論文
コミュニティ・インクルージョン研究
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アオテアロア / ニュージーランドの
“Deinstitutionalization” 理念について
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A Study on Community Inclusion:
Towards Deinstitutionalization in Aotearoa/New Zealand YAMAKI Masaharu
八 巻 正 治
【Ⅰ】論究の問題意識 【Ⅱ】収容型施設から地域居住へ 【Ⅲ】施設解体・閉鎖の推移 【Ⅳ】コミュニティ・インクルージョンへの展望Key Words: Community Inclusion Aotearoa/New Zealand Deinstitutionalization
【Ⅰ】論究の問題意識
本論文はコミュニティ・インクルージョンを構築するうえで重要な視点 である “Deinstitutionalization” について、アオテアロア / ニュージーラン ド(Aotearoa/New Zealand)の取り組みから論じようとするものである。 さて、2017年8月17日に『山の、上で~ある重度知的障害者施設の日々 ~』と題されたドキュメンタリー番組が放映された。番組内容を紹介する NHKのサイトには以下のような説明文が記載されている。[註1] 日本の施設福祉の象徴と言われる、国内唯一の国立の知的障害者入所 施設「のぞみの園」。群馬県高崎市の市街地を見下ろす観音山の上の広 大な敷地に、北海道から鹿児島まで全国から集められた重度知的障害の ある人たち約200名が暮らしています。重い障害を理由に地域社会には 居られないとして、故郷から遠く離れた山の上に来たのが半世紀前、20 代のとき。いま、平均年齢65才、最高齢92才と高齢化が進み認知症など も患う中で最後の時を過ごしています。 のぞみの園はもともと、障害者が集団で暮らし理想的な “ 社会 ” を作 る「コロニー」として計画された場所でした。しかし14年前、「施設か ら地域へ」という福祉の潮流のなかで、園は終の棲家としての新たな入 所を停止。いまも園に残る特に重度の知的障害のある人たちは、高齢化 や地域サービスの不在などで、故郷に帰ることなく生涯を終える見込み です。“ 山の上 ” で住人たちはこれまでどのように生き、残りの人生を どのように過ごすのでしょうか。これまで「時代遅れ」として社会の目 が向けられてこなかった入所施設にあえてカメラが入り、重度知的障害 のある方たちの姿を静かに見つめます。 私事になるが、私は特別支援学校(肢体不自由児養護学校)から職業人 としての歩みを始めた。私がこうした分野で働こうと願った昭和40年代は、重度重複状態の我が子の将来が見通せずに「親子心中」であるとか「子殺 し」といった社会的悲劇が決して稀ではないような社会状況があった。た とえば1972(昭和47)年5月4日付の朝日新聞には「心身障害児と親子心中」 といった見出しで、「心身障害児を道連れにした親子心中が相変わらず起 きている。昨年1年間でも30件近くあった。」との記事が掲載されている。 こうした社会的悲劇の軽減化のための施策として施行されたのが大規模収 容型福祉施設、いわゆるコロニー型施設であった。設置された場所の多く は郊外の、それも丘陵地帯であった。そこに千人規模の居住型の福祉施設 を建設し、これによって当事者家族が有する困難性の軽減化を図ろうとし たのである。その象徴的な施設が、前述のドキュメンタリー番組で紹介さ れた「高崎コロニー(現・独立行政法人 国立重度知的障害者総合施設の ぞみの園)」であった。 さて、1969(昭和44)年12月16日付の朝日新聞に「心身障害者に光を ― 国立コロニー建設に思う ― 」と題された高崎コロニーに関する記事が 掲載された。その記事を書いたのは、当時、整肢療護園の施設長であった 小池文英であった。ちなみにその記事によると高崎コロニーの規模は「精 神薄弱児 ・ 者が700人、肢体不自由児 ・ 者が700人、重症心身障害児 ・ 者が 100人の、計1500人」と書かれてある。 小池はこの記事の中で、わが国最初のコロニー型施設である高崎コロニー の建設に賛意を示しつつも、「国立コロニーをモデルにして、今後全国各 地にコロニーが設置されていくであろうが、その場合、人里離れた辺ぴな 土地を選んで、そこに障害者だけの閉鎖的な社会を構成しようとするよう なことは避け、地域社会に密着した開放的なものであるようにしてもらい たい。」と述べている。しかし小池がこの文章の最後に指摘した「コロニー が隔離的施設になってはならない」といった危惧は、その後、同じような 大規模収容型福祉施設が次々と設置されていく中で現実化していったので ある。 当時の状況をさらに明確にするために別の新聞記事を紹介してみたい。
1970(昭和45)年7月1日付の朝日新聞には「見捨てられた重度精薄者」 とのタイトルで、以下のような記事が掲載されている。つまりは当時、重 度の知的制約状態を有する人たちが病者として、この精神科病院で生活し ていたということである。 栃木県の精神病院、両毛病院の火事で焼死した17人の患者のうち、12 人までが精薄者だったというニュースは、精薄者の家族や施設関係者に 強いショックを与えている。重度精薄者のはいれる施設は、全国でわず かに1500人分。7万4千人といわれる重度精薄者は、福祉施設から見捨 てられ、精神病院の鉄格子の中に入れられるか、家庭の座敷牢に閉じ込 められるしかないのが現状だ。 さて、「独立行政法人 国立重度知的障害者総合施設のぞみの園」は地域 生活への完全移行を停止し、施設そのものの全面的な解体閉鎖をめざして はいない。理由は、何よりもわが国におけるコミュニティ・インクルージョ ンの理念が今なお明確に確定していないことによる。つまりは重度重複状 態で、かつ高年齢化した利用当事者本人たちの地域生活への移行措置が、 はたしてふさわしい支援の在り方なのか否か、といった支援理念が、わが 国の国家施策として結論をみていないからである。そしてこのドキュメン タリー番組は、そのことを静かに問いかける構成内容となっている。 実はこうした入所型施設を解体閉鎖せずに現状を維持しようとする消極 的手法は、わが国政府のハンセン病回復者たちへの取り組み姿勢と同質性 を有していることが容易に理解できる。すなわち、わが国政府は、1907(明 治40)年に制定された「ライ予防法ニ関スル件」によって、ハンセン病罹 患者たちに対して長期間にわたり徹底したまでの隔離政策(Segregation) を推し進め、当事者たちを地域社会から隔離された場所(あるいは香川県 にある、大島青松園のような離島)に閉じ込め、将来的に当事者たちの死 去に伴う自然減少を待ちつつ居住施設を閉鎖しようとした隔離政策を推し
