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昆 虫 機 能 利 用 研 究
竹 田 敏 著
十年一昔 と言われる。今から一昔前にあたる
1996
年(年度)にCOE
「昆虫機能利用研究」研究プロジェクトは始まった。そして、今年度終わり を迎える。
COE
研究プロジェクトは、正式にはCOE
(Center of Excellent
:中核研究 拠点)育成制度というもので、1993
年、文部科学省に移行する前の科学技術 庁が制度化した。その趣旨は、「公的研究機関における特定の研究領域の水 準を世界最高レベルにまで引き上げることを目的として、科学技術振興調整 費を活用することにより、当該領域における基礎研究を柔軟で競争的な環境 の下で強力に実施することを通じてCOE
の育成を支援するもの」とある。対象となる研究機関は、自然科学系のものに限られたが、制度が発足した
1993
年から、募集がなくなった1998
年までに10
機関が選定された。農林水 産省関係では、独立行政法人になる前の農業生物資源研究所が1994
年に『植 物ゲノム機能研究』で、さらに、2
年後の1996
年に蚕糸・昆虫農業技術研究 所が『昆虫機能利用研究』で選ばれた。私は、
10
年前、蚕糸・昆虫農業技術研究所が「昆虫機能利用研究」をプロ ジェクトとして提案した際、メンバーの一人として関わった。また、2001
年 にこのCOE
プロジェクトが後期に移行してからは総括責任者として研究推 進の運営に当たってきた。
10
年前当時、科学技術庁に出したプロジェクト提案書の前書きは、以下の ようなものである。今では、やや陳腐となった内容から、当時この研究分野 がまだまだ発展途上にあったことを示していて興味深い。「昆虫類は
4
億年という長い進化と適応の過程で、様々な特異的生体機能を 選択的に獲得、発達させ、極寒地や砂漠を含めた全地球的規模の繁栄を築い世紀最大の未知の生物資源として、無限の可能性を与えるものとして注目を 浴びている。
また、近年の遺伝子解析やその組換え技術等のバイオテクノロジーならび に分析技術の著しい進展によって、昆虫の持つ特異的機能の有用性に関する 新知見が次々と得られるようになり、新産業創出分野における未開拓最大の 生物資源としての昆虫類への期待が急激に大きくなってきた。たとえば、昆 虫ウイルスの遺伝子発現を利用した希少有用タンパク質の効率的生産手法の 開発、昆虫の特異的食物利用機能を利用した農畜産廃棄物の資源的再利用シ ステムの構築・昆虫の感覚機能や運動機能を模倣するセンサーやマイクロマ シーンの開発など、生物利用の新たな産業(新昆虫産業)の創出が期待され るようになってきた。
以上のような背景のもと、①近年の地球的規模の環境問題に対する厳しい 社会的要請から、生物を利用した新材料・バイオマテリアルの創出を基調と した研究開発が重要視されていること、②無限の環境適応能力を獲得してき た昆虫類の生物機能を解明、利用することにより、多くの創造的技術の開発、
ひいては新産業の創出につながることを確信し、『昆虫機能利用研究』を
COE
化設定領域とした。」科学技術庁(現文部科学省)は、
COE
育成制度に選ばれた研究機関に対し、10
年間にわたって予算を充当する。しかし、前半の5
年間と後半5
年間では 位置づけも異なり、文部科学省が支援する内容も充当する予算の規模も大き く違っている。前期5
年間では、研究所に対し、COE
領域として設定した分 野の試験研究を集中的に推進させるため、巨額の予算が重点的に充当され る。「昆虫機能利用研究」には、毎年約4
億円が5
年間にわたって充当された。一方、後期
5
年間は、前期に得られた成果の発信とシンポジウム開催等が主 になり、基本的には試験研究費というものはない。支援される予算額も前期費が充当されない後期についても、その研究分野での中核研究拠点を目指す という
COE
構想の実現に向けて継続して努力することが求められている。巨額な試験研究費の充当がなくなる
COE
後期では、課題担当者自身が研 究費を獲得し、研究を進めることになる。幸い、農業生物資源研究所、さら には所轄省庁である農林水産省には、COE
前期の成果にもとづき、関連のプ ロジェクトの立ち上げ、外部競争資金の獲得環境の醸成などに尽力していた だいた。そのお陰で、平成15
年度からは、21
世紀最大の未利用資源活用の ための「昆虫テクノロジー研究」 プロジェクトが立ち上げられ、COE
前期 の課題担当者の多くが参画し、COE
プロジェクトの研究内容が引き継がれた。この成果概要は、農業生物資源研究所アグリバイオサイエンスシリーズ第
3
集として刊行することになった。本文、内容については、私が書き下ろし たことになっているが、その元となっているのは、各課題担当者自身が書い たCOE
後期最終報告原稿で、それに関連した論文、総説を参考に、私が一 方的にリライトしたものである。したがって、成果概要の内容、記載などに 間違い、不都合などあれば、それは一切、私の責任であることを明記してお きたい。なお、文部科学省に提出する正式の最終成果報告書は別途作成する ことになっている。平成18年3月6日
COE「昆虫機能利用研究」プロジェクト 後期総括責任者 農業生物資源研究所 昆虫新素材開発研究グループ長 竹田 敏
目 次
第10章 さまざまな機能を解明する
1.カイコゲノム概要塩基配列の解読 ……… 7 ゲノムとは 7/ゲノム解析研究の進展 8/カイコゲノム研究 8/ WGS法とカイコゲノムドラフト解読の達成 9/WGS法で解読され たカイコゲノム情報の質 11/BACコンティグの精密化とゲノム情 報の統合 12/カイコとクワコのミトコンドリアゲノム 16
2.昆虫の生体防御機構を利用する ……… 20 昆虫の生体防御機構と抗菌性ペプチド 20/ダニ、ハスモンヨトウか らの抗菌性ペプチドの単離とその性質及び構造 21/抗菌性ペプチ ドの作用機構 22/抗カビペプチドの単離とその性質及び構造 23
/抗ウイルスタンパク質の単離とその性質 24/抗菌性ペプチドの 臨床への応用 24/抗菌性ペプチドの改変 25/D型人工抗菌ペプ チドの作製と効果の増強 27/抗菌ペプチドの応用例としての創傷 被覆材 28
