Title
『オセロー』における自己劇化
Author(s)
川本, 真由子
Citation
大阪府立大学紀要人文・社会科学 = Bulletin of the
University of Osaka Prefecture Series C The Humanities and
Social Sciences, 37: 37-53
Issue Date
1989-03
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10341
せりふ 私はかねてからオセロ︲の最後の偉大な台詞ほど人間の弱さ童l人間一般 しご垂人えず のもつ弱さを無恋に狭りだしている台詞は他にはないと思っている。誰か他の人が かぶ人 こういう意見をかつて示したかどうか私は寡聞にして知らない。おそらくはひどく 主観的で気紛れな意見のように見えよう。普通、この台詞は、高適だが過失を犯し た人間がたとえ敗北の中にあっても偉大さを失わない姿を表わすものとして、その 額面通りに受けとられている シェイクスピア円熟期の悲劇﹃オセロー﹄において、主人公オセロー の英雄性というものについて、T・S・エリオットの興味深い批評が ある。有名な一節を引こう。 しばらく。去られる前にひと言ふた言聞いていただ きたい。 わたしは国家に対して多少の功繊がある。それは政 府でも分っておられる筈だ。 が、そのことはもういわん。ただお願いしておきた いのは、報告の中に この不幸な出来事を述べられる際、 どうぞありのままのわたしをお伝えいただきたい。
﹃オセロー﹄における自己劇化
何事もかばったりせず、 かといって悪意をまじえたりもせずにな◎つまり、 こういうふうに課いていただきたいのです。 思慮は足りなかったがじつに深く妻を愛した男だっ た。 軽々しく人を疑わん男であったが、欺されたため に 極度に惑乱して、愚かなインド人のように、 較べるものもない宝玉を その手から投げ捨ててしまった。泣くなどいうこと は、 知りもせん男だったが、今度ばかりは眼もくらんで、 アラビアのゴムの樹が樹液を流すように 泣然と涙を流しておる。このように書いて下さい。 それからもう一つお伝えいただきたい。かつてアレ ッポーの町で、 ターバンを巻いたトルコ人が不将にも ヴェニス人を殴ってその国を罵っておるのを見て、 その異教の犬ののど元を引っ掴んで こういうふうに刺してやったと。 会オセロー﹄五幕二場。木下順二氏訳による︶川
本真由子
オセローは、その自己劇化によって、滑稽にも、また悲壮にも見え る。一体、シェイクスピアは、自己劇化というものをどんなふうに描 いているのだろうか。そしてそれは、この劇に大きな比重を占めてい る﹁嫉妬﹂というものと何らかの関連があるのだろうか。この小論で は、ルネ・ジラールの提唱する、三角形的欲望の理論の助けを借りて 考えて行きたいと思う。 エリオットが、自己劇化の要素を指摘しているのは、﹃オセロー﹂ セリフ においては、この終幕の台詞だけである。しかし、このような一傾向は、 オセローが登場して以来、一貫して存在していたと考えられなくはな ︵2︶ い。それは、G・ウィルソン・ナイトが﹁オセロー音楽﹂と呼んだ、 オセローの駆使する、豊かで詩的な言語そのものの中に感じとれる。 オセローの堂々たる態度や言語は、見ようによっては大袈裟で鏡舌と もとれる。 このような言葉をのべながらオセローが何をしているのかといえば、要するに ●●●●●●●●●● 自分自身を元気づけているように私には思われる。彼は現実から逃げようと苦悶し ている。デズデモーナのことはもう考えてはいない。そしてただ自分自身のことば ヒユーミリテイ, かりを考えている。謙虚ということは、すべての美徳の中でも一番達成し難いもの であり、自分で自分のことをよく思いたいという欲望ほど執念深いものはないのだ。 オセローは一つの倫理的な態度というよりもむしろ美的な態度をとり、自分のおか れた状況に応じて自分を劇化することによって、自分自身を実に見事に悲憤な人物 に仕立てあげている。彼はいかにも観客を欺いているようだが、その実、その人間 的な動機はまず第一に自分自身を欺くことであった。この﹁ボヴァリスム﹂、つま り、事物をあるがままでなくわざとそうでないように見ようとする人間的な意志を、 シェイクスピアほど瞭然と暴露してみせた作家は他にはいまだかってなかったと私 ︵l︶ は信ずる。 ジラールは、人間の欲望には、対象そのものによってひき起される 欲望の他に、媒体を通じてひき起される欲望があるとする。主体は媒 モデル モデル モデル 体を手本として、その手本が欲望するものを欲望する。主体は手本の 欲望を模倣するのである。ジラールは、こういった洞察を、セルバン テスや、フローベール、スタンダール、ドストエフスキーなどの小説 から導き出す。ドン・キホーテの場合、彼は騎士の鑑たるアマディー モデル スを手本として、それが指し示すと思える対象、つまり騎士道的生活 に向って突進する。ジラールは言う。 エンマ。ポヴァリーは、少女時代にむさぼり読んだ通俗小説のヒロ イン達を通じて、パリの社交界を、そこでの華やかな恋愛を欲望する。 フロベールの主人公たちは︽現実の彼らとは違った別の者と自らを思いこむ︾と モデル いう目的を達成するために、自らに何らかの︽手本︾を差し示し、︽自分がそうな りたいと心にきめた人物について、模倣できる一切のもの、あらゆる外見、あらゅ −1− る見掛け、身ごなし、抑揚、服装といったものを模倣するのである︾。 この騎士道的情熱は、今日われわれの大部分が十分にもっているとうぬぼれてい ●●●●●●● る自己自身による欲望に対立する他者による欲望をはっきり示している。ドン・キ ホーテもサンチョも、自分たちの欲望を他者から借用しているのだ。それも、自己自身 であろうとする意志と完全に混同してしまうほど根元的で自発的な心理連動によっ ︵3︶ ているのだ。 ﹁媒体の幻惑力は、欲望される対象に伝達されて、それに架空の価 I −38−
