北
伝
と
南伝
にお
け
る
主 要 な 仏
弟子
Anguttara
Nikdya
に お け る 「是
第
一弟
子
」 を中
心
とし
て一 バ ンチャ ー ド・チ ャ ワ リ ッ トル ア ン リッ ト1
. は じ め に原
始
仏 教にお ける主要
な仏弟
子 とい え ば ,中
国や 日本 などの 北伝 仏 教で は 「十 大弟子」 とい う言葉が思 い 浮ぶ で あろ う。 し か し,十 大 弟子 ω の 現 在の メ ン バ ーは, 『維 摩 経 』 な どω が始 ま りの よ うで ある〔3)。 一 方 ,南 伝 仏 教が 伝わっ て い る タ イ で は, 「十 大 弟 子」 とい う ま とめ 方は 存 在 して い な い。 そ の 代わ り, 「八 十 大 弟子」 (Asitimahasavaka
)が よ く知 られて い る。 しか し, 「八 十大弟
子」 とい う用藷
は パ ー リ 三蔵
に お い て は まっ た く見出
す こ とがで きず, パ ー リ三 蔵の 註釈 , す な わ ちア ッ タ カ タ ーに しか存在
して い ない 〔4) 。 こ の ように,北 伝 と南伝がそ れ ぞ れ独 自の仏弟
子の ま とめ方 を持
つ の は, お そ らく両 者 と も後 代に成立 し た もの だ か ら で あ ろ う。 とこ ろ が,南 北 両伝に伝わ り,比 較 的に早い 年代に 成立 した別の仏 弟子 の ま とめ方が存 在 す る。 そ れ は, サ ー リプ ッ タ は智 慧第 一,モ ッ ガ ラーナ は 神 通第
・とい うよ うに, 何かの 専 門 的な能 力や特 徴 を もつ75
人の 仏 弟 子たちを ま とめ た もの で あ り, そ れは
Anguttara
Nikdya
(A
V
)の ‘Etadagga
vagga ’(
AN
.1
,p
,23
−26
)の 中に収め ら れて い る。 その 中で は, 比丘 の み な らず, 比 丘 尼,優婆
塞
,優
婆
夷
も含
まれる。本稿
で は, これ らの仏弟
子
の こ とを, 「是第
一弟
子 」 と呼
ぶ こ とにする。 また, こ の是第
一弟
子た ちの こ とを直 接述
べ る経典を下 記に記 して お く 。AN
の 「是第一品」 (以下は, AN 「是 第一品」)
『増一 阿含 経 』 「弟 子 品」 「比斤尼 品」 「清 信 士品」 「清
信
女品」凶
76
パーリ学 仏教 文 化 学『阿羅漢 具
徳経
』(6)(
以下
『具徳 経』)
上 記 の 経 典の うち ,
と
に
対
して , 順にMan
・rathaptira4i(
ma )
と 『分 別 功徳 論』ω とい う註 釈 書が それ ぞ れ現存
す る。2
.経典
に見
られ
る 「是
第
一弟
子
」前 述 した よ うに,
AN
「是 第一 品」 に対 応 す る漢 訳経 典
に は, 『増一 阿 含 経』(
「弟
子 品」 「比丘尼 品」 「清信士 品」 「清信女 品」)
と 『具徳 経』 が 存在す る。 まず,AN
「是 第一 品」 の内容
は具 体 的に どの よ うな記 述に なっ て い る か を簡 略に示して お く。Etad
aggarpbhikkhave
mama s蕊vakdnarpbhikkh
矼narpRattafifiiinarp
yadidarTi
Afifi
訓ko4dafifio
.Mah
巨pa
黼liinal ロyadida
!p
Siiriputto
_.(
比 丘 ら よ, 我の 弟子である比丘 た ちの中
で は,出
家
して 久 しい者た ちに お い て,第一 は ア ンニ ャ コ ーン ダン ニ ャ である。大 智 慧の ある
者
た ちに おい て,第
一は サ ー リ プ ッ タで あ る。 … …)
(
AN
.1
,p
.23
ff
−)上 の資
料
を見てわ か る よ うに, こ の経 典の内容は, た だ是第 一弟 子の 名前 と彼 ら(
彼 女 ら)
の専門
的な能 力 (や特 徴)
を 並べ て い る だ けで , 実に名 前 の リス トに近 い もの であ る。 『増一阿含経
