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第8期第2回議事録(平成24年11月6日) 男女共同参画推進会議 議事録|浦安市公式サイト

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第2回浦安市男女共同参画推進会議議事録

1.開催日時 平成 24 年 11 月 6 日(火)午後 6 時~午後 8 時

2.開催場所 浦安市文化会館 中会議室

3.出 席 者

(委員)

上田会長、石黒副会長、菅宮委員、大宮山委員、細川委員、石川委員、塚越委員、 服部委員、渡邉委員、大塚委員、宮川委員、田中委員、土井委員、吉原委員

(以上、敬称略)

(事務局)

市長公室参事、企画政策課長、企画政策課主幹、人権・男女共同参画係長、 人権・男女共同参画係主任主事

4.議 題

(1)勉強会:「防災について」

(2)意見交換:「男女共同参画ニュースうらやす P-Life(防災)」について① (3)その他:事務連絡等

5.議事の概要

(1)「男女共同参画ニュースうらやすP-Life(防災)」を作成する上で、防災についての理解 を深めることを目的に、防災アドバイザーの細川委員を講師にお迎えし、勉強会を行っ た。

(2)事務局で示した P-Life(防災)の内容について、意見交換を行った。 (3)第 3 回会議の開催は、平成24 年 12 月 7 日(金)と決定した。

6.会議経過

(1)細川委員より、防災に関する勉強会として、「近年の地震から何を学ぶか?」をテーマ にお話しいただいた。概要は以下のとおり。

・東日本大震災(以下、「大震災」)が起きた時、来たかと思った。それには2つの意味が あって、一つは宮城県沖地震が 99%の確率で来ると言われていたこと。それと家族がば らばらの時に地震がやって来たこと。阪神淡路大震災以降、死者を伴わない地震が、な ぜか家族がそろっているときに起こっていた。どうして家族がそろっている時間帯、逆 に言うと市役所や学校がやっていない時間帯ばっかりに大きな地震が続くのだろうと思 っていた。これは全くの偶然である。自分は、ここ 7、8 年、家族がばらばらの時に地震

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があると言ってきた。その時にどうするかを考えなければならないと繰り返し言ってき た。

・東京、神奈川、千葉、埼玉の一都三県では 協力していろいろなことをやるが、東京・ 神奈川と千葉・埼玉では全く意識のレベルが違う。千葉県全体の意識が非常に低い。浦 安に住んでいる人は大体都内で働いているが、浦安に帰ってくるとなぜか安心する。防 災の意識が低いと感じていて、もう少し何かやる必要があるのでないかと感じていた。

・阪神淡路大震災は、3連休明けの早朝に起こった。地震の専門家と言われる人たちは、「い よいよ日本列島は本格的な地震の活動期に入った」と言った。死者を伴うような地震は 100 年に 30 回から 35 回くらいある。大雑把に言うと3 年に 1 回くらいである。ただ、不 思議なことに50年くらいは静穏期がある。第二次大戦直後に大きな地震が1つ、2つあ ったり全く地震がないわけではなかったが、それ以降はなかった。活動期に入ったと言 われた後、毎年のように死者を伴う地震が起きている。おそらく 30 数年はこの状態が続 くと考えられる。

・自然災害は、季節、曜日・時間帯等によって状況が大きく変わる。大震災の時に浦安は パニックになったが、首都圏で講演する時に、私は「何かあったの?」と聞く。首都圏 全体がパニックになったことを承知で言うが、何百キロ先で地震があって、電車が止ま って電話が通じないだけで後は何もない。これは人が勝手にパニックを起こしたにすぎ ない。もちろん、それだけで済まない人たちもいた。

・阪神淡路大震災の時と今では世の中が全く変わっている。一番大きい変化は、阪神淡路 の時に携帯電話を持っている人はほとんどいなかった。また、今のような携帯を持って いたのはほんの一部だった。今は、ほとんどの人が持っていると思うが、非常に便利で あるからつい携帯をあてにしてしまう。自分は携帯を持つ前、50 人くらいの人の電話番 号を覚えていた。心配していたのは、家族ばらばらの時に大きな地震が起きた時に、家 族がどう連絡を取るのかは考えておく必要があるということである。

・阪神淡路の犠牲者は公式では6,434 人である。そのうち約 900人は、地震がきっかけで 体調を崩したことなどによる震災関連死と呼ばれる人たちである。地震直後に亡くなっ た人の男女別、年齢別のグラフを見ると、50 歳を超えたあたりから死亡者数が増えてい る。日本全国の1 年間の自然災害による死者の統計を取ると、概ねこのような形になる。 女性が男性の 5 割増し亡くなっているが、これも傾向として変わらない。高齢者だけで 見ると、女性は男性の倍亡くなっている。阪神淡路で唯一特徴的なのは、20 歳から 24 歳 の人たちの死亡数が多くなっていることである。大阪に近い東灘区は 1,400 人以上の人 が亡くなっている。東灘区・灘区は30 年・40 年たっている古い木造アパートが建ってい たところで、ことごとくつぶれてしまった。木造アパートなので、家賃が安かった。住 んでいたのはあまり裕福ではない高齢者と大学生などの若者たちである。なので、これ は阪神淡路だけの特徴である。

・「自助・共助・公助」と言われているが、大きな地震が起きた時に、この比率が「7:2:

