長期在宅脳血管障害患者の回復過程
末永由理
1)遠藤淑美
Z)島田広美
1)井上聡子
1)佐藤弘美
3)酒井郁子
4】要 旨
発症から
5
年以上経過した在宅脳血管障害患者
1
4
名を対象に、それぞれの回復過程を語っても
らったところ、回復の方向性として「取り戻し」と「つながり」の
2
つが明らかとなった。この
2
つの視点から対象の回復過程を分類するとく前進:あるべき自己に向かつて今ある自己を近づ
ける〉く参加:過去とつながった自己を認識〉く失って得る:過去との途絶を経て今ある自己を
認識〉く喪失:あるべき自己と今ある自己との比較〉という
4
つの領域の特徴が見いだせた。
対象の回復過程を支える援助として、
く前進> <参加〉領域の対象には発症前の対象のあり方
や対象が積み重ねてきたものを理解することで対象の回復体験を支えること、
く失って得る〉
く喪失〉領域の対象には対象が価値の変換を出来るように関わったり、対象が行った価値の変換
を意味付けること、回復を感じられていない対象には、現実に即した自己理解ができるよう、安
らぎを感じられるような援助が必要だと考える。
キーワード:脳血管障害患者、回復過程、在宅
はじめに
脳血管障害は中枢神経系の病変であり、身体運動
機能や、精神機能、言語機能に大きな障害をもたら
す。このため、脳血管障害患者は他人の体の中に囚
われの身になっているように感じたり、人格が変容
したりといった、他の内臓系の病気とは違った形で
「自己』に損傷を負う
1)。また、脳血管障害による
中枢神経の損傷は長い期聞を経て徐々に回復はする
ものの、やがてプラトーに達する時期が来る。つま
り、脳血管障害患者は発症によって損傷を負った
「自己」を抱え、その後の人生を生きていくのであ
る。このような特徴を持つ脳血管障害患者に対して、
これまでは障害の受容と
A
D
L
の自立を目標に、障害
された日常生活の再獲得を目指した生活動作の指導
を中心とした看護援助が行われてきた
Z)。酒井は
「病みの軌跡上にいる患者がその人自身の望みやよ
ろこびに近づくこと
J
を回復過程と捉え、患者のリ
アリティに焦点をあてる回復過程の援助の必要性に
ついて提言し、そのような看護援助による患者の変
研究方法
1)川崎市立看護短期大学
2
)
千葉大学大学院看護学研究科博士後期課程
3
)
石川県立看護大学
4
)
千葉大学看護学部附属看護実践研究指導センター
化を見過ごさないためには、患者が感じている回復
の感覚を捉えることが重要であると述べている幻。
脳血管障害患者の体験に焦点をあてた研究として、
千田ら引が回復意欲について、大川
5)が看護者の行
為の受け止め方について明らかにしている。しかし
ながらこれらは回復過程の側面からみたものではな
い。酒井
6)
は 7冊の闘病記から脳血管障害患者の回
復過程における共通体験を明らかにしたが、これは
分析の対象が闘病記であるという限界がある。また、
藤田ら
7)は退院前の脳血管障害患者にインタビ、ュー
を行い、障害を持ちながら生活再編成に向かう人の
経験世界の構造について明らかにしたが、その後、
もとの生活の場に戻り、長い経過を経る中での患者
の体験について明らかにしたものはなかった。そこ
で、本研究では在宅で長期に暮らす脳血管障害患者
がどのように回復していったか、その回復過程を明
らかにすることを目的とする。
1 . 対 象
発症後
5
年以上経過し、在宅で生活している脳血
管障害患者
1
4
名。対象の選択方法は
A
リハビリテー
ション専門施設の患者会を通して協力を依頼し、同
意を得られた者とした。対象の概要を表
1
に示す。
n t。
A U全員男性で、現在の年齢は
5
0
代
6
名
、
6
0
代
7
名
、
7
0
代
1
名。発症時の年齢は
4
0
代
9
名
、
5
0
代
2
名
、
6
0
代
3
名で、発症から
の期間は
5
年
2
名
、
6-10
年未満
6
名
、
1
0
年以上
6
名だった。障害の部位は左麻療
1
0
名、右麻療
4
名で、調査時、全員が自
立歩行可能だった。
2
.
