第32回発展途上国研究奨励賞 受賞記念講演 -- 「
カーストと平等性」の背景とこれからの展望
著者
田辺 明生
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
192
ページ
38-45
発行年
2011-09
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00004159
いうか、今までの成果を良くいえ ば 総 合 的 に、 し か し 悪 く い え ば、 何でもかんでも突っ込んだような ところがありまして、自分でもも うすこし整理できればよかったな と思っています。 当 の 学 生 か ら も、 「 む ず か し く てよくわかりません」 といわれて、 ち ょ っ と 困 っ て い る と こ ろ で す。 しかし、このたびおかげさまでこ のような栄えある賞をいただいた ということで、学生ももう一遍読 んでみようかと思ってくれるので はないかと期待しています。こう した分かりにくい本をご評価いた だいたことに重ねて心からお礼を 申し上げます。 それでは、これから本書につい て、できるだけ分かりやすく、や や単純化した形で、どういう背景 があって私が本書を書こうとした のか、そして、本書においてどの ようなパースペクティブの下に議 論 を 展 開 し て い こ う と し た の か、 そしてこれからいかなる研究を展 望しているのかということについ て、お話をさせていただきたいと 思います。
●遍在する真理
︱南インドでの経験
まず、個人的な経験からになり ますが、 私は岡山の一宮高校から、 途中、イギリスの国際カレッジ― そ れ は ユ ナ イ テ ッ ド・ ワ ー ル ド・ カレッジというところだったので すが―へ行き、そこでインドのム ンバイ(当時ボンベイ)のカレッ ジとの交換留学をする機会に恵ま れました。一八歳のときでした。 私はできることならば当時の大 問題であった東西問題、あるいは 南北問題のどちらかに寄与するこ とができるような人間になりたい と考えており、イギリスのカレッ ジにいたときにも、学友たちと日 夜、東西問題や南北問題について 議論したことを覚えています。 インドには途上国の現状を知り たいという思いから行ったのです が、インドに行って非常に大きな 衝撃を受けました。今日はそのな かで二つのエピソードだけお話し したいと思います。 私はムンバイから、南インドの マドゥライという都市の郊外にあ る孤児院に行きました。そこで私 たちは社会奉仕の一環として、水 牛の水浴びをする池を掘るように﹁発展途上国研究奨励賞﹂
︵アジア経済研究所主催︶
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︵ミネルヴァ書房︶
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受賞記念講演
田
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いわれました。 最初は張り切って、 さあやるぞと思ったのですが、掘 る道具といえば、長い鉄が一本と お皿だけです。鉄の棒でほじくっ ては手で土を集め、そのお皿を頭 の上に載せて土を運ぶというよう な繰り返しで、いつまでたっても 水牛が沐浴できるような池はでき そうにありません。そして、この 地域は暑いのです。冬の一二月で したが、この地域には三つの季節 が あ る と 冗 談 で い わ れ る、 hot-hotter -hottest の 少 な く と も hot で あ っ た こ と は 間 違 い あ り ま せ ん。 すぐにへたばってしまいました。 そして、非常に恥ずかしいこと ではありますが、すぐに文句をい う よ う に な り ま し た。 「 こ ん な 池 なんて、ブルドーザーを持って来 れば一発じゃないか。なんでこん な 道 具 で し か で き な い ん だ 」。 し かし、そこで孤児たちに救われた のです。孤児たちが私たちの方に やってきては 「グッドモーニング、 サ ー、 今 日 は 何 を す る の 」「 今 日 は何を食べるの」と話し掛けてく れて、孤児たちと遊ぶうちに私た ちもだんだんとリラックスしてき て、自分たちの本来の姿にだんだ ん気付かされて、非常に恥ずかし い思いをしました。 