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1」になると大学の先生は言ったりしている。何を基準に出しているのかと思うが、この 比率は時間の経過とともに変わっていくものである。例えば、大震災の時に、浦安でも 液状化の被害があった。自分の団地でも断水した後に使えるようになったが、まだ配管 が外に出ているために夏は温かい水が出ていた。冬は冷たい水が出るのだろうと思う。 この段階になると自助でやることはあまりなく、市役所がやることになる。これが公助 である。命が助かるかどうかというところで言うと、比率は「7:3:0」になると考えて いる。「自力で」と「家族に」を自助と考えている。これが 66.8%となる。「友人・隣人 に」と「通行人に」を共助と考えている。これが 30.7%となる。「通行人に」は 2.6%で 通常より低いが、これは早朝であったからだと思う。ここまでで 97%を超えている。「救 助隊に」は、ほとんど消防隊のことであるが1.7%である。こういう調査もいろいろある が、一番大きい数字でも 2.2%であり、ほとんどが2%未満である。消防隊が必死にやっ てもそれくらいしか助けられない。消防の仕事は地震で火事になったときに火を消すこ とである。日本に人命救助を専門にやっている役所はない。救助庁とか救助省なんかは ない。消防隊にはいろいろな事象が起きるのでレスキュー隊もある。浦安市にレスキュ ー隊があるとしても一隊だけである。地震があって72時間(3 日間)は生きるか死ぬか の時間となる。一つだけ注意してもらいたいのは、「家族に」が 31.9%であるが、あれが もし 3 時間遅く起きていたら、全く違った数字になっている。阪神では車を運転してい て亡くなった方が多くいた。そういう方が 1割。あとは圧死・窒息死が 87%前後。これ が阪神淡路の特徴である。

・浦安のような都会に参考になるのは、都会の地震である。阪神淡路は参考になる。あの 地震ではマンションがかなり被害にあっているが、どれくらいの被害があったかの情報 はあまり知らないと思う。いろいろな本が出ているが、そういうのを誰も買ったり読ん だりしていない。所詮他人事としか思っていなかったということである。自分が言い続 けたこととして、我が家を安全にしましょうということがある。大震災はほとんど津波 による犠牲者である。ここ30 年くらいみると、日本海中部地震において能代市で 104 名 のうち 100 名は津波で亡くなっている。その10 年後にあった北海道南西沖地震では、100 名のうち 90 名以上が津波で亡くなった。これはある意味、地震による死者の例外と考え ていい。通常、地震では建物の倒壊で圧死することが多い。そこで死なないようにすれ ば、地震で死なないように済むということである。「我が家を安全に」とはそういうこと である。

・男女共同参画にかかってくることで、「防災は男(だけ)の仕事?」と書いているが、防 災に女性の参画は不可欠であると私は昔からよく言っている。防災の講演会をしている が、参加者のほとんどが 65 歳以上の男性である。行政の考え方というのは、その方たち を通じて、住民に情報が伝わっていると言っているが、伝わることはほとんどありえな い。自治会長たちに話をして、「防災講演会に言ってきました」と会報に載るが、どうい う話であったかという情報は載ったことがない。

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・普段やっていないことはできない。防災というと特別なことと考えられているが、そう ではない。普段やっていることやできることですら、災害時にはできないものである。

・大震災で教えてくれたことは、子育て世代とその親の世代のギャップである。あの日に 電車が止まって電話が通じなかったことが、首都圏で困ったことである。講演会で「電 車が止まったりして困ったか」と聞くと、困ったと答えるのは、よくて 1 割程度である。 主に自治会長のような人たちは困らないものである。あの日若いお母さんたちは非常に 焦った。地域の防災対策を考え直そうと、あちこちで検討されているが、検討している のはお爺さんたちがほとんどである。それでは肝心な部分が抜けてしまうと思う。少な くとも、若い人たちがどうだったか、自分の子どもや孫たちがどうだったかを踏まえな いといけないと思う。

・液状化対策は確かに大事であると思うが、それだけが大事かというとそうではない。今 後また液状化するかもしれないが、その時に液状化対策だけをやっておけばいいのか。 ただ、あれだけの被害が出たので、何もしないわけにはいかないということはある。

・断水した翌日に、給水車がたくさん来たが、これは単に断水したのが首都圏で浦安市だ けであったからにすぎない。首都直下地震が起き場合、いたるところで断水になり、給 水車が来るとは考えないほうがよい。浦安市では給水車を 1 台持っているらしいが、こ の 1 台でやり繰りしないといけないことになる。千葉県が保有している給水車は 30 台で あるが、そのうち 1 台でも浦安市に回ってくるかというと、おそらく来ないだろう。大 震災の時には浦安市に給水車が来たから、浦安市民は給水車が来るものだと信じている。 これは大きな誤解である。

・通信手段であるが、連絡の中継点ということで、我が家では何かあって連絡を取り合う ことができない場合には、札幌の親戚に伝えておくことにしてある。今回それが役にた った。自分は阪神淡路から 5 年後くらいに携帯電話を持つようになったが、中越地震で 長岡へ調査に行った時に、電話は通じなかったがメールは通じたことを聞いた。それで、 携帯メールのやり方を覚えたが、大震災の時はそのメールも通じなかった。その後、ニ ュースで、ツイッターやフェイスブックは通じてたことを知り、ツイッターも覚えた。 このように通信手段は、何かあるごとにツールを増やしている。