調査期間
1
9
9
9
年
7
月
-2000
年
3
月
3
.
調査方法と内容
半構造化面接を実施。面接内容は年齢、
病歴などの基本的事項に加え、脳血管障
害発症からの経過、脳血管障害発症によ
るセルフケアと生活の変化、障害につい
ての考えとその変化、受けた機能訓練な
どについて自由に語ってもらった。面接内容は対象
の同意を得てテープに録音し、逐語録を作成した。
面接回数は
1-3
回で、
l
回あたりの面接時間は
9
0
-120
分だった。
4
.
分析方法
逐語録から対象が自己の回復体験について語って
いると思われる語りを取りだし、整理した。そこか
らそれぞれの対象が自分の回復として何を語ってい
るのか、回復のテーマを分析した。そして取りだし
た回復のテーマの共通性について分析した。ここで
言う回復とは「よくなったと思えること」とした。
表
1
対象の概要
対象
f
甥リ
現年齢在(歳の
)
発 症 時 の
疾 患 名
障 害
年齢(歳)
A
男性
6
8
6
1
脳幹出血
左麻療
B
男性
6
1
4
8
脳出血
左麻痩
C
男性
5
5
4
7
脳梗塞
右麻痩
D
男性
6
7
6
0
左内頚動脈閉塞 左麻療
E
男性
6
5
5
2
脳出血
右麻療
F
男性
6
4
4
7
くも膜下出血
左麻療
G
男性
7
4
4
7
脳出血
右麻療
H
男性
5
1
4
4
脳出血
右麻療
男性
5
5
4
3
脳出血
左麻捧
J
男性
6
5
6
0
脳梗塞
左麻療
K
男性
5
2
4
7
脳出血
左麻簿
L
男性
5
1
4
5
脳出血
左麻療
M
男性
5
5
4
7
脳出血
左麻庫
N
男性
6
1
5
1
脳出血
左麻療
結 果
それぞれの対象が自己の回復体験について語った
語りとそこから読みとった回復のテーマを表
2-
表
6
に示す。
1
.
回復のテーマの方向性
r
取り戻し」と「つな
カ
f
り
」
それぞれの対象の回復のテーマから、今ある自己
を自己としてありのまま捉えることによって回復を
体験している対象と、今ある自己をあるべき自己、
理想像に照らしてそれに近づこうとすることで回復
を体験したり、近づけないことで回復を実感できて
いない対象がおり、回復過程の一つの方向性として
「取り戻し
Jが考えられた。また、脳血管障害発症
前の自己と今ある自己との違い、変化という過去と
の途絶を感じている対象と脳血管障害発症によって
も自己にあまり影響を受けず、過去との連続性を感
じることで回復を体験している対象がおり、
「つな
がり」という回復過程の方向性が見いだせた。
「取り戻し
Jを縦軸、
「つながり
Jを横軸としてそ
れぞれの対象の回復のテーマの位置づけ、それぞれ
の領域の特徴をみたのが図
l
である。
2
.
