――目次―― 1,口絵,フライジングの寺院の柱 2,北欧民間宗教の基督教化(上),松村武雄,Takeo MATSUMURA,pp.1-25. 3,仏教における神変説について,禿氏祐祥,Yūsho TOKUSHI,pp.26-34. 4,入社式と経済,バンクス諸島中の一例,赤松秀景,Shūkei AKAMATSU,pp.35-47. 5,第一義諦と世俗諦,仏教思想の取扱として見たる三論学の二諦説,佐藤泰舜,Taishun SATŌ,pp.48-64. 6,信行の三階教団と無尽蔵について,塚本善隆,Yoshitaka TSUKAMOTO,pp.65-80. 7,起信論の支那撰述説について,松本文三郎,Monzaburō MATSUMOTO,pp.81-103. 8,「切支丹宗門の迫害」補遺,大村藩の書類について,姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.104-111. 9,マハーブハーラタを読みながら,池田澄達,Chōtatsu IKEDA,pp.112-116.
10,宗教現象学の一形式,G.van der Leeuw, Inleiding tot de Godsdienstgeschiedenis,
Haarlem, 1924,宇野円空,Enkū UNO,pp.117-123.
11,モース『交換の古代形式』,『贈与に関する論文』について,古野清人,Kiyoto HURUNO,pp.124-138.
12,ヘーゲルの宗教哲学,石津照璽,Teruji ISHIDSU,pp.139-151.
13,過去25年間における宗教史の研究(下),A.E.ヘイドン,pp.152-161.
14,新刊紹介,pp.162-170.
フ一フィジンクの寺院の桂 筒は共に燭逸フライジングり寺院の撞である。刻みつけ㍗図像の解繹1こついて は、従束種々り説が・わつ㍗。ヘルマン・シュワイチエル氏︵︸冒・ロー旨n哲ざ讃i什Ner︶ は、ジグルドが茸争付議る瀧蛇ヾ﹂闘ふミ、ろミ写し、カール・ポリンスキ教授 ︵ヲ○”吊邑︼首inを︶ほ、ぺルンりディートリソヒが一顧士ヾJ共lニ、睡眠中に襲 び来つt龍蛇な屠ろヾJ=ろビ隼し㍗。然ろに最近一︵一千九百二十二年︶エー.ユ ング戌︵芦J雪舟︶ は、環逸り讃地l二存すろ寺院り形柾壁塞等ね仔細lニ調草し㍗ 結塊、ゲルマン紳話がそれ等lニ毛−チフ写して抹り入れられてゐるこご¢多きな 見出,し、上端¢彫建な目,して、所謂Rぷn誓〇k中り一鼻面オーデイン紳及びウ.1 ダー紳が、巨張ハ票n訃雲嵩︺ ぎ壷由苛去さ、=ハね表現L主ものミ断じt。エッ グや ノ基訂ppの記述ミ、彫桂上の人物の動作ミな照合すろミ、氏の新解繹は、 頗ろ蓋然性に富むミ幸江れげなら犯。︵松村武雄︶
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∴
基替歌が先の固から西欧に浸潤するにつれて、チュートン族の宗致神話は、まづ彿蘭画に於て死
滅した。それは末位鋸頃のことであるが、それから一二世紀おくれて、英輌のそれが、略一同一の蓮
命に逢着し、更におくれて紀元八百年頃、覇逸に於て、サクツン人が、シ†−レマン帝の下に韮督 教化せられるに及んで、こり闘の異教も、大きな程度に窒息するに至った。→︶それから韮督教化り大きな手は、次第に北隣に延びて射った。しかし北隣に於けるチエートン的
宗教紳前に、鮮明な基行数化の烙印が見出されるやうになつた時代については、まだ定説がないや
ぅに思はれる。︼○呂−〓∽㍍に成った切符n⋮−−dの﹃古エツ〆﹄及び〓謎−︼慧−に舶まれたSきrre S什弓︼碧亡の﹁新エッグ﹄ に、光督数的要素が含まれてゐるか香かについても、今日まで諭瑠が引き療き行はれてゐる。
諭仰は、北欺十二紳の主宰者オーデ。ソにまつはる紳諮のさまざまな形如に悠小してゐ一心。而し
北欧民間宗教の基せ軟化︵上︶北欧民間宗教の基督数億︵上︶
松 村 武 雄
508 二 北欧戊間宗故の基骨軟化︵上︶ てその形舶を裁断数的漁泉に辿らんとするものと、之を否定せんとするものとは、正に﹁古エツ〆﹂ 啓中の≡蔓邑卓二十人以下の葦句に控意を集めてゐる。何故なら、これ等の章句がいかに解粋 せられるかが、オーデ一ソ紳笛の基督数的超脱を育虚し若くは否定する禿妥な郎鎗となるかうであ る。而してムンク氏、ブツゲ氏、ブルテル氏等は之を肯定しょうとするに頂いてゐたが、最近エッ チ.エム・チ†ツドク一ツク氏は、更に精細銃刑な文献解剖を試みて、之を否定するとに努めてゐる。す︶ しかしたとひエッグ苔に韮暦数的色調が浸潤してゐないとしても、そのことは、北欧に於ける典 故が十一二世鋸に於て、まだ基衡敬化の卓に掴まれなかったといふ詑披にはなら鱒と思ふ。何故な らエッグ沓は、アイそフソドで成ったものであり、而して岡島は、欲動大陸から泣く耽れてゐると いふ地理的準備と、そこに住む昆衆が、瑞英、諾威、丁抹の民衆に比して、温かに頑固強健な典故 の執着着であつたといふ心理的酢酸とから云って、スカソディナダイア牛島とは大いに趣を英にして ゐたからである。︵I︶ 韮暦数は、既に八世紀頃に、北疲に可捏了り碓野な地歩一で占めてゎたとにすものがぁる。︵一︶北欧の ≦k㌻gどもが、欺洲の両軸罠及び西方訪問に泣征を試みたのは、九世紀頃からである。而して彼 等はそれ等の沌征を迫して、基材放いさまざまの数式を軍び知ったに違ひないから、スカンディナ グ一アの基衡教化は、迎 くとも九世紀から十世紀頃に始まつてゐるでぁらうと云ふものもある。︵6︶
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これ等山見解を碓め・匂史料の布地⋮に闘しては、自身は殆んど知寧で柿持ぬ。しかし民間宗致及び民
間説話のカ而S材料がこの場合に可ならものを云ふと思ふ。野際スカソディナダイアの民間宗教及び民間説話に細心の注意を沸ふもわは、眈に十世紀から基督
数の影響を受けてゐるといふこと、及びその影響が近代に近づくにつけて、ますく鮮別になつて
凍てゐることを見出すでめらう。自分はこれを資料として北欧に於ける基衡教化の問題を少しく考
察して見たいと‖心ふのである。しかし自分の考察は、北欧に於ける基軒数化の年代の閉退ではなく
て、韮督教化の校旗の問題でぁる。
〓
節一に、北軟典故の赫々の形象が、兆督教化の手な通して、いかに昭化したかを考へて見る。北欧
十二細のま座オーディソは、をの内性及び職能に於て、虫も光縮的要素に館む紳格でぁった。兄術
的文字を細入に僻へたのも、魔力める評歌一ピ紳界に筋らしたのも、共にオーディンであつた。それ
から人の子が傷いたり、封魔族に苦しめられたりする場合に、之をいやしてやり、之を救ってやる
