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子どもの「個性化」 : ユング,フォーダム,キューブラー=ロス: 茨城大学機関リポジトリ

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お問合せ先

茨城大学学術企画部学術情報課(図書館)  情報支援係

http://www.lib.ibaraki.ac .jp/toiawas e/toiawas e.html

T itle

子どもの「個性化」 : ユング,フォーダム,キューブラ

ー=ロス

A uthor(s )

青栁, 路子

C itation

茨城大学教育学部紀要. 人文・社会科学・芸術, 67:

115-128

Is s ue D ate

2018-01-30

UR L

http://hdl.handle.net/10109/13507

R ig hts

(2)

子どもの「個性化」

ユング,フォーダム,キューブラー=ロス

青栁路子*

(2017 年 8 月 31 日受理)

“Individuation”

of Child:

Jung, Fordham and Kübler=Ross

Michiko AoyAgi*

(Accepted August 31, 2017)

はじめに ― ユングとキューブラー=ロス ―

 E.キューブラー=ロス(Kübler-Ross, Elisabeth:1917-2004)は,現代の,人間の死に関する研 究や終末期医療におけるパイオニアと言われてきた。その功績は「死にゆく過程の段階(stages of dying)」説(以下,「「段階」説」と略す)に代表される。

 終末期医療が黎明期であった1960年代後半のアメリカで医師として終末期患者と臨床を重ねた キューブラー=ロスは,致命的な疾病の罹患から死に至るまでの「死にゆく過程」において人間が 段階的に心理的な変化を遂げていくことを示し,「段階」説を唱えた1)。すなわち,人間が致命的

な病いに罹患したことを自覚した後,一貫して「希望(hope)」を抱きながらも,「否認(denial)」 「怒り(anger)」「取り引き(bargaining)」「抑鬱(depression)」「受容(acceptance)」の5つに代表さ

れる心理的段階を経過するという説である。この「段階」説は,その後の終末期医療の展開や死生 学分野の研究の礎石となっただけでなく,死にゆくことを理解し学ぶために,デス・エデュケーショ ンでも取り上げられてきた2)

 ところで,このキューブラー=ロスが「死と死にゆく過程についての研究で,私が最も影響を受 けた精神医学者はC.G.ユング(Jung, Carl, Gustav:1875-1961;執筆者註)である」(Kübler-Ross 1997/1998, p.91/p.110)と述べていることは,あまり知られていない3)。

 そもそもロスは,アメリカで活躍する以前に,スイスのチューリヒで生まれ育ち,医学生時代に は,しばしばユングを見かけていたという4)。そうした生育環境をもつ彼女にとって,ユングがい

かに大きな存在であったかは,容易にうかがい知ることができる。

 ところが,キューブラー=ロスは,ユングから影響を受けたといいながら,どのような影響を受

       

(3)

けたのか,具体的に述べたことはなかった。

 そこで本稿では,前述したキューブラー=ロス自身の発言を糸口にして,彼女がユングからどの ような影響を受けて死や死にゆく過程の研究に携わっていたのか,思想的に検討することを試みる。  特に本稿では,ユングの思想の中でも「個性化(individuation)」を手がかりに考察する。なぜなら, 「個性化」が「死の準備」(フォン・フランツ 1994,p.13:ストー 2000,p.134)であり,また「個

性化プロセスの完了としての死」(西平 1997,p. 41)が指摘され,死と死にゆくことを研究してい たロスにとって,最も示唆的であった思想と考えられるためである。

 しかしながら,思想相互の影響関係を確定する作業は常に困難である。とりわけ,キューブラー =ロスにおけるユングからの影響を検討する作業には難しい問題が伴う。第一に,ロスはユング派 として「個性化」を展開したわけではなく,彼女が取り組んだ死と死にゆく過程は,ユングの用い た術語や概念で述べられていない5)。第二に,「段階」説をはじめとして,ロスは深層心理学の領

域にまで踏み込んだ議論を行っていない。したがって,ユングの「個性化」から影響を受けていた としても,その内実は思想的な解釈作業をほどこさない限り,表れてこないことになる。

 しかし,そのような難しさがあっても,本稿がキーブラー=ロスの,ユングからの影響を思想的 に読み解こうとするのは,そこにキューブラー=ロス理解の重要な手がかりを見るためである。ユ ングからの思想的影響関係に焦点を絞ることによって,彼女の仕事に新しい光をあて,さらには死 と人間形成をめぐる議論をより一歩深めることができないか。そしてまた,「自覚せざるユンギア ン(unknowing Jungians)」の一人にキューブラー=ロスがあげられながらも(サミュエルズ 1990, p.19),詳らかにされていない,その様相についても迫ることができるだろう。

 とりわけ問題の焦点は「子どもの個性化」である。ユングは「個性化」を人生後半の課題と語っ た。では,子どもが個性化することはないのか。なかでも「死にゆく子ども」が個性化することは ありえないのか6)。あるいは健常な子どもにおける個性化と「死にゆく子ども」の個性化とはいか に異なるのか。