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オセローが経てきた危険、あるいはその危険をくぐりぬけてきた輝や かしい勇者のイメージというものが、ここではデズデモーナにとって 媒体の役割をしていると思われる。この媒体の光が、それと近しい者 であるように思われるオセローという人間を照らし、欲望の対象とし たのではないだろうか。﹁私もそんな人になれたら﹂︵一幕三場一六一’ 一六二行︶と、デズデモーナは模倣の欲望をもらした上で、まるで女 の身の不可能さゆえに、そのイメージの体現者であるオセローを選び とるように見える。彼女が与える求愛のヒントも、もちろん意味の上 ではオセローに向けられたものではある。が、直接的な言い廻しの上 では、﹁もし、わたしに、彼女を愛する友達があったら、その人にわ たしの身の上話しをさせればいい、それで彼女の心が得られる﹂と、 オセロー自身というよりも、﹁オセローの物語を語るすべを知る人﹂ ヒーロー に向けられている。つまり物語の、あるいはその物語の主人公の、彼 女にとっての魅力を告白しているように思える。デズデモーナが、オ セローの、名誉ある軍人であり放浪する冒険者であるという属性にひ かれたことは、おそらく彼女が彼についてサイプラスへ行きたいと強 い希望を述べる︵一幕三場二四五’二五六行︶こととも、サイプラス についたオセローが先に到着していた彼女に、﹁わが美わしの戦士よ。﹂ ︵p白く註胃弓四三○三︶︵二幕一場一七六行︶と呼びかけることと も呼応しているように思える。オセローの側から言ってもデズデモー ナを愛するようになった成行きは全く同じである。﹁彼女はわたしの 弓面肘○口︸討尉寸昏の葛詳○ご○門口庵註胃ご画くの匡の①﹄. シロ・[一○ぐの匹写の﹃︶ず辱四計のぎの含堅で詳営ずずの9. ︵6︶ ︵一幕三場一二七’一六八行︶ さて、ジラールの三角形的欲望の図式は、イァーゴーのオセローに 対する関係を考察する際にも示唆的である。ジラールは、スタンダー ルの小説の中でもまた、欲望の三角形を見出すのだが、その部分を引 用してみよう。 セローの目に魅力的に映るのだ。 らしの価値を理解でき、またそれを高く評価するデズデモーナは、オ セローが経てきた危険というものが媒体となっている。そういった暮 てくれた彼女を愛しました。﹂︵一幕三場一六六’一六七行︶やはりオ 経て来た危険のためにわたしを愛してくれ、わたしはそれをいとしがっ かくして、オセローとデズデモーナは、その半生の物語の中でオセ ローが呈示した一つの輝く存在、勇者のイメージを媒体としてお互い にひかれ、お互いを勝ち得る。 虚栄心を持った男がある対象を欲望するためには、その対象物が、彼に影響力を もつ第三者によってすでに欲望されているということを、その男に知らせるだけで 十分である。この場合、媒体は、虚栄心がまずもって現出させたライバルであり、 虚栄心が、その失脚を願う以前にその存在を、いわばさし招いたライバルである。 媒体と、欲望する主体との間にあるこうした敵対関係は、ドン・キホーテやエンマ・ ボヴァリーの欲望とは本質的に異なる差異をつくりあげる。・・・スタンダール的欲 望の多くの場合、媒体それ自身が対象を欲望するか、あるいは欲望することがある かも知れないのである。つまり、その対象物が主体の目に無限に好ましく望ましい ものと見えるように仕向けるのは、それが現実に存在するものであれ推測されたも のであれ、まさしくこうした媒体の欲望そのものなのである。媒介作用が、媒体の Ⅱ −40−
そしてジラールは、媒体と主体がそれぞれその中央に位置する二つの 願望可能圏が、互いに触れ合うことのないほどに充分離れている場合、 外的媒介と呼び、この距離が縮小して、それぞれの圏が多かれ少なか れ一方の領域に重なり合う場合を内的媒介と呼ぶ。もちろん、この距 ︵8︶ 離とは精神的なものである。 さて、コールリッジは、イァーゴーについて、﹁動機なき悪意の動 機さがし﹂という名言を残したが、全く奇妙なことは、ブラッドレー が指摘した通り、イァーゴーがあげる動機の数が多すぎることだ。し かし、ともかく、イァーゴーが動機を述べている部分に耳を傾けてみ よう。登場するなり、イアーゴーはロダリーゴーに向かって、オセロー への憎しみ、ついでキャシオーヘの反感をこう語る。 罰○口画切目○○ 日彦○厘含○一色の詳尉ロの毒ご○屋。一・のサゴ○畠。宣旨巨目邑舜固巨岸 ︷シ○○ 口のの宮のの白の︾黙目。○口○ず.弓宣局のの函局の四計○国のの○命・ 自国己の門の○国四]の匡詳含○Rご画丙のRpのゴ尉巴后屋計のロ四国〆 ○龍︲○四℃でのユサ○三日︾画ロ。ず望苛写の命印詳昏○龍汽巨四P 自穴ロ○一三門巨琶己吋﹄○の︾胃画門口一三○局含ロロ○一弓○局のの画ロ︸画︵ 、こずきの菅画、昌○ぐ一国函宜肘○言巨己風ユの四ロユで匡局己○の①の︺ 欲望と完全に瓜二つの第二の欲望を生み出すのだ。このことは、常に競合する二つ モデル の欲望と関わり合うということである。こうなるともはや媒体は、主体に対する手本 といった役割を果たすだけではおさまらず、それと等しく障害物としての役割を淡 ︽一J| ずる、あるいは演ずるように見えることになる。 ○龍︻ロ四国︾ あ画己︸四○の. ○玲含壷の 壷画計の. 。﹄計]︾ オセローの自惚、鏡舌、空威張りが非難される。キャシオーは軍事 において口ばかり達者で実力がないとけなされる。ここではイァーゴー の中に、﹃トロイラスとクレシダ﹄におけるサーサイティーズの血統 をひく批判者を見ることができる。サーサイティーズも、自称英雄達 を、外見ばかり派手で中身が貧弱だ、と痛烈に批判する。同じ場、少 し後で、イアーゴーは再びロダリーゴーに言う。 目の四宮ゴ﹄のの○]。﹄の同のロ︺で. 少mRpm胃の門毎mの三の.︸畠の門ので局画き后言詳宜○厘計つ胃四○言○の ごくずの局の一国ずぎの念○m○ユ○○口の匡一の○四国で門○℃○の① 三○門の夢四国四m宮口昇の門I巨己の閉夢のず○○置の毒夢の○国。︾ z○門註写の9s巴○国○m四ケ四詳后斥冒○言の 弓ご凹計ロのぐの﹃の①守口めい屋四Q旬○口目ご計彦の睡巴ユ︾ 吟諒邑○言巴昌○胃邑四日ロの巨旨画命凹胃葛罵のl Opのア毎。彦四陛○画閉さ︾四国ざ局のロロロのI 珂○局の○○げす四m局の画計四門は画HpのはBmP ショニミゴ印計乏四のゴの心 ︽胃彦ゆくの画一門のm・冨○寓○ののご胃]○冷雨一○の局・︾ z○国︲のE房︾日冨日の昌四計○局の.句○局︽○の弓のの︾︾の四目の面の︾ シロ。ごoopo旨巴○口 国○国号々雲巨龍のQ乏詳ロので詳面の冨○冷言画ダ 固く画旦のの註写のH巨量﹃幹ロロウ○Hpご画の計○月○門R己の計四国○の ︵一幕一場七’一二七行︶
