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圓
測
の
一乗
観
『解
深
密
経
疏
』 にお
け
る 三乗
と 一乗
の平
等
性
N工工一Eleotronlo Llbrary Servloe
伊
藤
尚
徳
圓測の一乗観 (伊 藤)は
じ
め
に
唐 代 に 発 展 し た 中 国 唯 識学
派
( 玄 奘 の 新 訳 唯 識 を 根 本 教 義 と す る グ ル ー プ、 以 下 唯 識 学 派 ) と 他学
派
( 特 に 涅 槃 ・ 天 台 ・ 華 厳 学 派 な ど ) と の交
渉 に つ い て 、 一乗
思 想 を テ ー マ と し て 研究
し て い る 。 玄 奘 が伝
え た新
来 の 唯 識 思 想 に よ っ て 示 さ れ た 五 姓各
別 の 思 想 は 、 成 仏 で き な い衆
生 を 認 め る 教義
で あ り 、 『 法華
経
』 や 『 涅槃
経
』 に 基 づ く 、あ
ら ゆ る衆
生 に 仏 性 を 認 め 、誰
も が成
仏 で き る と いう
当 時 の 一 般 的 な 認 識 と は異
な る 見 解 が 示 さ れ た 。 こ れ に よ っ て 唯 識 学派
と 他学
派
の 間 で 無性
有
情 の 是 非 に つ い て議
論 が な さ れ た が 、 こ の 議論
は 一 乗 思想
に も 関連
し て い る 。 玄 奘 以 前 、 そ れ ま で 中 国 に あ っ た 仏 教 思 想 は 、 初 め て伝
来 し て よ り 数 百年
の 歴 史 の 中 で詳
細 に 吟味
さ れ 、 中 国 の 文 化 や 思 想 の 影響
を多
分 に受
け な が ら 発 展 し て き た 。 『 涅 槃 経 』 は 、 す べ て の衆
生 が 成 仏 で き る 可能
性
を有
し 、 修 行 の成
果 と し て 必 ず成
仏
で き る と す る 一 切 衆 生悉
有
一83
一智 山学報 第五十八輯 仏
性
の 思 想 を 説 く経
典
で あ る と 解 釈 さ れ 、 『 法 華経
』 は 、 あ ら ゆ る 衆 生 を救
済 す る大
乗 経 典 の最
た る も の と し て受
け 入 れ ら れ 、 そ の 一 乗 思想
は大
乗 特有
の教
義 と し て標
示 さ れ た 。 し か し 唯 識 学派
で は、 『 涅 槃経
』 に由
来 す るあ
ら ゆ る 衆 生 に 仏 性 が具
わ っ て い る と い う 教 義 を 認 めず
、 『法
華
経
』 の 一乗
義
も方
便 の教
え と し て解
釈 し、 唯 識 教 理 の 拠 り所
で あ る 『 解 深 密経
』 や 『 摂大
乗
論 』 に 示 さ れ る 一 乗義
こ そ が真
実
で あ る と 主張
す る 。 こ の 唯 識 の 一乗
義 は 現実
存
在
と し て さ ま ざ ま に 区 別 さ れ る衆
生 を 認 め た 上 で、 聲聞
に は聲
聞
の 、 菩薩
に は菩
薩 の、 そ れ ぞ れ に 相 応 し い 證果
へ と 導 く た め に 開 示 さ れ た 教 え で あ る 。す
な わ ち、 一 言 に 「 一 乗 」 と い っ て も 唯 識 学 派 と 他学
派 で は 、 そ の 意味
合 い や 位 置 づけ
が 大 き く相
違 し て お り 、 一方
は 、 あ ら ゆ る衆
生 に 同質
の 成 仏 が 期待
さ れ る教
え で あ り 、 ま た 一 方 は 、 一 分 の衆
生 の 不 成 仏 を認
め な が らも
、あ
ら ゆ る衆
生 が大
乗
の 教 え に浴
し 、 包 摂 さ れ て い る と い う 教 え を 示 し て い る 。 こ の よう
な 唯 識学
派
の 教 理 を 明 示 し た の は、 玄 奘 の 直弟
子
で あ り 、 初期
唯 識 学 派 に お い て 活 躍 し た慈
恩
大
師
基 ( 六 三 ニ ー 六 八 一 ) に 依 る と こ ろ が 大 き い 。 基 は 唯 識 教 理 を高
度 な 仏 教哲
学
と し て体
系 化 し た 人物
で あ り 、他
学
派
に対
し て 及 ぼ し た影
響
力 も 少 な く な い 。 一 乗 義 に 関 し て も 唯 識教
理 の 拠 り所
で あ る 『 解深
密
経
』 や 『摂
大
乗論
』 な ど の所
説
に つ い て 、 五 姓 各 別 説 に 基 づ き な が ら 論 を展
開 し て い る 。 基 の 思想
は 初期
唯
識 学 派 の教
理 を 理 解 す る 上 で不
可 欠 で あり
、後
代 に お い て も 基 の注
釈
書
や論
書 が玄
奘 の 正 統 を受
け継
ぐ も の と し て 重 要 視 さ れ る 。 し か し 、 唯 識学
派 の 中 に は 基 と 同 時代
に 活 躍 し た学
匠
は 他 に も おり
、彼
ら の 思想
と 基 の 思 想 を 比較
す る こ と で 、 は じ め て 初 期 唯識
学派
に お け る 基 本 的 な 思 想 傾向
に つ い て 知 る こ と が で き、 基 の 思想
に つ い て も そ の 特 徴 と 、影
響 力 に つ い て 考 察す
る こ と が 可 能 と な る と い え よう
。中
国
唯
識 学 派 の 諸 師 の 中 で 基 よ り も 先 輩 で あ り 、学
徳
高 く、 法 相 の 教 理 を数
多
く撰
述 し た 者 に新
羅
僧
圓 測 ( 亠 ⊃ 三 ー 六 九 ⊥ ハ ) が い る 。 一84
一NII-Electronic Library Service
圓
測 の 思想
は 、 玄 奘 より
も 真諦
の影
響
を 強 く受
け て い る と考
え ら れ た こ と や 、 法 相宗
第
二 祖 と さ れ る慧
沼 撰 『 成唯
識
論 了義
燈
』 の 中 で批
判
対
象
と し て大
き く取
り 上げ
ら れ た こ と な ど、 ま た 、 い く つ か の 伝 記 に 誌 さ れ た 人 物像
