• 検索結果がありません。

密教研究 Vol. 1931 No. 41 004神龜 法壽「法皇の御信仰と御落飾――付、法皇の御室と御念誦堂―― P72-91」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "密教研究 Vol. 1931 No. 41 004神龜 法壽「法皇の御信仰と御落飾――付、法皇の御室と御念誦堂―― P72-91」"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 七 二

-付、

-聯

一 亭 子 院 の 帝、 宇 多 法 皇 の 御 落 飾 は 昌 泰 二 年 (紀 元 一 五 五 九 )十 月 二 十 四 日 の 事 で あ る が 此 の 法 皇 夙 に 三 寳 に 販 依 し 給 び、 早 ぐ よ り 御 落 飾 の 志 あ つ た 事 は 彼 の 扶 桑 略 記 二 十 二 に 誌 す 次 の 如 き 記 録 を 見 て も 充 分 窺 ひ 知 る 事 が 出 來 る と 思 ふ 。 帥 ち 彼 の 記 に は 法 皇 御 親 ら の 言 を 引 用 し て 朕 自 爲 兇 童、 不 食 生 鮮 者、 販 依 三 寳、 八 九 歳 之 間、 登 天 台 山, 修 行 爲 事、 爾 後 毎 年、 往 詣 寺 々 修 行、 至 十 七 歳、 言 中 宮 (班 子 女 王 ) 可 爲 沙 門 状、 答 日、 此 極 善 也、 大 原 寺 有 練 行 法 師 慮 俊 者 爲 彼 法 師、 ( 街 力 )、 裁 縫 細 紆 装 束 並 袈 裟、 先 可 以 與 耳 之 後 日 又 答 云、 善 哉 善 哉、 好 三 寳 事、 錐 然 暫 見 鑑 世 間、 須 修 此 事 ( 言 力 ) 経 三 四 月、 復 如 是 事、 未 有 妻 子 可 也、 若 住 子 世 間、 漸 煩 悩 是 難 耳、 答 日 諾、 然 敢 不 肯 許、 後 四 箇 月 大 臣 (基 経 ) 持 鳳 輩 奉 迎 先 帝 (光 孝 )、 愚 心 愉 以 棟 戦、 未 及 復 奏、 歴 四 箇 年 傳 此 寳 位、 而 代 國 人 心 有 而 端、 可 治 難、 周 父 賢 哲 圭 也 云 々。

(2)

と 誌 し て ゐ る が、 今 此 の 記 録 に 依 る と、 法 皇 は 既 に 御 幼 少 の 頃 よ り 生 鮮 (な ま ぐ さ も の ) を 食 は す、 三 寳 に 飯 依 し、 入 九 歳 の 頃. 比 叡 山 に 登 つ て 盆 々 其 の 信 仰 を 深 め ら れ、 十 七 歳 に 至 つ て 既 に 出 家 の 志 が あ つ た が、 母 中 宮 に 停 め ら れ て 其 の 目 的 を 達 せ す し て 途 に 帝 位 に 帥 か し め ら れ だ と 云 ふ の で あ る。 此 の 記 録 に し て 若 し 説 誤 な き も の な ら は 法 皇 は 誠 に 世 に も 珍 ら し き 佛 漱 信 者 で あ ら せ ら れ だ と 云 は ね ば な ら あ。 さ れ ば 法 皇 は 御 在 位 十 二 年、 寛 平 五 年 四 月 二 日 庚 午、 寳 算 三 十 一 歳 に し て、 第 一 皇 子 敦 仁 親 王 (時 に 御 年 九 歳 ) を 立 て、 皇 太 子 と な し 給 ひ ( 日 本 紀 略、 伏 見 宮 御 記 録、 西 宮 記、 公 卿 補 任、 寛 卒 御 遺 誠、 菅 家 文 草 ) 後 四 年 を 経 て、 寛 準 九 年 (紀 元 一 五 五 七 ) 七 月 三 日 丙 子、 皇 太 子 に 御 元 服 を 加 へ さ せ ら る、 と 共 に、 即 日 御 譲 位 の 事 あ つ て よ り 後 は、 新 主 へ醐 醍 帝 ) よ り 太 上 天 皇 の 尊 號 を 奉 る ど 錐 も ﹁ 前 年 譲 位 者 爲 肚 稜 也、 今 日 出 家 者 爲 菩 提 也 ﹂ と 稽 し て 堅 く 之 れ を 僻 退 遊 ば さ れ、 專 ら 佛 道 修 行 に 盤 痙 せ さ せ 給 ふ だ の で あ る。 此 の 御 譲 位 の 事 に 關 し て は、 日 本 紀 略、 扶 桑 略 記、 西 宮 記 一 菅 家 文 草、 柱 史 抄、 一 代 要 記 の 諸 書 等 し く 之 れ を 物 語 つ て ゐ る が、 特 に 其 の 御 心 境 を 寓 し て 完 全 に 之 れ を 澁 し て ゐ る も の は ﹁ 寛 卒 御 遺 誠 ﹂ の 一 章 で あ る。 寛 卒 御 遺 誠 は 法 皇 御 譲 位 に 際 し て 特 に 新 帝 (醍 醐 帝 ) の 爲 め に、 治 國 李 天 下 の 亀 鑑 と も す べ き 大 要 十 鯨 條 (現 在 の 御 遺 誠 は 十 入 條 あ る ) を 震 翰 を 以 て 付 與 な さ れ だ も の で、 先 づ 衛 府 舎 人 の 叙 任 法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 七 三

(3)

法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 七 四 に 始 ま り、 諸 司 諸 家 の 季 緑 月 料、 齋 宮、 齊 院、 諸 國 権 講 師、 権 槍 非 違 使、 讃 師、 内 供 奉 十 暉 師、 定 額 信、 外 蕃 引 見、 諸 國 任 用、 有 憲 の 昇 殿、 近 衛 將 監 の 叙 位、 内 侍 所 御 厘 殿、 采 女 女 嬬、 諸 臣 (時 卒、 道 眞、 卒 季 長、 紀 長 谷 雄 等 の 人 物、 學 問、 才 能 の 批 評 )、 帝 王 日 常 の 御 勤、 諸 司 の 奏 上 並 に 見 参、 先 代 帝 王 の 逸 事 (桓 武、 嵯 峨 爾 帝 の 逸 事 )等 詳 細 に 渉 る 新 帝 へ の 御 注 意 書 で あ つ て、 後 世 末 代 迄 の 轟 鏡 と も な す べ き 貴 重 な る 根 本 史 料 で あ る が、 其 の 菅 原 道 眞 公 を 評 せ ら る、 章 の 中 に は 特 に 今 の 立 太 子 並 に 御 譲 位 に 關 す る 心 的 事 情 を 明 か に す る 御 記 録 が 存 す る。 即 ち 彼 の 御 記 に は 右 大 將 菅 原 朝 臣 戸道 眞 ) 者、 是 鴻 儒 也、 又 深 知 政 事、 膜 選 爲 博 士. 多 受 諌 正、 勿 不 次 登 用、 以 答 其 功 加 以 朕 前 年 立 東 宮 (醍 醐 ) 之 日、 只 與 菅 原 朝 臣 一 人 論 定 此 事、 散 胎 調 其 時 無 共 相 議 者 一 人、 又 東 宮 初 立 之 後、 未 経 二 年、 朕 有 譲 位 之 意、 朕 以 此 意、 密 々 語 菅 原 朝 臣、 而 菅 原 朝 臣 申 云、 如 是 大 事 自 有 天 時 不 可 忽、 不 可 早 云 々、 勿 或 上 封 串、 或 吐 直 言、 不 順 朕 言、 又 々 正 論 也、 至 子 今 年、 告 菅 原 朝 臣 以 朕 志 必 可 果 之 状、 菅 原 朝 臣 更 無 所 申、 事 々 奉 行、 至 子 七 月 可 行 之 儀 人 口 云 云、 殆 至 於 欲 延 引 其 事、 菅 原 朝 臣 申 云、 大 事 不 再 塞、 事 留 則 憂 生 云 々、 途 令 膜 意 如 石 不 輻、 総 而 言 之、 菅 原 朝 臣 非 朕 之 忠 臣、 新 君 之 功 臣 乎、 人 功 不 可 忘、 新 君 愼 之 云 々。 と あ る が、 之 れ に 依 る と 法 皇 は 彼 の 東 宮 を 立 つ る の 日 既 に 御 譲 位 の 御 志 が あ つ た け れ ど も、 道 眞 の 諌 言 に よ つ て 思 ひ 止 ま り 給 ひ、 其 の 後 寛 李 九 年 に 到 つ て は 却 つ て 道 眞 よ り 法 皇 に 御 譲 位 の 事 を 勘 め て 事

