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憲法改正の限界について(開學記念)

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● 駈 憲法改正の限界について     ● 一 一七八 焔

憲法改正の限界について

闘、は し が き  周く知られているように、日本國憲法は、明治二十二年に制定された所謂明治憲法第七三條の改正手績によって成立し 江。この憲法成立の過程について、今日我國に於て、注目すべき二つの立場が封吊している。即ち、その一の立場は、日 本國憲法が明治憲法に基き合法的に成立したと解するものであり、他の立場は、か、る合法的蓮績性を認めす、從て日本 國憲法が革命に基いて成立し江と解するものである。  前の立場の代表者としては、佐々木博士がある。博士によれば、﹁凡そ法が現に存する法によりて定められた行動でな く、法外の實戯評の行動により成立せしめ.られうとき、その行動は革命であり、その法は革命により成立する、という﹂ のであるが、﹁日本國憲法の成立は、帝國憲法によりて定められていた行動の結果である﹂から﹁日本國憲法は革命によ り成立したのではない﹂と断定され、更に語をついで﹁このことは、法の規定する内容如何の問題ではないから、日本國 憲法が内容上、帝國憲法を全面的に攣更するものであっても、その故に、その攣更を目して革命といい、その憲法を目し て革命による憲法といい得ないことには、諮りはない﹂とされ︻日本國憲法は天皇の制定したもう江もの﹂であるから 7

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凶 メ        コ ﹁日本國憲法は欽定憲法である﹂とされる・  これに封し、後の立場の代表者としては、宮澤教授があろ。教授は先ず﹁新憲法は、形式的に見れば、あくまでも明治 憲法第七三條による改正である。しかし、それを内容的に見れば、そう簡軍に論ずることはできない﹂と前提され、次で ﹁明治憲法の根本建前たる原理−1天皇が赫勅にもとづいて統治樺を細擁するという原理︵これを國体と呼ん.π︶一1は 第七三條の手績をもつてしても改正できない﹂という見地を是認されて﹁新憲法をもつて明治憲法第七三條による改正だ と考えることはできない。⋮⋮それは形式上は明治憲法第ヒ三條による改正ではあろが、實直上はそれを超えた改正であ る。とすれば新憲法の根慷を、明治憲法第ヒ三章に求めることはできない﹂と発墨され、結局、日本國憲法は降伏によつ       、       ニ  てもたらされた憲法的攣革、即ち教授の所謂ハ同革命を根嬢として成立したものと解される。  以上の如く双方の立場を並べてみると、その相違が明白に知られるのであるが、その相違の根抵には、明治憲法第七三 條による憲法改正には限界があるか否か?という問題に封ずる見解の相違が横たわっていると言える。       弓  尤も、明治憲法第七三條による憲法改正には限界がない、という見解をとるとしても、日本國憲法を以て欽定憲法とす る結論に到蓬するとは限らないと思う。H本島憲法の前文には、﹁日本國民は・⋮⋮こ、に主星が國民に存することを宣言 し、この憲法を確定する﹂とあって、民定憲法たる建前が明らかにされている。憲法審議の際、政府側はこ、に謂う﹁確       へ三ノ 定﹂とは﹁制定﹂と異ると畏縮し、﹁天皇の制定﹂と﹁常民の確定﹂を面立せしめる解繹を試みたが、これは承認され難 い。國無毒の原品立つ以土、争議外に憲法を制定し得るものはない筈であるから、憲法は明らか議定憲法の建前 をとったと解せられる恥きであるのそして正しく、欽定憲法の規定する憲法改正手纏を以て、民定憲法の建前をとる憲法 をさえも生み出す事が出坐るという勲に、憲法改正の無限界性が最も露骨に現れると言えるであろう。  之に反し、明治憲法第七三條による憲法改正には限界があり、所謂國体規定は里下出來ないと解すれば、必然的に宮澤    憲法改正の限界について   ﹁       一七九

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      !    憲法改正の限界について   。       一八O 教授の八月革命説に到達するであろう。然しはたして憲法改正に限界を認める事が正しいであろうか。 ︵註︶一馳佐々木惣一・日本國憲法論一二三頁。   二、宮澤俊義・憲法大意六日半以下、同﹁八月革A叩の憲洪史的意味﹂、世界交化、昭和二一年五月號。   一﹃岡田亥之三朗編・日本國憲法審議要錐六三頁以下・一.一四頁 ● 篤