進めたからである。その後、ようやくにして1996(平成8)年に成立した「ら い予防法」の廃止に伴い、転住の自由が保障されたが、結果としてハンセ ン病回復者たちの転住が通常とはならなかった。その理由は、永年にわた る隔離生活によって地域で生活するために必要とされる各種生活スキルを 具備していなかったり、転住先の地域住民たちの根強い偏見差別を恐れた り、あるいは手厚い生活・医療支援を継続的に受けるためには、それまで 長期間にわたり居住してきた療養型施設での生活を継続した方が当事者本 人にとって不安が少なかったからである。そのことは精神疾患を有する人 たちへの、いわゆる「社会的入院」の結果、退院後の社会生活に支障が生 じたのと同じである。つまりはこれらはコロニー型福祉施設の解体閉鎖問 題と同じ構造を有しているのである。 以上のようなわが国の経緯や現況に比して、アオテアロア/ニュージー ランド(以下、ニュージーランド)では、心身の機能的側面に顕著なる制 約状態を内包している人々(people with Disabilities)が地域社会から隔離・ 分離された生活形態(具体的には大規模居住型施設)ではなく、その特性 や状態に応じた支援を受けつつ、地域社会の一員として通常の生活を過ご すための条件整備が積極的に進められてきた。つまりは保護・隔離主義的 視点をベースとした大規模居住型施設方式によるインスタチューショナラィ ゼーション(Institutionalization)から、施設解体閉鎖に伴う施設退所方 式による支援システム、つまりはデインスタチューショナラィゼーション (Deinstitutionalization)への政策転換が積極的に展開されてきたのである。 ニュージーランドでは “Deinstitutionalization” 政策の実現を図る目的 で、インクルーシヴ学習支援を明確に打ち出した「教育法・1989年(The Education Act, 1989)」や、権利擁護に関する包括的な差別防止法である 「人権法・1993年(Human Rights Act, 1993)」の制定実施に続き、施設解 体閉鎖に伴う施設退所方式による支援システムを推進すべく、2001年よ り施行された「ニュージーランド・ディスアビリティ方策(New Zealand Disability Strategy, 2001)」が制定され、それによって施設収容主義政策
から地域生活移行主義政策に向けて国家としての明確な政策が位置づけら れた。その結果、2006年度をもって、ニュージーランド国内に残存してい た大規模収容型福祉施設が解体閉鎖されるに至ったのである。 そこで本論文は、ニュージーランドにおける施設解体閉鎖による地域生 活移行への流れ、つまりは “Deinstitutionalization” への経緯を具体的に紹 介しつつ、コミュニティ・インクルージョンの理念について論じる。
【Ⅱ】収容型施設から地域居住へ
ニュージーランドの施設解体閉鎖方策を推進する上で大きな役割を果た したのが、すべての知的制約者の権利やインクルージョン、および福利を 擁護し、それらの人びとがコミュニティにおいて満足ゆく生活が導かれる ように当事者本人を支援する、との目的で活動を展開してきた「IHC」と 称される民間の権利擁護組織である。[註2]「IHC」は知的制約者たち(People with Intellectual Disabilities)への 福祉支援サービスを提供するためのニュージーランドにおける代表的な権 利擁護団体であり、国内各地に数多くの支部組織やサービスセンターを 有している。IHCは、1949年に当事者家族のための組織体(Intellectually Handicapped Children’s Parents Association)として活動が開始されたが、 その後、“Handicapped” という表現が不適切であるとの判断から、1994年 以降は、ただ単に“IHC New Zealand Inc.”と称している。
さて、「IHC」の機関誌である“Community Movies”(Vol.33; 1995)には、 ニュージーランドにおける病院型居住施設における知的制約者、および精 神疾患者の居住者数の推移が示されているが、それをみると、1964年には 約10,500人であったのが、1992年には約4,500人にまで減少している。なお、 その内の約1,000人が知的制約者(people with Intellectual Disabilities)で あった。また知的制約者の新規施設入所者数は、1969年には400名を数え たが、1992年にはわずかに21名にまで減少している。したがってニュージー
ランドでは1990年代前半において、すでに施設解体閉鎖への実質的なカウ ントダウンが開始されていたのである。[註3]