r
取り戻し」と「つながり」からみた回復過程
1
)
く前進〉
〈前進〉領域では今ある自己をあるべき自己に照
らしてそれに近づくために何かを取り戻そうとする
が、あるべき自己が発症前からの変わらぬ自己であ
るために、今ある自己とのギャップに苦しむことな
く、回復を実感でき、さらに自己を高めようと前進
していた。
A
氏は毎日同じ時間に閉じコースを同じ
順路で歩いており、それは楽しみでも機能の維持の
ためでもなく、当然のごとく行っていた。これは決
めたことをきちんとこなすという
A
氏が持つ理想像
に照らした行動であり、この理想像はおそらく発症
前から持っていたものであるために、負担感を語っ
ていないのだろう。一方で
A
氏は“バランスがとれ
ない" “思ってるんだけど、言葉がでない"と自分
の障害について語っており、今の状態を決してよし
としているわけではなく、日々の生活をきちんと送
ることであるべき自己に近づこうとしているようで
あった。
B
氏 は 発 症 前 か ら “ 地 球 は 自 分 を 中 心 に
回っていると思っていた"ような活動派であったが、
発症後も“自分なりに工夫していき"ながら“時聞
をつかってやるということを覚えていき¥パス旅
行の企画や
1
0
0
k
m
歩行など“つまらないことだけど
やりとげた"ことで自信をつけ、
“充実感は
7
割ぐ
らい"と今の生活に対する満足感を表現し、
“障害
n o
n d~ c:o
表
2
前進:あるべき自己に向かつて今ある自己を近づける
「
回復の語り
回復のテーマ
発症直後は“何もできない"状態で、 “不自由"で“国りました"。温泉病院で機能訓練中、歩ける状態ではなかったが、 2 ヶ月後に結婚式を憧えた娘から歩けIA
氏は決して今の状矧こ満足しているわけではなし るようになってと励まされ、 “一生懸命ゃるからって 1 ヶ月おいてもらい"、結婚式では"泣きながら歩いた"が、これは"いいリハビリの目的になった家族に支えられながら自分のあるべき理想像に向 アキレス鍵の手術後、 "退院して、装具がとれて 3 ヶ月位してからもう大丈夫と思った"。畳近では“量初は怖かった"けど、 “高いのもなんか面倒くさいから│かつて日々の問題に気負うことなく対処している。 やってみょうかなって思って" “お風昌で普通の低いイスにしてみた"りしている。また、毎日きっちり同じ時間に決まったコースを決まった順路で散歩してお│おそらく、このきちんと対処することはもともとAI
り、それは楽しみではなく、 “休むのが楽しい"。一方、 A 氏は自分の体について“大丈夫になったけど" “バランスがとれな L、"
“思っているんだけど言葉に│持っていた A 氏らしさであり、理想と現実との逗 氏│出ない"“どういうわけだが、すごい興奮して泣き出したり、おかしくもないのに笑ったり、怒ったり、テレビ見て泣いちゃう"とも感じているが、そんな A 氏│いをあまり感じることがないために回復在感じら を婁は r2 人しかいないから、泣こうが笑おうがね」と見守っている。 れるのだろう。 ↓ あるべき自己への接近とゆるがぬ自己の保持 発症前の“地球は自分を中心に回ってると思っていた"生活から一変して、機能訓練開始当初は首がさがってどうしようもない状態だったが、 "いい友達(同室16
氏は同病者や医療スタッフに支えられ、家族との 者)がいっぱいいた"ことと"自分でよしゃってみようという気が起きたときにそう言える"スタッフに固まれ、リハビリテーション専門施設では“ 7 喜 IJ はでき│関係をばねに自分なりに障害と向き合ってい〈こ な〈て、 2 富山立は目標達成"とそれなりの満足を感じる。退院後、日常生活に戻ると“障寄を持ったことが恥ずかしく"、また発症前の職業時の性で“電話に出│とで自分で立てた回線を達成していった。そして な川と気が済まず“、家中に電話を取り付けていた。婁からの手助けはあまり得られなかったが、 “自分なりに工夫していき"ながら“ひとつずつやっていくと│達成したことで自信をつけ‘障害を受けた後の自81