3.ホルモンで昆虫の発育を制御する ……… 31 脱皮ホルモン生合成抑制ペプチド 32/変態期における脱皮ホルモ ンの分子作用 34/JHの発育制御作用−遺伝子組換えカイコによる 早熟変態の誘導− 38
4.排泄物を絹タンパクにリサイクル−カイコ窒素代謝の不思議−
……… 43 カイコのアンモニア同化系 43/カイコGOGATとその発現制御 45
5.植物は乳液で昆虫から身を守る− 昆 虫 と 植 物 と の 餌 を 介 し た せめぎ合い− ……… 50 イボタガとイボタノキにみられる攻防 50/エリサンバイオアッセ イ法 51/乳液成分と植物の生体防御 53/クワの乳液成分がカイ コ以外の昆虫に毒 54
第2章 産生物を利用する、運動機能を知る
1.バイオマテリアルとしての絹タンパク質とその利用 ……… 57 絹タンパク質の特性とこれまでの素材利用 57/絹タンパク質スキ ンケア製品の市場化 59/シルクフィブロインスポンジの開発と利 用 60/スポンジ構造体とその物性 62/再生医療用材料としての 可能性 63/絹フィルムの生分解性 65
2.昆虫キチンを利用する ……… 66 キチンとは 66/昆虫キチンの特性 67/昆虫キチンの細胞培地へ の利用 67/昆虫キチンミクロスフェア 69/高分子ミクロスフェ アとDDSへの利用 70
3.カイコガの飛翔動作をみる微小電極 ……… 72 昆虫の飛翔行動 72/シリコン微小電極からエポキシ樹脂製電極へ 73
/微小電極の製作プロセス 74/微小電極によるカイコ筋電位測定 75
/ゴキブリ脳における匂い情報の伝達と処理 76
第 3 章 昆虫で有用物質をつくる
1.カイコで哺乳類型の糖タンパク質を作る ……… 79
AcNPVとpiggyBacを併用した新たな形質転換法 79/複合型糖鎖合
成酵素遺伝子の導入と糖タンパク質の糖鎖構造 81/バキュロウイ ルスベクターの効率化 84
IGR-IRESの構造 87/リボソームにおけるIRESの結合部位 88/ウ イルス外被タンパク質遺伝子コード領域の重要性 89/ウイルス以 外の生物におけるIRES翻訳開始の有無 89
3.脱皮ホルモン受容体の機能メカニズム ……… 92 EcRアイソフォームのショウジョウバエ全身での一過的発現 93/
Tvニューロンの再構築へのEcR過剰発現の影響 94
4.カイコを用いて有用タンパク質を生産する:「昆虫工場」 … 96 「昆虫工場」の出発点 96/「昆虫工場」の実用化例 97/有用タンパ クの発現と抽出・精製プロセスの改良 98/凍結融解血液採取法の改良 とカイコハンドリングロボット 100/「昆虫工場」の実証試験 102
第1章
さまざまな機能を解明する
1.カイコゲノム概要塩基配列の解読
ゲノムとは
われわれヒトの体は約 60 兆の細胞からできている。一方、細菌や原生動物 のように単細胞からなる生物もいる。しかしながら、ヒトの体も、単細胞生 物の体も、発生の基本的仕組みは同じで遺伝子発現が積み重なった結果であ る。生物におけるそのような個体発生の設計図というべきものがゲノムであ る。
遺伝子は、細胞の中にある染色体の上にあり、その本体はデオキシリボ核 酸(
DNA
)と呼ばれる分子である。DNA
は、アデニン、チミン、シトシン、グアニンという
4
種類の塩基が並んだ構造をしていて、この塩基の組み合わ せの中に遺伝子情報が含まれている。ゲノムという言葉は、細胞核の中の染 色体に存在する遺伝情報全体を示す言葉として使われる。ヒトゲノム研究のように、医療に役立てるという明確な目的を持つものも あるが、ゲノム研究とは、生物自体が持っている個体発生の設計図を解読す ることにより、機能解明のための基礎データを得るのが目的である。ゲノム の大きさは、構成している塩基対数(
bp
)で表すが、生物によって異なって いる。ヒトでは約30
億、脊椎動物としてはヒトについで概要ゲノム配列が報 告されたフグが約4
億bp
となっている。また、植物では作物の代表イネが、ヒトの
7
分の1
の約4.3
億bp
、ゲノムサイズが顕花植物では最小ということ で植物ゲノム研究のモデルとなっているシロイヌナズナでは1.3
億bp
であ る。昆虫では、モデル生物として知られるショウジョウバエで
1.8
億bp
、カイ コが4.9
億bp
である。なお、ゲノムのサイズが大きいからといって、その生 物が系統発生的に高等であるとは限らない。ゲノム解析研究の進展
ウイルス以外の生物のゲノムの全塩基配列が最初に解読されたのはインフ ルエンザ菌で、
1995
年のことである。この細菌のゲノムサイズは183
万bp
で、現在のDNA
シーケンサーの最上位機種の解読能力が1
日あたり50
万bp
であるから、それを用いればわずか4
日で解読できるほどの大きさである。その後、
1997
年までに、らん藻、メタン細菌、大腸菌、1350
万bp
の酵母な ど、よりゲノムサイズの大きな8
種類の微生物で解読が達成された。医学への応用が期待されるヒトゲノムの解読は、
1990
年からアメリカ国立 衛生研究所(NIH
)、中心とした国際研究チームにより本格的に開始された。30
億bp
の巨大なヒト全ゲノムの解析は、23
対ある染色体をアメリカ、イギ リス、ドイツ、フランス、中国、日本の各国から結成された国際チームが分 担して進めたが米民間企業のセレーラジェノミクスが全ゲノムショットガン シークエンシング(WGS
)法と呼ばれる新たな解析手法により参入した。両 者間で妥協が成立し、2000
年にゲノム全体の87
%を解読した段階で「概要版」を発表した。その後、国際研究チームはさらに詳細な解析を進め、
2003
年4
月には、全ゲノムの99
%にあたる28
億3,000
万bp
の配列を99.99
%以上の 精度で解読した。さらなる情報学的解析から、ヒトゲノムの遺伝子数は約3
万2,000
と予測された。カイコゲノム研究
昆虫では最初に、ショウジョウバエで
WGS
法によるゲノム解読が2000
年 に達成された。その後、WGS
法が他の昆虫ゲノム解析にも適用され、2002
年 にはマラリアを媒介する重要衛生害虫ハマダラカ、2004
年にはカイコとなら ぶ有用昆虫ミツバチのゲノム配列が公開された。その一方で、カイコが含まれる鱗翅目昆虫のゲノム解読については進展が 遅れていた。カイコゲノム解読の重要性については、前著『昆虫機能の秘密 で』も詳しく述べたとおりであるが、ゲノム解読に必要な集中的予算投入が