こうした推移に伴い、1990年代にはフィールド研究者たちによってコ ロニー型施設の解体閉鎖に伴う地域移住に関する当事者本人へのインタ ビューがいくつか行われている。その中で知的制約者福祉分野の研究者で ある A.Horner は「Leaving the Institution − Social Support, Friendship and Quality of Life−」と題した研究報告書(1994; pp.159-183)において、 長期間にわたりコロニー型施設で生活してきた3名の当事者本人に対する インタビューを詳細にまとめている。このインタビューがなされたのは 1990年であり、この報告書をまとめるために6ヶ月間にわたる継続的なイ ンタビューがなされた。3名の当事者たちはエラ(Ella)が11年間あまり、 ケイト(Kate)は22年間あまり、そしてクリス(Chris)は何と36年間あ まりをコロニー型施設で過ごした後に施設を退所し、それぞれ地域のグルー プホーム等で居住している人たちであった。 その報告書においてA.Hornerは以下のように述べている。[註4] (1 )インタビューを通して、施設に居住していた時点で、もうすでに 彼ら3名は施設から去ることを望んでいたことを知った。 (2 )私たちは自分自身に対して「果たして私自身は居住型施設に住む ことを願うだろうか?」といった問いかけをすべきであろう。 (3 )施設解体閉鎖に関する分野の研究者たちの多くは通常のライフス タイルを維持することは居住型施設からコミュニティへと移住した 人びとの人生における共通した重要なテーマである、と結論づけて いる。 (4 )居住型施設での生活において気づかされた明確なる否定的特徴と しては、それによって当事者本人の依存性や無力さが促進される、 といった点である。 (5 )居住型施設から地域社会へと移住することについての重要な側面
とは、ただ単に地域社会に住むのではなく、地域生活に参加するこ とにある、といったことである。 (6 )私は知的制約を有する人々のコミュニティ・インテグレーション へのキーポイントは、ディスアビリティを有する人が地域生活の主流・ 主体として参加すべきであるということを信じる。 (7 )施設解体閉鎖や地域生活移行の初期段階の定式化においては「地 域 社 会 内 に、 た だ 存 在 し て い る(being in the community)」 こ とと「地域社会内の一員として存在している(being part of the community)」こととの区別が明確ではなかった。 (8 )この領域分野における重要な課題とは、もはや施設解体閉鎖なの ではなく、ディスアビリティを有する人びとが地域で生活をするた めの適切、かつ有効なサービス開発にあるということである。 この中で注目すべき点は、ニュージーランドでは、すでに1990年の段階 において、もはや施設解体閉鎖の是非を論じるのではなく、地域移行後の 当事者本人に対して高品質の支援サービスを提供する段階にある、と結論 づけている点である。以下、その原文を引用する。
The important issue in this area is no longer deinstitutionalisation but the development of appropriate and effective services for people with disabilities living in the community.
さらに「IHC」のスタッフとして活動した経験を有する Julie Ruth Senescall(1997; pp.126-139)は、居住型施設において20年あまりを過ご した後に地域で5年あまりを過ごしてきた4名の当事者本人たちへのイン タビュー内容を報告している。ジョイ(Joy)は、施設でおよそ19年を過 ごした経験を有する56歳の女性であり、フレッド(Fred)は施設で25年 を過ごした経験を有する44歳の男性。ルース(Ruth)は28年の施設での
生活経験を有する45歳の女性であり、ジョン(John)は施設での14年間 の生活経験の後に地域で25年間を過ごしてきた65歳の男性であった。この 報告の最後に、「ジョンの言葉はヒューマンサービス機関に対して次のよ うな強いメッセージを伴う」として、「私は今でさえ時おり、地域社会に 関わり合うことが難しいことを見い出す・・。」とのジョンからの隔離主義 の弊害に対するメッセージを引用している。[註5] ところでその研究報告の中でJ.R.Senescallは、1980年代半ばからニュー ジーランドでは権利擁護グループの影響や、ノーマライゼーション、およ びヴォルフェンスベルガーが主唱するソーシャルロール・バロリゼーショ ン(Social Role Valorisation:SRV)原理の結果として、知的制約を有す る人びとへの支援サービスが、よりいっそう地域生活指向になっていっ たことを述べている。と同時に、当時のニュージーランド政府の地域生 活支援指向の政策原理はコストダウンの観点から施行されようとしてい たことを批判的に述べている。そしてそれにもかかわらず施設解体閉鎖 への流れは勢いを増していた、と述べている。ちなみにヴォルフェンス ベルガーの提唱によるソーシャルロール・バロリゼーション(Social Role Valorization:SRV)とは「当事者本人の社会的役割を認め、その価値を 高めてゆく(価値ある社会的役割の付与)」といった概念を有している。 ここでヴォルフェンスベルガーは SRV を「可能なかぎり文化的に価値の ある手段による人々、ことに価値の危険に瀕している者たちのために価値 のある社会的な役割の可能化、確立、増進、維持、ないし防衛」と定義づ けている。[註6] キンバリーセンター(Kimberley Centre)の解体閉鎖の項目でも後述 するが、ニュージーランドに限らず、これまで学習支援形態におけるイ ンテグレーション論議や福祉施設の解体閉鎖方策においてはコストダウ ン、すなわち経済効率化の論議が常に付きまとってきた。これは、そこ に“dumping”と称される問題を同時に孕んでいたからである。それは「当 事者本人が地域に投げ捨てられる(people dumped into the community)」