・日本人は、避難勧告が出ようが出まいが避難しない民族である。例えば、大震災の時、 東京湾でも大津波警報が出た。東京湾に津波警報は出るかもしれないが、何かの間違い ではないかと思った。大津波警報が出て、東京湾に面した人たちで避難している人はほ とんどゼロに近いと思う。津波や洪水とかで避難勧告が出ても、今までの統計を見ても 95%は避難しない。内閣府の調査で岩手・宮城・福島の3県を除いて、大津波警報が出 たところで、どれくらい避難したかを調査した結果が出ている。避難したのは 1.7%で 98%は避難していない。この調査は生き残った人に調査している。それは、犠牲者のほ とんどは逃げないで亡くなっている。それくらい日本人は逃げないということである。

・「釜石の奇跡は奇跡ではない」というのは、群馬大学の片田先生という方がいて、この先

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生が釜石へ 7 年間通って防災教育を行い、多くの人が助かった。これは奇跡でも何でも なく、やることをやっていたから助かった。ちなみに釜石東中学の生徒は、初めに「ご ざいしょの里」というところに避難することになっていた。そこまで行ったけれども、 ここも危ないということで、その上の介護福祉施設まで避難している。ところが、そこ の斜面が崩れているのを発見し、ここも危ないということで、もう一つ高い石材店まで 逃げた。その後、この介護福祉施設は津波につかってしまった。中学生たちが教頭先生 に校舎の 3 階へ上がれと言われたが、それだと危ないということで避難した。この中学 生たちの凄いところは、校庭に集まって点呼を取るようなことは一切せずに、とにかく、 我先に逃げろという教育を受けていて、生徒を 3 階に上げていた隣の小学校にも声をか けて一緒に逃げた。今までも中学生と小学生が一緒に訓練をしていて、中学生が小学生 の手を引いて避難した。その途中で、保育園の保育士が必死に子どもたちを避難させて いた。それを見つけて、中学生が子どもを抱いたり、台車を押したりして全部避難させ ている。それを見ていた近所の大人たちも危ないのではないかと思い、つられて逃げた。 この地区で大人は一人も死んでいない。命をつなぐ防災教育などをテレビでもよくやる が、それに対比して言われるのが石巻の大川小学校である。これはほとんどの子どもが 校庭にいて約1 時間後にきた津波にさらわれて亡くなっている。校長先生が不在で学校 にいた 11 人の先生のうち10 人は亡くなっている。

・被害の中心のことは最後まで分からない。情報空白地域が最大の被害発生地である。こ れはどこの災害でも同じで、一番酷いところは最後まで分からない。生きるか死ぬかの 状況なので、外に向かって助けを求める情報を発信する余裕もなければその手段もない。 災害の時に、情報がなかったらその場所が一番被害が大きいと考えた方がよい。

・自然災害は同じ所で繰り返し発生するが、前回と同じ状況になるとは限らない。自分の 周囲の状況が変わってくれば、被害の状況も変わってくる。2 年前に東京都北区で石神井 川が氾濫したことがある。実はその3 年前にも氾濫していた。その時は、道路を流れ下 って、突き当りの公園に水が流れ込んだ。ところが2年前に溢れ出た時には、その水が 全てあるマンションに流れ込んでしまった。マンションの住人は、「3 年前は水が来なか ったのに、何で今回は流れ込んできたのか」と怒った。いろいろと話を聞いてみると、 橋の架け替え工事をしていて、橋が1 メートルくらい高くなった。そうすると、そこに 付いている道路も当然1 メートル高くなっている。そこから直角に下りてくるのが、そ のマンションの道路である。道路も盛り上げて 1 メートル高くなったのだから、水が低 い方のマンションに流れるのは当たり前である。ただ、人間というのはそういうことに 気が付かないもので、前回と同じように流れるものと考えてしまう。

・地域の自主防災組織というものがあると思うが、奇妙なことに災害が起きた時、肝心な 人がいないということはよくある。

・「時とともに果たすべき機能は変化する」とは、先ほどの「7:2:1」の話と同じである が、地域で何をやるかは時間の経過とともに変わるのはごく当たり前である。何が必要

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かは状況によって変わってくる。最初はどうやって人を助けるか、自分で助かるかで、 無事になってから初めて、どこで生活するのか、食べ物をどうするのかと考えるように なる。その時に道路が多少ガタガタでも文句を言う人はいない。それが 1 ヵ月くらいた って落ち着いてくると、道路をいい加減に直せと言うようになる。このように時間の経 過とともに変わってくるということである。

・地域で活動するときのコツであるが、欲張らず、無理をせず、1 つずつ、防災に満点は ないということである。人間というのは欲張りで防災についてやろうとしたら、最初か ら完璧にやろうとする。防災に完璧はないしありえない。災害というのは必ず想定外の ことが起きるものである。今は想定外という言葉を使うなと言われているが、そんなこ とを言っても絶対に想定外のことは起きる。人間が想定していることよりも、自然はは るかに突拍子もないことをやってくれる。もう一つ危険なのは、国などが被害想定の見 直しを行っていて、南海トラフ地震の被害想定の見直しがあったが、今までは 5 万人の 死者が 30 万人になると突然公表された。これまでの地震の被害想定は、百年に 1 回起き る規模の地震で行っていた。ところが、大震災は千年に 1 回の確立で起きる規模である。 これからの被害想定を全て千年に1 回起きるかもしれない災害を想定して出すと、膨大 な数字になる。ただし、これは最悪の被害想定なので、適正な訓練をして対策を取れば、 被害を 5 分の1に減らせると記者会見で言っていた。30 万人と 6 万人ではえらい違いで はあるが、それぐらい分からないものである。だから最初から満点を目指すのではなく、 今より 1 点でも 2 でも上乗せすることを考えればいい。

