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密教研究 Vol. 1932 No. 47 003中野 達慧「高野山史の研究 (下篇一) P75-104」

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一 概 読 宗 租 弘 法 大 師 が 南 山 を 開 閣 せ ら れ し 已 來、 一 千 有 徐 年 の 間、 此 の 一 山 を 統 治 せ し 宗 政 機 關 は、 果 し て 如 何 な る も の な し か、 之 れ を 説 く を 以 て 本 篇 の 眼 目 と 爲 す。 然 れ ど も 詳 細 に 之 れ を 縷 述 す る 事 は 洵 に 至 難 の 業 で も あ う、 且 復 僅 か な る 紙 面 に 於 て 之 れ を 委 記 し 得 ざ れ ば、 今 は 唯 其 要 綱 を 陳 べ、 以 て 高 野 山 史 構 成 成 分 の 概 念 を 得 ん こ と に 止 め ん。 所 謂 高 野 一 山 の 統 治 機 關 は、 時 代 の 古 今 に 依 り 其 差 異 あ ら し も、 大 要 左 の 諸 職 と 檜 官 と 位 階 あ し も の と 思 は る。 職 名 座 主 正 別 當 執 行 槍 狡 寺 務 山 籠 椹 槍 校 執 行 代 花 園 院 主 行 事 會 行 事 総 預 高 野 山 史 の 研 究 七 五

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高 野 山 史 の 研 究 七 六 僧 官 権 律 師 律 師 椹 少 僧 都 (徳 川 幕 府 に 到 ら 僧 正 に 進 む も の 出 づ ) 位 階 法 橋 法 眼 法 印 然 ら ば 此 等 の 職 掌 と 僧 官 ・ 位 階 が、 何 時 代 如 何 な る 理 由 に 依 て 之 れ を 設 定 し、 若 し く ば 授 け ら れ た る も の か、 今 試 み に 之 れ を 考 察 せ ん。 二 諸 職 の 起 原 1 金 剛 峰 寺 座 主 高 野 一 山 を 統 治 す る 宗 政 機 關 の 最 上 首 位 に あ る 人 を 金 剛 峯 寺 座 主 と 幕 す。 往 古 は 學 徳 衆 に 卓 越 せ る も の を 嚴 選 せ し が、 世 の 降 る に 從 ひ 家 門 の 高 き 出 身 の 信 侶 を 推 戴 す る 事 に な れ わ、 是 れ は 畢 寛 南 山 の 座 主 職 が、 東 寺 一 の 長 者 法 務 の 兼 裾 な ら し 關 係 よ ら 起 ら し も の な ら。 我 邦 に 於 け る 座 主 名 禰 の 使 用 は、 天 台 宗 の 義 眞 和 術 が 天 長 元 ( 一 四 入 四 ) 年 六 月 に、 天 台 座 主 第 一 世 と な ら し を 嘱 矢 と す と 傳 へ ら る。 次 で 圓 澄 法 師 此 職 を 紹 ぎ し 頃 迄 は、 術 ほ 未 だ 私 総 に 過 ぎ ざ ら し も。 仁 壽 四 ( 一 五 一 四 ) 年 四 月、 始 め て 官 符 を 下 し、 圓 仁 僧 正 に 座 主 職 を 命 じ た る が、 郎 ち 本 朝 公 総 座 主 の 濫 鯛 な ら と そ。 後 寛 亭 元 ( 一 五 四 九 ) 年 三 月、 高 野 山 第 二 山 主 量 ハ然 僧 正 も、 亦 此 の 職 掌 を 賜 は ら ん 事 を 奏 請 し、 始 め て 南 山 に も 此 の 榮 職 を 敷 許 さ れ。 第 三 山 圭 壽 長 法 師 を 之 れ に 補 せ ら れ し が、 帥 ち 當 山 座 霊 職 の 標 輿 な ら と 繕 せ ら る。 次 で 無 室 ・ 峯 灘 相 踵 ぎ し が、 偶 々 三 十 帖 策 子 授 受 の 紛 糾 に よ ら、 東 寺 の

(3)

長 者 槻 賢 櫓 正 深 く 決 す る 所 あ う、 延 喜 十 九 二 五 七 九 ) 年 九 月 十 九 日、 肖 ら 金 剛 峯 寺 座 主 職 を も 兼 癖 す る に 至 る、 是 ぞ 東 寺 の 長 者 が 南 山 瞼 校 を も 楚 管 す る の 始 め な と す。 高 野 春 秋 巻 第 三 延 喜 十 九 己 印 年 の 下 に、 (ミ ◎ ◎ ◎ ば 今 新 六 に 付 け し も の ) 春 正 月 無 二朝 罫、 峯 灘 師 僻 一退 座 主 職 一故 也。

空位也

見 聞 集 云 。 峯 暉 座 主 之 間、 獲 徒 倣 々 説 器 。 況 又 観 賢 野 山 座 主 競 望 之 諜、 尖 錐 脱 レ袋、 故 遂 豫 僻 退 之 果 如 二推 知 一也。 秋 九 月 十 九 日、 魏 賢 僧 都 兼 補 二金 剛 峯 寺 座 主 職 一。 已 來 永 以 二 東 寺 長 者 一爲 二 恒 絡 塁 兼 二 職 之 一 了 。

云。

來。

一永

一。

と あ る が。 之 れ を 見 て も 東 寺 派 勢 力 扶 殖 の 根 本 手 段 と し て、 南 山 の 支 配 椹 を 掌 中 に 入 れ し、 観 賢 信 正 が 意 圖 を 克 開 に 看 取 し 得 ん。 併 し 籐 り 傍 若 無 人 な こ と を す れ ば、 誰 し も 納 得 す る も の で 無 き 故 へ、 更 に 其 緩 和 策 を も 行 へ る こ と は 高 野 春 秋 次 下 の 交 に 於 て、 同 月 日、 令 三大 法 師 峯 宿 任 二野 山 正 別 當 一。 峯 灘 之 資、 又 無 空 師 之 入 室 り當 山 正 別 當 之 始 例 也 ゆ ○ 案 此 一 圏件 者、 長 者 在 二 京 洛 一而 兼 二 任 山 務 不 レ 克 下 奈 二 寺 法 一何 切 且 又 無 空 師 之 憤 飴 難 レ 宥、 労 以 推 二塞 其 法 弟 令 レ執 三 打 山 務 蛸 不 レ 令 レ 蛇 二 山 家 一 也 。

也。

と あ る に て も 之 れ を 窺 知 す 可 し。 東 寺 方 の 記 録 な る 東 寺 長 者 補 任 怒 第 一、 延 喜 十 九 年 の 下 に も、

(

上略

)同

日、

工金

一、

(謹

)

響。

或 云。 無 空 律 師 死 替 。 延 喜 廿 一 年 卒 云 々 。

高 野 山 史 の 研 究 七 七

(4)

高 野 山 史 の 研 究 七 八 レ之、 而 今 依 二観 賢 奏 一永 付 二 一 長 者 一。 と 書 せ る 如 く。 観 賢 僧 正 の 意 圖 せ し 通 ら、 高 野 の 支 配 擢 を 東 寺 ︼ 長 者 の 手 に 牧 め、 以 て 之 れ を 恒 久 性 の も の た ら し め 花 ら。 但 し 長 承 三 ( 一 七 九 四 ) 年 五 月 入 日、 持 明 房 眞 碁 阿 闊 梨 が 南 山 の 座 主 と な ら し は、 畳 鍵 上 人 の 計 奏 に 基 く も の に し て。 其 理 由 は 高 租 の 御 遺 告 並 に 後. 僧 正 の 記 文 に 依 ら ば、 高 野 住 山 の 人 を 以 て、 座 主 職 に 補 す 可 き も の な ら と 云 ふ に あ ら。 而 も 同 年 十 二 月 廿 二 日 に 至 ら、 院 宣 を 賜 ふ て 其 座 圭 職 を 畳 鍵 上 人 に 譲 ら し め、 良 繹 瞼 校 の 職 を 罷 め て、 之 れ を 蜷 鍍 上 人 の 肉 弟 膠 畳 房 信 恵 上 座 に 輿 へ し む。 是 に 於 て か 東 寺 一 門 の 信 綱 十 四 人、 有 識 入 十 三 人 と 南 山 有 識 四 人 と が、 豊 嚢 上 人 に 責 ら れ た る も の と し て 一 味 の 契 航 を 作 ら、 一 列 陣 墾、 憤 奏 す る に 及 び、、 朝 裁 の 結 果、 保 延 二 ( 一 七 九 六 ) 年 三 月 二 日、 昼 鍵 上 人 の 座 主 職 を 削 止 し て、 東 寺 の 一. 長 者 定 海 僧 正 を 還 補 し、 信 恵 上 座 の 執 行 職 を 除 却 し て、 眞 碁 阿 閣 梨 を 槍 校 執 行 職 に 補 任 せ ら。 此 れ よ ら 巳 後 ・ 南 山 の 座 主 職 は 永 格 的 に 東 寺 一 ・ 長 者 の 兼 職 と 定 ま る。 然 れ ど も 榮 枯 盛 衰 は 常 な ら す、 南 北 朝 の 孚 囲 を 経 て、 足 利 氏 の 幕 政 に 移 る 頃 よ ら、 暉 家 の 櫨 頭 甚 し く、 眞 言 宗 総 法 務 の 實 椹 も、 全 く 繹 家 の 僧 統 に 蹄 す る に 及 び。 随 つ て 箕 言 宗 長 者 の 聲 望 も 地 に 堕 ち、 或 は 久 し く 其 任 補 を 見 ざ る に 至 る。 彷 て 天 文 三 二 二 九 四 ) 年 正 月、 槍 校 第 百 八 十 二 代 宥 雅 法 印 上 表 し て、 寺 務 職 に 任 せ ん こ と を 奏 請 す。 制 可 し て 長 者 の 座 主 職 兼 任 を 屡 し、 永 く 山 家 の 上 萬 に 依 て 寺 務 職 を 司 ら し め、 以 て 長 者 兼 任 の 座 生 に 代 ら し め 花 り。 故 に 座 圭 四 世 観 賢 僧 正 已 來 凡 そ 六 百 年 問、 長

