′如き︶確聞︵亜︶の植の然らしめたもの、沈諏なるは ︵例へば大地の如き︶多伸 ︵将︶の徳の然らしめたものであると。蓋し物の抑中なるは吾人の心な押にして喜ばしめ、物
の動揺不定なるは心を勤して不快花らしめ、その沈滞なるは心な迎鈍ならしひるといふ理由に
韮くものであつて、即ち、放論派は物的現象も心的現象も、同じ肇料の虫作用であるといふ立
場からま翫的惜穐と碁敵的粧貿とほ舶應安常するものと定めて、共に三相より成立するものと
ま張し佗のである。そこで教諭派は粟に進んで物心り両者に絶す旦二徳山舷の嘩翫む郊げて、
纏じて潤⋮明卯年なるは薩癒の由現で、躍動不定はるは誹榊のそれで、批昧沈滞なるは多摩の聴
視であると蝕んでゐる。
かくして激論派は、この見地に兆いで、あらゆる現象堅二分して、之里二徳に別して考察し
花柄が、腫て教諭派に於−Jる世界観の一大咄撒となつた鮎である。而もその適用の範聞化るや断る成る廣汎で、大は天地よゎ小ほ革元の一けに至るまで、三徳各自の優劣、損昧、猫弱を寵
めて、現象各日の棚状の差異な説明せんとしたのである。従って吾人1㌻りすれば、その配皆の 仕方には、可なbの無理と不徹底の頗とがあるけれども、要するに、上中下の債橋、殊に倫理 枇諭の三徳論 ︵* 村︶岩 牧 椚 究 邦︼怨 節二班 二七六 的宗教的惜他の粕泣を基礎として、三塘の次第を定めんとしたことは、生憎を貴く大方針であ つ柁。今..その池川の一々の場合を薙ぐるの伶祐がへ㌧いから、試みにそのまなるものを闘表し て見やう。 その外、和々の註秤家にーdLソて過川され化例を畢げるならば、欺ふるに逗あらざる程なるが、 大凡右の衷にてその一般が分らうと愚ふから、この位にして省略する。生するに三穂説は印捜恵 昔−一せ 止r ●J ・′んI 、小J− 光 、・天 三敵視通 肝引榔iユ 天道 洩性︵健︶ 菅 林 招 閥 茫 加 i崇 人道 不快 意︵我憧︺ 紬︵謂邦︶ 也︰︰︰︰︰︰︰︰仲井 l﹁一 獣道⋮︰︰︰・︰︰有情 哺陳︰︰︰︰︰・︰・感.捕 物異︵武略︶⋮︰⋮現象問捉の相 木普︰︰︰︰︰︰︰普悪 †︰︰︰︰︰︰︰︰等差 爪︰︰︰︰︰︰︰︰三也 多 哨岬 持︰︰︰︰⋮・心的特徴 ︻‖H ︰︰︰︰︰︰ 覇和︰︰︰︰︰心拍共通 僧任那偶十二 − 十三の説明
想家の最も好める三分的考察︵三姓、三吠陀、三紳三両界、三強等⋮・︶ のぬ和、若くは一方向 として魂ったものでぁるけれども、之を軒ちに市有組成の本源に裁く貼椎と見串別に従前にな き判準的惜撤もあれば、亦その難解の原因も存するのである。 然らば、放論派はこの三穂を以て、本凍異なれる三原珊と見たか、満た、一二邦雄の三井而又 は三聴視と兄化かといふに、この郡は可なり卿桝であるけれども、要するに両方を菅虚し柁や ぅである。即ち一面に於では三ポ各々異なる鱈惜︵計弓℃しと見ながら、他面に於ては三者は 蓬に裡るゝことの出凍ない押一糟と見化のでぁる。てー一肘詳しく言へば、放論のこの釦に閲 する意見は、要するに≡桂一概説であつて、現象め土からすれば三徳は各々異なるけれども、増 壇上、三祈は決して榔る、ものではなく、晒その凝視に購昧弾弱の差あるに過ぎね。殊に前石 来聴の同位に右∵りては、その潜航の棍皮にも弼別の加速がなく﹂ニ新車均して不分銅、無鮪無縫、 無形相の唯一冊をなし、弦も基聞に格別の温むべきものがない。放論はこの常惜を本陶︵pr覧︼写. nP︶自性︵prP打宣︶又は未開屁t名くる。故に三徳は三なゎと榔も、少くも本囲に就いて云へば唯 一で、本国は唯一打わと緋も、基申に可能性として後楽廟になるべき三碓を食む釦に於て三であ るといふが激論派の答桝である。然らば東に進んでその唯一の本田たる自陣と三撼とは、賓肇上 如給の三増給 ︵水 村︶
けポ 敬 研 究 弟︼窄 餌こ兢 二七八 同か重か、換∴すれば 鱒清︵認諾︶=川轟8個遥か将托堅陣=川筋せ茸+H かといふに、理論 上詮する所、放論の帰着鮎は仲タ1i一り方解式、即ち三徳の組利以外に別に自性といふ原理が春せ ﹁う什イヤ ぬといふことにならざるを得ね。何と号れば教諭派は三徳を以て明かに賓憤であろといひ、三 徳の中均状値を自性と名くといひ、殊に註者となると三徳と自性との一聞係を、三色山系哲以て 絆へる組に比し、又は三木の樹木より成る林に比した断もあるからである。而も寓瞭土、敬翰 振は動もすれば第二の方程式官有足するが如き説カおなし、恰も自性は三総の総和以上にまた その拝までもあるかの如き口吻む以てした桝の∴のるのは、蕊−主徳批聡運の歴史的曹淡が桐ほ ここに有力に働いてゐÅこ化めであらうと思ふ。即ち先之、一描排に三方而があるといふ思想が あつて.而もそれが教諭の三徳軌の発願をねして、翰波面ほここに及んでゐるためと思ふので ある。とにかく歌論の三穂は自性に於て三位一髄であるけれども、亦同時に三穂は弼立の三本 貿で、而も何れかといへば.三といふ方に韮きのあるといふことぉ忘れてはならぬ。 こ・ろゆ書 以上は放論派の三概観の大醗である。而も文革によトながらも、成るべくその心行を求めて の解椰である。今之に逝いて、更に秘めて三億翫の咄徴を螢ぐるに.大凡次の教職に枇ょらう ■■▼ ■い●