(4)

内 定 あ り し も 之 れ を 決 行 す る 七 月 以 前 に 既 に 外 聞 に 漏 れ て し ま つ だ の で、 法 皇 御 中 止 の 思 召 あ る や、 道 眞 は 大 諌 し て ﹁ 大 事 は 再 び 墾 ぐ べ か ら ず、 事 留 ま れ は 則 ち 憂 生 す 云 々 ﹂ と て、 途 に 其 の 七 月 三 日 此 れ を 断 然 決 行 ま し ま し だ と 云 ふ の で あ る が、 今 此 の 御 記 文 を 察 し 彼 の 上 掲 扶 桑 略 記 の 説 を 滲 照 す れ ば 法 皇 は 確 か に 御 譲 位 の 最 初 よ り し て 既 に 御 落 飾 の 御 志 が 篤 か つ だ も の と 窺 は ね ば な ら あ の で あ る。 さ て 法 皇 斯 く し て 御 譲 位 遊 ば さ れ だ の で あ る が 其 の 時 當 時 の 女 流 歌 人 伊 勢 が 此 れ を 慕 ひ 奉 つ て 白 露 の お き か は る ら ん 百 敷 を. う つ ろ ふ 秋 は 物 ぞ か な し き 別 る れ と あ ひ も お も は あ も、 敷 を、 み さ ら ん こ と の 何 か か な し き と 二 首 の 歌 を 詠 ん で 弘 徽 殿 の 壁 に 書 き つ け だ 時、 法 皇 は 之 れ を 御 覧 じ て 身 一 つ に あ ら あ 計 を お し な べ て、 ゆ き 販 り て も な と か み さ ら ん と の 御 返 歌 を 其 の 傍 に 書 き 付 け 給 ふ だ と 伊 勢 集 や 後 撰 和 歌 集 に は 誌 し て ゐ る が、 當 時 法 皇 御 譲 位 の 模 様 の 一 端 も 偲 ば れ て い と い み じ き 氣 持 に も な る の で あ る。 二 さ て 斯 く し て 法 皇 御 譲 位 の 後 は、 其 の 月 の 十 日 (寛 平 九 年 七 月 ) 新 帝 (醍 醐 ) よ り 太 上 天 皇 の 奪 號 を 奉 ら る ( 日 本 紀 略、 大 鏡 裏 書 ) と 雌 も、 其 の 月 の 十 四 日 に は 之 れ を 僻 退 し 給 ひ、 績 い て 翌 日 (十 五 日 ) 重 ね て 御 親 ら ﹁ 至 於 封 戸、 惚 非 所 受、 諸 衛 分 直. 亦 皆 可 停 ﹂ 云 々 と て 封 戸 兵 杖 す ら も 僻 し 給 ひ (日 本 紀 略 )專 法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 七 五

(5)

法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 七 六 ら 佛 法 修 練 に 急 が せ 給 ふ だ の で あ る。 然 る に 天 皇 之 れ を 許 し 給 は ざ る を 以 つ て 法 皇 も 屡 々 之 れ を 僻 せ し め 給 ひ 途 に 昌 泰 二 年 (寛 卒 十 年 四 月 二 十 六 日、 昌 泰 と 改 元 ) 十 月 二 十 四 日、 法 皇 仁 和 寺 に 於 い て 御 落 飾 あ り、 重 ね て 次 の 如 き 御 僻 状 を 新 帝 へ 奉 つ て 尊 號 拝 僻 を な し 給 ふ だ の で あ る。 帥 ち 其 の 御 僻 状 に は 前 年 譲 位 者 爲 肚 稜 也、 今 日 出 家 爲 菩 提 也、 室 閑 可 守、 禰 指 惟 勤、 願 早 停 太 上 皇 之 號、 今 成 鑑 形 壽 之 願 尖。 と あ る。 此 れ は 菅 家 文 草 入 に ﹁ 太 上 皇 贈 答 天 子 文 ﹂と し て 載 す る ﹁ 奉 朱 雀 院 太 上 皇 勅 請 停 尊 號 状 ﹂ で あ る が、 此 の 文 中、 ﹁ 前 年 護 位 は 杜 櫻 の 爲 め、 今 日 の 出 家 は 菩 提 の 爲 め な り 云 々 ﹂ と あ る を 見 て も 法 皇 御 譲 位 の 素 願 は 彼 の 扶 桑 略 記 の 記 録 と も 合 致 し 殊 に ﹁ 室 閑 守 る べ し 云 々 ﹂ の 文 を 拝 諦 す れ ば 法 皇 御 出 家 の 御 心 境 を も 察 す る 事 が 出 來 て 殊 に 奪 く 窺 は れ る の で あ る。 然 る に 新 帝 は 之 れ に 封 し て 即 日、 紀 中 納 言 長 谷 雄 を し て 次 の 如 き ﹁ 今 上 奉 答 法 皇 御 書 ﹂ を 書 か し め て 法 皇 の 御 所 朱 雀 院 ( 法 皇 は 昌 泰 元 年 二 月 十 七 日、 朱 雀 院 へ 移 御 あ ら せ ら る ) へ 贈 ら し め ら れ 之 れ を 許 さ し め ら れ な か っ だ 。 伏 奉 慈 旨、 被 告 入 道、 兼 嫌 尊 號、 悲 戚 之 膓、 一 時 九 廻、 但 至 停 號、 所 不 敢 甘、 世 奪 猶 有 十 號、 上 皇 ( 累 力 ) 逐 無 一 果、 實 封 不 受、 虚 講 何 勢、 仰 願 廻 大 慈 悲、 留 此 排 拒、 謹 言。 -菅 家 文 草-然 し 乍 ら 法 皇 の 御 素 志 や 堅 く、 薫 ね て 之 れ を 僻 せ し め ら れ、

(6)