ために、オーデ一ソが探った手段は、いつも兄縮約のものであつた。オーダイン ︵Odinもt︼li且の祁 呼そのものが、n分JJ考では、⋮几術と不可分離の関係を持つやう.にM心はれる。 オーディンは、舌代サクツン語■でW已昌であり、○己HigllGつrmanでW呈すロであ♭、古代英 北欧民間宗秋¢基髄扱庇︵上︶ ∵510 北欧民間宗枚の英僻叡化︵上︶ 四 語でW巴3であ丁ワ.舌代北欧譜でOd㌻−1である。あるものは、これ等の語を目して、梵語の↓嬰F ︵亭主に関係があるとなし、従ってオーディソぉ目して、本務風の紳、あらしの榊であつたとなす。 しかしこの語原訟は、仮にプルテル氏によつて、蓋然性がないと師せられ、︵‘︶而して近時チャツド クイック氏も、これに同意してゐる。︵7︶ 風脚詭を拒んだブルテル氏は、あらしの死に峯を切って突進すると想像せられてゐる亡憲軍の指 揮者なるW已eが敬通して山偶の御格となつたものが、クーーデン御つ一.。de−1−Cdi−1︶に外なら曲と云 ひ二。︶クルーグ氏も、プルテル氏のやうに、wOd昌とP仏急ぎ乙e冒§との問の閲係一ぜ認容して ゐるが、氏は更にノく已e−1と荘此ハ語雲訂及び舌代愛閥語の琵t︼1とを結びつけて、この軸は、本 虎的にはb雪die d−雪Peterを締ってゎたとの結論に達してゐる。︵。︶ これ等の見解にも有力な反封説がある。チ†ツドクイック氏の言説の如きその一でぁる。氏は、ブ ルテル氏の見解を許して、 ﹁氏の仮説は、プレメソのアダムが、 ミW乙巳︼︶己邑2 と云った言韮や1 瑞典に於ては二占昆急t告de冒巧。が;○計ロこPgt﹀、として知られてゐ一心 といふ革質によつて、布令がよくなつてはゐるが、しかし這般の迷信は、オLアィン御託との
611 後代的園聯から、その名を享けたかも知れぬといふ可構性があることを、しかと考慮の中に入 れなくてはならぬ。﹂︵l。︶ と云ひ、クルーグ氏の説に対しては、 ﹁W監eロといふ語が、く冒∽に関係を持つとしても.それだからと云って必然的にこの紳が本 務 b弓diec訂r邑er を持ってゐたといふ結論は出て凍ない。ゴール人の問にぁつては、﹂ヨg盆 とbardiとは別物であつた。﹂︵H︶ と云ってゐる。 自分は、クルーグ氏に同じて.一言d昌と雲訂とを紡びつけて考へたい。これは乾なえ推測で はない。サクツ・グラマチクスに明確な語数がある。その記叙巻五に、オーディソは至芸撼として現 れてゐる。︵l℡︶しかし自分は、d阿訂を解して訂rd訂e訂r荒すのものとなす鮎では、クルーグ氏に 反対しで、チャツドゥィツク氏に賞せざるを待ない。それならば.吉富は本務いかなる職能を対する ものであつたかといふに、古文献は、いづれも之を兇術的預言者となしてゐる。デ一オドルスの如 き︵13︶ストラガの如きこれである。︵川︶ かくて.オーディソ紳は、これに紡はる多くの説話から見ても、はたその祁呼の原義から考へて も、浪悍にm各cや彗彗﹃の要素を内存させてゐる。而してこれ等の光来は、基暦数の最も忌ひ 北欧民間宗教の基骨軟化︵上︶ 五
512 六 北欧民間宗教の鵜僻故化︵上︶ ところのものであり、同時にオーディソは北欧英数の頭目でぁつたが故に、韮密教化の運動は、最 も強くこの紳に向けられてゐる。 韮曾敢従は、オーディソの戎象を醜化して、一個の妖術者となした。その躍徴として、一の民間 説話な輿げる。 誹成‡オラフ・キリ︵︵︶㌻ニ首・︼■⋮︶が、嘗て微視のために国内一ぞ巡拘してゐたとき、一質入の噂を開 いて.これと無慮を列するため、窃かに侍ほを迫って.その胡の掲を殺し研を創ねさせた。そして さりげなく之一でおのれの側に招くと、三羽の烏が、肌次に飛んで凍て.男の傍で囁き立てた。刃に、 その粧を聞く毎に、奇しき微笑を浮べて、オラフ王の蔚を疑糾した。王が怪しんで、その仔細を尋 ねると、男は、烏の告ぐるところによつて、王が、おのれの将・軍属♭てその頭一で創ねたこと一で知っ たと答へた。‡は.その男が、妖縮着であることを悟り、且つその技に成じて、財物をなし祝を免 じたといふ。︵15︶ この妖術老は、オーデ4ンの鼻形である。北欧宗教榊訪に於て、最高紳の地位を占めたオーディン の悼ましい妖人化である。従って彼に秘密串一ぎ告げた三羽の烏は、疑もなく最高紳としてのオーデ 一ソの、正賓な邑ribu︷認の一部をなした二羽の烏の名残りでなくてはならぬ。 かうして位大な紳としてのオーデーソが、妖術新に滑強化せられ醜化せられたが、韮暦数化のカ
別3
は、正に他の方面からこれに攻撃を加へ一てゐる。
その攻幣の一は、敵い凡を準ヱし、これを封老に擬する手段であつた。オーディソは兇術栗山雄
で一ゆつた。かくて苑暦数従は、一投手をして、オーディソからその兇柵を寧ヱし、それによつてア
サ紳族の‡者を窮地に粘れた。〓埋設に云ふ、︼′、it・≡−ぎーL′I三戸−1?茅賢r︶といふ劇が、オーデーン の手から、r∈−㌻staぺまを盗んだ。そしてその魔力によつで、オーディンを攣フた。オーディン咤猛犬や杜仲や人魚等を率ゐて、その英と闘ったが、男は、魔力によつて、遠くこれを縛り上げてし
まつたと云ふ。︵川︶ 攻華の二は、DPS 象te−1de穿つrの甘徹としてのオーダィソの抹殺である。而してその抹殺は、史賓化によつて行はれた。
一博詮に云ふ、普ポ北欧の他にヨソス︵J。且といふ王者がゐた。狩狼に射する熱狂と、非常故に射する頑強な侮蔑とで、戚くその名を知られてゐた。一日狩に出ると、辿れてゐた犬が群が、一匹
の兎を迫ひ出した。兎は、とある散骨に駈け込んで、祭亀の前に凍た。折しも一人の仰が放・で説い
てゐる叔中であつたが、王は、容赦なく鵬を致骨に乗り入れた。仰が火に惑って、竣なる勤行を妨
ぐるは、容易ならぬ非怒であると笛った。すると託は之・ぜ冷笑して、
﹁もしわしが、此の恍でも、死んでからも、狩さへ出水たら、外のことはどケでもよい。﹂
北欧戊問宗教の逓骨軟化︵上︶ 七514 北欧民間宗秋の其藩政鹿︵上︶ 八 と云ひ発てながら、兎一ぎ珊へて立ち去った。王はその後間もなペニの世を去ったが、どこにも安息 の世界を見出すことが出水ないで、永へに狩級をつづけねばならなくなつた。︵け︶ かくして典故的なp一SまぎdeH弓の骨髄としてのオーディソに封す一三偶の代用的人物が生れ 出た。その節然の録結として.この人物は、柁魔軍の頭目と⊥てのオーダィソが常てとつてゐたやう な行動をとることを強いられてゐる。燈み渡る夏の柁に、猟犬を率ゐて、容裡一旦駈けるといふ如き、 在中の行列に唯一人で出逢ったものは、英を蒙るといふが如き、一節人が未明にクリスマ.スの穿酒 を醸してゐ乙と.三匹の犬が突然入つで凍たので、ヨソスの犬だと悟って、これ哲愛撫してやると、 天明になつて.月外に苅金の揖締の落ちてゐるのを見出したといふ如き、︵l霹︶三つの月が、舶並んで 錠がおりてゐないと、怪数人ヨソスとそ・り犬とが、その家に入り込むカを雅・0といふ如き、はた或 るとき、ヨソスが犬と共に、一農家に入つて凍て、食を需めたので、一預の王牛を輿へる︷、ヨソ スは犬と共に之一で囁ひ滋したあとで、何等かの形で謝意を来すであらうと云って克ち去ったが.そ ■ の線虫して、その農家山牝咋は、屡々双仔む生むやうにへけつたといふ如き、︵仲︶みな這般の消息をも ら寸偵説でなく.・一しはならぬ。 一王 を汚したといふの拉,その一つであTヮ、役所然の日に狩′でしたといふの■は、その二つであ・0。欺洲
615 中世紀に靡く術はれた﹁月芝の樽詑−1一班子が梁なる安息日に琴ど採らに締った,めに、その責
罪として、永劫に柴り軍営埠って、月の中に仲立しなくてはならなくなつたといふ僻訟と同じく、
いづれも、韮督故に封する紳染田泊が、そのモーチフとなつてゐる。基督教化は、英数紳オーディソ
を〓偶の王者に史化するだけに雄らないで、これに軸の貴駒までも背負はしたの■である。
ォーデ一ソの代用人物としての怪徽人の名に関しても、幾多の侍承がある。タン三u且、エソス ︵J。且.ヨソまJO且.フエソ三Hue旦ホルン三苧1■且、ク﹁エソ三W各且の如きこれである。クレーギー氏は、これに就いて、
