「ひきこもり」に対する支援の方法を探る 生活困窮者自立支援制度では他機関と連携をする前段階においてどのような関わりが必要か
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(2) 社会臨床雑誌 第 28 巻第 1 号(2020 年 10 月). イン』では、「ひきこもり」は、次のように定義されている。 「様々な要因の結果として社会参加 (義務教育を含む就学、非常勤職を含む就労、家庭外での交友 など)を回避し、原則的には 6 ヶ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態(他者と交わら ない形での外出をしてもよい)を指す現象概念である。なお、『引きこもり』は原則として統合失調症 の陽性あるいは陰性症状に基づくひきこもり状態とは一線を画した非精神病性の現象とするが、実際に は確定診断がなされる前の統合失調症が含まれる可能性が低くないことに留意すべきである」(厚生労 働省 2010;下線は筆者) 特に深刻なのは、一度「ひきこもり」になると、そこから脱することが難しい点である。ひきこもりになっ てからの期間は、「3 ~ 5 年の者の割合が約 21% と最も高く、7 年以上の者が約 40.3%、15 年以上の者 が 23.3%」(内閣府 2019)となっている。この数字は、いかに「ひきこもり」を脱するのが難しいかという ことを裏付けている。 石川良子が指摘するように、当事者がもしその状態から抜け出したいと思ったときにすぐ抜け出せるのな らば、あえて介入する必要はない(石川 2007:58)。しかし、独力でひきこもり状態から脱することは、 一般に非常に難しい。現在、筆者自身が毎月定期的に面談をしている当事者の数は 10 人ほどであるが、 その限られた数の中でも「抜け出すことがいかに難しいか」という実例をいくつも挙げることができる。 井出草平『ひきこもりの社会学』によると、朝日新聞記者の塩倉裕は、ひきこもりについて「対人関係と 社会活動からの撤退が本人の意図を超えて続いている状態であり、家族とのみ対人関係を保持している場 合を含む」(井出 2007:37;下線は筆者)と説明しているが、この「本人の意図を超えて」という部分は 重要な指摘である。 なぜ、当事者の社会参加が難しいのかということは後述するとして、社会参加できないことにはそれ相応 の理由があり、それに対し、精神・医療・福祉のどの分野でも特効薬を持っていない。だからこそ、「本人 の意図を超えて」続く「ひきこもり」を支援することは難しいのである。 2.混沌の物語 斎藤環は、「ひきこもり」の特性を「それが広い意味で『生き方』の問題に結びついてしまう」(斎藤 2012a:2)と表現している。世間では、「ひきこもり」は「病気」や「悪い状態」であり、「服薬」や「無 理をして働く」ことで改善できるというイメージを持っている人が少なくない。そのため、社会では例えば、 以下のようなストーリーが一般的には理解されやすいと言える。 【支援者が介入→課題の整理→就職活動→就労/社会復帰】 このような回復へ向かうプロセスはわかりやすい。そして、このようなプロセスは、アーサー・W・フラン クが、病との身体(自己)との関係について述べている 「回復の物語」に当てはめることができる(フラン ク 1995=2002)。 ひきこもり支援においても、多くの人が期待するのはこの「回復の物語」 であると言うことができる。 それは、 「昨日私は健康であった。今日私は病気である。しかし明日には再び健康になるだろう」という基本的な プロットパターンを持つものである。 しかしフランクは、「回復の物語」ではなく、「混沌の物語」が存在するということも述べている。例えば余 -5-.