そ の と き に、 北 が 南 を 援 助 し、 すくい上げるような態度では駄目 だ と い う こ と を 感 じ ま し た。 フィールドにいる人たち、現地の 人たちが主人公なのだということ を強く思った次第です。 もうひとつ、インドに行って驚 いたことがありました。それはム ンバイの港の近くにあるエレファ ン タ 島 に 行 っ た と き の こ と で す。 そこには大きなシヴァ・リンガが あります。シヴァ・リンガという のはシヴァ神の象徴ですが、PT Aのガイドの方が「これは絶対真 理の象徴です」とおっしゃったの です。私は非常に生意気な一八歳 の 子 ど も で し た か ら、 「 絶 対 真 理 というものがあるとすれば、それ はこんな相対的な形で表されるも のではない」といったのです。そ の と き に、 そ の 方 が、 「 い や、 絶 対 真 理 と い う の は 超 越 的 で あ り、 また遍在もしている」といいまし た。真理というのは、一であると 同時に、多なる形としても現れる のだということをおっしゃったわ けです。それが私にとって非常に 衝撃だったのです。 考えてみると、それまでの私は 東西問題にせよ、 南北問題にせよ、 何 か ひ と つ の 答 え が あ る の だ と 思っていて、それを一生懸命探そ うとしていました。しかし、イン ドで出会った思想、そしてインド にある生活世界というものは、そ れよりもずっと強靭かつ深淵なも の を 持 っ て い る と 感 じ た の で す。 確かにひとつの真理というものは あるだろう。しかし、そのひとつ の 真 理 と い う の は 多 様 な る 形 を とって現れる。反対にいえば、多 様なる形を通じてのみ、私たちは そうしたひとつのものに到達でき るのではないかということを思わ されたわけです。 そして、おそらくそのことは単 に宗教的な哲学、思想というだけ でなく、私たちが人間の発展とは 何かということを考えるときにも 必 要 な 考 え 方 で は な い で し ょ う か。つまり、ひとつの答えを全地 球に適用するのではなく、それぞ れの地域の生態、社会、文化、政 治経済の形に合わせた発展の形を 考えなければいけないのではない かということです。
●固有性への感受性
これは今、私の考える地球社会 における多と一の問題とも通じる と思います。それぞれの多元的な 地域があり、その地域に生きる人 びとが主人公である。しかし、同 時にそれが単なる相対主義に陥っ てはならないのであって、私たち はひとつの地球に生きており、同 じ環境問題、安全保障や資源・エ ネルギーの問題を共有していると いうことも忘れてはなりません。 こ れ は、 別 の 言 い 方 を す る と、 固有性への感受性と普遍性への想 像力の両方が必要なのではないか ということです。これは国際開発 を考える上でも重要なことではな いかと考えています。 つまりこのことは、それぞれの 生きる主体が自己の生き方を探求 できる場をつくっていくという地 球社会共通の課題に対して、地域 の 固 有 性 に 対 す る セ ン シ テ ィ ビ ティを持ってアプローチするとい う こ と で す。 簡 単 に い う と、 「 ば らばらで一緒」に生きられる地球 社会を、どのように創造できるの かということです。そのためのア プ ロ ー チ の ひ と つ が、 人 類 史 を、 ひとつの目的、あるいはゴールに 至 る よ う な も の と し て で は な く、 地域ごとの多元的な発展径路とそ れらの交流と交換の過程として考 えることではないかと思っていま す。複数の発展径路はばらばらに あるのではなく、つながり、連鎖第32回発展途上国研究奨励賞 受賞記念講演
は 同 じ な の か。 ま た、
知
識・
技
術
を
蓄
積