な ど か ら 、伝
統
的 な法
相教
理学
に お い て 異端
視
さ れ て き た 歴 史 が あ る 。 し か し、 近 年 の研
究 に よ り 、 圓 測 は や は り 玄 奘 の影
響 を 強 く受
け 、 五 姓各
別 説 を 主 唱 し て い た こ と が 明 ら か に さ れ た 。 そ の こ と を考
慮 し て 、 圓 測 が基
と 同 じ 立 場 で 唯 識 教 理 を説
い て い た と す る な ら ば 、 両者
を 比較
す
る こ と で 初期
唯 識学
派
に お け る 思想
傾向
を考
察
す る こ と が で き る と考
え る 。 そ し て 一乗
義 に 関 し て 、 ど の よう
な 理 解 が他
学
派 と の 争点
と な る の か 、 こ の 時代
に何
が 一乗
義
に求
め ら れ た の か を 知 る手
が か り と な り得
る で あ ろう
。N工工一Eleotronlo Llbrary Servloe
圓測の 一乗観 (伊藤) 一
圓
測
に
つ いて
圓 測 の 思 想 は 、 伝 統 的 な
法
相
教 理学
に お い て異
端
視
さ れ、 日 本 に お い て は 基 ・ 慧沼
・ 智周
の い わ ゆ る 三祖
に よ る 正系
法
相
宗
と は 異 な る学
系
と し て認
識
さ れ て い た 歴史
が あ る 。圓 測 の
伝
記 に は 、 以 下 の 四種
類 が挙
げ ら れ る 。崔
致
遠 ( 入 五 七1
? ウ撰
『故
翻経
証義
大
徳 圓 測和
尚 諱 日文
』賛
寧
( 九 一 九 ー 一 〇 〇 二 ) 撰 『宋
高
僧 伝 』 (唐
京
師 西明
寺
圓
測伝
)宋
復
( ?1
一 一 一 五1
? ) 撰 『大
周
西 明 寺故
大
徳 圓 測法
師
仏舎
利 塔 銘并
序 』曇
矗 ( ?1
一 二 八 五1
? Ψ 撰 『 亠 ハ学
僧 伝 』 ( 周 圓 測 )特 に そ の 中 で も 『
宋
高
僧
伝 』 の 描 写 は 狡獪
な 学匠
と し て の 圓 測 像 を伝
え て い る こ と で 有名
で あ る 。( 1 )
『 宋
高
僧
伝 』 一85
一智山学報第五 十八 輯
自
幼
明敏
慧 解 縱横
。 三藏
奘師
爲
慈 恩 基 師 。 講新
翻 唯 識論
。 測賂
守 門 者 隱 聽 。歸
則 緝綴
義
章
。 將 欲罷
講 。 測 於 西明
寺
鳴 鐘 召 衆 。 稱講
唯 識 。幼 き よ り 明
敏
に し て 慧解
縦 横 な り 。 三 藏奘
師
は慈
恩基
師
の た め に 新 翻 の 唯 識論
を 講 ず 。測
は 守 門 の 者 に賂
し て隠
聴
し 、 歸 り て 則 ち 義章
を 輯綴
す 。 ま さ に講
を 罷 め ん と 欲 す る と き、 測 は 西明
寺 に お い て 鐘 を鳴
し衆
を 召 し 、唯 識 を
稱
講 す 。し か し、
『
塔
銘 』 に伝
え ら れ る も の に は 、( 2 )
『
大
周 西 明寺
故 大徳
圓 測法
師 仏舎
利塔
銘 并序
』法
師諱
文
雅 。 字 圓 測 。 親 羅 國 王 之 孫 也 。 三歳
出 家 。 十 五請
業 。 初於
常 辨 二法
師 聴論
。 天 聰警
越 。 雖 数数
萬
言 。一 歴 其
耳
。 不忘
於 心 。法
師
、諱
は 文 雅 。字
は 圓 測 な り 。 親 羅 國 王 の孫
な り 。 三 歳 に し て 出 家 。 十 五 に し て請
業
し 、初
に 常 ・ 辨 の 二法
師
に 聴論
す
。 天 聰警
越 に し て 、 数数
萬 言 あ り と い え ど も 、 一 た び其
を 歴 る の み に し て 、 心 に忘
れ ず 。( 3 )
と あ り 、
『 宋 高 僧
伝
』 や 『 六 学僧
伝 』 よ り も 圓 測 の 生 涯 を詳
し く説
き な が ら 、 高 徳 の学
僧
と し て の 圓 測 像 が示
さ れ る の で あ る 。『
塔
銘
』 に依
れ ば 、圓
測 は玄
奘
も 師事
し た 『 摂 大 乗論
』 の大
家 で あ る 法 常 ( 五 七 六 − 六 四 五 ) や 僧 弁 ( 五 六 八 − 六 四 二 ) に つ い て 学 ん だ後
、 玄 奘 門 下 に 入 り、 『 瑜 伽 師 地論
』 、 『 成 唯 識論
』 に つ い て学
び 、大
小乗
経
論
を 翻 訳 し た 。 後 に 西明
寺
の 大 徳 と な っ て 『 成 唯 識 論 』 を 講 述 し た が 、 地 婆 訶 羅 ( 六 一 八 − 六 八 七 ) が 来朝
し た 際 に は 、 『 密厳
経
』 や 『 顕 識論
』 等 の 訳 出 に 証義
と し て あ た り 、晩
年
に 実 叉 難 陀 ( 六 五 ニ ー 七 一 〇 ) の 八 十華
厳 の 訳 出 に参
加 し 、 未 完 の ま ま 遷 化 し た と いう
。以 上 の
伝
記
に伝
え ら れ る 圓 測 像 は 一 定 で な い が 、 仮 に 最 も詳
細
な 『塔
銘 』 の 記事
に依
っ て み て、 訳 出事
業 の証
義 一 86 一NII-Electronic Library Service の
役
に あ た る よう
な 高 僧 で あ る に も 関 わ ら ず 、 『宋
高
僧
伝
』 の よう
な エ ピ ソ ー ド が伝
え ら れ 、 異端
と し て扱
わ れ る よ う に な っ た の は な ぜ で あ ろう
か 。こ の こ と は 正
系
と さ れ る基
よ り も先
に 『 成 唯 識 論 』 を 講 じ た と さ れ る こ と や 、 圓 測 の 著 作 に 表 れ る 思 想 自体
が 基 と 異 な る と いう
こ と な ど が考
え ら れ る 。 実 際 に 慧沼
が 『 成 唯 識 論 了 義 燈 』 の 中 で 、基
の 学 説 を 引用
し て 批 判 す る箇
所 は多
い の で あ る が、 そ の事
実