二、從來の學設の展望及びその批判

 明治憲法第ヒ三婆の憲法改正手綾による憲法改正に限界ありゃ否や、の問題に亡して、從來我が憲法學界に幾多の研究 があるが、それ等を包含しながら與に問題を一般化して、精緻な考察を試みられたものに、清宮教授の論稿﹁憲法改正作      つ 用﹂がある。これによれば、この問題に封ずる從來の内外の學設は、三種に大別される。  第一の立場は﹁憲法改正作用は⋮律無制限に實定法上の作用となり得るとする設﹂で代表者としては﹀ロ鴇ンロ冒が墨げ られる。この立場によれば、憲法改正樺は、封象的、に無制限で、如何なる事項をもその内容と凝すことができるのであっ て、それに何等かの限界を劃.することは法的には不必要であり、且つ不可能である、と考えられる。  第二の立場は﹁憲法改杷作用はすべて超實定法的作用であるとする読﹂で代表者としては黒く巴8ヴ切目。退会aけが墾げ られる。この立場によれば、普通の法律以下の國法は法的には憲法から誘導せられ、その制定叉は改正は憲法によって基 礎づけられるのに封し、國家の最上級の法としての憲法はそれ以上の法によって誘導せられ得ないもので、憲法が改正出 塁るか否か、出興るとした場合にその手績如何ということは、法の原則によって決し得られる問題ではなく、從て、憲法 の改正は法界的立場からしてはいつも革命的現象であり、この現象は法款序の支配のもとに経起せすして法秩序の外で行 われるのであるから、憲法改卍作用はすべて軍なる政治的または就魯的作用であって、法的作用ではあり得ないと考えら ・

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‘ 欄 れる。  第三の立場は﹁憲法改正作用に匠別・限界を設ける論﹂で、これに厨するものとしては、立論の本旨を異にする種々の 學論があり、正確な意味の代表的學論を紡げる事は困難であちが、例えばO飴二ωoずヨ凶詳が憲法の規定中、﹁政治的統一 体の種類及び形式についての綜合決定﹂たる實定的意味の憲法︵<o臥㊤ωω口=笛一三08ξ<oコQ◎冒ロ①︶と、これに基いて成り 立つ憲法律︵<①﹃隔帥のωロ一P箔ω頴Oω09︶とを庭越し、憲法改正手績によって改正し得るのは後者のみに限られる、と主張する 如き、この立場の典型的なものとされる。  このような從來の學説を詳細に轟音された上で、清宮教授は﹁憲法と指稔せられる國法の一体系を形成する各個の法規 範は、すべて同一の法的意義を有つものでなく、憲法の内部でさらに体系的意義を異にする法規範を分つ必要がある﹂と され、根本規鱗、憲法改正規範、普通の憲法規範の三種を涯別して﹁根本規範改正作用は法的には問題になり得ない﹂﹁憲 法改正規範の改正は超法的問題ではないが、改正手績規定を超えている﹂とされ、結局、憲法改正作用の封旅たり得るの は、普通の憲法規範のみであると結論された。これは明らかに前述の第三の立場に包含される。  清宮教授が明確に分析された三種の立場のうち、第二のブルクハルトの如き立場は、一切の合法的憲法改正の行われ る芝地を否定し、憲法改正手績を定めた規定に何等の法的意義を認めない貼で極端に過ぎ、到底承認され難い。そこで問 題は第一と第三の立場であるが、明治憲法第七三條の貰下としては、第三の立場に包含される學論の方が堅倒的に多かつ     噸 た。  先ず明治憲法起草警備の見解を示す﹁憲法義解﹂は第七三條の項の塁審の所で﹁國体の大綱は萬世に亘り永遠恒久にし て移動すべからすと難、政制の節目は世運と倶に事宜を酌量して之を攣通するは亦已むべからざるの必要たらすむばあら       ︵二︶ す﹂として、既に改正の限界を明示し、東京大學の憲法講座の最初の豊麗者欝積八束博士も﹁國体の根本は典範及憲法の    憲法改正の限界について      一八一