できる"体験をすることで“時閣を使ってやるということを覚えていった"。さらにパス旅行の企画や 100km 歩行といった“つまらないことだけどやりとげた..1
分を肯詔ヲに語っている。 B 悶ことっては陣奮を持つ 氏│ことで自信をもち、 .. (婁の)あの時の非情 l 持の愛情"と受け止めている。以前は出ずには気が済まなかった電話にも“間に合わなかったら出なきゃいい"と│てなお成長し続ける自分を感じることが回復では 思えるようになった。現在では纏味や、ボランティア、患者会の役員、家事など "60% 位昔と同じようなことをやって"おり、 “自分でひっぱりあげてるのかも│ないだろうか。 しれないが" “充実感は 7 書 IJ 位"で、そういう生活を“わがままやらせてもらっているから"と思っている。障害を受けた自分を“敗者になっちゃった"と語る│ ↓ 一方、 “できなくなったというだけで不便という感じ u "陣書持った為に人間丸くなったし、いろんなことについて障害の方に持っていってかえって良かったよ│ 過去の自分の取り戻しとチャレンジ うな気がする"とも話っている。発症から 13 年たった現在では人生のゴールに向かつて“ただ平々凡キとしたんじゃ面白くない"と思っている。表
3
参加:過去とつながった自己を認識
回復の語り
の
復
回
機能訓練開始後、 “あなたは歩いちゃいけません"と言われていたが、 “あれ(歩行器)で歩けんだから壁伝わって歩けんじゃないか"と思い、 "立ってIC
氏は訓練開始当初は歩くことができず、職場復帰後は通勤 みたらなんともねえ"ので“出来ると思ったロとこまでも行けると"歩いてみたものの、反対向きになることができず、 “どうやっていいって頭で考えつ│や仕事をする能力に障害を感じ、人生終わったと感じたり、 かない"ので“これで終りかなあって思った。人生終わったと忠ったジレンマに陥ったりしつつも、あきらめずに取り組むことで 1)ハピリテーション専門施惣に転院後 lま“つながりもあるけど、歩く勧織"として“同室者で誘いあって外歩こうと歩いた"りしていた。 1 身体運動機能を回復していったり、社会生活を広げていった。 退院後は“家でごろごろしてでもしょーがない"のとよ司からの勧めで職場復帰するが、通勤では“つり革にさわれず、前の人の頭をたたいちゃう"。モ│このようにその時自分のおかれた状況やそこに生じている問cl
こで"ドアの所だったらつり革につかまらなくてもいいかな"と考えるが、今度は"ドアが開いた時に弾き飛ばされ"てしまう。"ホームにそのままじっ│魁こ取り組み、対処し、問題を解決していくことが C 氏にとっ 氏│としているだけ。勝手にしてくれと、さあ殺せつてなもんだよ"と開き直るが“{ドアが)閉まってから起き上がれた"。復帰当初は“仕事できない"の│ての回復と言えるのではないか。現在の C 氏は自分の持って l で、 “悪循環じゃないけどジレンマにおちいって"いた。しかし、 "やれやれってやらされたもんだからしようなしにやってる"うちに“時間をかけるし│いるものを著い人に伝えていこうとしており、モの場やそこ かしょうがない"と思い、 “自分なりに呼吸を飲み込む"ことによって“やればできるかなあ"“病院と縁切らない程度でそれでも何とかできるんじゃな│でおきた問題への対処から先につなげていくという方向へ向 いかつて"思えるようになっていった。縫待の場などでは“逃げるわけにはいかねえ"“外部に対してはちゃんと正常に見せなきゃいかん" “弱みを見せ│かっている。 られねえ"ので、 "気が緩んでない"一方、障害を持った仲間との集まりでは“かみしもを脱いだような感じ"を持っている。現在は“あと 1 年頑張れ1:
1 ↓ {退職で)後は楽になる" “ここまで来たらこれでいいや"と思い、 “持っているノウハウの中で若い松買に伝えられるもの、それは全部教えてしまおう" 1 現実への対処から未来とのつながりへ 1 "伝えていく"と考えている。 必』o