を 証 左 と し て、 圓 測 は 真 諦系
の学
説 を 重視
し た 人 物 と し て 認 識 さ れ て き た の であ
る 。特
に 、 圓測
が 主 要 な著
作
の中
で 、真
諦 説 を 頻 繁 に引
用 す る こ と か ら 一 切 皆 成 仏 説 を 唱導
し た と い う 誤 解 があ
り
、 こ の た め に 五 姓各
別
を 説 く 正系
と 相 違 す る と さ れ て き た の で あ る が 、 近年
の木
村 邦和
氏 や橘
川智
昭 氏 の 研究
に よ り 圓測
の 学的
立 場 が 再 検討
さ れ 、 圓 測 が真
諦 説 よ り も 玄 奘 の学
説 を 自 ら の 基本
的 立 場 と し て い る こ と や 、 一 切皆
成 仏( 4 )
説
を 唱 え る の で は な く 五姓
各
別 を 明確
に 主 張 し 、護
法系
の 唯 識 思 想 を継
承 し て い る こ と が 明 ら か に さ れ た 。 圓 測 は黎
明
期 の唯
識 学派
を 支え
た 人 物 だ っ た の で あ る 。現
在 、玄
奘 の故
里 に 建 て ら れ た寺
院 に は 玄 奘像
を 主 尊 と し て 脇侍
に 基 と 圓測
が 配 さ れ て おり
、 西安
郊
外
の 興 教寺
に は 、玄
奘
の舎
利
塔 を 中心
と し て 両 側 に 基 と 圓 測 の舎
利塔
が 並 立 し て お り 、 中 国 唯 識 学 派 に お け る 三 師 の 重 要 性 が窺
わ れ る 。 一87
一N工工一Eleotronlo Llbrary Servloe
圓測の 一乗観 (伊藤)
二
『
解
深
密
経
疏
』に
お
け
る
一乗
義
に
つ いて
現在
残 っ て い る 圓 測 の 著作
の 中 で最
も 唯 識教
理 を詳
細 に解
説
し た も の と し て 『 解深
密
経 疏 』 が あ る 。 『解
深密
経
』 そ の も の が唯
識 教 理 の拠
り 所 と さ れ る 六 経 十 一 論 の 最 た る も の で あ る と い う こ と と 、著
者 で あ る 圓 測 の 唯 識学
派 に お け る 立場
を考
慮
す れ ば 『解
深
密経
疏
』 は 単 な る 一経
典 の註
釈 と い う性
格
を超
え て 、 唯 識 教 理学
の 基本
的 な特
徴 を提
示 し て い る 書物
の 一 つ で あ る と み る こ と が で き よう
。智 山学報第五十八輯 さ て 、 『 解 深
密
経
』 を 構 成 す る 八 部 のう
ち 「 無 自 性相
品 」 中 に は如
来 が 密意
を も っ て 一乗
義 を説
く段
が 示 さ れ る 。 こ の 一 乗義
を説
く 前弁
と し て 三 無 性 説 が 説 か れ て お り 、 そ の 三 無 性 の意
義 に 基 づ い て 一 乗義
を 開 示す
る の で あ る 。 ( 5 > 『 解 深密
経 』 如 來爲
彼更
説 法 要 。 謂 相 無自
性 性 。 及 勝義
無自
性 性 。 爲 欲令
其 於 一 切 行能
正厭
故 。 … … 乃 至 諸 聲 聞乘
種
性
有 情 。 亦由
此 道 此行
跡 故 。 證得
無 上安
隱 涅槃
。諸
獨 覺乘
種性
有
情 。 諸 如 來乘
種性
有情
。 亦 由 此道
此行
跡故
。 説得
無 上 安 隱涅
槃 。 一 切 聲聞
獨覺
菩 薩 。皆
共 此 一妙
清
淨
道 。皆
同 此 一 究 竟 清淨
。 更 無 第 二 。 我依
此故
。 密意
説
言 唯 有 一 乘 。非
於 一 切 有 情界
中 。 無 有種
種
有情
種 性 。或
鈍 根性
或
中 根性
。 或 利根
性有
情差
別
。 如 來 は彼
の た め に更
に法
要 を説
く
。 謂 わ く相
無
自 性 性 。 及 び 勝義
無自
性
性 。 其 れ を し て 一 切行
に お い て 能 く 正 し く 厭 わ し め ん と欲
す る た め の故
に 。 … … 乃 至 、 諸 の聲
聞
乘種
性
の有
情
は 亦、 此 の 道 、 此 の行
跡 に由
る が 故 に 無 上安
隱 涅槃
を 證 得す
。 諸 の 獨覺
乘
種 性 の有
情
、 諸 の如
來乘
種性
の 有情
も 亦、 此 の 道 、 此 の行
跡 に 由 る故
に無
上 安 隱涅
槃
を 得 る と説
く 。 一 切 の聲
聞 獨 覺 菩 薩 は皆
共 に 此 れ 一 妙 清淨
道
な り 。 皆 、 此 れ 一究
竟清
淨
を 同 じ く し て 更 に第
二 無 し 。 我 は 此 に依
る が故
に 、 密 意 に 唯 だ 一 乘 の み 有 り と説
言 す る も 、 一 切 の有
情
界
中 に お い て種
種 の 有 情 の種
性
、或
い は 鈍根
性
、或
い は 中 根 性 、或
い は 利根
性
の 有 情 差 別有
る こ と無
き に あ らず
。 こ こ で 説 か れ て い る 一乗
義
は、 三無
自
性
に よ っ て 開 示 さ れ る 空 性 と いう
在 り 方 に 立 っ て 声 聞乗
、 縁覚
乗
、 菩薩
乗
の そ れ ぞ れ が異
な る も の で は な い 「 一妙
清
浄 道 」 を 示 す も の で あ る 。 た だ し 、 こ こ で 説 か れ る 一乗
義 は、 す べ て の 衆 生 が 同質
の成
仏
を 期 待 で き る と いう
よう
な 一 乗義
と は性
格
が異
な る 。 こ こ で如
来 は 密 意 を も っ て 一 乗 を 説 い て は い る が 、有
情 界 と い う 現 実存
在
の 場 面 で は あ ら ゆ る 機 根差
別 が存
す る こ と が 文 の 最後
で 強 調 さ れ て い る 。 も ち ろ ん 一 乗義
を開
示す
る 上 で は、 機 根 差 別 が前
提 と な る こ と は ど の 経 典 で も 同 様 であ
る が 、 『 解 深密
経 』 で は後
段
で成
仏 で き な い 衆 生 ( 一 向 趣 寂 聲 聞 ) に つ い て 言 及 し て お り、 そ の よ う な成
