Some New Applications of Zalcman’s Lemma to Complex Dynamics
川平 友規
(Tomoki Kawahira)
名古屋大学・多元数理科学研究科 (Nagoya University)
概 要
Zalcmanの補題とは,複素平面上の領域で定義された関数族が正規族とな
らない必要十分条件を与えるものである.本講では,その複素力学系への応用 をいくつか紹介したい:
• Julia集合内で反発的周期点が稠密であることの証明
• Mandelbrot集合とJulia集合の類似性
• Lyubich-Minskyラミネーションの構成
• Lyubich-Minskyの意味での錘点(conical point) と,Martin-Mayerの意 味での錘点の統一的解釈
1 Zalcman の補題
Dを複素平面C内の領域とし,F をD上で定義された正則関数族とする.Zalcman の補題は,このような関数族の非正規性に対し必要十分条件を与える:
補題 1.1 (Zalcmanの補題[Za]) 関数族 F がある z0 ∈ D で正規族をなさない ことは,次と必要十分である:関数列 {Fk}k∈N ⊂ F,ρk → 0 を満たす列 ρk ∈C∗, およびzk→z0 を満たす列 zk ∈D が存在して,関数 ψk(w) = Fk(zk+ρkw) が定数 でない有理形関数 ψ :C→C に C 上コンパクト一様収束する.
ここで,実際は ρk >0 とできるのだが,後の応用に備えて複素数のままにしてお くことにする.
実はこの補題,複素力学系理論にたいへん「しっくり」くる形をしている.本稿 では次数2以上の有理写像 f :C→C をひとつ固定し,これによって生成される力 学系
· · · −→f C −→f C −→f C −→ · · ·f
このノートは研究集会『複素力学系とその関連分野の総合的研究』(2009/12/14—18,京都大学 人間・環境学研究科),および第52回関数論シンポジウム(2009/11/21—23,大阪市立大学・理学 研究科)における講演内容に関してまとめたものです.この研究は住友財団からの研究奨励金および 日本学術振興会からの科学技術研究費により補助をうけています.
図 1: Zalcmanの補題を F ={fn} (f は有理関数)に適用したイメージ図.
を複素力学系と呼ぶことにしよう.そのカオス部分は一般に Jf := {
z0 ∈C : z0の任意の近傍U 上で{fn|U} は正規族でない}
と定義され,これをf のJulia集合と呼ぶ.1(ただし,fn は f を n回合成したも の.)いま,上の補題でF :={fn}n≥0 とすれば,Julia集合上の点を特徴づける必要 十分条件を得たことになる.
Zalcmanの補題自体は70年代中頃のものである.まもなくして複素力学系の現
代的理論がDouady,Hubbard,Sullivanらによって切り開かれたわけだが,この補 題が複素力学系に応用されるまでにはちょっとしたディレイがあった.複素力学系 の研究者がこの補題を認知するようになったのは,おそらく90年代半ば,Schwick
がJuliaとFatouによる古典的結果である「Julia集合における反発的周期点の稠密
性」の別証明にこの補題を適用してからであろう.しかしその後の応用も散発的で,
Schwickの証明を改良したBargmann [Ba],Berteloot-Duval[BD],補題から生成さ れる有理形関数の値分布的性質について調べたSteinmetzの[St], 力学系の剛性に応 用したAstala-Ha¨ıssinskyの [Ha], Martin-Mayerの [MM]ぐらいであろうか.
実のところ,「リスケーリング原理」とも呼ばれる当補題の原理的な部分は,すでに 多くの複素力学系研究者にとって共通の知識だったようにも見える.あえてこの補題 の形に合わせなくても,別な書き方で事足りるではないか,と.(たとえばMcMullen の本[Mc1]ではZalcmanの補題そのものが暗に使われている.)
本稿では,上で述べたSchwickの結果をひとつの足がかりとしながら,Zalcman の補題の新しい応用について記したいとおもう.はたして,Zalcmanの補題は単な るオルタナティヴに過ぎないのだろうか.それとも,なにか新しい情報をもたらし てくれるのか.
記号.以下Nは非負整数の集合{0,1,2,· · · }を表すこととする.また,N+ :=N−{0} とする.
1Cはコンパクトなので,「正規族でない」は「同程度連続でない」と置き換えられる.