弓彦四ダ・○は冒函○国ご諒○ミロ○ケの①p巨﹄○屋のす○ロ二四mの︾ 言g厨○三冨のは日の︾ヨロ呂辱百三の日閉蔚乱の閉P 句○門口四口、彦計ご匡詳己同○ぐのpQの阜四国・弓彦のロゴの︾の○国︲ ごくの同の旨念すのア弓○○風[一三○匡一﹄邑○計ウの[ゆ四○︾ [国︷○一︸○三﹃﹄邑函壷旨ロ︾目雨○﹄]○一弓ごこずRロ]の①﹄戸 国の画くの邑扇白首旨ユ函の一国○ず昌由○局一○ぐの画ロユユこず害 、匡庁の①の︻唇﹄pmmo雨○局員︺くつの○巨一﹄印局の国豆宰 司○門二言の邑尉国営○屋す三四局Q四○威○邑包○ずゴユのRご○。、含門口計の 弓写のロ凹威ぐの四○計四国Q睦函匡門の○︷目ご望毒の四局計 ロ○重巴一計ゴロぐのケ琶計写のヨー四国。量昔の己一 少邑宴計画局gご旨ぬず巨詐の写○乏の○mのの局soの 閑$己買曾すぎの胃弓の四罫の画詳のロspmop↓ ごくす○︾含門旨巨Hpの。﹄邑雨○局﹃ロの四国空く﹄の四四のの ごく三つ白のの匡○さ壷○口の雲庶p画く①の.○含弓の鳥 ○○m含め一 口○守写の日絡写閉写○日四四の率︽ず閉のざ]ざ言 戸口。の匡○壷口○国のユ○自乙局○註脇目嵩の①馬. 句○門口四口ぬぎ計ご匡詳 ○四の写﹄の局の匹一 ○亨巴局︾○○口幹の邑含弐○房 自由○崖○三﹃彦啓Rご含○の①局ぐの門口]庁巨局邑匡で○口ご肖巨. 君のogpg巴一言日閉恵星ロ日巴一日閉言夙 ○四口ロ9ヶの言匡ごき﹄ざ乏呂.尽○屋のゴ巴︸日四門戸 三m昌四合意○房四a百$︲9○○重品言豊の ● 珂○環の胃︾ 岸尉凹めの宮8mの]○匡画愚切○・の風mp 三のの.○含弓の局のずづの局の四3 四国空く﹄の四四のの○︷Qこず営一 の邑邑一国四○口舜宜のHpmの一ぐの少 一○mのの局ぐ﹄○の○ご計宣の﹄門︸○局﹄の︾ 四国。量﹃ずの己哉写の︼ご画くの辱口の。 龍の崖○三三のぎゆぐのの○ご胃のの○巨一︾ ロ再凹の計の﹃の 匡冒︼四局穴 計画の一門 ここでは、イアーゴーの、マキャベリ的な功利主義的悪党の側面が前 面に出ている。一幕三場ではさらにロダリーゴーにオセローヘの憎し みを繰り返して述べる。 可○局ユ四三あ計○でのo再画奈l[日ロロ○含ミゴ四一自閏P 、匡含[一三陸一三$四局R巨冒ゴの口局計匡でopRp詞の]の①ぐの [国○○﹃巨石一員ロのロサの×ずの門口︶︺ず]のロ○ず一○国函凹由念の局︺ ︵一幕一場四一i六六行︶ 弓写匡の。○目のぐの﹃Hご四声の︻国営雨○○﹂口︺ぎつ巨司の①皿 珂○門胃胃巨︺ロの○乏口四m目口の﹄戸口○弓一の﹂ぬ①のゴ○屋︸qも局○命画ロの [烏目一三○厘︸巨含旨邑のの〆でのロニョ﹃﹄計画のこ○ず四m目]での 、巨含︷○局。︺寅ので○﹃計四国。で局○威試昌辱陣計の計壷の戸唐○○局︾ シロ。詳酎ずず○厘m宣舜四ケ局○画。ずぽ凹含ざ乏賞庁門口﹃のぎの①房 函の㎡。○コのRご営○雨顧○の.胃オロ○言ご○計罵ぷずの計門口の ●●●自壷ゆくの含○]・ 計ゴの①○命毒のご︾四口﹂胃局の’ずの一]サゴの①四mm﹄ロ煙ロユ四四四﹄ロ︾自写凹計の 守面の戸島○○局.戸南]○四こめの﹄のぎの四門計のQ”↑ず一国のロ、卦毎口○﹄のmの ﹃の画の○口.Bの計匡のすの○○星匡園○号ぐの]国○厘門﹃のぐの邑四の四m四目目のサ ゴ同ロ.胃︷ずご○屋○四口の計○尾○両○一匹面一員︺︾計ご○屋。○の寸寸昏望のの一雨四 つ畠の画の匡局の︾門口の画ので○吋註. ︵一幕三場三五九’三六四行︶ さて、ロダリーゴーが去るとイアーゴーの独白がはじまる。 −42−
ご蚕一︸﹄○画の黙き局の崖Hg雷函の面○丘の日の乏巴 弓弓のすの寸計の﹃のゴ巴]﹃ごくで匡司で○の①葛○局穴○ロゴ目ロ. ○画の巴○一の画で門○での局H巨画ロ亜后計尽どのの①の邑○君一 目○mの含辱酎ロ﹄四○の四国・計○己屋RどのロでHどき一己匡 冒。○尾豆の穴目画く臼君国○乏勺国○言勺固曾㎡用の. シ津の局の○日の宮冒の︾合○四ケ匡吊○ず画巴さ面の画同 日壷四含昏の尉誌○○雨四Hロ津一四門乏詳写壷尉葛篤史 国の彦四↑ご画ロの扇○国四コ。画関口○○計画島ので○用 目○ケののこのロの○念の具命門口員5包含○門ご画穴の葛○︻ロの。一 目弓の巨畠○○吋尉○冷画品旬の①四コ。○℃の自国ゆず匡局少 弓ゴ画計計ゴーご穴の国5口三○口のの奇計宜四↑ず匡含の①の門巨含○ シロユ一己屋四の詰冒・の局ごずの后﹂ず言計迂口○mのシロユミ﹄︸四の 弓ゴ画計計ゴーご穴の一 少の四閉閉四3. 目茸画くのま.扉尉のご函のロ・胃呂.困巴︸四国Qロ侭ご計 戸畠巨、計ず周一邑函誌ご︺の︻口○口の計局○屋のす﹄局哉写庁○ずぎの。 二蚕室Q○四の篤き局の屋Hgぐ.函の面○丘の日の言巴岸 、匡含目︾烏○局員胃の局のの巨切己壁gop−p計画ゆず穴﹂ロQ一 イァーゴーがロダリーゴーに向って語る部分では、イアーゴーは、例 えば金を巻き揚げるために、オセローへの憎しみを装っている可能性 コンヴェンシaン がないではない。しかし、エリザベス朝演劇の慣習では、劇中人物に よる観客へ向かっての独白や傍白は、額面通り受けいれてよいものと されていた。そのことを考慮に入れれば、オセローヘの憎悪と、副官 の地位への欲望はイァーゴーの本心であると信じてよいだろう。この 独白には、さらにオセローとエミリアの関係への疑惑という要素が付 ずぎの言○吋昼︾の一億ゴサ ︵一幕三場三七七’三九八行︶ 雨四﹂の①. す①の○︾ 次にオセローとデズデモーナが再会し、喜びを語り合うのを見て傍白 する。 ︸︺で、勺ごく○巨一Q念すの晋三三の門の○昌冨の計のH1で﹄ロの、雨○吋菅○匡旬の画丙の一 ○○厘尋のの笹︾弓尉の○旨ユのの昌昌黒画函m旨く○屋同威口函の厨寸○冨○匡門 計○巳四賀鼓ゴの、片言.くの﹃くぬ○○・卵葛巴一重ののの具画ロユの閤○巴宕ロ計 計ご局の①雨一邑函の局のの○○︷す一三ヶ︼○ゴロ○二﹃四四四﹄邑胃○こい局の︻ご○の含四己計 辱の匡計のロ四国計局冨︾一サゴ四ユウののロケの含計の門冠○厘ゴ四・邑○舜〆﹄のののq昌○巨局 ︼ロ・ののQ,目︷のロ○ヶ計局﹄○床の四の計彦のの①の守門]で﹃○屋○口含○雨菅○厘局 函菅ぐ①試写のの冒計宮口の○ミヨ○○巨局房三つKO屋の画く宮屋の︶︾武のの○ 函局の四計四m与画の○画の巴○.少冨閏昌一の巨で○ご宣胃一・○.胃一風崖 云﹃写]ので①﹃.ごく一計彦四の]﹄↑ず﹄の画一このウ四の計画目の一ご﹄]胃のロのロ四局の画の 国の註四床閉写関すくず画ので巴日.シ詳言巴﹄の巴昌 同じ場、少し後で、イアーゴーはロダリーゴーに、すでにデズデモー ナはキャシオーにひかれているとしきりに説く。相手は容易に信じな ○︶ざ○厘画局の葛の匡計巨口の堅目○葛一 因匡計局一宮の①計ユ○三﹃ロサゴのでの四のサゴ四↑門口画穴の計画厨間口宮田○一 少のゴ○コの答四m目四日. ︵二幕一場一九三’一九五行︶ け加わっている。二幕一場、サイプラスでは、キャシォーとデズデモー ナが語るのを見ながら、イアーゴーはこう傍白する。 ︵二幕一場一六四’一七三行︶