(3) 社会臨床雑誌 第 28 巻第 1 号(2020 年 10 月). 命 1 ヶ月と判断された場合、多くの人は「回復の物語」では心の葛藤をおさめることができないことを知る。 それは、将来に「回復 ¬」をイメージできなくなると、現在の生活の中にも希望を見出すことが困難になる からである。心の中は「混沌」とし、絶望感に苛まれる。「混沌の物語」とは、物語としての一貫性を見出 すことができない物語である。 ひきこもり当事者も、 「混沌の物語」を生きている場合が多いと筆者は主張したい。例えば、筆者が関わっ て就労支援をした A さんは、現在は就労しているが、ひきこもっている数年間は、 「考えることを辞めていた」 と話している。辛い過去を振り返ることも、希望の見出せない未来を考えることもできなくなり、通常は過 去から未来へ向かう時間軸が上手く機能しなくなってしまった 1。その結果、A さんは、今の生活も混沌とし てしまったのである。そして、 「ひきこもり」の期間が長くなればなるほど、 自分自身を語る言葉を少しずつ失っ ていくのである。 「本当の混沌を現に生きている人々は言葉によって語ることができない」(フランク 1995=2002:140) という言葉は、支援をする側にも多くの示唆を与えてくれる。 以下の図1を見ていただきたい。 [図1]ひきこもり支援図の一例(混沌の物語). 支援の中では、当事者が早い段階で「就職をしたい」と言うことは珍しいことではない。しかし、言葉と は裏腹に、実際にハローワークへ行ったり、会社へ応募したりする段階になると、何かと理由をつけて次の 段階へ進むのを回避することがよくある。支援者はその理由を信じて次の方法を考えるが、結果として同じ ことが繰り返される。 このような場合、当事者の言葉だけを追っていくと支援者も当事者の言葉が信じられなくなり、支援が行 き詰ってしまいがちである。では、なぜこのようなことが起きるのか。それは、当事者の心の中が「葛藤」 で満たされていて、その「葛藤」が次の段階へ進ませることにブレーキをかけているからだろうと筆者は推 測する。 例えば、当事者の心の中にあるアンビバレントな感情(「働きたい⇔働くのが恐い」などの正反対の感情) を言葉で的確に表現することができず、そうであるがゆえにモヤモヤとした「葛藤」が生まれている。そし て、本人も気がつかない傷つき体験に支えられた「葛藤」は、 [図1]の矢印のどのプロセスにも「混沌」 1 語 りに対しては、過去が現在へと導かれ、その現在が予見可能な未来を準備することを聴き手も語り手も慣習的に期待している。物語 が混沌とするのは、その現在が過去から導きだされると思われていたものとはくい違ってしまい、未来を考えることがほとんど不可能に なってしまうからである。. -6-.
(4) 社会臨床雑誌 第 28 巻第 1 号(2020 年 10 月). を引き起こし、前に進ませないように働くのである。 やっかいなのはこの「葛藤」が、支援者が介入して信頼関係を形成するときにも、課題の整理をすると きにも多くの場面で、強い力で「混沌」をもたらすことである。「混沌」がもたらす最大の特徴は、当事者 を前にも後ろにも進めなくさせることであり、この状態に留まり続けるのが苦しいことは容易に想像できる。 一方、支援者にとっても「混沌の物語」と接することは、強いストレスがかかることである。脳神経外科 医の林成之が「脳には『統一・一貫性』という癖がある」と著書の中で述べていることに筆者は着目している。 林は「脳は統一性、一貫性が保てなくなるような情報を避けようとする」(林 2009:26)という。自分の 価値観とは相容れない言動を繰り返す相手と接することは、脳の「統一・一貫性」が脅かされることになり、 大きなストレスがかかる。そのため、無意識にその相手と接することを避けようとするのである。これらのこ とが「ひきこもり」支援が難しいもう1つの理由である 2。 ちなみに、 [図1]で「葛藤」の後ろに「善意」が隠れていること見逃してはならない。ここでいう「善意」 とは、人間が本質的に持っている「善く生きたい」という気持ちである。ソクラテスは、「もっとも大切にし なくてはならないことは、生きることではなくて、善く生きることである」と述べた。この「善意(=善く生き たいという気持ち) 」に光を当てていくことで「葛藤」を背後に押しやっていくのという方法が、本稿で肝要 な点、すなわち「例外の物語の発見」となる。詳しくは以下で説明する。 Ⅲ.支援方法の探求について さて、いよいよ具体的な支援方法の探求に入る。本稿では、「他機関と連携をする前段階でどのような関 わりが必要か」という点に焦点を当てていくこととする。介入を始めてすぐに他機関と連携できる場合もある が、そう簡単には進まないことも多い。生活困窮者自立支援機関の窓口は、施行 3 年目を迎えた 2018 年 の時点で全国 902 の福祉事務所設置自治体に設置されている。このため、必然的に当事者と接する機会 が多くなる。 他機関と連携していく(例えば通院をしたり、親の成年後見制度を進めるために法律家などの訪問を受け 入れたり、障害者就労支援施設の見学をしたり等)ためには、当事者がまずそのことを望まなければならな い。そのため、同制度の相談支援員には、医師や保健師などとは異なる技術が求められる。それは、当事 者や家族と 「繋がることの技術」である。もちろん、全ての当事者と繋がれるようなマニュアルのようなもの はなく、全国の相談支援員が実践の中で多くの事例を積み上げていくしかない。 