 以下ではユングにおける人生後半の「個性化」を検討し,続いて人生前半の「子どもの個性化」 を論じたM.フォーダム(Fordham, Michael:1905-1995)の論を取り上げる。最後に,キューブラー

=ロスのunfinished business概念を「個性化」の視点から検討することを通して,子どもにおける「死

の準備」としての「個性化」の思想を明らかにしていくことにする。

1.ユング,ユング派の「個性化」

(1)ユングの「個性化」

 ユングは「個性化」について,さまざまな視点から説明し,また言い換えている。その領域の広 さも手伝って,「個性化」は容易に理解できないと言われてきた。

(4)

「「自我」とは意識野の中心をなし・・・自我は意識の主体でしかないが自己は無意識的な心 を含めた心全体の主体である。この意味において自己とは自我を内包する・・・」(Jung 1936=1961/1987, §810 /p.446)

 「自我」が意識の主体であるのに対して,「自己」は無意識に位置し,さらに意識と無意識とを含 めた心の中心として位置づけられている。したがって,「個性化」は,意識が「自己」に向かうこ とによって無意識との結びつきを強めようとする力動的なプロセスとなる。その過程では,意識と 無意識の統合の度合が高まっていく。それを意識の側からみれば,意識が無意識を取り入れながら 発達するプロセスを意味する。

 しかし,こうしたプロセスは,意識が無意識から分化し,充分に発達した後にしか訪れえない。 そのため「個性化」は,人生後半への転換期に体験されることが多いとされ,人生後半の問題とし て理解されてきた。

 ところが,他方でユングは,「個性化」について次のようにも述べている。

「…個性化は分化の過程であり……個性化とは実際には,同一性が支配している原初の状態か ら意識が発達することと等しい。したがって個性化は,意識領域の拡大であり,意識的な精神 生活を豊かにすることである。」(Jung 1936=1961/1987, §825-828/pp.472-473)

 ここでは,意識の発達としての「個性化」が述べられている。しかし,それは「同一性が支配し ている原初の状態」,すなわち意識と無意識が未分化である状態から意識が分化し,発達していく プロセスと同じものであるという。つまり,ここで述べられている「個性化」は人生後半に限定さ れるものではない。むしろ,ライフサイクル全般にわたるプロセスとしての「個性化」が示唆され ている。

 以上のように,ライフサイクルからみれば,ユングが述べた「個性化」には2つの側面がある。 一つは,ライフサイクル全体に及ぶ,意識の分化,発達のプロセスであり,もう一つは意識の発達 であるが,無意識との結びつきを強めようとする,人生の後半により焦点化されるプロセスであ る。こうした「個性化」の特質から,人生全般にわたるものを「広義の個性化」もしくは「大文字 の個性化(Individuation),人生後半期に訪れるものを「狭義の個性化」もしくは「小文字の個性 化(individuation)」ととらえる区別もなされている(西平 2010,p.44)。

 では,このような「個性化」が,なぜ「死の準備」と言われるのか。また,「個性化プロセスの 完了としての死」と,死によって完了するプロセスとされるのか。

 ユング派の人々によって,「個性化」は「死の準備」であるとしばしば指摘されてきた。しかし, なぜ「死の準備」と言うことができるのか,その根拠は,あまり明確には述べられてこなかった。 これに対して,西平は丹念な議論を重ねて,「個性化」が「死の準備」と言われる理由を整理して いる(西平 2010,pp.41-50)。

 まず,西平によれば,「<死にゆくこと>と<個性化を完了していくこと>とは,心理学的に同 じプロセス」だという。

(5)

しかし,向かい合う対象の無意識は,意識し得ない,知られざる領域である。無意識との結びつき を強めていくには,「自我」は無意識の領域へと「自らを明け渡して」いかねばならない。そこでは, 「自分自身が消滅する危険を伴う」ことになる。

 しかし,これは死に向かうときの出来事と共通する。「自我」から見れば,死は,まさしく「自 らの消滅」を意味する。死にゆくことは,死という,意識が存在しえない,知られざる領域に向か い合うことになる。それは「自我」にとって,未知の領域へと「自らを明け渡してゆく」ものとし て体験される。

 意識が無意識と結びつきを強めようとする「個性化」は,死にゆくとき,死に向かい合うときに 「自我」が体験するプロセスと同じ力動的なプロセスとなる。こうして,人生後半に訪れる「個性化」

は「死の準備」となる。

 それでは,次に,ライフサイクルにわたるプロセスとしての「個性化」は,死とどのように関わ るのか。それについて西平は,「個性化」がライフサイクル全体に及ぶのであれば,そのプロセス の完了は「人生の終わりである死」と一致するのかという問いを立て,ユングのライフサイクル論 から解き明かそうとする。

 ユングは,死について「単なる無意味な終始と見ずに,人生の意味の実現,人生本来の目標を見 ることは,人類一般の心に対応するように思われる」(Jung 1930=1967/1979, §805/pp.236)と述べ た。ユングは人生の意味が死によって成就されること,生きることの本来の目標を死に見出すこと を肯定するライフサイクル論を持っていた。