なされなかったことが、進展が遅れた一つの原因である。
COE
プロジェクトの中では、カイコゲノム研究は、昆虫ゲノム研究チーム 安河内祐二主任研究官によるBAC
ライブラリを構築する課題が進められて いた。COE
後期では、昆虫ゲノム研究チーム長・三田和英氏のグループが加 わり精力的に進め、2004
年2
月には、農林水産省の『昆虫テクノロジー』研 究プロジェクトの中で、WGS
法によるドラフトの解読に成功した。WGS 法とカイコゲノムドラフト解読の達成
三田氏が中心となって進めた
WGS
法の裏付けとなったのは、2002
年補正 予算5
億円である。WGS
法によるカイコゲノム解読は以下のようなもので ある。まず、カイコ品種としては、p50T
(大造という中国種を純系化した系 統)を用いた。このカイコの5
齢3
日日の絹糸腺細胞よりDNA
を抽出し物 理的裁断により断片とした後に、2
〜3kb
および7
〜10kb
の大きさのDNA
画分を得る。これらの
DNA
断片集団をプラスミドベクターにつなぎ、大腸菌を形質転 換させる。こうして得られた大腸菌形質転換体をランダムに選び、塩基配列 を解析する鋳型DNA
を得て、高速自動シーケンサーにより、片っぱしからそカイコホールゲノムショットガン(WGS)法の概略(提供:三田和英氏)
れらの
DNA
断片両端の塩基配列を読む。このようにして得られたDNA
塩基 配列のうち、質的にも信頼できると判断された500bp
以上の長さの配列約284
万個を選び出した。解読に用いた塩基配列データは合計するとカイコゲ ノムサイズの3.5
倍に相当する約17
億塩基であった。しかしながら、図から も明らかにように、WGS
法という手法の特性から、得られたDNA
断片がカ イコゲノムのどの位置に由来したものかまったくわからない。次は、
280
万個にも及ぶ約500
塩基対の配列の重ね合せるプロセスである。一般的にこの操作は単に
AGCT
という塩基のディジタル信号を重ねるのでは なく、シーケンサーが送り出す塩基配列の電気泳動パターンを重ねることに なる。このことで、より精度の高い繋ぎ合わせが可能になる。カイコゲノム 中には、非常に多数の類似繰返し配列があることが知られている。このよう な繰返し配列は生物種ごとに特徴があり、この情報を重ね合わせに用いるプ ログラムに組み込むことによって、より正確なつなぎ合わせが可能となると 考えた。日本ではそれまで
1
億塩基対を超えるゲノム解読にWGS
法を適用した 例はなかった。三田氏のグループはラーメンアッセンブラー(RAMEN
ASSEMBLER
)と名づけられた、東京大学森下研究室で独自に開発されたプログラムを用いて正しい重ね合わせを試みた。その結果、最大で
19kb
、平均 長1,790bp
の重ね合わされた塩基配列が約213,000
個得られた。また、DNA
の塩基配列がすべて読まれていないために完全には重ね合わされないもの の、両端の配列がコンテイグ間をまたいでおり、繋がっていると推定される スキャフォルドという塩基配列が約4
万9
千個得られた。最長のスキャフオ ルドは220kb
、総計長は(4
億bp
)と見積もられ、カイコゲノムサイズ約5
億塩基の約80
%が解読されたと判断された。この塩基配列の総量は、
500
×284
万=14.2
億bp
となり、カイコゲノム5.4
億bp
の約3
当量に相当している。WGS 法で解読されたカイコゲノム情報の質
三田氏のグループは、
WGS
法で解読されたカイコゲノムの塩基配列の精 度の検証を行っこの検証は、すでに同じカイコ品種p50T
のDNA
を用い、別 途きちんと解読した塩基配列とWGS
法で得られた塩基配列を比較すること で行った。5
種類のBAC
クローンに対する比較結果をみると、BAC
の総計配 列658kb
の82
%がWGS
法で得られたコンティグの塩基配列とほぼ正しく対 応していることがわかった。ここで対照として選ばれたBAC
クローンはカ イコゲノム中から繰返し配列の割合が低い、配列解読の容易なものであるこ とを考慮しても今回WGS
法で得られた塩基配列の精度の高いことがわかる。次に、
WGS
法で得られた塩基配列が、これまでクローン化されたカイコ由 来の種々の遺伝子をどの程度含んでいるのか検討した。その結果、これまで データベースに登録されていた50
個の既知遺伝子が、WGS
法で得られた配 列中に見いだされなかった例はまったくなかった。最も対応する配列領域割WGS データと 11,202 個の独立 EST との照合
(提供:三田和英氏)
合が低かったのは、絹タンパク質フィブロインH鎖で
16
%であった。一方 で、フィブロインL鎖、エクダイソン受容体Bl
、トレハレースのように配列 が100
%、WGS
法のものに対応したものもあった。結局、50
個の既知遺伝子 のうちの大多数が60
%以上の領域で対応した配列あることがわかった。フィブロインH鎖が、他のものに較べ極端に低かったのは、このタンパク質 遺伝子が特殊な繰返し塩基配列を持っていて、
RAMEN
プログラムがうまく 適用されなかったものと推察された。このように、今回
WGS
法によって解読したカイコゲノムは、十分に有用性 が高く、今後のカイコゲノム研究の第一段階で用いる資源として十分利用価 値がある、と三田氏のグループは評価している。WGS
法による塩基配列解 析結果は、地図情報を全く含んでいないので、得られた配列情報あるいはス キャフオルドがゲノム中のどの箇所に由来するものなのかはわからない。今 後は、塩基配列が明らかな目印(マーカー)を遺伝解析により作成すること によって、ゲノム上の位置を決めていく必要がある。日本のカイコゲノム解読に遅れること
10
か月、中国の西南農業大学を中心 とした研究グループがやはりWGS
法で配列解読を進め、その結果をサイエ ンス誌に報告している。中国の解読は、カイコゲノムの7
倍当量と言われ、我が国の解読結果と統合することによって、より精緻な情報が構築されるも のと期待されている。
BAC コンティグの精密化とゲノム情報の統合
COE
プロジェクトの中で、安河内氏はPCR
による遺伝地図、BAC
ライブ ラリーの構築を行ってきた。
2004