この章では、筆者が関わった実際の事例をもとに支援方法の探求を進めていく。ただし、個人情報保護 に留意し、同意がとれていないケースでは、本質的部分は変えぬ範囲で実際とは内容を変えたり、抽象化 したりして個人が特定されていないようにしている。 具体的な方法論の柱は2つある。1 つは当事者の「心を元気にすること」。もう 1 つは、「例外の物語を 厚くする」とされるナラティブ・アプローチの手法である。 1.心を元気にすること (1)出会いの場面と積極的な傾聴について 筆者が関わっている当事者が「働きたい⇔働くのが恐い」などという正反対の感情を抱きながら生活をし 2 ユ ング心理学でもまた違った角度からこのことを検証することができる。河合隼雄は、『ユング心理学入門』の中で、「われわれの意識 は一種の価値体系を持っており、その体系と相容れぬものは無意識下に抑圧しようとする傾向がある」(河合 2009:87)と述べている。 つまり、意識の中心である「自我」はある程度の統合性を持たねばならず、自我は自分自身を防衛する機能を持っている。その防衛機 能の一つとして、相容れない価値観を持つ人(例えば混沌の物語を生きる人)の語りを避けようとする方法がある。. -7-.
(5) 社会臨床雑誌 第 28 巻第 1 号(2020 年 10 月). ていることは既に述べた。この認知的不協和の状態(矛盾する認知を同時に抱えた状態)が長く続くことで、 当事者の精神状態は追い詰められていく。 斎藤環は、不登校に関して大事なことは「どうすれば子どもが元気になるか」という視点であると述べて いるが、ひきこもり支援についても、まずは、当事者の心を元気にすることが大切であると主張する(斎藤 2012b:34)。 では、なぜ心が元気ではない場合が多いのか。岸見一郎は「アドラーは人生には避けて通ることのでき ない課題がある、といいます。仕事の課題、交友の課題、愛の課題です」(岸見 1999:134)と述べてい るが、まさしくこの3つの課題こそが当事者を追い詰めるものであり、心から元気を奪う大きな要因である と筆者は推測する。 ひきこもり当事者との最初の対面は、当事者のみならず、支援者にとっても緊張する瞬間である。ここでは、 出会いの場面でどのように接するべきか検討する。 特に慎重な対応が必要になるのは、本人の同意が取れていない場合である。斎藤環は、「ひきこもって いるご本人を訪問するということは、かなり侵襲性の高い行為である」(斎藤 2014:272)と指摘している。 また、実際にひきこもった経験を持つ丸山康彦は、「不登校やひきこもりの時代に、家庭訪問して連れ出そ うとする支援者に出会わなくてよかった」(丸山 2014:39)と述べており、ひきこもっている時間が当事者 にとって必要な時間であることも多い。 したがって、その他の様々なリスクも勘案して、当事者と会う場合は、原則同意のもとで行われるべきで ある。しかし、どうしても会いに行くことが必要なケースもある。 筆者が関わった 40 代の男性(B さん)と 70 代の母親の世帯のケースでは、母親が半年以上、地域の 人に姿を見せなくなったことにより、地域の人から相談があった。B さんは、外には出てこないものの、夜 中に奇声を上げるなどしており、存在は確認されていた。筆者は地域の人と一緒に B さんの自宅を訪ねた。 結果的に、母親は体調が悪く寝たきりに近い状態になっていて、B さん自身もひきこもりの状態になってい た。最初に訪問したときは筆者を警戒していた B さん親子も、次第に訪問するのを楽しみに待ってくれるよ うになった。全く身なりを気にしなかった母親が化粧をしたり、着るものにも気を遣ったりするようになって いったことは印象的である。 後に、B さん親子に「なぜ誰にも助けを求めなかったのか」と尋ねると、「誰かが助けてくれるとは思い もよらなかった」と答えた。周囲の人を拒絶していたことは確かだが、公的な支援をも拒絶していたわけで はなかった。ただ相談する方法を知らなかっただけなのである。その後、何度か訪問を重ねるうちに B さ んの意欲が立ち上がり、B さんの目標に向けて、一緒に取り組むこととなった。 B さん親子のように、当初、地域や家族から聞いていた話に反して、当事者が「誰かの支援を待ってい たのではないか」と感じることがある。しかし、ただ会うだけではそのような関係性を築くことは難しい。 支援者の姿勢として、「積極的に、①自分自身の気持ちや思いを理解して、それをいったん取り出し、② 相手の枠組みに身をおいて、③相手の世界観をありのまま感じ、理解する」(キャリアカレッジジャパン編 3 2018:16; 下線は筆者 ) という積極的傾聴がまず大切なことである。. 筆者が関わったケースで、他者への暴力行為を疑われ、警察に拘留された男性(C さん)がいた。C さ んは、長期間働いておらず、関係者からの話を聞くと悪い話ばかりが聞こえてきた。筆者は、警察から釈放 される日に合わせて C さんと会うこととなった。面談した結果、C さんは働きたいという意欲を持っていたた め、一緒に就職活動を始めた。 3 積 極的傾聴は、「来談者中心療法」で有名なカール・ロジャースによって提唱された。来談者中心療法では、「徹底して聴くことにより、 相手の未知の部分を意識レベルに上げていく」ことを重要視している。ジークムント・フロイトは、自分の中で意識できている部分(顕 在意識)は全体のたった 10%程度で、残りの 90%は自分で意識できない潜在意識であると主張している。. -8-.