 ユングのライフサイクル論に見られるように,人生の目標が死にあるならば,ライフサイクル全 般におよぶ「個性化」もまた,死を目標にすることになる。そして,「個性化」の目標が死である とすれば,そのプロセスは死によって完了することになる。

 西平は,このように話を進めるが,「人生の目的を成就し,個性化が完了した時点で,うまい具 合に死が訪れる」ような「有り難い一致」がありうるかと問う。そして,ユング自身が「個性化」 の終わりが死と一致する「「有り難い」予定調和を考えていた節がある」ことを指摘しつつ,前述 した「<死にゆくこと>と<個性化を完了していくこと>」とが心理学的に同じプロセスであるこ とに鑑みながら,むしろ「死が個性化を成就させる」こと,「個性化の成就が死をもたらす」とい う見解に達する7)

 ユングの述べた「個性化」は,「自我」が「自らを明け渡す」体験という点で,死に向かおうと するときの力動的なプロセスとして重なり合い,「死の準備」となる。したがって,ライフサイク ル全般に及ぶ「個性化」は,人生の終わりである死によって完了する。あるいは,死によって「個 性化」が成就される。「個性化」は力動的なプロセスとしても,またライフサイクル論としても, 死や死にゆくことと密接なかかわりを持つ。

(6)

 しかし,その結果として人生前半4 4

の「個性化」は,ユングにおいては充分に解明されないまま, 残されたことになる。

(2)フォーダムの「子どもの個性化」

 さて,残された人生前半の「個性化」について研究を進めたのがフォーダムである8)。フォーダ

ムは,ユングが論究しえなかった人生前半期の個性化,すなわち,「子どもの個性化」を理論化した。  いったい「子ども」にみられる「個性化」とは,どのようなものなのか。

 フォーダムの「子どもの個性化」は,生後間もない乳児の段階から論じられる。まず子どもは, 原初の,統合されて安定した状態にあるとみなされる。そして,子どもは「本来最初から自己とい う一つの統合体」であるとし,その統合を担う「原初的自己(primary self)」をもつと仮定される9)  しかし子どもは,誕生と同時に環境に順応し,また他者と関わりをもたねばならない。そのため, 子どもの,原初の統合された状態は変化せざるをえなくなる。それは,子どものもつ「原初的自己」 が,環境や他者との関わりによって変化することでもある。このときの変容について,フォーダム は次のように述べている。

「・・・もし乳児がもともと統合されているのなら,順応していく上で,母親と関わりをもつため に,自分の一部をいわば開放しなければならない。つまり,私の言う脱統合が必要になる。赤 ん坊が目覚め,手足を動かし,あたりを見つめ,声をあげて母親の注意を引く。それが脱統合 の行動化である。それにしたがって,授乳になる。乳児は乳首をくわえ,おそらくそのとき手 も使う。それから吸い始め,時々母親の顔を見つめる。それは,満ち足りた思いが全身に広が り眠りにつくまで続く――赤ん坊は再び統合されたのである。」(Fordham 1988b/1992, p.49/p.29)

 子どもが原初から統合されているならば,母親をはじめとする他者に出会い,関わりをもつこと によって,子どもの統合された状態は部分的に崩壊する。つまり「原初的自己」による統合状態は, 部分的に「開放」されることになる。このように,他者との関わりによって「自己」の安定した統 合が部分的に解かれ,開かれた状態となることを,フォーダムは「脱統合(deintegration)」と呼んだ。  「脱統合」の例としては,見ること,吸うこと,触れることなどがあげられる。これらは,生物 学的に見れば,生得的に備わっている人間の身体的,生理的な運動と言えるが,フォーダムは無意 識の「自己」が「脱統合」したことによる「行動化」ととらえた。

 統合が解かれる「脱統合」では不安定な状態になるものの,やがて子どもは安定を取り戻していく。 このプロセスが「再統合(reintegration)」である。フォーダムによれば,「再統合」は崩壊した「自 己」を再び集めるような統合ではない。対象と関わり,行動化を伴う「脱統合」の特質からわかる ように,「再統合」では,母親や環境との相互作用の経験も含んだ新たな統合がなされることになる。  このように,フォーダムの示した「子どもの個性化」は,無意識にあり,統合を担っていた「原 初的自己」が,環境や対象への働きかけによって部分的に崩壊し,再び,だが新たに統合されると いう動的なプロセスである。この繰り返されるメカニズムによって,さまざまな構造が複雑化し, 意識の主体である「自我」が分化し,確立されていくことになる10)

(7)

ている。このプロセスこそ,ユングが「実際には,同一性が支配している原初の状態から意識が発 達することと等しい」と述べながら,十分には論究しえなかった「個性化」であった。こうしてフォー ダムは原初の状態から意識が発達するプロセスをとらえることによって,人生前半の「個性化」を 「子どもの個性化」として理論化する11)

(3)ユングの「個性化」とフォーダムの「個性化」

 無意識から意識が分化し,発達していく中で意識の主体である「自我」が確立されていく。フォー ダムによれば,この「自我」が,その後の「自己」の「脱統合」と「再統合」のプロセスに積極的 に寄与する。そして,無意識と意識とが相互に,かつ,密接に作用しながら繰り返す統合のプロセ スは,ライフサイクルの各時期にわたって展開し,人生後半期には,ユングが示した狭義の「個性 化」へと連なるとした12)