年2
月にWGS
法によるカイコゲノム解読が達成された。また、急速 に発現遺伝子EST
情報が蓄積してきている。しかしながら、一方で断片的な ままにあるそれらのゲノム情報の全体像を明らかにするためには、染色体上 に統合・再構成する必要がある。そのための基盤として中核的な役割を持つものが
BAC
(bacterial artificial chromosome
)クローンにより作製されたコ ンティグであると、安河内氏は強調する。安河内氏は、後期においては、最 近急速に進んだ、EST
解析、WGS
法によるゲノム情報を活用し、BAC
コン ティグを全染色体にわたり構築して、遺伝地図と遺伝子・EST
およびWGS
等のゲノム塩基配列との統合を試みた。安河内氏が取った、
BAC
コンティグを全染色体に作製するための戦略は、遺伝地図上のマーカーを用いて
BAC
ライブラリーをPCR
でスクリーニング するトップダウンの手法と、ゲノム塩基配列からマーカーを作出して遺伝地 図上に位置づけるボトムアップの手法を併用することだった。まず、トップダウン手法として、遺伝地図上のマーカーを用いた
BAC
コン ティグの構築をおこなった。すでに発表したカイコ遺伝地図上のRAPD
(
Random amplified polymorphic DNA
)マーカーを用い、BAC
ライブラリー をPCR
スクリーニングした。その結果、415
個のRAPD
マーカーによりBAC
クローンをスクリーニングすることができた。これらのうち、288
個は遺伝 地図上の位置を確認でき、93.7
%にあたる270
個は予想された位置にマッピ ングされた。このことは、RAPD
マーカーがBAC
クローンのスクリーニングBAC コンティグ作製における安河内氏の戦略(提供:安河内祐二氏)
ボトムアップ トップダウン
トップダウン
ボトムアップ
遺伝地図
に有効な手段であることを示している。
トップダウン手法の
2
つめは、BAC
クローンをプローブに用いた、カイコ 染色体のFISH
解析(Fluorescence in situ hybridization
)である。この研究は、北海道大学大学院応用分子昆虫学分野・佐原健助手らとの共同研究で進めた。
その結果、これまで誰もなしえなかったカイコ全染色体
28
本の一括認識に成 功し、染色体と遺伝地図の連鎖群の対応関係が明らかになった。さらに、
BAC
クローンと古典的な連関群との対応づけとして、染色体地図 を交配実験から整備している九州大学遺伝子資源開発研究センターとの共同 研究により、2
から3
個の突然変異形質を有するカイコ系統を利用し、分子 遺伝地図と古典的な形質マーカーによる連関地図の連鎖群の対応付けを行っ た。ボトムアップ手法としては、
WGS
法による塩基配列を用いたBAC
コン ティグの構築と遺伝地図上への位置付けを行った。カイコWGS
データベー スKAIKOblast
(http://kaikoblast.dna.affrc.go.jp/
)に対して既知遺伝子や、EST
の相同性検索を行った。その結果、ゲノム上でシングルコピーと考えら れた既知遺伝子・EST
を含むゲノム塩基配列からSTS
を作出し、PCR
スクBAC-FISH 解析によるカイコ全染色体の一括認識(提供:北大大学院 佐原 健氏)
リーニングにより
BAC
クローンも単離して、コンティグを構築した。その 結果、324
個の既知遺伝子等と75
個のEST
を遺伝地図上にできた。これらの、トップダウン、ボトムアップの手法から得られた結果は、染色 体別
BAC
コンティグの構築に関して、次の表のようにまとめられる。カイコ染色体別の BAC コンティグ構築ならびに連鎖解析結果の要約 コンティグ 間 ギャップ の平 均 長 ( M b ) カバー率
(%)
全クロー ン数 BAC コンティグ上の
既知遺伝子 EST クローン数 コンティ
グ数 遺伝距離 連鎖群 (cM)
0.655 0.598 0.566 0.854 0.753 0.348 0.730 0.730 0.680 0.495 1.153 1.137 0.672 0.727 0.603 0.683 0.842 0.585 0.775 1.234 1.229 1.037 0.656 1.449 0.913 0.667 0.701 0.788 18.08
35.62 35.69 15.78 20.53 48.76 15.66 15.63 15.47 25.43 13.42 14.43 17.95 16.22 21.09 13.76 13.78 15.75 13.94 9.48 11.59 10.83 16.53 8.00 12.71 13.29 13.94 15.56 625
525 765 925 906 767 677 864 769 865 1505 866 819 641 1062 792 849 724 782 770 725 859 956 1300 818 602 531 527 113
187 273 146 186 374 106 135 119 220 202 125 147 104 224 109 117 114 109 73 84 93 158 104 104 80 74 82 11
3 1 2 2 3 1 1 3 3 5 1 1 0 4 0 3 6 8 1 3 1 2 1 1 4 4 0 9 10 8 13 15 21 11 12 13 20 14 9 11 7 23 10 10 8 9 14 8 15 15 5 11 6 8 9 23
12 19 20 21 25 17 22 21 29 25 14 22 16 31 22 19 23 19 12 11 16 27 18 17 17 14 12 98.4 100.3 114.1 130.8 105.8 96.1 156.7 131.8 110.4 98.5 155.3 106.3 110.0 116.2 144.2 107.5 115.5 134.2 102.3 104.0 105.8 117.2 115.3 165.9 107.0 93.7 92.0 108.8 1
2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 P U
0.805 17.21
23027 3962
75 324