(6) 社会臨床雑誌 第 28 巻第 1 号(2020 年 10 月). そのうち、就職活動をした後に C さんが感じている周囲への不満を筆者が聞くということが毎回のパター ンになった。C さんの言うことは、一般的に言うと理解し難いことがあったかもしれないが、前述した「相手 の枠組みに身をおいて、相手の世界観をありのまま感じ、理解する」姿勢を続けているうちに、C さんの語 る内容は不満が削ぎ落とされていき、本来持っていたと思われる努力家の部分や優しい部分が前面に出る ようになった。 ひきこもり当事者は、自分を守るために攻撃的になったり、あるいは回避的になっていたりしている場合 が多いため、前述したような積極的傾聴の姿勢を持つことは大切である。そうして当事者が自分の気持ちを 安心して語れる機会を確保していくうちに、段々と心が元気になり、自己肯定感が高まっていく。 C さんが孤立していた要因の一つとして、C さんの語りは一般的には受け入れがたい内容を含んでいたた め、話を聞いてくれる人が自然といなくなってしまったということが推測される。Ⅱ-2で述べたように、人 間の脳には「統一・一貫性」の癖があり、自分の価値観とは相容れない話を避ける傾向にある。しかし、 「相 手の枠組みに身をおいて」話を聞いてみると、C さんの話には大切なことがたくさん含まれていた。C さん が理解をしてくれる人に語り続けることで、普段は見えにくかった大切なことが(Ⅱ―2でいう「善意=善く 生きたいという気持ち」)前面に出てきたのである。 ちなみに、C さんは数ヶ月で一般企業へ就職し、社会復帰をしている。 (2)自分を無条件に支持してくれる人との出会いについて B さんと C さんの事例で興味味深いのは、2 人とも支援開始前は家族以外の人とは全く関係性がなかっ たにも関わらず、支援を積極的に受け入れてくれたことである。そして、会う度に自分の想いをたくさん話し てくれた。このようなことは、B さんや C さんに限ったことではない。 斎藤環は、「ひきこもりに対しては、人間関係そのものが治療的な意味を持つ」(斎藤 2012b:17 ; 下線 は筆者)と述べている。また、コフート理論を繙きながら「最も望ましい発達は、青年期や成人期を通じて 支持的な対象が持続することです。特に青年期において、自分を無条件に支持してくれる人が一人でもいる ことが重要とされています」(斎藤 2012b:108; 下線は筆者)とも述べている。これらは、ひきこもり支援 をする上でとても重要である。ちなみに、斎藤環は同著の中で、コフートは人間の一生を「自己愛の成熟 の過程」であると捉えていたと述べている。自己愛は、自己の発達を促す根源的なエネルギーであり、そ の自己愛を育むのは他者への愛である。そのため、もし自己愛が枯渇してしまったら、他人をも愛せなくなっ てしまうだろうと斎藤環は説明している。 筆者は児童養護施設で児童指導員として 10 年間働いた経験があることから、当初「ひきこもり」につい て親との「愛着」の問題を結びつけて考える傾向があった。しかし、必ずしも親子関係が不調であるとは限 らないし、たとえ「愛着」に課題があったとしても親が当事者に対する見方を変えることは容易ではない。 しかし、支援者が当事者にとって 「無条件に支持してくれる人」になることは可能である。そのことが、B さんや C さんのように大きな変化をもたらすきっかけとなるのである。 「ひきこもり」は、人間関係に傷つくこと(つまり自己価値が傷つくこと)を避けての防衛手段であると推 測することができる。ところが、そういった心の傷つきを回復するのもまた人間関係なのである。同制度は 治療を行なう機関ではない。しかし、治療が必要であるにも関わらず医療機関にも繋げない状態のとき、ま ずは支援者自身が当事者にとって「自分を無条件に支持してくれる人」になるように努力するのは意味のあ ることである。 (3)楽しいことについて 筆者がひきこもり支援をするにあたって、最初の段階で一番考えていることは 「楽しい時間を一緒に過ご -9-.