 こうしてフォーダムは,「子どもの個性化」からライフサイクル全般にわたる「個性化」を示す。 しかしユングとフォーダムの「個性化」を比較すれば,そこには大きな違いがあることがわかる。 その違いを生んでいるのは,「自己」のとらえ方である。

 先に述べたように,ユングにおける「自己」は,「個性化」プロセスで意識が向かう「心の中心」 として,意識と無意識との統合をもたらすもの,「人格形成的な中心」であり,人格の全体性を導 くものとされた。そして無意識にある「元型」の一つであった。しかし「元型」そのものは具体的 に働かない限りは確認することが出来ないとされてているように,意識には「元型イメージ」が昇っ てくるにすぎず,ユングにおける「自己」は,無意識の奥底にあるとらえがたさゆえに,動的とい うよりは静的なイメージさえ感じさせる。

 一方,フォーダムは「自己」をどのようにとらえるのか。フォーダムは,ユングの「自己」につ いて次のように述べている。

「ユングによれば,自己の性質はそれほど明瞭ではないが,その活動は通常本質的に統合的な ものと考えられていた。……そのため自己は,人格をまとめあげ組織化していくプロセスを導 く,とされていたようである。それは全体性,意識・無意識の構造とプロセスをそのうちに結 びつけた一つのシステム,と定義できる。」(Fordham 1988a/1992, p.24/p.18)

 フォーダムは,ユングが述べた「自己」の「人格をまとめあげる」働き,つまり「統合」に注目する。 そして「自己」が「統合」を担うのであれば,「自己は能動的でなければならない。それは脱統合 しなければならない」という(Fordham 1988a/1992, p.24/p.18)。そして「自己」の「統合」の運動 を「脱統合」と「再統合」としてとらえた。こうしてフォーダムは,ユングの「自己」に基づきな がらも,統合を担う概念として「自己」を位置づけ,その働きを明確に示した。

(8)

 このような差異があるにもかかわらず,フォーダムは「子どもの個性化」とユングの「個性化」 とが「力動的に同じプロセス」であると主張する。

 しかし,果たして無意識から意識が形成されていくプロセスは,無意識から分化した意識が再び その結びつきを取り戻そうとするプロセスと同じものなのか。ライフサイクルの早期に力点をおい て論じられたフォーダムの「個性化」と,ライフサイクルの後半期に主軸をおいたユングの「個性化」 は同じ概念で言い表せるものか。フォーダムの述べた「個性化」は,極論すれば,意識の主体であ る「自我」が無意識から分化されていく「発達」のプロセスであって,「子どもの」と修飾しなけ れば成り立たない「個性化」ではないか。「子どもの個性化」のダイナミズムが,ユングの述べた「狭 義の個性化」を準備するとしても,それらが果たして一つの線で結ばれうるのか13)

 ユングとフォーダムの「個性化」を比較すると,問いは尽きない。こうした問いを生む一因として, 重要なのは次の点である。フォーダムの「個性化」では,ユングの「狭義の個性化」で指摘されて いる「死の準備」が抜け落ちてしまっているということである。つまり,フォーダムの「子どもの 個性化」では,そのプロセスの完了がもたらされるようなアクチュアルな死が視野に入っていない。  そして,まさにその側面,すなわち,アクチュアルな死に直面した子どもの死の準備こそ,キュー ブラー=ロスの課題であった。

2.キューブラー=ロスのuninished business

(1)「死にゆく過程」と「死を前にした課題」の解決/解消/成就

 ではいったい,キューブラー=ロスはユングから,いかなる影響を受けたのか。まず,彼女が取 り組んだ「死と死にゆく過程」に目を向ける。

 キューブラー=ロスにとって「死にゆく過程」は,自分がまさに死を迎えようとしている事実に 対する「衝撃」から始まり,やがて死を迎えていく過程である。その過程をとらえた「段階」説で は,自分の死が現実化しようとしている「衝撃」の後,死にゆくことを認めようとせず突きつけら れた現実を拒み「否認」や,「怒り」さえ表出する段階がある。ここには,人々が自分自身の死に 向かい合うことがいかに困難であるかが示されている。しかし困難であっても,否,困難であるか らこそ人々は死が訪れる時まで変容する。「段階」説は,死の「受容」へと至る,死にゆく過程に おける一つの変容を捉えたものである。しかし,ロスが述べる事例をみると,彼女が目にした,死 にゆく過程での人々の変容は「段階」説において示されたものにとどまらない。たとえば,キュー ブラー=ロスは次のように述べる。

「何らかの心残りのために,生にしがみついている患者もあった。たとえば,知的発達が遅れ た子どもたちがいるのに,自分の死後,その子らの面倒をみてくれる人がいないと心配する患 者や,子どもの世話をしてくれる人が見つからず,誰かにその不安を聞いてもらう必要のある 患者などだ。・・・残される者の世話の手筈が整うと安心し,それを終えて,間もなく亡くな るのが普通である。」(Kübler-Ross 1969=1997/2001, p.270/p.439)