で 貯 め る の で は な く、 しかも、 それをカー 分権体制という、分業と分配のシ ス テ ム に つ い て 論 じ て い ま す が、 その分業と分配の基礎となってい る の が 職 分 権 を 持 つ 家 族 で あ り、 ジャーティ集団 (カースト) です。 ひとつの集団が専門的な知識や技 術を蓄えていく。そして、社会全 体で見ると、多元的かつ専門的な 知識や技術が蓄えられていく。イ ンド史の特徴は、食料の生産活動 に直接従事する人口が少ないこと です。別の言い方をすると、一次 生 産 か ら の 剰 余 を 知 識 や 技 術 に、 今の言葉でいうとサービス産業の 方に向ける形で、文化、社会の発 展 を 目 指 し た と い う 発 展 径 路 が あったのではないかと考えていま す。 インドというと、私たちは環境 が 非 常 に 厳 し い と 考 え が ち で す が、もう一度冷静な目で見て考え ると、中国と並ぶ、世界の大農村 地域であり、熱と水に恵まれたと ころです。そこから生まれた経済 剰余によって共同体内分業をして いる。カースト制というと、私た ちは差別、抑圧といった面だけを 見がちですが、カーストは別の見 方をすると、共同体内分業によっ て行政のスペシャリスト、軍事の スペシャリスト、学芸、技芸、工 芸のスペシャリストなどを育てて いった制度でもあるわけです。こ うして、非常に多元的で専門的な 知識・技術を社会全体で養ってい きました。 農民以外のさまざまなカースト (戦士、書記、大工、油屋、医師、 学者、芸能家など)が地域共同体 や国家に支えられながら、それぞ れの専門的な知識や技能の継承と 発展に従事した。これによってイ ンド社会に特徴的な、文化的な多 様性が保持され、発展した、と考 えています。 これはつまり、一なるものを一 なるもののままとして、ひとつの 同じ目的を全体に与えようとする よりも、そうではなく全体として の発展を目指しながらも、それを 多元的な社会集団に任せることに よって、非常に多様な形での人間 の可能性を、 社会全体として継承 ・ 発展していくような発展径路では ないかと思います。 そうしたしくみのなかで、私が 最初にインドに行ったときに非常 に魅力的に感じたさまざまなもの の形、インドのテキスタイル・ア パ レ ル 産 業 を 支 え る デ ザ イ ン や、 観光産業を支えている建築や彫刻 など、いわゆるソフトウエアの方 の強みがインド型の発展径路に現 れてきたのではないかと考えてい ます。●
植
民
地
以
前
の
イ
ン
ド
社
会
の
姿を解明する
私が拙著でなした仕事のひとつ が、そうしたカーストによる分業 と分配の制度のありかたを前植民 地期から明らかにしようとするこ とでした。一八世紀のインド地域 社会の社会体制はまだまだあまり わかっていないのが現状です。こ れまでの多くの研究は、一九世紀 の植民地行政資料に基づいたもの でしたが、私はどうしても一八世 紀前植民地期の社会体制を知りた い と 考 え ま し た。 一 回 目 の 長 期 フィールドワークでは、残念なこ とにそれにアプローチできるよう な 資 料 は み つ か り ま せ ん で し た が、 幸 い な こ と に 二 回 目 の 長 期 フィールドワークのときに、この 本で扱った貝葉文書に出会いまし た。これはパームリーフ・スクリ プ ト( ヤ シ の 葉 文 書 ) と も い い、 東南アジアやインドなどで教典や 行政文書を書くのに用いられたも のです。この行政文書により、私 が「職分権体制」と呼ぶ組織にお いて、どのような人がどういう職 分を果たして、どの程度、共同体 の生産物の配分を受けているのか について、その詳細を明らかにす ることができました。 こ れ ま で は カ ー ス ト 制 と い う と 、 一 部 の 上 位 カ ー ス ト が 土 地 を 占 有し て 、 下 位 カ ー ス ト は 地 主 カ ー ス ト に よ っ て 搾 取 さ れ た と い う イ メ ー ジ が あ り ま す が 、 そ れ はむ し ろ 一 九 世 紀 の イ ン ド 社 会 の 姿 に 近 い も の で す 。 わ か った の は 、 一 八 世 紀 は 土 地 所 有 制 に 基 づ く 支 配 体 制で は な く 、 む し ろ 取 り 分 権 の 体 制 で あ っ た と い う こ と で す 。そ れ ぞ れ の 人 あ る い は 世 帯 が 自 分 の職 分 権 と い う 権 利 を 持 ち 、 自 分 の職 分 を 果 た し 、 共 同 体 の 生 産 物 か ら 一 定 程 度 の 取 り 分 を 得 て い ま し た 。 しかし、もちろんその取り分に は大きな格差がありました。経済 的なヒエラルヒー、階層性という こ と が あ っ た こ と も ま た 事 実 で す。