ヒト 物質B
物質A
博 士 の 功 績 微 生 物 の 誕 生 か ら 活 用 ま で
微 生 物 は 、ヒ ト が 誕 生 す る 遥 か
昔 か ら 地 球 上 に 存 在 し て い ま し た 。
ヒ ト が 微 生 物 を 発 見 し 、 研 究 を 重
ね た 結 果 、現 在 の 産 業 や 医 療 な ど 、
さ ま ざ ま な 分 野 で 活 用 さ れ る ま で に 研 究 が 発 展 し ま し た 。 物 が 存 在 し 、 ヒ ト の 体 内 や 皮 膚 に
も す み つ い て い ま す 。 ま た 、 ヒ ト
に 有 益 な 微 生 物 ば か り で は な く 、
病 気 を 引 き 起 こ す な ど 有 害 な も の
も あ り ま す 。 身 近 な 生 活 に あ る「 発 酵 」
「 発 酵 」は 、 微 生 物 の 働 き に よ っ
て 物 質 が 別 の 物 に 変 化 す る こ と で
す 。 ヒ ト に と っ て 有 益 な 物 質 を 作
り 出 す こ と を 発 酵 と 呼 び 、 毒 な ど
の 有 害 な 物 質 を 作 り 出 す こ と を 腐
敗 と 呼 び ま す 。「 発 酵 」 の 働 き は 私
た ち の 生 活 に 身 近 な 食 品 と の 関 わ
り が 深 く 、こ の ほ か に 、う ま 味 調 味 料 、 ビ タ ミ ン 剤 、 医 薬 品 、 化 学 原 料
な ど に も 活 用 さ れ て い ま す 。
「 発 酵 」の 主 役 は 微 生 物
発 酵 の 働 き に 必 要 と な る 微 生 物
は 、 顕 微 鏡 で な け れ ば 観 察 す る こ
と が で き な い 小 さ な 生 物 で す 。 大
き く「 カ ビ 類 」「 酵 母 類 」「 細 菌 類 」の
3 つ に 分 類 す る こ と が で き ま す 。 地 球 上 に は 約 3 0 0 万 種 類 の 微 生 「 微 生 物 に 頼 ん で 裏 切 ら れ た こ と は な い 」
博 士 が 、 微 生 物
の 持 つ 発 酵 と い う
す ば ら し い 力 を 信
じ 、 語 っ た と さ れ る 言 葉 で す 。
博 士 の 功 績 は 、 し ょ う ゆ 、 み そ 、
日 本 酒 、 か つ お 節 な ど の 製 造 に 必
要 な「 コ ウ ジ 菌 」の 研 究 、 国 産 ぶ ど
う を 使 っ た ワ イ ン 造 り に 適 し た「 ワ
イ ン 酵 母 」の 特 定 、抗 生 物 質 ペ ニ シ
リ ン を 量 産 す る た め の「 ア オ カ ビ 」
の 研 究 や 調 味 料 、 う ま 味 の 研 究 な
ど に 及 び 、 微 生 物 に よ る 発 酵 の 働
き を 科 学 的 に 解 明 し た だ け で な く 、 工 業 的 な 利 用 が で き る よ う に 発 展
さ せ ま し た 。
博 士 の 研 究 成 果 は 、 環 境 浄 化 や
新 エ ネ ル ギ ー の 製 造 、 農 業 な ど 新
し い 分 野 で の 発 見 へ と つ な が っ て
い ま す 。
微生物研究に関する年表
微生物と発酵の関係
微生物
○カビ類…コウジ菌、アオカビなど
○酵母類…出芽酵母など
○細菌類…乳酸菌、納豆菌など
→食品や薬品に
有害 腐敗 有益 発酵 微生物の酵素
この物質が... ヒトに
とって
=
=
変化
・バイオテクノロジー の誕生、遺伝子組 み換え技術の利用
現在 約
50前年 用利業産の生微物 と生・前年001約発酵工業の誕 解に的明 を約前年0科20・発酵現象学 見発を物生微り よ約前年に030・顕微鏡の発明 ・発酵食品を利用約
8千年前 ・ヒトの誕生約
10年前万 在存が菌 細最の古らか石化・約
40億年前 ・地球の誕生約
46億年前
コウジ菌(新潟薬科大学提供)
いでんし
か
ていきょう にいがた
く
なっとう にゅうさん
わたし
けんび ざい はい ふ ひふ
はってん
かんきょうじょうか こうせい いりょう はる うらたのそんざい
よ
生
究 機
研 転
誕
年
晩
○1994(平成6)年12月9日(97歳)
心不全のため逝去。従三位に叙せられる
○1974(昭和49)年11月3日(76歳) 勲一等瑞宝章を授与される
○1967(昭和42)年 11月3日(69歳) 「微生物酵素学の 発展に貢献」で文 化勲章を受章
○1944(昭和19)年頃(46歳頃) 先祖の出身地大瀁村(現・上越市 頸城区)鵜ノ木へ疎開。当時の住ま いを戦後「楽縫庵」と名付ける
○1938(昭和13)年4月5日(40歳) 「菌類による有機酸類の生産ならびに その工業的利用に関する研
究」が日本農学会日本農学 賞を受賞
○1923(大正12)年11月(25歳頃) 高田市(現・上越市)倉石家の長 女カウと結婚
○1922(大正11)年4月(24歳) 東京帝国大学を卒業、農学部 の研究室に残り、研究者となる
○1919(大正8)年4月(21歳) 東京帝国大学(現・東京大学)農学部 入学、農芸化学を専攻、醸造学の高橋偵造教授 と出会い、発酵や微生物の研究の道に進む
○1913(大正2)年4月(15歳) 私立順天中学3年へ編入学
○1910(明治43)年4月(12歳) 高田中学校(現・県立高田高 等学校)へ入学。小児マヒの闘病 のため3年近く休学する
○1897(明治30)年11月17日 父正利、母マツの長男として高田 鍋屋町(現・上越市東本町)に生まれる
博士のあゆみ
上京
▶東京帝国大学 農学部助教授の頃
まずは、博士がどんな生涯を過ごしたのかをひも解いてみましょう。博士の遺した功績にどのよ うな出来事や人が影響したのでしょうか。
この頃酒を 飲み始める
○1975(昭和50)年1月(77歳)
新春御歌会始の儀に和歌の詠み手として 招かれる
子どもの頃か ら読書好き
◀前列左から2人 目が謹一郎を抱く 父正利、後列右か ら1人目が母マツ
のこ えいきょう
さい だ きんいちろう
ころ まさとし
ねん ばん たん じょう
なべやまち じょうえつ よ
ぎ
じゅさんみ
おうたかいはじめ
くんいっとうずいほうしょう
こうそ びせいぶつ
じゅよ
けっこん
ていぞう じょうぞう
せんこう しもとりかずみ
さつえい
ていこく しりつ う の き
らくほうあん そかい くびき
きんるい
おおぶけ しりつ
とうびょう しょうがい
(撮影:霜鳥一三)
2017 10・1 広報 6