入 道 之 縁 業 在 省 事、 省 事 之 人 不 貴 虚 名、 況 可 薦 佛 子 以 過 一 生、 何 敢 帯 人 君 以 事 三 寳、 今 如 來 報、 不 許 停 號、 孝 子 尊 父 之 情、 先 戚 其 志、 施 霊 随 師 之 義、 今 勿 相 違 耳。-菅 家 文 草-と 御 僻 状 を 新 帝 に 上 ら る と 錐 も、 新 帝 (醍 醐 )薫 ね て 使 者 を 途 ら れ 之 れ を 許 さ せ 給 は す、 故 に 法 皇 重 ね て 御 僻 書 使 者 再 廻、 報 書 重 至、 讃 未 三 四 字、 涙 巳 千 萬 行、 夫 述 父 志、 是 子 之 至 孝 也、 成 師 願 非 佛 之 實 語 乎、 今 師 昔 父 志 述 願 成 天 下 之 有 耳、 有 目 者 何 人 得 不 随 喜 讃 歎、 若 相 違 所 請 情 観 我 心、 近 則 途 白 雲 以 没 名 遠 亦 超 蒼 海 而 牧 跡、 存 問 之 道、 寒 温 之 便 於 焉 而 絶、 鳴 呼 悲 哉。-菅 家 文 草-を 進 め さ せ 給 ふ だ の で あ る。 以 上 第 一 の 御 書 に ﹁ 入 道 は 虚 名 を 貴 ば す、 佛 子 と 稽 し て 一 生 を 過 す ﹂ と か ﹁ 何 ん ぞ 敢 へ て 人 君 を 帯 し て 三 寳 に 事 へ ん ﹂ な ど の 文 が あ り、 且 つ 次 の 御 書 に ﹁ 若 し 請 ふ 所 に 相 違 し て 我 が 心 を 悩 飢 せ は 近 く は 自 雲 を 逐 ふ て 名 を 没 し、 遠 く は 亦 蒼 海 を 超 え て 牧 跡 せ ん ﹂ 云 々 の 意 を 窺 ふ 時 に 於 い て、 法 皇 の 道 心 全 く 金 石 に 超 ゆ る も の あ る を 察 知 す る に 充 分 な る も の が あ る。 然 る に 新 帝 術 孝 子 尊 父 の 情 に 訣 く る 所 あ り と 思 召 し て 之 れ を 許 し 給 は す、 再 三 使 者 を 馳 せ て 尊 號 を 上 る の 故 を 以 つ て 法 皇 は 同 月 (昌 泰 二 年 十 月 ) 二 十 日、 途 に 次 の 如 き 御 僻 書 を 進 め し め 給 ひ、 断 然 上 皇 の 號 を 磨 し、 止 む な く ば 唯 ﹁ 朱 雀 院 ﹂ と の み 呼 ぷ べ き を 請 は せ ら れ 給 ふ だ の で あ る。 使 者 往 反、 來 報 再 三、 初 墨 佛 法 附 國 王 之 義、 次 陳 天 皇 棄 寳 位 之 情、 披 讃 之 中、 心 棘 迷 観、 錐 似 急 々 法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 七 七

(7)

法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 七 八 不 能 不 言、 凡 所 謂 附 法 國 王 者、 是 贋 籔 受 圖 之 人 君、 非 焼 香 散 花 之 弟 子、 偏 依 虚 號 囑 以 正 敏、 正 敢 之 砒 不 日 而 見、 又 所 以 逃 重 累 以 委 新 君 者、 欲 一 日 萬 機 保 安 肚 稜、 子 々 孫 々 相 天 下 也、 尋 雲 而 逐、 躇 海 而 随 隔 錐 在 固 拒 之 詞、 自 妨 持 念 之 意、 今 日 以 後 勿 告 斯 趣、 定 損 吾 紳、 定 傷 吾 性、 至 子 漢 家 曾 無 蕪 典 當 朝 未 有 前 例、 彼 不 行 其 志 也、 我 途 行 其 志 也、 已 云 出 家、 何 得 幕 皇、 亦 日 入 道、 何 不 貴 僧、 求 之 戒 律、 問 之 威 儀、 年 臓 次 第、 衣 鉢 行 列、 不 可 以 越 之、 不 可 以 違 之、 而 今 落 髪 之 後、 四 五 日 來、 爲 讃 経 請 其 師、 師 主 恭 敬 如 故、 爲 齋 嘱 其 僧、 信 綱 恐 憧 倍 前, 欲 協 佛 教、 乃 用 私 禮、 師 主 僧 綱 無 由 親 近、 一 畏 違 律 之 結 罪、 一 悲 宿 願 之 難 熟、 非 有 他 煩、 只 煩 奪 號、 縦 佛 子 早 停 本 號、 其 國 王 猶 修 奮 禮、 錐 非 上 皇、 可 得 曾 重、 一 人 國 主 如 是 奪 重、 四 海 黎 民 誰 爲 輕 慢、 爲 帝 父 爲 君 之 徳、 錐 無 所 指、 百 代 可 傳、 若 途 嫌 無 號、 必 可 究 其 執 願、 專 除 太 上 皇、 直 被 喚 朱 雀 院、 聡 謂 之 名、 依 止 之 慮、 彼 此 随 意、 豊 不 宜 哉 格 筆 而 止、 忘 答 以 留、 勿 命 新 獲 意 者、 頻 疲 談 論 耳。 今 此 の 十 月 二 十 日 (三 十 日 か ) の 御 僻 書 を 披 覧 す る と、 前 二 書 よ り も 以 上 に 眞 に 法 皇 衷 心 よ り 一 介 の 沙 門 と し て 佛 道 修 行 に 志 し て ゐ さ せ 給 ふ だ 御 心 情 の 程 が 確 か に 拝 察 せ ら れ る の で あ る。 師 ち 文 中 に ﹁ 已 に 出 家 と 云 ふ。 何 ん ぞ 皇 と 総 す る を 得 ん、 亦 入 道 と 日 ふ、 何 ん ぞ 僧 を 貴 ば ざ ら ん、 之 れ を 戒 律 に 求 め、 之 れ を 威 儀 に 問 ひ、 年 臓 次 第、 衣 鉢 行 列、 以 つ て 之 れ を 越 ゆ べ か ら す、 以 つ て 之 れ に 違 ふ べ か ら す、 而 る に 今 落 髪 の 後、 四 五 日 來、 讃 経 を 爲 さ ん と 其 の 師 に 請 へ ば 師 主 恭 敬 す る こ と 故 の 如 く 共

(8)

に 齋 を な さ ん と し て 其 の 信 を 嘱 せ ば 僧 綱 恐 憧 す る こ と 前 に 倍 す ( 乃 至 ) 一 は 律 に 違 し て 罪 を 結 ぶ を 畏 れ、 一 は 宿 願 の 熟 し 難 き を 悲 し む。 他 の 煩 ひ あ る に 非 す、 只 奪 號 を 煩 ふ ﹂ 云 々 の 語 は 以 つ て 此 の 間 の 消 息 を 語 る に 充 分 な る も の で あ る。 斯 く し て 法 皇 は 佛 法 護 持 の 爲 め に 仁 和 寺 に 於 い て 御 落 飾 遊 ば さ れ 人 天 の 榮 耀 を 何 等 顧 み 給 は す、 績 い て 同 年 十 一 月 廿 四 日、 東 大 寺 に 於 い て 御 受 戒 遊 ば さ れ だ の で 天 皇 (醍 醐 ) も 其 の 御 心 情 を 察 し 給 ひ 途 に 翌 五 日、 詔 し て 太 上 天 皇 の 奪 號 を 停 め 給 ふ だ ( 日 本 紀 略 ) が、 其 の 御 封 戸 に 到 つ て は 其 の 後 永 く 之 れ を 停 め し め 給 は な か つ だ も の と 見 え て、 此 れ よ り 後、 延 喜 五 年 七 月 二 十 一 日 に 法 皇 紀 長 谷 雄 を し て、 請 停 封 戸 書 ﹂ を 書 か し め て 天 皇 に 進 め 上 ら し め て ゐ ら れ る の で あ る が、 此 の 時 の 奏 状 又 法 皇 李 生 の 御 信 仰 と 御 素 懐 と を 窺 ふ に 足 る も の が あ る。 故 に 今 は ﹁ 本 朝 文 粋 ﹂ の 七 に 依 つ て 其 の 全 文 を 轄 載 す る こ と へ す る。 手 詔 再 到、 不 許 所 僻、 驚 而 叉 悶、 欲 罷 不 能、 凡 出 家 本 意、 爲 避 塵 機、 如 食 公 封、 何 断 俗 累、 始 在 揖 譲 之 間、 事 捻 排 脱、 將 損 一 毛、 以 釜 萬 分、 丹 棘 如 奮、 自 楡 数 遷、 更 有 何 意、 可 改 初 懐、 彼 清 和 故 事 與 今 不 同、 錐 云 入 不 二 之 門、 而 猶 居 上 九 之 位、 奉 充 御 封、 理 實 宜 然, 至 如 小 僧、 長 拠 奪 號、 不 知 不 識、 何 典 之 從、 叉 季 世 之 衰、 随 日 而 至、 民 俗 厚 薄、 府 庫 盈 虚、 豊 與 貞 観 之 代、 得 同 日 而 論 乎、 夫 幽 栖 之 謀、 虚 閑 爲 業、 三 衣 一 鉢 之 外、 受 民 貢 而 何 爲、 苔 裡 松 扉 之 中、 領 邑 組 而 安 納、 若 秋 山 嵐 寒、 則 法 皇 の 御 信 仰 と 御 著 飾 七 九