仏
で き な い衆
生 を予
想 し な が ら 一 乗 一88
一NII-Electronic Library Service 圓測の 一乗観 (伊藤)
義
を 説 く と いう
点 に 『解
深密
経
』 の 特 徴 が あ る 。 長 文 で は あ る が 、 こ の 本 文 に つ い て の 圓 測 の 注 釈 を み て み る 。 ( 6 ) 圓測
『 解深
密経
疏
』釋
日 。 此 下 第 四約
三 無性
辨
一 乘義
。義
於 中 有 三 。 初 約 聖 道辨
一乘
義 。 次善
男
子 下 明 趣寂
聲 聞 定 不成
佛 。後
若
迴
向
下 明 迴 向 聲聞
定
得 成佛
。 総 釋 意 云 。 第 一 段中
約
三種
姓 。如
來 方 便 説 爲 一乘
。 就實
正 理 具有
三 乘 。各
證 無餘
究
竟
涅槃
。 勝鬘
経
意 亦 同 此説
。第
二段
意定
性 二乘
唯 證 二乘
無
餘
涅槃
。 必無
後
時得
成佛
義
。故
瑜
伽 云 。 二乘
唯 證 二乘
無餘
涅槃
。唯
有 真 如清
淨
法
界
。第
三段
位 。不
定
種
姓 廻向
聲
聞 必 當 成佛
。 是故
。法
華
方便
品
説 。爲
二乘
種
姓
。 理實
決
定得
成
佛
果 。若
依 此 説 。 方 便 説 三 。 就實
爲 一 。 故法
華
云 。 十方
佛
土 中 。 唯有
一 乘 法 。 無 二 亦無
三 。除
佛
方 便説
。法
華
勝
鬘
各
據
一義
。 今 此 →部
義 倶有
。故
解
深 密是
最 了義
(義
如 別章
) 就初
段
中復
分 爲 三 。 初 明 三乘
各
證 自乘
無餘
涅
槃
。次
約 聖 道 方 便 説 一 。後
明 理實
三乘
差 別 。 此 即第
一 。謂
三乘
種
姓各
以 無 性 妙 清 淨 道 。 證 無畭
依
妙
涅槃
界 。然
彼
聖道
能
通義
故
。 名 之 爲 道 。 即 彼 聖道
諸 聖 遊 履 。 亦 名 行迹
。由
此 道 迹 。 離 諸 煩悩
有
漏苦
身
。 證得
常( 其 疑 共 ) 住 寂 滅 之
樂
。 是故
。 説 爲安
穏 涅槃
。 … … 總 説意
云 。 謂彼
三乘
皆 其 此 【 妙 無 性 道 。 即 説 此 道名
究 竟淨
。唯
有 此 道 。 更 無 第 二 。故
約
一 道 。 説爲
一乘
。 故深
密 云 。 唯有
一 清淨
道 。 更 無 第 二 。 而 不 別 説究
竟 清 淨 。 唯有
此 道 。 更無
第 二 。故
約
一道
。 説 爲 一乘
。 故 深 密 云 。 唯 有 一 清淨
道 。 更無
第
二 。 而 不 別 説 究竟
清淨
。 故知
。 究竟
清 淨即
妙 清 淨 道 也 。 釋 し て 曰 わ く 。 此 の 下 は第
四 に 三 無 性 に 約 し て 一乘
義
を 辨ず
。義
は 中 に 於 い て 三あ
り 。 初 め に 聖 道 に 約 し て 一 乘義
を 辨ず
。次
の 「善
男 子 」 の 下 は 趣寂
聲聞
の定
め て 成 佛 せ ざ る こ と を 明 か す 。後
の 「若
迴 向 」 の 下 は 迴向
聲聞
の定
め て 成 佛 を得
る こ と を 明 か す 。 総 じ て意
を 釋 し て 云 わ く 。 一89
一 N工工一Eleotronlo Llbrary智山学 報 第五 十八 輯
第
一 段 中 は 三種
姓 に約
す 。 如 來 は方
便 し て 説 い て 一乘
と す 。實
の 正 理 に 就 い て は 具 に 三 乘 あり
。各
、 無餘
の 究竟
涅 槃 を證
す
。 『勝
鬘経
』 の意
も 亦、 こ の説
に 同 じ く す 。第
二段
の 意 は定
性 の 二 乘 は 唯 だ 二 乘 の無
餘
涅
槃
の み を 證 し 、 必 ず 後 時 に 成 佛義
を得
る こ と な し 。故
に 『 瑜 伽 』 に 云 わ く 。 「 二乘
は 唯 だ 二 乘 の 無 餘 涅槃
の み を 證 す 。 唯 だ真
如 清淨
法 界 の み あ り 。 」 と 。第
三 段 の 位 は 不定
種 姓 た る 廻向
聲 聞 は必
ず當
に成
佛
す
べ し 。 是故
に、 『法
華 』方
便 品 に 説 く 。 「 二乘
の 種 姓 は 理實
に は決
定
し て 成佛
果 を得
る こ と を なす
」 と 。 若 し こ の 説 に依
ら ば方
便
し て 三 を説
く も實
に 就 い て 一 と な す 。故
に 『法
華 』 に 云 わ く 。 「 十 方 佛 土 中 。 唯 だ 一 乘 法 の み あ り 。 二 も 無 く 亦 、 三 も 無 し 。 佛 の 方 便説
を ば 除 く 。 」 と 。 『 法華
』 と 『 勝 鬘 』 は各
、 一義
に據
る 。 今 、 こ の 一部
は義
倶 有 な り 。故
に 『解
深 密 』 は 是 れ 最 了義
な り ( 義 は 別 章 の 如 し ) 。 初 段 の 中 に つ い て復
た 分 け て 三 と な す 。 初 め に 三乘
は各
、 自乘
の無
餘 涅槃
を 證 知 す る こ と を 明 か す 。次
に 聖道
に 約 し て 方 便 も て 一 を 説 く 。後
に 理 實 の 三乘
差 別 を 明 か す 。 こ れ は 即 ち第
一 な り 。 謂 わく
三乘
種
姓 は各
、 無 性 妙 清 淨道
を 以 っ て 無 餘 依 妙涅
槃 界 を 證す
。 然 る に彼
の 聖 道 は能
通
の義
な る が故
に 、 こ れ を 名 づ け て道
と な す 。 即 ち彼
の 聖 道 は 諸 聖 の 遊 履 に し て 亦 、 行迹
と 名 つ く 。 こ の 道 迹 に より
て諸
の 煩悩
・ 有漏
苦身
を 離 れ、 常 住 寂 滅 の 樂 を 證 得 す る 。 こ の故
に 説 い て 安 穏 涅槃
と な す 。 … …( 其 疑 共 ) … … 總 じ て
意
を 説 い て 云 わ く 。謂
わ く 彼 の 三乘
は皆
、 其 れ 此 れ 一 妙無
性
道 な り 。 即 ち こ の 道 を 説 い て究
竟
