0 アボガドロ定数を実感する
アボガドロ定数: 12gの12Cに含まれる炭素の原子数。通常NAと記す。
モル(物質量): NA個の要素体(分子,原子,イオン,電子など)の集まり。molと記す。単位としてmol を使う場合,物質に含まれる要素体を明示する必要がある。(例:酸素原子1モル,酸素分子1モル)。
1. N個の要素体からなる物質の物質量は
N
NAmolである。
2. 分子量M の分子から構成されるm [g]の物質の物質量はMm[mol]である*1。
アボガドロ定数の現時点での値は以下の通り*2:
NA= 6.022 × 1023 mol−1. (0.1)
例題1. アボガドロ定数の大きさを実感する。最初に直感で予想した後,計算せよ。 1-1.原子の大きさはどれくらいか?
1-2.原子10
23
個を1列に並べるとどれだけの長さになるか?
1-3.原子1023個を1秒に1個の割合で数えるとどれだけの時間がかかるか? 1-4.原子1023個をギッシリ詰めるとどれだけの体積になるか?
1-5.半径1mmの導線に1Aの電流が流れている。導線内の自由電子の集団は平均してどれだけの速さで移 動するか?
1-6.コップ1杯の水の分子に全て目印を付けたとする。この水を海に注ぎ,目印のついた分子が七つの海 に満遍無く行き渡るよう海をかき混ぜる。その後,海の中の好きな場所から海水をコップ一杯汲むと,その中 には目印を付けた分子はおよそ何個見つかるか? 海水の総量は約1.3499 × 109km3である*3。
1 確率論
1.1 確率論の基礎
系: 考察の対象となるもの。何らかの意味で確率的に振舞うと考えられる場合,確率的な系と呼ぶ。 試行(実験): 試しにやってみること。
標本点: 試行によって得られる個々の結果。それ以上細分化できない。素事象ともいう。すべての標本点に 番号をふって,i = 1, 2, . . . , Ωとする。
標本空間: 標本点すべてからなる集合。
事象: 標本空間の部分集合(空集合や全体集合でも可)。A, Bなどで表す。任意の事象は,標本点またはそ の組み合わせで構成される。
確率変数(物理量): 標本点を1つ選んだときに値が確定するもの。f , ˆˆ gなどで表す。ある標本点iにおけ るfˆの値をfiと記す。
例1. 「コイン1枚を1回投げて裏表を調べる」試行で上の用語を確認し,事象と確率変数の例を挙げよ。
【解答】この系は上面が表か裏かによって指定できるので,標本点は,(表)または(裏)である。表の場合 i = 1,裏の場合i = 2と番号をふってもよい。標本点の総数はΩ = 2。事象の例は,A =「表が出る」,B =
「裏が出る」,C =「表か裏が出る」など。確率変数の例は,f = iˆ など。
*1分子というところを原子やその他一般の要素体と考えて良い。
*2 CODATA2010(http://physics.nist.gov/cuu/index.html)ではNA= 6.02214129(27) × 1023mol−1。CODATA2006で はNA= 6.02214179(30) × 1023mol−1となっている。
*3
この例題は,ケルビン卿が講演で用いた例えを参考にした。
2 1 確率論 例2. 「サイコロ1個を1回振り出た目を調べる」試行で上の用語を確認し,事象と確率変数の例を挙げよ。
【解答】この系は出た目で指定できるので,出た目をそのまま使って,標本点をi = 1, 2, . . . , 6と定める。 事象の例は,A =「出た目が奇数である」,B =「出た目が5以上」など。確率変数の例は,f =ˆ 「出た目」
= i,ˆg =「出た目の2乗」= i2,ˆh =「出た目の足す1」= i + 1など。
■確率
標本点iの確率pi 標本点iが出現する確からしさ。以下に挙げる確率の要件を満たす。 1. 非負性
すべてのiについて pi≥ 0, (1.1)
2. 規格化条件
Ω
∑
i=1
pi= 1. (1.2)
確率分布 すべての標本点に対して,確率を順番通りに並べたもの:
p:= (p1, p2, . . . , pΩ) = (pi)i=1,2,...,Ω. (1.3)