といった表現に代表されるところの、きわめて深刻な事態を意味している。 つまりは特別支援学校や大規模居住型施設での支援形態よりは通常学校・ 学級への編入、あるいは大規模居住型施設以外での支援形態の方がコスト ダウンを図ることができるがゆえに地域支援形態を指向する、といった考 え方である。しかしその実態は多くの場合、適切な個別支援が受けられず に、ただ単に通常学校や学級に放置されたままであるとか、適切な支援サー ビスやコミュニティ・メンバーとしての帰属意識を持つことのないままで の地域生活であったに過ぎない。そしてそのことが個別支援が受けられる 特別支援学校や大規模居住型施設内での福祉支援の方が当事者本人にとっ てより適切である、との “Institutionalization” 論を容認してきたことにも つながってきたのである。 さて、わが国における知的制約者への福祉支援制度の整備に貢献してき た妹尾正(1989;pp.35)は発達障害に対応した福祉の流れについて、(1) 原始的統合(primitive integration)の時代 (2)慈恵(charity)の時代 (3)保護主義(protectionism)の時代 (4)再統合(reintegration)の 時代、といった区分を提示したが、まさに(1)の時代が“dumping”その ものである。さらに妹尾(1989)は「ノーマライゼーション運動は、具体 的には“deinstitutionalization”と“advocacy”(権利擁護)を目ざすようになっ た」と述べているが、これは当時のわが国における福祉支援理念論として は先駆的な考えであったと言える。[註7][註8] ちなみにインクルージョン支援態勢への整備が高度に進展してき た カ ナ ダ の 場 合 は、 お よ そ 以 下 の よ う な “Institutionalization” か ら “deinstitutionalization”への推移を辿っている。[註9] (1)1800年代以前…Exclusion(除外主義) (2)1800年代…Institutionalization(収容主義) (3)1900~1950年代…Segregation(隔離主義) (4)1950~1960年代…Categorization(分類主義)
(5)1970年代…Integration(統合主義) (6)1980年代…Mainstreaming(主流化主義) (7)1990年代…Inclusion(包括主義)
【Ⅲ】施設解体・閉鎖の推移
かつてニュージーランド国内には、以下に示すようなコロニー型施設が 存在していた。 (1 )「Mangere」⇒オークランド(Auckland)にあった知的制約者の居 住型施設。 (2 )「Kingseat」⇒オークランドにあった知的制約者+精神疾患状態者の 居住型施設。 (3 )「Tokanui」⇒テ・アワムツ(Te Awamutu)にあった知的制約者+ 精神疾患者の居住型施設。(4 )「Lake Alice Hospital」⇒ファンガヌイ(Wanganui)にあった知的 制約者+精神疾患者の居住型施設。 (5 )「Porirua Hospital」⇒ポリルア(Porirua)にあった知的制約者+精 神疾患者の居住型施設。 (6 )「Kimberley Centre」⇒レヴィン(Levin)にあった知的制約者の居 住型施設。 (7 )「Cherry Farm」⇒ダニーデン(Dunedin)にあった知的制約者+精 神疾患者の居住型施設。 (8 )「Ngawhatu」⇒ネルソン(Nelson)にあった知的制約者+精神疾患 者の居住型施設。 (9 )「Templeton Centre」⇒クライストチャーチ(Christchurch)にあっ た知的制約者+精神疾患者の居住型施設。 (10 )「Seaview」⇒ホキティカ(Hokitika)にあった知的制約者+精神疾
患者の居住型施設。 (11 )「Wakari」⇒ダニーデン(Dunedin)にあった精神疾患者の居住型施設。 (12 )「Sunnyside」⇒クライストチャーチにあった精神疾患者の居住型施設。 (13 )「Braemar」⇒ネルソンにあった知的制約者の居住型施設。 ニュージーランドにおけるこれらの大規模居住型福祉施設、すなわちコ ロニー型福祉施設は徐々に解体閉鎖がなされ、2006年には、ついにキンバ リー・センターのみが残されることになった。そこで、これまで私自身が 実際に複数回にわたり現地訪問を行ってきた4箇所のコロニー型施設にお ける解体閉鎖へのプロセスを提示したい。 (1)テンプルトン・センター(Templeton Centre)のケース ニュージーランドの南島の代表的な都市であるクライストチャーチから 10キロほどの郊外に “Templeton Centre” と称された大規模居住型福祉施 設があった。敷地内にはキリスト教の礼拝堂さえもあった。ちなみにその 周辺には、男性・女性、それぞれの刑務所が点在しており、こうしたこと からもニュージーランドが、かつては保護収容型の支援システムを構築し ていたことが理解できる。 このテンプルトン・センターは2000年2月を以て完全閉鎖され、居住 者たちは地域生活に移行することになったが、地域移行支援のための大 きな役割を果たしたのが「IHC」である。その機関誌である “Community Movies”(November,1995)にはテンプルトン・センターを解体閉鎖し、 そこを退所する意義について次のような記事が掲載されている。なお1995 年当時、「IHC」ではディスアビリティ(Disability)ではなく、ハンディキャッ プ(Handicap)という表現を使っていた。[註10] クライストチャーチのテンプルトン・センターには450人以上の知的 ハンディキャップ児(者)が居住している。最近,南部地域保健当局
(Southern Regional Health Authority)はセンターの将来的な閉鎖に伴 い,IHCがそのためのサポートをする決定を発表した。IHCはすべての 人々がコミュニティに住むべきであると信じる。そしてそれは選択では なく権利であると考えている。 保護者たちの中にはセンターからの退所を心配している人々もいる。 これに関しては,1980年代後半にも同じような心配をしたケースがあっ たが,現在,彼らの家族は自分たちの地域社会内で自由で満足すべき生 活を送っていると語っている。彼らはそこで質の高い素晴らしいサポー トと24時間の支援を受けている。そして家族との接触の機会も増えてい る。 テンプルトン・センターの維持を願っている人々を支持する者たちは, これらの人々を施設外へと移すことによって犯罪を犯すケースが増加す るであろうといったような,ほとんど根拠のないことを主張している。 しかしコミュニティで生活する人々は,施設内よりも犯罪を犯す可能性 は高くはないのである。 知的ハンディキャップを有した人々は,可能な限り通常に近い生活を 送る権利を有している。子どもたちにとって,それは同年齢の他の人た ちと共に多くの日々を過ごすことを意味する。青春期の人たちにとって、 それは自立(自律)のための願いを認め、それを助長することを意味す る。成人期の人たちにとって,それは他者からの許可を得ずに,自己判 断や決定をしながら自分自身の生活を送ることを意味する。センターか らの退所は,コミュニティで通常の家庭に住むことを意味する。そして 人々が他の人たちと同じく,共にアクティヴな絆や関係を築き,コミュ ニティの住民の一人として包み込まれる権利を持っていることを意味し ている。 知的な(機能的側面での)制約状態を有する人々にとっての最も良い サービスとは,インクルージョン思想の次の原則に基づいている。すな わち,あなたがたは独自の存在であったとしても,そうした状態のあな