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こ 者 兼 任 の 座 士 ⊥ も 此 に 至 つ て 寺 務 と 改 め、 途 に 名 實 一 致 の 山 主 と な れ り。 2 少 別 當 由 來 別 當 職 は 大 寺 に 於 け る 長 官 と し て、 該 寺 を 統 轄 す る 椎 限 を 有 し 淀 る も の。 本 官 よ ら 別 に 其 職 に 當 る を 以 て 此 禰 あ り し も、 後 世 に 至 ら 愛 じ て 本 官 と な れ ら。 之 れ は 天 不 勝 簑 四 二 四 二 一) 年 五 月、 信 ロ ウ 都 良 辮 が 東 大 寺 別 當 に 補 せ ら れ 花 る に 始 ま る。 後 に は 諸 寺 諸 耐 に も 此 職 を 置 き、 或 は 椹 別 當 ・ 大 別 當 ・ 小 別 當 ・俗 別 當 ・修 理 別 當 ・ 執 事 別 當 ・留 主 別 當 杯、 諸 種 多 様 の 別 常 を 設 く る に 至 れ り。 高 野 山 に は 首 位 の 座 圭 職 あ る も、 恒 に 京 都 に 常 在 し て、 僅 に 山 務 を 兼 帯 す る の み な れ ば、 臨 機 の 寺 法 を 慮 理 す る こ と 困 難 な る と。 今 一 つ は 南 山 の 大 衆 を 懐 柔 す る 方 便 と し て、 上 記 の 如 く 延 喜 十 九 年 九 月、 始 め て 少 (高 野 春 秋 に 正 と あ る は 非 ) 別 當 を 置 き。 座 主 第 三 代 峯 繹 の 資 峯 宿 を 以 て 此 に 任 じ、 山 務 を 代 行 せ し め 淀 る が、 帥 ち 南 山 少 別 當 の 噛 矢 な り と す。 3 執 行 一 山 の 事 務 を 慮 理 す る 職 責 に 任 す る も の を 云 ふ。 或 は 執 事 ・ 執 綱 等 と も 禰 す る 所 あ ら。 常 山 に は 座 主 第 六 代 濟 高 の 時、 始 め て 此 職 を 置 く。 槍 校 帳 に ノ ス 第 六 座 主 大 僧 都 濟 高 時、 爲 ジ令 レ執 二行 寺 家. 雑 務 一、 始 貴 執 行 職 一。 所 レ謂 以 二少 別 當 峯 宿 一 締 執 行 職 一。 峯 ノ

宿

後、

二寺

一。

問、

比、

高 野 山 史 の 研 究 七 九

(6)

高 野 山 史 の 研 究 入 ○ 職 一、 終 爲 二恒 規 一夷。

宿

明。

と 記 し。 高 野 春 秋 憲 第 三 ・ 延 長 六 ( 一 五 八 入 ) 年 戊 子 冬 十 二 月 の 下 に、

日、

一。

案。 愛 亦 座 圭 與 ご 長 者 一 任 日 前 後 乎。 廿 七 日、 座 主 濟 高 任 ら東 寺 一 長 者 一。 今 補 二 座 圭 一任 二長 者 蓋 是 任 日 前 後 夷。 (因 云。 廿 日 座 主 に 補 す と あ る も、 長 者 次 第 に は 辮 日 と あ ら、 さ す れ ば 長 者 に な ら し 後、 座 主 に 補 せ ら れ 花 る を 以 て、 此 に も 高 野 春 秋 の 誤 ら あ る こ と を 知 る べ し。 ) 晦 日 正 (少 の 談 )別 當 峯 宿 法 師 任 二金 剛 峯 寺 執 行 職 一、 其 隻 の座 主 律 師 之 推 暴 一也。 濟 高 師 上 表 云。 京 洛 南 山 之 問、 隔 二数 十 里 鐸、 難 レ槍 一雑 事 一。 伏 乞 撰 二法 器 一、 倉 下レ其 備 一執 行 職 一瞼 中校 山 務 渇云 々。 勅 随 レ乞 者。 と 書 し。 更 に 延 長 七 年 己 丑 の 下 に 於 て、 三 月 然 師 已 來 第 山 ハ 座 士 潜 響 同 登 山 井 堂 被 二始 行 之、 是 高 野 拝 堂 之 始 例、 東 長 儀 出 二其 儀 式 但 後 世 検 較 舞 堂 魂 二 受 批 格 式 一也 鰍。

宿

一、

一。

來、

・御

退

也。

勘 二 奮 史 ハ 観 賢 巳 來、 長 者 常 在 二京 洛 哨 々 衰 焉。 於 二子 滋 一濟 高 座 主 熟 魏 思 察、 而 兼 二 補 野 山 座 圭 職 殉 山 家 ノ 人 法 日 々 慶、 高 耐 遺 範 年 去 十 二 月 上 表、 蒙 二 勅 許 殉 今 般 齎 コ補 任 歌 來 授 二 峯 擢 抑 宿 師 者 後 鱈 正 門 生、 峯 灘 師 之 法 弟 奮 佳 者、 故 馴 二 熟 眞 俗 之 寺 法 州 況 又 門 葉 自 三 自 來 一戴 二 仰 之 殉 魏 々 乎 現 見 之 所 レ 及 鰹 二素 聞 越 授 二與 執 行 職 於 峯 宿 別 當 賜 補 任 欺 一也。 自 二 延 喜 十 九 年 一到 二 子 戴 一十 一 年 粗 復 二 古 法 殉 と 附 注 し て。 執 行 補 任 に 封 し、 極 め て 満 悦 の 情 懐 を 吐 露 せ る が、 爾 ほ 次 下 に 至 ら て も、

(7)

日、

宿

掌、

尖。

考。 峯 宿 執 行 補 任 已 前 山 橿 寂 々、 本 自 識無 空 師 ・ 門 生 離 レ 山 俳 二 徊 諸 國 其 跡 碓 レ 被 レ 補 二別 當 瞳 無 下 奈 面 務 荷 加 然 去 春 被 レ 補 二 峯 宿 於 執 行 職 一之 後、 所 如 逼 塞 之 門 葉 子 來 集、 再 二 興 寺 法 之 慶 漏 人 法 換 乎 。 從 來 後 偲 正 之 正 流、 自 レ 是 堂 々 焉 也 。 と 書 し て。 所 謂 法 催 の 回 復 を 款 喜 し、 高 野 山 の 復 興 を 慶 賀 せ ら。 而 し て 此 執 行 職 が 第 四 世 雅 眞 の 代 に 至 り て 槍 狡 を も 兼 ね 花 れ ば、 勢 ひ 高 野 一 山 の 最 高 首 位 と な れ ら。

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一 山 の 事 を 黙 槍 勘 校 す る の 信 職 を 云 ふ。 四 分 律 怨 第 五 十 八 に 癒 下尋 二究 修 多 羅 ・毘 尼 一槍 串校 法 律 上と 云 ひ、 百 一 鍋 鷹 巷 第 九 に 言 共 印 整 者 檎 稜 螢 作 奉 葛 云 々 と 云 ひ、 不 塞 表 制 集 巻 第 三 に、 修 造 使 沙 門 恵 勝 ・ 同 槍 校 沙 門 不 塞 と あ る に て、 其 名 繕 の 由 來 す る 所 を 察 す 可 し。 又 寺 官 抄 に は 槍 二知 校 覧 里 事 務 一 之 義 と 鐸 せ ら。 因 に 槍 校 の 狡 の 字 も と は 校 な ら し も、 明 の 蕪 宗 皇 帝 の 誰 を 避 け て 校 に 改 め 作 り 花 る も の と そ。