・防災は、地域のイベントと一緒にやるのもいいし、お祭りが防災の原点である。11 月 3 日に習志野市に講演に行ったが、その日はうちの団地の防災訓練があった。私は自分の 団地の防災訓練に一回も出たことがない。なぜかというと、大体土日にやるので、自分 の講演会が入り家にいない。うちでは防災訓練の日に何をするかというと、終わると必 ずバーベキュー大会をする。それで人を釣る。バーベキューをするには、前の日から仕 込みをして結構大々的にやる。お祭りも本部テントを張ったり、発電機を付けたりする。 祭りでは防災部がご飯を炊いてカレーを作り200 円で売っている。その売上金で使った 米の購入に充てるので、一年ごとに新しい米を補充していることになる。テニス部、釣 り部、囲碁部などもあるが、そういうところに割り振って屋台を出している。これは全 部炊き出し訓練である。子どもがほとんどいなくなった時期もあったが、やせ我慢でも いいから祭りは続けようということで、ずっと続けている。祭りをやれば、普段うちに いない子どもが孫を連れて来る。防災に必要な要素は、地域の人が集まって何かやれば いい。そうすれば防災はできる。

・会長も部長も偉くない。会社はタテ社会、地域はヨコ社会である。何を言っているのか というと、自治会などの会長は普段偉いことになっている。地域の活動というのは役職 に付いている人が偉いかというとそうではない。役職に付いている人は偉いと勘違いし ている人が多い。会社、企業の場合は、上司にさからったりすると、左遷されたりクビ

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になったりする。しかし、自治会長の言うことを聞かないからといって、「お前出てけ」 と言われることはない。その中で、たまたま組織を作って役職を決めているだけであっ て、地域というのはタテ社会ではなくヨコ社会である。会社はタテ社会であるが、それ を地域に持ち込む人たちがいる。そういう人たちの言うことは、いざという時には誰も 聞かなくなる。地域では基本、仲良くしないと防災はできない。

・資料の写真については、1 階で商売をやっている家は、一階が潰れるという事例である。 家が潰れる時、道路側が弱いので道路側に倒れる。そうすると、二車線の道路では車が 通れなくなり、消防車も救急車も通れなくなる。

・中越地震の際の小地谷市役所のガレージで、50 人くらいの女性が炊き出しをしていた。 この時は道路が寸断され、ほとんど外から人が入れない状況であった。こんなに多くの 女性がどうやって集まってきたのかと思い、声をかけたらボランティアではなく、市役 所の職員であった。市役所の職員はもっと必要な仕事をやるべきではないかと思った。

・長岡市役所の救援物資の受け入れの様子であるが、市役所の職員が物資の受け入れでふ らふらになっていた。いらない物を次から次へと持ってこられて困っていた。雨も降っ ていて、全国から届いた善意を濡らすわけにはいかず、収容する場所を必死になって探 していた。実は被災地を助けるつもりで、逆に被災地を困らせる状況が随所にあったと いうことである。

・中越沖地震の柏崎市役所の駐車場に救援物資を置いている写真がある。ここから歩いて 4,5 分のところにえんま通り商店街があり、そこの商店街の人たちがいろいろな物を持ち 寄って配っていた。物はあっという間になくなっていた。物は市役所にいっぱいあるの に、なぜか柏崎市民はここに物をもらいに来ていた。この商店街の役員の方に、ここは 物がすぐになくなるから、市役所にもらってきたらどうかと言ったら、そういう物は行 政が届けてくれるものだと言われた。それで、職員に「市民はここを通り越して、みん なえんま通り商店街に行っているから、物資を届けたらどうですか」と言ったら、必要 ならここに取りに来ますよと言われた。防災行政無線で情報は徹底していると言ってい た。世の中に防災行政無線ほど聞きにくいものはない。自分は被災地の状況を見に行っ て、耳を澄まして聞いているから分かった。ある意味、職員の言うことは間違いではな い。この時は家もたくさんつぶれた。地震の翌日で家が潰れた人は、家の前で腕組みを してぼーっとつぶれた家を見ている。そういう人たちは、防災行政無線で何を言おうが 耳に入っていない。だから、防災行政無線で市民に徹底しているから大丈夫だと言うの は間違いである。もう少し言うと、柏崎には一軒一軒の家に防災行政無線の受信機があ り、寝室が 2 階の家にはそこにも受信機がある。

・浦安市を含めて何を言っているのか分からないのが日本の防災無線である。ここで言い たいのは、住民は行政の仕事だと言っているし、行政は必要なら住民は来ると言ってい る。物はあるのに、必要な物が必要な人に渡っていないという現実がある。たまたま柏 崎の例を出したが、日本全国どこへ行っても被災地は同じことをしている。4,5 日たつと

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外部から人が入っていって、ボランティアなんかが動き出す。そうやってものが動くよ うになる。どこでも初めて体験することだから、結局同じミスを繰り返している。

・本の紹介になるが、放射能について武田先生が書き、地震については自分が書いている。 料理や育児など主婦向けの本を出している出版社であったが、両方をまとめた本がない から、そういうものを作りたいということで頼まれて書いた。