私は、一八世紀のインド地域 社会において、経済社会的な階層 性、それから宗教儀礼的なヒエラ ルヒーがあったということを決し て否定しているわけではありませ ん。むしろそれらの存在は明白で す。しかし、それと同時に、下層 民は、一方的に搾取され、差別さ れるというだけではなくて、彼ら の生存基盤を確保するようなシス テムがあったということも申し上 げたいと思います。 一八世紀は 「不 可 触 民 」 に と っ て の 黄 金 時 代 で あ っ た と い う 歴 史 家 が い る ほ ど で、一九世紀以降に比べると、土 地に比して耕作民が不足していた ということもあり、取り分は保証 され、生活はより安定していたの ではないかと考えます。そうした 状況を明らかにすることは、この 職分権体制の存在と相まって、イ ンド社会のイメージを大きく変え るものとなるではないかと期待し ています。また、ある共同体のな かでの取り分の体制があったとい うだけではなく―もちろん贈与や 分 配は非常に根幹的ですが―これ が、一八世紀当時のより広いイン ド洋交易の存在と補完的な役割を 果 た し て い た こ と も 注 目 さ れ ま す。 一 八 世 紀 に お い て イ ン ド は、 綿 布 の 世 界 第 一 の 輸 出 国 で し た。 多くの綿布がベンガルや南インド か ら ヨ ー ロ ッ パ に 行 っ て い ま す。 オリッサにおいても綿布が生産さ れ、 たくさん輸出されていました。 そのなかで原料の棉花を育て、棉 すきを行い、そこから綿糸を紡い だのは女性や低カーストの人たち でした。綿布のインド洋交易とい う広いネットワークのなかで、後 背地の田舎の女性や低カーストの 人がその経済活動に参加できるシ ステムがあったわけです。 おもしろいのは、綿布を織って い た 織 工( weav er ) た ち や、 貿 易に携わった商人たちは、地域社 会での職分権を多くの場合持って いませんでしたが、地域社会に対 して高額な税金をしはらっていた ということです。つまり、このビ ジネスから得たもうけの一部を地 域社会に還元していたのです。こ うした形で、地域社会とインド洋 交易が、いわば補完的な形で展開 していったと理解しています。 一 八 世 紀 の 近 世 の 国 家 の 行 政 の 発 展 と い う こ と と も 、 こ の 職 分 権 体 制 は 結 び 付 い て い ま す 。 職 分 権 体 制 の 詳 細 が 記 録 さ れ 、 王 国 は 職 分 権 を 通 じ て 末 端 の 社 会 を 管 理 し ま し た 。 こ れ は 、 近 世 の 国 家 の 行 政 技 術 の 発 展 を 示 す も の で す 。 こ う し た 行 政 の 合 理 性 の進 展 と カ ー ス ト を 基 盤 と し た 職 分 権 体 制 と は 矛 盾 す る の では な く 、 む し ろ 補 完 的 に 発 展 し た も の で あ る と い う こ と が ご 理 解 い た だ け る か と 思 い ま す 。
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多
元
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社
会
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こうした前植民地期のカースト の姿が明らかになるなかで、カー ストというものの理解を私たちは 見直さなくてはいけないのではな い か、 と 思 う よ う に な り ま し た。 カーストという多元的社会集団を 基礎とした分業と分配の社会制度 は、単に差別と不平等のシステム であるという理解で足りるもので はなく、それは、さまざまな社会 集団が固有性を保ちつつ生存する 場所と機会を確保する制度でもあ りました。インド社会に差別や抑 圧 の 側 面 は た し か に あ り ま す が、 同時に、そこには他者の存在を承 認する、存在の平等性という価値 が、多元的な社会共生を支えてい たと考えています。そういう意味 で、 拙 著 の タ イ ト ル も、 『 カ ー ス トと平等性』というちょっと挑発 的なタイトルを付けさせていただ きました。カーストの見直しをし ていただきたいということが背景 にあったわけです。 