﹁これ等の耕呼の託児に.いつもSが現れてゐることから判断して、Odiロ⋮mすが、これの本成約概念であつたといふ推断が可能になる。﹂
と云ってゐる。︵帥︶い豊l︼人の見るとこ・クで以てすれば・耕呼そのものが、飯に同一のことを暗示し てゐると思ふ。何故なら、竜宮nば即ち一差enの挽歪せられた形であり、qロはObで、而して 近代の農民が、オーディンのことをオンとなょり呼んでゐることは、西ゴー⋮ソドのS賢2︸pビ於 ける住民が、オーディンがその将に草を食ませたと跡であると信じてゐ一品場・紆呼んで・〇亭賢ger ︵Odillざ冨dC且となしてゐるに撤して明かである。︵,・√ かくて、吾人は.果敢紳ぉ人開化し現栗化する努力の表現としての王者も∵−れを疑配すると− 北欧武問宗教り基骨軟北︵上︶5】6 北映艮悶宗放り茶懲軟化︵上︶ 一〇 その衣裳の下に、オーディン紳の要一ピ認めることが出水る。この場合のー︸r品−2七山邑iつー1は、一の駁 装に過ぎぬ。そしてその暇装も、庇ちに木偶一で暴・鋸するやうな薄い衣からなつてゐるといふことを 見出す。 それから、愕数人としての王者が、謬−・g←−︼呂やe︼﹃に封して、槻拗へ㌧恰志を持つといふ比閏信仰 も、魔冊数化の努力老優切って、三景の本位′〃じ、吾人に暴誠するものでぁると思ふ。 一作説に云′ぺあ・り邦が、エルそ7ソドからアーレストルソブへ歩いてゐると、恐惜して駈けて凍 る二人の女エルフに出逢った。彼等は、﹁彼は未だわれ等一で捕へ餞はじじ身潔からざれば。﹂と語りな がら走り去った。邦はやがて将に跨った一班子に逢った。・でilは惰数人ヨンスであつた。ヨンスは 男に封って、﹁何者にも逢はぎりしか﹂と串ねた。,てこで二人の女エルフを見、且つその語るところ を闘いたことを告げると、ヨソスカち水で憶一で拭って言ふ、﹃汝もし地に伏して、耳一で塞ぎ層なば、 われやがて折り凍りて、よき報賞を典へん﹂と。英はその富来に従ったが、怪人がいつまでも打っ て凍ないので、耳に挿し入れてゐた滑をぬくと、砲牽に似た普が聞えた。やがてヨソスが、二人の エルフをその印夏で梅澤に給して現れた。そして英に封って﹁汝、わが命に北〓きて、エルフい追跡 七困難ならしめし故、珊賞を恵むこと髄はす。ただわが掲の火へる揖蹄を鼻へん﹄と云って去っ たし刀川†︰・掲蹄一ざ探してこれ一ぜ弛だが、ぞれは黄金で造られてゐた。︵讐
6】7
他の一説諸に云ふ、一人の百姓が、朝早く家を出ると、寒中に甘岡く響く人馬の普を開いた。忽ち
将に騎した一決子が、彼の両前に留って﹁わが猛犬を番せよ﹂と云って去った。百姓がその言真に従
って、犬を守ってゐると、やがてその沈子が、二人の女エルフの頭夏を掴んで、掲背からぶら下げ
た値引き返して凍た。そして﹁わが犬を返せ。汝のチビ出せ。酒餞を典へん﹄と云ふ。ti姓が手を出すと、これに三本の指の先をおしっけた。百姓の輩には、三個の烙印がついた。沈子は、犬の吠聾、
女エルフの叫葦と共に、容一ピかけつて立ち去った。︵誓 書人は、かうした説謂に於ても、史化せら持た‡著を透して.夜魔罪の甘御としてのオーディソを見ることが出凍る。耶なる‡老とせば、エルフや山男に対して、しかく大なる敵意を快く翔山ノで
解するに苦しまざるを符ないのに反して、アサ御旗が、かうし中春在を悼んだことは、多くの青柳
訪の繚示するところでめるからである。
かくして、Pr議m已泳已i01−による、異教紳オーディソ抹歓の金岡は、決して完全に成功したとは云はれぬ。
叔後に汲も興味ある︰偶の民間信仰が残ってゐる。丁抹の或る地方に於ては、畏比たちは、轟中
に囁がしい物音を開くとき、﹁それ基斬が迫る。Lと云ふ。︵讐彼等は、額裡の怖魔人一で韮悍と同一脱してしまつてゐるのである。かぅなると、勝利は、英数と韮懲放とのいづれにあるかが疑はしくなる。
北欧民間宗敦の基喧叡庇︵上︶別$ 北棟戊問宗教の基骨軟化︵上︶ 〓一 基軒数が、オーディソを妖術新化したり若く止邦ある王者に化した♭して、懸命にその偶位絞殺を 企て∼ゐるとき、無智な農比は光背化せんとしてゐる。基督教徒は、おのれ等が雄志す・ぷ几柵的妖 縮約信仰が.﹁わがま﹄に紆せられたのを見て、坐ろに苦笑を林⋮じ得ないであらう。 アサ紳族中にあつて.オーディソにつぐ偉大性を持ってゐた常男耐トルも、韮督教化い狙ひの的 となつた。 紀元九百九十人年にオラフ‡︵〇㌻r▼与y第くっ空一︶が、龍蛇九に乗って渥一で航してゐると、亦髭の大 男が同鋤を戯んだし王は彼一で呼んで.﹁このあたりlこは、昏てどんハ㌧和放が住んでゐたかLと尋ねた。 彼は之に答へて、﹃友人が化んでゐて、人の子に翻してゎたが、R分が、民衆に戯まれて、槌でた人 共を粉適したLと云ったかと‖心ふと、身一軍翻して海に飛び込んだ。王は之一ぜ見て、﹁われ等に鱒っく とは.あの患魔も中々大脇である。が、彼は乃公のカを知らないで、あまり早く祈ってしまつた ﹂ と倣語した。き 赤髭を生やLてゐたこと、槌で瓦人一で乾したこと!これ等の串欝は、この不日心誠な邦が.トル 紳のへuれの某であ一んことを花示する。而して彼は.一少くとも十世紀の民間信仰に於ては、既に一個 の悪魔に壇してゐる。異教山朗恕な信新ラウドが、オーラフ王に改宗を強いられて、﹁さらばおん身 とトル紳とカセ列し給へ。膠てるもの∼致を革せんLと答へたとき、王の口から送った言韮の中に
619 も、トルを目して志度とへ与してゐる。日く﹁われの亜敦を説くところ、未だ嘗て悪魔一官位映してゎ れと角せしめしものなし﹂と。︵邦︶ しかし韮督致が、・トル紳を醜化するために、最も好んで典へた形象は、志度よりも友人であつ た。十三四世紀以後の民間説諭は、橋駐のみ徒らに大きくして、性情の忠味な一個のt邑−として のトルの要と、愚昧な虐めに民衆に翻弄せられるトルの失敗の場面とを描き出すに忙しいの一ぜ常と してゐる。 黄金なす陽光と温い文の夕北との紳であつたフライも.基替歌化の運動によつて、一個の患歴と な♭、若くは一個の‡者に化せられてゐ一心。職典人が、十一位如に最も東邦してゐたのは、フライ の像であつたが、韮軒数の紳の名を唱へると、その像が、よろめき倒れて、その中から悪魔が飛び 出したといふ伸承の如き、︵釘︶若くは、オラフ王の言兼に、 ﹁フライと呼ばる∼ものは、瑞典の王者にして、その死するや、大墳丘を築いて、その中に屈七 井れり。﹂ とある如き、︵ぎJれがよき例葦である。 フライの妹にして、美と愛との女紳フライヤも兄とその運命を同じうしてゐる。この安釧は、悪 戯若くは妖逓に醜化せら拉.誹成、瑞鹿.狗泡の山間に及迷せられたり枕小弟逸のブリツケソは、 北欧民間宗教の基中秋北︵上︶