発症直後は“周りにいるやつみんな病人"で、 “見通しがつかなくて"“いったいとうなっちゃうんだろうと思った"が、リハビリテーション専門施設に10
氏は脳血管障害を発症したことそのものが自分にとって{士 転院した時に主治医から“ 3 ヶ月で退院できるって、すぐにお断"され、 “驚いた"。主治医から脳卒中の本を薦められ、 “病気を理解するのに大変参考│組まれた運命であり、今は過去の延長線上にあるので、障害 になった"ものの、自分の病気については“あまり考えず"、ショ ')1 ウを受けて懸命に訓練に励むということも“全然なかった"が、それは"病気である│を受けたことを積極的な『あきらめ』として引き受けている。 ことに間違いないから本人はどうしようもないわけ"だからであり、それは“『あきらめ』にも入る"けれども『あきらめ』とは"消極的に感じるかもし│だから肩に力を入れることなく、今までに積み重ねてきたも れないけど積極的ではあり"、つまり"やれることをやるか、引くしかしょうがない"というふうに考えている。 1 のを使って自分の生活を作っていき、参加という自分の進む 退院後、 “出動したくて.. 1 週間で職場復帰する。主治医の職場への働きかけや家族のサボ トを受けながら健常者の中でも“何事もなく" “頑張ったと│方向が見えている。このように毎日の生活を摘み重ねて過去DI
いう意誠は全然なく"、 “普通にやって"、仕事は“楽しかった. 0 氏は障害があるからと言って“肩にカを入れて生きょうと考えたことは全然ない..I
から未来へとつながった自分を生きることが O 氏にとっての氏
“皆と大体同じようにできればいいんじゃないかと思って"おり、職場復帰に隙しても“今までも積み上げがあるわけだからそいつを活かしてっきあえば│回復と言える。 いい"と考え、自分が置かれた状況を“やらざるを得ないように仕組まれた"ものと縫え、 “たぶんできるだろうと思ってた"から“不安はなかった ↓ 退職後は“つきあいが広く"なり、 “人聞に興味を持っている"のでそれは“楽しい"し、 “面白い"し、 “良いこと"だと思っている。主治医から蘭め│ 仕組まれた運命、積極的なあきらめによる参加へ られた 8000 歩歩行中に会う失語症患者に"しゃべりかけることによって彼に対して影響を与えて"おり、それは“前は全然考えもしなかったこと"だった。 通っているリハビリ教室での習字のテーマ l ま最初が『鶴亀』で、今年は“『自立』。自立の次は『参加n
..。 “充実していれば毎日毎日それが生き甲斐" と患っている。 今を支えるものは“もはや情性"であり、今までやってきたことの“表し方 l ま遣うけど" “延長線上にあるだから“つきあっている人は違うわけだけ ども、心の持ち方は同じ"で“これからもきっとそう"だと思っている。 L 一」一一一一ー,t. トー‘
回復の語り
一「
回復雨戸元一
日
7
一一一一一一一「 の 4 年前に婁を亡くし、退院後、息子との 2 人暮らしに戻った当初 l ま“体は思うように動かない"し、 “やっと歩くのが精一杯"で、 “{可もできない"のでIE
氏は発症後、周囲の人にも支えられながら自分なりに│ “やっぱり弘 5 年はー醤辛かった"。しかし、 .. (女房が)いないと一人でやらされるんだから、どうしても我慢してやる"うちに“それがやっぱり結果が出│障害された身体運動機能を使い、生活していく中で、下│ て"きて、下肢の矯正術を受けた後には歩行が可能となり、 “やっと歩けるんだなって感じ" “またやっぱ普通に歩けるんだな" “それでなくても矯しい。歩け│肢の機能の回復と上肢の機能の回復の限界、障害による│ るってことはー香幸せじゃないですかね"と感じる。発症前から行っていた湿味の園芸や動物の世話を再開したい気持ちがありながらも“体が動かないからどうi
体調へ¢彫智を自分にとっての事実として受け入れていつ│E
I