まとめますと、インドの前植民 地期の発展径路は、多元的な社会 集団の共生を可能にし、多様な文 化、知識、技能を社会的に蓄積し ていこうとするものであったとい うことです。そして歴史的にいう ならば、カースト間関係にはヒエ ラルヒーと差別はたしかにありま したが、同時に多元的な諸カース ト が 多 様 な 知 識 や 文 化 を 継 承 し、 発展させ、全体としての生活環境 を向上するというポジティブな側 面があったことも間違いないと考 えています。そして、そうした多 元的共生を価値的に支えていたの が、 「 存 在 の 平 等 性 」 で あ っ た と 思います。 「地位のヒエラルヒー」 と 「権力の中心性」 という価値が、 現象世界の支配構造を支えていた と す れ ば、 「 存 在 の 平 等 性 」 と い う価値が多様性の尊重と協力を確第32回発展途上国研究奨励賞 受賞記念講演
「存在の平等性」 り 」「 我 は 梵( ブ ラ フ に も 仏 さ ま が い ら っ
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る必要があります。 一八世紀において多様な生業を 持っていた諸カースト集団は、一 九 世 紀 に 入 る と だ ん だ ん と 農 業 化、農民化していきます。これは 植民地経済のなかで、インドが第 一次産品国になっていくという状 況と係わっています。商品経済の 発展とともに、農村での商品作物 の栽培により多くの人が従事する ようになり、テキスタイルなどの 手工業品の生産が限定的になりま し た。 こ れ は 産 業 革 命( 工 業 化 ) を 経 た イ ギ リ ス か ら 多 く の 布 が 入ってきたという事情とも関わり ます。 在地の工業や工芸が縮小し、世 界の経済構造のなかでインドは農 業国、第一次産品国、後進国とし て位置付けられていく状況があり ました。同時に、植民地支配のな かで、耕作地には私有権が設定さ れ、それを持つ者が税金をイギリ ス植民地政府に払うというシステ ムができます。この過程で、一九 世紀に下層民が得をしたのか損を したのかについては議論があるの ですが、私の地域においては私有 化が始まることにより、下層民は 無 理 や り 土 地 を 売 ら さ れ る 形 で、 ど ん ど ん 土 地 を 失 っ て い き ま す。 上位カーストが土地を占有し、下 層民が従属するという、オリエン タリスト的なインドのイメージに 一番現実が合致したのは、実は植 民地支配が始まった 19世紀前半の ことであったのです。 他方、イギリス植民地政府もさ ま ざ ま な 開 発 政 策 を と り ま し た。 都市では特に一九世紀後半から二 〇 世 紀 初 頭 に か け て 工 業 化 も 進 み、英語教育を受けたエリートが 多く育っていきます。しかし、こ こで何が起こったか? エリート 中心、工業中心、都市中心の世界 と、農村と農業を中心とし、伝統 的な共同体を基盤とする世界とが 分かれたままで展開していくとい う状況が起こりました。これがい わゆるエリートとサバルタン(下 層民) の分断といわれるものです。 ただ、下層民といっても、インド では非エリートの下層民の方が圧 倒的多数を占めていました。こう し た 近 代 対 伝 統、 西 洋 対 イ ン ド、 都市対村落、エリート対民衆、そ して政治経済対社会文化というよ うな二分法が成立したのが植民地 時代だったわけです。そして、こ の対立が、実は私たちの学問にも 反映されており、政治経済の方は 社会科学がやり、社会文化の方は その他の人文科学(宗教学、社会 学、人類学)がやるという分業に なってしまう。こうした学問の状 況 自 体 も、 私 は 植 民 地 的 な も の、 あるいはポストコロニアル的なも のと考えており、それを何とか超 克したい、 乗り越えたいと考えて、 政治経済とともに社会文化を考え るという仕事をしようとしたつも りです。●
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観を超えて