620 一四 北欧艮問宗牧の基髄赦免︵上︶ 妖魔としてのフライヤの綾所として、中世紀に汲も有名である。彼の女の部下に屈する来歴朗の葉 合口としてのゴlp弓gぎ弓l一tは、人のよく知・匂ところであらう。詐凌ゲーテが、﹁フ丁クスト﹂に於 で、妖巫たちに放縦浮旦lな歌一ピ歌はしめたのも、これに開係してゐると云はれる。︵讐 大地女刷として、はたオーディンの配として、北欧服ハ故に於けろ女紳の尤であつたフリッガの宗教 的末路も、苑督政文化り岬迫手段の︰たる悪魔化の犠牲を示してゐる。この凱に於て、この女紳は、 其と愛との女紳フライヤと荘命を同じうしてゐる。ただしフライヤの場合に・ぁっては、北欧㌫数よ Lソ︵︼呂○−−○−Ogyへの昭諦でぁつたのに反して、フリソガの場合は、尤歓喜薮から、罪掲宗致を通して のd30邑藁yへの婿落であろ。兼併敢従のフリッガに対する呪肌は二禿であつた。彼等は、北欧の 女前に射すろ雄志と、#典的女紳に対する怜忍とを、二つながら、フリッガの頂上に雨らしてゐる。 即ち中世紀の傍証に従へば、ホル〆︵−≡言としてのフリソガは、ツリソギアなるヘルゼルベルグ山 はや大地に川北飴と繁発とを輿へる の洞羅内に化み、ヲ岩ノ、、2一−Sとして知られた。哲彼の女は、も 恩恵の女紳ではなく、註Eic乙︼ごくeの椛化であつた。彼の女は、安否と逸禦との宮殿に棲み、そ の昔聖は、肉慾哲芽した人の子に封す一三大嶽誠心でぁつた。彼の女は、一個の︵・買ぎーtr琵として、 人のチビおのれの妖界ヒ造ひ入らしめ、あらゆる内戚的恍架に酔はしめ⊥L、永へにおのれの傍に引 きつけておくと僻へられた。クソホイゼルはその代淡的なものである。
621 ヂ・・∴†ウイル ァサ紳萩中のロキ︵≡ハi又はlL且は、異数に於てさへ、既に寧悪魔と考へられてゐた。従って アサ紳及に封する基暦数の煎魔化の手咤.この紳に対して、最も容易に延ばされたわけである。一7 :ルクの化比曙£−ハeといふ一隅の超人問的存在を持ってゐる。そしてそれは一の悪魔と倍せ られてゐる。︵3.こよkeは、疑もなく北欧英数に於けるpキである。甘キはその名に少しの臭化を 生すると共に、竿憩威から純悪魔に移宿したのである。 古い時代の北欧人は、十二宮を知るに及んで、彼等が倍率する赫々のま要なるものを之に配し ︵昭︶ た。基衡教化の手は、この鮎にまで延びてゐる。カトリック教徒は、十二宮の内のA宅弓iu00に配せ られたフ丁レ軸︵ゴle︶の性情に若干の手がかタど求めて、之を韮督致の一重従に化してしまつた。 オーディンと、凍れる大地り翻格化㍍主ごツソデ︵Rill︵ヱとの問に生れたフ丁レ脚は、勇敢にして巧妙 な射手と信せられた。基懲致は、この−紳を葦徒化して撃♪タロとした。丑し畢ハクリも、二仰の射 手でぁつて、朝にほ弓箭一ぜ執って邪悪なるものと隅ひ、午後には武琴で解いて紳に舶る染着である と倍せられたからであらう。︵警吏にファレとバクbとが、その琴甘に於て珊々祁似てゐるといふこ とも、幾分か輿かつてゐると疑はれる.︵このことは後にまた考察する械骨があるとM心ふ。︶
三
北欧の宗致及び紳諸に現るる紳々の形象が、韮替歌によつて、さまざまに抄盃せられ一心とは帖に、 北欧民間宗軟の濃世故北︵上︶522 それ等の赫々に醇布な柁々の芸r⋮b11t窟も、同じやうな惨めな運命に達者してゐる。 n分は先に︰偶の妖術前に化せられたオーディン榊と.それが依ってゐる三羽の烏りことを説い た。この三羽の烏は、疑もなく宇宙脚としてのオーディン紳に仕へる二羽の鳥の鼻形でぁる。オーディ ソ紳の㍍の上にとまつてゐた二羽の鳥は、一はHl一ginと呼ばれて、﹁新察﹄を意味し、他は雲ul︼㌻ と唱へられて三記憶﹂む意味した。そして日毎黎明に痢の尉を離れて、全宇宙′ど飛翔し、夕に至っ て締り凍ると倍せられた。かくして二羽の串り行動は、精細政界の支配者としてのオーデ4ン紳の 心が、全能界に.=づて所感寺ムこ上の象徴的詮衣であつたししかしオーディソ紳が、韮督教化の宜 腕によつて.最高所から一介の妖術ポに引き下ろされると共に.烏もま望迫般の高速な宮邸的意哉 一で剥奪されて、妖鋪者に焼は一わる児しい妖鳥に純化し了した。 さあれ吾人が注意し㍍くてはならぬことは、基督教化・り偉大な選手たるオラフ王も、一介の妖術 老との智慧比べに、見じめな失敗をなしてゐるといふ一弔である。この現象は、あとで考察するつ もりであるが、典故と基督放との葛藤が生起させた郁々の形相の中で、鼓も注目すべきものの一つ であると‖心ふ。 オーダィソ紳に次いで愉大な融蕗であつたト〝紳の持物にも、基替教化の手が伸びてゐる。 一千人面十八年に、コソラード・†ウ∴レル博十︵冒﹂ハ2一1■2=r⋮・且がアイスランドで親しくH幡 北欧艮問ルポ軟の基骨軟化︵上︶
ふ33
したと云はれる﹁トルの槌旨、吾人に大きな輿眈・ぞ奥へる。クレーギー氏の記する塵によると、窃
盗に躍ったものが、もし丁ルの槌音持ってゐるなら、容易にその賊を見出す主が出凍るといふの
が、北欧の民間侶仰の一つである。トルの槌は三度盗まれたbe宇m2已を材料として、使徒行樽と 廟音沓とを補する閉に鍛え造られる。そして窃盗の英厄にか∼つたものは、此槌の柄を軽く叩いて・ rゎれ5g・ど訂r︵オーディンを意映す︶の日に打込まん。われトル紳の日に打込まん。﹂と唱ふればよい。さうすれば、盗者は∵々のが日に激浦を撃乙、品物を返さねば、蓬に明を失ふに
至ると信せられてゐる。︵別︶ これ賓にF呂害冨hi。−ロ品ieの観念を基底とする一の兄術的風習でぁるが、この風習は、骨にア イスランドだけではなく、囁典、丁抹、詳威等の民間にも贋く知られてゐた。︵讐吾人は、この民俗を通して、基督教化のカが、トルの持物をも掴んだことを悟ることが出水る。本
虎的なトルの槌は、北欺御託を飾る如意貿の一つであつた。それには、自らトル紳の手を離れて、
敬老を超したあとで、また自ら同訓の草裡に飛び締る紳封な勢舵が潜んでゐた。トル帥が、五人怪
魔の位略からアサ紳族を自由ならしめるために、彼等と忍園するときに使った、敢も光粂ある武器
でぁつた。主人怪魔が.その威力を爛れて、トル軸の手から之を奮はふと努めたのは、決して一再 ではなかつた。︵讐 北欧民間㌫秋の八軒政化︵上︶6別 北欧民間宗軟の張東成庸︵上︶ 一入 しかも真人怖魔は、遂に之を奪ふことが出水なかったが、韮督敦は.能くこれをトルの手から奮 ひ取った。7ルの槌﹄は、もはや典端的保儒の造るところではなくて、散骨の訂︼l・mCt已を材料と し、発薄の諦識と北ハに股はれることになつた。そしてトル紳のた虻の武器から.トル紳への呪岨の 道具となつた。基幹敢は、その月の敵の随一たる異数紳の兄を奮って、却って之をその敵の目に提 するに至ったのである。 しかし吾人は、オーディソの烏の場合せ同じく、ここにもまた異教が持つ糊拗な反壕カを見出す ことを除催させられる。なせならトルの槌が、基幹数的に製眈氾せられるやうになると同時に、典故 時代には見出されなかった程に浪厚な民間兄術の信仰が、これに踊綿寸るに至ったからである。 基暦数化の辣腕が掴んだ琴この基数的attribl−訂は、フライヤ女神のそれでめる。先に考察した やうに、この女御も、非督致によつて、忍魔の一つに袋形することを強いられた。而して基替歌は、 かくして生れた新らしい悪魔の持物たるに適合させるために、女翻としてのフライヤの 邑r⋮b一l訂 の一つであつた猫 − それは愛の女御の属既として、﹁愛﹂の榛象でぁつた 一 にde日Oni邑な虚性 を賦興してしまつた。︵。7︶ 四 北軟宗教の卿々やその二三r詳已歪が、韮督激化の犠牲と学0と共に、軸々の祭岱も、その改鼻政