ら、

(

)

も、

が、

り。

(

)

月、

す。

に、

三 月 日、 雅 眞 信 都 任 二槍 校 職 一、 是 依 二寛 察 僧 正 之 遽 奏 一也 。 束 寳 抜 葦 記 引 二 高 野 槍 佼 帳 一 云 。 永 観 元 年 雅 眞 曾 都 任 二検 狡 是 寛 空 俗 正 之 遺 湊 云 々。 今 考 二 系 圖 試 寛 朝 者 寛 空 曾 正 灌 頂 之 資 爲 一二 金 削 峯 寺 座 圭 殉 然 山 申 無 空 離 山 來、 二 諦 共 衰 微 慨 二 歎 之 ハ且 祖 覧 守 欲 レ 不 レ 令 ノ荒 二 山 家 一之 御 遺 訓 爲 二 人 法 興 隆 一 見 レ 推 二 塞 ・雅 眞 師 一。 或 寛 空 寂 後、 纏 二 其 志 一而 有 二 執 奏 一鰍。 蓋 古 牒 謂 二寛 空 執 奏 触 指 二 此 義 哨乎。 叉 疑、 爲 者 以 レ 朝 書 二 誤 空 一乎。 高 野 山 史 の 研 究 入 一

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高 野 山 史 の 研 究 入 二 況 又 次 下 條 年 度 等 之 事、 廟 師 山 家 人 法 榮 起 之 善 巧 智 謀、 荏 然 相 二 顯 子 行 跡 凶 者 也 云 々。 と 書 る が 印 是 れ な り。 爾 來 此 職 を 置 き て 山 上 の 諸 法 會、 並 に 一 山 の 衆 務 を 槍 校 せ し む。 但 し 其 任 命 権 は 宗 家 郎 ち 東 寺 一 長 者 兼 矯 の 高 野 山 座 主 に あ ら し や 論 無 し。 後 叉 天 治 元 ( 一 七 入 四 ) 年 冬 十 月 廿 七 日、 鳥 朋 上 皇 御 幸 山 の 瑚、 時 の 槍 校 良 輝 に 封 し、 御 導 師 の 寵 賞 と し て、 香 染 の 法 衣 を 賜 は ら し を、 其 後 の 槍 校 迄 が 代 々 此 の 香 衣 を 用 ゆ る 様 な ら し を。 元 緑 七 (二 三 五 四 ) 年 十 一 月、 徳 川 幕 府 の 條 目 に 由 ら、 赤 衣 を 用 ふ る こ と に 改 ま れ ら。 然 ら ば 如 何 な る 人 々 が 此 の 槍 校 職 の 選 に 當 ら し か と 言 ふ に。 小 野 大 申 文 に 依 ら ば、 代 々 座 圭 在 京 洛 一而 住 二彼 山 一事 希 也、 此 故 附 二属 山 籠 器 量 之 僧 徒 一、 所 ン倉 レ執 二行 山 家 之 務 一也。 と 書 せ ら。 彷 て 往 古 は 山 籠 住 山 の 僧 中、 徳 望 高 き 者 が 輿 望 を 荷 ふ て 此 任 に 就 き し や 知 る べ し。 然 る に 此 榮 職 を 競 望 し て 互 に 相 排 濟 劇 箏 す る に 迫 ん で、 無 篠 學 徳 秀 で 淀 る 者 よ ら も 寧 ろ 上 蕩 者 を 順 次 に 之 れ に 振 當 て 淀 る に 由 ら、 彼 の 道 範 大 徳 の 如 き 碩 學 す ら 省 ほ 一 生 執 行 代 に 止 ら 淀 る が 如 し。 然 る に 徳 川 時 代 に 追 び、 南 山 の 學 侶 増 々 其 数 を 加 ふ に 随 ひ 途 に 春 秋 二 季 法 談 の 都 講 よ ら、 勘 學 初 二 三 年 の 一 二 萬、 山 王 院 の 竪 精、 左 右 雨 學 頭 十 年 の 法 勲 を 積 み 花 る も の 中 よ ら、 法 萬 順 に 寺 務 槍 校 執 行 法 印 大 和 術 に 補 任 す る 様 に な れ ら。 次 に 此 職 の 僻 令 は、 其 初 め 禁 廷 よ り 下 さ れ 花 ら し が、 後 に 至 ら 東 寺 の 一 ノ 長 者 よ ら 登 給 す る 様 に な

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れ ら、 高 野 山 又 績 寳 簡 集 第 七 十 七 ・槍 技 補 任 法 の 項 に 左 の 文 献 を 載 す。 金 剛 峯 寺 補 任 検 校 職 事 法 印 隆 畳 右 人 補 在 彼 職 一宜 レ令 レ執 二行 寺 務 一者 建 武 三 年 十 二 月 二 日 (成 助 ) 座 主 僧 正 花 押 金 剛 峯 寺 補 任 瞼 狡 職 事 法 印 定 秀 右 以 レ人 分 レ補 二任 彼 職 一畢 任 二先 規 一宜 レ致 二寺 家 政 所 以 下 雑 務 一者 故 以 補 癒 永 廿 入 年 十 二 月 十 一 口 別 當 椹 僧 正 花 押 之 れ に 依 て 東 寺 を 宗 家 と 奪 び、 高 野 の こ と を 山 家 と 禰 せ し 所 以 を 知 る。 高 野 山 史 の 研 究 八 三

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高 野 山 史 の 研 究 入 四 其 任 期 は 昔 時 に 於 て 定 ま ら 居 ら す、 殆 ん ど 終 身 官 な り し が、 漸 次 此 榮 職 を 競 望 す る も の 綾 出 し、 は て は 圏 雫 紛 糾 を 惹 起 す る に 及 び し か ば、 此 弊 を 除 か ん 爲 め 順 番 の 早 く 廻 は ら 來 る 様 中 古 に 至 ら 三 箇 年 間 と 定 め 花 る が 如 し。 然 る に 徳 川 幕 府 時 代 に 到 之 れ を し も 愛 改 し て、 任 期 一 年 と す。 又 明 治 維 新 後 は 二 月 十 一 日 以 後 ・ 三 月 王 七 日 の 御 衣 加 持 法 要 ま で の 内 に、 吉 日 良 辰 を 澤 び て 轄 衣 式 を 行 ひ、 叢 に 初 め て 緋 衣 緋 紋 自 を 着 し、 法 印 職 に 昇 供 す。 而 し て 右 在 職 中 は 伽 藍 法 要 灌 頂 等、 あ ら ゆ る 大 法 の 導 師 を 勤 仕 し。 翌 年 二 月 廿 一 日、 月 並 御 影 供 の 出 仕 を 以 て 成 満 退 職 し、 直 に 自 坊 に 還 る。 是 よ り 前 官 と 禰 し て 紫 衣 緋 絞 自 の 法 服 と な る 例 な ら。 然 ら 而 し て 槍 狡 在 職 中 の 役 所 も、 往 昔 は 別 段 定 ま ら た ら 所 な ぐ、 各 々 自 坊 に 在 て 其 事 務 を 燧 理 せ し も の な ら ん。 然 る に 徳 川 幕 府 に 至 ら 慶 長 六 ( 二 二 六 ) 年 五 月 廿 一 日、 行 人 方 に 樹 す る 三 箇 條 の 勝 訴 に 由 り、 叢 に 改 め て 青 巖 穀 屋 爾 寺 を 學 侶 方 に 賜 ひ だ れ ば、 青 巖 寺 を 改 め て 槍 狡 坊 と 號 し、 以 て 槍 校 の 在 住 寺 と な し 花 ら。 且 つ 同 付 の 御 鋼 物 に も、 ﹁ 青 巖 寺 は 公 儀 ノ 寺 ・ 修 造 ノ 材 木 薪 等 総 山 林 ラ グ 伐 取 ヘ シ ニ 千 石 ノ 内 千 石 ハ 住 持 槍 狡 諸 賄 料 ﹂ と あ り。 御 代 々 の 御 判 物 皆 此 に 依 準 し て、 悉 く 槍 狡 の 職 名 を 用 ひ 以 て 一 山 の 貫 主 と な せ ら。 次 に 職 責 あ れ ば 叢 に 俸 緑 を 件 ふ、 執 行 職 の 供 米 は 第 十 三 代 執 行 定 深 の 代 に 至 て 始 め て 定 ま れ ら。 高 野 春 秋 巷 第 五 ・ 嘉 承 元 ( 一 七 六 六 ) 年 丙 戊 の 下 に、