二饗′やトー.n一通濡嘩,-)鞘‘〔、AJ^-0柚且轡i、OK、咽′佃心升廷We信 狸謹里出軍Kノ墓v昼へsH*、埋眠‘硬岬^->岨、/範!、Q饗而旺-J-HK、0 andmosthiddenlooseaffection.Why,none,why,none -aslipperandsubtleknave,afinderoutofoccasions; thathasaneyecanstampandcounterfeitadvantages, thoughtrueadvantageneverpresentitself;adevilish knave!Besides,theknaveishandsome,young,andhath allthoserequisitesinhimthatfollyandgreenminds lookafter.Apestilentcompleteknave;andthewoman hathfoundhimalready. RODERIGOIcannotbelievethatinher:she'sfullofmost blessedcondition. IAGOBlessedfig'send!Thewineshedrinksismadeof grapes.Ifshehadbeenblessed,shewouldneverhave lovedtheMoor.Blessedpudding!Didstthounotseeher paddlewiththepalmofhishand?Didstnotmarkthat? RODERIGOYes,thatIdid:butthatwasbutcourtesy. IAGOLechery,bythishand:anindexandobscurepro-loguetothehistoryoflustandfoulthoughts.Theymet sonearwiththeirlipsthattheirbreathsembraced together.Villainousthoughts,Roderigo!Whenthese mutualitiessomarshaltheway,hardathandcomesthe masterandmainexercise,th'incorporateconclusion. Pish! (llttltfl1l1l-ll隅隅に) IAG○・・・Desdemonaisdirectly inlovewithhim. RODERIG○Withhim?Why,,tisnotpossible1 IAGOLaythyfingerいthus,andletthysoulbeinstructed. MarkmewithwhatviolenceshefirstlovedtheMoor, butforbraggingandtellingherfantasticallies.And willshelovehimstillforprating?Letnotthydiscreet heartthinkit.Hereyemustbefed.andwhatdelight shallshehavetolookonthedevil?whenthebloodis madedullwiththeactofsport,thereshouldbe,again toinflameitandgivesatietyafreshappetite,loveliness infavour,sympathyinyears,mannersandbeauties:all whichtheMoorisdefectivein.Nowforwantofthese requiredconveniences,herdelicatetendernesswillfind itselfabused,begintoheavethegorge,disrelishand abhortheMoor.Verynaturewillinstructherinitand compelhertosomesecondchoice.Now,sir,thisgranted −asitisamostpregnantandunforcedposition-who standssoeminentlyinthedegreeofthisfortuneas Cassiodoes?−aknaveveryvoluble;nofurtherconscion‐ ablethaninputtingonthemereformofciviland humaneseemingforthebettercompassingofhissalt l却守1 岬−)トノ′H-斗;>、.ヤマー紐審e令硲*IKド」黛柳4ロ名士j′p*N=、一物n−墨
醇国2門︽四扇舜巨邑戸ゴの宮で門○ぐの註○口$弓の日○国印 PBO胃旦の四局ずこのケ四国ezo言︾自・oさくのゴ胃計og zo含○匡合○命四ケの○冒討旨胃l計写○巨函画での局、﹄ぐの国含匡司の 胃鴛四国。④go屋三四口含ざ局四の叩局の四ずゆの旨1 mこずで口局匡詞后。計○・活計門口営烏のぐのロ”の 句○局含宜四誌[。○の匡の己の○計詐彦の昌匡の計]戸︷○○局 四四計壷︸の四℃の﹄旨計○口このの四戸計画のサゴ○屋函毒計葛壷の局の。届 CO計ロ一房の四つ○昂○コ○屋の冒冒の門巴︾mpm言日冒﹄国葛口門・理 ﹂L○白目︾巨需の口七○胃の○己○屋の門口肖冒の門④歩mpm三ご門口︼﹄国 ショQpo含言ごmomPo局のずぃPoop電ご計昌くめ○巳 弓竺一目四国胃のぐのロの︽弓詳ずぽ員巨雪弓罵の能○局二﹃罵史 ○局玲巴岸旨函の○︾]里含彦凹含冒で巨含舜写のア︷○○吋 少計后四馨白誌○四万巴○宮の営め○普局○口函 弓宣ゆげ一屋●四日旨の邑詐omppo含○巨局の.ごく壷旨ゴサ面目ロ函庁○ 用計冨ので○○局言、の壷○︷くの昌○の︾ミゴ○日目后四の画 珂○局面耐ぬ匡旨穴ご巨口は冒四の註四国。サゴの己屋計はロ四○口︾ 胃︾︸一ヶゆくの○巨局シ愚。ご画巴○画の巴○○国計写のゴ目酉 シウロのの三日き計毎の戸畠○○同旨計画の同画邑再函口﹃ず− 句○門胃註四吋○四の巴○乏詳ご昌曾邑狩ゴサ○四℃gol 二黒の夢の三8局吾四房白の﹄○ぐの日P圏13重 厨○雨画○○口の計四国〆岸○ぐ﹄邑四︺ロ○ケ]のpゆず宮門の︾ 弓冨の戸畠○○局’ず○ミゴの詳含彦四計冒の目・匡局の三国ロ○計I 弓写ゆずのゴのきぐの、ご胃ご︾亨威の四つ計画ロ。○雨叩門の四計○局の●牌・ 弓ご凹計○四の巴○きくのの言の環門。○言の崖ウ巴扇ぐの︾す が退場すると、再びイァーゴーの独白となる。 計○○1 画ロユ局の三三“門ユ 邑○ ]︼]の 実に奇妙な独白である。イアーゴーは確かに功利主義的悪党の側面を 持っている。それはロダリーゴーから金を巻き上げたり、キャシォー を追っ払って自分が後釜に坐ろうと企んだりすることに現われている。 しかしそれだけでは、この独白におけるように、イァーゴーが、自分 やキャシオーの、デズデモーナヘの欲望や、オセローとキャシォーの エミリァとの関係の疑惑Iこの疑惑は劇中何ら客観的な裏づけがな いのでイァ︲ゴーの妄想と呼んでもよい代物であるl、その復讐な どを次から次へとあげつらうのは不自然に過ぎるだろう。シェイクス ピアはここで、人間心理のより深く複雑な壁に触れているように思え ブ︵︾O ジラールは、人間の欲望を考察するにあたっては、一見奇妙に思え る場合でも、対象からではなく、媒体から出発することで謎が解ける ことがあると言う。イアーゴーにとって、その媒体はオセローとキャ シオーなのではないか。ここで再びジラールに耳を傾けてみよう。 閑pゆくの吋乳の巳巴ロ︷四○の耐ロのぐの﹃の①の国威宮屋のの今 画ぐのロ計○口︺mQpのmの.︺弓尉彦の局の言ウロサ]の庁○○国命屋のの腎 少。座で局四○丘の旨四厘℃○ご言のでの四○の四国。P巳黒︾ 句○局尽口画庶﹄ロ函写営巨の函門の函︺○厘巴]四国画、少 ︵二幕一場二七七’三○三行︶ 対象への高揚は、実は媒体への高揚である。内的媒介にあっては、その高揚が媒 体それ自身によってぶちこわされてしまう。なぜなら、媒体が、対象を欲望し、あ モデル るいはおそらく対象を所有しているからだ。手本によって見すくめられた見習い手 は、欲望達成をさまたげるメカニックな障害のなかに、手本が彼に邪悪な意志の証