淨
と 名 つ く 。 唯 だ こ の 道 の み有
り て更
に 第 二 無 し 。故
に 一 道 に 約 し て 説 い て 一 乘 と な す 。 故 に 『 深密
』 云 わく
。 唯 だ 一 清 淨道
の み有
り て 更 に第
二無
し と 。 而 も 別 し て究
竟 清淨
を 説 かず
。故
に 知 ぬ 。 究 竟 清淨
は 即 ち妙
清淨
道
な り ○ こ の 段 は「 初 め に 聖
道
に 約 し て 一 乗義
を 辨 ず る 」 に 相当
す る 箇 所 で あ り 、聲
聞 ・ 縁 覚 ・ 菩 薩 の 三 つ の種
姓 を対
一90
一NII-Electronic Library Service 圓測の一乗観 (伊藤)
象
と し て如
来
が 一乗
義 を説
い て い る 場 面 で あ る 。 た だ し 、 こ の と き 如来
は方
便 を も っ て 一 乗 を 開 示す
る と さ れ て お り 、 三 種 姓 の 三乗
が否
定
さ れ る と いう
わ け で は なく
、 「 初 明 三 乗各
證 自 乗 無 餘 涅槃
」 と あ る よう
に 三種
姓 の そ れ ぞ れ は自
ら の 機根
に 相 応 す る 涅槃
を 証 す る こ と が説
か れ て い る 。 こ の段
の後
に「 趣
寂
聲
聞
の定
め て 成 仏 せ ざ る こ と 」「
迴
向
聲
聞 の定
め て 成 仏 を得
る こ と 」 が 明 か さ れ る文
脈 と な っ て い る の で 、 前 三段
を 通 じ て 、 三 乗 ・ 趣寂
聲
聞 ・ 回向
聲
聞
と いう
そ れ ぞ れ の種
姓
に つ い て 一 乗義
と 関 連 し て 成 仏 の 可 否 が解
釈 さ れ る展
開 と な っ て い る こ と が わ か る 。 こ こ で は趣
寂
聲 聞 を聲
聞 と 縁 覚 の 二 乗 の う ち 、 涅槃
に 趣 く こ と だ け を 求 め て 、 利他
を 顧 み な い 決定
性 の 二 乗 に 相 当 さ せ る 。 回向
聲 聞 に つ い て は 、 は じ め 小 乗 の教
え で 学 び な が ら も 、後
天的
に菩
薩 に転
向
し、 仏 果 を得
ら れ る と す る 不定
種姓
で あ る と し て い る 。 こ の よう
な 解釈
は、 三 乗( 聲 縁 菩 ) ・ 趣寂
( 決 定 二 乗 ) ・ 回向
聲聞
( 不 定 種 姓 ) と いう
よう
に 、 一見
す る と 五 姓各
別
の 次第
に 順 じ て種
姓 の 成 仏 の 可否
を 論 じ て い る よう
に 思 わ れ る が 、 圓 測 は 無性
有
情 に つ い て は 言及
し て い な い 。 圓 測 は後
文
に お い て も趣
寂
聲
聞
を 『法
華経
』 の 方 便 品 で 授 記 の対
象 と な る 決定
聲聞
、 『 宝積
経
』 に お け る 寂 滅性
に相
当 す ( 7 ) る と 示 し 、 そ し て、 「 一 向 趣寂
聲
聞 は 本来
最
極
微劣
慈 悲 の種
姓 で あ る か ら 、 一向
に 衆 生 を 利益
す る こ と を 棄 背 す る 。 生 死 の苦
に お い て 極 め て怖
畏 す る こ と に よ り 、 た だ 涅槃
の 意楽
に安
住 す る こ と あり
。 究竟
し て大
菩
提 に 趣 く こ と は で き な い 。 」 と いう
決 定 二乗
に つ い て の解
釈
を 示 す だ け で あ る 。 も ち ろ ん 圓 測 は無
性
有
情
に つ い て の 見 解 を も っ て い な い わ け で は な い 。 遁 倫 『 瑜 伽論
記 』 の中
で 、 圓 測 が 五 姓各
別 説 を 主 張 す る 段 が示
さ れ て い る 。 ( 8 ) 遁倫
『瑜
伽 論 記 』 一91
一 N工工一Eleotronlo Llbrary智山学報第五十八輯
測 云 。
有
人依
涅槃
經説
一 切 衆 生皆
有 佛性
等文
證 。 謗新
翻 經 論 非是
正 説 。 此 即 不 可 。 所 以者
何
。舊
善戒
經
及
地 持論
皆
同説
無 種 姓 人 可 以 人 天 而 成熟
之 。 又 舊 大 莊嚴
論第
一 云 。 次 分 別 無姓
位 偈 日 。 一 向 行 悪行
。普
斷 諸白
法
。無
有
解
脱 分 。 少 善 亦 無 因 。 釋 日 。無
般 涅槃
法
者 。是
無姓
位
。 此 略有
二 種 。 一 者時
邊
般 涅槃
法
。 二 者畢
竟無
般
涅槃
法
。 時 邊般
涅 槃 法者
。 有 四 種 人 。 一 者 一向
行
悪行
。 二者
普
斷 諸 善法
。 三者
無 解脱
分
善根
。 四者
善 不具
足 。 畢 竟無
涅
槃
法者
。 無 因故
彼無
般 涅槃
性 。 此 謂但
求
生 死 不 樂 涅槃
人 。 如 此等
文皆
同 此論
説
無種
姓 。何
獨 謗新
翻 耶 。測 云 わ く 。
有
る 人 は 『 涅槃
經 』 に 一 切 衆 生皆
、佛
性 あ り等
と 説 く 文 證 に依
っ て 、新
翻 の經
論 は 正 説 に 非 ず と 謗る 。 此 れ は 即 ち 不 可 な り 。 所 以
者
何 。 舊 の 『善
戒
經 』 と 及 び 『 地 持論
』 に皆
、 同 じ く 無種
姓 人 は 人 天 を も っ てこ れ を 成 熟 す べ し と
説
く 。 又 、舊
の 『 大莊
嚴
論
』 第 一 に 云 わ く 。 「次
に無
姓
位
を 分 別 す る 。 偈 日 。 一向
行 惡 行 。普 斷 諸
白
法
。無
有
解脱
分 。少
善亦
無 因 。 」 と 。 釋 し て 曰 わ く 。般
涅槃
法
の無
き 者 は 無 姓位
な り 。此 れ に
略
し て 二種
あ り 。 一 に は時
邊 般 浬槃
法
。 二 に は 畢 竟無
般 涅槃
法 。 時 邊 般涅
槃
法 の 者 は 四 種 の 人 あ り 。 一に は 一
向
に 悪 行 を 行ず
る も の 。 二 に は普
く 諸 の善
法 を 斷ず