(9)

法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 八 ○ 臨 時 可 望 御 府 之 衣、 若 曉 燈 煙 絶、 則 計 日 將 乞 公 家 之 食、 帝 王 既 在、 未 敢 謂 貧、 寧 不 喜 南 咳 之 志、 只 爲 途 西 方 之 念 也、 願 早 牧 給 旨、 莫 繋 小 信 虚 舟 之 心。 三 さ て 巳 上 の 記 録 に 依 つ て、 大 略 法 皇 幼 に し て 護 法 心 に 篤 く、 御 譲 位 の 素 懐 は 全 く 此 の 三 寳 販 依 の 御 念 慮 よ り 登 露 し て ゐ る 事 は 彼 の 後 に 同 じ く 佛 門 に 飯 入 し て 法 皇 と な ら せ 給 ふ だ 自 河、 鳥 朋、 後 鳥 朋 等 三 上 皇 の そ れ と は 悉 く 其 の 御 趣 旨 を 異 に し て ゐ ら れ さ せ 給 ふ だ 事 の 一 端 は 窺 ひ 知 る 事 が 出 來 る が、 然 ら ば 法 皇 は 如 何 に し て 落 飾 遊 ば し 且 つ 御 落 飾 後 は 如 何 な る 御 生 活 を 遊 ば さ れ だ が に 就 い て 一 二史 料 を 渉 覧 す る な ら ば 又 法 皇 御 信 仰 の 如 何 に 深 か り し か を 拝 察 す る 事 が 出 來 る の で あ る。 帥 ち 法 皇 の 御 落 飾 は 上 記 の 如 く 昌 泰 二 年 の 十 月 廿 四 日 で あ る が、 今 當 時 の 模 様 を 日 本 紀 略 同 日 の 條 に 依 つ て 之 れ を 輻 載 す る な ら ば ﹁ 太 上 皇 落 髪 入 這、 椹 大 信 都 釜 信 奉 授 三 蹄 十 善 戒、 御 名 金 剛 畳 ﹂ と 誌 し て ゐ る。 此 れ に 就 い て は 彼 の 扶 桑 略 記、 大 鏡、 仁 和 寺 御 傳、 法 皇 次 第、 歴 代 編 年 集 成、 皇 代 記、 元 享 繹 書、 本 朝 皇 胤 紹 運 録、 一 代 要 記、 東 寺 長 者 補 任、 束 寳 記、 大 鏡 裏 書 等 の 諸 書 も 略 大 同 小 異 の 記 載 を な し て ゐ る が、 其 の 御 法 名 に 就 い て は 仁 和 寺 御 傳 に は ﹁ 御 法 名 室 理、、 後 改 金 剛 畳 ﹂ と 誌 し、 法 皇 次 第 に は ﹁ 法 誰 室 理 ﹂ と し て 其 の 下 に 割 註 し て ﹁ 御 灌 頂 之 時 金 剛 贅 改 之 ﹂ と な し、 績 い て ﹁ 法 皐 御 名 字、 或 三 文 字、 或 二 文 字 也、 此 事 以 二 文 字 爲 善、 三 文 字 即 灌 項 時 名 也、 所 謂 寛 李 法 皇 御 名 金 剛 畳 是 也、 然 而 實 御 名 室 理

(10)

是 也、 御 灌 頂 以 後、 猶 命 書 此 二 字 給 也 ﹂ と 誌 し て ゐ る か ら、 御 落 飾 の 時 の 御 法 名 は 塞 理 と 稻 へ 奉 り、 後 御 灌 頂 の 時 に 改 め て 金 剛 畳 と 稽 し 奉 つ だ も の と 見 ね ば な ら あ。 さ れ ば 又 彼 の 台 記 に も ﹁ 久 安 三 年 三 月 十 入 日 庚 戌、 今 夜 法 皇 (鳥 朋 ) 話 談、 及 我 朝 古 事 ﹂ と 見 出 し て ﹁ 仰 日 (鳥 朋 法 皇 )、 寛 雫 法 皇、 法 名 室 理 灌 頂 號 金 剛 畳、 雛 頷 時 灌 頂 後、 御 消 息 奥 濁 書 塞 理、 不 書 金 剛 畳 ﹂ 云 々 と し て、 法 皇 は 常 に ﹁ 察 理 ﹂ の 號 を 御 用 ゐ 遊 ば さ れ だ と 云 ふ て あ る の で あ る。 法 皇 の 御 落 飾 の 御 時 は 寳 壽 三 十 三 歳、 戒 師 は 権 大 僧 都 盆 信 (昌 泰 三 年 三 月 二 日 僧 正 と な る ) 師、 先 づ 三 蹄 十 善 戒 を 授 け 奉 り、 東 大 寺 の 叡 南 法 師 が 法 皇 を 御 剃 髪 申 上 げ だ (仁 和 寺 御 傳 ) と 云 は れ て ゐ る。 然 し て 是 の 日 天 皇 (醍 醐 ) も 亦 仁 和 寺 に 行 幸 あ ら せ ら れ し を 法 皇、 中 納 言 源 希 を 遣 は し て ﹁ 山 家 道 狡、 將 妨 鷺 輿 者、 彷 停 之 云 々 ﹂ と て 之 れ を 停 め し め 給 ふ ( 日 本 紀 略 ) だ と の 事 で あ る。 さ て 斯 く し て 法 皇 御 落 飾 の 後 は 三 寳 飯 依 の 鯨 り ﹁ 御 帳 の め ぐ り に の み、 人 は さ ふ ら は せ 給 ひ て、 近 う も め し さ せ ら れ さ り け れ は 小 入 條 御 息 所 (源 貞 子 ) が 立 寄 ら は 影 踏 む 計 り 近 け れ ど、 誰 か な こ そ の 關 を す ゑ け む と の 懸 歌 を も の し て 御 帳 に 結 び つ け だ ﹂ (後 撰 和 歌 集 十 の 懸 歌 二 ) と さ へ 傳 へ ら れ て ゐ る 位 で、 一 意 專 念、 三 寳 に の み 飯 依 し 給 ひ、 寛 蓮 大 徳 (肥 前 藤 津 郡 大 村 の 人、 俗 名 は 橘 良 利 と 云 ふ ) を の み 俘 は せ 給 ふ て 佛 道 修 行 の 爲 め に 各 地 の 震 山 露 跡 に 往 詣 し 給 ふ だ が 此 の 御 修 行 の 有 機 を ば 彼 の ﹁ 大 和 物 語 ﹂ や ﹁ 大 鏡 ﹂ 法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 八 一