』 と 『具徳経
』 も同様で ある。 (1
) 是 第一弟
子 の人数の 比 較表
1
が 示 してい る人数
を見る と,次
の よ うなこ とが言 える。こ の 三つ の 経 典は同 じ形 式 を 取っ た もの の , そ れ ぞ れ の 経典に 列 記され
て い る是
第
一弟
子の 人数に は, 大 き な違い が ある。 漢 訳 の伝承 に おけ る是 第一 弟 子の 人数は, 特に 『増一阿 含 経 』 で は ,
AAI
「是 第一 品 」 よ り も 大 き く上 回っ て い る。AN
「是第
一 品」 と 『具徳経
』 を検
討す る と, 比丘尼 ・優婆
塞 ・優
婆 夷の人数は あ ま り相 違が ない に もか か わ らず, 『具 徳 経 』 の 比丘 の人数は
北 伝 と南 伝に お ける主要な仏 弟 子
77
表1
是第一弟子 躍1V
「是第一品」 『増一阿含 経』 『具徳経』 比 丘41
人 判10
夏人*299
人 比丘尼13
人50
人15
人 優婆塞 11人 40人22
人 優 婆 夷10
人32
人 *3 17人 合 計75
人223
人153
人 * 1 小 野 玄 妙 編 [1937:61](林五邦 )は,42 人 と してい る。 零2 小 野 玄 妙 編 [1937:61](林五邦 )は100人 と してい るが,厳 密に調べ て み る と 101人で あっ た。 *3 小 野 玄 妙 編 [1937:61]の林五邦は30人 と し てい る が,厳 密に調 べ てみ る と 32人であっ た。なお,本稿で は,「難陀難陀 婆 羅」とい う名 前を「難陀 」と「難陀 婆 羅」に分けて 2 人の優 婆 夷と見る。その 根 拠は,AN 「是 第一品」におい て も, 『具 徳 経 』におい て も,最 初にブッ ダに帰 依し た優 婆 夷は 2人と さ れ,ま た, DivyfivadTana(E. B. Cowell & R. A. Neil,1886 )p.392で は,最 初に ブ ッ ダに 帰 依した 女性はNandfiとNandabalfiとい う2 人 と されてい るか らである。
『増 一阿 含 経 』 に 近 く
99
人 に も及ん だ。 漢 訳 伝 承 で は ,100
人 の 比 丘 に ま とめ よ う と してい た よ うに見え る。こ の 三 つ の
経典
に記
されて い る是第
一弟
子の 人数
に は,大き な相
違が見ら れ るの で あ る。 次 に,是第
一弟子の 個 人名’ とその ‘能ガ を検
討す る。 (2) 経典
の内 容の比 較一 是 第一弟子の 個 人名’ と そ の能 が 以下で は, こ の 三つ の 経 典の 内容は どの 程 度に合致 し て い るかを厳 密に検 討す る。 パ ー リ伝承 で あ るA
?〉 「是 第 一品 」 を基 に して , パ ー リ伝承 と合致 す るもの を二 つ の 漢 訳経 典の中か ら選出す る とい う方法で 検 討す る。 以下で は,比丘 の 部分に重 点を当て て検 討す る。表
2
を考 察
すると,是第
一弟子
の人数
につ い て は , 三つ の経典
の相違
は 一 見 大き く見える に もか か わ らず, その内容
は よ く 一致
して い る こ とが わ か る。A7V
「是 第一品 」 の41
人の 比丘, その9
割以 上 は, 『増一 阿含 経 』 と 『具 徳経』 の方 に も見 出す こ と が で き る。 い わば, こ の 三 つ の 経 典は 同 一 の 源泉 か ら発 し て,漢訳 伝承 の 方で は,是 第一弟子の 人数は著し く付 加 さ れて い る78 パ ーリ学 仏教文化学 表
2
* 1 オ1V「是第一品」の 比丘4
直人との合 致 『増一阿含経』 『具徳 経』 完全一致 (個人名も 能 力 も一致) 30人(約73
%) 31 人(約 76%) 部 分一致 (個 人名か能力か の い ず れ か が一致) 8人(約20%)9
人 (約22
%) 不一致 (個人名も 能 力 も 不一致)3
人(約7