625 先の犠酢とハ与つてゐ・匂。 フライヤのための ≠aⅥtが、空母マリア若くは︰盈グルトルーデに移されたのは、その一つであ る。それから夏至祭も.基替歌的色調で塗りつぶされた。立至祭は、音の北牧人の間に行はれた最 も重要な祭偵の一つであつた。夏至の∩から遷が次第に禿く合アり.陽光が次第に温かさを絨すると いふ現象は、北軟に於ては、殊に落しかった。而して北欧人は、古くからこの現象一で陽春の榊バル ブルの死と緋びつけて考へた。彼等は、この日を以て、パルデルが死して下界に降ったal12.くe冠r﹃ となし、盛大な祭祀を行った。人々はみな月外に集まり大きな花火を上げて、太陽を仰ぎ見まもる のであつた。共階数はこの祭鰻からバルブルの名を抹殺して、おのれの祭祀に抹入れてしまつた。 冬至祭も同一の運命に合ってゐる。先に指摘したやうに、十二軒のうちで、フ丁レ紳を配したA弓・ 弓i房は一月二十一日から二月十九日に亘り、巳忘訂riの名を帯びてゐた。リオスベリはlLigど1bringer を意味する。昔時北欧にあつでは、この期問に冬至祭を行った。家々に火む燃し、高いところで花 火を製げるのが、この祭祀のまな形相をなしてゐた。陰惨な永い冬に飽いて、光別に去ひよる心が、 火を焚く兇術によつて光を呼ばんとする企である。月の名の巳g宇一︶ringeりは.よく這箇の消息を 示してゐる。北隣のカトリック教徒は、これに日をつけた。彼等は、ファレ紳を華従化すると共に、 英数的火祭を雅燭節︵C呂d−e⊥臼且に跡盃した。︵讐紀元韮世紀に、兼のカ維掲に於て、古典的火祭ル ノ 北欧艮阿呆歌の基甘軟化︵上︶
628 北欧民間宗教の茶骨軟化︵上︶ 二〇 ベルカリア︵L“罵邑i且に取って代った亜燭節は﹂四百年せ隔 て、更に他の一つの英数的火祭の.9冒す・Pttr邑igたる役をふられたのでぁる。 しかし先哲致の華燭節と、北欧異教の冬至祭とは、著しくその風趣を偶成とを英にしてゐた.。前 者は基督の詑殿への入水の記念であら、後者は、陰曙酷烈な冬威からの解放戚僻の費蕗であるⅧ従 って後者には、大きな軟蔓があり、男躍が透り、政志さへもぁつた。かくて静かな虔やかな坐燭節 だけの内容では、仝而的に取って代ろには、些か役不足でぁつた。巧慧な北欧の韮督教徒は、這般 の油息を解したらしい。何故なら、彼等は、盈埼既に結びつくるに謝肉節一で以てして、その合成的 内容によつて、典敢の冬至祭の代用たらしめたから.である。詳言すれば、詑燭節をして、冬至祭の 火祭的形袖に取って代らしめると同備に、謝肉祭が祁つ︰宇1・r︶J︼−を一一喝 面に取って代らしめたからである。 五 韮督教化の爬迫は、最後に紳諸にまで及んでゐる。元欺の古い紳話が、いかに屡々韮語数的形象 ・宮村びるやうに改燈せられたかは、逝代のスカソディナダイアの民間説話を討癒することによつて正 ちに明白となる。しかしそれ等を一々指摘することは、限♭ある紙面の到底察すところではへ甘いか ら、ここには監トニ二を輿げることにとどめておく。
ふ5汀 ノルランド︵苦rr㌻与の民間侍故に云ふ、空オラフが、ノルランドに一大寺院を建築することを
考へてゐると、一人の主人が彼の許に凍て、一定の期間にこれを完成してやらう。その報酬として
は、日月若くはオーラフ自身中質ひたい。但し建築落成に光って.おのれの名を云ひ雷つれば、報酬も受けぬと云ったじ空オラフが之を諾すると、主人は直ちにエ串に取りかかった。工事は迅速に
進捗して、鎗するところは尖塔だけになつたが、空オーラフは主人の名を知ることが出水なかっ
た。憂倶して山野を誹網してゐると、五人の妻が泣く子をすかして、
﹁泣くな、泣くな、﹁冬ぁらしL︵弓i已聖二岩dWetす︶の見よ。お父さんが間もなく日月又は塗オラフを持って氷るから。﹄
と歌ってゐるのを漏れ聞いた。則ち狂喜して工事場に至♭、主人の名を呼ぶと、主人は定借の除寺
院の頂から墜ちて微塵となつた。︵警同様の樽説は管に瑞奥のノルランドに見出さるるばかりでなく、許戚の二三の地にも存してゐ
る。この民間談話を讃ひものは、何人も直ちに.5静喜唱乳管 のうちに怪奇な光を放ってゐるがの 一朗惑†−・ヨ扁t・gi昌t族の一人が、アサ紳族のために宮殿を造った御託を想ひ浮べるであらう。 ︵側︶オーデ4ン紳の怪掲 Sleipnir出生の事件を除くと、二者は、全くその内容を同じうしてゐる。︵怪 掲出生の一節は、神話に於ても全く除談となつてゐる。︶番人は上に奉げた民問−説話が、青柳請から 北欧民間宗教の基せ敦庇︵上︶528
脱化したものでぁる安全にと云ひきるこ上が出来る。七かし物思のま人公は、英数融から基懲故意
伯の選手に移り、建築物も、異数紳の棲研から敦骨に攣ってゐる。︵41︶吾人はそこに韮軒数化の手が動いてゐることを窮取し得るのである。
しかしこの樽説を産細するときは.基智教化の周到な日一ぎかすめて、ある一鮎に異端的色調が潜み結けてゐるのに菊がつく。それは姓薬師としての亘人の名でぁる。五人の名は、ノルランドの説
話では、ノコ=す≡乙ノ一.ettわ1・でぁり、諾威の説話では、星罵r若くは Sk已le でぁる。ノくi︼lter ul−︵l
一子旨rが自然的安来を発生原櫻とする怪魔であることは明白でぁる。巨琶rは即ち﹁吹くもの﹂にし て、﹁冬﹂をその作用の方面から見たものでぁる。Sk邑eは﹁赤裸々﹄若くは﹁荒涼﹂一望鱒映し、﹁冬﹂字て の風光の方南から見たるものに外なら閃。︵空 かくして空オラフの射手となつた人物は、いづれの民間説話にあつても、一個の 茅t弓e▲一aim昌 であつて.精神的患魔ではない。自然御許に現るべき存在であつて、文化的傍証に好雷な存在では
ない。従って聖オラフと棚並ぶよらは、アサ醐裁と対抗する方が、温かにしつくりしてゐる。吾人
はどうしてもこの人物は、韮督教が、古い紳話から不用意に引き受けた英数的遺産であると思ふ。
更に丁抹の住民が右する一個の民間説話に云ふ、.韮督があるとき二人の幼兄を掴んで、大地に押 し据え、﹃浦一歳にな一心まで、此の如くして居よ﹄と呪った。それ以来幼見は、幣部の南側に.窪みを 北棟艮間宗教の鹿骨教化︵上︶ “一・一 ■・こ620 有するに至り、且っ清一年終なくては歩くことが招来なくなつたと。︵職︶更に同一の訣話が、アイス ランドに於ては空オラフについて物語られてゐる。 然るにクレーギー氏の云ふところに徒へば、一プレ†ルクにも、同一な説話が樽承せられてゐて、 それにはH&keがま人公となってゐる。︵現︶而してHよkeが、異数紳pキであることは、先に指摘し た通万である。 それならば、この物語の本戯は、異数的であらうか.はた基督数的であらうか。吾人は内容の性 質から推して、前者であるとなすに躊躇しない。基督若くは聖オラフが、人の子を岨ふとは考へ難 い心恥である。之に反して典故紳Vキが、竿悪魔として、常に細々のなすところを妨雀し、従って 紳々の味方である人間に忠志を縫ってゐたことは、有刺話の屡々詮示するところである。 大 書人は、近代の北欧民間宗教が、さまぎょの方南 − 赫々の表象、そのAttribu訂、その祭儀、そ の細評に於て、いかに兆倍数化せられてゐるか、いかに異数的色調を保留してゐるかの賓例を捌げ た。吾人はこれ等の賓例及びその他の材料を基礎として、次回に、北軟に於ては、 T︶ 異数軸の韮無数化には、その方法に関して何等かの原則が存してゐるか背か。 ︵ウニ いかなる縄癖の異数榊が、最も韮督教化の標的と打了り易いか。 北欧民間宗教¢尾骨敬化︵上︶