植民地期が終わった後も、植民 地期につくられた構造は継続して いきました。それを私たちはポス トコロニアル、あるいはポスト植 民地的というような言い方をしま す。ポスト (後) ではありますが、 実質的には植民地期につくられた よ う な 統 治 機 構( 政 府、 裁 判 所、 警察など)が持続し、土地所有お よびバラモン的ヒエラルヒーと連 動した階層的社会構造、そして都 市エリートと農村サバルタンの分 断、また、植民地主義的な認識枠 組 み ― イ ン ド は 非 常 に 階 層 的 で、 偶像崇拝が存在するまだ文明化し ていない地域であり、イギリスこ そが合理性に基づいた文明をもた らすものであるといった考え方― が続いた時代でした。そして、そ こにおいて、伝統インドを守るの か、あるいは、近代西洋に基づい た新しいインドをつくるのか、思 想的にも二つの流れが対立したま まの状態が、ポストコロニアルの時代であったと思います。 学術上の研究課題も、こうした ポストコロニアルの時代性を反映 していたと思います。私が大学院 でインド研究を始めたころの一九 八〇年代末には、なぜ南アジア諸 国 に は 貧 困 や 差 別 や 紛 争 が あ っ て、開発と民主化が進まないのか というのが大きな問いでした。そ して、 それへの答えが、 しばしば、 インドにはカースト差別や宗教分 断があるから、つまり、インドに はインドの伝統文化というものが あるから開発が進まないのだとい うものでした。私がインドに感じ た魅力と、当時語られたインド論 と の あ い だ に、 大 き な ギ ャ ッ プ、 齟齬、違和感があったことを覚え ています。 こうしたギャップをいかに乗り 越えていくか、私一人の力ではも ち ろ ん 全 く で き な い わ け で す が、 学問が進むよりも前に、現状が変 わっていきました。特に一九九〇 年代から、インドの民主政治の活 況、経済的な成長がどんどん進ん でいきます。現在では、高い経済 成長のもと、民衆の政治参加が大 きく進んでいますし、世界の政治 経済におけるインドの存在感も非 常に高まっています。 このなかで、私たち研究者も問 いを大きく変容せざるを得なくな り ま し た。 こ れ ま で は、 「 な ぜ イ ンドは発展しないのか」だったと い う 問 い だ っ た の で す が、 「 な ぜ インドはこれほどの政治経済的活 況を呈しているのか」という新た な 問 い に 答 え ね ば な ら な く な っ た。インドにカーストや宗教がな くなったから民主化や経済化が進 んだのかというと、実情は全くそ うではありません。むしろ多元的 な社会集団の存在はインドにはっ きりとあります。そして、むしろ こうした多元的な社会集団が、政 治経済的な主体や組織単位として 働 い て い る と い う 事 情 が あ り ま す。つまり、インド的な社会文化 的な特徴を保持ししたままに、イ ンドはグローバルな成長と民主化 をとげているわけです。
●多元的民主主義のインド
そ こ で 私 が や ろ う と し た こ と は、インドの生活世界のなかに維 持 さ れ て き た、 私 が こ こ で い う ヴァナキュラーな社会関係や価値 というものと、グローバルに広が る民主政治や市場経済がどのよう に接合しているのかを明らかにす ることです。 「ヴァナキュラーな」 という言葉には、 「在地の」 「俗語 の」という意味があります。植民 地時代においては、英語が政治や 経 済 に 参 加 す る 者 の 言 葉 で あ り、 在地のヒンディー語やオリヤー語 は、いわば農民が自分の生活のな か で 語 る 言 葉 に す ぎ ま せ ん で し た。しかし現在は、近代的な民主 化の制度や価値、そして市場経済 の制度や機会が、民衆の生活世界 にまで広がるなかで、そこにおけ るカーストや宗教を含む社会関係 や価値、そしてそれを在地の言葉 で語ることと、全体の政治経済の 動きが結び付いている状況がある のではないかというのが私の大き な見通しです。 一九九〇年代以降、都市と農村 の 関 係 は 大 き く 変 わ っ て い き ま す。 昔は都市には大地主や資本家、 専門職、商人などが住み(もちろ ん 労 働 者 も い ま し た が )、 村 に は 主に農民や職人などが住んでいた という状況でした。が現在は、村 人たちが非常に活発に消費活動を 行い、教育を経て都市に行く。そ れでは都市化のみがどんどん進ん でいくのかというと、そうではな くて、都市に行った人がまた農村 にお金を送り、また政府の再分配 や開発政策が充実して、農村経済 が潤うなかで、農村は人間を生み 育てる場としての重要性を維持し ている。