(7) 社会臨床雑誌 第 28 巻第 1 号(2020 年 10 月). す」ことである。 ところが、 これは案外難しいことである。何故なら、 「ひきこもり」には「欲望の欠如を生み出す」 (井出 2007:85)傾向があるからである。 一般に「ひきこもり」の期間が長くなればなるほどその傾向が強くなる。筆者が関わっている D さん(40 代男性)は、30 年ほどひきこもっていた。家族との会話も少なく、家でしていることと言えばテレビを見る ことくらいだったが、何の番組を見ているか聞くと答えることができなかった。D さんのように、「楽しい」と いう感情をほとんど持たないひきこもり当事者は多い。しかし、 「楽しいこと」を一緒に探していく過程は、 「心 を元気にする」ための有効な手段である。 近所の人たちに迷惑行為を繰り返していた E さん(20 代男性)とのエピソードはまさに象徴的である。 E さんは、当初、全く相談ニーズを持っていなかったのでまずは繋がることに困難があり、時間を要した。E さんは相談ニーズを持っていなかったが、強烈な迷惑行為を繰り返していたため、地域の住民は強い相談 ニーズを持っていた。 筆者はまず「相手の枠組みに身をおいて、相手の世界観をありのまま感じ、理解する」ことを心がけ、 次第に E さんにとって「自分を無条件に支持してくれる人」になることによって関係を築いた。その結果、 時間はかかったが、一緒に精神科を受診したり、ボランティア活動を一緒に行なったりもするようになった。 ところが、E さんが持つ人間関係への強い不安は、病院やボランティアに繋がり続けることを許さなかった。 そして、介入から半年以上経っても迷惑行為は止むどころか、エスカレートしていくばかりであった。 そんな中、迷惑行為が止まるきっかけとなったのは、「楽しいこと」だった。筆者は、E さんの家で関係 機関の支援者や親戚を招待して、あるささやかなパーティーを企画・実施した。そのパーティーは大いに盛 り上がった。これは、E さんやこれまで E さんを支え続けた両親、そして、支援者にとっても楽しい時間であり、 E さんとの関係性が深まる機会にもなった。 これを機会に、E さんの迷惑行為は劇的に減ることになる。「人に迷惑をかけてはいけない」という説得 よりも、「楽しい時間を共有すること」で、E さんに変化が起きたのである。もちろんそれで全て解決とはな らない。その後も色々なことがある。しかし、「楽しいこと」がEさんと私を今でも繋いでくれている。 また家庭訪問ばかりでなく、毎月、多くの当事者が定期的に面談に来てくれている。彼(彼女)らが当機 関の面談に通ってくれるのは、面談の中で何か高尚なことを得られるからではなく、面談が楽しい時間になっ ているからである。面談は、話し合いばかりではない。例えば、手品をしたこともあるし、天気が良ければ 一緒に歩いて散歩に行ったり、キャッチボールをしたりすることもある。筆者は、社会福祉士ではあるが当 事者にとって必要な治療や就職活動などの専門的な知識を持っていない。しかし、「楽しい時間」を過ごし て心が元気になったら、病院やハローワーク、或いは障害年金などの専門的な技術を持っている機関に繋 いでいくことができる場合がある。 筆者は当事者同士の交流も大切だと考えているが、当事者会に参加すること自体が困難な当事者も多い。 しかし、前述したような関わりを続けていくうちに、少しずつ人と関わりたいという欲求が大きくなり、当事 者会に繋がっていく様子を何度も目にしている。逆に言えば、そのような前段階での相談支援がなければ、 たとえ本人が当事者会への参加を希望したとしても、実際に参加できる当事者は限られた人だけになってし まうのである。 当事者が楽しいと感じられること、楽しみにできることをあの手この手を使いながら実施していくことが、 生活困窮者自立相談支援機関で相談支援員ができる最も大切な手段のひとつであると筆者は主張したい。 2.例外の物語を分厚くすること (1)例外の物語 荒井浩道は、「ナラティブ・セラピーでは、わたしたちの人生・生活は複数の物語から成り立っていると -10-.