%) 1人(約2 %) *1 三つ の 経典の 間に合 致す る内 容を検 討 する に は,あ り得る結 果が 4 ケース考え ら れ る。 是 第 弟 子の 個人名 冒 も 彼 らの能 が も両 方 と も一致 するもの, ‘個 人名’のみ が 致 するもの, ‘能 ガ の みが一致す る もの ,そ して ‘個人名’も’能 ガ も一致 して い ない もの。こ こ で は, は 完 全 一致’, と は 都 分一致 , は 不 一致 と する 。な お,こ の 三つ の経 典に列 挙される仏 弟 子の順 番につ い て は,全てAiifiakorpdafifia
か ら記さ れ て い る が,その 他は全て一致 して い ない。 と推 定で き る。 また, こ の 三つ の経
典の中
で, もっ と も その 源泉に近い もの はAV
「是 第一品」 で あ る と考え られ る。(
3
)
三 つ の経典の 間に ‘合 致 した内容
の場
所の検討
こ こ ま で,三つ の 経典に列 記 さ れて い る是 第一 弟子の 人数 その 個人名と 能 力 を比較 す るこ とに よっ て, 三つ の
経典
が よ く合致 し て い るこ とが わ かっ た。 し か し,漢
訳の経
典の 中で ,AIV
「是 第一品 」 と ‘ 合致 した 内容の 場 所’ を考 慮 に入 れ ると, 三っ の経典 の 間で は,Aj
> 「是 第一 品 」 と 『具 徳 経』 と が 特に近 似性
を もっ て い るこ とを理 解す る こ とが で きる。‘合 致 した
内容
の 場 所 ’ とは, 二 つ の 漢 訳 経 典の中
に列
記されて い る是第
一弟
子の 順 番その ま まに一 人 目か ら最後 の比丘 まで並べ て , その 中に,AN
「是 第一品 」 と合致 す るもの の 場 所 を 黒 く示 して い る とこ ろ で ある。 こ の よ うに して , 一人ず
つ 黒で示してい く と,最終
的に は, その経典
の中
で 黒で示 さ れ た場所 は, 他 の 二 つ の 経典 と合 致 し た 内容の 場所’ を表示 して い るこ とに な る。 具体的 に は, 図
1
の 通 りで ある。その ‘合 致 し た 内容の 場所’ は,『増一 阿含 経』 の よ う に,離れ た り くっ つ い た りす るの は,予 想の
範
囲で あ り, 不 思議で はない 。 一 方, 『具 徳 経』 で は, い くつ か離れ た場 所 を除
けば,AN
「是 第一 品」 と合 致
した もの は前 方部に, 合致 し て い ない もの は後
方部に き れい に くっ つ い て分か れてい る。北 伝 と南伝にお け る主 要な仏 弟 子 『具 徳 経』 比丘 99 人
79
AIV 「是第一品 」 比丘 41人 1人目 41人 目 『増一阿含経 」 比 丘 101人 1人 目 ≒ 一≒
1 。1人 目 1人 目 99人 目 図
1
まさに 『具 徳 経』 がAN
「是第
一品」 の約41
人 を引き継
ぎ, その 内容の 後ろ に 書き加え られ て い る こ とを物 語 っ て い る。AN
「是第
一 品 」 と 『具 徳 経』 との 間に は, か な りの程度の 近 似性が あ る と考え ら れ る。『具
徳経
』 の 」 合 致 し た 内容の場所 が き れ い に くっ つ い て い るの は偶然 の 可能 性 も あ る か も し れ な い が , 『具徳経
』 が 『増一 阿含 経』 よ りAN
「是 第 一品」 との 近似 性を もっ て い るこ とは , 是 第 一弟 子の 個人名
とその 能 力の 記 述を比 較 して み て も, 同 じよ う な こ と が 言え るの で あ る (8)。3
.Manoratha
ρara
ηT
と 『分
別 功
徳論
』AV 「是
第
一品 」, 『増一 阿含 経 』, 『具徳 経』 に つ い て 検 討 した。 是第 一 弟 子に関
して, こ の三 つ の経典
か ら得
られる情報
C
個 人名
’ と‘
能 力
’)
は非
常に少ない。 そ こ で,これ らの経 典に対す る註 釈書
を次 に 見て み る。AIV