2 Julia 集合における反発的周期点の稠密性について
Zalcmanの補題を複素力学系に応用したのは,おそらくScwhick [Sch]が最初ではな かろうか.本章ではその結果および証明の概要をのべ,Bargmann,Berteloot-Duval らによる改良版も紹介したい.
2.1
反発的周期点周期点とは,方程式fn(z) =z (n∈N+)の解のことである.ある周期点 z に対し,
fn(z) =z となるn の最小値pをその周期と呼ぶ.また,そこでの微分係数(fp)′(z)
を乗数(multiplier)と呼ぶことにする.乗数の絶対値が1より大きいとき,その周期
点は反発的周期点(repelling periodic point)とよばれる.z の十分小さな近傍は fp の作用で|(fp)′(z)| 程度拡大され,自分自身を覆うわけである.このような拡大的 な作用のため,関数族 {fn}はz の近傍で正規族となれない.すなわち,z ∈Jf で ある.
さてこの章で扱うのは,次の古典的な定理(1910年代)である:
定理 2.1 (Fatou, Julia) 反発的周期点全体の集合は Jf の中で稠密である.
FatouとJuliaの証明はそれぞれ異なっているが(Milnorの教科書[Mi]をみよ),
どちらも有理関数特有の性質を用いており,たとえば整関数や有理形関数による力 学系でそのまま通用するような議論ではない.その点,次のSchwick [Sch]による 証明は,若干の変更で整関数や有理形関数の力学系にも適用できる.([UTM, 定理 2.25]も参照せよ.)
証明 (Schwick) まず定理を degf ≥ 5 の場合に帰着させよう.Julia集合の定 義からさほど遠くない事実として,任意の n≥1 についてJf と Jfn は一致するこ とが知られている.fの周期点はfn の周期点でもあるから,f を f3 に置き換えて 定理を証明すればよい.
次に,E ={∞, f(∞), f(c1), . . . , f(cN)} という有限集合を考える.ただし,ci は f の分岐点(f′(ci) = 0となる点)である.Julia集合は孤立点を持たないことが知 られているので(たとえば[Mi,§4]),以下,任意に z0 ∈Jf−E を固定し,反発的 周期点の列 ζk が存在して,k→ ∞ のとき ζk →z0 とできることを示そう.
Zalcmanの補題を F ={fn}n≥0 に適用して,収束する関数族 ψk(w) = fnk(zk+ ρkw)→ψ(w)を得る.ただし,収束はC内のコンパクト集合上で一様であり,極限 ψ は定数でない有理形関数である.
いま,z0 ∈/ Eであったから,少なくとも5つの点p1, . . . , p5 でf(pi) = z0 を満たす ものが存在する.さらにNevanlinnaの全分岐値(totally ramilied values)に関する定 理から,あるw0 ∈Cが存在して,ψ′(w0)̸= 0 かつψ(w0) = pi があるi∈ {1, . . . ,5} について成り立つ.(たとえば[No, p. 18]をみよ.)ここで
f◦fnk(zk+ρkw)−(zk+ρkw) → f ◦ψ(w)−z0 (k →0)
であるが,右の極限はw=w0 のとき 0である.よってHurwitzの定理から,ある wk →w0 が存在して
f ◦fnk(zk+ρkwk) = zk+ρkwk
を満たす.ζk :=zk+ρkwkとおけば,とりあえずz0 に収束する周期点の列は得ら れた.
あとは ζk が反発的であることを示さなくてはならない.λk := (fnk+1)′(ζk) とお くと,実は
ρk·λk = (f ◦ψk)′(wk) → (f ◦ψ)′(w0) ̸= 0 (k→ ∞)
が成り立つ.ρk →0 であったから,十分大きなk で ζk は反発的である.
「Nevanlinnaの定理」を使うのがややマニアックだ,という方もあるかもしれな い.この点を改良した証明が,Bargmann[Ba]およびBerteloot-Duval[BD]により与 えられている.ここでは教科書[BM]にしたがって証明を与える:
証明 (改) こんどは C:=∪
f′(ci)=0
∪
n≥0fn(ci)として,z0 ∈Jf−C に補題を適 用する.(C は可算集合だが,z ∈ Jf の任意の近傍には Jf の点が非可算個存在す る.)Picardの定理から,つぎの3点を満たす開集合 U ⊂Cが存在する:
(1) ψ(U)∩J ̸=∅ (2) ψ(U)⊂C (3) ∀w∈U, ψ′(w)̸= 0.
