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2017年10月1日号7ページ 博士の功績 広報上越特集は故郷の偉人「坂口謹一郎博士生誕120年」 上越市ホームページ

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ヒト 物質B

物質A

博 士 の 功 績 微 生 物 の 誕 生 か ら 活 用 ま で

  、ヒ

、現

身 近 な 生 活 に あ る「 発 酵 」

 「 」は

。「

、こ 、う 調

「 発 酵 」の 主 役 は 微 生 物

 

く「 」「 」「 」の

「 微 生 物 に 頼 ん で 裏 切 ら れ た こ と は な い 」

 

 

な「 」の

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調

 

微生物研究に関する年表

微生物と発酵の関係

微生物

○カビ類…コウジ菌、アオカビなど

○酵母類…出芽酵母など

○細菌類…乳酸菌、納豆菌など

→食品や薬品に

有害 腐敗 有益 発酵 微生物の酵素

この物質が... ヒトに

とって

=

=

変化

  

50      

10  

40

46

コウジ菌(新潟薬科大学提供)

ていきょう にいがた

なっとう にゅうさん

究 機

○1994(平成6)年12月9日(97歳)

 心不全のため逝去。従三位に叙せられる

○1974(昭和49)年11月3日(76歳)  勲一等瑞宝章を授与される

○1967(昭和42)年  11月3日(69歳)  「微生物酵素学の 発展に貢献」で文 化勲章を受章

○1944(昭和19)年頃(46歳頃)  先祖の出身地大瀁村(現・上越市 頸城区)鵜ノ木へ疎開。当時の住ま いを戦後「楽縫庵」と名付ける

○1938(昭和13)年4月5日(40歳)  「菌類による有機酸類の生産ならびに その工業的利用に関する研

究」が日本農学会日本農学 賞を受賞

○1923(大正12)年11月(25歳頃)  高田市(現・上越市)倉石家の長 女カウと結婚

○1922(大正11)年4月(24歳)  東京帝国大学を卒業、農学部 の研究室に残り、研究者となる

○1919(大正8)年4月(21歳)  東京帝国大学(現・東京大学)農学部 入学、農芸化学を専攻、醸造学の高橋偵造教授 と出会い、発酵や微生物の研究の道に進む

○1913(大正2)年4月(15歳)  私立順天中学3年へ編入学

○1910(明治43)年4月(12歳)  高田中学校(現・県立高田高 等学校)へ入学。小児マヒの闘病 のため3年近く休学する

○1897(明治30)年11月17日  父正利、母マツの長男として高田 鍋屋町(現・上越市東本町)に生まれる

博士のあゆみ

上京

▶東京帝国大学 農学部助教授の頃

 まずは、博士がどんな生涯を過ごしたのかをひも解いてみましょう。博士の遺した功績にどのよ うな出来事や人が影響したのでしょうか。

この頃酒を 飲み始める

○1975(昭和50)年1月(77歳)

 新春御歌会始の儀に和歌の詠み手として 招かれる

子どもの頃か ら読書好き

◀前列左から2人 目が謹一郎を抱く 父正利、後列右か ら1人目が母マツ

のこ えいきょう

さい きんいちろう

ころ まさとし

なべやまち じょうえつ

じゅさんみ

おうたかいはじめ

くんいっとうずいほうしょう

こうそ びせいぶつ

じゅよ

けっこん

ていぞう じょうぞう

せんこう しもとりかずみ

さつえい

ていこく しりつ う の き

らくほうあん そかい くびき

きんるい

おおぶけ しりつ

とうびょう しょうがい

(撮影:霜鳥一三)

坂口謹一郎博士    生誕120年

2017 10・1 広報 7

参照

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