モデル 拠をつきつけていると見ざるを得ない。こうした見習い手は、自分を手本の忠実な 臣下であると公言するどころか、媒介のつながりを拒否したいとのみ思う。けれど もこの結びつきはかつて以上に強固なものである。なぜなら、媒体の表面的な敵意 も、その幻惑力を縮小するどころか、むしろそれを増大させることにのみ役立つか らである。欲望する主体は、自分が見習おうとする媒体が彼を自分の弟子として遇 モデル するにはあまりにも自己を高しとしていると確信する。こうして欲望する主体は手本 にたいして、最も従順な敬意と最も強烈な恨みという二つの相反するものの結合に よって作りだされた胸をひきさくばかりの悲痛な感情を抱くのである。われわれが 憎悪︵冨旨巴と呼ぶのはまさにこの感情である。 われわれに暗示された欲望をわれわれが満たそうとする時、それを妨げる存在こ そ、まさしく恨みの対象なのである。恨みをいだく人間は、自分の恨みがおおいか くしている秘かな賞讃の念に比例して、なによりもまず自己嫌悪するものだ。他人 の目に、そして自分自身にたいして、その狂おしい讃美の念をかくすために、彼は もはや媒体のなかに妨害者しか見ようとしない。こうして、媒体の副次的な役割が 前面におし出されて、信仰的に模倣される手本としての本来的な役割をかくしてし ↓︸季、﹃ノ○ ライバルに自分を対抗させるこうした葛藤のなかで、欲望する主体は自己の模倣 を隠蔽するために、欲望のよって来たる論理的発生順序をあべこべにする。彼は、 自分自身の欲望がライバルのそれよりも先立って存在したと断言する。彼の言い分 をきけば、だから、敵対関係に責任があるのは絶対に自分ではない、責任があるの は媒体の方だ、ということになる。媒体に起因するものは一切、相変らず秘かに模 けな 倣されているにもかかわらず、ひとしなみに艇される。こうなると今や媒体は、校 滑で悪錬な敵ということになる。媒体は、欲望する主体からその爺も貴重な所有物 を奪いとろうとつとめ、その最も正統な野心を執勘に妨げる者、ということになる。:. 嫉妬や羨望は三重の存在、つまり対象の存在、主体の存在、嫉妬したり羨望した りする相手の存在、といった三重の存在を前提としている。:.けれどもわれわれ モデル は人が嫉妬する相手の中に手本をけっしてみとめようとはしない。なぜならわれわ れは嫉妬に関しては、嫉妬する側それ自身の観点に立つからである。内的媒介のあ イァーゴーにおける内的媒介の媒体、モデルライヴァルは、二人の 男、オセローとキャシオーである。劇中、イアーゴーこそ彼等の美点 を認め、たびたび言及する人間である。イアーゴーはオセローの軍事 的手腕を認めている︵一幕一場一四八’一五四行︶し、彼がデズデモー ナにとって愛される夫になるだろうことも認めている︵二幕一場二七 九’二八二行︶。そしてオセローの語る能力もどうやら誇鋳垂の的になっ ている。先に引用した通り︵一幕一場一四行︶、重事にかけてオセロー は雄弁である。女性にとってもその語りは魅力的らしい︵二幕一場二 一六’二一七行︶。さらには、オセローの﹁おおまかな、開けつぴろ 先だって存在したと言い張ることになる。彼は媒体を対象との廿美な差し向いを打 い込んでいるのだ。結果として、嫉妬する者はいつも、自分の欲望は媒体の介入に 欲望が対象に、その対象物そのものだけに根ざしているのだと、きわめて安易に思 らゆる犠牲者と同様、嫉妬する人間は、自分の欲望が自発的なものである、つまり チルツ●f0ンコンモド ちこわしにやってきた闘入者、厄介者、不都合な第三者としてわれわれに紹介する のである。そうなると、嫉妬は、われわれの欲望のある物が思いがけず阻止された 場合に、われわれの誰もが感ずるあのいらだちに帰着することになってしまう。本 当の嫉妬というものは、そんなことよりははるかに複雑ではるかに豊かなものだ。 それは常に、尊大なライバルに魅惑的要素を認めるものである。それに第一、嫉妬 に苦しむのは常に同じ人間である。彼らが不幸な偶然の犠牲者であると、われわれ は信じなければならないであろうか?彼らにあれほど多くのライバルを唯じさせ、 彼らの欲望を通じて数々の障害を増大させるのは運命なのであろうか?われわれ 自身はそう信じてはいない。なぜなら、これらの嫉妬あるいは羨望の慢性患荷たち を前にして、われわれは︽嫉妬深い気質︾レーか︽羨望的性格︾といったこし一を術題 にするからである。それでは具体的に言って、他者が欲望するものを欲望する、つ まり他者の欲望を模倣するような抗がいがたい性癖を除いて、そうした︽菰薗︾と ︽9︶ か︽性格︾は何を予想させるであろう? −46−
国のぎ画試写四ユ巴毎ヶの四巨計] 弓ご画計汽巨画斉のの︻国の匡函一君: また、キャシオーについては、イアーゴーがオセローに対する羨望 を述べる際に、この二人は切り離して考えられないと言わんばかりに 言及するのも注目に値する。冒頭、イァーゴーは、オセローの︽↑の宮︲ 三の冨旦葛閏:をけなした後、同じく軍事に関して雄弁なキャシオー に言及する︵一幕一場一八’二七行︶。サイプラスの港では、ロダリー ゴーに向って、物語の魅力によって女を獲得した男オセローと、ハン サムで口先のうまい色男キャシオーについて話してきかせる︵二幕一 場一二五’二四○︶。 ペア ィァーゴーにとってオセローとキャシオーは常に対になって頭に浮 モデル かぶ手本である。二人は彼の上官であり、そして二人共、何か﹁表現 能力﹂といったものに恵まれているlあるいは恵まれているとイアー ゴーが考えている’ことは注目に値する。一方、イァ︲ゴI自身は と言えば、サイプラスの広場でデズデモーナを相手に駄じゃれを言う たち げの性質﹂︵画坤のの画三名自国画言局の︶︵一幕三場三九三行︶そのも のも、自らには欠落している資質として嫉視の的なのかもしれない。 キャシオーについても、事情は全く同じである。