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    憲法改正の限界について      一八二 .能く左右し得へき所に塾す、主樫は憲法に由りて成立せす、何ぞ憲法を以て之を移動することを得ん。⋮⋮猫、政体は國  体を移動することなくして攣遜す。⋮⋮藪に典範及憲法の條項の改正を謂うは此の政体の末に係るものたるは言はすして                 明かなり﹂とされた。同様の考え方は清水!博士、等多くの墨者によって踏襲されたが、所謂天皇機關詮を主張して穗積  博士、清水博士等とするどく孝志された美濃部博士も、前記憲洪義解の所論を引用して憲法第一條は改正し得ないものと      ハな   論ぜられた。更にへ比較的近い時代に於ては、前記清宮財投の論文に指摘されてある如虹、山崎、中村、尾高、黒田諸敦       ︵六︶  授が皆改正の限界を認められた・   宮澤教授も亦その名薯﹁憲法略説﹂に於て所謂世論に關する規定は明治憲法第ヒ三條により改正し得ないとする立場を     ︵七︶  とられた。この様に上記の第三の立場をとる學者が極めて多い中にあって、明治憲法の解繹論の鼓高水準の一つと謳われ  る佐々木博士著日本憲法要論は、これ等の黒蟻に左渋しなかった。法學協愈編著註解日本髪憲法上巻︵昭和二十三年︶は  ﹁改正樺に限界を認めない論としては、ドイツにアンシユツがあり、相當有力なものであったが、わが國では僅かに佐々  木博士があげられるに過ぎないと述べている︵五二頁︶。H本國憲法の成立に關する佐々木博士と宮澤教授εの間の見解の  相違は、こ、を幽磯鮎とする。   ところで、第一の立場をまさに孤城落日の感あらしめる軽有勢であった第三の立場には、深く省察を加えると、疑問と  せらる可き幾多の瓢が包藏されているのではなかろうか。   先ず第↓に、一定の事噴を憲法上規定した以上は、その事項は明らかに實定法の世界にとり入れられたと言わざるを得  ないが、その様な措定法上の事墳の﹁改正﹂のみを、超實定法的な作用として實定法の世界から追放する事は、憲法にと  つて自己矛盾であるといえるのではなかろうか。 一定の事項を憲法上規定した場合には、それを維持する國家作用は勿論  そ価を改正し叉は慶止する里家作用も均しく憲法の世界の問題であって、憲法を超えた世界の問題ではあり得ない。しか 、 ψ

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6 るに、憲法は一廓の最高の基本法として、法の世界に於ける↓切の庶家作用を規律付けるのであるから、憲法の特定の條 項を改正する國家作用を超古意法的な作用とする事は、憲法そのものの本質と相容れないと言えるであろう。アンシユツ ツが憲法改正作用を一律無制限に画定法上の作用たり得るものとし、之に何等かの限界を劃する事を不可能とした根本の 理由も、このような鮎にあったのではないかと想像される。  第二に、第三の立場は、實定法上の作用としての憲法改正作用の特質に省察を獣いているではなかろうか・ある國家作 用が重重法上の作用であるという事は、最も分り易く言えば、その作用が實定法上合法なりや否やを問い、それに答え得 る歌態にあるという事を意味する。そこで例えば或る法律を定立する國家作用を實定法上の作用として眺めた場合、その 法律の内容及び制定形式の二面に於て、それが上級の法たる憲法に合致するか否かが問題とされる。しかるに憲法改正と いう國家作用の場合には、それが憲法改正手丸を規定した條項に合致するか否かという、制定形式の面に於てのみ、合法 か否かを問題とし得るに止まる。その内容の合法か否かは、憲法が無量の最高の基本法であるが故に、判定の規準を歓き 問題と博し得ない。憲法改正が手績的に合法か否かを問題と翻し得る事を無骨して、憲法改正により成立する法が内容的 に合法か否かを判定し難いという鮎のみを強調すると、ブルクハルトの所論の如く、憲法改正作用はすべて超實定法的作 用である、という事になる。そしてこの見解は、第三の立場よりも寧ろ論理的な︸貫性をもつと言い得る。第三の立場は 憲法改正作用のうちの特定の一部分のみを超實定法的作用とするのである。しかしこれは、ブルクハルトの見解に封ずる と同様に、憲法改正は實定法上その制定形式の面に於て合法非合法を問題とし得るが故にすべて夏野法上の作用である、 という鮎を看過している、との批許をまぬがれないであろう。  第三に、憲法改正作用に限界を認めようとする見解は、必らす同一の憲法の條項中に段階を設け、基本的な部分と、そ       ゲ れに基いて成立する部分とを分つ。その基本的な部分が憲法改正作用の封稼外にあるとせられるのである。しかし哺國の    憲法改正の限界について      一八三