544 3224.1 小 計
5.95 1370
60 148
355 未マップ
0.453 23.16
5332 135
472 899
総 計
(提供:安河内祐二氏)
安河内氏は、一応、カイコの遺伝地図および物理地図の基盤は確立できた ものと考えている。今後の研究の展開については、ゲノム塩基配列、遺伝子・
EST
、突然変異形質等の情報を、確実で各種情報の矛盾点を検証可能な基盤 としてのBAC
コンティグ上に位置づけることにより、ゲノム情報を統合す ることを必要としている。また、遺伝地図情報に基づいた遺伝子単離を容易 にするため、染色体ごとに整列化されたBAC
コンティグを整備する必要が あると考えている。カイコとクワコのミトコンドリアゲノム
分子進化研究チーム主任研究官の行弘研司氏は
COE
プロジェクト前期に おいて、絹タンパク質フィブロイン遺伝子の構造に着目し、類縁絹糸虫類の 遺伝子との比較解析を進めた。その結果、サクサンのフィブロイン遺伝子の 全構造の決定に成功した。これまで、フィブロイン遺伝子の全構造について は、カイコを含め決定されてなく、カイコと同時に世界でも最初に報告され、大きな成果と評価された。
WGS
法によりカイコゲノムが解読され、その情報が公開されているが、ゲ ノム情報を高度に利用するためには、DNA
レベルの多様性について知見の 蓄積が必要である。行弘研司氏は、究極的にはカイコの家畜化起源を知るこ とを目的に、カイコとその最も近縁種であるクワコを材料にして核ゲノムと は他に、ミトコンドリアゲノムの多様性について比較し検討した。細胞内小器官として知られているミトコンドリアは、核とは別な、独自の
DNA
セット、つまりゲノムを持っている。人間を含め、雄と雌ともそれぞれ ミトコンドリアDNA
(mtDNA
)を細胞に持っているが、子孫に受け継がれ るのは雌由来のものだけである。この仕組みについては分っていない。カイ コの祖先種と考えられている日本産クワコは、カイコより1
本少ない27
本の 染色体を持っている。カイコの染色体が28
本であるのは、クワコの1
つ染色 体から切断したからとされている。行弘氏は、
mtDNA
の分子比較をカイコ(中107
号)と日本各地から採集 したクワコを用いて行った。カイコと日本産クワコのmtDNA
を部分的に重 なる複数のDNA
断片として増幅・単離し塩基配列を決定した。カイコ、ク ワコのミトコンドリアゲノムのサイズは、それぞれ、15,656
、15,928bp
で、DNA
上には13
のタンパク質をコードする遺伝子、2
つのリボソーマルRNA
遺伝子、22
種のtRNA
遺伝子が存在していた。また、それらのゲノムにおけ る配置パターンにカイコ、クワコ両者での差はなく、ショウジョウバエのミ トコンドリアの遺伝子配置と比べても、メチオニンtRNA
遺伝子の転座だけ が違っているだけだった。カイコ・クワコ間においてタンパク質コード遺伝子、リボソーマル
RNA
遺 伝子にはその大きさに顕著な差は見られないが、tRNA
遺伝子のうちの4
種に おいてループ領域の大きさに変異がみられた。また、DNA
複製および転写 開始に深く関わるA+T-rich
領域(コントロール領域)の大きさが違っていた。カイコと日本産クワコのミトコンドリア DNA の遺伝子配置
(提供:行弘研司氏)
これは長さ
126bp
の断片がカイコでは1
度出現するのに対して、クワコでは3
度繰り返していることに起因する。カイコ、クワコ
mtDNA
の塩基置換パターンは、仮想的DNA
合成開始点 から離れた遺伝子ほどカイコ、クワコでも変異が大きかった。これは、ショ ウジョウバエで見られる傾向と一致しなかった。行弘氏は、カイコと日本産クワコの
mtDNA
の分岐年代をnad5
遺伝子の部 分塩基配列から約700
万年前と推定した。カイコは、染色体が28
本の中国産 クワコから約5,000
年前に分岐し、家畜化されたと考えられている。今回の 結果は、それにはるかに遡る700
万年に中国産クワコと日本産クワコが分岐 していたことを示している。
33
のカイコ系統において、ミトコンドリアcox1
遺伝子部分配列について 多型を調査したところ、多型性は極めて低く、日本産クワコ15
個体について も同様な結果を得た。ミトコンドリア遺伝子は、一般的に核ゲノムの遺伝子 より多型に富む傾向があるとされている。行弘氏は、カイコ・日本産クワコ 間における核ゲノムにある遺伝子og
について多型を調査したところ、ミトコ ンドリア遺伝子の多型よりも有意に高かったという結果を得ている(行弘、私信)。ミトコンドリア遺伝子の多型性を著しく低下させる要因の一つとし て、共生細菌であるウォルバキアが引きおこす細胞質不和合性があげられ る。ウォルバキアによる細胞質不和合性、オス殺し、メス化などの現象は、
さまざまな昆虫種で確認されている。そこで、行弘氏は予備実験的ではある が、カイコ、クワコにおける
PCR
によるウォルバキアの感染について検討し た。その結果、興味あることにカイコは感染兆候は見られなかったが、クワ コでは約40
%でウォルバキアの感染を示すPCR
の増幅が見られた。行弘氏 は、ミトコンドリアのcox1
部分配列に基づく分子系統樹からウォルバキア が誘発する細胞質不和合性はカイコと日本産クワコが分岐したそれぞれ独立 に生じたものと推測し、今後、カイコがクワコから家畜化した起源を探る上 でもウォルバキアの感染に関する研究が必要になると考えている。【主要文献】
Mita, K., Kasahara, M., Sasaki, S., Nagayasu, Y., Yamada, T., Kanamori, H., Namiki, N., Kitagawa, M., Yamashita, H., Yasukochi, Y., Kadono-Okuda, K., Yamamoto, K., Ajimura, M., Ravikumar, G., Shimomura, M., Nagamura, Y., Shin-I, T., Abe, H., Shimada, T., Morishita, S. and Sasaki, T. (2004) The Genome sequence of silkworm, Bombyx mori. DNA Research 11, 27-35.