・もう一つお手元に、「子連れで楽楽うらやすMAP」がある。これは、うらやす市民大 学で昨年、「うらやすの健やかな子育てを考え行動する」という講座があり、それに参 加した人たち、主に若い母親たちが経験したことを踏まえ、自分たちで調べて、まとめ たそうだ。私は、市民大学で見せてもらって、これは非常にいいと思って、何で広めな いのかと聞いたら、保育園などでは配ったと言っていた。今年の市の防災訓練があった 時に、市民大学のブースでも印刷して置いていたが、あっという間に品切れになった。 これは、市内の女性が防災についてまとめたガイドと市内のマップである。参考になる と思って用意した。

(質問)

委 員:老人会で市長が、東日本大震災が起きて 3 年以内に富士山の噴火がおこると言 っていた。3 年以内ということは既に1年半経っているので、後1年半である。 それでゴーグルとマスクを用意しなさいと言っていた。実際のところはどうな のか。

委 員:これははっきり言って分からない。富士山が噴火する可能性が高くなったこと は事実である。9 月 18 日に噴火するとマスコミが大騒ぎしたことがあって、マ スコミから随分問い合わせがあったが、そんなものは根拠がないと答えていた。 大騒ぎしたが結局噴火はしなかった。その後に、マスコミから何で噴火しなか ったのかと聞かれたが、くるかもしれないと煽っていたのはマスコミであり、 勝手なことをするなと怒った。地震にしても噴火にしてもいつ起きるという特 定する能力は今はない。ただ、火山に関しては、例えば、有珠山の場合、北海 道大学の先生が危ないと言ったその翌日に噴火をした。その先生は有珠山のた もとに小屋を建てて、北海道大学の研究室の分室という看板を掲げ、そこで寝 泊まりをしていた。その先生が言うのだから間違いないということで、町の人 もみんな逃げた。そういうホームドクターもいるが、そうでない限りではそん なに真剣に考える必要はない。富士山が噴火しても首都圏にどんな被害がある かは起こらないと分からない。江戸時代の永保の噴火のときは、東京の方でも 火山灰が溜まった記録はある。それと同じ規模になるかどうかも分からない。 観測地点が絞れるので、地震より火山の方が分かりやすいというのはある。富 士山でもいろいろなところで観測しているから、いつかは数日以内、一週間以 内にという発表はあるかもしれない。その時は噴火すると思っていい。ただ、

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どの程度の噴火になるかは多分分からない。なぜかというと、火山にしても地 震にしても研究が始まってから百年たっていない。関東大震災以降、日本で地 震の研究が行われるようになった。その頃は研究と言っても予算は付いていな くて微々たるものであった。国である程度予算を付けてくれるようになったの は、阪神淡路大震災以降となる。それから考えるとまだまだ17 年程度である。 それで、何億年という地球上の歴史のことは分からない。中央大学の教授から 東北大学の教授になった首藤先生は、津波の日本の津波の第一人者と言われ ている。首藤先生は「まだ津波なんか馬鹿なことをやっている」と言われなが ら研究をしてきた。それぐらい歴史がまだ浅いので分からないと思った方がい い。首都直下地震がいずれ起きると思わないといけないが、いつかは分からな い。首都直下地震が30 年以内に 70%以上の確率で起きると国が発表したが、た またまマスコミが騒いだ数字で4 年以内に 70%以上というのが出た。これは東 大の平田先生の内輪の研究会のペーパーを流した学生がいて、それを見た某新 聞が一面のトップ記事に載せたために、他の新聞も追随して大騒ぎになった。 これは、昨年の大震災から9 月いっぱいまでの日本で起きた地震のデータを、 全て入れて計算した確率で、内輪の勉強会で平田先生が言ったにすぎない。こ れが首都圏で明日にも大震災があるかのごとく大騒ぎになった。実はその一週 間後に、京都大学の防災の研究の先生が、12 月いっぱいのデータを全部入れて、 平田先生と同じ計算をしたら確率が物凄く下がった。地震直後は余震が頻発し ているから確率が高くなるのは当たり前で、期間を少し長く取ったら下がる。 30 年以内に 70%というのも、4 年以内に 70%というのもたいして変わらないと 考えた方がいい。地球の長い歴史の中で我々の人生は 80 年でしかない。80 年に 1 回大きな地震が起きる地域は、ゼロではないがそうはない。例えば、仙台周辺 は 40 年に 1 回くらいのサイクルで地震を繰り返している。東京でいうと、三原 山は 30 年に 1 回ずつ大体噴火している。そのように分かっているところもある が、それ以外のところはよく分かっていない。短いスパンで噴火してくれれば、 一生に 2,3 回噴火するから分かる。これが、三百年に 1 回、五百年に 1 回だと、 みんな死んでいるので知っている人は一人もいない。そうするとすぐに忘れて しまう。実は地震の研究というのは地球物理学の先生がやっていた。今はいろ いろな分野の人が入っているが、進歩してきたのは、地質学の先生たちが関わ ってきたからである。なぜ地震が起きるのか、プレートテクトニクスなどと言 った理論が地球物理学になる。地質学というのは、例えば大飯原発で活断層の 調査があったが、地層を研究すると、何年頃にここで津波があったというのが 分かる。規模も大体分かる。以前は、土木学者と地球物理学の先生は仲が悪か った。ましてや地質の先生なんかは変わり者呼ばわりされていた。しかし、地 質の先生たちが地層を研究して、奈良時代以降の地震の記録を全て埋めてくれ