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   憲法改正の限尿について         ’       一八四 憲法について、基本的な部分と然らざろ部分とを常に明白に分ち得るであろうか。分ち得る場合も勿論あろうが、必ずし も明らかでない場合も多いのではなかろうか。例えば我が日本國憲法について見るに、國民主灌の原理を定め忙條項は先 ず基本的な部分として孚の在地のない所であるとしても、職孚放棄はどうか、軍備を保持しない事はどうか、代議制はど うか↓國際法尊重の規定はどうか、等と問いつめられると、どこ迄が基本的な部分とされるか、議論はおそらく岐れるに 違いない。明治憲法第七三條の血筋に於ても、第一條だけを改正不能としt美濃部博士、第一條及び第四條を改正不能と し江多敏の亡者、或は之に第七三條を加えた導者、更に最も貫く一、二、五、六、 一一、三三、三五、五六、五七、六〇 ・七三、七四の各税を改正不能とした清水博士、と實にその間に廣い巾があみ。清水博士の如きは、これだけ多くの二項 を撃げた上に樹﹁凝霜憲法改正の限界を知るに足るべき主要なる筒條を列揚したるに止まり其の限界を劃すべきものを洩        ド なく網羅したのではない。重くも我が富家の根本体制に乖離し我が憲法成立の由來に背戻するが如きものは、憲法の改正       ︵入︶ として噺じて許すべからざる所である﹂と論ぜられたのであるQこの直な歌態は、一國憲法の基本的な部分と言われるも のが、見る人によって⋮異り得る事を示していると言える。のみならす、憲法の基本的な部分と、然らざる部分とを分つ事 は、憲法解繹の技術的問題であって、一國憲法の條項に規範としての債値の輕重をつけようとする事は不可能であろう。 一面憲法を体系的に解繹する爲に、︸定の條項を以て原則規定と見、他をそれの派生的規定と解する如きは、蓋然行わる 描きであるが、それは、憲法の各條項に規範として上下の關係を認める事ではない。叉原則的規定とそれに封ずる例外的 規定が存する場合、前者は廣く、後者は嚴格に解繹されるが、これも解繹按置上の問題にすぎす、その聞に上級規範と下 級規範との關係があるわけではない。﹁原則的規定と粟生的規定﹂、﹁原則的規定と例外的規定﹂、と解彫上分たれるとして も、それ等の.匝別は憲法を体系的に把握する爲の解繹狡術にすぎない。派生的規定若くは例外的規定と照も、法律以下の 下級の國法に引しては、最高の規範として優越する数﹂を有し、從てそれ等は憲法上の規範として全く原則的規定と雫等

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の地位を占めるとさる可きであろう。殊に例外的規定は、それが法律以下の下級の國法の形式をとる場合には常に憲法違 反とさる可きものであり、原則的規定と同等の地位を有する事によってのみ、法として成立し得るのである。  第三の立場は、以上の如き租々の疑窯を有するが、それは畢寛法的に不可能な事を認めようとするからではないであろ うか。或る時代の立法者が、あらゆる後琶の立法者蓮の攣更すべからざる法を定立し得るとすれば、その立法者に脚の灌 威を認める事となるが、如何なる立法者もか∼る棘の皇威を有するものではない。從て、一律無制限に憲法改正作用は實 定法上の作用となり得るとする第︸の立場が正當であるとされ得よう。 ︵註︶一、清宮四郎、﹁憲法改正作用﹂野村教授蓮歴醜賀公法政治論集ハ昭和一三年︶   二、伊藤博交著、憲法義解、宮澤俊嚢校註・岩波文庫版一二一頁。   一﹃穗積八束・修正増補憲法提要︵昭和一〇年︶九三頁。   四、謄旧水澄b琢︸條帝國冨心法謹⋮嚢五ご六頁。       ’   五、美濃部遙吉、逐條憲法精義七二三頁。   六、山崎又次郎、憲法學︵昭和八年︶一六〇頁。中村彌三次、憲法學提要︵昭和=一年︶四二頁以下。尾高朝雄、國家構造論︵昭和     一一年︶四八三頁。黒田畳レ日本憲法論︵申︶︵昭和=一年︶二六八頁以下。       ・   七、宮澤俊養、憲法略読︵昭和一七年︶七五頁、二四五頁。   八、清水澄、﹁帝國憲法改正の限界﹂國家量産難誌第四八総第五號︵昭和九年五月︶。

三、憲法上、憲法改正の限界を定める斎食について

 萬物は流写してやまない。それにも拘らす一國の憲法の制定者は、その制定にか、る憲法の全体叉は一部の永久に行わ れん事を希う事が屡々ある。寧ろ政治的要請としては常にそうであるかも知れない。明治憲法が﹁不磨の大典﹂とされ﹁永 遠に循行ずる所を知らしむ﹂ものとされているのも、その現れに歪ならぬ。こうした意圖が成文憲法の條項に於て明白に    憲法改正の限界について      ・         一八五       ,