しようもない" “体が思うように動かないからできるのかなと思って"と踊踏していたが、息子や友達の後ろ立てで“やっている間に段々慣れ"、 “今じゃもう│たロ失ったものを認める一方、 「歩けて、しゃべれて、 氏│逆にね、すっすできるようになってね"と匂ではおかげ"と思うようになっていった。下肢の運動機能の回復に比べ、上肢は噛きが段々もう決まっちゃう..I
おいしく食べられる」という今の自分に出来ることを大 “これ以上動かないっていう感じになってきた"ので“強制しないで自分の出来る範囲でやっていこう"と思っている。発症後から 13 年経った現在までに内服i
事にしており、今ある自分に満足在感じられることが E 系の疾患で入院した経験があり、 “モの状態でずーっときてればいいと思うんだけど、何かあるとね、体が体だからどうしてもやっぱり…"と障害による影響を│氏にとっての回復と言えるのではないか。 感じており、 “守ったことをやっていれば体は動くから生活にはい〈らか楽" “自分が楽なのはそれだけ気持ちが良い"と体の調子を保とうとしている。このよ│ ↓ う怠今の自分の状況を"今は良いんじゃないですか。歩けて、しゃべることもしゃべれて、食べ物もおいしいし 11 Ifだからこうやっていられるし"と思っている。│ 障害の受け止めの過程の自覚と今ある自己への満足 "早いうちに訓練をしなければよく治らない“と思って“他の人よりは努力した"。リハビリテーシヨン専門錨設入院中は“人と話ができない" “頭も回復してIF
氏は自分のあり方を変えたり、自分なりに機能訓練す いない"から“家へ帰るのおつかなかった、怖かった"が、退院後は“お金がな〈なって"“そんなの{怖い感じ)とれたと思う"。発症後、妻とは雌婚の危機│ることを過して身体憐能や婁との関係、職業生活といっ 状態にあったが、妻が働きに出ることになり、 “俺がぽっぽり出されたら困っちゃう。飯も食えな〈なる"ので"やっぱり考え方を変えなきゃいけない"と茶わ│た F 氏が発症前から持っていたものを取り戻すだけでなF
I
んを洗ったり、洗濯物を干したりするようになった。..銭がないから働かないと"と仕事を再開するが、 “母初は大変だったらしい"。しかし、 晴らしていた│く、新たに人との関係を得ていった。一方で、 F 氏は自 氏│らちゃんとできる"ようになり、 “それだけ働けば食べられる"くらいの仕事ができるようになった。そして・鴻ったら婁と別れるところじゃなくなった分の体調や機能障曹といった能力の限界を自覚しており、 “助けてもらわなければ生きていけない u 思いから"病気してから人に好かれようとする"ようになり、 “相手に喜んでもらうことは自分に大きな喜びになって│失ったものと得たものの両者の存在を自覚することが F 返ってくる"ことから“恩返し、私のできることで他の人に返す"ようになっていく。自分の体については“病気したなっていうことは今でも感じている。体力│氏にとっての回復と言えるのではないか。 的にもう落ちちゃっている。だから調子悪い。 10 綾ぐらいはみなさんより先に進んでいるなって感じ"を持っている。I
↓ 障害の自覚と生活の取り戻し 新たな関係の獲得 機能訓練が始まった頃は川、くらかしゃべれた"り、 “歩くのは歩ける"状態だったが、 “治って普通に歩くつもりだった"。しかし、けいれんを起こして健闘 ~I G 氏は発症によって発症前の自分がしよっていたものを 訓練は中止となり、退院する。家にいてもしょうがないと思ってリハビリテーション専門締役へ入院するが、そこでもけいれんを起こしてしまう。思うように機│しよいきれなくなり、自殺という手段を取ったが、それ 能訓練ができない中で、会社に対する責任を慰じるが、 "職場に復帰しようと思つでもまだ駁目と言われた"り、 “会社行っても電話番もできないし、何もでき│にも失敗することでしょっていたものを降ろすという方GI