(11)

法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 八 二 な ど に は 次 の 如 く 誌 し て ゐ る の で あ る。 み か ど (宇 多 法 皇 ) お り ゐ だ ま ひ て、 又 の と し の 秋、 御 ぐ し お ろ し 給 ひ て、 所 々 山 ぷ み し 給 ひ て、 を こ な ひ 給 け り。 び せ ん の せ う に て、 だ ち ば な の よ し と し と 言 け る 人、 内 に お は し ま し け る 時、 殿 上 に さ ぷ ら ひ て、 御 ぐ し お ろ し 給 け れ ば、 や が て 御 と も に か し ら お ろ し て け り。 人 に も し ら れ 給 は で あ り き だ ま ひ け る、 御 と も に こ れ な ん を く れ 奉 ら で さ ぶ ら ひ け る。 か、 る 御 あ り き し 給 ふ、 い と あ し き 事 な り と て、 内 よ り 少 將 中 將 こ れ か れ さ ぷ ら へ と て、 だ て ま つ ら せ 給 け れ ど、 だ が ひ つ、 あ り き 給、 い つ み の 國 に い だ り 給 て、 ひ ね ( 日 根 ) と い ふ と こ ろ に お は し ま す 夜 あ り、 い と 心 ぽ そ う か す か に て、 お は し ま す 事 を 思 ひ て、 い と か な し が り け り。 さ て ひ ね と い ふ 事 を 歌 に よ め と 仰 ご と あ り け れ ば、 こ の よ し と し 大 と く。 ふ る さ と の だ ひ ね の 夢 に 見 え つ る は、 う ら み や す ら ん ま だ と、 は ね ば と あ り け る に、 み な 人 な き て、 え よ ま す な り に け り、 そ の 名 を な む 寛 蓮 大 と く と い ひ て、 後 ま で さ ぶ ら ひ け る。 ( 大 和 物 語 ) さ れ ば 斯 く し て 修 行 の 爲 め に 山 ぷ み の み し 給 ふ て 三 年 も の 間、 院 の 御 所 へ 御 販 り 遊 ば さ れ あ 事 も あ つ だ が、 其 間 は 皇 后 を 初 め、 女 御 更 衣 な ど が 一 つ 院 に さ ぷ ら は せ 給 ひ、 三 年 目 に 法 皇 御 飯 り の 節、 七 條 の 后 藤 原 温 子 が、

(12)

言 の 葉 に だ え せ あ 露 は お く ら む や、 昔 擁 ゆ る 圓 居 し だ れ は と 一 首 を 詠 じ ら れ た の で 歌 人 伊 勢 が 海 と の み 圓 居 の 中 は 成 あ め り、 そ な か ら あ ら あ 影 の 見 ゆ れ は と 反 歌 を 上 つ だ (後 撰 和 歌 集 十 五、 雑 歌 一 ) と 云 ふ 事 も あ つ だ と 云 は れ る 程、 法 皇 の 御 信 仰 は 熟 烈 で 且 つ 堅 固 で あ つ た と の 事 で あ る。 身 は 一 天 萬 乗 の 陛 下 で あ ら せ ら れ だ 方 が、 斯 く 迄 に 徹 底 的 な 沙 門 道 を 途 行 せ ら れ だ こ と は 全 く 我 が 國 代 々 の 陛 下 に も 珍 ら し き 極 み で あ り、 天 竺、 唐 と 三 國 の 國 王 中 に も 亦 稀 に 見 る 道 心 堅 固 の 御 方 で あ ら せ ら れ だ と 拝 察 さ れ る の で あ る。 四 其 の 後 法 皇 は 盆 々 佛 廼 御 修 行、 其 の 年 の 十 一 月 二 十 四 日、 東 大 寺 に 於 い て 聖 寳 尊 師 よ り 御 受 戒 遊 ぱ さ れ (此 の 時 天 皇、 参 議 藤 原 朝 臣 定 國 を 勅 使 ど し て 東 大 寺 に 遣 は さ れ、 其 の 用 途 と し て 大 藏 省 調 布 五 百 段、 銭 百 貫 文 を 贈 り 給 ひ、 又 右 大 辮 式 部 大 輔 紀 朝 臣 長 谷 雄、 其 の 戒 牒 文 を 作 る と 云 ふ ) 或 は 仁 和 寺 圓 堂 院 (法 皇 の 御 念 諦 堂 ) の 供 養 を 行 は せ ら れ、 又 翌 昌 泰 三 年 七 月 七 日、 金 峯 山 (吉 野 ) に 御 幸 (扶 桑 略 記、 金 峯 神 肚 文 書 ) 或 は 同 十 月 高 野 山 ( 日 本 紀 略、 東 寺 長 者 補 任 綾 弘 法 大 師 年 譜 ) 竹 生 島 (竹 生 島 縁 起 に 御 幸 等 あ り、 途 に 延 喜 元 年 十 二 月 十 三 日、 東 寺 に 御 幸 あづ て 盆 信 信 正 よ り 傳 法 灌 頂 を 受 け さ せ ら れ (灌 頂 の 式 に つ い て は 東 寳 院、 石 山 文 書 に 詳 し、 特 に 石 山 文 書 の 御 灌 頂 記 は 別 に 之 れ を 轄 載 す ) 同 二 法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 八 三

(13)

法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 八 四 年 二 月 二 十 三 日 に は 同 じ く 盆 信 僧 正 よ り 灌 頂 印 信 を 受 け さ せ ら れ 、 (此 の 時 の 式 の 順 序 も 別 載 す ) 同 四 年 三 月 に 到 つ て は 、 法 皇 仁 和 寺 に 御 室 を 造 螢 し て 之 れ に 移 御 ま しへ 爾 來 眞 言 爾 部 の 傳 燈 大 阿 闊 梨 と し て 修 灘 観 法 、 途 に 同 八 年 五 月 三 日 、 東 寺 に 於 い て 入 道 齋 世 親 王 (延 喜 五 年 二 月 二 日 、 道 眞 公 の 左 遷 に よ り て 御 出 家 ) 以 下 五 人 の 御 弟 子 に 傳 法 灌 頂 の 職 位 を 授 け 給 ひ 、 仁 和 寺 の 第 二 世 と し て 永 く 一 宗 末 徒 の 尊 崇 す る 所 と な ら せ 給 ふ だ の で あ る 。 さ れ ば 後 世 法 皇 の 流 れ を 汲 み 其 の 激 へ を 傳 へ て 仁 和 寺 御 流 と 稽 し 内 典 の 書 、 法 皇 の 御 事 跡 、 御 敢 旨 を 傳 ふ る も の 数 を 知 ら あ 有 様 で は あ る が 、 彼 の 外 典 の 書 だ る 紳 皇 正 統 記 す ら 次 の 如 く 誌 し て 其 の 高 徳 を 奉 讃 し て ゐ る の で あ る 。 天 下 を 治 め 給 ふ こ と 十 年 、 位 を 太 子 に ゆ づ り て (中 略 )中 一 年 ば か り あ り て 出 家 せ さ せ 給 ふ 。 御 年 三 十 三 に や 、 わ か く よ り 、 其 御 志 有 き と 仰 給 ひ け る 。 弘 法 大 師 三 代 の 弟 子 、 盆 信 僧 正 を 御 師 に て 、 東 寺 に て 灌 頂 せ さ せ 給 ふ 。 叉 智 謹 大 師 の 弟 子 増 命 信 正 干 時 法 橋 な り 後 謹 瀞 観 と 云 に 、 比 叡 山 に て う け さ せ 給 へ り 。 弘 法 の 流 れ を 宗 と せ さ せ 給 ひ け れ ば 、 其 御 流 と て 今 に だ え す 、 仁 和 寺 に つ だ へ 侍 る は 是 な り 、 凡 そ 弘 法 に 廣 葬 和 小 野 醍 醐 並 薮 修 寺 の 二 つ あ り 、 廣 澤 は 法 皇 の 御 弟 子 寛 塞 僧 正 、 寛 室 の 弟 子 冤 朝 敦 實 親 王 の 子 、 法 皇 の 御 孫 な り 廣 澤 に 住 れ し か ば (中 略 ) 其 後 代 々 の 御 室 相 傳 へ て 、 だ い 人 は あ ひ ま じ は ら す 法 流 た あ づ け ら れ て 、 師 範 と な る に 爾 度 あ り 、 さ れ ど 御 室 に 代 々 親 王 也 小 野 の 流 れ は 盆 信 の 相 弟 子 に 聖 寳 信 正 と て 智 法 無 双 の 人 あ り き 。 云 々 さ て 法 皇 は 蜥 く し て 承 準 元 年 ( 一 五 九 一 ) 七 月 十 九 日 、 仁 和 寺 の 南 御 室 に 於 い て 、 寳 算 六 十 五 歳 に し