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   憲法改正の限界について  h      天六

現れ、憲法改正の限界を憲法上確定している場合も、画くない。例えば一九=年のポルトガル憲法八二條二項﹁統治の 共和國的形態を贋棄する事を目的とする憲法改正案は討議の封象たり得す﹂一九二七年のギリシャ憲法一二五條一項﹁こ の憲法中の本質的ならざる規定に限り之を改正する事を得﹂等その一例であるが、古い所では一八一四年のノールウエー 憲法第一=一條にも﹁如何なる憲法改正もこの憲法の諸原則に背反す可からすして、軍に個々の條項につき、この憲法の 精紳を攣更せざるが如き修正を消すにと榎まるべし﹂と規定された。これ等の亡魂項は、まさに前蓮の第三の立場を憲法 上明文を以て規定したものである。それ故に第三の立場をとるカール・シュミットはノールゥエー憲法第一=一條を以て        ご 自已の所論を裏付ける好ましき資料として引用しているのである。  所で、前蓮第三の立場が既に述べた如き種々の疑鮎をもつとすれば、それを成文化した右の條項は、それぞれの國の憲 法生活に於て、なにらかの不都合な窯を生ぜしめた事であろうという推測が可能である。殊に︼八︼・四年のノールゥエー 憲法は極めて長い生命をもつたものであるから、その間の憲法生活の推移は注目に慣すると言わねばならぬ。  ︸体ノールゥエーに於て、憲法改正の限界を定めた一=一條は、その國の實際の政治の動きに封して、どの愚な作用を 螢んだであろうか。この問題に謁し、昭和+年にオス・1大垣のコッホマン教授がドイツの雑誌に﹁ノールゥエー憲法一       ニ  一二條に於ける憲法の諸原則及び精榊の攣更禁止について﹂と題する興味深い論交を登表した。  この論文に於て教授は、先ず一八一一四年制定以來百二十年に及ぶ期聞に建て、ノールウエーの現實の政治の動きが、憲 法に重要な墾更を及ぼした事を指摘する。その攣更とは、最初極めて強力であった國王の灌能が衰微し、立話の意思に反 した憲法改正が行われた事さえあり、叉議院内閣主義が慣例として確立され、かつては國王の背後に副次的な地位しか占 めなかった議事が國王以上の支配的勢力をもつに至った事等を圭要なものとする。そこでこの主な重大な七化を経た後に 鋳て、ノールゥエーの憲法學者が一=一條をどの様に解しているかが問題であるが、コッホマンによれば、三種の痛論が ’

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、 ある・第一は一一二條を法的な規定と認めないもの、第二は一一二條が既に慣習法により疲棄され江とするもの、第三は 一一二條の法的性格を認めるが軍に憲法のあまりに頻繁な改正を防止するに役立つに過ぎないと論き、叉は一=一條違反.        も を理由として最高裁判所はある法律の違憲を宣言する感能を有しないと読く。即ち憲法働者は、 一︸二條が法ではないと 論くか、法として充分の實敷を有しないと説くか、いすれかであって、それ等の見解の共通の論擦とされているのは、 ﹁或る時代の立法者が、將來の立法者の憲法改正の灌限を制限する事は奎然不可能である﹂という鞘である。  ノールゥエー憲法第一=一條に關するこの経験は、極めて貴重なものとされねばならぬ。 ︼定の時代の昏夢の議員蓬が 自らの昇華の爲に、例えば特殊の小選再挙制を選順法に於て定め、これを永世攣更すべからざるものとしたならば、か、 る墾更禁止規定は、不可能な事を定めるものとして法的敷力を有し得ない。就會準率の耳擦は、か、る禁止規定を無覗し       メ て癒な選畢匿制を定める必要を生ぜしめるであろう◎ノールゥエー憲法第哺=一條は、これと同様の運命を辿った。憲法 改正の限界を定めた規定は、一定の政治的立場からする政治的要請を表明するものにすぎす、畢寛始皇帝の不老不死の髄 に似た不可能な事を定めたものとさる可きである。 ︵註︶一、O隅二QD島諺搾計く①剛・h層羨μ嵩遷♂︸篇。鴇一違Q。幹一〇伊h・   二、Q・閑。島蔓百孚凶鉱尻島長け一尉9︷o馨嵩。7$菊①︵・簿●切目・一伊出亀け同︾砿・一NO刷ナ私は嘗てこの内容の大綱を紹介した。拙稿﹁ノ     ールウエー憲法に於ける憲法改正の限界﹂公法雑誌第ご巻第四號︵昭和一一年四月︶。