(1)より Jf ⊂ fm(ψ(U)) となるような m ≥ 0 が存在することがわかるので(たと えば[Mi,§4]),あるw0 ∈U について fm◦ψ(w0) =z0 が成り立つ.よって,上の 証明と同様にして wk →w0 で
fm◦fnk(zk+ρkwk) = zk+ρkwk を満たすものが存在する.さらにk → ∞ のとき
ρk·(fm+nk)′(zk+ρkwk) = (fm)′(ψk(wk))·ψk′(wk) → (fm)′(ψ(w0))·ψ′(w0).
fm(ψ(w0)) =z0 ∈/ C およびw0 ∈U よりこの値は0でない.
ちなみに上で用いたPicardの定理やMontelの定理も,Zalcmanの補題を用いた比 較的簡単な証明が知られている.このあたりは[BD]に詳しい.
2.2
パラメータ空間への応用実は上のような議論を,関数族のパラメーター空間にも適用できるので,簡単に紹 介しよう.ただし,結果自体は新しいものではない.(以降の内容は[Ka] に基づく.)
複素平面C 上の単位円板をD であらわす.正則写像f :D×C→C,f : (t, z)7→
ft(z)を考えよう.ただし,それぞれの ft :C→Cは次数d≥2の有理関数である.
すなわち,f は Dでパラメトライズされた有理関数の族,ということになる..
アクティブ部分. 以下,ある正則写像 c:D→C が存在して,c(t) =ct が ft の分 岐点となっていると仮定する.ペア (f, c) から得られる分岐点 ct は f の標識つき 分岐点(marked critical point)と呼ばれる.さて,ct が t =t0 においてアクティブ であるとは,関数族 {t7→ftn(ct)}n∈N がt0 のすべての近傍で正規族とならないこと をいう. アクティブな ct を与えるパラメーター全体の集合を,A(f, c)⊂D で表し,
アクティブ部分と呼ぶ.この集合は,いわゆる分岐部分(bifurcation locus) の部分 集合である.
例. 典型的なのは,2次多項式族 f : (t, z) 7→ z2+ 3t, ct = 0 である.このとき,
A(f,0) はマンデルブロー集合M の境界部分に相当する.
さて以下では,次の定理を証明してみよう:
定理 2.2 (周期的な分岐点の分布) A(f, c) は空でないとする.このとき,任意の t0 ∈ A(f, c) に対し,収束列 tk → t0 で ctk が周期的となるものが存在する.とく
に,これらの周期は発散する.
ここで,周期点ctkの乗数は0である.このような周期点は超吸引的(superattracting) と呼ばれる.一般に乗数の絶対値が1より小さいと,周期点はその近傍を縮小させ る作用がある.このような作用は関数を摂動しても変わらないため,ctk 自体はアク ティブではない.この定理によれば,マンデルブロー集合の境界∂M は超吸引的周 期点をもつ2次多項式に対応するパラメータ全体の閉包に含まれることがわかる.
証明 (その1:旧来の手法を用いて) もし ct0 がいわゆる除外値ならば(すなわ ち,∪
n≥0ft−0n(ct0)が2点以下ならば),この分岐点はすでに超吸引的周期点であり,
アクティブでない.よって(必要ならばPuiseau級数を用いてパラメータの取り方 を工夫し),グラフが交わらない正則関数の組{at, bt, ct} で,ftm(at) = ftn(bt) = ct があるm, n≥1 で成り立つものが存在する.
{t 7→ ftn(ct)} は t = t0 において正規族でないから,Montelの定理より,ある列 tk → t0 と nk → ∞ が存在して,ftnkk(ctk)∈ {atk, btk, ctk} とできる.このとき,ctk
は周期的である.
もしctk の周期が有界であれば,無限個のt=tk についてftp(ct) =ctとなるp≥1 が存在する.これは ct が t=t0 でアクティブであることに反する.