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冬 十 一 月 日、 抽 二阿 閣 梨 定 深 理 性 房 一任 二執 行 一、 而 可 レ有 下以 二名 手 村 一 御 中寄 附 大 塔 庄 苑 出之 旨、 賜 二拝 口 宣 一也。 深 師 不 レ 任 二 検 校 職 先 補 二執 行 蝋 執 行 供 来 十 石 八 斗、 於 二 名 手 村 一始 置 ピ 之。 ( 中 略 ) 考 如 二 今 執 行 代 役 一鰍、 即 擢 瞼 狡 也。 と 書 し。 槍 校 の 供 米 に 鋼 し て は、 策 廿 一 代 槍 校 兼 賀 の 代、 久 壽 二 ( 一 入 一 五 ) 年 乙 亥 の 下 に 於 て も、 二 月 日、 槍 校 供 來 十 入 石、 行 事 供 米 料 田 一 町 四 反 始 賦 レ之。 と あ ら て。 之 れ は 槍 校 帳 の 記 事 に も 一 致 せ ら。 5 山 籠 職 山 上 の 冬 期 は 近 寒 甚 し く、 到 底 其 寒 さ に 堪 え ざ る を 以 て、 殆 ん ど 山 を 下 る を 例 と せ る が、 組 廟 に 奉 仕 し、 伽 藍 の 法 要 を 勤 修 せ ん と す る 熾 烈 な る 勇 猛 心 よ ら、 奮 然 山 中 に 践 み 止 ま る 篤 志 者 も あ り、 之 れ を 目 し て 山 籠 と 禰 せ し な ら。 而 し て 此 冬 籠 ら を 爲 す も の が、 後 に 至 ら 途 に 一 種 の 所 役 と な れ ら。 槍 校 帳 第 九 執 行 山 籠 大 法 師 行 明 の 下 に、

右 以 二件 人 一山 籠 清 撰 死 閾 之 替 以 二行 明 大 法 師 補 在 彼 職 一之 如 レ件

高 野 山 史 の 研 究 入 五

(12)

高 野 山 由 飾 の 研 究 入 ハ

し。

眞、

朝、

得、

呆、

せ、

を。

(

)

日、

り、

る、

り。

五 ・ 治 暦 一兀 ( 一 七 二 五 ) 年 乙 巳 山 開 二 百 五 十 年 の 下 に 至 ら、 冬 月 日、 租 堂 六 口 入 寺 山 籠 僧 自 二寺 家 二被 レ配 二當 去 々 年 藤 重 経 之 寄 附 領 米 一。 案 ゆ 天 喜 五 年 錐 レ 見 レ 定 二 置 組 堂 供 曾 殉無 供 山 籠 也。 從 來 成 二九 口 供 曾 也。 と 云 へ る よ り 推 さ ば。 山 籠 に 封 す る 供 料 支 給 方 法 の 事 實 化 せ る は、 乃 ち 治 暦 元 年 多 な ら と 見 ゆ。 尤 も 住 山 の 信 に 非 ざ れ ば、 槍 狡 の 勤 務 を 全 ふ し 得 ざ る を 以 て、 槍 校 帥 山 籠 と も 禰 し 得 る な り。 因 み に 云。 高 野 春 秋 が 行 明 の 執 行 職 任 日 を 寛 徳 元 ( 一 七。 四 ) 年 入 月 と な せ る も、 是 れ は 康 卒 元 ( 一 七 一 入 ) 年 の 事 を、 誤 ぞ 配 年 按 排 せ し 故 へ、 槍 校 に な ら し 後、 山 籠 職 に 補 せ ら れ 花 る 様 に な れ ら。 勿 て 春 秋 記 者 自 分 に も 一 種 の 疑 念 起 ら し も の と 見 へ、 山 籠 職 補 任 の 文 を 載 せ、 其 次 に 以 乏 相 考、 所 指 二彼 職 一山 籠 與 二槍 校 一之 爾 職 難 レ計。 若 山 籠 之 爲 二補 闘 者、 可 レ非 眞 念 之 事 一也。 爾 黙 見。 奮 史 働 脱 錯 簡 故、 難 二 決 二焉 者 也。 と 云 へ ら。 無 論 奮 史 に も 錯 簡 あ り し な ら ん が、 第 一 に 春 秋 記 者 に も 亦 年 代 按 排 の 錯 誤 あ ら し な り。 之

(13)

れ を 要 す る に 行 明 が 爾 ほ 未 だ 槍 校 職 に 就 き 居 ら ざ ら し 已 前 に 3 既 に 山 籠 職 に 補 せ ら れ。 後 眞 念 執 行 が 遷 化 せ し 替 り に、 行 明 が 其 職 を 紹 ぎ し 迄 に て。 年 代 按 排 さ へ 確 か な れ ば、 斯 る 疑 義 は 毫 も 起 る 筈 な き な う。

6

東 寺 の 一 ノ 長 者 が 高 野 山 金 剛 峯 寺 の 座 主 職 を も 兼 撮 し て、 南 山 の 寺 務 を 綜 管 す る 邊 よ ら、 或 は 寺 務 と 繕 せ し こ と は、 頗 る 古 き 頃 の 事 な ら し も。 槍 狡 が 寺 務 と 繕 す る 様 に な ら し は、 部 ち 天 文 三 (二 一 九 四 ) 年 正 月、 第 八 十 二 代 槍 校 宥 雅 法 印 が 奏 請 に 由 り。 長 者 が 座 主 職 の 兼 任 を 停 め、 之 れ よ り 後 永 く 山 家 の 槍 校 を し て、 南 山 の 寺 務 職 を 司 ら し め し よ り、 南 山 に て 此 職 名 を 使 ひ 始 め る に 様 な ら 花 る な ら ヘ ウ シ ョ ク

ハ ナ ダ イ ロ 是 れ は 必 す し も 槍 狡 法 印 丈 に 限 ら れ 花 る も の に は 非 ざ る も、 序 で 故 へ 之 れ が 起 原 を 附 記 せ ん に。 後 二 條 天 皇 の 御 宇、 嘉 元 三 ( 一 九 六 五 ) 年 四 月 十 五 日、 魑 山 上 皇 院 宣 を 下 し 給 ひ て、 鐸 摩 詞 術 論 を 仙 洞 御 所 に 講 せ し め ら る。 大 樂 院 の 信 目 選 ば れ し が、 病 の 爲 め 延 引 せ し か ば。 廿 四 日 重 ね て 院 宣 あ ら、 上 足 の 弟 子 信 堅 代 墾 の 選 に 當 ら、 五 月 二 日 山 を 出 で、 十 五 日 よ ら 該 書 を 鶉 山 離 宮 に 講 す。 後 講 談 の 大 綱 を 録 ゆ

し、

て、

す、

ら、

高 野 山 吏 の 研 究 入 七

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高 野 山 史 の 研 究 入 八 子 レ時 徳 治 三 年 九 夏 之 天、 恭 奉 レ封 二 龍 顔 二、 敬 講 二繹 龍 論 二、 剰 へ奉 レ蒙 二 勅 命 謹 綴 二此 私 記 二 先 巳 於 二宮 城 二記 二録 序 文 之 梗 概 一、 今 重 還 二本 山 二撰 二進 一 部 之 大 綱 二而 已。 高 野 山 金 剛 弟 子 信 堅 と 叙 せ ら。 進 講 の 次 で 上 皇 親 ら 標 色 御 衣 の 袖 を 割 き て、 之 れ を 信 堅 に 賜 ひ、 頭 を 纒 裏 て 風 寒 を 避 け し む。 山 徒 之 れ を 榮 と し、 彼 の 御 衣 の 裡 に 擬 し て 標 色 の 帽 子 を 作 ら、 之 れ を 法 衣 の 上 に 加 ふ。 而 し て 其 縫 裁 の 様 式 は、 一 に 御 衣 の 抽 に 微 ふ と そ。 繹 論 進 講 の 事 は 高 野 春 秋 忽 第 九 ・ 嘉 元 三 年 乙 已 の 下 に も 出 て 居 ら、 術 ほ 次 下 に 於 て も 更 に 一 書 云。 五 月 中 旬 侍 二御 講 乏 日、 一 朝 甚 寒、 堅 垂 鼻 涕 二、 法 皇 解 裂 御 衣 袖 一。 標 色 砲 云 々 輿 レ堅 令 レ蒙 レ 之、 自 ド爾 已 來 野 山 學 侶 蒙 一標 帽 子 一、 以 爲 二始 例 二也。 と 附 記 せ る が。 此 事 は 甚 だ 以 て 疑 は し き 節 無 き に 非 す、 何 と な れ ば、 帽 子 に 關 す る 事 は 肝 心 の 信 堅 日 記 に 出 で 居 ら ざ る の み か、 侍 講 の 時 は 五 月 中 旬 な ら し 故、 一 朝 甚 寒。 堅 垂 二鼻 涕 二て ふ 事 は、 事 實 あ り 得 ざ る 事 か と 思 は る。 又 元 來 比 丘 が 寒 を 防 ぐ 爲 め 帽 子 を 用 ひ し こ と は、 四 分 律 巻 第 四 十 ・ 大 比 丘 三 千 威 儀 中 に も 出 で 居 ら。 又 階 の 揚 帝 が 御 衣 の 袖 を 取 り て、 天 台 大 師 智 顕 に 被 ら し め 淀 る よ ら、 標 帽 子 或 は 頭 袖 が 生 じ 淀 ら と も 禰 せ ら れ、 台 家 に て は と く よ ら 傳 教 大 師 之 れ を 用 ひ。 又 探 題 に な れ ば 之 を 冠 む ら し 故 へ、 探 題 帽 と か 或 は 探 題 冠 杯 と も 禰 せ ら れ 居 る に 想 ひ 合 し て も、 蓋 し 思 ひ 孚 ば に 過 ぐ る も の あ ら ん