それで農村に、英語で教 育する私立学校ができたり、いろ んなものを売る店がどんどんでき たりという形で、インドの農村が 経済的にも非常に活況を帯びてい る。 これは中国などと比較すると、 大 き く 違 う と こ ろ だ と 思 い ま す。 中国では都市を中心とする経済が 進展するなかで、農村、農業、農 民の危機という三農問題が議論さ れていますが、インドの場合はむ しろ都市と農村の密接なつながり のなかで、農村が消費の需要を支 え、 そ し て 人 材 供 給 を 支 え る と いった、 補完的関係が見られます。 人びとの生存基盤を農村が支えな がら、都市がインド全体の政治経 済的な発展をリードしているとい う、これまでにないような新しい 発展の姿を見せているのではない かと考えます。 そ し て そ の な か で、 イ ン ド の カーストや宗教の多様性というも のも、政治経済の発展を邪魔する ものではなく、むしろそれを支え ているという側面があります。こ れまでに歴史的に蓄積されてきた 多元的な知識や技術を基盤とする 多元的な社会集団の存在が、今の インド経済の活況を支えているの ではないか。たくさんの多様性が あるからこそ、政治的にも非常に さまざまな多元的な意見が活発に 議論されるし、 また、 経済活動(交 換)にしても、差異こそが経済活 動を支えているとすれば、インド ほど違いがある人たちがいるとこ第32回発展途上国研究奨励賞 受賞記念講演
村のなかで何が起こっ い ろ い ろ な 多 元 的 な っ た 下 層 民 に イ ン タ 」 と い う こ と で し た。 私は、 宗 教 語 り が 好 き だ か だとか 「義務」 だとか、 は 自 分 の 仕 事 を 奉 仕 と なされなければならないのだ」と いうわけです。国家の資源が、さ ま ざ ま な 開 発 プ ロ グ ラ ム な ど で、 さまざまな社会集団や地域に分配 されますが、それは公正に配分さ れなければならない。この 「配分」 という言葉も、 「奉仕」や「義務」 とならんで、インドにおいて古く から供犠のシステムに関わる言葉 として使われてきたものです。全 体のために自分の義務と奉仕を行 い、自分の配分を受け取るという のが、基本的な供犠の思想と実践 の枠組みです。つまり、下層民た ち は、 自 分 た ち が 政 治 に 参 加 し、 適正な資源の取り分をもらう権利 を主張する言葉として、このよう な供犠倫理に関わる言葉を使用し ていたわけです。
●
多
様
性
の
中
で
の
協
力
を
維
持
する仕組み
インドにおいて古くから多元的 社会集団の共生を可能にしていた 文化的な思想やシステムに関わる 言葉というものが、現在の政治の なかで多元的な社会集団の参加と 協力そして権利を主張する言葉と し て 使 わ れ て い る と い う こ と に、 私は非常に驚きを覚えました。も ちろん、村人たちは、これらが深 い歴史に支えられた言葉だという こ と は 全 然 知 ら な い わ け で す が、 そうした少なくとも 18世紀から続 く よ う な 在 地 の 生 活 世 界 に お け る、つまりヴァナキュラーな生活 世 界 と 言 語 に 基 づ く 思 想 や 言 葉 と、現在の多元的な社会集団が政 治参加をするというデモクラシー の制度や価値が結び付いている状 況がそこにあったわけです。これ を私は「ヴァナキュラー・デモク ラシー」と名付けました。こうし た状況は、私たちのこれまでの民 主化のイメージである、だんだん と在来の文化的価値や社会関係と いう邪魔者がいなくなって、みん なが伝統社会から自律した平等な 個人となることによって、初めて 民主化が達成されるというモデル とは大きく異なるものだと思って います。 今はリベラル・デモクラシーが 主 流 の 考 え 方 で す が、 リ ベ ラ ル・ デモクラシーはリベラリズムに依 存しているデモクラシーです。リ ベラリズムというのは、自由で平 等な個人が共同体から離脱するこ と に よ っ て 成 立 す る と い う こ と が、前提としてあると理解してい ます。 し か し 、 こ の 本 で も リ ベ ラ リ ズ ム 対 コ ミ ュ ニ タ リ ア ニ ズ ム の 議 論 な ど を 紹 介 し た と お り 、 人 間 が 自 由 で あ る と い う こ と と 同 時 に 、 ど う や っ て み ん な が 協 力 し て ひ と つ の 政 治 共 同 体 を つ く れ る の かと い う こ と が 、 民 主 主 義 に と っ て は と て も 大 事 で す 。 