証明 (その2:Zalcmanの補題を用いて) t0 ∈ A(f, c)と仮定し,Zalcmanの 補題を t 7→ Fn(t) := ftn(ct) に適用しよう.補題より,nk, ρk および tk → t0 で ϕk(w) :=Fnk(tk+ρkw)が定数でない有理形関数 ψ(w) に C上コンパクト一様収束 する.さらに,
補題 2.3 任意の m ≥ 0 について,定数でない有理形関数 ψm : C → C で ftm0 ◦ψm =ψ0 を満たすものが存在する.
証明 k ≫ 0のとき{w7→Fnk−m(tk+ρkw)} は正規族をなすので,そのような ψmが部分列の極限として存在する. (補題2.3) いま,適当なm≥1に対し方程式ftm0(z) =ct0 の解として,少なくとも3つの異な る解z0, z1, z2 を見つけることができたと仮定してよい.Picardの定理より,この中 の少なくともひとつ(z0とする)は ψm の除外値ではない.したがってある w0 ∈C が存在して,ftm0 ◦ψm(w0) =ct0 を満たす.これは方程式 ψ(w) = ct0 が w =w0 に おいて解をもつことと同値である.
さてZalcmanの補題より,方程式ϕk(w) =ctk+ρkw すなわち ftnkk+ρkw(ctk+ρkw) = ctk+ρkw
は解 wk → w0 (k → ∞) をもつ.ここで sk := tk +ρkwk とおけば,sk → t0 かつ csk は周期 nk 以下の周期点である. (ct が t0 で正規族でないことから,csk の周期
は有界でない.)
このように,パラメーター空間においてもSchwick的議論が可能なのである.この 事実は,次の応用例でも本質的な役割を果たす.
3 M と J の類似性
この章では,補題中の関数族 F が2次多項式の反復合成{fcn}n∈N (ただし cは
Mandelborot集合の境界上の点)の場合を考える.ただし,補題自体を適用するの
ではなく,先ほどみたSchwick的議論を活用する,ある意味2次的な応用である.
Mandelbrot集合とMisiurewicz点.2次多項式族 {fc(z) =z2+c : c∈C}
を考えよう.ここでは慣例にしたがって,パラメーターを cで表す.先ほどの標識 つき分岐点の記号とは異なるので注意されたい.Mandelbrot集合 M は次のよう に定義される集合であった:
M := {c∈C:|fcn(0)| ≤2 (∀n∈N)}.
もしc∈M であれば,fc のJulia集合は次のように特徴づけることができる:
Kc := {z ∈C:|fcn(z)| ≤2 (∀n ∈N)} Jc := Jfc := ∂Kc.
前章でコメントしたように,Mandelbrot集合の境界∂M はこの族共通の分岐点 z = 0に関するアクティブ部分である.とくに,パラメーターc は fc(0) であって,
分岐値(critical value)となるように調整されている.
さてc0 ∈∂M について,次の性質を持つものはMisiurewicz点と呼ばれる:
「ある l, p∈N+ が存在して,a0 =fcl0(c0) は周期 pの(反発的)周期点 となる.」
要するにc0 が前周期的である場合をいう.括弧つきの(反発的)という部分は2次 多項式の特殊事情で,c0 ∈∂M かつ前周期的であれば自動的に満たされる性質であ る.このことから,c0 自身は周期的ではないことがわかる.さらに
c0 ∈ Jc0 = Kc0 がなりたつ.とくに,Kc0 は内点をもたない.
Mandelbrot集合とJulia集合の類似性. さて以下では,Tan Lei([TL])による次 の定理についておおまかな証明を述べたい:
「Tan Leiの定理」c0 ∈∂M がMisiurewicz点の場合,z =c0 のあたり でJulia集合 Jc0 を拡大していくと,c=c0 のあたりでMandelbrot集合 M を拡大していったときに見える絵と極めて似たものが得られる.
図 2: 中央の絵は,あるMisiurewicz点c0 の周りでマンデルブロー集合(グレー)とJulia 集合 Jc0 (黒)を同じ座標系で描いたもの.それぞれの描画領域を広げていくと,一方は Mandelbrot集合(左4枚)に,一方はJulia集合(右4枚)になる.