(14)

て 崩 御 遊 ば さ る、 迄、 御 脱 履 後 三 十 有 五 年 間、 全 く 遣 戒 竪 固 の 大 阿 闊 梨 と し て 行 願 共 に 満 足 せ し め ら れ だ の で あ る。 術 因 み に、 上 記 御 事 蹟 歎 項 の 外 に 術 法 皇 御 落 飾 後 の 御 事 跡 中 特 に 佛 敢 に 關 係 あ る も の を 今 墾 考 の 爲 め に 大 日 本 史 料 よ り 集 録 し て 其 の 編 年 輯 を 作 れ ば 大 禮 次 の 如 く で あ る。 帥 ち 延 喜 元 年 入 月 廿 六 日、 光 孝 天 皇 の 國 忌 に つ き、 法 皇 仁 和 寺 に 於 い て 御 入 講 を 行 は せ ら る ( 日 本 紀 略 伏 見 宮 御 記 録 ) 同 十 月 二 十 二 日、 浮 幅 寺 に 於 い て 皇 姓 班 子 女 王 の 御 爲 め に 一 切 経 を 供 養 あ ら せ ら る ( 日 本 紀 略、 扶 桑 略 記、 元 享 鐸 書 )、 同 二 年 四 月 一 日、 延 暦 寺 佛 舎 利 會 に 御 幸 ( 日 本 紀 略 )、 同 入 月 十 五 日、 檀 林 寺 に 於 い て、 百 五 十 籐 口 の 尼 を 請 し て 法 華 経、 最 勝 王 経 を 講 せ し め ら れ 爾 尼 信 を 以 つ て 導 師 と せ ら る。 ( 日 本 紀 略、 扶 桑 記 )、 同 九 月 十 七 日、 仁 和 寺 法 華 會 ( 日 本 紀 略 )、 同 四 年 三 月 廿 六 日 仁 和 寺 圓 堂 院 の 供 養 ( 日 本 紀 略、 扶 桑 略 記、 西 宮 記、 東 方 萬 陀 羅 供 次 第、 東 寳 記、 三 僧 記 類 聚、 仁 和 寺 堂 院 記、 本 要 記 ) 同 年、 比 叡 山 に 御 幸、 御 堂 を 千 光 院 に 造 ら し め ら る (扶 桑 略 記、 叡 要 記 )、 同 五 年 正 月 二 十 九 日、 大 畳 寺 に 御 幸 ( 日 本 紀 略、 古 今 和 歌 集 目 録 ) 同 三 月 廿 一 日、 藥 師 寺 に 御 幸、 萬 燈 會 を 行 は せ ら れ る (扶 桑 略 記 )、 同 四 月 十 四 日、 延 暦 寺 に 御 幸、 法 橋 培 命 よ り 廻 心 戒 を 受 け 給 ふ (扶 桑 略 記、 明 匠 略 傳、 日 本 高 檜 傳 要 文 抄、 歴 代 皇 紀、 管 見 記、 元 享 繹 書、 棘 皇 正 統 記 )、 同 九 月、 金 峰 山 へ 御 幸 ( 日 本 紀 略、 百 練 抄、 別 本 大 鏡 裏 書、 仁 和 寺 御 傳 ) 同 六 年 十 月 十 七 日、 延 暦 寺 に 御 幸、 蘇 悉 法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 八 五

(15)

法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 八 六 地 を 受 け 給 ふ ( 日 本 紀 略、 扶 桑 略 記、 明 匠 略 傳 )、 同 七 年 十 月 十 八 日、 熊 野 御 幸 (西 宮 記、 扶 桑 略 記 ) 同 八 年 五 月 四 日、 入 道 眞 寂 (濟 世 ) 親 王 に 爾 部 大 灌 頂 を 授 け 給 ふ (血 脈 抄、 東 寳 記、 仁 和 寺 御 傳、 撮 避 曜 鋤 )、 同 九 年 三 月 九 日、 仁 和 寺 に 於 い て 法 華 入 講 を 修 し 給 ふ ( 日 本 紀 略 )、 同 四 月、 普 明 寺 に 御 幸 僧 正 聖 寳 の 疾 を 問 は せ 給 ふ 八元 享 繹 書、 醍 醐 寺 縁 起 )、 同 十 月 廿 三 日、 母 后 の 御 爲 め に 浄 幅 寺 に 於 い て 一 切 経 を 供 養 し 給 ふ (寺 門 高 信 記 )、 同 十 年 九 月 廿 五 日、 延 暦 寺 に 御 幸、 灌 頂 を 受 け 給 ふ (明 匠 略 傳、 扶 桑 略 記、 日 本 紀 略、 我 慢 抄 )、 同 十 七 年 九 月 廿 三 日、 石 山 寺 へ 御 幸 (皇 代 暦、 躬 恒 集、 石 山 寺 縁 起 )、 同 十 二 月 四 日、 東 大 寺 に 御 幸、 颯 諦 を 修 し 給 ふ ( 日 本 紀 略 )、 同 十 入 年 入 月 十 七 日、 寛 塞 等 に 灌 頂 を 授 け 給 ふ (東 寺 長 者 補 任、 仁 和 寺 御 傳 )、 同 十 一 月 二 十 日、 寛 照 等 に 灌 頂 を 授 け 給 ふ (三 寳 院 傳 法 灌 頂 記 )、 同 二 十 二 年 八 月 八 日、 天 台 座 主 良 勇 に 日 供 並 に 年 分 度 者 を 賜 ふ (扶 桑 略 記 )、 延 長 二 年 十 二 月 十 四 日 比 叡 山 に 御 幸 (日 本 紀 略 )、 同 三 年 二 月 二 十 日、 理 趣 三 昧 念 諦 起 請 を 立 て ら る ( 日 本 紀 略 )、 同 四 年 七 月 四 日、 故 左 大 臣 融 の 爲 に 颯 諦 を 修 せ し め ら る (扶 桑 略 記、 本 朝 文 粋 )、 同 六 年 四 月 二 十 九 日、 端 午 の 日 を 期 し 天 台 座 主 曾 意 を 召 さ し め ら る (朝 野 群 載 ) 同 閏 入 月 十 七 日、 石 山 寺 御 幸 (扶 桑 略 記 )、 同 七 年 三 月 二 十 三 日、 左 大 臣 忠 卒 五 十 の 賀 の 爲 に 法 會 を 修 せ ら る ( 日 本 紀 略、 扶 桑 略 記、 公 忠 朝 臣 集 ) 承 孕 元 年 七 月 十 九 日、 法 皇 崩 御 ( 日 本 紀 略、 簾 中 抄、 貞 信 公 記、 仁 和 寺 御 傳、 元 享 繹 書、 紳 皇 正 統 記、 喜 多 院 御 室 拾 要 集、 峯 相 記、 三 僧 記 類 聚、 後 撰 和 歌 集 )。