「是第
一品」 を註 釈す るManorathaptirarpi
(M )
と 『増一阿 含経』 を註釈す る 『分 別 功徳 論』 が現存 し, そ れ ぞ れ是第一 弟子 の伝 記
を伝えて い る。
『分別 功徳 論 』 は, 阿含経 の中で もっ と も大乗的 な傾 向を持っ て い る 『増
80
パ ーリ学 仏 教 文 化 学 一阿含 経
』 の よ うに, 大乗
的な内容が た く さ ん含ま れて い る (9) 。 一 方,AA
は ブッ ダゴ ー サに よっ て制 作 された と考え られ, 明 らかに 上座 部の立場か ら 註釈を して い る(tO)。 次 は, その よ うな性 格を持っ て い る両 註釈 書
を比 較 し て, 是第
一弟子
の ‘伝記
量 の 共通 点を探っ て みた い。M
では ,澀V
「是第
一 品」 に列 記さ れて い る是第
一弟
子の全 員を註
釈 して い る が, 残 念なが ら, 『分 別 功 徳論 』 で は,『増一 阿 含 経』 に列 記 さ れて い る101
人の 比丘 の う ち,60
人 しか註
釈さ れ て い ない 。 こ の 両註 釈 を比較
して み る と, 『分 別 功 徳 論』 が註 釈す る60
人の うち , その 個人名がha
と合 致 し て い るの は33
人で あ る。 また その33
人の う ち , そ れ らの 伝記 に 関 す る記 述 が あるの は,25
人であ る。 とする と, 『分 別 功 徳 論 』 が伝 承 してき た この25
人の 是第
一一弟
子の伝
記 と,na
が伝 えて き た その25
人 の 伝記 との比較 によっ て ,20
人 ぐ らい もの伝
記が類 似 し て い るこ と が わか る 川 。 しか し, こ こ の 「類 似 」 とは,両註釈 書
の間
に同じ原本
や同 じ表
現 を持 っ てい るこ とを指 す の で は な く, た だ是第
一弟
子の伝
記の 中に, そ の ス トー リーや その 骨子 が 同 じである ことを意 味 し て い る。この よ う に し て, 南 北 両伝 にそ れ ぞ れ伝わ っ て き た是 第 一 弟 子の伝 記の 間 に は, かな りの 共通 点が ある とい うこ とは, この 二 つ の 註釈 書の ソース は同 じで あ るか , あ るい は同じ内容を持っ て い る もの であ る と考 え られ る。 換 言 す れば, その ソース の 年代が
早
い年代
に成
立 して,北伝
に も南伝
にも伝
承さ れて きた と考
え られ る。4
.北伝
と南
伝 に お け
る仏弟子
の付加方法
表
1
が 表示 して い る よ うに, 是 第一 弟 子 た る比丘 の 人 数 は,AIV
「是 第 一 品 」 で は41
人, 『増
一 阿 含 経 』 で は101
人, そ し て 『具 徳 経』 で は99
人 であ る。 こ の よ うに見 る と,漢訳 の 伝承 過 程 に お い て是 第一弟子 に 大 量 の 付 加が行わ れて い る こ とが明 瞭で あ る。 一 方 , パ ー リの伝
承 過程
に お い て も, 決 して大 量の 仏 弟 子の 付加が行わ れて い ない わ けで はな い 。 そ れ は, asitimah5sivaka (八十 大 弟子)
の こ とで あ る。北 伝と南 伝に お け る主 要 な 仏 弟 子
81
パ ー リ註釈書 であ る ア ッ タカ ターで は,asitimahasavaka の 用 例が数 多 く見 出す こ とが で きるCl2)。 ま た, 八
十
大弟
子の 個人名は,Theragdtha
の 註 釈 書 であ るParamatthadip
αni(i3)か ら 知 る こ とがで き る。 そ れ を見て み る と,AN
「是第
一 品 」 に列 記されて い る是 第一 弟子 の41
人 の 比丘 は, 全員そ の中に 含 ま れて い る。 こ の こ とに つ い て は, 「八十
大弟
子 」 がA
?V
「是 第一弟 子」 を も とに して発 展 して き た もの で あ る と指摘