る も の 。 三 に は 解 脱 分 の 善根
無 き も の 。 四 に は善
を具 足 せ
ざ
る も の 。畢
竟
無 浬槃
法
と は、 因無
き が故
に彼
れ 般 涅槃
性 無 し 。 此 れ は但
だ 生 死 の み求
め て涅
槃 を 樂 わざ
る 人 と いう
。此
等 の
文
は皆
、 こ の 論 に 無種
姓 を 説 く の と 同 じ くす
。 何 ぞ 獨 り新
翻 を謗
ら ん や 。こ の よ う に 圓
測
は無
性有
情
を 認 め、 新 訳 の 唯 識義
を 信 奉す
る 立 場 で あ る こ と を表
明 し て い る が 、 『 解 深密
経
疏 』( 9 )
本
文
の 中 で は 無 性有
情 に つ い て は 「無
性者
謂 於身
中
無
有 三 乗 涅槃
種性
」 と いう
の み で 、 あ ま り詳
細
な議
論
は し て お らず
、先
に 述 べ た よう
に 一 乗義
に つ い て解
釈 す る場
面
に お い て も 積 極 的 に無
性
有
情 を取
り 上 げ る と いう
こ と は な い 。吉
村
誠
氏 の研
殉
に よ れ ば 基 と 圓 測 の 比 較 し た 場合
に 、 基 は 無性
有
情 に つ い て強
調 す る よう
な 態 度 が あ犠
圓 測 に は 不定
種
姓 に 主 眼 を お き な が ら 五 姓各
別 説 を 主 張 す る 態 度 が確
認 で き る と いう
こ と を論
じ て い る 。吉
村 氏 は 圓 測 が 一92
一NII-Electronic Library Service 圓測の一乗観 (伊藤) 無
性
有
情
に積
極
的 に 言及
し な い 要因
に つ い て 、 瑜 伽行
派 に お け る種
姓 説 の 発 展 過 程 と 、 圓 測 自身
が 新 訳唯
識 を学
ぶ 以前
に 摂 論学
派
で 学 ん で い た と いう
観
点 か ら考
察
さ れ て おり
、 圓 測 の 関 心 は無
性有
情
よ り も 不定
種
姓 を 立 て る こ と で 『 涅槃
経 』 な ど の 一 切皆
成 仏 説 の 論 拠 を 論破
し て い く方
向
に向
け ら れ て い た と いう
こ と を 論 じ ら れ て い る 。 ま た 、 圓測
と は 対 照 的 に 基 が無
性有
情 を 強調
す
る の は定
性
二 乗 と 無性
有
情 の 不成
仏説
が新
訳唯
識
の特
有
の教
義 で あ り 、 こ の独
自 の 教義
を確
立 し て い く た め に無
性有
情 の 不 成 仏 を 強 調 す る 姿 勢 を作
り 上 げ た と いう
見解
を 示 さ れ て い る 。 し か し 、 基 が無
性
有 情 の 存在
を 強 調 す る論
拠
に つ い て い え ば 、 基 の 一 乗観
と いう
観 点 か ら考
察
す る と 、 そ の 教 理 上 の 独自
性
だ け で は な い 側 面 も窺
わ れ る 。 基 は 『法
華
経 』 の 一 乗義
を取
り 上 げ て 、 不定
種
姓 を大
乗 に 摂 入 す る た め の 一乗
教 で あ る と し 、 そ し て 『勝
鬘
経 』 の 一 乗義
を不
定種
姓 だ け で な く 決定
種
姓 や無
性有
情 を も 対象
と し て 開示
さ れ た 一乗
義 を 具 え た経
典 で あ る と し た 。 基 は 『大
乗
法苑
義
林
章
』 の 中 で 『法
華経
』 と 『 勝鬘
経
』 の 一 乗 義 に つ い て 、 そ の 性格
と 所被
の機
根 の違
い に よ っ て 前 者 を 「 摂 入 」 と いう
意義
だ け を具
え た方
便 一 乗 と し 、後
者 を 「摂
入 」 と 「 出 生 」 と いう
両義
を 具 え た真
実 一乗
と し て説
明
し て い る 。 ( 11 ) 基 『大
乗法
苑
義
林
章
』然
法
華
經 開 方 便 門 顯 眞實
相 。 以 二 乘 爲 方便
。 一乘
爲眞
實
。 依 勝鬘
經 。 若如
來隨
彼
意 欲 。 而方
便
説唯
有
一乘
無
有
二乘
。 此 意即
顯攝
二乘
入 大 。説
一 乘 者 。隨
他
意 語 。彼
宜
聞 故亦
是 方 便 説有
一乘
。 非 爲員
實
。決
定種
姓 不授
記
別 。非
唯
一故
。 無姓
有
情 不 成佛
故
。 法 華 一會
對
不
定機
。 以 二 爲 方便
。 一乘
爲眞
實
。 勝 鬘 經中
。 以 道 理周
備 機有
不定
。 四乘
爲
實
。故
説
一 乘 是 方便
説
隨
他 意 語 。亦
不相
違 。 又法
華
一 乘 唯 依 攝 入 。 體 用狹
故
爲 方 便 説 。勝
鬘
一乘
。 出 生 .攝
入 。 二皆
周
備 。故
是眞
實
。 又 法華
一乘
唯談
有
性
爲
依 。故
是方
便 。勝
鬘
一 乘 亦 談 無 姓爲
依 。故
是眞
實
。 又 一93
一 N工工一Eleotronlo Llbrary智山学報第五十八輯
法
華 唯 談 不定
性故
是 方 便 。 勝鬘
亦 談決
定
種
姓
故
是眞
實
。 一 會 之 中 可 宜 聞故
。然
る に 法 華經
は 方 便 門 を 開 き て 眞 實 相 を 顯 す 。 二 乘 を 以 っ て 方便
と な し 、 一 乘 を 眞 實 とす
。 勝鬘
經 に依
れ ば 、若
し く は 如 來、 彼 の 意 欲 に 隨 っ て 、 而 も 方便
し て 唯 だ 有 一 乘 の み 有 り て 二乘
有 る こ と無
し と 説 く 。 此 の 意 は 即 ち 二 乘 を 攝 し て 大 に 入 ら し め ん こ と を 顯 す 。 一 乘 を説
く と は 、隨
他意
語 な り 。 彼 は 宜 し く聞
く べ き が故
に 亦 た 是 れ 方便
し て 一 乘 有 り と 説 き 、眞
實 と爲
す に は 非 ず 。 決定
種 姓 に は 記 別 を授
け ず 。 唯 だ 一 の み に非
ざ る が 故 に 。 無姓
有情
は 成 佛 せ ざ る故
に 。法
華
一 會 は 不 定機