530 北欧民間宗教の基せ軟化︵上︶ ︵3︶ 純異な典故的信仰が、今日にまで生き綬けてゐるか否か。 ︵4︶ 民間兇術は、先哲教化の勢力といかなる関係に立ってゐるか。 専の問題を考察して見たいと思ふ。︵十五、五.二十七︶ 証印 北欧所持に現るる枠外柑イグドヲジルに象つたウェストファ膚ヱ′の巨柾イルミンスルの如きも、紀元七甘七十二年シ†− レ†ン王に破壊された。− 苧㌻一ヨーp星河どこ豆き〇一Ogiタ︼・llい﹃・]2ぎd首竪露ぎd宅的汚臼§i邑l昌占ndrOm6訂訂ロ ≦芝薫こ−p●た小ヨ勺●D●9冒−epiOdO︼>S臼転学3−Th巾R監gi昌○〓訂TeutOき9Pワーくl等参増 拘 W●¢0−一訂r−Germ写訂訂己ヒhO一Ogie−つp,景○−か諺こⅠ●芦Ch軋まeぎT訂C已︻OrOtbぎり記rn ▼−ク・パケル氏等 圧世界桝の紳指わ日・して、弟骨教の十字架の耽話から附命アよ↑ものでぁる三石ひ、更に南方熊棉氏‘ェ、﹃丙坊間話一に於て 印度の説話と多少浪人・してゐるやうでわる三石ふ。チャブドウィツク氏ほ十字爽祝の相撼耽きこミわ持崩・してゐる。 川=アイスヲンrの民衆か、いかに自己り宗教に執着・し㍗かli、ハルフレクドミいふ浮已dが、オヲフ王から洗織な受けたミ 阿 冒宍e㌫tudierO亀rde冨rdis訂Gud言gli告g習∽昏r5.dd籍−p・ き、敢然亨して、﹃われほ改.軍†るも、決・して音き卵†全学しぎよに云ふな欲ゼナ、まt彼等わ常に草ふそ;わも止め†− るべLb寸J党首・しゎのにも見ほれる 一 声ThCr写ZOユ訂m己yt訂︼○笥︼● 川 戸ヨgOt♪許PndinPエ6巳㌢才一〇gY HHIH・ 父遮⊥声 阿 GO亨き p・け芦 の ChP︷l乙ck、?声 M 冒賢一訂−せ箋,巨人室・Pこ.・H・訂Otコ01P ︶ 13 DiOdOr∈−く●巴● ‖ Slrpどー︼く●トト ︵ . ︵ (10) (15)(11)(8) G〇三ler−つ.ほ道二戸 2蔓e打−p・霊芦 ㈹ W.A.Cr■青首二粁昌din雪i占勺0−k⊥Or℡pp・g可・父声 許HO−く・ワ相思・ 二匹
531
(43)(42)(41)(10)(33) (37)(33)(31)(30)(26)(24)(20)(19)(17)
北欧民伺来秋の湛せ軟化︵上︶ に表現ぜられるのlェ、︰れがためでわるご云つてゐるのli槍々疑・しい。 声A・G亡e訂r氏がHき主一SO〓︼−e男0詔2ぎp・︼霊lこ於て、今日lこ於ても.妖巫か能lニおのれの傍に黒猫む側ら†姿 望g。1Iこ︼ワ∽P∽可・桝cr最e−p・︼戸 ㈲T監eこll・ら等P 偶∵夢・寧lp ヽl/ ゝ・FP等冨邑の2打窪gnらひ・坪 ヨnn己琶u鷲n−冒n邑d袷巨dゴー・勺・−望声 グリムほその猫返納謂撃笹一天三〇六に於て、フヲイヤわ似て二ヨ彗岳﹁遠苧㌧フリッガわ以て∴声望pに擬・してゐる。 。鼻e毒−ご山・仰望告r買:苧∽芦 ㈹宏nl宣告こ・−−・㈲ぎ︷訂−ヨ⋮諷 ︶ Rr訂tensenこ㌻︼・盟 Odd−SPgpO︻日コgO㌻rTr諾gく藁︶n−p・念”声謬nきロ民○︼ちbg㌢ ︵ C邑gieら畢家中 ㈲A宣uこ・−・㈲苧ぎ藍こl・盲・岡野ぎ監nこ㌻芦 J・芦T〓e訂−Uenm弓訂FOlk箪笥ニー●こ串−柏ど内乱浄n冶n−ヮ雪● E・T・空莞ロ︰elごPnⅥざS雪こlこ㌍ ㈹六をβ讐−声 左丁訂許召LibrPr句及びクレーキー氏り動議等lこよつわ=ミわ自白・し置く。以下み光同仁。︶ A雷liuⅥ−S急コ弁P−10︼keJS品S・h萎己雪.1●P︵自分圧不幸に・して北欧の宮路な餅ゼナ、従つて北欧路で巻いt著沓lェ、み
囲l・・ヨ︼邑、冒苫tどs召Tb。・−ppニー:−P ヨgきつ・芦 く空2コg現ぶPこ・︼uい声T︼さr写﹃0ユ訂rn巳句l訂lOgン︼・−pp・声望● 軟骨班染の苦心辞の多いのl工、北欧民間耽指の特相の一つでぁる。 ヨnnソIp習u関守−Ⅰ・eH・ソⅠ三hこp・声 才苫り小 叫 c邑gie−p.畠ドぎt〇・ ︵
632
禿 氏 柘 群
∵
沸教の典籍に見出さるゝ御慶の語は、耶妹放で云ふ奇揖ハ呂r邑e︶に類したものでぁるが、両者を 比較するとその間に幾分の差異があること一堂否定し得ない。醐夏とは超自然的の行秀.帥ち人智を 以ては容易に解耕し得ざる.作用を云上のである。紳通または紳カと掃することもある。梵語でPb占試 またはridd︼1山 と呼んでゐる。これに智的の方面と動作の方面との院別がある。遽隔の地に生じた事件を直兇的に知るのは前者であ♭、瞬間にして遽隔の地に應赴するのは後者に屈する。更に細別
すれば天眼姐、天耳通、宿命適、他心油、醐足迫の五となる。軸足迫以外の四は密約のものである
ことは名目か二見して別瞭である。
耶沸教では上帝たる紳の存在を☆−施し、教組たる基替は紳の子であると信するのであるから、紳の存在・官紀し基懲が紳の子でぁることを示すには奇蹟を以てする必要がある。然しながら彿敢では
向上の経路として費心、條術、北‖提.経堂め門位一で拓別し、修行に依りて無上智を護符することを係数に於ける所要祝に就て
彿故に於ける耕愛読に裁て
633 目的とする。この程路は教組たろ滞迦卑屈てぺその門弟たろ阿羅漢でも同様でぁる。極めて常識 的である。支那の孔子放では、怪力乱紳を語らやと説いてゐるが、辟迦もまた天を祀り四姓の鑑別 を立つる常時の既成宗教に反対Lた。紳螢に掬する詭は彿致の費達する際に附け加へられた外衣で あると思ふ。換言すれば紳礎の思想は僻敢の根本安東でなく、途中から加はつた附添物であると推 定したいのである。この鮎に就て吾人の所見を逓べて見たいのである。若しこの紳縫に関する思想 の史的展開を充分に研究するならば、徒凍疑問とされてゐる大桑偶数の成立に対しても規何かの光 明を輿へるでめらう。 〓 後代に行はれる傭将には紳其の節於が多い。母の右脇より生れ、蕉誕の際天龍現はれて、水を涯 ぎ、生れながらにして天上天下唯我狗令と揚言されたことより、成迫の時にはこれを妨げんとする 魔を降伏し、入浬紫の時には大迦真の焉めに金柑より再び出現したと云はれてゐる。これ等は見方 に依bては偉人の侍記に共通である所の背離とすべきである。偉人中でも類を絶してゐるだけに、 誤射も大化掛でぁる。各純の彿伸を比較すると、後に記述されたもの程この椰の張腿が惜別されて ゐるのでぁる。⋮紳異にl鋼する事項は、俳僻として必然的のものではない。阿介部の粧典を見ると 俳の説法は智識と道徳とを中心とせるもので.俳の動作に於て過ぶる桝も軸典的のものではない。 沸教に於ける紳墾耽に就て
5淡 沸教に於ける紳襲耽lニ就て 二八 彿敦の中心生命は智慧に在らて、戚傭や意志に在るのではないぺ設悟せる者は何れも一切智者であ って、他よりこれに成魔一で加へる紳の如きものは決して存在しないのである。初期の沸教にありて は、他の畠故に見るが如き新戯の片影すら見出し待ないのである。悌致の信仰に基いて政治一箪行ふ た阿育王の詔勅文を見ても、新鹿に頻する言葉一で用ひてゐない。た︸自己の行男を純館ならしめん ことの決意を嘉すばかりでぁる。沸教で必要とする所は詮具に封する汲備行秀である。敬心とは最 初の汲定計劃、これを進行するのが修行であるから、新藤を用ふる必要は更にないのである。 三 悌何に神輿的の色彩を附輿する様になつたことは、他の偉人にも同様の串欝があ一るとは云へ、彿 が一切智者即ち絶対的の脅慧を具備する者と考へられた茹で幾分他に典った方面がゐ㌃ことを閑却 してはならね。彿が八十年の生涯を終るや否や、吾人の親発の封象であつたその現身は滑失したの である。然しながら思想上の滞迦卑屈傭は教主として永帝位のものであることを知った門弟等は、 一迫の光明を見出した次第である。偶の生涯は死を以て中断さる∼ものではなく、眞理︵即ち法︶の 本憶に遠戚するのである。佳涯の終末が本態への遺尿であれば、降生はまた本健よりの化現である ことゝなる。かゝる備の稚涯は虫初よ♭最後まで八十年の全部が本憶その物の人格的顕現でなけれ ばならぬと考へたのである。そこで偶には現貨的︵名物身︶と理想的︵賓相身︶との二方面ありとせら