する タ イ の学僧
もい る(14)。 筆 者 もそれ に賛同 す る。こ の よ うに ,
南
北両 伝に お い て,何らかの 理由で 後 代に大 量の 仏 弟子 を ま とめ て い っ た。 その際
も と も との 是 第 一弟 子を も とに して , 仏弟
子の 付 加 を行っ たの であ ろ う。 しか し,両 伝承の 付加 方 法 は 異 なっ て い る。 つ ま り, 漢訳の 元の原 典の伝
承に おい て は,直接経
典に書き加 え るの に対 し (さ も な け れ ば, 漢 訳 時の訳者
の書
き加え とい うこ とにな ろ う)
, パ ー リ伝 承 に おい て は,直
接経典
に 触れずに, 経 典の 枠 外の 場所 で あ るア ッ タカ タ ーで,仏
弟子の 追 加を行い , 「八十
大弟
子」 とい う新た な仏弟
子の ま とめ方を生 み出 す。両伝
承が その よ うに異 なっ た方法
を取
っ てい たの は, パ ー リ伝
承と漢
訳 「 一一一 一一一一一一 一一一一一一一一一一一曹一一一 ,一一一一幽一一一一冒1 P響
驚
ii 創鑑貅
」 1人Fl 41人目 「髭
互
轍
』藷
歎
i
1人 目 1人 目 99人目 101人 目 L _ 亶 r _ _ _ _ _ _ 幽 藺 _ _ _ _ _ _ _ _ } _ _ _ _ _ _ 曽 _ _ _ _ _ _ 曹 膚 呷 一 一 一 図2
82
パ ーリ学仏教 文化 学伝承
の伝
承の仕
方の 一つ の性 格を よ く反映して い る と言えよ う(15)。5
.ま と
めAIV
「是 第一品 」・ 『増
一 阿含経
』 ・『具徳 経
』 に お け る是 第一弟 子た る比丘の 人数に は, 大き な相 違が 見 え る もの の , その個人名や能 力の 内容 は
よ く一致 し て い るた め, こ の三つ の経典 は同 一の源 泉か らそ れ ぞ れ伝 承
され い る。 また, 漢 訳 伝承 に おける是 第 一弟 子 の 人 数は著 し く付 加さ れ
て い る た め, こ の 三 つ の 経典 の 中で , もっ と もそ の 源 泉に近い もの は
A
?〉 「是 第一 品」 で あ る。北 伝の 『分 別功 徳 論』 と南 伝の
ha
の 中に そ れぞ れ是第一 弟子の 伝 記が伝
承 されて い る。 こ の 両 註釈 書は直接関係
を持
っ て い ない にも か か わ らず, 是 第 一 弟子の 伝 記の 部 分に お い て は, かな りの 共 通 点 が確 認で き
る。 した が っ て ,
是第
一 弟 子の 伝 記は, イン ドにお け る註釈 書の古い年
代
の ソース の 一部
で あ る と考 えられ る。 その 中に 実在人物
の 伝記 も伝
わ っ て い るの で あ ろ う。南
北両
伝の い ずれに お い て も, 仏弟子
の伝
承に大き な付
加が行
われていた が , その
付加
方 法は異なっ て い る。 漢 訳伝
承 の原典
に おい て は,直
接経 典に書 き加え るの に対 し, パ ー リ伝 承に おい て は ,
直接経典
を触れず に , ア ッ タカタ ーの 中で 仏 弟 子伝 承の 付加 を行っ た。 注 (1
) 十大弟 子 とは, 仏 弟子の中で最も す ぐれた 10 人の弟子の こ とで あ る。 その個人 名は, 舍利弗, 大目連 ,大 迦葉 ,須菩 提, 富 楼 那弥 多羅尼子,摩 訶 迦 旃延 , 阿那 律 ,優 波離 羅喉羅, 阿難で あ る。 (2
> 『維 摩経 』 T14 , pp .539c−542a :『灌 頂 経』 T21 ,p
.517c 。 (3
) 横 越 慧 日 他 〔1988 ;639b];中村 元 [1991 :581−591];中村元編 [且994 :396r] 。 (4
)Bunjob Bannaruji [2001 :4− 5]。 asitimahfisavaka 以外, asitimahathera やasitis五vaka
とい う用語も 見 ら れ る。
(5) TO2, pp .