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た。今はいろんな分野の先生が関わってくるようになって、やっと地震の実態 が分かるようになってきたというところである。まだまだ分からないところが 多い。いつ噴火するというのはあまり気にしなくてもいいと思う。

(2)「男女共同参画ニュースうらやすP-Life(防災)」について意見交換を行った。 会 長:今日と次回とで、P-Life の内容を検討することが到達目標になっている。資料

の項目自体は市からの提案となっている。この項目自体も検討していいと思う。 たたき台として6 項目あげているので、それについての「現状」「現状に対する 意見」「希望に近づけるための方策」「気づいたこと」など自由にご意見をいた だきたい。今回と次回でこの項目について検討していくということになる。 委 員:これは、こういう項目について掲載していく予定ということなのか。

事務局:本日お配りしているP-Life ですが、今まで男女共同参画についての情報紙を年 2 回発行してきた。昨年度、第2 次うらやす男女共同参画プランを策定し、その 中の重点項目として、防災の視点とDVの視点の2つを重点施策として掲げた。 そのうち、今年度については、防災について男女共同参画の視点から少し議論 していただき、それを P-Life としてまとめて年度内に発行して各世帯に配布し たいと考えている。そのための議論の拠り所として、細川委員のプレゼンテー ションがあったが、サジェストのためのキーワードがたくさんあったと思うの で、そういう言葉をつなぎながら、もう少し男女共同参画を深掘りするような 議論を今回と次回でしていただいて、それをある程度まとめて、この P-Life と いう形の素案を作っていきたいと考えている。そういう意図でご議論していた だければと思っている。今日お配りしている資料の6項目については、必ずし もこの項目に沿ってP-Life を作るということではなくて、男女共同参画の視点 から見た防災について作っていくという、事務局側が少し考えてみたものであ る。本日、細川委員より貴重なお話をしていただいたので、その点も踏まえご 議論していただければと思っている。

会 長:一番目が性別役割分業というテーマになっているが、防災計画の場や講演会の 場に高齢の男性の方しか参加がないというお話があった。現状として、浦安市 の自治会などはどうか。

委 員:震災の当日、自分の自治会の役員の方は大体 65 歳を過ぎていて、自宅にいたの で結局のところ全体的に男性が活動をした。心のケアや老人のところに伺うの は、支部社協の推進員の方に名簿を渡してお願いした。女性の方は地域にいる 時間が長いので、ご近所の方を訪ねるなど女性特有な仕事をやっていただいた。 ボランティアについても、男性の方には側溝の清掃に来ていただいた。女性の 方にはお年寄りの家に行ってお話をしてもらったりした。情報ということでは、 下水道が詰まって、自治会の会員の人には下水道を使用しないよう連絡がつい

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たが、マンションの方には連絡がつかなかった。不動産会社にも連絡をしたが、 最終的にはボランティアの方にお願いして全戸配布などをした。

委 員:私が住んでいるのは、新町地区の大型の集合住宅であるが、自治会の構成員が 大体 40 代、50 代の男性となっている。これはまずいことだと思っているが、前 回の地震の時もこれらの人たちは帰ってこれなかった。震災の時に自治会の会 長、副会長、総務部、防災担当も全員40 代、50 代の男性がやっていたので、誰 もいなかった。やはり昼間家にいることが多い女性が、もう少しそれを組織し ないといけないという意識はその時からあったが、残念ながら今もその体制は あまり変わっていない。前回は夜中の2時とかに帰ってきたが、次は帰ってこ れるかは分からないので、地元にいる人たちだけで二日くらいは機能しないと いけないと思っている。ただ、その仕組み作りはできていないというのは現実 として感じる。

委 員:今の話で役員が若い方たちということだったが、災害を考えなければそれでい い。もう少し言うと、夜起きるのであれば帰宅しているので問題はない。たま たま昼間起きて、若い役員が誰もいなくて困ったということだが、災害という のはいつ起きるかは分からない。そのために、その時機能する組織を作ってお く必要があるかどうかということである。私は基本的にないと思っている。災 害が起こったら、その時にいる人でやるしかない。国が自主防災組織を整備し なさいと言ったものだから、各自治体は自治会を名前だけそういう風にしてい るだけである。自治会長が自主防災組織の会長を兼ねているところが半分くら いである。浦安もいろいろな地域があるが、自治会長と自主防災組織の会長が 違うところは大体上手くいっていない。どっちがイニシアチブをとるかで、そ のつき合わせである。自主防災組織を作るより、自治会の中に防災部を作れば それで済むと思っている。組織をたくさん作ると混乱するだけである。自分の 自治会も実は、自治会・管理組合があるのに、防災部がしゃしゃり出て混乱し たそうだ。組織をたくさん作ると上手くいかない。だから災害のための組織と いうのは考える必要がない。普段仲良くしていて、その時にいる人たちでやれ ばいい。何をやるかというマニュアルは作ってもいい。ただマニュアルを作っ ても、その通りできるかというと大体できない。普段からみんなで話し合って おくことが大事で、たまたま大震災の時に役員がいなくて困ったというのは、 住みだして初めてのことで今後はないかもしれない。役員をやりたくなくて、 くじ引きで決まったような人たちが多いわけだから、そういう人たちに責任を 負わす方がおかしい。「地域はヨコ社会」というのはこういうことで、みんな公 平で、いる人たちでできることをやるというのが現実的だろうと思う。