事象が生じる確率 Aを任意の事象とし χi[A] =
{1 標本点iにおいて事象Aが真,
0 標本点iにおいて事象Aが偽 (1.4) という関数(定義関数という)を定義する。これと確率分布pを用いて定義した
Probp[A] =
Ω
∑
i=1
piχi[A] (1.5)
が事象Aが生じる確率である。
確率の物理的な意味に関する基本的な仮定 ある事象Aが起きる確率が極めて1に近い場合,実際問題とし て事象Aが確実に起きると考えられる。以下,「実際問題としては確実」という状況を「ほぼ確実に」と表現 する。加えて,『ある事象Aが起きる確率Probp[A]が極めて1に近いなら,一度の観測において事象Aはほ ぼ確実に起きる。逆に,確率Probp[A]が極めて小さいなら,一度の観測において事象Aはほぼ確実に起きな い』と仮定する。
物理量(確率変数)の期待値 fˆを任意の物理量としたとき,確率分布pに関する期待値あるいは平均値を
⟨ ˆf ⟩p: = Ω
∑
i=1
fipi= (状態の実現確率) × (その状態での物理量の値) (1.6)
と定義する*4。定義より期待値は線形性を持つ。すなわちf , ˆˆgを任意の物理量,α, βを任意の実定数として
⟨α ˆf + βˆg⟩p= α ⟨ ˆf ⟩p+ β ⟨ˆg⟩p (1.7)
が成り立つ。
例題1. サイコロを1つ振る場合を考える。事象A =「出た目が奇数である」およびB =「出た目が5以上」 が実現する確率を求めよ。また,物理量f =ˆ 「出た目」およびˆg = ˆf2=「出た目の2乗」の期待値を求めよ。
【解答】期待値の定義より計算する:
⟨ ˆf ⟩p= 6
∑
i=1
( i ×16
)
= 7
2, (1.8)
⟨ˆg⟩p= ⟨ ˆf2⟩p= 6
∑
i=1
( i2×1
6 )
= 91
6 . (1.9)
*4
数学のテキストでは,期待値はE( ˆf)と書かれることも多い。
■互いに独立な系
2つの部分の独立性 2つの確率的な系がある。系1の標本点をi1= 1, . . . , Ω1,標本点i1の確率をp(1)i1 とす る。また,系2の標本点をi2= 1, . . . , Ω2,標本点i2の確率をp(2)i2 とする。系1と系2を合わせた全体系の 標本点は,2つの部分系の標本点によって決まる。系1と系2がそれぞれ標本点i1とi2であるとき,全体系 の標本点を(i1, i2)と表す。全体系の標本点の数はΩ = Ω1× Ω2個。標本点(i1, i2)の確率をp(i
1,i2)と書く。
系1と系2が独立であるとは,全てのi1= 1, . . . , Ω1とi2= 1, . . . , Ω2 に対して
p(i1,i2)= p(1)i1 p(2)i2 (1.10)
が成り立つことを意味する。
例題2. ˆfを系1のみに依存する物理量とする。標本点(i1, i2)でのfˆの値はi1のみに依存するので,これを fi1と書く。fˆの期待値が
⟨ ˆf ⟩p= Ω1
∑
i1=1
fi1p(1)i1 =: ⟨ ˆf ⟩(1)p(1) (1.11)
となる事を示せ。さらにˆgが系2のみに依存する物理量の場合,⟨ ˆf ˆg⟩
pを上の式と同様な形で求めよ。
【解答】期待値の定義および独立性(1.10),規格化条件(1.2)を用いて
⟨ ˆf ⟩p= Ω1
∑
i1=1 Ω2
∑
i1=2
f(i1,i2)p(i1,i2)=
Ω1
∑
i1=1 Ω2
∑
i1=2
fi1p(1)i1 p(2)i2 =
Ω1
∑
i1=1
fi1p(1)i1
Ω2
∑
i1=2
p(2)i2
=
Ω1
∑
i1=1
fi1p(1)i1 =: ⟨ ˆf ⟩(1)p(1). (1.12)
同様に独立性(1.10)と規格化条件(1.2)を用いて計算すれば
⟨ ˆf ˆg⟩p= Ω1
∑
i1=1 Ω2
∑
i1=2
f(i1,i2)g(i1,i2)p(i1,i2)=
Ω1
∑
i1=1 Ω2
∑
i1=2
fi1gi2p(1)i1 p(2)i2
=
Ω1
∑
i1=1
fi1p(1)i1
Ω2
∑
i1=2
gi2p(2)i2 =: ⟨ ˆf ⟩(1)p(1)⟨ˆg⟩
(2)
p(2). (1.13)