彼をロダリーゴーを 使って殺そうとするのは、オセローが彼と接触することによって自ら の嘘が暴かれることを恐れる他に、キャシオーの美点そのものが殺意 を抱かせることが独白で述べられる。 馬○口の巴○匹○門関口四]。 あ ずの四巨計ぐ一ロゴ目の匡冷の ︵五幕一場一八’二○行︶ 対象への高揚は実は媒体への高揚である。例の奇妙な独白︵二幕一 場二七七’三○三︶で、イァーゴーがデズデモーナヘの欲望をふと口 にしたりするのは、彼の内的媒介の媒体であるオセローやキャシオー が、彼女を欲望している、あるいはしているに違いないと思うからだ。 オセローやキャシオーと、自分の妻エミリァとの仲を疑うのは、媒体 と自分との敵対関係の責任を、もともとは自分にあるにもかわらず、 媒体にかぶせることによって、自己を正当化しようという試みであろ うと思われる。イァーゴーにとって、エミリアの方が、デズデモーナ よりも、自らの正当性を主張できるからにすぎないことを、おそらく 観客は直観的に感じとるのではないだろうか。デズデモーナもエミリ アも、イァーゴーにとっては実はどうでもよいものなのだ。彼の望み はオセローやキャシオーと﹁五分五分になる﹂︵二幕一場二九○︶こ とである。もちろん、そのための最善の道は、オセローやキォシオー という他者の存在に薦かれることをやめることだ。彼等はイァーゴー ロ因のロ因ご胃○zP ○︾ロ︺○雪毎日のmpQ胃国で○怠邑計。oご巳匡巴○豆 口○口○ず宕画同国○︷巨白一画ロ昌一厨言詳毎○匡函ゴゴのケの↑ごくゴこめず画ロユ. 函○弓の画き詞○F○口の巴○︾尉宜の国○誌四日○答で局○ぬ四国のロロ。 ぼずの﹃画﹂○○匡邑の①宮○門や ○少の四○国ののもの四声の画○日の︾日四・口冒一翼○厘日四営門2尉宜三日go3 −pサゴのの○一﹄一の局↑す四口目ロ庁彦のの○ヶ○一四日 が、あまり気に入られた様子がない。 ︵二幕一場一五八’一六三行︶
のぎの︺の四ウロののQ︾の含○]のロ能﹃○︻ご門口の︾四国﹄○○局局匡でず①ユ ずくめでの︸︸の四ロユ民口の﹂一○﹂ロののケ○屋ぬぎ含○︷︻ロ○屋ロサのずゆ口弄の一 旬○局邑四計匡﹃のの○℃局のロ○の計の局○厘巴琶含○の局局︾ オセローが異邦人であるという設定は、この劇の重要な要素である。 ブラバンショーは、オセローと娘デズデモーナの結婚に驚樗し、その 不自然さを言いたてる。 なくても容易にみてとれるところである。 は、嫉妬のっけ入りやすい条件が備わっていることは、イアーゴーで を苦しめるための道具として使おうというわけだ。そしてオセローに であったキャシオーの美点を、そのままもう一人の媒体であるオセロー う一人の媒体であるキャシオーを持ってくることだ。自分の嫉視の的 の好計の悪魔的なところは、オセローのライヴァルとして、自分のも せI失なったと思い込ませ’ようとする.この場合、イア︲ゴー 命される︵三幕三幕四七五︶。オセローにはデズデモーナの愛を失わ せる。そして公表されはしないものの、自らがオセローから副官に任 陥らせようと企む。つまり、キャシオーには副官という地位を失なわ になることが不可能なので、イアーゴーは、彼等を自分と同じ状態に 深い人間﹂の本性であろう。隣人の美点や所有物の点で、彼等と対等 いのがイァーゴーがイァーゴーであるゆえんである。あるいは﹁嫉妬 の方を見ず、自らの生活を営んでいるのだから。しかしそれができな Ⅲ ショユざ黒︾宜○言国画計匡恩の弓冒、坤○日詳のの馬:。 ● しかし、オセロー自身、それを感じていたことを、シェイクスピアは セリフ 次の台詞で示唆する。 ショ凹昼のロロのぐ胃ご巳g ○由の巨局群の○の威匡、ロロ。巳曾含さ四サゴの同日○は○国 、一屋の写の。四計どの門のの尾亜画邑。の面の︾一国ので鳥の○命国四鼓宮門の︶ ○命君の四易︾○由CO屋国司雷○局の9戸のぐの局冨含冨ご四 目○由口唇﹄ご﹄○ぐの乏詳ご言百m苛めずの命の四局のq寸○一○○床○ご一 目計]の画一匡巨函の属目の巨舜Hpm胃邑のQmp。Rご○の計旨巨での局由の○ず 弓ご画計言一]一○○口命のmのロの門命の○は○コの○○○崖一旦の門門 吟函巴口胃巴一門巳閉○命口凹舜巨扇︾、ロ・日匡曾ウのユロぐのロ 弓○鹸口具○匡計ロ﹃四○陣。①の○雨○尾口ロ﹄国叩写堅一 ごくゴ言計茸一のの画○厘︸ユウの. の四口の一三﹂牙○画○局m先ず○○匡昌旦口○ず. 画2回函冒○誌・の陸旦の冒戸ず毎国go局﹄四国︼の○命ののロのの︾ ︵一幕三場六○六門付︶ さらに、くどいほどその不自然さを強調する。 オセローは、もともとヴェニス社会へ入り込んだ他所者であり、客 ︵一幕三場九四’一○三行︶ ︵三幕三場二二五行︶ 48
人であり、大切にされている娘を奪いとるという、伝統的姦通者の資 ︵皿︶ 格を備えていることが指摘されている。観客は、ブラバンショーの、 ﹁父親をだました娘だ。お前をもだましかねないぞ。﹂︵雲の富の号︲ 皇ぐ&言局毎吾2口且白星言のの︶︵一幕三場二九○︶という脅迫が、 伏線になってオセローの耳に響いていることを容易に理解すると思わ れる。キャシオーの持つ属質、若さ、美貌、そしてとりわけヴェニス 社会の一員であることは、イァーゴーがその現実性をほのめかし始め る前に、すでにオセローの脳裏にあったライバルの属質なのではない か。オセローの黒さは、観客に、彼が異邦人であることを絶えず思い 出させ、彼が嫉妬に陥ってゆく素早さや、その苦しみの凄まじさを納 得させる助けとなっている。確かにオセローは、キリスト教徒であり、 高潔で勇敢で、異教徒の侵攻を阻む実力のある将軍であるという点で、 ﹁なみの白人より美しい﹂角閏日○時の岳罵言四国匡口。ご︵一幕三場二 八七︶。しかし、そういったいわば模倣は、ヴェニス社会の一員であ り白人であるキャシオーの、いわば本物性と対置された時、オセロー 自身の目に輝きを失ってみえる。嫉妬は、手が届かぬライヴァルに対 する無力な怒りである。白人社会の中に置かれ、その社会の価値観を 自らの価値観とする限り、オセローは自己劇化や嫉妬への傾向と無縁 ではないだろう。シェイクスピアは、原話にさまざまな改変を加えた ︵皿︶ にもかかわらず、主人公の黒さをそのままにしておいた。それが、シェ イクスピアの演劇的想像力にとって魅惑的であったのは、それを白人 社会の中に置き、さらに舞台にのせた場合、その黒さが周囲の白との コントラストによって、自己劇化の欲望と嫉妬のメカニズムを、おの ずから語り出すからだろう。﹁白人よりも美しい﹂理想的武人である オセローが、そのように振舞えば振舞うほど、観客には彼が﹁自分で ないもの﹂を演じているのではないか、と見えてしまうのではないだ ろうか。