(9)

死を前にして,遺される人々や物事の行く末に対する<気がかり>や<心残り>が浮上する。それ らが解決されなければ死を迎えられない。死を迎えるならば,それらを解決しておく必要がある。 あるいは,それらが解決されることで,死を迎えることができる。ここでは,死を迎える前に<気 がかり>や<心残り>を解決していくことによってなされる,人々の変容が取り上げられている。  また,死にゆく過程では,意識の傍らに追いやってきた<未解決の情動>や,他者に対する<心 のわだかまり>に気づかされることがある。ロスは,病床で最も妻を必要としていながら,折り合 いが悪いために妻との関係が疎遠だった男性の例をあげる(Kübler-Ross 1969=1997/2001, pp.100-121/pp.133-165)。

 病床の男性は人生を振り返るたびに,最大の悲しみであった娘の死を思い出した。やがて男性は, 繰り返し娘の死を思い出したのは,自分が娘の死を充分に悼みきれていなかったこと,さらには妻 との間にわだかまりが生じてしまったのは,娘の死の直後,その悲しみを妻と分かち合わなかった ためであることに気づく。そして死を迎える前に,ロスを媒介者として妻との関係を修復した。  このように,キューブラー=ロスは,死期の迫った人々が<心残り>や<気がかり>,そし て<心のわだかまり>や<未解決の情動>などを抱えていることに着目した。そしてそれらを

unfinished businessと呼んだ。

 このunfinished businessは,ゲシュタルト療法では「終えることができなかった経験に起因する

未完ゲシュタルト」を指す14)。より一般的には「対人関係における未解決問題や論争」を意味し,「未

完の仕事」「やり残した仕事」「未整理のこと」などと訳される(コールマン 2004, p.681)。

 キューブラー=ロスがとらえた,死が差し迫った人々のunfinished businessは,死が差し迫って いるがゆえに,解決したり解消したりすることが必要とされる<心残り>や<心のわだかまり>や <未解決の情動>であった。つまり,死を間近にした人々にとってのunfinished businessは「死を 前にした課題」なのである15)

 このような「死を前にした課題」を解決し,解消することによって遂げられる人々の変容は 「死にゆく過程」の段階説には示されていない。にもかかわらず,「段階」説を示したその著書On

Death and Dyingで,キューブラー=ロスが死に向かおうとする人々のunfinished businessを見出し

ていたということは注目に値する。つまりロスは,死の「受容」へと至る「死にゆく過程」の段階 的な心理的変容とは異なる,人々のもう一つの変容をとらえていた,ということである。

(2)子どもたちの「死を前にした課題」

 ところで,キューブラー=ロスが述べるunfinished businessは,成人に限られたものではない。 彼女は,子どもたちの「死を前にした課題」も取り上げている。ロスは9歳のジェフィの例をあげ る(Kübler-Ross 1997=1998/1998, p.182/pp.238-243)。

 ジェフィには,両親に買ってもらった自転車に乗り,家族と暮らした家を一周したいという夢が あった。病気が終末期に入り,死が差し迫ったころ,ジェフィは病院から一時帰宅して,自転車で 家の周りを一周する夢を叶えた。そして夢を叶えた自転車を新品同様に磨いてもらい,誕生日の贈 り物として弟へ贈った。ジェフィのような<叶えたい夢や願い>もまた「死を前にした課題」となる。  もちろん,大人と子どもとでは「死を前にした課題」に違いがある。ロスによれば,「子どもは

(10)

がらみもなければ,痛恨の過ちを犯していること」もなく,「無理に平静を装わなければならない 事情」もなかった(Kübler-Ross 1997=1998/1998, p.182/pp.236-237)。しかし,たとえ短い生だと しても,人生を終えようとする子どもたちには,子どもなりの「死を前にした課題」がある。  このように,キューブラー=ロスは,大人であっても子どもであっても「死を前にした課題」が あるととらえた。大人や子どもの別なく,死を前にした人間にあるunfinished businessは,死を迎 えるまでに終えておかねばならない課題なのである。

 その「死を前にした課題」に取り組むことによって人々は変容した。それは課題を解決/解消/成 就するための単なる変容ではなく,自分の死を迎えるための準備を導くものでもあった。言い換え

れば,unfinished businessは死を迎えるために終えておかなくてはならない課題であり,その課題

に取り組むことでもたらされる変容は,文字通りの,死の準備のための変容であったのである。

3.「意識の発達」と「死の準備」

 ユング派のフォン・フランツは,キューブラー=ロスは「死を前にして人格のなお成熟する現実 をまざまざと経験したのだが,その際,主に,外的に観察可能な明快な意識過程を記述している」 (フォン・フランツ 1987,p.6)と述べている。確かに,ロスの議論はユング派からみれば内的な

議論を展開しているとは言い難い。しかし「段階」説の心理的変遷と,unfinished businessによる 変容をユングの「個性化」に照らすことによって,キューブラー=ロスのとらえた「死にゆく過程」 はより重層的な人間の変容過程として浮かび上がってくる。