この「定理」を数学的に正当な主張に直していこう.(もちろん,オリジナルの主張 はちゃんと数学的に正当である.)まず古典的な結果として知られる,次の定理([Mi, Cor.8.12])を用いる:
定理 3.1 (Poincar´e関数の存在定理, Kœnigs) λ0 := (fcp0)′(a0) とする.このと き,関数列
w 7−→ fckp
0
(
a0+ w λk0
)
(k ∈N) は,有理形関数 ψ(w) で
ψ(λ0w) = fcp0 ◦ψ(w)
を満たすものにC上コンパクト一様収束する.とくに,ψ(0) = a0, ψ′(0) = 1 で
ある.
定理の主張するところは,C 上の力学系 w7→λ0w を ψ :C→ C という「レンズ」
を通して 眺めることで,反発的周期点 z =a0 近傍の力学系が得られる,というこ とである.このようなψ はPoincar´e関数と呼ばれる.
さてわれわれが目標とする定理はz =c0 における局所的性質の関するものである から,上の結果をそのように言い替えてみよう.A0 := (fcl0)′(c0) とおくと,z =c0 からの微小変化∆z について
fcl
0(c0+ ∆z) = a0+A0·∆z+o(∆z)
がなりたつ.(c0 が周期点でないことからA0 ̸= 0 もわかる.)ここで∆z =w/(A0λk0) とすれば,k → ∞のとき
fckp0 (
a0+ w λk0
)
∼ fckp+l0 (
c0 + w
A0λk0 +o(λ−0k) )
∼ fckp+l0 (
c0 + w A0λk0
)
:= ψk(w) がCのコンパクト集合上で成立することがわかる.結果として,nk :=kp+l, zk :=
c0, ρk := 1/(A0λk0) とおけば ψ(w) = lim
k→0ψk(w) = lim
k→0fcn0k(zk+ρkw)
を得る.まさに,Zalcmanの補題から生成される関数の形をしている.
Hausdorff位相. 次に,集合が「似ている」ことを厳密に表現するための設定
を行おう.C上の(空でない)コンパクト集合全体をCom(C)で表す.そこでの列 {Kk}k∈N ⊂ Com(C) について,Kk がk → ∞のとき K ∈ Com(C) に収束すると は,任意の ϵ >0に対しある k0 ∈N が存在して,k ≥k0 のときK ⊂Nϵ(Kk) かつ Kk⊂Nϵ(K) が成り立つこととする.ただし,Nϵ(·)はC内でのϵ-開近傍である.
さていま,原点中心半径 r > 0の開円板をDr で表そう.閉集合 K ⊂C に対し,
記号 [K]r で集合(K∩Dr)∪∂Dr ∈Com(C)を表すことにする.また,a ∈C∗ およ び b ∈Cに対し,記号 a(K−b) で集合{a(z−b) : z ∈K} ∈ Com(C) を表すこと にする.
以上で,定理を述べる準備が整った.
定理 3.2 (Tan Lei [TL]改) 上記の設定で,J :=ψ−1(J)⊂ C とする.このと き,ある複素定数 q ̸= 0 が存在し,任意に大きな r >0 について次がHausdorff位 相の意味で成り立つ:
(a) [
ρ−k1(Jc0−c0)]
r →[J]r (k→ ∞) (b) [
qρ−k1(M −c0)]
r →[J]r (k→ ∞)
証明の鍵となるのは,次の補題である:
補題 3.3 c0 ∈∂M をMisiurewiczとするとき,ある複素定数 λ̸= 0 が存在して,
関数列
Φk(w) := fcn0k+λρ
kw(c0+λρkw)
はPoincar´e関数 ψ(w) に C上コンパクト一様収束する.
ここで,実際はλ =q−1 である.この補題を認めて,定理の証明をしてみよう.
(a)の証明. fcn0(Jc0) = Jc0 であるから,[
ρ−k1(Jc0 −c0)]
r =[
ψk−1(Jc0)]
r を得る.
定義 [J]r = [ψ−1(Jc0)]r および ψk →ψ の C におけるコンパクト一様収束性から,
主張が得られる.
(b)の証明. Mk:=qρ−k1(M−c0)とおく.定義どおりに,任意に小さいϵ >0に 対しk → ∞ のとき
[Mk]r ⊂ Nϵ([J]r) かつ [J]r ⊂ Nϵ([Mk]r) を示そう.