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已 上 は 只 山 を 統 峯 せ し 貫 主 に 就 き、 種 々 の 職 役 と 名 禰 の 起 り し 所 以 を 叙 べ し の み、 是 よ ら 更 に 其 下 位 に 在 て、 槍 校 を 補 佐 せ し 諸 役 に 就 て 之 を 述 べ ん。 ゴ ウ

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ア ラ ユ ル 爲 二尊 主 一、 不 レ諦 其 徳 一。 諸 有 円 鍮 毎 賓 封 印、 將 付 二 上 座 一。 更 無 三別 置 二寺 主 維 那 一。 但 造 寺 之 人 名 爲 二寺 主 一、 梵 云 二既 討 羅 渉 弧 一。 若 作 一一番 直 一典 二掌 寺 門 及 和 僧 自 事 一者、 名 晩 討 羅 波 羅 一、 繹 翁 護 寺 一。 若 鳴 一腱 稚 一及 監 レ食 者、 爲 二朔 磨 陀 那 一、 鐸 駕 一授 事 一。 言 昌維 那 一者 略 也。 と あ る は、 印 度 に 於 け る 三 綱 な ら。 次 に 支 那 に 在 つ て は 此 制 ・階 の 智 琳 よ ら 始 ま る 由、 翻 鐸 名 義 集 塞 第 一 に 見 ゆ。 我 國 に 於 て は 天 武 天 皇 の 頃 よ ら 此 制 を 探 用 し 花 る も の ら し ぐ、 大 寳 信 尼 倉 に は 三 綱 の 職 掌 に 關 す る 詳 細 の 規 定 を 設 け、 其 選 任 は 諸 國 の 定 額 寺 に 在 つ て は、 檀 越 衆 僧 の 請 に 由 て 國 司 覆 勘 し て 充 高 野 山 吏 の 硯 究 八 九

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高 野 山 史 の 研 究 九〇

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う し き 三 綱 に 各 権 官 を 設 く る に 迫 ん で、 巳 講 ・内 供 ・阿 閣 梨 を 正 三 綱、 又 は 有 職 三 綱 と 繕 し。 上 座 ・寺 圭 ・ 都 維 那 を 椹 三 綱 と 呼 べ ら。 當 宗 に 於 て も 亦 人 法 興 隆 の 爲 め 三 綱 を 置 き 淀 ら。 彼 の 性 霞 集 巻 第 九 に あ る 高 雄 山 寺 澤 二任 三 綱 一之 書 の 日 付 が、 弘 仁 三 ( 一 四 七 二 ) 年 季 多 之 月 と あ る に よ ら。 高 雄 山 寺 三 綱 の 設 置 は、 其 頃 よ り 始 ま ら 淀 る も の。 帥 ち 呆 隣 大 徳 を 上 座、 實 慧 和 省 を 寺 主、 智 泉 大 徳 を 維 那 と な し た る が 初 例 な ら ん。 東 寺 は 弘 仁 十 四 年 十 月 十 日 の 太 政 官 符 に 依 ら、 五 十 口 の 定 額 僧 を 置 き、 他 宗 僧 め 雑 住 を 禁 じ。 天 長 九 ( 一 四 九 二 ) 年 の 頃 よ ら、 上 足 實 慧 を し て 寺 務 を 領 掌 せ し め た ら し が、 爾 未 だ 三 綱 の 設 置 を 見 ざ ら し に。 後 奏 請 に 依 ら 承 和 元 ( 一 四 九 四 ) 年 十 二 月 二 十 四 日、 癒 下以 二五 十 信 内 一充 甲東 寺 三 綱 上事 て ふ 太 政 官 符 を 下 し、 其 翌 年 春 正 月 六 日 に は、 定 二東 寺 定 額 五 十 人 供 料 一官 符 を も 賜 は り て、 漸 く 此 職 を 置 け ら。 次 に 高 野 山 に て も、 夙 に 高 雄 の 三 綱 に 準 じ て 此 職 を 置 き、 槍 校 を 補 佐 し て 大 衆 の 和 合 と 指 導 と に 當 ら し む。 金 剛 峯 寺 雑 文 式 ・ 永 観 元 ( 一 六 四 三 ) 年 九 月 二 十 五 日 の 條 に 於 て. 其 人 々 の 名 を 連 署 せ る は 乃 ち 是 れ ら。 然 る に 中 世 に 至 ら、 之 れ を 花 園 ・院 主 ・ 行 事 と 構 す る 様 に な ら た る が。 維 那 を 花 園 と 稻 す る 所 以 は 往 昔 弘 法 大 師 が 大 日 堂 を 創 建 し、 之 れ を 金 剛 寺 と 名 け、 其 傍 ら に 入 葉 の 樒 木 を 栽 え、 花 園 庄 と 唱 へ し

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を、 天 慶 ( 一 五 九 入 一 六〇 六 ) 年 中、 中 院 寺 主 仲 癒 が 阿 豆 川 谷 を 開 作 し、 此 庄 を 維 那 に 領 せ し め し よ ら、 後 世 維 那 を 呼 で 花 園 と 欝 す る 様 に な ら し と そ。

し。

寛 雫 元 ( 一 五 四 九 ) 年 三 月 長 者 兼 務 座 主

延 喜 十 九 ( 一 五 七 九 年 い 九 月 十 九 日

宿

未 詳、 二 調 延 長 六 ( 一 五 八 八 ) 年 十 二 月 晦 口

士 茄 承 一兀 ( 一 七 ハ 六 ) 年 十 一 月

永 蜘 凱 一兀 ( 一 山 ハ 四 三 ) 年 三 月

廿

久 壽 二 ( 一 八 一 五 い年 二 月

長 久 五 ( 幽 七 〇 四 ) 年 八 月 山 籠 供 米 治 暦 元 ( 一 七 二 五 ) 年 冬

天 文 元 ( 二 一 九 四 ) 年 正 月

又 預

第 九 代 行 明 代 康 牛 元 ヘ 一 七 一 入 ) 年

第 滑 四 代 玄 叡 代

第 五 十 五 代 良 畳 代

第 二 百 骨 二 代 雲 雪 代,

第 二 百 五 十 代 灌 胤 代

第 二 百 六 十 一 代 信 龍 代

第 二 百 六 十 一 代 信 瀧 代

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め、

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高 野 山 史 の 研 究 九 一

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高 野 山 史 の 研 究 九 二 置 か し め し よ ら。 足 利 時 代 の 小 建 築 の 寺 院 が、 徳 川 時 代 に 至 つ て 遽 か に 魏 山我 淀 る 大 殿 堂 と な ら。 諸 院 蔓 を 比 べ つ 林 立 し、 宗 侶 盆 々 加 は る に 及 ん で。 南 山 の 諸 役 も 亦 大 に 整 備 し て、 叢 に 其 種 類 と 人 数 と を 増 す に 至 れ り。

僧 官 と は 僧 と は 僧 尼、 綱 と は 綱 維 の 義。 徳 行 才 能 あ る 僧 侶 を 澤 び て、 全 國 の 僧 尼 を 統 領 し て 其 非 蓮 を 槍 校 し、 敢 法 を 維 持 し て 諸 寺 の 庶 務 を 勘 知 す る の 職 務 な り。 支 那 に て は 沙 門 統 ・ 僧 統 ・ 僧 正 ・檜 主 の 禰 を 用 ひ 淀 る も 亦 此 意 に 出 で す。 我 國 に て は 信 正 ・ 信 都 ・律 師 を 三 綱 と 禰 し。 別 に 威 儀 師 ・ 從 儀 師 な る 者 を 置 き て 之 れ を 佐 け し め、 其 職 務 を 行 ふ 場 所 を 綱 所 と 名 け 花 ら。 彼 の 印 度 に て は 專 ら 戒 律 に 於 て 僧 尼 の 過 非 を 防 ぎ、 掲 磨 の 法 に 由 て 僑 濫 を 沙 汰 せ し か ば、 別 に 朝 廷 よ ら 僧 官 を 任 じ 綱 所 を 設 く る 必 要 な か ら し も。 支 那 日 本 に て は 戒 律 の 磨 弛 と、 寺 院 止 往 の 様 式 が 印 度 と 其 趣 き を 異 に す る よ ら、 共 に 僧 綱 の 制 を 立 つ る に 至 れ ら。 初 め て 支 那 に 檜 綱 の 制 を 立 て 淀 る は、 束 晋 安 帝 の 時 代 に し て、 北 魏 ・ 後 秦 の 爾 地 に 行 は れ 淀 る を 起 原 と す。 後 品 秩 を 賜 ひ、 欝 位 を 授 け て 崇 敬 優 遇 せ ら。 梁 代 に 至 ら 僧 正 の 外 に 大 僧 正 の 官 を 設 け、 武 帝 の 普 遙 六 年 に は、 建 康 の 光 宅 寺 法 雲 和 爾 を 以 て 之 れ に 補 せ ら。 陳 は 梁 の 制 に 微 ひ し も、 更 に 副 官 を 加 へ て、 大 僧 正 ・僧 正 ・ 大 信 都 ・信 都 の 四 官 と な せ ら。 而 し て 梁 魏 巳 來 の 俗 統 は 何 れ も 皆 威 儀 を 重 ん じ、 杖