たがたが正当に評価されて地域社会内に受け容れられる,ということで ある。 テンプルトン・センターの閉鎖を計画するうえにおいて,南部地域保 健当局は,今まで家族への影響を心配してきた。人々をコミュニティの 中に移動させる決断をすることは改革を意味する。そしてその改革は他 の人たちに対しては,ある程度の恐れに対する挑戦でもある。しかしこ の国おける他の経験に基づき,そうした改革への挑戦は,当該家族にだ け負担がかかることはない。なぜなら,コミュニティと共にそれらを受 けとめれば良いからである。 この文章は、今から25年あまり前に書かれたものであるが、わが国の “Deinstitutionalization” 政策を推し進めてゆくうえでの基本理念ともなり 得るほどの優れた内容である。 (2)ポリルア・ホスピタル(Porirua Hospital)のケース ニュージーランドの首都であるウェリントンから21キロほど離れた場 所にポリルア市がある。市街地からさほど離れていない場所に知的制約 者と精神疾患者のためのコロニー型施設であるポリルア病院(Porirua Hospital)があった。“Community Movies”(May, 1995)には、ポリルア 病院からの退所ケースについて以下のような記事が掲載されている。以下、 その要点を示す。[註11] 昨年末に,パクパク・マクラウド(Pakupaku McLeod)が,まず最 初にポリルア病院から IHC のグループホームへと移ってきた。彼女が 病院に収容されていた時には,大部屋の病棟で他の人々と一緒に寝起き をしていた。彼女は身の回りの小物を持っていなかった。すべての衣服 類は大きな蓄え部屋にしまっておかれていた。トイレ区画には錠が掛け られており,その鍵はスタッフによって管理されていた。
80人ほどの知的ハンディキャップ者が中央地域健康当局(Central Regional Health Authority)によるポリルア病院の閉鎖決定がなされた 後に,IHCが運営する地域のグループホームに引っ越すであろう。 過去10年間にわたり,知的ハンディキャップを有する,およそ300人 の人たちが大規模居住型施設から地域内の住宅へと移動した。しかし, 1,200人あまりの人々が,今なお大規模型病院のような環境下に居住し ているものと推定されている。そこで IHC では,これらの人々が,大 勢での食事や雑居病棟での多くの制約条件を有する生活から,自分自身 で選択し,自己責任のうえで生活ができる地域の小規模型住宅への転住 支援を決断している。 (3)トカヌイ・ホスピタル(Tokanui Hospital)のケース 北島のハミルトン市から35キロほど離れたところにテ・アワムツ(Te Awamutu)という、人口8,000人ほどの小さな街がある。その街には地区 人口37,000人あまりを擁するワイパ地区(Waipa District)の本庁舎が置 かれている。そのテ・アワムツから10キロほどの郊外にトカヌイ・ホスピ タル(Tokanui Hospital)と称された大規模居住型の精神医療施設や特別 支援学校があった。この施設はコロニー型の形態を有しており、精神病院 や重心児(者)病棟、さらには重度・重複児のための特別支援学校等の各 種医療・福祉・教育施設が27の病棟と154の建物とともに、敷地面積が実 に95ヘクタールにも及ぶ広大な敷地内に点在していた。 トカヌイ・ホスピタルは1912年に開設され、その後、次第に入所者数が 増え続け、1974年には1,000人を超えるまでになったが、1993年にはその 敷地内で居住している人たちは360名ほどにまで減少した。ちなみに、そ の中で200名ほどが知的制約者であった。またここで働くスタッフの数も、 1980年代には887名を数えたが、1990年には678名に、そして1993年には 600名にまで減少した。そうした中で、1993年4月にこのコロニーが1995 年6月をもって廃止されることが決定され、大きな話題となった。しかし
予算の関係もあり、当初の廃止計画どおりの進展はみられず、ようやく 1998年3月に完全閉鎖された。[註12] (4)キンバリーセンター(Kimberley Centre)のケース ニュージーランドでは2006年度をもって大規模収容型福祉施設の解体閉 鎖作業を終えるに至ったが、北島のレヴィン(Levin)という小さな街に 位置していた知的制約者の最後のコロニー型施設であるキンバリー・セ ンター(Kimberley Centre)に残存していた最後の13の住宅を解体閉鎖 した際の記念パーティにおける居住当事者によるスピーチが「IHC」の機 関誌である“Community Moves”(March 2007, Volume 45, No.1)に“Big party celebrates Kimberley’s closure”と題されて紹介されている。[註13]
「今や私は選択権を持っている。・・私は選択の自由を持っている。・・ 私は自分の人生を生き,自立している。・・ 私は自分自身の人生の門の 外に出歩くことができる。・・ 私は自分自身のお金を使うことができる のだ。」とレイモンド・ローズ(Raymond Rose)氏がゲストに向かっ て語った。ちなみにローズ氏は,379人のキンバリーセンター居住者の中 で最年長の人物であった。 さて、キンバリー・センターの解体閉鎖にあたり、この記念パーティに 出席したピート・ホジソン(Pete Hodgson)保健大臣は、2006年11月14 日のニュージーランド議会において「大規模施設収容主義の終焉(The end of Institutionalisation)」と題した次のようなスピーチを行っている。 このスピーチはニュージーランドにおける “Deinstitutionalization” への政 策の変遷を述べている重要な視点を含んでいるため、やや長文ではあるが 紹介したい。[註14] 私は,これまでわが国が施設解体閉鎖や,さらにはディスアビリティ