なげと自分でも感じる。社会復帰できず、官官かーっとしたり"して過ごすうちに味気になって"唱をくくって死のうかと思った"が、片岡のため!泊こ行き着く。そして混在下すことで生き方腿初、 氏│に実施できず。自殺の失敗に加え、 " 生懸命ゃったって、いくらやったって治んない"というあきらめや・ 3 年以よは(会社に)屠られない"というどうにも│楽になってい〈。過去の自分をリセットし、現実に即す ならない現実から会社をやめるという決定を下し、 "考えを反対にしよう"とすることで“ぐーっと楽になって"いった、 “ 1 回死んでるからいいや"と“自分│ることで新しい生き方を獲得することができ、楽に怠れ のことしか考えねー"で“何でもやれるように"なり、俳句で“後ろも見ねーで前まっしぐら"と詠む。また、 “生きていると金が儲かる"“よく思われたほう│たことが G 氏にとっての回復と言えるのではないか。 がいい"と思っている。I
↓ 過去の放棄による新たな生き方の擁得 機能副 11 練開始後、 ..なかなか(歩行) ~許午可が出ず は指示されていない外出釧練について行き、 “お願いして枝ついて道路歩いた"ものの、 “信号が変わるまでに渡れず"、それが"悔しくて" “ますます廊下の│まだやれるはずという思いがあるものの、達成したいこ 前でっかまってやっていた"。温泉病院に転院したのちも“自分次第だからってさんざん震われる"こともあって病院の中を絶えず歩き回っていた。その後、徐│とには家族やボランティアといった人と関わるものが加HI
裳施訟への転院までの聞“自宅待憾"していた。療袋錨級は"もう少し運動機法ができるところかと思っていた"ので、 “がっかり"する。こうした憐能訓練へ│わってきている。これは免震前の H 氏が仕事の中で大事 氏│の取り組みに対し、 “今考えるとまだまだ足らなかった織な気がする"と自己評価している。I
にしていたことであり、過去の自分とのつながりが見い 退院後は“家にいるよりはいいと思って" “総巾縫いのボランティア"をしたり、 “話し方教室"に通ったりし、その後、 “私みたいなものでもできることがあ│だせているのではないだろうか。 るって言われたから"と新たに“送迎ボランティア"を始める。また発症後、新たに始めた仕事を“頑慣れば子供に何か残せるのでは"と思っており、 “今はま│ ↓ だ雷えないけど、近い将来病気に感謝できると思う 回復の兆しの自覚表
5
-1
喪失:あるべき自己と今ある自己との比較
回復の語り
回復のテーマ
発症直後は“体が全然いうこときかず" “自分でできるかなあと思ってやろうとすると失敗する"ので“いらいら"したり、 “嫌な感じ"だった。身体11
氏は歩けることで身体運動機能の回復を実感したものの、社 連動機能の回復を“段々よくなってくると(病室の)階が変わっていく"ことで感じ、リハビリテーション専門施股への転院に隙して“リハセンヲーに│会生活に戻り、運転できないことや以前の仲間と同じように 行ったらすぐ治っちゃうのかな"と期待をよせ、 4 本紋でバランスがとれたことで“なんか歩けるようになった。いいなあって思った"。退院後、 2-1
付き合えないという体験を過して障害による影響を感じ、 3 年は昔の仲間ともつきあっていたが、 “段々行〈となんか邪魔みてえになってきた"のと“自分もまあ、ついていけなくなる"のを感じ、 “生活のあ 1r
馬鹿〈さい Jr
仕方がない」と自分を納得させていった。 れが違うから"つきあうのが“もう馬鹿くさ< "なる。鰹自動車を賜入し、運転するが、事故を起こし、 “やつぱりすごいな、シヨツイウP
が"と感じたも11
陣嘩書を持つたことと折り合いをつけることで自分にできるこ1
1 のの、 “〈モつ、俺に出来ねえわ lけナないんだ"と運転を再開。2
回目の事放を起こしたことで.“.日自分で見えてないb
か、ら命令もいb
か、ず"“ぷつかつて始め│とを見つけられ、モれによつて自分の生き方や自分の陣寄在 氏│てわ由か、る"ので.“'2