 キューブラー=ロスのとらえた「死にゆく過程」は,自分が死を迎えようとしている「衝撃」か ら始まり,自分に死が迫っていることを「否認」したり,「怒り」を表出したりするプロセスとし てとらえられていく。死が差し迫った,限られた生の時間は,この現実に自分が存在しなくなると きに向かって生きようとする,意識にとってはとても過酷な時間となる。こうした自分の死に直面 する意識の危機を,臨床ゆえに外的にではあるが,キューブラー=ロスの「段階」説はとらえてい るといえよう。

 ところで,前述したユングの「個性化」について西平の議論から確認したように,死にゆくとき, 死に向かい合うときに「自我」が体験する力動的なプロセスは,ユングの「個性化」と同じ力動的 なプロセスであった。キューブラー=ロスがとらえた「死にゆく過程」は,まさに死が差し迫った ときをとらえており,死を迎えようとする人々の「自我」は,死という未知の領域へ「自らを明け 渡す」ことを強いられることになる。つまり,キューブラー=ロスの「死にゆく過程」は,ユング の「個性化」を発現させる。

 では,ここでキューブラー=ロスが同じく「死にゆく過程」で見出したunfinished businessによる 変容は,どのようにとらえられるのか。

 キューブラー=ロスの注目したunfinished businessは,<心残り>や<気がかり>,<未解決の 情動>や<心のわだかまり>,そして<叶えたい夢や願い>といった「死を前にした課題」である。 そして,それらを解決/解消/成就していくことは,無自覚であったことがらとの和解であり,ある いは現に存在する他者との関係の回復や強化や,思い描いた夢や願いの実現であった。

(11)

かったunfinished businessが死にゆく過程で明確に意識化されてくるということである。これはす なわち,意識領域の拡大・成熟であり,「意識の発達」ととらえることができる。

 そして,「死を前にした課題」に取り組むことによる変容は,死を迎えるための準備でもあった。 「死を前にした課題」は死を迎えるために終えておかなくてはならない課題であり,人々はそれを

解決/解消/成就していくことで変容し,自らの死を迎えていった。つまり,キューブラー=ロスは,

人々がunfinished businessを解決/解消/成就していくことでその死がもたらされることを見出してい

た。あるいは,死がunfinished businessによる人々の変容をもたらし,死によってそれが完了する ことを見出していたということになる。

 キューブラー=ロスが,ユングから,特にユングの「個性化」から影響を受けていたのであれば,「個 性化」プロセスと共通性をもつ「死にゆく過程」の研究で,そのプロセスで遂げられる人々の変容 に「意識の発達」と,さらに「死の準備」といえる変容を見ようとしていたことに,その積極的な 影響を見出せるのではないだろうか。

 言い換えれば,ユングが述べた「個性化」の力動的なプロセスが具現化される「死にゆく過程」 において,unfinished businessによる変容プロセスは死が成就させるものであり,そのプロセスの 成就が死をもたらしていることにロスが着目していた点に,ユングの「個性化」からの影響を考え ざるをえない。

おわりに ― キューブラー=ロスと子どもの「個性化」 ―

 キューブラー=ロスは,「死や死にゆく過程」の研究で,ユングから,特にユングの「個性化」 からどのような影響を受けていたのか。その問いに導かれながら,本稿では,死と密接に関わるユ ングの「個性化」概念と,子どもへと「個性化」を展開させたフォーダムの理論,そして事例を取 り上げたキューブラー=ロスの記述に立ち返ってきた。

 では,キューブラー=ロスは,子どもの「個性化」をどのようにとらえていたのか。結論を述べれば, 彼女は,死にゆく子どもについても,ユングのいうような「死の準備」としての「個性化」をみよ うとした,と言えるだろう。

 ユングは,ライフサイクル全般にわたる「個性化」を示唆しながら,子どもの「個性化」につい て詳述することはなかった。フォーダムもまた,「子どもの個性化」を論じながら,ユングが述べ た「死の準備」としての「個性化」の性質を引き継がなかった。つまり,ユングもフォーダムもと もに,子どもに「死の準備」としての「個性化」を見ようとはしていない。

 それは,ライフサイクル全般を見越した理論を構築しようとすれば,当然の帰結かもしれない。 しかし,ユングからフォーダムへという「個性化」概念の展開からは,子どもと死とがいかに結び つきにくいかを改めて考えさせられる。

(12)

1) キューブラー=ロスが提示した「段階」説は,シカゴ大学附属ビリングス病院での200人余りの成人末期

患者との臨床に基づいている.この説は,5つの段階から構成されていることから「死にゆく過程の5段階説」

などと呼ばれることもある.「段階」説は,死や死にゆくことの研究に多大な影響をもたらしたが,同時に様々 な批判も受けた.たとえば,各段階は時間軸に沿って直線的に進んでいくのか,時に重なり合うことがある のかといった,「段階」ということばに付随する「死にゆく過程」のとらえ方の問題などがある.そうした批 判の多くは,「段階」説を導いた方法論,つまり,臨床の対象となった人々,臨床期間,分析の方法等が明ら かでないことに起因していると言ってよい.このような「段階」説のはらむ問題点に注目しながら,キュー ブラー=ロスとその与えた影響を批判的に検証したシャバンは,「段階」説の誕生の背景を探る興味深い研 究を行っているが(Chaban 2000),ロスの亡き後,真相は明らかではない.いずれにしても,「段階」説が,

病院で死を迎えようとする極めて現代的な環境で,言語による意思疎通が可能な限られた人々との臨床の上 に成り立っていることは忘れてはならない.なお,シャバンの研究における「段階」説の誕生については, 拙稿(2005,2006)を参照されたい.