(8) 社会臨床雑誌 第 28 巻第 1 号(2020 年 10 月). 考え、その物語の『権力の作用』に注目します。わたしたちの人生・生活は同じ一つの経験であっても、 異なった意味づけをすることで、複数の物語が存在する可能性があると考えます。そして、その物語の間に は、力の差があり、より力の強い『こだわっている物語』の影に隠れた、力の弱い『もう一つの物語』に 力を当てます」 (荒井 2014:34; 下線は筆者)と述べている。荒井は、この「もう一つの物語」に光を当 てることを「例外の物語の発見」(荒井 2014:49)と呼んでいる。ひきこもり支援を行なう上で、「例外の 物語の発見」はとても重要なことである。 (2)「混沌の物語」から「探求の物語」へ 野口裕二は、物語はいったんできあがると、人生を制約する作用を持っていると説明する。その人が持つ 「支配的な物語」を下敷きにして、人生は組み立てられていく。つまり、「こだわっている物語」の支配下 におかれるのである(野口 2002:46)。 C さんや E さんは、当機関で介入を始める前は、まさに「こだわっている物語」の支配下におかれていた と言っても過言ではない。しかし、支援を進めるにあたって、本人自身が「例外の物語」を発見し、元々持っ ていた良い部分が前面に出るようになった。 ここで F さんの事例を紹介する。F さんは、「ひきこもり」ではない。しかし、本研究に協力してくれてい ることと、本質的にはひきこもり当事者と同じ葛藤を抱えていることから紹介をすることにする。 F さんは日々、人とのトラブルを抱えながら生きている。積極的に色々な機関に出向くことはできるが(結 果的にトラブルになるのだが) 、私的な結びつきはほとんど持っていない。筆者は、F さんと定期的に面談 を行なっている。その中でまず始めたのは、問題の「外在化」 である。トラブルを起こす人格に名前をつけた。 ここではその人格を仮に「X さん」と呼ぶ。筆者と F さんは、「X さん」との関わり方を一緒に研究するよう になった。「X さん」と名前をつけたことにより、F さんの課題と良いところが明確に認識できるようになった。 本人の課題について話すことはプレッシャーが大きすぎてできないが、X さんについてなら積極的に話すこ とができたのである。 F さんが「X さん」との付き合い方が上手くなってくると、F さんの周りの人がいかに F さんを大切に思っ ているかということをあの手この手で伝えるようにした。そうしていくうちに、F さんが豊かな人間性を持って いることが浮かび上がってきた。F さんは、安心できる場所では、とても優しく、人に気を遣う性格なのであ る。例外の物語を見つける工夫をし、出てきた物語に光を当て続けたことにより、安心できる場所限定であ るにせよ今までとは違う物語を生きるようになったのである。 「例外の物語」に光を当てるためには、まずは当事者の語りの中から「例外の物語」を発見しなければ ならない。河合隼雄は、 「自我はその存在をそのまま続行しようとする傾向と、 自らを変革しようとする傾向と、 相反するものをもっている」(河合 1971:23; 下線は筆者)と述べている。ひきこもり当事者も「このまま ひきこもりを続ける方が安心だ」という気持ちと、「社会参加した方が良いのではないか」というこれとは相 反する気持ちとの双方を持っている傾向がある。しかし、 「社会参加した方が良いのではないか」という「例 外の物語」は、「このままひきこもりを続ける方が安心だ」という「こだわっている物語」に押され、心の奥 底に閉じ込められている。 それは、これ以上傷つくことを恐れるが故である。「例外の物語」は、当事者自身や家族が発見すること は容易ではない。だからこそ、他者(支援者)の介入を必要とする場合があるのである。「例外の物語」を 発見したら、支援者は当事者の話に真摯に耳を傾ける必要がある。それが実現不可能なことだったり、倫 理的に許されないことだったりしても真摯に耳を傾けなければならない。最初のうち、「例外の物語」の発 露は、ほんの一瞬である。 「例外の物語」を分厚くしていくことは、葛藤を受け入れ、新たな意味を探求していく物語を編むことで -11-.