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直 を 具 し て 官 府 に 擬 せ し が、 天 嘉 元 年 寳 豫 命 せ ら れ て 信 官 と な る に 及 ん で、 此 弊 を 止 め た ら と 云 ふ 爾 後 種 々 の 墾 革 あ ら し も、 煩 し け れ ば 之 れ を 略 す。 我 國 に 於 て 始 め て 僧 綱 を 置 き 花 る は、 推 古 天 皇 の 三 十 二 年 に し て。 百 濟 國 の 沙 門 槻 勒 を 僧 正 に、 鞍 部 徳 積 を 僧 都 に、 阿 曇 連 某 を 法 頭 に 補 し、 以 て 僧 尼 の 槍 校 に 從 は し む。 又 僧 綱 の 任 命 は 僧 尼 令 ・に 明 記 せ る が。 後 年 多 ぐ は 維 摩 會 講 師 途 業 の 勢 に に 酬 ひ 花 ら し を。 承 和 ( 一 四 九 四 ) 年 よ ら 三 會 定 一 の 法 行 は れ、 貞 槻 元 ( 一 五 一 九 ) 年 の 格 に は 明 か に 之 れ を 規 定 し て。 今 年 維 摩 會 の 講 師 花 ら し 者 は、 翌 年 御 齋 會 並 に 最 勝 會 の 講 師 を 勤 め、 三 會 の 講 師 を 経 た る 後、 次 第 を 以 て 僧 綱 に 任 せ ら る、 事 と な れ り。 是 れ 北 京 に 起 れ る 天 台 ・ 眞 言 の 爾 宗 に 饗 抗 せ ん が 爲 め に し て、 眞 雅 の 代 よ ら 始 ま れ る 東 寺 の 法 務 も。 亦 其 椹 勢 を 伸 ぶ る こ と 能 は ざ る に 至 る。 僧 綱 補 任 に 依 ら ば、 文 武 天 皇 の 代 既 に 僧 綱 の 定 員 を 四 人 と せ し が。 時 に は 大 僑 都 ・ 少 僧 都 の 随 一 を 欠 き、 或 は 律 師 二 入 已 上 を 置 き し こ と あ り。 後 又 少 僧 都 二 人 三 入 を 置 き し こ と あ ら し よ ら、 途 に 之 れ が 定 員 を 定 む る 必 要 を 生 じ、 弘 仁 十 ( 一 四 七 九 ) 年 十 月 の 官 符 に は 檜 正 ・大 僧 都 ・ 少 信 都 各 一 人、 律 師 四 人、 從 儀 師 入 人 と な せ ら。 故 に 弘 法 大 師 す ら も 大 信 都 に て 生 涯 を 逡 ら せ ら れ、 道 興 大 師 實 恵 大 徳 も 僅 に 権 律 師 に て 東 寺 長 者 職 に 昇 り、 後 漸 く 少 信 都 に 晋 み、 以 て 身 を 終 ら せ ら れ 花 り。 次 に 信 綱 の 職 務 を 執 る 役 所 を 信 綱 所、 若 く ば 綱 所 と 號 し、 多 く は 藥 師 寺 を 以 て 之 れ に 充 て 花 ら。 而 高 野 山 史 の 研 究 九 三

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高 野 山 吏 の 研 究 九 四 し て 上 記 僧 官 の 外 に、 東 大 ・ 興 幅 已 下 の 十 七 大 寺 に は、 更 に 別 當 職 を も 置 き て 一 寺 の 庶 務 を 領 せ し む。 所 謂 別 當 と は 本 官 よ り 別 に 其 職 に 當 る よ ら、 此 名 あ ら 花 る も、 後 に は 途 に 本 官 と な ら、 三 綱 を 以 て 之 れ に 任 用 せ ら る に 至 る。 弘 法 大 師 の 眞 弟 眞 濟 大 徳 は 文 徳 天 皇 よ ら 無 二 の 御 蹄 依 を 蒙 り、 齊 衡 三 ( 一 五 一 六 ) 年 十 月 十 七 日、 椹 大 僧 都 よ ら 俗 正 に 任 せ ら れ し か ば、 其 請 に 依 り 弘 法 大 師 に 大 僧 正 を 追 賂 し 花 ら。 後 宗 侶 に て 信 正 に 任 せ ら れ だ る も の は、 郎 ち 法 光 大 師 眞 雅 ・眞 然 ・宗 叡 ・本 畳 大 師 盆 信 ・ 理 源 大 師 聖 寳 ・ 観 賢 の 七 檜 正 と、 一 演 ・ 寛 室 の 爾 僧 正 に 過 ぎ ざ ら し。 圓 融 天 皇 の 朝、 僧 正 三 人 ・大 僧 都 一 人 ・ 少 僧 都 二 人 ・律 師 十 二 人 と 増 加 せ ら れ し 時。 叡 山 の 良 源 ・ 天 皇 の 御 瘡 病 を 加 持 し て 法 験 あ ら、 天 正 四 ( 一 六 四 一 ) 年 入 月 二 十 目、 其 賞 と し て 行 基 菩 薩 以 後、 我 邦 第 二 の 大 僧 正 に 任 ぜ ら れ 花 ら。 爾 後 僅 か に 五 年 に し て、 寛 和 二 二 六 四 六 ) 年 二 月 二 十 二 日、 遍 照 寺 の 寛 朝 僧 正 が 第 三 の 大 僧 正 に 任 せ ら る。 是 れ よ ら 後、 歳 と 共 に 眞 言 密 宗 興 隆 し け れ ぱ、 勘 修 寺 の 雅 慶 ・ 深 畳、 仁 和 寺 の 濟 信 ・寛 助 等 ・ 大 僧 正 に 任 せ ら れ。 縫 で 僧 正 に 任 せ ら れ し も の 西 院 の 寛 静、 小 野 の 仁 海 等 十 籐 人 の 多 き に 達 せ り。 自 河 天 皇 の 雁 徳 三 ( 一 七 四 六 ) 年 十 一 月 に は、 更 に 僧 正 三 人 ・ 大 僧 都 五 人 ・少 僧 都 八 人 ・ 律 師 十 四 入 の 外 に、 不 法 印 四 人 ・ 法 眼 五 人 ・ 法 橋 十 入 人、 都 合 五 十 七 人 の 多 数 と な れ ら。 所 謂 信 正 三 人 と は 大 僧 正 ・