に 對 す 。 二 を 以 っ て 方便
と し 、 一 乘 を 眞實
と爲
す 。 勝鬘
經
中 に は、 道 理 を 以 っ て 周備
し 、機
に 不 定 有 り 。 四乘
を 實 と爲
す 。 故 に 一 乘 は 是 れ方
便 説 に し て隨
他
意 語 な り と 説 く も亦
た 相違
せ ず 。 又法
華 の 一 乘 は 唯 だ 攝 入 に 依 る の み 。 體 用 狹 き が 故 に方
便 し て 説 く 。 勝鬘
一乘
は 出 生 ・ 攝 入 の 二 を皆
周 備 す る 。 故 に 是 れ眞
實 な り 。 又 、 法 華 一 乘 は 唯 だ有
性 の み 談 じ て 依 と な す 。故
に 是 れ方
便
な り 。 勝鬘
一 乘 は 亦 た 無 姓 も 談 じ依
と な す 。 故 に 是 れ 眞實
な り 。 又 、法
華
は 唯 だ 不定
性 の み を 談ず
る故
に 是 れ方
便 な り 。 勝鬘
は 亦 、 決定
種 姓 を も 談 ず る 故 に是
れ眞
實
な り 。 こ う し た 基 の 一 乗 観 は 、 機根
論 を 前提
と し た も の で あ り 、有
性 無 性 の 区別
な く 、 五姓
の す べ て を対
象
と し て 教 え が 開 か れ て い る と い う意
義 に 主 眼 を 置 い た も の で あ る と い う こ と が 理 解 で き る 。 こ れ は す べ て の 衆 生 が 成 仏 で き る と す る 一 乗観
と は 性 格 を 異 に す る も の で あ る が、決
定種
姓 や無
性 有情
の存
在
性 を 認 め た 上 で成
立す
る 一 乗義
で あ る 以 上 、 基 が 無 性有
情 を 強調
す る と いう
姿勢
に 傾 く こ と は必
然 的 な こ と で あ ろ う 。 同様
に 圓 測 が無
性 有情
に 積 極 的 に 言 及 し な い 理由
に つ い て 、 圓 測 の 一 乗義
と いう
観点
か ら 考察
す
る な ら ば 、少
な く と も 圓 測 は 基 の よう
な 全種
姓 的 な 包 括性
を意
識 し た も の で は な く 、 三 乗 そ れ ぞ れ の相
応 し い 證 果 に 対 す る 趣向
性
を 一 乗 義 と考
え て い る か ら で あ る と い え る 。 こ の 圓測
の 一 乗観
に つ い て 次章
で 詳 し く扱
う
こ と に す る 。 一94
一NII-Electronic Library Service 圓測の一乗観 (伊藤 )
三
圓
測
の
一乗
観
道
一 ・果
一 ・理
一前
章
で 取 り あ げ た 『 解 深 密 経疏
』 の 中 で 、 圓 測 は 基 と 同 じ よう
に 『 勝鬘
経
』 と 『法
華
経
』 の 一 乗義
を 取 り 上 げ て 、前
者
を 「 方便
し て 一 乗 を 説 き 、真
実
に は 三 乗 を 説 く経
典
」 と し 、後
者 を 「方
便
し て 三 乗 を説
き 、 真実
に は 】乗
を 説 く経
典
」 と し て 、 「法
華
勝鬘
は各
、 一 義 に拠
る 。今
此 の 一部
は義
倶
有 な り 。故
に解
深
密
は 是 れ最
了 義 な り 」 と いう
よう
に 、 ど ち ら の性
格 も 相 互 に 補完
し た 経典
で あ る 『解
深密
経 』 を 最 了義
に位
置 づ け て い る 。 し か し 、 そ の よ う な極
め て類
似 し た 説 明 構 造 を 用 い な が ら も 、 そ の 解釈
か ら は 二 つ の経
典 の救
済
対
象
と な る機
根
論 に ま で は 言 及 し て お らず
、無
性有
情
や決
定 聲 聞 を 意 識 し て説
い て い る様
子
は う か が わ れ な い 。圓
測
は 『解
深
密経
疏 』 の 一妙
清 浄 道 を 解釈
す
る段
に お い て 、道
一 ・ 果 一 ・ 理 一 と い う 三 つ の観
点 か ら 一乗
に つ い て の見
解
を 述 べ て い る 。 こ のう
ち 、 圓 測 が 『 法 華経
』 と 『勝
鬘経
』 の 二 つ の経
典 を 相 互 に補
完 す る意
図 は、 理 】 に 関連
し て 考 え ら れ て い る こ と に 注 目 し た い 。( 12 )
『 解
深
密
経 疏 』又
云 。 一言
自有
三 種 。 一 。 道 一 故名
一 。 二 。 果 一故
名
一 。 三 。 理 一故
名
一 。今
依 此文
有
其 二種
。妙
清淨
道 即是
道
一 。 究竟
清淨
即 是 果 一 。依
此 二 一 。 更 無 第 二 。故
深密
意 説 唯 有 一 乘 。 而 不 同 下第
四巻
中 約 理無
別故
説
一 乘 。然
一 乘 者 。 唯 一 佛 乘 。故
勝
鬘
經
云 。聲
聞 縁 覺皆
入大
乘 。 大乘
即
佛 乘 也 。 又 法華
經 云 。 十 方佛
土 中 。 唯有
一 乘法
。亦
無
二無
三 。 可 法 身 以 明 一乘
。 故法
華論
云 。或
以如
來法
身
與
聲
聞 法 身 。法
身
無
異故
與
授
記 。又
云 わ く 。 一 に 自 ら 三種
あ り と いう
。 一 に は道
一 な る が故
に 一 と 名 つ く 。 二 に は 果 一 な る が 故 に 一 と名
つ く 。三 に は 理 一 な る が 故 に 一 と
名
つ く 。今
こ の 文 に依
れ ば其
れ 二種
あ り 。妙
清
淨
道
は 即 ち是
れ 道 一 なり
。究
竟
清淨
一95
一 N工工一Eleotronlo Llbrary智 山学 報第五十八輯 は 即 ち 是 れ 果 一 な り 。 此 の 二 の 一 に
依
り て 更 に第
二無
し 。故
に 深 密 の 意 を 説 け ば 、 唯 だ 一乘
の み 有 り と い い 、 而 し て 下 の第
四 巻 中 の 理 に約
し て 無 別 な る が故
に 一 乘 を 説 く と は 同 じ か ら ず 。 故 に 勝鬘