異邦の社会において、オセローは、勇猛果敢な冒険者、名誉 ある軍人であると自らを規定し、その理想的自我を演ずることによっ て、そしてさらにそれをその社会の一員である娘に語り、賛仰と支持 を勝ち得ることによって、アイデンティティの感覚を保っていると考 えられる。イァーゴーの好計がつけ入るのは、このアイデンティティ の脆さである。もちろん、イアーゴーにそのような洞察が可能なのは、 彼自ら、自身の内部の空虚感、嫉妬の心理を熟知しているからだとい うことは言うまでもない。 自己劇化と嫉妬とは、﹁自分とは違ったもの﹂﹁自分でないもの﹂ ﹁他者﹂に嬬かれているという点で兄弟である。ジラールの用語を借 りれば、前者は外的媒介、後者は内的畔腺介によるものである。オセロー とイァーゴーもまた、嫉妬という点で兄弟である。ただ違うのは、イ ァーゴーのそれは彼の本質であるように見えるのに比べ、オセローの それは、異邦人という状況が生んだものと思えることだ。﹁嫉妬しや すくはなかったのだが、はかられて心極度に乱れ﹂︵ロgの、のご甘巴︲ ○屋めす具古田品弓周○長言、罵豆の〆&冒吾の①営司の日の︶︵五幕二場三 セリフ 四一’三四二行︶という台詞は、このことを暗に示唆しているように 思える。さらに両者が決定的に異なるのは、オセローは自己劇化をす るlあるいはする能力があるIのに比べ、イァーゴ︲は自己劇化 の敵対者であることだ。自己劇化をしない自分というものを、彼は誇 りにしている。彼は他人に対してはどうであれ、自らに対しては全く 正直︵言冒の、己である。また、﹁口が悪いのだけが取柄﹂合凹日ロ。言︲ 冒函罵邑三目言巴︶︵二幕一場二八行︶と自ら卑下して言う通り、 イァーゴーは批判者である。しかし批判しつつ、オセローの自己劇化
の能力を羨んでいるらしいことは、Ⅱ章において見てきた通りである。 オセローにとって、自己劇化はプラスの面とマイナスの面を持って いる。オセローはそれによって、ブラバンショーが何度も繰り返した ように、まるで魔法のよう︵o冨言呉日四四。蕗○三。言旬日の︶︵一幕 二場六五、七二行︶に、デズデモーナの心を得た。しかし、他方それ は、その理想像の硬直性によって自縄自縛の柳ともなる。オセローは、 キャシオーが、﹁名誉、ああ俺の名誉!﹂︵三]旬g三里ざ邑菖長p 白く周の宮冨威○三︶︵二幕三場二五七行︶と嘆いたのと同様、名誉を大 切にしている。 の計のの己の包国胃の﹄自己○くの局計目計○念画のぐの局]毎℃の︾ ● 西口。詳巳の四$・写のゆくのご 弓○ず局冨Rpの看詳彦凹由塵旨は○P宣四。計昏の︾門口一国①ユ シ匡匿邑・○局の○8m四国。の宜閏口閉○口目]ず四3三の画昌 ○営の口含○○口ではぐ詳討日の四国・日]匡計日○里ご○で$一 門の宣○匡冒ユゴ印くの命○ロロ・一口のoHpので岸画○の○︷H邑営、○尾︸ 吟。尉○で○庵で四宮のロ8.m匡計巴印少念○日四床の白の シ威〆⑫。威函匡愚庵○局含壷のは日の○雨go門口 目○℃○﹂ロサゴ尉巴○乏匡ご︻巨○く﹄ロ函威口函の門口垂 、匡守守写の局のミさの局の胃ゴゆくの四m門口の局の包匡で門口冨彦の四局貢 ぐくずの局の①﹂サゴの局員Rロこめず画くの︾○局すの四局ご○庫能の言 しかし、彼にとって名誉の喪失よりも耐え難いのは次の点だ。 ︵四幕二場四六’五四行︶ オセローは、自らの理想像を呈示することによってデズデモーナの愛 を得た。彼にとってデズデモーナの胸は、その理想像の宿る聖域であ り、彼女が彼を他の男に見かえることは、彼が混沌の中からうちたて た理想像を砕いてもとの混沌へ帰すことだ。デズデモーナ殺害は、こ ︵唯︶ の偶像へ捧げるいけにえの儀式である。 し誤詳壷の同のざ○床函風日いの首の匡一 も四は①。○の雪計画○こく○厘目函四国ユ局○のの︲一一℃己のユ○ヶの司匡す﹄国︾ 弓○穴邑○計四口二mの邑旦の局﹄ご一目屋門口ずき君○○吋ロで后溌一○口サゴの局の︺ ○門穴$で詳四のmeの意門口由○局命○三計○画﹄の ○局の房の旦国硯匡でl計○ケのsの○四局ユのQ含辱のロ8 弓画の由○匡巨ずゆ]ロ命局○員︺ずロのミゴ甘画門口]○厘局局の冒誌局巨ご少 ︵四幕二場五六’六三行︶ シェイクスピアがこの劇で描いているのは、﹁自分とは違ったもの﹂ ﹁他者﹂への人間の関心、その魅惑とそれへの憎悪であり、そしてそ の情熱がもたらす破滅である。そしておそらく他者がlジラールの いう外的媒介であれ、内的媒介であれI心理生活に大きな比重を占 める原因は、アイデンティティの空洞化、あるいはそれへの鋭い意識 である。 思想史的に見れば、ルネッサンス末期に、中世の、神から人、動植 ︵過︶ 物に至る存在の連鎖の秩序と位階の世界観が形骸化しつつあったこと は大きく影響したと思われる。人間はその混乱の中で、新たに自己を Ⅳ 5 0
-支えるものを模索し始めたと考えられる。自己劇化はその一形態であ ろう。また社会的には、封建秩序の崩壊と共に社会的流動の度合が増 加し始め、限定されたものであったにしても人が自分が生まれ落ちた ︵M︶ 階級を去ることが可能になってきたことが指摘されている。個人間の 差がかってほど歴としたものに感じられなくなれば、人が隣人に注目 し、自らとひき比べることが多くなるのも当然の成行きであろう。そ してこの状況は無論、現代の我々にとっても無縁ではない。 モラリティ イァーゴーには確かに、マキャベリ的功利主義の悪党、中世の道徳 劇のヴァイス、冷笑的批評家、不平家、悪の芸術家等々、批評家達が あげる側面がある。しかし、いわばそのさまざまな顔の下に、シェイ クスピアが描いているものは、アイデンティティの空洞化の病いであ る。そこから、あるいはその意識から、他者への圧倒的な関心が生ま れ、他者の自己表現、あるいは自己劇化の能力への羨望と敵意が生ま れる。終幕、イァーゴーが彼の行動の動機をオセローに問われて、 ﹁わかっているだろう、わかっていることは。﹂︵乏冨計苫屋百○言 弓匡百○言︶︵五幕二場三○○行︶と述べるのは、一見、自律的でしっ かりと自分のアイデンティティを把握しているかに見えたオセローが、 やはり自らと同じ病を分け持っていた、というイァーゴーの認識を示 しているように思える。 ﹃オセロー﹄︵一六○四’五年︶より二、三年前に書かれた﹃ハム レット﹄︵一六○○’一年︶において、主人公ハムレットは、劇の前 半、何らかの役割を演じることを徹底的に拒み、本来の自己に誠実で ありつづけようとしていた。後半に到り、彼は唯一の自己表現の道と して演技を受け容れるように見える。少し遅れて執筆されたと思われ る﹃トロイラスとクレシダ﹄︵一六○一’二年︶においては、トロイ 戦争を舞台に伝説の英雄達が大言壮語し、もったいぶってのし歩く愚 かしさが、批評家サーサイティーズの目を通して冷笑的に描かれてい る。﹃オセロー﹂において英雄の位置は﹃トイラスとクレシダ﹄にお けるよりはやや復権してきていると思える。