N 個の独立な系 N 個の系の名前をj = 1, 2, . . . , Nとし,系jの標本点をij = 1, 2, . . . , Ωjとする。さら
に系j の標 本 点ij が実現 す る確 率 をp
(j)
ij と 書く 。すな わ ち系jの確 率分 布 はp(j) = (p
(j)
ij )ij=1,2,...,Ωj で あ
る。この系全体の標本点は,i= (i1, i2, . . . , iN) =: (ij)j=1,2,...,N で指定される。従って全系の標本点の総数 はΩ = Ω1× Ω2× · · · × ΩN =:∏Nj=1Ωjとなる。2個の場合と同様に,N 個の部分系がすべて独立ならば, すべてのi= (ij)j=1,2,...,Nに対して次式が成り立つ:
pi=
N
∏
j=1
p(j)ij (1.14)
例題3. j ̸= kとし,物理量fˆが系jのみ,gˆが系kのみに依存するとする。⟨ ˆf ⟩
pと⟨ ˆf ˆg⟩p を計算せよ。
【解答】例題2 と同様に計算すればよい。結果は以下の通り:
⟨ ˆf ⟩p= Ω1
∑
i1=1
fi1p(1)i1 =: ⟨ ˆf ⟩(1)p(1), (1.15)
⟨ ˆf ˆg⟩p= Ω1
∑
i1=1
fi1p
(1) i1
Ω2
∑
i1=2
gi2p
(2)
i2 =: ⟨ ˆf ⟩(1)p(1)⟨ˆg⟩(2)p(2). (1.16)
4 1 確率論
1.2 物理量のゆらぎ
偏差 物理量fˆに対して,期待値からのずれ
δ := ˆˆ f − ⟨ ˆf ⟩p (1.17)
を偏差と定義する。 分散 偏差の2乗の期待値
⟨ˆδ2⟩p=
⟨( ˆf − ⟨ ˆf ⟩p)2⟩
p
=⟨ ˆf2− 2 ˆf ⟨ ˆf ⟩p+ (⟨ ˆf ⟩p)2⟩
p= ⟨ ˆ
f2⟩p− 2 ⟨ ˆf ⟩p⟨ ˆf ⟩p+ (⟨ ˆf ⟩p)2
= ⟨ ˆf2⟩p− (⟨ ˆf ⟩p)
2 (1.18)
を確率分布pにおける物理量fˆの分散と呼ぶ*5。 ゆらぎ(標準偏差) 分散の平方根
σp[ ˆf ] :=√⟨( ˆf − ⟨ ˆf ⟩p)2⟩
p=
√
⟨ ˆf2⟩p− (⟨ ˆf ⟩p)
2 (1.19)
を確率分布pにおける物理量fˆのゆらぎ(標準偏差)と定義する。 例題4. 偏差の期待値⟨ˆδ⟩
pが恒等的に0になることを示せ。
例題5. 理想的なサイコロを1つ振る場合,物理量f =ˆ 「出た目」に関するゆらぎを求めよ。
例題6. 上の例で,N個の独立なサイコロを振る場合を考える。サイコロにj = 1, . . . , Nと名前を付け,j番 目のサイコロの目を物理量fˆjとする。全体系に関する物理量として,N個のfˆjの算術平均mˆ
ˆ m = 1
N
N
∑
j=1
fˆj (1.20)
を考える。サイコロ1個の確率分布pと区別するため,N個のサイコロ全体系の確率分布をp˜と書く。mˆ の 期待値⟨ ˆm⟩
˜
pおよびmˆ 2
の期待値⟨ ˆm2
⟩
˜
p,ゆらぎσp˜[ ˆm]を求めよ。
チェビシェフの不等式 fˆを任意の物理量とすると,任意の正の実数εについて Probp
[
ˆf − ⟨ ˆf ⟩p ≥ ε
]≤
(σp[ ˆf ] ε
)2
(1.21)
が成り立つ。
大数の法則: 確率分布pである任意の物理系に対し,任意の物理量をfˆとする。この系と完全に等しく独 立な系をN個用意し,これらの系にj = 1, . . . , N と名前をつける。系jにおいてfˆに対応する物理量をfˆj,
全系の確率分布をp˜と書く。このとき任意の正の実数εについて次の定理
N →∞lim Probp˜
(1 N
N
∑
j=1
fˆ)− ⟨ ˆf ⟩p ≥ ε
= 0 (1.22)
が成り立つ。
*5
数学のテキストでは,分散はV( ˆf)と書かれることも多い。
1.3 連続変数の場合
連続変数を持つ系の確率的なふるまいは確率密度または確率密度関数と呼ばれる関数p(x)で記述される。 この関数は次の2つの条件
p(x) ≥ 0 (非負性) (1.23)
∫ ∞
−∞
p(x)dx = 1 (規格化条件) (1.24)
を満たす。
区間[a, b]にxが含まれる確率は
Prob[a ≤ ˆx ≤ b] =
