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ケンブリッジ大学図書館と写本コレクション
文芸学部文化・歴史学科 准教授図 師 宣 忠
2019 年 4 月 か ら 2020 年 3 月 ま で の 一 年 間、 イギリスのケンブリッジ大学(University of Cambridge)で在外研究の機会を得た。ケン ブリッジ大学はオックスフォード大学に次ぐ 古さをもつ大学で、その歴史は中世に遡る。 創立は 1209 年、じつに 800 年以上の伝統をも つ由緒ある大学である。 ヨーロッパ中世史を専門とする筆者は歴史 学 部 の John Arnold 教 授 に 受 け 入 れ て も ら い、同学部の中世史セミナーや同教授が主催 するキングス・カレッジの研究会に参加する ほか、大学博物館であるフィッツウィリアム・ ミュージアムでコイン&メダル部門所蔵の中 世貨幣のコレクションの調査を行うなど、充 実した環境で研究をさせていただいた。 本稿では、筆者がかかわった範囲でケンブ リッジ大学の図書館を紹介していきたい。ケ ンブリッジ大学には中央図書館(University Library: UL)のほか、各学部にも図書館が設 置されており、筆者はおもに UL と歴史学部 のシーリー・ライブラリ(Seeley Library)を 利用して文献調査や作業を行っていた(図 1・ 2)。UL には荷物をロッカーに預けて ID カー ドで入館するのだが、館内に 800 万冊以上の 蔵書数(開架だけで 200万冊!)を誇るだけに、 階段を昇り、回廊を進み、延々と続く書棚の 合間を縫ってようやく目的の書物に辿り着く ということもしばしばである。ずらりと並ん だ書架に整然と収められた書物、逆に書架に 収まりきらず溢れ出て行き場を探して積み上 げられている書物。その佇まいは本好きには 何ともたまらないものがある。一方、赤レン ガとガラスの組み合わせが特徴的なシーリー・ ライブラリは、学生が自由に出入りでき、各 分野の基本文献に気軽にアクセスできる、名 実ともに開放的な雰囲気の図書館である1。 ところで、大学図書館の蔵書数もさること ながら、ebooks やデータベースなどオンライ ン・リソースの充実ぶりには目を見張るもの がある2。大学の教員・学生は圧倒的な量の 研究文献をデジタルでゲットすることができ 図 1:中央図書館 図 2:シーリー・ライブラリ(歴史学部) 香散見草:近畿大学中央図書館報 No.53, 2021− −13 るのだ。こうしたオンライン化の流れは今後 ますます加速していくことと思われるが、こ こでは少し目線を変えて、カレッジの図書館 の成り立ちに注目してみたい。ケンブリッジ 大学では UL と各学部図書館のほか、31 のカ レッジ(学寮)にもそれぞれ図書館があるの だが、それらの図書館の一つ一つに興味深い 歴史があるからだ。以下ではその中から、ト リニティ、コーパス・クリスティ、モードリ ンという三つのカレッジの図書館を選んで紹 介していこう。 とくに有名で一般にも公開されているのがト リニティ・カレッジ(1546 年設立)のレン・ ライブラリ(Wren Library: Trinity College)
である3。レン・ライブラリは、1666 年のロ ンドン大火で焼失したセント・ポール大聖堂 を再建(1710年完成)したことで知られるク リストファー・レン(1632 − 1723)により 1676 年に設計され、1695 年に完成した図書 館である(図 3・4)。図書館の書棚の彫刻は グリンリング・ギボンズ(ウィンザー城やセ ント・ポール大聖堂の彫刻で有名)の作。こ の図書館は昼の時間のみ一般に公開されてい て(人数制限あり)、館内の展示ケースには トリニティ・カレッジに所縁のある人物の資 料が陳列されている。たとえば、アイザッ ク・ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』 の初版(第二版に向けての自筆の書き込みあ り)、『失楽園』で知られるジョン・ミルトン (1608− 74)の手稿本、哲学者ルートヴィヒ・ ウィトゲンシュタインのノート、インドの数 学者ラマヌジャンの「失われたノート」など。 意外なところでは、A・A・ミルン『クマの プーさん』もある。ミルンもトリニティ・カ レッジで学んでいたのだ。 なお、レン・ライブラリには 1250冊の中世 の写本のコレクションが所蔵されている。ト リニティ・カレッジの Tessa Webber 教授の ご厚意で、それらの中世写本を用いたグルー プ・ワーク(大学院生対象の「中世写本研究」 の授業)にオブザーバー参加させてもらって いたのだが、ウェバー教授の該博な知識と丹 念な作業に基づく写本の読み解きに触れ、ア メリカ、カナダ、フランス、ポルトガルなど 複数の国から学びに来ている大学院生と肩を 並べて写本の構造を確認していく作業は知的 興奮に満ちたものであった。 この授業は、レン・ライブラリに加えて、 コーパス・クリスティ・カレッジ(1352年設 立)のパーカー・ライブラリ(Parker Library: Corpus Christi College)でも行われ、同館の 司書補 Anne McLaughlin 氏にも写本につい て解説いただいた。パーカー・ライブラリは、 カンタベリ大司教マシュー・パーカー(1504 − 1575)による寄贈がもとになった図書館 であり、パーカーの寄贈した写本については、 20 世紀に入って M・R・ジェイムズによって 目録が作成されている4。近年、コーパス・ クリスティ・カレッジは、アメリカのスタン フォード大学図書館、ケンブリッジ大学図書 館と共同で Parker Library on the Web という プロジェクトを進めてきた。これは、ジェイ ムズの目録に含まれる写本 538 冊およびその 図 3:レン・ライブラリ(トリニティ・カレッジ) 図 4:レン・ライブラリの出口より ネヴィルズ・コートを望む ケンブリッジ大学図書館と写本コレクション(図師)