經 に 云 わ く 。 「 聲 聞 縁 覺 皆 入 大 乘 。 大 乘 即 佛 乘 也 。 」 又、 法 華 經 に 云 わ く 。 「 十方
佛 土 中 。 唯 有 】乘
法 。亦
無 二 無 三 」 。 或 い は 法身
を 以 っ て 一 乘 を 明 か す べ し 。 故 に 法華
論
に 云 わ く 。 「 以 如 來 法身
與
聲
聞法
身
。法
身無
異 。故
與 授 記 。 」 と 。す
な わ ち、 『 解 深 密 経 』 の 一 乗義
は 、 三種
姓 が そ れ ぞ れ 證 果 に 至 る ま で の 道 筋 が 一 つ で あ る と いう
道 一 。 こ れ に つ い て は そ れ ぞ れ に 開 示 さ れ る 仏 の 教 え の 平 等 性 で あ ろう
と考
え ら れ る が 、 具 体 的 に は 三 無 性道
の こ と で あ る 。 そ し て 證 果 の 同 一 性 を 説 い た 果 一 は 、 三 種 姓 そ れ ぞ れ が 至 る境
地 は 別 で あ り な が ら も 、 究 極的
な価
値 と し て は 同 じ で あ る と い う 意味
と し て 理解
で き る 。 理 一 に つ い て は 、 こ の 一妙
清浄
道
の解
釈 に は 用 い ら れ な い が 、 こ れ を 説 明 す る も の と し て は 、 『勝
鬘
経
』 の 「 聲聞
縁
覚
は皆
大 乗 に 入 る 。大
乗 即 ち 仏 乗 な り 」 、 『法
華経
』 の 「 十方
仏 土 中 に 唯 だ 一 乗 の 法 の み 有 り 。 二 も 無 く亦
三 も無
し 。 」 と いう
一 乗説
の 証 文 が挙
げ ら れ て お り 、 ま た 、 「法
身
を 以 っ て 一乗
を 明 か す こ と 可 な り 」 と し て 『 法華
論
』 の 「 如 来法
身
と聲
聞 法 身 は法
身
異 な る こ と 無 き を 以 っ て の故
に授
記
を 与 ふ 。 」 と いう
一文
を挙
げ て い る 。圓
測 は 『 勝鬘
経
』 と 『法
華
経
』 に 関 し て 、 前 述 の と お り、 そ れ ぞ れ 「方
便 し て 一乗
を 説 き 、真
実
に は 三 乗 を説
く経
典
」 と し 、後
者
を 「 方便
し て 三乗
を 説 き 、 真実
に は 一 乗 を 説 く経
典 」 と す る が 、 理 の 同 一 と いう
段
で 両 者 の 一 乗義
を 挙 げ る こ と は 、 圓 測 が 三乗
と 一 乗 が本
質 的 に 同 一 で あ る こ と を 示 し て い る と 理解
で き る 。 こ こ で 理 の 同 一 と は如
来
と 聲聞
の法
身
に つ い て の平
等 を 示 す こ と で補
強 さ れ て い る よう
に 、法
身
と い う真
如 の 境 界 に お け る 平等
であ
り 、 こ の 論 拠 も や は り 空 性 や 三無
性
道 を 前 提 と し た 上 で成
立 す る も の で あ る 。 一96
一NII-Electronic Library Service 圓測の一乗観 (伊藤)
四
理
一に
関
す
る
一切
皆
成
仏
説
と
の会
通
前
述
の 理 一 に 関 連 し て 、 圓 測 は 一 乗 と 三 乗 の本
質
的同
一 を 示 す が 、 こ の 主 張 を裏
付
け る よ う に 、 『 涅槃
経
』 を 例 示 し 、真
諦 な ど の諸
師 が 示 し た 一 切 衆 生悉
有
仏 性 の 思 想 と 、 證 果 は 一 つ で あり
な が ら現
実的
な 場 面 で衆
生 の機
根
の 区 別 が存
す る と いう
異 な る 二 つ の考
え方
を 理 行 二仏
性
説
に よ っ て 会 通 解 釈 を施
し て い る 。 ( 13 > 『 解深
密 経疏
』然
此 一乘
聖教
甚
多
。 譯者
非
一 。 意 趣 深 遠 。 是故
新
舊
競 興 諍論
。 一真
諦等
一 類 諸師
。 依法
華 等諸
經 及 論 皆作
此 説 。 一 切 衆 生 皆有
佛
性 故 。涅
槃
經
第
七巻
云 二 十 五有
有
我
不 耶 。佛
言
。 善 男 子 。 我 者 即 是 如 來 藏 義 。 一 切 衆 生悉
有
佛性
即 是 我 義 。 又 第 二 十 五 云 。 衆 生 佛 性 不 一 不異
。 諸 佛 平 等 猶如
虚 空 。 一切
衆
生 同共
有之
( 此 説 理性
) 又 第 二 十 七 云 。 師 子 吼者
名
決 定 説 一切
衆
生 悉有
佛性
。 又 云 。譬
如有
人 。家
有 乳 酪 。有
人 間 言 。 汝有
蘇 耶 。 答 言 我有
。酪
實
非
蘇
。 以 巧方
便
。 定 當得
故
。故
言
有
蘇 。衆
生亦
爾
。 悉皆
有心
。 凡 有 心 者 。定
當得
成 阿耨
多
羅 三 藐 三 菩 提 。 以 是義
故
。 我定
説 一 切 衆 生悉
有
佛
性 ( 此 説 行性
) 又 三十
三 云 一 切衆
生 同有
佛 性 。皆
同 一乘
。 同 一 解脱
。 一 因 一 果 。 同 一 甘 露 。 一 切當
得
常 楽我
浄
。 是名
一 味 ( 通説
理
行 )然
る に 此 の 一乘
の 聖 教甚
多
く
、譯
者 一 に非
ず
。意
趣
深
遠 な り 。 是故
に 新舊
競
っ て諍
論 を 興 す 。 一 に真
諦等
の 一類
諸 師 は 『法
華
』等
の諸
經
と 及 び 論 に依
り て皆
此 の説
を 作 す 。 一 切 衆 生 は皆
佛 性有
る が 故 に 。 『 涅槃
經
』 第 七 巻 に 云 わ く 。 「 二十
五有
有我
不 耶 。佛
言 。善
男
子 。我
者 即是
如
來 藏義
。 一 切 衆 生 悉有
佛
性 即是
我義
。 」 又 第 二 十 五 に 云 わく
。 「 衆 生 佛性
不 一 不 異 。諸
佛 平 等 猶如
虚 空 。 一 切 衆 生 同共
有
之 。 」 ( 此 れ 理 性 を 説 く ) 一97
一 N工工一Eleotronlo Llbrary智 山学 報第五十八輯 又