れ、埠身常任の説を亮成Lたのである。法身とはこの世に過した敢法と教主としての人格とを一致 せしめたものに外ならぬ。この思想を以て傭侍を記述すること∼なると串要一でそのま∼に記すだけ では済まされないのである。菩提樹下に於て成迫してより彼の行男が超人的であるばかトでなく. これより前に於ける村瀬も超人的であると考へられた。悌樽の全部に亘b超人的の性貿を附輿する ことは即ち翻縫の外衣を据はせることである。彿侍の改造期を年代の上で示すことは厨る困難であ るが、吾人の推察する桝にして談なしとすれば、傭入滅の彼五十年よ旦一昔年に亙るものとすべき である。 四 彿侍の改造が大憶に於て出来上ると共に、第三期の串発として彿弟子たる阿罪状の湘礎に就て考 察を加へ、一方では彿の退物帥ち爪史、頂骨、歯牙その他の分身合利、邪くは兆布巾に使用した儲、 錫杖、曲水、水瓶、付伽梨衣の如き、.また大紳典を現す牒ものとさる∼様になつたのでぁる。⋮これは 彿伯を紳縫で以て媒臓した思想の延長であつて、特に構偲されたのではない。彿弟子たる阿羅漢は 敦までないから、これに射し法身常任の説を應用するを得ないが、費心、修行、晋堤、海燕め種蕗 を以て進むことは同一である。︵三阿藤洗車にあらても神童を以て贋く知られてゐるのは大迦発と頻 随 所膿である。純化無方と云ふ鮎で後には佐世阿羅漢にこれを加へることゝなつたのである。︵空この 俳秋に於ける紳変説に就て
53¢ 三〇 併軟に於けろ紳夏耽に就て 第三期に行はれた俳爛の文牢としては修行物語の盛大一ぞ極めたことを注意したい。彿伯の沓俄に亘 ち超人的の存在であることを肯定した結氷、菩薩としての修行をその前生にまで延長せハ甘ければな らぬほになつたのである。かくてデ†−タカ文畢が費通したのである。彿樽の上に紳鼻の上衣を踵 はせた人々は、修行物語に限り素朴の記述で蒲足した。漢評の謹典では本生経として知られてゐる が、因緑綬、昏囁紅の名祁を使用することもぁる。贋忠綻、六度集経もこの部茹に属する文畢であ って、これ等一で始発すると修行物語の概観がわかるのである。彿閲記並に西域記一で見ると,中印度 には彿並に阿羅漢に閲する造蹟が保存せられ、その分身合利を安癒する塔が造られたのみならす、 帝迦皐月より以前に出世したと考へられた三彿の追臨まで指摘せられてゐる。︵五︶また北印度帥ち西 北部に於ても滞迦卑属の逝化に牌する伸詮地の幾分一望挙げてゐるが、それ等の地方にては俳の頂骨 を初として彿の用典を変節碓井した串蹟が顕著であ♭、これと同時に修行物語に駆聯する迫揖が各 地に設けられてゎたことを知るのである。︵六︶吾人の謂はゆる第二期に屈する阿育‡時代に、四彿應 位に関する田小想が恍に成立してゐたことは石柱副文にもあることで、この期聞は中印度を舞我とせ ること、随って節三期は北印度を舞養とせる■∼とが明かである。この節二期節三期は小乗故に風す る○ 玉
53丁
第四期に入ると囲彿は更に七備に濃張され、且つ常務の彿として珊勒菩薩の成造が説かれたばか
りでなく、徒雑練り問題とされなかった幾多の傭軍薩が注意さる∼様になつた。彿では阿閑、発生、 阿弼陀、薬師、多賀の訴竹あり、菩薩では文殊、普賢、貌菅、勢至.地成、虚容赦の類がある。これ等の諸相は上記の琴一期夢二期に於て思考された所に比較して著しい特徴を宥すること否定し得
ないのである。即ち前代にふγりては現身傭を中心としてこれに理想の上衣を破らせようとしたので
はあるが︵.︶第四期に在りでは法身俳即ち純然たる理想上の傭が根本概念となつてゐるのである。彿 としての誰某は紹射的のものでぁるから、何れの彿も性質を同じ,㌢せなければならぬのである。そこで音水訪傭所詮中等走一と云ふ惜用語がある。然るに串賓は決してさやうではないらしい。真価加
水に就て説かれてあることを畢生如凍若くは阿滞陀如殊に比較すると、㌧の問に著しい差異がある
のでぁる。一々の終此ハには特有の理想がめつで、その理想を典概化したのが菓俳以下の諸彿である
からである。この碗の彿は何れも勝れた紳鼻力用一箪憧へてゐるのである。t撃の紳慶力用そのものが 人格化したので今りと云ってもよいのでぁる。か1る見尤をするのを故に大乗放と呼ぶのである。小乗致の彿は紳授詭を離れてこれを考へることも出水やうが、大衆数の彿はこれより榊縫的力川・ぜ
除いて思考することを縛ないのであ告晋薩も亦同じく理想を人格化せるものである。大乗の講沸
が前代の法身説に基いてゐかものとすれば、大乗の諸事饉は前代に於ける佐和物語の慶形せるもの
沸教に於けろ紳壕故に耽て538こ 三二 併軟に於ける紳奨故に耽て と云ふペきである。菩薩に現聞形若くは比丘形と耕する一類があ♭、また﹁方では代位の四大環聞 と名け普薩に類する者がぁるから、彿弟子たる阿羅漢と菩薩との間に何等かの聯紡があることは否 定し待ない。菩薩と云ふ名耕は第一期第二期では単に揮迦卑屈の修行時代を指すに過ぎなかった が、一樽して第三期になると前生に於ける修行に就てこれを呼ぶやうになり、第四期の大乗放では 詑果の程度に於て備に次げる貿亜の一類として考へらるゝやうになつたのである。畢に彿たらんと して修行を頂けつ∼あるのみでなく.偶の教化を扶翼助成せんこと・で念願しっゝあるものとされて ゐる。後世の註梓家が菩薩の語を解して上求菩提下化衆生とし、堂開署くは繰発たる行人は自利の みを韮じ利他を行はないやうに云ふが、彿弟子の中には慈悲払辱の行を以て知られた人物もあるか ら、利他を大乗菩薩の専有とすることは誤うである。こん琴説明注が現はれたのは大乗の菩薩が修 行者としてよりも寧ろ化覇者として考へらるゝ食めでぁる。 大 彿と背醗とは大小の差はぁるが畢忠岡楼のものであると考へられてゐるのでぁる。既に理想の上 に根城一ざ有する彿でめト聾薩であるとすれば、その内容は誰具に伴ふ紳建白在のカ用でなければな らぬ。耕哀そのものは大衆教の出現に依りて始めて確固不抜の根抵を得た次第である。翻鼻は詑果 に件ふもの、若くは詔果の内容の一部であるとされてあるやうであるが、これは訟巣が完全性のも
639 のであるから.同じく完全性のものである油紙と同税さる∼傾向があつた眉めではなからうか。即 ←h彿迫と細道とが接近して此に彿敢の紳礎詭が成立したと考ふべきであるやうに‖心ふ。偶数では六 卵油の盆石らてその中の瓦潮通は詩仙またこれを得べく、た︸而逼迫のみ偶数特有のものでぁると
することは、紳通の思想そいものが誰仙即ち紳舐よりの伯用物であることを暗示してゐるのではな
からうかとM心ふ。︵八︶若し吾人の推定にして準・りすとすれば沸教が印度の民間信仰一里備取したのは密教に先つものと云ふべく、格言すれば密教の源洗は甚だ古い時代まで翻ら得ることゝなるのであ
る。鰐に紳増設の流行だけでは密敏一ぜ成立せしめ得へ甘いが、神輿詮は凍敦の先駆をなしたことは明
かで今0。塞数鮮血ハ中にあつて我妻の位琴ぞ占むる大日粧の異名′ど大毘肱遭邪成彿榊礎加持経と耕 することは上記の説を給して伶あるとM心ふ。 大衆敢S成立は密教のil‡現への道程である。蕉汚が顕密二致の対立をま誠せしに係はらす.比叡山にては天台鳳政と暴言粟放との融和にカを用ひ、南祁諸宗でも密教を強健した理由は此にあるの
である。天台宗の本経たる法弛痙の如きは、単に普門品だけ.に就て考へて見ても、密教的山‖仙想と関係が深いことを知り得るのである。密教の研究一で徹底せしめる焉めには彿放鎗連の初期に於け一心