557a
−
560c
;『増一北 伝 と南 伝に お け る主要な仏 弟 子 83
よ れ ば, 大衆 部, 法蔵部 ,説 一切 有部とい う可能性が考え ら れる とい う。 (
6
) TO2, pp ,831a −834b
;小野玄妙 編 [1937 :60 −61](林五邦 〉に よ れ ば,『阿羅漢 具 徳経』 の訳 者は, 宋の法賢 (AD .1001)で ある とい う。 (7
)T25
,p
.30a− 52c ;『分 別功徳論』 の所 属部 派につ いて は,森 祖道 [1970]は, 説一 切 有 部 とい う可能 性を指摘 し てい る。 (8
>『具 徳 経 』 の 訳 年は AD . IOOI 頃で あ る, しか し, 『具 徳経 』 が 『増一阿含 経』 よ り もAN 「是 第一品 」 との 近似性 も もつ とい うこ と は,訳年代が遅 れ て も,そ の原 典は比較的早 く成立 した と考え ら れ る。 (9
) 小 野玄妙編 [1938 :350] (泉 芳 環)。ao
) 森 祖道 [1970
:32
−38
(L
)]に よ る と,『分 別 功徳 論 』 はna
と直接的な関係が な い とい う。 この見 解にっ い て ,筆者も賛同す る。類 似 して い る と判 断で きる 17人 (優 陀夷 ,優留 毘迦葉 ,羅 Vモ婆 羅,大 迦旃延,
大 目撻連, 二 十億 耳, 陀羅婆 摩羅,軍 頭婆 漠, 賓頭盧 ,婆拘 羅,優 波離 ,難陀,婆
陀,周 利般 兎,拘 摩 羅 迦葉 ,羅 雲,般 兎 )に,ある程 度 類 似 して い る 3人 (阿 那 律,離日,鵬耆舍 )を加え る。
(
12
) SumafigalaviibsiniI1
, p .420
;Papaficas 掫dani
III, p .363
;Jbtaka
H ,p
.94;Dhammapadatthakatha
1
,p
.138;Paramatthqiotika [,p
.51な どt31
回 用 い ら れて い る。ま た,asitimah5thera (八 十 大 長老 )の場 合は,
34
回 用い ら れて い る。(
13
) Paramatthαdipani
III
, p .250
。矼
4
Wachirayanavarorot 師 僧 [1970] (Bunjob Bannaruji [2001 :41 を 参 照)。
個
こ の ことに関して は,馬場紀 寿 [
2003
]が,縁起 な どの教理的研 究の観 点か ら,阿 含経 典に は,ニ カーヤ に対応する部 分の み な らず,ア ッ タ カターに対応す る部
分も存在す る と論 証 して い る。 従っ て,asitimahasavaka に対応す る 「八 十大聲 聞」
や 「八十聲聞 」 が見ら れ る漢訳 文献を,ア ッ タ カ ターに対 応す る部分が含ま れて い
る経典 と見て 間 違い はない だろ う。 因 みに,それ らの 漢訳 文献を 挙 げて お く。 『央
掘魔羅 經』 TO2, p.
521c25
; 『大法 鼓經 』TO9
, p.298cl5
;『大般涅 槃經 集 解』T37
, p .469c28
. 参考文献 小野 玄妙編 『佛書解説大辞典 (アーオ) 』 大東 出版社Jl937 . 小野玄妙編 『佛書 解説大 辞 典 (ハ ーホ)』 大東 出版社 ,1938 , 勝 崎 裕彦 「経 典 に お ける須菩提 題 名の配 列につ い て 」 『印度 学 仏教学 研 究』 70号, 1987, pp .46
−49
. 横越 慧日他 『総合 佛教大辞典 』 上 巻,法蔵館 , 1988. 静 谷 正雄 「漢訳 『増一阿含経』 の所属部派」 『印 度学 仏教 学 研 究 』43
号,1973
, pp ,
84
パ ーリ学仏教 文化 学 54− 59 . 中村元 『仏 弟子の生 涯 』 春 秋社 , 1991. 中村元編 『仏教 辞典』 岩 波書店 ,1994
, 馬 場 紀 寿 「北 伝 阿含 の註 釈書的 要 素縁 起 関 連 経 典
」 『仏 教研究』 31 号 , 2003,
pp
.193−219 (L},森祖道 「
On
the
Fen
−bie
−g6ng−de
−1im
(分 別 功徳論 )」 『印度学 仏教学研 究』
37
号 ,1970
,
pp
.32−38
(L
).森祖 道 『パ ーリ仏教註釈 文献の研究
』 山喜 房佛書 林,
1984
,Bunjob
Bannaruji
,Asitimahasavok
, Kongthunsuksaputthasathan,2001 . Wachirayanavarorot, Anuphutthapravvat,MaharriakUtraja
Wittayalai,1970.〔付記〕拙稿は, 大 谷 大学任期制 助 手の清 水 洋平氏か らの多大な る協 力を得た。 こ の