∫ b a
p(x)dx (1.25)
で与えられる。特にa = x, b = x + ∆xで∆xが微小量なら Prob[x ≤ ˆx ≤ x + ∆x] =
∫ x+∆x x
p(x′)dx′ = p(x)∆x + O((∆x)2) (1.26)
が成り立つ。
物理量fˆの期待値とゆらぎを
⟨ ˆf ⟩p:=
∫ ∞
−∞
p(x)f (x)dx, (1.27)
σp[ ˆf ] :=
√
⟨ ˆf2⟩p−(⟨ ˆf ⟩p
)2
(1.28)
と定義する。
確率分布に対して分布関数または累積分布関数を D(x) := Prob[ˆx ≤ x] =
∫ x
−∞
p(x′)f (x′)dx′ (1.29)
と定義する。定義より明らかなように任意の分布関数は広義単調増加関数である。その他にも数学的な扱いに 有利な性質がある。また分布関数から確率密度関数を導くには
p(x) = dD
dx (1.30)
を用いる*6。
*6
物理では,確率密度関数を分布関数と呼ぶことがある。数学で分布関数と言えば,累積分布関数を指す。
6 1 確率論 自習1. 以下で与えられる物理量nˆの期待値を求めよ。
1-1.コイン1枚を2回投げ,表が出る回数をnˆ。 1-2.コイン1枚を3回投げ,表が出る回数をnˆ。
1-3.コイン1枚を2回投げ,表が出る回数をnˆ。ただし,表が出る確率をp,裏が出る確率をqとする。 1-4.コイン1枚を3回投げ,表が出る回数をnˆ。ただし,表が出る確率をp,裏が出る確率をqとする。
問題1. 確率pで表,確率1 − pで裏が出るコインN枚を一斉に投げる。それぞれのコインの振る舞いは独立 とする。コインにi = 1, . . . , Nと名前をつけ,i番目のコインが表なら1,裏なら0という値をとる物理量χˆi
を定義する。以下では,全系の確率分布をpと書く。 1-1.期待値⟨ ˆχi⟩
p,⟨ ˆχiχˆj⟩pを求めよ。(✎ i ̸= jまたはi = jで場合分けが必要である。) 1-2.表を向いているコインの総数をnˆとする。n =ˆ
∑N
i=1χˆiと上の結果を利用して,期待値⟨ˆn⟩
p,⟨ˆn2⟩p
とゆらぎσp[ˆn]を求めよ。
1-3.n枚が表になる確率PN(n)を,場合の数を用いて計算せよ。また規格化条件
∑N
n=0PN(n) = 1が成
立することも確認せよ。このPN(n)は二項分布と呼ばれる。 1-4.前問の結果を用いて⟨ˆn⟩
pと⟨ˆn2⟩pとを求め,1-2の結果と一致することを確かめよ。 問題2. 問題1においてp = 1/2とし,物理量としてx =ˆ 2ˆn−N√
N を定義する。
2-1.N が十分大きいとき,物理量xˆがxとx + ∆xの間の値をとる確率が Probp[x ≤ ˆx ≤ x + ∆x] = pG(x)∆x + O((∆x)2)
と書けることを示せ。ここでpG(x)は正規分布(ガウス分布)pG(x) = √1
2πe
−x22 である。スターリングの公 式n! ≃
√2πn (ne)
n
, (n ≫ 1)を用いる。 2-2.上の結果を用いて⟨ˆn⟩
pと⟨ˆn2⟩pとを求め,問題1の結果と一致することを確かめよ。 問題3. 問題1の二項分布から新たな分布を導く。λをλ > 0の任意パラメータとする。
3-1.pN = λを一定に保つとき,P˜λ(n) := limN →∞PN(n) = e−λλn
n! となることを示し,規格化条件を確 認せよ。このP˜λ(n)はポアソン分布と呼ばれる。
3-2.上の結果を用いて⟨ˆn⟩
p,⟨ˆn2⟩pとゆらぎσp[ˆn]を求めよ。
問題4. 分散V ( ˆf ) = ⟨( ˆf − ⟨ ˆf ⟩)2⟩について以下の問いに答えよ。
4-1.実数xの「xのまわりの分散」Vx( ˆf ) := ⟨( ˆf − x)2⟩に対してVx( ˆf )を最小にするxを求めよ。 4-2. 2 つ の 独 立 な 部 分 か ら な る 系 を 考 え る 。f , ˆˆ g が そ れ ぞ れ 別 の 系 の み に 依 存 す る 物 理 量 と す る と , V ( ˆf ± ˆg) = V ( ˆf ) + V (ˆg)となることを示せ。