− −14 後追加された写本など、合計で 558 冊の高精 細デジタル画像を作成するというものであり、 2018年から一般公開されている5。 このような歴史的史料・資料のデジタル化 と公開というプロジェクトは、図書館に限ら ず、アーカイヴのデータベース化という近年 の世界的な流れに位置づけられるものである6。 実際、レン・ライブラリの中世写本を含む多 数のコレクションもすでにデジタル化されて
いるし7、UL の Cambridge Digital Library に
は多種多様な資料が公開されている8。デジタ ル化によって各史料に格段にアクセスしやす くなるというメリットは計り知れないものが ある。しかも高精細画像ではインクの濃淡や 彩色の細密さなども確認可能なのだ。ただし、 すべてがデジタルで置き換わるかというとそ うではない。デジタル化が進むからこそ、目 で確認できる情報だけでなく、モノとしての 本という側面(素材の手触り、重さ、匂い…) を、(それが写本であっても刊本であっても) 大切にしたい。 イタリアの記号学者・小説家のウンベルト・ エーコは『もうすぐ絶滅するという紙の書物に ついて』という本の中で、書物とは「スプーン やハンマー、はさみと同じようなもの」だと述 べている。冊子体の書物は、機能の点でも、構 造の点でも、500年前となんら変わっておらず、 車輪とおなじようにそれ以外の形を想像できな いほど完成された発明品だという。写真が映画 によって滅びず、映画がテレビの普及のあとも 続いているように、デジタルというきわめて 便利な選択肢が広がるなか、モノとしての本は きっと生き残っていくに違いない。 最後にモードリン・カレッジ(1428年設立)の ピープス・ライブラリ(Pepys Library: Magdalene
College)に触れておきたい。無類の愛書家で もあった官僚サミュエル・ピープス Samuel Pepys(1633− 1703)の 3000巻に及ぶ蔵書が 彼の死後にカレッジに寄贈されたことでこの図 書館は誕生した。ピープスは所謂「ピープス の日記」で有名だが、1660年から 1669年にか けての日記には、1665年のペスト流行、1666 年のロンドン大火などが記されており、当時の 様子を伝える貴重な史料となっている9。ピー プス・ライブラリが二階に配置された建物の 前 面 に は「Bibliotheca Pepysiana 1724(ピ ー プス・ライブラリ:1724年)」と、ピープスの モットー「Mens cujusque is est quisque(各 人の精神、それは各人である)」が刻まれてい る(図 5・6)。「精神がその人をつくる」のだ というこの言葉は、古代ローマのキケロ(『国 家について』第 6巻「スキピオの夢」)から採 られたものである。 ピープスが日記に記した 17 世紀のペスト 禍は、ケンブリッジにも多大な影響をもたら した。トリニティ・カレッジのアイザック・ ニュートンがペストによる大学の休校で故郷 に隠遁中に重大な発見をしたという「創造的 休暇」の言い伝えはよく知られるところであ るが、ケンブリッジ大学の図書館はペスト禍 に限らず、戦乱も含め幾多の災厄を乗り越え てきた。現在、コロナ禍のなかにいる私たち に、どのような図書館の未来が見えるだろう か。デジタル化はコロナ禍を乗り越えるのに 図 5:ピープス・ライブラリ(モードリン・カレッジ) 図 6:ピープス・ライブラリの銘板 香散見草:近畿大学中央図書館報 No.53, 2021
− −15 きわめて重要な役割を果たしていることは確 かである。しかし、デジタル化という新しい 技術を取り入れることがすぐさま過去を捨て 去ることにはつながらない。伝統を重んじる 姿勢の先に、新しい図書館の姿を探りたい。 1 『世界の美しい図書館』(パイインターナ ショナル、2014年)、84− 85頁。 2 UL の特徴やデジタル化の流れについて は、文芸学部の髙宮いづみ教授が的確にま とめておられるので、そちらも参照された い。髙宮いづみ「ケンブリッジ大学と図書館」 『香散見草:近畿大学中央図書館報』第 43 号 (2012 年)14 − 17 頁。なお、2020 年現在、大 学図書館の検索システムは「Newton」から 「iDiscover」にアップデートされている。 3 ギヨーム・ド・ロビエ[写真]、ジャック・ ボゼ[著](遠藤ゆかり訳)『世界図書館遺産− 壮麗なるクラシックライブラリー 23 選』(創 元社、2018年)、146− 155頁。
4 M. R. James, Descriptive Catalogue of the
Manuscripts in the Parker Library, Corpus Christi College (Cambridge University Press,
1912 ) 5 https://parker.stanford.edu/parker/(最終 閲覧日:2020年 9月 1日) 6 日本でも幅広い分野のデジタルアーカイ ブと連携し、多様なコンテンツをまとめて検 索・閲覧・活用できるプラットフォームであ るジャパンサーチが 2020年 8月に公開された と こ ろ で あ る。https://jpsearch.go.jp/(最 終 閲覧日:2020年 9月 1日) 7 https://www.trin.cam.ac.uk/library/wren-digital-library/(最終閲覧日:2020年 9月 1日) 8 https://cudl.lib.cam.ac.uk/(最 終 閲 覧 日: 2020年 9月 1日) 9 サミュエル・ピープス(臼田昭ほか訳) 『サミュエル・ピープスの日記』(全 10 巻)国文 社、1987 − 2012 年。ピープスとその日記に ついては、臼田昭『ピープス氏の秘められた 日記− 17世紀イギリス紳士の生活』岩波書店、 1982年も参照。いずれも近畿大学図書館に所 蔵されている。 ケンブリッジ大学図書館と写本コレクション(図師)