紳慶祝に就て講究することを怠ってはならね。︵大正十五年二月廿四−−稲︶脚注
儒教に於ける紳幾枚に就て840 ︵こ ︵こ︶ ︵三︶空智み持主りが紆⋮苛ぁろが、押野和学考へらる1やうに彗た瓜だ無上恕わ特上暗が有飴謹感﹁肉古瓦亡ふ 時が無給捏娯でわるヾJされてゐ・り。 ︵巴阿呆決−ェ‖別のみにカわ川ふる畠妄へられてゐ−蒜、利他の莞に永くだ止守る、四大帝問ほ︻1別品他宗 わろ火薬の晋睦に倶てゐろ=ざな沌三意ぜねけ光らね。 完︶ 中城㍊に依るご迦葉件の或は軍擢伐語族娼︵曾舗︶に、他り二俳¢分化劫比薙伐謎堵凶に存†るのでわる。 ︵六︶ 内域鵠に依るヾ、珪登りも¢は次の通りでぁる。 ︵イ︶ ︵ハ︶ ︵ホ︶ ︵へ︶ ︵チ︶ ︵七し ︵八︺ ︵イ︶ ︵ハ︶ ︵ホ︶ ︵l︶ 沸教に於ける紳皐既に就て 三日 悌愕の中でも本行妓紹の如き紳袋に陥†る邪拭わ多錠に含んでゐろ分ほ比較的後代に出来上ものミされてゐる。 俳り甘て位川Lた遣物に就て粥域詑に我ぜた介だけわ鶉詑†るミ次の通りでわる。 摩河鹿坤王子授月賦戊臆−竹材祁旋拘姦七ノ=ハナ︶ ︵ロ︶ 月光王施拗慮−呪文如級向へ敢七ノ完オ︶ 然橙彿供益虫−耶捕捉咄房︵致七ノ一〇オ︶ ︵一こ▼ 拾吐血−郎放題男致セノ三ナ︶ 難通訳火十倍行長 − は上 陸把蓮王位行総−健放紐具放七ノー三ウ︶ T︶ 戸飽迦王制月地内良−同上 怒埠仙別紙胱僧践−同上 ︵サ︶ 霊力玉刺月血相正雑文凰−健放森川︵致七ノ二閂オ︶ 過去七仰にほ何れも・特有の菩提樹がわり、押迦の八州成泣に難・し㍗=ごが挽かれてゐる。大罪取り怖にほこれが互い。 この外に三叫−呵如意ぷ上ハ通に剛体がわろから=れ軍の由に於け・0杓互踊係な知る=ヾ−も必嬰でわる。 倒木−中印揮仲来迎摘︵致七ノ二大ウ︶ ︵ロ︶金持袈裟−中印度腹鶏陀開銀見川︵致七ノ四四ウ︶ 鉢1北印躇他出鵜川︵致七ノニオ︶ ︵−こ冊伽梨衣I−北印度那柵親局囲放線契致七ノー〇ウ︶ 錫杖−同上 ︵へ︶水禁絶鳩︶北印爬域外縛嶋月数七ノ五オ︶ 辞 − 同上
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入 社 式 と 経 済
バ ンクス諸島中の一例 −
−−−・赤 松 秀 景
爪近の邦でわる。マル七ル・モース氏が、一附典にm†る研究﹂ね敬衰されt。沫制軽済社命堺のカ好から、授受の我務わ中心 ミ†ろ祁氾について、大戦前から多年、ソルポンヌに於けるオートゼチエードで、土俗請託料の輯習がぁつt。此等の藍尭︷ =の論文に几ろ。之lニーェ、メラネジアに鱒してli、他の朗背光都側か取り、サブ丁−スの﹁メラネジア統合姐﹂︵一九一四年︶に ほ、殆んビ煉れてゐ兄いから、此の論文ごほ別に、特lニ偶鑓右中心亨して、その間に我務的lこ行l‡れてゐ・の財物授受の縛冊な 銅介Jて見ろ紙でわろ。序に云ふ。サブアースli、取年前已に故人ご克つtが︵一九二二年︶、其の扱後、べり氏り手で、﹁証曾 机繊﹂の退漕が出た︵一九二川年︶。之に関係・しわ、故人の群論的叙述もわらうが、=ゝでll別号して、唯、邦邪の参考りみlこ 止めて、時lニ、コドリントンの﹁メラネジア人﹂の研究︵一入九一咋︶か参憫†る却ヾJL主い。﹃嬰†るlニ、サブ丁−スーェ、土俗認 草猫、心理柑︰者、腎草粛、草几の洗骨草者でわつたので、何人よりもよく、人間ミli何ぞやミいふ事な知つtのでわろ。而・し て、破れほ、英の起源、本件、東関柁、朋鮎、長所わ究め㍗のでぁるが、之によつて、被れが、人間の本代li、触l眼lこ完成に進 み得るものでわろご借ずるわ妨げろ祁なく、彼にミつてli、斯かる先成わ期するのが、科学ミ、野際ごの、可能でー摘も破水元 日的でわつ㍗。かくて、彼nもその生命わ、=の憩既に捧げ、又、何人も皆、斯く†べきでわる軍嘩鱒してゐおのでわち圭。b ︵詳言Od房tbnOgロp已e史d伍tJPditiO屋習p已pi一袋.当P︼q.▲サブ丁−スの発根について、毛−ス氏ゆ項巷柑。︶今、此一椚む 光†¢も、︼l‡、オートゼテユーr¢モース先生み想ひ、︼にl‡、=¢紀†べき土俗誌幣者わ停へる︼助ミもLtい珪でぁる。 入些誉i涛542 入社式阜霧汗
三六
メラネジア群島は、更に欺群に区分せられてゐる。その一にバンクス諸島一ど教へ・Q。之についlし、 リブアースの記逓一で韮として、その間にどういふ弔賓を認め得るかの考察を試みる。然しながら、 郎畠に亙ってゐる同相の串例は、芽寄から推しても、記述の詳細なると、然らざ・りとがあり、或 は、姉筋の部分的内容に異同があり、又、夫々語受の出入相違などがぁるけれども、根本的訴質に 至っては、盆郎島を油じて、両者共に、之一で認める凱で一致してゐる。以下叙逓に入る前に、必姿 な一二の粥頃を訣別するのも無駄ではみるまいっ メラネジア島民は.その儀密号他萩城の基礎をなす二院分になつてゐる︵リ、一巻一二百。コ、 一二日︶。バンクス講高車のモク島では、この各瞳分・で﹁ブ声エLといひ、同一の﹁ダ㌔ェLに属す一心も のを、互に﹁ソブイしと呼ぶ︵ブ、一ノ二〇。コ、二五︶。即ち、二偶の﹁デュデュLが対立してゐて、そ の一に属するものは、必す他の1ブェブェ﹂の・ものと結挿す・qを要し、﹁ソブイL問の結婚を禁じてゐる のである。尤も、﹁ブユダェ﹂には.更に小暇分を有する串が争Qけれども、此の婚姻制に問係を及ば さない。之が配合親細の基礎なので一のる。 揃うした乱曾の内に、互に典った意義のある、而も、互に戎鮎で関係†る三組織が存してゐる。 之叉こスクエ︵ぎkヨ︰舞i責∽ニーG︼芦=苧鳶︰2一r身ぎこ○−芦︶、︵二︶タ了7︵T昌P訂⋮ Riヂ︸・∽可買いロ己・冨3、︵三︶コレニコレ︵lハ宣ハ。訂︰ヨく・T、︼岩男︵監●〓〇〇とする。糾3 スクエは.⋮椰の紙軋であつて.之には、各村落に、その赴員のみに限られた建物﹁ガマル﹂があ る。儀式基他の場合に盛典する場所であつて、その内部には、幾つかの混剥が出水てゐて、各段階の 次節な示し、夫々に名相があ云。−1地方等の異なるに依って、段階の教や名耕の凌がある。1 而して、各動員は、n己の崩するよりも上位の拓割に進む事は拇死ないのて、その男には、昇凝式 が行はれるが、上位になる程、賦課か訳くなる。次のクマテも、亦lの離乳でみり、之には前者の 様な段階はないが、数多山稲光しにク†テの悶に軽重の差等がある。その諏要蹴せられるものには 特殊の小躍.サラブpLがあるが、前と造って村落外にある。それで時に﹁叢のヌクエLと耕せらる∼ 邪もめる所以でぁる。之一で以て立退とするから、之だけとして、終りのコレコレは、前二者の極め て制阻的であ一心のに比しては、公開的であり、舞踏に特徴のある一仰の集合であるといつてよから う。然し前二者が朋子のみに限られてゐ一〇に対して、コレ↓]レの特殊の場合では、女子に於ける山 椰の組織の撲な放も起一心ものである。 大冊名榊だけを列掬して、禎灘へ仏靴骨組織のある準一で並べておいて、次には、数多いクマテ小 ﹁リヲアLと耕すろ珊要な一酢の記述が、リブ丁−スの番中で、最も精細で、長も完全に思はれると 共に、コドリソトンに依れば、︵七川︶クマ一7は、クリスト数の宣布後に於ても、バンクス訪仏に 赤結し、宣教帥も、敵て之を妨げなかったので、常に盛観を見るといつても屠るので、その一息モ 入新式せ■滑
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