三田和英(2005)「昆虫ゲノム情報の利用:昆虫ゲノム解析の現状と昆虫遺伝子探索 の方法、利用できるデータベース(分担執筆)」、『昆虫テクノロジ−研究とその 産業利用』(川崎、木内、野田編)シーエムシー出版、pp.35-46.
Sahara K., Yoshido, A., Kawamura, N., Ohnuma, A., Abe, H., Mita, K., Oshiki, T., Shimada, T., Asano, S., Bando, H. and Yasukochi, Y. (2003) W-derived BAC probes as a new tool for identification of the W chromosome and its aberrations in Bombyx mori. Chromosoma 112: 48-55.
Yasukochi, Y., Banno, Y., Yamamoto, K., Goldsmith, MR. and Fujii, H. (2005) Integration of molecular and classical linkage groups of the silkworm, Bombyx mori (n = 28). Genome 48: 626-629.
Yukuhiro, K., Sezutsu, H., Itoh, M., Shimizu, K. and Banno, Y. (2002) Significant levels of sequence divergence and gene rearrangements have occurred between the mitochondrial genomes of the wild mulberry silkmoth, Bombyx mandarina, and its close relative the domesticate silkmoth Bombyx mori, Mol. Bio. Evol., 19: 1385- 1389.
2.昆虫の生体防御機構を利用する
昆虫の生体防御機構と抗菌性ペプチド
広い意味で免疫反応と呼ばれる抗原−抗体反応は、我々ヒトを含む脊椎動 物の生体防御の主役である。しかし、昆虫には、脊椎動物に見られるような 抗原抗体反応は見つかっていない。昆虫は、抗原−抗体反応のような後天的 免疫機構とは別な生体防御機構、生まれつきに備わっている先天性免疫機構 を強化することで身を守っている。先天性免疫は、昆虫だけでなくヒトのよ うな脊椎動物においても、初期感染に対して発動する重要な防御系として役 割を果たしている。
昆虫の先天的免疫機構のもっとも重要な手段の一つは、さまざまな微生物 に対して殺菌、不活性化作用を持つ物質を獲得したことである。中でも抗菌 性ペプチドを中心とした、抗微生物作用を持つペプチドやタンパク質は、わ れわれ人類や家畜などの病気への利用性の点からも注目されている。
細菌の侵入に対し誘導される抗菌性ペプチドの研究は、スウェーデンの
Boman
らのグループによって始まった。1980
年代前半のことで、セクロピ アサンと呼ばれる大型鱗翅目から抗菌性ペプチドが単離され、蛾の名前にち なみセクロピンとつけられた。我が国においても、当時の東京大学薬学部名 取俊二氏のグループがニクバエの仲間で、また、蚕糸・昆虫農業技術研究所(当時)の山川稔氏のグループがカイコやカブトムシの仲間を用いて、探索 と単離を進めてきた。その結果、現在では抗菌性ペプチドは、多岐の目にわ たる様々な昆虫種においても発見され、報告されている抗菌性ペプチドは
170
種類以上とされる。先天的免疫研究チーム長・山川稔氏らのグループは、
COE
プロジェクト 前期でカイコやカブトムシの幼虫液から新規のものを含む複数の抗菌性ペプチドを単離し、その機能解析と利用開発を検討してきた。
COE
後期においても山川氏は、新たな昆虫の生体防御タンパク質を探索と 機能解析を目指して研究を進めてきた。具体的には、細菌、カビ、ウイルス など微生物全般に対して効果ある昆虫生体防御タンパク質の単離、アミノ酸 配列の解析、cDNA
のクローニングなどからそれらのタンパク質の性質を調 べることである。山川氏のグループが今回、新たな生体防御タンパク質探索 の材料としたのは、ダニ、ハスモンヨトウ、タイワンカブトムシ、カイコな どである。ダニ、ハスモンヨトウからの抗菌性ペプチドの単離とその性質及び構造
山川氏の研究グループは、これまで抗菌性ペプチドが知られていないダニ 類について、カズキダニを用い抗菌性ペプチドの有無を検討した。カズキダ ニは、ヒメダニ科に属するマダニとともに比較的普通のダニで、成虫の体長 は
4
〜12
㎜ になる。このダニは草むらに潜み、寄主となるイヌやネコから複 数回吸血する。山川氏のグループはカズキダニの体液と中腸内容物から、4
種の抗菌性ペプチドを単離、cDNA
をクローニング、ディフェンシンA
、B
、C
、D
と命名した。これらのペプチドの遺伝子は主として中腸で発現してお り、ダニが動物の血を吸うことにより発現が増加し、中腸ルーメンに分泌さ れることがわかった。ダニディフェンシンはグラム陽性細菌を効果的に殺す が、グラム陰性細菌には作用しないことが明らかとなった。ダニ類から抗菌 性ペプチドを物質として単離し、その性質を明らかにしたのは、山川氏らの グループが最初である。昆虫でディフェンシン等の抗菌性ペプチドは主とし て脂肪体で合成され、血液中に分泌されるのが一般的である。ところが、興 味深いことに、このダニにおいては中腸細胞で合成され中腸ルーメンに分泌 される。これについて山川氏は、動物の血液のみを栄養源とするダニでは、中腸において細菌の侵入を阻止することが生存に重要な意味をもつものと推 察している。