2) たとえば,ロスが活躍したアメリカで用いられている家庭科の教科書Contemporary Livingでは「年を重ね

ること,生の充実と死(Ageing,Fullfilment of life and Death)」の章で「段階」説が取り上げられていた.

また,日本におけるデス・エデュケーションを推進してきたA.デーケンは,キューブラー=ロスの「段階」

説に,第6の段階「期待と希望(expectation and hope)」を付け加えて「死へのプロセスの6段階」とし,

独自の見解を加えながらロスの説を発展させ,死にゆくことの理解の普及に努めている(デーケン 1996,

pp.167-172).もっとも,ロスが活躍したアメリカでは,現在,デス・エデュケーションをはじめ死生学研究

に影響を及ぼしたキューブラー=ロスの思想を批判的に検討する論考が多く見られる.これについては,稿 を改めて論じたい.

3) 本稿における引用で,原著および邦訳を参照したものについては,その発行年と引用ページを「/」で区切

り,「原著/邦訳」の順で記した.また原著で,執筆年と刊行年(もしくは引用した原典の刊行年)が異なる

ものについては「執筆年=刊行年」で記した.特にユングの全集からの原著引用についてはパラグラフ番号

を記している。なお,邦訳のみ参照した文献については,邦訳のみの出典を記した。

4) ロスはユングについて次のように回想している.「私が医学校の一年生の頃,チューリッヒの市街を逍遥し

ている,その伝説的なスイス人の精神医学者をよく見かけた.歩道や湖のほとりをゆっくりと歩くユングの 姿は,街の風物詩といってもいいものだった.いつも忘我の状態で,深い思索にふけっているようにみえた. 私は,ユングとの間に不可解なきずなを感じていた.口をきけば,たちまち魔術的に気脈がつうじてしまい そうな,奇妙な親近感を抱いていた」(Kübler-Ross 1997=1998/1998,p.91/p.110).しかし結局ロスは,ユン

グに声をかけることはなかったという.

5) 本稿で用いる「ユング派」については,A.サミュエルズによるユンギアンについての考察と分類とを参考に,

ユングの理論,分析心理学を受け継ぎ,それを発展させ,また研究に取り組んでいる人物を指して用いてい る(サミュエルズ 1990,pp.2-39).

6) 本稿では,従来の訳にならってdying childを「死にゆく子ども」と訳した.「死にゆく子ども」といっても

(13)

述べる「死にゆく子ども」たちは,死に至る病に罹り患いながら,自分の死に至ろうとする過程を生きている, 言語による意思疎通が可能な限られた子どもたちが対象となっていることを付け加えておきたい.

7) 西平は,ユングの「個性化」は,「意識」「無意識」「心(プシュケー)」のいずれを主語にするかによって,

極めて多面的な様相を見せることを示している(西平 1997,pp.37-40).したがって,「個性化」をとらえるには,

これらの3つの観点から検討する必要がある.しかし本稿では,論点を絞るために,特に意識の主体である「自

我」を主語にした「個性化」について論じることにした.

8) フォーダムはイギリスのユング派を代表する人物の一人である.彼がユングへの関心を深めたのは,1933

年,同じく英国出身で,ユングの助手を務めていたG.ベインズ(Bayns, Godwin)と知り合ったことによる。

翌年にはチューリヒのユングを訪ね,親交をもつ.フォーダムとユングの交信は第二次大戦で一旦途切れるが, 戦後再開.フォーダムは,ユング全集の英訳・編集者の一人でもある.フォーダムの経歴やその仕事については, アスターの著書(Astor 1995)に詳しい.

9) 当初,フォーダムは,original selfと呼んでいたが,後にprimary selfと改めた.そのためprimary selfは「原

初的自己」の他,「一次自己」などとも邦訳されることがある.この「原初的自己」についてフォーダムは「分 析心理学者のいう意味で意識以前,つまり心が意識と無意識へ分化する以前のもの」と述べている(Fordham 1969/1976, p.72/p.68).

10)フォーダムは「自我」について,「現存し,あるいは意識しえる知覚行為ならびに運動反応の総体である」

(Fordham 1969/1976, p.72/p.68)と述べる.フォーダムによれば,「自我」は,おおよそ2歳でほぼ確立され

るという。なお,フォーダムは「自己」が不安定な状態にあったとしても,「自我」の崩壊を意味することに はならないことを付け加えている.