を有する人にとってより重要であるインクルージョンを保証する最前線 にあったことを誇りに思っている。ディスアビリティを有する人が居住 型施設から地域社会の小規模住宅に住むに至るまでの運動は何年もの間, 続けられてきた。そして今日(こんにち),キンバリー・センターの閉 鎖によって,我々はニュージーランドにおける最後に残っていた13ヵ所 の行政施設を閉じることを目撃したのである。
ニュージーランド・ディスアビリティ方策(New Zealand Disability Strategy)のポイントは,人々に通常の生活を附与するところにある。 そしてそれは,この国の人びとすべてが有している権利でもある。しか しこうした認識に到達するまでに,我々は長い期間を要する必要があっ た。 1930~1940年代においては,ファミリードクターはディスアビリティ を有して生まれた子どもたちの両親が自分たちの赤ちゃんを病院から自 宅に連れ帰ることを積極的に思いとどまらせようとした。そしてその代 わりに,そうした赤ちゃんのための医療機関に措置するように促し,赤 ちゃんの存在を忘れるように促したのである。その理由は,たとえ当事 者家族が自分たちの子どもを自宅に連れ帰ったとしても,利用可能な支 援サービスが僅かしか,あるいはまったく無かったからである。 1950年代後半にまとめられたバーンズ報告 (Burns Report) は,病院 型の保護施設が,教育や訓練,およびリハビリテーションをするには不 充分であり,あまりにも保護管理的で,あまりにも大きく,そしてあま りにも孤立しているということを批判する最初の報告書のひとつであっ た。バーンズ報告書は,幼い子どもたちは家族から分離されるべきでは なく,もしも訪問型のサービスを必要としたのならば,小規模型のファ ミリータイプユニットにおいてサービスが提供されるべきであることを 推奨した。しかし,それにもかかわらず大規模型施設数が増加し続け, その結果,1969年段階では,2,000名以上の当事者本人たちが大規模居 住型施設での生活を余儀なくされたのである。
1973年に医療機関に関する王立委員会(Royal Commission)が知的 制約者の支援サービスについて報告を行い,そしてバーンズ報告に共鳴 して,王立委員会は知的制約者への医学ケアモデルを拒絶し,病院型施 設の凍結を推奨し,地域支援サービスの拡充を提案した。これは1975年 に国連総会で提唱された「ディスアビリティを有した人々が通常の,そ して可能な限り最大限の適切なる生活を楽しむ権利を有している」といっ た権利宣言(Declaration of Rights for Disabled Persons)によって意 味づけられた。この権利宣言は,それ以降,わが国政府の政策の基底と なり,精神医療機関における保護措置の停止を導き,医療型施設での保 護政策を締めくくる過程を導き出した。そしてこうした大規模型居住型 施設は,もはや知的制約者にとっての適切な支援環境ではないことが, ますます明確になっていったのである。その後 ,1988年に多くの知的制 約を持っている人たちが精神医療型施設での支援形態から地域社会での 支援へと移動したのである。 今や我々は大規模型居住型施設の解体閉鎖の業績を祝うまでになった。 我々の政府はディスアビリティを有する人たちが可能な限り通常の生活 を送ることが可能となるように支え続けることを決心している。私は知 的制約を有するすべてのニュージーランドの人びとの生活の質を改善す るために共に働き続けることを楽しみにしている。 保健省の副大臣であり、ディスアビリティ問題担当大臣でもあったルー ス・ダイソン(Ruth Dyson)によってキンバリー・センター(Kimberley Centre)の解体閉鎖が発表されたのは2001年9月5日であったが、その 際にダイソン大臣は「大規模収容型施設においてディスアビリティを有す る人のケアは、もはやふさわしくはない。キンバリーの居住者たちは他の 人たちと同様に、個人的、医療的、そして社会的必要を満たすために必要 な支援を受けながら地域社会に住む権利を有している。」と述べ、「それは ディスアビリティを有する人が地域社会において地域に密着したサービス
が提供され、施設収容主義が排除されることを保証する、といったインク ルーシヴ社会のアウトラインを描いたニュージーランド・ディスアビリティ 方策とも一致している。」と述べている。さらにダイソン大臣は、「キンバリー を閉鎖するという決定は経費削減の課題ではない」と述べている。ちなみ に2001年8月に作成された「キンバリー・センター解体閉鎖計画書」はA 4判で126頁におよぶ詳細な実施プランであるが、その文書には、キンバ リー・センターのような大規模収容型施設での支援方式から、地域に密着 した福祉支援システムへの転換を推し進める、といったニュージーランド 政府の強い意思が述べられている。[註15] ダイソン大臣はキンバリー閉鎖決定の原則を(1)~(4)にまとめて いる。なお1996年には、キンバリー居住者の親族たちとの協議の結果、(5) ~(6)の2つの原則が付け加えられた。
(1 )ノーマライゼーションの原則(The principle of normalisation) 知的制約者は通常の生活に可能な限り近づいた形態での生活を送る 権利を有する。
(2 )最も少ない制約付きの選択肢(The least restrictive alternative) 知的制約者は自立のための最大レベルの進展を図り,自立生活を楽 しむことができる。
(3 )地域社会で生活する権利(The right to live in the community) 知的制約者は自分たちが生活する地域社会に所属する。
(4 )インクルージョン(Inclusion)
知的制約者はインクルーシヴ社会を形成する人びとの一員として受 け入れられ,価値ある存在として受け入れられるべきである。 (5 )選択権(The right to choose)
知的制約者は彼らの必要を満たすためのもっとも良い居住施設,お よび支援サービスを選択する権利を有する。