つ ま り 社 会 の 多 様 性 を 伸 ば し つ つ 、 同 時 に そ れ ら の 協 力 を 確 保 す る こ と 、 こ の 課 題 に 答 え て い く こ と が 重 要 な の で す 。 こ の こ と は 人 類 社 会 に と っ て 普 遍 的 な 課 題 で も あ り ま し た 。 そ し て 、 こ う し た 普 遍 的 な 問 い に 対 し て 、 さ ま ざ ま な 答 え が 歴 史 の な か で 現 れ て き た 、 と い う の が 私 の 立 場 で す 。 世 界 の な か の 多 元 的 な 地 域 で 、 ど の よ う に 人 び と の 多 様 性 を 承 認 し つ つ 同 時 に 協 力 を 可 能 に し て き た か 、 そ こ に は そ れ を 可 能 に し て い た 文 化 的 な し く み ( 制 度 や 価 値 ) が あ り ま し た 。 そ れ を 私 は 文 化 資 源 と 呼 ん で い ま す が 、 そ の ひ と つ と し て カ ー ス ト と い う 工 夫 が イ ン ド で は あ っ た と 、私 は 考 え て い ま す 。 も ち ろ ん 、 カ ー ス ト に は 歴 史 上 ネ ガ テ ィ ブ な と こ ろ が あ っ た こと は 間 違い あ り ま せ ん 。 そ し て 、 そ の こ と に つ い て は イ ン ド の 人 び と 自 身 が と て も 深 く 認 識 し て い ま す 。 下 層 民 は カ ー スト の な か に あ る ヒ エ ラ ル ヒ ー や 支 配 の 側 面 を 非 常 に 強 く 批 判 し な が ら 、 同 時 に カ ー ス ト が 多 元 的 な 社 会 協 力 を 可 能 に し てきた と い う 側 面 を 取 り 上 げ る こ と に よ っ て 、わ れ わ れ は 何 々 カ ー ス ト で あ る か ら こ そ 、 全 体 の た め に 政 治 参 加 を し 、 配 分 を 受 け取 る 義 務 と 権 利 が あ る の だ 、 と い う こ と を 主 張 で き る よ う に な っ て い る と こ ろ に 注 目 し た わ け で す 。 このような、多様性と協力を双 方 と も に 可 能 に す る よ う な 社 会・ 政治関係を支えているのが、多一 論に支えられた存在の平等という 価 値 で は な い か と 私 は 思 い ま す。 多一論というのは、一なる存在が あると同時に、その存在論的には 絶対平等であるものが、さまざま な多元的な姿をとって、つまり差 異を持って現れるという考え方で す。人間も存在論的には平等であ る と 同 時 に、 現 象 界 に お い て は、 さ ま ざ ま な 違 い を 持 っ て 現 れ る。 それは人間社会においては例えば 多元的な社会集団として現れるわ けです。そして、その多元的な社 会 集 団 の 多 様 性 を 尊 重 し な が ら、 しかし同時に、全体として、一と して、 存在の平等性を基礎として、 協力を成し遂げようという多一論 の考え方が、現在の南アジア的な 民主政治にも反映されているので はないかと考えています。拙著で は、これをヴァナキュラー・デモ クラシーの可能性という形で議論 しました。 こ の よ う な 形 で、 現 代 世 界 に とっての 「地域の潜在力」 を見つけ ていく。そして、それがグローバ ルな技術・制度・価値といかに結 び付き得るかということを提示す る。これが地域研究者・人類学者 と し て の 私 の す る べ き こ と か な、 と考えています。 グローバル化は、 地域の文化を捨象してしまうので はなく、むしろ多元的な地域に蓄 積された地域の可能性がグローバ ルな価値や制度と結び付いていく 過程でもあります。こうした地域 と世界の切り結びの過程にこれか らも注目しながら、研究を進めた いと思っています。これが多元的 なグローバル化という、これから の世界秩序のあり得べき姿への学 術的な基礎を与えることにもなる のではないかと考えています。