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正 信 正 ・ 椹 信 正 の 三 人 の こ と に し て。 未 だ 曾 て 同 時 に 二 人 の 檜 正 を 見 ざ り し が。 保 延 三 二 七 九 七 ) 年 正 月、 醍 醐 の 定 海 ・ 南 都 の 玄 畳 を 超 て 僧 正 に 任 ぜ ら る、 や。 興 輻 寺 の 衆 徒 之 れ を 聞 き て 大 に 憤 懲 し 宗 侶 歎 千 人、 京 に 入 ら て 之 れ を 訴 え し か ば、 十 二 月 玄 畳 を も 亦 僧 正 に 任 じ 花 ら。 是 に 於 て か 始 め て 二 僧 正 併 べ 立 つ る こ と、 な ら、 次 第 に 僧 官 の 制 度 観 れ、 途 に 僧 正 已 下 に は 椹 官 を 設 く る に 至 れ ら。 又 僧 綱 所 に 於 て 受 戒 ・ 法 會 等 の 儀 式 に 参 任 す る 法 務 ・威 儀 師 ・從 威 師 の 職 あ ら。 其 法 務 は 信 正 の 兼 任 な ら し を。 聖 武 天 皇 の 頃 よ ら 律 師 若 く ば 僧 都 の 兼 ぬ る 所 と な る。 後、 貞 槻 七 ( 一 五 二 五 ) 年 に 至 ら、 更 に 一 員 を 増 し て、 東 寺 長 者 眞 雅 を 之 れ に 補 し。 又 同 十 四 年 に は 椹 法 務 を 置 き、 大 威 儀 延 壽 を 之 れ に 補 し 花 ら。 是 れ よ ら 法 務 は 東 寺 ノ 長 者 之 れ を 兼 ぬ る を 例 と な し、 他 寺 は 椹 法 務 に 過 ぎ ざ ら し。 此 の 如 ぐ 東 寺 一 ノ 長 者 が 法 務 の 職 を 兼 任 す る 様 に な ら し よ ら、 南 都 信 綱 の 権 威 も 年 と 共 に 凋 落 せ し そ 是 非 も な し。 後 昌 泰 二 ( 一 五 五 九 ) 年 十 月 十 四 日、 宇 多 天 皇 落 飾 し て 仁 和 寺 に 入 ら 給 ひ し よ ら、 皇 子 相 踵 ひ で 此 寺 に 止 住 せ ら れ 淀 ら し か ば、 仁 安 二 ( 一 入 二 七 ) 年 十 二 月 十 一 日、 同 寺 第 五 代 紫 金 塁 御 室 畳 性 入 道 二 品 親 王 に 総 法 務 宣 下 あ ら。 入 宗 の 長 官 と し て 普 ね く 顯 密 の 諸 寺 を 管 領 せ し め し よ ら、 東 寺 長 者 の 職 椹 は 叢 に 全 く 御 室 に 移 ら し か ば、 仁 和 寺 の 繁 榮 日 々 に 培 大 し、 同 寺 を 以 て 僧 綱 所 と 繕 す る に 至 ら、 且 つ 更 に 門 跡 禰 號 の 濫 筋 と も 爲 ら し が 如 し。 然 れ ど も 南 北 朝 時 代 に 入 ら、 檀 縁 の 關 係 よ ら 或 は 南 朝 を 援 け 或 は 北 朝 に 與 み す る 等、 僅 か 眞 言 一 宗 山口圃 野 山 史 の 研 究 九 五

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高 野 山 史 の 研 究 九 六 内 に 於 て す ら、 術 其 統 一 を 保 ち 得 ざ る に 迫 ん で、 入 宗 の 長 官 淀 る 総 法 務 も 只 塞 名 と な れ ら。 康 暦 元 ( 二 〇 三 九 ) 年 十 月、 足 利 義 満 勅 を 奉 じ て、 唐 宋 灘 家 の 制 度 に 則 り 信 録 司 の 職 を 置 き、 其 翌 年 南 暉 寺 の 普 明 國 師 春 屋 妙 薩 を 擢 で、 之 れ に 任 せ し め、 全 佛 漱 統 率 の 實 椹 を 與 へ し よ り。 其 聲 望 遙 か に 総 法 務 を 厘 倒 し、 御 室 は 途 に 有 名 無 實 の 虚 器 を 擁 す る の み と な れ ら。 斯 の 如 ぐ 金 枝 玉 葉 の 貴 顯 が、 陸 綾 我 佛 門 に 入 ら る、 に 迫 ん で、 僧 侶 の 俗 性 を 曾 ぶ 風 を 薫 致 し、 延 て 補 任 の 方 法 に も 勢 ひ 二 途 と な ら。 一 宗 の 誉 宿 を 以 て 任 す る 僧 官 と、 門 閥 の 子 弟 を 以 て 任 す る も の と の 間 に、 大 な る 高 下 邊 疾 の 差 違 を 生 じ。 皇 子 の 初 任 は 椹 大 僧 都、 即 ち 圓 助 ・尊 助 等 の 如 く。 皇 孫 は 樺 少 僧 都、 郎 ち 守 恵 の 時 の 例 の 如 し。 次 に 大 臣 息 は 椹 少 僧 都、 部 ち 行 昭 ・道 昭 ・ 経 嚴 ・ 簾 鎭 等 の 例 是 れ な ら。 又 大 臣 息 は 法 眼 に 直 任 す、 乃 ち 慈 鎭 和 術 ・ 恵 助 檜 正 等、 孫 子 は 少 信 都 の 定 め と な り 花 れ ば。 も と く 僧 尼 の 正 邪 を 槍 校 す る 俗 綱 も、 李 安 朝 に 至 ら て 輩 に 光 榮 あ る 一 種 の 禰 號 淀 る に 止 ま ら。 何 等 の 職 椹 も な く 複 秩 腺 も 無 く、 只 僅 か に 勅 會 勤 仕 の 際 に、 凡 僧 と 逼 別 し て 鄭 重 な る 鱒 物 を 受 く る 位 の 待 遇 あ る に 過 ぎ ざ ら し。 然 る に 南 北 朝 以 後 に は、 此 等 の 制 も 途 に 観 れ 花 れ ば、 二 十 三 四 歳 に し て 大 檜 正 の 極 官 に 任 せ ら る、 も の す ら 出 つ る 至 れ り。 剰 さ へ 寺 格 に 依 ら 永 宣 旨 と し て 一 定 の 僧 官 を 授 く る 特 樺 す ら 與 へ ら れ し に よ ら。 各 本 山 本 寺 が 皆 此 例 を 競 望 し、 從 來 諸 山 諸 門 跡 の 推 墨 に 依 準 し て、 朝 廷 之 れ を 補 任 し 來 り し 僧 官

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も、 爾 後 各 本 山 勝 手 に 補 任 し 得 る 様 に な ら し か ば。 途 に 甲 乙 一 定 せ ざ る の み か、 各 山 各 寺 昇 進 の 道 を 異 に し、 金 銭 次 第 に て 如 何 な る 僧 官 を も 買 牧 し 得 る こ と に な ら。 實 に 驚 く 可 き 醜 態 と 紛 糾 と を 醸 造 せ し を、 徳 川 時 代 に 入 ら て 秩 序 や、 弊 頓 匡 正 せ ら れ 花 ら。 然 れ ど も 明 治 六 年 一 月 十 九 日 太 政 官 達 に 依 り、 僧 官 僧 位 等 を 全 壌 せ し が。 私 繕 迄 禁 止 せ ら れ た る に 非 ざ ら し を 以 て、 今 は 僅 か に 往 時 を 憧 憬 す る 各 山 勝 手 の 私 禰 と な ら し そ、 哀 れ と 云 ふ も 更 に 愚 か な ら。 我 高 野 山 は 久 し く 東 寺 長 者 の 支 配 下 に 置 か れ、 其 上 深 山 僻 隊 に あ り て 氣 候 も 悪 し け れ ば、 高 貴 門 閥 子 弟 の 來 住 す る も の 極 め て 稀 に、 随 て 一 山 の 首 班 淀 る 可 き 槍 狡 の 位 置 も 頗 る 低 く。 槍 校 第 四 十 一 代 勝 心 の 代、 嘉 元 元 二 九 六 三 ) 年 十 二 月 二 十 二 日、 九 條 長 者 御 房 御 所 の 譲 與 と し て、 始 め て 樺 律 師 に 補 せ ら れ し 程 な ら し を。 後 槍 校 第 七 十 二 代 紡 信 の 代、 苔 宮 別 當 頼 助 大 僧 都 の 計 ひ、 開 田 御 室 の 執 奏 に 由 ら、 弘 安 年 間 ( 一 九 四 四 一 六 ) に、 椹 律 師 の 永 宣 旨 を 賜 は ら。 槍 狡 第 七 十 七 代 寛 範 の 代、 東 寺 宗 家 の 御 敢 書 に 依 ら、 始 め て 椹 少 僧 都 の 永 宣 旨 を 戴 き 淀 る を、 南 山 各 僧 官 の 初 例 と す。 故 に 京 洛 諸 本 山 の 極 官 が 大 僧 正 淀 る に 比 し、 高 野 山 の 極 官 は 斯 る 低 位 の 槍 狡 法 印 な り し は、 實 に 門 閥 の 關 係 に 由 る も の と 解 せ ら る。 但 し 後 世 槍 校 巳 外 の 人 々 に て、 功 勢 若 く ば 金 品 に て 椹 大 僧 都 或 は 僧 正 と な し も の も あ ら し が。 之 れ は 全 く 一 種 の 美 禰 た る に 止 り、 何 等 の 職 椹 も 秩 藤 を も 件 ひ 居 ら し に は あ ら ざ し。 之 れ を 見 て も 名 利 を 超 脱 せ し 筈 の 僧 侶 が、 却 て 名 利 に 囚 は れ 花 る 消 息 を も 窺 ひ 知 る べ し。 高 野 山 史 の 研 究 九 七