委 員:やはりマニュアルを作っていくという感じなのか。

委 員:私はよくレジュメに入れるが、マニュアルは必要であるけれども、作るプロセ

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スに値打ちがあって、できたものにはほとんど値打ちがないと言っている。浦 安市の地域防災計画もホームページで公表されているが、長すぎてあれでは読 む人なんかいない。もっと言うと、市役所の職員だってまともに読んでいない のではないか。分厚い計画ほど役に立たない。だからいろいろな計画を作った ら、A4 裏表に必要なことをまとめて、それだけは全員知っておくにする。後は それぞれのセクションで情報を持っていればいいと考えている。

委 員:私は元町に住んでいるが、うちの自治会は消防署ができる前から自主防災組織 というのはしっかりしていて、消防団の年配の方が役員をやっている。昔、土 のうを積んだ経験をしたとか、そういう人たちの話で、台風で水が出たことは あっても、津波で被害を受けたことはないとことを小さい頃から聞いていた。 今回、携帯用の小型トイレを 1 戸につき 1 つ配布しようという計画を立てて、 500 個くらいそろっていた。今回の大震災の時に、何かできないかということで それを提供しようという話になった。余震がまだあるのに、それを出してしま っていいのかということで、その替わりに、自治会にある洗濯機を向こうの地 域の人に貸し出した。また、震災当日の 4 時くらいから炊き出しをして、浦安 橋を通る人たちにおにぎりを配布した。

委 員:元町というのは古くは漁師町であった。漁師たちというのは海に出るから基本 的に災害に強い。それを言うと、東北の海側の人たちはどうなかという話はあ るが、基本的に海を相手にしている人たちが住んでいる地域というのは、防災 体制が自然にできている。おそらく消防団の OB がたくさんいるだろうから、元 町は放っておいたって、自分たちでやる。問題は中町・新町であると思ってい る。

委 員:細川先生に教えてもらって、浦安の災害ボランティアネットワークというもの を立ち上げている。あの時に、自分自身が新宿にいて歩いて帰ってきて、社会 福祉協議会に寄って、翌日からボランティアの活動を始めた。女性と男性とい うことで、私どもの会には女性も多く入っている。今一番問題であると思うの は、そういう活動に参加されている女性も男性も数が少ないことである。あの 時に液状化が起きて、2,3 日目からボランティアの方が来始めたが、私も二週間 通して朝から晩までやっていると、段々と疲労が溜まってくる。女性も来てく れて同じようにやるが、あの寒くて砂埃でいっぱいになっている人たちをどう ローテーションするかというところに、一番のポイントがあったと思っている。 防災をどうやって軽減していくかなどいろいろなことを勉強しておいて、何ら かの形で参画する。それこそが男女共同参画ではないけれども、何かあった時 に誰かが集まってきて一緒に動くという意識を醸成するような情報紙になれば いいと思う。男は女はというよりも、そこにいる人間でやるしかない。来てく れるボランティアの人の中から、この運営に必要な人をピックアップして、自

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分たちの知っている知識をある程度植えつけながら、これを長い間回していく ことが一番大事だった。ぜひお願いしたいのは、何かあったら自分の自治会で やる、何か動いている組織に行って手伝うという意識を持ってもらえるような 情報提供をして、市民を動かしていくことを何とか実現したいと思っている。 自分は昨年の 4 月の初めくらいまでやり、終わってから体重が激減した。それ くらいストレスや疲労が溜まることであるから、本当は各地域でもっと、そう いう時になったら人が来てくれるという感じを作りたいというのが実感として ある。

委 員:別の視点になるが、浦安市は核家族が 94%であるので、何かあった時にはほと んでの人たち、特に男性は東京に出ている。そのような状況の中で、普段やっ ていないことはできないということと、子育て世代が危機感を持っていること がポイントであると思っている。普段からできることをやっていないことが問 題であって、それは何を意識したらいいのか、また日常生活で何をやったらい いのかを特に子育て世代や若い世代に伝えないといけないと思った。資料のド ラフトで項目が 1から 6 まであがっているが、例えば「一人ひとりができるこ と」というのも、災害時と平時、特に平時で繰り返しやらなければいけないこ とは何か、先ほどマニュアルはA4 裏表でいいという話があったが、覚えられる のはそれだけなので、これを常に頭で描ける情報を入れる。核家族にどう伝え ていくかに焦点を当てていなかないと、作っても誰にも届かない。そういう工 夫をこの中にきれいに入れていければと思う。

委 員:対象者が幅広く多様であるということはあるが、誰にどんな情報を伝えたいの かということを意識して作らないと、誰も読まないものになってしまうかもし れない。

委 員:そうすると、災害が起きた時と日常との活動をある程度対比して構成するとい うか、そういうものが必要かと思う。自分も 4 年くらい前に教えていただいた 時に、何かあったらどうする、ボランティアが駆け付けた時に市民のための活 動にどうやってしていくかを教えていただいたのが非常に役に立った。お子さ んがいる方たちが何を必要としているかという情報を、どこに伝えたら自分た ちが必要なものをもらえるかとか、先ほどの柏崎の話はいい話だと思ったが、 ああいうものが来たとして、どこに届けたらいいのか分かっていれば、ボラン ティアの人たちの活用の仕方ももっとでてくる。そのようなところも含めて、 市での情報を収集する部門、ボランティアが来たときに活動してもらいたいと ころ、各自治会のやるところなどに男性・女性の視点もあればいいと思う。 委 員:被災者のニーズの把握というのは一番難しい。子育て世代が今何を欲している