(16)

術 次 に 法 皇 の 御 住 坊 即 ち 仁 和 寺 の 御 室 と 其 の 御 念 諦 堂 た る 圓 堂 院 の 事 に つ い て 三 言 附 加 す る な ら ば 大 鴨 次 の 如 き で あ つ だ と 傳 へ ら れ て ゐ る。 五 仁 和 寺 圓 堂 院 は 寛 李 法 皇 御 落 飾 の 瑚、 ﹁ 昔 爲 人 君、 萬 姓 作 悪 皆 蹄 我、 今 成 佛 子、 一 身 修 善 普 利 他 ﹂ 云 々 と 御 立 誓 あ つ て、 大 内 山 に 創 建 あ ら せ ら れ だ 入 角 の 小 堂 で あ る が、 後 昌 泰 二 年 に 到 つ て 此 れ を 仁 和 寺 の 境 内 に 移 さ れ、 盆 信 信 都 を 供 養 導 師 と し て 五 十 口 の 職 衆 を 堀 請、 法 皇 臨 幸、 月 卿 雲 客 墾 列 の 上 曼 茶 羅 供 を 奉 修 し て 落 慶 供 養 を 行 は せ ら れ だ も の で、 其 の 後 此 の 圓 堂 院 に は 所 司 三 人 を 附 せ ら れ 此 の 堂 を 以 つ て 法 皇 卒 生 の 御 念 諦 堂 と な し て ゐ ら せ ら れ だ (仁 和 寺 記 録、 同 寺 堂 院 記 ) の で あ る が、 翌 昌 泰 三 年 十 一 月 二 十 九 日 に は 傳 燈 大 法 師 位 賢 槻 の 奏 状 に 依 つ て 此 所 に 年 分 度 者 増 置 の 次 の 如 き 太 政 官 符 が 下 さ れ (類 聚 三 代 格 ) る に 到 つ た。 太 政 官 符 慮 置 仁 和 寺 圓 堂 院 分 聲 明 業 年 分 度 者 一 入 事 右 彼 寺 別 當 傳 燈 大 法 師 位 観 賢 奏 状 俗、 此 寺 奮 被 給 二 人 年 分、 一 人 學 天 台 摩 詞 止 観、 一 人 學 眞 言 毘 盧 遮 那 経、 今 件 聲 明 者、 是 即 五 明 其 一 也、 諸 佛 之 教、 以 此 爲 本、 詮 名 顯 義、 唯 在 此 業、 況 復 習 梵 字、 輻 熟 兵 言 義、 非 聲 明 之 精 微、 誰 能 詳 其 宗 乎、 望 請、 被 加 給 件 一 人、 永 爲 圓 堂 院 之 分、 然 則 遮 那 止 槻 法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 八 七

(17)

法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 八 八 ( 之 業 力 ) ( 光 孝 ) ( 宇 多 ) □ □ 依 奮、 奉 翔 仁 和 聖 璽、 聲 明 梵 文 之 旨 惟 新、 奉 所 繹 定 法 儀、 其 學 生 可 習 學 者、 孔 雀 経 三 巻、 大 佛 頂 眞 言、 大 随 求 眞 言、 佛 頂 尊 勝 眞 言、 悉 曇 字 母 也、 此 中 孔 雀 経 披 文 奉 讃、 自 鯨 眞 言 皆 可 暗 諦、 但 選 其 練 學 之 人、 課 試 言 上 者、 左 大 臣 宣、 奉 勅、 依 請、 昌 泰 三 年 十 一 月 二 十 九 日 叉 延 喜 四 年 三 月 二 十 六 日 に は 初 め て 此 の 堂 に 齋 會 が 設 け ら れ、 金 剛 界 三 十 七 尊 並 に 外 院 天 等 の 奉 安 (閏 三 月 二 十 一 日 )、 百 僧 を 請 じ 盆 信 僧 都 を 導 師 と し て 曼 茶 羅 供 の 始 行、 法 樂 の 爲 め に 量 舞 の 舞 樂 等 も あ り 法 皇 臨 幸 其 の 嚴 式 に 参 列 等 の 事 も あ つ だ ( 日 本 紀 略、 扶 桑 略 記 西 宮 記、 東 寺 萬 陀 羅 供 次 第 等 )。 然 し て 此 の 時 の 量 舞 に は 大 納 言 國 定 (或 は 國 経 と 云 ふ ) 朝 臣 の 子 が 綾 王 を 中 納 言 有 穗 朝 臣 の 子 が 蘇 利 を 舞 ひ ( 二 十 四 日 は 内 裡 に 於 い て 試 樂 あ り ) 藏 人 頭 仲 準 朝 臣 が 舞 童 樂 工 等 を 奉 つ だ と 云 は れ、 又 法 皇 は 内 藏 穀 倉 院 に 命 じ て 五 十 口 の 僧 を 供 養 せ し め ら れ、 叉 百 俗 に 度 各 一 人 を も 賜 は つ だ と 誌 さ れ て ゐ る (西 宮 記 )。 爾 又 此 の 圓 堂 院 供 養 に 際 し て の 供 養 願 文 は 紀 長 谷 雄 の 作 る 所 で あ る が 今 墾 考 の 爲 め に 本 朝 文 粋 三 十 二 よ り 此 れ を 轄 載 す れ ば 次 の 如 く で あ る。 仁 和 寺 内 地、 建 入 角 一 堂、 奉 安 置 金 剛 界 會 三 十 七 尊、 並 外 院 天 等 三 摩 耶 形、 斯 廼 弟 子、 一 生 膿 仰 之 基、 三 時 観 念 之 所 也、 抑 夫 法 界 皆 謂 道 場、 何 方 非 修 行 之 地、 世 間 惣 是 虚 假、 何 庭 爲 常 住 之 栖、 然 而 爲 慕 徳 爲 懸 恩、 追 山 陵 之 近 邊、 望 松 柏 之 荒 色、 是 猶 思 古 人 虚 墓 側 之 意 至 也、 至 子 今 春、 如 法 供 養、

(18)

開 會 一 日、 請 衆 百 僧、 各 各 運 心、 観 虚 室 之 月、 聲 々 異 口、 任 周 逼 之 風、 於 是 國 王 有 勅、 供 樂 一 部、 紅 櫻 観 飛 之 候、 黄 鳥 和 鳴 之 農、 瓢 舞 袖 於 花 問、 混 歌 曲 於 聲 裏、 將 比 驚 動 諸 曾 之 境 界、 娯 樂 諸 天 之 降 臨 也、 弟 子 昔 爲 人 君、 萬 姓 所 犯 之 罪、 自 蹄 於 我、 今 作 佛 子、 一 身 所 修 之 善、 蓋 利 於 他、 既 云 四 恩、、 更 誰 別、 凡 蕨 四 生 之 類、 被 以 一 子 之 悲、 弟 子 敬 白。 次 に 此 の 圓 堂 院 の 構 造 に 就 い て は 本 要 記 に は 其 の 敷 地. 東 西 五 十 間、 南 北 三 十 間、 圓 堂 の 土 台 十 間 籐 方、 南 の 築 地 よ り 十 四 間、 北 の 築 地 よ り 六 間 と な し、 又 屋 根 は 瑠 璃 の 琵 を 以 つ て 葺 い て あ つ だ と 誌 し 三 僧 記 類 聚 の 二 に は ﹁ 圓 堂 囲 事 ﹂ と し て 次 の 如 き 圖 を 載 せ て ゐ る。 事 圖 堂 圓 金 剛 智 持 念 数、 二 蓮 磨、 法 全 黒 梁 衣、 蓮 磨 一 也、 爾 所 有 弟 子 也 法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 八 九