まず集合 Dr−Nϵ(J)はコンパクトであるから,ある自然数 N =N(ϵ) が存在し て|fcN
0 ◦ψ(w)|>2がすべてのw∈Dr−Nϵ(J)で成り立つようにできる.Φk(w)が ψ(w)に C 上コンパクト一様収束することから(補題3.3),
|fcN+nk
0+λρkw(c0+λρkw)| > 2
がk ≫0で成り立つ.これは c0+λρkw /∈M を意味する.言い換えれば,w /∈ Mk
ということである.したがって,最初の包含関係[Mk]r ⊂Nϵ([J]r). が得られた.
次に,[J]r を有限集合 E ⊂ [J]r で近似し,E のϵ/2-近傍が [J]r を含むように できる.したがって,任意の w0 ∈ E について,列 wk ∈ [Mk]r を見つけてきて,
|w0−wk|< ϵ/2 が k≫0 のとき成り立つようにできればよい.
∆ を w0 中心半径 ϵ/2 の円板とする.もし ∆∩∂Dr ̸= ∅ であれば,wk として
∂Dr の点をとればよい.したがって,∆⊂Dr の場合を考えよう.
いま ψ(w0)∈ Jc0 かつ Jc0 内で反発的周期点は稠密なので,適当な w0′ で |w0 − w0′| < ϵ/4 かつ ψ(w′0) が周期 m の反発的周期点となるものがとれる.すなわち,
関数 χ : w 7→ fcm0(ψ(w)) − ψ(w) はw = w0′ において零点をもつ.そこで関数
χk:w7→fcm
0+λρkw(Φk(w))−Φk(w) を考えよう.Φk は ψ に C上コンパクト一様収 束するから,χk はk ≫0のとき|wk−w0′|< ϵ/4を満たすある wk ∈∆で零点をも つ.とくに,ck :=c0+λρkwk は fcnkk+m(ck) =fcnkk(ck) を満たす.すなわちck ∈M である.よって期待通り, |wk−w0|< ϵ/2 を満たす wk ∈ Mk が得られた.
以上の議論の核心は,うえの補題 3.3にある.実は c0 が半双曲(semi-hyperbolic) と呼ばれるMisiurewiczよりも広いクラスで,同様の補題が成立し,Mandelbrot集 合とJulia集合の類似性も証明できる.(結果自体はRivera-Letelier[RL]によって知 られているが,証明は全く異なる.)この場合c0 の軌道は反発的周期点a0 に着地す るかわりに,一様な反発性をもつコンパクト不変集合(いわゆる双曲集合)に着地 する点が異なるだけである.
4 Lyubich-Minsky ラミネーションの構成
最後に,この章ではLyubich-MinskyラミネーションをZalcmanの補題から構成 する方法を紹介する.その前に,複素力学系におけるLyubich-Minsky理論の背景を 概説しておこう.
複素力学系を研究するうえでのひとつの指針として,Sullivanの辞書というもの がある.80年代,D. Sullivanが提唱したこの「辞書」は,古典的な正則力学系のひ とつであるKlein群論と複素力学系との類似性に着目し,方法論を共有すべし,とい うひとつドグマを掲げたものである.(そこでの成功は,たとえば[UTM]に詳しい.)
Klein群 Γ とは,リーマン球面C にM¨obius変換群として作用するP SL(2,C)の 離散部分群のことである.一方,P SL(2,C) は3次元双曲空間H3 に等長変換群と して作用するため,商空間 H3/Γ は3次元双曲的多様体(一般には軌道体)となる.
すなわち,Klein群論とは3次元双曲多様体論なのである.
一方,複素力学系の作用は H3 への性質のよい拡張ができないことが知られてお り,その意味でKlein群のような「双曲幾何的実現」として自明なものをもたない.
そこで90年代に登場したのが,M. LyuibichとY. Minskyによるラミネーション理 論[LM]である.彼らは複素力学系に対し,「双曲幾何的実現」として3次元双曲ラ ミネーションが取れることを主張し,さらにその幾何学的剛性から半双曲な有理関 数の力学系に関する剛性定理を証明した.
この3次元双曲ラミネーションは,局所的には(3次元球体)×(Cantor集合)と いう形状であり,そのパッチワークとして得られる位相空間である.ただしその貼 り合わせ方は非常に複雑で,大局的には,非可算個の3次元双曲多様体がお互い窮 屈に折りたたまれあって,それぞれが全体の稠密集合をなす,といった具合である.