鱗翅目昆虫ハスモンヨトウの体液からはモリシンが分離・精製された。モ リシンは、山川氏のグループがカイコで最初に見つけた抗菌性ペプチドであ るが、その後他の鱗翅目昆虫からも報告されている。ハスモンヨトウモリシ ンはグラム陽性及び陰性細菌を殺すことができ、細菌の感染によりその遺伝 子発現が活性化されることを明らかにされた。ハスモンヨトウモリシンの
3
次元立体構造は、カイコ由来のモリシンと非常に似ていた。抗菌性ペプチドの作用機構
昆虫において抗菌ペプチドは、普通、いつも体内に存在しているわけでは なく、細菌の感染に対して速やかに、かつ一過的に合成され体液中に分泌さ れる。抗菌性ペプチドが細菌のどの部位、どの機能に作用して、殺菌効果を 示すのかは、この分野の興味ある課題である。山川氏の研究グループは、抗 菌性ペプチドの標的部位が細菌の細胞膜であることをこれまでに明らかにし ている。
細菌の細胞膜は、普通の細胞と同じように、脂質から構成される二重層か らなり、その表面はホスフアチジルグリセロールやカルジオリピンなどの酸 性のリン脂質に覆われている。そのため、細胞膜自体は負に帯電している。
一方、抗菌性ペプチドは、リシンやアルギニンという塩基性アミノ酸を含ん ハスモンヨトウモリシンの立体構造(提供:山川 稔氏)
A:リボンモデル B:立体構造図 C:Bを 180º回転させた図
でいるものが多く、正の電荷を持っている。細菌の細胞膜へ結合した抗菌性 ペプチドは、膜透過性を冗進させることによって細胞内にあるイオン流出 や、それに伴う
ATP
の欠乏、さらには、イオンチャンネルに穴を空けること によって細胞内容物の漏出を起こし死に至らせると考えられた。抗カビペプチドの単離とその性質及び構造
山川氏のグループは、タイワンカブトムシ幼虫の体液から、植物病原糸状 菌であるイネ紋枯病菌に対する増殖抑制活性を指標にして、抗カビペプチ ド、スカラベシンを分離した。この抗カビペプチドの分子量は
4,080 Da
で、細菌に対しての増殖抑制効果はほとんどなかったが、イネ紋枯病菌など植物 病原糸状菌の増殖は効率よく抑えることがわかった。データベースの検索で は、スカラベシンのアミノ酸配列と相同性を示すようなタンパク質はなかっ たが、部分的に既知のキチン結合ペプチドの配列と類似の配列がみられ、ス カラベシンがキチンと結合する活性を示すことが示唆された。そこで、スカ ラベシンを化学合成し、その立体構造を
NMR
等で解析したところ、キチン 結合領域と思われる部位が、他のキチン結合ペプチドのものとよく似ている ことが明らかとなった。スカラベシンと他のキチン結合ペプチドのキチン結合領域の比較
(提供:山川 稔氏)
抗ウイルスタンパク質の単離とその性質
これまで、昆虫において抗ウイルスタンパク質は見つかっていない。山川 氏のグループは、カイコ幼虫の消化液を材料に、抗
BmNPV
活性を指標に抗 ウイルス活性を持つペプチドの精製を行った。昆虫のウイルスに対する生体 防御の研究が進まなかった原因の一つは、抗ウイルス活性を測定する手法が 煩雑であることがあげられる。山川氏は、BmNPV
の多角体タンパクをコー ドする遺伝子部分をルシフェラーゼ遺伝子に置き換えたウイルスを、同じCOE
課題担当者の冨田秀一郎氏から提供してもらった。このウイルスを用 いることで、ルシフェラーゼ活性の測定からウイルス増殖を判定できる新し い実験系を構築した。この実験系を用い、カイコ消化液より抗ウイルスタン パク質の分離・精製を進めたところ、2
つのタンパク質が単離され、それら のアミノ酸配列が推定できた。アミノ酸配列を、既知のタンパク質のアミノ 酸配列との比較により、それぞれリパーゼ及びセリンプロテアーゼと同定さ れた。これら抗ウイルスタンパクの遺伝子発現は中腸のみでみられたが、BmNPV
による感染の有無とは関係なく恒常的に起こっていることが明らかとなった。しかし、その発現は
4
齢後半の脱皮期と5
齢後半の7
〜8
日目に は発現が消失していることから、ホルモンによる何らかの制御が示唆され た。アミノ酸配列が明らかにされた昆虫由来の抗ウイルスタンパク質は、山 川氏のグループのよるものが初めての例である。抗菌性ペプチドの臨床への応用
昆虫の抗菌性ペプチドは、これまで知られている抗生物質とは異なり、細 菌の細胞膜を直接破壊することで殺菌作用を示す。このことは、臨床医学の 領域においてこれまでの抗生物質に代わるものとしての応用が期待される。
臨床医学の現場で使われてきた抗生物質は、細胞壁合成阻害、タンパク質合 成阻害、核酸合成阻害、補酵素合成阻害などの作用を通じて細菌を殺すもの だった。しかしながら、これらの抗生物質はいずれも使用の繰り返しによる
薬剤耐性菌が出現する。わが国でも、メチシリンという抗生物質に耐性をも つ
MRSA
とよばれる黄色ブドウ球菌が、院内感染対策からも大きな社会問題 となっている。昆虫の抗菌性ペプチドは、細菌の細胞膜を標的として物理的 に破壊するという特異的な作用機構を持つため、耐性菌が生じる可能性は低 いと考えられ、これまでの抗生物質に変わる有力なツールとなる可能性があ る。
抗菌性ペプチドの改変