(19)

法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 九 〇 又 内 部 の 上 障 子、 下 壁 等 に は そ れ みへ 各 高 僧 の 影 像 が 彩 絶 さ れ て ゐ る が、 今 式 部 己 講 顯 果 の 本 に 依 つ て 之 れ 記 せ は、 上 障 子 (内 外 ) の 艮 を 初 め と し て 之 れ を 逆 に 廻 し、 先 づ 艮 の 面 の 北 方 に は 龍 猛 菩 薩 其 の 南 は 龍 智 菩 薩、 同 じ く 北 は 弘 法 大 師、 南 は 實 悪、 巽 の 面 の 北 方 は 金 剛 智、 南 は 不 塞、 同 じ く 北 は 眞 雅、 南 は 眞 然、 坤 の 面 の 東 は 善 無 畏 三 藏、 西 は 一 行 阿 閣 梨、 同 じ く 束 は 眞 濟、 西 は 眞 紹、 乾 の 面 の 南 は 恵 果 阿 闊 梨、 北 は 法 全、 同 じ く 南 は 宗 叡、 北 は 聖 寳 (或 は 源 仁 黙 鷲 ) と な つ て 居 り、 下 壁 に は 第 一 租 達 摩 大 師、 第 二 租 恵 果 大 師、 第 三 祀 信 環 大 師、 第 四 祀 道 佳 大 師、 第 五 粗 弘 忍 大 師、 第 六 頑 慧 徳 大 師 第 七 祀 行 基 菩 薩、 第 入 粗 肇 眞 和 術 を 圖 維 し て あ つ だ と 云 は れ て ゐ る。 尤 も 同 じ く 本 要 記 に 載 す る 異 説 帥 ち 藪 乗 房 の 説 を も 載 せ て ゐ る が、 此 れ に 依 る と 上 障 子 の 表 に は 龍 猛 よ り 恵 果 に 到 る 七 租 に 法 全 を 加 へ て 入 組 と な し、 下 壁 は 東 北 角 よ り 南 は 達 磨 大 師、 北 は 恵 果 暉 師、 東 南 角 よ り 東 は 竪 眞 和 上、 西 は 行 基 菩 薩、 西 南 角 よ り 南 は 恵 龍 (徳 )、 北 は 弘 怨、 西 北 角 よ り 西 は 遣 信、 東 は 信 環、 上 障 の 裏 に は 東 北 よ り 北 は 弘 法 大 師、 南 は 檜 尾 信 都 (實 恵 ) 東 南 よ り 東 は 高 雄 信 都 (眞 濟 ) 正 面 は 貞 観 (眞 雅、 西 南 よ り 南 は 圓 畳 寺 僧 正 (宗 叡 )、 北 は 眞 紹 僧 都 (暉 林 寺 ) 西 北 よ り 西 は 後 檜 正 眞 然、 北 は 南 地 僧 都 (聖 寳、 盆 信 ) と 誌 し て あ る が、 今 は 此 の 圓 堂 院 を 予 が 直 接 見 だ 事 で は な い か ら 唯 墾 考 に 迄 之 れ を 轄 載 す る に 止 む る 事 と す る。 最 後 に 法 皇 晩 年 の 御 所 だ る 仁 和 寺 御 室 に 就 い て の 記 述 で あ る が、 此 の 御 室 は 彼 の 延 喜 四 年 三 月 に 御

(20)

造 螢 あ り、 前 の 御 所 朱 雀 院 よ り 此 所 に 移 御 遊 ば し だ も の で あ る が、 此 の 御 室 の 在 所 位 置 が 仁 和 寺 の 坤 の 方 即 ち 寺 の 西 側 に 相 當 し て ゐ だ か ら 之 れ を 普 麺 に 南 御 室 と 呼 び、 其 の 最 初 は 唯 軍 な る 御 住 所 に 過 ぎ な か つ だ も の が 後 に 離 宮 に 改 め ら れ、 後 叉 忽 に し て 之 を 佛 閣 と し だ と の 事 で、 今 の 観 音 院 が 此 れ に 當 る (御 室 相 承 記 ) と 云 は れ て ゐ る。 然 し て 此 の 南 御 室 は 元 は 東 寺 の 両 院 を 移 し だ も の で、 元 來、 此 の 東 寺 の 西 院 が 土 壇 で あ つ だ の を 後 に 定 海 僧 正 の 時 に 板 敷 と な し た か ら 建 築 上 に 無 理 が あ る (参 語 集 ) な ど と 云 は れ て ゐ る。 又 其 の 建 築 上 の 事 に 關 し て は 次 の 東 寳 記 第 三 に は ﹁ 南 御 室 ﹂ と 見 出 し を 作 つ て ﹁ 長 治 二 年 注 進 ﹂ な る も の を 引 用 し て ﹁ 西 院 大 師 御 房 一 宇、 五 問 四 面、 檜 皮 葺 修 理、 同 院 僧 房 一 宇、 四 間 三 面 新 造 板 葺、 同 院 四 足 門 一 宇、 檜 皮 葺 新 造。 供 所 屋 一 宇、 七 間 二 面、 檜 皮 葺 修 理 之、 同 西 妻 庇、 五 間 新 造、 同 廊 一 宇、 三 間 新 造 ﹂ 云 々 と 誌 し て ゐ る が 此 の 記 録 と 法 皇 御 造 管 の 時 代 と は 砂 か ら す 隔 り を 生 じ て ゐ る か ら 或 は 之 れ を 以 つ て 其 の 儘 御 室 の 結 構 を 知 る 事 は 出 來 な い と し て 又 多 少 の 塞 考 と も な り 此 の 記 録 を 推 し て 當 時 を 窺 ふ 事 が 出 來 る か も 知 れ あ と 思 ふ。 然 し て 此 の 御 室 は 後 に 法 皇 よ り 式 部 卿 宮 敦 實 親 王 ( 法 皇 の 皇 子、 即 ち 寛 朝 僧 正 の 奪 父 ) に 附 属 せ ら れ、 以 來 代 々 の 法 親 王 が 之 れ を 綴 承 せ ら れ て 所 謂 仁 和 寺 門 跡 の 監 膓 を な し だ (當 竹 不 共 記 ) も の で あ る。 ( 六 ・三 ・二 八、 病 臥 中 の 記 ) 法 皇 の 御 信 仰 と 御 落 飾 九 一

参照

関連したドキュメント

算処理の効率化のliM点において従来よりも優れたモデリング手法について提案した.lMil9f

Optimal Stochastic Control.... Learning process in Large system...e...e.e... ILKe zli } i2 )a ) }

INA新建築研究所( ●● ) : 御紹介にあずかりましたINA新建築研究所、 ●●

一般社団法人 葛西臨海・環境教育フォーラム事務局作成 公益財団法人 日本財団

図⑧ 天保十四年出雲寺金吾版『日光御宮御参詣 

○杉田委員長 ありがとうございました。.

②出力制御ユニット等

パターンB 部分制御 パターンC 出力制御なし パターンC 出力制御なし パターンA 0%制御.