その構成方法もたいへん抽象的で難解なのだが,実はZalcmanの補題のアイディア を経由すると,比較的すんなりと書き下すことができる.
4.1 Zalcman
関数f :C→C を次数2以上の有理関数とし,写像族F :={fn} に補題を適用して得 られる関数族を考えたい.Julia集合 J =Jf の元 z0 に対し,Zalcmanの補題のよ うにして得られる極限関数ψ を f のz0 におけるZalcman関数と呼ぶ(Steinmetz [St]).またその全体を Z(z0) =Zf(z0) で表す.
もし J が無限遠点を含むとき,Z(∞) はZ(∞) := {1/ϕ : ϕ∈ ZF(0)} と定義す る.ただし,F は F(z) = 1/f(1/z)として得られる有理関数である.さらに f の Zalcman関数の全体 Z を
Z = Zf := ∪
z0∈J
Z(z0)
と定義する.この関数族は,次の性質を満たす:
命題 4.1 1. ψ ∈ Z ならば,f ◦ ψ ∈ Z.また,あるψ1 ∈ Z が存在して,
ψ =f ◦ψ1.
2. δ:C→C を複素アファイン写像とする.このとき,ψ ∈ Zならばψ◦δ ∈ Z. この命題を少し大きな枠組みで見てみよう.C全体で定義された,定数でない有 理形関数全体を U と表す.また,複素アファイン写像全体を Aff であらわす.一 般にψ ∈ C のとき,f ◦ψ ∈ U および ψ◦Aff ∈ U であるから,f ◦ U ⊂ U かつ U ◦Aff = U が成り立つ.
ここで命題が主張するのは,U の部分集合である Z が,左からの f の合成につ いてf ◦ Z =Z を,右からのアファイン写像の合成についてZ ◦Aff = Z を満た す,ということである.
4.2
ラミネーションの構成.
以下ではLyubich-Minskyラミネーションの構成を見ていこう.オリジナルの構成
[LM]からはかなり簡略化してあるが,最終的に得られるものは同じである.
Lyubich-Minsky関数. 無限積CN内の列zˆ = (z0, z−1, z−2· · ·) がf の後方軌 道(backward orbit) であるとは,f(z−n) = z−n+1 をみたす場合をいう. ψ ∈ U がzˆのLyubich-Minsky関数(もしくは簡単にLM関数)であるとは,適当な列 {nk} ⊂ {n}, ρk ∈ C∗ で ρk → 0 を満たすもの,球面の回転 Tk : C → C で Tk(0) =z−nk を満たすものが存在して,
ψk(w) := fnk◦Tk(ρkw)
が ψ(w) にC上コンパクト一様収束することを言う. このようにして得られるLM 関数全体からなる集合をLM=LMfと表す.このとき,次がチェックできる:
命題 4.2 LM関数の集合 LM は,Zの部分集合である.また,f◦ LM=LM
および LM ◦Aff =LM を満たす.
Lyubich-Minskyラミネーションの構成. Ub :=UNとおく.ψ0 を LMの元とす るとき,
ψˆ := (ψ0, ψ−1, . . .) ∈ Ub
でf◦ψ−n =ψ−n+1 ∈ LMを満たすものを考えることができる.(ここでf◦ LM= LMという性質を使っている.)また,LMd でそのようなUb の元ψˆ全体を表す.ψˆ の各項について,w = 0 での値をとれば,後方軌道zˆ= (z−n) でψ−n(0) =z−nを満 たすものが得られることに注意しよう.
一方,次のような同値関係を入れる:U の二つの元 ϕ, ψ がC∗-同値であるとは,
ある定数a ∈C∗が存在して,ϕ(w) =ψ(aw) がすべてのw∈Cで成り立つときをい う.また,Ubの二つの元ϕ,ˆ ψˆがC∗-同値であるとは,あるnによらない定数a ∈C∗ が存在して,ϕ−n(w) =ψ−n(aw) がすべての n∈N, w ∈Cで成り立つときをいう.