先天的免疫研究チームの石橋純主任研究官らのグループは、カブトムシや タイワンカブトムシからディフェンシンを単離していた。このディフェンシ ンは、グラム陽性細菌の黄色ブドウ球菌に対して殺菌作用があるだけでな く、薬剤耐性細菌
MRSA
に対しても抗菌活性を示した。43
個のアミノ酸から 構成されているこの抗菌性ペプチドは、ヒトや家畜の臨床薬としての抗生物 質として応用が期待できた。しかし、このようなペプチドを実際に臨床薬と して用いるためには、いくつかの課題をクリヤーしなくてはならない。まず、抗生物質としての適用範囲(スペクトラム)の拡大である。次に、
臨床分野への応用では特に重要なことであるが、抗原性を持たないというこ とである。さらに、体内に存在する赤血球に対する溶血反応や、繊維芽細胞 やマクロファージに成長阻害など副作用を引き起こさないことも必須とな る。
これらの課題を克服するため、石橋氏らのグループは、抗菌性ペプチドを タンパク質工学的という手法で改変することにした。タンパク工学的改変と は、ペプチド分子を切って短縮したり、ペプチドを構成しているアミノ酸を 置換したりして、ペプチドの高次構造を変えることによって、ペプチドの特 性を変えることである。
ディフェンシンの改変には、まずその殺菌作用がペプチド分子のどの部分 で発揮されているか、つまり活性中心がどこにあるのかを決定しなくてはな
らない。石橋氏らは、ディフェンシンの全アミノ酸配列をカバーするよう、
N
末端側から12
個ずつのアミノ酸からなるオリゴペプチドを合成し、活性を みることにした。それぞれのペプチドは、ペプチドのC
末端側にアミド基を 持つものと、持たないものの2
種類を作製した。結局、それらの合成ペプチ ドのうち、アミド基を持つものの中に一つだけ、非常に強く黄色ブドウ球菌 の増殖を抑制するものが見つかった。この部分がディフェンシン43
個のア ミノ酸のうちの活性中心部位と推定され、α-
ヘリックスに相当する部分で あった。この合成部分ペプチドは活性はそれほど高くないが、グラム陰性菌 である大腸菌に対しても抗菌活性を示すようになり、タンパク質改変という 操作で、抗菌スペクトルの拡大という効果が得られたことを示している。活性中心と想定された
12
個アミノ酸のペプチドを基本にして、さらに長さ を縮め9
個のアミノ酸からなるペプチドを人工的に作った。得られたペプチ ドのうち、もっとも活性の強かったペプチドを基本構造としてさらに5
種類 のペプチドをデザインした。その結果、Ala-Leu-Tyr-Leu-Ala-Leu-Arg-Arg-Arg- NH
2というアミノ酸から構成されるペプチドが黄色ブドウ球菌、MRSA
、大 腸菌、緑膿菌に対して抗菌効果を示した。これらのペプチドの抗菌作用を、細菌と同じ膜成分の人工膜を用いて調べたところ、内容物がほぼ
100
%漏出 することが確認され、人工ペプチドが細菌膜のイオンチャンネルに穴を空け て細菌を殺すことが示唆された。カブトムシデフェンシン及び改変ペプチドのアミノ酸配列
Val-Thr-Cys-Asp-Leu-Leu-Ser-Phe-Glu-Ala-Lys-Gly-Phe-Ala-Ala- Asn-His-Ser-Leu-Cys-Ala-Ala-His-Cys-Leu-Ala-Ile-Gly-Arg- Arg-Gly-Gly-Ser-Cys-Glu-Arg-Gly-Val-Cys-Ile-Cys-Arg-Arg カブトムシディフェンシン
(43 個のアミノ酸からなる)
Ala-His-Cys-Leu-Ala-Ile-Gly-Arg-Arg-NH2
活性中心部分
Arg-Leu-Tyr-Leu-Arg-Ile-Gly-Arg-Arg-NH2
ペプチド A
Arg-Leu-Arg-Leu-Arg-Ile-Gly-Arg-Arg-NH2
ペプチド B
Ala-Leu-Tyr-Leu-Ala-Ile-Arg-Arg-Arg-NH2
ペプチドC
Arg-Leu-Leu-Leu-Arg-Ile-Gly-Arg-Arg-NH2
ペプチドD
(提供:石橋 純氏)
石橋氏らは、次にアミノ酸
9
個の人工ペプチドが生体内に投与された時に、ペプチドに特異的な抗体が産出されるかどうかを検討した。これらのペプチ ドを単独あるいはキャリアータンパク質を結合させた状態で、マウスに反復 投与したところ、いずれの場合も抗体を産出することはなかった。このこと は、アミノ酸
9
個まで短くしたこれらのペプチドは抗原性が低いか、あるい は抗原として認識されにくい構造になっているものと考えられた。人工ペプチドの赤血球溶血という副作用の有無については、ウサギ赤血球 に人工ペプチドを作用させることで調査した。その結果、溶血現象はほとん ど見られないことが明らかになった。赤血球膜表面はホスファチジルコリ ン、スフィンゴミエリンという全体として電荷を持たない双イオン性リン脂 質で覆われている。一方、細菌の細胞膜は、リン脂質に覆われ全体的にはマ イナスに荷電している。今回作製した人工抗菌ペプチドが、細菌には効果が あるが、哺乳類の赤血球には作用しないという事実は、このような、細菌と 赤血球の膜組成の違いにあると石橋氏らは推察している。
D型人工抗菌ペプチドの作製と効果の増強
抗原性を持たないぐらいまで低分子化したペプチドは生体内でプロテアー ゼで分解されやすくなり、殺菌作用が薄れる恐れがある。そのため、石橋氏 らは、非天然型の
D
型アミノ酸を抗菌性ペプチドに置き換えることで、体内 の残留性を高めることを試みた。アミノ酸