支援サービスと安全管理面における必要とのバランスが保たれなく てはならないことを支援の原則とする。 “dumping” 問題で述べたが、「キンバリーの解体閉鎖計画はコスト節約 といった課題ではない。将来的には地域社会の住民としての必要を満た すために、さらに多くの費用がかかるであろうことが予想される。」とま とめているが、つまりこのことは「当事者本人が地域に投げ捨てられる (people dumped into the community)」政策からの脱却を意味している。
【Ⅳ】コミュニティ・インクルージョンへの展望
本論文はニュージーランドにおける大規模収容型福祉施設の解体閉鎖過 程を通してインクルーシヴ社会の構築、およびそこから導き出されるとこ ろの共生福祉支援論について論究を図ったものである。 ニュージーランドでは1980年代半ばから施設解体閉鎖への流れが加速し はじめ、各地の大規模収容型施設(コロニー型施設)の解体閉鎖へとつ ながっていったが、国家としてそれを明確に位置づけたのが、15の目的 と113の行動指針をもって、2001年4月から始められた“New Zealand Dis-ability Strategy,2001”であったといえる。その結果として、2006年に最後 のコロニー型施設であったキンバリー・センターの解体閉鎖を導くに至っ たのである。 さて、“Deinstitutionalization” 政策が立ち後れているわが国政府も、共 生社会の構築に向けて以下のような施策を推進しつつある。 国民一人一人が豊かな人間性を育み生きる力を身に付けていくととも に、国民皆で子供や若者を育成・支援し、年齢や障害の有無等にかかわ りなく安全に安心して暮らせる「共生社会」を実現することが必要です。 このため、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)においては、社会や国民生活に関わる様々な課題について、目指すべきビジョン、目標、施 策の方向性を、政府の基本方針(大綱や計画など)として定め、これを 政府一体の取組として強力に推進しています。[註16] こうした政策理念に基づき、ディスアビリティ分野においても機能的な 制約状態を理由とする差別の解消を推進し、全ての国民がディスアビリティ の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合い ながら共生する社会の実現に資することを目的とした「障害を理由とする 差別の解消の推進に関する法律」が2013年6月に成立し、2016年4月から 施行されるに至った。それに伴い「障害者基本計画(第4次計画 2018年 度~2022年度)」が策定され、地域移行支援、在宅サービス等の充実がそ こに謳われた。その中で、自立した生活の支援・意思決定支援の推進の基 本的な考え方が以下のように述べられている。 自ら意思を決定すること及び表明することが困難な障害者に対し、本 人の自己決定を尊重する観点から必要な意思決定支援を行うとともに、 障害者が自らの決定に基づき、身近な地域で相談支援を受けることので きる体制を構築する。また、障害者の地域移行を一層推進し、障害者が 必要なときに必要な場所で、地域の実情に即した適切な支援を受けられ るよう取組を進めることを通じ、障害の有無にかかわらず、国民が相互 に人格と個性を尊重し、安全に安心して暮らすことのできる地域社会の 実現を図る。さらに、障害者及び障害のある子供が、基本的人権を享有 する個人としての尊厳にふさわしい日常生活又は社会生活を営むことが できるよう、在宅サービスの量的・質的な充実、障害のある子供への支 援の充実、障害福祉サービスの質の向上、アクセシビリティ向上に資す る機器の研究開発、障害福祉人材の育成・確保等に着実に取り組む。[註 17]
ここで謳われている「自ら意思を決定すること及び表明することが困難 な障害者に対し、本人の自己決定を尊重する観点から必要な意思決定支援 を行うとともに、障害者が自らの決定に基づき、身近な地域で相談支援を 受けることのできる体制を構築する。」といった視点は評価されて良い。 しかし永年にわたり地域社会から隔離された場所での生活を余儀なくされ てきた利用当事者たちが、果たして適切なる自己選択・決定が為し得るの かについて問題が残る。永年にわたって隔離された場所で生活を重ねてき たハンセン病回復者たちの多くが地域への転住をためらったのも、ただ単 に偏見差別を恐れてのことではない。衣食住や医療介護等が、ある程度の 水準で保障されている現況を離れることへの不安が強いからである。さら には長期入院を余儀なくされてきた精神疾患からの回復者たちが、社会生 活のシステムに習熟していないために地域社会で生活することへの恐れか ら退院をためらったりもする。こうした前提条件の中で意思を確認したと しても、その意思が当事者たちが有する在るべき自己選択・決定とは言え ないからである。つまりは「人は住むところでそこでの住み方を学び、働 くところで働き方を学ぶ」といった視点が重要だからである。[註18] かつて私は、解体閉鎖に向けて動き出したテンプルトン・センターの敷 地内にあった特別支援学校を訪れ、学校長にインタビューを行ったことが 何度かある。その際には常に「生徒たちにとってはクライストチャーチ市 内で生活するよりは、この敷地内で生活した方が安全で快適だ。だから自 分は施設解体閉鎖方策には反対である。」旨を私に対して繰り返し語った。 またクライストチャーチ市内にある特別支援学校の校長も同様の発言を行っ た。さらにはキンバリー・センターの職員たちも保護収容型施設の利点を 私に語った。そのことを「IHC」のスタッフに話すと、「もしも解体閉鎖 がなされた場合には自分たちの職を失うことを恐れているからだろう…。」 と言われたことがあった。事実、トカヌイ・ホスピタルの敷地内にあった 特別支援学校の校長も失職の恐れを私に語っていた。理由は、ニュージー ランドの公立学校の場合、教員は学校単位で独自に採用しているため、も