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高 野 山 史 の 研 究 九 八

位 階 と は 僧 侶 に し て 學 徳 共 に 勝 れ 花 る も の に 授 け ら る ふ 信 位 な ら。 其 制 度 は 時 代 の 推 移 と 倶 に 幾 干 の 改 攣 あ り し も、 後 世 に 至 る ま で 行 は れ し は、 乃 ち 法 印 ・ 法 眼 ・法 橋 の 三 階 な ら。 是 れ は 宛 も 僧 綱 の 信 正 僧 都 ・ 律 師 に 相 當 す る 位 次 な る も。 時 と し て は 僧 綱 巳 外 の も の に る 授 け ら る、 よ ら、 之 れ を 散 位 僧 綱 と も 禰 せ ら る。 奈 良 朝 の 頃、 師 位 と 幕 す る も の あ ら。 天 卒 十 九 二 四 〇 七 ) 年 二 月 勘 録 の 法 隆 寺 ・ 大 安 寺 資 財 帳 に、 大 信 都 法 師 行 信 並 に 五 佐 官 押 署 せ る が。 其 内 の 勝 幅 ・永 俊 ・恵 徹 の 三 佐 官 は、 何 れ も 皆 師 位 と 肩 書 す。 績 日 本 紀 巻 第 十 七 ・ 天 卒 勝 寳 元 ( 一 四〇 九 ) 年 五 月 癸 卯 の 所 に 於 て も、 私 度 の 一 沙 彌 に 法 名 慮 寳 入 師 位 を 授 け。 同 巻 第 二 十 二 ・ 天 卒 寳 字 三 へ 一 四 一 九 ) 年 五 月 甲 戌 の 勅 書 に も、 百 官 の 五 位 已 上、 縞 徒 の 師 位 已 上 よ ら 眞 言 を 上 ら し め 花 ら。 是 等 は 恐 ら く 僧 位 の 始 め な ら ん。 次 で 同 巻 第 二 十 三 ・ 天 卒 寳 字 四 年 七 キ ン 月 庚 戌 に、 大 僧 都 良 辮 ・少 僧 都 慈 訓 ・ 律 師 法 進 等 上 奏 し て、 四 位 十 三 階 を 設 け ん こ と を 請 ふ。 所 謂 四 位 と は 大 法 師 ・ 傳 燈 し 修 行 ・ 諦 持 の 四 位 の 事 に し て。 傳 燈 已 下 に 各 四 級 を 分 置 し て 十 三 階 と な し、 三 色 師 位 並 に 大 法 師 位 は 勅 授、 籐 は 奏 授 と せ ん と す る に あ り 花 ら。 彷 て 修 行 位 と 諦 持 位 と は 改 め て 唯 一 色 と し、 鯨 は 請 の 如 く 聴 さ る。 延 暦 十 七 ( 一 四 五 三 ) 年 九 月、 治 部 省 解 を 以 て 僧 位 と 俗 位 と の 相 當 を 示 し

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に 配 當 せ ら。 三 代 實 鎌 巻 第 八 ・ 貞 槻 六 ( 一 五 二 四 ) 年 二 月 十 六 日 癸 酉 の 庭 に は、 更 に 法 橋 上 人 位 等 の 位 階 を 制 定 し、 始 め て 之 れ を 十 六 人 の 僧 綱 に 授 け ら る。 大 政 官 符 定 二信 綱 位 階 二事 ル ニ 藤 蔓 旧 ク ズ ニ ス ル

二憐。

勅、

レ載

制、

二、

・法

也。

シ ツ コ ス ル ニ ヲ 一プ ヲ ン 一プ 凡 俗 同 授 二此 階 二、 位 號 不 レ分、 曾 卑 無 レ別。 論 二 之 物 情、 實 不 レ可 レ然。 彷 彼 三 階 之 外, 更 制 二 法 橋 上 人 ノ ヲ 位 ・ 法 眼 和 尚 位 ・ 法 印 大 和 爾 位 等 三 階、 以 爲 二 律 師 已 上 之 位 二。 宣 下法 印 大 和 術 爲 二 僧 正 階 一、 法 眼 和 術 ヲ ノ ヲ ノ

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高 野 山 史 の 研 究 九 九

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高 野 山 史 の 研 究 一 〇 〇 前 章 に も 記 せ る 如 く、 癒 徳 三 二 七 四 六 ) 年 十 一 月 二 十 一 日、 僧 綱 の 員 数 を 定 め し 節 は、 僧 正 三 人。 大 僧 都 五 人 ・ 少 僧 都 八 人 ・ 律 師 十 四 人 の 外 に、 法 師 四 人 ・ 法 眼 五 人 ・ 法 橋 十 八 人 と し。 僧 正 に 非 す し て 法 ひ ら ロ 印 淀 る 者 は 卒 法 印 と 禰 し、 法 橋 を 経 す し て 直 ち に 法 眼 に 叙 せ ら る、 を 直 叙 法 眼 と 名 け、 繹 門 中 尤 も 異 も く ゑ や や う じ 彩 に 富 め る 光 榮 と 爲 せ し が。 後 に は 木 佛 師 ・檜 佛 師 ・ 経 師 ・肚 僧 ・連 歌 師 ・ 狂 歌 師 の 類 に 至 る 迄 も 途 に ぢ や う

は、

ぐ。

や ま し な れ る 賞 と し て、 治 安 二 ( 一 六 八 二 ) 年 七 月 十 四 日、 法 橋 に 叙 せ ら れ、 山 階 寺 の 佛 像 を 造 れ る 賞 と し て 永 承 三 二 七。 入 ) 年 三 月 法 眼 に 輻 せ し が 如 き。 又 大 佛 師 長 勢 は 先 に 法 橋 並 に 法 眼 な り し が、 承 暦 元 二 七 三 七 ) 年 十 二 月、 法 勝 寺 講 堂 ・阿 彌 陀 堂 安 置 の 佛 像 を 造 立 せ る 賞 と し て、 法 印 に 叙 せ ら れ 淀 る が 如 き 部 ち 是 れ な ら。 (法 勝 寺 阿 彌 随 供 養 記 等 ) 次 に 絶 佛 師 と し て は、 治 暦 四 ( 一 七 二 八 ) 年 三 月、 敷 輝 が 法 橋 に。 経 師 と し て は、 大 治 三 ( 一 七 入 入 ) 年 十 月、 尋 意 が 八 幡 宮 一 切 経 書 寓 の 賞 と し て、 法 橋 に 叙 せ ら れ だ る の 類 是 れ な ら。 之 れ を 要 す る に 此 等 佛 師 ・ 経 師 等 も、 亦 僧 侶 に 準 じ て 斯 る 僧 位 を 授 け ら れ た る 趣 旨 は、 是 れ 恐 ら く 佛 道 を 扶 翼 せ る 功 績 を 認 め た る が 爲 め な ら ん。 而 し て 後 世 讐 師 ・ 連 歌 師 ・ 狂 歌 師 等 に も 之 れ を 授 け し 所 以 は、 蓋 し 文 事 を 以 て 讃 佛 乗 の 因 ・轄 法 輪 の 縁 と も な る と 見 微 せ し に 由 る か。

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此 時 被 レ 定 二 學 侶 位 階 テ 五 等 一了。 所 謂 検 狡 山 籠 ・ 入 寺 ・ 三 昧 ・ 大 法 師 也。

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一、

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一也。

と 書 七。 次 に 法 橋 の 永 宣 旨 を 賜 は ら た る は、 承 元 四 ( 一 八 七〇 ) 年 十 一 月、 第 三 十 六 代 槍 校 法 橋 畳 基 の 代 な ら。 槍 校 次 第 に

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ノ 槍 狡 一之 由 亀、 二 品 法 親 王 依 γ被 レ経 二奏 聞 一、 被 レ下 一法 橋 上 人 位 承 宣 旨 一 畢。 依 乏 畳 基 以 後 者 高 野 槍 校 皆 帯 法 橋 一云 々。 と 云 ひ。 高 野 春 秋 第 七 ・ 承 元 四 年 庚 午 の 下 に も、 冬 十 一 月 十 入 日、 於 二後 鳥 朋 仙 院 一 奉 二爲 天 災 御 所 一、 豊 基 槍 校 勤 二 行 孔 雀 経 御 修 法 一。 大 阿 閣 梨 後 高 御 二 品 親 王 道 法

冒道 尊 大 偲 正

等。

如 二 常 格 司 検 狡 雄 二 山 内 不 出 之 法 公 藷 故 不 二制 限 二 十 五 日 結 願。 今 般 爲 二悉 地 勧 賞 一、 高 野 山 槍 校 永 代 被 レ下 二法 橋 上 人 位 宣 旨 一、 是 依 二後 高 御 之 御 執 奏 一也。 考。 自 一九 月 一彗 星 出 現、 長 三 丈 飴、 箆 基 新 二 天 憂 一得 二 敷 験。 但 日 月 蝕 等 之 所 以 レ 曇 爲 レ 功 也。

ら。

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高 野 山 史 の 研 究 一〇 一

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