自己の内部の空虚感のた めに、他者の破壊によってしか自己を表現できないイァーゴーよりは、 明らかにオセローは高く評価されている。なるほどオセローは、ハム レットが劇の後半で到達した自己表現としての演技に対する柔軟な姿 セルフイメージ 勢を欠いている。しかし、理想の自己像を守ろうとするその姿勢がい かに現実を遊離し、愚かしくとも、そこには現実の混沌から何か美し いものをうちたてようとする態度が見られる。自己劇化の愚かしさと 美しさはオセローの中に共存している。 幕切れ、エリオットの言う通り、オセローの最後の台詞に自己劇化 の要素があるとしても、シェイクスピアはもはやそれに対して批判的 な視点を導入してはいないようである。まわりの人々はこう言うだけ である。 弓ゴ厨・一。[局の四門マケロ苛苛彦○こぬご詳古の宣四ユロ○言の四つ○国一 句○﹃壷の乏画の函局の四︽○玲宜の画﹃ず 巴○口○く目○○ ○匡○○口冨 ○罰少弓目z○ そして次期サイプラス総督であるキャシオーがこう言う。 での局一○・一 少冒含声凹含︾のので○床の尉冒四門門①全 ︵五幕二場三五三行︶
この幕切れにおいて、シェイクスピアは、オセローをその自己劇化を も含めて英雄として描いている。あるいはむしろ、オセローが英雄性 を獲得するのはまさにその自己劇化への意志によってであると思われ ︵脂︶ る。おそらく、トリリングの言うように、英雄とは﹁役者﹂であり、 ︵略︶ ﹁自らの最高の自我意識を最後まで演じおおすもの﹂なのだから。 ﹃ハムレット﹄における演技との一応の和解、﹃トロイラスとクレ シダ﹄における演技への蔑視・嫌悪を経て、この﹃オセロー﹄という 劇において、シェイクスピアは、自己劇化という演技へ、そして自己 劇化を本質とする英雄というものへ複雑なまなざしを向けているよう である。シェイクスピアは英雄の表現力の豊さ、崇高なものへの献身 に惹かれている。しかし同時に、そこに自己欺臓性、自己への不誠実、 アンビヴァレント ひいては他者への不誠実を見てとっている。この相反的な感情が、ア イデンティティの空虚さへの洞察と共に、彼をして、愚かしくも高貴 な自己劇化の英雄を創造させたと考えられる。 ︵1︶弓.い両一さ︹↓↑砿豆四声の砦の四局四国・言ののg言涜冒旦の四房の臥雪↓のミR・馬、嗣房負房 Poao員句筈gご麓二号.園〒屋﹄.訳は平井正穂訳﹁シェイクスピアとセネヵの スト子 克己、主義﹂二世界文学大系阻一シェイクスピア﹄筑摩書房、昭和別年︶から階用し た。 ︵2︶の、二号昌宍昌但呉畠少言空言言三厨房・一重罵事毒馬雪受軍尽P︵︶ご号貝 三里言自↓岳全︶9.雪山岳. ︵3︶ルネ・ジラール﹃欲望の現象学﹄︵法政大学出版局、一九七一年︸、三頁。 ︵4︶同、四’五頁。 ● 、 >王 ︵五幕二場三五六’三五七行︶ 葛g・三岳霊︶.以下、引用はこの版による。また日本語訳は、菅泰男訳一縁オセロー責岩 波書店、昭和三五年︶、小田島雄志訳﹃オセロー麦自水社、一九八三年︶を適宜援用し た。 ︵7︶ジラール、前掲書、七’八頁。 ︵8︶同、九頁。 ︵9︶同、二’一三頁。 ︵型大橋洋一﹁異邦の異邦人’一才セロ1−と他者の問題l﹂一シエィクスヒァ の悲劇﹄︵研究社、一九八八年︶、二七頁、一二七頁参照。 ︵Ⅱ︶⑦、〆・国昌弓囚,↓ロミミミ房量ミミミ展ミミ、ミヘミミごミミミ垂胃妨ミミ星雪 雲墓鴎罵S感ミミ悪勿gミミsへ︶ミミ呉匡く囚・go一口三く①星ご哀︲①塁も.ご・も時、イ ギリス演劇において、ムーア人について、残忍で淫乱な野蛮人レーいう広統的な兄方 があった。しかし同時に、堕落したヨーロッパ人によって搾取される・ゴ︵三の の画く畠の:、無垢な同然人という概念も一般に広く知られるようになって米ていた 室匡員①﹃“ミミ.壱p全︲室望︲認・︶。表面的に見れば、劇中のオセローには両方の イメージを兇ることができるように仕組まれており、シェィクスビアはセンセーシ ョナルなものを期待する観客をも満足させるように作っていると考えられる。 ︵磐野島秀勝ニオセロー﹄ⅡⅡ双面神ヤーヌスの祭儀﹂一筒然と脚我の腺風景一下 ︵南雲堂、昭和五六年︶、四六五頁。 ︵過︶]C里塵匡夙匡房一具農弓毒の国尉gユの昌曽aのCQ里碗色の穴四○昌己弓々鋒シミ︷︾ ○︶ミ言ミcござ望尋易罵S蒔舞謹己妥巴.︻2−昂g三三・普己い浮きg冨匡日 ︵○曽ゴウユユ”のご己ぐの扇津冨弔﹃のいい岸や。︶?ロ孟雲 ︵M︶匡○弓の一弓﹃三言い睦言ご堂ゼミミ塗室Ss﹄毒・妻壱︵○×ざaロヨく①﹃鰹ワ﹃宝・のいい 一や﹁へ一︶っで,昌切. ︵堕大橋洋一氏は、﹃オセロー﹄は、﹁白人社会の存立を脅かす異邦人を殺す芝居﹂ にもなっていると述べている。オセローは﹁白人社会の備兵﹂として﹁自らの内な る野蛮人﹂を殺す儀式まで演じてみせる︵前掲書、三三’一二三典︶。さらに言え ︵5︶同、一八頁。 ︵6︶尿9月吾三巨買&..Q言言乏の君宅g四言讐受罷罵閏Q函胃ョ︵昌呈︲ −52−
ば、この場の下部構造として、パルマコスや王殺しの儀礼が認められるかもしれな い。しかしそれは、シェイクスピアの、自己劇化の英雄としてのオセローの描き方 と矛盾するものではなく、むしろそれと方向を一にするものであると思われる。古 代、アテーナイの町は、疫病、飢鯉、外敵の侵入、国内の紛争といった災厄が町を おそったり、おそう倶れのある時に、共同体を清め稜れを賊うために、供犠に捧げ られるべき哀れな者達を常時多数養っていた。そしてこれらのパルマコスは、哀れ むべき、軽蔑すべき、答むくき人間であると同時に、その死が共同体に平穏を再び もたらすが故に、また、彼らが儀礼の主役であるが故に、崇敬の的であった。この 二重性は、アフリカの部族社会の王殺しにおける王たちの持つそれと同一である。 ある王殺しの儀礼においては、供儀の対象である王が、同時にその祭式をとりしき る供犠者であるという二重の役割がはっきりと認められている。以上、ルネ・ジラ ール﹃暴力と聖なるもの貢法政大学出版局、一九八二年二五二’一五三、一七○I 忌避される者でありながら敬まわれる者、いけにえでありながら同時にその祭式 テンヒ・アLシト をとりしきる者、そういった存在に対する州反的な感情を、我々はオセローに対し ても抱くかもしれない。オセローはヴェニス公国の備兵であり、いったん危機は去 ったものの、トルコ車の襲来という外敵のおそれが劇中に描かれている。またオセ ローは壬ではないが王族の出身であり︵軍国o言ご己黙の四目言冒廻珂g日日gC寄昌里 吾帰三幕二場二一’二二行︶、フレィザーの伝承の﹁森の王﹂と同じく、﹃漂泊放浪 する異人として来訪し、死か追放によって外なる枇界へと去ってゆく、原型として α︿王﹀妄赤坂意雄一.王と天皇﹄筑摩書房、一九八八年、二頁参照︶のイメージが ある。 ︵賂︶ 一七五頁参照。 弓一・窒冒頓。軍。詳雪でロの︽I唾餌