11)フォーダムが「子どもの個性化」を述べるに至った背景には,1935年ころ,彼が分析心理学を学び始めて

間もないころに出発点がある.フォーダムによれば,当時の分析心理学では,子どもは「自我」が十分に発 達しておらず,母親と融合状態にあるとされていた.したがって,無意識に支配されがちな子どもを分析す るには危険が伴うという理由から,子どもは分析対象としない見方が支配的であった.また,たとえ分析心 理学で子どもについて述べられていたとしても,それは実際の子どもに則したものではなく,象徴的な子ど も論にとどまっていた.これらの点にフォーダムは問題意識を抱き,子どもを分析するための枠組み,しか も現実の子どもに即した理論を必要とする.そして実際に乳幼児観察を行った結果,それまで分析心理学で 取り上げられてきた通念とは異なって,母親とは独立した,別個の人間として子どもをとらえ,「子どもの個 性化」を理論化する.(こうした経緯の詳細については,以下の文献を参照(Fordham 1988/1992,pp.21-24/

pp.15-19)).フォーダムが「子どもの個性化」を理論的に示したことによって,分析心理学の枠組みで子ど

もを分析することが可能となった.

サミュエルズはユング派を概観して,「古典派」「発達派」「元型派」の3つの「学派」に分類しているが,イ

ギリスの分析心理学では「発達派」が大きく展開する(サミュエルズ 1990,pp.27-34).フォーダムは「子

どもの個性化」によって,その発展に大きな功績を成したと言ってよい.こうした一連の背景には,児童精 神科医であったフォーダム自身の関心はもちろんのこと,彼が活躍した土地がスイスのチューリヒではなく, ロンドンであったことも多いに関係しているだろう.フォーダムは,イギリスで発展した対象関係学派,特 にM.クライン(Klein, Melanie: 1882-1960)から大きな示唆を受けている.彼は,心理療法や分析心理学の

(14)

12)ライフサイクルの各時期の詳細は,フォーダムの著書Children as individuals(1969/1976)の一部で取り上

げられている.

13)当然のことながら,ユング派の中からもフォーダムの述べた「子どもの個性化」に対して,ユングの述べ

た「個性化」とは異なるという指摘が起きた.たとえばヘンダーソンは,幼児や子どもの場合には,「個性化

の要因(individuating factor)」とし,「個性化」という言葉は,ユングが人生後半について述べたようなプロ

セス,つまり狭義の「個性化」を指す場合に限って用いることを勧めている(ヘンダーソン 1974,p.222).

これに対してフォーダムは,ヘンダーソンのいう「用語は煩瑣」であり,加えて,個性化のもつ「力動的な 過程が本質的に異なるような印象を与えてしまう」として反論している(Fordham 1969/1976,p.110/p.75).

ところで,フォーダムは,サミュエルズによって「発達派」に位置づけられていたが,自分が「発達派」で あるとは思わず,「ユング自身が行わなかった区分をするのは混乱をきたす」と批判しながらも,「ユングの 仕事は人格の成長に関わる個性化の概念があるから,発達的なものであった」という見解を示したという

(Astor 1995, p.36).このことから,フォーダムは「発達」としての,特に意識の発達としての「個性化」を

ユングから継承しようとしたことがうかがえる.しかしながら,「子どもの個性化」がユングの述べた「個性化」 と同じ力動的なプロセスであるならば,子どもにみられる「個性化」が,どのようにして人生後半期の,ユ ングの述べた狭義の「個性化」へと連なっていくのかは改めて検討する必要がある.翻って,ユングについ ても,ライフサイクルの視点からみた2つの「個性化」,つまり,ライフサイクル全般にわたる「広義の個性化」 と,人生後半期に訪れるという「狭義の個性化」とが,ユングの内にどのように両立していたのか,また逆 に矛盾を生じていたのかは改めて検証されねばならない.ちなみにサミュエルズは,ユングの「何度も気づ かされることだが,個性化の過程が自我意識をもつことと混同され,その結果,自我と自己が混同されている」 という発言から,「ユングは,子ども時代の個性化というフォーダムの考えには,当然賛成しなかった4 4 4 4 4

であろ う(傍点原文)」と述べている.しかしまた同時に,ユングが「特定の種類の自己象徴や象徴的経験に非常な 関心を払っていたので」,個性化についてのユング自身の「当初の洞察」を失うことがあったとも指摘してい る(サミュエルズ 1990,p.193).

14)キューブラー=ロスがunfinished businessを用いた背景は明らかではないが,ゲシュタルト療法は1960年

代に精神科医のパールズ(Perls, F: 1893-1970)がアメリカで発展させた療法であり,彼女がそれに学び,概

念形成に影響を受けた可能性はある.

15)キューブラー=ロスのunfinished businessの詳細については,拙稿(2002)で論じた。

引用文献

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2005年秋号, pp.227(116)-259(134).

青栁路子.2006.「E.キューブラー=ロスとその批判:シャバンによる批判を手がかりに(下)」『死生学研究』

2006年春号, pp.399(168)-371(196).

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参照

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