回やつてそれであきらめた" 明 E 発症後、 5 年目に行ったアキレス臆の手術の理由を"電信柱で 20-30 本分も歩いた"ので“歩きすぎたのかな"と評価し、今は“自分にあったように" 1 復とは、取り戻す対象を変えることによって自己を肯定的に 歩くようになる。障害者仲間の勧めで園芸を始め、 “見事なもの出来たからそれからやみつき" “もうすてきだよ"“おもしろいなあ"とはまっているロ│錠えられるようになることだと思われる。 また、保健センターでのリハビリ教室での旅行の幹事として、発症後に身につけたワープロでパンフレットを作成したりもしている。 1 ↓ l 氏は自分の陣曹を“ただ動かないだけ" “左麻惇だからいいんだよねえ"と捉え、自分の生き方を“前進のみ"“性絡は変わらない。でもおさえること│ 理想とする対象の変更による自己の可能性の取り戻し はできるようになった"と経っている。 陣奮の発症により何でもやれた自分から一転し、 “処理能力がない"ために"負かされた"“だめだこりゃ"と感じ、 “お先真っ暗"だった。身体運動│何でも出来ていた発症以前の自分と比較して、母初は出来な 機能の回復を主治医に褒められつつ機能訓練に励む中で“立ったり、踏み出せたり、段が上がれる"という身体機能の回復を実感し、 "ものすごいこと│いことにばかり目が向いていたのが、身体機能の回復の実感お
をやったような気持ち"になる。この体験が“できたと。これは何でもできるな"という思いにつながり、 “繰り返している聞にどんどんね、行動も前│をきっかけとして何でもできるなと自分の可能性を感じられI
J
I
向きになるし、考え方もなるし、体もついて行〈し…気持ちの方も変わってきて"家の中のことも"やってみようじゃなく、やりた〈なった JI 0 uli 前、│るようになった。このように自分が置かれた状況の解釈の仕 氏1:
全金〈こういうことはできな〈なるんだなと思つていたことが再度できるようになつて、紫晴らし〈感じ 由が IJ 氏にとつての固復だと思われる。+
置かれた状況の解釈の変更による自己の可能性の取り戻し 入院中に“ 1 図、自殺しようと急に思いついてちっちゃい声でつ ,S,
やいたら、付添の人が車イスに乗せて 4 階から「じゃあここから飛び降りなさいよ」つ│発症前の K 氏は体を動かすことを好んでいた分、発症による て言われてゃめちゃった"。医師や会社の人たちから励まされて"やっと目が覚めてやる気になった" “もうみなさんのおかげ"と思う。その後、転院│身体運動機能の変化に対し、失われた機能への思いや制約感、 したリハビリテーシヨン専門施設では"1111
練はそんなに太変じゃ怠い" “OT
行〈ときは楽しみ。ちぎり絵とか下手怠んだけどやるのが楽しみ"な一方、│あきらめ、無念さを強〈感じているのではないか。その一方 辛いのは "PT でよ〈ある" “早〈手が動かないかなとか考え訟がら"やっていた。退院後、退職し、自嘗業の仕事を始める。“今から思うとまた出て│で家族や医療省、同病者といった人とのつながりを感じておKI
きたのだからいい仕事しないと"という思いがある。発症から 6 年たった現在は、作難所で働いており、そこでの姻梅とは“ 2 人で 1 人"。保健婦から│り、発症によってっきあう仲間 l ま変わっても人とのつながり 氏│リハビリサーヲルに誘われ、 市もしろくなってみんなと付き合う"ようになる。支えは“仲間、後 l主家族、家庭"であり、 “やっぱり同じ仲間はうれ│という K 氏にとって大事なことにかわりはなしそれが自分 しい"。楽しみは"同じ町内の人に会うこと"だが、その 方で“みんなのことうらやましいな"と思い、 “友達 l ま結構いる。でも病気になる前の方が│に残されていることを自覚しつつある。 いろいろできたから"とも感じている。さらに自分の体に対しては“運動は間かないで下さい。悔しいところ" “館蔵…ではない"“こんな手じゃだめ.. 1 -1-"たまに歩くけど怖い"と感じている。 K 氏はもともと“スポーツ全般好き"。今の自分を倒れたときと比べると"やっぱりちょっとは明るくなったか│ 身体運動機能への来線と人間関係の取り戻し な"と思っており、 “生 i 舌には 80 'YoI 前足" “自分には満足"しており、今後は"前通りに仕事してあっちこっちに車でぶらぶら"したり、 "漸すってちょっ と泳ぎたい"と思っている。~ 巳..,