しも学校が閉鎖に至った場合には同時に失職することになるからである。 ニュージーランドは「南半球の小さな国の大きな実験」と称されたほど に大胆な構造改革を展開した国として知られている。そして、そのすべて が成功したわけではないが、ワイタンギ条約(Treaty of Waitangi)に基づき、 先住民族であるマオリ民族をはじめとした多民族・多文化国家を構築して きた国であり、エネルギー政策を原発に依存しない非核国家でもある。ま た、人口が450万人程度の規模のため、意思決定と、その実行が迅速に為 される国でもある。さらに加えて強力な権利擁護組織が存在している。そ の代表的な組織体が「IHC」である。ちなみにニュージーランドの公用語 は英語とマオリ語、そして手話である。[註19] こうした背景を有するため、ニュージーランドでは“Deinstitutionalization” の理念形成とその実現が、わが国よりは容易であったことは事実である。 そして現在、ニュージーランドでは「New Zealand is a non-disabling so-ciety.」の理念を謳いつつ、“The New Zealand Disability Strategy 2016-2026” が展開されている。これに対してわが国も「第4次障害者基本計画 (2018年度~2022年度)」を提示し、徐々にではあるが “Deinstitutionaliza-tion”の理念形成と、その具現化が進展しつつあることは評価されて良い。 ただし多民族・多文化国家としての健全なる醸成への道のりは容易ではな い。さらにはニュージーランドのような明確なる非核政策の構築も困難で ある。 コミュニティ・インクルージョンの基本理念は、地域社会において一人 ひとりが、その人なりの最善の歩みが保障されることである。その中には 心身の機能に著しい制約状態(ディスアビリティ)を有する人のみならず、 ひとり暮らしの高齢者や、社会的養護の対象となる社会的困難性を有する 子どもたちも含まれる。さらには定住外国人の人たちも含まれる。つまり は多文化共生社会である。そうした人たちが必要な支援を受けつつ、その 人なりの最善の歩みを為すことが可能となる社会の構築が必要である。そ れが支え合いの福祉であり社会である。つまりはコミュニティ・インクルー
ジョンである。以上、これをもって本論文の結語としたい。
[註]
[註1] https://www1.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/45/
[註2] 「IHC will advocate for the rights, inclusion and welfare of all people with intellectual disabilities and support them to live satisfying lives in the com-munity.」(https://ihc.org.nz/)
[註3] IHC「Community Movies」(Vol.33; 1995)
[註4] A.Horner(1994; pp.159-183)「Leaving the Institution -Social Support, Friendship and Quality of Life-」(K.Ballard「DISABILITY,FAMILY, WHANAU AND SOCIETY」The Dunmore Press, 1994)
[註5] Julie Ruth Senescall(1997; pp.126-139)「Consumer Perspectives on Dein-stitutionalisation」(O’Brien & Murray「Human Services -Towards Prtner-ship & Support-」The Dunmore Press, 1997)
[註6] Wolfensberger,W(冨安芳和訳)「ソーシャルロールバロリゼーション入門 −ノーマリゼーションの心髄−」学苑社 1995年 76頁 [註7] 江草安彦他編「講座・発達障害・第7巻・教育と福祉」日本文化科学社 1989年 pp.35 [註8] 妹尾正「わが国の発達障害観と権利擁護」(発達障害研究 Vol.X No.4)日本 文化科学社 1989年
[註9] Andrews.J.「INCLUSIVE CLASSROOM」Nelson Canada,1993 [註10] IHC 「Community Movies」(November, 1995)
[註11] IHC「Community Movies」(May, 1995)
[註12] 私は1992年8月から1ヶ年間、ハミルトン市にある国立ワイカト大学(The University of Waikato)で在外研究を行っていた。そのため、トカヌイ・ホ スピタルの解体閉鎖のニュースを現地で知るに至った。そうしたこともあり、 しばしばこのコロニーを訪れた。
[註13] IHC「Community Moves」(March 2007, Volume 45, No.1) [註14] https://www.beehive.govt.nz/speech/end-institutionalisation
[註15] Ministry of Health(August 2001)「Preferred Future Service Provision for the Residents of Kimberley Centre」
[註16] 内閣府「共生社会政策」(https://www8.cao.go.jp/souki/index.html) [註17] 内閣府「令和元年版 障害者白書・参考資料」 258頁 (https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/r01hakusho/zenbun/ index-pdf.html) [註18] 冨安芳和「コミュニティ生活を創る」ぶどう社 1989年 46頁 [註19] ワイタンギ条約(Treaty of Waitangi)は英国君主と先住民マオリとの間で 1840年に締結されたニュージーランド最初の条約であり、これによってニュー
(尚絅学院大学名誉教授 本学教育学部非常勤講師) ジーランドは英国領となり、マオリが有する土地や文化の継承が約束された。 しかし不平等条約であるとの論議が今なお絶えない。それでもワイタンギ条 約は多文化・多民族国家としてのアオテアロア/ニュージーランド(Aotearoa/ New Zealand)の国家ポリシーを象徴する条約として広く根づいている。