(9) 社会臨床雑誌 第 28 巻第 1 号(2020 年 10 月). ある。先のアーサー・W・フランクは、このような物語を「探求の物語」と呼んだ。そして「混沌の物語」 から「探求の物語」へと変わっていく過程に、誰かが寄り添うことは重要なことだと主張している(フランク 1995=2002:第 6 章)。 Ⅳ.まとめ 本稿では、生活困窮者自立支援制度における「ひきこもり」に対する具体的な支援の方法を検証した。 その方法として、まず、ひきこもり当事者の「心を元気にすること」、そして、「こだわっている物語」に隠れ ている「例外の物語を分厚くすること」が当事者の持つ「混沌の物語」を抜け出す第一歩になると主張した。 しかし、この主張は以下の2点からまだ十分なものではないとされるのかもしれない。 1.同制度は施行後4年しか経っていないため、経験の蓄積が不十分である。また、年数が経過する につて、自治体間での支援の取り組みに差が出てきている。 2.当事者や当事者を取り巻く状況、また支援者自身の性格や経験も多様であり、支援の方法に普遍 性を持たせること自体が、そもそも困難である。 1については、全国の相談支援員の経験の蓄積をまとめながら、制度の成熟を待つ必要がある。2につ いては、たとえ支援の方法に普遍性を持たせることが困難であっても、支援方法の探求には意味がある。 不十分な方法であったとしても、その方法を全国の相談支援員が共有して実践に生かし、さらにその結果を 各々がフィードバックしていくことで、多くの地域で積極的なひきこもり支援が行われていくことに繋がると考 えられる。制度や連携体制を整備していくことは間違いなく大切なことであるが、当事者と信頼関係を築い ていくことが一人の相談支援員の人間力によって(つまり、当事者と相談支援員の人間関係によって)なさ れていくことを注視する必要がある。 本稿で主張したことは、課題を解決する上で十分なものではない。しかし、現場で当事者と向き合ってい る全国の相談員支援員が、その経験を狭い範囲での共有にとどめず、より多くの人の間で共有し、支援方 法を探求していくことには一定の意義があろう。 (やまぶき・けんじ 某市生活困窮者自立相談支援機関) 引用文献 荒井浩道(2014)『ナラティヴ・ソーシャルワーク―〈支援〉しない支援の方法』新泉社 フランク .A.W、鈴木智之訳(1995=2002)『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』ゆみる出版 ( 原 書 Arthur W. Frank.,1995, The Wounded Storyteller., The University of Chicago Press.) 林成之(2009)『脳に悪い 7 つの習慣』幻冬舎 井出草平(2007)『ひきこもりの社会学』世界思想社 石川良子(2007)『ひきこもりの<ゴール>―「就労」でもなく「対人関係」でもなく』青弓社 河合隼雄(1971)『コンプレックス』岩波書店 河合隼雄(2009)『ユング心理学入門』岩波書店 岸見一郎(1999)『アドラー心理学入門』KK ベストセラーズ 厚生労働省(2010)『ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン』 キャリアカレッジジャパン編 (2018)『上級心理カウンセラー1』 丸山康彦(2014)『不登校・ひきこもりが終わるとき―体験者が当事者と家族に語る、理解と対応の道し -12-.
(10) 社会臨床雑誌 第 28 巻第 1 号(2020 年 10 月). るべ』ライフサポート社 内閣府(2019)『生活に関する調査報告書』 野口裕二(2002)『物語としてのケア―ナラティヴ・アプローチの世界へ』医学書院 斎藤環(2012a)『ひきこもりのライフプラン―「親亡き後」をどうするか』岩波書店 斎藤環(2012b)『ひきこもりはなぜ「治る」のか?―精神分析的アプローチ』中央法規 (2007) →筑摩 書房 斎藤環(2014)『「ひきこもり」救出マニュアル実践編』PHP 研究所 (2002) →筑摩書房 社会保障審議会(2017)『社会保障審議会生活困窮者自立支援及び生活保護部会報告書』. -13-.
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