のか。そういう情報が上がってくるシステムが日本全国どこもできていない。 そういうことを考えなくてはいけない。能登半島地震の時に、石川県庁が地震

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のあったその日に「ボランティアは来ないように」とホームページに載せた。 石川県には県が要請した 34 名のボランティアコーディネーターがいたが、その 人たちにストップをかけた。3,4 日目に、その資格を持っている人たちが県の言 うことを聞かないで動き出した。それで県庁は何をやったかというと、石川県 の人だけボランティアを受け入れた。地の利がない人に説明している時間はな いから、県内の人だけに限定すると言った。金沢駅前に集合させ、集まった人 をバスで被災地に送って、その日のうちにバスで帰らせ、被災地に何ら負担を かけない形でやった。ボランティアに来るなと県庁が言ったのは、「被災者のニ ーズを把握して、必要なところに必要なボランティアを送りこむから」という ことであった。これは凄く正しいことであるが、100%できるはずがない。例え ば、千葉県庁が浦安市民のニーズを調査できるかというと 100%できない。県庁 は何をやるかというと、浦安市役所に「市民のニーズを把握して報告せよ」と 言うだけである。忙しい思いをするのは市役所の職員である。市役所の職員が 市民のニーズを歩いて把握できるかというとできない。結局、被災者のニーズ は把握できないということになる。市民の側でそういうことを情報提供したり、 組織としてはなかなか難しいから、情報連絡員みたいなものをあちこちに配置 して、そういう人たちが情報を上げることを考えなくてはいけない。特に阪神 淡路大震災以降、一人暮らしのお年寄りなど、高齢者をどう地域でサポートす るかということで、災害時要援護者名簿を作るなどみんな年寄りのことばかり 考えている。自分も年寄りなので、年寄りのことを考えてくれるのは有難いが、 もっと地域で子どもを支えることを考えるべきではないか。この前、浦安では 避難しなくて済んでいる。避難所になった場合に、学校には子どもたちがいる。 その子どもたちを先生がみんな見れるのかというと見れないのではないか。若 い子どもたちの方がこの先の日本を考えた場合に大事である。地域で子どもを 支えることを何で考えないのか。年寄りを助けなくていいとは言わないが、自 分がその年になって、「年寄りはいいから子どもたちの面倒を見てよ」というの が正直なところである。これを考えられるのは、子育て世代の人たちが主にな ってこないと駄目である。そういう人たちが、我々のようなおじいちゃん世代 にどんどん言ってくれればいい。ただ、その方たちは普段忙しくて、家にいな い方である。大震災の前に 7 年間講演会をやっていたが、たった 1 回だけ PTA から依頼があった。それが、震災以降に一番問い合わせがあったのは PTA であ る。PTA の方たちが家庭教育学級の勉強会のテーマの中に防災を入れるようにな った。それまではずっと防犯であった。ある意味、PTA 世代の人たちはこのこと に関心を持っている。自分の生活に追われている世代なのでなかなか難しいが、 そういう人たちの意見をいかに吸い上げていくか、若い人たちに投げかけるこ とを考えていければと思う。

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委 員:自分は学校現場にいるが、高洲北小学校では大震災の時に 1,200 人避難してき た。東京学館の生徒が帰宅できないということで 500 人、その他に地域の方々 がマンションが危険な状態なので、みんな学校に避難してきた。学校の教員が 子どもたちの面倒を見られないという話があったが、学校の教員は子どもたち の面倒を見ることができなかったら、一体何をするのかという話になる。学校 の教員は先ず子どもたちを見る。地域の人たちが避難してきても、子どもたち がいる時には、地域の人には「申し訳ないけれども自分たちでやってくれ」と いうことで、子どもたちの方に集中する。自分の学校にはマニュアルがあるが、 それはどういうものかというと、避難してきた順番に、仮設トイレの設置や炊 き出しなどの仕事を割り振る。大震災の時に教員はいたがいない場合もある。 また、浦安に住んでいる教員も少ない。そういうことから地域の人たちがいろ いろな仕事をするというマニュアルを作っていた。本部だけはすぐに立ち上が ったが、あの時間帯で帰ってくる方は非常に少なく、実際には機能しなかった が、マニュアルがあることによって、やるべきことが分かった。来た人が順番 にやるというのは、いる人がやるということで本当に大事なことだと思った。 情報の話であるが、学校というのは先ず紙媒体で情報を流す。今はあまり使わ ないが、電話連絡網もある。自分の学校はメール配信をやっているが、これは 電話が通じるからできる話である。情報を自分で取りに行くというのは非常に 大事である。その情報をどこに取りに行くかという話になった時に、やはり学 校だと思う。地域に近い学校の役割は大きいと感じた。

会 長:また次回、同じテーマで話をするということなので、この項目をいろいろと検 討していただいて、また次回、ご意見をいだければと思う。想定外のことに対 応する力が大切であるという話であったが、一方で平時から多様な視点から想 像力を働かせておくことも必要かと思う。幸いこの会議にはいろいろな方々が いるので、経験を踏まえた意見を交し合うことで、想像力を豊かにしていくこ とにつながるのではないかと思う。

事務局:次回の推進会議は12月 7日(金)午後6時から、市民プラザで予定している。

以 上

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