これら C∗-同値によるUおよびUb の商空間を U/C∗ および Ub/C∗ で表す.Ub/C∗ におけるLMd/C∗ の閉包をA =Af で表し,これをLyubich-Minskyのアファイ ン・ラミネーション(もしくは簡単に,LM-ラミネーション)と呼ぶ.実際Lyubich とMinskyは Ub/C∗ が C を普遍被覆にもつような軌道体による葉層をなすことが示 し,さらにA が同様な葉からなるラミネーションであることを示した[LM,§7].こ
のRiemann面ラミネーションをもとに,スケーリング束と呼ばれるある種のファイ
バー束を考えることで3次元双曲ラミネーションが得られるのだが,本稿ではこれ 以上深入りしないでおこう.
さて実は,彼らのラミネーションの構成方法は十分な普遍性を持っている.一般 に,U の部分集合 Kがf◦ K =K およびK ◦Aff = K を満たすとき,同様のレシ ピによりA と同じタイプの葉をもつRiemann面ラミネーションKA が得られるこ とがわかる.もちろん,このようなKであれば何でも良いというわけではない.た とえばK=LM の場合,LyubichとMinskyは,f が半双曲的なとき,またそのと きに限りA =LMA が局所コンパクトになることを証明し,さらにその性質を彼 らの剛性定理証明の際に活用している.原材料であるUが局所コンパクトでないこ とを考えると,こうした性質は非自明なことがわかるだろう.
4.3 Zalcman
ラミネーションはLyubich-Minsky
ラミネーション か?Zalcmanラミネーション. 命題 4.1より,K=Zとすることでやはりラミネーショ ンが得られる.これを ZA=ZAf で表し,Zalcmanのアファイン・ラミネーショ ン(もしくは簡単に,Z-ラミネーション)と呼ぶ.先の命題よりLM ⊂ Z であっ たから,ラミネーションとしても A ⊂ ZA が得られる.この包含関係は,どの程 度強いものだろうか?ここではZ =LM, したがって ZA =A となる十分条件を
与えてみよう.言い換えれば,「Zalcmanの補題がLyubich-Minskyラミネーション の別構成を与えるための十分条件」である.
単葉全軌道. z0 ∈ C に対し,全軌道(grand orbit) GO(z0) とは,ある m, n ∈ N が存在して fm(z0) = fn(ζ) とできるような ζ ∈ C の全体である.その中でも,
(fm)′(z0) ̸= 0 かつ(fn)′(ζ) ̸= 0 とできるような ζ 全体を単葉全軌道(univalent grand orbit)と呼び,U GO(z0)と表す.
また,P = Pf でf の分岐後集合 (post critical set) {fn(c) : n ∈N+, f′(c) = 0} を表す.
定理 4.3 (ラミネーションの一致) f が次を満たすとき,ZとLMは一致する:
(∗) 任意の z0 ∈ Jに対し,z0′ ∈U GO(z0)− {z0} かつ z0 ∈/ P となるも のが存在する.
とくに,Z-ラミネーション ZA とLM-ラミネーション Aは一致する.
たとえば,双曲的な有理写像は (∗) を満たす.もうすこし一般に,放物的な(i.e. J が分岐点をもたない)有理写像であれば良い.一方,(∗) が成り立たない例として f(z) = z2−2におけるz0 = 2 などがある.
定理の証明は,次のふたつの命題から自然に得られる.
命題 4.4 任意のz0 ∈J およびζ0 ∈U GO(z0)に対し,Z(z0) =Z(ζ0).
命題 4.5 任意のζ0 ∈J −P に対し, Z(ζ0) は LM の部分集合.
しかし,次の問題は未解決である:
問題. Z =LM もしくは ZA=A となる f の必要十分条件を与えよ.
Steinmetzの問題. Steinmetzは[St]で,「与えられたf について,集合{ζ ∈J : Z =Z(ζ)} を決定せよ」という問題を掲げている.上の定理4.3の証明から得られる系として,
次のような結果が得られる:
定理 4.6 f が 定理 4.3 の (∗) をみたすとき,Z =Z(ζ) がすべてのζ ∈ Jで成
り立つ.
すなわち,この場合 J ={ζ ∈J : Z =Z(ζ)} となるわけである.
5 錐点について
Klein群の世界では,その正則力学系としてのカオス部分を極限集合と呼ぶ.その
中でも,たとえば反発的固定点のように,一定の拡大性をもつ点を“conical”と形容 することがある.これに対応して,複素力学系にも“conical”を定義するさまざまな 流儀がある.(そのあたりは [Pr]に詳しい.) ここではLyubichとMinskyによる定