         四、日本國憲法の成立の場合

       ..        6  明治憲法第ヒ三條の改正上扇によって天皇主椹の原理を攣更する事は許されない、という從來の支配的な學説によれ ば、日本語憲法と明治憲法との間に實質的に見て合法的な連績性が無いという事になり、從て日本國憲法は、法の世界の    憲法改正の限界についてゆ       一八七

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   憲法改正の限界について●       一八八 外なる﹁事實﹂ーー所謂﹁革命﹂によって成立したという事になる。今日この様な見解に封して有力な反甥論を唱えられ るのは河村博士である。博士は、先ずポツダム心5.言の受諾が我が憲法上如何なる意義を有するかを詳細に槍討され、革命

と薯えないであろうとの結論に到蓮されてい嘉ド.此肇はこれ罷れ・馨がない・河村博志次で明治良筆七三

條の改正に限界を付する見解を否定されているが、その中で殊に私の注意を賢い江のは、次の如き所論である。 ﹁既に専 制君主政体を改めて立憲政体を採用し、暴民参政の途を開き無難を設けて君主の権力を制限することが合法的に可能であ ったとするならば、更らに進んで國民の参政範團を極度に損草し、君主の灌力を零に迄縮減することを、法的に不可能と        ︵二︶ する理由は成立たないであろう﹂o        ︵一ε  私は別の機會に、あらゆる君主政に内在する君主の象徴的地位が、立憲君主政確立の過程に撃て湖次顯現化して行き、 その極貼に於て看主の一切の灌力が否定され、君主主灌の原理が否定された時、純粋な君主の象徴的地位が認められると 考えた。そしてこの事は英國君主政の歴史に於て實誰されると考えた。即ち英國立憲政の基礎が確立されたと質せられる ヴイクトリや女王期に於て、四度び内閣に首班となって憲政に蓋したグラッドストーンのOδ碧ぎ蕩中に﹁英國に於け る國王は國民統一の塚徴である﹂と記され、こ、に顯現化した英國國王の徐徴的地位は、本年八月十五日インド共和國威 立と共に、インドに封ずる限り最も純輝な極瓢に蓬し、﹁インド猫立後の新しい英連邦では、英仁王の地位は今迄通り國 王の主権を受入れる戦々に封しては唾罵であるが、そのほか主意のないシンボルとしての英蓮邦の首長とい洩二つの面を       ︵四︶ もっこととなる﹂︵アトリー首相の報告と新聞紙が傳えている︶に至った。この様な英学國王の地位の貰下は、英國憲法 の合法的な改正によって行われたもので、その聞に法秩序の外なる﹁革命﹂を介入せしめて考えねばならぬ必要はない。        ゆ バジヨツトが感動的な言葉で述べた如く﹁今日に於ては上下爾院一致して君主を死刑に虚[するの決議案を可決して君主の         裁可を乞う場合あるも、君主は之に署名せざるべからす﹂というのが立憲君主としての軍装國王の憲法上.の地位であると

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呼 するならば、國民の要望に從い、憲法改正によって君主主灌を放棄し、國民主灌を是認する事が、どうして憲法雲合法的 に行えないと言えようか。  明治憲法と日本國憲法との關蓮については、ポツダム宣言の受諾を憲法上如何なるものと考えるか、を点心とする幾多          はサ の問題があると思われるが、明治憲法の改正手筈を以て天皇主思を合法的に改正し得ない、とする隠男の支配的な學説が 正しくない事だけは、先ず認められてよいのではないかと考えられる。 ︵註︶一、河村叉介、新憲法と民主室嚢、八0頁以下。   二、河村叉介b上掲八八頁、八九頁。   三、拙稿﹁象微としての天皇と英國國王﹂公法研究會二五周年記念論文集、佐々木惣一編﹁人間生活と法及び政治﹂所載。   四、毎日新聞、昭和二四年四月三〇日肚設﹁インド猫立と新しい英連邦﹂。。   五ず≦黒θ霞寓鑓^・7。計目げ。罵嵩笈一昏○。翌葺三一9ぜ吉田世民識九三頁。       ︵昭和二四年九月稿︶ c珍 噸 憲法改正の限界について 一八九

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